バリュープロポジションのつくり方_前田俊幸_安達淳      はじめに 顧客への価値提供の秘訣と は  おおよそ仕事とよばれるもの の中で、“顧客”のいない仕事 はおそらくないでしょうOプロ ダクト・サービスのユーザーと しての顧客はもちろん、営業先 のお客さんなどさまざまですO また、期待に応えたい相手とい う意味では、職場の上司や自分 の部下もある種の顧客かもしれ ませんOそして、私たちはその 顧客に対して「価値」とよばれ るものを提供しているわけですO  一体どうすれば、顧客にうま く価値を提供することができる のでしょうかOその秘訣の一つ は顧客の状況を知ることにある と本書では考えていますOそれ は、顧客の価値の知覚は顧客の おかれた状況に依存するからと いうのが理由ですO早速ではあ りますが、こちらが本書の一番 のメッセージであり、みなさん にお伝えしたいことの根幹とな りますO  本書において、顧客の価値と はベネフィット(便益)を指し ています廴顧客にとっての価 値は、顧客がある特定の状況に おいて何かをしようとする際、 何らかの不都合やよりよくでき る余地があった場合、そこに企 業のプロダクト・サービスがう まくフィットすることで、顧客 に価値が知覚されます(第1章、 第2章)O  価値があると知覚されると、 顧客はそのプロダクト・サービ スを生活に取り入れて、状況が 改善されることにつながりますO 顧客視点を中心におきながら、 提供したい体験のイメージを端 的に表明したものを「バ リュー・プロポジション(価値 提案)」とよびます(第3章)。バ リュー・プロポジションを明ら かにするためには、図1のよう に顧客の困難な状況が何かを理 解し、よりよい状況へのシフト を助けるプロダクト・サービス をデザインする必要があります (第4章)。  顧客の置かれた「状況」とい う目線で対象をとらえた場合、 事業者がデザインしようとする のは、顧客の環境(またはその一 部)といえるかもしれません。 そして、実はバリュー・プロポ ジションを定義することは、顧 客向けという以上に、提供側の チームの理解・認識をそろえる ことにも有効です(第5章)。 状況を見るということ  近年米国で大ヒットした Liquid Death という“お水”が あります(図2)。Liquid Death は、中身はただの水ですが、コ ンビニのエナジードリンクコー ナーにあるようないかついメタ ルなパッケージの「イケてるプ レミアムな水」として、創業3 年目で約190億円を売上げ、 2024年には上場も期待されて いる新興企業ですo ■図2 Liquid Death の商品パッヶ− ジ  皿    Liquid Death 創業者でCEO のマイク・セサリオ氏はインタ ビューで次のように語っていま すo「現代の若者は、かつてな いほど健康に気を遣っているo パンクロッカーやスケートボー ダーでさえもだo(中略)彼らは アルコールをあまり飲まなくな り、めちゃくちゃになることも 少なくなったoしかし、彼らは まだ爆発やエクストリームス ポーツやヘビーミュージックや ビデオゲームでソンビの頭を吹 き飛ばすのが好きなんだ」乙こ うしたインサイトから、Liquid Deathの独特のビジュアルが生 まれていますo  セサリオ氏の語るビジョンも 面白く、「通常健康的な決断を しない人たちが、どうやってブ ランド起点で健康的なブランド に参加したいと思うようになる のか、そしてそれを自分の1囗 に取り入れるようになるのか」 に関心があると発言していますo  たとえば普段から何本もエナ ジードリンクを常飲するような 人たちが、エナジードリンクを 2本買おうとしたときに1本は Liquid Death を選択するような、 そんな状況づくりを模索してい るようですo  実はメタルやパンクなコミュ ニティには、比較的多くのビー ガンがいるそうですoメタルや パンクコミュニティはエクスト リーム(極端)を求めています が、同じようにビーガンである こともよくよく考えたら一般的 にはある意味エクストリームで あり、そこには極端さという共 通した嗜好性がありそうですO 結果として、メタルやパンクコ ミュニティの中で健康志向の文 化が浸透し始めるという面白い 現象が起きているようですO  メタルでワイルドなパッケー ジながらも決してチーフではな い中身のおかげで、エクスト リームな世界観のなかでも合理 的なよい選択ができる(しかもそ の選択もエクストリームに見える)、 そんな選択の橋渡しに成功して いる非常にクリエイティブな ケースではないでしょうかo  このような現代的なLiquid Deathの事例を見るにつけ、本 書でこれから解説していく顧客 の状況という視点を意識すると、 いいことが3つあると考えてい ますo @顧客に対する価値の解像度を高 めることができる  上記の記述だけで、人がなぜ Liquid Death を選択するのか、 みなさんは納得できたでしょう かO人の行動や判断は多分に状 況に依存しますO顧客のおかれ た状況を深く理解することで、 「大はなぜその選択するのか」 について納得しやすくなりますO  たとえばこんな状況を想像し てみましょうO金曜日の深夜 12時に大音量の音楽が流れる クラブにみんなで流れ着いたと しましょうOみんなが強いお酒 で乾杯しようとバーカウンター で注文しあっていますが、あな たはあまりお酒が得意ではあり ませんOみんなと盛り上がりだ い気持ちは強いので、場が冷め るような注文をしたくないと思 いつつも、やはりアルコールは 避けたいと思っていますo  そのとき、Liquid Death のよ うなケミカルで危なそうに見え つつも、中身は水、それも ちょっとプレミアムな水があっ たらどうでしょうかoせっかく 深夜のクラブで非日常的な紐験 を求めてきているので、普段の ベットボトルの水よりも、 Liquid Death のようなパッケー ジのほうが気分には合いますし、 特別感があり、一緒に来ている 仲間とも話題にできてきっと盛 り上がることでしょうO  このように顧客の状況を想像 することで、アルコールは飲み たくはないが場の雰囲気は壊し たくない、一方で自分ちテン ションを上げたいし、周りから ノリが悪いと思われたくないと いった若者の心の声が聞こえて くるようになり、顧客がとらえ ている価値の解像度が格段に高 まりますOこれがバリュー・プ ロポジションを考えるうえで大 いに役立ちますo A因果関係からニーズを予測する ことができる  顧客の状況をつぶさにとらえ ることで、顧客の選択や行動の 因果関係が見えてきますo次に どのような行動にうつるのか、 どんなニーズがありそうかの予 測につなかっていきますo Liquid Death を購入する若い世 代の状況に即し、エクストリー ムな世界観を楽しめるファッ ションやジョークアイテムの販 売、SNSを活用したパンクな コミュニケーション(たとえば顧 客からの苦情メづレをInstagramに掲載 しながら販促する)など、エクス トリームな瞬間を楽しめる状況 を多様につくっていますo  状況をとらえることで対象顧 客の行動の背景を理解でき、ど んなプロダクト・サービスを提 供すればよさそうかの打ち手が 考えやすくなりますo B顧客の置かれた状況変化に敏感 になる  顧客のニーズはおかれた状況 に応じて変化しますo Liquid Deathが対象としている米国の 消費者の状況やそれに伴う心理 や行動は、当然ながら今後も変 化していきます(企業はその変化 を引き起こしている当事者でもありま す)。みなさんがビジネスで対 象としている顧客の状況も刻一 刻と変化しているため、いまの バリュー・プロポジションも一 度決めたら、それでおしまいと いうわけにはいきませんo  顧客の状況をつねに変化する ものとしてとらえたとき、プロ ダクト・サービスをあつかう事 業者はつねにその変化への感度 が上がるようになりますO イノベーションと状況  本書は、顧客の状況というコ ンセプトを知っていただき、バ リュー・プロポジションやビジ ネスに役立てていただくことが 目的ですO筆者らの顧客体験に 関するコンサルティング紐験を もとにしながらも、理論的に理 解するうえでは故クレイトン・ クリステンセン氏の一連の理論 に深く共鳴し影響を受けていま すO  クリステンセン氏は破壊的イ ノベーション理論を提唱し、著 書『イノベーターのジレンマ』 (翔泳社、2000)で世界的に有名な 経営学者ですO しかも、イノ ベーション理論の大家であると 同時に、顧客のとらえ方につい ても新しい見方を探求した方と いえますO  続く『イノベーションへの 解』(マイヶル・ライナーとの共著、 翔泳社.2003)と『ジョブ理論』 (タデイ・ホール他との共著、ハーバー コリンズ・ジャパン、2017)の2冊 は、本書でも随所に出てくる 「状況」という見方をビジネス の文脈に位置づけた初めての本 のように思えますO  イノベーションというと、新 しい技術シースの活用や斬新な アイディアを生み出すこと、そ の応用が気になるかもしれませ んが、クリステンセン氏は顧客 ニーズのとらえ方を進化させる ことで、イノベーションのヒン トが得られると考えました(と くに「無消費層」という概念に顕著で す。詳しくは各書籍をご覧ください)。  彼の共著書『ジョブ理論』の 中で、顧客の求めるものをあら たに表現した「ジョブ」という 概念を提唱していますo  顧客のジョブ=“ある特定の  状況(Circumstance)で、人が  成し遂げようとする進歩  (Progress)"  たとえば、人はリモートワー クで作業環境をよくするために 大きなモニターを取り入れたり、 リモート会議用にマイクやス ピーカーを取り入れたり、さら には気分転換や健康のために昇 降デスクに変えたりしますが、 その動機は意外と複雑なもので すo  あるビジネスパーソンがリ モート会議で使うマイクにまつ わる困りごとを解消したいと 思ったとしましょうO というの も、これまでラップトップのマ イクを使っていたところ、同僚 から自分のキーボードの打鍵音 をマイクが拾っていてうるさ かったと伝えられて焦ったから ですOキーボードから距離をお いて使える外付けのマイクを買 おうとしましたが、ミーティン グ中にもよくコーヒーをいれた くなるので、移動しながらマイ クをもち運んで話せるようにと、 有線ではなく無線にしましたO  実際に使ってみたところ、マ イクのボタンを押すことで音声 入力を直接オンオフできること に気づきましたoそれによって、 リモート会議ツール(Google meet やZoomなど)上でマイクをオフ にしなくても、マイク側で入力 をオフにすれば、ツール上では あたかもマイクオンの状態が維 持されて、「マイクオフにして ると少し感じ悪いかな」という 罪悪感もなく、コーヒーを遠慮 なくすすることができると気づ きましたo  次回も、必ずマイク側でオ ン・オフができるものを買いた いと思っていますーなどと、 この人の電話会議のマイクに対 するニーズは、音声品質などの 機能だけでなく、対話相手への 気遣いや、はたまた自分の好き なコーヒー事情もはらむ、複雑 な状況が背景にあることがわか りますO  このような彼の「特定の状 況」を知ったとして、みなさん なら彼のマイク事情を今後どの ように「進歩」させられると思 うでしょうかOジョブ理論はこ のようなことを問いかけるもの ですO  筆者らは長らくUX(ユーザー エクスペリェンス)や顧客リサー チを専門としてきましたO実は その中で重視してきたコンセプ トが「顧客の状況」ですO人は 置かれた状況に応じて、行動の 仕方やものごとの感じ方が変わ りますO逆に、状況が同じであ れば人は大体同じように感じ、 同じように行動する、そのよう な事態を何百回と目の当たりに してきましたO  そういった顧客の状況のビジ ネス的な意味について、理論的 な端緒をつけてくれたクリステ ンセン氏のジョブ理論との出会 いが、本書を書いた動機でもあ りますO  顧客の状況に注目するという 見方は、非常にシンプルで実務 的でありながら奥深いコンセプ トですOこの「状況」という視 点や考え方によって、みなさん の顧客への価値提供(バリュー・ プロポジション)に関する見通し がよりよくなるよう、本書を通 じて貢献したいと願っておりま す。 1 一般的には、バリュー(価値)= ベネフィット(便益)−コスト(価格 など)とすべきところですが、本書で はコストやプライシングについては焦 点をあてていないため、わかりやすく 顧客のバリュー(価値)=ベネフィッ トとしています。 2 VICE January 29, 2019 Canned Water Company 'Liquid Death' Wants to Make Drinking Water More       more-metal   状況のアップ     アート よりよい状況への進歩とし ての事業づくり  みなさんが担当されているで あろう新規事業開発や既存事業 の運営、マーケティングやセー ルスなどのあらゆる業務は、直 接的にせよ間接的にせよ必ず何 らか顧客の価値にかかわるもの で、事業を形づくるものの一部 ですO事業とは、もとをたどる と、「自身の原体験からくる困 りごとを解決したい」「こんな ものがあったら面白いのではな いか」、そういった強い思いや アイディアをもっだ事業者たち の意志に端を発して実装され、 具体的に誰かの課題を解決しな がら、顧客の状況をよりよくし ていくものだととらえることが できます(図序-1)O  そして、その状況の中には必 ず「顧客」がいますOみなさん のプロダクトやサービスを知っ て気に入り、それを自分の生活 に取り入れたいと思って期待し、 お金を払って手に入れ、実際に 使ってみて体験し(場合によって はやめてしまい)、それを使う生活 が定着した結果、以前それなし ではどんな風に暮らしていたか 思い出せないぐらい当たり前の ものとしてなじんでいきますO  みなさんの部屋の中(またはス マートフォンのアプリ)もそういっ たモノであふれていると思いま すOたとえば電子レンジに冷蔵 庫、お掃除ロボットや自動調理 鍋、空気清浄機などO業務に使 うものであれば、リモートワー ク用のワイヤレスイヤフォンや スピーカーフォン、そして WordやExcelはもちろん、 SlackやTeams、Google Drive などのオンラインファイルスト レージ、近年ではChatGPTな どなどo使い始めた頃や購入し たばかりの頃は、しばらくその 便利さに感動して熱中したモノ たちですo  ですが、いったん慣れてしま うと、そのプロダクトやサービ スの存在が当たり前に見えてき て、もともと感じていた「価 値」も忘れてしまうと思いますO もちろん、数回しか使わないた めにその一回一回が印象に残る サービス(冠婚葬祭など)もたく さんありますOただ結果として、 みなさんの事業が生んだプロダ クトやサービスのおかげで、顧 客や社会の状況が以前から別の よい状況にシフトしたといえま すO  そうとらえると、事業とは 「顧客の状況を進歩させるため のもの」といえるでしょうO  状況は必ずしも  デザインできな      い 事後創発的な価値づくり  新しいプロダクトやコンセプ 卜の登場で、状況が一変するこ とがありますo Apple社によっ て、人々の手のひらからイン ターネットにつながる魔法のよ うなデバイス(しかもグラウトの超 巨大な計算リソースに支えられていま す)であるiPhoneが、ある日世 界の多くの人に届きましたoそ れによって誰もが写真や動画を 共有しはじめ、付随するメディ アが生まれ、“インフルエン サー”が誕生し、そのインフル エンサーが自らブランドを立ち 上げて商品を販売し……と、い までもさまざまな新しい「状 況」が日々生まれ続けていますO 私たちは、そういった荒々しい 状況変化の連鎖の中に機会を見 出して、ビジネスをしているよ うに思えますO  企業が対峙する顧客の状況は、 つねにこういった変化にさらさ れており、いつその状況が変 わってしまうかもわかりませんO 短期的には顧客のいまの状況を 改善できたとしても、経営者が イメージする「よりよい状況」 を思い通り実現できるかという と、必ずしもそうはいきませんO  顧客や社会は日々毎秒、ミク ロにマクロにいろいろな無数の 刺激や変化の影響を受けていま すOむしろ、柔よく剛を制すか たちで、顧客の状況変化に寄り 添いながら、当初のゴールイ メージを変化させていくことが 正攻法となるでしょうOむしろ、 当初想像していなかった新しい 状況にこまめに気づくかたちで、 新しい機会が見えてくる、と いった方がいいかもしれませんO そのためにも、顧客にとって何 が価値なのかを見続ける必要が ありますO  顧客にとっての価値を見続け ることの重要性がわかる例とし て、日本が誇る建機メーカーで あるコマツが開発した KOMTRAX(コムトラックス)が 挙げられますO KOMTRAXは、 建設現場においてフォークリフ トやブルドーザーの稼働状況を 全世界規模で把握できるシステ ムですO建機と情報技術を融合 させて、現場の土木工事現場の プランニング精度を圧倒的に向 上させ、「スマートコンストラ クション」とよぶ現場の生産性 の革命を起こしていますO  KOMTRAXは当初、GPS搭 載による建機の盗難防止や保守 管理のしやすさを考えて企画さ れたシステムでしたO当時流行 たった「たまごっち」上のデジ タルキャラクターが自分の「お 気持ち」(お腹すいたなど)を発し ていることがインスピレーショ ンになり、建機も「自分はここ にいる」「燃料が残り少ない」 と自らいってくれればいいのに と考えたそうです廴  また当時、盗難された油圧 ショベルでATMの現金強奪事 件なども起きていたため、盗難 対策としてGPSが必要になる 社会的な状況もありましたOコ マツの建機を何十台もレンタル している企業からしてみると、 こういった機能は非常に助かる わけですO  KOMTRAXはいまや進化を 遂げて、土木工事のオートメー ションを支えるプラットフォー ムになっていますO工事前にド ローンを飛ばして現場を計測し、 データをもとに工事のプランニ ングが行われ、建機が無人かつ 自動で工事を進めるシステムに まで発展していますO しかも、 現場の建機は必ずしもコマツの ものだけでないため、他社にも データをAPI提供して仲間に なってもらうことで、工事現場 全体の自動化・生産性向上を実 現していますO建機という点で は競合他社をサポートすること になるため、社内の論理矛盾が 起きないよう別会社をつくって 推進がなされていますO  このKOMTRAXを分析した 一橋大学の藤川佳則氏らによる リサーチによると、このような 展開は当初から計画されていた ものではなく、「企業と顧客が 事後創発的に価値の中身を構築 していった」(藤川03)、そのよ うなとてもダイナミックな過程 の中で生まれました(図序-2)O  要するに、やっていたら後か ら気づいて発想が生まれた(つ まり事後創発)ということです。 顧客に提供したシステムが顧客 の状況を変え、そこから新たな 顧客の行動やニーズが生まれ、 企業は再びその状況を見て新し いシステムを企画して提供す る……。そのような「状況変化 から生まれた機会」と「価値提 供」の連鎖から、あとづけ的に 「よりよい状況」が生まれてい く。  もちろん、すべてボトムアッ プで起きたことをあとづけする というわけでもなく「きっとこ うなっていくのではないか」と 大きな仮説を念頭におきながら、 「ああ、意外とこっちだったか」 というような感覚かもしれませ んO  バリュー・プロ  ポジションが規   定するもの 価値は顧客が認識する  事業とは顧客の状況をよりよ くアップデートするものであり、 短期的には意図した通りの状況 改善はできるものの、その後の ことは予測が難しく、顧客との インタラクションの中で新しい 機会に気づき、当初とは異なる 発展を遂げていく、というよう なことを述べましたO  しかし、何か新しいアイディ アをプロダクト・サービスにし てリリースすれば顧客が勝手に バイ・イン(賛同)してくれ、 想定したような状況変化が意図 通りすんなりと起こるかという と、そうではありませんO当然、 そこには何らか顧客が欲しくな るようなバリュー=価値が必要 ですO価値がなければ、顧客は 生活やビジネスに取り入れたい とは思いませんO顧客にとって の価値を特定する必要がありま すO  第1章で後述しますが、本書 にとって価値(バリュー)とは顧 客が認識する価値であり、顧客 が「これいいな」と思ったポジ ティブな情動を指しますO何ら かポジティブな情動が生まれれ ばそのプロダクトやサービスを 買いますし、継続して使い続け ますO一方で時間が経過し、そ のプロダクト・サービスを使い 続けていくと、慣れたり飽きた りしてしまいますO新しい靴を 購入したときはあれはどうきう きしていたのに、そんな気持ち は2日目以降に急速に穏やかに なり、気付くと靴の存在も忘れ ていることは日常的によくある と思いますO  一方、提供側は顧客の状況を よりよくするために、顧客を巻 き込み、期待し続けてもらいた いと考えるものですOそのため には、どうしても顧客に価値が あると知覚してもらう必要があ りますO  その価値をプロダクトやサー ビスといった形で提供し続ける ためのシステムとしての仕組み も必要になりますOこのような フェーズになると初期のアイ ディアを構想するときと比べて やらねばならないことは膨大に なりますO当然一人では限界が あるので、チームで取り組むこ とになるでしょうO  はじめは数名からスタートで すが、チームが少し大きくなっ ただけで、営業やマーケティン グや開発など、あっという間に 機能単位で協働し合う組織にな りますOそうなると、営業で売 り込んできた価値と、開発で実 際につくっているものとが食い 違うわけにはいきませんO万が 一そのような場合に陥ってしま うと、顧客は営業から聞いて期 待して買ったものと異なるもの が実際に届くことになり、顧客 は不満を抱えて返金を要求して くることもありえますO した がって、組織全体でどんな価値 づくりに向き合っているのかの 認識がそろった状態であり続け る必要がありますO  ものがよくても、残念ながら 顧客がそのよさに気づかない場 合もありますOたとえば、私た ちはある状況をネガティブに感 じていても(たとえばリモート会議 など)、それを改善したいとは思 わず(または改善できるとは知らず) に過ごしていることがたくさん ありますOプロダクトやサービ スの価値に気づいてもらう・ 知ってもらう、そして買っても らうためにも、価値についてコ ミュニケーションをとる活動が 必要となりますO  バリュー・プロポジションと いう概念をはじめて導入したと いわれるマイケル・ラニング氏 らによると、バリュー・プロポ ジションとは、以下のような組 織の活動を規定する戦略そのも のです(第5章参照)。  @価値を選ぶ(顧客にとっての   価値を特定する)  A価値をつくる(その価値を   生む仕組みをつくる)  B価値を伝える(顧客に価値   を認識してもらう)  バリュー・プロポジションと いうと、一般的には「B価値を 伝える」部分を想起される方が 多いかもしれませんO「新しい プロダクト・サービスの価値に ついて、競合他社と差別化され た独自の価値」を表明するもの がバリュー・プロポジションで あるというのは、その通りですO  ただ、当然ながらそれは顧客 にとっての価値とは何かの選択 と、その価値が生まれる再現性 の高い仕組みづくりに裏打ちさ れたものですO重要になるのは 最初の基点である「@価値を選 ぶ」であり、それがバリュー・ プロポジションの根幹といえま すO近年顧客や市場が目まぐる しく変化する中で、顧客にとっ ての価値が何かをうまく見つけ ることは、事業の成功において より重要なものとなっているで しょうO  一体どうしたら、顧客の価値 をうまく特定することができる のか、本書ではこの点にもっと もフォーカスしてお伝えしてい きますO  なお、本書では上記のような 「価値をつくる」という表現に は敏感になっていますOあくま で価値とは顧客が実際そう感じ たかどうかであり、提供者が 「価値をつくる」ことは原理的 にはできないという考えに立っ ていますO 1 坂根正弘「ダントツの強みを磨け」 日経BPマーケティング(2015) 2 藤川佳則,阿久津聡,小野譲司「文 脈視点による価値共創経営:事後創発 的ダイナミックプロセスモデルの構築 に向けて」組織科学,46巻2号 (2012)  人は状況をより    よくする 状況変化のサイクルは起き 続ける  人は自らの置かれた状況をよ りよくするために、生活や仕事 にさまざまなものを取り入れま す(図1-1)O新しいカメラのレ ンズや、ヘルスケアアプリ、昇 降デスク、浅煎りのコーヒー、 化粧水などさまざまですOしか も、それは必ずしもお金を払う ものだけとも限りませんO  身の回りの手近なもので自ら 道具をつくり出したり、工夫を 凝らしたりすることで、お金を 使わずに望む状態にできるかも しれませんOたとえば、デスク の上のディスプレイの高さを調 整するために、適切なサイズの 台を買うこともあれば、ちょう どいい高さになるように読み終 わった本を積んで調整する人も いる、といったイメージですO  状況をよりよくしたいと感じ るきっかけもさまざま考えられ ますOインターネットやテレビ で情報や知識を得て、いまより うまいやり方があると知ったか ら、いつも同じことのくりかえ しに飽きたから、などというこ とも動機の一部になるでしょうO しかし、やはり強い動機として はその状況が不快だからという ことが多いのではないでしょう かO  状況の改善の仕方は、必ずし も正解があるわけではありませ んO実際、状況をよりよくする 選択肢は際限なくあるでしょうO たとえば乾燥肌を治すために、 化粧水を使ったり、サプリメン トをとったり、運動したり、レ バーや豚肉などのビタミンB 類を意識的にとったり、加湿器 を使う方法もありますO自分の アクセスできる知識と情報を用 いながら、自らのヒューリス テイツクス(経験則のこと。人間が 先入観や経験にもとづき、ある程度よ さそうな答えを見つける思考法)を用 いて、試しながら選びとってい きますO  ただ、その方法を見つけられ るかどうかは、もはや運頼みと いうか、ご縁のものといってい いかもしれませんO新しい手段 と出合うことができて、それを 採用してそのままもし定着すれ ば、つまり新しいやり方が以前 のやり方よりも効果的で心地よ いものとなれば、その状況が定 着していきます(図l-2)0その 中で従来の手段は生活から外れ、 新しいやり方は当たり前のもの となり、普段意識に上ることも なくなるでしょうO  しかし、一度よりよい状況に 落ち着いたからといって、それ をそのまま永久に続けるという こともありませんO仕事では会 社で昇進したり、会社が成長し てチームを任されたり、交友関 係も変わったりと社会的な環境 も変わりますO自分自身の考え 方や好みが変わることもありま すO  気温が年々上がったり、イン フルエンザがはやったり、引っ 越ししたり、自宅の照明が切れ たりと、身近で物理的な環境変 化もありますOまた、スマート フォンが登場したり、SNSを 通じて知識が入ってきたりと、 周囲の状況変化がいつも必ずど こかで起きていきますO  その変化は、これまでみなさ んの心地よかった状況を不快な ものに変えてしまうこともある でしょうOその度に、再び状況 をアップデートすべく、プロダ クトやサービスを新たに生活に 取り入れていきます(自分の考え 方を改めることで変化を受け止めてし まうこともあるかもしれません)。こ のような状況変化のサイクルが、 人の生活においてとめどなく起 き続けると考えられます(図 1-3)。  このように顧客の状況につい て俯瞰的にとらえると、価値と は顧客の状況をよりよくするこ とにかかわるものだといえそう ですO続いて、この価値につい てもう少しクローズアップして 見ていきながら、本章の後半で は脳科学の知見も拝借していき ますO 状況的な価値  筆者らは顧客リサーチや UX釧こ関するプロフェッショナ ルとして数多く紐験を積む中で、 人の行動がいかにその人の置か れた状況に左右されるかを目の 当たりにしてきましたO  たとえば、ある人に以下のよ うなお願いをしたとしますO  厂仕事中に疲れて頭がぼーつ  としてきました。休憩してく  ださいノ  次に、以下のようなお願いを してみたとしますO   厂仕事中に疲れて頭がぼーつ  としてきました。休憩してく  ださい。しかし2時間後に重  要なプレゼンテーションがあ  りますノ  ご自身のこととして想像して みると、この2つの状況では、 その後の行動に違いが出そうな ことに想像がつくと思いますO とくに後者の場合は、休憩する としても、休憩後のプレゼンの ことを念頭にした休憩をするで しょうO横になるにしても、10 分程度のパワーナップを意識し たり、ほっと一息コーヒーを飲 みながらも、カフェインでプレ ゼン準備にむけて頭を再度切り 替えたいなどと考えそうです (前者の場合は、気分転換にぶらぶら散 歩にでも行ってしまいそうです)。  「状況」は人の行動を左右す るだけではなく、あるプロダク トやサービスに対する価値の感 じ方も変えてしまいますO  みなさんは普段、水道水をも ち歩くことはあるでしょうかO コンビニや自販機でペットボト ルのお水を買って、そのままカ バンに入れっぱなしにしてもち 歩いている方もいるかもしれま せんが、中には魔法瓶などで水 道水を一度沸かしたものや、浄 水器にかけたものをもち歩く方 もいるかもしれませんO登山を する知人に聞いてみたところ、 彼らにとっての水道水は少し意 味合いが違うようですO水道水 には塩素が含まれるため、普通 の水よりも腐りにくい特性があ り、常温で3日ぐらいは長持ち する、また傷口を消毒する際に も使えるとのことでしたO  つまり、数日間のあいた衛生 的な水へのアクセスがなくなる ような状況では、水道水は極め てローコストで保存のきく飲料 水や洗浄水としての価値をもつ わけですOありふれた同じ水で すが、このように人は置かれた 状況に応じて、物事に対する価 値の感じ方も変化しますO 価値の経験  このように、人は置かれた状 況において、モノの価値の受け 取り方が変わりますOこれは、 顧客の立場として考えてみれば、 とても日常的で当然のこととい えますO厳密なことをいうと、 みなさんにとって日常の瞬間瞬 間は二度と再現できない固有な 状況ですから、体験はすべて1 回限りなものですO  そんな最中で、顧客にとって の「価値」とは一体どういった ものなのでしょうかo今日起き ていまに至るまで、まさに価値 を感じたなと思える瞬間がない か振り返ってみてくださいo ちょっと考えてみても、「まさ にこれが価値でした」といえる ものがあるでしょうかo  たとえば、靴の購入に関する 体験はどうなるでしょうか0 1908年フランス創業の Paraboot (パラブーツ)というブ ランドがありますoたとえばこ のParabootが人気であること を知って気になってしまい、そ れを購入して隴くという体験の 流れを、以下に箇条書きで示し てみますOそれぞれの行動をし ている際、どんな感情かを想像 しながら、読んでみてくださいO  @仕事の休憩時間や通勤途   中の隙間時間で「バラブー   ツ」と検索し、定番のチ囗   リアンシューズ「ミカエ   ル」がとてもかわいいと感   じた。雨に強くてえらく丈   夫らしい。 しかし7万円   となかなか高い。試着の体 験ブ囗グを読んでいると、 ミカエル以外にもいろいろ あって目移りしそう。 AそういえばParabootが 最初にはやったころ、 ファッション好きな先輩が、 わざわざインターネットで 本国から取り寄せて買って いたことを思い出す。買っ て間違いはなさそう。 Bある日たまたま東京の丸 の内にいて、Parabootの 店舗が目に入ってしまった。 まさに高級店な店構えに恐 る恐る入店。金髪の店員さ んが気さくに話しかけてく れ、いくつか試着を試みた。 やはり「ミカエル」がかわ いい。そのまま意を決して、 靴クリームもセットで購入  してしまった。 C帰宅して、いざ箱をあけ  たら柔らかい布袋に片方ず  つ入っていたのに驚きつつ、  こんなに丁寧に片方ずつ袋  に入れてくれるんだ……と  少し感銘を受けた。 D次の日の外出時に、もち  ろんさっそく履いてみる。  ソールがあるのでいつもの  スニーカーに比べて、だい  ぶ背が高くなった気がして  少し得した気分になる。 E雨に強いと聞いていたの で、もったいないと思いつ つも雨の日にあえて履いて みた。いざ歩き始めると靴 のことは忘れていたが、帰 宅して脱いだときに、革に 雨がしみていたり、中に 入ってきたりした気配はな かったので、さすがだと   思った。  さて、上記は断片的ですが購 入前後の体験を記載したもので すOこの行動の中で、靴の価値 とはまさにこの瞬間だといえる ものは、一体いつなのでしょうO 買ったときでしょうかO雨の囗 に履いてみて帰宅時にその堅牢 さを実感した瞬間なのでしょう かOおそらく、正解は上記の体 験すべてであり、その瞬間、瞬 間のポジティブな知覚が価値と いえるのかもしれませんOそし て何より、ポジティブに感じる かどうかはすべて当事者次第で すO  サービスマーケティングで世 界的に著名なロバート・ラッ シュ氏とスティーブン・バーゴ 氏らによると、価値とは顧客一 人ひとりにとっての独自の体験 で、経験の中で創造されるもの で、形もなく、貯蔵することも できないものとされていますO このような価値の元来触れられ ない性質を、価値の無形性とい いますO価値とは顧客自身が置 かれたさまざまな状況に依存し て、その都度生まれる実は共有 困難な経験と考えられますO 状況は重層的  「状況に依存して」と書きま したが、人が普段から置かれる 状況はよくよく見ると複雑で、 いくつもの状況が重なっている ようにみえますOたとえば、数 日前に胃腸炎がようやく治った 人が、今朝は朝から何も食べて おらず、しかし午後に勝負をか けたプレゼンを控えながらも、 お腹をすかせてお昼時に飲食店 街を歩いているという状況を考 えてみましょうO  この人の置かれた状況を表現 すると、たとえば以下のように なります(図l-4)0  @歩いている  A歩いているのは飲食店街  B時間は昼の時間帯  Cお腹がすいている  D朝から何も食べていない  E数日前に胃腸炎が治った   ばかり   F直後に大事なプレゼンを   控えている  この人の状況をどのように把 握したらよいでしょうかO実際、 @〜Fの組み合わせのどれを とっても、この大が置かれてい る状況について何らか言及する ことはできますOまた、@〜F すべてを使って、より精緻にこ の人が置かれた状況について言 及することもできますO  空腹のこの人に何を食べると いいかをすすめるとしたら、何 を考慮すべきでしょうかOCや Dのように、単に朝から何も食 べておらずお腹がすいているだ けであれば、腹持ちのいいもの をすすめるかもしれませんOE について意識すると、体調を気 にして消化のよさそうなものを 考えそうですOさらにFを考慮 したら、満腹で眠くならない軽 いものや、これ以上歩きまわら ずに近場で短時間で食べられそ うな軽食がいいと考えるかもし れませんO  一言で状況といっても、この ようにさまざまな解釈の可能性 があるため、この大固有の紐験 について理解するには、どこま で多層的にその人の状況を理解 するとよいかが問題になりますO  また、この理解を生かして事 業機会を探そうとする場合、あ まりに特殊な状況を狙ってしま うとニッチすぎるものになって しまいますO上記の@〜Fのす べてを満たした状況はかなり個 別具体的で、この人の心境もよ り正確に想像できるため提案の 鋭さも増しそうですが、ともす ると世の中的に発生頻度の低い 状況かもしれませんO一方で、 シンプルにCだけにすると、ほ ぼ万人に起こる状況といえます が、具体的な機会としてとらえ るのは困難ですOCDEくらい にするとイメージももちやすく、 いろいろな大に適用できる塩梅 と見ることもできますO  このように状況は重層的で、 @〜Fのようにさまざまな具体 性で記述できるものですが、具 体性のレベルをうまくコント ロールすることで、顧客理解の 解像度を高めたり、発生頻度の 高い状況を考えることができま すO ド匸    いて  続いて、人の価値の知覚の仕 方について、より踏み込んだ理 解をしてみたいと思いますO 価値は情動  価値の知覚の理解についての 重要なヒントとなるのが、脳科 学・神経科学の分野でいわれる 「情動」という概念ですO脳科 学・神経科学分野にはあまりな じみのない方も多いと思われる ので、わかりやすくまとめてみ ますO  たとえば、高いところに慣れ ていない人がバンジージャンプ やスカイダイビングで飛び降り る直前、下を見おろしただけで 足がすくんだり、震えたりする ことがよくありますOあるいは お腹がすいているときに出され た料理を見て、おいしそうだと 感じて口中で唾液がでたり、唐 突に理不尽なふるまいをされて 怒りで肩を震わせたりといった ように、外部からの刺激に対す る「無意識的な心の動き」は情 動ことよばれます。  「情動」は齧歯類(ネズミなど) からある程度表出の仕方が共通 化されている心の動きですO一 方で、日常的に耳にする「感 情」という言葉があると思いま すO「感情」とは人間が独自に もつ、個人によって表出のされ 方が千差万別の心の動きとされ ていますO  つまり、「情動」とは各個人 独自のものではなく、多くの人 に共通される「無意識的な心の 動き≒反応」のこととして「感 情」とは区別されます(図l-5)0 顧客の価値をとらえるうえでも、 この2つを分けて認識すること が理解のポイントになりますO  怙動生物の生世吋反応として他名が見ても判町できる客観的なもの  二三三白 情動反応の大別と価値認識  情動を大別すると快情動と不 快情動に整理することができま すO快情動とは、欲求が満たさ れた際の満足感であったり、何 かをやり遂げたときの達成感で あったりといった、「快」の状 態に対する反応といえますO  一方の不快情動は快情動の逆 で、恐怖や嫌悪などといった 「不快」の状態に対する反応で すO人間は快情動をもたらす刺 激には無意識に近づいていく (快情動行動)一方で、不快情動 をもたらす刺激から遠ざかろう とします(不快情動行動)O  たとえば、飲み物をそばに置 いて仕事をしているとき、ふと 気づいたら飲み物を手にとって 飲んでいたり、過去に上司から ミスをして怒られた紐験から、 ミスを報告することにおっくう な気持ちが生じたりすることが あると思いますOそれらはどち らも「喉が渇いたな」と意識す る前に、喉が潤った状態(快情 動)に近づこうとする快情動行 動や、ミスをして怒られるとい う状態(不快情動)を無意識に遠 ざけようとする不快情動行動と いえます(図l-6)0  つまり、顧客にとって「価値 があること」とは、「快情動で ある」ととらえることができま す。具体的には、課題や困りご とを解消してくれたり、役に立 つと感じたり、現状よりもより よい状態にしてくれたり、など といった言葉に置き換えること ができますOさらに、価値があ ると感じるものを購入したり使 用したりする顧客の行動は、快 情動行動ととらえることができ ますO 価値認識と状況  人はっねに環境(状況)を予測  している  価値の認識とは情動であり、 情動とは外部からの刺激によっ て起こる反応ですO目には光、 耳には音、皮膚には空気の振動 や熱、触覚刺激など、大は外部 である物理的な環境(状況の一 部)からつねに膨大な刺激を受 けていますOこの刺激の大本で ある人の外部の環境について、 実のところ大は直接認識するこ とができていませんO  環境自体を直接認識している のではなく、環境から受けた刺 激が、目や耳や皮膚などにある 知覚を司る器官を通して電気信 号に変更され、脳の中で再構成 されて「環境らしきもの」を再 構成しているということができ ます(図l-7)0この実際の環境 と「環境らしきもの」は似て非 なるものであり、神経科学の分 野では脳の中で「環境らしきも の」を推論しているととらえら れることが多い概念ですO  この考え方は、古くは哲学者 であるデカルトの「桶の中の 脳」、ヒラリー・パトナムとい う哲学者が1980年代に唱えた 「水槽の脳」という概念と共通 する考え方で、映画『マトリッ クス』にあるような、後頭部の ケーブルから電脳空間ヘコネク トして、脳内のイメージだけで 現実世界のように活動するまさ にあのイメージですO  たとえば、印象派の画家とし て有名なクロード・モネの晩年 の作品を見てみると、睡蓮をモ チーフとして描いた絵が全体的 に赤みを帯びているものがあり ますOこれは、晩年のモネが白 内障を患っていたことも関係し、 目に映る光景をそのまま描いた 結果といわれていますO  また、図1-8を見てみてくだ さいO  この図はカニッツアの三角形 とよばれ、いわゆる錯視図形の 一つですOこの図の真ん中に白 い逆三角形が見える人が多いの ではないでしょうかO実際には 枠線の三角形と一部が切り取ら れた円か3つ並んでいるだけな のですが、頭の中で勝手に処理 され、白い三角形が像を結ぶよ うに認識されているはずですO  このように、図1-7に示した ように人は環境自体を直接観測 しているのではなく、環境から 得られる剌激にの場合は視覚・光 刺激)から、「環境らしきもの」 を推論していると考えることが できますO 人は状況にっねに働きかけている  「環境らしきもの」はあくま でも推論であるため、環境から 受けた刺激が事前の推論と反す ることもしばしば起こりますO この推論と実際の刺激との差は 「環境予測誤差」3とよばれてお り、この環境予測誤差を極力小 さくするために人(脳)はさま ざまな行動をとっているといわ れていますO  具体的に見ていくと、見た目 があまりよくない食べ物を目の 前にしたとき、気が進まないこ とがあると思いますOこのとき、 目から入ってきた「見た目のよ くない食べ物」の情報と、過去 の「見た目がよくなかったも の」を食べておいしくなかった という経験が相まって、この食 べ物の味をおいしくないもので あろう、という推論を立て、不 快になることを避けるために気 が進まないという心理状態に なっていると考えることができ ますO意を決して食べてみて、 その食べ物が好みの味だったと すると、「意外においしい」と 驚きを感じると思いますO  こういった紐験を積み重ねて いくと、次第に特定の見た目の 悪い食べ物に対しても、「こう いう見た目の食べ物は意外にお いしいこともある」と感じるよ うになり、初めて見た「気の進 まなさ」を次第に感じなくなっ ていくこともありますO  ここで説明した、「食べてみ たら好みの味たった」という驚 き自体が、もともとの「まずそ うである」という推論とのズレ である環境予測誤差と考えるこ とができますOこの環境予測誤 差を極力避けるため、脳はつね に2つのアプローチをとりますO  一つは「環境らしきもの」を 推論するモデル(生成モデルとい います)の変更・更新であり、 もう一つは能動的推論!といわ れる環境への無意識的な行動・ 働きかけですO先はどの事例は、 「食べてみる」という行動と、 その結果に伴う「こういう見た 目の食べ物は意外においしいこ ともある」という生成モデル自 体の変更の2つが起こったと考 えることができるのですO  この能動的推論を考察すると、 環境予測誤差を減らすために、 環境からただ刺激を受けるだけ でなく、人側からも環境(状況) に働きかけ、その結果としての 刺激をもとに生成モデルの変更 有無を確認しているととらえる ことができます(図l-9)0この ように、人はつねに環境(状況) に対してアンテナを張り、環境 に対して働きかけを行っている  情動反応が起こる背景として の環境からの刺激や、環境に対 する人の働きかけについて見て きましたが、最後に刺激に対す る情動反応が快・不快のどちら に振れるのかについても考察し ていきますO情動は環境からの 刺激によって起こるものですが、 特定の刺激を「快」ととらえる か「不快」ととらえるかは「記 憶」によって異なるといえますO  脳は環境らしきものを推論し ているという説明を前項で触れ てきましたが、環境らしきもの が快寄りなのか、不快寄りなの かの推論も行われています(図 1-10)。  この推論のベースは過去の経 験やその紐験に対して感じた感 情などの「記憶」の集積であり、 初見の刺激に対しても蓄積され た何らかの観点で類似する記憶 と照合して快寄りなのか不快寄 りなのかの情動が起こっている と考えられますO記憶は過去の 紐験やその紐験自体を振り返り どのように解釈したかの蓄積と とらえることができ、その人を 取り巻く長い時間軸も「状況」 として解釈することができますO  前項の例で述べた、見た目の よくない食べ物に対して、試し てみて好みの味だったという経 験が多い人は、快寄りの情動が 生まれることになりますし、囗 に合わなかった紐験ばかりの人 にとっては不快寄りの情動が生 まれることになるわけですO  記憶に関する重要な点として、 実際に起こった出来事・紐験と いうだけでなく、その事象をど のように解釈したのかも重要な 要素となりますOたとえば、学 生時代の部活動でとても厳しい 練習漬けの日々を送っていたと しますOこの部活動の記憶をあ とになって思い出したときに、 「つらかったもの」としてとら える人もいれば、その後の大会 などで勝利した紐験や、その後 につながる友人関係構築の基盤 になったものとして美化してと らえる人もいると思いますO  この違いはなぜ起こるので しょうかOこの背景には記憶の 種類が複数存在し、種類ごとに 担う脳の部位が異なることの影 響がありますO記憶という言葉 を聞くと、過去の言葉で表現で きる昔の思い出話などをイメー ジする方が多いと思いますが、 自転車の乗り方のように身体の 使い方に関する感覚や、テーマ パークにある垂直落下する乗り 物でよく感じる「胃が浮く感 覚」など、言葉で表現できない ようなものも含まれますO  言葉で表現できるもの(陳述 記憶)と言葉では表現できない もの(非陳述記憶バこ分類される など、さまざまな種類に大別で き、格納される脳の部位もさま ざまですO記憶といえば、海馬 だろうと思う方もいらっしやる かもしれませんが、たとえば感 情にまつわる記憶は扁桃体とい う場所が担つているなど、記憶 の種類ごとに担う部位もさまざ まですO  何かを思い出すという行為は、 物理的に異なる脳の部位にしま われている複数の種類の記憶が、 同じ刺激で反応(発火)するこ とを指しますO同じ刺激に対し て同時に発火する異なる部位の ニューロンは、物理的な結びつ きを強め、情報伝達が効率化さ れます(シナプスの可塑性)≒  ある出来事について思い出す 際、快の情動とセットでそのエ ピソードを思い出せるか、不快 な情動とセットで思い出される かは、その出来事(刺激バこ対 してニューロンがどのように結 合しているかによって異なると いえるのです(図1-11)O  プルーストの有名な小説『失 われた時を求めて』は、紅茶に 浸したマドレーヌの香りがきっ かけとなりさまざまな記憶がよ みがえる話ですが、授業で『失 われた時を求めて』に関する課 題を出されて苦労した紐験があ る方からすると、マドレーヌを 目にしただけでその苦しさが思 い出されることでしょうO  同じ刺激を受けて同時に発火 する記憶の種類は、物事に出く わしたその人のそのときの感じ 方や解釈も含んだ大それぞれの 紐験というわけですOこのよう に、ある刺激に対しての情動が 「快」寄りのものか、「不快」寄 りのものかの違いは、長い時間 軸での状況の影響を受けている と解釈できますO 価値はプロダクト・サービ スがもつものではない  価値を快情動の一つとしてと らえると、あらためて一つの疑 問が生まれてきますO「プロダ クト・サービスは価値をもつこ とができるのか」ですO新規事 業開発やマーケティング、営業 に携わった紐験がある方であれ ば、「この商品の価値は何です か」と質問を投げかけられたり、 あるいは自問したことがあるの ではないでしょうかO どうした ら売れるのか、使ってもらえる のか、興味を惹けるのかと考え ることはごく自然なことですO  しかし、価値を快情動だとす ると、価値のある・なしとはプ ロダクト・サービスの特徴や属 性そのものに依存するのではな く、使い手や検討主体である顧 客の脳の中での反応だと解釈す ることができます。「お金など のように絶対的に価値があるも のだってあるじやないか」と思 う方もいらっしやるかもしれま せんOですがたとえば、災害に よって食料が不足し食べ物がな い状況ではお金よりも生きるた めに必要な食べ物に対して多く の人が価値を感じるでしょうO  語弊を恐れず割り切っていう とバリュー・プロポジションに おける価値とは、プロダクト・ サービスがもつ固有の特徴では なく、使用したり検討したりす る主体である顧客の脳内の反応 であるととらえることができま すO  重要な補足として、顧客が価 値を明確に知覚するか否かにか かわらず、プロダクト・サービ スの存在は人間ができることを 増やし、知性や感性を拡張し、 人類を豊かにしてくれているの は確かです。ここで注目したい のは、あくまでビジネスとして のバリュー・プロポジションを 考えるうえで、またはプロダク ト・サービスを顧客に取り入れ てもらううえでは、顧客の価値 の知覚という観点が強くきいて くる局面があるということですO 価値は人が置かれた状況で 変わる  たとえば、同じ映画を複数人 で観に行ったとしますO何人か は面白いという感想を述べ、ま た何人かは感動したといい、ま た何人かはつまらなかった・退 屈だったという感想をもっだと しましょうOこれらはその映画 に対して、価値を感じられた 大・感じられなかった人の違い として解釈することができますO この差はどこにあるのでしょう かO  面白かった・感動したと感じ た人はその映画の原作となる作 品を知っていて、退屈だった人 は原作に関する知識がまるでな かったとしますOこの場合、原 作を知っている・知らないとい う状況の違いが価値があると感 じられるかどうかの差ととらえ ることができますO  また別の例として、テレビの グルメ番組を見ていて、お腹が すいているときに見るととても 魅力的に映る料理の映像も、食 べすぎたあとの胃もたれしてい る状態で見れば、胸焼けがする 映像と感じることがあるかもし れませんO同じ「人」でも状況 が変わればとらえ方が変わり、 価値の認識も変わることが示唆 されていますOこのように、快 情動の一つとしてとらえること ができる「価値」は、状況に よってとらえられ方が変わりう るものなのですO − ドニ ̄ ここまで、人の価値の認識や 状況について説明してきましたO あらためて顧客に価値を提供し たい事業者としては、どのよう な考えをもって挑むべきでしょ うかO 価値は非対称的である  くりかえしになりますが、ま ず一ついえることとしては、顧              一 客が価値を感じるから、それは 価値であるということです(図 1-12)。仕事の中で「製品のター ゲットは○○で、提供価値は △△である」と定義することは よくありますが、いくら「これ が価値である」と定義したとこ ろで、顧客がもしそう受け取ら なかったら、それは価値でない ことになってしまいますO  つまり価値の認識においては、 顧客が絶対的な権利をもってお り、その点で顧客とっくり手は とても非対称的ですO  ビジネスにおいて、価値は元 来顧客の側にあり、企業はプロ ダクトやサービスをつくります が価値そのものをつくっている わけではありません。私たちが つくったものを、顧客に価値が あると無理やり知覚してもらう ことはできませんO  もちろん提供者側も、価値に ついて何も考えていないわけで はありませんOむしろ、提供物 の価値については誰よりも真剣 に考えていることでしょうOつ まり、「顧客はこのような状況 でこのような課題があるはずだ から、このプロダクトはこう役 に立つはずで、きっとこのよう な価値を感じてもらえるに違い ない」というアイディアかきつ と有効であると強く信じていま すoバリュー・プロポジション もこのようなある種の信念ですo  Belief (信念)とFaith (信仰) という英単語がありますが、 Belief (信念)は通常、綛験に基 づく理由付けにより形成される のに対し、Faith (信仰)は証拠 や論理的な証明が不足していて も、何かが真実であると信じる 精神的な信頼や確信を指しますo  企業は信仰のもとに事業を行 うべきか、信念をもとに事業を 行うべきかはとても深淵な問い をはらんでいそうですが、こと 顧客の価値やバリュー・プロポ ジションに対しては、企業は Beliefとしての信念をもとに、 つねに顧客のフィードバックに 裏打ちされたものであるべきで すo 属性ではなく状況を見る  価値とは顧客の状況に依存し た紐験のなかで生まれるのなら ば、その紐験のなかにこそヒン トがありますoそこでは、あら ためて顧客の「状況」という視 点が役に立ちますO  ビジネスにおいて、顧客の状 況を分析するという視点を提唱 したのは、もちろん筆者らが初 めてではありませんO世界的に 有名な「破壊的イノベーショ ン」の提唱者であり、ハーバー ド・ビジネス・スクールの元経 営学教授のクレイトン・クリス テンセン氏も早くから顧客の状 況について言及し、『イノベー ションへの解』(マイヶル・ライ ナーとの共著、翔泳社、2003)の中 で、以下のように述べています (太字は筆者)O  “製品のターゲッ/ヽを顧客そ  のものではなく、顧客が置か  れている状況に餃る企業試  猥い通り成功する製品を導入  できる企業である。別のいい  方をすれば、かぎとなる分析  単位は、顧客ではなく状況な  のだ。"  「分析単位は、顧客ではなく 状況なのだ」というのは、一体 どういうことを意味するので しょうかOここでいう「顧客」 の意味は属性、年齢や性別など の属性情報を中心につくられた 人物像のようなものを指してい ますOそのような顧客像ではな く、状況を分析するとはどうい うことなのでしょうかO  たとえば、近年リモートワー クはもはやスタンダードな働き 方になっており、リモート会議 が多いせいか骨伝導イヤフォン を購入される方をよく見かけま すOこの骨伝導イヤフォンの架 空のターゲット定義として、属 性に着目して書いたものと、状 況に着目して書いたものを比較 用にそれぞれ用意してみましたO  図1-13の左側は属性に着目 して書いたものですO性別・年 齢・仕事の状況などを記載して いますOここには書いていませ んが、おそらく事前に2軸など でセグメントが切られたうえで、 そのセグメントを代表する形で 記述されることが多いと思いま すO どういった属性情報まで記 述するかは場合によりけりです が、一般的にはこの程度のこと を書くと思いますO  図1-13の右側は状況に着目 して書いたものですO リモート 会議における環境についてや、 とくにイヤフォンの利用の現状 などについては詳しく書かれて いますOあえてペルソナをイ メージさせる写真などは省いて いますO  属性記述のほうを見ると、み なさんの頭の中でこの対象の人 物像がありありと立体的に立ち 上かってくるかもしれませんO 確かに、こういう人いるよなとO 一方で、リモート会議において 課題意識があり、すぐにでも骨 伝導イヤフォンを検討する可能 性があると因果関係も含めて想 起できるのは、右側の状況記述 のほうではないでしょうかO  この状況にいる方が、耳をふ さがない形のイヤフォンを好み そうなことは容易に想像がつき ます仇 リモート会議の頻度が 高いものの、人との会話も頻繁 なので、つねに外の会話も聞こ えやすいオープンイヤーの骨伝 導型がさらに柎腟がよさそうで す(図1-14)0  さらにいうと、この状況に置 かれた方であれば誰しも同じ不 快感に共感するのではないで しょうかOもっというと、おそ らく年令や性別のような属性を 問わないのではないでしょうか0 60歳男性であろうと、42歳の 女性であろうと、もしくは22 歳の大学生インターンであろう と、この状況に置かれた人であ れば、骨伝導イヤフォンに関心 をもつ可能性がありますO  属性はその結果(モノの購入や 使用を選択するなど)との相関関係 について明らかにしてくれるこ とはあるでしょうが、因果関係 が明らかになったと感じること はありませんOこれと同様のこ とを、クリステンセン氏は前述 の書籍(『イノベーションへの解』) の中でこう述べていますO  “属性ベースの区分に基づく  理論は、属性と結果の相関関  係を明らかにすることはでき  る。だ試製品にどのような  特長や機能を付加レ どのよ  うにポジショニングすれば、  顧客に買わせることができる  かを示すのは、状況ベースの  分類化(劒分か手法に基づく、  確かな因果関係を示すマーケ  ティング理論だけなのだ厂  このように、「状況」という とらえ方は、顧客がいままさに 満たされていない状況を客観的 に見て、その状況を構成してい る要素の因果関係を十分説明し ようとするものですOそこにお いて属性定義が必ずしも問題と いうわけでないのですが、属性 情報だけでは顧客の選択におけ る因果関係が十分腹落ちしにく いというわけですO 企業は新しい状況を提案す る  顧客は現在の状況への慣れを 振り切って、新しい魅力的な状 況へと進歩を遂げますが、肝心 の新しい状況とは何かについて、 顧客側にありありとイメージや アイディアがあるかというとそ うとも限りませんし、多くの場 合は聞いても出てきませんO顧 客の状況を外側から見ている提 供者側の創意工夫がまさに求め られるところになりますO  もっというと、顧客の課題の 背景にある状況を知ったことを 機に、そこからどんな状況に変 えていきたいかというのは、む しろ事業者側のアントレプレ ナーシップ(起業家精神)や意志 として出てくるものです(第う 童参照)O  また、ジョブ理論研究家であ るアラン・クレメント氏は、著 名なゲーム開発者でプログラ マー・教育者のキヤシー・シェ ラ氏の言葉を引用して、企業の あるべきスタンスについてこう 述べています(和訳は筆者)。   “プロダク/ヽをアップグ1/−  ドするのではなく、ユーザー  をアップグ1/一卜するのです。  よりよいカメラをつくるので  はなく、よりよいフォ/ヽグラ  ファーを莖み出しましよう”  ( Upgrade your user, not your product.  Don't build better cameras build  better photogr;叩hers.)  さらに本書のスタンスでいう と、ユーザーをアップデートす るのではなく、ユーザーの状況 をアップデートし続けるのです、 ということになりますo顧客が プロダクト・サービスを購入し て使用できればニーズが万事満 たされ、それでおしまいといっ たようなものではなく、ともに 「ありたい姿」に向かって模索 しながら、その進歩を共創し続 けることですo  第1章では、バリュー・プロ ポジションのバリューすなわち 顧客価値について、状況という 視点を取り入れる考え方を説明 しましたO顧客が価値を認識す る主体であり、原理的には企業 は価値をつくれないものの、状 況に共感しながら顧客に価値提 案をし続ける中で、顧客の生活 に取り入れてもらえるプロダク ト・サービスをつくり、新しい 状況をつくる努力をしていくこ とになりますO  第2章では、顧客への価値提 案にむけた考え方について紹介 しますO ● 他者理解にまつわるバ イアスー帰属バイア    ス そもそも、私たちは他者 を理解することにどれぐら い長けているのでしょうかO 心理学的な研究によると、 実は人は他人の行動を原因 づけるにあたって完璧でな いどころか,帰属バイアス という偏りがあることが知 られています(図).   ,・i,I・.刹.壁き呀辰il・11  asc・」・・を・涸1・f.・さ   ●i歸貢眄」を司大・価  p :卜ぶ旻巨」言邇大声・li  |・l=g・r.'ラ・・-・・i・・・6・・・j.・i………| ・・.=,=fn………=.・.●61……  −   −    21→,'2jJ  ご  たとえば,同僚が会社に 遅刻しているのを見かけた 際,あなたはどう思うで しょうか.「彼はズボラな ところがあるからな」「自 制がきかないところがある からな」などと、その人の 行動の要因を、性格や価値 観など“内的な要因”に求 めやすい傾向があるといわ れていますO  一方で、自分か遅刻しそ うな場合を考えてみてくだ さいO月曜の朝寝坊して、 猛ダッシュで電車に乗った がもはや遅刻が確定してい る状況であり、上司に伝え る遅刻の理由を全力で考え ているような状況ですOだ とえば「電車が遅れていま した」とか「最近忙しくて 体調が……」といったよう に、自分の行動を評価する 際には、外的な状況要因を 過大評価し、自らの気質の 影響は過小評価する傾向に あるようです。  ● サービス・ドミナント。   ロジック  サービスマーケティング で世界的に著名なロバー ト・ラッシュ氏とスティー ブン・バーゴ氏らが提唱す る「サービス・ドミナン ト・ロジック」(S-Dロジッ ク)という考え方は、製品 に価値があるのではなく、 価値とは受け手が紐験的 (より専門的には現象学的)に感 じとるものであり、さらに いうと価値とは企業と顧客 の共創的なものであると提 唱しますO  S-Dロジックがその考え 方の大前提として明記して いる公理について、ご紹介 しますO 公理1:サービスが交換の基 本的基盤である ビジネスは商品を売ること ではなく、顧客に何らかの サービスを提供することを 通じて価値を生み出すとい う考え方を示していますO つまり、価値は製品自体に よるものではなく、それが 顧客に提供するサービスに よるものであるという視点 ですO 公理2:顧客はっねに価値の 共創者である 価値は単に企業が顧客に提 供するものではなく、顧客 自身が参加して創出するも のであるという考え方を示 していますOつまり、顧客 はアクティブな価値創出の 参加者であり、彼らの フィードバックや使用方法 などにより、製品やサービ スの価値が形成されるとい う視点ですO 公理3:すべての経済的およ び社会的アクターが資源統合 者である 価値創出にはさまざまなア クター(企業、顧客、パート ナーなど)が互いに資源(時 間、技術、知識など)を統合し、 協力することで実現すると いう考え方を示していますO つまり、単独の企業だけで なく、さまざまな関係者が 協働して価値を創造すると いう視点ですO 公理4:価値はつねに受益者 によって独自にかつ現象学的 に判断される 価値が一概に定義できる絶 対的なものではなく、それ を利用する個々の受益者に よって異なる視点から評価 され、体験されるという考 え方を示していますOつま り、顧客一人ひとりの体験 や感じ方が価値の最終的な 評価を決定するという視点 ですO  S-Dロジックの考え方は 非常に「関係的」ですOだ とえば、食物(魚や穀物)や 製品(冷蔵庫やトースター)な どは「グッズ」とよばれ、 これまでの経済はこのグッ ズがグッズと交換できるこ とを価値としてまわってき たといいますO  しかし、彼らのS-D口 ジックでは、グッズはあく までサービス提供のための 媒介手段でしかないと考え ますOたとえば医療はサー ビス的な側面があると思い ますが、医師が患者に処方 した薬(グッズ)も、医療と いうサービス行為を手助け する装置としてとらえますO さらに、医療サービスにお いて、価値を生むのは医師 単独ではなく、患者とのイ ンタラクションの中で価値 を共創していると、価値を 関係的にとらえていますO  本書も、顧客と状況とプ ロダクト・サービスの関係 の中で価値をとらえており、 構造的には多くの側面で S-Dロジックをフォローす るものと考えていますO 1 ユーザーエクスベリェンス(User − Experienc:e:UX)とは、プ囗ダクトや サービス、またはシステムを使用する 際にユーザーが経験する全体的な知覚 や反応を指します。 2 脳科学辞典では「感覚刺激への評 一 価に基づく生理反応、行動反応、主観 的情動体験から成る短期的反応のこと」 と定義されています。(https://   5%8B%95) 3 環境予測誤差については、自由エ ー ネルギー原理という近年注目されてい る脳の理論において変分自由エネル ギーといわれており、自由エネルギー 自体は神経生理学の分野における神経 回路のコスト関数といわれる概念と対 応関係にあると示されています。 Karayanni, M・, & Nelken, I。(2022). Eχtrinsic rewards, intrinsic rewards, and non-optimal behavior. 」ournal of computational neuroscience, 10.1007/s 10827-022-00813-z. Advance online publication.皿 10827-022-00813-z 4 能動的推論はKarl」. Fristonが提唱 − している脳の情報理論である「自由エ ネルギー原理」に出てくる行動制御一 意思決定に関する理論。 5 1949年,カナダの心理学者であつ ー たDonald Hebbが自らの著書『The Organization of Behavior』(Wiley & Sons, 1949)の中で唱えた仮説。 6 この視点は,実は骨伝導の「機能」 − から考えた後付けともいえます。詳し くは第3章でご説明します。  時間軸で価値を     とらえる 人が状況を変えたい動機  人はなぜ状況を変えたいと思 うのでしょうかOこれは深く考 えるとなかなか難しい問いです が、ジョブ理論の提唱者の一人 であるボブ・モエスタ氏による と、シンプルに3つの動機があ るといいます廴 @機能的な動機  ある目的を達成するプロセス の煩雑さOたとえばSNSに写 真を投稿する際、アップロード に毎回30秒かかるとイライラ すると思いますOこれはアプリ を乗り換える動機になりそうで すO A感情的な動機  あるプロセスを遂行する際に 生じている気持ち、内面的な感 情で、希望や恐れといったものO たとえば、ある資格試験に合格 したいと勉強している際、高い 得点を得たいだけでなく、実は 家族によりよい生活をもたらす ことを願っているかもしれませ んOこれは行為への強い動機に なりますO B社会的な動機  他者(または自分自身)が、自 分をどう思っているかといった、 人と人との関係における尊厳や 承認欲求といったものO資格試 験に合格することで、知人や家 族が自分を誇りに思ってくれる かもしれませんOこちらも同様 に行為への強い動機になりそう ですO  ある状況において行為する際、 少なくとも上記のような側面で 損なわれる(つまり不快である)と、 その状況をよりよく変えたい (つまり別のアプローチに変えたい) という動機につなかっていきま すOこういったモデル化は人の 行動の背後にある動機を簡素に とらえるものですが、人の価値 とは何かを知るとっかかりとし て有用ですO次に、こちらとよ く似たものですが、人の価値の 知覚について参考となりそうな モデルをもう一つご紹介しますO モノヘの価値の知覚の仕方  UXやデザインに関する人の 認知や心理について先駆的な貢 献をされたドナルド・ノーマン 氏は、著書『エモーショナル・ デザイン』(岡本明他訳、新曜社、 2004バこおいて、デザインがど のように人々の情動を触発し、 それが製品やサービスの使用体 験にどのように影響するかにつ いて、3つの段階があるといい ますO  “ソースウェスタン大学心理  学部で同綰だったアンド  ジュー・オー/ヽニー教授と  ウィリアム・リヴェール教授  と共に行った情動に関する研  究から、これらの人間の特性  は、脳機能の3つの異なるレ  ペルに起因することが示され  ました。一つは自動的で生来  的な層であり、本能レベルと  よびます。次が冖窩の行動を  制御する齧の機能を含む部分  で、行動1/ペルとして刧られ  ています。もう一つが脳の熟  考する部分、すなわち、内省  レベルです厂  ノーマン氏はこのような研究 をもとに、モノのデザインには 3つの側面があるとし、「本能 レベルのデザインは見かけに関 わっているO(中略)行動レベル のデザインは使うときの喜びと 効率に関係があるO内省レベル のデザインは製品を合理的なも の、知性的なものにすることに 関わるOその製品にまつわる物 語を語れるかO私の自己イメー ジやプライドに訴えるかO」と 考えました(図2-1)O  語弊を恐れずわかりやすくい い換えますと、本能レベルは見 た目が美しい、感情に訴えるも のがあるもの、行動レベルは 使っていてよさを感じる・満足 できるようなもの、内省レベル は使ったあとに振り返る自分に とっての意味や意義などといっ た異なる次元の価値の知覚の違 いとしてとらえることができま すO 顧客の体験における価値の 知覚  このような本能・行動・内省 の価値の知覚は、顧客がプロダ クト・サービスを体験する時間 軸のさまざまなタイミングの中 で生じるものですOたとえば、 プロダクト・サービスを初めて 知って興味をもったとき(使用 する前)、それを実際使って体感 するとき(使用中)、そして使い ながらまたは使った後に自分を 客観的に振り返る際(使用後)な どに、このような価値の知覚が それぞれ生じます(図2-2)0  プロダクトの広告で実物を見 て本能レベルの知覚が生じるで しょうし、好きなタレントがそ れを使っているさまを見て自慢 できそうなどと内省レベルの知 覚が生じるでしょう。また、使 用中にはそれぞれの知覚が数秒 の差で生じていくことでしょう (美しい製品だな→使いやすい・楽しい →こんな暮らしって素敵だな、など)  新しい自動車を買う際でいう と、見た目やデザインのかっこ よさに惹かれる側面(本能レベル の情動)と、走行性や安全性な どの使用時を意識した魅力に惹 かれる側面(行動レベルの情動)が あると思いますOまた実際に試 乗したり購入した後では、乗車 する中で感じられる音の静かさ や加速時の応答などを実感した り(行動レベル)、過去の車より グレードが高く周囲の他の車と 比べて自慢に思ったり(内省レベ ル)といった情動が起こります。 乗車後も運転中の走行性を振り 返ったり(行動レベル)、同僚と 話しているときにその自動車を もっていることが思い出されて 何だか自信がわいてきたり(内 省レベル)といった心の動きが起 こりますO  これらを整理すると、使用 前・使用中・使用後といった時 系列で価値をとらえることで、 少し価値を構造的にとらえるこ とができるようになりますO本 書では時系列で顧客が体験する 一連の価値を「体験価値」とよ びますO  顧客の状況シフ   トをとらえる4    つの力 体験価値を分解する観点  ここからは少し俯瞰して、顧 客が現在の状況からよりよい状 況にシフトしていくという体験 の中で起きていることを見てき たいと思いますO人が現在の状 況を変えようと思う際に、快情 動に近づこうとする動き(快情 動行動)と不快情動を遠ざけよ うとする動き(不快情動行動)を 4つの力の働きとしてシンプル にとらえるものですO  本章の冒頭でも引用したボ ブ・モエスタ氏が提唱する図 2-3の「顧客プログレスの4つ の力」!は、顧客が現在の状況を 進歩させるプロセスを描いたも のですOモエスタ氏は第1章で も紹介したクリステンセン氏と 共同して「ジョブ理論」を生み 出した重要人物で、クリステン セン氏の盟友だったといえる存 在ですO 4つの力のバランスが行動 を決める  顧客プログレスの4つの力は 新しいプロダクト・サービスを 介して、現状から新しい状況に 移るプロセスを、4つの力のバ ランスにより、顧客が行動に移 す・移さないが決まると考える 枠組みですO  具体的には以下のような力が 働くと考えますO  @現状を脱したいという   プッシュ(Push)  A慣れ親しんだ現状の方が   楽でいいという習慣   (Habit)  B魅力的な新しい体験に惹   かれるプル(Pull)  C新しい体験に対する不安   (Anxiety)  プッシュ十プルの力(右向き) の合計が、習慣十不安の力(左 向き)の合計よりも上回ってい れば、新しい体験に移行し、逆 であれば現状のままにとどまる と考えますo  たとえばスマートフォンの新 しい機種が発売されたとして、 いまのスマートフォンの不具合 や傷、バッテリーのもちの悪さ や使いづらさから逃れたいとい う思いがプッシュ、新しいス マートフォンのデザインのかっ こよさ、メモリやプロセッサー のスペックのよさなど魅力的に 感じるポイントがプル、一方で、 アプリがどこにあってどう操作 すればいいか慣れ親しんでいる ことから離れたくない引力が習 慣であり、新しいスマートフォ ンで逆にいまできていることが できなくならないかといった不 安もある、というわけですO  この場合、プルだけに注目し て新しいスマートフォンのス ペックやデザイン性をいくら押 し出しても、それ以上に不安や 習慣の引力が強かった場合、購 入に踏み切れませんO  また、「新しい体験」は必ず しもプロダクト・サービスであ る必要もありませんOたとえば 極端な話、自力でスマートフォ ンを改造して求めるスペックに 引き上げるといった、消費活動 を伴わない(無消費川舌動で代替 することも選択肢となりえますO  顧客の行動の背景にはこの4 つの力のバランス関係が重要な 要因として存在し、これまで見 てきた情動行動は、4つの力を より理解するのに役に立ちますO  新しい状態(新しいプロダクト・ サービスをもっこと・使うこと)に対 する快情動行動がプル、不快情 動行動か不安、現状に対する不 快情動行動がプッシュ、快情動 行動か習慣と見なすことができ ますOそしてこれらは、すべて 無意識下の心の動きととらえる ことができるのですO  4つの力の関係      性 4つの力はどのように作用 するのか  プッシュ・プル・習慣・不安 という4つの力は、同時に作用 することもあれば、順を追って 作用することもありますOここ では、筆者が経営に参画してい る会社のオフィス移転で起きた ことを具体例に解説しますO  創業当初、筆者は数人のメン バーでとあるマンションの一室 をオフィスとしていましたOこ のマンションの1階には飲食店 が入居していたせいか虫が発生 しやすく、エレベーターをつ たってオフィス内にゴキブリが 侵入してきて、社員がゴキブリ と対面してしまいましたOそれ 以来、女性メンバーを中心にオ フィスに誰も寄り付かなくなっ てしまい、どうしようもない場 合のみ我慢してオフィスを使い、 その他はカフェなどで作業をす るという非効率な状態となって しまいましたO  こうした経緯からオフィスを 移転することが決まり、結果的 に東京駅に近いシェアオフィス に落ちつくことになりましたO このシェアオフィスはメンバー の一人が使用したことがあり雰 囲気もよかったので、オフィス 移転は滞りなく終わりましたO  それから3年後、メンバーが 増えて手狭さを感じていたもの の、費用負担などの観点からし ばらくは同じシェアオフィスに いる予定でしたが、新しくでき たセットアップオフィス(工事 不要で備品や内装が最初からセッティ ングされている初期費用の安いオフィ ス)の営業を受け、見学に行っ てみることになりましたOする と、思ったよりも安価にワンフ ロアを借りることができるとわ かりましたO この情報は、当時 のメンバーらのオフィスに対す る不満や不足点を吐き出す契機 となり、再びオフィス移転が現 実味を帯びるようになりますO そして、移転先のエリア条件を 中心とした比較・検討の末に無 事に移転先を決めることができ ましたO  このオフィス移転のエピソー ドから、4つの力の関係性につ いて3つの考察を導くことがで きますO  @プッシュと習慣のバラン   スのみでも人は行動に移る  A選択肢の外にあるものは   考慮されづらい  B使い始めると不安は不満   に変わる  以下で順番に見ていきましょ うO プッシュと習慣のバランス のみでも人は行動に移る  まず1回目のオフィス移転、 マンションの一室からシェアオ フィスへの移転のプロセスを見 てみましようOこの移転を決め た直接的な原因は、ゴキブリの 侵入により、当時のオフィスか らメンバーの足が遠のいたこと でしたOこれは現状に対する不 快情動行動といえますOもちろ ん費用面など複数の観点で、現 状維持の理性も多少は働いてい ましたが、それ以上にオフィス に集まれないことの「負」が大 き〈、プッシュ>習慣となり、 どこにするかを決めずに移転す ることが決まりましたO  この例から考えられるのはそ もそも新しい体験の提案がなく ても、顧客は行動に移す可能性 があるということですO日頃か らプッシュと習慣の拮抗、いい 換えると、いまを変えたいとい う気持ちといまのままでいいと いう気持ちのせめぎ合い(コン フリクト)が起こっていると考え られます(図2-4 )0  とくに現状がそのまま長く続 くと、「慣れ」が「飽き」につ ながり、むしろ変化を求めて プッシュのベクトルを刺激する 力が働きますO現状維持を示す 習慣のベクトルの強さはあると きからあまり変化がなさそうで すが一方で、時間とともに状況 が刻一刻と変わる中でプッシュ のベクトルは強くなっていき、 結果として新しいプロダクト・ サービスといった刺激がなくて も、現状を脱することを決めて しまうことがあると考えられま すO 選択肢の外にあるものは考 慮されづらい  続いて、1回目の移転と2回 目の移転のときの候補となる選 択肢の考え方について見てみま しようO1回目の引っ越しでは シェアオフィスだけを探索し、 2回目の移転の最初もセット アップオフィスのみで候補を探 していましたO世の中のオフィ スのあり方は多様であり、セッ トアップオフィスやシェアオ フィスだけでなく、ワンフロア の一部の領域を借りるものもあ れば、居抜き物件を借りること も、物件を借りて自分たちでレ イアウトして好きなデザインに することもできましたO  それでも、1回目、2回目の 双方とも選択肢が限定的たった 背景としては、他の選択肢を探 そうという発想がなかったこと ですOこれは、他の選択肢の費 用がどうも高そうで条件に合わ ないのではないかというバイア スもあれば、そもそも「知らな かった」ということもありますO このように当初持ち合わせてい る範囲内でしか候補となる選択 肢を検討しようとしないことは、 非常によくあります(図2-5)0  そもそも人間は、確証バイア ス(仮説や信念を検証する際にそれを 支持する情報ばかりを集め、反証する 情報を無視または集めようとしない傾 向)が働きやすく、当初もって いる選択肢だけでは不十分であ る可能性に目が向きづらいこと もあり、最初から念頭に置かれ ている選択肢以外をとらえるこ とは非常に難しいのですO  ビジネスの現場では、対象と する顧客の中ではどのような選 択肢が候補に挙かっているのか、 挙かっていない場合はどのよう にアプローチすれば選択肢に 人つてくるのかという観点が重 要なので、ただ認知をとればい いというわけではなく、検討が 始まる段階で候補に入るための 手はずを考える必要があるとい うことですO 使い始めると不安は不満に 変わる  1回目のオフィス移転を終え て、移転先のシェアオフィスで 数年過ごす過程について見てい きましようo引つ越し当初の状 況としては、未知の状態に対す る不安(八nxiety)が、実際に体 験してみた後でわかる使用中・ 使用後の不満(Dissatisfactionバこ 変わります(図2-6)0 D二回サこ≫ I泅2.6実際に使い始めろと。不安が不満に変わる  仮にこのタイミングで不満が 大きければ、別の選択肢を探し なおすということもあったで しょう。今回例に出したオフィ ス移転でも、定着するまでは過 去の状態がマンションの一室、 現在の状態はシェアオフィスで すが、新しい状況が定着して落 ち着いてくると、つまりシェア オフィスは過去の状態となり、 そこにおける不満は現状を変え たくなるプッシュの力につな かっていきますO  この概念の整理はサブスクリ プション系のサービスを検討す る際に非常に有用な議論となり ますO多くのサブスクリプショ ン系のサービスは無料のトライ アル期間があり、その期間中に 使ってみて、体験の良し悪しを 感じ、継続するか否かを決める ことができますO トライアル前 の段階では不安という不快情動 行動か見られる一方で、トライ アル後、または課金して最初の 数週間程度の期間は、継続する かどうかの見極め期間と考えら れますO  この期間中に不満や習慣の力 のほうが、プッシュ・プルより も大きい力になると、当然解約 行動につながりますOこのよう に、長い体験のプロダクト・ サービスの検討においても4つ の力の関係性を理解することで、 適切な課題の設定や打ち手の検 討がしやすくなりますO 匝十\ 状況への着目が体験価値の 検討をドライブする 顧客体験を理解する際の見方 として、ミクロには本能・行 動・内省といった知覚のレベル があり(さらに細かく見ると第2章 のような脳内の情動反応)、マクロ に見ると状況変化を受け入れる 際の4つの力があるとご紹介し ましたO  これらの枠組みは考え方とし てとても有効ですが、この枠組 みにかけ算してさらに強力なの が、くりかえしになりますが 「顧客の状況」を知ることですO 顧客が置かれた状況をとらえる ことで顧客体験について言語化 も進み、一歩踏み込んで顧客の 気持ちを予測できるようにもな りますO顧客が何を感じている か、何を欲しているのかをいい 当てることは、そもそも顧客当 人でさえ七言語化しづらく難し いものですOまた、とくに実際 のプロダクト・サービスを使用 する際の体感的な価値の知覚は、 実際に使用した人でないと生じ えない情動であるため、事前に 検討することの原理的な難しさ がありますO  ですが、使うシーンやその背 景となるコンテクストー状況を 事前に理解することで、体験価 値についても仮説を立てられる ようになりますOたとえば、土 曜日のお昼時に家族が目の前に いて、「お腹がすいたので何か 食べたい」といってきたとしま すOその場合、あなたは何をす すめるでしょうかOこの情報だ けだと、手元にあるものの中か ら適当に「インスタントラーメ ンがあるけど食べる?」といっ た形で聞いてみることしかでき ませんO本人に何を食べたいか 聞いても、あなたが提供可能な ものを回答してくれるかわかり ませんO  一方で、相手の状況を理解し ていると話が変わってきますO 仮にその家族が、朝から何も食 べておらず、それが前日金曜日 の飲み過ぎによる二日酔いが原 因たったとしますOそうすると、 さっぱりした、二日酔いでも食 べることができる胃腸に優しい 料理を、手持ちの食材でつくれ るものから提案できるようにな りますO  また、使用価値についても状 況をとらえることで言語化がし やすくなりますO某ビジネス パーソン向けのウェブメディア について、有料会員から解約し た人に対するインタビュー調査 をしたときの事例ですO解約理 由のアンケートによると「家計 の見直し」が圧倒的に多かった ので、料金の高さが課題なので はないかと議論されていましたO  ところが、実際にインタ ビューをしてみるとまったく違 うことがわかってきましたO前 提として、そのメディアの購読 者は記事から得られた情報を仕 事で活用できていることに対し て価値を感じていることはわ かっていましたOそういった背 景から、解約した人の仕事の状 況について聞いていくと、実は 解約者の大部分が異動や転職に よって業務内容そのものが変 わっており、従来の使い方のま までは「業務で使えない」状況 に陥っていたことが明らかと なったのですO  こうした状況をとらえると、 議論すべきことは料金体系の見 直しというよりも、新しい業務 でも再び活用できるような体験 の設計に変わってきますOこの ように、体験価値の理解には状 況に着目することがポイントと いえるのですO 状況をとらえるということ は刺激の前後を押さえるこ と  状況には2つの種類がありま すO一つは「いまを変えたい」 と思ったときの「いま」の状況 で、これを本書では「状況A」 とよびますOもう一つは実際に 使ってみたり(行動)、その後内 省したりして生じる新しい状況 で、これを「状況B」!とよびま す(図2-7)0  この2つの状況は分けて議論 する必要がありますが、体験価 値の検討においてはとくに「状 況B」を見落としてしまいがち となるため注意が必要ですo  一般的に、利用者である人は、 プロダクト・サービスを利用し て、何らか効用を得ますoしか し実際はもう少し複雑で、プロ ダクト・サービスを利用するこ とで、使う側の人間も影響を受 け、変化していますoたとえば、 パソコンでExcelなどを使える ようになった前と後では、 Excelで作業が楽になっただけ でなく、そこで短縮できた時間 をさらに別のことに当てること ができている、という状況の変 化か生じているのですO  このように、状況をとらえる 際は刺激の前後、プロダクト・ サービスを利用する前だけでな く、使用した後の状況にも着目 する必要がありますO使用前の 状況と使用後の状況の差分を把 握することで、体験価値の言語 化か促進できるのですO  状況とニーズの     関係性 体験価値とニーズ・ウォン ツ  第2章の最後に、顧客の価値 と同時に言及されやすいニーズ やウォンツについても言及して おきますOニーズやウォンツに ついては実際さまざまな定義が ありますが、本書ではマーケ ティングの大家であるフィリッ プ・コトラー氏の定義にならい、 以下のような定義として話を進 めます。    ニーズ:人が生活する     うえで必要な充足感が     満たされていない状態     (一般的に欲求が生じている     状態といい換えることがで     きる)    ウォンツ:ニーズを満た     す特定の物が欲しいと     感じる欲望  先はどのオフィス移転のエピ ソードでいうと、「清潔なオ フィス環境が欲しい」という欲 求を「ニーズ」とよび、「シェ アオフィスやセットアップオ フィスを借りたい」という具体 的な選択肢を求めることを 「ウォンツ」とよびますO  ニーズやウオンツは、バ リュー・プロポジションとセッ トで出てきそうな耳なじみのあ る言葉だと思いますO具体的な 解決策の選択肢であるウオンツ から体験価値を類推することの 難しさは想像に難くないとは思 いますが、「ニーズ」を深掘り しても体験価値にたどり着くの も実は非常に難しいといえますO  本章で何度も述べてきている ように、体験価値は使用前の価 値と使用価値に分けることがで き、とくに使用価値は「使って みないとわからない」という事 前の欲求把握が難しい概念と なっていますO使用前の価値を 検討するうえでは「必要な充足 感が満たされていない状態(≒ 理想と現状の差分である欠乏状態)」 であるニーズ七十分有用に機能 すると考えられますが、使用 中・使用後までを見据えた体験 価値の検討においては片手落ち となってしまいますO ニーズの前に状況がある  プロダクト・サービスの開発 やマーケティングの世界では、 顧客のニーズは重要です。ニー ズの違いによって顧客の選択行 動が変わるので当然大事ですが、 さらに顧客の状況という見方を 取り入れると、顧客の状況的な 背景がニーズを発露するきっか け(トリガー)となるという関係 性が見えてきますO  たとえば、CMに喚起されて 「新しいスマートフォンが欲し い!」と思うこともあります。 ただ、これまで述べてきた体験 価値や4つの力の話を振り返る と、それだけではないことがよ くわかりますO  いまを変えたいと思う気持ち (プッシュ)と変えたくない気持 ち(習慣)のバランスが前提に あり、いまを変えたいという気 持ち(プッシュ)が勝ることで初 めて現状を変えようとする行動 が生み出されますOまた、CM を見てニーズが喚起されるとい うシーンでも、その前にはプッ シュと習慣の力の均衡が前提と して存在すると見るべきでしょ うO  つまり、ニーズを考える前に まず「既存の状況(状況八)」を 考える必要があるのですO状況 Aを深くとらえることで、顧客 の期待(使用謝襾値)の立ち上げ によリアプローチしやすくなり ますO  とはいえ期待だけを高めすぎ て、相対的に使用価値が低下し てしまうことは好ましくないこ ともすでに指摘しましたO期待 を適切に調整する必要があり、 そのためにも実際に使っても らったあとで生じる使用価値を デザインしておく必要がありま すO  使用価値は状況Bがどんな 状況なのかを考えることから導 き出されますので、状況Bを 深く考察する必要もありますO また状況が変わるとニーズや ウォンツも変わるので、いった ん使用価値をデザインしたらそ れで終わりということはなく、 刻々と変わっていく状況をとら えながら、使用価値もその都度 デザインしていく必要がありま すO  これは先ほど述べたように、 使用価値は顧客との共創で生ま れるものであり、顧客からの フィードバックがあって初めて 言語化できる部分が大きいから でもありますOフィードバック から使用価値を再デザインでき るということなのですが、再デ ザインすることでまた新たな状 況が生み出されて、新しい フィードバックをもらえる、そ してそのフィードバックがまた 新たな状況を生むというサイク ルが生じることを意味しますO  したがって「バリュー・プロ ポジション」も一度定めたら終 わり、という静的なものととら えるのではなく、現実的には 「バリュー・プロポージング」、 つまりバリューをプロポジショ ンする創造サイクルを回し続け るという動的なものであると心 がけるべきなのですO  以上で、本書が提言する「広 義のバリュー・プロポジショ ン」をつくるうえで必要となる バリューの説明は終わりですO しかしニーズやウオンツあるい は状況だけでは、実は大事な ヒースが一つ抜けているため、 まだバリューを形にすることは できませんO  次章ではそれらのヒースであ る「機能(資源やリソース)」につ いて触れながら、バリューをど うやって形にしていくかを考え ていきますO ● 顧客フォースモデル 米国のシリアルアントレ プレナーで、国内でも 『Running Lean』(オライリー ジャパン、2012)の著書で有 名なアッシュ・マウリヤ (人sh Maurya)氏は、『ジョブ 理論』(ハーバーコリンズ・ ジャパン、2017)の発想とボ ブ・モエスタ氏の「4つの 力」をうまく統合して可視 化した顧客フォースモデル というフレームワークを提 唱しています(図)O  モエスタ氏の4つの力に ついて、不快な現状から望 ましい状態に移行するカス タマージャーニーを坂道を のぼることになぞらえて視 覚化しており、とても感覚 的にわかりやすいイメージ になっていますO  顧客フォースモデルでと くに参考になるのは、トリ ガーイベントという着眼点 ですO顧客が普段の習慣を 超えて、新しいやり方にス イッチしようと動機づけさ れるきっかけのことを指し ていますO  人は多少心地悪くても習 慣があるので既存品を使い 続けますが、認識や状況の 変化によって、利用時の体 験が期待値を下回る瞬間に 我慢できなくなり、新しい ソリューションに目を向け ようとする瞬間がありますO  期待と体験のギャップが 無視できないレベルで起き る瞬間がトリガーイベント であり、顧客が新しいソ リューションを探そうと動 機づけられて、いよいよ行 動に移していくさまをプッ シュとして位置づけていま すO I Bob Moesta, Demand-Side Sales − 101: Stop Selling and Help Your Customers Make Progress, Lioncrest Publishing, 2020. 2 ドナルド・ノーマン著,岡本明他 一 訳『エモーショナル・デザイン』新曜 社(2004) 3 The Four Forces of Progressの筆者訳 − です。 Moesta, Bob. Demand-Side Sales 101: Stop Selling and Help Your Customers Make Progress, Lioncrest Publishing, 2020. 4 状況Bは,プ囗ダクト・サービス ー をもった後の状態を指します。状況B について考える際,状況Aよりもよく なっている状態をイメージしがちです が、何かしらのプ囗ダクト・サービス を使った結果、状況Aよりも悪い状態 になることも当然ありえます。   状況×機能   (資源、リソー     ス) 顧客価値のために企業がで きること  これまで顧客の状況理解の重 要性について強調してきました が、プロダクト・サービスづく りも当然重要ですOお腹がすい ている理由を考え続けても満腹 にならないように、いくら状況 について深掘りしても片手落ち で、具体的なプロダクト・サー ビスがないことには状況の進歩 も始まりませんO  企業が提供するプロダクト・ サービスと一口にいっても、実 際、顧客の状況をよくするため に企業が提供できるものはさま ざまですOそれこそ鉄などの資 源から、米や野菜などの素材を 調理した料理や、はたまた食器 や家電など有形のものもあれば、 アプリのようなデジタル製品も あり、YouTubeなどに上がっ ているコンテンツや知識、そし てサービスなど無形のものまで 多種多様ですo  また必ずしも自社で所有して いなくても、たとえばグラウト インフラとしてアマゾン社の AWSを使ってSaaSを提供でき るようにするなど、外部から調 達することもできますo詳しく は後述しますが、本書では顧客 価値のために企業が「できるこ と」を総称して「機能」とよん でいますO機能とは、資源やリ ソース、アセットとよばれるも のともいえますO 顧客の状況をよくするために 企業が提供一調達できるもの  ・素材(鉄鋼、小麦)  ・製品(カメラ、スマートフォン、  冷蔵庫)  ・サービス(宅配、整体、レッ  スン)   ・コンテンツ(映画、音楽、授   業)   ・オペレーション(営業部隊・   開発部隊)   ・技術(AI・XR・バイオ)   一人材一人脈・データ な   ど  これらの機能がうまく統合・ デザインされて、顧客の状況に うまくフィットすることで、体 験としての価値創出や、状況の 改善につながっていきます(図 3-1)。  本章では、こういった状況と 機能の関係についてご説明して いきますO  体験のコンセプ      ト 状況に応じたバリュー・プ ロポジション  顧客の状況をよりよくシフト するためには、顧客にその提案 を受け入れてもらう必要があり ますO社会的に優れた提案だっ たとしても、顧客にその利用を 促すには、顧客に実際に価値が あることを認識してもらわなけ ればなりませんO  価値の認識をもたらすのは顧 客の情動反応でしたO顧客の情 動反応には、それを引き起こす 「何らか知覚できる要素・刺激」 が必要になりますO顧客に何ら かの刺激が与えられ、その刺激 に対して情動反応が起こるOこ の刺激と反応の構造を、薬を例 に見ていきましようO  一般的に、薬は図3-2の円グ ラフ部分に示すように有効成分 と添加剤(いわゆる「その他」の成 分)とに分けられます。添加剤 とは味や形状を構成するための 成分であり、直接的な薬用効果 がないものを指しますO薬を囗 から摂取しやすくするため、形 状(カプセルや錠剤)や味など、 本来の目的である有効成分以外 の要素もあわさって薬は構成さ れていますO  病気になった際、図3-2のよ うに薬が苦手ではない人が薬に 対して価値を感じるのは、薬の 中でも有効成分に対してでしょ うO一方で薬が苦手な子供の場 合は、有効成分もさることなが ら、味や形状などの「飲みやす さ」を構成する添加剤も価値を 感じる要素になると考えること ができますO  この話から2つのことを導き 出すことができますO一つはプ ロダクト・サービスは顧客が価 値と感じやすい刺激を引き起こ す要素と、そう感じにくい要素 のグラデーションがあることO もう一つは、顧客が価値と感じ る刺激を引き起こす要素は、顧 客の状況によって変化するとい うことですO  プロダクト・サービスはさま ざまな体験を引き起こす刺激の るつぼ・器のようなものですが、 そこに含まれる「とりわけ顧客 に価値として感じてもらいやす い要素」がありますOどの要素 をピックアップするかは、顧客 の状況を見たうえで体験の方向 性を「体験のコンセプト」とし て定め、その体験を実現するた めに特定します(ただし実際その ように知覚してもらえるかは顧客次第 なので、本当の最後は祈るばかりです)。  ここでいう「体験のコンセプ ト」を本書ではバリュー・プロ ポジションと位置づけますO体 験のコンセプトであるバ リュー・プロポジションは、プ ロダクト・サービスやその背後 にあるオペレーションに実装さ れていきます廴顧客が価値を 感じる要素が顧客の状況によっ て異なるとすると、対象とした い状況にあわせてバリュー・プ ロポジションを考えることにな りますO  状況だけではバ  リュー・プロポ  ジションはつく    れない 状況検討は必要条件  バリュー・プロポジションと は、顧客に価値を感じてもらう べくどのような状況でどのよう な体験を提供したいかの方向性 を示すこと=体験のコンセプ トですOさまざまな価値の要素 を内包した器であるプロダク ト・サービスを顧客が体験する 中で、バリュー・プロポジショ ンが反映された要素が価値認識 という情動反応を引き起こすと いうことを説明をしてきましたO では、このバリュー・プロポジ ションはどのようにしてつくる ことができるのでしょうかO  バリュー・プロポジションは 対象とする状況ごとに存在しま すOしかし、状況だけに注目し ていれば顧客のよりよい体験が 生まれるかというとそうではな く、当然打ち手の検討が必要で すO筆者らもよくクライアント から、新規事業や新規サービス をつくる取り組みに際して、 「顧客を見ることは大事だとわ かる。でも、顧客を見た後でど うすればいいのか。顧客を見て も事業がつくれない」というご 相談をいただくことがありますO 本書の読者の中にも、「ニーズ やジョブが大事だといわれてい るから調べてみたけど、そこか ら何をどうあつかえばいいのか わからない」という経験をおも ちの方もいるのではないでしょ うかO  実際のところ、そういった疑 問や指摘はまさにその通りで、 状況さえ見ていればバリュー・ プロポジションをつくれるわけ ではありません乙バリュー・ プロポジションをつくる際、気 づいたら顧客の状況探索を広げ すぎて立ち行かなくなることが ありますが、これは打ち手の制 約が何もないことが一因ですO  打ち手の選択肢が多くて何で もやれそうな場合がこれに当た りますO筆者の紐験の中では、 たとえば大手企業の新規事業開 発にて社内外の無数のアセット にアプローチできてしまうから こそ、逆説的に一つの現実的な 方針に落とし込むことが難しく なるケースがありましたO  たとえば、ある企業において 「職場の休憩」をテーマとした 新規事業企画がありましたO顧 客の状況を詳しくリサーチして 新規事業をつくることは決まっ ていたものの、予算規模が大き かったこともあり、やろうと思 えば自社のアセットでなくても M&Aなどで外部調達するこ とも可能な状態でしたO  「職場の休憩」について、営 業パーソンやエンジニア、コー ルセンターの窓口担当からお医 者さんまで、さまざまな職種の 人の休憩実態について把握し、 整理・構造化が順調に進んでい ましたが、やがて大きな壁にぶ つかりましたO顧客にとって 「本当はこうしたいけどできな い」といった葛藤(コンフリクト) は価値提供の大きな機会ですが、 緻密に分析を進めるほどこう いった機会がいくらでも見えて くるのですO  どこを機会として、どのよう な事業をすべきかが一向に見え てきませんでしたO顧客が置か れた状況がまざまざとわかり、 どんな状態になれば価値を感じ られるのか、いまどんなコンフ リクトが生じているのか、そう いった材料が一通りそろってい るにもかかわらず、事業・サー ビスの方向性が不思議と決まり ませんOなぜこのような状態に なってしまったのでしょうかO 打ち手の選択肢や制約がな いと解きにくい  プロジェクトチーム内で議論 した結果、企業側の制約がまっ たくなく打てる選択肢が多すぎ るから決め手に欠けるという結 論になりましたOこれをイメー ジとしてお伝えするならば、あ る点Aを通る直線を引きたい 場合、引き方は何通りも存在し ます(図3-3 )0  心Aのみを逎る直驤は多数存在      論六百ごズま  ノノ ●涓3-3打ち甼の選只肢と制約のイメージ  これと同じように、当然です が顧客の状況に関する機会だけ あっても事業を定めることがで きませんOただし、点Aに点 Bが加われば、これらの2点を 通る直線は1本に定まりますO  このプロジェクトでは先述の 壁を乗り越えるために、顧客の 状況改善につながるような技術 要素を、社会学・心理学・神経 科学などの研究分野から洗い出 し、できる・できないの制約を 確認していくことにしましたO その当時や近い将来の技術でで きないことをやろうとしても、 絵に描いた餅になってしまうの で、できる可能性がないものを 削ったのですO結果的に、顧客 の状況をよりよくするうえで相 性がよい技術で、かつ実用可能 なものに絞ることで、「職場の 休憩」をアップデートするよう なプロダクトの提案に至ること ができました犬 ドド ̄   空間 問題空間一解決空間という フレームワーク  スタートアップなどのプロダ クト開発でしばしば参照される フレームワークとして、問題空 間(Problem space)一解決空間 (Solution space)という考え方が あります(図3-4 )40  本書の視点では、問題空間と はこれまで顧客のニーズやペイ ンといわれていたもので、まさ に「顧客の状況」が該当しますO さて先はどの「職場の休憩」の 例では、問題空間の深掘りは徹 底的にやり尽くしましたが、そ の反対の解決空間の議論がほと んどなされていなかったとわか りますO解決空間とは打ち手の 議論ですO打ち手の制約、つま り解決空間の検討がなければ、 プロダクト・サービスの具体的 な提案を絞り込むことができま せん犬  一方で、解決空間がプロジェ クト開始段階からある程度決 まっている場合は具体的なソ リューションを絞り込みやすく なるため、事業検討が進めやす くなりますOこれまで保険やメ ディア、メーカーやサービス業 など、複数の新規事業の支援を 行ってきましたが、使いたい技 術が決まっていたり、できるこ とが明示されていたりと、解決 空間のオプションが一定数存在 していた場合は、ソリューショ ンの提案がスムーズでしたO  このように見ていくと、バ リュー・プロポジションをつく るうえでは、問題空間における 「状況」と対になる、解決空間 で検討すべき概念を明らかにす る必要がありますO本書ではそ れを「機能(function)」とよび、 次項で詳細に見ていくこととし ますo 解決空間で検討すべき「機 能」  機能とは、端的にいうと企業 が「できること」を表しますo 企業が「できること」とは、製 品を構成する成分や技術開発で あったり、サービスや業務オペ レーション構築であったり、さ らにはスタッフ個人がもつ能力 やアイディア、果ては部署や企 業がもつカルチャーや風土、人 材要件、あるいは自社で抱えて いない外部協力者との接点やつ ながり、人脈に至るまで、価値 の実現に役立つあらゆるものを 含みます(第1章の COLUMN rサービス・ドミナント一口 シック)における資源のことです)o リソースやアセットという言葉 のほうが聞きなじみがある方も いるかもしれませんが、「状況」 と対をなす表現として覚えやす いので「機能」という言葉を採 用していますO  こうした機能は既存事業を担 うチームからすると当たり前の ことで、特段意識されていない ことも含まれるため、機能を洗 い出していくプロセスでは注意 が必要ですOまた、問題空間と 解決空間の考え方にもあるよう に、機能は問題空間とのかかわ りの中で深化・詳細化されてい くものでもあるため、当初は気 づかなかったが状況をよく見る ことで、意外なものが機能であ ると気づくこともありますO  たとえば、過去のさまざまな サービスの研究をしていく中で、 競争優位をつくる一つの勝ち筋 として、スタッフの足でデータ を獲得し、独自の新しいデータ ベースをつくるべきと気づいた 人がいたとしますOたまたまそ の人が、自身で新しいプロダク ト・サービスをつくろうとした 際、「足でデータを稼ぎデータ ベースをつくる」という選択肢 をもつことができるという点で、 事業者の紐験に裏打ちされた勝 ちパターン自体や、事例研究を 重要視するマインドセットなど もその企画チームにおける「機 能」とみなすことができるので すO 機能検討に必要なマインド セット  解決空間の検討とは、機能の 洗い出しを指しますOこの洗い 出しは、最初に一度行えばいい というわけではありませんO解 決空間の対となる問題空間にお ける状況の解像度が上がるに 従って都度見直したり、新しく 使える機能がないかを探し続け ることが欠かせませんO  そこでは、つねに機能として 使える要素がないかを貪欲に探 求するマインドセットが求めら れますOこのマインドセットを うまく言語化しているものとし て、インドの経営学者であるサ ラス・サラスバシー氏が提唱し た「エフェクチュエーション」 という理論がありますO  エフェクチュエーションの考 え方は、起業家が予測や予見だ けに依存せずに、その場その場 で利用可能なリソースを活用し 意外な変化さえも活用すると いった方法で、実際の「効果 (エフェクト)」を生み出す姿勢を 強調していますo  エフェクチュエーションには 5つの原則があります。  @手中の鳥(Bird in Hand)の   原則  既存の手段を用いて新しい  何かを生み出すこと  A許容可能な損失 (Affordable Loss)の原則 損失が生じても致命的には ならないコストをあらかじ め設定すること Bクレイジーギルド(Crazy- Quilt)の原則 ビジネスや新しいプロジェ クトを展開する際に、投資 家、顧客、仲間の起業家、 またはその他のパートナー 企業など他のステークホル ダーとのパートナーシップ を積極的に形成し、共同で 目標を達成することを奨励 する。一見無秩序に見えま すが全体として機能的で美 しいパターンをもつクレイ ジーギルド(一種のギルドパ ターン)から来ている Cレモネード(Lemonade) の原則 失敗品でも工夫して、新た な価値をもつ製品へ生まれ 変わらせること(失敗を成功に 変えること) D飛行機の中のパイロット  (Pilot-in-the-plane)の原則 4つの原則を網羅した原則  で、状況に応じて臨機応変  な行動をすること  この中でとくに機能検討にか かわるマインドセットは、「B クレイジーギルドの原則」ですO クレイジーギルドとは、土台布 の上に色も形も不規則な布を縫 い付けたパッチワークのことで す(図3-5 )0 ■図3-5 クレイジーギルド  皿     sxL7Ft4)  クレイジーギルドの原則は、 色も形も不規則なクレイジーギ ルドになぞらえて、存在するも のは個人のコネクションでも何 でも使おうということを指して いますOクレイジーギルドの原 則に従えば、ともすると競合他 社でさえアライアンスパート ナーになりうるのですO使える ものは何でも使う、できないこ とは他と手を組んででもできる 状態にする、そういったマイン ドセットが機能探索において必 要といえますO −   機能で状況を切      り取る できること・できないこと から絞り込む  ここまで、問題空間としての 「状況」と、解決空間としての 「機能」について言及してきま したO実際にはこれらを行き来 しながら考えることで、バ リュー・プロポジションをつく り、精緻化していくことになり ますO  第2章で触れたように、顧客 が置かれた状況はつねに変化し、 多様・重層的に存在する概念で すO一方で、機能もとらえ方次 第でいくらでも複雑に増やすこ とができますO どちらも自由度 の大きい変数となるため、いざ 状況と機能の両方を考えろとい われても、どこから手を付けた らいいかわからなくなりますO この場合どちらかを仮決めして 考えることになるのですが、状 況と機能のどちらを仮決めすべ きでしょうかO  おすすめはまず「機能」の仮 決めですOたとえば、現在や近 しい未来の技術でできること・ できないことの考察を行うだけ でも、何らか制約を見出すこと はできますし、企画が行われる 企業や部署の方針など、ある程 度コンテクストが存在する場合 はそれ自体も制約としてイン プットとすることができますO  もちろん先に状況を決めてか ら、使える機能を探し出す進め 方も間違っているわけではない のですが、狙い定めた状況をよ りよい状態にするための打ち手 が、社会実装可能なのかどうか わからない状態から機能の検討 を進めるため、検討の負荷や難 易度が少し高くなることが想定 されますO 機能をサーチライトとして 状況を見る  意志をもって機能を仮決めし、 進歩を生み出せそうな状況を探 し、再びその状況を進歩するに 足る機能を真剣に考える、そう いった流れでバリュー・プロポ ジションを考えることができる ようになります(図3-6 )0  最初のステップとしては、仮 決めした機能でアプローチでき そうな状況を探していきますO イメージとしては図3-7のよう に、機能をサーチライトのよう に見立て、状況を照らして探し ていく営みとなりますO  具体的な事例で説明しますO ある損害保険会社における新規 事業開発において、自動車保険 の領域で少額・短期のリスク計 算ができるという組織能力を活 用し、新しい事業機会を探すと いう取り組みが過去にありまし たOまず、自動車を利用する シーンにおいて少額・短期のリ スク計算の機能が活きそうな状 況の仮説を立てることから始め ていきましたO  とくに「個人と個人の車の貸 し借り」という状況を細かく分 析していく中で、CtOCのカー シェアや友人間の車の貸し借り、 企業・個人間の車の貸し借り (社用車を社員が利用するなど)や、 家族同士の車の貸し借りなどに ついて、幅広い顧客の状況に関 するインプットを取得していき ましたOこの個人間の貸借につ いて、貸す側・借りる側の状況 についてインプットを得ていく 中で、少額・短期のリスク計算 機能がもっとも活用できそうな 状況として、家族間の車の貸し 借りが浮き彫りになってきまし たO  それまでのCtoCのカーシェ アでは、貸す側か保険加入をす ることになっており、貸し手と しての顧客はこの機能について 一見するとポジティブな反応に は至りませんOまた、社用車を 社員が利用する際にはルールが 決まっていたり、友人に車を貸 すことが多い人は自身の自動車 保険で契約者以外が運転しても 補償されるようすでに対応して いたりして、顧客が少額・短期 の機能を機会につなげることが なかなかできませんでしたO  一方で家族間の貸し借り、別 居している親子間の貸し借りが 行われる状況では、明らかにポ ジティブな反応が見られたので すOその背景には、年に数回し か乗らない、しかも年齢制限の 観点で高くつく子供のために、 自動車保険のカバー範囲を広げ てお金を払い続けることは、貸 し手である親目線では避けたい と考えていることが挙げられま すO  貸し手である親目線で見ると、 普段は保険のカバー範囲外の子 供が帰省のタイミング、あるい はそれ以外のシーンで、車を貸 してほしいと頼まれた場合、子 供自身に保険に人つて欲しいと 考えますO他方子供側は、保険 に入ることはやぶさかではない ものの、検討していた2017年 当時では1囗限定で入れる自動 車保険に加入するためにコンビ ニに行かないといけなかったり、 面倒な手続きが必要だったりと、 気軽に入れる状態ではなかった のですO  親としては保険に入って欲し い、子供としては入るのは嫌で はないものの面倒なのが嫌、と いうコンフリクトが生じ、結果 的に無保険運転が多く発生して いたのですOこのように仮決め した「機能」が価値として認識 されうる状況を分析し、コンフ リクトをとらえることで「機 能」が価値として認識されうる 状況を深くとらえることができ たのですO  その後の検討で、親の保険に 入って欲しいという気持ちと、 面倒なのは嫌だという子供の気 持ちを解消するべく、「車を貸 して」という親子間のコミユ ニユケーションの流れの中で保 険に入ることができ、走ってい る間はリスクの備えができると いう体験の方向性(バリュー・プ ロポジション)で検討を進めるこ とになりましたO  ここで着目すべきは「コミュ ニケーションの流れの中で入れ る」という要素ですOこのタイ ミングで仮置きした「機能」に 大きなフィードバックがかかり、 コミュニケーション基盤を提供 する事業者との協業に関する交 渉がアジェンダに加わるように なったのでしたO バリュー・プロポジション を導き出す考え方  バリュー・プロポジションの 検討には状況と機能のすり合わ せが必要であることを説明して きましたOここではさらに前述 の例から、バリュー・プロポジ ションをどのように導き出すの かを説明していきますO  顧客の状況から考えるバ リュー・プロポジションは、次 の4つの要素を関係させる中で 導き出します(図3-8 )0 理想状態(ビジョン) ビジネスとして世の中にどんな シフトを起こしたいか理想状態 を定めますO企画者としてのや りたいことです仇上記の自動 車保険の事例では、「無保険状 態での自動車運転がなくなる」 状況を理想状態としていましたO 機能 状況を変革しうる自分たちが調 達可能なアセット、資源、リ ソースですO事例の中では、 「自動車保険における少額短期 のリスク計算」という自社の強 いアセットがありましたO 現在の状況(状況A) 実際の現実に存在する、顧客が コンフリクトを感じている状況 を機会として発見し、ターゲッ 卜としますO事例の中では、 「親子間の車の貸し借りにおけ るコンフリクト」を機会として 見出しましたO 目指したい状況(状況B) 顧客のコンフリクトが生じてい る状況Aに対して、プロダク ト・サービスを提供して現実解 として生み出せそうな状況B を定義しますO事例の中では、 「親子間の貸し借りにおいても ちやんと保険に加入した状態で 運転が行われている」ことを現 実に起こしたい状況Bとしま したOこの目指したい状況B は、状況Aを分析すれば自然 と導かれるものではなく、上記 の機能や理想状態を考える中で 洞察されるものですOまた、実 際に顧客へ提供したフィード バックを通じて、状況Bは微 調整されていくことでしょうO  これらは先はどの自動車保険 の例で見ると、図3-9のように 整理ができますO  次に考えるべきはプロダク ト・サービスの要件となりますO ここで重要なのは、機能や状況 Aから、「目指したい状況B」 を実現するために顧客に提供し たい「体験のコンセプト」と、 その実現に必要なプロダクト・ サービスの要件、およびプライ シングを考えることですO  体験のコンセプトは、先ほど の自動車保険の例でいうところ の、「車を貸して」という親子 間のコミュニュケーションの流 れの中で保険に入ることができ、 走っている間はリスクの備えが できるという体験が該当し、こ れが本書で定義するバリュー・ プロポジションとなりますO  現実的にはそのような体験を 顧客が受け入れてくれるか、ま た実際にそのように体験しても らえるかは顧客次第でもあり、 企業と顧客との協創になるため、 やりながら磨きながらの活動に なりますO体験のコンセプトが 見えてきたならば、それを実際 にプロダクト・サービスに実装 するための要求や、顧客体験の 一部でもあり事業としての継続 性を担保するプライシングの検 討を行う必要もありますO  自動車保険の例で考えると、 「コミュニケーションの流れで 入れる」という観点を実現する ために、新しくアプリをつくる のではなく、現実に親子間の会 話が行われているコミュニケー ションツール上で行われるべき であるというプロダクト・サー ビスへの要求がでてきたり、子 供が感じる面倒さを極力減らす ために、課金のあり方も使った 分だけ支払う・運転している間 は自動で継続されるといったプ ライシング観点での要件を検討 していく流れとなりますO  このように、機能と状況A、 理想状態から目指したい状況B を導出するステップがあり、そ の状況Bを実現するための体 験コンセプト、下支えするプロ ダクト・サービスへの要求とプ ライシングを検討するステップ という2つの手順を経ることで、 体験のコンセプトであるバ リュー・プロポジション自体の 検討と、バリュー・プロポジ ションのプロダクト・サービス への落とし込みができるように なるのです(図3-10)O  バリュー・プロ  ポジション導出  の2つの考え     方 @機能からバリュー・プロ  ポジションを考える  ここでは具体的にバリュー・ プロポジションのつくり方のス テップについて説明していきま すO機能からバリュー・プロポ ジションを考える方法と、状況 からバリュー・プロポジション を考える方法がありますO前述 の通り、機能を先に検討するこ とを本書では推奨してきましたO 機能を仮決めしてからの流れと しては、理想状態から考える進 め方と、現在の状況(状況八)か ら考える進め方に分けられますO  ・ 理想状態から考える  ・ 現在の状況(状況A)から   考える  それぞれ具体的に見ていきま しょうO  まず機能×理想状態から考 える進め方ですが、これは先に 実現したい世界を考えたうえで それに則した機会を見つけるビ ジョンドリブンなアプローチと いえ、図3-11のように検討を 進めていくことになりますO  イメージとしては、仮置きし た機能を用いて、「こういう社 会を実現したい」「こういう状 態にしたい」といった理想状態 を決め、その理想状態にもって いけるような状況Aを抽出し ていきますO具体的なイメージ をつかんでいただくために、こ のアプローチを使って事業を企 画したケースをお話ししていき ますO  筆者が経営する会社の子会社 にNwtihという会社があり、そ こでは顧客と管理栄養士との間 でマッチングを行い、個々人の 食事管理サービスを提供する CHONPS(チョンプス)という サービスを運営していますOこ のCHONPSの企画は下記のよ うに進んでいきましたO  企画者(現代表)のまわりに管 理栄養士が複数人おり、国家資 格である管理栄養士の資格を取 得する苦労と、現状の管理栄養 士たちが置かれた収入や仕事の 状況などを知る中で、「管理栄 養士が過小評価されない状態」 という理想状態を掲げて事業の 検討を開始しましたO  フリーランスとして活躍する 管理栄養士の仕事の仕方や管理 栄養士に食事管理を依頼する経 営者の存在など、さまざまなイ ンプットを得る中で「管理栄養 士ができること」をうまく集約 したビジネスをつくれないかと 企画の検討を進めていき、まず 着手したのが管理栄養士とのコ ネクションづくりでしたO  個人事業主として先進的な活 動を行う管理栄養士を検討メン バーに複数人招きながら、状況 のヒアリングも行いつつ事業企 画案の検討を行っていき、この プロセスが機能(数多くの管理栄 養士を抱えていること)の獲得につ ながりましたOある程度集まっ たインプットと管理栄養士との つながりを踏まえ、管理栄養士 に寄り添いつつ、「パーソナル 栄養士をつけた食事管理が当た り前になる」状態を目指す CHONPSという事業の立ち上 げを企画しましたOこの「パー ソナル栄養士をつけた食事管理 が当たり前になる≒顧客が自分 にあった食事管理ができてい る」という状態が、「目指した い状況B」となりますO  当然パーソナル栄養士をつけ た食事管理を行うことが価値と して認識される人とそうでない 人に分かれるため、現在どのよ うな状況にいる人を最初の顧客 としてあつかうべきかを検討し ました(状況Aの探索)。  たとえば、健康状態に気を遣 わなければいけない、ハード ワークを行うビジネスパーソン や、幼い子供のためにつくる料 理に不安をもつ育児中の方など、 価値提供の機会となりそうな状 況Aを複数洗い出していきま したOそれぞれの状況における コンフリクトを見ていくと、個 別に困りごとがありつつも、共 通するものとして「食事は大事 だと思っているが、ついつい意 識から抜けてしまうので、適度 に人に促されないと続かない」 というものや、「食事管理は目 的ではなく手段であり、目標の ために食事管理を行いたい」と いったものが出てきましたO  これらを踏まえ、人を介した 面談を行い、そこで目標を決め、 その目標からブレイクダウンし た食事(+生活習慣)選択でやる べきことを定めて日常生活を 送ってもらうという体験の方向 性が整理されましたOそして、 その実現に向けてアプリの要件 を整理していき、実装・リリー スとなりましたOこのように、 調達した「機能」から目指した い状況Bを定め、その後状況 Aを抽出する中で具体的な要件 を整理していくやり方が一つ目 のアプローチとなりますO  次に、二つ目の機能×現在 の状況(状況八)から考えるアプ ローチですが、これは機能が活 用できそうな課題や機会があれ ばそこから出発してしまうアプ ローチですO前述のコミュニ ケーションの流れの中で入れる 自動車保険の事例で紹介したも のとなりますので詳細は割愛し ますが、流れとしては図3-12 となりますO  少額・短期のリスク計算とい う機能を皮切りに複数の状況A を見に行き、結果として親子間 の自動車貸借のコンフリクトを 見出しましたOなお、先方の掲 げる理想状態は「無保険運転が ない社会」であり、状況Aや 機能を踏まえて「親子間の貸し 借りにおいてもちやんと保険に 加入した状態で運転が行われて いる」という状態を目指したい 状況Bとして定義しました。 そこに整合する形で、「コミュ ニケーションの流れの中で入れ る」という体験のコンセプトが つくられ、それらをプロダク ト・サービスとして実装するた めの要件の検討を行っていった 形となりますO 状況Aの選び方  理想状態の検討から着手する 場合であっても、状況Aの検 討から着手する場合であっても、 状況Aをどのように選ぶかは 非常に重要なポイントとなりま すO状況Aは「現状」を示す ものなので、狙った状況Aが ほとんど発生しないものの場合、 マーケットが非常に小さいこと を意味してしまいますO状況A は事実上無限に存在し、主要と 思われる状況Aも一つだけと いうことはありえませんO必ず 複数出てきますが、全部を進歩 させようとしてもリソースが足 りなくなるので、着目するもの を選ぶ必要が出てきますO  それでは着目すべき状況A はどのようにして選ぶとよいの でしょうかOそこで一つの方法 として、モメンタム(勢い)、口 バストネス(堅牢さ)、インパク ト(影響度)という3つの評価観 点を紹介しますこ。  モメンタム(勢い)とは、今 後この状況が増えていきそうか という観点で、状況発生頻度で 測りますO対象とする状況に置 かれうる人たちが現状どのくら いいて、その人たちはどのくら いの頻度でそうした状況に置か れるのか、そうした状況はどの くらいに増えそうかという観点 ですO  ロバストネス(堅牢さ)とは選 択した状況の強度・確からし さ・適応可能な状況があるかと いう評価観点ですO状況はいく らでも細分化することができま すし、抽象度を高めることもで きる概念ですO選択した状況の 抽象度をどこまで高めても、そ の状況を選択した理由かぶれな いでいられるかが重要なポイン トになりますO  インパクト(影響度)とは、進 歩によって変化する差分の大き さですO変化の差分か大きい、 または重要な変化であるほど、 影響力が強いことを示し、影響 の大きいものを選ぶのがよいと いうことですO また、インパク トが大きいものほど、顧客側の コンフリクトが大きくなる傾向 にありますOコンフリクトが大 きいということは、状況Aを 変えたい思い(プッシュ)が強い 一方で、動けない理由も拮抗し ている状態のことですが、その コンフリクトが解消すると一気 に状況が進歩するということで もありますOいい換えると、小 さなもやもやを解消するよりも、 決心が必要な大きなもやもやを 選ぶほうがよいということですO  インパクトとコンフリクトの 関係について、例を挙げて補足 しますOたとえば「部屋が乾燥 している」という状況Aが あったとしますOこの場合 ちょっと喉がいがらっぽいぐら いの状況であれば、のど飴をな めるぐらいの対処で済みますO コンフリクトとしては、のど飴 を買ってくる程度で、さして大 きくありませんOうがいをする ぐらいの対処であれば、コンフ リクトはもっと小さくなりますO ただしインパクトも喉が一瞬 潤ったという程度で大したこと はありませんO  これが「いまからステージに 立つ歌手や声優であり、控室の 部屋が乾燥していて喉がいが らっぽい」のならどうでしよう かO対処としてはボイスケア用 ののど飴を常備する、普段から 喉専用の加湿器をもち歩くなど で、コンフリクトも大きくなり ますが、治ったときのインパク トも大きくなりますO  状況Aの選び方としてはも う一つポイントがありますOそ れはちようどいい抽象度のもの を選ぶということですOたとえ ば前の晩においしいすき焼きを 食べ過ぎて胃もたれしていると しますO しかし同時に空腹感も あり、何か食べたい状況だとし ますO  この際に、「空腹である」を 状況Aだととらえると、これ は対象が広すぎて候補となる機 能を絞ることができませんO一 方「すき焼きを食べて胃もたれ がしている」を状況Aととら えると細かすぎて最適な機能を 見つけるのが大変になりますO 「肉の食べ過ぎで胃もたれがし ている」ぐらいの抽象度がちよ うどよく、機能も探しやすくな りますO A状況からバリュー・プロ  ポジションを考える  本書では状況と機能では、機 能を先に仮置きすることを推奨 してきましたが、状況から考え ることも不可能ではありませんO 状況から考える場合、基本的に は着目すべき状況Aを探索す ることから始めますO状況A の探索を進めていく中で、上記 で説明したモメンタム、ロバス トネス、インパクトの3つ観点 で評価し、深く検討する状況A を選択しますO  状況Aが見えてくると、「体 験のコンセプト」の検討を始め たくなるのですが、いきなり体 験のコンセプトの検討に入って しまうと、小さくまとまった課 題の裏返しのようなソリュー ションしか出てこなくなってし まいますOこれは、前述の問題 空間と解決空間のうち、解決空 間側の検討がないことに起因し ますO  解決空間で検討すべき「機 能」を洗い出すうえで制約がな いと、状況Aからボトムアッ プで関係しそうな機能を考える ことになってしまい、「なぜか つまらない」体験のコンセプト ができ上かってしまうのですO こうならないためにやるべきこ との一つは「理想状態」を振り きって考えることですO状況A とコンフリクトを眺めながら、 顧客をこういう状態にもってい くぞ、という企画者がよいと信 じる理想状態を思いきって先に 決め、その理想状態の実現に向 けて必要な機能を洗い出してい くことで、体験のコンセプトに も飛躍が生まれますO  もう一つは、状況における顧 客の目的のレイヤーを上げ下げ したり、多角的に見てみること ですO「顧客は1/4インチの ドリルではなく、穴がほしいの だ」というのは、マーケティン グ理論で著名なセオドア・レ ビット氏のドリルの穴理論とし て有名ですOたとえば日曜大工 などでドリルを買いたい顧客に、 本当は何がしたいのか目的を尋 ねたならば、実は壁に絵を飾る ためだったなどとわかりましたO それならドリルじゃなくてもい いのではと、壁に穴を開けずに 粘着力の高いシールのついた フックを壁に貼ったり、極端な 案としてはプロジェクターで壁 に風景を投影するなどの提案機 会が考えられますO  そのように考えると、ドリル を求める顧客に対して実は壁掛 けフックを売ることができるの で、顧客からしてもドリルより 安価で簡単に絵を壁にかけるこ とができて、魅力的で優位に映 るわけですO  つまり、人のニーズの背後に あるより上位の目的をとらえる ことで、さらにその目的におけ る状況とは何だと考えが及びま すOこのように目的を上位にの ぼって考えていくことで、別の 機会のイメージがわいてきますO  状況Aとコンフリクトを解 消し、理想状態に移行させるた めの機能を探していき、文脈に 沿う体験と要件を整理していく という流れであれば、機能探索 で多少苦労はしますが状況起点 でもバリュー・プロポジション の検討を行えるようになります (図3-13)0  余談ですが、さきほどのドリ ルのたとえの場合、不幸にもド リルは貶められた存在ですが、 機能側のアプローチを考える例 としても言及できますO ドリル という道具は、人間の能力を気 持ちよく拡張し、さまざまな状 況における新たな体験の可能性 をもたらしますO  ドリルは「壁に絵を飾る」と いう目的から見ると一つの手段 でしかなく、それ以外の手段で も代替可能なものとみなされて いますが、たとえば電動ドリル (またはドライバー)を使えば、手 作業だと何分もかかるであろう 穴あけやネジ締め作業が数秒で 終わり、その体験の変化は劇的 ですOこれだけ簡単だと、正直 DIYがはかどってとても楽し いはずですO  「ハンマーをもてば、すべてが 釘に見えてくる」というのと同 様、「ドリルをもてば、すべて に穴をあけたくなる」のも無理 のない話だと思いますO ドリル を使いたい・体験したいがため に、小さな座椅子や棚をつくる という方ももしかしているので はないでしょうかo実際にドリ ルが適用できるシーンは幅広い ものですo  たとえばサイズをもっと小さ くしてみるとどうでしようo中 国で人気のあるスマートフォン メーカーのXiaomi (シャオミ) 社が、WOWSTICKというペン シル型の電動ドライバーを提供 しているのをご存知でしょうかo 最近ではキーボードのキース イッチなどのパーツを自分で組 み換えたりする方もいると思い ますが、WOWSTICKはデスク 周りの電子製品の分解や組み立 て時の小型ドライバーとして非 常に使いやすく、見た目も洗練 されているため、普段から机の 上においてあっても違和感がな い存在として人気を博していま すO“ドリル”で遊べるシーン が増えること間違いなしですO  既存アプローチ    との違い マーケットインとプロダク トアウト  ここまでバリュー・プロポジ ションのつくり方について、両 者可変である状況と機能に着目 するアプローチを提唱してきま したが、本アプローチと読者の みなさんが聞いたことのある既 存のアプローチとの違いに言及 しておきますOプロダクトアウ トやマーケットインという言葉 を耳にしたことがあると思いま す(実はどちらも日本で生まれた造語 で和製英語です)O  プロダクトアウトとは、「企 業が商品開発・生産・販売活動 を行ううえで、企業側の都合 (論理や思想、感性・思い入れ、技術な ど)を優先するやり方」とされ ていますO要するに会社の方針 やっくりたいもの、つくること ができるものを基準にプロダク ト・サービス開発を行い、つ くってから、どのように販売し ていくかを考えるスタイルとい われていますO  一方で、プロダクトアウトの 対立概念とされるマーケットイ ンとは、「企業が商品開発・生 産・販売活動を行ううえで、顧 客や購買者の要望・要求・ニー ズを理解して、ユーザーが求め ているものを求められる分だけ 提供していこうという経営姿勢 のこと」とされていますOつま り、顧客の意見・ニーズをくみ とってプロダクト・サービス開 発を行うことを指しますO  ここまで状況と機能の話をし てきましたが、プロダクトアウ トは「機能」を中心にプロダク ト・サービスの検討をするあり 方であり、解決空間のみの議論 とみなすことができますO同様 にマーケットインとは顧客の 声・意見・ニーズに従ってプロ ダクト・サービスを開発するこ と指し、問題空間のみの議論と みなすことができますO  どちらのアプローチでも結果 的に成果が出る可能性はありま すし、否定するものでもないの ですが、本書で提示するアプ ローチでは問題空間と解決空間 の双方を変数としてあつかうこ とで、より確度高く顧客に価値 として認識されるようなバ リュー・プロポジション、およ びプロダクト・サービスの企画 検討を行うことができるアプ ローチになっていますO 状況を活用すると業界のと らえ方が変わる  本アプローチの特徴として、 問題空間と解決空間の双方をと らえることを挙げましたが、も う一つの特徴として問題空間側 で状況をとらえることが挙げら れますOこれまでのビジネスの 世界でいわれる「業界」という 概念は、プロダクト・サービス が属する「提供の仕方」の分類 で切られていましたO金融業や 製造業、人材業界などがその例 といえますOデジタルの領域が ビジネスで主要な立ち位置を占 める前の世界では、この業界の 区分が割ときっちりと区切られ、 競合は業界内のプレイヤーであ るケースが多かったと思いますO  一方で、昨今のデジタルの影 響力が大きくなる中で業界を見 ていくと、主要プレイヤーが業 界の垣根を越えた活動を行い、 その境界が溶けつつあることに 気づかれていると思いますOだ とえばアメリカの小売大手の ウォルマート社は、2023年現 在デジタル広告の収益で大きな 割合を占めていたり、コイン パーキングを運営するタイムズ 24などの企業がカーシェアビ ジネスを始める中で、「移動」 の領域で活動するようになった りといった例が挙げられますO  こうした既存の枠組みで見た 業界の区分を、顧客の状況起点 で見ると、ある企業の競合がど んなところなのかのイメージを つけやすくなりますOたとえば 忙しい中でも健康状態を気にす るという状況でとらえた場合、 既存業界区分でいうところの フィットネス系のサービスや、 事例として紹介した食事管理 サービスのCHONPS、特定保 健用食品の飲み物などを提供す る飲料メーカー、健康食品・サ プリメントを提供する食品メー カーなどが、すべて選択肢とし て並んでいるように見えるはず です(図3-14)0  本アプローチの特徴である 「状況」をとらえることで、実 は業界のとらえ方・競合のとら え方といった視点転換に使うこ ともできるのですO  意志や思想、メ  ンタリティの重     要性 意志や思想の重要性  ここまで見てきたバリュー・ プロポジションのつくり方の流 れの中で、「理想状態」の決め 方について言及してきていませ んでしたOこれは、何かしらの 軸を切って分析したり、フレー ムワークに当てはめれば、それ なりの示唆を得られるという概 念ではなく、施策担当者の意志 や思想に重きを置く領域となり ますO  起業家精神と訳されるアント レプレナーシップという言葉の 要素の一つとして、「自らの意 志で行動する」という意味あい が含まれているように、意志や 思想は起業家には必要だろうと 思う方も多いと思いますO逆に いうと、部門責任者や経営層を 除くと、ビジネスパーソンとし て個人の意志をはっきりと主張 しないといけないというケース に直面したことのある方はそん なに多くないのではないでしょ うかO  実際、筆者も分析結果や客観 的な指標、何かしらの軸で切っ た指標など、「客観的な正しさ」 の範疇で物事が決まると感じて いた時期もありましたOただ。 この「理想状態」についてはそ ういうわけにはいきませんO理 想状態を決めるのは検討主体の 意志や思いがもっとも重要です し、好き・嫌いが顕著に出る検 討事項だと感じていますO検討 主体が思い描く、「理想」をど れだけ高く・裾野を広げられる かによって、その企画の奥行き が決まっていくのですO バリュー・プロポージング ヘ  実はバリュー・プロポジショ ンは一度定義したら終わりでは なく、次の2つの意味でつねに アクティブでダイナミックな活 動になりますO  一つは、本章でもお伝えして きたように、価値とは顧客の状 況における知覚と、企業が提供 する機能との相互作用でつくら れるものですO  つまり価値は静的なものでは なく、その都度顧客と企業の関 係の中でダイナミックに創出さ れるものとしてとらえられますO このようなことを表現するため に、サービスデザインの文脈で はバリュー・プロポジションと いう静的な表現ではなく、バ リュー・プロポージングという 動的なものとして表現していま す仇  もう一つはよりシンプルですO というのも、顧客の状況は企画 者の意図と関係なくどんどん変 化していくわけですから、バ リュー・プロポジションも必然 的に変化しなければなりませんO まるでアキレスと亀9のごとく、 永遠に真の顧客価値に到達する ことはできないでしょう坤。少 なくともバリュー・プロポジ ションは一度つくったら終わり ではなく、つねに状況の変化や 機能の変化に応じてアップデー トを重ねていくべきものですO  ● 顧客の声一意見は打ち手  の検討には弱い  商品開発やマーケティン グの領域において、Vo C (Voice of Consumer)や顧客 の意見を参考にすることを すすめる言説がありますが、 ここまでの説明をご覧の読 者のみなさんはおわかりか と思いますが、あまり推奨 できるアプローチとはいえ ませんO顧客調査やマーケ ティング・リサーチ、ux の界隈で比較的よく知られ た小話として、「グループ インタビューの危険性」を 説くものがありますO  あるお皿のメーカーが 「どんなお皿が欲しいか」 というテーマでグループイ ンタビューを行い、「黒く て四角いお皿」がスタイ リッシュで欲しいという意 見でその場の結論がまと まったものの、参加者への 謝礼の一環で好きなお皿を もち帰る際に参加者が全員 「白くて丸いお皿」を選ん だというものですO話を聞 いてみると、白くて丸いお 皿を選んだ理由は家の他の お皿と調和がとれたり、 テーブルの色昧などとの相 性を考慮してとのことでし たO  一方で、グループインタ ビューの最中にはそういっ た自身の家の状況の話が出 てこず、同席する他の被験 者の顔色を見ながら、自分 とは関係ない世界での「欲 しいお皿」の話をしていた と考えることができますO こうした事例はお皿のケー スに隕つだものではなく複 数存在します(たとえば高級 カバンレンタルサービスのラクサ スの事例などはインタビュー記事 になって出ています旦)O  このようなケースにおい ては、各参加者の意見を求 めた結果、自分の状況とは 切り離された「適当な」 「バイアスたっぷり」の発 言が集まったと解釈するこ とができますOそれでは、 なぜ「意見」を集めるとバ イアスがかかりやすくなる のでしょうかO第1章でも 説明してきたように、そも そも価値とは情動の一種で あり、非言語で行われる反 応といえますOそして往々 にして人は自分の感じた感 覚を正確に言語化すること もできませんO  何か新しいプロダクト・ サービスをお試しで使って みて、「いまいちだった」 という意見をもっだときに、 それはプロダクト・サービ ス自体が使いづらかったの か、事前の触れ込みによる 期待値が高すぎて残念だと 感じたのか、何か原因でい まいちだったのかの言語化 を独力で行うことは難しい のですO  何か欲しい物を聞く際も、 「欲しい物」の候補にあが るのは、その大が知ってい る選択肢やその人のもつ常 識の範囲内のものでしかな く、先の類いの範疇を超え るものが「欲しい物」とし て出てくることは非常に稀 です(とくにフォーカスグルー プインタビューでは、他の被験者 も同席するという状況から生じる、 他の人の意見に流されたり、「周 りにこう見られたい」という見栄 を意識したりといった、「状況に 合わせた返答」が顕著に表われる ことが多くあります)。  こうした背景から、顧客 の声や意見は打ち手の検討 には弱いといえるのですO  バリュー・プロ  ポジションづく   りの振り返り バリュー・プロポジション の意味と向き合い方  これまでの話を踏まえ、バ リュー・プロポジションとはど のようなものか見ていきましよ うOバリュー・プロポジション は、体験のコンセプトであり、 プロダクト・サービスに反映さ れると、その反映された要素が 特定の状況で知覚され、使われ ることで、顧客が「価値があ る」と認識し、購入したり使い 続けられたりするといえますO  価値があると認識し、使い続 けることによって、顧客はその プロダクト・サービスがある前 の状況(状況八)から、そのプロ ダクト・サービスが生活や仕事 に組み込まれたよりよい状況 (目指したい状況n)へと進歩した と考えることができますo  バリュー・プロポジションの 目指すところは、顧客の状況A から、企画者自らが導きたいと 思う理想状態に顧客とともに近 づけていく取り組みをし続ける ことです(図4-1)o理想状態は あくまでも理想として抽象的に 描かれるため、完璧に実現され ることは難しく、本質的には達 成自体が難しいものですo  一方の状況Bは、あくまでも プロダクトやサービスを用いた 「結果の状態」であり、企画者 が一方的にコントロールできな いものですO企画者は概念とし ての理想状態に近づけるべく、 顧客と企画者が協働して実現す ることができる「目指したい状 況B」を仮置きし、その実現に 向けて状況Aや機能を組み合 わせながら検討を進めていきま すOこの一連が取り組みがバ リュー・プロポジションをつく る営みといえるのですO  バリュー・プロポジションを つくるためには、企画者の意志 である「理想状態」の検討が必 要ですOというのも状況Aは 顧客の現状を顧客リサーチ(第              − 7章参照)などのインプット収集 活動で担保できるものの、その 状況の「進歩」の結果先である 状況Bは、自然とどれか一つ に定まるということではありま せんOそもそも状況Bはプロ ダクト・サービスを經験した後 の事後状態、つまり提供者の提 供するものと実際の顧客の相互 作用の結果であるため、顧客側 だけ、または企画者側だけで決 まるものではありませんO  また、たとえ顧客に「どんな 状態になりたいか」の意見を聞 いたとしても、顧客自体が認識 している選択肢の範囲でしか答 えることができないため、状況 改善がとても限定的なものと なってしまいやすいですし、同 じ状況にある人たちでも、顧客 ごとに進歩したい方向性を別々 に意見する場合も当然ありますO  たとえば、夜に電気をつけて いても部屋が薄暗く感じる状況 (状況A)にある人がいるとしま すOこのとき「部屋が明るい状 態になること」が、その人に とって理想の状態としてとらえ ることができますが、「明るい 部屋」も多岐にわたりますO雰 囲気としての明るさ・暗さに関 する状況として認識する人もい れば、読書をするうえでの明る さ・暗さの話をしている人も交 じってきますOまた、光に対す る考え方についても、明るすぎ る光や特定の色調の光を浴びる と疲労感を感じやすくなる人も いるかもしれませんO  このように、さまざまな顧客 の状況Aをより詳細に見れば 見るほど、事後状態である状況 Bの候補も無限に出てきてしま い、顧客起点のみで決めること は困難ですOここで登場するの が意志としての理想状態ですO 理想状態を決めることで、結果 であり何通りも存在しうる状況 Bに対して「目指したい状況 B」という仮説をもつことがで きますO目指したい状況Bは、 企画者であるみなさんが元来ど んなことをしたいかの意志に照 らし合わせて決めていくしかあ りませんO  状況Aが無限に解像度を高 めることができる以上、結果と して想定される状況Bも無数 にあり、定めることが難しいた めですO状況Aに関するイン プットや自分たちの取り組みで できること(機能)などの材料 を一通り取りそろえるだけでな く、理想状態という名の顧客に 対する「こうなってほしい」 「こういう進歩を提供したい」 という想いをもって、バ リュー・プロポジションの検討 を進める必要がありますO バリュー・プロポジション のつくり方  改めてバリュー・プロポジ ションのつくり方を簡単におさ らいしますo本書で定義するバ リュー・プロポジションは、顧 客の状況の進歩(状況八→目指し たい状況n)を、顧客に価値を感 じてもらいながら実現するため の体験のコンセプトですoこの 体験コンセプトを組織をあげて 実行していきますo  バリュー・プロポジションの 導出のために必要な要素は以下 の4つですo  @現在の状況(状況人)  A機能  B目指したい状況(状況8)  C体験コンセプト(≒バ   リュー・プロポジション)  これらの要素の関係性を図解 すると図4-2のようにダイヤモ ンド(ひし形)になることから、 本書ではバリュー・ダイヤモン ドとよんでいますO  状況Aの中でも顧客の葛藤 である「コンフリクト」を探索 しながら、「機能」で進歩させ ることが可能なコンフリクトを 抽出していきますO状況A・コ ンフリクトを踏まえて、企画者 としての「理想状態」を加味し た「目指したい状況B」の検討 や機能の洗い出しを行いますO  「現在の状況」「目指したい状 況」「機能」がそろったら、ど んな「体験」を提供したら「目 指したい状況」に近づけること ができるのか、そのために必要 な要件は何か、そういったプロ ダクト・サービスはどのような 伝え方をすることで、どのよう な反応をされるのか、というこ とを一連の流れとして検討しま すにのときの「体験」には顧客が享 受できる便益だけでなく、対価である 「プライシング」や課金のされ方も検討 すべき要素として含まれます)O  このアプローチで検討できる のは、顧客に価値を感じてもら う≒進歩を生み出す体験の方針 を具体化したプロダクト・サー ビスをつくるための考え方とし てまとめてきましたO以降では、 この内容を検討しやすいフォー マットに整理した「バリュー・ ダイヤモンドボード」を説明し ていきますO  バリュー・ダイ  ヤモンドボード バリュー・ダイヤモンド ボードの概要と構造  バリュー・ダイヤモンドボー ドとは、バリュー・プロポジ ションの仮説を立て、検証を行 い、アップデートしていく、と いうサイクルを回すためのフ レームワークです(図4-3 )0こ のフレームワークは、状況A と機能から体験コンセプトを考 える流れと、状況Aや機能か ら検討主体の意志である理想状 態と目指したい状況Bを考え て、取り急ぎ提供する「体験」 に落とし込む流れの両立ができ る枠組みとなっていますO 状況Aの中でも特筆すべき 観点であるコンフリクトや、機 能および体験コンセプトをプロ ダクト・サービスの要件に落と し込むための要求項目、体験の 一要素として欠かすことができ ないプライシングに関する付記 ができますO加えて、検討時点 でのバリュー・プロポジション は、それ自体が仮説であること から、顧客に理解可能な「提 案」まで具体化し、顧客に当て て「反応」を見ることで仮説の 精度を高めていくことができま すO  バリュー・プロポジションの 仮説を立て、検証を回してアッ プデートしていく取り組みはあ る程度の時間を要する営みとな るため、検討メンバーが増える と何か最新の仮説なのかあやふ やになってしまうことが多発し ますO  現時点でのバリュー・プロポ ジションの仮説はどのようなも ので、どのような検証が行われ てきたのかを複数部署にまたが る各メンバーが参照しに来られ る「ボード」として活用するイ メージを想定していますO バリュー・ダイヤモンド ボードの使い方  バリュー・ダイヤモンドボー ドは、バリュー・プロポジショ ンの仮説を立てるパート(図4-3 上部)と、検証するパート(図 4-3下部バこ分けることができま すO  バリュー・プロポジションの 仮説を立てるために重要な要素 として、これまで説明してきた、 現在の顧客が置かれている状況 である「状況A」と、企画者と してかくあるべきと決める理想 状態を反映した「目指したい状 況B」、企業や検討チームで 「できること」を示す「機能」、 それらを踏まえて顧客に享受し てもらう「体験コンセプト(バ リュー・プロポジション)」の4要 素に分けることができますO状 況Aはデプスインタビユーな どから導出するもので、目指し たい状況Bは担当者の意志で 記載するもの、機能は洗い出す ものとして整理できますO  状況Aについてデプスイン タビューなどで顧客の解像度を 高めていくと、いまの状況から 脱すること・変化することを志 向する葛藤(コンフリクト)を抽 出することができますOこのコ ンフリクトは、機能の選択や目 指したい状況Bを考えるうえ で重要な思考の刺激となるため、 明示的に記載することをおすす めしますO  また、状況Aや目指したい 状況B、機能を踏まえて体験コ ンセプトを検討した後、それを 顧客が直接触れることができる プロダクトやサービスに落とし 込む必要がありますO第3章で も説明してきましたが、与えた い「体験」を提供するためには その器となるプロダクトやサー ビスが必要となりますO  このプロダクトやサービスを 考えるうえで、提供したい体験 を下支えするために必要な要望 を明示的に記載することで、開 発を担うチームとの認識の齟齬 が生まれづらくなりますO加え て、体験コンセプトの検討を行 う中で欠かすことができないも のが、プライシングですO  顧客が何かしらの形で課金を される場合、その課金のされ方 七重要な顧客体験の要素となり ますOサブスクリプション形式 で課金されるのか、都度払いな のか、直接の支払いが発生しな いのか、また金額はどのような ものと比べてもらうのかといっ た要素についても明示すること で、提供したい体験の方向性を より精緻に検討することができ ますO  もちろん、プライシングやマ ネタイズ方法については、調達 や開発などコスト構造、前提と なるビジネスモデルなど、さま ざまな要素を加味して決めるこ とになりますが、体験価値を考 えるうえでも重要な要素となる ため、このタイミングであわせ て考慮することをおすすめしま すO  検証するパートについては、 仮説パートで埋めた項目を踏ま え、顧客から見てメリットとし て感じてもらえるようなメッ セージに落とし込む「提案」の 項目と、実際にデプスインタ ビューで顧客に見せたうえでの 「反応」を記述する項目を設け ていますO  このバリュー・プロポジショ ン仮説の検証については、第7 章「状況をとらえるリサーチ手 法」にて詳細を記載しています が、仮説のどこをどう直すとい いかのインプット取得が難しい 定量調査での検証ではなく、因 果関係をとらえることができる デプスインタビューで行いますO  デプスインタビューで得られ た反応に対して、その結果をど のように解釈できるかのメモを 残し(「検証結果の解釈」)、状況A や状況B、機能や体験の項目に 対するアップデートを記載する サイクルを回すことができるよ うになりますO具体的なボード の埋め方については、第6章 「バリュー・ダイヤモンドボー ドの書き方」をご覧くださいO  バリュー・ダイ  ヤモンドボード   の活用シーン フェーズごとの活用イメー ジ  バリュー・ダイヤモンドボー ドは、次のそれぞれのフェーズ で利用できますO  ・ 新しいプロダクト・サー   ビスを企画するフェーズ  ・ 企画案を具体化していく   フェーズ  ・ 具現化したものをマー   ケットに適合させていく   フェーズ  ・ その後の成長を目指す   フェーズ  新しいプロダクト・サービス を企画するフェーズでは、白紙 からバリュー・ダイヤモンド ボードを埋めていくことになり ますOここではとらえるべき状 況の仮説の確かさや、打ち手の 方向性の検証を行いながら、バ リュー・プロポジション仮説を つくり、検証し、壊し、またつ くるということをくりかえして いきますOスタートアップ界隈 などで使われるフィットジャー ニ一におけるCPF(カスタフー・ プロブレム・フィット)やPSF(プ ロブレム・ソリューション・フィット) での重要な要素として活用でき ますOバリュー・ダイヤモンド ボードの仮説・検証サイクルを 回すことで、顧客の状況をとら え、価値として認識されうるプ ロダクト・サービスの方向性を 導出することができるようにな ります。  企画案を具体化していく フェーズ、具現化したものを マーケットに適合させていく フェーズ、つまりフィット ジャーニ一におけるSPF (ソ リューション・プロダクト・フィット) やPMF (プロダクト・マーケット・ フィット)では、組織が大きくな り細分化されていく中で、指針 とすべきバリュー・プロポジ ションの認識の齟齬が起こらな いようするためのよりどころと して機能するようになりますO  企画当初からチームにいるメ ンバーからすると当たり前の認 識が、新しく参画したメンバー にとっての当たり前とは異なる ことが多く、とくにバリュー・ プロポジションについての認識 は解釈のズレを引き起こしやす い要素の一つといえますO現状 を示す状況A、意志としてもっ ていきたい方向性を示す目指し たい状況B、着目している機能、 与えたい体験コンセプトを一つ のドキュメントとして管理する ことで、細部まで伝達しづらい バリュー・プロポジションの意 識合わせに有用ですO  大事なところですので、SPF のフェーズとPMFのフェーズ を個別に見ていきますO企画さ れた打ち手をプロダクトに落と し込むための開発を行うSPF のフェーズでは、開発を担う チームと企画を担うチームとの 間で顧客の状況理解に対する解 像度の違いが生じ、その差分か プロダクトのUXを決めるうえ でも重要な観点となりえますO 企画時点で指針とされた状況や 与えたい体験をドキュメントと して管理し、プロダクトをつく り、検証を行う過程でプロダク トとバリュー・ダイヤモンド ボードの双方を修正していくこ とで顧客に価値を感じてもらえ るものをつくっていけるように なりますO  PMFフェーズではマーケッ トを探索しながらプロダクト改 善も回していくことが求められ ますO SPFフェーズよりもチー ムの規模が大きくなりますO開 発チームだけでなく、事業開発 的に営業やサポートのようなこ とを行いながらマーケットの反 応をプロダクトに伝えるチーム やプロダクトの打ち手の方向性 を考えるチームなどが必要にな る中、そのよりどころをつくつ ていく必要がありますOバ リュー・プロポジションを定義 し、運用していくためにバ リュー・ダイヤモンドボードに その役割をもたせることができ ますO  その後の成長を目指すフェー ズ(運用・改善など)では、職種 や業務シーンごとでの活用イ メージが異なる形となりますの で、詳細は次項で触れていきま すO 業務シーンごとの活用イ メージ  具体的な業務シーンでいうと、 プロダクト・サービスの改善を 回したリリテンションを担った りする企画業務、顧客の獲得を 担うマーケティング関連の業務、 BtOBでは頻繁に目にする事業 企画・事業開発といった業務な どの幅広い領域で活用できるも のとなっていますO  たとえば、あるアプリの改 善・企画に関する業務における 使い方を考えてみましようOす でにリリースして利用者もいる アプリにおける「状況A」は、 そのアプリを利用しているシー ンについて記載していきますO その中でも利用者が使い勝手が 悪いと感じていたり、無意識的 に使いづらいと感じていそうな コンフリクトに着目すると、そ の観点において企画者としてど のような進歩を生み出すとよい と思えるのかを考えることで、 「目指したい状況B」を記載で きるようになりますO  現状のアプリを目指したい状 況Bに近づけるために、新し い機能が必要なのか、念頭にお く改善期間やリソースなどとの 兼ね合いを見つつ「機能」を記 載することで、着手している取 り組みにおける打ち手としての 「体験コンセプト」を記載する ことができますOこの一連の取 り組みを経て、アプリの改善・ 企画におけるバリュー・プロポ ジションの「仮説」を考えるこ とができます(図4-4 )0 「仮説」を記載したら、今度 は「検証」の手順を整えましよ うOバリュー・プロポジション のような抽象概念は、それ単体 で利用者に対して検証すること が難しいため、利用者が判断可 能な具体的なものに落とし込む 必要がありますO  バリュー・プロポジションを 検証する場合は、与えたい体験 をイメージできる具体的な「提 案」とよべる程度のアウトプッ トに落とし込まなくてはいけま せんOアプリの改善企画の場合 は、アプリの改善方針をイメー ジできる程度に可視化したもの や、プロトタイプとしてある程 度勣く状態まで具現化したもの が該当しますOこうしてできた 「提案」は、深掘りができる顧 客調査手法であるデプスインタ ビューによって検証できる状態 になるのです(図4-5 )0 デプスインタビューを通して 提案に対する顧客の「反応」を 結果として整理すると、バ リュー・プロポジション仮説の 各項目に対してフィードバック をかけられるようになりますO アプリの改善方針の検証の場合、 改善方針が実装された場合の状 況Bはどうなりそうか、もと もと仮説としてとらえていた 「目指したい状況B」はどのよ うに軌道修正するか、新たに見 据えた目指したい状況Bを踏 まえて機能や体験はどうあるべ きかなど、次の改善企画に役立 つ検討を行うことができるよう になりますO  今回取り上げた例としては、 既存アプリの改善・企画業務で したが、ある程度バリュー・ダ イヤモンドボードの記載項目が 埋まった状態や新しいプロダク ト・サービスを立ち上げる場合 以外でもバリュー・ダイヤモン ドボードを用いることでバ リュー・プロポジションをつく り、更新していくことができる ようになると考えていますO バリュー・ダイヤモンド ボードの適用範囲  バリュー・ダイヤモンドボー ドは、顧客価値に関する検討 シーンであれば、おおむねすべ てのシーンで活用できますOよ く「BtOCのエンドユーザーを 相手にしたビジネスでないと使 えないのではないか?」という 質問がありますが、BtOB向け のプロダクト・サービスであっ ても、価値を認識する顧客は存 在しますO  一般的に、BtOBでは意思決 定者と検討主体が異なったり、 検討主体と利用主体が異なった りする場合が多くあるため、誰 にとってのバリュー・プロポジ ションかが複雑になりがちでは ありますOまた、状況が限定的 であったり、公開されている情 報が少なかったりと、企画者か ら見て状況のイメージがしづら い点も検討を複雑にする要因と 考えられますO  ですが、それぞれの状況を的 確にとらえていくことで、複雑 で検討が難しいBtoBのプロダ クト・サービスにおけるバ リュー・プロポジションであっ ても、このボードを活用するこ とで検討を前に進める取っ掛か りとなりますO  一方で、バリュー・ダイヤモ ンドボードでは収益性の検討は 対象外となりますOバリュー・ ダイヤモンドボードはあくまで も価値を認識してもらうための プロダクト・サービスをつくり、 アップデートすることをテーマ としたものであり、バリュー・ プロポジションおよびその周辺 であるプロダクト・サービスづ くりを支援するものに限定され ますO  価値の認識に影響を与える体 験の一要素として、プライシン グについては触れていきますが、 プロダクト・サービスを用いて どのように収益化するかの議論 については、ビジネスモデル・ キャンバスやりーン・キャンバ スなど、その検討のためにつく られたフレームワークの利用を おすすめしますO 組織としてボードを活用す る意味  バリュー・ダイヤモンドボー ドはバリュー・プロポジション という複数人で解像度高く共有 することが難しい概念を、企 画・運用にかかわるチームメン バー全員で共通見解として可視 化できますO  プロダクト・サービス開発の 企画・立ち上げフェーズは、多 くの場合数名が中心となって検 討を進めていきますOこの フェーズでは抽象的な論点も多 く、仮説中心での議論が多くな り、コミュニケーション頻度は 密になる傾向にあり、結果的に 検討している内容がチーム内で 同期された状態になります(図 4-6)。  フェーズが進み、メンバーが 増えてくると論点解消のプロ ジェクトが組成されるようにな り、中心メンバーの数も増えて いきますO自然と同期された状 態から、意図的に共有を必要と するフェーズへと移り変わって いきますO  規模が大きくなり、運用が発 生するフェーズになると、共通 見解をつくることすら難しくな り、各部署やチーム単位で各命 題に対してそれぞれの解釈が生 まれてきてしまいますO  バリュー・プロポジションに ついて、このような状態になっ てしまうとどうなるのか、少し 考えてみましようO最初のコア メンバー数人が検討している間 は、どんな状況に対して、どの ような進歩を生むべく、どんな 機能を活用して、どういう体験 を提供するのかが、多少の意識 合わせを行うだけでチーム全体 の共通見解をつくることができ たはずですO  フェーズが進み、人が増え、 共通見解がっくりづらくなって しまうと、各チームが独自に設 定・解釈した「対象となる状 況」や「目指したい状況」「与 えたい体験」が相互にズレを引 き起こしてしまい、結果的に顧 客の状況を進歩させられない事 態が発生してしまいますOバ リュー・プロポジション自体が 抽象概念であり、かつその理解 には「状況A」「機能」「目指し たい状況B」といった抽象的な 項目の理解をメンバー全員で行 う必要があり、理解度合いを最 低限に保つことすら難易度が高 いと考えられますO  バリュー・ダイヤモンドボー ドのように、考えるべき観点と その時点での検討内容が、部 署・チーム横断の共通見解とし てアウトプットされ、各チーム の仮説検証の過程を踏まえて都 度アップデートされ組織全体に 還元される運用を行うことで、 一本筋が通った軸のもとで事業 やプロダクト・サービスの運営 ができるようになり、結果とし て顧客が価値を感じる確度を高 めることができるのですO  ● ペルソナと目標指向デザ    イン  新しいプロダクトやサー ビスの企画開発やマーケ ティングの方針を考えるう えで、「ペルソナ」という 手法を使ってきた方もい らっしやると思いますO  ペルソナという言葉自体 はもともとは心理学の領域 においてカール・グスタ フ・ユングが提唱した概念 ですが、いまのようにビジ ネスの領域で導入したのは、 アメリカのソフトウェアエ ンジニアたったアラン・ クーパー氏が、彼の提唱す る目標指向デザイン(Goal- Directed Design)という方法の 中で用い始めたのが最初で す廴  彼がペルソナを必要とし た背景として、たとえば自 動車の場合はミニバン、 ピックアップトラック、ス ポーツカーはそれぞれ3台 の別の車としてつくるのが 当たり前だけれども、ソフ トウェアの場合はそれを一 つにしてつくってしまうこ とが比較的容易にできてし まいますO  すると、誰も欲しがらな いような「スポーツカーの ようなバン」(図)をつくっ てしまうことになる、つま りみんなの意見を統合して、 誰もがちょつとずつしか満 足できないソフトウェアが できてしまう問題が起きて いましたO  そこで、クーパー氏は異 なるゴール(目的)をもっ だユーザーをペルソナとし て分類し、そのペルソナ一 人のためにソフトウェアを つくる方法論を生み出しま したOその際、ターゲット にすべきペルソナはもちろ んですが、ターゲットとし ないペルソナも明確にする ことで、ソフトウェアの設 計の洗練に役立てていまし たO  ペルソナの選定は、製品 設計に大きく影響するよう な戦略的な判断であり、ま たソフトウェア開発の中で 顧客のゴールを把握しなが ら、ニーズの予測に役立て る意図があったわけですO  本書の顧客の状況という 考え方も、顧客の特定の状 況を切り取ってターゲット とする(状況ターゲティングと もいえます)側面があり、こ のようなペルソナの本来の 意図とつながる部分があり ますO 1 アラン・クーパー著、山形浩生訳 − 『コンピュータは、むずかしすぎて使え ない!』翔泳社(2000)  バリュー・プロ  ポジションの原      典 価値を届ける仕組み  本書の書名にも人つている 「バリュー・プロポジション」 というコンセプトが初めて提示 されたのは、1988年にマッキ ンゼー&カンパニー社で書か れた社内向けの小論といわれて いますO著者はマイケル・ラニ ング氏工とエドワード・マイケ ルズ氏の2人で、論文タイトル は「事業とは価値を届ける仕組 み(A BUSINESS IS A VALUE DELIVERY SYSTEM)」ですO  この論文の冒頭のサマリーに は、次のように書かれています (和訳は筆者)O  “顧客は卓越した価値(ベネ フィットからプライスを引いたも の)があると思うモノを選ぶ。 競争優位とは、十分な顧客に 対レ十分低いコス/ヽで優れ た価値を提供し窩を莖み出 すことです。 つまり、ビジネスとは卓越し た厂価値ノを提供するための システムです。このシステム は、まず優れた厂バリュー・ プロポジションゴを選択レ それをビジネスの全体的な仕 覦みを通じて具現佗しそれ  を伝達することで機能します。  そして、この価値の提供を統  括・管理すること試経営陣  の主要な仕事となります尸  ラニング氏らの顧客志向の強 さがうかがえる文章ですOここ でいう「価値」とは、顧客に とっての価値ですOつまり、ビ ジネスとは顧客に価値を届ける 仕組み・システムを組織をあげ てつくることですO  「価値を届ける仕組み」とは 具体的にはどんなものを指すの でしょうかo論文によると、図 5-1のような図解が付与されて いますo企業組織はさまざまな 機能(開発部門、宣伝部門など)か らできていますが、製品 (product)を中心に据えると上の 形に、一方で価値(value)を中 心に据えると下の形になりますo  まず「製品志向」のほうです が、製品づくりを中心にした組 織のあり方で、3つのステップ に紐づく形で各機能が組み合わ さっていますo  @製品を創造する(Create   the product):製品設計、プ   ロセス設計  A製品を製造する(a/・ake the   product):調達、製造、   サービス  B製品を販売する(Sell the   product):マーケティング、   販売&流通  つまりはアイディアを生み出 して、開発ラインを用意して大 量につくりつつ、宣伝して、販 売・流通する、つまり「優れた モノをつくって届ける」という ものですo  一方「顧客価値志向」のほう は、顧客にとっての価値づくり を中心にした組織のあり方ですo  @価値を選ぶ(Choose the   value)  価値の理解、ターゲット選  定、便益の定義  A価値をつくる(Provide the   value)  製品設計、調達/製造、流  通、サービス、価格  B価値を伝える   (Communicate the value)  メッセージ、宣伝、プロ  モーションノPR  こちらは、組織の機能ごとに、 どのように卓越した顧客価値を 届けるかに向き合っていますo  この2つの組織のあり方のも とでは、同様な機能でも期待さ れる行動様式が大きく異なって きそうですoたとえば、製品の 流通部門の役割として、商品や サービスが滞りなく届くよう管 理することは当然ですが、卓越 した顧客価値を提供するシステ ムを志向した組織では、自部門 においても顧客価値向上の機会 がないか考えることが求められ、 たとえばデジタル部門と連携し てAmazonのようにタイムリー な情報通知サービスにより尽力 するかもしれませんo  あえて注目したいのが「価値 を選ぶ(Choose the value)」とい う表現ですo普通なら「価値を つくる(Create the value)」といい そうなところですが、第1章で もお伝えしたように、あくまで 価値は顧客自身の知覚であり、 提供側の企業単独でぽっくり出 せませんO本書のいい方ですと、 顧客にとって改善できそうな状 況を選ぶことといえますO  製品を中心にした場合、その 組織にとってつくって販売した い「製品」という、組織にとっ て共通の対象がありますので、 各組織が足並みをそろえて協働 することは想像しやすいと思い ますO顧客価値を中心とした場 合は、何を対象にして共通認識 をもつべきでしょうかOそこで ラニング氏らは、組織が届けた い価値とは何かの共通認識をも つために「バリュー・プロポジ ション」が必要だと考えましたO  これは、どういうことでしょ うかO実は前述の論文では、バ リュー・プロポジションの明確 な定義は記載されていませんが、 後の2019年のラニング氏への インタビュー記事この中で、イ ンタビュアーからの「バ リュー・プロポジションとは何 ですか?」という質問に対して、 下記のように回答しています (和訳は筆者)O  “(中略jバリュー・プロポジ  ションには、顧客が価格(あ  るいは他の価値あるもの)と引き  換えに得られる具体的な体験  のシナリオが含まれています。  顧客は、このシナリオにおい  ていくっかの価値を実感し、  認識することになりますが、  それは便益やポジティブな經  験、瘻格やコス/ヽ、ネガティ  ブな經験などけなわちトレー  ドオフ)を含みます。すなわ  ち、それが' f VP (訳津lvalue  proposition刀です。”  つまり、顧客が何を期待し、 その期待に対してどのようにプ ロダクト・サービスが応答し、 そしてその結果顧客が何を感じ るかを含む全体的な体験が「バ リュー・プロポジション」が提 供するもの、ということですo その際、顧客にとってもトレー ドオフがあり、たとえば確かに 便利だが少し価格が高い、また は安いけれどサポートが少ない、 なども含まれますO 本書でご説明してきた、顧客 の状況を見る考え方と通底する ものですO事業として、顧客の 状況をどう改善しうるかを考え ることは、その状況におかれた 顧客のさまざまな紐験や知覚に 思いをばせることになりますO 匚三 ̄  ポジションは戦  略であり、メッ 匚ナ 組織へのエコーインク  同インタビューの中で、ラニ ング氏はバリュー・プロポジ ションのよくある誤解について も述べています(和訳・太字は筆 者)。  “(バリュー・プロポジションとは) 戦略であ肌メッセージでは ありません。バリュー・プロ ポジションは、顧客に何を理 解してもらいたいかを明確に するものであり、コミュニ ケーション方法を推進し導く ものであるべきですが、文字 通りメッセージであってはな りません。バリュー・プ1ニフポ ジションは、髫略についての 合意を得るための社内文書で す。傲略の実行は、メッセー − ジングも含め、バリュー・プ  ロポジションに従って行われ  ます厂  “勝敗を分けるのは、バ  リュー・プロポジションの選  択ではなく、それが蓖供され、  伝えられる瞻の徹底ぶり、一  心不乱さ、そしてその革新性  にあります厂  たしかにバリュー・プロポジ ションと聞くと、多くの人が差 別化された売り文句を顧客向け につくることをイメージされる と思いますが(ただ顧客に出す緊張 感でっくることはとても重要です)、 それはバリュー・プロポジショ ンの目的の一部ですO本質的に は、事業をつくるチームが解決 したい顧客の状況と、体験価値 の共通認識のために作成され、 運用されるべきものですO  つまり、誰のどんな状況でど のような価値を提供しようとし ているかについて、チームが徹 底して同じものを見ながら業務 遂行できるように役立てること ですOバリュー・プロポジショ ンは顧客のためでもありながら なかば逆説的に、内部の組織の ためにあるということですO  これは近年のカスタマー・エ クスベリェンス・マネジメント など、全社のあらゆる顧客接点 において一貫したコンセプトの もと体験を提供していくことで 顧客価値を高めながら事業イン パクトを生む事業マネジメント の考え方を、先取りしたような 考え方ですO  ラニング氏は、リーダーはバ リュー・プロポジションの組織 へのエコーインク(echoing : 反 響、共鳴)を意識せよといいますo いってしまえばチームへの浸透、 組織への浸透ですが、「エコー インク」という語感から、リー ダーによる上意下達ではなく、 チーム自身がバリュー・プロポ ジションに納得して行動して改 善する、こだまのようなコール &レスポンスや、自律的なイ メージも想起されますo  顧客にどんな価値提供したい かを頭で理解しているだけでな く、チームが顧客への肌感を もって自らの頭で考えて実行し、 そのフィードバックから理解し たことをまた自身の仕事や組織 に反響させるような、相互浸透 のイメージがありますO  近年のカスタマー・ジャー ニーや紐験価値、体験価値、 UXといったキーワードに代表 されるよう、顧客に注目した事 業運営はもはやスタンダードに なりつつありますO一方で、 DXを背景に加速的に進化する 技術をすばやく事業に取り入れ て顧客価値に転換していかなけ ればならない中で、顧客と接す る最前線にいる現場の自律性は ますます期待されることだと思 いますo パーパス・ブランド  パーパス・ブランド(Purpose Brand )とは「ジョブ理論」を ベースとした、クリステンセン 氏が提唱する製品ブランド構築 の考え方ですo世界では毎年 30,000もの新しい消費財が発売 されますが、その90%以上は 消失するそうですo顧客に対し 自社製品の強力なブランド・ア イデンティティを構築するため には、「顧客が何かを成し遂げ よう」と思った矢先にその製品 が想起されるべきだと考えますo  「近くで仕事できそうなカ フェないかな」「この単語の意 味は何?」と何かを調べたい状 況になったと同時にGoogle MapやGoogle Chrome を立ち上 げて検索してしまうように、顧 客の特定の目的=パーパスに 強く結びついたブランド構築を 目指すべきだと考えますO  広告を通じて顧客の「第1想 起」としての認知を得ることに とどまらず、プロダクトやサー ビス全体も含めた形で顧客の成 し遂げたい体験の実現や信頼獲 得に向かっているという点で、 一段深い取り組みになりますO  なお、ここでの「顧客の特定 の目的」「顧客の目的達成」と いう表現はクリステンセン氏に よるものですが、必ずしも顧客 は自分か何の目的で行動してい るかについて自覚的ではないた め、事業者として第三者的に顧 客を観察した結果、「顧客には きっとこういう目的がある」と 解釈しよう、という意味で筆者 らはとらえていますO パーパス・ブランドのっくり方  クリステンセン氏によると、 強力なパーパス・ブランドを支 える土台として、3つのレイ ヤーが必要だといいます(図 5-2)。 レイヤー1:顧客の状況と目的の 理解  一番下の基盤で全体を支える のは、顧客理解になりますOク リステンセン氏のジョブ理論で いうところの「顧客の成し遂げ たい用事」であり、特定の状況 において顧客が成し遂げたい進 歩は何かを理解してターゲット として定義することです(また 顧客の状況は変化するため、その理解 をアップデートしつづけることも重要 です)O  顧客が最下層にあるのは、 人々が特定の用事を推進するた めに雇うプロダクト・サービス は時代とともに大きく変化する かもしれませんが、用事そのも のは比較的安定しています(ま たはそういったものを対象にすべきで す)。食事したり、何かを売り 買いしたり、副業でお金を稼い だりすることは、おそらく30 年後もなくならないでしょうO そこまで一般化された目的では、 他社優位な価値提案をつくりだ すのも困難でしょうから、実際 にはもう少し特定の状況でのコ ンフリクトを見つけてアプロー チしますO レイヤー2:顧客の目的達成に必 要な体験の定義  顧客がある状況で果たしたい 目的を完璧に遂行するためには、 どのような道具立てと支援が必 要かを考えますOつまり提供す べきプロダクトやサービスを定 義するところですO重要なのは、 プロダクトがもっている一連の 機能ではなく、顧客が望む進歩 を実現するのに役立つ体験につ ながるかどうかですO レイヤー3:体験を届ける組織の 仕組みづくり  レイヤー2を青写真に、必要 な体験を確実に提供するための システムを設計しますO顧客の 体験を軸とした仕組みを考える ことは、製品の仕様から販売に 至るまで、あらゆるところに影 響を与える可能性がありますO 戦略や返品ポリシー、さらには 在庫管理や人材獲得などの社内 プロセスなどまでを統合的に管 理しますO  パーパス・ブランドについて、 世界最大の家具量販のコングロ マリットであるイケア社を例に、 クリステンセン氏らの解釈につ いてご紹介しますO  イケア社がターゲットとする 顧客の用事は「そうだ、今日模 様替えしよう」と思った瞬間で すOこのような状況を所有する のはおそらく「引っ越しを機に 新居の家具をすぐそろえる必要 のある人」であり、新婚の夫婦 だったり、大学の進学で転居し てきた子供の親だったりするか もしれません(レイヤー1)Oこの 目的をかなえるパーパス・ブラ ンドを目指しますO  この目的を支えるためには、 家具店としてさまざまな体験を 数多く提供する必要がありますO たとえば家の中のすべての部屋 の必要な家具をすべて取りそろ えることができるワンストップ ショップの実現や、商品を素早 くもち帰ってセットアップも楽 であり、追加の工具なく自己完 結して組み立てられる必要があ ります(レイヤー2)O  そのために、巨大な店舗に大 量の在庫を確保し、家中に必要 な商品をキッチン・ダイニン グ・寝室といったテーマごとに まるごと展示できるようにして いますOもち帰りやすい形態の 「フラットパック」を発明し、 ほとんどの商品が乗用車で簡単 にもち帰ることができて、組み 立てに必要な工具も一つだけで、 それも箱に梱包されていますO さらには、フードコートや両親 が買い物に集中できるように子 供の遊び場やデイケアも併設さ れています(レイヤー3)O  バリュー・プロ  ポジション再考 事業全体の組み立てまでが 射程  みなさんもすでにお気づきで しようが、「パーパス・プラン ド」と、ラニング氏らの「バ リュー・プロポジション」との 共通点はとても多く、両者から はともに顧客視点を中心にしな がらビジネスを統合的に開発・ 運用していくというありようが 感じとれますO  ラニング氏らは、製品中心の 事業システムから、顧客中心の 事業システムに転換するために、 どういった価値提案をしたいか (バリュー・プロポジション)を中心 にした「価値を選ぶ」「価値を つくる」「価値を伝える」とい う事業の組み立て方を提案しま したO  イノベーション経営理論家で あるクリステンセン氏は、イノ ベーションを生み出すために、 顧客に関するより突つ込んだ理 解として「顧客の片付けたい用 事(ジョブ)」を中心に、いわば 「用事を選ぶ」「体験をつくる」 「仕組みをつくる」という事業 の組み立て方を提唱し、その結 果として「パーパス・ブラン ド」がつくれると提唱していま すO  このように、バリュー・プロ ポジションには事業全体を顧客 の価値づくりのためにどう組み 立てていくかという射程があり ます(図5-3)0第1章でご説明 したとおり、顧客の価値に対す る知覚は情動とつなかっており、 非常に複雑で繊細なものといえ ますO  そのデリケートなものに対し て、事業という荒くて大きなも のを正確にあてていくためには、 組織全体のコーディネーション が重要になっていきますO  本書のいい方では、バ リュー・プロポジションとは、 現在の状況をよりよい状況に アップデートするために提供す るプロダクトやサービスやマー ケティングメッセージまでを顧 客目線でコーディネーションす ること、ということになりますO  その際、シンプルかつ深く顧 客目線を誰でも得られる「顧客 の状況」という考え方が役に立 つ、というのが本書でお伝えし たいことでした犬   あと出しでバ  リュー・プロポ  ジションに気づ     く 組織をあげて顧客への気づ きを最大化するために  バリュー・プロポジションは、 顧客の状況変化とともに移ろい 変化していくものとも考えられ ますOもちろん、最初からすべ てを見越したようにバリュー・ プロポジションを決め打ちして 事業づくりを行う努力はします が、実際の顧客現場で生まれる 価値認識を後から見つめ直し事 業を発展的に再定義するような ことも必要ですOこれは、本書 の冒頭で引用した「事後創発」 とよばれますO  事後創発とは、一橋大学の藤 川佳則氏らが提唱するコンセプ トで、プロダクト・サービスが 顧客の実際の状況で使われ、そ こで当初思わぬ使われ方や発展 性のヒントがみつかり、事後的 に事業の発展につなかっていく ことですO顧客の背後に、当初 気づいていなかった顧客の状況 が見出されたり、顧客の状況が 変化したり(たとえば身近なところ ではスマートフォンやSNSの登場な ど)することは実際よくありま すO  このような想定外に気づくた めには、事前の想定が必要ですO 当たり前ですが、「何か思って いたのと違う」とわかるために は、何かを事前に思っていない ことには不可能ですOバ リュー・プロポジションが定義 されてチームで共有されること の意義は、組織をあげて顧客に 関する気づきが最大化する可能 性が高まる点にありますO  顧客の状況への思い違いや変 化を察知するセンサーは、多い に越したことはありませんOし たがって、顧客に対する気づき を得る仕組みづくりは重要とな りますOそこでは顧客データだ けでなく、その背後の因果関係 を知るためのインタビューや行 動観察といった専門のリサーチ 機能も欠かせませんO近年、 UXリサーチとよばれるアプ ローチをとる企業も増えてきて いますO 想定外の状況に注目する  実際、顧客の状況をリサーチ していてもっとも面白い瞬間の 一つは、まったく想定外の「顧 客の状況」に巡り会うことですO 念入りに顧客の状況仮説を考え、 機能を考え、コンフリクトを考 え、体験価値を考え、ようやく バリュー・プロポジションにた どり着いたのに、提案してみた ら顧客からはまったく思っても みなかった反応が返ってきた ーといったことは営業の現場 ではよくあると思いますO  普通は落胆するかもしれませ んが、それこそ新しい事業の軸 を打ち立てる機会なのかもしれ ないのですO前提としていた状 況Aが間違いだったと気づい たらいろいろな仮説が覆ります が、それはものすごいチャンス であることが多いのですO  想定外の状況に遭遇したとき に感じる違和感について、クリ ステンセン氏も『ジョブ理論』 (ハーバーコリンズ・ジャパン、2017) の中で触れていますO不朽の名 著である『イノベーションのジ レンマ』(翔泳社、2001)で打ち立 てた理論が、一体どのような産 業にまで適用可能なのか、その 境界線について彼も悩んだそう ですO適用の境界を越えるよう な、自身の理論やロジックでは 説明できない、例外のような現 象のことをアノマリーとよびま したOむしろアノマリーが見つ かってはじめて、自身の理論の 境界が見えてくるともいえるか もしれませんO  アノマリーを感じるときは、 そこからいわゆるアブダクショ ン(仮説的推論、仮説形成バこつな がることが多いのですOアブダ クションとは、「個別の事象を もっとも適切に説明しうる仮説 を導き出す論理的な推論」のこ とです。要するに「顧客の意外 な行動の背景には、思いもしな い状況があって驚いたけれども、 実はこの状況は広がっていると 思える。だとしたら、実は従来 当たり前たったこのやり方では ない別のやり方のほうが……」 というふうに思考が広がってい くことともいえるでしょうO  人間が普段あれこれ頭で考え ることよりも世界の現象のほう が広いのですOそうだとしたら 自分の頭の中だけを探っていて も何も生まれませんOまずは外 の世界をよく観察し、そこで起 きていることに身をもって没入 してみることが大事ですO  そして他人の言葉を分析する と、アノマリーが見つかるかも しれませんOいや、偶然に期待 せず、アノマリーがあるはずだ とあえて目をこらして注意深く 探してみるとよいでしょうO  想定外を楽しむ、もっといえ ば想定外を探すことを楽しむこ とが、新しい事業の種を見つけ ることにつながるのですOだか ら「予想と違っていたと落胆せ ず、もっともっと想定外を楽し みましよう」と強くお伝えした いと思いますO ! ラニング氏は、日本でもファブ リーズなどのブランドで有名なP&G 社出身であり、インタビューでも、そ こで強い顧客中心的な考え方を身につ けたといっています。t世匹誼   2394964319890508 冫“Interview with Michael 」. Lanning on Value Proposition (& Value Delivery)”、t稘匹惓   2394964319890508 3 なお、本書は必ずしも顧客志向に ー 一辺倒というわけでもありません。第 4章で示した目指したい状況Bや機能 というのは顧客から出てくるものでは なく、つくり手が描く世界観と意志が 必要です。 ドニ ̄ バリュー・ダイヤモンドボー ドの書き方は、次の2つのアプ ローチがありますO ・ アプローチ@機能から埋 める ・ アプローチA現在の状況   から埋める  機能から埋めるアプローチは、 機能と現在の状況から埋める場 合と、機能と目指したい状況か ら埋める場合に大別されますO 埋める順番に若干の差はあれど 本質的には変わらないため、こ こでは機能と現在の状況から埋 める場合について具体的な事例 をもとに説明していきますO アプローチ@機能から埋め る  第3章でも用いた少額・短期 の自動車保険の例について、検 討開始から検証までを一通り行 うところまで見ていきますO 機能と状況Aの記載  第3章でも整理したように、 「機能」には「自動車保険にお ける少額・短期のリスク計算」 と記載しました(図6-1)O次に 「状況A」には取り組み以前の 調査で見えてきた「個人同士の 自動車の貸し借りにおいて貸し 手の意図に反した無保険運転が 存在」と記載しましたOその具 体的なシーンとして「友人間の 貸し借り」「CtOCのカーシェ ア」「親子間の貸し借り」がわ かっていますO続いて、コンフ リクトの有無を見ていきましたO コンフリクトと目指したい状況B の記載  無保険運転が起こる個人間貸 借はいくつかのシーンが観測さ れたものの、友人間の貸し借り は頻度が少なかったり、CtoC カーシェアは検討時点では市場 として立ち上かってはおらず課 題感も少なかったことから検討 対象から除外していきましたO 一方で、図6-2にもある通り、 親子間の貸し借りに関しては、 遠隔居住の場合にいくつかのコ ンフリクトが存在することがわ かり、当該領域に絞ったサービ スの検討を行うことになりまし たO  具体的には、親子間の貸し借 りの多くは、子供の帰省のタイ ミングで行われており、「帰省 時、子供は親の車を借りたがる が、年齢制限などで親の保険で 子供はカバーされない」「親は 保険に入って欲しいが、1囗自 動車保険の手続きは面倒なため、 子供は入らない」といった葛藤 がみられたため、コンフリクト のメモ欄にその内容を記載しま したO  また、状況Aが明確になっ たことで、「親子間の貸し借り においてもちやんと保険に加入 した状態で運転が行われてい る」という目指したい状況B を記載することができましたO 体験、プロダクト・サービスへの 要求、プライシングの記載  状況A・目指したい状況B・ 機能を埋めた後、体験設計を 行っていきますO該当する状況 にいる親子へのデプスインタ ビューを行い、保険に入って欲 しいと考える親の思いと、入る ことではなく面倒・手間を嫌う 子供の状況をとらえ、コミュニ ケーションの流れの中で保険に 入れるという体験を提供する サービスの方向性で検討を進め ることになりましたO  具体的に見ていくと、状況A に該当する親と子供のそれぞれ にデプスインタビューをかけた 結果として、「帰省時の親子間 の車の貸し借り」「親は保険に 人つて欲しい」「子供は面倒な のが嫌」という内容を記載しま したOこの状況Aから得られ たインサイトをもとに、体験と して「車の貸し借りのやり取り が行われるコミュニケーション 上でそのまま保険に入れる」 「走った分だけ加入できる」と いう方針を記載します(図6-3 )0  プロダクト・サービスへの要 求として、「親子間コミュニ ケーションとの連動性」と「デ ジタル完結の申し込み」、プラ イシングの方向性として、 「走った分だけ課金される体験 Pay as you drive 型」という方針 が見えてきますoまた、機能側 の要件として、「コミュニケー ションを担う外部パートナー開 拓」が必要となっだので、その 内容七記載しますo 提案と反応の記載  ここまで検討内容を詰めたと ころで、仮説の検証に移ります (図6-4)。  サービス仮説を提案内容に落 とし込み、デプスインタビュー での検証を通した結果、確度の 高いサービスであることがわか りましたO総論としては問題な いものの、サービスとして実際 に使ってもらうためには、いく つかの観点で改善が必要となる ため、その観点で顧客調査を提 供する体験の方針に落とし込ん でいきますO 検証結果の解釈の記載  図6-5にあるように、子供側 が利用してくれるための重要な ポイントは「徹底した面倒くさ くない体験」であり、親にとっ ての重要なポイントは「確実 性」であったため、それらを両 立できるプロダクト・サービス の要件や、プライシングに反映 していきますO このような流れを経て、この 自動車保険ではバリュー・プロ ポジションをつくり、アップ デートをくりかえしていったの でしたO アプローチA現在の状況か ら埋める  これまでの章では、現在の状 況と機能という2つの検討事項 があった際に、機能から検討す ることを推奨してきましたO と くに大企業の新規事業開発にお いては、明文化されていない制 約があったり、活用可能なさま ざまな機能が社内のいたるとこ ろに点在していたりするため、 機能から検討した方が効率的に 行えますO  一方で、とくに強い技術をも たないスタートアップの場合は そうはいきませんO最初からあ つかえる機能といえどもそれほ ど豊富ではなく、機能があった としても人脈が関の山であるた め、多少大変でも状況から検討 するほうが適しているといえま すO現在の状況から埋めるアプ ローチについて、筆者が経営に かかわるmox社のアプリ企画 までの事例に基づき解説してい きますo  mox社は2023年に創業し、 夫婦間の家事分担を家事が苦手 な側からアプローチするアプリ の運営を行っていますo運営 チームでは、夫婦や家族、隣人、 友人間など利害関係がない他者 との間で、関係性を維持するた めに必要なタスクが、どちらか 一方の「よく気づく人」に集中 してしまい、もう一方の「気づ かない」人がただ乗り(フリーラ イト)している状況に対する改 善をテーマに検討を始めましたO 目指したい状況Bと状況Aの記 載  「『気づいたら負け』をなくし たい」という目指したい状況B に対して、該当しうる状況A として育児や夫婦間の家事、親 戚間の介護、地域間や友人間の 活動などが列挙されました(図 6-6)。 状況Aにおけるコンフリクトの 記載  そこから、ロバストネス・モ メンタム・インパクトの観点と、 変数の少なさを考慮し、「夫婦 間の家事」をテーマに据え、デ プスインタビューなどを行いな がら状況Aの解像度を高めて いきました(図6-7 )0 夫婦間の家事について見てい くと、家事についてよく気づく 人(紙幅の関係上、ここでは便宜的に 家事についてよく気づく人を「妻側」 とし、家事について気づけない人を 「夫側」と記載します。妻側か家事につ いてよく気づく人という考え方に立っ ているわけではないことをおことわり しておきます)である妻側か不満 をもっていることはもちろんの こと、一部の夫側にも、家事に 参画するつもりはあるのに、う まくいかないモヤモヤを抱えて いることがわかりましたO  家事の分担には価値観や年収 差、仕事の状況の差、家族構成 など、数多くの変数があるので すが、検討をスムーズに進める ため、男性も家事をすべきとい う風潮が強くなりつつある 2022年時点での20〜30代で、 「子供がいない」状況に絞って 検討を進めていきましたOこの 状況に当てはまる夫婦関係を見 ていくと、なんとなく妻側の不 満を察して、どうにかしたいと 考えているものの、原因がわ かっていなかったり、打ち手が わからなかったりで困っている 夫側の存在が浮き彫りになって きましたO  その要因を分析してみると、 夫婦間での家事の解像度の認識 の違いといえそうでしたO普段 から家事を行う妻側から見た 「家事を完遂した」という状態 と、夫側の「家事をやった」と いうゴール地点、徹底度合いの 違いがそのまま認識の差に反映 されており、夫婦間のギクシャ クにつなかっていたのですO  俗にいう「見えない家事」も この類いといえますO夫側は やった気になったり、手伝った 気になっていたりするにもかか わらず、妻側から認められな かったり逆に怒られたりする一 方、妻側にとっては助かるどこ ろか仕事が増えるケースまで あったりする状況ですO 機能の記載  このくらいの解像度で状況A がつかめてくると、必要な機能 の方向性が見えてきますO夫側 の解像度を高めてあげるための 家事のリストの作成や、世の中 にあまたある家事のやり方のス テップ、そして家庭ごとの違い をひとまとめにしていく作業で すOこうしたリストは調べてみ ると検討当時の段階ではイン ターネット上にも存在していな かったので、チーム内で作成し ていきました(図6-8)O 体験、プロダクト・サービスへの 要求、プライシングの記載  ある程度の機能の方向性が見 えてきたところで、体験とプロ ダクトの方向性の整理を行いま すO家事の解像度が低い夫側か ら見ると、妻側の機嫌と家事の 紐づきがわからないのではない か、という仮説のもと、家事と 妻側の機嫌が連動するグラフを 可視化し、その機嫌グラフを きっかけに毎日の家事の記録を つけたり、初めての家事のやり 方を教えたりといった打ち手の 仮説を考えていきました(図 6-9)。機嫌と家事の紐づけを実 装するためのアルゴリズムづく りも機能として調達しながらプ ロトタイプをつくり、数週間の 検証を行いましたO 提案と反応の記載  結果、次にやるべき家事が明 確であること・毎日の家事の記 録自体が成長実感につなかって いること、アプリに従って家事 をやることで怒られる頻度が 減ったことなど、さまざまな フィードバックを得ることがで きました(図6-10)O中でも興味 深かっだのが、機嫌と家事の関 係性を示すグラフが、開始時点 では魅力的に映っていたものの、 実際に使ってみると自身の成長 実感のほうに目が向くことでし たO  このあたりを少し考察してみ ると、機嫌と家事が相関するこ とについては夫側にとっても非 言語で理解できていたもので あったため、期待としては面白 みを感じてもらえたものの、実 際に家事をやりだしてみると、 機嫌が目的というよりも自分か 何をどの程度やれるのかという 実践的なところに意識が向いた からだと考えられますO 検証結果の解釈の記載  さらに掘り下げていくと、夫 側か感じていた「妻側の機嫌の 悪さ」は、実際には機嫌ではな く別の要因に由来していたので はないかという仮説が見えてき ましたO家事に対する解像度が 高い妻側から家事のダメ出しを された場合、解像度の低い夫側 からするとなぜダメなのかがわ からず「やっだのに正当に評価 されない」と理不尽に感じ、そ の理不尽さを「機嫌が悪い」と 表現していたのだと考察するこ とができました(図6-11)O  こうした検証結果を踏まえ夫 婦の関係性について考察してい くと、結局は家事に対する解像 度だけでなくコミュニケーショ ンの重要性が見えてきましたO 夫側の家事のレベルがどの程度 かが妻側もわかれば、次に習得 する対象も明確になり、中途半 端であることに腹を立てること も減ってくると考えられますO こうして得られた観点に基づい て、チーム内で状況やコンフリ クトのとらえ直し、実現したい 体験の再整理を行い、現状のプ ロダクトに落とし込んでいきま したO  埋めたボードを    改善する すでに走らせているビジネ スへの活用法  本章の最後に、もう立ち上 かっているビジネスの改善や新 たな施策の実行といった、すで に形が決まっているものの改善 を目的としたシーンでの活用法 について触れていきますO第3 章でも事例として整理した Nwith社のCHONPSという サービスの改善を例に、すでに 埋めてあるバリュー・ダイヤモ ンドボードの活用の仕方を見て みましようO BtOBの側面からの記載  前述の通り、CHONPSは パーソナル栄養士を介した生活 習慣・食事習慣改善のための サービスですO当初の企画では、 ダイエットやボディメイクなど の目標がある人たちを対象とし てリリースし、運営を行ってい ましたO  しかし、食事制限自体が「自 分でできるもの」と顧客に思わ れてしまっていたこと、運動の 方が優先度が高いと考える人が 多かったことなどが障壁となり、 一度何かで失敗して「食事指 導」を「人」に管理してもらう ことに価値を感じる層にしか響 かない状態でしたO AIによる 自動でカロリー計算をしてくれ るサービスも世の中にあるため、 課題意識の強い人を探し出すこ とにとても苦労していましたO  そこで目をつけたのが「提 携」ですO事業開発的な活動の 一環として、食事指導を求める 層がいる既存のマーケットの中 でも、パーソナルジムを担う事 業者と提携を検討する中で、 BtOBの側面での新たなバ リュー・ダイヤモンドボードを 記載できることがわかりました  ビジネスモデルとしては BtOBtOCですが、パーソナルジ ムの運営会社とそこに通う顧客 の状況それぞれにフィットさせ ることができる打ち手として CHONPSが適していることが わかったのですO 新しい事業構造の記載  パーソナルジムとしては、新 型コロナウイルスの影響ととも に顧客数が減っていたこともあ り、バリューアップとそれに伴 う単価アップが命題とされてお り、多くのジムで食事指導がオ プションとして提供されていま したO  この食事指導はパーソナルト レーナーが担うことが多く、ト レーナーにとってもモチベー ションが高くない業務という状 況でしたOここにCHONPSが 入ることで、パーソナルジムの ユーザーの目標達成を食事のプ ロとしてサポートし、かつト レーナー側の負荷を減らし、 パーソナルジムにとっての単価 アップにつながるという構造を つくることができました(図  トレーナーにも販売インセン ティブを出しつつ、パーソナル ジムにとってはコストが増えな い形でプランを設計し、パーソ ナルジム用のCHONPSという 形で新たな機能追加(いっでも管 理栄養士に質問ができるチャット機能) を行いましたO  こうした方針転換を行ったこ とが、BtOCで食事管理マー ケットが立ち上がる前の状態で 苦戦していたCHONPSを立て 直すきっかけとなったのでしたO  状況の抽出はデ    プスインタ   ビューで行う 因果関係の深掘りが重要  顧客リサーチにはさまざまな 手法がありますが、顧客の状況 理解においては、個々人の過去 の状況や心理変化、因果関係を 深掘りできる、1対1のデプス インタビューが圧倒的におすす めで有効な調査手法といえますO  複数人が同席するグループイ ンタビューのような形式では、 お互いを意識した「意見」が中 心となり二状況に関する事実 関係の深い確認や、特定状況に おける心理状態を振り返って話 してもらうことが難しいため、 推奨できませんO 顧客調査手法の大別  そもそもビジネスの世界で行 われる顧客調査の手法は多岐に わたるため、いつどのような調 査を行うべきかわからない方も 多いと思いますO本章ではその 中で、状況を考えるのに適した 方法について説明していきますO  多岐にわたる顧客調査の手法 はあつかうデータの違いと目的 の違いで大別できますOあつか うデータの違いとしては質的な データと量的なデータがあり、 それぞれをあつかう調査手法は いわゆる定性調査・定量調査で すO言葉としては聞きなじみが ある方も多いとは思いますが、 この2つの手法や使い所を正し く理解するにはポイントがあり ますO  また、目的の違いについては、 仮説の検証がメインなのか、探 索がメインなのかのバランスに よって、とりうる手法も変わっ てきますO 調査データのあつかいを理 解する 定量調査の特徴  定量調査とは、端的にいうと アンケート調査を指し、人数や 割合、傾向など明確な数値や量 で表される「定量データ」を集 計・分析する手法ですOアン ケート調査は全量調査とサンプ リング調査の2つに大別するこ とができますが、ビジネスの文 脈では基本的にサンプリング調 査を用いますO  定量調査の長所は、数値で結 果を出せるため、納得感を得や すく、意思決定に用いやすい点 ですO一方で気をつけるべきこ ととしては、客観性が高く再現 性も高いように見えて実はそう ではない点と、事前に用いてい た仮説以上の新しい発見が見つ けづらい点が挙げられますO 定性調査の特徴  定性調査は、発言や行動など、 数値として表現しづらいものの 意味を解釈し、新しい発見につ なげていくための手法ですO定 性調査の手法は、デプスインタ ビューやグループインタビュー、 エスノグラフイーなどさまざま な方法論がありますO  定性調査は手法によって長 所・短所が異なるものの、長所 の一つは、相関関係ではなく因 果関係の推察や理解がしやすい ことといえますO定性調査の多 くが顧客との対話が可能である ことから、言動の背景である因 果関係にまでさかのぼることが できますO  また、対話する中で表情や声 色、しぐさや身なり、会話のテ ンポや回答までの「間」など、 テキスト情報にしづらい非言語 での気づきが得られる点も長所 として挙げられますO  一方で短所は、定性調査の実 施および分析の難易度が意外と 高いことですO定性調査の中で もよく活用されるインタビュー 調査などは、対話なので一見簡 単にできそうと思われることが 多いですが、バイアスのかから ない実査やとくに調査結果の解 釈は非常に難しく、一般的にや り方を形式化しきれないことも あり、取りあつかいにはある程 度の熟練を要しますO  「さくっとユーザーに聞いて くればいい」とよくいわれるた めに誰でもできると思われがち ですが、意思決定の礎となる ファクトにバイアスがかかった り、分析・考察の質に問題があ ると、大事な意思決定で真逆の 方向に進みかねないといったリ スクも高くなりますO 調査目的のバランスを見極 める 探索と検証の違い  顧客調査の目的には多くの場 合、探索の要素と検証の要素が 共存しており、事業の検討 フェーズによってそのバランス が変わると考えられますO探索 とは、より質の高い仮説の導出 や、機会を探るためのインプッ ト収集を目的としたものですO  一方、検証とは事前に立てた 仮説に対して白黒をつけるため に行いますOどんな顧客調査に おいても、探索だけ、または検 証だけを行うということにはな らず、実際は混在することが多 いですO  たとえば、新しい商品のアイ ディアがあったとして、顧客の 受容性(実際に使いたいか・買いた いなど)を検証したい場合、受 容された・受容されなかったと いう結果だけがわかればよいわ けではありませんOなぜ受容さ れなかったのか、何かいいと思 われたのかなど、背景や原因に ついて仮説外のインプットも同 時に得たいわけですO  あるいは、商品開発の機会の 探索を目的として顧客調査を行 う場合、事前仮説がまったくな い状態で臨んでしまうと、イン タビュー中に深掘りすべき点が わからなくなってしまうため、 多少なりとも検証時に用意する ような仮説が必要となりますO 調査手法の信頼性と妥当性  調査手法の選定基準として意 識したいのが、信頼性と妥当性 という視点ですO  信頼性は読者のみなさんも聞 いたことがある方も多いと思い ますが、簡単にいうと複数回の 測定をしたときの結果がばらつ かない程度のことを指します0 50回の試行で49回は同じ結果 であるといったようなイメージ で、再現性と読み替えることも でき、これは定量調査の得意領 域ですO  妥当性とは、測定したいもの を正確に測定できている程度の ことで、正しい尺度で測定でき ているかどうかを指しますOた とえば、人の大きさを測る指標 として身長や体重という指標が ありますが、身長とはあくまで 大が真っすぐ立った際の地面か ら頭頂部までの長さであるため、 犬や猫などの四足歩行の動物の 大きさの測定には向きません (犬や猫の場合、体長と体高と体重とい う指標がよく使われます)。信頼性 と妥当性は図7-1のようなダー ツや矢の刺さった的のイメージ で語られることが多いですO  探索型の調査の場合、事前に もっている粗い仮説(質問)を 同じ被験者に何度も質問して、 妥当性が低い状態から高い状態 に高めていくプロセスを経るた め、1回のインタビューの中で 何度も深掘りができる(何度も試 行できる)定性調査のほうが適し ています(図7-2)0  一方でアンケートに一度に答 えてもらい集計をする一般的な 定量調査では、妥当性を高めて いくことが難しいでしょうO  たとえば、何かのサービスの 解約者に対して理由を聞こうと するとき、アンケートをとるこ とがよくありますO筆者らも経 験したことがあり、そのアン ケートの回答でもっとも多かっ たのが「家計の見直し」でしたO  その結果を真に受けて改善策 を考えていくと、当然価格帯の 議論になってきてしまいますが、 そこで定性調査(解約者へのイン タビュー)を行っていくと、以下 のことが見えてくることがあり ますO  モデレーター:どうして解     約したんですか?  解約者:子供が生まれて家   計を見直したタイミング   でやめました。 モデレーター:いつ頃から    やめてもいいと思って    いましたか? 解約者:それでいうともっ   と前からかもしれません。 モデレーター:それってい    つ頃からそう思ってま    した? 解約者:解約する2年前に   異動していて、異動後は   忙しくて前よりあまり使   えてなかったんです。  上記のような場合、解約の直 接のきっかけは子供が生まれた ことによる家計見直しですが、 実はその2年前に異動してから 「うまく使えていなかった」背 景こそが原因であり、そうなる と解約者を減らすための打ち手 も変わっていきますO  こういった発見は定量調査か らは困難なため、探索型の調査 を行う際は、妥当性が高いこと を前提に行う定量調査ではなく、 定性調査が適切といえますO 顧客調査手法の使い分け  図7-3に定量調査と定性調査 のそれぞれの使いどころを示し ますO定量調査は、全体の傾向 をつかんだリトレンドやボ リュームを把握したいときに適 していますO定性調査は仮説づ くりのヒントを得たいときや、 因果関係と検証結果を同時に見 たいときに適していますO  また、探索中心の調査は定性 調査、検証中心の調査は定性・ 定量どちらも活用可能となりま すO探索に向けた定量調査手法 もあるにはありますが、深掘り の難しい定量調査では限界があ り不向きと考えられますO検証 中心の調査では、量的な検証 (ボリュームや信頼既)を求める場 合は定量調査、因果関係を抽出 したい場合は定性調査を推奨し ますO   デプスインタ  ビューの実施ス    テップ 全体の流れ  定性調査として代表的なデプ スインタビューの一連の流れを 図7-4に示します。  大きな流れとしては、@初期 仮説を考え、A被験者の要件を 整理し、B該当する被験者を集 め、C実査をするという4つの ステップに分かれますOこのス テップが一つでも抜けると調査 目的の完遂は難しくなりますO 初期仮説を考える  本章の冒頭でも触れたように、 検証中心であれ探索中心であれ まずは何かしらの仮説がないと どんな被験者をよべばいいか、 どんなことを聞けばいいかの設 計も難しくなりますO仮説をど こまで精度高く準備するかは調 査目的にもよりますが、少なく ともどこを掘ればどんなイン プットが得られそうかという見 立ては事前にもつことをおすす めしますO  この段階で必要なインプット を抽出するための手段の洗い出 しも行いますO具体的には、被 験者の反応を見るためのチラシ のような簡易的な刺激物をつく るかどうか、被験者の話を聞き ながら完成させるワークシート を使うかどうかなど、インタ ビュー中に必要なものの検討を しますO  なぜ口頭だけでなく、刺激物 やワークシートなどが必要とな るかというと、会話の中で音声 として受け取られた言葉は、忘 れられたり解釈かぶれたりする ことが多く、時系列が複雑な内 容を被験者とモデレーター間で すり合わせたり、複雑なプロダ クトやサービスの説明を被験者 に覚えておいてもらうことが難 しいためですO過去の深掘りを したり、味覚などの感覚に関す るプロダクト・サービスの検証 を行う際には事前の準備に何か あれば十分検証可能かを、この 段階でシミュレーションするこ とをおすすめしますO 被験者の要件を整理する  初期仮説ができたら、被験者 要件を定義しましょう(図7-5)0 被験者要件とは、インタビュー によびたい・話を聞きたいと思 う人の人物像を、客観的に抽出 する要件に落とし込んだもので すO被験者要件は必須要件・除 外要件・推奨要件・配分要件・ 分散要件に整理すると、よびた い被験者をうまく定義すること ができますO  よくある失敗例として「とり あえず20代女性や30代女性に 聞いてみよう」というものがあ りますO事前に何か検証したい 仮説がまだはっきりしておらず、 ざっくり知りたいことがある場 合に「30代女性」というだけ で被験者を集めてしまう状態で すOこの場合は往々にして知り たいことに到達することはあり ませんO  たとえば甘いものを日常的に 食べる習慣がある女性、仕事の あと家に帰ってから美容関連の 取り組みをしている女性など、 探索・検証したいことにより直 接関係した要件があるはずですO そういった項目を被験者要件と して定義する必要がありますO  被験者を定義してからは、被 験者要件を抽出するアンケート をつくって該当する被験者を集 めますOそして、実際のインタ ビュー(実査)へと移っていき ますO デプスインタビューの品質 を分けるポイント  事前の初期仮説を立て、正し く被験者要件が定義され、被験 者収集を適切に行えたという前 提のもとで、デプスインタ ビューの品質を高めるためのポ イントを整理しますO  品質の高いデプスインタ ビューと聞いて、読者のみなさ んはどんなものを思い浮かべま すかO過去数千件のデプスイン タビューに携わってきた紐験か らしますと、顧客調査の目的に 資する文脈における「新しい発 見」をどれだけ得られたかで品 質の高低を判断することができ るといえますO  前述のように、どんな顧客調 査でもわかりきっていることを 確かめる目的のみで行われるこ とは非常に稀で、予想外の「新 しい発見」が求められますOそ の「新しい発見」は、顧客調査 の目的に資する、つまりビジネ スの文脈で活用できる程度の精 度である必要があり、ある程度 の再現性が求められますO  質の高いデプスインタビュー を行うためには次の3つのポイ ントがありますO  ・ 精度を高く保つために事   実関係を押さえる  ・ 再現性を意識するために   因果関係を押さえる  ・ 新しい発見に気づくため   にアノマリーを押さえる 精度を高く保つために事実関係を 押さえる  デプスインタビューの進行上 の難しさとは、いかにバイアス を減らしていくかに尽きますO モデレーターの声色やしぐさ、 目の動き、被験者自身が直前に 話した言葉ですら、その後のバ イアスになってしまうほど、デ プスインタビュー中はバイアス がかかりがちですO  バイアスがかかった調査結果 は、1次情報としての利用価値 がほとんどなくなってしまうほ ど重要な欠陥であり、細心の注 意を払ってインタビューを進行 する必要がありますO  精度の高いインタビューとは、 すなわちバイアスが少ないイン タビューといっても過言ではな いでしょうOこの精度を高めて いくうえで重要な観点が「事実 関係」ですOこれまで本書でも 所々で触れてきましたが、デプ スインタビュー中の被験者の 「意見」はバイアスの塊であり、 調査結果としてほとんど意味を もちませんO  この「意見」と対局にあるの がファクト(事実)とよべる情 報ですOこの「事実関係」と考 えられる情報こは、実際に起 こった出来事や被験者が実際に 行った過去の行動、見る状況を 設定したうえで見た刺激物に対 する被験者の反応などが挙げら れますOこうした事実関係につ いては、バイアスの影響を受け づらいため、インタビュー中に 適切に確認することで精度を高 めていくことができますO過去 の事実情報は被験者の中でも曖 昧になることが多いため、時系 列に沿って矛盾がないかどうか を確認することでうまく整理で きますO 再現性を意識するために因果関係 を押さえる  事実関係を押さえることがで きたら、その事象、とくに被験 者がとった行動がなぜ行われた のかについての因果関係を押さ えることで、その行動の再現性 を見ることができるようになり ますO人がある行動をとるまで のプロセスとして、図7-6のよ うに考えることができますO  たとえば、家計簿アプリをダ ウンロードした人がいるとして、 その行動に至るまでの流れを見 てみましようOアプリストアの ランキング上位に上かっている のをたまたま目にして、アプリ の詳細説明を読み、便利そうな アプリであると解釈し、自身に 適していると判断した結果ダウ ンロードした、と考えることが できますO  このときの認知や解釈、判断 にはそれぞれその人の置かれた 状況が影響しており、その状況 もより長い時間軸で見た価値観 や思想、行動原理といったもの の影響を受けていると考えられ ますO高い買い物のために貯金 額を増やすべく支出管理のため に家計簿をつける気になったと いう状況と、手書きの家計簿が 面倒になってアプリを探してい たという状況では、同じアプリ ストア上に載っているアプリの 詳細説明の解釈の仕方や判断の ポイントが変わってくると考え られますO  デプスインタビューではこう した高い解像度で重要となる被 験者の行動を深掘りして因果関 係を追求していくことで、「な ぜその被験者はその行動をとっ たのか」について一般化して考 えられるようになるのですO 新しい発見に気づくためにアノマ リーを押さえる  アノマリーという言葉はあま りなじみのない方も多いと思い ますOアノマリーとは、異常や 逸脱という日本語訳が当てられ、 「普通と異なること」を指す言 葉ですO  この言葉は、かつてクリステ ンセン氏が発表した「理論のつ くり方」に関する論文3におい て言及した概念を援用していま すOクリステンセン氏は新しい 理論をつくるためには、さまざ まな事象を観察する中で従来の 理論やモデルでは説明できない 「逸脱」(アノマリー)を見つけ、 そのアノマリーがなぜ生じたの かを考察し、新しいモデルをつ くるという理論づくりのフレー ムについて言及しています(図 7-7)。  対象を観察してアノマリーに 注目して深掘りをすることが。 デプスインタビューにおける発 見を増やすうえで非常に重要な 観点になりますOデプスインタ ビューにおけるアノマリーとは、 端的にいうと「普通の人の行 動」とのギャップであると考え ることができます(図7-8)O  普通はこういう行動・反応を するはずなのに、実際の被験者 はなぜか異なる行動や反応を 行っているということに気づく ことができれば、なぜそのよう な逸脱行動をしたのかを深掘り することで新しい発見を得られ ることがありますO  アノマリーに気づけるように なるために重要なのは「普通の 蓄積」であると考えられますO 状況に応じた多様な「普通」を 蓄積し続けることで、被験者の わずかなアノマリーに気づくこ とができるようになり、結果的 にさまざまな発見を得られるよ うになるわけですO  「普通の蓄積」をするために は「人間理解」の解像度を高め ていくことが重要ですOデプス インタビューの被験者は、被験 者である前に一人の人間であり、 動物としての人間、社会的生き 物としての人間に広く共通する 特徴をある程度適用できると考 えることができますo  いい換えると、社会学や心理 学、はたまた脳科学(神経科学) の分野でいわれている「人間の 特徴」を知っていれば説明がつ くシーンが多くあるのですo  たとえば神経科学の分野でよ く使われる概念として、「Use it or Lose it」という原則がありま すoこれは「使わなければ駄目 になる」というもので、学生時 代に楽器をやっていた人が、十 数年ぶりに触ってみても、指が 動かなくなっていて昔のように 演奏できないというような事例 が挙げられますO  この原則を考察していくと、 脳は慣れ親しんだ行動に対して は効率的にできるよう最適化さ れる一方で、しばらく行われな かった行動ややったことのない ことに対しては最適化されてお らず、新たな習慣として定着す ることが非常に難しいというこ とがわかりますO  この前提を知っていると、先 ほどの家計簿アプリを使い続け ているユーザーの中で、これま で家計簿をつける習慣がなかっ たにもかかわらず、離脱せずに 続けることができているユー ザーがデプスインタビューの被 験者としていた場合、非常に難 易度の高い「新しい習慣の形 成」ができているアノマリーな 存在だと気づくことができるの ですO  企画者の立場からすると、 「いいものをつくっているのだ から定着してもらわないと困 る」という発想になりがちで、 なぜ離脱してしまったのかを問 うケースが多くなりがちですO しかし、上記のような前提を 知っていることで、「これまで 習慣がなかったにもかかわらず 定着した人の特異性」に気づく ことができ、「なぜ定着したの か」の仮説を立てて深掘りする ことが可能になりますO定着し なかった「普通の大たち」との 差分を見比べることにより「ア プリが定着するまで」に必要な 要素を分析できるようになりま すO  「普通の蓄積」のためには人 間理解の解像度をさまざまな観 点で高める大切さを述べてきま したが、何よりも大事なのはさ まざまなデプスインタビューの 紐験を積み、分析・考察の結果 を自身の中に蓄積することですO これは一朝一夕にできるように なるものではないので、場合に よってはプロに任せる領域だと もいえますO  状況を抽出する  分析一考察手法 状況を抽出する分析・考察 の難しさ  ここまで見てきたような質の 高いデプスインタビューがなさ れたうえで、その結果をビジネ スの目的に即した形で使える状 態にするのが分析および考察の 取り組みとなりますO  状況を抽出するための分析・ 考察は非常に難易度が高く、そ の理由は大きく3つあります (図7-9)。 分析手法を決めづらい  まず一つ目として、定性調査 (とくにデプスィンタビュー)の結果 分析の方法として、特定の手法 を挙げづらいことですO定量調 査の場合、多くの調査会社のメ ニューにもクラスター分析や共 分散構造分析、コンジョイント 分析など、さまざまな手法が並 びますO  一方で定性調査、とくにデプ スインタビュー結果の分析にあ る特定の手法を用いると明記さ れたものをあまり見たことがあ りませんOたとえばKJ法や N1分析といったものがありま すが(学術的にはクラウンデッド・セ オリー・アプローチといったものも有 名です)、KJ法はアイディアを 創発し練り上げていくためのも ので、N1分析は一人ひとりの 顧客に深掘るべきであるという 考え方がそもそもの特質なので、 形式的な分析プロセスというよ りも実践知が多分に必要となり ます(X1分析に入る前に誰を分析す るべきかを定義し、分析した後のアウ トプットとしてカスタマージャーニー をつくるプロセスは整理されています)。 このように、確固たる分析手法 がないことが難しさの背景の一 つですO 分析の切り口が無限にある  二つ目の理由として、切り囗 が無限に存在することが挙げら れますO 90分のデプスインタ ビューのやりとりのすべてをイ ンタビューログとして文字起こ しすると、23,000字くらいの分 量になりますO1回あたりの調 査で見ると、12~16人程度の人 数を実施することが多いので、 テキスト量だけでも書籍一冊分 を軽く上回るほどのデータ量に なりますO  分析とは、データを分けて析 くこと、つまり軸を引き比較す ることだといいかえると、被験 者ごとにさまざまな観点で比較 をしながら分析を進めていく形 になりますO  この際、一人の被験者あたり 23,000字もデータがあると、分 析の切り囗となる変数自体も無 限に存在してしまうため、慣れ ていない人がやると途方にくれ ることになりますOこの無限に 生じうる切り囗に対して、うま く観点を絞りこまなければいけ ない点が、デプスインタビュー の分析を難しいものとしていま すO 分析対象が「状況」であること  三つ目の理由は、あつかう対 象が「状況」であることですO 状況は本書でこれまでご説明し た通り、非常に重層的で抽象度 のコントロールが難しいもので すO  「お腹がすいている」「朝から 何も食べておらずお腹がすいて いる」「前日の二日酔いが響い て、朝から何も食べることがで きなかったがお腹はすいてい る」という3つの状況はすべて 空腹状態を示すものですが、解 像度を高め具体的に見ようと思 えばいくらでも枝葉をつけるこ とができますOこの抽象度・解 像度のいい塩梅での調整が難し く、ただでさえ難易度の高いデ プスインタビューの分析をより 高度なものに至らしめているの ですO  こうした難易度の高いデプス インタビューの分析や考察につ いては、プロにお任せすること をおすすめしますが、発注する うえで、どのようなステップで 行うべきかといった最低限の知 識が必要になりますOそこで、 以降では、状況抽出のための分 析・考察ステップについてご説 明していきますO 状況抽出のための分析一考 察ステップ  ここで紹介するのは、「状況 構造化分析」という筆者が独自 に整理したステップです(図 7-10)。他にも適切な方法はあり ますが、抽象度コントロールが 難しい状況をあつかいやすくす るために整理してあるのが特徴 ですO  状況構造化分析では、大別す るとデータの整形・分析・考察 の3つのフェーズ、詳細に見る と6つのステップで分析から考 察まで行っていきますO  それぞれ具体的に見ていきま すOまずは「考察し示唆を出し たい対象」を明確にし、注目す べきデータカテゴリを見極める ための作業を行い(ステップ1)、 見極めたデータに対して一人ひ とりの行動を抽象化していきま す(ステップ2)O  抽象化された一人ひとりの行 動を、行動・結果が同じデータ 同士を分類してまとめていくこ とで、同じ意味合いをもつ 「群」を形成します(ステップ3)O 複数の「群」を横並びにする中 で、群と群を分かつ軸を見出し ていき(ステップ4)、導出された セグメントに対してどんな意味 合いがあるのかを抽出していき ます(ステップ5)O最後に、引い た軸と対象としてきた行動や結 果との因果関係を考察します (ステップ6)。  このとき、ステップ2の一人 ひとりの行動を抽象化する際に、 行動や結果の背景となる「状 況」も一緒に抽象化することで、 ステップ3からステップ4に至 るプロセスでの群を分かつ軸の 候補に「状況」をあつかえるよ うになりますO ステップ1〜2:データ整 形  定量調査の分析の紐験がある 方であればイメージがつくと思 いますが、デプスインタビュー の分析にあたってもデータの整 形、データクリーニングが必要 となりますOデプスインタ ビューの調査の設計上、必要な 項目を被験者にいきなり聞くわ けにはいかず、ヒアリング項目 自体が多岐にわたりますO  たとえば、被験者要件が適切 に反映されているかを確認する ための項目や、聞きたいことを バイアスをなくして聞くための 前提となる質問、被験者との認 識合わせのための項目などが挙 げられますO  90分間のデプスインタ ビューの発言録は先述のように、 23,000字程度になるのですが、 その文字情報のすべてが一様に 重要な情報ではなく、分析に必 要なものとそうでないものが入 り交じっていますOすべての情 報を読み込もうとすると非常に 効率が悪いので、どこに注力す るかを事前に決めることをおす すめします(図7-11)。  この段階で注力すべきかどう かの判断は、デプスインタ ビューを行う目的・調査で明ら かにしたいことに従います(目 的指標)Oたとえば、あるプロダ クトの受容性検証を行う場合で 注力すべき該当箇所は、プロダ クトの購買意向となりますし、 サービスの解約理由を明らかに する目的であれば、解約につな がる一連の行動が注力すべき項 目になりますO  このように注目する項目を定 義したら、続いて一人ひとりの 活動を抽象化していきます01 次情報をそのまま分析に用いる と、被験者固有のその人にしか 発生しえない情報まで分析対象 となってしまい、分析結果の正 確性が損なわれてしまいますO 抽象化の目安としては、1次情 報を「1.2次情報」くらいに抽 象化するイメージですO図 7-12を参考にしていただくと 取り組みやすくなりますO  前提状態Aというのが「状 況A」であり、事後状態Bと いうのが前述の目的指標として 定義した項目になりますOその 過程では、何かしら刺激があり 行動を誘発されているという表 層的な事象レイヤーの動きと、 その背後にある短時間軸での状 況や価値観・行動原理といった 長い時間軸での状況と解釈でき ますO  具体的な例で見ていくと、前 提状態Aとしてお腹がすいて いる人が、豚骨ラーメンの匂い を嗅いで、近くにあるそば屋に 入り、そばを食べて満足した、 という事象レイヤーの動きが あったとしますOなぜその人が そばを食べたのかのメカニズム として、二日酔い状態で空腹 たった人が、ラーメン屋さんの 前を通りかかって豚骨ラーメン の匂いという刺激に対して胃も たれを自覚し、さっぱりしたも のが食べたいが何を食べようか という葛藤があってそば屋に 入っだ、と解釈するというイ メージですO  これらの背景には、胃が痛い ときにそばなら食べることがで きた、という過去の紐験がある かもしれませんOこういった粒 度で各被験者を抽象化すること で、同じ軸で被験者をあつかう ことができるようになり、結果 的に比べて考えることができる ようになるのですO  一人ひとりの被験者の生ログ である1次情報から何かしらの 解釈を加えることは、被験者固 有の紐験を無視できなくなって しまうので注意が必要ですO抽 象化されていない、図7-13の ようなアウトプットをリサーチ 会社から提出された場合は、そ の品質をよく見極めることをお すすめしますO ステップ3〜4:分析  一度データクリーニングし、 目的指標に対して1.2次情報化 した被験者ごとのデータが整理 できたら、今度は比較していく 作業に取り掛かりますO分析と は比較であり、軸を引いて比べ てることを意味しますが、ここ でもっとも重要な点として、 「軸は引くのではなく探す」と いう考え方ですO  デプスインタビューの分析で もっとも陥りがちな失敗が、意 味のない軸で被験者を分けて整 理することですOデプスインタ ビューの調査結果は、無限に観 点を考えることができる取りあ つかいが難しいデータの集まり ですO  このようなデータを目の前に した際に、とりあえず軸を引い てみる、という考え方で臨むと データの海に溺れてしまいますO この解決法としておすすめして いるのが、目的指標で「群分 け」をすることですO  たとえば、がん保険で治療に 対するサポートが強い商品が あったとしますOその商品の購 買意向が高い人たちを特定しよ うとする際、軸から引こうとす ると、保険に対するリテラシー の高さであったり、他人からの おすすめがあったかどうかなど、 よく聞く項目が軸の候補に挙 がってきますO  「群分け」の考えでは、その 保険商品に対する購買意向が高 かった層と低かった層に分けて 整理することになりますO一度、 購買意向の高い群と低い群で分 けてから、その両者の違いにつ いて考えることで、軸を導き出 すことができるのですO  この導出する軸の観点は、行 動や結果の背景にある状況であ り、行動に影響を与える重要な 状況に気づくことができる取り 組みといえますOがん保険の例 では、購買意向が高かった層で は「治療のサポートに強みがあ ること」が魅力だととらえられ ており、低かった層ではその魅 力が伝わっていませんでしたO  この背景を見ていくと、購買 意向が高かった層では、過去に 近親者や身近な人ががんを患い、 入院や手術よりも治療の方が金 銭的な負担が大きかっだのを間 近で見ていたという紐験があり ましたOこの身近な紐験の差が、 購買意向の高さの源泉となって いることがわかり、これが申込 数を増やす打ち手を考えるうえ での重要な軸の一つとなったの でしたO ステップ5〜6:考察  最後に分析された結果の考察 を行いますO考察とは、分析結 果に対して意味合いを考える行 為であり、仮説の延長線上にあ るものととらえることができま すO群を分け、群を分かつ軸と して適切な状況を導き出した後 にやるべきことは、その軸で分 けた結果がどのような意味合い をもつのか、目的指標としてお いた行動や結果と因果関係をも つのかの検証ですO  たとえば2×2の4セグメ ントで軸を分けた場合、隣あう 象限には共通の特徴があってし かるべきです(図フー14)0また、 このセグメントごとの特徴は目 的指標に対してどのような意味 合いがあるのか(購買意向であれ ば購買意向の高さの違いや受容される 訴求メッセージの違いなど)につい て考察を加えていくことで状況 をとらえた打ち手の検討につな げていくことができますO  このように分析した結果につ いて考察を加えていくことで、 顧客調査を行う目的に即す結果 が、どのような条件下において、 どんな状況・刺激があれば発生 するのか、それはなぜなのかの 一連の流れをとらえることがで きますOこの「目的に即す結 果」が起こる条件としての「状 況」の抽出は、これまで見てき た状況構造化分析の手順に従う ことで導出することができますO 卜十\ 目的やプロセスは理解して おく  ここまで見てきた状況抽出す るためのデプスインタビューの 準備・実査・分析・考察の流れ の中で、プロに頼るべき理由に ついて触れてきましたO最後に 事業会社でよくある内製と外注 の比較について触れておきますO  まず大前提として、どのよう なプロセスで状況抽出が行われ るのか、何のために顧客調査を 行うのかなど、大枠の考え方に ついては理解しておく必要があ りますO  一般にマーケティングやデザ イン思考に関する書籍などで、 インタビューは自分で行うこと を推奨するものも多くありますO 企画者自身が肌感をつかむとい う点では非常に意味はあるので すが、インタビューに慣れてい ない人が行ったバイアスを多く 含むインタビュー結果を事実と してあつかったり、分析に慣れ ていない人が行った状況抽出結 果に基づいて物事を判断をした りすると、効果が薄いだけでな くむしろネガティブな結果を引 き起こす可能性まで考えられま すO  デプスインタビューの深掘リ ポイントは、「普通の蓄積」や 「人間理解」によって担保され るため、慣れていない人のイン タビューにはそれ相応のバイア スがつきものですOこういった 観点から、チーム全体で肌感を もったり、顧客目線を養うとい う目的であれば、内製して自社 内でインタビューを行うことを 推奨しますし、企画を前に進め たり、仮説を検証したりするた めのインタビューなのであれば、 経験豊富なプロに任せることを おすすめしますO  仮に外注するとなった場合は、 丸投げするのではなく、前述の ステップに従って依頼するパー トナー企業のアウトプット品質 をよく確認する必要がありますO  ● 「仮説をもってはいけな い」という言説について  UXリサーチや顧客調査 を担うプレイヤーの中には、 顧客調査(UXリサーチなど) では仮説をもってはいけな いという主張をする声が存 在しますO  第7章では仮説をもつこ との重要性について触れて きたため、上記のような主 張をするプレイヤーとお話 をされたことのある読者の 方は、困惑されたことで しょうO  そもそもなぜ「顧客調査 では仮説をもってはいけな い」と主張されるのでしょ うかO  彼・彼女らが仮説をもっ てはいけないと主張する理 由は非常にシンプルで、仮 説の誘導に伴うバイアスを 忌諱するためと考えられま すOデプスインタビューな どの顧客調査において、仮 説の白黒をつけたいとはや るあまり、モデレーターが 被験者に対して誘導的な質 問をしてしまうことで、調 査結果にバイアスがかかる のを避けることが目的ですO  第3章末のCOLUMNで も、顧客調査において「意 見」はバイアスの塊であり、 打ち手の検討には弱いと指 摘しましたが、仮説に対す る意見を求めても意味がな いことには変わりありませ んし、無意識に仮説への誘 導を行ってしまう可能性が あるかもしれませんO  こういった点では、「顧 客調査で仮説をもつべきで はない」という主張は間 違っていないかもしれませ んO  一方で本書の第1章では、 人はそもそも環境を予測し、 能動的推論と生成モデルの アップデートをつねに行っ ている生き物であることを 確認しましたOいい換える と、状況から勝手に仮説を 立ててしまっているととら えることができますが、こ の営みを気合いや意識で止 めることは不可能ではない でしょうかO  つまるところ、モデレー ターが人間である以上、 「仮説をもたない」ことは 構造上不可能ということに なりますO  それではどうするといい のでしょうかO  答えは簡単で、「仮説を もたない」ことは無理であ ると割り切り、仮説をもっ て臨む顧客調査はバイアス がかかる可能性があること を考慮したうえで、調査の 準備をすることですO  バイアスを排除するとい う観点では仮説はない方が いいケースもありますが、 仮説をもつことで行き当た りばったりではなくなるた め、1回の顧客調査で得ら れる発見の量も相当に増え ることが見込まれますO  仮説をもつことが不可能 なのであれば、バイアスが 極力かからないように、調 査設計を考える際やモデ レートをする際に細心の注 意を払うことで、質が高く かつ発見の多い顧客調査を 遂行できるようになるので すO 1 顧客調査において、意見がまった ー く意味がないとはいいませんが、どう してもバイアスを含みがちなので注意 が必要です。意見のみをベースにした インタビューから、ビジネス上の意思 決定を行うのはおすすめしません。 2 事実関係と「考えられる」と表現 − している背景には、インタビュー形式 で被験者の言葉を介して話してもらっ ている時点で100%事実と言い切るこ との難しさがあります。 被験者本人の認識としては、起こった こと・誰かに言われたことだとしても、 実際には異なる可能性も無きにしもあ らずです。 とはいえ、被験者がそのように認識し た結果として何かしら行動をしている 場合。行動の背景には(たとえ誤って いようとも)その認識があったと考え られます。 このようにみていくと「事実関係」と 言える情報は、バイアスが多く含まれ る「意見」と比べても、行動の因果関 係を押さえる上での精度は十分である と考えられます。 j! The Ongoing Process of Building a Theory of Disruption. Clayton M. Christensen First published: 23 December 2005. https://doi.oぼ    おわりに一仕事とは状    況を変えること  これまで見てきた通り、状況 という見方は、人の言動や認識 の背景についての理解の仕方を 伴いますOみなさんの周囲には、 事業上の顧客だけでなく、仕事 の上司や同僚、家族や友人など、 さまざまな状況を抱えた大たち であふれていますO  本書の終わりに、人の発言・ 行動の背景にある状況への好奇 心をもつことは、ときに冷静さ を取り戻すこと、自分のやるべ きことを見出すことにつながる、 というお話をお伝えしますO 相手の状況を考える  現状に困難を抱えているのは、 当然ですが何も顧客だけではあ りませんO時としてみなさんご 自身もそうですし、仕事や生活 におけるみなさんの周りの方も 同様ですOつまり、誰にとって も状況Aは存在します。  大事なのは、相手の言動より もその背景状況に目を向けてみ ることですO とりわけ、相手の 言動が感情的な場合には、なぜ 相手はそんなことをいっている のか、一呼吸おいて相手の状況 に(でヽきれば好奇心をもって)気を 配ってみることですO  相手に悪意がある場合は別と して、ほとんどの場合、相手も 「やむをえず」または「よかれ と思って」そうしていることが 多いように思えますO  そんなときは、その言動が起 きている状況を冷静に考えてみ ることをおすすめしますO とり わけ第1章のCOLUMNでお伝 えした「根本的な帰属の誤り (帰属バイアス)」を思い出してく ださいO人は相手の人格を行動 の要因と見なしがちなのです (「この人せっかちな人だな、怒りっぽ いのかな」など)Oそうではなくて、 相手が置かれた状況が原因とな り、その人なりにそれこそ「よ かれと思って」やっていること がありますO  そういったときは、相手の話 を聞きながらも、相手の状況に 耳を傾けてみましようOこれ以 上は説教じみてしまいますので やめますが、普段のコミュニ ケーションにおいても、相手の 状況を見る考え方が役立つこと があると、ぜひ覚えておいてい ただければ幸いですO 自分がすべきことのヒント にも  筆者らは相手の状況理解を生 業とし、多くの人たちに耳を傾 けてきましたが、やはりお一人 お一人の生き生きとしたストー リー(ナラティブ)というのは、 ささいなことでも少しドキツと するような瞬間がありますO  たとえば、とても真面目なサ ラリーマンで、オフィスの警備 に関する定型的な仕事のくりか えしながらも残業続きで疲れる ことも多く、かつ倹約家で健康 志向であり日常生活でも我慢を つらぬいていて、自宅から職場 まで毎日1時間以上かけて通勤 されている地方在住の男性の方 がいらっしゃいました廴  そんな彼のたまの息抜きの一 つが、休日に知人とテニスをす ることと、「コンビニで少し高 いエナジードリンクを飲む」と いうことでしたO彼にとってこ の行為は、普段の倹約や健康生 活のルーティンから離れる「悪 いこと」であり、一方で非日常 感を味わえる癒やしの瞬間でし たO日本的なハレとケではない ですが、エナジードリンクとい う比較的ささいなことにこんな にも非日常的なハレを求める方 がいるんだと、正直驚いたこと がありますO  彼を不幸だという気はありま せんし、相手の気持ちに強く共 感しすぎてしまうと、むやみに その気持ちを抱えてしまうこと にもなるため、客観的な視点で 距離を置くことが大事ではあり ますが、何か社会のひずみを目 の当たりにした感覚を覚えた気 がして、何かできないものかと 心に少し衝動めいたものを感じ ましたO  哲学者の国分功一郎氏と医師 である熊谷晋一郎氏の共著に、 『〈責任>の生成』(新曜社、 2020)という素晴らしい書籍が ありますOこの書籍では、意志 や責任とは何かについて、発達 障害やアルコール中毒患者など を対象にしたいわゆる「当事者 研究」での出来事とあわせなが ら、現代社会のあり方について 鋭く切り込んでいますO  当事者研究は、一般的にはそ の課題や問題に直接かかわる 人々、つまり「当事者」自身の 体験や視点を通して行う研究の ことを指しますO研究対象とな る問題を、直接經験し、生活の 中でそれに取り組んでいる人々 自身が、自己反省や社会的状況 の理解を深め、知識を生み出す 手法といえますO自らが当事者 の置かれた環境に近づいていく ということですO  当事者研究に限りませんが、 社会の特定の状況に深く入り込 む紐験は、時として「原体験」 とよばれるような、自分の内面 から唐突に湧きでる衝動をよび 起こす瞬間がありますO国分さ んらの書籍における「責任」と いうことばには、その衝動と通 じるものがありますOそれは、 いわゆるWVとか意志とはま た違う形で働くものですOその ことを端的に語った一文を引用 したいと思いますO  “冖分か応答するべきである  何かに出会った時、人は責任  感を感じ、応答する。これが  そもそもの責任という言葉の  意味ではないでしょうか尸  リサーチをしていて顧客の状 況にすみこむと、時としてひと りの個人として、何か応答せず にはいられないような衝動に駆 られる機会に遭遇しますOビジ ネスの厳しさからはずれた話に なるかもしれませんが、多くの 優れた事業やバリュー・プロポ ジションの背後には、おそらく そのような衝動かひそかに息づ いているケースもあるかもしれ ませんO  みなさんの今後そのような衝 動的な状況への出会いに向けて、 本書がその一助になればと願っ ていますO  最後に、私たちが本書を書く 「状況」を支えていただいたす べての方へ、心から感謝したい と思いますO とくに筆者らの古 巣である株式会社ビービットの 諸先輩方には、顧客理解を経て ビジネスアウトカムを生み出す 考え方・方法論・価値観のすべ てを教わりましたO  思えば入社時に暗記したユー ザビリティの定義にも、本書の キーワードである状況という言 葉が含まれていましたO   「ユーザビリティ」の定義:  ある製品が、   ・特定の利用状況において   ・特定のユーザによって   ・特定の目的を達成するた   めに  用いられる際の有効さ、効率  性、満足度の度合い  (IS09241-11)  ビービットに入社すると、筆 者らの当時は平均すると毎月 20人×70分の行動観察にプロ ジェクトとして取り組む激しい 機会がありますO年間にすると 200〜300人近くになり、5年 間続けると千人規模になりますO このような稀有な環境を与えて くれたことがすべてのベースと なり、本書を書くに至っていま すO感謝の念に堪えませんO  また、本書の執筆の最大の動 機となっだのは、クレイトン・ クリステンセン氏とボブ・モエ スタ氏両名によるジョブ理論に ふれて感銘をうけたことですO 普段からビジネス成果の文脈で 顧客の状況を見ることにプロ フェッショナリズムをもってい た筆者らにとっては、このコン セプトを囗本の多くのビジネス パーソンにもっと知ってもらい たいという使命感に駆られるよ うな出会いでしたoクリステン セン氏は2020年に他界されて おり、直接感謝の言葉をお伝え することがかなわないことが、 何より残念でなりませんo  本書のレビューをご快諾いた だいた、日本たばこ産業での筆 者・安達の上司である大瀧裕樹 さん、また筆者・安達が参画す る株式会社BELLOWLの大切 な仲間であり本書の事例提供に 協力いただいた鈴木康代さん、 佐藤麻友さん、moxの事例提 供とすてきな図版を作成いただ いた北村萌絵さん、CHONPS の事例を提供していただいた福 澤龍人さん、本書のストーリー づくりを支援いただいたビジネ スライターの森川ミュキさんに、 大変感謝いたしますO  最後に、数年にわたって本書 の企画時点からあたたかく見守 りながらここまで導いていただ いた翔泳社の渡邊康治さんに、 心から感謝申し上げますO          2023年9月         前田俊幸・安達淳 1 直接インタビューで伺った話を掲 − 載することは、匿名性を担保するため に脚色したところでやはり気が引けま すので、大幅に変更しています。       参考文献  本書やその周辺領域について理解を  深めていただくための参考文献をご  紹介します。 ジョプ理論   クレイトン・クリステンセン他著、  玉田俊平太監修、櫻井祐子訳『イノ  ペーションへの解』翔泳社(2003)   クレイトン・クリステンセン他著、  依田光江訳『ジョブ理論』ハーバー  コリンズ・ジャパン(2017)   Bob Moesta, Greg Engle著  『Demand-Side Sales 101』  Lioncrest Publishing (2020)   Anthony w. Ulwick 著『Jobs to Be  Done: Theory to Practice』  |「idependently published (2016)   JTBD.info (https://jtbd.info/)  ジョブ理論家のアラン・クレメント  氏によるジョブ理論に関するブ囗グ 状況にかかわるビジネス書  栗木契著『マーケティング・コン  セプトを問い直す』有斐閣(2012)  ロバート.F.ラッシュ著、井上崇  通監訳、庄司真人、田口尚史訳  『サービス・ドミナント・ロジック  の発想と応用』同文舘出版(2016)  石井淳蔵『ビジネスインサイト』  岩波書店(2009) 事業開発  Ash Maurya著、角征典訳  『Running Lean第3版』オライ  リ一一ジャパン(2023)  Running Lean Mastery (https://     Ash Maurya氏によるブ囗グ  サラス・サラスバシー著、加護野  忠男監訳、高瀬進、吉田満梨訳『エ  フェクチュエーション』碩学舎  (2016) 思想・哲学  圃分功一郎、熊谷晋一郎著「<  責任>の生成」新曜社(2020) 本書内容に関するお問い    合わせについて このたびは翔泳社の書籍をお買 い上げいただき、誠にありがと うございますO弊社では、読者 の皆様からのお問い合わせに適 切に対応させていただくため、 以下のガイドラインへのご協力 をお願い致しておりますO下記 項目をお読みいただき、手順に 従ってお問い合わせくださいO ●ご質問される前に 弊社Webサイトの「正誤表」 をご参照くださいo これまでに判明した正誤や追加 情報を掲載していますo 正誤表 雎p榴/   ●ご質問方法 弊社Webサイトの「書籍に関 するお問い合わせ」をご利用く ださいo 書籍に関するお問い合わせ   面 インターネットをご利用でない 場合は、FAXまたは郵便にて、 下記“翔泳社愛読者サービス センター”までお問い合わせく ださいO電話でのご質問は、お 受けしておりませんO ●回答について 回答は、ご質問いただいた手段 によってご返事申し上げますO ご質問の内容によっては、回答 に数日ないしはそれ以上の期間 を要する場合がありますO ●ご質問に際してのご注意 本書の対象を越えるもの、記述 個所を特定されないもの、また 読者固有の環境に起因するご質 問等にはお答えできませんので、 予めご了承くださいO ●郵便物送付先およびFAX番 号 送付先住所 〒160-0006 東 京都新宿区舟町5 FAX番号 03-5362-3818 宛先(株)翔泳社愛読者サー ビスセンター ※ 本書に記載されたURL等  は予告なく変更される場合が  あります。 ※ 本書の出版にあたっては  正確な記述につとめましたが、  著者や出版社などのいずれも、  本書の内容に対してなんらか  の保証をするものではなく、  内容やサンプルに基づくいか  なる運用結果に関してもいっ  さいの責任を負いません。 ※ 本書に記載されている会  社名、製品名はそれぞれ各社  の商標および登録商標です。 ※ 本書に記載されている情  報は2023年9月執筆時点の  ものです。 本書の読者特典として「バ リュー・ダイヤモンドボード」の PDFファイルをご提供いたします。 次のサイトからダウンロードして 入手してください。  ※ 会員特典データのファイルは   圧縮されています。ダウンロード   したファイルをダブルクリックす   ると、ファイルが解凍され、ご利   用いただけるようになります。 ・ 注意  X 会員特典データのダウンロー   ドには、SHOEISHAiD (翔泳社   が運営する無料の会員制度)への   会員登録が必要です。詳しくは、   Webサイトをご覧ください。  X 会員特典データに関する権利   は著者および株式会社翔泳社が所   有しています。許可なく配布した   り、Webサイトに転載すること   はできません。  X 会員特典データの提供は予告   なく終了することがあります。あ   らかじめご了承ください。 ・ 免責事項  X 会員特典データの記載内容は、   2023年9月現在の法令等に基づ   いています。  X 会員特典データに記載された   URL等は予告なく変更される場   合があります。  X 会員特典データの提供にあ   たっては正確な記述につとめまし   たが、著者や出版社などのいずれ   も、その内容に対してなんらかの   保証をするものではなく、内容や   サンプルに基づくいかなる運用結   果に関してもいっさいの責任を負 いません。      著者略歴 前田俊幸(まえご乱ゆき) プ囗ダクトマネージャー、UXリ サーチャー。UXコンサルティング 企業にて、大手企業のサービス開発 やCXマネジメントを支援。外資系 スタートアップでのUXリサー チャーを経て、現在AI企業にてプ 囗ダクト事業をリード。東京大学工 学部、同大学院学際情報学修士。岡 山県生まれ。監訳書に『This is Lean』(翔泳社、2021)など。 安達淳(あyとち・Uゆ刈 1990年、東京生まれ。東京大学農 学部環境資源科学課程を卒業し、新 卒でUXコンサルティング企業に入 社。顧客起点でのサービス一事業開 発の案件を担当する。現在は日本た ばこ産業株式会社のD-LABにおい て新規事業開発を企画一推進するか たわら、顧客調査や顧客起点での事 業開発コンサルティング、プロダク トの自社開発を行うBELLOWL社を 共同創業者・COOとして経営。シ ニアDXを推進する株式会社オース タンスにてシニアディレクターも務 める。趣味は料理をすること。 ブックデザイン    沢田幸平 (happeace) 図版作成       北村萌絵 編集協力       森川ミュキ バリュー・プロポジショ ンのっくり方 顧客の価値を「状況」で考えれ ばプロダクト・サービス開発は うまくいく 2023年10月23囗 初版第1 刷発行 著 者 前田俊幸     安達淳 発行人 佐々木幹夫 発行所 株式会社翔泳社   (https://www.shoeisha.co.   鋤/) E2023 Toshiyuki Maeda, Jun Adachi 本書は著作権法上の保護を受けていま す。本書の一部または全部について、 株式会社翔泳社から文書による許諾を 得ずに、いかなる方法においても無断 で複写、複製することは禁じられてい ます。本書のお問い合わせについては。 「本書内容に関するお問い合わせについ て」をお読みください。 − ISBN978-4-7981-7413-6 2023/10/23版    お礼とご案内 本書をお読みいただき、誠 にありがとうございました。 書籍に関する情報は、以下 のサイトにて随時更新して おります。ぜひご覧くださ い。 弊社は「誰もが活躍できる 未来を切り拓くコンテン ツ」の提供を続けてまいり ます。今後ともご愛顧のほ ど、何卒よろしくお願い申 し上げます。 「翔泳社の本JWebサイト     四分/       圖    SE