がんになってわかったお金と人生の本質_山崎元 まえがき    私は、2022年の夏に食道癌が   見つかった。    癌は人がよく罹るありふれた病気   だし、私の癌が特別なものだったわ   けではない。また、私は医師や医療   ジャーナリストのような医療の専門 家ではないし、特別な治療によって 癌がすっきり治ったというような体 験を持っているわけでもない。  だが、癌についてネットに記事を 書いてみると意外なくらいよく読ま れるし、時には、癌について話して 欲しいという趣旨の取材依頼が来る。  これから書く癌の話は、特定の治 療方法を勧めたり、癌に関わる知識 についてお伝えしたりしようとする ものではない。  主にお伝えしたいことは、癌とい う病気を自分の条件とした時に、私 か何を考え、どう意思決定したのか ということになる。  癌について調べる必要がある人、 治療方法を検討しなければならない 人が読者の中にあれば、改めて独自 に情報収集してご自身で判断して欲 しい。なお、投資の文章では末尾な どに「投資判断はご自身で行って下 さい」としばしば注記されているが、 本書の性質もそれに似ている。  筆者の治療方針の選択や意思決定 は一例であって、他人にも適合する と推奨するものではない。また本文 中で病院名や医師名(筆者は両方に 満足している)を伏せるが、これは 不測の影響を避けるためだ。  癌は全てが投資やお金と関係する 訳ではないが、本人にとって「不確 実性下の意思決定」の問題である点 が投資とよく似ている。 がんになってわかったお金と 人生の本質 ステージV、「真面目な癌 患者になろう」 どのように見つかったか  筆者は、これまでに大きな病気をしたことが なかったし、まして、癌に罹るのは初めてだっ た。今回、このような病を得てあれこれを考え、 幾つか決断を迫られてみると、癌患者の状況は、 投資の初心者が直面する問題とよく似ているの ではないかと思った。  はじめに筆者の癌の経過を簡単に書く。 2022年の6月くらいから、喉の調子が今一 つだと感じていた。不調だと感じた部位は喉の 少し奥と、耳の下のリンパ腺の辺りだった。細 菌が感染しているような感覚だったので、近所 の内科医院を受診した。  コロナが問題の頃であったせいだろう。医師 は、一切私に触ろうとせず、おそるおそるライ トで私の喉を数秒照らしただけで、「抗炎症剤 を出しておきますので、様子を見て下さい」と 言った。  10囗くらい経って、悪くもならないけれども 改善が見られない。次には、耳鼻科を受診して、 内視鏡で喉を見て貰った。鼻から細い管を入れ る耳鼻科の内視鏡は楽な検査だった。画像を見 せて貰ったが全く異常はなかった。耳鼻科の医 師は「念のため、食道も見て貰った方がいいの ではないか」と言って、近くの胃腸専門の病院 を教えてくれた。  ベッドが20〜30床くらいの胃腸専門の病院 だったが、内視鏡の検査を受けた時には、8月 になっていた。内視鏡の検査は気が進まなかっ たが、今回は調べてみた方がいいような気がし た。  内視鏡を鼻から入れてしばらく経ったら、内 視鏡を操作している医師が妙に情熱的に写真を 撮り始めた。  診療室で別の医師に画像を見せて貰いながら 説明を受けた。食道に癌が疑われるものが見つ かったという。なるほど。しかし、問題の部位 は食道の入り囗付近ではなくて、ほぼ真ん中あ たりだという。喉からは遠い。画面には、感じ の良くない腫れ物が映っていた。  「食道癌は当院では手に負えないので、大学病 院に行って下さい。どこがいいですか?」と訊 かれたので、自分のオフィスの近くで何となく 印象がいいと思った大学病院名を挙げたら、 あっさり紹介状を書いてくれた。検査の画像が 焼き付けられたCD‐ROMが入っている封書 を渡された。  大学病院は、その日の午後も外来患者を受け 付けていたので、急いで向かうことにした。当 日病院で対応してくれた消化器内科のドクター に「正式な診断は検査してからですが、癌であ ることは覚悟して下さい」と言われた。  その後、検査を経て正式な診断が下っだのは 8月24日たった。不調を感じてから、2ヵ月と 少しが経っていた。  この間に、友人で医者をやっている人物2名 に話を聞いたところ、私か選んだのはたまたま 食道癌の治療に定評があり、手術の症例が多い 大学病院たった。「手術できる状態なら、手術 が一番完治の可能性が高い」とのことで、友人 から知人を介して手を回して貰い、丁寧な手術 に定評のある食道・胃外科の教授に主治医に なって貰うことができた。  メガネを掛けた主治医は、「ステージmの食 道癌です。今日から禁酒して下さい」と静かに 言った。  禁酒か。是非もない。前日に飲み納めは済ま せてあったので、当日から禁酒することにして、 「真面目な癌患者になろう」と決意した。  私の食道癌発見の大凡の経緯は以上のような ものだ。これまで、「癌はどのように見つかっ たのですか」と質問してくる人が予想以上に多 いのだが、これは、自分が癌ではないかと気に している人がかなり多いということなのだろう。 癌検診に消極的だった理由  食道癌だとの診断を聞いて、大変厄介なこと になったとは思っだのだが、大きな精神的 ショックはなかった。癌についてはずっと意識 下で心配していて、準備ができていたのかも知 れない。ショックなど受けても意味がない、と 反射的に思った。  年齢や日頃の生活態度その他から見て、私か 食道癌に罹ることは「十分ありそうなことだ」 と思っていた。また、職業上、意思決定では 「サンタコスト」(既に生じてしまって後から取 り返しのつかない損失のこと)を無視して、今 後に変えられることに意識を集中するような習 慣付けがあっだので、「これから、どうするか に集中するしかない」という気持ちになってい た。  告知されたその日のうちに、仕事の仲間や家 族に病状を報告して、療養生活が始まった。  さて、日頃から、癌検診を受けていなかった のか。人間ドックに入ったり、会社の健康診断 は受けたりしていなかったのか。  50代以降の私は、健康診断や会社が紹介する 人間ドックに不信感があり、特に、胃の内視鏡 検査に忌避感があった。健康診断は多忙を理由 に受診しない年もあった。  検査の身体的負担が嫌だからという理由も あったのだが、詳しい検査を受けなくてもいい と考えていた理由の一つは、故近藤誠医師の 癌に関する一連の著作の幾つかを過去に読んで、 自分に都合のいい部分に共感していたことだ。  近藤氏の主張を匸冐でまとめるのは難しいが、 私の理解をまとめると、以下のようなものだ。  (1)早期発見を目的とした癌検診が死亡率を 下げているという信頼できるエビデンスはない。 検査には、放射線被曝、内視鏡による消化管の 傷の可能性などマイナス面もあるし、検査の目 的自体が商業的で不純である。  (2)癌には、転移して害をなすような基本的 に治らない「本物の癌」と、転移せずに治療で 治せる「がんもどき」とがあり、前者は早期発 見しても治らないし、後者は症状が出てから対 処しても間に合う。本物の癌が早期発見で治ら ないという理由は、転移の細胞分裂のスピード を考えると、原発病巣を発見して治療した段階 では、まだ見えないものの既に転移が行われて いると考えざるを得ないからだ。(「癌とがんも どきの理論」)  以上から、癌は積極的に検診で見つけるので はなく、不調の症状を感知してから対処すれば いい。  実際的な問題として、どのくらいの不調に対 して、病院に行って対処しなければならないか が自分にとって曖昧である、という問題があっ たが、ともかく上記のような考え方から、健康 診断による内視鏡検査などの癌検診に私は消極 的たった。 医療の商業主義化の悪影響  近藤氏の考えが正しいのか否かは、私の中で は、今も結論が出ていない。特に(2)の部分 に関しては、医師の友人達なども含めて、論理 的に有効だと思える反論を聞いたことがない。  多くの医師達は、近藤氏に対して、「一部の 事例を一般化してセンセーショナルに伝えて、 患者の利益を損なっているのではないか」等の 批判を浴びせるのだが、「癌に、本物の癌と、 がんもどきがあるとした場合にどうなのか」に ついて納得のいく説明をしてくれたことがない。 そして、直ぐには見分けられないが、「たちの 悪い癌」と「そうでもない癌」があることに関 してはリアリティーがある。  また、他のビジネスとの比較で考えて、もち ろん全てがではないとしても、医療ビジネスが、 患者の幸せよりも、自分自身の収益を作ること に重きを置いている可能性は排除できない。癌 の検査にあっても、治療にあっても、商業主義 の悪影響は排除し切れていないだろう。  近藤医師ご本人にはお目に掛かったことがな いのだが、人間関係の濃い医学の世界にあって、 業界全体を敵に回すような仮説を問い続けた同 氏は立派な人だと思っている。残念ながら 2022年の8月に亡くなられてしまった。ご 冥福をお祈りする。 損得勘定だけでも「検査受けるべし」  では、あらためて検査の得失を考えてみると しよう。  「癌とがんもどきの理論」の当否は、筆者には 分からない。だが、仮に見つかっだのが「がん もどき」であったとしても、治療は行うことに なるだろう。筆者の場合も、そのまま治療せず にいたら食道をものが一切通らなくなる直前の 状態だった。何もしないわけにはいかなかった。  この場合、内視鏡の検査で症状が出る前のス テージーや放射線治療が有力な選択肢になるス テージHの段階で発見できていれば、内視鏡の 簡単な手術で治療が済んだかも知れないし、放 射線治療などで胃を元のまま温存できて手術療 法の後に現在私か感じているような食事の不都 合はなかったかも知れない。  見つかった癌が「本物の癌」であった場合に は、その後に転移した病巣が問題を起こすこと になりそうだが、当面の医療費と1、2年分の 生活の質には大きな差が生じそうだ。  後に書こうと思っているが、ステージmの食 道癌とはいえ、直接に且つどうしても必要な医 療費の額は健康保険(筆者の場合、東京証券業 健康保険組合)に加入していたら大した支出に はならない。しかし、抗癌剤治療で2回、手術 で1回の3回入院し、合計で約40日を病院にい たことのコストは小さくない。  自分で選んだ贅沢とはいえ個室の代金もあっ たし、40日間外で活動できないことの機会費用 や、その後のO、OL(生活の質)の低下などを 考えると、これで完治が確実だとの仮定を置い たとしても、費用に換算して少なくとも数百万 円、計算の仕方によっては1千万円を超えるコ ストが掛かっているように思われる。私よりも 所得の多い人なら、もっと大きな額のコストを 計算に入れなくてはなるまい。  一年に一度程度の内視鏡検査の不愉快は、癌 が見つかる段階での「コストの差」を考えただ けでも正当化できるような気がする。仮に早期 で発見しても既に見えない転移があって助から ないような「本物の癌」であったとしても、初 期の治療とその後しばらくの生活の差を考える と、「早く見つけた方が良かった」と言えるの ではないかと思われる。  後述のように、私には食道癌を心配するに十 分なだけの飲酒習慣があった訳だから、複数の 友人の忠告に従って、内視鏡検査を受けておく べきだったのだろう。  癌になる前の元気な時には、「早期発見でき たとしても、助かるか、助からないかは変わら ないとすると、早期発見のために検査を受ける のは気が進まない」と「助かる・助からないの レベル」で観念的に考えていた。  しかし、現実に即して経済計算をしてみると、 損得勘定だけでも「検査受けるべし」が正解に 近かった。  食道癌の場合、症状が出てから、不都合が生 じてから、の発見・治療だと、癌が進行してい る場合が多くなりそうだ。自覚症状の現れ方は、 癌の種類が違うと異なるだろうが、一般に「発 見時の進行度合いの差による経済的コストの 差」は考えてみる価値があるのではないだろう か。  仮に、私かこれからずっと長年元気だとして も、手術をしたことによる食事の不自由の累積 コストは、金銭換算すると小さくないように思 われる。 長年の飲酒習慣と食道癌  私は、長年にわたってお酒を飲んできたし、 お酒を楽しんできた。主に飲んでいたのがウィ スキーとワインであり、特にウィスキーは食道 癌の発疱に対して影響があっだのではないかと 思われる。  ウィスキー、特にシングルーモルトーウィス キーは香りを楽しむお酒なので、愛好者の間で は、ストレートで楽しむことが良いとされる。  少しだけ寄り道を許して貰うと、氷でウィス キーを冷やして飲む「オンーザーロック」とい う飲み方は、ウィスキーが濃い状態で飲むので 通人の飲み方であるかのように思う人が少なく ない。しかし、冷やすことによってウィスキー の香りを殺す飲み方なので、ウィスキー好きの 客やバーテンダーは、高いウィスキーをロック で飲む客のことを密かに軽蔑していると知られ たい。  では、度数の高いウィスキーが苦手な人 (ウィスキーのプロにもいる)、度数の高くない 状態でウィスキーを飲みたい人はどうしたらい いかというと、香りを正確に味わうためには、 常温の水で割って飲むといい。もう一つ付け加 えると、氷が溶けた水というものは決して美味 いものではない。これは、試して貰うのが分か りやすいと思う。  私は、ウィスキーを炭酸で割って飲むいわゆ る(イボールが好きで、(イボールが長年ビー ルの代わりだったが、いいモルトーウィスキー は主にストレートで飲んでいた。  だが、ウィスキーをストレートで飲み続ける と、それなりに食道癌のリスクは高まる。私は、 頻繁且つ十分な量のチェイサーの水を飲むこと を心掛けていたが、親しい友人に「山崎さん、 後からチェイサーを飲むと胃では水割りだろう けど、食道ではストレートだよね」と言われた ことがあって、なるほどその通りであった。  ウィスキーは、長年それなりに熱心に飲んで いて、そろそろ趣味の一つに加えてもいいかと 思っていた頃合いたった。あと3年くらい自由 に飲むことができていたら、本の一冊も書けた かも知れないと思うのだが、ドクター・ストッ プとあっては仕方がなかった。  一つだけ大いに驚いたのは、禁酒が簡単だっ たことだった。それまでに、過去10年のうちに 飲んでいない日は多分3日以内だろうというく らい毎日お酒を飲んでいたのだが、食道癌との 診断が確定した2022年8月24日のその日か ら容易に禁酒ができて、手が震えたり、落ち着 きがなくなったりするような症状は全く出な かった。あれだけ飲んでいて、アルコールへの 依存性が全くなかっだのは自分でも不思議だっ た。  元々の予定では、ここで飲酒のコストとベネ フィットについて論じるつもりだったのだが、 止めることにする。健康上のコストを考えて、 生まれ変わったらお酒を飲まないだろうと計算 してみせるのも空々しい。「癌ごときを恐れて 飲まない人間はツマラナイー」と力むのも、癌 になってふうふう言っている今となっては見苦 しい。  私は、生まれ変わっても、きっとお酒を飲む だろう。たぶん、飲む。ただ、次の人生の機会 があれば、飲み方は少し変えるかも知れない。 情報を、抬うか、捨てるか 情報を制限しないと、身が持たない  2022年8月に主治医の診断宣告(食道癌、 ステージm)を受けて、少し気持ちがしやっき りした。癌に罹ったこと、病状がこの段階まで 進んでいることについて思い悩むのは無益だ (「サンタコスト」だから)。これから変えられ ることに気持ちを集中しようと思った。  この時に、半ば反射的に思っだのは、自分が 接する癌に関する情報を適切に制限しなければ まずいだろうということだった。  世の中には、癌に関する情報が溢れかえって いる。加えて、人は親切なので今後多くの情報 がもたらされる公算が大きい。  一方、情報はそれを正しく解釈して使えなけ れば意味がない。ところが、正しい情報解釈の ためには、情報を理解し判断する能力、正否を 判断するための材料となる追加情報、理解・判 断に費やす時間、決定後に後悔する可能性など の精神的負荷、など、多くのリソースが必要だ。 「接する情報を制限しないと、身が持だないよ」 と自分の直観が語りかけて来た。  情報については、多く集めることよりも、余 計なものを捨てることがより重要だろうと思え た。  例えば、たまたま癌が治ったという本人や周 囲の体験談は、癌患者にとって魅力的だが、そ の体験には個別性・特殊性が大いにあって、判 断のためのデータとしては、統計風に言うとサ ンプルが小さ過ぎて参考にならない(しばしば N=1だ)。しかし、個々のエピソードには大 いに心を動かされるだろうから、体験記の書籍、 体験談を元にしたアドバイスなどは「危険な情 報」だ。  一方、どのような治療法が有効なのかについ て知りたいことに加えて、自分の今後がどのよ うな確率と期待の下にどうなりそうなのかとい うことの判断材料はぜひ欲しい。そのためには、 信頼できるデータを背景とした情報が判断材料 として必要だ。 利害関係のない、好意的な医療専門家 を探す  私は、癌に隕らず、病気に関する知識が豊富 だとは言えない。例えば、経済やビジネスの話 なら、本屋に行ってみたり、ネット書店で何冊 か書籍を取り寄せてみたりして、自分でIから 情報収集する手があるかも知れないが、「癌」 は無理だ。しかも、時間が隕られている。  手始めに、医者、学者、医療ビジネス関係者 で数人、知識が信用できるバックグラウンドが あり、私と直接の利害関係がなく、私に対して 好意的な人物を選んで、アドバイスを求めるこ とにした。  情報ソースとして、最初に勧められたのは、 国立がん研究センターのホームページだった。 各種の癌について要領よく説明してあって、概 要を把握するには具合がいい。癌が見つかった 読者、癌が心配な読者は、先ずここを訪ねると いいだろう。  次に勧められたのが、「診療ガイドライン」 だ。癌の種類別に、症状、治療法、予後などに ついて情報をまとめて、参照すべき論文などが まとめられた冊子が、それぞれの学会によって 作られている。  食道癌は、2022年が改定の年に当たって いた。医療に詳しい知り合いが、「食道癌診療 ガイドライン」の検討用のドラフトがネットで ダウンロード可能であることを教えてくれたの で、このドラフトを大いに参考にした。  食道癌の治療方法は、過去十数年の間に進歩 していて、手術が可能なステージmの場合、抗 癌剤3剤(5‐Fu、シスプラチン、ドセタキ セル)の投与を2クール行って、手術ないし放 射線で根治を目指す方法が標準的な治療になり、 かつてよりも数%から10%くらい5年生存率が 改善しているようだった。 5年生存率の見当を付ける  かつては、早く手術をして病巣を取って、そ の後に抗癌剤を使って転移を防ぐような手順と 考え方だったらしいが、手術前の体力がある状 態で抗癌剤を十分使って癌の縮小を期すると共 に、将来の転移の可能性を叩くというような考 え方に変化したらしい。さらに、この方法に あって、2剤を使っていたものを3剤にしたら 効果がより改善したようだ。  5年生存率のグラフ(横軸に治療からの経過 年数、縦軸に生存者の割合)を見て、自分の場 合の5年生存率を「50%弱」くらいだろうと見 当を付けた。  ごくレアだが、手術の失敗によって短命にな ることがある。逆に、手術が成功して順調であ れば、その時には「50%〜60%くらい」と見込 んでもいいのではないかなどとも考えたが、そ れ以上に楽観的な材料は見つけられなかった。  2022年の9月には、食道学会があり、そ の場で「食道癌診療ガイドライン」と「臨床・ 病理食道取扱い規約」の最新版が発売される とのことだったので、知り合いに調達して貰っ た。また、学会の様子はオンラインで視聴可能 だったので、視聴できるように手配して貰って パソコンで見た。私の手術の執刀を予定してい る医師の発表があっだので、見たかったのだ。  専門的な話は分からなかったが、医師の人柄 などが「少し」だが分かったような気がした。 当たりはソフトだが、話に無駄のない、頭の良 さそうな先生だと思って、満足した。  ガイドラインを読み込んだことは、標準的な 治療メニューを知り、その大凡の結果について 見当を付ける上で役に立ったし、医師と話をす る上でも便利たった。また、学会の動画を見て おいたことも、医師とコミュニケーションを取 る上では悪くなかったようだ。  大学病院の医師は、医者であると同時に、大 学の教師であり学者でもある。こうした専門家 に対して敬意を以て接する姿勢を見せられたし、 そのことによって詳しい話を聞きやすくなった と思う。 治療方針の決定  ガイドラインに書かれている治療は、学会で 認められるようなサンプル数のデータを伴った 治療方法で、いわゆる標準治療の最新版だ。概 ね健康保険を使って治療ができるということで もある。  囗本の「標準治療」がベストなものなのかに ついて、私は判断材料を持っていない。例えば、 海外の治療方法まで調べるともっと有望なもの があるかも知れないし、国内にも健康保険で認 められていないだけで実は有効だったり、学会 で認められていないけれども良い実績のある治 療方法があったりするのかも知れない。  標準治療よりも良い治療方法がある可能性に ついて、私は否定しない(できない)。だが、 今回の自分のケースでは、自分の情報の理解力 や判断のための持ち時間などを考えた時に、 「標準的な治療でベストだと思えるものでいい」 と割り切ることにした。  ただ、後に得られた知識から少しだけ補足す ると、癌の種類がレアで症例の少ないものだと、 十分なエビデンスがなくて健康保険で使える抗 癌剤の種類が少ないなど、データや制度が制約 になる可能性が若干ある。筆者の食道癌は、そ こそこの症例のある癌だが、それでも胃癌や直 腸癌ほどの数はない。治療結果に決定的に関わ るような薬ではなかったが、食欲不振等の症状 に陥った時にネットで情報を調べて使ってみた い薬があっだのだが、「その薬は、食道癌では まだ(健康)保険で認められていないので使え ません」と言われたケースがあった。  仮に、読者が罹った癌がレアなものであった 場合には、海外の癌治療に詳しい専門医などを 探して、可能な治療の可能性を早く見つけるこ とが望ましい場合があるかも知れないことを付 記しておく。  さて、筆者の治療方針の選択肢は、抗癌剤3 剤の投与を2クール(Iクール10囗から2週間 くらいの入院になり、間が2週間)行って、そ の後で、手術ないし放射線で根治を目指す治療 を行うことになる。  両治療の5年生存率は、手術の方が放射線よ りも数%いいくらいのデータであったが、自分 の癌にどちらが合っているのか、また治療後の 状態なども含めてどうなりそうなのかが判断材 料になる。  筆者が一つ気にした材料は、治療後の「声」 の問題たった。声帯を司るのは反回神経と呼ば れる神経だが、食道癌の手術ではリンパ節を郭 清する際にこの神経に障る可能性がある。  自分の仕事を考えると、原稿を書く以外に、 講演などで話す仕事や、コンサルティングの仕 事で「話す」ことが必要なものが相当の割合で 存在する。概算してみると、書く方が時間は長 いが、生み出している経済価値は話す仕事の方 がやや大きい、というくらいのバランスである ことが分かった。  主治医に聞いてみると、上手く手術すれば大 丈夫だとの答えだった。だが、信用しない訳で はないが、外科のお医者さんなので、「切る (=手術する)」ことを好むバイアスを持ってい る可能性がある。  幸い、相談していたメンバーの中に、癌の放 射線治療が専門の大学病院の医師がいた。CT の画像なども見て貰った上で得た彼の意見によ ると、「手術で取りきれるなら、手術する方が 根治の確率は大きいのではないか。手術に賛成 する」とのことだった。  「知り合いの医師に意見を求めたいので、私の データを送って下さい」と主治医に頼んだら、 簡単にOKしてくれて、紹介状のような形式で データを送ってくれた。  うろ覚えだが、かつて、米国では癌治療のセ カンドーオピニオンは、先ず放射線の医者に求 めると聞いたことがあった。筆者の知り合いは、 癌の放射線治療を長くやってきた医師で、数年 前に筆者の同僚が肺癌に罹った時に腕のいい放 射線科医を紹介してくれたことがあった(同僚 は治療後5年が経過して現在大いに元気だ)。 放射線の専門医で相談できる相手がいたことは ラッキーだったかも知れない。  最終的に手術にしようと心に決めて、主治医 との話に臨んだ。物静かで頭の良さそうな主治 医が、珍しく言葉に力を込めて「一緒に、頑張 りましよう」と言った。やや意外感を覚えたが、 ありかたいと思った。  こうして、治療の方針が決まった。 「親切な人」は意外と困る  癌は全てが投資やお金と関係する訳ではない が、本人にとって「不確実性下の意思決定」の 問題である点が投資と似ている。  大きな病気にかかると、誰でも、先ずは病気 について情報収集したいと思うだろう。治る確 率、治療方法の選択肢などについて知りたい。 病院や医師の評判も気になる。  ただし、ここで悩ましいのが、情報がたくさ んあり過ぎることだ。癌については、ネットに も、書籍にも、そして周囲の人々のクチコミに も、おびただしい情報が謚れている。  この状況は、投資を始めようと思った初心者 も同じではないだろうか。例えば書店に赴いた として、どの本が信頼できるのか判別すること は簡単ではない。テレビや雑誌で顔や名前を見 たことのある著者の本に親近感を覚えるかも知 れないが、これはあまり信頼のおける選択基準 ではない。  情報は欲しいのだが、情報は、判断するとい う行為とセットではじめて有益になり得るもの であって、判断できない情報や判断に時間が掛 かり過ぎる情報は却って邪魔になる。しかも、 癌患者の時間は隕られており、判断のタイミン グを自分で自由に決められない場合が多い。  理想を言うと、必要あるいは有効で役に立つ 情報だけを、信頼できる判断の根拠とセットで 速やかに入手したい。  しかし、自分の処理能力と持ち時間に対して、 癌に関わる情報ははっきり言って過多だ。書店 にもネット上にも、治療法の選択に関わる情報 だけでも多くのものがあって、もちろんそれら の有効性を試してみて確認することなどできな い。  加えて、「私は癌になりました」と伝えると、 多くの「親切な人」が群がってきて各種の情報 をもたらしてくれる。治療に役立つ可能性があ るものだけでも、身内や知り合いの名医、海外 の富裕層が使う治療薬、癌が治る生活習慣、癌 に有効だとされる各種のサプリメント、身体に 良い水、良い治療法が書かれた書籍、癌が治っ た身内のエピソード、最近書かれた論文、マッ サージの達人、など多くの情報の提供を受けた。  大半が好意によるもので、感謝している。営 利目的の混じるものは殆どなかったが、広く知 らせたわけではないのに、多くの情報が集まる。  しかし、集まった情報の全てについて判断す る時間はないし、お礼を伝えることだけについ ても時間と孑孑ルギーを要する。また、治療法 について迷いが生じた精神状態に陥るのは良く ない。  こうした状況を考えて、筆者は、少なくとも 治療の方針が固まるまで自分の癌について対外 的に知らせないこととした。お見舞いへの対応 や、SNS等を通じたメッセージに対する返信 の時間と手間を節約したいという目的もあった。  「自分は素人投資家と一緒だな」  世間には「標準治療ばかりが癌治療ではな い」という意見があり、実際に標準治療以外の 治療が奏功しているケースもあるのだろうが、 判断の方法と時間がない情報については諦める ことにした。また、世間に流通している治療の 選択肢の中には、「上手く行ったケースが過剰 に強調されているもの」や「楽に結果が得られ そうで魅力的なもの」などがあり、これらの情 報を検討していると迷いが生じる可能性がない 訳ではない。  この辺りの情報の価値と判断する側の心理の 関係は投資の世界によく似ている。「素晴らし い実績のアクティブーフアンド」や「容易に儲 かる投資のノウ「ウ」のようなものが、つい魅 力的に思える場合はあるのが生身の人間として は普通だろう。危ない、危ない。  加えて、治療方針に関する相談相手を、「自 分が直接知っていて直接利害関係がない医療の プロ」数人に絞り込んだのは前述の通りである。 科学者、放射線科医、内科医が1人ずつと彼ら が紹介してくれた医師複数だ。この方針も正解 たったように思うし、良い知人を持っていた筆 者は幸運たった。投資の世界で言うと、ファイ ナンス学者、ファンドマネージャー、金融マン、 ファイナンシャループランナー(FP)、税理 士、などの有能なプロだが商売の利害関係のI 切ない相談相手が親しい友人にいたようなもの だ。  主治医について、学会の発表の動画で話しぶ りを見聞きして「この人は信頼できる」と思え たことは、治療に向けてプラスだったと思う。 ただ、「本人の話を聞いて、信頼し、期待する」 というアプローチは、ファンドマネージャーや 経営者のインタビュー動画を見て感じ入ってい る投資家に近い心の持ち方である(日頃は「そ んなものを見ても役に立だないよ」と筆者は 言っているのに)。  自分のことを、自分で少々可笑しいと感じた ことを覚えている。「ああ、自分は素人投資家 と一緒だな」と思ったのだ。もっとも、現実に 癌患者として素人であり、初心者なのだから不 自然ではない。 癌も投資も情報収集に意味がない場合 がある  投資の世界の情報には、(1)知識やノウ( ウに関わる情報と(2)投資対象に関わる(直 接損益につながり得る)情報とがある。  先ず、何れの情報も、「判断できる自分の能 力と時間」がない場合は、情報収集自体に意味 がないことを知って欲しい。あなた自身が理解 できない情報を知っても意味がないのだという 宣告は残酷かも知れないが、事実だ。  加えて、情報が多量に集まった事実自体が、 過信を生んだり、情報の量自体が処理と判断の 時間を圧迫したりする弊害にも気づくべきだろ  また、特に悩ましいのが(1)に類する情報 だ。投資家が初期の段階で正しい知識とノウ( ウに接して理解するのか、誤った知識を先入観 として持って回り道をするのかで「大差」が生 じてしまい、時には回復不能の状態に陥ること もある。  何れにせよ、情報は多く得られる方がいいと 言い切れるものではない。処理・判断の能力と 時間を伴わない情報は無益だし、時には有害な のだ。この事情は、病気でも、投資でも一緒だ。 上機嫌な癌患者でありたい 癌患者の時間と「資源の最適化」  食道癌の標準治療には近年変化があり、先に 抗癌剤(3剤を使う)の治療を2クール行って、 その後に手術ないし放射線治療を行う。筆者の 場合概ね2週間の間隔で、入院して第1回の抗 癌剤投与、退院して休み、再び入院して2度目 の抗癌剤投与、退院して休んで、手術のために 入院、と治療は続く。筆者は、抗癌剤、手術共 に経過が順調で入院日数の合計は40日程度たっ た。  手術を受けたのは2022年10月27日だ。手 術は、食道の大半と胃の上部の一部を切除して、 胃を持ち上げて食道の位置につなぎ、胃部から 喉に至るリンパ節を郭清する大がかりなものだ が、手術支援ロボット「ダヴィンチ」や胸腔 鏡を使う手術で、想像よりも身体へのダメージ は小さい。手術の翌日には体に確か9本ほど管 がつなかつていたが、立ち上かつて100メー トルほど歩くことができた。退院は術後13日目 たった。  現在術後3ヵ月近くになるが(2023年1 月)、1回当たりの食事の量が以前の3分の1 程度なのと(今後増える予定だが元には戻らな い)、手術の後遺症で空咳が出やすい(数力月 続くことがあるらしいが、ほぼ軽快した)こと を除いて術前と大きな変化はない。体力は7割 くらい回復したと感じる。生活や仕事に大きな 支障はない。  再発予防のための投薬があと1年ほど続き、 検査が3ヵ月に一度程度向こう数年続く予定だ。  将来については、ごく大まかに言って、現状 の延長線上で癌は問題にならずに一応「治っ た」と感じられるケースが半分、再発や転移が 問題になるケースが半分くらいの見通しだ。  食道癌は再発や転移が起こりやすい癌だとさ れている。再発は2年以内に起こることが多く、 「安心」はできないのだが、さりとて「今」の 段階で心配しても予防や治療上できることはな い。従って、心配することに利益はない。  ビジネスで言う「プランB」的な困った時の 戦略を持っていればいいので、日頃は身体の将 来について強く心配はしていない。後で説明す るような「修正された時間感覚」を持ちつつ、 本人なりの「普通どおり」で生活している。  さて、筆者はこれからどうなるのだろうか。 自分に関する当面の理解は、「あのままだと年 内に死んでいただろうけれども、たぶん1、2 年は活動的な時間を得ることができた」という ことだ。将棋で言うと、投了寸前の局面を形勢 不明に持ち直したような気分だ。悪くない。  思い起こすと、入院の申込書類の中に「信 条」や「モットー」はあるかというやや大きめ の記入欄があっだ。宗教的な信条などがある人 のために用意された質問なのだろうかと思った が、筆者は、「正直、快活、上機嫌’・」と書い た。病気の療養でも、投資でも、仕事でも、遊 びでも、快活に機嫌良くやる方が、自分にとっ ても、他人にとってもいい。  筆者は、当面、真面目に、しぶとく療養する、 上機嫌な癌患者でありたいと思っている。 治療にかかったお金はいく yつ? 人生をやり直すとしたらがん保険に入 るか?  癌になってみると、筆者の元にぽかん保険に 関する質問が多数寄せられた。「がん保険は要 らない」と言っていた人物が、実際に癌になっ てどう感じたか興味を持たれたのだろう。  本章では、筆者の癌とその治療経過を手掛か りに、がん保険の要否について考える。筆者と 似た条件にある方は多いと思うが、読者と筆者 とで意思決定のための条件が同じでない点はあ るかも知れない。もとより自分一人の経験を一 般化して押しつけるつもりはない。  読者は、ご自分の問題として改めて考え直し てご自身の結論を得て欲しい。  なお本書では、病気としての癌の表記として 漢字の「癌」を充てる一方、「がん保険」への 言及では「がん」を充てる。保険会社は癌が恐 ろしい病気ではないというイメージを醸し出し たいのだろうと推察して、その慣行を尊重する。  患者になってみた実感としても、文章の字面 としても、癌一般には「癌」が適切だと強く思 う。ひらがなの「がん」は間抜けだし、それで 病気が軽くなるわけでもない。  癌に罹ったという話をすると、いつどうやっ て癌が分かったかという質問(なぜかこの質問 が圧倒的に多い)の次くらいに多いのは、がん 保険はどうしていましたか、だった。これは、 筆者がお金関連の情報発信を生業としているか らだろう。  結論から言うと、筆者ぽかん保険に入ってい なかった。しかし、それで何の問題もなかった し、がん保険に入らないという意思決定は、筆 者以外の広い範囲の人にとってこれからも正し い。  もちろん、がん保険に入っていれば、「結果 的に」お金が貰えて得をしていただろう。しか し、仮に筆者がもう一度人生をやり直すことが できるとして、「意思決定の問題」として、が ん保険に入るかというと、入らないだろうし、 常識のある人間としてはそれが正解だ。一度だ けでなく、何度やり直しても、現行の制度や保 険の性質がすっかり変わらない限り、答えは同 じだ。 衝撃の負担額  さて、では、筆者がいくら治療費を支払って、 その内訳としてどうしても必要な支出がいくら だったかを説明しよう。切りのいいところで区 切って数字をまとめてみる。  筆者は、2022年の8月24囗に食道癌と診 断が確定し、9月上旬から抗癌剤治療で2回入 院し、その後10月27日に手術を受けて13日後に 退院した。手術を中心とする治療として、この 時点辺りでI区切りが付いたと考えていいだろ  この時点で、筆者が医療費として直接支払っ たお金は約235万円たった。入院の準備費用 やタクシー代など治療に関連する他の支出も あったが、医療費の領収書を整理してみると、 この程度の金額たった。  ただし、この中の約160万円は、入院一日 当たり4万円のシャワー付きの個室を選んだ筆 者の意図的な贅沢によるもので、治療のために どうしても必要だった費用ではない。ここには 合計40泊した。この大学病院は個室の部屋代が 相対的にやや高めだと後から分かった。近隣の 大きな病院は3万円台半ばくらいの設定が多い。 地方の病院だともっと安い場合が多いだろう。  病院の選択に当たっては、個室代などの価格 を全く気にしていなかった。病院の症例数や執 刀してくれる医師の経験や評判などで決定した。 結果的に「当たり」だったと思うが、この点は 真剣に選んだ。少々の値段の差よりも、受けら れる治療の質が重要だと考えた(普通の考えだ と思う)。  個室を選んだ理由は、主に、消灯時間が自由 であることや、原稿書きや電子メール、オンラ イン会議ができることなどだ。個室代分を稼ぎ 出すほど熱心に仕事をしたわけではないが、仕 事に穴を空けずに済んだし、他の患者さんに気 を遣わずに済んだので、これで良かったと思っ ている。  同じ病院でもっと高い部屋のオプションが複 数あったし、4人一部屋の入院だと一泊約7千 円なのだが、この辺を自分の現状にとってほど ほどだと判断した。  残る費用約75万円は、高額療養費制度の上限 を適用しながら大学病院が請求した金額を支 払ったものだ。筆者が仮に国民健康保険に加入 するフリーランスであれば、この金額が大凡の 「どうしても必要たった医療費」になる。大が かりな手術を伴う治療をしたにもかかわらず、 「意外にたいした金額ではないな」と、日本の 健康保険制度に感心・感謝した。  そして後日、望外で追加の感謝があった。筆 者は2022年時点で東京証券業健康保険組合 の加入者だったので、同組合が設定している、 医療費一回の支払いが2万円を超えた部分を健 康保険組合が補填してくれる制度が機能して、 結局、筆者がどうしても支払わなければならな かった医療費は約14万円に過ぎなかったのだ。 治療費は貯金で楽に間に合う  この種の補填制度は、多くの健康保険組合が 備えている。毎月の医療費負担の上限を決めて、 これを上回った額を補填する条件が多いようだ。 保険組合によって個々に内容が異なるので、国 民健康保険ではなく、健康保険組合に加入して いる方は制度を調べておくといい。  例えば東京証券業健康保険組合の場合、一回 に2万円を超える保険診療の医療費支払いは、 2万円との差額が給付される制度がある。給付 のタイミングは自己負担額の支払いの3ヵ月後 だ。  他の健康保険組合では、医療費の支払い一回 当たりに自己負担の上限を設けて計算するヶI スもあるし、1ヵ月の医療費に上限があって差 額が後から補填されるヶIスもあるようだ。  また、加入員の自己負担における上限金額の 設定に違いがある。個々の健康保険組合によっ て条件が異なるが、企業や業界単位の健康保険 組合の場合は何らかの補填的給付があるヶIス が多い。特に、サラリーマンはご自身が加入す る健康保険組合の条件をホームページなどで確 認しておくといい。  例えば、初回の入院費を支払った2022年 9月分の医療費では、保険診療分として筆者が 窓口で機械に支払った金額が25万円たった。と ころが、「一部負担還元金現金給付」として健 康保険組合が支給してくれた金額が23万円あっ て、この払い戻しは12月半ばに行われている。  二度目の入院の支払い27万円と、2万円を超 える通院の支払い3万円があった10月分には、 後から26万円が支給されている。支給額の決定 は支払い一件単位なので、前者の支払いに対し て25万円と、後者の支払いに対して1万円の合 計が26万円だということなのだろう。この月は 2万円を超える支払いが2回あっだので、筆者 は4万円負担した。  三度目の入院の支払いがあったH月は、筆者 の支払いが14万円で、健保組合からの給付は12 万円だ。ここまでの3回で合計61万円支給され ている。  なお、煩雑になるが本稿の性質上記しておく と、筆者が窓口で支払った金額のうち保険診療 に該当する金額については、国民健康保険の高 額療養費制度の上限額が支払いの上限になるよ うに病院側が調整する仕組みがある。一回当た りの支払い額があまり大きくならないようにと の配慮だろう。  これが先に適用されて高額療養費制度で支払 いの上限があり、先ずこれを支払う。その支払 い額に対して健康保険組合が一件2万円を超え る分をさらに負担してくれる仕組みだ。  繰り返すと、健康保険でカバーされなかった 「どうしても必要たった」医療費の支払いは、 手術の入院が終わって治療が一段落した段階で 14万円だったということになる。  筆者の場合、これに自分で選んだ贅沢費が約 160万円加わった訳だが、何れの場合も、受 けられた治療自体は全く同じである。  手術後の医療費はどうなるか。筆者は主治医 と相談して、再発防止のための薬剤投与を行う ことにした。毎月一回、1年間である。その他 に、定期的に検査があったり、飲み薬の処方が あったりするが、大きな金額ではない。  高価な薬だが、毎月の窓口の支払いは、保険 適用部分が12万円に、時間を予約して診療でき る仕組みの利用料が1万円の合計で13万円見当 の予定だ。そして、12万円の方は健康保険組合 の給付金を考えると負担が2万円に減る。結局、 1ヵ月当たり3万円を1年間負担することにな ると見込んでいる。  改めて計算してみて、そもそものわが国の健 康保険制度および健康保険組合(筆者の場合は 東京証券業健康保険組合)の付加的な給付制度 が、こんなに手厚いものなのかと感心する。  国民健康保険の場合の75万円であっても、筆 者が加入していた東証健保の場合の14万円で あっても、たいていの人にとって貯金の一部取 り崩しで十分に支払える額だろう。読者は何ら かの健康保険に加入しているに違いない。なら ば、少々余裕を見るとして自由になる預金が 200万円か300万円くらいあれば、入院の 条件などをその都度考えるとして、健康保険が 適用される標準的な治療を行う限り、がん保険 に人つていなければ癌の治療費が払えないとい う事態は先ずないだろう。  がん保険の保険料を毎月支払うよりも、預金 なり積立投資なりで早く何百万円かの備えを作 ることを考えた方がいいと筆者は思う。老後の 生活に備えた蓄えの形成も必要なのだから、同 時に行うといい。 癌治療で、実は最大のコストとは?  では、この一連の癌治療のコストはこれだけ なのか、というと全く正しくない。おそらく最 大のコストを見逃している。それは、機会費用 だ。  2022年の9月初旬にはじめて入院し、間 隔を置きながら都合3回入院して、10月27日に 手術を終えて、食事などが不自由ななりに病後 の人間レベルでだが普通の生活ができるように なっだのはH月末くらいからだ。  この間3ヵ月ほど、主として、過剰な親切へ の対応や情報過多を避けるために、対外的には 癌で療養中であることの公開を控えて、筆者は いわば世間から隠れていた。  講演や動画出演はもちろん、コンサルティン グ的な仕事もできないし、新しい仕事の種を蒔 くような活動もできなかった。この逸失利益は 小さくない。これは、機会費用としてカウント すべきコストだ。  仮に、筆者の年収を3千万円としよう。この 間にも対応できた仕事の稼ぎが半分だとすると、 3ヵ月分の機会費用は375万円と計算できる (3千万円を2で割って、さらに4で割って計 算した)。  経済的な損得勘定を正確に把握しようとする と、実質的に払った医療費がいくらであったか といった問題は些末とまでは言わないまでも、 細かな問題だとさえ言える。読者諸賢も、病気 治療の費用を見積もる上では、病気治療が必要 ない場合に獲得可能なはずだった経済価値の中 で取り込み損ねたコストを機会費用として認識 する必要があることに注意されたい。  なお、拙文中何度も贅沢だと書いた個室の費 用だが、筆者は個室を利用できたおかげで連載 の原稿を1本も落とすことなく入稿できた。こ の間、休載や中止にしていたら、その後に続か なかった連載があっただろう。その場合、将来 の原稿料だけでなく、連載原稿を書いているこ とによるビジネス上のプラス効果をも失うこと になる。  毎日個室代以上に稼ぐという思いつきの目標 は、入院して早々に無理だと分かって放棄した のだが、将来の効果まで考えると、個室代も単 なる贅沢だけではなかったことが分かる。  一般に、意思決定とコストの問題は見かけ以 上に複雑で、考えてみると面白いことが多いの だが、自分の癌治療もなかなか興味深い題材で あった。  「不安に対処する」ための 保険は賢くない 意思決定は結果論ではなく「事前」が ベース  筆者が、がん保険に加入していたらどうだっ ただろうか。例えば、癌と診断を受けた時に50 万円とか100万円といった一時金を貰える ヶIスもあるだろうし、入院一日当たり1万円 とか2万円といった保険金も大いに助けになっ たはずだ。  筆者の場合も、癌にかかることが前から分 かっていたなら、何らかのがん保険に入ってお いた方が金銭的に「得」たった可能性は大きい。  しかし、がん保険に加入するか否かの意思決 定は、自分が将来癌にかかるかどうかが分から ない「事前の」時点で行うものだ。かつての筆 者にとってもそうだったし、多くの読者にとっ てもそうあるべきだ。  筆者が思うに、特定の結果の損得と、確率を 考えた「事前の」損得を区別して、後者の口 シックに従って判断できるかどうかが、経済的 に正しい意思決定ができるか否か、いわゆる 「カモになるか否か」の一つの大きな分岐点だ。 せっかく人間に生まれて、多少なりとも確率の 概念が分かるのなら、正しく考えたいものだ。  ここで、杓子定規に真面目な人なら、将来自 分が癌にかかる確率、その場合に支払われる保 険金の予想額などを考え、他方の保険料負担と、 保険料を他の運用に回した場合の期待リターン などを考慮して、損得の期待値を計算するのか も知れないが、これは賢くない。本気でやるな ら人生の時間の浪費だ。  保険会社が商品設計の際の計算に失敗しない 限り、がん保険の条件は保険会社が十分利益を 期待できる水準に設定されていて、加入者側に とって損であるに決まっている。なぜなら、平 均的に加入者が得をするのであれば、原理的に 保険会社は潰れてしまうからだ。そして、商品 としてのがん保険は長年にわたって継続してお り、保険会社は儲かっているし、保険を売るた めの熱心なセールスの努力が続いている。推測 の根拠は十分だ。  損得の点に関しては、営利会社であり保険の 専門家でもある保険会社を大いに信用していい はずだ。「大人の経済常識」を働かせた判断と して、確率と期待値を考えた損得の問題として、 保険会社が儲かっているなら、加入者は損をし ていると考えて間違いない。  「がん保険には入らない」という結論 を何度でも出す  従って、仮に筆者が30代、40代の時分に戻っ て、将来癌にかかるかどうか分からない時点で がん保険の加入について検討するなら、「がん 保険には入らない」という結論を、自信を持つ て出すはずだ。  なぜなら、がん保険に入ることが確率を考え ると大幅に損である一方、万一癌に罹っても自 分の手元のお金で十分対処できるからだ。この 意思決定に不安はない。そして、この種の架空 の状況の繰り返しが何度も可能であるとすれば、 何度でもそうするだろう。  ただし、架空の人生のうち、何度かに一度は 癌に罹って何らかの治療費を自己負担すること になるに違いない。しかし、架空の人生を何度 も通算すると、保険に加入しない方が大いに得 になっているはずだ。  保険はお金の問題だ。感情を交えずに損得と 必要性の有無で判断したい。  例えば、通院には交通費が掛かるが、この交 通費をがん保険が支給してくれると嬉しいと いった声がある。結果論として、嬉しかったり 助かったりする場合があるのはその通りだろう。 しかし、保険会社は交通費を支払うような保険 の場合に、交通費の発生確率や期待値も計算し て保険料を設定しているはずだ。  また、そもそもがん保険に入る動機の小さく ない部分が、癌にかかることへの不安の感情だ ろう。冷静に考えると、がん保険に人つても癌 に罹患する確率は少しも小さくならないのだが、 不安な問題に何らかの対処を行つたということ が、精神的な満足感につながることがある。率 直に言ってこの満足感は賢くないし、賢くない ことが我慢できても相当に高く付く。  保険一般として、利用の判断基準は、「損か、 得か?」ではなく、「損だけれども、必要か?」 であるべきだ。保険の専門家ほど、これが当た り前だと思っているはずだ。  後述するように、平均的に損ではあろうけれ ども必要な保険というものはある。他方、がん 保険は、それ自体が損であることと同時に、が ん保険がなくても治療費の支払いに心配はない ので不要である。 先進医療特約をどう考えるか  因みに、先進医療特約については態度を保留 する。標準治療は、「標準」という名称に頼り なさを感じるが、エビデンスに基づいて有効性 が確立した治療だ。一方で、先進医療とは、厚 生労働大臣が承認した高度な医療技術を用いた 先進性の高い治療のことである。この特約を結 ぶことで、先進医療の高額な技術料が補償され る。問題となるのは、その効果だろう。  一般論で言うと、先進医療はその名のとおり 先進的であるため、有効性がまだ十分に検証さ れていない上に、適応される症例が国内では隕 られている。だから、保険料と有効性の期待値 のバランスを考慮して加入を決める必要がある。  費用面についても検証してみよう。保険の加 入者は、一般的な保険会社なら数百円、共済な ら100円程度の保険料で済むところもある。 保険会社からすると、じつは先進医療特約は、 医療保険に無料で付けたとしても、痛くも痒く もない程度のコストだということだ。  前述のように、先進医療を受けたとしても効 果が現れるかの確証はないので、一般論として 先進医療特約は不要だろう。  一方で、先進医療が効く可能性がゼロではな い限り、標準治療の希望を失った場合、その可 能性をどう考えるかは、判断が分かれるところ である。ただし、先進医療特約を目的に、がん 保険や医療保険に加入するのは馬鹿げたことだ と付け足しておく。 加入していい保険の条件 安心ではなく必要性で判断する 「生命保険は不幸の宝くじである」としばしば 言われる。普通の宝くじは、持っている番号が 当たりだった幸運な人が儲かるのだが、がん保 険を含む生命保険では、不幸なイベントが降り かかった人が保険に加入していて得をするから だ。  それでは、宝くじの当せん者が「宝くじは儲 かることがあるからいいものだ。くじを買わな いと絶対に当たらないのだから、皆さん、宝く じを買うべきだ」と言っていたら、読者は、こ れを信じて宝くじを買うだろうか。普通に確率 の思考ができる人は買わないだろう。  宝くじは、別名「無知への税金」とも言われ ているボッタクリ商品だ。得だと思って買うの は、相当に愚かな人だ。  幸運な人が儲かるくじでも、不運な人が儲か るくじでも、この理屈は変わらない。「がん保 険に入っていて助かった」という経験者の話を 聞いて感動して、自分もがん保険に入ろうと思 う人は、相当に判断力が弱い。  保険加入のような冷静に判断すべき経済行為 は、漠然とした安心のような「感情によって」 ではなく、保険の必要性を冷静に判断して行う べきだ。  保険それ自体は、(1)滅多に起こらないこ とだけれども、(2)起こった場合の損失が破 滅的に大きい、リスターイベントに対して、人 が集団で対処する巧妙で賢い仕組みだ。  しかし、平均的にはかなり損な賭けなのであ る。保険の仕組みを提供するにはコストが掛か るのだから、当然だろう。  保険を利用することが経済的意思決定として 正当化されうる必要条件は、この(1)と (2)を満たすことだ。  例えば、自動車事故を引き起こしてしまった 場合の補償に備える自賠責保険や、延焼の責任 を問われることもある火災に備える火災保険な どは、多くの人にとって(1)、(2)を満たし ていて(必要条件)、他に代わりうる手段を持 だない(十分条件)点で、加入が正当化される し、必要でもある保険だろう。  2人に1人は癌に罹ると言われているわが国 におけるがん保険や、多くの人に訪れる老後の 生活費を賄うための年金保険などは、必要条件 を満たさないので、保険会社が大規模な計算間 違いでもしない限り、明らかに要らない保険な のだ。  庶民レベルで生命保険が必要なのは、貧乏で 且ついざという時に頼ることのできる家族や親 類などを持だない夫婦に子供が生まれた時に、 一家の稼ぎ手が加入する死亡保障の保険くらい だろう。もちろん、「保険は損’・」なのだから、 子供が成人するまでの期間限定で、掛け捨ての 保険がいい。  なお、この目的の保険について、生命保険評 論家の後田亨氏が筆者に教えてくれたのは、 所得保障保険(就業不能保険などと呼ばれるこ ともある)だ。やはり子供が成人するまでの期 間、掛け捨てで加入するといいという。  所得保障保険は、満期が近づくと保障額が小 さくなるので、保障額が期間中一定の死亡保障 保険よりも保障が小さくなり、必然的に保険料 が安くなるからよりローコストで備えることが できるのだという。筆者は、「なるほど」と感 心した。 相談はしても人間からは買わない  生命保険という商品は、生涯に払う保険料が 合計1千万円を超える人もいる。高額な商品に もかかわらず、商品設計を必要以上に複雑にし ているため、損得が直ぐに計算できず、他社の 商品と比較することも難しい。当然、加入者が 払う保険料は高い方が保険会社としてはビジネ スになる。営業のモチベーションが強い会社の 営業マンに相談すると、「これが売れ筋です」 「これにしましよう」とどんどん誘導されてし まう。  因みに、街角の保険ショップには行かない方 がいいというのが私の持論である。乗り合い代 理店は、やはり彼らにとって手数料の高い、稼 げる保険を売るモチベーションで動きがちだ。 また、先輩など知人に紹介された生保のセール スマンなども、断りにくいため注意が必要だ。  相談する人を強いて挙げるとすると、FPで あろうか。ただし、保険商品を売らないFPで ある。2万円程度の相談料を払って相談し、そ の上でセカンドーオピニオンを取るといい。  実際に必要な保険というのは、自分がしっか り理解できるシンプルな設計で、安いものであ る。  そして基本的には、人間には相談しても人間 からは買わないようにする。これに尽きる。  本章をまとめると、意思決定の問題としては、 がん保険に入らない方が圧倒的に正しい。仮に、 不運にして自分が癌に罹ってしまった場合でも、 費用は貯金で十分に賄えるのだから、「がん保 険という損な賭け」には参加しない方が得なの だ。  自分が特異なくらい癌に罹りやすい体質であ ることに強い自信があればこの限りではないの かも知れないが、その程度の逆選択への対策は 保険料に十分以上に含まれているだろう。「営 業」はともかく、「計算」に関しては、保険会 社は信頼できる。  これは筆者の状況での判断だが、意思決定に 影響を与える要素が筆者と同様の方は少なくな いはずだ。ご参考になれば幸いだ。  読者ご白身の場合はどうなのか。ご判断は読 者にお任せする。 悩ましい頭髪の問題 物、仕事、人間関係などの必要・不必 要  本章は、癌に罹り、進行することで見えて来 た、物、仕事、人間関係などの必要・不必要に ついて書く。論理の筋立ては見えていて、一つ には時間的な制約、もう一つには体調・体力的 な制約によって、主にそれまで抱え込んでいた ものの中で不要になったものがどんどん見えて きたということだ。  ところで、この原稿を書くにあたって、こち らの事情で遠ざけた仕事や人間関係の当人や関 係者が読者の中に混じっている可能性について 考えなければならない。これは、率直に言って かなり気の引ける事情だ。  この点については、以下のように考えてみて 貰えないだろうか。  仕事や人間関係は、その時のタイミングや縁 によって、価値が大いに変化する。ある時には、 貴重な仕事の縁であったり、重要で興味深い貴 重な人間関係だったりしたものが、条件の変化 によって相対的な優先度が変わる。筆者は、決 して、仕事、まして人間の絶対的な価値を判断 できているのではない。  今回は、この前提条件で事実を率直に書かせ て貰うことにする。それでも残っている非礼に 対しては、平にご容赦を乞う。  さて、筆者の療養過程を簡単に振り返る。 2022年の8月24囗にステージmの食道癌と 診断された囗をスタートとしよう。治療方針は、 抗癌剤(3剤)を2クール投与後に、手術また は放射線で病巣を取って、再発しない根治を目 指す。入院はそれぞれ2週間見当で、それぞれ の入院の間には2週間程度の休みの期間が入る。  この頃の筆者の頭の中にあったキャッチフ レーズは「真面目な癌患者になろう」たった。 食道の手術後は、以前よりは食事が不自由にな るはずだが、慣れによる改善も見込めるし、仕 事は以前とそう変わらずにできるようになる。 先ずは、その状態を目指そう。ただし、食道癌 は転移や再発が多く、半分くらいが2年以内に 再発する。ここをクリアできるかどうかが大き な分岐だ。  これが、治療前期の筆者にとっての大まかな 与件である。この頃は、まだ体力が十分残って いた。スポーツで鍛えていた訳でもないし、生 活は不規則・不健康だったのだが、同年代より も体力があった。  仕事が大いに気になっていたし、その関係で、 抗癌剤による脱毛の可能性をずいぶん気にした 覚えがある。  「下級の落ち武者」のような髪  髪の毛は、筆者のような男性にとっても「意 外に」を超えて「大いに」気になる対象だ。こ の点の当否は後で論じる。一方、文化習俗的な 背景を考えると、髪の毛に対する思い入れは女 性と男性では大きく異なるかも知れない。  男女を分けて文章を書くのは、ポリティカル に正しくないかも知れないのだが、「女性の気 持ちまでは、私には分かりません」と正直に前 置きする意味で「男性にとっても」と補足した ことをお断りしておく。  さて、抗癌剤の投与で髪の毛が抜ける話をご 存じの読者は少なくないのではないか。ドラマ のシーンなどでも、癌に罹った登場人物の髪の 毛が抜ける設定は少なくない。  筆者の場合は、いわゆるツルツルになるほど 毛が抜けたわけではないが、それでも大量に脱 毛して、そのままでは人前に出たくないような 状態になった。敢えて似たものを探すと「下級 の落ち武者」だろうか。時代劇だと、合戦シー ンの後に登場して映るのは2秒くらいで台詞は ない。  抗癌剤投与での脱毛は治療を始める時点から 予告されていた。「山崎さん、髪の毛は、先ず 間違いなく抜けます」と治療の説明と共に医師 は言った。従って、この問題について考え、悩 む時間はそれなりに長かった。髪の毛の復帰に も時間が掛かった。  抗癌剤投与の入院1回目が9月上旬で、2回 目が9月下旬からだった。入院のいわば中休み の期間は約2週間だったが、1週間を過ぎたく らいから顕著な脱毛が始まった。  癌だとの診断を受けた当初から、髪の毛につ いてどうするかが気になり、あれこれ考え始め た。筆者に使う抗癌剤の場合、個人差があるが、 投与し終えてから1週間くらい経つと髪の毛が 抜け始めると聞いた。つまり、1ヵ月後には髪 の毛が抜けた状態になるということだ。 坊主か帽子かウィッグか  入院までの10日ほどの間、動画の仕事ででき るものを詰め込んだのは、仕事の上で当然だっ たが、この間も日々髪の毛の問題が気になり続 けた。そして、その気になり方は日々成長して いくようであった。  本来、病気の治療法や予後についてのあれこ れをもっと気にするべきかも知れなかった。し かし、病気そのものについては、自分の考えの もとになる知識と材料、加えてできることに限 りがある。必要な時点で、何らかの割り切りを 持って決断するしかない。  こうした「大き過ぎる問題」は手に負えない ので、自分が考えることのできる問題として髪 の毛が気になったのかも知れない。だが、髪の 毛の問題も、自分にとっては決して小さくはな い。  選択肢としては、(1)坊主頭ないしはスキ ンヘッドにする、(2)ニット帽(「ヒーニー」 と称するらしい)を被る、(3)ウィッグ(か つら)を使う、(4)そのまま様子を見る、の 主に4通りがあった。  筆者は、(2)「ニット帽を被っだおじさん」 でいくことにした。  (1)スキンヘッドないし超短髪は、やり慣れ ているのでなければ他人に異様な感じを与える し、頭の形が悪いのでダメだと考えた。(4) の様子見は、いかにも不用意に思えた。  (3)ウィッグの使用に関しては、自分自身が 使用者である知人が詳しく教えてくれた。心に 染みる親切で、ありかたいことだった。第三者 から見た変化は最も少ないので、毎週のように 広く一般の目に触れるような仕事をしているな ら、この路線を選んだかも知れない。 ウィッグは乗用車並みのコスト  知人が利用しているウィッグの経済的条件は、 ビジネスモデルや値付けの問題として興味深い ものだった。彼の利用しているメーカー及び契 約では、人毛を使った高級なウィッグを使う契 約料が年間約50万円で、毎月のメンテナンスが 一月1万3千円掛かるという。  ウィッグは時間と共に変えていき、白髪の分 量なども細かく調整して最適なものを用意して くれる。毎月のメンテナンスには、ウィッグの 下に生えている自毛の理髪代が含まれる。毎月 一度調整して貰う訳だ。知人によると、理髪の 担当者の腕と相性が大事だとのことだった。  足し合わせると年間に66万円の「サブスク」 型の契約だ。かつて、カツラは高級なものは一 個50万円程度掛かり、スペアも含めて、数個用 意する必要があり、これを更新し続けなければ ならないので、経済的には「頭の上にベンツを 乗せるようなものだ」と聞いたことがあるが、 ベンツよりは安いと思った。  ただし、いったん始めると長く続くのだろう から、長年のうちには何らかの乗用車並みのコ ストになることは想像に難くない。  ただ、世間には、カツラの想定する年齢や老 け具合と本人の現状とに乖離があったり、カツ ラそのものの装着具合が不自然だったりして 「頭の上に異物が乗っている」という印象を与 える人が少なくない。ウィッグを利用するなら、 サブスク契約の下に、頻繁にメンテナンスして 貰う方法がいいように思う。  結局選んだ(3)のニット帽は、室内でも帽 子を被っている状態に対してマナー上の抵抗感 が少々あるのだが、そうした人物は一定割合以 上存在するので悪くないと判断した。他人の動 向を気にしたひ弱な判断で恥ずかしい限りだが、 正直に書いておく。  ニット帽でも坊主頭・スキンヘッドでも、見 かけが普通の人と異なる点は同じだが、坊主頭 では「吟味するような他人の視線」が気になる のではないかと想像した。  ニット帽は、どこに買いに行くといいのか分 からなかったし時間がなかったので、通販サイ トで3種類ほど選んで購入した。  入手してみて分かっだのは、帽子の形によっ て似合うものとそうでないものがあることだっ た。小振りで引き締まった印象のニット帽は筆 者には似合わない。大きな頭がタイトにフィッ トした帽子を拡げると、大カボチャにセーター を被せたような印象になる。ある程度余裕のあ る、帽子の先が後ろに倒れるようなデザインの ものの方が良かった。  ただ、帽子に付いていたメーカーのロゴに驚 く人が何人かいたことを後で知った。 「supreme」というブランドのロゴが入ってい たのだ。大変モテて日頃から羨ましく思ってい る同年配の知人がいて、彼がこのロゴが入っだ トレーナーを着ていたことを覚えていたので選 んでみたのだが、筆者に似つかねしいブランド ではなかったようだ(デザインは大変良かっだ のだが)。 脱毛本番とバリカン坊主  何れも抗癌剤を投与する一度目と二度目の入 院の間に本格的な脱毛が始まった。脱毛の気配 を感じてから2、3囗は洗髪を我慢して動画を 撮りだめした。退院1週間目に、いよいよ限度 だと思う囗が来た。  指で髪の毛を30本くらいつまんで、ごく軽く 引っ張るとそのまま抜けてくるような脱毛たっ た。洗髪してみると大量に、しかも「まだら に」毛が抜けた。  一度目の入院の際に、ある看護師さんが「山 崎さんの治療は先ず間違いなく髪の毛が抜ける けれども、現実の脱毛は、ドラマにあるように つるつるに綺麗に抜けるものではないのよ」と 教えてくれていたので、本格的に脱毛したら坊 主頭にしてしまおうと思って自分でカットがで きると謳う電動バリカンを家電量販店で調達し ていた。  洗髪の流れのまま、電動バリカンを5ミリく らいの超短髪にセットして坊主頭にした。  鏡の中に見慣れない顔が現れたが、気分は すっきりした。翌日から、「ニット帽のおじさ ん」(まだ「おじいさん」と呼ばないでいてく れたら嬉しい)の生活が始まった。  数日後に二度目の入院となり、間に2週間の 休みを挟んで、手術のための入院をして14泊15 囗で退院して、2022年の末あたりまでは ニット帽を被って生活した。  ニット帽は気に入っていたのだが、被る手間 が面倒には違いない。年が明けたくらいから、 帽子を被らずに外出する囗が出て来た。帽子は 常に持っていて、いつでも被ることができるよ うに準備していた。  残った髪の毛は、一月にIセンチ強伸びる感 じなのだが、「密度」がなかなか復活しなかっ た。バリカンで長さを抑えながら、密度の回復 を待つことにした。この間、主にニット帽を被 るのだが、徐々に帽子を被らない時間が増えて きた。  一つには、当たり前のことなのだが、同じく らい毛のない人は世の中に普通にいることに気 づいた。  また、この要素が最も大きいように思うが、 毎日自分を見ているうちに、自分の姿を「見慣 れて」きた。そして、「坊主頭でも、不都合は ないではないか」という心境が芽生えてきた。  できる限り客観的に考えてみると、筆者のよ うな人物が、白髪混じりの七三分けのような普 通のヘアスタイルであろうと、坊主頭であろう と、他人には「どうでもいいこと」だろう。坊 主頭では恥ずかしいのではないか、という思い は自意識過剰の産物に過ぎない。また、坊主頭 にあって毛の「密度」が気になるのは本人だけ だろう。これも、他人にとってはどうでもいい ことだ。  脱毛から4ヵ月が経過した2月になって、帽 子を被らずに外出する囗が増えた。荷物の中に 帽子を加えることを忘れる囗が多くなった。 ヘアスタイルの呪縛と不経済  坊主頭で不都合はない。そういうことなので あれば、癌になる前の六十数年はどういうこと だったのか。いわゆる床屋、もう少し手が込ん でいて高級なイメージのヘアサロンと称するよ うな場所に、1、2ヵ月に一度くらいは行って、 髪をカットして貰っていたのは無駄だったので はないかという反省が生まれた。  今風にスタイリストと呼んでもいいが、筆者 の髪をカットする人たちは、工夫を凝らそうと しても結局似たようなヘアスタイルに帰着して いたし、筆者の頭の形に合わないヘアスタイル を理想とする画一的な価値観に囚われていた。  短髪になってみてよく分かったが、もともと 生えている毛の流れは強力だ。これに反するヘ アスタイルを作り且つ維持することは極めて難 しい。かつての筆者の銀行員のようなヘアスタ イルは、髪の毛の長さがあの程度だと、あれ以 外のものには収まりようがなかったのだ。  また、多くのスタイリストは、頭頂部分の毛 を盛り上げたり立てたりする一方で、頭の横の 毛を抑える形が好ましいという画一的な価値観 を持っていたように思う。筆者は、自分の頭の 形や、毛の生え方について、いつもスタイリス トに対して少々申し訳ない気分で髪をカットさ れていた。  「頭の形が悪い」。確かに、彼らの価値観から すると筆者の頭は形が悪い(横が張っていて、 頭頂部がやや平らで、後ろはいわゆる「絶壁」 だ)。  しかし、坊主頭にした場合に、致命的に見苦 しいということはないように思う。想像してい たよりもマシたった。そして、このヘアスタイ ルなら、市販の電動バリカンがあれば、自分で、 しかも短時間で作ることができる。  さて、どう考えたらいいのか。 ヘアサロンに行くことのトータルコス  仮に、ヘアサロンの施術代金を1万円として みよう。施術に1時間半かかり、移動に片道30 分、往復で1時間掛かるとしよう。ヘアサロン を一回利用することのコストは、料金が1万円 と、時間が2時間半だ。時間については、「何 日の何時」と予定を固定することの不自由の影 響も考えなければならないから、意思決定のた めに、この想定は少し甘いのだが、直接的なコ ストを考えるとしよう。  問題は時間の値段だが、例えば年収2千万円 の人がいるとすると、年間に250日働いて、 一日に8時間働くとすると、時給がちょうど1 万円になる。読者は、適当にご自分の時間の値 段を見積もられたい。髪の毛をカットすること のトータルコストは、決して安くない。年間の 回数にもよるが、下手ながん保険の保険料より も高いかも知れない。  一方、自分でカットできる電動バリカンの値 段は数千円だし、一回のカットに要する時間は 片付けも含めてせいぜい30分だろう。しかも、 自分にとって都合のいい時間にできる。  これだけのコスト差がありながら、他人から 見ると「どうでもいい」自分のヘアスタイルに 気をもんでいたのはなぜなのだろうか。  「人は見かけが大事だ」、「髪の毛の印象で見た 目が大きく変わる」、「プロのスタイリストの技 術には価値がある」という、理美容業界のマー ケティングによる刷り込みが先ずある。これに 加えて、「自分もヘアスタイルによっては好印 象になるかも知れない」、「自分はヘアスタイル で損をしているかも知れない」という楽観・悲 観両サイドの過剰な自意識が起動されて、大は 「自分に合ったヘアサロン」を求めて彷徨うの だろう。筆者もそうだった。  もちろん、ヘアスタイルに手間を掛けるプロ セスを楽しむという立場があって構わない。ま た、ヘアスタイルが死活的に重要な職業や立場 は確かにあるだろう。ただ、後者の立場にある 大は、本人がそう思っている人の数よりもずっ とずっと少ないに違いない。  ことはヘアスタイルに限らないのだが、需要 は意図的に作られている。マーケティングの作 用を「解毒」することの効用は、経済的にも気 分的にも大変大きいものがあるはずだ。 こだわりは案外どうでもいい  文章としては、ここで結論にしてもいいのだ が、蛇足を加える。  2回目の抗癌剤投与から5ヵ月くらい経って から髪の毛の密度が戻ってきた。はじめは髪の 毛以外の体毛を観察していて分かっだのだが、 密度が落ちても残った毛の周りに、短くて頼り ない毛が生えてくる。そして、その短い毛は伸 びるとやや固さを増す。こうした毛が増えて、 全体の印象としての毛の「濃さ」が戻ってくる のだ。  読者にとってどうでもいいはずの筆者の髪の 毛の話を詳しく書いている理由は、筆者のかつ てのヘアスタイルのコストに相当する支出や時 間の無駄を、人はその他の分野でも多く行って いるのではないかと思うからだ。  ビジネスの状況も広く含む「他人からの評 価」を考えてみよう。筆者の髪の毛が、年老い た銀行員のような白髪半分の七三分けであろう と、アスリートでもないのに数ミリで揃えた坊 主頭であろうと、筆者以外の人にとってはどち らでもいいことだろう。毛が多い方が書き物や 話に説得力が生まれるわけでもないだろうし、 まして書籍が余計に売れるわけでもない。  「実はどうでもいいこと」を意識しているのは、 過剰な自意識と、社会的同調から逸脱すること への恐れ、加えてそれらを巧みに刺激する 「マーケティングの魔術」の効果によるものだ ろう。  意識を変えて拘りを捨てることで、直接的に コストが節約できたり、時間が節約できたりす るケースは少なくないはずだ。ヘアスタイルは その一例であり、他に、ファッションや各種の 人付き合いのイベントへの参加などがあるだろ  対象は様々であり得るのだが、「実はどうで もいいこと」を見つけ出して捨てることの効果 は実に大きい場合がある。 わが物欲生活と身辺整理 私の収入  大まかに言うと、筆者は、普通の人よりも物 欲が旺盛で、浪費家に属したと思う。ただ、自 分で設定したつもりの生活レベルはそう高くな い。  2回結婚し、それぞれの結婚で一男一女の子 供を授かったが、それぞれの家族を養い(生活 費の支払いが二重になった時期が相当期間あ る)、残りのお金は自分の裁量で使った。家計 の管理は、妻に一定の生活費を渡して、残りを 自分で使うスタイルだった。自分のお金の貯蓄 や投資について、関心を持ったことはほぼない。  一般論として、夫婦はお金の問題をオープン に話し合い、適性がある方が主にお金の管理を するといい、などと対外的には言っていたが、 自分には当てはめていなかった。  「投資」は仕事の対象であり、課題として考え る際の「お金」はゲームのチップのような物 たった。これに関わることと自分のお金の処理 には距離を置きたかったし、そもそも自分のお 金について考えることが好きではないのだろう。 なぜか請求書を書くという作業が大嫌いたった。 それは今でもだ。請求書を書くのが面倒で、原 稿料を100万円以上受け取らずに貯めていた ことが、40代の頃に二度ある。  転職を重ねているうちに、30代の半ばの外資 系証券会社勤務の時に年収が3千万円前後に達 した。その後、多少のアップーダウンはあるが、 癌に罹るまでの30年間、税引き前の年収に換算 すると3千万円くらいの収入たったと思って頂 いていい。収入の内訳は、その時々で大きく入 れ替わることがあるのだが、合計はこれくらい だった。30年の後半は、小さな会社を作って社 長だったので、飲食やパソコンなどの買い物に はそれなりの経費が使えたから、実質的にもう 少し豊かだったかも知れない。  楽天証券の社員としての収入が相対的に大き かったかも知れないが、同社も含めて、特定の 先からの収入が半分を超えないような構成で働 いていた。  読者は「意外に稼いでいないな」と思うかも 知れないし、「好きなことを言って、まあまあ 稼いでいる幸運な奴だ」と思うかも知れない。  これは、どちらでもいい。本人は、自分が豊 かだとも、貧しいとも思っていなかった。 地位財競争から降りることが幸せへの 道  経済学者ロバートーフランクの本で知つだの だが、経済学に「地位財」と呼ばれる概念があ る。自分の経済的な力・地位を対外的にアピー ルできる財のことで、不動産、高級自動車、衣 装、アクセサリーなどが典型的に該当する。近 年では、子供教育などもそうかも知れない。  地位財は、その効用が相対的に決定し、他人 との競争がエスカレートしやすい。その結果、 地位財への支出はしばしば、非地位財への支出 を圧迫し、生活の幸福度を下げる原因になる。  非地位財の典型は「余暇の時間」だ。例えば、 競争に巻き込まれて分不相応な不動産を購入し てしまって、ローンの返済のためにストレスの 多い職場で長時間働かなければいけなくなるよ うな状況では、幸福度が下がる。  人は、何らかの地位財について、意図的に競 争から降りると、家計が楽になって生活の幸福 度が改善することが多い。これは、読者の役に 立つ可能性がある一般論だと思うので覚えてお いて欲しい。  筆者は、半ば意図的に、不動産と高級自動車 から「降りた」。不動産は、北海道から大学生 として東京に出て以来ずっと賃貸生活で、家族 には申し訳なかったかも知れないが、収入より は質素な物件に住んだ。その代わり、頻繁に 引っ越した。今や数えることすら面倒だが、上 京後の引っ越し回数は15回を超える。主に転職 に伴う職住接近を求めた時間と利便性への投資 として引っ越したが、子供の健康の都合や、学 級が荒れた小学校から逃れるための引っ越しな ど、宗族が原因の引っ越しもあった。  自分としては、おかげでより自由に暮らせた つもりなので、賃貸生活が合っていたと感じて いる。  これが、収入が増えた外資系証券マン時代に、 「節税のためのマンション投資」のようなもの に巻き込まれていたら、事情が違ったのかも知 れないが、自分のお金に興味が持てなかったし、 利殖に熱心な同僚を尊敬よりは軽蔑していたの で、距離を置いた。「お金にがめつくない外資 系金融マン」とは、全く職業適性を欠いている。 ビジネスマンとしての私は間違いなくB級以下 だ。  自動車は、一度妻のためにコンパクトな外車 (ゴルフ)を買ったことがあるが、自分では一 度も(ンドルを握ったことがない。私は生涯完 全ペーパー・ドライバーで一生を終えそうだ。 仕事を考えると、事故を起こすことが怖かった。 もともと背中が暖かくなって15分黙っていると 眠くなるようにできているので、これで良かっ たような気がする。  ファッションセンスに自信がないので、衣類 に熱心だったという自覚はないが、そちら方面 の地位財競争からは降り切れていない。時計も そうだが、不必要に高い革靴(何れもジョンー ロブ)を数足持っていたりする。「エルメスを 着た豚よりも、ユニクロを着たカモシカの方が 魅力的だ」(注一どちらも好きなブランドで、 特にエルメスは好きなのだが)などと書くこと はあっだのだが、センスに自信がない一方、容 姿にも自信がなかったので、エルメス的な物か ら自由にはなれていなかった。  多分、持ち物は平均的な同年代よりもかなり 多く持っていた。そして、片付けは得意ではな い。頻繁な引っ越しがかろうじて、物を整理す るきっかけになっていた。  なお、不動産と高級自動車から「降りた」こ との効果についてだが、仮に筆者がこれらに熱 心だったら、自分はそのためにもっと稼ぐため の努力をしたのではないかとも思われる。いい ことばかりたった、と言い切る自信はない。 増え続けた持ち物を手放す  筆者の物欲は、アップル製品のようなガ ジェット類、高級時計、カメラ、鞄などが主な 対象だった。  癌に罹る前の時点では、100万円を超える 数本の高級時計くらいが一存で決める買い物の 上限たったが、カメラは一時ライカ、キヤノン、 二コンの三つのラインを交換レンズなども含め て持っていたし、パソコンやタブレットの類を 年に2、3台買うので常時十数台所有していた。  衣服は、夏物・冬物のスーツ数着と、方針を まとめきれないカジュアルウェアが大きめのク ローゼット一杯に入っていたし、鞄の類も多 かった。これらが、宗族と住んでいた池袋の家 の自分の部屋と、飯田橋に借りていたやや広い 事務所に分散されて置かれていた。加えて、仕 事柄、書籍や論文のコピーなどの資料がある。 書籍はなるべく買わないつもりでいても、少し ずつ増えていく。  もっとも、物の所有がこの位で済んでいたの は、筆者が、飲食に熱心な大酒飲みだったから だろう。食べ物も、飲み物も、それほど高級な ものを食べ続け、飲み続けていた訳ではないが、 特にお酒は、過去10年間で飲まない囗が3囗 あっただろうか、というくらい飲んでいた。独 りでも飲んだし、多人数でも飲んだし、大した 額ではないとしても友人や後輩に奢るのが好き で、割り勘払いを軽蔑していた。大凡、可処分 所得の3割くらいを飲んでいたのではないだろ うか。  筆者は、癌に罹ってから2回引っ越している が、1回目は、2022年の9月、抗癌剤治療 のIクール目と2クール目の間に飯田橋の事務 所に近い場所にワンルームマンションを借りて 自分の生活拠点を移すことにした。もともと、 池袋と飯田橋の行き来が負担だったことと、 通っている大学病院への通院の利便性を考えた 引っ越しだ。  加えて当時はまだ新型コロナが流行の波を繰 り返しており、筆者は間違いなく「重症化リス クの高い基礎疾患を有する者」に該当するわけ だが、子供たちが通う学校でもそれぞれで学級 閉鎖が頻発しており、生活を分ける必要があっ た。  この際に、主に減らした物は、衣類と書籍類、 鞄類たった。ガジェットの類はオフィスに移動 して置いておくことができたが、衣服はクロー ゼットのサイズが半分になる。また、書籍はオ フィスにも置き場所を増やす余地がなかった。 衣類は夏冬一着ずつだけ  前述の通り、筆者は、自分のファッションセ ンスにも容姿にも自信がないのだが、人生の ファッションポリシーを駆け足で振り返ってみ よう。札幌の地元の私服OKの自由な校風の公 立高校に合格して、発表を見た山崎少年が帰宅 して直ぐに行ったことは、中学校の制服を焼却 炉で燃やすことだった。中学時代は人生のボト ムの一つだったし、これからは自由に着るもの を選ぶのだと思った。  今一つ垢抜けない大学生時代を経て就職した のは三菱商事たった。もちろん、仕事は 100%スーツだ。スーツ類は同期の友人が教 えてくれたポールースチュアートのみで既製品 を買うことにした。店の範囲を拡げない方が選 択が楽だからである。  スーツの色柄はほぼ紺の無地一色、ワイシャ ツを白に決め、ネクタイだけを選ぶ仕事着が20 年以上続いた。ネクタイだけポールースチュ アート以外のものも選んだ。ブランドはエルメ スが好きだった。40歳代半ばから評論家の仕事 でテレビ出演の機会なども増えて、個性的な服 を着る選択肢もあったのだが、このポリシーが 楽で、その後も続いた。  こうしているうちに、自分で服を選ぶ能力が どんどん萎縮していった。この点については、 少々後悔があるのだが、「楽」が勝った。  普段着については、主に気楽に着られること を意識した、まとまりのないジャケットなどの あれこれがクローゼットに溜まっていた。  さて、癌である。手術から戻ってみると、流 石に体重が数キロ減っていた。食道癌の手術は 食道と胃部の上5分の1くらいを切除して、 残った胃を元の食道の位置につなぐ形で行われ るので、必然的に食が細くなる。やがて新しい 消化器に慣れるとまあまあ食べられるようにな るらしいが、1、2年は掛かりそうだ。一方、 この時点では、仕事にはフルに復帰するつもり でいる。  問題は、自分が痩せることによってオーバー サイズになった夏冬それぞれ数着あるスーツ群 をどうするかだった。結論は、「夏冬一着ずつ 残して、残りは全部捨てる」たった。一着ずつ 残すところが減点の80点くらいの答えだったと 思うが、概ね正解たった。この病気の場合、体 重が簡単には戻らない。また、スーツは何より もサイズがぴったり合っていることが重要だか ら、また同じようなものを着たいと思った場合 には、新しいものを買うことが圧倒的に正しい。  もう一点、アドバイスをくれた妹によると、 白髪頭になってそれなりに歳を取った自分には、 紺のスーツも、スッキリと白いワイシャツも微 妙に合わなくなっている。若くて元気な頃なら 勢いがあって着られたコントラストの高い原色 の服には着負けする。これからは、ピンクなり 水色なりの中間色のシャツにグレーのジャケッ トでネクタイをしない爺さんになろうと決めた。  こうした方針に従うと、カジュアルウェアや コートなどでも不要なものが見えて来た。本当 に似合う服という物は、驚くほど少ないものの ようだ。削減はまだまだ不十分だったが、ざっ と衣服の半分が減った。不安と言うよりは、 ホッとしたことを覚えている。  ついでに、各種のデイパック、ビジネス鞄、 その類似晶などの鞄類も半分以上捨てた。人間 は、どうしてこんなに多くのバッグを買う生き 物なのだろうか。 悩ましい蔵書整理  評論家商売をしている者として、筆者の蔵書 管理はやや特殊かも知れない。先ず、大きな方 針として、筆者は自分の論考に当たって、先人 の著作の引用や、データによるエビデンスに、 「なるべく頼りたくない」。自分のアウトプット の価値は、自分の「考え」にあり、学者のよう な積み重ねによる証明にはないと考えている。  学者のような確実な積み重ねや、ジャーナリ ストのような一次情報へのアクセスがないこと を以て、評論家を批判しようとする人が時々い るか、これはお門違いだ。それぞれ、別の職業 である。学者や学問は大切だと思うし、尊敬す る。ジャーナリストに対しても(本物に対して は)同様だ。知識の集積を利用させても貰う。 しかし、評論家は学者のペースで考えてアウト フットしていたのでは、使い物にならない。  従って、筆者は、物としての本に対する拘り が相対的に希薄である。しかし、そうは言って も本は増えるし、本を買うことを躊躇すべきで はないと考えている。本を読むことの最大のコ ストは何と言っても時間の機会費用であり、書 籍本体の価格は大したものではない。  このような考えの下で、筆者は数年を掛けて 蔵書のデジタル化、PDF化を進めてきた。自 分でスキャンした物もあるし、スキャン業者に 発注した物もあって、たぶん4千冊近くの本が PDF化されている。必要があれば、ブック リーダーとしてIPadを使って読むことにし ている。  さて、手術入院から帰って来た筆者は蔵書に 対してどうしたか。  仕事には完全復帰するつもりでいる訳だが、 自分に期待できる持ち時間が短くなったことは 否めない。「半分の確率で2年以内に再発して、 その場合には先が長くない」という与件を当て はめると、将来有効に使える時間の期待値は2、 3年くらいだと見積もっておくことが正しいよ うに思われた。  すると、リアルにそこにある本も、PDF化 された本も、読む時間はそれはどないことに気 が付いた。リアル本のPDF化は一層スピード アップしたのだが、電子書籍で入手可能な本、 今後どうしても必要になれば再入手が可能そう な本については、思い切って単純に捨てること を併用することにしたら、オフィスの本棚が大 いに片付いた。蔵書としての見栄えは悪くなっ だのだが、他人に見せるためのものではないと 割り切った。段ボールで数箱分の本を捨てた。  もう一つの問題は、長年持ち歩いてきて、過 去の筆者の専門的なスキルを支えていた論文と そのコピーをどうするかだった。副業的にも、 多くの価値を生んでくれた論文があったし、心 の支えでもあった。これが、本棚に3段分くら いある。これらについては、一緒に仕事に活用 してきたかつての同僚と相談して、どうしても 必要と思われる物をスキャンして残し、思い 切って捨てることにした。 捨てて後悔した本  これから利用する可能性があるのは、頭に 残っている知識だけだ、と自然に割り切ること ができたのは、癌によって「持ち時間」制限を 意識したおかげたろう。2022年の年末にか けて、論文に懐かしく目を通しては、その大半 を捨てる作業に取り組んだ。  蔵書、論文に関してこのように処理してみた 感想は、「癌にならなくても、もっと早く、更 に徹底的にこうすべきだった」ということに尽 きる。価値があるのは頭の中に残った知識であ り、再調達が可能だったり、電子書籍化されて いたりする本については、現物を保有する必要 はない。幸い、筆者は学者や書籍のコレクター ではない。  ところで、4千冊のPDF化された蔵書だが、 読み返す機会は驚くほど少ない。「読む時間」 を考えると当然なのだが、本当に少ない。時々 見返すことがあるのは特定の30から50冊くらい に過ぎない。本への拘りは、もっと捨てても構 わないのだろうし、それが合理的だろう。  一方、惜しかったと思うのは、かつて自分が 書き込みを入れながら読んだ基本書的なテキス トなどだ。こうした本は、リアルな現物を残し ておいた方がよかったと思う。「あのページの、 あの辺りにあった言葉を知りたい」と思うこと が時々あるし、本を開くと昔の思考が戻ってく ることがある。 再発、意識する持ち時間 体力と時間と仕事  物に続いて、仕事の説明をしよう。  手術入院を終えて2022年のH月に退院し て、オフィス近くに借りたIKのマンションに 生活拠点を移した。寝ている時に食事が逆流す ると困るので、頭の位置を上げられるように電 動ベッドを用意した外に特別なことはない。  食事は咀嚼して飲み込みにくい固形物以外は 食べられるのだが、1回の分量が1人前はとて も食べられないし、むせてしばらく食べられな くなったりすることがあるので、基本は自炊だ。  特別に凝った物を作る訳ではないが、料理は できる。スキルには問題ない。しかし、パスタ や蕎麦など乾麺から茹でる麺類なら一回30gか ら40gと食事の単位が小さい。一日5食くらい に分けて食べるといいと言われても、なかなか 面倒たった。当面通院は一月に一度で、再発防 止のための薬剤を点滴投与する。  この時点で、「持ち時間」と「仕事」につい てどう考えたか。  先ず、持ち時間の判断の与件だ。(1)向こ う2年で再発する確率は概ね50%、(2)再発 したら余命はたぶん1年くらい、(3)再発し ない場合5年くらい大丈夫で先も考える必要が ある、というくらいに考えた。  全てが「仕事」とは限らないが、積極的に活 動できる期間の期待値は、堅めに見積もるとし て2年から、3年くらいだろう。その先があり そうなら、その時に考えたらいい。これが大ま かな「持ち時間」の想定となった。  もう一つの考慮要素が、体力だ。今後回復が 見込めるとはいえ、健康だった頃よりは体力が 落ちている。 仕事は10年に一度リニューアルせよ  評論家仕事にとってもともと最も効率良く儲 かるのはリアルの講演会だ。まあまあの仕事だ と一回で30万円から50万円くらいになる訳だが、 私の場合、証券会社、銀行、生命保険会社、あ るいはこれらの会社から広告を欲しがるメディ アなどの有力後援スポンサーに嫌われているの で、いわゆる「マネタイズ」の段階で失敗して いる評論家だ。  そうは言っても、講演依頼は時々あって大事 なのだが、あちらこちらに移動しながら講演仕 事をこなすのは、体力的には厳しくなりそうだ。 例えば、YouTubeは既に競争上レッドオー シャンだが動画で発信する仕事の手段はないか (この頃は、声は問題なく使えるとの前提で考 えている)。あるいは、note(コンテンツ配信 プラットフォーム)という新しい稼ぎ方がある ようだが自分に向くか、AIと自分の運用知識 のストックを使って何かできないか、などと狭 い部屋で頻繁にキッチンに立ちながら考えた。  過去の経験上、働き方・稼ぎ方は、10年にI 度程度リニューアルしないと古びて効率が落ち てくるということもあるので、今後の働き方を 真剣に考え直さなければならない頃合いだとの 感覚もあった。  加えて、過去10年くらいの生活を振り返って、 趣味に使う時間が貧しくなっていることに対す る反省があった。筆者の趣味は、将棋、囲碁 (何れもアマ4段くらい)、競馬、スポーツ観戦 はボクシング、などといったはっきり言ってオ ヤジ趣味であるが、何れにも殆ど時間を使えて いなかった。これは、精神的に貧しいし、修正 の必要がある。  実は将棋を指したいとはあまり思わず、妙に 碁が打ちたかった。幸い、市ヶ谷の日本棋院は 飯田橋から近い。ボクシングの試合も見たいの だが、こちらも聖地・後楽園ホールが徒歩圏内 だ。年齢(執筆当時64歳)に伴う仕事のスピー ド調整もしたかったのだ。  実際には大きな変化を生み出した訳ではなく、 主に連載の仕事をルーティンワーク的にこなす 日常だったのだが、仕事について以下のように 考えた。  先ず、先の体調が読めないことと、体力が低 下していることから、講演・セミナー講師のよ うな仕事は全て斷ることにした。かつての基準 で考えると、ずいぶん筋のいい(依頼者の意図 が純粋な)、さらに条件もいい案件を多数断つ た。数百万円分の収入がへこむが、これは何れ 埋め合わせる手段を考えるといい。 活動期間2年で何をすべきか  さて、取りあえず活動期間が2年あるとする と、先ず、自分の仕事のまとめと再構築が必要 だ。  近年、初心者向けの資産運用入門的な本にア ウトプットが偏り過ぎていた。自分が長年取り 組んできた資産運用について、知識を体系化し た本をシリーズで作りたい。楽天証券の『トウ シル』だけで400本以上の過去原稿があるの で、素材は十分過ぎるくらいあり、しかも、自 分以外にこれを本にまとめる構成案を作ること はできそうにない。  今後も資産運用関連の情報提供で食っていく とすると、技術・知識のレベルを対外的にも分 かるように積み上げる時間と努力の「投資」が 必要だ。私は、書く仕事は苦痛ではないし、結 果が後に残るので満足感がある。どうしても、 どんな本を作るかを中心に自分の仕事を考える 傾向がある。もちろん、資産運用入門的な本の オーダーは常時複数提案があるので、これも並 行して書いていくつもりではある。  ついでに、ウィスキーの本はこれを書けると ころまで達しなかったが、雑誌『優駿』に連載 していた競馬のコラムは、これを使いつつ加筆 するとそろそろ本にできそうだとも思った。趣 味の本もアウトプットとして残せると満足だ。  一方、単行本はよほど当たるのでなければ、 効率のいい稼ぎにはならない。何らかのサブス ク的な収入源はないか、動画発信がビジネスに なる仕組みを作れないか、AIを使った運用知 識のビジネス化はできないか、などを考えた。  実際には、考えているだけで、大きな動き出 しはなかった。せいぜい、noteを書き始めた程 度たった。こちらは、ある程度コンテンツを溜 めてからサブスクにするかどうかを考えるつも りだった。呂teの担当者から比較的早くに有料 化しないかとの誘いがあって、有り難いとは 思っだのだが、有料化は何となく気が引けて今 日に至っている。  そして、動くに至らなかった理由は、はっき りしている。2023年の3月末から4月初旬 にかけて体調に変調を来して、残念ながら癌が 再発したことが分かったからだ。  「進行が早いので、半年は保証できま せん」  平穏な日々が続いていた。息子が第一志望の 大学に合格するなど、嬉しいイベントもあった。  しかし、2023年の3月の終わりから4月 の初旬にかけて、いきなり声が出なくなった。  本書は医療情報の提供を目的としていないが、 癌患者側の実感として、病状の進行は均質なス ピードで進むのではなく、急にスピードアップ することがあるという認識が必要であるように 思う。  2023年の5月初旬にかけて、みるみる体 調が悪化して、体重と体力が落ちて、妹による と話の内容も時々覚束ないような状態に陥った。 彼女は、下手をするとこれから2、3ヵ月でお 終いかも知れないと思ったらしいし、本人もそ れは十分あり得ると思った。  複数の転移が、骨や胸膜、胸腔内にあって文 句なしのステージWだ。PET‐CTの画像を 見ている主治医に尋ねた。「これから活動でき るのは、せいぜい半年とか、1年とかでしょう か?」。  主治医は「いや。山崎さんの場合進行が早い ので、半年は保証できません」とやや興奮気味 に答えた。  「持ち時間」の前提が急速に縮んだ瞬間たった。 筆者は、「2年以内に半分再発」のクジの外れ の方を引いたらしい。  主治医の配下のチームの医師によると、主治 医は具体的な数字についてはあまり囗にしない 入らしい。珍しいですね、と言われた。もっと も、大学病院はおそらく訴訟のリスクに対応し てコンプライアンス的に敏感な組織なので、ド クターたちは「○力月は大丈夫です」といった 保証と受け取られかねないような発言をしない ように意識しているようだ。  因みに、私の「○力月は大丈夫ですか?」と いう質問は、ダメな投資家が「山崎さん、20年 の長期投資なら絶対に損はしないですよね?」 と同意を求めてくる質問と同じ構造になってい る。保証なんてできるはずがない。リスクが消 えないからこそ、リターンがあるのだ。  投資するかしないかは、自分で決めろ。少し は頭を使え。と私は思う訳だが、これと同質の 質問を癌患者としての私は医師にしていること になる。ここは、少し馬鹿にして笑ってくれて もいい。  治療薬の組み合わせを変えてみることにした が、奏効率のデータは「2割程度の人にはよく 効くことがある」というくらいの印象で、大い に希望を持てるものではなかった。事実病状は 進行した。  だが、一時的な体調の落ち込みからは、周囲 のサポートや本人の気力と体力のおかげか、か なりの程度回復することができた。何か回復の 原因だったのかは分からないが、ある程度持ち 直した。2月の体力を100とすると、5月初 旬には30くらいに落ち込み、その後夏に60くら いまで回復して、再悪化してH月には40くらい まで落ち込んだ、というイメージだろうか。 治療を中断した理由  4月に抗癌剤を投与する入院を行い、放射線 を部分的に当てて、免疫を強化する系統の薬で 治療する方針が決まった。しかし、体力が落ち ていることもあってか今回の入院は生活のリズ ムが合わないことなどが辛く、目に見えて調子 が悪くなっだので、途中で退院させて貰うこと にして中正した。  「この治療は中断して、直ちに退院したい」と 言ったら、本当に即日退院の許可が出たことに 驚いた。これは、むしろ患者の側に最終決定権 と自己責任とがあることに気づかずにいたこと に驚くのが正しいようなのだが、病院を逃げ出 して、小さな部屋に戻った。  再発に至ったことに関して、それまでの治療 方針や検査などの選択を検討し後悔するような 気持ちは一切起きなかった。ここまでに至った 諸々は、「サンタコスト」である。大事なのは、 これから何をするかだけだ。原因は、「そうい う癌たった」と整理しておくのがよかろう。天 国の近藤誠氏も「そうだ」と言うにちがいない。  ともあれ、余命ベースで期待値を向こう半年 くらいに設定する、精神的に少々(Iドな作業 が始まった。  声は前々から気にしていたポイントだが、転 移でやられたのだから仕方がない。サンタコス トである。その後、引っ込んだ声帯にコラーゲ ンの注射をして膨らませて、声帯に息が引っ掛 かって声が出るようにするというなかなか(I ドな治療を行って、現在ある程度の声が出てい るが、本格的に喋る仕事はできそうにないし、 不安定で先が読めない。  その後、飯田橋のオフィスとワンルームを維 持する積もりだったが、オフィスを維持する必 要性が低下したことに加えて、仕事が減ること が分かったので、両方を撤去して、病院に近い 場所に事務所兼住居のニュアンスでマンション を借りることにして8月に引っ越した。副社長 と2人で長年続けてきた会社を閉鎖するのは寂 しかったが、合理的な選択だと思った。 ガジェットを最低限に  さて、第1期の引っ越し(参照)でオフィス に集まった、パソコン、タブレットなどの各種 ガジェットやカメラなどはどうなったか。  パソコン、タブレットの類はデータを責任を 持って廃棄してくれる業者に依頼して不要なも の全てを捨てた。当時、漢字の『うんこドリ ル』などという本が流行っていたので、「小渕 事務所の、優子ドリル」などというデータ消去 の本を出すと面白いだろうなどと妙な考えが湧 いたが、業者を信頼して任せることにした。  何れもまだまだ使えるものばかりだったので 惜しかったが、捨ててみてホツとしたというの が正直な感想だ。  カメラやレンズの多くは他人に譲渡したが、 RICOHのGRデジタルが2台、キヤノンの EOS6Dとレンズが3本、それに学生時代 に父親に買って貰ったライカと標準レンズが捨 てきれずに残っている。  現在(2023年12月)、ゼロから道具を揃 えるなら、iPhone 15 Proと】く[acBook Airの15イ ンチのモデルだけで仕事をするのが必要十分で スマートだと思っている。弓乱は余計かも知 れないが、主にブックリーダーとしてM2チッ プが入っだHインチの?Oが1枚ある。写真は、 長らく趣味たったが、体力の落ちた今撮り歩く 元気はないし、iPhone 15 Pro以上の画質のもの を必要とするとは思えない。また、15インチの MacBook Airは信じられないほどバッテリーが 保つし、作業スペースで13インチとの差が見た 目以上に大きい。これらで全てを賄うのがス マートだ。  ただし、仕事の道具なので、iPhoneもMac Book Airも調子が悪い時に直ちに使えるバック アップが必要だ。iPhoneは芯ヨ回が1台あり、 弍Qao粂は初期のMIチップが入っだ弍Qa 呂rと「が通常はデスクトップ機として、アッ プルのスタジオディスプレイという27インチ ディスプレイにつながれて現在机上にある。  処理に出して廃棄した何れの道具も、買う時 にはそれなりの用途を見つけて買ったはずなの だが、後で気づいてみるに、買った時の刺激が 嬉しくて買ったのだと思わざるを得ない。  一気に物が整理ができて、肩の荷が下りたよ うに気分が楽になっだのが、情けないが正直な 感想である。 残された時間でやりたい三つのこと  5月、最悪の体調で後ろ向きの意識になりが ちな中で、三つのやりたいことが頭に浮かんだ。  一つは、息子に語りかける想定で、他の子供 たちや読者に語りかける、稼ぎ方とお金の扱い 方の本はメッセージとして一冊作りたい(『経 済評論家の父から息子への手紙−お金と人生 と幸せについて』9rg、2024年2月刊 行)。  もう一つは、これまで拙著の中で一番よく売 れて、著述商売にあってはいくらか世界を変え てくれた『難しいことはわかりませんが、お金 の増やし方を教えてください’・』(大橋弘祐氏 との共著、文響社)の改訂版を出したい (2023年12月刊行)。旧版の読者にも楽しん で貰える大幅な改定で、まずまず満足の出来映 えである。  三つ目に、コロナの前から会っていない母親 に数年ぶりに会って、匸一に挨拶を述べたい。母 親は、札幌の高齢者施設にいて彼女自身の体調 も優れないのだが、どうやらこちらの方が早そ うだ。産み育ててくれたことへの礼の一つくら いは言うべきだろう。  これらを実現して、まだ余力がありそうなら、 その時に次を考えよう。ボトムで考えられるの は、ここまでだった。本当にやりたいことが、 ここまでクリアに見えてくるものなのか。  先日母親に会ったことで、三つの願いは実現 の目処が立った。ゲームで言うと「一画面クリ ア」という感じだろうか。今再び悪化している が、幸い体調がしばらく持ち直したのだ。  もう一点、明らかに割りの悪そうな仕事なの だが、『まんがで読破『資本論辷(QQ跖回、 2023年9月刊行)の解説を引き受けた。30 ページを超える長文の解説になった。近年、斎 藤幸平氏や、白井聡氏など、資本論を好意的 に読む人たちの本が売れていて、資本主義論が 盛んだ。因みに、筆者は白井聡氏のファンだ。 彼の書くものは本当に面白い。  ただ、各種の資本主義論を見て、幾つかの誤 りが見えて来たし、資本主義の仕組みが今まで とちがっだ形で分かって来た実感があった。時 間の制約が生じて、仕事の選択に対して、「面 白い」という価値観が相対的に大きく浮上した。 仕事があるから元気が出る  ここであらためて驚くのは、この間も、連載 の原稿を一本も落とさずに書き続けていること だ。  『ダイヤモンドーオンライン』、『東洋経済オン ライン』、『夕刊フジ』、『優駿』、それに楽天証 券の『トウシル』というラインナップで、体力 的には一本一本の執筆が少しずつ大変になって きているのだが、「締め切り」というものには 人を動かす偉大な力がある。これこそが、人類 最大の発明だと思うが、アインシュタインに訊 いてみたい。  また、人とのつながりを持った発信の機会が あって、良くも悪くも自分が評価されることが、 自分にとって日頃意識している以上に大事なこ となのだろう。  仕事を減らしてばかりでは、元気が出ない。 その後、H月から『週刊現代』でテーマ自由の エッセイを連載する仕事を増やすことにした。 筆者が癌の深刻な病状にあることは了解済みで のオファーがあったので、ありかたく受けるこ とにした。編集者は「書けるところまで、書い て下さい」と言う。  生きていると、時々いいことがある。 癌患者には親切にしないで 飲酒で得たものと失ったもの  自分の財産の一つだと思っているが、私には 「山崎となら飲みに行ってもいい」、「山崎の話 が聞きたい」と思ってくれる大との人間関係が 多い。癌にならなければ、毎週、2、3人の違 う大を呼び続けて、30大から50大くらい付き 合ってくれる人物がいると思う。  私か面白くて、話す価値のある人間だから か? そのような自信は全くない。事実とも異 なるだろう。  最大の理由は、これまでに楽しく飲んできた お酒のおかげた。だから、飲み方に少々気をつ けた方がいいのだとは思うが、お酒を飲むなと は、身内にも他人にも、匸一にも言うつもりはな い。  ところで常識的な推測として、筆者の食道癌 には、お酒だけが原因でないとしても、過去の 飲酒は関係していただろう。2022年の8月 24囗に「食道癌です。禁酒して下さい」との宣 告を主治医から受けて以来、全く飲酒していな い。  それまでに、「過去10年間で、全く飲酒して いない日は3日あるかないかだ」と言えるくら いお酒を飲んでいた。近年では、新型コロナの ワクチン接種1回目の当日に全く飲まなかった 日があったことを想い出す程度だ。  お酒は、それ自体が楽しみだったし、過去に 人間関係を拡大する上で大いに役立ったし、趣 味的な満足もあった。また、広義のコンサル ティングや営業的な活動にあって、飲酒や食事 を十分に付き合えることはビジネス上有力な武 器だ。  因みに、飲食の付き合いの効果は過小評価し ない方がいい。一緒に飲めない、食べられない 人物は、ビジネスなどの相手から見て「つまら ない人」であり(たぶん恋愛の相手としても同 様だろう)、これを十分にカバーするためには 相当に高度な話術や練り込まれた人格が必要だ。 相手が飲んだり食べたりする時間だけ付き合っ てお金を払えばいいというものではない。  美味しい食べ物の味が分かって一緒に食べら れる大、お酒の味が分かって一緒に飲める人の 価値は他の条件を一定とすると「分からない 大」よりも有意に大きいのが現実だ。拙文を読 んで禁酒しようとする読者がいたら、「よくよ く考えてからにして下さい」と申し上げる。  しかし他方で、筆者にとって、お酒は、それ なりに多大な支出につなかつていたし、仕事の 時間や体力を奪っていたことのコストも計算す ると小さくないはずだった。  通算の損得はとても計算しきれるものではな いが、近年の「飲酒関連評価損益」はマイナス に傾いていたように思う。お金も時間も使い過 ぎていた。 「実はどうでもいいこと」を一つ見つ ける  医師の指示による強制終了がきっかけだが、 禁酒はそれなりに苦しいものだと思っていたの に、それが殆ど苦しくなかっだのは自分でも 少々意外だった。  禁断症状的なものは全くなく、宣告を受けた 翌日から飲酒を止めた。筆者にとって飲酒は、 精神的には強い習慣になっていたが、肉体的な 依存性はなかったということだろうか。今も スッキリ理解できているわけではないのだが、 飲酒を止めることは案外簡単にできた。  周囲でお酒を飲む人を見て、「楽しいのだろ うなあ」とか「あの酒はこんな香りと味がする はずだ」とかは思うが、どうしても自分も飲み たいというような生理的な欲求は湧かない。  禁酒によって生じた精神的な「穴」は、珈琲 と各種のお茶を、趣味的な要素も含めて熱心に 飲むことで一部を埋めている。  一方、幸い医師に禁止されなかったので飲む ことができたのだが、珈琲を我慢することはか なり辛いと感じた。実はお酒よりも強い習慣性 があったのだろう。珈琲は趣味性の強い嗜好品 なので、人によって好みがある。病院の入り囗 には、世間的には有名な珈琲チェーン店がある のだが、その珈琲はとても飲みたい気がしない。  入院中は、妻にしばしば珈琲を差し入れて 貰った。当時、新型コロナの感染症の問題が あって、宗族も含めて外部者は一切病室に入る ことができず、荷物の手渡しだけが可能だった。  ある囗、妻が珈琲を持ってきてくれたところ、 入院フロアの事務職さんが「たぶん、娘さんが 珈琲を持ってきました」と間違えて報告してく れた。このことの効果は絶大で、間違いが時に 人を幸せにする場合があることを知った。差し 入れの珈琲の頻度と品質が上がることで、筆者 もその恩恵を受けた。  退院すると、いつでも好きな時に、自分の好 きなように珈琲を淹れることができるのは大変 幸せである。  何でも「お金だけ」で考えるのは良くない習 慣だが、ヘアスタイル、ファッション、飲酒、 趣味、人付き合い、など様々なものを、潜在的 なコストも含めて「お金でも」考えてみると、 生活習慣を見直すきっかけになる。  「実はどうでもいいこと」を一つ見つけるだけ で、生活を大きく改善できる場合がある。  因みに、筆者は、お酒を止めたことで、大学 生の子供1人分の仕送りくらいの費用が浮いた と計算している。子供が大学に行っている間は 禁酒すると決めるのが、中間目標としてちょう どいいかも知れない。 自分が会いたい人にだけ会う  さて、テーマの人間関係である。癌の再発に より「持ち時間」と「体力」の制約が現実のも のとなり、さらに「持ち時間」が不連続に縮ん だ時に、人間関係はどうあるべきなのか。誰に 対して時間を使うべきなのか。  結論から言うと、自分から頼んで時間を貰い、 意見なり情報なりが欲しいと思う相手を、自分 が選んで時間を使う、ということに集約される。 それ以外にない。  そうでない相手に時間を使うのは、癌でない 平時であっても、本来は時間の無駄だと考える べきなのだ。  ただし、仮に直接会うとして、こちら側は癌 患者なので、オフィスなり自宅なりにきて貰う ようなわがままが通った場合でも、自分自身が 相手にとって興味深い意見や情報を提供する用 意があることが、本来必要な礼儀だろう。もち ろん、用件は事前に相手に伝えるべきだし、で きる範囲でもてなす用意が必要だし、何よりも 相手の時間を無駄にしない気遣いが大切だ。  困る相手のカテゴリーその1は、こちらに やってきて対面の時間を取って、自分の話を聞 いて欲しがる人物だ。こちらが欲しい情報や意 見でない話に、時間と孑孑ルギーを取られるこ とになる。実は世の中にこの種の行動様式を持 つ人物は少なくない。例えば、「情報交換会」、 「○人の会」などと名目を作ってば、時間を取 るのだが、結局自分の話したいことを話しにく るだけだ。  押しかけてまで来ないけれども、似たような 困った相手に、こちら側からの返信が大変な メールを気楽に送ってくるような人物もいる。 自分の話題が、相手にとってどのような価値が あるのかが見えていない。  困る相手のカテゴリーその2は、「詳しい話 は会ってからしましよう」という態度の人物だ。 カテゴリーその1に属する人物・話なのかを事 前に判断させてくれない。本人としては直接話 す方が気楽で、効率がいいのだろう。しかし、 相手にとっての効率が良くないことが全く見え ていない。  はっきり言って、勿体ぶり過ぎだし、相手に 迷惑だ。元証券マン、不動産営業マン、加えて マスコミの人間に案外多くいて、既に現代に適 応できていないのだが、自分の都合で勝手に電 話して、好きなことを喋るコミュニケーション が習慣になってしまった人たちだ。かつて、電 話で話すことが華やかなコミュニケーションで あり、活発な仕事ぶりを意味する時代に人生の 旬があった人たちである。容易に想像頂けるか と思うが、仕事柄筆者の知り合いには少なくな い。  こうした人とのコミュニケーションも、時間 と体力に余裕があれば受け入れる余地があるし、 そうした縁から生まれるアイデアや仕事がない 訳ではないのだが、効率が悪いことは否めない。 そして、我々は、この種の非効率を新型コロナ の流行によって普及したオンラインのコミュニ ケーションの世界のおかげで、強く意識するよ うになったのだろう。コロナには、時代の進行 を何年も加速させる効果があった。  困る相手のカテゴリーその3は、「お時間を 下さい」と直接のコミュニケーションを求めて くる相手だ。直接会って話をすることが礼儀正 しいのだという間違った教育を上司から受けた 営業マンなどにありかちな行動だし、本当に、 時間を潰すことだけが目的だったりする場合も ある。癌でない平時でも、全力で避けるべき相 手だ。 昔話をしたがる人には会わない  ところで、私には性格上大きな弱点がある。 懐いてくる相手を無下に振り切れないのだ。幼 少の頃、H歳までI人っ子で、友達が帰るのが 寂しかった感覚に未だに支配されているのかも 知れない。  病状が深刻になる再発前のことだが、全く知 らない若者が連絡を取ってきて、相次いで2人 事務所に押しかけてきた。下働きでも何でもす るので、一定期間事務所で使って欲しいという、 弟子入りが願いだった。共に爽やかな青年が、 カードを引いて事務所に現れた。1人は無給で もいいと言うし、1人は最低賃金でいいと言っ た。条件まで考えて来たのか。  しかし、弟子を取る気はないし、2人とも、 私の弟子が務まりそうな資質の若者たちではな かった。「ごめん。弟子は取らないことにして いる」。  長いこと生きていると、時々面白いことがあ る。あれは何だったのだろうか。こちらは、多 く食べられないし、お酒も飲めないのだが、近 所の美味い和食屋に案内して、大いにご馳走し て帰って貰った。このような次第なので、人間 関係の最適化が、ここで言うほどスッキリとで きている訳ではない。  しかし、特に「持ち時間」が縮むと、必要な 人間関係とそうではない人間関係が、驚くほど クリアに見えてくるのは本当だ。  さて、では私はどのような人に会いたいのか。 「サンタコストに拘るな、機会費用を見落とす な」を長年意思決定の習慣としている私として は、昔話をしたがる人物には現在全く会いたい という気が起きない。  現在を理解したり、時間が短いとはいえこれ から何かをしたりする参考になるアイデアを 持った人物に会いたい。この点には、私の偏向 があるかも知れない。古い友人などには冷たい 奴だと思われているかも知れない。  ところで、このように時間が貴重になってく ると、オンラインでのミーティングが大変効率 的であることが分かって来た。一日に1時間く らい誰かとNOOヨで話したいという気分もある。  しかし、なかなか上手い声掛けのアレンジが できていない。都合のいい時間に、気楽に話し に付き合ってくれる相手にどう声掛けしたらい いのだろうか。これが、目下の悩みである。い い方法はないものだろうか? 癌患者にとって一番ありがたい人  癌患者の人間関係について最後に補足してお きたい。第1章でも書いたように、癌になると 周りに急に親切な人が増える。家族や親戚が癌 になった経験があって癌に詳しいから、何か言 わないと我慢できない人も出てくる。一日に30 種類の食べ物を食べると癌が自然に消えるとか、 温熱療法は気持ちがいいからおすすめだとか、 何らかのサプリが癌に効くとか、そういう連絡 が多くなる。  仮に、ある治療法を勧められたとしても、そ れが有効かどうかを判断するには少なくとも時 間のコストがかかるし、判断した後も精神的な 負荷がかかる。しかし、アドバイスする側や見 舞いに来る側は、そういう負担になかなか気づ くことはできない。  癌患者には、親切にしないで下さいIこれ は半ば本音である。  一番ありかたく思えるのは、「聞きたいこと があったら、何でも聞いてね」、「こういうこと は知っているけど、あんまりいろいろ言うと、 情報過多になるね」とか、「暇つぶしの相手は いつでもするので、気が向いたら呼んで」と いったことを言って、放っておいてくれる人で ある。 最晩年の住まいと介護を考 える 人生の手仕舞いは難しい  人は老いるし、必ず死ぬ。残念だけれども仕 方がない。そして、人生の手仕舞いは、なかな か難しい。  その理由が、たぶん二つある。一つには自分 で自分の人生の手仕舞いを意識することが愉快 ではないから、手仕舞いを考えたくないからだ。 もう一つには、いよいよ手仕舞いの時期が近づ いた時には本人の判断力が必要十分ではない場 合があるからだ。  後者の場合に後で第三者が振り返ってみると、 「相当に、損たった!・」というケースが少なく ない。こうしたケースは、できれば避けたいも のだ。  いわゆる「老後」をどう生きて、どう始末を 付けるのがいいかは難しい問題だが、現時点 (2017年)での筆者の考えと(執筆時59歳 だ)、筆者の家でのやり方とを、一つのサンプ ルとしてご説明してみたい。  以下の「やり方」は、「これが正しい。こう するべきだ」と主張するものではない。読者へ の参考として提示してみようとするものだ。  端的に言って、筆者自身も、これからの自分 自身の「老後」をどのように迎えたらいいのか について、自信のある結論を持っている訳では ない。以下に述べる諸々は、多くは筆者の家の 実例だが、読者に対しては、「こうしたらいい のではないか」という一つの仮説に過ぎない。  老後に関しては、「住居・生活」、「介護」、 「お墓・葬式」、「相続」といった問題があるが、 筆者の現時点での考え方と、山崎家で実際に 行っているあれこれを率直にご紹介する。  要点をまとめると、@なるべく長く働く、A 住居は縮小し、モノを減らしてシンプルに暮ら す、B便利な場所に暮らす、C介護が必要に なったら、施設へ、D相続は、本人のアタマが しっかりしているうちに、明確に決める、Eお 墓・お寺と縁を切って、弔いはシンプルに、の 六つだ。以下、一つずつ見ていこう。 生活はシンプルに  先ず、「老後」に辿り着く前の方針として、 「@なるべく長く働く」のが、筆者の好みでも あるし(その方が楽しいから)、同時に、経済 的な必要性でもある。  いわゆる「人生100年時代」の少し手前の 95歳くらいまでを「老後」として経済的な計算 をしてみると、65歳で引退するのでは、将来を 賄うのに必要な蓄えを持つための現役時代の必 要貯蓄率がサラリーマンの場合で手取り所得の 2割前後必要になる(現役時代の「必要貯蓄 率」については、拙著『人生にお金はいくら必 要か』(岩城みずほ氏との共著、東洋経済新報 社)をご参照下さい)。  「手取り所得の2割」は、不可能ではないが、 強い意志力が必要な貯蓄水準だ。もちろん個人 差があるし、働くペースを体力に応じて調節す ることになるが、75歳くらいまでは、元気で働 く力がある人が多い。  北海道で小さな会社を経営していた筆者の父 は大凡そのくらいまで働いたし、筆者も「75 歳」くらいを目処として考えている。多くの場 合、会社が働く場を用意してくれるのは65歳く らいまでなので、かなり早い時期から、自分で 将来の準備をしておく必要がある(だいたい45 歳くらいから考え始めるべきだろう)。  さて、老後の生活で重要なポイントは住居だ が、「A住居は縮小し、モノを減らしてシンプ ルに暮らす」のが基本的な方針だ。子育てに適 した家は、子育てが終わると広過ぎる。また、 家が広いとモノが多くなるので、生活上の負担 が大きい。適切なサイズの家に住み替えて、同 時に、生活に必要なモノに所有物を絞り込むこ とを意識したい。  加えて、「B便利な場所に暮らす」ことを意 識したい。交通の不便な場所に暮らすと、出か けるのも、他人を招くのも億劫になる。人との 関わりが減るのは、つまらないし、人間が衰え やすくなるように思う。  また、高齢になるとできれば自動車の運転を 卒業する方が安心だが、不便な場所に住んでい ると、これが難しい。例えば首都圏に住んでい る場合なら、駅から近い場所のマンションに住 んで、自動車を持たず、必要があればタクシー を使う生活の方が、郊外に住んで自動車を持つ 生活よりもローコストで且つ便利な場合が多い だろう。  長らく札幌に住んでいた筆者の両親は、子育 ての時期に、2DK、3LDK、4LDK、一 軒家2軒(一度別の家に引つ越している)、 ……といかにも高度成長期風の住み替えを経験 したが、子育てが終わると、一軒家を売って、 札幌市内のマンションを買って、これを「終の 棲家」にしようとした。  ところがこのマンションは、最寄りの駅から 歩いて20分以上あり、両親それぞれが自動車を 手放せなかったし、自動車なしで外出すること が億劫になりかけた。  そこで、このマンションを売って、札幌市内 の中心部に近い地下鉄駅に徒歩2分くらいの賃 貸マンションに住み替えた。札幌市の中心部に も出やすいし、高齢になると縁が生じやすい病 院にも近くて、生活が便利になった。  なお、その後、賃貸マンションに住んでいた 筆者の両親は、母の叔母からマンションを譲り 受けて、そこをリフォームして住むようになっ た。  親や親戚から家を譲り受けるヶIスは全国的 に増えるはずであり、人口が減少しているのだ から、家は余る。不動産を慌てて買う必要はな い場合が多いだろうし、家を選ぶ場合は、「便 利な場所」であることが、特に高齢期では重要 だと思う。 介護は施設で行う  筆者の母は、かつて筆者と妹に「私か衰えた ら、あなたたちに時期と場所の判断を任せるか ら、適当な介護施設に入れて欲しい」と言って いた。彼女の夫(筆者の父)は、89歳で他界し たが、最後の2年弱を家から遠くない介護施設 に入って過ごした。  「C介護が必要になったら、施設へ」というの が、山崎家の基本方針だ。加えて「親の最晩年 にあっては、親について子供が適切だと思う処 置を決めて、親はそれに従う」というのが筆者 の家のルールだ。意思決定に当たっては、子供 自身の活動の自由と都合を優先するのがいいと されている。  子供が親を、いつ介護施設に入れるかどうか、 どこの介護施設に入れるかどうかを決定する。 そして、その介護施設の費用は親が持っている 資産で賄うのが基本だ。  自宅介護をしないのか。してもいいけれども、 それは基本ではない。  理由が二つある。一つ目は、親はできるだけ 子供の活動の制約になりたくないということだ。 もう一つの理由は、プロによる介護の方が作業 の効率がいいことだ。介護は重労働だし、施設 の方が「規模の利益」が働く。  入浴の世話一つを取っても、自宅で素人が手 を掛けるよりも、施設でプロが世話をする方が 効率的であることは明らかだ。特に、介護の世 話をする宗族がまだ働いている場合、介護に手 を取られると、存分に働けない。  もちろん、家族が自宅で一緒に過ごすことの 精神的な満足感は、介護する側・される側の双 方にあるので、自宅介護を一概に否定するつも りはないのだが、自宅介護に伴う「機会費用」 は、社会全体としても小さくないはずだ。施設 の近くに家族が住み、頻繁に施設を訪れるよう なスタイルが合理的な場合が多いのではないだ ろうか。  父は、80代半ばまで、時に公的なサポートを 利用しつつ母と2人で暮らしたが、最晩年の2 年間ほどは札幌市内の介護施設で暮らした。母 は、父が亡くなるまでほぼ毎日父の施設を訪ね た。現在(2017年)、母はかつて父がいた 施設にいる。施設は札幌市内にあり、子供は2 人とも東京にいるのだが、彼女の娘(私の妹) が頻繁に母と連絡を取ってくれていた。  筆者も、最晩年にあって配偶者や子供の行動 の制約要因にはなりたくないと思っている。い つ、どの施設に入ったらいいかについては、子 供の将来の判断に任せようと思っている。 お金を守る超合理的相続対 策 相続は早めに決める  相続は、「争族」という言葉があるくらいで、 なかなか厄介な問題だ。  山崎家の場合、筆者の親も、筆者自身も、相 続税対策を本格的に考えなければならないよう な財産があるわけではないのだが、ルールとし ては「D相続は、本人のアタマがしつかりして いるうちに、明確に決める」ことをルールとし ている。  財産の所在(金融機関と口座の在処)、その 時点の大まかな額、老後の支出の大まかな予定、 そして、残った財産の分け方のルールを、財産 を残す人の意識と意思がしっかりしているうち に、決めておくことが大事だ。必要に応じて記 録に残しておくといいし、もちろん、正式な遺 言とする手続きを踏んでもいい(「争族」の可 能性が少しでもあれば、正式な遺言をお勧めす る)。  冒頭にも述べたように、自分が呆けたり、死 んだりした後のことを考えるのは愉快ではない し、自分の意思がはっきりしているうちは、財 産を自分で扱いたいと思うのが人情だ。 親のお金を守れ’。  筆者の父は札幌で観光土産品の卸売り・小売 りの商売をしていた。しかし、北海道のその種 のビジネスの利益が乏しくなったことから、店 舗をコンビニエンスストアに変えるなどの手を 打って、70代後半に引退した。経済的には特別 豊かではないが、まあまあ成功した部類だろう。 80代に入ってからは母と札幌市内の地下鉄の駅 に近いマンションで暮らしていた。  父の趣味は囲碁と俳句と油絵だったが、お金 は自分の会社で取引のあった地元の地方銀行と、 某大手証券会社の口座に大まかに言うと半々く らいに置いていた。金額的には、自分自身の最 晩年にかかる費用と、自分の妻が将来使うであ ろう費用に対して「まずまず余裕があるだろ う」というくらいのものだった。  当時、息子である筆者は、証券会社の口座で は、個別株を数銘柄から十数銘柄くらいを売買 していることを知っていたが、「余裕のある金 額の中で本人が気に入っだ銘柄に投資している のだろう」と思っていたので、何も言わなかっ た。  父が亡くなっだのは89歳の時たった。証券口 座には、あまり儲かっているとは言えない個別 株投資の何銘柄かの他に、結構な金額の毎月分 配型の投資信託があった。それを見た時、 「もっと早くに父の口座をチェックしておけば よかった」と後悔した。  たぶん、父を担当していた証券会社の人に頼 まれて「付き合って買った」のだろうが、息子 である筆者が書籍や原稿で「絶対にダメなので 買うな」と言っていた種類の商品たった。  ついでに言うと、個別株投資についてもコ ミュニケーションを取っていたら、父は株式投 資をもっと楽しいものだと思っていただろう。 そして、証券口座の金額は大いに違ったものに なっていたはずだと思う。  筆者は勤務先が証券会社であるし、投資につ いて情報を発信する仕事をしていたので、父に、 「この株を買え、あれは売れ」といったアドバ イスをしにくかった。ただ、株式投資をもう少 し楽しむことができる方法を教えられたのでは ないかと思うと後悔を覚える。  本書を読んでくれている子供世代の方に強く 言いたい。親の金融資産の状況をぜひとも把握 しておくべきだ。親の方が子供よりも大きなお 金を持っている場合が少なくないし、何よりも 金融機関任せで「ひどいこと」になっている場 合が実に多いのだ。「先ず、親のお金を守れ’・」。 山崎家が相続の時に行った「三つの対 策」  さて、父が亡くなった時、母は81歳になって いた。当時は、100を切るスコアでゴルフ コースを回るくらい元気だった。  父が遺した金融資産は、長男(筆者)と長女 (筆者の妹)が相続を放棄して全て母親が相続 した。証券口座の資産は全て現金化して、銀行 にあった預金と合わせて相続した。さて、これ をどうするか。  ここで筆者と母および筆者の妹が行った対策 は、読者の参考になると思う。  (1)金融機関との取引の整理、(2)「2世 代」を考えた運用、(3)母の認知症の可能性 に備えた対策、の3点が骨子だ。  先ず筆者は、母と一緒に父が取引していた証 券会社の支店を訪ねた。父の資産を現金化して 母に相続して、同じ証券会社で運用することに したのだ。  筆者は、できれば母にインターネット証券で 口座を持たせて、そちらに資産を移管したかっ たのだが、高齢な母が新規に証券口座を開設す る手続きがそれなりに面倒たった。また、でき れば父と取引があった証券会社で資産を運用し たいと母が考えたことから、同じ証券会社の口 座で父が遺した資産の運用を行うことにしたの だった。  しかし、証券会社の営業担当者が母に電話を 一本掛けて、その勧めに乗って資産が運用され るのでは極めてまずい。  筆者は、支店の営業担当者(女性)に、彼女 の上司にも同席してもらった上で、「母はもう 80代なので、運用商品の勧誘は一切しないで下 さい」と伝えることにした。先方は、快く同意 してくれた。  「ここまでやるか?」と思う読者もおられよう が、筆者の経験と見聞から判断するに「ぜひや るべきだ!」と思う。 親の最晩年の資産運用は「2世代運用」 で  母はそもそもリスクを取った運用が好きでは ない。しかし、彼女の最晩年の時期にあっても、 取っていいリスクを取らずに資産を運用するこ とは、一つには本人にとって「無駄」だし、彼 女の資産を相続する子供たちにとっても無駄が 大きい。  資産の運用は、もちろん資産の持ち主本人の ライフプランを踏まえて行う必要があるのだが、 加えて、資産の相続人の利益やリスク負担能力 を考えないのだとすると非合理的だ。「高齢に なったら、債券や預金の比率を増やす」という、 よくあるファイナンシャループランニングは、 運用を「2世代」で考えると合理的ではないこ とが多い。  筆者の母の資産は、内外の株式のインデック スファンドと、リスクを取りたくない金額につ いては「個人向け国債変動金利型10年満期」で 運用しようと考えた。  ところが、母が口座を持っていた対面営業の 窓口では十分運用管理費用が安い(年率でどん なに高くてもO・3%未満)インデックスファ ンドの取り扱いがなかった。  こうした場合、上場型投資信託(ETF)は 証券会社なら取引が可能なはずなので、適当な ものを使うといい。例えば、「MAXIS全世 界株式(オールーカントリー)上場投信」 (コード番号2559)なら、上記の条件を十 分満たす。もちろん、いったん買ったらお金が 必要になるまでじっと持つ長期投資が基本だ。  実際に筆者と母と妹が選んだのはこのファン ドではないが、ETFを複数選んだ。リスクを 取りたくない金額については個人向け国債(変 動10)を選んで、運用内容を決めた。  なお、母と私の妹は、母の金融資産の取引に 関するあれこれを妹が代理で行う「財産管理等 委任契約」と、将来母が認知症になるなどで後 見が必要になった場合に妹を後見人に指名する 「任意後見契約」を合体した契約書を公証人役 場で交わした(手数料は数万円。将来、法定後 見人を付けられるリスクを回避するための措置 だ)。  意思が表明できなくなったり、いきなり亡く なったりする可能性は、高齢者の誰にでもある。 後に揉め事を起こさないように、そして、財産 の行方が分からなくなることがないように、 しっかりけじめを付けておくことが大事だ。  もちろん、これは、筆者白身も心掛けておか ねばならない問題でもある。  「墓なし・坊主なし」のわ が家の弔いルール 宗教なしの弔いは十分可能  お葬式については「Eお墓・お寺と縁を切っ て、弔いはシンプルに」が、山崎家の方針だ。 近年、お墓やお葬式の方法、さらにはお寺との 付き合いなどに悩む人が多く、相談を受けるこ ともあるので、読者の参考になればと思い、以 下、札幌のわが家の弔いの様子を書く。  あらかじめ申し上げておくが、筆者の意図は、 読者に無宗教を積極的に勧めようとするもので はない。信仰が人生の助けになる人もいるし、 宗教は文化や芸術にも多大な貢献をして来た。 また、先祖のお墓に手を合わせることが、心に 良い影響をもたらすという意見もあり、これも 否定しない。  ただ、何れの宗教にも入信しない場合や、何 らかの宗教への信仰心はあるものの、現実の宗 教ビジネスがあまりに商業的であって、端的に 言ってお金が掛かり過ぎることに納得できない 場合に、筆者の家族のようなやり方があること をお伝えしておきたいだけだ。世間には、積極 的な宗教心からではなく、惰性で、あるいは手 続きのためだけに、お寺や墓地に拘束されて、 面倒な思いと、少なからぬ支出に悩んでいる方 が少なくないようにお見受けする。 死は突然やって来る  2016年、札幌にいた筆者の父が卯歳の誕 生日を目前に亡くなった。  大正15年生まれの父は、亡くなる2年前に転 倒して頭部を強打し、生死をさまよう大怪我を したが、リ(ビリテーションが上手くいき、札 幌市内の介護付き施設に入所していた。老人特 有の物忘れや動作の遅さなどがあったが、認識 は十分保たれていて、電話で話もできたし、碁 を打ったり、俳句を作ったりもできた。当時81 歳たった私の母がほぼ毎日施設を訪ねて、また 施設での人間関係にも恵まれて、順調に暮らし ていた。  亡くなる数日前から背中の痛みを訴えて病院 に行くなど、やや不調であったが、当日は訪ね てきた母とリンゴを食べ「美味しい、美味し い」と言って食欲もあり、施設の玄関まで見送 りに出るなど前日よりも元気たった。母は「こ れから調子が上向くのだろう」と思って、午後 遅くに札幌市内に所用で出かけたという。  ところが、その囗の夕刻、施設の担当者が夕 食を知らせに来てみると、ベッドに座っている 父の様子がおかしい。直ちに医者を呼んだが、 18時14分付けで死亡が確認された。苦しんだ様 子もなく、血を吐くなどの跡もI切なく、静か に事切れていたのだという。急変の知らせを受 けた母は施設に駆けつけたが、最期には間に合 わなかったし、息子(筆者)、娘(筆者の妹) も東京で働いており、同様たった。  しかし、世間では理想の死に方と言う向きも ある、いわゆる「ピンピンーコロリ」の死に方 の場合、こうなるのは仕方がない。本人・家族 ともに最後の別れを言うことができないが、宗 族の時間を余計に使うこともなく、心配を掛け る時間もないし、終末の医療費も掛からないの は大変いい。  なお、本人は施設に対し、一時的な延命措置 を望まないことについて、意思確認の書類を提 出していた。意識がないのに、各種の管がつな かつて生きているような状態を、本人も宗族も 嫌ったのだ。 家族だけでゆっくり別れる  知らせを受けて、筆者と妹は取り急ぎ羽田空 港に向かい、最終便で札幌の実家に着いた。到 着は零時を過ぎていたが、母が葬儀社に連絡を 取り、父の遺体を直ぐに自宅に戻しており、父 は和室の一室に仰向けに寝ていた。顔に布は掛 けられておらず、声を掛けると目を覚ましそう な様子だ。  遺体はドライアイスによって冷却されており、 葬儀社によると丸2日間、自宅に置くことがで きる。「その間、ゆっくりお別れして下さい」 と言う。ドライアイスは半日単位で葬儀社に よって取り替えられた。  遺体の様子はまるで普通で、恐ろしさや、お どろおどろしさはI切なかった。線香の臭いな どがないのが良いのだろう。筆者は、二晩、遺 体の近くに寝ていて、思い出したことなどを語 りかけた。生前の父との違いは、いびきも返事 もないことくらいだ。  今回のやり方だと、宗族は故人との別れを ゆっくり惜しむことができる。葬儀社が手際よ く用意した枕元の小机に花を飾り、故人が好き だった珈琲や紅茶などを淹れる度に声を掛ける。 2囗目の夜は、「そういえば、彼は、家族とす き焼きをするのが好きだった」と思い出したの で、残った家族3人ですき焼きをしながら、故 人の思い出話をした。  宗族だけで別れを惜しむのがいい、という母 の意向で、父の死亡は、父の弟夫妻と札幌在住 の甥、及び父が作った会社の社長にしか知らせ なかったので、彼ら以外の弔問客もない。  通夜・告別式などに伴う、受付、挨拶、香典 のやりとり、お経やお坊さんの説教などもない し、何より七宗族はゆっくり眠ることができる。 通夜、告別式は、冬場では会場のどこかが寒い し(かつて祖母の葬儀の際に、叔父が「坊主っ て、寒さに強いな」と言っていたのが印象的 だ)、遺族が心身共にひどく疲れることが多い。 ただでさえ悲しい時なのだから、これらがない のは大きなメリットだ。  火葬は早々に日曜日と決まり、前日の夕方に、 納棺師さん(若い女性で、希望してなったと言 う。映画『おくりびと』でも観たのだろうか) が体を清めて、着替えを行ってくれた。遺体の 肌を見せないように布を掛けたまま行うのだが、 見事な手際で作業が進み、シャツにベストと ジャケット、下はズボンという、母が満足する お出かけスタイルの着替えが、短時間できちん とでき上がった。  火葬までに宗族がすべきことは、棺に一緒に 入れる小物(なるべく燃え残らない物)を選ぶ だけだ。今回は、息子、娘からの手紙、俳句や メモを書いていた鉛筆の人つだ筆入れ、娘宛の 住所が印刷された葉書数枚、それに本人愛用の 帽子を入れた。 葬式の総費用は37万  火葬の当日は、葬儀社の車が来て遺体を運び 出した。マンション暮らしのため、部屋に十分 なスペースがないことと、棺の運び出しが困難 なことから、遺体は葬儀社で棺に納めた。家族 は葬儀社の車に同乗し、先ず葬儀社へ、次に火 葬場に向かう。  火葬場では、焼香や読経その他かI切なく、 立ち会った家族3人と、弟夫婦、甥の6人は、 故人との別れを惜しむだけでいい。  遺体は約卯分で焼き上がった。6人で骨を拾 い、骨壷に収めた。家族は、葬儀社の車で遺骨 と共に自宅に戻った。  母によると、総費用は、棺代なども含めて、 約37万円だったという。やり方にもよるだろう が、お葬式を行うよりは安い。お葬式の場合、 香典で費用が賄えるかも知れないが、他人が払 うとはいえ、一連のサービスに多額の支払いを 行うことだから、その納得性が問題だ。収支だ けで考えるべき問題でもないだろう。  お坊さんなしの弔い(「坊主フリー」と呼ぶ か「坊主レス」と呼ぶか迷っている)をやって みて、「何よりも、家族でゆっくり、心のこ もっだ別れができたのが良かった」というのが 故人と長年連れ添った筆者の母の言であり、息 子、娘も、100%同意するところだ。 お墓は撤去した  かつて、父方の山崎家は、小樽市内のあるお 寺の檀家たった。特に、一時期の父は熱心であ り、そこそこに寄付なども行っていたので、寺 の境内の良い場所に山崎家の墓があった。  しかし、住職が代替わりするのと共にお寺の 有り難みが薄れた。加えて、寄付を求める、墓 があるのに納骨スペースを買わせる(父は 130万円出して付き合ったが、一度も使われ ることがなかった)、お盆には頼みもしないの に住職がやってきては心のこちらない(と我々 には聞こえた)お経を上げてお金を持って行く、 といった調子で、お寺の商業性が露骨に見える ようになって、しだいに不快感が募った。  しかし、お寺に墓があり、先祖の骨を持たれ ている以上、お寺と縁を切ることができず、い わば、骨と墓を質に取られているような状態 だった。  その状態は長く続いたが、2013年のある 囗、母がお墓を撤去して散骨を行うNPO法人 があるとの記事を見つけて、興味を持った。お 墓及びお寺が、子孫の負担になるとの考えの下、 彼女は、息子・娘に相談して、お墓を撤去し散 骨を行い、件のお寺と縁を切る意向を固め、こ れに父も同意した。  その後の母の行動は早かった。記事で見つけ た「一般社団法人・全国資産終活支援セン ター」と連絡を取り、更に寺と交渉して、お墓 からお骨を取り出し、お墓を撤去する作業を進 めた。お骨の取り出しと洗浄、及びお墓を更地 に戻す費用が数十万円掛かり、「きっと家族に 悪いことが起こりますよ」という、お寺の脅し とも呪いともつかぬ嫌味を我慢したが、墓の撤 去を終えて、お骨を父の一家にゆかりの深い小 樽の海に散骨して貰った。  散骨の費用は一柱あたり当時3万数千円だっ たとのことで、H柱分の費用が掛かったが、こ れで完全にお寺との縁が切れた。息子としては、 母がしてくれた数々のことの中でも、特に感謝 したい快挙であった。  母は、実家の仏壇も撤去し、縁の近い先祖数 人の写真を箪笥の上の目立つ場所に飾って、毎 囗、写真に向かって語りかけている。彼女は、 「狭い仏壇の中に閉じ込めておくよりも、はる かにご先祖様に対して親しみが湧くし、彼らの ことを思い出す」と言っている。気が向いたら、 飲み物や食べ物をお供えすることも勝手にでき る。  彼女も彼女の子供達も無宗教だが、先祖に対 する親しみや感謝の念は大いに持っている。ま た、冒頭にも述べたように、筆者は他人の信仰 心を否定しようとは思つていない。生きている 者の気持ちが整い、気が済めばいいのだ。  ただ、宗教及び「宗教ビジネス」を介在させ なくとも、心のこもつだ弔いはできるし、先祖 を思い出して感謝する生活をすることができる、 ということをお伝えしたいだけだ。  父の遺骨は、しばらく自宅に置かれる。どこ かに散骨するのがいいか、自分も一緒に埋葬し て貰えるようにどこかの施設に埋葬するか、遺 骨の処置を、母はゆっくり考えるという。  息子としては、もちろん散骨で構わないし、 あるいは、母親も彼女の子供も都会の賑わいと 人間が好きなので、彼女の娘と息子が暮らす東 京都下の共同埋葬施設に納めて貰うのがいいか も知れない、とも思っている。  明日あたりは、父の写真が実家のどこかに飾 られるはずだ。父の写真にあれこれ語りかけな がらの、母の新しい生活が始まる。  iX思の愉快犯”として生 ききる 「山崎さんは、どのようなことがした いのですか」  有名な企業の多くに、会社のあるべき姿を言 語化した、「社訓」、「ミツションーステートメ ント」、「バリュー」、「行動原則」、などと呼ば れるものがある。  会社が急には潰れない程度まで育って余裕を 持ち、経営者が社会的な自意識を全開するよう になると作りたくなるものなのだろう。そうし たニーズを、経営者の周囲にいる経営茶坊主た ち(「経営企画室」、「社長室」などに棲息する 生き物)が見逃すはずもないし、彼らを顧客と するコンサルタントにとってもいい商売材料だ。  あれは、個人にもあった方がいいものなのか。 経済評論家は個人商店だが、あればいいように も思えたし、無理に作る必要はないようにも思 えた。  私か最初に勤めた三菱商事には、三菱クルー プの三綱領と呼ばれるものがあった。「立業貿 易」、「所期奉公」、「処事光明」、の三原則だ。 シンプルにまとまっていてよろしい。  正しい意味に興味がある向きはホームページ ででも調べるといいが、私の理解は、貿易での 商売隆盛を目指す、公の利益を重んずる、物事 は公明正大に処理する、といったところだ。グ ループ企業の中でも貿易に縁の深い三菱商事に は相性のいい綱領たった。  一方、会社が丸ごと「火の車」になりかけた 某自動車メーカーのごときは、何かいけなかっ たのかがよく分かる。  その後に勤めた会社にも同様のものがあった はずだが忘れた。外資系の会社も、むしろ「悪 いこと」をしている会社の方が熱心に、企業の 「バリュー」を掲げたりする傾向かあったよう に思っているが、社員の行動原則は、「1.マ イーボーナス、2.マイーボーナスー、3.マ イーボーナスロ」のようなものであった。今な ら、ボーナスと並ぶかそれ以上にストックーオ プションだろうか。もっとも、これは、私か金 融系の会社にしか勤めたことがないからかも知 れない。  さて、「私の行動原則」は何か。それは、ど のように生じたのか。  きっかけば、誰かとの会話だったと思う。申 し訳ないが、それが誰だったのかは思い出せな い。広義の同業者か、編集者かのような気がす るのだが、それも含めてだ。  ある囗、「山崎さんは、いったいどのような ことがしたいのですか。何か、モットーのよう なものはありませんか」と問われた。  「そうですねえ。私は他人に何かを伝えたいの でしょう。伝える内容は、正しいことでありた い。ただし、この正しいは、後から間違いだっ たと分かることもあるから、その時には訂正す るという条件付きの正しさです。そして、でき たら面白いと思える内容や形で伝えたい。加え て、どうせ伝えるなら、なるべく多くの大に伝 えたい。大凡、こんなところでしょうか」とす らすら言葉が出てきた。  喋ってみて、あまりに自然な感触だったので、 自分で少し驚いた。おそらく無意識的に日頃か ら考えていたのだろう。  詳しくは後述するが、人の幸福感の99%以上 は「(自分が)承認されている」という感覚で できている。大金持ちも、貧乏人も変わらない。 そして、自分の価値観を自分一人で完結できる ほど人間は立派にできていない。厄介だ。しか し、だからこそ人間は面白い。  私の場合は、自分で正しいと思うことを面白 く多くの人に伝えて、感心されたり、自己満足 したりしたいのだろう。 私のミッションーステートメント  私のミツションーステートメントは以下の通 りだ。 (1)正しくて、 (2)できれば面白いことを、 (3)たくさんの人に伝えたい。  三菱の三綱領のような引き締まった偉そうな 感じはないが、自分のやりたいことの説明は、 これで尽きていて付け加えることはない。説明 用にも、自分用にも便利だ。  私の場合、わざわざ他人に伝える価値がある と思える正しいことは、主に資産運用の問題で あり、時に経済・社会についてのあれこれだ。  そして、自分の意見・発見・考案などを、で きるなら論敵も苦笑いするような面白い形で伝 えたい。皮肉なユーモアと共にズバリと正鵠を 射ることができたら嬉しい。目標は「上機嫌な ショーペン「ウアー」である。  「意見や主張の表現は、面白いものを上、真面 目なものを中、怒りとして表すものを下とす る」と心掛けている。自分のことを棚に上げて 言わせて貰うと、SNSには下に属するメッ セージが多くて残念だ。他人を批判して怒るの は簡単だけれども、気が利かなくて、面白くな い。せっかくの暇潰しの場が息苦しくなる。そ ろそろ気づいて、改まるといいのだが。  たくさんの人に伝えたいと思うのは、自分の 影響を拡げたいと思う本能なのかも知れないが、 単なる目立ちたがりの功名心のような気がする。  資産運用分野での発見や考案を伝えるなら、 本がたくさん売れるのがたぶん一番嬉しい。会 員限定セミナーで稼いだり、高額のコンサル ティングに仕立てたり、プライベートバンカー になってお金持ちに纏わり付いたりする方が大 きなお金になるはずだけれども、全く趣味に合 わない。  不経済な経済評論家である。  「経済評論家」という仕事  「経済評論家」を自称し始めて約20年になる。 金融や経済に関する著述、出演などの仕事が増 えたので、肩書きが必要になった。金融機関の エコノミストやアナリスト職ではないし、学者 でも、作家でもない。説明が必要になるような 個性的な肩書きを名乗るのは自意識がこそばゆ い。発信内容に幅を持たせることができるので これが無難だと思った。だが、大いに満足だっ た訳でもない。  世間的に、「評論家」という言葉はイメージ が良くない。「あの人は評論家だ」という評は、 言葉だけで行動しない人や発言に重みのない人 に与えられる。  その通りなのだ。評論家に行動を求めるのは お門違いだし、文献やデータの専門家でもなけ れば、一次情報の収集者でもない。評論家が提 供するのは「論」だけだ。正しくて、他人が気 づきにくかったり、言いにくかったりする 「論」を、なるべくスピーディーに、できれば チャーミングな辛辣さと共に伝えられたら、そ れでいいではないか。  評論家は、国家資格で国に干渉されることが ない。つまらない権威付けをビジネスに仕立て る「○○協会」のような家元組織からも無縁で 爽やかだ。  ただ、正直に言って職業的なコンプレックス が全くないわけではない。評論家は、政治家、 経営者、作家などが、世の中に変化をもたらし てくれないと論じる対象がない。「論」は何か に付随してはじめて論述として意味をなす。職 業的に、二次的、副次的存在であることが否め ない。  因みに、職業として一切コンプレックスを覚 えず仲間意識に近い親近感を持つのはコンサル タントだ。当節流行のDX(デジタルートラン スフォーメーション)のコンサルティングは高 給派遣労働のようで全く風情がないが、伝統的 な戦略コンサルタントは「誠意あるパッタリ」 を堂々と売る姿に共感を覚える。加えて、彼ら の値付けの度胸には学ぶべき点があるかも知れ ない。  世間の大を見るに、政治家を偉いと思う大、 経営者を崇め奉る大、作家などのクリエーター や表現者を過剰に評価する人の3タイプがある ように思う。どうやら、私は3番目のタイプの ようだ。自分で世界を作れる作家は評論家より も偉いのではないかと、何となく思う。つまら ぬ作品でも小説を一つ出版すると「作家」と名 乗れて気持ちがいいのではないかと想像する。  職業に貴賎はない!と力むのは正しいが、自 分の職業に多少のコンプレックスを持つのも悪 いことではない。コンプレックスは、その人の 人格が持つ固有の影だ。多少の陰影がある方が 人間は味わいがある。  職業に対する誇りは、こっそり持てばいい。 「経済評論家」は私にとってそんな仕事だ。 お金に感情を振り回されない  経済評論家として、これまで多数の記事を執 筆し、書籍を上梓してきたが、私かお金につい て言いたいことは非常にシンプルだ。  それは、お金に感情を振り回されず、冷静に 向かい合って欲しいということである。  本当のことを言うと、私はお金に興味がない。 純粋に仕事の対象だからだ。将棋の棋士が駒を 懐に大事にしまい込まないように、私も商売道 具であるお金に特別な執着心を持っていない。 別の言い方をすれば、自分のお金というものが 面倒と言えるかも知れない。やりたいことのた めに、呼吸をするようにお金を使って、足りな くもなく持て余しもせずとなれば、それが理想 だ。  経済評論家をしながらも、お金の増やし方の 細かなノウ(ウを提供していたわけではない。 どちらかというと、金融商品の運用の仕組みを 分析して落とし穴を分析したり、手数料が無料 の証券会社のからくりを見破ったり、そういう ことを面白かつて評論家商売をしてきた。  日経平均株価が3万円を超えそうなどと市況 に関するコメントをすることはあるが、それは 評論家としてのサービスの範囲だと考えてきた。 個別銘柄まで言及してしまうと自分の狙ったポ ジションとは違ってしまうので、そこまでは踏 み込まない。  様々な立ち位置がある経済評論家の中で、私 か目指しだのは、「発言内容は厳しいけれど正 確なことを指摘する山崎さん」。  そこで競争力を持っていれば、宗族を養うく らいの収入は得られるだろうという目論見たっ た。難しい金融理論などの本も書いてきたのは、 自分の言葉を信頼して貰うバックグラウンドを 築くためでもあった。  経済評論家人生の中での反省点もある。活動 開始から5〜10年くらいの頃までは、運用のプ ロである機関投資家の運用方法を簡略化すれば、 個人も理想的な資産運用ができると考えていた。 しかしこれは間違いたった。  なぜかというと、プロの運用法が必ずしも正 しいわけではないこと、さらに、プロと個人で は運用についての事情が根本的に違うからだ。 囗本の年金を運用するGPIF(年金積立金管 理運用独立行政法人)は、分散投資している運 用資産のアセットアロケーション(資産配分) の一部が値上がりすると、それを売却して、全 体のバランスを取り直すリバランスを行ってい る。GPIFは国内外の債券・株式をそれぞれ 25%ずつ保有しているが、個人がそれと同じこ とをする意味があるのだろうか。  決められた時期にある程度のパフォーマンス を出すことが求められるプロに比べて、個人の 時間軸や投資の目的は様々だ。仕事の状況で、 稼ぎが増えるかも知れないし、減るかも知れな い。病気になって働けなくなってしまうかも知 れないし、反対に、労働収入を得られないのに 長生きしてしまうかも知れない。あるいは、家 族との関係も変わるかも知れない。  個人でも、資産と負債の管理は重要だが、そ れはプロと同じ考え方をしていてはうまくいか ない。それが分かってからは、私は、プロ面を して個人投資家に対して上から目線で運用を説 く人物を否定するようになった。 運用に思い入れを持ち込まない  個人投資家が資産運用にあたって意識するべ きことは何か。それはお金に感情を込めず、合 理的な考え方で向き合うことである。お金は、 生活や娯楽のための手段に過ぎないのだから、 誰にとっても価値は同じ。新卒社会人や退職者、 富裕層など属性によって運用スタイルは異なる と思ってしまいがちだが、そうではない。異な るのは、投資に回せる絶対的な金額と背負うこ とができるリスクだけだ。  運用する商品は全世界株インデックスファン ドだけでいい。値動きしても一喜一憂しない程 度の金額をそこに投入したら、あとは自分かど う稼ぐのか、運用以外の部分を大事にしよう。  これは、他の趣味を持とうということではな く、運用に思い入れを持ち込むのはやめようと いうことである。運用を必要以上にありがた かっていると、道を見誤る。例えば、NISA (少額投資非課税制度)の新制度の「成長投資 枠」の「成長」という言葉に引きずられて、個 別株を買ってしまうのは大きな誤りだ。  もちろん、リスクの範囲内で趣味として個別 株のポートフォリオを持っているのはかまわな いが、そうでない大多数の人は成長投資枠でも 全世界株のインデックスに投資をしていれば十 分だ。 予想と希望を混同させない  現在(2023年7月)、癌の状態はステー ジW。多くの場所に遠隔転移していて、一般論 でいえば先は長くない。かつては酒を飲み、美 味しいものを食べ、語り合うことが好きだった。 しかし、癌によって禁酒することになり、食道 癌だから食べられる量も減り、リンパ節への転 移によって反回神経が麻痺して声が出しにくく なった。好きで得意な順番に、楽しみを潰され ている気がする。  しかし、予想と希望を別物であると考えると、 そんなに悲観する毎日ではない。残りの全期間 を今と同じように過ごせるかどうかはともかく として、もし余命が1年あれば、会いたい人に 会えるだろうし、本だって3冊は出せるだろう。  そこに希望を混ぜてしまうと、景色はまった く異なる。例えば、娘が大学に入る数年後まで 生きていたいと考えると、途端に叶えられる確 率が下がる。予想の元に享受していた日々の輝 きも霞む。予想と幸せを混同するのは、不幸な ことだ。  お金にも同じことが言えるだろう。希望に予 想を寄せようとすると良くない。代表的な例が。 FPが使うライフプランニングシステムだ。35 歳でマイホームを建てたいとか、引退する時に はどれくらい金融資産を持っていたいという希 望があったとする。FPは、その「希望」を叶 えるためにはこれくらいのお金が必要ですよと 言って、固定の変動率で収入や支出の推移を計 算し、保険を含めたリスク資産を提案してくる。  しかし大体の場合、その提案に乗っても希望 は叶わない。なぜなら、FPが提案するアセッ トアロケーションは、期待リターン(希望リ ターンといってもいいだろう)に基づいて、リ スクを無視して決められてしまっているからだ。 だから、FPの提案は当てにならない。そして、 希望は、予想と乖離していく。  こういうFPが後を絶だない原因の一つはメ ディアにある。例えば、長期投資でリスクを低 減できるとよく言われるが、これは金融論的に は誤りだ。取材を受けるたびに記者に対してレ クチャーしているが、新聞などのメディアは伝 統的に知識を継承しないため、後任の記者にI から説明することになる。  またメディアに属する記者の感覚として、自 分が取材して掴んだ「真実」は正しいという尊 大な思いも問題である。結果として、長期・定 額で同じ資産を買うドルコスト平均法が正しい という記事はなくならない。  それに追い打ちをかけるのが、メディアから 原稿を依頼されるFPだ。原稿依頼の声がかか ると嬉しくてしようがないものだから、求めら れるままに原稿を書いてしまう。 マーケティングとは嘘のラッピングの こと  私の時間があと30年ぐらいあって、起業をす るとしたら、マーケティングを解毒するサービ スを提供したい。マーケティングはとてもあり がたがられて、ビジネススクールでも堂々と講 義されているが、要するに大して価値がないも のを価値を大きく見せて売るための技術の寄せ 集めに過ぎない。  マーケティングによって実態をカモフラー ジュしている例を挙げるなら、毎月分配金を受 け取れる毎月分配型投資信託や高配当株がある だろう。分配金や配当金が多いというのは、結 局ファンドの資産を取り崩してお金を配ってい るのであり、まるでたこが自分の足を食ってい るようなものである。投資家の人気集めでしか ない。  それを売る側は、「年金の代わりにおすす め!」などと、少し考えれば素人でも嘘と分か るフレーズでラッピングしている。これがマー ケティングだ。  そんなマーケティングに費やされる経済的資 源を、経済価値の整備のために用いることがで きれば、顧客の利益を大きくできる。そこには ビジネスとして成立する素地があるだろう。  マーケティングの解毒は、消費者保護にもつ ながる。情報に疎い人を騙そうと、甘い言葉で 誘う輩は今も昔も大勢いる。羽毛布団や健康器 具などの伝統的なものから、仕組みの分かりに くい外貨建て保険まで商品は様々だ。  「善意の愉快犯」でありたいというのが、私の 経済評論家としての願いだ。その使命は、甘い 言葉で個人にアドバイスをして、不要な商品を 売りつけようとする輩の商売を邪魔することで ある。 お金は「増やし方」より 「使い方」こそ大切だ お金には「使い時」がある  お金の「増やし方」について長年アドバイス をしてきた筆者だが、今回はお金の「使い方」 の大切さについてお伝えしたい。お金には「使 い時」があり、ただただ貯めるよりも大事な 「使い道」があるのだ。  筆者は日頃専らお金の増やし方について情報 を発信し、本なども書いている。そう考えると、 ヤケクソのように見えるタイトルだが、筆者は 本気でそう思うし、人生の幸せにとって大事な 話なのでお付き合い頂きたい。  先日、ある読者の勧めで『DIEWITH ZERO』(ビルーパーキンス著、児島修訳、 ダイヤモンド社)を読んでみた。この読者氏は、 お金を貯めて増やしたのはいいが、気持ち良く お金を使うことができなくなってしまったと悩 んでおられた。この本の内容が「心に剌さる」 とおっしやる。  豊かなエピソードが面白い本なので、読者に はぜひ本を手に取ってもらいたいのだが、筆者 にとって印象に残った主張は以下の四つだ。  (1)亘]に価値のあるお金の使い道は「経験」 だ。良い経験は思い出として長らく効果を発揮 する。  (2)人間の楽しむ能力は年齢に依存する。適 切な時に惜しまずにお金を使え。  (3)「仕事が面白い」は適切にお金を使わな い理由にならない。  (4)寄付や相続も生きているうちに有効に行 え。  筆者は、濃淡はあるが、何れの主張にも賛成 する。特に(2)はその通りだと思うし、(3) は有効な批判的指摘として耳が痛い。  この本の著者はヘッジファンドのトレーダー が一つの職業であり、金融取引の世界で培われ た「最適化」の考え方に通暁している。人生を 通じたお金の使い方を、最適化のアプローチで 考えてみたところ、一般に言われているような お金の心得や、現実に多くの人が行うお金の使 い方には、幾つもの問題点があることに気が付 いた。  例えば、若い頃から収入の一定割合を貯蓄し て大きな金融資産を早く作ろうとすることは、 お金の有効な使い道を逃しているという意味で 人生がもったいない。あるいは、白分か死ぬ直 前に生涯最大の金融資産額を持っているような 人生は、お金の使い方として無駄が大きい。使 わなかったお金を稼ぐために要した時間を考え ると、何年分もの労働を捨てたに等しい、とい う厳しい批判もある。  稼いだお金を有効に使い切って、死ぬ時には 所持金がゼロになっているのが、ある意味では 理想だと著者は説く。   お金はあくまでも「手段」であり、幸福のた めに使うものだ。お金を気持ち良く使うことが できない人、甚だしきはお金を使うことに罪悪 感を覚える人は、ぜひこの本を読んで基本に返 るといい。 「守銭奴型F−RE」に疑問あり さて、人生にあって適切な時にお金を使うこ との重要性に鑑みた時、疑問なしとしないのは、 若くして引退できる金融資産形成を目指す人生 戦略だ。いわゆる「FIRE(力回目邑 I乱召e乱ence「 Retire Early」」である。  具体的な例で考えよう。例えば、手取り収入 が年間500万円だとして、半分の250万円 で暮らし、250万円を投資に回し、投資が年 率4%で回るなら、17年強で金融資産は6千 250万円を超える。6千250万円が4%で 運用できるとすると、年間250万円の収益が 得られるので、今まで通りこの金額で暮らすな ら働かなくても生きていける計算になる。すな わち、FIREの達成だ。  書籍でいうと『父が娘に伝える自由に生きる ための30の投資の教え』(ジェイエルーコリン ズ著、小野一郎訳、ダイヤモンド社)で、父親 が娘に教える方法がこれに近い。「会社から自 由になるためのお金」という概念が心に響く本 だった。  運用方法はインデックスファンドに投資する 妥当でシンプルなものだったが、手取り収入の 半分で暮らす禁欲的な生活の実践こそがすごい と思った記憶がある。この本の著者はFIRE の達成までに掛かる年数について、17年よりは もう少し楽観的だが、それでも10年程度の歳月 は覚悟しなければならない。  仮に、17年にせよ、10年にせよ、FIREが 完成するまでの期間をどう評価したらいいだろ うか。  筆者は、20代、30代の十数年の歳月を手取り 収入の半分で暮らすこのスタイルについて、自 分自身の「人的資本」に対する過小投資になり かねないことに対して違和感を持っていた。例 えば、年間250万円で暮らすことと年間 400万円(手取り収入500万円のうち20% の100万円を貯蓄したとして)で暮らすこと とを比較すると、差額の全てが将来の稼ぐ力に つながる自己投資ではないまでも、250万円 生活では、知識や経験、人間関係、そして時間 に対する投資が過小になって、将来の稼ぐ力が より小さくなる公算が大きいように思う。  これに、『DIEWITHZERO』のメッ セージを踏まえた、主として経験に対する消費 の観点でも、人生にあって「楽しむ能力」が最 も大きい貴重な時期に十分なお金を使わないこ とは「もつたいない」と言えるのではないかと 付け加えることができる。  筆者は、若い頃に生活費を極端に切り詰め、 貯蓄・投資にお金を回して目指すFIREを 「守銭奴型FIRE」と呼んでいるが、このス タイルは、投資(人的資本への投資)と消費 (経験の消費)の両面で「最適」から外れてい るように思う。要はバランスが悪い。 貯めることと使うことの「いい加減」  では、『DIEWITHZERO』の中のエ ピソードにあるように、将来は所得が増えるの だと信じて20代、30代の頃に所得の大半ないし、 それ以上のお金を使うことが、わが国で一般的 な勤労者である若者に推奨できるのかというと、 少し違うように思う。  一つには、将来、年齢と共に所得が上がると 期待できるか否かについては、これまで以上に 個人差が広がると思われることが問題だ。将来 所得の増加に対する楽観は「誰にでも」勧めて いい前提条件ではなさそうだ。  また、もう一つには、「ある程度の備え」を 持っていると、リスクに対する対処について 「保険」という加入者側にとって著しく不利な 手段に頼らずに済むからだ。 『DIEWITHZERO』の著者は、成功 したトレーダーであり、端的に言って平均的な 人よりもかなりお金持ちだ。例えば、著者は、 将来何歳まで生きるか分からない「長生きのリ スク」への備えとして、年金保険の購入を勧め ている。しかし、並みの日本人の経済力でこれ をまねようとすると、若い時分の消費が高額な 保険料支出でかなりの程度阻害されることにな るだろう。そうなっては、この本の主旨に反す る。  囗本の場合、「何歳まで生きるか分からない」 という長生きのリスクへの保険として、原則と して終身で給付される公的年金がかなり大きな 役割を果たしてくれる。普通の経済力の人に とって、保険会社の儲けが大きな年金保険は不 要だし、関わらない方がいい。民間の生命保険 会社のがん保険を含む医療保険も、囗本の場合 は充実した健康保険が存在するので、不要であ る。  ただし、何れのリスクにあっても、「ある程 度は」自分で使える自分の金融資産があること が好ましい。  また、失業保険に関しては、それほど充実し ているとは言い難いので、「会社から自由にな るためのお金」として、例えば1、2年分の生 活費に相当する金融資産をなるべく早く形成し ておくことが望ましい。  もっとも、「会社から自由になるため」とい うことに関しては、お金の備えと同等あるいは それ以上に、他社にも雇って貰えるような仕事 のスキルや、それなりの収入を期待できる副業 を持っていること、あるいは転職を容易にする 人脈を持っていることなどの効果が大きいだろ  もちろん、価値のあるスキルを持っている人 も備えとしての金融資産を持っているといいの だが、お金に全てを頼る必要はないことを強調 しておきたい。 自分が若いサラリーマンだったら?  例えば、若いサラリーマンにはお金の扱い方 についてどのようにアドバイスしたらいいか。 いや、もつと直截に、自分が今若いのであれば どうしたいと思うか。例えば、仮に自分が、か つてのようにサラリーマンとして就職したとし よう。以下のように考えそうだ。  (1)就職後2、3年は少々のお金の蓄えより も、自分か仕事のスキルを得ること、自分の人 材価値を高めることに、自分の時間とお金とを 使うだろう。この段階では借金をせずに暮らす ことができれば上々だ。  (2)25歳くらいから、例えば収入の1、2割 を貯めて、経済的な備えを作るだろう。ある程 度の備えがあれば、医療保険なども含めて、殆 どの生命保険が不要になる。この効果は大きい。  (3)新しいNISAとiDeCo(個人型確定拠 出年金)の初期設定と投資のスタートは遅くと も25歳までに済ませたい。スタート時は両方と も毎月5千円ずつでもいい。始めることが肝心 だ。  (4)当初はNISAから先に投資額を増やす ことを考える。税制メリットの比較ではらeCo が有利だが、iDeCoの資産は原則として60歳ま で引き出せない。生活費の1年分くらいの資産 ができるまではNISA優先でいいだろう。そ の後は、iDeCoを増額して中心としたい。運用 は何れにあっても「全世界株式のインデックス ファンド」とする。  (5)20代、30代にあって「自分の人的資本へ の投資」になるような使途と、「この時期にし かできない経験」に対する支出は、NISAを 解約してでも行う。幸い、2024年からス タートする新しいNISAでは、解約して空い た税制優遇枠を再利用できる。  (6)20代後半以降、将来も役に立つような 「良い経験」のためにはお金を惜しまない。  (7)遅くとも35歳くらいまでにファースト キャリアで大いに稼げる転職先を見つけるか、 仲間と起業するなどで生活の基盤となる収入源 を作る。30歳以降はチャンスを見つけて副業に も取り組みたい。  (8)45歳くらいからセカンドキャリアの準備 を始める。この頃には、2、3年は働けなくて も生きていける程度の金融資産を持っていたい。 「会社から自由になるためのお金」となる。  (9)高齢期(65歳?)に入ったら、子供等の 相続人に贈与を開始する。ただし、大半の資産 を渡すわけではなく、自分の裁量で左右できる お金は本格的なリタイアメントまである程度維 持する。  (10)なるべく20代、30代の若いうちに、自分 で起業するなり、友人の起業に参加するなり、 あるいは、ストックーオプションをインセン ティブとして与えてくれる会社に勤めて、将来 の生活の心配がなくなるくらいの大きなお金を 作るチャンスを求めたい。 資産運用は「一番いいもの」一本  本当は、就職の時点から、ストックーオプ ションなどで株式と関わることができて、大き なお金を作ることができそうな就職先を探すべ きなのかも知れない。しかし、ビジネスマンと してそこまでのやる気と準備を大学卒業時に醸 成できている自信はない。  基本的な考え方として、経済的な安心は「お 金で貯める」のではなく、稼げる人材としての スキルや評判の形でキープしておきたい。  『DIEWITHZERO』の路線から見る と中途半端だが、「ある程度の金融的備え」を 持っていると各種の生命保険のような著しく経 済的に不利なものに関わらずに済むし、転職を 考える際にも余裕が生まれる。  なお、資産の運用は、NISAでも巴RO でもそれ以外の口座でも、全世界株式のイン デックスファンドでいい(含む日本株。「オー ルーカントリー」などと称するもの)。運用が 趣味や仕事でなければ、十分に分散投資された 低コストなインデックスファンド以外の商品に 目を向ける必要はない。  「一番いいもの」一本に絞っておくことが、管 理の上でもシンプルだ。特に新しいNISAの 「成長投資枠」では、別の商品による運用を考 えないことが肝心だ。  ことお金の増やし方については、つまらない 誘惑を拒否する決意と共に「最も有効な方法」 を一つだけ知っていれば十分なのだ。お金につ いては、増やし方ではなく、使い方こそをよく 考えてほしい。 イベントよりも日常重視  著者の主張のあれこれに大いに頷ける『DI EWITHZERO』なのだが、一点だけ、 個人的に著者との好みの違いが原因で違和感を 持った部分を報告しておこう。  著者は、「思い出」の効果を強調して大きな イベントを作ろうとするが(大規模な誕生日 パーティーのエピソードは楽しい)、筆者は、 人生にあってこうした「祭り」的な特別な日を 作ることをあまり好まない。敢えて言えば「日 常」が大事なのだ。対比の効果で毎日の普通の 日々がくすんで見えるような、「祭り」的なイ ベントを人生に積極的に設けようとは思わない。  もちろん「日常」では、自分の経済力なりに 気分良くお金を使うことが大事だし、それは実 践しているつもりだ。  何れにせよ、お金を貯めることを目的化して、 人生の末期にこれを有効に使えなかったことを 後悔するような状態は避けたい。お金を貯める ことが目的化してしまった人は、先ず『DIE WITHZERO』を読んで考え方を変えて、 有意義な消費の練習に励むといい。  「お金は、貯めることよりも、使うことが楽し い!」と思うのが健康な状態だ。  「幸福」を決めるたった一 つの要素 お金を稼ぐには幸福の犠牲が伴う  本稿は、お金と幸福との関係について考えて みたい。大きなテーマなので、結論が出るとは とても思えないが、読者と書き手自身とがこの 問題について考える手掛かりになるといいと思 いながら書いてみる。  筆者がこの問題を考えようと思ったきっかけ は、「FIRE」についてあれこれ検討してみ たことにある。FIREとは大まかに言うと、 若くしてリタイアできるような金融資産を築く ことだが、筆者は、若い頃からこの状態を目指 してお金を貯めて、投資に励む人生戦略に対し て違和感を持った。  若い時分には、金融資産に投資するよりも、 自分白身の「人的資本」の拡大のために投資す る方が、効果が高い場合が多いのではないか。  生活のスケールを切り詰めて、それこそ爪に 火(FIREI)を灯すような生活をしながら 貯金と投資に励むと、一種の逃げ切り状態であ る「FIRE」に到達できるかも知れないが、 その稼ぎと支出の経済的スケールは小さなもの にとどまってしまいそうだし、FIREに達す るまでの年数(順調で十数年)の経験がつまら ないものになってしまうのではないか。人生全 体がしぼんでしまうのではないかと心配だ。  一般論として、自分の「教育」・「経験」・「人 間関係」への。投資”は早い時点に行う方が効 果的である。 図1のような損得勘定だろうか。  金融資産への投資は複利の効果が働くことも あり、若い頃に行い長期で運用することが有効 だが、例えば、仕事のスキルにプラスになる投 資(典型的には、いい学校に行く、資格を取る、 修業のために外国に渡る、など)は、将来の収 入を増やすことにつながるし、その効果を長く 享受できる点で、早く行う方がより有効なのだ。  逆に、例えば、定年前に社会人大学院でMB A(経営学修士)を取るような自己投資は、本 人の満足にはなるかも知れないが、そのスキル による収入増加では掛かったコスト(直接的な 学費の外に、働きが減って稼ぎが減ることの機 会費用も含む)を回収できないかも知れない。 金融資産に投資する方がマシだという状況は大 いにあり得る。  さて、前記の話は、お金を稼ぐ効率に関する 比較だが、「お金」自体は「幸福」を生み出す ための「手段」に過ぎない。一方、お金を稼ぐ ためには、しばしば自由な時間を犠牲にするよ うな「幸福の犠牲」を伴う。  「お金」と「自由」のトレードオフ  一般に、自分の行動を自分で決めることがで きる「自己決定性」は幸福を増進するとされる。 日々の時間の「自由度菲幸福度」とお金を稼ぐ か使うかの「収益性」の関係を図2に整理して みた。  例えば、この図2の第1象限にあるような、 自分にとって張り合いがあって楽しい行動が自 分の仕事であり、自分に収入をもたらすような 状況を作り出すことができると、人はかなり幸 せだろう。雑な比較で恐縮だが、「やることの ないFIRE」状況の人よりも幸せではないだ ろうか。この第1象限の時間を生み出すことが、 いわば「人生勝利の戦略」にちがいない。  もっとも、仕事というものが楽しいばかりの ものでないのは、多くの人が実感するところだ ろう。我慢して働き、しかしお金を稼ぐことが できる第2象限の領域で多くの人が働いている。 そして、お金を使って楽しい時間を買う第4象 限の領域との間を行き来するのが、普通の暮ら しであるかも知れない。もちろん、不自由でし かも損をするような第3象限の状況は避けたい と誰しも思う。  先の図2は、時間の過ごし方と幸福感・有利 感の関係を表した、いわば「フロー」の図だが、 その時々の人生の状況をあたかもバランスシー トのように捉えて、位置を把握する「ストッ ク」の概念を考えてみよう。図3を見て欲しい。  人は、図3のできるだけ右側のポジションに 位置することができると幸せだ。しかし、金銭 的な余裕がなくなると、左の領域に移動するよ うな力が働きやすい。例えば、就職活動に励む 学生は、なるべく自分の好きな仕事で(なるべ く右側で)、なるべく早く収入が増える(上に 移動できる)ような就職先を探したいと思うの だろう。  試しに、筆者の人生のポジション推移をプ ロットしてみた(図4.あくまでも主観的なも のだが)。  「そう嫌いではない仕事から始まり、少しずつ 経済状況を(新入社員の頃よりは……)改善し てきたが、好きな仕事も、そう好きでない仕事 も経験し、たいしてお金持ちにならずに、しか しまあまあ好きな仕事ができている現在に至 る」といったイメージだ。もう一度描き直すと 全く異なる線になるかも知れないが、思い切っ て描いてみた。  経済的には何も持っていない新卒の就職から、 なるべく右側にポジションを取り、働き甲斐の ある仕事でお金を増やして、自分のポジション をひたすら右上に導くことができると人生は素 晴らしいのだが、そうも行かないのが人生だ。  「お金は自由を拡大する手段だ」とは、筆者が セミナーなどの冒頭でよく述べる言葉なのだが、 お金を使うと自由の範囲を拡げることができる (図4のより右の点に移動できる)。  一方、他人も自分も嫌うような(キツい? つまらない? 悪い? ……)仕事の方が稼げ るお金は大きいケースが少なくない。「お金」 と「自由」にはトレードオフ関係がある。この 関係を示してみたのが図5だ。  「お金」で「自由」を買うことができるし、一 方、自分の「自由」を犠牲にして(例えば自分 の時間をより多く売って)「お金」を手に入れ ることができる。  因みに、FIREには、どのくらいのリッチ 加減(高さ)を維持して、どの程度の自由を享 受しようとするのか(どれだけ右に行けるか) によって、多様なグレードが存在することが分 かる。 幸せになるための平凡な結論  さて、お金があれば自由の範囲が拡大する。 例えば、個人でもお金があれば、宇宙旅行を体 験できるような世の中になった。  しかし、宇宙旅行それ自体が本人にとってか けがえない経験であるとしても、人は、宇宙旅 行に行った自分を他人に感心して承認して貰い たい生き物でもある。  端的に言って、人間は、自分に関して他人に よる承認を得たことを実感して「幸せ」を感じ る。いくらお金があって自由の範囲が広くても、 友達も恋人もいないような人生では面白くない し、幸せを実感することが難しい。  必ずしも異性関係の「モテる・モテない」で はなくもう少し広い人間関係を指すことにする が、「モテる」人は幸せだし、「モテない」人は 不幸せだ。「お金」、「自由」の外に、「人間関 係」の要素が幸福には影響するということだ。 図解すると、図6のような3次元になる。  他人を眺めて推測するに、人気のある人(モ テる人)は、富裕であるか否かを問わずに幸せ そうに見える。他方、人気のない人(モテない 人)は、豊かであったり仕事の実力があったり しても、何やら不満そうで、素直に幸せではな いように見える。  自分に引きつけて考えてみるとしても、「人 間関係の全てを失う」状態と、「金融資産の全 てを失う」状態とを想像上で比較すると、前者 の方が圧倒的に嫌だ。これは、筆者がたいした お金を持つていないからなのかも知れないが、 多くの読者がこのように感じるのではないかと 想像する。  さて、他人からの承認、即ち「人気(菲モ テ)」は、どの程度お金で手に入れられるもの なのだろうか。  様々な人間関係に付随するイベントにはお金 が関係するので、お金で「人気菲モテ」を買え る面はある。しかし、例えば、超富裕な個人が 巨額のお金を使うと近い将来「初めて月に到達 した民間人」のような立場を手に入れられるか も知れないが、この人が「世界一モテる人!」 になるのは無理だろう。  おそらく次のようなことが言えそうだ。お金 は「人気(菲モテ)」を買うにも有効だが、「自 由(にやりたいこと)」を買う場合ほど有効で はない。人気者(菲モテる人)はお金を稼ぎや すく、不人気な人(汁モテない人)はお金を稼 ぎにくい。  この関係を図にしてみたのが、図7だ。  人気(菲モテ)には、たぶん稼ぐ能力と同じ かそれ以上に、元々の資質の個人差が大きいだ ろうが、「人柄を良くする」などの努力で改善 ができない訳ではない。  「幸福」を構成するのが「自由」と「人気」だ として(図8)、「お金」は両者を手に入れるに 当たってポジティブな影響力を持つ要素だ。加 えて、お金を得る近道についても考えると、他 人に好かれること(人気者になること)が、直 接的な幸福感の獲得にも、お金を通じた間接的 な幸福感の獲得にも有効であるようだ。  「幸せになるには、他人に好かれるような人に なるのが近道だ」という平凡な結論が出た。  「お金より大事なもの」に どうやって気づくか お金の呪縛から逃れる鍵はどこ?  2023年のある囗、『トウシル』(楽天証券 の投資情報ウェブサイト)の編集部に筆者宛の Q&Aの質問を募集して貰った。この種の質問 に対する回答は、たいていの場合質問文を手掛 かりに文章を書き始めると何とかなるのだが、 時に、質問の重要性は分かるのに、答えが全く 分からなくて考え込むような「超重量級の質 問」が来る場合がある。  今回取り上げる質問は、その種のものだ。し かも、質問者がさるメディアの編集責任者を務 める知り合いなので、スルーする訳にもいかな い。  「世の中には、お金よりも大事なものがあるの は明らかだが、具体的にどうやったらそれに気 づくことができるのだ?」というのが質問の大 意だ。以下の質問文を読んでみて欲しいが、回 答の逃げ道を予め塞ぐような訊き方だ。  難問である。しかし、答えられないのは悔し い。筆者は、考え込んだ。 【質問】  お金はないより、あったほうがいい。でも、 もっと大事なものがあるのも分かっている。分 かっているが、そこに重きを置けていない。  日々は圧倒的に押し寄せて、そのことを考え ることを避けさせる。そして、手段と目的の混 同に右往左往する。どう立ち止まり、やり直す か。  ここがお金の呪縛から逃れるための、本当の 意味での鍵であるような気がする。健康やライ フイベントの変化だけが、見直しのきっかけで は、後悔しそうだ。強制的に、ターニングする 方法はないものか。  一連の山崎さんの発信を見て、「自分の仕事 とはなんぞや」と思うことが増えました。金融 に特化した編集者、メディアの作り手ではある ものの、なんのための「金」の情報なのか。目 的と手段を混同させているのは、自分たちだっ たりするのではないか?と思ったりもします。 三つの「厄介な性質」  お金は大切だ。誰も異論はない。お金よりも、 あるいは少なくともお金と同等以上に大切なも のがある。これも、頭では分かる。しかし、お 金が先に意識にある時に、お金よりも大切なも のに気づくことは容易ではない。  それは、お金には、複数の「厄介な性質」が あるからだ。「お金の呪縛」に立ち向かうには、 先ず、この点に向き合うことが大事だろう。  (1)比較尺度としての貨幣  お金、少し気取つていうと貨幣の機能の一つ として「価値の尺度」が一般によく挙げられる。 先ず、この機能があまりに広範囲に応用可能で、 且つ強力過ぎる。  物でも、サービスでも、不動産でも、親切で も、時間でも、たいていのものは、お金に換算 して価値を比較することができる。そして、こ の比較は、ついには、人間と人間の比較にも当 てはめることさえできる。例えば、人は、自分 の年収を他人の年収と比較する時にどきどきす る。年収の多い人ほど、他人にたくさん貢献し ているのだという価値判断が一応は可能だ。 「君のお父さんは、ウチのお父さんよりも年収 が低いから、社会への貢献は小さいね」と言う ませた小学生がいた時に、この子の同級生は的 確に反論できるだろうか。同級生だけでなく、 子供たちの先生は、適切な説明ができるだろう か。「ませた子供」に言い負かされる先生かい るのではないかと心配だ。  ビジネスパーソンにとっても、価値の比較尺 度としての貨幣は、各種の意思決定を合理的に 行う上で便利な概念であリツールでもある。  貨幣は、価値観を包摂してしまう。これに抵 抗するには、強い「きっかけ」が必要だ。  (2)「貨幣の物神性」  貨幣は、これを持っていると、(ほぼ)何で も買える、ある種の神のごとき特殊な商品だ。 一方、労働力は、労働者が自分の労働力を買っ て貰えなければ、何も手に入れることができな い性質の商品である。労働者は貨幣に執着する ようになり、労働力を安く売ってでもこれを手 に入れようとする。  かつて、カールーマルクスが「貨幣の物神 性」(「資本論」の訳によっては「貨幣へのフェ ティシズム」と訳すものもあるようだ)と呼ん だ、商品としての貨幣の特別な性質だ。  貨幣を持だないと安心できないし、いくら 持っていたら安心だという基準もない。貨幣へ の欲望には際限がない。アンパンはお腹が一杯 になって明日、明後日くらいの分か十分あれば もう要らないが、お金は際限なくいくらでも欲 しいし、足りないと思うと何を措いても心配だ。 (3)貨幣愛が生む需要不足  貨幣愛は、マクロ経済的な問題を引き起こす ことさえある。人は、将来が不安になると貨幣 をより多く保有したいと思うようになる。そし て、不況になると、不安が増すから、ますます 貨幣保有への需要は高まる。  すると、本来なら商品への需要として経済を 循環するはずだった需要が貨幣として抱え込ま れる分だけ、一層の需要不足を生んで、景気の 悪化がさらに進むことになる。  日銀は金融緩和しているつもりなのに(「黒 田以前」には、実際には足りていなかったのだ が)、お金が預金に滞留して、これが日銀の当 座預金に積み上かつて市中に出回らない現象が、 デフレ時代のわが国には起きた。  このように、お金=貨幣は、時に不必要なま でに強力であり、いったん意識に上ると、ここ から脱した価値観を持つことが難しい。 気づくスイッチは「これ」だけ  では、意識を切り替えるブレークスルーはな いのか。考えること、しばし、自分でも驚いた ことに一般的な手段があった。  以下、質問に対する回答のモードで答えるこ とにする。 【回答】  ご質問は、難問でした。しかし、熟慮の結果 正解に辿り着いたと思っています。  「お金よりも大切なもの」に気づく手段、それ は、「怒り」でした。自分でも少々驚いたので すが、これ以外に答えがありません。  以下、どういうことかご説明しましよう。  お金の損得はいったん意識に上ると、そこを 離れることが難しいし、行動に当たって意思決 定する時に直ちにその価値観が起動される厄介 な性質を持っています。  これを払拭できるのは、ふつふつと湧き上が る「怒り」の感情だけです。切り替えのスイッ チには、これを使うしかない。  「こんなことが許されてたまるか」、「私のこと を何だと思っているんだ」、「俺のことを舐める なよ」、「やっていられない!」といった、時に は野卑な生の感情です。  「怒り」が「損得」を上回った時に、人は、損 得を離れて、損得以上に大切なものに目を向け ることができます。  筆者の個人的な過去に目を向けると、筆者が 最も自分の経済・金銭的な損得に反するにもか かわらず、リスクを取って「もっと大事なも の」に賭けたのは、住友信託銀行に勤めていた 30代のはじめに、会社及び信託銀行業界の、主 にファンドトラストによる顧客間の利益の大規 模な付け替えを、世間に向かって内部告発した 時でしょう。  当時の職場を自分では大変気に入っていたし、 会社も私か内部告発していることが何れ分かる のだから、生活をリスクに哂す行動でもありま した。しかし、許せなかった。  最初は、業界誌に匿名のコラムを書いて警鐘 を鳴らして、「これで止まってくれるといいな あ」と思っだのですが、そうはならなかった。  その後、自分で考えました。これは、喧嘩だ とすると、どちらが正しい?  結論は、自分か正しい。だから、可能なギリ ギリまで自分は降りてはいけないと思いました。  最終的には、当時の社会党の議員さんに国会 で質問させるところまで持っていっだのですが、 当時の大蔵省銀行局長と自民党の有力政治家 (故金丸信さんと聞いています)の間で、いわ ば金庫番とも言うべき信託銀行が、顧客の利益 を大規模に付け替える泥棒のような行為をして いたというのでは、問題が大き過ぎると判断し て握りつぶすことにしたのだと、後からジャー ナリストの友達に聞きました。  残念ながら、当時の筆者には、その先に、自 分の名前を出して告発するところまではできま せんでした。金融業界ではもう食っていけなく なると思ったし、宗族の生活を抱えていたから です。これが、当時の私の力量的な限界でした。  告発は、結果的に不発でした。気に入ってい た職場を捨てて、外資系の運用会社に転職しま した。  顧客の勘定どうしの利益の付け替えは、誤魔 化しであると同時に、もちろん正義に反する。 そう思いましたし、住友信託の後輩たちにぜひ 言っておきたいのは、「こんなことが、続けら れるはずがない」との会社の将来を思う気持ち もありました。そして、その後の事実の推移を 見ると、この判断は間違っていなかった。信託 銀行各社は顧客と利回り保証の履行を巡って水 面下で大いに揉めることになりました。  一連の経緯を振り返ると、私かあたかも強い 正義感の持ち主であったかのようですが、残念 ながら、それは事実と異なります。 人はなぜ時に「損なこと」を選ぶか?  私の告発のモチベーションは、ファンドマ ネージャーとしての「職業人として」、自分は 利回り保証、パフォーマンスの誤魔化し、顧客 の利益の盗み出しを許すことができなかったと いうことなのでした。  敢えて分類すると、「俺を舐めるなよ」とい う個人的な怒りが告発の根底にありました。  住友信託銀行は、私にとって、4社目の勤務 先でした。その職場で、私は生え抜きの住友信 託マンではない。どうしても「外様」的な立ち 位置になります。  最終的に、12回転職を重ねて、3メガグルー プでいうと、三菱、住友、みずほの3グループ 全ての会社に勤めることになりましたが、自分 のアイデンティティを勤め先の会社に持つこと はできませんでした。  自分は、「ファンドマネージャーとして」、職 業人としてプライドを持っているのだという理 解が、自分の心の支えだったのです。従って、 個人的な「プライド」がこの行動のきっかけで した。  一個人のプライドがきっかけではありました が、「お金よりも大事なこと」に気づくきっか けにはなったと思います。  このケース以外にも、大小の「自分には損な こと」を何度か選んだ記憶がある人生でしたが、 何れも、きっかけは「怒り」です。「怒り」が、 損得を忘れさせて、考えをリセットするスイッ チになりました。  人間に怒りという感情があるのはこのためな のだ、というような独自の進化論を唱えようと までは思いませんし、品のいい感情だとも思わ ないのですが、「怒り」が唯一のきっかけであ り手段でした。  この答えには、自分でも少々驚いています。 怒りを「信用・共感・プライド」に変 換せよ  さて、「怒り」は多分唯一有効なリセットス イッチなのですが、このスイッチには、取り扱 い上の重要な注意事項があります。  それは、いつまでも「怒り」を理由のままに して置いてはいけないということです。なぜか。  そもそも、怒っているという状態が精神的に 貧しくて残念だ、ということの外に、現実的な 理由があります。端的に言って、怒っている状 態は、自分の精神のコントロールを失っている 状態なので、判断を間違えやすい。「怒り」の 状態そのままで、物事を判断するのは危険です。  「怒り」は、そのままにしておくのではなくて、 もっと安定しうる妥当な判断の理由に変換する 必要があります。具体的には、「信用」や「共 感」、ぎりぎり許せる理由として「プライド」 辺りまで変換しておかないと、安心できないし、 真の正解に辿り着いたとは言えないでしょう。  大げさな喩えで恐縮ですが、「怒り」は伝わ りやすいので、怒りで革命をすることはできる。 しかし、「怒り」だけで、革命後の国を治める ことはできないのです。自分の「信用」こそが 大切なのだと思う国民が必要だし、国民同士が 「共感」できるような社会が必要です。  因みに、近年のツイッターは、この「怒り」 だけをぶつけ合って罵り合うような、殺伐とし た空間になってしまったように思います。今や、 「X」は告知と最低限の連絡ぐらいにしか使う 気の起きない場になりました。イーロンーマス ク氏に何とかして貰いたいところですが、いか にも心許ないなあ。  お金の損得よりも大事なものに気づくスイッ チは「怒り」です。しかし、「怒り」はそのま まにしておいてはいけない。何らかの妥当な理 由に変換する必要がある、ということを私の答 えにしたいと思います。  だから、我々は、怒りに対する感度を高く保 つ必要があります。必要な時には「正しく怒 る!」用意がなければなりません。鈍感は、美 徳ではありません。  しかし、いつまでも怒っていてはいけない。  こう心掛けることで、例えば、お金で考えた 損得としては損であっても、白分か持っている 「信用」の方が大切だ、といったことに気づく ことができるようになるのではないでしょうか。  これが、今回の難問に対する、私の回答です。 【最終章】 癌の記・裏日記 2023年12月25日(月)  さて、客観的に「持ち時間」を予想し、これ に対応して、一方で「希望」も捨てないことが、 共に重要だということが、もともとの筆者の主 張であった。  この考え方は、幸福の追求がぎりぎりまでで きること、と「人生の通算成績」は死後に持っ ていくことはできないということの二つの強力 な事実によって支えられている。  とは言え、「予想」される持ち時間が、急に 短縮されてしまった場合にこれにどう向き合う かは精神的にも(Iドな作業だ。  筆者は、先ず2023年の3月に再発が分 かった時に余命平均ベースで半年、悪いケース で3ヵ月の「持ち時間」を覚悟した。その後、 H月から12月にかけて急速に体調が悪化した時 に、平均で2ヵ月、最悪で1ヵ月と意識した。 このような場合、何をするかの選択は、最悪の ケースの方を意識して行うべきものだろう。  2年、3ヵ月!、1ヵ月日。原理は同じはず なのだが、1ヵ月ともなると、向こう側からも 時間がこちらに迫ってくる感じがする。  しかし、このような時こそ、原理に立ち返る べきだ。  最期の囗のぎりぎりまで幸福は追求できる。 一方、他人はその人を過去の業績その他で評価 しようとするかも知れない。実は、このズレを 上手く利用することが良い人生を送るコツにな るのではないか。「本人」にとって、他人から の評価は「サンタコスト」に過ぎないからだ。  いくら努力しても過去の蓄積を「本人」は将 来に持ち込むことができない。  過去は「他人」のもの、最期の一日は「本 人」のものだ。お互いに機嫌良く過ごす上で邪 魔になるものは何もない。  上機嫌なら全て良し、と思うがいかがだろう か。 2023年12月26日(火)  治療にあたって見落としがちだが、重要なこ とが2点ある。  先ず、治療における患者の自己決定権だ。医 療者側と患者側の情報の非対称性に加え、患者 としては治療を「与えて貰う側」になることで、 医療者が言うことは聞かねばならないし、提案 は受け入れなければならない気分になる。しか し、思っているよりも患者の意思の効力は大き い。  実際に、私は再発が発覚したあと、化学療法 Iクール目の入院中に、自ら申し出て退院した。 バイタルチェツクや食事・回診など、朝から断 続的に時間を拘束されるのは、元来極度の夜型 である筆者には苦痛であった。このまま入院し ていては、かえって体調が悪くなると直感して 退院し、2クール目以降の化学療法は斷ること に成功した。その後も、治療方法の変更・入院 を提案されたが、先送りしたり、斷ったりした こともあった。治療は自分で選べる、と認識し ておくことは、機嫌良く治療を進める上で有用 なことのように思う。  次に、病院のコンプライアンスだ。徹底的に 訴訟リスクを避けるために、治療だけではなく 検査に至るまで、あらゆるルールがあり同意書 が求められる。実は、訴訟を避けるために張り 巡らされた病院のコンプライアンスを反映して、 医師は患者の自己決定権に従っているのだ。  この傾向は、特に大病院において顕著であろ う。病院には、投資の場合と全く同じような、 自己決定と結果を引き受ける自己責任の原則が 働いている。  稲盛和夫氏は部下に宛てた手紙の冒頭に、以 下のように記した。「明るい人が成功する。人 の長所を認める人が明るい」  この言葉を手紙の冒頭に持ってくるのは、人 間が分かっているな、と感心した。仮にこのエ ピソードを誰かに話したとすると、私は楽しい し、それで感心されると嬉しい。感心されると、 その発見がちょっと自慢で嬉しい。  正しくて、面白いことを、できるだけ沢山の 人に伝えたい。伝えることで、私は感心された い。  一方、私か伝えた知識があとでどう活用され るか、それは私の与り知らぬことである。人生 の構造はそのようになっている。 2023年12月一″日(水)  医者には得意がある。主治医が外科医であっ たので、放射線治療ではなく、外科手術を選ぼ うとした時に、大いに喜んでいた。また、放射 線科の医師は、咽頭を診ることが専門であった ので、頸部の転移に放射線を当てるか、当てな いか微妙な判断であった際、「じやあ治療して おきましようか」と言った時に、大いに目が輝 いた。  また、診療科によって、医師の性格も異なる のかも知れない。外科医は攻めの治療を選択し たがるし、腫瘍内科の医者は多彩な知識を披歴 するように診療をする。腫瘍内科は話題が多く お喋りが好きで、多弁になる傾向がある気がす る。私は明らかに腫瘍内科タイプだろう。  特にオキノーム(オピオイド系の頓服の痛み 止め)を飲むと、頭の中で架空のやり取りをし ていて、それに思い悩むことがある。実際のや り取りを見ると、何もしていないことがあるの で、それには十分に注意して欲しい。 2023年12月28日(木)  最後の最後に人生のコツをもう一つ付け加え るなら、「愛嬌」ではないか。愛嬌のある人は、 色々な面で得をする。経済評論家でもそうだし、 生活でもそうだ。  愛嬌のある人になるために大切なのは、なん と言っても威張らないことだ。自分のことを笑 う心の余裕、これが愛嬌の必要条件だ。あとは、 人生全体を通じて身につけるしかないのかな。  愛嬌のある人は羨ましい。 2023年12月29日(金)  札幌の介護施設にいた母親が、なんと、D一月 25囗に急死した。原因は事故なのかもしれない し、インフルエンザの薬の副作用なのかも知れ ない。経緯には全く納得できないし、もちろん 悲しいのだが、今の私にはどうすることもでき ない。  ただ、唯一ポジティブな側面は、親子の死の 逆順が回避されたということだ。結果的に、母 親から息子へのプレゼントになっている、とだ け考えることにする。  今この時点になっても、人生最後の囗の最終 原理を活用することで、物事は全てうまくいく ように思っている。  お伝えすることができて、大変満足な気持ち だ。  最終原理とは要するに本人の側で、最後まで 楽しんで、幸福を追求することができて、一方、 過去の通算成績は持っていくことができないし、 責任を負うこともできない。  他人はあなたを過去で評価するかも知れない が、それに対しては影響を与えることもできな いし、もう働きかけることができない。  この境目を最大限に都合よく活用すること。 あとがき    本稿の執筆時(2023年6月)   は体調が良かったり、悪かったりす   る波はあるものの、ある程度活動で   きているし、気持ちの割り切りもで   きている。    理由の一つは、これまで本を何冊 も書いてきて、すでにいくらかは残 したものがあるという満足感がある こと。  もう一つは、息子が健康で、 2023年春に大学に入っだことで ある。身長は自分より高く、頭も良 さそうだ。将棋も私より強くなった。 何よりも、性格が父親よりも随分い い。自分よりもベターな個体に引き 継いだという生物学的な満足感があ る。  取りあえずご兀本”は確保した Iそんな安心感を少なからず持っ ている。  最初に癌治療を始めた時は、治す ぞという意識だったが、今は悪化し ない時期をどう作るかという意識に 変わっている。  そう考えると、癌という病気では、 自分の時間や制約が見えて、「この 制約の下に、あなたの目的を最大化 しなさい」というのがはっきり見え てくる。  だから、癌は付き合いにくい病気 ではない。  昨日食べられなかったご飯が今日 はこれだけ食べられたとか、今日は 高熱にならなかったとか、大谷翔平 選手がホームランを打ったとか、そ ういう日々の幸せもある。  毎日が悲観的な気分なわけではな く、むしろ張り合いのある日々なの だ。  その理由は、制約の中で最適解を 探すというようなゲームをしている からだと思う。人生の先が漠然とし たオープンエンドな状態だと、毎日 の価値を見いだすことは意外に難し い。  「持ち時間に対して行動を最適化す べく計画を立てる」という考え方は、 癌があってもなくても変わらないの だが、癌の状況を前提とすると「持 ち時間」をより具体的に考えやすい。  もちろん、可能性として癌以外の 死因も考え得るのだが、癌によって 「持ち時間」の使い方を意識すると、 何をしたらいいかの見通しが案外立 てやすい。  膵臓癌で亡くなったスティーブー ジョブズが「もし今日が最後の日だ としても、今からやろうとしていた ことをするだろうか」と語った有名 な講演がある。  もちろん、「今日が最後の日」だ とは思わなくてもいい。しかし、 「今日が何日しか残されない時の一 日だと思って、今日を大切にしよ う」と考えることはどんな人でも想 像しやすい。  癌になって、残りの人生が有限な 時間であることを意識しながら生き るというのは、そう悪いことではな いように思う。