仮説行動_馬田隆明 はじめに  旅行先でハイキングをしていると、森の中に迷い込 んでしまい、スマートフォンの電波もつながらなく なってしまった、という状況を思い浮かべてみてくだ さい。登山用のアプリも入っておらず、地図もないた め、一体自分がどこにいるのかも分かりません。来た 道も分からなくなってしまいました。  そんなとき、周りにあるわずかな手掛かりをもとに、 「どちらに進めば脱出できるのか」と必死に考えるで しょう。そして「こちらに進んでみるのがよいのでは ないか」と思ったとします。  それは、この森から抜け出すための「仮説」です。  より良い仮説を作るためには何をすればよいので しょうか。たとえば、その場に立つたまま、ぐるぐる と周りを見渡して、周囲の情報を集めてみることがで きます。しかし、この場で手に入る情報だけをもとに、 深く考えさえすれば、森を抜けるための完璧な仮説が 立てられる、そう思える人はどれだけいるでしょうか。  おそらくほとんどいないはずです。  より良い仮説に辿り着くために、私たちは「こちら に向かうとよいかもしれない」という仮説をもとに、 行動を始めます。そして進む中で得られた、獣の足跡 や草木の状況などの新たな情報を加味しながら、その 都度仮説を作り直して、脱出方法を見つけようとする でしょう。  当然ながら、進むことには危険が伴います。森の奥 へと迷い込んでしまうリスクもあるでしょう。怪我を してしまうかもしれません。しかし正しい知識(直感 的には下山するべく下へ下へと向かうことが正しそうです が、下へ向かうと崖や滝にぶつかり進退窮まってしまうこ とがあるため、一般的には上へ上へと向かうほうがよいと されます)に基づいた仮説を用いて行動し、そこから 得られた新たな情報でさらに仮説を洗練し続ける。そ うするほうが最初の場所でじっと座り込んで誰かの助 けを待つよりも、脱出できる可能性は高まるはずです。 つまり、思考とともに行動することが正解に至るため の手段なのです。  そうして試行錯誤していくうちに、森を抜け、開け た場所に辿り着き、道路や人里を見つけて、無事に家 に帰れそうな可能性を感じ始める……と、ここで物語 はいったん終わりです。  ビジネスの最前線で起こっていることは、言ってみ れば、地図のないジャングルを探索しながら進んでい くようなものです。持っているわずかな手がかりを用 いながら、事業を前へ進めていきます。ときには状況 を覆すような予想外の出来事も起こり、対応しなけれ ばならないこともあるでしょう。事業の分岐点に差し 掛かれば、自らリスクを取ってどちらかを選び、道な き道を切り拓く必要もあります。  ビジネスの世界では、不確実性が高まっていると言 われ続けています。森で例えれば、自分たちが進んで いる森自体が時間とともに激しく変わる中で、脱出方 法を見つけなければならない、という状況です。そう した状況だからこそ、優れた仮説の考え方と行動方法 はこれまで以上に求められるでしょう。  ただ、これまではいわゆる「仮説思考」に注目が集 まってきました。しかし、不確実かつ激変する環境の 中では、思考だけでは不十分であり、「行動」がこれ まで以上に大切になってきているように思います。  筆者はこれまで約十年にねだりスタートアップの支 援に携わり、起業家のそばで、彼ら彼女らの動き方や 考え方を見てきました。スタートアップは不確実性の 高い領域で、普通の人よりも一桁も二桁も大きな成果 を上げることを企図します。そんな彼ら彼女らの仮説 の作り方、そして行動の方法は、ビジネスパーソンが これまでよりも大きな成果を上げるためにも役立つは ずだと考えました。その全体像とエッセンスを伝える のが本書の目的です。  それではここから、『仮説行動』をお楽しみくださ い。 1 本書の3つの特長  仮説に関する本はすでにたくさんあるため、まずは 類書との違いを明確にしておきたいと思います。  本書と類書との違いは以下の3つの点にあります。  @ 思考重視から行動重視への転換を促す(仮説思    考から仮説行動へ)  A 仮説という概念の解像度を上げる  B 「失敗しないための仮説」と「大きく成功する    ための仮説」の両方へのヒントを提供する  まず1つ目が、思考重視から行動重視への転換です。 言い換えると、「仮説思考から仮説行動へ」とまとめ られるでしょう。  これまでの類書では、主に思考の方法が整理されて きました。確かに情報が豊富に手に入る状況(たとえ ば大企業の既存事業の改善プロジェクトなど)では、すで にある情報をもとに思考や分析の精度を上げていくこ とで、より良い仮説に至りやすくなるでしょう。ただ、 不確実性の高い状況や不完全な情報しか手に入らない 場合、正しい情報を探すことや精緻な思考に労力を使 うよりも、その状況で行動してみて、そこから得られ た新鮮な情報やフィードバックを活かしながら思考し たほうが、より良い仮説に辿り着きやすいのではない でしょうか。そこで本書では思考だけではなく、行動 の方法についても多くのページを割いています。「自 分の頭で考える」から「自分の頭と体で考える」へ。 これが従来の仮説「思考」との違いです。  2つ目は、仮説という概念の解像度を上げることで す。仮説行動を適切に行うためには、そもそもの仮説 という概念を解像度高く理解しておく必要があります。 しかしこれまでの類書は、仮説を作るスキルやコツが 中心となっていて、仮説自体がどのような要素で成り 立っているかなどの概念化はやや弱い傾向がありまし た。また仮説に至るまでの思考プロセスが曖昧で、肝 心の仮説生成の方法が「直感が大事」「とことん考え る」といった、分かったような、分からないようなア ドバイスだけの場合も多かったように思います。本書 ではそうした状況に対して、仮説という概念を整理し、 さらにその思考と行動の方法をより精緻に言語化する ことで、どう思考や行動をすれば、仮説の生成や洗練 ができるのかをより具体的に示したいと思います。  そして3つ目の違いは、「失敗しないための仮説」 だけでなく「大きく成功するための仮説」のヒントも 紹介していることです。  これまでの仮説思考は、与えられた課題に対して、 大きく間違っていない解答を提示することが主な目的 だったように思います。たとえばクライアントや社内 から与えられたお題がコスト削減であれば、コストを 下げられる仮説をどれだけ現実的に作れるのか、そし てそうした仮説をどれだけの速さと正確さで作れるか、 が腕の見せ所だったでしょう。それはいわば、先生に 与えられた学校の試験を、速く正確に解くための仮説 思考であり、「失敗しない」ための仮説思考です。  もちろん、失敗しないことで昇進できる会社もある でしょうし、「与えられた枠の中で正解率を上げる」 ことが評価される状況もあるので、こうした仮説思考 も変わらず必要とされています。しかし、現在、多く の人が対応に苦慮しているのは、新規事業や起業など の「自分たちで課題を探し、解決するべき課題の枠も 選べる」状況です。そうした状況で必要なのは、「大 きく成功する」ための仮説思考ではないでしょうか。  この違いを理解していないと、「仮説を作ってほし い」と言われたときに「そこまで間違ってはいないけ れど小さな仮説」を作ってしまいがちです。たとえば 上司から「君の仮説は小さくまとまっているね」と言 われたことがある人もいるのではないでしょうか。失 敗しないことを念頭に置いて仮説を作ってしまうと、 そういう反応が返ってきてしまいます。新規事業など で必要とされているのは「成功するための仮説思考」 であり、これまで巷で共有されてきた仮説思考とは、 同じ部分もあれば少し異なる部分があるように思いま す。  そこで本書では、仮説の良さを測る評価軸として 「確信度」と「影響度」という2つの軸を導入します。 これまで解説されてきた「仮説の確からしさの程度」 を確信度と呼び、「仮説のインパクトの大きさ」を影 響度と呼んで、その両方を伸ばしていく方法を考えま す。特にこれまであまり解説されてこなかった「仮説 の影響度」を本書では重視し、仮説の影響度を高めて 大きく成功する方法を、最後の章で重点的に考えたい と思います。  本書はこうした観点から、仮説との向き合い方を変 えるためのいくつかの考え方を紹介していきます。  なお、本書では、仮説に触れたことのない人のため に、基本的な部分についても解説しています。すでに 仮説をうまく使えている大が読むと、「当たり前」「得 るものがない」「詳細すぎて迂遠だ」と思うかもしれ ません。ただ、そうした基礎的な考え方も解説するこ とで、これまで仮説を用いた考え方に触れたことのな いような若手のビジネスパーソンにも、仮説の入門書 として手渡しできる本にしました。  知っている部分については読み飛ばしていただいて も構いません。目次を見て、気になるところだけを読 んだり、仮説に慣れ親しんでいない若手に教育目的で 渡したりなど、様々な形でご活用いただければと思い ます。  それでは早速、本論に入っていきましよう。 2 なぜ仮説は重要なのか 私たちのまわりにあふれる「仮説」  ビジネスに関わる人たちは、普段から課題解決(問 題解決)をしています。  たとえば「製品をもつと売るにはどうすればいい か」「どうすれば優秀な人をもっと採用できるのか」 「サポートを求めて電話してくる顧客の課題をどうす れば早く解決できるのか」「チームメンバー同上のい がみ合いをどう解決するのか」などなど、私たちは何 かの課題を解決することを仕事にしています。先ほど 例に挙げたような、目の前の課題だけではなく、「こ の会社はどこに向かえばよいのか?」といった戦略レ ベルの大きな課題の場合もあるでしょう。  そして課題を定めたら、「この課題には、この解決 策がベストだ」という答えを出して行動し、日々、課 題解決を試みています。  このときに作られる解決策は、仮説とも呼ばれます。 仮説とは、その名の通り仮の説であり。仮の答えです。 その時点で貞偽が分かっていない説や意見、とも言え ます。  解決策だけではなく、解決しようとしている課題自 体が仮説のこともよくあります。「根本的な原囚はこ の課題だろう」と仮定している場合が多いからです。  実は私たちは常日頃から仮説と触れ合っています。 なぜなら様々な概念が実は「仮説」に相当するからで す(図表2・1)。  アイデアは「こういったビジネスをすれば儲かるだ ろう」「こうやればうまく事業が進むだろう」という 仮説です。コンサルタントがクライアントに提供する 示唆や洞察も仮説です。「スタンスを取る」「ポジショ ンを取る」という態度も、「ある仮説に強く依拠した うえで特定の立場を取る」という、仮説を使った考え 方です。売上予想も事業計画も仮説ですし、勝ち筋と 呼ばれるものも仮説でしょう(あまりにも仮説として弱 いときには、思い付きや妄想と言われたりもします)。  顧客はこの製品や機能を欲しがっている、顧客は大 勢いる、このチームなら製品を作れる、この価格で売 れる……などなど、企画書に書かれていることはほぼ すべて「はず」という語尾がついていてもおかしくな いものです。  大なり小なりはあるものの、私たちは日々こうした 仮説に基づいてビジネスをしています。  ビジネスだけではありません。生活でも同じです。 「あの店は一1111時30分に行けば空いているので、早く会 社を出れば並ばずに食べられるはずだ」「映画が終 わったら多くの人がトイレに行くけれど、みんな近く のトイレに行くだろうから、あえて遠くのトイレに行 けば混雑に巻き込まれなくて済むはずだ」といった 日々の考えも仮の答えであり、私たちは常に仮説を用 いながら日々の生活を送っていると言っても過言では ないでしょう。  しかし、これほどまでに身近なものであるにもかか わらず、私たちは仮説について深く考えることがほと んどありません。  中にはビジネス書を読んで、仮説の作り方のコツを 知ったという人もいるでしょう。しかし、そもそも仮 説とは何か、どう作ればいいのか、どのような要素で 構成されているのか、仮説を作ったあとにどのように 扱えばいいのか、仮説が間違っていたらどうすればい いのか……… こうしたことを体系的に学んだと胸を 張って言える人はそう多くないのではないでしょうか。  そこで本書では、仮説とはどのようなもので、どの ように扱えばより良い仮説を作れるようになるかにつ いて、整理しながら紹介していきたいと思っています。  まずは、なぜこれほどまでに私たちの周りには仮説 があふれているのか、そしてなぜ仮説が重要なのかを 考えるところから始めましょう。  「時間の制約」「不確実性の高さ」H仮 説の必要性  仮説はあくまで「仮の答え」です。もちろん、間 違っている可能性もあります。そう聞くと、「間違っ ているかもしれない仮の答えがなぜ大切なのだろう」 と戸惑う人もいるかもしれません。  そんな仮説がなぜ必要とされるのでしょうか?  それは「仮説が必要とされる場面」があり、ビジネ スの多くはそうした場面に当てはまるからです。  より具体的に言えば、それは、  @ 時間的な制約がある場面  A 不確実性が高い場面  です。  まず@についてです。ビジネスでは、確実な答えを 得てからだと、すでに手遅れになっていることがあり ます。たとえば、新製品を出そうと長い時間をかけて 準備しているうちに、競合が類似製品を出してくるこ ともあるかもしれません。ビジネスの状況は刻一刻と 変わり、その時々で正しい答えも変わります。かと いって、ずっと動かずに考えているだけでは、競合に 勝つことはできないでしょう。そこで、ある程度の時 間的な制約の中で意思決定をして、行動を始めなけれ ばなりません。そのようなときに確実性が低くとも仮 の答えが必要となります。  また、すべての可能性を把握して、それぞれの優劣 を評価してから行動しようとしてしまうと、どれだけ 時間があっても足りません。手に入りうるすべての情 報を獲得する前に、判断を迫られることのほうがずっ と多いのです。そんなときも、仮説が必要です。  次にAについてです。すでに正解と思われる効率的 なやり方があり、それをうまく再現することが求めら れる業務(たとえば工場での定型的な作業など)では、 仮説はそこまで求められないでしょう。そんなときは むしろ、すでにある答えをより速く間違わずに実行す ることが求められます。  一方、不確実性が高く将来が予見できないときは、 これまでの「正解」が不正解になっている可能性が出 てきます。前提となる環境や条件が変わっているかも しれないからです。未知の領域に挑むときも、まだ誰 も答えを持っていません。では正解が分からないから といって、何もしないままでよいのでしょうか。そん なことはありません。今、手元に自信のある答えがな かったとしても、仮の答えを作って実行することが求 められます。そして多くのビジネスは不確実性のある 中で行うため、多くのビジネスパーソンは日々適切に 仮説を作ることが求められているのです。 不確実性の脅威を「機会」に  ここまでは、不確実性が高く、時間制約がある中で は、しぶしぶ仮説に頼ることになる、といったニュア ンスでお話ししてきました。その背後には、不確実性 を「避けるべきもの」や脅威として捉え、損失を最小 限にするために仮説を作る、というニュアンスがあり ました。  しかし、私たちは仮説をうまく用いることで不確実 性を活かし。利得を最大化することもできます。  不確実性は変化を引き起こします。既存の確固たる 事業の持ち主にとって、変化は避けたい事象です。し かし新規参入者からすると、変化は、既存の仕組みの 中に入り込み、利益の大きな事業を始める機会でもあ るのです。このように前向きに捉えると、不確実性か ら生まれる機会を活かすために仮説を使う、という発 想にもなります。  たとえば、1995年前後、インターネットが商用 に解禁される以前は、この領域はビジネスにとってま さに不確実性の高い領域でした。しかし、そうした不 確実性の高い状況の中で事業機会を素早く模索できた 企業が、現在は世界でトップを走っています。  では、仮説をどのように使えば、不確実性を機会に できるのでしょうか。  1つは、不確実性の高い状況の中で素早く探索を行 うことです。インターネットが商用に解禁されたとき、 「インターネットは大きなビジネスになる」と信じた 人たちが、素早い探索を繰り返して大きなビジネス機 会を見出し、事業を成功させました。もしインター ネット関連市場が十分に大きくなり、不確実性が低く なってから参入していたら、今ある巨大なインター ネット企業はそれほど大きな成功には至っていなかっ たでしょう。不確実性の中に飛び込んで素早く探索で きたからこそ、機会を見つけることができたのです。  そうした探索のときに、仮説は役立ちます。  暗闇の迷路の中で、どちらの方向に進めばよいか分 からない、という状況を想像してみてください。その ときの正しい道を探索する方法として、大きく2種類 があります。1つはレーダーやソナーの表示画面のよ うに、一点を中心にして幅広く全方位的に探索する方 法です。もう1つは、ボールを投げてみて、一方向に のみ探索する方法です。ボールが跳ね返ってきたら壁 がある、ということが分かります。仮説を持って調べ るのは、ボール投げ型の探索です。  ボールの投げる方向すら分からない、つまり仮説を 作れていない初期段階であれば、ソテーの表示のよう な全方位の探索をしていくほうが得るものが多いで しょう。ただ全方位の探索をし続けると、調査範囲は どんどん広くなります。探索の範囲の円か大きくなっ てくるからです。ビジネスでは際限なく探索が可能な ので、全方位を丹念に探索していたら、確実ではある ものの、あっという問に時間や資源を使い切ってしま います。  そこで、全方位的な探索を踏まえて良さそうな方向 性を見つけたら、ボール投げ型の探索に移るほうがコ ストパフォーマンスは高くなります。むしろ、ある程 度仮説を持って挑まなければ。ソナー型で延々と探索 をしてしまい。限りない情報の海に溺れてしまう危険 性すらあるのです。  「早めに仮説を立てよう」というよく聞く示唆は、 ボール投げ型の探索を早くから行ったほうがよい、と いうことでもあります。  しかし、こうした考えに違和感を持つ人もいるので はないでしょうか。十分な情報がないまま立てた仮説 は、情報収集をして慎重に作った仮説より、間違って いる可能性が高いからです。つまり、全く違う方向に ボールを投げてしまうことがあるのではないか、と危 惧してしまうのです。  その可能性ももちろんあります。しかし、ボール投 げ型の探索であれば、正解と間違いが分かりやすくな ります。たとえば、近くに壁があれば、投げたボール はすぐに跳ね返ってきます。それに良い情報と思考能 力さえあれば、全く的外れな仮説を作ることもないで しよう。このように、一度仮説というボールを投げて みて、壁から跳ね返ってきた速度や角度などの得られ た情報を参考にしながら仮説を洗練し続けることで、 全方位に探索するよりも素早く答えへと辿り着ける可 能性が高まります。  つまり、仮説を使えば素早く探索できる、というの が、仮説を使う1つ目の効用です。  不確実性の高い状況下で、仮説を使うことの2つ目 の効用は、全体の整合性を取りやすいことです。  「仮説」というと、シンプルな1つの仮説を思い浮か べる人もいるかもしれません。しかしビジネスにおけ る仮説は、多くの場合、複数の仮説が統合されたもの です。  たとえば、新しいシャンプーの認知を上げるための 広告を作るとき、私たちは前提として、その新商品の 購買層や、その人たちがよく見るはずの場所、響くと 思われるメッセージ、といった複数の仮説を組み合わ せながら、広告という1つの仮説を作り上げます。  しかし、仮説の全体像を無視して、仮説をバラバラ に作り、それぞれを検証した後に、うまく組み合わせ て1つの統合された仮説を作ろうとしても、大抵うま くいきません。先ほどの広告の例で言えば、一番売れ そうな購買層の調査と、最も人が通る場所の調査、一 般的な人たちに広く伝わるメッセージをそれぞれ別に 検証して、最後に組み合わせるようなものです。その ときは、「50代の人向けに、渋谷のスクランブル交差 点で、『この商品は安い』というメッセージを掲載し たシャンプーの広告」のような、目立だない広告に なってしまうでしょう。  ここで本来作るべきだったのは、それぞれの仮説同 上が関連し、相乗効果を持ちながら、全体として整合 性がある仮説群です。そのようにうまく統合された仮 説群を作るためには、ある程度全体像や最終形を想定 したうえで、要素となる仮説を作り、検証していくこ とが必要です。つまり、個別の仮説を用いたボトム アップではなく、「要素が統合されたときの全体観や 大枠の仮説」を踏まえて、トップダウンで全体像を考 えていかなければならないのです。  全体像を決めておくことで、仮説の足りない部分や 弱い部分が見えてくるというメリットもあります(図 表2・2)。もし全体像がなければ、優先順位の高い 仮説も分からず、手当たり次第に仮説を作ってから、 関係の薄いものも含めてうまく全体を整合させる、と いう困難な作業が発生してしまうでしょう。  「最初に大枠を作った後に、要素となる仮説が間違っ ていたりすると、全体の構造自体が変わってしまうこ ともあるのでは」と不安になる人もいるかもしれませ ん。確かにそういうときもあります。ただ、仮説の一 部を修正すれば対応できる場合も多いでしょう。どう しても全体の結論が成り立たないような結果になれば、 そのときは全体構造を改めて考え直し、全体を変えれ ばよいだけです。逆に、全体像や最終形のイメージを 持っていなければ、それぞれの要素となる仮説の間違 いに早く気づけたとしても、こうした「全体の間違い に早く気づく」ことが難しくなります。  このように、早めに最終形や全体像の構想を決めて おくことは、素早く結果を出すための手法とも言えま す。  仮説を用いる効用をまとめましよう。1つは仮説を 使うことで不確実性の高い状況の中であっても素早く 探索が行えること。そしてもう1つは全体として調和 した仮説群を作れることです。このように、仮説をう まく用いることで、不確実性の高い環境下で脅威を機 会へと変えることができるのです。 仮説検証で補完する  一方で、仮説にはデメリットもあります。繰り返し になりますが、「仮の答え」である以上、仮説は間 違っているかもしれないのです。  私たちは仮の答えを生み出すのが上手です。顧客の 課題を聞いたときに、ぱっと「こうすれば解決できる のではないか」と思いつく人も多いのではないでしよ うか。私たちは直感的に仮説を導くことができます。  ただ、仮説を生み出すのが得意なことと、生み出し た仮説が正しいかどうかは別の問題です。実際、直感 で導いた答えには、間違いが含まれていることも多く あります。  たとえば、以下のような問題を考えてみましよう。    5台の機械を5分間動かすと、製品が5つ   できる。100台の機械で100個の製品を   作るには、何分かかるか。  問題文をぱっと見て、「100分」と答える人もい るかもしれません。答えは5分です。1台の機械を5 分動かすと1つできるのであれば、100台の機械を 使えば5分で100個作ることができます。しかし結 構な数の人が「100分」という仮説を直感的に導い てしまうようです。(これは認知反射テストで出題される 問題です)。  仮説を作ることは重要なのですが、同時に、人は間 違った仮説を作ってしまうこともあるのです。  しかし、間違った仮説を作ってしまう可能性がある からといって、作ること自体を諦める必要はありませ ん。なぜなら、私たちは容易に間違えてしまう一方で、 その間違いを修正することもできるからです。たとえ ば、先ほどの問題も、少しだけ立ち止まって検算した りすることで、自分の仮説を修正することができます。  こうした仮説の正誤の確認作業を仮説検証と呼びま す。この仮説検証をうまく使うことで、私たちは仮説 をよりうまく用いることができます。そして、仮説生 成と仮説検証はセットで考えるべきものです。  実は日々の生活でも私たちは仮説検証を行っていま す。たとえば料理です。塩やコショウで味付けをする ときには「これぐらいが適量かな?」という仮説に基 づいて行動し、味見をして、味が整っているかを確認 します。ここでの味付けは仮説生成、味見は仮説検証 です。そして「美味しい」と思えるまで調味料を加え 味見を繰り返すことは、仮説生成と仮説検証の繰り返 しとも言えるでしょう。最初から完璧な味付けができ る人は少ないので、味見が必要になります。同じよう に、直感で導いた仮説をうまく活用するためにも、検 証が大事なのです。  しかし残念ながら、多くの人は検証を嫌い、避けが ちです。なぜなら、検証して自分の間違いに気づくと、 それを失敗だと認識してしまうからです。組織の中で も、「これがよい!・」と思って共有した仮説に対し、 他人から「いえ、それはこのデータを見てみると、支 持されない仮説です」と言われたら、嫌な気分になっ たり、水を差されたと感じることもあるでしょう。自 分の仮説を否定されると、どうしても自分自身も否定 されたような気分になってしまいます。それは感情と して仕方のない部分もあります。  確かに検証によって「今の自分自身の仮説」や「今 の自分自身」は否定されるかもしれません。しかし、 検証によってより正しい答えに行き着くためのヒント をもらうことができれば、「将来の自分自身」をより よくしていくことができます。それに、大勢の人が検 証を避けるのであれば、検証を行う癖をつけるだけで、 一歩先んじることができるでしょう。  仮説を導いたら、それを検証していくこと。もし検 証の結果、間違っていることが分かれば、仮説のズレ を修正し、最終的に確信度の高い仮説に辿り着くこと。 これを絶え間なく繰り返していくことが、仮説と付き 合ううえで大事な態度です。 仮説と業績の関係  仮説をビジネスで用いる効用は、研究でも示されて います。  とあるランダム化比較試験を使った研究を見てみま しよう(I)。この実験では、116のスタートアップ のチームを2つのグループにランダムに振り分けまし た。1つ目のグループに入っだチームは、ビジネスモ デルキャンバスや顧客インタビューなどの、一般的な 起業家向けのビジネストレーニングを受けました。も う1つのグループに入っだチームはそうした一般的な ビジネストレーニングに加えて、仮説を用いた考え方 や、仮説検証をする前にきちんと仮説を明確にして検 証の闥値を定義すること、データに基づく意思決定の 方法、といった科学的思考を学びました。  約1年後の成果を見てみると、その差は歴然でした (図表2・3)。一般的なビジネストレーニングしか受 けなかったグループの売上は平均約4万円だったのに 対して、科学的思考のトレーニングも受けたグループ の売上は、平均約176万円だったのです。  この研究は、極端に不確実性の高い起業という領域 において仮説を用いた考え方が役に立つことを示す一 例だと言えるでしょう。  この差が生まれた要囚の1つが、「仮説検証をきち んと行ったかどうか」だと考えられています。科学的 思考を学んだグループは、アイデアを変える回数が多 かったそうです。つまり、仮説を検証し、間違ってい たならそれを認め、新しい仮説を何度も作っていたの です。それを繰り返した結果、良いアイデアに辿り着 き、それが成果につなかったと解釈されています。  それでも、最初の仮説にこだわったほうがよいと思 う人もいるかもしれません。そのほうが首尾一貫して いると見られて好ましい、と思う人もいるでしょう。 実際、自分の意見と矛盾する証拠を見せられたとして も、多くの人は意見を変えないようです。しかし、意 見を変えたほうが他人からはよりスマートに見られて、 成果につながったという研究結果もあります(2)。そ うした意味でも、最初の意見にこだわらず、より正し いと思う意見が見つかれば意見を変える、といった行 動を取るほうが、多くの人にとってより良い結果をも たらすと言えるでしょう。  ここまで、仮説の生成と検証についてお話ししてき ました。こうしたことは思考だけで行うことも可能で す。たとえば算数における検算はここでいう検証に当 たりますが、これは頭だけでもできます。しかしビジ ネスの検証の場合、行動が必要なことも多くなります。  そこで必要になってくるのが、仮説行動です。     −     1 Amaldo Camuffo「 Alessandro Cordova「 Alfonso       {}ambardella「 Chiara Spina「 "A Scientific Approach to       Entrepreneurial Decision Making: Evidence from a       Randomized Control Trial"气vianagemen、science「    Volume 66「 Issue 2「 February 2020「 p.564-586’401:    10.1287/mnsc.2018.3249 − 2 」eslie K. John「 Martha Jeong「 Francesca Gino「 」aura    Huang「 "The self-presentational consequences of    upholding one's stance in spite of the evidence"「    Organizational Behavior and Human Decision Processes「    Volume 154「 September 2019「 p.1-14. doi.0rg/10.1016/    j-0bhdp.2019.07.呂1 3 仮説行動の全体像 仮説行動とは何か  本書では、ビジネスにおける仮説行動を「学びと業 績を最大化するための。仮説を用いた思考と行動のプ ロセス」と捉えます。  ここには、本書の特徴を示すキーワードがいくつか 含まれています。    ・思考と行動    ・学びと業績    ・プロセス  という3つのキーワードです。  まずは本書の1つの特徴である「行動」について解 説しましよう。 仮説思考から仮説行動へ  仮説を作ろうとしたとき、情報が十分に手に入れば、 思考だけでも正しい答えに辿り着けるかもしれません。 しかし、必ず情報が十分に手に入るとは限りません。 時間の制約もありますし、新しい市場で新規事業を作 ろうとしたときなどには、そもそも情報がない場合も あるからです。たまたま外部の調査会社のデータなど があったとしても、新しい市場のデータや予測はどこ まで正確で頼りになるのか分かりません。  そうしたときには、生の情報や一次情報を取りに行 く必要があります。つまり、行動をしてより正確な情 報を取りに行くのです。どれだけ思考能力が高くとも、 不正確/不完全な情報を頼りに仮説を考えてしまうと、 間違った仮説を導いてしまうだけです。最先端の課題 や不確実性の高い状況に対応しようとすればするほど、 行動による情報獲得が大事になってくるのです。  さらに仮説検証でも行動が有効になります。すでに ある情報だけを集めて仮説の成否を確かめられるかも しれませんが、仮説をもとに新商品を作ったとき、本 当に売れるかどうかは既存の情報だけでは分かりませ んし、そもそもどれだけ考えても売れるかどうかは分 かりません。新商品が売れるかどうかをより正確に予 測するには、新商品を一部の地域だけで発売してみる などの実験(‥行動)が有効です。  仮説の生成でも検証でも、思考だけにとどまらず行 動することでより良い仮説へと辿り着けるのです。実 際、不確実性の高い状況に身を置くスタートアップは、 行動の中で得られた最先端の情報と学びを使って仮説 を作り、検証をしながら先に進んでいます。思考だけ を積み重ねて。良いアイデアに辿り着いた起業家はほ とんどいません。思考だけでは、物事の表層的な部分 にとどまってしまうので、事業を作るために必要な深 い洞察には、行動がほぼ必ず求められます。  しかし、従来のように「仮説思考」と呼んで、「思 考」を強調してしまうと、行動が軽視されてしまいが ちです。その結果、正しい仮説をたった一度で立てよ うとしてしまったり、行動を避けてただひたすら「考 える」ことに集中してしまったりします。  事業にコンサルタント的に関わるのであれば、それ でもよいかもしれません。しかし、多くの人はコンサ ルタントではなく、現場の最前線で課題解決に自ら携 わっています。現場では当然ながら、考えるだけでは なく行動が求められます。逆に言えば、行動によって 得られた情報や学びを使って、再び仮説を考えられる というメリットがあります。  さらにデジタル技術が普及したことで、相対的に試 行錯誤のコストが下がり、小さな規模での実験も容易 に行えるようになりました。行動へのハードルが下 がったのです。また昨今では、コンピュータがある程 度の思考(推論)をできるようにもなりました。「○ ○についての仮説をいくつか出してほしい」と言えば、 それなりの仮説を出してくれます。さらに「その仮説 を検証してほしい」と言うと、簡単な検証もしてくれ るでしょう。そうなると、ますます思考自体ではあま り差がつかなくなります。差をつけることができるの は、どれだけ行動して、コンピュータがアクセスでき ない新しい情報を手に入れられるかどうかになってき ます。  特に不確実性が高く、変化が激しい状況では、思考 よりも行動に重きを置いたほうがより正しい仮説に辿 り着ける可能性が高まります。仮説思考だけではなく、 仮説行動が重要な理由はそこにもあります。  「デザイン思考(歐訟耳三沁冨)ではなく、デザイン 行動(design doing)であれ」とデザイン分野の大家で あるドナルドーノーマンが言うように(1)、「仮説思 考ではなく。仮説行動であれ」ということを本書では 繰り返し強調したいと思います。  「業績」と「学習」という2つの目的  私たちが「行動」という言葉を聞いたときに思い浮 かべるのは、効率的かつミスを少なく物事を進めるこ とではないでしようか。  ただ、行動の目的はそれだけではありません。2種 類の目的があると整理してみると、見通しが良くなり ます(2)。  1つ目の目的は業績です。一般的なビジネスシーン で求められるのはこちらで、営業であれば営業成績、 工場であれば生産量などです。やり方がある程度分 かっている状況で、効率的かつミスをなるべく減らし ながら行動することが求められます。なお、ここでの 「業績」という言葉は、パフォーマンスという英語に 該当します。  2つ目の目的は学習です。たとえば仮説を検証する ために一度動いてみて世の中の反応を見るなど、新し い仮説の生成や仮説の修正に寄与してくれる行動です。 試行錯誤とも言えます。こちらの行動の成果は、業績 そのものではなく、行動から得られた学びの量と質だ と言えるでしょう。  改めてまとめると、以下のように整理できます。   ・業績………現在の知識やスキルを用いて生み    出すもの   ・学習………知識やスキルを将来のために高め    ること  仮説行動では、この2つの目的を状況に応じて強弱 を付けながら使い分けます。  業績のための行動に時間をかければ短期的な成果は 最大化できます。一方で、中長期的な成果を最大化す るためには学習のための行動に時間をかけて、知識や スキルを伸ばす必要があります。往々にして、業績を 重視すれば学習の効率は下がり、学習を重視すれば業 績の効率は下がる傾向にあります。いわゆる木こりの ジレンマを思い出すとよいでしょう。刃こぼれした斧 を使って木こりが一生懸命に木を切ろうとしていると きに、旅人が「斧を研いだほうがよいのでは?」と助 言したものの、木こりが「木を切るのに忙しくて、そ れどころではない」と返答する寓話です。目の前の業 績を上げることに追われてしまうと、研鑚や学習に時 間が使えなくなってしまいます。  昨今、コストパフォーマンスやタイムパフォーマン スといった言葉がしばしば使われますが、これらもま た学習よりも業績(パフォーマンス)を重視した考え 方だと言えるでしょう。コスパやタイパを気にすると いうことは、選択の失敗を避けようとしている、とも 捉えられます。確かに失敗しないほうが、短期的なコ スパやタイパはよいでしょう。しかし、それを続けて いたら、ある程度成功すると分かり切っているような、 いつもの行動しか取れなくなってしまい、新しい興味 関心に出合うことも極端に少なくなってしまいます。 自分の新しい興味関心を開拓することなども含めて、 学習には失敗がつきものであり、中長期的に高い業績 を上げようとしたときには、失敗を許すような「学習 のための行動」にコストや時間を割り当てなければな りません。  たとえば、IT系のスタートアップで2010年代 によく用いられた考え方にりIンスタートアップとい う、無駄を少なくしながら起業を進めていく方法論が あります。このりIンスタートアップで推奨されてい る方法は、MVP(Minimum Viable Product)と呼ばれる 「実用最小限の製品」(見栄えの悪いバージョンO・1と も言える製品)を顧客に使ってもらい、そこから得た フィードバックを素早く改善につなげることで、優れ た製品へと洗練させていく、というものです。これは まさに学習のための仮説行動だと言えるでしょう。売 上を上げるためではなく、学ぶために製品を開発して いるのです。  こうした仮説行動を素早く徹底して行うことで、起 業家たちは最終的に良い仮説に辿り着いています。そ してある程度学習を終えた後は、製品を作りこみ、学 習から業績へと行動の目的を移して、売上などを一気 に上げていきます。つまり、「業績」と「学習」の2 つの目的をうまく使い分けたり、強弱をつけたりして いるのです。  ここまで、業績のための行動と学習のための行動の 違いを解説してきました。本書で解説する仮説行動は、    ・作った仮説に基づいて、業績を最大化するため    の思考と行動    ・仮説をより良くするために、学習を最大化する    ための思考と行動  の2つを行き来しながら、中長期的な業績を最大化 するための方法論だと言えます。  「ループ」するプロセスとして捉える  最後のポイントはプロセスです。業績のための行動 と学習のための行動が行き来を繰り返すように、また、 仮説生成と検証を繰り返しながら正しい答えに辿り着 くように、仮説行動のプロセスは「ループ」を伴うも のになります。  仮説行動は一度で完結する行為ではなく、検証を繰 り返して何度も失敗をしながら進むプロセスです。そ の意味で、仮説行動は。失敗することがデフォルトだ と考えたほうがよいでしょう。そして失敗は成功に至 るための過程なのです。  私たちは仮説を立てるときに、どうしても入学試験 のようなものを思い浮かべてしまうようです。しかし ビジネスは、一度きりの挑戦で合否が決まるような試 験ではありません。時間内に何度でも検証し、失敗か ら学びながら、十分に確からしい仮説に辿り着けばよ い。そんな問題を、私たちはビジネスの現場で日々解 いているのです。  失敗から学べないことが本当の失敗です。発明家の トーマスーエジソンが「私は失敗したことは一度もな い。1万通りのうまくいかない方法が分かっただけ だ」と答えたという逸話は、それを端的に表していま す。成功した有名な起業家ですら「自分でも驚くぐら い失敗した。でも次第に失敗に慣れてくる」と言いま す。失敗から学ぶことができれば、次の挑戦では前回 よりも良い挑戦ができ、良い挑戦からは良い失敗が生 まれ、そして良い学びも生まれます。そうしてより良 い学びを生み続けているのであれば、仮説行動という 挑戦は成功したとも考えられるのです。  それに失敗したということは、自分にとって予想外 のことが起こったということであり、それは本来、興 味深い現象のはずです。そうした予想外や失敗を面白 かって、より良い仮説に辿り着きましよう。周りの起 業家を見ていても、失敗を興味深い研究の対象と見立 て、次に活かそうとする前向きな大ほど、その後の伸 びが大きいように思います。  学びに対して貪欲であること。学ぶために挑戦をし て素直に失敗を受け入れ、次の行動の糧にできること。 失敗をプロセスの一部と捉えて、何度も挑戦のループ を回せること。それが仮説行動に向いている人の考え 方です。 3つのステップとして捉える  ここまで説明してきた通り、「学びと業績を最大化 するための。仮説を用いた思考と行動のプロセス」が 本書での仮説行動です。  このプロセスをより具体的にすると、以下の3つの ステップの組み合わせだと言えます。   ・マップ    ・ループ    ーリープ  それぞれを簡単に解説します。  まず最初はマップです。ビジネスにおける仮説は複 数の仮説が統合されたものであり、全体の整合性が重 要だという話をしましたが、そうした仮説の全体像と なる地図(マップ)をざっくりと作ることが、仮説行 動の最初にあるステップです。  そしてこのマップ全体を洗練させていくためには、 要素となっている個別の仮説を強くしていく必要があ ります。  仮説を強くしていくときに必要になるのがループで す。仮説を生成したら検証し、検証結果から学びを得 て、仮説を洗練させることを繰り返します。そうする ことで、仮説のマップに含まれている個別の仮説を強 くでき、マップ全体も強くすることができます。  最後にりIプです。リープとは跳躍のことです。ど れだけ検証したとしても、仮説が100%正しい答え になることはありません。だから、リスクがあろうと もどこかのタイミングで「この仮説が正しい」と信じ て決断し、行動に移る必要があります。仮説を磨き上 げることはできても、なかなかりIプができず、行動 に移すのが遅くなってしまって、業績を上げられない 人は多くいます。だからこそ、「どこまで学んだら、 業績のための行動に移るべきか」といったりIプを強 く意識して、行動していく必要があるのです。  仮説行動は、こうしたマップ、ループ、リープが互 いに入り組みながら進んでいくプロセスです。そして 多くの場合、  @ 最初にマップを描き、  A 仮説を強くするためのループを同し、  B 十分な強さになれば最後にりIプする  という順で行われます(図表3・1)。この順でそれ ぞれの概要を掴んでいきましよう。 マップ  この節では、マップとは何かを解説していきます。 全体構造を把握する  1つの大きな仮説を成立させるためには、複数の仮 説が必要です。  たとえばビジネスでは、複数の仮説の関係性をピラ ミッド構造の図で整理することがよくあります。ピラ ミッドの要素1つ1つが仮説であり、より上位の大き な仮説が成立するためには、下位にある複数の仮説が 成立していなければならないことがよく分かる図です。 それ以外の図示の方法として、たとえば、新規事業向 けのフレームワークであるビジネスモデルキャンバス やりIンキャンバス、イシューツリーと呼ばれるよう なツリー構造、システム思考で使われる囚果ループ図 などがあります。これらも複数の仮説を集めたもので す。  ピラミッド構造や○○キャンバス、ツリー構造など、 仮説の全体像を図示したものや仮説の関係性を表した 図を、本書ではすべて仮説マップと呼びます(図表 3・2)。  では、仮説マップを作ることのメリットとは何で しょうか。  まず仮説マップを作ることで、仮説間のつながりが 図示され、仮説同上の関係性が理解しやすくなります。 加えて、全体の中でどの仮説がまだ弱いのかを把握す ることができるので、どこを補強するために検証する べきか、ということも分かります。仮説マップは仮説 検証のガイドにもなるのです。  もし仮説マップがない状況で、個々の仮説の検証を 進めてしまうとどうなるでしょうか。おそらく「それ ぞれの仮説ごとには正しいように見えるけれど、仮説 間の関係性は弱く、重要な仮説もそうでない仮説も同 程度にしか検証されていないため、仮説全体としては とても弱い」という仮説群になってしまうでしょう。 つまり、局所最適化された仮説が複数個あるだけ、と いう状況になってしまうのです。  仮説の全体最適化を意識しながら検証や修正を行う ためにも、仮説マップは重要です。最初から完全な仮 説マップが描けることはほとんどありませんが、可能 な限り仮説全体の構造を先に考えておき、その「全体 像の仮説」を考えてから、それを成立させるために必 要な思考と行動を逆算して考えることが重要なのです。 より端的に言えば、「どの仮説が強くなれば『勝ち』 なのか」を全体像を把握しながら考えておくというこ とです。  仮説マップの例に挙げたビジネスモデルキャンバス は、顧客課題やリソース、チャネルや収益に関する仮 説といった、ビジネス全体を考えるときに最低限必要 となる複数の仮説を、穴埋め形式で問うものです。私 たちはこうしたキャンバスのようなツールを使いなが ら、実は様々な場面で仮説マップを作っています。そ の背景には、ここまで説明したような意味があること を念頭に置くと、仮説マップをより効果的に使えるよ うになるでしょう。  仮説の全体像をまず捉えること、つまり「マップ」 が仮説行動の最初の思考と行動です。 レープ ノ  次に、「ループ」を見てみましょう。  「マップ」が第一歩ですが、最初から一発必中の仮説 を作るわけではありません。仮説を作った後に検証を 行い、そこから得られた学びを使って修正します。そ して修正後の仮説、つまり2回目の仮説も正解とは限 りません。だからまた検証を行い、修正します。こう した仮説の生成と検証を繰り返しながら、仮説をより 良くしていくのが「ループ」です。  ループには大きく以下の3つの種類があります。    ・仮説のループ    ・仮説マップのループ    ・業績付学習のループ  図で示すと図表3・3のようになります。それぞれ が入れ子構造になっていて、トリプルループを構成し ています。 仮説のループ  最も基本となるのが個別の仮説に対するループです。  特定の仮説を優れた仮説へと洗練させていくのが、 このループの役目です。そのためには、以下の2つの 行動を繰り返します。   ・生成/修正   ・検証  このループは、仮説を生成し、その仮説が重要であ れば検証を行って正誤を確かめつつ、検証結果から学 びを得ます。その学びから、仮説を修正したり、棄却 して全く新しい仮説を作るなどして、より良い仮説を 作っていきます。  もし一度目のループで仮説が十分に良くならないの であれば、再度ループを同して改善を行います。  これを繰り返しながら、個別の仮説を強くしていき ます。個別の仮説が強くなると、仮説マップ全体も強 くなっていきます。特にマップ全体の中でも重要で優 先順位の高い仮説を強くすることを意識しましよう。 仮説マップのループ  個別の仮説のループの上位にあるのが、仮説マップ のループです。  仮説マップのループでは、個別の仮説を統合しなが ら全体を調整(修正)し、仮説マップが十分に強くな るまで繰り返します。  仮説マップのループは以下の3つのステップが基本 となり、状況に合わせてこれを繰り返します。  @ 仮説マップの生成/修正  A 個別の仮説のループ  B 仮説マップヘの統合  もし個別の仮説が十分強くなったとしても、仮説 マップに統合したときに全体の整合性や全体の強さが 失われてしまえば、その個別の仮説自体を棄却するか、 もしくはその個別の仮説に合わせて仮説マップ全体を 考え直す必要が出てきます。そのため、統合のフェー ズでは、仮説マップ全体のバランスを取るという繊細 な作業が必要になってきます。  若手の方はこうした仮説マップを意識することはあ まりないかもしれません。切り出された一部の仮説検 証を担当するのが、若手の仕事になることが多いから です。しかし年次が上がるにつれて、仮説マップ全体 のバランスを見ながら仮説を洗練させていくことも次 第に責任範囲に含まれてきます。またチームを率いる ようになってくると、部下に仕事を切り出して個別の 仮説を検証してもらう前に、上司として仮説マップ全 体を適切に作れるかどうかが、チーム全体の生産性を 決めることにもなるでしょう。 業績訂学びのループ  最後のループは業績廿学びのループです。仮説マッ プが十分に強くなったら、それを実行する段階です。 つまり、学びの面をやや弱くして、業績を上げること に注力していきます。  コンサルタントであれば、仮説マップを作るまでで よいかもしれませんが、事業責任を持つ人たちはさら に一歩進んで、その仮説に基づいて実行し、そこから 売上や組織変化などの業績を上げなければなりません。 そして行動する中で新たな学びを得て、仮説マップへ とフィードバックを返し、仮説マップを更新していき ます。  業績のための行動の中で学びを得ることもあれば、 学習のための行動の中で売上などの成果が上がること もあるため、業績と学習のループははっきりと分かれ るものではありませんが、まずは区別して考えたほう が理解しやすいでしょう。  業績のための行動を行うことで、自分たちの周りの ビジネス環境や仮説マップの前提条件が変わることに も注意してください。たとえば仮説マップの通りに実 行したらビジネスが当たって大成功し、自社が業界3 番手から1番手になったとしましょう。そうすると、 仮説マップの前提条件が変わり、仮説マップを作り変 えなければならなくなるでしょう。  また、環境に影響を与えるのは自分たちだけであり ません。競合も必死に実行をしているため、仮説の前 提は変わっていきます。たとえば競合他社同上が合併 したら、戦いの前提条件が変わって、仮説を変えざる を得ないでしょう。そのため、実行しながら常に周り を観察し、著しい環境変化を見つけたら、作り上げて きた仮説マップを更新していく必要があります。  このように、仮説マップは完璧なものを一度作って 終わりではないのです。実行の過程で得られた学びを 仮説マップに反映したり、実行や時間経過によって起 こった環境の変化を踏まえて仮説マップを更新するの が、この業績言学習のループです。 −ノープ  最後は「リーグ」です。  仮説や仮説マップのループを回すと仮説は洗練され ていきますが、それでも100%確実な仮説に至るこ とはほぼありません。ビジネスにおける仮説は、「こ の仮説が正しい」と80%程度確信が持てるなら相当良 いほうでしょうし、五分五分でもまだ良いほうです。  では、100%の確信を持てていないからといって、 その仮説を諦めるべきでしょうか。それとも100% の確信を持てるまで、ループを回し続けるべきでしょ うか。どちらかしか選べないなら、何も行動できなく なってしまいます。いずれも正しくありません。  そこで必要になるのが決断です。確信度が100% ではない仮説を採用し、正しいかどうか分からないと 思いつつも仮説に賭けて実行することです。それは、 暗闇の中で薄ら見えている向こう側に、着地できると 信じて跳躍(リープ)するイメージです。  マップーループーリープのうち、マップが仮説行動 の最初の行動、ループが基本的な行動であるとすると、 「リープ」はループを抜け出すための最後の行動だと 言えるでしょう。  マップーループーリープの中でも、リープは少し特 別な行為です。マップとループは知識と論理である程 度進めることができますが、リープは知識と論理だけ では行えない、ある意味で不合理な判断です。そして りIプしたら後戻りは難しくなり、さらにりIプの後 に生まれた結果には、責任が伴います。  だからでしょうか、仮説を作ることが得意でも、 リープが不得意な人は大勢います。そうした人は、仮 説は適切に作ることができたり、リープした後の実行 フェーズに入ってしまえば活躍できるのに、リープが できずに止まってしまい、成果を出せなかったり、成 果を出すのが遅くなったりしてしまうのです。  しかし本来、論理以外の不合理な判断や意思が含ま れる「決断」とも呼べる行為こそが、ビジネスパーツ ンが行うべき意思決定であるとも言えます。論理や分 析だけで答えが出るのであれば、コンピュータや誰か に任せておけばよいからです。  私たちは跳躍(リープ)を前に怯えて佇んでしまわ ないよう、リープのためのスキルを身につける必要が あります。リープは知識や論理「だけ」では行えない とはいえ、知識を身につけることである程度うまくで きるようにもなります。そうした考え方を解説して、 リープをしやすくするのも本書の狙いの1つです。  リープに関連した仮説行動を分解すると、以下の3 つに分かれます。   ・仮説を適切に評価すること   ・仮説の採用・非採用の決断をすること   ・その仮説を正解にするための努力を行うこと  それぞれに関して簡単に解説しましよう(詳しくは 第3〜4部を参照)。 評価する  「本当にりIプしてよいのか?」を判断するには、 作ってきた仮説や仮説マップの良し悪しを評価する必 要が出てきます。そして仮説は仮の答えであるため、 必ずリスクがあり、そのためリスクの評価も必要です。 また、仮説マップの中から個別の仮説を選んでループ に移行するとき、私たちは仮説マップの中でどの仮説 が重要なのかを暗黙的に評価しています。  評価のプロセスは軽視される傾向にありますが、評 価がうまくないとダメな仮説を選んだり、まだ十分な 強さではない段階でりIプをしたりしてしまうため、 実はとても大切なステップです。 決断する  賢くてどんなに良い仮説を導けたとしても、「その 仮説を採用する」「その仮説に賭けて実行する」とい う決断ができなければ、仮説は絵に描いた餅に終わっ てしまい、何も成し遂げることはできません。成果を 出すためには、決断というりIプが必要です。  本書では、意思決定という言葉をなるべく使わずに、 決断や賭けという言葉を使っています。意思決定とい う言葉には第三者的な視点や客観的なニユアンスがあ りますが、決断や賭けはより一人称的であり、リスク を踏まえたうえで決めるというニュアンスがあるため です。決断や賭けがうまくなれば、適切なタイミング で跳べる(リープできる)ようになり、より大きな業 績を素早く上げることができるようになるでしょう。 仮説を現実にする  仮説を評価し、決断したらそれで終わりではありま せん。私たちはその仮説に基づいて行動し、仮説とし て描いた未来を実現しなければなりません。  どれだけ正しい仮説を作って決断できたとしても、 実行しなければ現実になることはありませんし、実行 したとしても非効率であれば、業績を上げることはで きません。  さらに言えば、考えていた仮説が仮に間違っていた としても、その仮説が正解になるように、外部環境す らも変えてしまうこともできます。特定の環境下では 間違っていた仮説であっても、その環境や条件を変え てしまうことで、あとから正解にすることもできるか らです。  「仮説を考える」というと、学校での試験のように、 仮説の当たり外れだけを気にしてしまいがちです。し かしビジネスでの仮説は単なる当たり外れで終わる 「予測ゲーム」ではありません。「自らの力を使って仮 説を何としてでも正解にする努力ができるゲーム」な のです。  そして私たちが仮説を作るのは、望む未来を現実の ものにするためです。最初に考えていた仮説が当たっ ていようと外れていようと最終的にはどちらでもよく、 望む未来を作ることができたかどうかが重要であるこ とを忘れないようにしてください。 全体像を理解すると適切に行動できる  マップーループーリープをまとめましよう。  まず全体像としての仮説マップを描きます。その中 で特に弱い仮説や解像度の低い部分を切り出して、仮 説のループを回します。そうしてその弱い部分を強く したら、仮説マップに統合します。これを繰り返しな がら、仮説マップ全体を強くしていきます。十分に仮 説マップが強くなったかどうかを評価し、決断という リープをして、業績のための行動へと移行し、自分た ちの仮説を正解へと変える努力をしていきます。その 中で得られた新しい情報を使って、仮説マップをさら に強くしていくような学習も行います。そして更新し た仮説マップを使い、さらに業績を上げていきます。 これが、マップーループーリープの全体像です。図で 表現すると図表3・4のようになります。  しかし、もしこうした流れを意識しないまま仮説を 作るとどうなるでしょうか(図表3・5)。仮説マップ を作らず、手当たり次第に仮説を作り、しかも仮説の 検証のループも同さずに一度だけで渾身の仮説を作ろ うとしてしまいます。そして仮説を作ってもりIプが できないと、実行も行われません。すると当然、業績 も上がらなくなってしまうでしょう。  マップーループーリープの3つのステップを速く駆 け抜けることも重要です。素早く全体像のマップを作 り、生成と検証と修正のループを高速に回し、そして 躊躇なく決断してりIプするのです。なるべく速く行 うという意味の英語に(ASAP亙SO:芯O咨牙)」 という言葉があります。英語では「エイサップ」「エ イーエスーエイーピー」、日本では「アサップ」と発 音することがありますが、まさにこの「マップールー プーリープの3つをASAPで行うことが仮説行動」 だと言えるでしょう。  「マップーループーリープ」という3つのステップと 「ASAP」。韻を踏んで覚えやすくしているので、時 に思い返して、自分の仮説行動で何か抜けているとこ ろがないかを考えるときに使ってみてください。  本書ではここから、このマップーループーリープの 各プロセスを詳細に解説していきます。   −   1 UX Podcast「 "Design Doing with D〇n Norman"「    Medium「 Aug 25「 2016. https:yymedium.com/    (<£:uxpodcastydesign-doing-\vith-don-norman-6434b 4 仮説を生成する  仮説行動のトリプルループの中で最も小さなループ であり、基礎的なループでもある仮説のループは、図 4・Iに示される通り、   ・生成/修正  ・検証 の繰り返しです。  まずは基本となる仮説の生成、特に仮説がどのよう に構成されており、どのように生み出されるのかにつ いて考えていきましよう。 仮説の構成要素とは エビデンスと推論の組み合わせ  まず仮説がどのような構成要素で成り立っているの かを理解しましよう。「分かる」ためには「分ける」 ことが必要だと言われますが、本書でも仮説を分けて 考えてみるところから始めます。  本書では、仮説の構成要素をエビデンス(根拠)と 推論という2つに分けて、仮説はエビデンスと推論を 通して生まれる、と整理します。  たとえば「Aさんが転職のための情報が欲しいと 言っていた」という事実をエビデンスにして、そこか ら推論を働かせることで、「人は転職情報を欲してい るので、転職サイトを運営すれば儲かる」という仮説 を新たに作るといったイメージです。コンピュータで 言えば、エビデンスがインプット、推論がプロセスで、 仮説がアウトプットです。  これを数式的に表せば「エビデンス×推論=仮説」 となります(図表4・2)。  推論の方法についてはのちほど詳しく解説したいと 思いますが、まずは一般的な意味での推理・推論のこ とだと捉えておいてください。  エビデンスとは「証拠」や「根拠」を意味する言葉 です。昨今、日本でもエビデンスーベースド (Evidence-based)やエビデンスーインフオームド (Evidence-iコforヨed)という言葉が定着してきました。 直感などではなく、「根拠」に基づいて物事を考えた り、実践したりすることを重視する考え方です。研究 成果やデータなどを重視するこの考え方は、医療、政 策、教育などでも注目されています。  ただし、エビデンスだけで仮説を作れるわけではあ りません。私たちはエビデンスに推論を加えて仮説を 生み出します。たとえば日本で新しい政策を考える際、 外国における政策の研究結果をエビデンスに用いる場 合もありますが、その場合、「日本でも応用可能であ る」という推論を加えて、新たな政策という仮説を生 成しています。  エビデンスと推論の関係を料理に例えて考えてみま しよう。エビデンスは食材、推論の力は調理の腕のよ うなものです。良い食材と良い調理の腕の両方があれ ば、とても美味しい料理を作ることができます。もし 良い食材を手に入れることができれば、並みの調理の 腕でも十分に美味しい料理を作ることができるでしょ う。調理の腕が良ければ、並みの食材でも十分に美味 しい料理を作ることができます。  同様に、私たちは良いエビデンスを手に入れること ができれば、並みの推論スキルでも良い仮説を作るこ とができるでしょう。推論スキルが高ければ、並みの エビデンスでもそれなりに良い仮説を作ることができ ます。しかしエビデンスと推論のどちらかが悪ければ、 良い仮説を生み出すことは難しくなるでしょう。  つまり。良い仮説を作るためには。良いエビデンス と良い推論の両方が必要なのです。  良い推論のスキルはいわゆる思考力などとも呼ばれ るものであり、仮説とエビデンスを結びつける「糊」 のようなものです。多くの仮説に関する本では、思考 に力点を置いて解説をする傾向にあり、思考する力さ え高まれば問題解決ができるといった向きもあります が、実際には優れたエビデンスを得る力も相当に重要 です。エビデンスがゼロの状況や、間違ったエビデン スしか持っていない状況であれば、どんなに思考能力 が高い天であったとしても、その人から生まれてくる 仮説のほとんどは誤ったものになってしまいます。 「エビデンス×推論=仮説」の式はそれを分かりやす く示してくれます。  そのため、本書では良い思考の方法を解説するだけ ではなく、良いエビデンスの獲得方法についても解説 します。 仮説から新たな仮説を生み出す  エビデンスの代わりに仮説をもとに推論を行って、 新たな仮説を作ることもあります。つまり、「仮説× 推論=新仮説」というパターンです(図表4・3)。そ して多くの仮説はこのような仮説の積み重ねの上に成 り立ちます(図表4・4)。  「仮説×推論=新仮説」の場合、要素となる仮説を、 本書では下位仮説と呼びます。ピラミッド構造の仮説 マップで言えば、要素の下部に当たる仮説です。  ここで注意するべきなのは、仮説に依り立つ仮説は 脆い、ということです。たとえば仮説Aが40%程度の 確信度だとしたら、仮説Aをもとにした仮説Bの確信 度は、推論がどんなに正しくても40%より低くなりま す。  仮説の上の仮説の構築を繰り返していくと、上位の 仮説はどんどんと弱くなっていくのです。「風が吹け ば桶屋が儲かる」はこうした仮説の上の仮説を積み重 ねた笑い話です。風が吹くことで砂埃が舞い、砂が目 に入って失明する人が増え、失明した人は三味線を弾 くようになり、三味線に張る猫の皮が必要で猫が減り、 猫が減るとネズミが増えて、ネズミは桶をかじるので 桶の需要が増えて桶屋が繁盛するIという、仮説の 上の仮説の上の仮説の……を繰り返して、最終的にあ りそうにもない仮説になっているから笑い話になって います。とはいえ、実際のビジネスにおいても、これ に近い仮説の生成が日常的に行われています。  加えて、たった1つの仮説Aから、推論を通して新 しい仮説Bを生み出すことはほとんどありません。仮 説Bを主張するためには、複数の仮説を組み合わせる 場合のほうが多いのです。複数の仮説を土台として新 しい仮説が生まれると、その確信度は元の仮説群より も低くなります。  たとえば仮説Aをもとに仮説Bを主張しようとした とき、仮説Aだけではなく仮説Xや仮説Yが必要にな るとしましよう。仮に仮説A・仮説X・仮説Yの確信 度がそれぞれ40%・50%・50%で、それぞれの仮説が 独立しているとすれば、仮説Bは10%の確信度(40 %×50%×50%)ということになります(図表4・5)。  また注意しておくべきなのは、社会状況や競合の変 化などで。下位仮説やエビデンスはどんどん変わって いく、ということです。そのため、一時的に正しかっ た仮説やエビデンスであっても、時とともに劣化して しまいます。特にビジネスの基盤となる「顧客のニー ズ」は間違いなく時間とともに変わっていくため、そ の変化を見逃してしまうと、現在のビジネスを成立さ せている仮説全体が崩壊する可能性もあります。その ため、仮説の基盤となっている顧客に関するエビデン スは常に最新のものにアップデートしておくべきだと 言えます。  このように「エビデンス×推論=仮説」もしくは 「仮説×推論=新仮説」と整理すると、良い仮説を作 るためには「良いエビデンスや仮説」を得て、「良い 推論」をすればよい、ということが分かります。ここ からはどのようにして良いエビデンスを得るのか、良 い推論をするのか、そしてエビデンスと推論のために どのような行動をするべきなのかについて見ていきま しよう。    (‥○厂UMZ CERフレームワーク  本書では仮説を「エビデンス×推論=仮 説」「仮説×推論=新仮説」と整理してき ました。この整理は本書だけのオリジナル な考え方というわけではありません。  昨今、海外の学校の科学実験レポートで は、CERフレームワーク(Claim- mく11deコce-Keasoningの頭文字を取ったもの。 日本語にすると主張‐証拠‐推論)で整理す るように指示されることがあります。主張 はある種の仮説であると考えると、本書の エビデンス×推論=仮説がほぼそのまま当 てはまります。また、エビデンスと推論を 用いて仮説を構築する力は、P−SA(生 徒の学習到達度調査)や丁−MSS(国際数 学・理科教育動向調査)でも重要視されてい て、2012年以降は米国の理科教育でも 実践が必須と位置づけられています。  仮説がエビデンスと推論で構築されると いう考え方は、次の世代のビジネスパーソ ンと話すときの共通の土台ともなるはずで す。 エビデンス(証拠)とは  仮説を生成するにはまずエビデンスが必要です。  もし間違ったエビデンスを使ってしまうと、そこか ら導かれる仮説も間違ったものになる可能性が高く なってしまいます。たとえば「顧客がこう言ってい た」という事実をもとに結論を導いたところ、その発 言が虚偽や捏造だったと後から分かれば、結論が間 違っている可能性は高いでしょう(ただし、結論だけが たまたまあっている、というときもあるので、絶対に間違 いであるとは限りません)。  ビジネスで使われるエビデンスには、データや専門 家の意見、事例、インタビュー結果、研究の成果など 様々なものがあります。ここからはそうしたエビデン スを得るための方法を解説していきます。 なぜ質の高いエビデンスが重要なのか  仮説「思考」というと推論のほうに目が行ってしま いがちです。実際、売れ筋の書籍などを見てみると、 推論や思考に注目している本が多いように思います。  確かに推論や思考の技法は大事です。しかし思考の 技法に注目が集まるがあまり、良いエビデンスを獲得 することが軽視され過ぎてしまっているようにも感じ ています。特に若手のビジネスパーソンは、学校の試 験などを通して、「同じ前提や同じエビデンスを持っ ている条件下で、いかに他人よりも優れた思考をする か」の勝負を繰り返してきたからなのか、エビデンス よりも思考を重視する傾向があるようです。しかし、 ビジネスにおいては、思考法を工夫したり、考え方を 身につけたりするだけで、他人よりも優れた仮説に辿 り着けることはほとんどありません。同じような思考 力を持つ人たちは大勢いるからです。  良いインプットがなければ良いアウトプットを導き 出せないように、良いエビデンスがなければ良い仮説 には至ることができません。私たちは、質の良いエビ デンスを得ることに対して十分な注意と資源を割くべ きだと言えます。  名探偵の代名詞であるシヤーロックーホームズは、 助手のワトソンと初めて会ったときに、的確な推論を 行って、彼が傷痍軍人であるという仮説を立てます。 そのときに注目するべきところは推論の能力だけでは ありません。ホームズが知識を豊富に持っていること も奏功しています。さらに観察も上手で、周囲の状況 から的確なエビデンスを掴むことにおいても天才的で あることを見逃してはなりません。少し長いですが、 引用してみます。    「つまりきみは、ほかの人たちが事情をつぶ   さに把握しているにもかかわらず手も足も出   ない難題を、この部屋から一歩も出ないで解   明できるというのかい?」    「もちろんだとも。僕には一種の直感力があ るんだ。といっても、たまに多少ややこしい 事件も持ち込まれるから、そういうときはあ ちこち出かけていって、じかにこの目で確認 しないといけないがね。知ってのとおり、特 殊な知識は充分身につけているから、それを 活用すれば意外と簡単に、しかもきれいに解 決できる。その雑誌に書いた推理に関する理 論は、きみから見ればお笑いぐさだろうが、 僕にとっては実践的な仕事に欠かせない重要 な原則なんだ。観察は僕の第二の天性と呼ん でいい。きみたって初めて会ったとき、僕が アフガニスタン帰りですねと言ったら、びっ くりしていたじやないか」  「あれは誰かに教えてもらったんだろう?」  「いいや。アフガニスタン帰りだと自力で見 抜いたんだ。長年の習慣で、僕の頭のなかは 思考が閃光のごとく走り、途中の過程を意識 する間もないほど速やかに結論を導きだす。 だが実際にははっきりとした段階があって、 それを順に踏んで推理したんだ。こんなふう にね。。この人はみたところ医者のようだが、 態度がどことなく軍人っぽい。そうなると軍 医だな。顔が浅黒いが、手首から上は自いか ら、生まれつき色黒なのではなく、熱帯地方 から戻ってきたばかりにちがいない。大変な 苦難を耐え忍び、重い病気に苦しんだ跡が、 やつれた顔にくっきりと刻まれている。左腕 を負傷したようだ。かばおうとするせいで、 不自然な動かし方になっている。イギリスの 軍医が塗炭の苦しみをなめ、腕に怪我まで負 うような熱帯地方とはいったいどこか? ア フガニスタン以外にはない”ここまで行き着 くのに一秒とかからなかったよ。で、そのあ   と、アフガニスタン帰りですねと言って、君   を驚かせたのさ(1)」  この例は、ホームズが、普通は気づかないような些 細な事実(手首の色や体の動かし方など)に目を向ける 観察能力にも秀でていること、そして、観察して得た 事実をエビデンスとして用いて、良い仮説の生成に成 功していることを示しています。推論の能力の高さだ けで、優れた仮説を生み出しているわけではないので す。実際、『四つの署名(2)』の中でホームズは、理 想的な探偵に求められる3つの条件として、観察・推 理・知識を挙げており、観察や知識といったエビデン スの重要性を指摘しています。  そしてもう1つ見逃してはならないのは、ホームズ がとてもよく行動することです。興味や疑問を持った らすぐに動き、様々な証拠を集め始めます。そうして 自ら現場をくまなく観察して証拠を確保したうえで推 理をして、優れた仮説を作り上げます。安楽椅子探偵 のように、誰かが持ってきた情報をそのまま受け取り、 座って考えるだけではないのです。  私たちはつい推論や思考の方法に興味関心を向けて しまいがちですが、「良いエビデンスを掴むこと」が 推論と同程度以上に大事であること、そのためには行 動が必要であることを忘れないようにしてください。 知識・データーエピソード  では、エビデンスにはどのようなものがあるでしょ うか。ここでは知識・データーエピソードを紹介しま す。  知識が豊富にあると、様々な仮説を生むことができ ます。知識には「競合がこのような行動をしている」 といった情報から、一般的に活用可能な科学的な知識 まで幅広くあります。そうした様々な知識をエビデン スとして用いることで、新しい仮説を立てやすくなる でしょう。  特に有用な知識の1つとして研究成果があります。 学術的な研究成果は。強い仮説を生み出すための強力 なエビデンスです。経営学や経済学の研究成果の一部 はビジネスにも応用可能であり、信頼性の高い研究や そこから生まれた仮説は、強いエビデンスとして活用 することができます。  自社の活動の成果や他社の市場調査などから得られ るデータもエビデンスとなりえます。たとえば、売り 上げが毎期上がっているというデータがあるとしま しょう。このエビデンスからは様々な仮説が導き出せ ますが、データが間違ってさえいなければ、主観的で はない結論に辿り着くことができるでしょう。  データは「21世紀のオイル(原油)」だと言われて いますが、オイルが「原油」というところがポイント です。原油は加工されることで、石油になり、より高 い価値を持つものとなります。つまり、データも加工 することで価値が生まれるということです。  だからでしょうか、高度な加工の手法が注目されが ちですが、忘れてはならないのは、そもそもの原油の 質が良ければ加工のコストは低く済む、ということで す。高度で手間暇がかかる手法を使うのは、原油の質 が悪いときの苦肉の策です。これはデータにも同じこ とが言えます。良いデータが手に入れば、加工や分析 はほどほどでもなんとかなります。私たちは分析手法 に目が向きがちですが、そもそも良いデータを得られ るかどうかがまず重要であり、意味のあるデータの源 を持つこと自体が大きな強みになるのです。  一方で、データや数値だからと言ってそれを客観的 なものとして扱うのは危険です。たとえば、アンケー トの結果もデータですが、アンケートの取り方によっ て信頼できるかどうかは変わってきます。たとえば、 健康食品を販売している会社が、自社のアンケートな どを通してその効果を数値で謳っていたとしても、そ のアンケート手法を見てみなければ信用できる数値か どうかは判断がつかないでしょう。もしかしたら誘導 的な設問だったり、効果を感じやすいタイミングで取 られたアンケートかもしれません。  数字は嘘をつかない、とも言われます。確かに数値 化された後の計算では嘘をつけないものの、どうやっ て現象を数値化したのかや、数多くあるデータからど のデータを選ぶのか、といった部分には恣意性が紛れ 込みますし、間違いも起こりやすくなります。データ は強い武器ですが。その限界を把握したうえで使って いきましよう。  最後は、エピソードです。「エビデンスペース」に 対して、「エピソードペース」と言われることがあり ます。エピソードは1つの話や体験談であり、ビジネ スにおいては事例などがこれに当たります。また、他 社のベストプラクティスや専門家の意見はエビデンス というよりは、エピソードに近いものです。  対比されることの多いこの2つですが、実際にはエ ピソードも1つのエビデンスです。ただし、相対的に 弱いものとして扱われます。また、エピソードを用い て仮説を作ることはできますが、仮説を検証するのに は不向きです。たとえば、「この食べ物を食べて痩せ た」という体験談をエピソードとして用いる健康食品 の宣伝などを見かけることもあるかもしれませんが、 その一例だけで「この食べ物を食べれば痩せる」とい う仮説が検証できたとは言えません。その人がその食 品を食べていた時期にたまたま運動を多めにした、あ る食べ物を食べなかった、その人だけに特別に効果が あったなど、様々な要素が絡んだ結果として痩せたの かもしれないからです。ビジネスでも「シリコンバ レーの、ある会社ではこういうことをしている」とい うエピソードから、「日本企業もこれをするべき」と いった仮説を導く人がいますが、それが正しい仮説と は限りません。  とはいえ、エピソードにもメリットはあります。た とえば速報性が高いことです。ビジネスにはスピード も大事であり、科学ほど厳密なエビデンスを集めるこ とはできない場合も数多くあります。「間違っている かもしれないけれど決断をして進む」というリスクを 取ることで、先行者利益を獲得できることもあるで しょう。  エピソードを活用するなら、類似の事例を多く集め、 それぞれを深く知る必要があります。特に事例を多く 知ることから始めることをお勧めします。1つの事例 が良い事例かどうかを判別するためにも、多数の事例 に触れておき、事例同上を相対的に把握できなくては ならないからです。  たとえば、起業のアイデアを探しているのであれば、 まずは、多くのスタートアップを調べてみましょう。 資金調達に成功したスタートアップのアイデアは、少 なくとも第三者から「良さそうな仮説」だと認識され たもののはずです。そうした筋の良い情報を得ること は仮説の生成の参考になります。  そして、様々なスタートアップを広く知ったうえで、 特に興味のあるスタートアップを深く分析してみてく ださい。どういうチームで、どうやって初期に顧客を 獲得してきたのか、拡大できたのはなぜかなどを調査 し、他にも応用できるような要素を抜き出しましよう。 そうすると、事例をより深く知ることができるでしよ  なお、質の高いエビデンスを得ることは重要である ものの、情報を網羅することが目的ではないことには 十分注意してください。エビデンスを集めることが目 的化すると、容易に情報の海に飲み込まれて、帰って こられなくなります。「仮説を作るために必要な情報 は何か?」を常に意識しながら、知識やデータ、エピ ソードを集めるようにしてください。   no厂c〜一z エビデンスの強弱  エビデンスという言葉が浸透するにつれ て、エビデンスのない主張に対して、「エ ビデンスを出してほしい」と指摘する大も 多くなってきたように思います。しかし単 にエビデンスを出せばよいというわけでは ありません。たとえば、「医薬品の効果に 関するエビデンスを出してほしい」と言わ れたときに、専門家ではない人の意見をエ ビデンスとして持ってきても、あまり有効 ではありません。エビデンスの信頼性にも 強弱があるのです。  私たちはエビデンスを「ある/なし」の 二択で判断してしまうこともありますが、 エビデンスを「正誤」や「ありなし」だけ で見るのではなく、「強弱」でも見てみる ことが、良い仮説を作るときに求められる 姿勢です。  エビデンスの強弱を図示したものに、エ ビデンスピラミッドと呼ばれるものがあり ます(3)。主に医療の分野で使われるこの ピラミッドでは、上から順に、プラクティ スガイドライン、メタアナリシス、系統的 レビュー、ランダム化比較試験、コホート 研究、ケースコントロール研究、ケースシ リーズとケースレポート、背景情報と専門 家の意見、と階層化され、より上位にある 手法を使って導き出されたエビデンスの方 が強い、とされています(ただしピラミッ ドにも様々なパターンがあります)。  ただし、エビデンスピラミッドは研究デ ザインの信頼性という1つの観点から見た ときのエビデンスの強弱を示すものであり、 これだけでエビデンスの強弱を判断してよ いというわけではありません。どのような 場合でもランダム化比較試験をすればよい、 というわけではありませんし、同じ信頼性 のレベルにある手法を使っていても、バイ アスの除去やサンプルサイズの大小など、 研究の設計次第でエビデンスの信頼性の強 弱は変わってきます。それにすべての調査 でランダム化比較試験が使えればよいで しょうが、人に危害を与えるような化学物 質の効果推定をするためにランダムに人に 飲んでもらって試す、というのは倫理にも とるため、他の方法で研究をする必要があ ります。常に完璧なエビデンスを得られる 手法があるわけではないので、エビデンス は多様なものを複合的に用いて、それぞれ に重みづけをしながら、総合的に判断して いくことが求められます(4)。  弱いエビデンスを用いざるを得ないとき には、専門家による思慮深いレビューや判 断が必要です。1人の医師の意見や患者の 説明もエビデンスの1つですが、弱いエビ デンスでしかありません。医師の中には疑 似科学に傾倒してしまう大もいるため、 たった1人の医師の意見をエビデンスとし て用いて、「○○という医者の先生が効果 はあると言っていたから、この薬には効果 がある」と仮説を作ったとしても、弱い仮 説にしかならないでしょう。  有名な研究であったとしても、信用に値 するものかどうかは最新の情報に当たる必 要があります。一部の科学、たとえば心理 学の研究結果は「再現性の危機」が大きな 問題になっています。巷で話題になってい る有名な研究結果であっても、疑義が呈さ れていることはあります。著名な機関が出 している論文であっても、査読を通ってい ないレポートや白書はエビデンスとしては 弱いものですし、有名な人の発言であろう と、エビデンスレベルが高いとは限らない のです。  このように、エビデンスの強弱を判断す るには、高度な知識が必要になることも多 く、エビデンスをうまく使えるようになる には、知識を身につけ、修練を積む必要が あります。  なお、エビデンスピラミッドは誤解を招 きやすいという弱点もあり、最近では修正 されたエビデンスピラミッドなども提案さ れています(引)。また、その他のエビデン スの評価手法として、GRADE ((trading of Recoヨヨeコdati〇コs Assessヨeコt「 Developヨeコt aコdm旨一回{110コ}というものも あります(6)。  このように、エビデンスの質の高低は、 研究の領域でも議論が続いている状況です。 本書では基本的なことしか解説していませ んし、長い目で見れば状況は変わっていく はずなので、興味のある方は最新の情報を 確認するようにしてください。  なお、エビデンスがなければ意思決定し てはならない、というわけではないことに 注意してください。意思決定は多くの場合、 情報が不足している中で行われるものだか らです。ただそのときは、弱いエビデンス からは弱い結論しか導き出せないことを認 識し、不確実性や限界を考慮したうえで、 意思決定をする必要はあるでしょう。仮説 の不確実性や限界に言及しないまま、声高 に自分の仮説の正しさを主張することは問 題のある態度だと言えます。  専門家や研究者であっても、自分の専門 外の領域では、弱いエビデンスしかないに もかかわらず、つい自分の意見を強く主張    してしまう人もいるものです。そうならな    いよう、自分自身を律するつもりで仮説に    向き合つていきましょう。 行動してエビデンスを得る  「エビデンス」と聞くと、第三者の生成した情報を使 うことを思い浮かべがちです。確かに、すでに巷にあ る情報もエビデンスとして使えるものは使うべきで しょう。しかし、どれだけ探しても良いエビデンスが 手に入らない場合もありますし、手に入る情報では不 十分な場合もあります。たとえば、全く新しい市場で の起業や新規事業を行うときには、そもそも市場の データがなかったりします。  そんなときはエビデンスを作り出すことも考えてみ ましよう。これはエビデンスを捏造する、という意味 ではなく、アンケートや観察など、自らの行動を通じ て、これまでになかった情報や統計的なデータを新た に作るということです。  たとえば、新しい飲食店を起業するときのことを考 えてみてください。その飲食のジャンル全体の市場規 模はデータなどで分かりますし、大手企業の情報は探 せばある程度の情報が出てくるでしょう。巷ではどの 料理が人気なのか、なども分かるかもしれません。し かし、起業をしていくのであれば、もっと詳細な情報 が必要です。  そこで顧客や専門家にインタビューをすると、イン ターネットでは手に入れづらい、機微な情報や最新の 情報を手に入れられます。食材を販売してくれる店や、 産地の生産者とも話すことで、良い食材を手に入れる ためのコツを学んだり、意外な業界構造についても情 報を手に入れられるかもしれません。また競合となる 店舗へ直接赴けば、競合店の値付けや雰囲気、客層な どのエビデンスを新しく手に入れることができます。 出店候補地の前で、通り過ぎる人の属性を時間ごとに 数えれば、データにはなっていない、より精緻な街の 様子を知ることができます。店舗出店の前に、一日店 舗を間借りして、料理を振る舞ってみることで、自分 たちの料理に対して「10名の顧客が他の店舗よりも美 味しいと言ってくれた」といったエビデンスを作るこ とも可能です。こうしたエビデンスを新たに獲得しな がら、巷にある情報なども組み合わせることで、自分 たちの店が成功するための説得力ある仮説を作ること もできます。  このように。行動することによって。誰も持ってい ないエビデンスを自ら作ることができるのです(図表 4・6)。特に全く新しい市場における起業のような 前人未到の領域に挑戦するのであれば、誰でも手に入 れられるエビデンス以上のものを探しに行かなければ なりません。  これまでの仮説思考やビジネスパーソン向けの分析 の本では、すでにデータなどのエビデンスがあること を前提に、主に推論を研ぎ澄ませることで仮説を作る、 という内容のものが多かったように思います。しかし、 実際に戦略コンサルやプライベートエクイティの経験 者に仕事の話を聞くと、驚くほど泥臭くインタビュー などを繰り返して、エビデンスとなる現場の事実や意 見を集めていることも多いものです。  ただ、多くの人はそうした泥臭い取り組みには目を 向けず、より洗練されているように見える、ある意味 で「楽な」思考法に目を向けてしまいがちです。だか らこそ、思考法ではなく行動法に目を向けることで、 差をつけることができます。  実際、起業家は起業アイデアに至るまでに、何十同 も顧客や専門家へのインタビューを行い、すでに世の 中に流通している本や記事には書いていないようなエ ビデンスを得ます。業界の勉強会や学会に顔を出して、 著名な人と話をして最前線の知見も獲得します。さら には現場で働いてみて、顧客の体験を自分でも体験し、 自分自身がエピソードを語れるぐらいに深く潜って課 題を探り当てています。つまり、徹底的に行動をして エビデンスを得ているのです。  巷にあふれる情報や事例だけ、あるいは優れた推論 能力だけで良い起業アイデアに辿り着いた人は多くあ りません。多くの起業家は、行動して得られた独自の エビデンスをもとに、優れた仮説を導いています。も し優れた仮説が必要であれば、考えるだけではなく、 行動をしてみてください。    nOrc’ヽ一z 情報社会の罠     様々な情報がインターネットで手に入る ようになり、知識やデータなども検索すれ ばすぐに見つけられるようになりました。 SNSでも情報発信をしている人が増えた ため、エピソードにも事欠かないでしょう。 かつては図書館に通って書籍を探したり、 人に話を聞きに行ったりと、面倒な行動を 経なければ手に入らなかったものが、イン ターネットを使えば瞬時に手に入るように なったのです。  その一方で、何をエビデンスとするかに はますます注意が必要になってきています。 インターネットによって、確かに質の良い 情報の絶対量は増えたものの、質の低い情 報や虚偽の情報の量も同様に増えました。  エビデンスとして使いたい情報自体が正 しいのかどうかを見極めるためにも、メ ディア情報リテラシーがより重要になって きています。本書はメディア情報リテラ シーについて詳しくは解説しませんが、自 らのリテラシーが試されているのだという 認識を持っておくことは、エビデンスの収 集に役立つ視点となるはずです。  実際、私たちはとても騙されやすい傾向 を持っています。たとえば、スタンフォー ド大学の歴史教育グループが2015年か ら2016年に行った、中学生から大学生 にかけての若者7804人を対象にした調 査(7)では、多くの人たちがオンライン の情報をうまく評価することができなかっ たと指摘されました。  その中の1つの事例として、奇形の花を 使った調査があります。図表4・7のよう な奇形化した花の写真と「福島原発花」と いう見出しをセット見せられた高校生のう ち40%程度の人が、その写真の提供元など も書かれていないにもかかわらず、見出し だけで、福島第一原発の周辺が危険な証拠 だと信じてしまいました。情報源を確認す る、ということもほとんど行われなかった ようです。それぐらい、人は情報をうのみ にしてしまうものです(ちなみに、この奇形 は帯化と呼ばれ、放射能汚染と関係なく生じう る現象です)。  たくさんの情報が容易に手に入るため、 「信念に合うエビデンス」を探すこともま た容易になってきています。自分のアイデ アの良さを補足しようとして「市場規模」 の情報を探そうとしたときには、その市場 がかなり成長するであろうという予測と、 そこまで成長するわけではないという予測 の両方がおそらく見つかります。そのとき、 自分のアイデアに合うデータや予測を採用 するほうが楽でしょう。  それどころかアルゴリズムによって、自 分の信念に合うエビデンスが積極的にサー ビスから推薦されることもあります。たと えば、陰謀論の動画を一度見ると、それに 関連する動画が推薦され、陰謀論の仮説を 補強する情報が流れてきてしまったりする こともあります。  政治的な意図をもって、ディスイン フォーメーション(悪意や攻撃的な意図のあ る偽情報)が拡散されることも増えました。 ディスインフォーメーションとは、ミスイ ンフォーメーション(悪意などの意図のない 偽情報)やマルインフォーメーション(悪 意や攻撃的な意図のある情報)の2つの重 なった部分です。正誤を混じえて書いたり、 架空の名前を使ってA−で顔写真を作り、 あたかも実在する人が自分の意見で書いた ような記事を読むと、人は検証もせず容易 にその情報を信じてしまいます。  こうした様々な状況を踏まえると、質の 良い情報にアクセスするのは、相対的に難 しくなってきているとも言えます。だから こそ、仮説を作るときにも、良いエビデン    スかどうかを見極める能力がより重要に    なってきています。     繰り返しますが、間違ったエビデンスを    もとに良い推論を働かせても、間違った仮    説しか導けません。注意しながらエビデン    スを得るようにしてください。 推論とは  前節では、推論よりもエビデンスが重要であること を強調しましたが、とはいえどれだけ優れたエビデン スがあっても、それをうまく用いなければ良い仮説は できません。ここからはエビデンスをうまく用いる方 法、つまり「推論」の技法について学んでいきましよ 前向きの推論と後ろ向きの推論  推論には、大きく分けて2つの推論、前向きの推論 と後ろ向きの推論があります(図表4・8)。  手元にあるエビデンスや仮説をもとに推論を行って、 新しい仮説を構築するのが前向きの推論です。一方、 仮説が先にあって、仮説を補強するためにエビデンス を取り上げて説明するような推論は後ろ向きの推論で す。日本語でもそれぞれで言葉が使い分けられていま す。「したがって」という言葉は、エビデンスから新 たな仮説を作る前向きの推論で用いられ、「なぜなら」 という言葉は、ある仮説を補強する(理由付けする) 後ろ向きの推論のときに使われます。  新しい仮説は前向きの推論で生まれてくるほうが多 いように思います。エビデンスを手にしたタイミング で、「こういう仮説が言えるのではないか」と閃くこ とのほうが多いからです。ただしそのときにも、「こ の仮説を正しいと言うためには、どういったエビデン スが追加で必要か」という後ろ向きの推論と行き来し ながら、仮説を強くしていくことになります。どちら か一方だけを使って良い仮説に辿り着けるわけではあ りません。前向きと後ろ向きの両方を使い、挟み撃ち をするように仮説を作ることを心掛けましよう。  ここまでは推論の向きについてのお話でしたが、こ こからは具体的な推論の手法である3つの考え方、    ・演繹法    ・帰納法    ・アブダクション  について解説し、その後、「価値判断」についても 触れます。 演繹法  演繹法は「大前提↓小前提↓結論」の順で結論を導 く推論の方法です。たとえば、  @ 人間は死ぬ(大前提)  A ソクラテスは人間だ(小前提)  B ソクラテスは死ぬ(結論)  といった三段論法が有名です。  ビジネスでも、演繹の形での議論が行われることが あります。たとえばグローバルで展開しているような 戦略コンサルティング会社の場合、世界中にある類似 のプロジェクトからのノウ(ウが社内で溜まっていま す。また、グローバルなネットワークを活かして、ベ ストプラクティスを知ることもできるでしょう。この 場合、そうしたベストプラクティスを大前提におき、 現在のクライアントもこの状況に当てはまりそうだと いう小前提をおくことで、クライアントはこのベスト プラクティスを実行するべきだ、という結論を導ける ようになります。  大前提の中に結論についての情報は含まれており、 それを導くための推論となっています。演繹法は、そ の形式が守られている限り、論理的に妥当(応巨)な 結論が導かれます。しかし一方で、大前提に含まれて いる情報以上のものを導くことはできません。  演繹法を使うときに避けたいのは、雑な法則を大前 提におき、雑な小前提の認識で結論を導いてしまうこ とです。たとえば、物事は2割の重要なものが全体の 8割を決めるという「80一20の法則はすべてに適用 できる」を大前提に置いたうえで、人生というものを 雑に捉え、「人生の8割は2割で決まる」といった雑 な議論を展開するようなことです。80一20の法則が 当てはまるかどうかは状況によって変わりますし、人 生全体にこの法則が適用できるかも分からないのに、 80一20の法則を人生に当てはめて結論を導き、さも 真実かのように語ることで、一見はっとさせるような 結論を導いていますが、その結論は正しいとは限りま せん。演繹法が正しいのはあくまで、大前提と小前提 が正しい場合のみです。  前提も真であり、論理的に妥当性(昌江尽)もある ときは、その議論は健全性(S§?―)があると言い ます。議論はその妥当性だけではなく、健全性にも注 意を払うようにしましよう。 帰納法  推論のもう1つの手法として、帰納法があります。 帰納法は複数の事実から法則を導く推論です。「これ まで見てきた白鳥はすべて自い。よって白鳥は自い」 などが典型的です。  帰納法はすべての事例が網羅されれば正しい結論を 導き出せます。ただし、すべての事例を網羅すること は、ほとんどの場合できません。したがって、多くの 事例を見たうえで、「この調子でいけば、すべての白 鳥は自いと言えるのではないか」という蓋然的推論に 留まるのが帰納法の特徴です。  帰納法は蓋然的推論であるがゆえに、間違う可能性 もあります。実際、「すべての白鳥は自い」という仮 説は、長い期間正しいと思われていましたが、オース トラリアで見つかった黒い白鳥の存在によって棄却さ れました(図表4・9)。  とはいえ、ビジネスにおいて、「すべての」がつく ような強固な仮説を導く必要がある状況はそう多くあ りません。たとえば「顧客はこの製品を求めている」 という仮説は、6割程度正しければ十分実用には耐え るでしょう。  ただし、蓋然性を上げていくためには、事実やデー タの網羅的な収集や分析など、相応の努力が必要です。 一部の人は結論を早く出すために、こうした分析をあ まりせず、単に「強く言い切る」ことで、さも正しい かのように周囲を説得する技法を使うこともあります が、それは知的に誠実な態度とは言えないでしょう。  多くの事実やデータが手に入るのであれば、帰納法 は強力な推論の1つです。蓋然的推論に留まることに は注意しながら、うまく使うことをお勧めします。 アブダクション  アブダクションは。観察結果や結論から原因や前提 を推論する方法です(8)。演繹法とは逆の順序であり、 結果を最もよく説明するような仮説を形成することか ら、リトロダクション(遡及推論)、仮説形成法、仮説 的推論とも呼ばれます。  アブダクションと帰納法は混同されがちですが、別 のものとして整理されています。  帰納法では観察の中に含まれていることしか導けな いので、「白鳥Aは自い」「白鳥Bは自い」「白鳥Cは 自い」……と続き、「すべての白鳥は自い」という結 論しか言えません。  一方、アブダクションは、観察したものとは違う種 類の仮説や。時には観察不可能な仮説を導きます。 ニュートンはリンゴが落ちることから万有引力の法則 を導いたと言われますが、万有引力の法則を帰納的に 導いたわけではありません。もし帰納法を使ったので あれば、ニュートンは「リンゴAは木から落ちた」 「リンゴBも木から落ちた」「リンゴCも木から落ち た」……という観察結果から、「リンゴは木から落ち る」という結論しか導けなかったでしょう。しかしそ の観察事実を飛び越えて、新たな仮説として「すべて のものは引き寄せ合っている」という万有引力の法則 を思いついたのが、ニュートンによるアブダクション です。  ビジネスにおける仮説のほとんどは、アブダクショ ンによって生まれると言ってもよいでしょう。たとえ ば、顧客自身はそうは言っていないのに、顧客の行動 や発言からその裏にある意味や意図を読み取って解釈 し、「顧客には課題Aがある」と考えるようなことは 日常的に行われています。これはまさにアブダクショ ンです。事実から洞察を導くときの推論もほとんどは アブダクションという認識でよいでしょう。  データの分析においてもアブダクションは重要です。 あるデータから「この商品を買っている人の80%は関 東圈在住」ということが分かったとします。これは データから読み取った100%確実なことですが、多 くの場合「へえ、そうなんだ」という反応しか得られ ません(ただし、こうした確実な分析ができる人もそこま で多くないので、それなりに重宝はされます)。そこから さらに一歩踏み込んで、100%確実なことではなく とも、「関東圈以外に未開拓の市場があるので、拡大 するべきです」といった仮説を導くことが、本来求め られている分析の結果だと言えます。  アブダクションは「閃き」と同じようなものとも考 えられます。また、アブダクションを円滑にする方法 は、一般的には「アイデア発想法」などとも類似して います。たとえば、KJ法と呼ばれる方法では、断片 的な情報をカードの形式にし、それをグルーピングす るなどして抽象化する、といったことが行われますが、 既存のエビデンスを構造化することで抽象度の高い共 通点を見出し、そこから新しい仮説を生み出すのはま さにアブダクションです。  仮説生成において有効な「アナロジー」もアブダク ションの一種です(9)。アナロジーとは既知の事物 (ベース)から未知の新たな事物(ターゲット)に対し て。構造や関係性を写像して推論することを指します (図表4・10)。  私たちは日常的に、アナロジーを通じて仮説を作っ たり、物事を理解したりしています。たとえば「口耳 のような、誰かと誰かをマッチングするビジネスモデ ルを他の領域に当てはめたらどうだろう?」というこ とを考えてUber for X(○○版のぶ口)と呼ばれるビ ジネスが多数出てきたのは、アナロジーによる新たな ビジネスモデルの創造だったと言えるでしょう。口)q の特徴であるビジネスモデルを抜き出し、それを異な る領域に当てはめてみてUber for Xというビジネス を考え出したからです。  このようにアブダクションは新たな知見をもたらし てくれる推論の方法ですが、そこから生まれた仮説の 確信度を保証はしてくれません。帰納法に比べると、 間違っている可能性が高いとも言えます。  仮説生成の際には、アブダクションのメリット/デ メリットをしっかり押さえたうえで仮説を生み出し、 それを検証するという姿勢を大切にしてください。 価値判断  これまでの推論は主に論理に関するものでした。こ こでは、論理とは少し異なる種類の推論として、価値 判断を取り上げます。  価値判断とは。ある物事の価値や善し悪しを評価す ることです。たとえば「この本の表紙は自い」という のは事実を述べたものですが、「この本の表紙は美し い」というのは価値判断です。  ビジネスにおいては通常、「儲かるか、儲からない か」という損得勘定をペースにした仮説生成が行われ ます。しかしそうした仮説を踏まえて、最終的にその 事業をやるべきかどうかを判断するときには、「倫理 的・道徳的に考えて、この事業は社会的に悪影響だか ら、やるべきでない」といった結論になることもあり ます。「この事業は儲かりそうだ」というのは事実に 関する認識や判断かもしれませんが、「この事業は社 会的に悪い」というのは価値判断です。  ある意味、論理を超えて行わなければならないのが この価値判断です。そこに面白みを感じるのか、それ とも論理的ではないから苦手、と感じるのかは人それ ぞれですが、ビジネスが社会的営為であり、社会には 倫理がある以上、ビジネスでも最終的にこの価値判断 を避けて通ることはできません。  立場が上になればなるほど、この種の価値判断が求 められることが多くなります。たとえば、とても安く 部材を売ってくれる取引先が、人権を侵害するような 重労働を従業員にさせていたと聞いたとしましよう。 当の本人たちはすでに是正していると言っているもの の、そうではない可能性もまだかなり残っているとし ます。そんな不確実な状況で、引き続き取引先として 付き合うべきかどうかを判断するときには、自社の利 益を最大化するという事実判断をするとともに、価値 判断を行わなければなりません。  この価値判断はある種の演繹法の推論と捉えること もできます。演繹法の大前提として社会的に共有され ている倫理観や、共同体や個人の価値観を置き、目の 前の事実を小前提として、演繹的に結論を出すのが価 値判断である、とも言えるからです。  しかし、これまでの推論とは異なる位置づけをした ほうが見通しはよくなると考え、本書では独立させま した。1つの定まった倫理や価値観が人々と共有でき ているとは限らないからです。また、倫理や価値観は 社会の情勢によって変わってきます。検証するときに も、論理的な妥当性とは異なる議論をする必要がある でしょう。  同じ事実を見ているにもかかわらず、価値観の違い によって異なる仮説が生み出されたときには、価値観 をすり合わせるか、もしくは価値観が合わないなりに、 結論として合意できる落としどころを探すことになり ます。そうした作業は、論理的思考だけではなかなか 行えません。しかしそれは社会として大事な作業であ り、だからこそ、価値判断にも注意を払うべきです。  ビジネスは社会的な営為の1つであり、価値判断を 下すべき場面は多くあります。むしろ論理だけで至れ る答えのほうが少ないと言ってもよいかもしれません。 外部からコンサルタント的に関わる場合、主に損得勘 定や論理で完結する領域に留まりますが、事業会社で 仕事をすることの妙味は、そうした損得勘定や論理を 超えたところも含めて仮説を作り、価値判断していく ところにあるとも言えるでしょう。 仮説生成をステップに分解する  ここまで、仮説の構成要素であるエビデンスと推論 の整理を行ってきました。  ただ、仮説の構造が分かったからといって、仮説を すぐに思いつけるわけではありません。  これまでの仮説思考の本では、闇雲に情報を集めな いことや、一次情報を取りに行くことの重要性などを 教えてくれますが、その後の「仮説の立て方」につい ては、「直感」などの言葉で曖昧にまとめられている ことが多かったように思います。  筆者は起業支援の経験を通して、起業家の卵とも言 える方々が、アイデアがない段階から起業の仮説に至 るまでのプロセスを何度も見てきました。その中で、 どうやら仮説が生まれるプロセスにはいくつかのス テップがありそうだと気づきました。そのステップを 本書では、  @ 興味・関心・問題意識  A 疑問  B 問い  C 仮説  と整理しています(図表4・只。  こうして「仮説生成」をステップに分けてみること で、それぞれの段階で何をするべきかが見えやすくな ります。  なお、このステップは一方向の流れで整理していま すが、まっすぐ道を歩んでいくようなものではありま せん。実際には行ったり来たりしながら進んでいくプ ロセスであることには注意してください。 興味・関心・問題意識を持つ  興味・関心・問題意識を持つことは最初のステップ です。たとえば学生の方が研究を始めるときに、先生 に「仮説はありますか?」と聞かれて、「社会学をや りたい」「AIで何かしたい」といったテーマや技術 領域でしか答えられないのであれば、まだ仮説には 至っておらず、興味や関心のレベルだと言えます。ま た、「何かやりたいのか?」と聞かれて、「気候変動が 問題だと思っているので何かをしたい」といった答え も、まだ問題意識のレベルです。ただ、こうした状況 が悪いというわけではありません。どんな専門家や研 究者も興味・関心・問題意識からキャリアを始めて、 最後には優れた仮説を作り上げています。  興味・関心・問題意識は様々な形で現れます。 ちょっとした興味から始まることもあるでしょう。1 日中やり続けられるなど、興味の程度も様々です。ま たポジティブな関心だけではなく、「なぜこんな課題 が解決されずに残っているのか」という、憤りや怒り といったネガティブな関心の形で出てくることもある でしょう。  ただ実は。興味・関心・問題意識を自然と持てる人 はそう多くもないようです。すでに「興味はたくさん ある」「問題意識がある」「やりたいことをやってい る」という人にとっては驚きかもしれませんが、どう やらそうなのです。もしあなたが興味・関心・問題意 識や、やりたいことを持っているのであれば、一歩先 んじています。自信を持ってください。  とはいえ、現段階で特筆するべき興味・関心・問題 意識がないから、仮説を作ることを諦めなければなら ない、というわけでもありません。これらはいつから でも育てていくことができます。  もし明確な興味・関心・問題意識がないのなら、ま ずはその種となるようなきっかけや情報を能動的に探 索してみてください。具体的には、これまで試したこ とのないことに挑戦してみたり、新しい知識を獲得し ようとしてみましよう。  しかし、忙しすぎたり、年齢が上がると、人は探索 や思索のための時間を取らなくなります。また新しい 事象が起こっても、既存の知識や考え方の枠内で処理 してしまいがちです。この背景には、リターンが得ら れるか分からない探索に対して、時間を投資すること のコストパフォーマンスが、明らかに悪いように見え てしまうといった理由もあるように思います。  新しい領域の探索を行わなければ、進むべき方向を 間違ってしまう可能性も大きくなります。たとえば、 目の前の仕事に集中していると、近視眼的になってし まい、正しい方向はどれかを考えないままに日々を過 ごしてしまいます。そうすると、社会が変わっている のに、昔と同じ方向に突き進んでしまい、いつのまに か崖へと進んでしまっている、ということもありえま す。  必要なのは、探索や学習のために自分の資源の一部 を意識的に投資することです。これまで全く読んだこ とのない分野の本を読んでみてもよいでしょうし、関 心のなかったスポーツや習い事をしてみるのもよいで しょう。そこから得られるものは確かに分かりづらい かもしれません。何も見つからず、その投資が無駄に 終わってしまうこともあります。それでもそうした探 索の時間がなければ、良い興味・関心・問題意識を持 てず、良い仮説にも至れないのです。  若いときのように興味・関心・問題意識がなかなか 見つけられなくなってしまった人は、誰かのためとい う視点で考えてみることをお勧めします。自分の子供 や家族のためでも構いませんし、友達のためでもよい でしょう。そうすると、自分の視点だけでは気が付か なかった興味関心が生まれてくるかもしれません。  誰かの真似をする、というのも1つの方法です。流 行りものに少しだけ手を出してみるのです。多くは自 分に合わないでしょう。しかし、その中でI割でも自 分にもしっくりくるものがあれば、それは大きな収穫 です。自分ではなかなか新しいことを試せないなら、 誰かからの誘いには積極的に乗ってみるようにしてお くことも、興味・関心・問題意識を広げる1つの方法 です。  そうして何かを始めてみたら、興味・関心・問題意 識を「育てる」という姿勢で臨むようにしてみてくだ さい。最初から自分のやりたいことを知っている人は ほとんどいません。サッカーをしてみないとサッカー の面白さは分からないでしようし、サッカーをしない ままサッカー選手を目指そうと思う人はそうそういま せん。やってみて興味を持てばその種を育てていくと いう姿勢が重要です。  飽きっぽい人や若手の人は、芽生えてきた自分の興 味・関心・問題意識が本物かどうか不安になることも あるようです。そんな場合は、何かしらのアウトプッ トを作ることをお勧めしています。たとえば、興味が 出てきた領域のブログ記事を毎日書いてみるなどのア ウトプットをすると、自分の興味の度合いが分かるた けではなく、書くなかで自分の分かっていないところ に気づくことができますし、受動的に情報を得ていた ときには気づけなかったことに気づくことができるよ うになり、次の疑問のステップに進みやすくなります。 興味から疑問へ  良い疑問がなければ。良い問いや良い仮説を導き出 すことはできません。たとえば「人に使ってもらえる アプリとは何か?」という抽象的な疑問から始めてし まうと、良い仮説に辿り着くことはできないでしょう。 「疑問」を持つことは簡単ですが、「良い疑問」を持つ ことはそれなりに難しいのです。  皆さんは、1日に何度検索エンジンで検索するで しょうか。「ナスはどうして紫色なのか」「なぜケ チャップはケチャップという名前なのか」とふと思っ て、「ナス 紫色 なぜ」「ケチャップ 語源」といっ た検索をした、などでも構いません。その検索の回数 は、あなたが日々疑問を持った回数でもあります。も し全く異なるキーワードで1日5同以上検索している のであれば、疑問を持ちやすいほうだと言えるでしょ う(10)。  積極的に疑問を持つためにも、日々の引っかかりや 棘を逃さないようにしましよう。違和感や「本当にそ うかな?」と不思議に思ったものにふたをせず、疑問 として浮かび上がらせるのです。すでにあるアイデア であっても、「なぜこんなアイデアにしたのだろう」 と疑問を持つことで、調べるきっかけが得られます。 違和感を持ったところがあれば、それを言語化して疑 問にしてみましよう。疑問にならなくとも、最初は違 和感のような感覚から始めても構いません。こうした 違和感は、既存の知識と新しい情報との齟齬から生ま れます。そうした齟齬に気づくことが疑問を持つこと につながるのです。  知らないことや分からないことがあれば。それを大 切にしてください。学校では、知らないことや分から ないことは「悪い」もので、「修正するべき」ものだ と暗黙的に教えられます。もし分からないところが あっても、授業の流れを遮らないように自分の心の中 に押し留めて、質問をしないまま終わってしまった、 という経験は誰にでもあるでしょう。しかし、こと仮 説生成に関しては、知らないことや分からないことは 悪ではなく、大切な仮説の種であり、きっかけなので す。その疑問を育てて、発展させていきましょう。  あえて素直さを捨てることも1つの方法です。素直 さとは、疑問を持たずに誰かの言うことに従うことで もあるからです。分からないことがあれば、空気を読 まずに聞いてみると、すぐに他人の仮の答えが返って きて、自分の仮説の生成に役立つかもしれません。そ して他人の仮説に対して「本当にそうかな?」と疑問 を持つことがあれば、そこから自分自身の仮説を作る ことにもつながっていくでしょう。ただし、天邪鬼に なればよい、斜に構えればよい、というわけではない ので気を付けてください。他人の揚げ足取りからは、 屁理屈のような仮説しか生まれません。正当な疑問を 持って、良い問い、良い仮説へとつなげていきましよ  理想を持つことも疑問を生み出してくれる有効な方 法です。たとえば、野球をやっていて、もっとヒット を打ちたいと思ったとしましよう。「もっとヒットを 打つ」という理想を持つことで初めて、「どうすれば より多くヒットを打てるだろう」という疑問が持てる ようになります。そこからようやく「こうすればヒッ トを打てるのではないか」という問いを持てるように なり、さらに「こうすればヒットを打てる」という仮 説を形作っていけるのです。  怒りも1つの疑問の源です。「どうしてこうなって いないのか!・」といった現状に対する怒りは、1つの 疑問の形です。「なぜこうなっていないのか」の「こ う」という部分には、「こうあってほしい」という理 想状態が含まれています。その理想と現状の間の ギャップを課題だと捉えれば、そこに疑問を生み出す ことができます。  これらをより広く捉えると、差異に目を向けること で疑問を持つことができる、とも言えます。理想と現 状の差異に注意を払うことや、「こうでなければおか しい」という差分に気づくことが疑問をもたらしてく れるのです。ほかにもたとえば、林業従事者の社会的 地位は、日本とアメリカは低く、オーストラリアやス ウェーデンでは医師やパイロット並みに高いそうです が、なぜこうした差が生まれているのかと疑問を持つ ことで、その背景が気になり、問いへとつながってい きます。  良い疑問を繰り出すためには、疑問のパターンを 持っておくこともお勧めです。たとえばSCAMPE R法(オズボーンのチェックリストの改良版)やTRI Zなどの発想法は、「代替してみると?」「削除してみ ると?」「反転させてみると?」といった疑問のパ ターン集です。こうしたパターンを持っておくことで、 良い疑問を生み出せる可能性は上がるでしょう。良い 疑問が生み出せない原囚も、こうした疑問のパターン に関する知識不足であることが多いです。疑問のパ ターンを意識的に蓄積するようにしてみてください。  人に説明してみるのも1つの方法です。スライドな どを作ったら、それに満足せず、誰かに話してみま しょう。もし発表してみて、言葉に詰まるところがあ れば、そこが分かっていないところです。発表後には 人から質問を受けることがあると思います。その質問 に答えられるかどうかも1つの理解度のバロメーター になるでしょう。そうして「実は分かっていなかっ た」ところに気づいていくことは、疑問を新しく持つ ために有効な経路です。そうして、徐々にぼんやりと したところがはっきりと見えてきて、実は埋まってい なかったパズルのヒースや空白に気づくことができ、 そこをきっかけに疑問を持つことができます。  興味関心を持った後に、コミュニティに出かけてい くのもよいでしょう。たとえば気候変動の問題に関心 を持ったのであれば、そうしたコミュニティに参加し てみましょう。そうすることで、自分だけでは得られ なかった様々な情報を得ることができます。それに よって自分の興味関心を育てていくこともできますし、 疑問を得ることもできます。  そうしたコミュニティの場で誰かと議論することも 有効です。やり取りの中から、自分の詰まっていたと ころの別の見方に気づけたり、自分の理解が浅かった ところに気づくことができ、そこからさらに探究を行 うこともできるようになります。情報を消化するだけ ではなく、得られた情報を自ら咀嚼して、アウトプッ トしてみることは新たな疑問を得るための有効な方法 です。  疑問を持つ裏には、特定の領域の解像度を上げたい、 という思いがあるはずです。分からないことや疑問が 出てくるのは、何かを詳しく知りたいと思う能動的な 思考の結果です。逆に何に対しても疑問を持てていな いという状況は、何にも興味を持てていない、という 状況とも言えます。  能動的に生きるところから疑問は生まれてきます。 疑問を持つことを恥ずかしがらず、そこからさらに深 めて問いや仮説を作っていきましよう。そのためにも、 日々の引っかかりや棘を大事にしながら、日ごろから 理想や怒りを持ち、疑問のパターンをいくつか使って みながら、コミュニティで誰かと話すようにしてみて ください。 疑問から問いへ  興味・関心・問題意識から疑問を生み、疑問を生ん だあとは、疑問を問いへと変換します。  疑問と問いの違いは、分かりにくいかもしれません。 疑問とは「○○は一体何なのだろう?」というぼんや りとした状態の疑問文です。一方、問いとは「こうで はないか」といった、仮説に近いような疑問文です。 ただ、問いは仮説として言い切る自信はないので、疑 問符を付けて表現してしまうような段階である、と捉 えてください。  たとえば「鶏肉を焼くと白っぽくなるのに、なぜ牛 肉は焼くと茶色くなるのだろう?」というオープンク エスチョンは疑問で、「焼いた牛肉が茶色なのは、牛 肉に含まれるタンパク質のせいではないだろうか?」 といったクローズドクエスチョンであれば問いである という風にも考えられます。そこからもし「タンパク 質のせいで牛肉を焼くと茶色くなる」と言い切ること ができれば仮説となります。問いの文末は「ではない か?」で終わりますが、仮説は「である」で終わりま す。  オックスフォード大学で教鞭をとる教育社会学者の 苅谷剛彦氏は『知的複眼思考法(11)』の中で、疑問は 「感じる」だけで終わる場合が多いのに対して、問い は答えを「探究する」ことにつながるものであり、問 いは「立てる」ものだ、と整理しています。疑問はま だぼんやりとしており、問いのほうがより主体的・能 動的な疑問の持ち方です。  総合すると、問いとは仮説の前段階であり、問いを 検証可能な言い切り型の文まで持っていくことができ れば、それは仮説となります。  では疑問から問いへと移っていくために必要な作業 はどういったものでしょうか。  探究に値しそうな疑問を作ることができたら、一度 簡単な調査をしてみましょう。その疑問が独自性のな い一般的なものであれば、すぐに答えが見つかるはず です。少し込み入った疑問なら学術論文などを調べる 必要があるかもしれませんが、調査するだけで答えが 見つかる疑問も多いのです。もし調査で得られた答え で十分疑問が解消しだのなら、自ら問いや仮説を作ら なくてもよいでしょう。  もし調査をしても疑問に対する答えが見つからなけ れば、自ら問いや仮説を作っていく必要があります。  まずは疑問を解消するための調査を続けましょう。 その過程で様々な情報を集められるはずです。問いが 仮説よりも少し弱い位置づけであると整理しましたが、 良い問いを生むためにもエビデンスが必要であり、集 めた情報は問いを構成する要素となってくれます。  そうした情報を集めた後、情報のクルーピンクをし てみることをお勧めします。発想法で有名なKJ法な ど、様々な仮説生成の手法で共通するのが情報をク ルーピンクすることであり、問いを生み出すための有 用な手法です。  図にすることは問いを生むヒントになります。自分 の考えていることを、図にしてみることで些末な部分 の捨象や、重要な部分の強調、物事の関連性の把握な どができるようになるからでしょう。  もしデータがあるのであれば、それを一度可視化し てみるのも有効です。データをグラフにしてみるだけ で、傾向が掴めたり、アナロジーのような推論が働き やすくなり、その結果「こういうことではないだろう か?」といった問いを持ちやすくなります。  またすでに紹介した仮説マップをラフに作ってみる ことも、疑問を問いにする1つの手法です。仮説マッ プを一度描き、その中で抜けている部分を探してみる ことで、自然と問うべき点が明確になり、問いもはっ きりとしてきます。  クルーピンクや、図にすること、仮説マップを作る ことは、情報を構造化することでもあります。言い換 えれば、疑問を問いにするためには。情報を十分に集 め。情報の構造化をしてみることが大事なのです。そ うすることで、抜けている部分や不明瞭な部分が浮か び上がり、鋭い問いにつながります。 問いから仮説へ  問いは「これが課題ではないか?」「これが最善の 解決策ではないだろうか?」といった対象を絞った形 の疑問文で表されますが、仮説は「これが課題だ」 「これが解決策だ」のように。言い切った形をとりま す。また、仮説は数字が入る場合が多いのも特徴です。 検証がしやすくなるからです。  問いから仮説への移行は、探索から検証へのフェー ズの移行のタイミングであるとも言えます。問いの段 階では「こうではないか?」といった探索をしていて、 仮説の段階では「こうである」と言い切り、その仮説 を積極的に検証することへと力点が移ります。  問いであればいくらでも出せるのに、仮説として 「言い切ること」に躊躇してしまう人もいます。間 違っていると責任が発生するように思えるからかもし れません。確かに仮説を一度作ると、仮説には正誤の 評価が入ってしまうので、間違いや失敗の可能性が生 まれます。問いの段階で留めておけば、問い自体には 正誤の評価はなく、失敗や責任から逃れられるように も見えます。実際、問いが持てても仮説が持てない人 は、失敗を過度に恐れていることが多いようです。  しかし、疑問や問いであれば責任を取らなくてもよ い、ということは決してありませんし、自分の意見を 表明しないのは単なる逃げだとも言えます。無責任に 仮説を言い切ることも不誠実ですが、問いで留めて責 任から逃れるのもまた不誠実です。  それにどれだけ怖くとも、1つの仮説にコミットし て、ジャンプをしなければ、物事が進まないことも多 いのです。仮説行動において、失敗とは過程の1つで あり、本当の失敗は失敗から学ばないことだ、という ことを思い出してください。仮説を作り、ジャンプし て失敗しなければ、学びも得られないのです。  仮説へのジャンプが苦手だと自覚している人は、 「一度ジャンプしてみてから。間違っていなかったか を検証していく」という進め方を意識的に取ってみる ようにしてください。そうして学びを得るのだ、と思 うようにしてみましよう。もし適当に仮説を作ること を不誠実だと感じるのであれば、その分、強いプレッ シャーで検証することで、誠実さのバランスを取るよ うにするのも1つの方法です。  ここまで興味・関心・問題意識から仮説へと至る道 筋を紹介してきました。この道筋は直線的ではなく、 また人それぞれのやり方があり、時間がかかる場合も あります。しかし、興味を持ってから仮説を立てるま でのステップをごく短時間で行える人は。その後の行 動によってさらに仮説を洗練できる傾向にあります。 ある意味、粘土をこねるのが早く、とりあえずこねて みてから考えて、そこから綺麗に形作っていく、とも 言えるでしょうか。疑問や問いで長い間留まらず、恐 れずに仮説を作るようにしてみてください。 作業仮説とクレーム  興味・関心・問題意識から疑問、疑問から問いを経 て、ようやく仮説に至りました。特に問いから仮説へ のジャンプはハードルが高いと感じる人も多いようで す。  そこで本書では、仮説を「作業仮説」と「クレー ム」に分け、それぞれを両極とするグラデーションで 捉えることにします(図表4・12)。そうすることで、 きっちりとした仮説を考えるのではなく、「まず作業 仮説を考える」というように、仮説への一歩を踏み出 しやすくできるのではないかと思っています。  作業仮説(working hypothesis)とは。暫定的に作 られた仮説です。まだ仮説として弱い段階であり、そ の後の作業の開始地点として用いられる仮説、洗練さ せていく必要がある仮説です。他人に伝えるとしても、 仲間内に留めておくようなものです。  一方、クレーム(n一s一ヨ)は最終的な「主張」とし ての仮説です。クレームは他人に「これが正しい仮説 だ」と伝えたり、説得するときに用いられます。その ため、その仮説が正しいことに賭けてもよいと思える ぐらいには高い確信度のある仮説のことであり、他人 に伝える必要があると思う程度には高い影響度を持つ 仮説です。  たとえば、ビジネスにおいては特に重要な課題を論 点やイシユーと呼ぶことがあります。イシユーはまさ に「このプロジェクトでは、この課題が最も大事であ る」という課題に関する強い主張とも言える仮説です。 なので、本書の言葉で言えば、イシユーは「課題に関 するクレーム」です。一方、イシユーに対して「この イシユーはこうすれば解決できるはずだ」といった仮 説を提案したなら、その仮説は「イシユーに対する解 決策のクレーム」だと言えるでしょう。  最初からクレームを作ることができるわけではあり ません。私たちは仮説を考えるときに、暫定的なもの も含めてたくさんの仮説を作ります。そうした緩い仮 説、本書でいう作業仮説から出発しつつ、その中のい くつかの仮説を捨てたり洗練させながら、最後には強 固な仮説として誰かに伝えることになります。つまり、 作業仮説から始まって、徐々にクレームにしていくわ けです。  なぜわざわざ仮説を細分化して、作業仮説とクレー ムという言葉を新しく導入するのでしょうか。その理 由は、仮説という言葉が普及したがゆえに。その利用 範囲があまりに広すぎるように思えるからです。思い 付きによる雑な仮説を「あくまで仮説だから」と無責 任にいくつも出す人もいれば、「私の仮説は○○です。 知らんけど」といった留保を付けて仮説を言う人もい ます。一方で、優れた根拠と思考を積み重ねて、少な いながらもしっかりとした鋭い仮説を生み出す人もい ます。これらすべてが「仮説」であることに違いはあ りませんが、すべてを同列に扱ってしまうと、議論が しづらくなります。  そこで本書では、最終的な主張としての仮説をク レームと呼び、まだ根拠の薄い作業仮説と区別します。 知的財産の申請では、請求の範囲のことをクレームと 言いますが、クレームと呼べる仮説を作ろうと意識づ けを行うことで、より精緻な議論や強いプレッシャー を加える本気の検証ができるようになるはずです。  具体的な状況を考えてみましよう。部下に対して仮 説の構築と資料の作成を依頼している状況を想像して みてください。マネージャーは暫定的な仮説であって も早めにほしい場合、「今の作業仮説はどんなもの?」 と聞くことで「君の仮説は何?」と聞くよりも柔らか い段階の仮説を持ってきてほしい、ということを伝え られるようになります。主張や結論に近い仮説が欲し い場合、「この資料の仮説は何だ」ではなく「この資 料のクレームは何だ」と問うことで、最終的な仮説を 持ってきてほしいことが伝わるでしょう。もし若手が 「これが現時点の仮説です」と複数の仮説を持ってき て、どっちつかずになっているときなら「その仮説は 作業仮説なのか。クレームなのか」と問うこともでき るでしょう。  このように作業仮説とクレームという2種類の言葉 を用いることで、仮説に対する期待感をより明確にす ることができます。なお、クレームという言葉には 「批難する」というニュアンスを感じるかもしれませ んが、もともとは「主張」という意味であり、本書で もその意味で使います。また、「主張」だと、日常的 な意味と混同してしまうため、あえてカタカナの「ク レーム」を用いています。  作業仮説をクレームにするには、仮説の正しさへの 確信度を高めていく必要があります。そこで使うのが 仮説のループです。仮説のループでは、作業仮説を生 成した後に仮説検証を行い、検証から得られた学びを 使って作業仮説の修正を繰り返しながら、クレームだ と自信をもって言える仮説へと磨き上げていきます。  最後に、仮説のループのもう1つの構成要素である 仮説検証に移る前に、仮説生成の各ステップで共通す るコツをまとめてお話ししたいと思います。    no厂c〜一z 仮説生成のチェックリスト     仮説生成のフェーズでは、以下の項目を    簡単にチェックしてみることをお勧めしま す。  まず、複数の仮説を作るようにしましよ う。たった1つの渾身の仮説を作ろうとす るのではなく、何個か作って、そこから選 択するのです。  一般的に、複数の選択肢があったほうが 良い意思決定ができると言われています (12)。もし時間にある程度の余裕があれば、 少なくとも2つの仮説は作りましょう。起 業家の戦略に関するとある研究(13)では、 「同じぐらい良いアイデアを2つ見つけた あとに。選択する」のが有効であると指摘 されています。少なくとも仮説を2つ見つ けるまでは、仮説生成を続けるというのを 目安にしてください。  優れた起業家は、事業の中核となる主な 仮説を検証する前に、数百の疑問や問いを 持ち。その中から強弱含めて数十の仮説を 作り。その中で最優先となる1つのクレー ムを検証する、といった割合で仮説検証へ と進んでいるようです(14)。それだけ多く の疑問を生み出せていなければ、まだ十分 に考えられていないか、十分な情報収集が できていないということでしょう。すべて の状況でこれだけの仮説の数が必要とは言 えませんが、重要な仮説についてはこれぐ らい多くの疑問や問いを持ったうえで、仮 説を導くように心掛けてみてください。  そして作業仮説やクレームは必ず「言い 切る」形で言語化するようにしてください。 「○○ではないか?」といった疑問形は仮 説ではありません。「こうするべき」「○○ である」と言い切りましょう。仮説は確実 な答えではなくても構いません。ただし言 い切れるぐらい、自分の立場を明確化する ことが大事です。明確でない仮説は検証で きないからです。  たとえば「顧客は書類をどう管理してい るのだろう?」という疑問から、「顧客は 書類の管理コストが高くて困っているので はないか?」という問いを持ったのであれ ば、仮説として「顧客は書類の管理コスト が高くて困っている」と言い切ることを試 みましょう。  そのとき、言い切るためには何が必要な のかを考えましよう。もし、仮説が直感で 導かれたものであれば、その仮説を成立さ せるためには、どのようなエビデンスが必 要かを考えてみてください。もし今手元に あるエビデンスだけでは弱い仮説しか作れ ないのであれば、新しくエビデンスを探し ましょう。エビデンスがない場合は自らエ ビデンスを作っていく、ということもあり ます。仮説の弱いところを探し、強化して いくことで、自信を持って言い切れるよう    になっていくはずです。 仮説を生成するためのコツ 解像度を上げる  仮説を作るための基礎となるのは、対象としている 物事への解像度です。物事や事象を微細かつ具体的に 見ることで、新しい気づきとも言える仮説を作ること ができます。ときには少し視点を引き、抽象度を上げ て物事の全体像を把握することで、仮説を作りやすく なることもあるでしょう。  適切に解像度を上げ下げする方法は、筆者の前著で ある『解像度を上げる(151)』に詳しくまとめておきま した。『解像度を上げる』では、ビジネスで使われる 「解像度」という言葉を、深さ・広さ・構造・時間の 4つの視点で整理したうえで、課題と解決策の解像度 を上げるために有効な情報・思考・行動の型(手法) を48個紹介しています。仮説の生成に行き詰まってし まったときには、一度、参照してみてください。  型をうまく組み合わせて、対象の解像度を上げてい くことで、私たちは良い仮説を生むための基盤を整え ることができます。逆に言えば、解像度が十分に上 かっていない状況で仮説を作ろうとすると、誤った仮 説を作ってしまいがちなので気を付けてください。 So What?で思考を追い込む  意味のある仮説へと辿り着くための自問自答の方法 として、「bownat.’j =「つまり。何が言いたい の?」という問いかけがあります。より日常的な言葉 を使えば、「それで?」「で?」「だから何?」などに なるかもしれません。  こうした問いかけば、「今ある情報から何か言える のか」「これらのエビデンスから、何の仮説を主張し たいのか」という思考を促し、仮説を導きます。複数 のエビデンスを前に、「一体これらはどんな意味を持 つのだろう」と、一段抽象化して考えるのもyO ギぼ芯の問いかけです。  たとえば、市場調査の結果報告を聞いているとしま しょう。そのとき、多数の具体例やデータを単に羅列 しているだけであれば、「それで、あなたは何を言い たいの?」と聞きたくならないでしょうか。それが ?ミぼ芯の問いです。この問いかけによって、具体 例の共通点を構造化しながら抽象化して、重要度の高 い意味の抽出を促す、つまり帰納法やアブダクション の推論が促されます。  課題においてSo What?が問われれば、「つまり、何 かイシューなのか?」という問いになります。また解 決策においてSo What?が問われると、「それで、何に 注力すればいいのか?」といった力点や実現性、行動 可能性を聞く問いになります。  たとえば「きのこ型のチョコよりも、たけのこ型の チョコのほうが売れている」というのは単に事実を話 しただけであり、仮説ではありません。ここでyO ミぼ气 つまり「それで?」を問えば「たけのこ型の チョコだけを販売するべき」という仮説が出てくるこ ともあれば、「きのこ型のチョコは過小評価されてい るので、もっと力を入れて売るべき」といった仮説が 出てくることもあります。こうして「So Wha三= 「何か言いたいのか」を繰り返し問うことで、仮説は その姿を現し始めます。  他人から「So Wha斤の問いが投げかけられたら、 それは「その仮説に価値を感じない」と思われた、と いうことでしょう。価値を感じてもらうにはどうすれ ばよいのかを考えることで、その問いに答えられるよ うになるかもしれません。  仮説を作るときには、とにかく「So Wha斤を繰り 返し自問自答することです。「それで?」と考え、出 てきた答えに対しても「で?」「で?」「で?」と繰り 返すのです。あまりにも繰り返しすぎて、周りから 「デデデ大王(『星のカービイ』のキャラクター)」と呼ば れる天もいたそうですが、それぐらい追い込みましよ う。しかしI天で実践することは難しいので、可能で あれば同じ問題に取り組む人から「So Wha斤を何度 も問われるような環境を作ることをお勧めします。 Why So?で分解する  次に紹介するのは、?ミぼ応とよく対比される Why So?の問いかけです。  ミ耳?Jは物事の原囚を把握するときや、「なぜそ うなのか?」を問うことで原囚を深掘りしていくとき に使われます。仮説の文脈で言えば、突然の閃きやア ブダクションで仮説を生み出したときに、「なぜそう 言えるのか?」と問うことで、仮説の背景にあるエビ デンスと推論をはっきりさせるために機能します。  So What?とギ郤ySの違いは、推論の方向の違い として捉えることもできます。つまり、So What?は。 エビデンスをもとに新しい仮説を生んでいくための前 向きの推論’ Why So?は。仮説に必要な要素を把握 するための後ろ向きの推論です(図表4・13)。  別の見方をすれば、?ミぼ応はピラミッド構造を 上段に向かっていくためのボトムアップの問いであり、 物事を抽象化するための問いです(図表4・14)。一方、 ミ郤?Jはなぜそう言えるのか、ピラミッドの下段に 向かってエビデンスを深掘りし、物事を具体化してい くためのトップダウンの問いであると言えるでしょう。  抽象的すぎればギ耳ySを問い、具体的すぎれば So What?を問うてみることです。また実践において は、So What?から仮説を引き出した後、今のエビデ ンスだけでは十分にその仮説を支持できない場合、 ギ耳ySを改めて問うてみるなど組み合わせて使って みましよう。  優れた起業家はこの弓耳ySを通じた、物事の根 本原囚の突き詰め方が深い傾向にあります。「自分は 頭がねじ切れるまで弓耳ySを問えているのか?」 と自問自答してみるのは、仮説生成のときに有効な方 法の1つだと言えるでしょう。 知識を身につける  仮説とは、「エビデンス×推論」もしくは「仮説× 推論」であると整理しました。良い仮説を作るために は、それぞれの要素が良いものである必要があります。 その基礎となるのが、知識です。  知識を豊富に身につけておけば、使えるエビデンス が増えるだけではなく、知識としての他人の仮説も増 えていきます。もし優れたエビデンスや仮説を頭の中 に記憶していれば、推論をそこまで巧みに行わなくと も、良い仮説を素早く生むこともできるでしょう。  たくさんの知識を持つと「頭でっかち」になり、既 存の考え方に囚われてしまうので避けるべきだと思っ ている人も多いかもしれません。確かにそういうとき もあります。しかし多くの場合、良い仮説を生み出す ためには、良い知識が不可欠です。  推論のセンスも知識によって磨かれていきます。た とえば推論の一種であるアナロジーを行うときには、 物事の比較対象となる知識が必要です。また、推論の パターンを知っておくことで推論しやすくなりますが、 そのためには、多くの人がどのように仮説を導いてき たのかを知り、そこからパターンを抽出する必要があ ります。  このように、知識は優れたエビデンス・仮説のもと だけではなく、優れた推論のもととなります。知識だ けを追い求めるのは避けるべきですが、良いエビデン スや良い仮説をたくさん知ろうとする努力は続けるよ うにしましよう。  特になるべく多くの具体的な仮説と、その構成要素 を把握することをお勧めします。つまり多くの他人の 仮説を、エビデンスと推論方法に分解して、その成り 立ちのパターンを捉え、仮説の構築方法を知るのです。 誰かの作った時計を分解してその仕組みを学ぶように、 他人の仮説を分解してその仕組みを学んでみてくださ い。そこから「仮説生成のコツ」を自ら「推論」して、 概念化し、血肉化していくことを心掛けましよう。 できることはすべてやる  優れた起業家の共通点は、エビデンスの獲得を徹底 して行っているところです。  たとえば知識です。起業に関連する本を数多く読ん で、徹底的に知識を得ようとするだけではありません。 たとえ知らない人であっても、参考になりそうな人を 見つければコンタクトを取って聞いて同ることも、当 然のように行っています。競合となりうる海外のス タートアップに、恥を承知でインタビューを申し込ん でいることもあります。  最先端の技術情報を得るために論文を大量に読むの はもちろんのこと、国内のすべての出版物が納本され ている国会図書館にも足しげく通いながら、ときには 50年前の洋書を借りてきて勉強をする人すらいました。 これまで経験がないことでも、プログラミングが必要 ならプログラミングを習い、電子回路が必要なら電子 回路について手を動かしながら学んでみるなど、必要 だと思ったことに対して貪欲に取り組んでいました。  さらに顧客が作業している現場に観察に行ったり、 日雇いバイトとして現場で働いてみたり、飛び込み営 業をかけたり、自ら数百件の電話をかけたり、現場の 写真を数百枚撮ったり、数か月住み込みで働いてみた りと、彼ら彼女らはフットワーク軽く動き、泥臭い作 業を通して、圧倒的な量のエビデンスを獲得していま した。そうして、「スタートアップに取り組む人の中 では、この業界について自分以上に詳しい大はいな い」というレベルまで突き詰めることで初めて、優れ た仮説に辿り着いています。  つまり、圧倒的な行動量をもって優れたエビデンス を得ようとすることが、優れた仮説生成のためのコツ です。  当然のことだと思われる人も多いでしょう。しかし 多くの人はそこまで行動をしていません。逆に言えば、 徹底的に行動することができれば、他人との差を付け られるということです。安楽椅子探偵のように、室内 に留まったまま優れた仮説に辿り着いた人はほとんど いません。いかに泥臭く行動し、最先端のエビデンス を獲得してくるかが、優れた仮説を作るための第一歩 です。      I コナンードイル『緋色の研究 新訳版』(駒月雅子        訳、KADoKAwA、2012年)      剥 コナンードイル『四つの署名』(駒月雅子訳、KA        DoKAwA、2013年)      −      3 UNE 」ibrary Services「 "The Evidence Pyramid"。 http置卜        librarv.une.edu/research-helD/helD-withyevidence-based-        − 5 仮説を検証する  仮説について語られるとき、仮説生成が脚光を浴び がちです。鋭い仮説をたった一度で生み出せれば、と ても優秀な人のように映るので、そうした姿に憧れて 仮説生成に注目してしまうのは仕方がないかもしれま せん。ただ、多くの大にとっては、一度で優れた仮説 に辿り着こうとするよりも、仮説検証をいかにうまく できるかを磨いたほうが、業績を上げることにつなが りやすいでしょう。うまく速く検証し、多くの学びを 得ることができれば、仮説をどんどんと修正すること ができ、より良い仮説に早く至ることができるからで す。  ここからは仮説検証の概要についてお話ししながら、 具体的な方法について解説したいと思います。 検証の目的と求められる態度  なぜ私たちは仮説検証を行うのでしょうか。それは 最初に作った作業仮説が間違っているかもしれないか らです。仮説検証を通して、私たちは間違いに気づく ことができます。  そして仮説検証は単に仮説の正否を示してくれるだ けではありません。仮説に関連する「学び」を得るこ ともできるのです。  その学びには、大きく2種類があります。   ・仮説の確信度についての学び   ・仮説に関連するエビデンスを得る学び  です。これらの学びを活かして、作業仮説はクレー ムヘと強化されていきます。それぞれについて詳しく 解説していきます。 確信度を上げて、作業仮説をクレームにする  仮説検証によって得られる学びで、私たちは仮説の 確信度を変化させることができます。言い方を変えれ ば、仮説の不確実性を減らすことができるということ です。  仮説検証によって、自分の仮説がどの程度正しいの か、あるいは間違っているのかに関するエビデンスが 得られます。たとえば、新しいビジネスのアイデアを 考えて、多くの人に聞いて同ったところ、多くの人が 買うと言ってくれただけではなく、実際に前金まで 払ってくれた、ということになれば、そのアイデアの 確信度が上がります。もし誰も買ってくれなかったの であれば、確信度は下がります。こうした確信度に関 する学びを得ることで、仮説の確信度や不確実性は変 化し、もし確信度が上がれば作業仮説はクレームへと 変わっていきます。これが仮説検証で得るべき学びの 1つです。  アイデアだけではなく、私たちは日々仮説検証を 行っています。メールを送るときも「あの人はこの情 報を欲しかっている」という仮説を作り、その人から の反応によって検証を行っています。もし反応が悪け れば、その仮説が間違っていたということであり、仮 説を棄却して、修正するか、新しい仮説を作ったほう がよいという合図です。  「仮説が棄却される」と書くとネガティブにも見えま すが、「真実と仮説の問にズレ」があっただけという ことです。そのズレを直していくことで、より正しい 仮説に辿り着くことができるのです。  このように、私たちは仮説検証を通して仮説の確信 度に関する学びを得られます。そして仮説が合ってい ると分かれば決断できますし、間違っていると分かれ ば改めて仮説生成に戻るという判断ができるようにな ります。 作業仮説を修正するための学びを得る  仮説検証を通して得られる学びは、仮説の正否だけ ではありません。検証の結果、新しいエビデンスを獲 得して、そのエビデンスを用いて仮説を修正すること もできます。  たとえば、先ほどのメールの例では、「あの人はこ の情報を欲しかっている」と思ってURLだけのメー ルを端的に送ってみたとき、「この情報が欲しかった わけではないし、URLだけ送るのはけしからん」と いう反応が返ってきたとしましよう。「欲しかってい るのはあの情報ではなかったんだな」という仮説への 学びも得られますが、同時にそれ以外の学び、たとえ ば「この人には端的なメールではなく、丁重なメール のほうがよいのだな」という学びも得られます。その 学びを新しいエビデンスとして用いることで、その人 向けのより適切な仮説を作ることができ、より効果的 なメールを書けるようになるはずです。  つまり、仮説検証をしていくことで。仮説の正誤に ついての学びだけではなく。周辺にある学びも得られ る、ということです。先ほどの「丁寧なメールのほう がよい」というのは、本筋の仮説とは少し文脈が違う ところで得られた学びによる新しい仮説です。  そうした意味でも、仮説検証の成功は、「自分の仮 説が正しいか」だけではなく、「仮説検証によって得 られた。総合的な学びが多かったかどうか」でも測る ことができる、と言えるでしょう。このように仮説検 証を通して得られた学びによって、私たちは仮説をよ くしていくことができるのです。 補強的思考ではなく、探究的思考  仮説検証の際には、補強的思考と探究的思考という 2つの態度があることを意識しましょう。  認知心理学の知見をもとに、プロのポーカープレー ヤーとして活躍したアニー・デュークは、著書『確率 思考』の中で、心理学者であるテトロックとラーナー による論文を引いて、補強的思考と探究的思考の違い を整理しています(士。それぞれを簡単に説明すると、   ・補強的思考は特定の仮説を補強するための考え    方   ・探究的思考は正しい仮説を探すための考え方  です。似たようなものに見えますが、態度や行動は 全く違ったものになります。  補強的思考では今の自分の考えが正しいことを支持 する情報を積極的に集めます。探究的思考では、今の 自分の考えよりも、将来の自分の考えが正しいことを 重視し、積極的に自分の考えと反対の情報を探します。  たとえば、顧客インタビューによる仮説検証では、 補強的思考の人は自分の仮説を支持するエビデンスを たくさん取ってきて、「やはり自分の仮説は間違って いなかった」「新しい情報はなかった」といった学び を得て帰ってくるでしょう。自分の仮説は正しい、と いう証拠しか集めないからです。  一方、探究的思考の人は、自分の考えとは違う情報 を集めてきます。たとえば、自分の仮説が思い浮かん だあと、それに対する具体的な反対事例、つまり反例 を積極的に探して、反証しようとします。そこからは 「自分の仮説は少し間違っている部分があった」「新し い情報が得られた」という学びが多く得られるはずで す。その結果、素早く自分の仮説の変更/微修正を繰 り返すことができます。  補強的思考の人は、自分が傷つかないような行動を 取ります。一方、探究的思考の人は、時には自分が傷 ついたとしても真実を追い求め、知らなかったことを 知ろうとし、検証の最大の目的である、学びを最大化 する行動を取ります。最終的に正しい仮説に行き着く のは、大抵の場合、学びを多く得られる探究的思考の ほうです。  しかし人間は補強的思考をしてしまう傾向があり、 自分にとって心地よい情報ばかりを集めてしまいます。 特にインターネットが発達した現在の世界では、自分 の信念を補強するデータを手に入れるのはとても簡単 で、頭の回転の速い人ほど、自説を補強するデータや 考え方を簡単に見つけることができてしまいます。  そうした補強的思考の罠から逃れ、探究的思考を行 うためにも、仮説検証では「正しいかどうか」を検証 するという姿勢ではなく、「検証を通して学ぶ」とい う姿勢が大事なのです。こうした姿勢について、ペン シルベニア大学ウォートンスクールで組織心理学の教 授を務め、数々のベストセラーを持つアダムーグラン トは、図表5・Iのようにまとめています。補強的思 考は「常に自分が正しい」というカルトリーダー的な 在り方で、探究的思考は「自分は間違っているかもし れない」と常に自問自答する、学習者としての在り方 です。  スタンフォード大学でも教鞭をとる未来学者のポー ルーサフォーは「強い意見を、弱く保つ(btrong 〇pinions「 Weakly Held」(2)」という態度を勧めています。 自分の意見がどんなに強くとも、それに対して創造的 な疑いを持ち、意見に合わない情報や全く別の方向を 示す指標を積極的に探して、間違っていたら手放せる ような弱い持ち方をしておく、ということです。そう すれば、間違いや反証に対しても自分自身をオープン に保つことができます。  自分自身の考えを補強するのではなく。自分は間 違っているかもしれない。という認識に立ちましよう。 そして学ぶために検証しているのだ、という態度で仮 説検証に臨んでください。  自信を持っている今の仮説が否定されるのは嫌なこ とかもしれませんが、仮説をよりよくするためには避 けて通れない道です。まずは手元の情報で、自分の仮 説を反証できないかを試してみてください。「どうい うエビデンスがあれば、自分は今のこの仮説を捨てる だろうか」と考え、そうしたエビデンスがないかを積 極的に探しに行きましよう。そしてもし仮説が反証さ れたら、それを学びとして活かして、仮説を修正して 磨き上げていくのです。それが学習者としての仮説検 証の在り方です。    no厂c〜一z 陰謀論と仮説思考     多くの仮説思考の本では、「先に仮説を    立ててから情報を取りに行く」ことを勧め    ています。ただ、これを字義通りに捉える    と、陰謀論も仮説思考を体現しているとも    言えます。陰謀論は「陰謀」という仮説を 先に立てて、その仮説を補強する情報を取 りに行っているからです。  陰謀論の仮説は「実はこうだ」「世の中 の一般的な言説は嘘なんだ」といった形式 を取ることが多いものです。たとえば「実 はワクチンにはナノマシンが入っていて 人々を操作しようとしている」「この国は、 一部の少数の人たちによって操作されてい る」といった言説です。こうした仮説は 「実は」という言葉を伴うことが多く、世 界の真実の一端に触れたかのような快感や、 世の中の多くの人が知らない事実を知って いるという優越感などを与えてくれます。 さらには「自分は多くのことを学んでい る」という学びの感覚すら与えてくれるか もしれません。  問題はそのあとです。書籍や動画などで そうした仮説を知った後、意識せず補強的 思考のモードに入ってしまうと、その仮説 を補強するような情報を積極的に集めてし まいます。  インターネットが発達することによって、 同じような陰謀論を信じる人たちが発信す る情報や、自己の利益のために陰謀論を唱 える人たちにもアクセスしやすくなってい る現在、自分の仮説に合致する情報を得る のは簡単になりました。もし自分の仮説と 合わない情報が入ってきても、「知りたい 情報が載っていない」「陰謀を企てている 人が情報を操作している」といった推論を 通して、自分の仮説と合わない情報を信じ ず、反証として提示されるエビデンスを虚 偽の情報として扱って考慮しない、という こともできてしまいます。さらに、自分の 認識への反論に接すると、それらを過剰に 否定して、もともとあった自分の認識を強 めてしまう、「バックファイア効果」とい うものもあります。私たちは自分のアイデ アや仮説の正しさに固執してしまうのです。  だから、何か極端な仮説を見たときには、 「本当にそうなのか?」と考え、反証する 癖を身につけておくようにしましょう。数 値があるからといってうのみにせず、その 算出の背景や意味を把握するように努めて ください。  陰謀論は1つの極端な例ですが、補強的 思考で仮説を扱うと優れた仮説には至れな い良い例だと言えます。仮説思考にも、良 い思考法と悪い思考法があるのです。だか らこそ、仮説を考えるときには探究的思考 を強く意識しておいてください。 基本的な仮説検証の方法  検証の効果は分かったが、いちいち検証していては 事業が進まないではないか、という反論をときどき聞 きます。  確かに検証には時間がかかることもあります。しか し、「上手な検証の仕方」を学ぶことで。素早く検証 することができます。特に仮説検証は知識やスキルが あれば、比較的容易に身につけることが可能です。  ここからは基本的な検証の方法とコツをいくつか紹 介していきます。 サーペイを行う  検証の1つの方法がサーベイ(概観調査)です。抽 象度の高い仮説であれば、すでにあるエビデンスを 使って検証できる場合があります。  たとえば「建設業界の市場規模は年々上がってい る」という仮説を立てたときは、市場規模のデータを 探してみることですぐに検証ができます。インター ネットさえあれば、簡単に検証できるでしょう。該当 するデータがなくとも、入手したデータや数値から推 定を行うことで検証することも可能です。  サーベイしていると、自分の仮説に合うエピソード が見つかることもあります。ただ、検証時にはなるべ く定量的なデータを使うよう心掛けてください。特に 数値や頻度が関係するときにエピソードで検証するの は危険です。少数であれば自分の仮説に合うエピソー ドを持ってくることができるからです。  ただし、定量的なデータや数値にも注意が必要です。 数値だからと言って、すべて同じエビデンスレベルだ とは限らないからです。きちんとした手続きに沿って 得られたデータであれば信用に足りますが、そうでな い場合はそのデータを使ったところで検証ができたと は言えません。こうした検証のときにも、仮説生成の コラムで紹介した情報リテラシーは重要になるので、 積極的に磨くようにしてみてください。 検算する  仮説の中には、検算をすることですぐに検証できる ものもあります。  たとえば大きなビジネスを目指すアイデアを考えて いて、「革新的な傘」のアイデアを思い付いたとしま しよう。これを現実にするには、それなりの市場規模 が必要です。日本での傘の市場規模は300億円程度 と言われており、独占できたとしても最大300億円 程度の売上となります。独占できることはほぼないの で、実質的な売上の最大値はもっと低いでしようし、 利益はもっと低くなります。もちろん、革新的な傘に よって市場自体が大きくなる可能性もありますが、そ うしたことが起こる可能性を加味しても、大きなビジ ネスにはなりづらそうなことが、検算をすることです ぐに分かります。  また、検算するときには、トップダウンではなく、 ボトムアップでの検算をしてみましよう。先ほどの傘 の市場で言えば、300億円の10%のシェアを取れば 30億円程度の売上になるため、それなりに大きなビジ ネスになる、という計算も可能です。これはトップダ ウンの計算です。10%のシェアであれば、頑張れば取 れるようにも感じます。  一方、革新的な傘を作ったとして、おそらく買って くれる値段は高くてせいぜい3000円だとすると、 毎年1万個売ることができてようやく3000万円の 売上になる、という計算もできます。これがボトム アップの計算です。もし30億円の売上にしようと思え ば、毎年100万個の傘を売らなければなりません。 先ほど、トップダウンの計算で10%の市場規模なら取 れるかもしれない、と思ったとしても、そのためには 毎年100万個売らなければならないと聞くと、これ は相当難しそうだ、と思うのではないでしょうか。  起業家の中には、「このサービスを人口の10%が 使ってくれれば、大きなビジネスになるはず」と主張 して、自分のアイデアの可能性を伝える人もいます。 しかし日本の10%の人たちが使うようなサービス、つ まり約1000万人以上が使うサービスはごくわずか です。トップダウンで計算した数値は甘くなりがちで 判断を誤る可能性が高いため、必ずボトムアップでも 計算し、トップダウンとボトムアップで挟み撃ちをす るようにしましよう。  そのほかの検算に関連する方法としては、フェルミ 推定が挙げられます。シカゴに何人ピアノの調律師が いるのかという問題を考えてみましよう。シカゴの人 口を300万人として、I世帯平均3人とすると 100万世帯あり、10世帯につき1つのピアノがある としたら、ピアノは10万台となります。そしてピアノ は1年にI同の調律が必要だとすると年間10万同調律 の需要があることになります。そしてピアノ調律師は 年間200日働き、1日3同程度の調律が可能とする と、10万を600で割ることで、調律師の数は167 人程度のはず、と推測することができます。その数値 がぴったりと合っていなくても、一桁多くなることは ないと予想されるため、この167人という数値をも とに、次の仮説を作っても大きく外すことはないはず です。もし正確な数字が手に入らないときも、こうし たフェルミ推定などを用いて検算することもできるで しょう。  こうした検算は、誰にも頼らずI大でできる検証で す。もし数値が関わるものであれば、検算を最初に やってみることをお勧めします。 具体例でチェックする  検証の際に、仮説に対して具体例をぶつけてみるの も、素早く検証する方法の1つです。  たとえば、製品のアイデアを思いついたら、その対 象顧客となりそうなI人の具体例を思い浮かべて、そ の大が本当に買ってくれそうかどうかを考えてみてく ださい。抽象度の高い「顧客像」ではなく、具体的な I人に当てはめて、仮説を検証してみるのです。それ を何人か繰り返してみて、誰も買いそうでなければ、 その段階で仮説を修正してしまってもよいかもしれま せん。  仮説は抽象的であり、事例は具体的です。何か仮説 を思いついたら、すぐに一例に当てはめてみて、抽象 と具体を行き来することで、仮説検証を即座に行うこ とができます。  論理的には筋が通っているように見えても、具体例 で考えるとどうもうまくいかない、といったことはし ばしば起こります。マーケティングキャンペーンに関 する作業仮説を思いついたときに、「では具体的にど ういった作業が必要か」と考えてみると、実行がかな り難しそうなことが分かるといったようなことです。 これも抽象と具体の行き来による仮説検証です。  抽象的な思考を好む人は、ずっと抽象論で物事を 語ったり、概念的な整理にかまけて、具体的なことを おろそかにしてしまう傾向にあります。もしそうした 傾向があると自覚している人は、抽象的なことを考え たらすぐに具体のことを考えて、抽象と具体を激しく 行き来するようにしてみましよう。そうすることで、 素早く自分の仮説を検証することができます。 議論する  議論や壁打ちも検証の1つの方法です。議論は仮説 生成にも有効ですが、仮説検証のときにも大いに役立 ちます。  自分の仮説の穴に自分で気づくことはなかなかでき ません。だからこそ、他人の視点から仮説の弱いとこ ろを指摘してもらうことはとても有効です。また、質 問をしてもらうことで、異なる視点を持つきっかけを 提供してもらい、新しい仮説生成につながることもあ ります。  仮説生成のときには、なるべく親しい人や協力的な 人と議論するとよいでしょう。これまであまり関係し てこなかった人との間では、アイデアや仮説を生み出 す会話になることは稀だからです。一方、仮説検証の ときには、率直なフィードバックをしてくれる人や細 かな情報を知っている人と議論してみてください。そ うすることで、自分の仮説の穴を見つけやすくなりま す。  あえて批判する立場の人を用意して議論することも 1つの方法です。積極的に議論の穴や異なる視点を見 つけようとする方法を「悪魔の代弁者」と呼ぶことが あります。カトリック教会での聖人認定の際に、あえ て候補者の疑わしい点を指摘する役割を用意して、 様々な面から検討することで、より多面的な意見を引 き出す手法として有名です。そうすることで、間違い のない人を選ぶようにしているのです。  軍やビジネスでは、「レッドチーム」という役割の チームを用意し、敵対的な組織の視点から戦略などを 検討してみることで、事前に問題点を発見する手法と しても採用されています。またサービスのバグやセ キュリティホールを見つけるために、あえてバグを見 つけた人に対して報酬を与えるバグ懸賞プログラムは、 自分たちの仮説を積極的に反証しようとする試みだと 言えるでしょう。そうすることで、大規模な事件が起 こる前に修正することができます。  起業家であれば、コンテストやプログラムに応募す るのもアイデアの検証方法となるでしょうし、投資家 に壁打ちを求めるのも検証のための行動です。自分の 思考だけで閉じず、何かに応募したり、誰かに本気で 話すことで、その結果やフィードバックから自分のア イデアの現在位置を確かめることができ、次になすべ きことを理解できます。このような行動を通して、自 分たちの現在位置をより明確に知ることができるのも、 議論や発表のメリットの1つだと言えるでしょう。 詳しい人に聞きに行く  サーベイや検算は自分I人でできる、便利な手法で す。ただ、こうした推論をするよりも、聞きに行った ほうが早いことがあります。  たとえば、カフェのI店舗で使われている牛乳の量 を調べたいとしましょう。少し調べれば、カフェ チェーン店の売上などから推定できるかもしれません が、直接店舗に聞きに行ったほうがより正確な値を知 ることができるでしょう。それを何店舗か繰り返せば、 より正確に検証を終わらせることができます。  フェルミ推定や検算のような、思考による検証は素 早く行えて便利なのですが、もし特に大事な仮説を検 証したいのであれば、確たる事実を得るために行動し ましょう。もちろん、そこで得られた情報は具体例の 1つでしかないかもしれません。しかし、推論だけで 仮説を検証するよりも、もっと詳細な情報を得ること で仮説は強くなります。  聞きに行くことは思考に比べてコストがかかりがち です。相手を探すのも大変ですし、断られることもあ るでしょう。面倒かってやらない人も多いです。ただ し、その面倒さを乗り越えて行動できる人は少ないた め、行動を伴う検証ができれば頭一つ抜けた人材にな れることも覚えておいてください。  なお、データを使って検証しようとするときにも、 データを集めたりするのに意外と時間がかかることも あります。常に「考えたほうが早いか、行動したほう が早いか」を考え、行動したほうが早そうであれば行 動してみることをお勧めします。  そうした行動による検証で最も有効な手法の1つが、 これから説明する「実験」です。 ビジネス実験をする  「実験」というと何を思い浮かべるでしょうか? お そらく多くの人が科学をイメージするのではないで しょうか。しかし、ビジネスにおいても、実験はとて も有効です。  たとえば、新しい製品のアイデアを思いついたとき、 完璧な製品を作って全国展開をすれば、そのアイデア の良し悪しを直接的に知ることができます。しかし、 それにはかなりのコストと時間がかかります。そこで、 食品の新製品などではまず一部地域から展開して反応 を見てから、その後全国展開する、といった手法が取 られます。選ばれた特定地域での反応は、全国からの 反応とは異なるかもしれませんが、最初から全国展開 するよりもコストも時間も少なく実施できますし、も しその地域が全国と似た人口構造などを持っているの であれば、その結果を全国に敷衍して考えてもそこま で大きく間違うことはないでしょう。実際、静岡県と 広島県は日本全体と人口構成や物価、生活費などが似 ているため、日本の縮図とも呼ばれ、新製品のテスト マーケティングの場所として選ばれることが多くあり ます。どちらかの県で展開してみて、その成否を見た うえで全国に展開するかどうかを考えれば、大きく間 違えるのを避けられるからです。  同様に、インターネットでサービスを提供する企業 では、まずユーザーの2%程度に新機能をリリースし てみて様子を見ることもあります。もし新機能が間 違った機能だったとしても、損失が軽微ですみますし、 その結果を見て最終的に全ユーザー対象にリリースす るかどうかを決められるからです。  製品に限らず、こうした実験は可能です。大規模な イベントをする前に、同じテーマの小規模なイベント を開催して、どれだけニーズがあるのかを調べたり、 イベントで大人数の前で講演をすることになったら、 その前に社内で少人数の前で講演をしてみてフィード バックをもらったりと、ちょっとした工夫をすること で、検証にかかるお金や時間のコストを下げながら、 決断するために十分な学びを得ることができるように なります。  このように、ちょっとしたプロトタイプを世に出し てみる、広告のA/Bテストをしてみるなど、現在ビ ジネスでは様々な実験が行われています。  ビジネスでの実験は科学での厳密な実験とは異なり ます。特に、ビジネスで求められる仮説の確信度は、 科学で求められるものよりも低くても構わないという 特徴があります。なぜなら、ビジネスでは普遍的な正 しい仮説が必要というよりも、「その時点である程度 正しい仮説」であれば、あとはリスクを取る、という 決断をすることで前に進んでもよいからです。そのた め、ビジネスでは科学で求められる厳密な検証方法と は異なる手段を取れます。科学よりも、ビジネスは検 証方法の工夫の幅が大きく、実験のやり方を工夫する ことで。コストと時間を大幅に下げることもできると いうことです。つまり、実験の知識とスキルを身につ けることで、より良い実験ができるようになり、その 結果良い仮説に辿り着ける可能性が高まるのです。  そして、ビジネス実験は成果にも大きく影響するよ うです。  とある研究(3)では、チームの構成や行動がどの ようにアイデアに影響し、そしてその後の売上にどの ようにつなかっているかを調査しました。その研究で は、チームにMBAを持つ大がいた場合、なんとその チームの売上は下がる傾向にあったことが指摘されて います。その理由は、MBAを有する人のいるチーム はりIンスタートアップ的な実験やインタビューのよ うな行動よりも、分析的なやり方を好み、行動による 検証をしなかったからのようです。  ただし、MBA的な分析が悪いというわけではあり ません。MBAを持つ大がりIンスタートアップ的な 実験を行う方法論を受け入れると、アイデアもよくな り、売上につながっていたようです。つまり、分析的 なやり方に加えて、実験的なやり方を身につけると、 パフォーマンスがよくなるようです。  「アイデアは実行しないと意味がない」と言われます が、検証の文脈でも「アイデアは実験しないと。学び が少ない」と言えるのではないでしょうか。そうした 意味でも、行動を伴う実験を行うことは、学びを最大 化しようとするときに取るべき有力な選択肢です。 最小のスコープの実験を設計する  ビジネス実験のコツは、スコープ(範囲)を十分に 小さくすることです。  プロジェクトの鉄の三角形と呼ばれるものがありま す(図表5・2)。三角形という名の通り、その頂点に 3つの要素があり、それはスコープ、時間、お金です。 そしてこの中の1つを優先して制約条件にすれば、他 の2つは満たせないと言われています。  スコープを優先する場合、あれば良いと思われるも のをすべて作ることになるでしょう。そうすると必要 なお金と時間は大きくなります。制約条件がお金の場 合は、スコープを小さくするか、納期に幅を持たせる など、時間を延ばすことになります。たとえば、必要 最小限の機能を自分で時間をかけて作る、という具合 です。制約条件が時間の場合、スコープを小さくする か、お金を大量に投入することで、期間内に開発を終 わらせる、ということができるかもしれません。  こうした3つの制約条件とそれぞれのパターンを考 えると、ビジネス実験において一番変えやすいのは、 スコープです。最大の学びを。最小の時間とコストで 得るための。最小のスコープの実験を設計すること。 それができると、かけるお金を少なく、そして短い時 間で実験することが可能になります。つまり何を学べ ば十分であるかを考え、そのための最小限のスコープ は何かを考えられるかどうかが、実験の設計の要点な のです。  たとえば、「この新製品は10社に売れる」という仮 説を検証したい場合を考えましよう。  1つの手段はその新製品を作って売ってみることで す。この場合、製品をちゃんと作ることになるため、 スコープは大きくなります。一方で、顧客に「こうい う製品ができたら欲しいか、作るから今すぐ買う約束 をしてくれるか」と聞くことで、製品を作る前に「こ の新製品は10社に売れる」という仮説の検証をする、 ということもできます。つまり、製品を作ることを いったんスコープから外して、「売れるかどうか」だ けにスコープを絞って検証するのです。  もちろん、製品を最後まで作ってから売ったほうが 「売れるか売れないか」をはっきりと検証できるで しょう。しかし製品を実際に作ってから売り始めよう とすると、それまでに膨大なコストと時間をかける必 要があります。一方で、作る前から売り始め、顧客が 今すぐ買う約束をしてくれたら、わずかな時間で「顧 客はこの製品を欲しいかどうか」を検証することがで きます。ちょっとした工夫によって、スコープを小さ くすることで、ほぼ同じ学びを得るための時間を一気 に減らすことができるのです。かけたコストや努力の 量が、学びの質と量に比例するとは限りません。  ビジネス実験を行う力とは、十分な学びを得るため に。検証するべき仮説に対して最適な仮説検証のス コープ設計を行って。それを最速で実行する能力であ る、と言えます。そのためには、様々な仮説検証の手 段を知り、それぞれの検証手段が対応可能なスコープ の限界を踏まえたうえで、スコープに合わせた手段を 適切に選びながら検証していく必要があります。こう した最適な実験の設計は、ビジネスにおける仮説検証 の難しいところであり、工夫しがいのある面白いとこ ろです。 MVPを作る  スコープを十分に小さくしながら実験をする1つの 方法として、スタートアップでよく使われるMVP (一一コーヨuヨく一able Product)という考え方があります。 実用最小限の製品、という意味です。実用最小限の製 品を作って、顧客に使ってもらったり、営業活動をす るような実験を繰り返していく中で、顧客が本当に望 んでいる製品を見出していく製品開発の方法です。  図表5・3を参考にしながら、考えてみましよう。 まずMVPではない例からです。  車を作るときに、部品から徐々に作り上げていき、 最終的に機能する製品を作るのはMVPではありませ ん。また自転車やバイクを作り始めるのもMVPでは ないでしょう。あまりに体験が異なるからです。MV Pと呼べるものは、3段目にあるものです。エンジン という重要な機能は作らず人が押すことになり、車の 乗り心地も悪いでしょうが、それでも利用者の体験は 完成品の車に近いものであり、ユーザーからちゃんと フィードバックがもらえるような「実用最小限」の製 品となっています。  最初の段階から最低限機能するものを作り、それを 使ってもらい、ユーザーからのフィードバックなどを 経て、学びを得るループを回すために必要なのがMV Pです。最終的に得られるユーザー経験の一部を提供 したり、性能は悪くとも最低限の課題解決ができる最 小限の製品を作るのです(図表5・4)。  適切かつ最小限のスコープを定義して、それを満た す製品を世にリリースすることで学びを得る、という のがMVPの考え方です。  MVPにはいくつかの種類があると言われています。   ・オズの魔法使い型MVP……一見機能するプロ    トタイプだが、中身の処理は主に人が行つてい    るもの。   ・コンシェルジュ型MVP……人が製品の代わり    に動き、製品と同等のアウトカムを提供するも    の。主にコンサルティングなど。 ・他社製品活用型MVP……他社製品を活用して  仮説検証をするもの。 ・デモ動画型MVP……動画で製品のアウトカム  を説明して仮説検証を行うもの。 ・ランディングページ型MVP……Webページ  を作り、事前登録などを促すことで市場の大き  さの検証をするもの。 ・プレオーダー型MVP……グラウトファンディ  ングなどで、事前に注文を受け付けることで市  場の大きさの検証をするもの。 ・プロトタイプMVP……実際に機能するプロト    タイプを作るもの。  オズの魔法使い型MVPは、飲食店で作られた料理 の宅配をするし呂らQ莎というスタートアップが初期 に行っていました。宅配事業を作ろうとするとき、普 通であれば、注文用アプリを作り、宅配担当者を雇い、 店舗用の受注システムを作ってトレーニングして…… と様々なものを用意しなければと考えるでしょう。し かし、{}ooらashが取った方法は異なっていました。 とあるレストランのメニューをPDF化してWebに アップロードし、ユーザーからの電話注文を起業家だ ち自身が受けて、その注文をレストランに伝えて作っ てもらい、さらに自分たちが配達していたのです。そ うすることで、たった数時間でサービスを始めること ができました。そこからユーザーのフィードバックを 得て、ユーザーは一体何か欲しいのか、どういった体 験を提供すればよいのか、といった学びを次々に得て いったのです。  このように、完璧なものを作らずとも、最小限の努 力で最大の学びを得られる方法はあります。時間をか けて完璧なものを作るよりも、より早く、そして何度 も学びを積み重ねられるので、時間をより有効に活用 できており、よりスマートであると言えます。  こうしたMVPを作って市場に出してみることで、 リアルなフィードバックが得られるようになります。 いわば、強いプレッシャーで仮説検証をする土台を整 えてくれるのがMVPです。スタートアップの世界で は「早くローンチしろ」「本当の学びはローンチして から始まる」としばしば言われます。ローンチとは製 品のリリースやサービスを実際に始めてみることを意 味します。ではなぜそう言われるのかと言えば、その ほうが、自分たちの頭だけで考えるよりも検証の精度 がよく、ずっと学びが多いからです。だからこそ、 「明日何かの実験をローンチするとしたら。何をすれ ばよいだろう」と常に問い続けるとよいでしょう。  もちろん、実際にフルスベックの製品を作らなけれ ば分からない、ということもあります。ただし稀な ケースです。「フルスペックが必要」と言ってしまう 大抵の理由は、ダサいものを作ることへの恐れや言い 訳なので、「本当にフルスペックが必要なのか」「どう すればスコープをもっと小さくできるか」を常に自問 自答するようにしてください。 身銭を切ってもらう  MVPを作り、顧客候補に見せたところ、「いいね」 「欲しい」といった良い反応が得られたとします。そ こで手ごたえを得て、早速本格的な製品を作り始めよ うとするかもしれません。しかし、少しだけ立ち止ま ることをお勧めします。なぜなら、相手が身銭を切ら なければ。それは本気ではないからです。「いいね」 「欲しい」「あったらよいと思う」「そうしたい」とい う言葉をもらったからといって、仮説が検証できたと は言えません。それらは単なる共感やお世辞である可 能性もありますし、むしろそのほうが多いからです。  たとえば皆さんも友達からアイデアを共有されたと き、関係性を壊したくないために、「いいね」「売れる と思う」とお世辞を言ってしまったことはないでしょ うか。一方で、本当に面白そうなアイデアであれば ちょっと何かを手伝ってもよいかなと思うでしょう。 しかし見込みのないアイデアであれば「忙しいから」 と断るのではないでしょうか。義理で多少は使ってあ げたとしても、もし「誰かほかの人を紹介してほし い」と言われると、体よく断るか、言葉を濁してしま うこともあるはずです。友達という断りづらい関係性 にもかかわらず、時間やネットワークを提供してくれ ないのであれば、つまり身銭を切ってくれないのであ れば、少なくともその人はそのアイデアに可能性を感 じていないということです。逆に言えば、そうした身 銭を切ってくれるかどうかが、アイデアが良いかどう かを判別するときに役に立ちます。  より具体的に言えば、「欲しい」ではなく「実際に 『今』お金を払ってくれるか」を聞いてみてください。 筆者がこれまでスタートアップを見てきた経験からす ると、インタビューで「欲しい」と言ってくれて実際 に買ってくれるのは5%以下です。インタビューでは なくアンケートだと、「欲しい」と回答した人のうち I%も購入に至れば良いほうでしょう。お金を払う約 束を書面でしてくれたら、10%から25%程度の人は 買ってくれます。書面を交わしてようやく仮説の確信 度は最大25%程度になるということです(図表5・5)。  さらに言えば、顧客からの「欲しい」「できあがれ ば買いたい」などの言葉は信用しないほうがよいで しょう。もしそう言ってきたときには、代わりにコ ミットメントを求めましょう。事前にお金を支払って もらったり、購入の約束を書面でしてもらうのです。 そうして相手の身銭を切ってもらうようお願いするこ とで、より強い検証が可能になります。  相手の時間をもらうお願いをしてみるのも、コミッ トメントを求める1つの方法です。アイデアについて のヒアリングをさせてもらった相手に対して、別れ際 に「今日はありがとうございました。次回の会議を設 定させてください」と尋ねてみましよう。もしそのア イデアが有望であれば、会議の時間を取ってくれるは ずです。しかしそこで躊躇するようであれば、おそら くそのアイデアは有望ではありません。  「この仮説を検証したいから、他の人を紹介してほし い」とお願いしてみるのも、相手の身銭を切ってもら う1つの手段です。紹介のリスクを冒して誰か別の人 や顧客候補を紹介してくれるかどうかで、提案した仮 説の良し悪しもある程度分かるからです。  「身銭を切ること」に近い英語の言葉にskin in the gameというものがあります。リスクのあるゲームに 肌身を哂している、つまり実際に自らリスクを取って 投資しているというニュアンスです。他人のお金で遊 んでいるポーカーであれば、適当に済ませたり、過剰 なリスクを取ってしまうこともあるでしょうが、自分 自身の大きな財産を賭けているポーカーには本気にな るでしょう。同様に、お金を払う、時間を使う、誰か を紹介する、といった、相手の身銭を切るようなお願 いをすることで、その人の言葉や行動が本物なのかど うかの検証が可能になります。  相手に身銭を切ってもらうようなビジネス実験を行 うことは、仮説に対して十分なストレステストを課す こととも言えます。ストレステストとは、通常以上の 負荷をかけて正常に動作するかどうかを調べるもので す。耐久試験や健全性検査と呼ばれることもあります。 製品の場合、こうした試験を実施しておき、そのよう な負荷をかけないように注意書きを加えておくことで、 事故を未然に防ぐことができます。仮説も同様に、負 荷をかけることで本当に正しい仮説かどうかが分かる のです。逆に弱いプレッシャーでは、十分に検証がで きたとは言えません。  強いプレッシャーをかけることで、間違った仮説の まま進むことは避けられますし、その仮説が真実だと 思い込んで、知らず知らずの間に「間違い続けるこ と」を回避できます。仮説の失敗の数は増えるでしょ うが、最終的には良い仮説への到達が早まります。  特に、情報が十分でない時期に立てた仮説は間違っ ている可能性が高くなります。だからこそ、仮説に対 して強いプレッシャーをかけて検証すること、つまり 積極的に仮説の間違いを見つけようとすることでバラ ンスを取るように心掛けてください。そして、こうし たストレステストを課すには、思考だけでは不十分で、 行動が必要になります。実際に、優れた起業家の多く はアイデアの早い段階から、自分のアイデアにストレ ステストを課すような行動にすぐに移っています。  それは「売る」ことです。 売る  身銭を切ってもらうための最も単純な方法は、「売 る」ことです。  お金を支払わなければならないと分かった瞬間に、 人はシビアな判断をするようになります。本当に欲し いと思う製品でなければなかなか購入してくれません。 だからこそ、売ることは強いプレッシャーをかけて仮 説を検証することにつながります。  製品ができているなら、迷わず有償で売り始めま しよう。MVPの段階であっても、売ってみるという 実験をしてみることをお勧めします。もしくはMVP すらない段階でも、「こういうものを作ろうとしてい ます。作ったら必ず届けますし、作れなければ返金を するので、今、事前予約してくれませんか」と提案し てみてください。それが仮説にプレッシャーをかける、 ということです。「使ってくれますか?」と優しく聞 くだけでは十分に仮説にプレッシャーをかけていると は言えません。  仮にもし、正規の値段で営業をして売れなかったと しましよう。売上という結果だけを見ると、ゼロかも しれません。しかし営業を通して得られた顧客の反応 や声は、学びへとつながります。営業して失注したの であれば、その理由を聞いてみましよう。それは学び であり、新しいエビデンスであり、そしてそのエビデ ンスを用いて新しい仮説を作ることもできます。  たとえば、機能のなさやワークフローとの整合性が 原因で買ってくれなかったのであれば、そうした原因 を一個一個潰していけばいいのです。そうすれば、仮 説はさらに良くなり、製品も良くなっていくでしょう。 つまり、売ることは単に売上を上げるための活動では なく、仮説検証のための活動でもあるのです。  売ろうとしたときに、「実物がないとそもそも買え ない」「この機能があれば買うかもしれない」と言わ れることもあります。もっともらしく聞こえますが、 こうした言葉は体の良い断り文句である場合が多いこ とには注意しましょう。皆さんも、買いたくない製品 を断るときにこうした言葉を伝えるのではないでしょ うか。  場合によっては、顧客候補が「無料版の提供はない のか」と聞いてくるかもしれません。そのときは無料 期間を提供するのではなく、「契約3か月以内であれ ば、いつでも無償で解約、返金できます」と、実質的 には無料期間を提供するのと同じものの、契約の手間 というコミットメントを試すことで、どれだけ本気か どうかが分かります。  スタートアップではしばしば、営業の重要性を強調 するために、「セールスアニマルになろう」と言われ ます。本番の営業を通した本気の仮説検証を経ること で、学びも大きくなるからこそ、初期はセールスアニ マルになる必要があるのです。概念的な市場ではなく、 実際の人が行き交い、お金がやり取りされる市場に出 ていくことで、本当の学びが始まります。 仮説を検証するためのコツ  ここからは仮説検証を行うためのコツをいくつか紹 介します。 得たい学びから逆算する  仮説検証で得られるものは学びであると、この章の 冒頭で解説しました。そしてその学びは、その仮説を 採用するかどうかの決断をするためか、仮説を修正し てより良くするために使われます。  仮説検証をするからには。目的としている「得たい 学び」があるはずです。どのような学びを得られれば、 仮説の確信度が増し、決断して行動ができるのか、ど ういった情報が手に入れば仮説をより良いものに修正 できるのかを考え、そこから逆算してどういった検証 をするべきかを考えるのです。得たい結果から逆算し て検証の方法を設計することで、仮説検証の精度は ぐっと高まります。  そのためにも「何を十分に知れば決断できるのか」 「何を学べばよいか」を考え、今自分たちは何が分 かっていないのかの解像度を高めましよう。その分 かっていない部分について、何を学べば十分に理解が 高まり、決断できるのかを考えるのです。  分かっていないことを明らかにしたり、どんな学び を得たいのかを把握するためにも、学びたいことを言 語化して書き出すことから始めてください。もし「何 を学びたいのか」を明確に書けないのであれば、まだ 仮説検証の段階ではなく、探索の段階であるか、仮説 マップが描けていない状態だと思ったほうがよいで しょう。複数の仮説がある場合、書き出すことは特に 大事です。検証する仮説をきちんと整理して、最も検 証するべき仮説は何なのかを常に念頭に置いておかな ければ、仮説検証の目的がぼやけてしまうからです。  仮説マップ全体から逆算をして仮説を作ったり、検 証していくのと同様に、「得たい学びからの逆算」を 意識しながら仮説検証を設計することで、その効率は 大きく変わります。「学び」という目的を意識しなが ら進めてください。 そもそも検証が必要かを考える  ここまで検証することをお勧めしてきましたが、場 合によっては、仮説検証をしなくてもよいケースがあ ります。  たとえば、   ・それほど重要な仮説ではない   ・検証のコストが割に合わない   ・検証するための時間とリソースがない  といった状況などが該当します。  こうした場合は、確信度が低く、検証もしていない 仮説があったとしても、ある程度のリスクを取って、 その仮説を検証せずに受け入れるべきときもある、と いうことです。  このようなことをわざわざ書くのは、検証ばかりし て実行をしない人もいるからです。特に間違うことを 恐れる人や小さなリスクでも取りたくない人は、念入 りに検証をしてしまいがちです。仮説を作るたびに 「今回の仮説と前回の仮説は違うので、新しく検証し なければならない」と考えて検証していると、時間が かかりすぎてしまいます。今の仮説を直接的に支持す るようなデータや事例がなくとも、似たような仮説で 得られたデータなどを用いて、アナロジー的に検証す ることもできるはずです。また検証を経ずに、すぐに 実行してみるほうが、その仮説が当たろうと間違って いようとコストパフォーマンスが良いことだってあり ます。本当に検証が必要なのか、過剰に検証をしてい ないかは常に自問自答してみてください。  ただし、検証をせずにすぐ実行する、という選択肢 を頻繁に取らないようにもしてください。検証方法を 工夫して。十分に検証コストを低くすることができれ ば。多くの仮説を検証することもできるからです。面 倒くさくてほとんど検証しないという大は、単に検証 方法に工夫が足りないだけの可能性もあります。  仮説検証をするかしないかは、検証する場合としな い場合のメリットーデメリットを見ながら考えていく べきことですが、その人のリスク耐性に大きく依存す るところもあります。自分の傾向をある程度知って、 慎重な大はなるべく大胆に仮説を検証しないようにし たり、大胆な大はむしろ慎重に検証するよう心掛ける ようにしてみましよう。 勝利条件と撤退条件、その後の行動も決めてお  検証の前に、「どのような条件を満たせば、仮説が 検証できたと言えるのか」という基準を決めておくこ とも重要です。たとえば、「SNSで10万円の広告を 出して100人が買ってくれれば、仮説の確信度が十 分に上がったと考え、実行の決断をする」と決めてお くのです。言い換えれば、仮説を検証する前に。今回 の勝利条件と撤退条件を明確にしておく、ということ です。  勝利条件と撤退条件が明確でなければ、検証が延々 と続いてしまいます。「顧客が『良い』と言ったら、 仮説検証ができたとする」といった曖昧な条件だと、 「本当に良いと思ってそう言ったのか、それともお世 辞だったのか」「良いとは一体何なのか」といった議 論がチーム内で実験後に生まれて、生産的でなくなり ます。また抽象的な言葉だけで条件を決めていると、 仮説検証の結果の解釈を変えることもできてしまいま す。  だからこそ、条件を設定するときには「数万円の契 約を4半期の終わりまでに5件得られたら、ニーズが あると判断する」「Iか月以内に○個以上、この区域 で売れれば、この新製品は全国で売る」など、なるべ く数字を用いた明確な条件を決めておくか、「チーム メンバー全員がこれに賭けてもよいと感じたら、この アイデアで進める(ただし疑念があれば必ず共有する)」 といった厳しい条件をあらかじめ定めておき、それら をなるべく事前に書いておくことをお勧めします。  人は特定の立場に立つと、バイアスがかかり、その 立場に反する情報を受け入れなくなってしまう傾向が あるからこそ、あらかじめ勝利条件と撤退条件を決め ておき、それをきちんと書いて残しておくことが大事 です。  基準となる数値を決めるのにもコツと知識が必要で す。顧客インタビューであれば「顧客候補5人程度に 会いに行って、そのうち数人が買うという反応を示 す」といったように、5人という閾値を設定すること がよくありますが、闥値をどう設定するかについては、 その領域への深い知識を要するときがあります。そし てこうした闥値は、仮説の種類やリスクの許容度に よっても変わってきます。そのため、あまり慣れてい ない人は、閾値の設定を間違って、仮説検証が成功し た・失敗したと誤って判断してしまうこともよくあり ます。もし自分が素人だと思うのであれば、様々な事 例を見ている人におおよその目安を聞いてみてくださ い。その目安をもとに、どの程度のリスクであれば自 分たちは許容できるのかを考え、闥値を上げ下げして みるとよいでしょう。  基準を決めるときには、なるべくSMARTなもの にしておくことも大切です。   ・ Specific……特定できる    ・ Measurable……計測できる    ・ Attainable……達成可能な    ・ Relevant……関係している    ・ Time-bou乱……時間制限付き  データや数値で結果が表れづらいものの場合、定性 的な調査を行って計測することもあります。注意して ほしいのは、「多くの物事は測ったほうがよい」とい う態度も重要な一方で、「すべてのものを測ることが できる」というのは間違いだ、ということです。この 世界には、まだ測れないことも多くありますし、デー 夕化や数値化にそぐわないものもあります。涸ること にこだわりすぎて、数値化できないものを無視し。 「涸れるものだけを涸る」ということを続けると、「マ クナマラの誤謬」に陥る可能性があります。この誤謬 はアメリカがベトナム戦争に負けたとき、その当時の 国防長官であるロバートーマクナマラが「測定できな いものは管理できない」という態度で臨み、定量的な 観測にだけ基づいて決断を下していたため、結果的に 判断を誤ったことから名づけられた誤謬です。それに 涸れるものだけで判断していくと、縮小再生産になっ てしまいがちです。データや涸ることは大事ですが、 そこから零れ落ちてしまうものもあることに注意しな がら、基準の設定と測定を行うようにしましよう。  もう1つのポイントは、仮説検証が始まる前に、検 証した後にどういった決断や行動を行うかを具体的に 決めておくことです。  たとえば、「顧客が5人見つかる」ことを検証の基 準としていた場合には、「5人見つかれば、この仮説 を実現するための、○○などの行動を行う」「5人見 つからなかったら、この仮説を棄却して新しい仮説を 作る」といったように、基準を満たした場合と満たさ なかった場合とに分けて、取るべき行動をあらかじめ 考えておくのです。そうすることで、仮説検証後の決 断や行動へと迅速に移ることができます。  また検証前に検証後の行動まで考えておくことで、 どういった学びを得たいかを考えることにもつながり ます。もし検証後の行動が設定できないのであれば、 その仮説検証を行う意味はさほどないでしょう。単に 情報確認がしたい、というだけの検証である可能性が 高く、そのコストを払う必要はないことのほうが多い からです。  検証のためのコストを払ってもよい仮説は。その正 誤次第で。その後の行動が大きく変わる仮説のはずで す。だからこそ、どのような行動をとるべきかを事前 に決めておくことをお勧めします。 実験ノートに記録を残す  仮説の検証をしていると、ほぼ必ずといってよいほ ど仮説は変わります。仮説が変わること自体は悪いこ とではなく、むしろ良いことです。しかし何度もルー プを回していると、仮説検証の目的や前提条件をつい 忘れてしまいます。  たとえば、「この作業に当てられるスタッフの数は I大だから、その範囲内での作業効率改善策の仮説を 考える」という目的と制約の中で始まっているのに、 検証を進めていく中で、どうしても工数をかけないと いけないことが分かって、3人がかりで行う改善策の 仮説を作って検証したとしましよう。その場合、その 改善策が正しかったとしても、最終的にはI大しか担 当スタッフを置けないので、実行ができなくなってし まいます。  目の前の課題点などを見つけると、大はついその課 題を解決したくなり、目標や制約条件を忘れて、今で きる最善の仮説を考えてしまいがちです。  それを防ぐために、仮説をきちんと書き出し。書面 として残しておきましょう。そうすれば、自分たちが 何のために仮説を作り、検証をしていくのかを振り返 れるようになりますし、ぶれることが少なくなります。  仮説を思いついたらすぐに試してみたくなって、書 くことをスキップしてしまいがちな人もいます。もち ろん、スピード勝負のときなど、仮説を書かなくても よい場合もあると思いますが、多くの場合は書いたほ うがよいでしょう。検証に10時間以上かかるような想 定であれば、仮説や検証の目的を2時間程度かけて書 いても十分にその効用は得られます。書くことで頭の 中も整理されるため、より精度の高い仮説検証ができ るようにもなるからです。  それに、仮説検証の結果を数か月後に振り返るとき や、新しく入ってきたメンバー向けに過去の仮説検証 の履歴を話すときにも、書いたものがあると随分と楽 になります。実験を伴う科学では「実験ノート」で記 録を残しますが、ビジネスにおいても仮説の実験ノー トを書いて残しておきましよう。それは個人の記録と して有効なだけではなく、組織としての知識と学びの 蓄積にもなり、中長期的な競争力にもつながっていく はずです。 外注せず、本気で実験する  学びを得る目的で行うMVPの開発や営業は、どん なに面倒でも外注しないようにしましよう。頭を使う のは自分、手や足を使うのは他人という割り切りでは、 学びがとても少なくなります。自分自身の手や足を 使って考えることは、仮説検証の重要な活動であり、 学びを得るために必要な行動です。  仮に営業を外注してしまったら、単に「売れた」 「売れなかった」という結果だけが返ってきて、それ 以外の学びを得ることはできなくなってしまいます。 仮に営業代行をしてくれた人のコメントがあったとし ても、そこから深い省察に至れることはほとんどあり ません。さらに言えば、外注先は「失敗でした」とは 言いづらいため、成功したかのように見せようとして しまい、事実と違った報告を上げたり、間違った学び を得てしまうことすらあります。  MVP開発も外注は避けるようにしてください。自 らの手で開発をする中で得られるものはありますし、 外注をすると、検証結果を改善するときにもお金が発 生してしまうようになります。改善のループを回しづ らくなってしまうのです。  もし飲食店を始めたいという人がいたときに、「メ ニューは考えるけれど、料理は誰かに任せたい」と いったら、おそらく多くの人は「それは失敗する」と 思うでしょう。それと同じことです。非エンジニアの 方がソフトウェアで起業を考えている場合、MVPの 開発を外注してしまいがちですが、まずは自分の手で 作ってみることをお勧めします。仮説行動とは、「自 分の体で考える」ことだと思い、重要な実験は自分で 行うようにしましょう。  そして実験をするときは全力で行うようにしてくだ さい。  実験を本気で行っておかないと、仮説が検証できな かった理由の中に「忙しすぎて、うまく実験を遂行で きなかったから」という理由が挙がることになります。 そうすると、仮説が間違っていたのか、実験の遂行が 間違っていたのかが分からなくなってしまい、再び同 じ仮説を検証することになってしまいます。  実験は徹底して行い、仮説の失敗と実験の失敗を切 り分けられるようにしましよう。ただし、徹底するが あまり実験にコストをかけすぎると、良い実験ではな くなってしまいます。バランスを見ながらも、検証結 果に言い訳ができない程度に本気で実行をすることが、 実験のコツです。 学びを最大化する  仮説検証や実験を経ると、何かしらの結果が得られ ます。たとえば10人中10人が「その製品はいらない」 と言ったのであれば、仮説は間違っている可能性が高 い、と判断することができます。つまり、仮説の確信 度についての学びを得ることができます。  それだけではありません。その否定的な反応の強さ といった情報を読み解くこともできます。検証の中で、 仮説に関する新しい関連情報を手に入れて、さらに仮 説を良くすることもできるかもしれません。  つまり、仮説検証の結果として得られたものをうま く加工すると、学びをより大きいものにすることがで きるのです。  起業家の皆さんを見ていて感じることは、同じ仮説 検証をして、同じ事実を得たとしても、そこからどれ だけの学びを得るのかは人によって大きく異なる、と いう点です。逆に言えば、同じような行動でも、「学 びを最大化する」という意識があるかどうかで、検証 から得られる学びの量も質も全く変わってくるという ことです。そうした視点がないと、検証結果から得ら れることは「仮説が合っていた、間違っていた」とい う学びに留まってしまいます。  ここからは仮説検証の最後のパートとして、検証に よって得られた事実をどのようにして学びへと変える のか、そして何に対しての学びを得るのかについて解 説していきます。  「得る」ではなく「練る」  検証の結果得られるのは「事実」です。事実自体も 学びの1つですが、その事実を解釈したり加工したり することで、洞察に変えることもできます。つまり、 学びとは。検証によって生まれた事実というエビデン スをもとにして作られる仮説でもあります。学びもま た「エビデンス×推論」によって生まれるということ です。  たとえば、製品のプロトタイプを作り、それを試験 的に販売するという方法を、「エビデンスを作る」例 として紹介しました。そして販売したところ「顧客が I人も買ってくれなかった」という事実が手に入っだ としましよう。これは行動によって新たに作られたエ ビデンスです。そのエビデンスをもとに、「顧客が欲 しいものはプロトタイプで用意したこの機能ではなく、 別の機能なのではないか」と考えたのなら、それは仮 説です。そして私たちはその仮説を「学び」として、 次の仮説へと活かしていくことができます。  「学びを得る」と書くと受動的で、かつ誰でも得られ るように聞こえますが、実はこの学びを得るというの はとても能動的な取り組みです。「得る」という発音 に近い言葉を使えば、学びを「練る」と表現したほう がより正しいでしょう。どこかに落ちている学びを単 純に拾い上げて「得る」のではなく、学びの素材を手 に入れた後に、自ら「練る」ことで、より良い学びへ と変わるのです。  学びもまた「エビデンス×推論」で生まれる仮説だ と紹介しました。学びを練ることも仮説生成と考える と、まずはエビデンスを押さえることが重要だと分か ります。そこで、検証結果を「事実」として認識する ところから始めましょう。人は自分の仮説に沿わない 情報を拒否する傾向にあるので、謙虚に受け止めるこ とが大事です。  また練られた学びは仮説だからこそ、「どの程度」 の学びなのか、という観点にも注意してください。I 人の顧客が「買う」と言ってくれたとしても、自分た ちの製品が最高のものだと思うには早すぎます。一度 の検証ですべての不確実性が取り払えるようなことは ありません。OかIかではないのです。もし自分自身 が楽観的なほうだと思うのであれば、結果を少し悲観 的に見るように気を付けてみましよう。もし自分が悲 観的な傾向にあるなら、多少は楽観的に物事を見るよ うに修正してもよいかもしれません。  検証の結果、仮説は否定されることのほうが多いで すが、その否定的な情報を受け止めて、立ち上がり、 新しい仮説を生み出していくことが、仮説検証のプロ セスで最も大事なところです。通俗的なヘーゲルの弁 証法で言えば、アウフヘーベン(止揚)に当たります。 自分の持つ仮説というテーゼ(正)に対して、検証に よってアンチテーゼ(反)が提供されれば、それらを 用いて、より高い次元のジンテーゼ(合)として昇華                       − させていく、という営みを意識してみましよう(4)。 否定的な情報をうまく活用することで、折衷案や落と しどころを探すことにとどまらず、テーゼを昇華させ ていくことができます。  アンチテーゼのような否定的な情報は敵のように見 えるかもしれませんが、見方によっては「より良いも のを目指すための材料」にもなります。時間の許す限 り、積極的にその材料を取り込むようにしてみてくだ さい。私たちは間違いを通して、分かっていなかった ことに気づくことができます。間違いは学びのきっか けでもあるのです。  なお、仮説検証を通じて得られる学びは、仮説につ いての学びだけではありません。仮説に直接的には関 わらない情報が手に入ったら、新たな仮説を作れるよ うになることもあるでしょう。また、これまで前提と していた知識や情報に間違いがあったことに気づくこ ともあります。これらもまた、仮説検証の結果という エビデンスを用いて、良い学びを作った例と言えるで しょう。  こうして1つの検証結果を学びへと練り上げていく ことで、仮説を取り巻く周辺の状況に対する解像度を 上げることができます。 深い省察を行う  学びを練るために重要なことは、効果的な振り返り を行うことです。ここでの振り返りとは、自らの経験 や得られた事実・データを意味づけする行為です。省 察(S9巳呂・リフレクション)と呼ぶこともあります。  振り返りとだけ書くと、単に起こったことを振り返 るだけで、そこからの学びを考えずに終わってしまう こともあるため、振り返って考えをめぐらすという意 味も含めて、本書では省察という言葉を使いたいと思 います。  実践や経験を通して学ぶときの省察の重要性は、古 くはデューイから指摘されており、昨今の学習理論の 中でも、ゴルフの経験学習やショーンの省察的実践者 という考え方の中でも強調されています(5)。  省察が上手な人は学びの量が圧倒的に多くなります。 逆に、行動して失敗したとき、失敗の意味や原囚を省 察しないまま先に進むと、ただ間違いを繰り返すだけ で終わってしまうでしょう。省察の重要性は強調して も強調したりないぐらいです。  ただし、浅い省察では不十分です。たとえば、仮説 が間違っているという検証結果から、「この仮説は間 違っていたから次を試そう」としか言えないような省 察は、表層的な情報しか得られていない浅いものだと 言えるでしょう。一方、単に仮説の正解不正解を学ぶ だけに留まらず、「なぜこの仮説は間違っていたのだ ろう?」と考え、そこからさらなる学びを練るのが深 い省察です。結果だけを捉えるのではなく、なぜそう した検証結果になったのか、その根本的な原因は何な のか、そこから言えることは何なのか……といった、 表に出ている検証結果から、その奥底にある何かを見 つけるのです。そうした省察ができるかどうかが、学 びを最大化するために重要です。  そうした深い学びを得ることを、深い省察(ディー プーリフレクション)や批判的省察(クリティカルーリフ レクション)(6)と呼びましよう。こうした深い省察 や批判的省察は、その過程で自らの中にある凝り固 まった信念や前提を疑い、時には学習棄却(アンラー ン)を行ってより適切な思考にアップデートしていく ことを含んだ、自己変容すら起こしうるものです。  仮説行動で得られた結果から深い省察を行い、自分 の情報や思考にフィードバックを与えましよう。そう することで、より大きな学びが得られ、さらに良い仮 説に辿り着くことができるようになります。  こうした深い省察を行い、学びを練るためには、高 いコミットメントと覚悟が必要です。起業志望者を見 ていても、どれだけ本気で実践するか、どれほど厳し い仮説検証をして、真に学ぶ気があるかは、その後の 活動を大きく左右します。度重なる失敗に傷つきなが らもループを回し、試行錯誤をしながら学んでいく人 たちは総じて、絶対に向上し続けようという強いコ ミットメントと覚悟を持っています。それが学びを促 し、起業家としての著しい成長を促進しているのです。  ただし、本気で行動するだけではなく、意識的に深 い省察をしなければ、なかなか効率よく学びを得られ ていないようです。起業家は行動が得意な傾向にあり ますが、そうした人ほど「省察して学びを得る」前に 再び動いて、せっかくの学びの機会を捨ててしまいま す。そんな人ほど、意識的に深い省察を行うようにし てください。  また、自分自身に対して批判的だからこそできるこ ととして、学習棄却(アンラーン)があります。これ も重要な学びであり、仮説検証の成果です。  自分が過去に学んだことは間違っているかもしれま せんし、思い込みを取り除く必要があるかもしれませ ん。単に知識をプラスしていくだけではなく、間違っ ている知識をマイナスしていくのも、大きな学びの1 つです。  たとえば大企業で学んできた人が起業したときにし ばしば気づくこととして、「事業の立ち上げ初期は、 大企業では必要たった緻密な分析はそれほど必要ない かもしれない」という学びがあります。これは大企業 が行っている確固とした事業では分析が大事だけれど、 起業のような不確実性の高い事業の場合は、分析する よりも行動したほうが早いし正確だ、といった学びで す。これは新しい学びであるとも捉えられますが、こ れまでの自分の考えを捨てるアンラーンとも捉えられ ます。  特に私たちは「捨てる」ことが苦手な傾向にありま す。だからこそ、少しでも「捨てなければならないか もしれない」と思ったときには、積極的に過去の考え を捨てましよう。それに、時間とともに環境が変われ ば、かつて正解だった仮説が正解ではなくなることも よくあります。大企業が失敗するのも、過去の成功譚 を忘れられなかったからだとはしばしば指摘されると ころです。  学ぶときには「過去の学びを忘れる」こと、そして 自分自身の間違いを認めることも積極的に行うように してください。これができるかどうかによって自分の 仮説を棄却できるかも大きく変わってくるので、実は 学びを最大化するために最も重要な態度かもしれませ ん。 アウトプットを意識する  深い省察を行い、学びを最大化するためには、何か 必要でしょうか。  まず準備が大切です。検証の準備で挙げた「基準と その後の行動を決めておく」ことで、少なくとも仮説 自体の学びは明確になります。自分自身のバイアスや 甘えを排除したうえで、検証結果自体を認識すること ができるでしょう。  漠然と「検証結果を振り返る」だと困ることもある ので、ある程度体系立てて省察することも一案です。 チームで省察するときにはKPT(Keep「 Problem( Try) やYWT(やったこと、分かったこと、次にやること)な どが振り返りの技法として使われます。  個人で振り返るときにはギブスの省察のループ(こ を意識してみることをお勧めします。このギブスの省 察のループでは、経験のあと、事実の記述から始まり、 感情、評価、分析、結論、アクションプラン、そして さらなる経験を行っていくというステップを経ます。  これらをチームなどで行うのは少し多いので、より 単純化して省察のための「F−Tループ」を同すとよ いでしょう。まず起こった事実(Ja)を書き、そこ から得られた洞察(ぼ荅{}をまとめ、次にやるべき こと(H々)を定めて、それを試して次の事実(訟巳 を得る、というループです。  たとえば顧客インタビューをしたら、その直後に学 んだことをまとめたり、過去の学びと比較してみるこ とで、検証結果からの学びはぐっと高まります。直後 をお勧めしているのは、少し時間をおいてしまうと事 実(Ja)の詳細を忘れてしまい、うまく洞察 回答ぼ)を抽出できなくなりがちだからです。また、 直後に次にやるべきこと(H司)を決めておかないと、 次のアクションを取るタイミングなども曖昧になって しまい、仮説のループが止まってしまいます。できる だけ、検証の直後に省察の時間を持つようにしてくだ さい。  ここでも大切なのが、学んだことを書き出してみる ことです。筆者が行っている起業志望者の支援プログ ラムの中で、省察と概念化のために学びを定期的に書 いてもらうようにしていますが、書いた分量とその後 の伸びには相関があるように見えます。多くを書ける ということは、学びが多いということでもあり、書け る程度には学びが構造化できている、ということでも あります。また書くというプロセスを通して事実を振 り返り、事実から得られる学びが増える、ということ もあるようです。  さらに書くことで、仲間に共有することも容易にな ります。周りに読んでもらい、良いと思った学びや異 なる観点を指摘してもらうことで、複眼的な学びを得 られるようにもなるでしょう。そして良いコメントを もらえれば、モチベーションの向上にもつながります。 言語化は大変ですが、怠らずに行うことで必ず効果は 出ます。ぜひ学びを書き続けてみてください。  また、検証結果をもとに、チームメンバーで対話す ることも強くお勧めします。個人で起業する場合と チームで起業する場合の大きな差は、チーム内での対 話による省察の有無、そしてそこから得られる学びの 大きさの違いにあるように見えます。良いチームは1 つの検証結果をもとに頻繁に議論を行い、メンバー同 上が異なる視点で情報や思考を持ち寄ることで、お互 いにこれまで見えてなかった学びを得ています。  深い学びに至るためにも、書いたり話したりと、自 分たちが体験したことや気づきを積極的にアウトプッ トしてみてください。 仮説を修正する  仮説生成から仮説検証に移り、学びを得た後には、 仮説の棄却もしくは修正を行います。  もし仮説を棄却する場合は、改めて仮説生成のプロ セスをゼロから同します。仮説の修正を行う場合は、 検証によって得られた学びを活かして仮説を修正しま しよう。  検証を経て得られた学びがエビデンスに加わること で、仮説が大きく変わることもあります。また、単に 加わるだけではなく、かつて正しいと思い込んでいた エビデンスが間違っていたことに気づくこともあるで しょう。  これを繰り返しながら、個別の仮説をより良くして いくのが、個別の仮説のループです。     利 アニー・デューク『確率思考−不確かな未来から       利益を生みだす』(長尾莉紗訳、日経BP、       2018年)     −     2 Paul Saffo气'Betting on 'Strongopinions Weakly Held1"「 6 仮説マップを生成/統合する  仮説行動の基本は、これまで説明してきた「仮説を 生成し、検証する」ことであり、検証結果から仮説を 修正(再生成)し、また検証するというループを繰り 返すことです。  ここまでは個別の仮説を中心にお話ししてきました が、本書の冒頭で解説したように、起業のアイデアの ような大きな仮説は1つの仮説だけで成り立つわけで はありません。複数の仮説がシステムとなって関連し あっています。  たとえば新規ビジネスのアイデアは、「誰に」「何 を」「どのように売るか」という、複数の仮説から成 り立っています。すでに紹介したピラミッド構造やビ ジネスモデルキャンバスなどは、こうした仮説の全体 像を図示したものです。こうした複数の仮説の関係性 と全体像を捉えながら、仮説マップ全体を作りこんで いくことが、アイデアを作りこんでいくということで す。ここまでは、個別の仮説のループの方法を説明し てきましたが、ここからは仮説マップの作り方や改善 の仕方、仮説マップのループについて解説します(図 表6・1)。  まずは基本的なマップの構造の説明から始めましよ 仮説の部分と全体を把握する 仮説には種類がある  ビジネスでは様々な種類の仮説が必要とされます  たとえば、どのような製品を作ればよいのか、どの 市場に挑めばよいのか、どのような組織で臨めばよい のか、どのチャネルを使って売ればよいのか……など など、これらの問いに対する答えを出さなければ、事 業は成り立ちません。そしてこれらの問いに対する答 えはすべて仮説となります。つまり「製品仮説」「市 場仮説」「組織仮説」「チャネル仮説」など、複数の種 類の仮説が揃って初めて、ビジネスとして成り立つア イデアとなる、ということです。  すでに定常的に利益の出ている大企業は、ビジネス に必要な複数の仮説が十分に強くなっていて、「仮説 通りに実行すれば、十分に稼ぐことができる」状態だ ということです。あとはその仮説を他社に負けないよ う効率的に実行しながら、環境の変化に応じて既存の 仮説を微調整していくことが、大企業での主な仕事と なります。  一方、新規ビジネスは、そうした仮説群をゼロから 構築していきます。つまり新規事業や起業とは、ビジ ネスを構成する複数の仮説を検証し洗練させていくこ とだと言えるでしょう。そのためにも、学習のための 思考と行動が必要なのです。  科学における仮説の束は「理論」と呼ばれることが ありますが、利益の出ている大企業は、自社で「ビジ ネスの理論」を作り上げることに成功している、とも 言えます。一方、新規ビジネスはこのビジネスの理論 をゼロから作り上げていくことです。こうしたビジネ スの理論のことを「ビジネスモデル」と呼ぶこともあ ります。  仮説としてのビジネスモデルを考えるときに、「ど の種類の仮説があれば十分か」をよく考えるようにし てみてください。そうすれば仮説マップを作りやすく なります。 上位仮説と下位仮説  仮説マップをピラミッド構造で図示すると、1つの 仮説の下にはその仮説を支える複数の仮説が存在する 場合があります。それは「仮説×推論=新仮説」で作 られた仮説を意味しています。本書では、新仮説の要 素となっている仮説のことを下位仮説(サブ仮説)と 呼びます。  この下位仮説には、種類の異なる仮説が混ざるとき があります。  たとえば製品やサービスのバリュープロポジション (価値提案)は「顧客にどのような価値を提供するか」 という問いに答える1つの大きな仮説であり、より細 かくすると「どの顧客を対象とするか」「どのニーズ を満たすのか」「どういった価格で提供するか」の3 つの問いに答えるものと言われています(士。つまり、 バリュープロポジションに関する仮説は、3種類の下 位仮説によって成り立つということです。  その他の例として、初期のスタートアップのアイデ アの構成要素として必要な仮説を取り上げてみます。 それは、   ・「価値仮説」……課題を解決することによって            生まれる価値とその程度   ・「市場仮説」……市場の大きさ、今後の成長可            能性、業界構造など   ・「戦略仮説」……E取初どのように参入し、その            後どう展開して最終的にどこ            を目指しているのか  の3種類の仮説です。  なお、今回は、初期に必要な仮説だけに焦点を絞っ ていますが、会社として軌道に乗ってくると他の種類 の仮説(組織仮説など)も必要になってくる点には注 意してください。  3つのうちの1つである価値仮説をさらに深掘りし てみましよう。この価値仮説は、バリュープロポジ ションに類似しているものと捉えると、    ・どの顧客の(顧客仮説)    ・どの課題を(課題仮説)    ・いくらぐらいで(価格仮説)    ・どうやって解決するのか(解決策・製品仮説)  の4つの下位仮説によって構成されます。これまで の総体を図にすると図表6・3のようなピラミッド構 造の3段構成となります。  さらに細分化するなら、価値仮説の下位にある価格 仮説を作るためには、どれだけの時間的・金銭的コス トで作れるのかといったコスト仮説や、競合製品の価 格に関する仮説、どれぐらいの価格だったら顧客は喜 んで支払ってくれるのかについての仮説等を考えてい く必要があるかもしれません。このように、下位仮説 はどんどんと掘っていくことができます。  ビジネスアイデアコンテストへの応募書類などを見 ていると、事業アイデアとして必要な仮説の全体構造 を理解できていないまま、アイデアを提案している応 募者がしばしばいます。たとえば、研究者からの応募 でよくあるのは、技術という解決策仮説のさらに下位 仮説に当たる部分はかなり説明されているものの、顧 客や課題に関する仮説がなく、また戦略や市場につい ても触れられていないため、ビジネスアイデアとして 評価しづらい提案などです。そうならないようにする ためにも、仮説マップを作り、必要とされている種類 の仮説を考えてみることが大切です。  また、人や状況に応じて必要になってくる仮説もあ ります。たとえば、大企業の新規事業のアイデアであ れば、「自社事業との親和性の仮説」などが必要に なってくるかもしれません。  ここまでは新規ビジネスを例に考えてきましたが、 日常的なビジネスであっても、下位仮説や仮説の種類 を考えると頭の中が整理されます。たとえば、新規顧 客を50人以上獲得する、という目標を立てたとしま しよう。そのための手段として、ウェブ広告や営業、 ダイレクトメールを送る、といった手法を思いついた とします。ダイレクトメールの場合、開封してもらっ て、そこから興味を持って買ってもらわなければなり ません。そこで開封率を20%以上にする、という仮説 を立てたとき、それを実現するためには「どういった 形状のものを」「どういった包装で」「どういったメツ セージで」といった複数の細かな仮説が必要になって きます(図表6・4)。それぞれが開封率を上げるため の仮説の一部であり、下位仮説です。必要に応じて、 それぞれの仮説を検証するべきときもあるでしょう。  このように、仮説を細分化して下位仮説を検討し、 重要な下位仮説は検証を行って、仮説マップ全体の確 信度を高めていくのです。  そこでまずは、今作ろうとしている仮説が持つべき 下位仮説や。その仮説の種類は何なのかを考えてみる ことをお勧めします。もし考えても思いつかなければ、 詳しい人に聞いてみましよう。スタートアップのアイ デアであれば、投資家に聞いてみたり、科学的に検証 が必要な仮説であれば、研究者に尋ねてみることです。 頭の中が整理できている投資家や研究者であれば、仮 説を成立させるための下位仮説を挙げられるはずです。 下位仮説を「同時に」満たすことが難しい場合  事業アイデアという大きな仮説を成立させるために は、その下位に複数の仮説が必要であることを説明し てきました。上位の仮説の確信度を高めようとしたと きには、下位仮説の確信度を高くしていく必要があり ます。  ただし、すべての下位仮説の確信度を高めようとす ると途方もない時間がかかってしまいがちです。そこ で上位の仮説の確信度に最も影響するものを見定め、 効率よく全体の確信度を上げていく、という選択をし ていく必要があります。  もしあなたが急成長するスタートアップを起業した いと思ったとしましよう。まず必要なのは、前述した 通り「価値仮説」「市場仮説」「戦略仮説」の3つです。 そこで自分の思い入れのある教育、特に学習塾・予備 校の領域を選んだとします。これは下位仮説の1つで ある市場仮説として学習塾・予備校市場を選んだ、と いうことになります。  次に必要なのは価値仮説です。国内の学習塾に関す る課題と解決策を考案し、価格もつけ、実際にその解 決策としてのサービスを物凄く好きになって買ってく れる人が出てきました。戦略仮説もそれなりのものが できたとします。これでスタートアップに必要な3種 類の仮説が揃いました。  しかし、現在の国内の学習塾・予備校市場が想定以 上に小さく、かつ短期間で急成長する見込みがないこ とが分かってきたらどうでしようか。その場合は、ス タートアップとして成長するのはとても難しくなりま す。どれだけ価値仮説や戦略仮説が良かったとしても、 市場仮説の確信度が下かってしまい、3種類の仮説が 同時に成立しないからです。  それでもどうしても教育の問題を解決したければ、 スタートアップという選択肢を諦めて、中小企業とし て学習塾や予備校を経営するのも1つの方法です。つ まり、市場仮説を満たすことを諦めて、短期間で急成 長するスタートアップのアイデアではなく、着実な成 長を求める中小企業のアイデアとして出発するのです。 中小企業のアイデアであれば、価値仮説の1つだけを 満たし、自分や従業員が生きていけるだけ稼ぐことが できれば目標達成となります。  しかし、もし急成長するスタートアップとして起業 をしたい、という気持ちが強いのであれば、何として も3つの下位仮説を同時に満たすためのアイデアを考 案しなければなりません。その場合、どんなに思い入 れがあっても、教育や学習塾という領域そのものを諦 めなければならないことも出てくるでしょう。満たす べき条件が増えれば増えるほど、同時に成立させるこ とはとても難しく、取れる選択肢は狭まってしまいま す。  さらに難しいのは、それぞれの仮説が、お互いに独 立しているわけではないという点です。  一般的な課題解決の場合、課題と解決策の2つの下 位仮説が必要です。そのとき、もし課題を選べば、そ の課題に適した解決策はおのずと絞られてきます。そ うすると、課題解決の範囲も決まってきてしまいます。 逆もまたしかりで、解決策を選べば、取り組める課題 も絞られてきます。それぞれが相互依存しているので す。  先ほどの学習塾・予備校の新しい事業の場合、市場 仮説を変えれば、価値仮説も戦略仮説も変わってきま す。価値仮説を変えれば、別の市場に変えたほうがよ り大きく成長できるかもしれません。戦略を変えたら、 価値仮説も変わってきます。すべての仮説はそれぞれ がつなかってお互いに影響を及ぼしているため、1つ を変えるとすべてが変わります。  だからこそ、仮説として同時に成立させることが難 しいとも言えます。逆に言えば、そうした難しさを乗 り越えて、同時に成立させる方法が見つかれば、なか なか他社から真似できない仮説になる、ということで もあります。  このような下位仮説の種類と関係性を理解しながら、 仮説マップ全体を作っていきましよう。  ここまでは、仮説マップの構造を考えるうえで、   ・仮説には種類があること   ・上位仮説と下位仮説があること   ・下位仮説を同時に満たすことが難しい場合があ    ること  について解説してきました。こうした基本を押さえ たうえで、ここからは仮説マップをどのように生み出 すのかについて考えていきたいと思います。 仮説マップを生成する  仮説マップは、今自分が考えている仮説全体の構造 や、仮説同上の関係性を図示して分かりやすくするた めのものです。  まずは、仮説マップのバージョンO・1を考えると ころから始めるようにしてみましよう。  ラフでもよいので仮説マップを一度作ってみること にはいくつかの効用があります。まず頭の中が整理さ れます。さらにできあがった仮説マップは「自分が一 体どの地点にいて、どの仮説から取り組むべきか」を 考える道標としても機能します。詳細に立ち入る前に、 必要な仮説が含まれているかどうかのチェックもでき ますし、自分の分かっていないところや、確信度が低 いところが可視化されるので、漠然とした不安を取り 除くこともできるでしょう。  本書では行動を重視していますが、闇雲に行動する ことをお勧めしているわけではありません。的確に行 動していくためには、まず自分の分かっている範囲で の全体像を描き、今はまだ分からないところや仮説と して弱いところを把握して、重要な仮説については検 証を通して強くしていく必要があります。行動する前 に作り、行動の指針となるのが仮説マップです。  「仮説マップを作る」と簡単に言っても、実はその作 業はとても大変です。ここからは、そのための手順を いくつかに分けて解説します。  なお、新入社員の方などは、上司が作った仮説マッ プの一部のみを切り出されて、その部分だけの最適化 を任されることが多いため、マップ全体を作る必要は ないかもしれません。しかし、その場合も、全体像を 把握して作業するよう心掛けてください。もし全体像 が見えないときは上司に確認してみましよう。全体像 を知ることで、自分のやっている作業の意味も見えて くるはずです。 仮説マップの種類  まずどのようなマップを描くべきなのかを考えま しよう。これはどのような仮説を構築したいかによっ て変わります。  ビジネスにおける仮説マップは、多くの場合以下の 4つの形を取ります。  @ ピラミッド構造  A 空パッケージ  B キャンバス  C システム図  まず@のピラミッド構造は上位仮説と下位仮説がピ ラミッドのような構造を取り、最上位の仮説を支える ことを図示します。これは頻繁に見かける形で、特に 何かを誰かに伝えたいときにしばしば使われます。  Aの空パッケージは、スライドなどで成果物を納品 するときに使われます。プレゼンを作るときにも使わ れるパターンです。  BのビジネスモデルキャンバスやりIンキャンバス、 バリュープロポジションキャンバスなど、○○キャン バスと呼ばれるものは、必要な種類の仮説を1つの図 にまとめたものです。たとえばビジネスモデルキャン バス(圉には、顧客セグメント、価値提案、収益の 流れ、コスト構造、チャネル、顧客との関係、主要活 動、リソース、パートナーを記載する欄があり、それ らが総体としてビジネスモデルという仮説を作り上げ ています。それぞれの仮説の下位仮説をマッピングす るには不向きですが、必要な仮説の種類を漏れなく マッピングするときには便利です。  Cのシステム図は、複数の要素が絡み合った複雑な 関係性を示すときに使われます。たとえば、スタート アップのアイデアに必要な仮説として、価値仮説と市 場仮説があるという話をしました。そして価値仮説の 下には顧客仮説や課題仮説があります。それぞれ、ピ ラミッドで表せば顧客仮説と市場仮説はレイヤーが違 うように見えるものの、実際にはそれぞれが大きく関 わります。市場規模は顧客の数でほぼ決まってしまう からです。つまり、顧客仮説を決めると市場仮説が決 まり、市場仮説を決めると顧客仮説も決まってしまう という依存関係があります。同じように、価格仮説は 解決策仮説に依存します。解決策に使う技術が最先端 のものだと、価格も上がってしまうからです。このよ うに複雑に絡み合う関係性や循環構造が生まれると、 ピラミッド構造だけでは表現しきれなくなります。  相互に影響を及ぼしあう要素から構成される全体の ことをシステムと呼びます。大きな仮説は、小さな仮 説群が要素として絡み合って構成されるシステムと捉 えたほうがよく、正確に描こうとすると複雑なシステ ム図になるでしょう(図表6・5)。  これらのマップには、それぞれに向き不向きがあり ます。思考を整理するときや、他人に物事を伝えると きには、ピラミッド構造で表現したほうが伝わりやす いので、基本的にはピラミッド構造を意識しながら仮 説マップを組み立てたほうがよいでしょう。しかし複 雑な仮説を単純なピラミッド構造だけで理解しようと すると、関係性の複雑さや循環構造を見誤ってしまう こともあります。その場合はシステム図で表したほう がよいかもしれません。  また、ピラミッド構造を洗練させようとしたときに、 必要な仮説の種類を忘れてしまうこともあります。そ んなときはキャンバスを使って必要な仮説をチェック するとよいでしょう。しかしキャンバスだけでは、枠 の中に記人した仮説の下位仮説がどのような構造に なっているのかを把握するのが難しいというデメリッ トがあります。そのときは各種類の仮説ごとに、ピラ ミッド図やシステム図を描いてみるべきかもしれませ ん。このように、状況に応じて、作る仮説マップは変 えていく必要があります。  さらに、ビジネスモデルキャンバスなどのフレーム ワークは汎用的に使える仮説マップですが、汎用性が 高い分、具体的な場面では使いづらいということもあ ります。そんなときは、自社やチーム独自のフレーム ワークを作ることも検討してみましよう。  たとえばAmazonでは製品を作る前に「プレスリ リース」を書くそうです(士。含まれる要素は「ヘッ ダー」「サブヘッダー」「概要」「現在の問題」「解決方 法」「コメントの引用と購入方法」などです。これら を埋めることで、顧客の視点からものを見つつ、開発 前に考慮するべきことをあぶり出すことができる、と 考えられています。これはまさに仮説を作るときのフ レームワークと言えるでしょう。  仮説の重要さや大きさに応じて求められる点は異な るため、フレームワークを使い分けるようにするのも 1つの手です。小さな仮説マップには、項目の少ない フレームワークを使い、大きな仮説マップには項目の 多いフレームワークを用意する、などです。ただいず れにせよ、フレームワークが重厚長大だと扱いづらく なってしまうので、項目数はなるべく最低限にしてお くことを意識しましょう。  汎用的な仮説マップも独自の仮説マップのテンプ レートも、仮説群の全体像を整理するための道具です。 ぜひ道具をうまく使って、仮説マップのバージョン O・Iを考える準備を整えてください。 すべての作業仮説をリストアップする  どのような仮説マップを作るかを決めたら、いよい よ仮説マップの生成です。まず現時点で持っている作 業仮説をすべて書き出してみましよう。関係性を整理 してマップにするのは、そのあとでも遅くはありませ ん。  書き出すときにはふせんを使ってもよいですし、表 計算ソフトを使ってリストアップする形でも構いませ ん。  このとき、なるべく仮説のピラミッド構造を意識し ながら、階層に分けて考えていくことをお勧めします。 たとえば課題についての仮説を作る場合、表面的に表 れている課題を起点に、ピラミッド構造を意識して深 く潜っていくことで、真の原因の整理ができるように なります。自分の解像度を可視化することにもつなが るでしょう。  図表6・6は「新しい音声メッセージアプリ」とい う新しい事業アイデアの仮説リストを表計算ソフトで 整理してみたものです。  このような作業を経ることで、抜け漏れを把握しや すくなります。最初からマップを構造化して描こうと すると、細かな仮説が抜けてしまうこともあるため、 まずは羅列から始めましよう。  チームがいる場合は、チームでリストアップを行い ましよう。抜け漏れを防ぐこともできますし、チーム 内での認識合わせにもなります。オンラインホワイト ボードを使えば、チームでの共同作業も簡単に行えま す。  まずはとにかく手を動かし、書き出してみることで す。うんうんと考えている時間があれば、どんどんと 書いてリストにしてみてください。マップにして構造 化するのはそのあとでも大丈夫です。 大きな仮説を小さく分けて構造化する  リストアップが一段落したら、本格的に構造化して いきます。ピラミッド構造は仮説マップの中でも特に 汎用的に使える構造なので、基本はピラミッド構造か ら始めることをお勧めします。  書き出した仮説の位置づけを見直しながら、どのよ うに仮説同上がつながっているのか、その背景にある エビデンスは何なのかを、ピラミッド状に結び付けて いきましょう。これはクルーピンクする作業とも言え ます。  最初の仮説マップはラフなもので大丈夫です。ス タートアップのアイデアのような、大きめのアイデア の場合であっても、ピラミッドの階層が4〜7段階ぐ らいであればまずはよいでしょう。  クルーピンクしていく最初の段階では、ピラミッド の最上位にある仮説を明確にすることを目指しながら 整理していきましょう。  最上位の仮説は、仮説マップ全体を匸一。肖でまとめた ものです。「あなたのアイデアを匸一。肖でまとめると?」 と聞かれたときの回答が、この最上位の仮説に相当し ます。たとえば、先ほど挙げた音声メッセージアプリ の例で言えば、「新しい音声メッセージアプリを作る と、売上が100億円を超えるスタートアップにな る」といった仮説です。こうした最上位にある仮説は、 今後の仮説のループ全体の方向性を決めます。下位仮 説の中でも重要なものはありますが、あくまで最上位 の仮説を支えるためのものです。最上位仮説を明確に しなければ、仮説マップを描けませんし、ループの方 向性も定まりません。  リスト化した仮説から、最も上位に当たる仮説を選 び、それを頂点に置きましよう。そのあとは、重要な 下位仮説が何かを要素分解して特定しましよう。  たとえばスタートアップのアイデアであれば、最上 位仮説の下に価値仮説と市場仮説、戦略仮説という3 つの作業仮説を置きます。価値仮説には、顧客仮説、 課題仮説、価格仮説、解決策仮説の4種類が必要なの でそれらを置き、さらに下位仮説を分解していきます。 そのうえで、先ほどリスト化した仮説をそれぞれ位置 づけていきましよう。  大きな仮説であっても、小さく分けていけば怖くは ありません。とりあえず「こうじやないか?」と作業 仮説の束を仮説マップにしてみると、どこから手を付 ければよいかが分かってきます。もしうまく分けられ ないようであれば、新しい切り囗を試したり、専門知 識を踏まえて、分解を試みてください。  そのときに使えるのは、仮説生成と同様、「’ヽVhy pO心」の質問です。ピラミッドの上位仮説から下位仮 説に分けていくためには「ミ耳?ごを問い、「なぜ そう言えるのか?」を考えていきましよう。  逆に、もし最上位仮説が不明瞭な場合は、以前にも 説明した「So Wha斤の問いかけを活用しましよう。 使えそうなエビデンスが手元にあるなら、その上位の 仮説を考えるのです。  「ミ耳?ごはピラミッドをトップダウンで考える問 いであり、「So Wha斤はボトムアップで考える問い です。これらを交互に問うことは、仮説マップの全体 を上下から挟み撃ちにするようなものです(図表6・ 7)。そうしていくことで、仮説マップの不明瞭な部 分は徐々にその姿を現していきます。  ボトムアップだけで考えていたら、全体として整合 している仮説マップを作りづらくなりますし、一方で トップダウンだけで考えていたら、自分に都合の良い 仮説やエビデンスを引っ張ってきてしまいます。だか らこそ、両側から挟み撃ちをして考えていき、構造化 することを忘れないでください。 課題仮説のマップを作る 課題仮説にまず注力する  ビジネスで普段行われていることは課題解決です。 この「課題解決」を分解すると「課題」と「解決」に 分かれます。つまり、課題解決には、「課題の仮説 マップ」と「解決策の仮説マップ」の2つが必要です。  ではどちらから手を付けるべきでしょうか。多くの 場合、それは課題仮説です。  「課題解決」というと、つい解決策や答えのほうに意 識が向いてしまうかもしれません。それに、「課題な んて分かりきっている」と思い込んだまま進んでしま うこともあります。  しかし、ビジネスにおいては「どの課題を解くべき か」も仮説であることがほとんどです。上司や顧客か ら「この課題を解いてほしい」と依頼が来ることもあ りますが、提示されたその課題も仮説でしかありませ ん。  課題に対する仮説、その中でも特にクレームとも言 える仮説は、「イシュー」と呼ばれます。そのイ シューを特定することが、課題解決で最も重要なポイ ントです。そして「解くべき課題」についての仮説で ある論点やイシューは、サブ論点やサブイシューに分 けて考えることが通常で、これらの関係性を図示した ものをイシューツリーと呼ぶこともあります。このイ シューツリーは本書で言う「課題の仮説マップ」の一 形態です。  課題解決の際は、課題仮説の仮説マップをまず作り、 それに対応する解決策の仮説マップを簡単に描いてみ ましよう。そして、解決策の仮説を深く検討する前に、 「そもそも課題仮説はこれでよいのか?」「この課題仮 説はイシューと言える程度に、クレームとして成立し ているのか?」と課題仮説を今一度考えるようにして みてください。たとえば「製品をもっと売るために、 イベントをすればよい」という仮説を直感的に導いた のであれば、「そもそも、製品が売れていない理由や イシユーは何なのか?」を考えてみるのです。そうし てイシユーと言える課題の仮説を考え、課題に関する 作業仮説を暫定的に作り、作業仮説を徐々にクレーム にしていきましよう。解決策を吟味するのは、そのあ とでもよいはずです。  研究の世界での類似した概念に、リサーチクエス チョンと呼ばれるものもあります。そしてリサーチク エスチョンの出来不出来によって、研究の質は大きく 変わるとされています。答えても意味のない疑問に、 答える努力をいくらしても意味がないからです。ここ でもやはり、解決策より課題が大事なのです。  課題を吟味せず、上司や周囲から降ってくる課題や 目の前に現れ続ける課題を解き続けるような、「解決 担当者」になることは、ある意味では楽です。そこに 「自分の設定した問いやイシューが間違っている」と いう不確実性はないからです。しかし本来考えるべき は、解くべき課題を見つけることであることを忘れな いようにしてください。課題解決が好きな人の中には、 目の前に出てきた緊急の課題や分かりやすい課題、ト レントになっている課題を解いてしまいがちで、そも そもどの課題を解くべきかを考えていないこともあり ます。そして他人からそれを指摘されると、何かしら の理由を見つけて、その課題の重要性を後付けで作っ てしまいがちです。そうはならないよう、意識的に 「これは優先的に解決するべき課題なのか?」と常に 問うようにしましよう。  また、複数名での会議を行っていると、課題と解決 策がまぜこぜに議論されてしまうことがよくあります。 はじめは課題を検討していたのに、いつのまにか解決 策の議論になっている、というようなことです。意識 して移行していればよいのですが、意識されていない こともよくあります。なので、議論をするときには 「今は課題を考えているのか? 解決策を考えている のか?」を常に意識することをお勧めします。もし課 題がはっきりとしないまま、議論が徐々に解決策の側 に寄っていると思ったときは、「課題仮説に話を戻し ませんか?」と提案するようにしましよう。  なお、課題を決めたら、取りうる解決策がほぼ決 まってしまうこともあります。逆もまたしかりで、解 決策がある程度決まったら、解きうる課題もある程度 決まります。そのため、実際には課題の仮説マップと 解決策の仮説マップは行ったり来たりしながら、同時 に洗練させていくことになります。ただしそのときに も、まずは課題の仮説マップを優先して考え、課題仮 説の影響度と確信度を高めることを意識して進めま しよう(影響度と確信度の詳細は第8章を参照)。 理想と現状を考える  課題には様々な定義がありますが、多くの場合、 「理想と現状のギャップ」です。  たとえば、2022年の交通事故死者数は約 2600人だったと言われていますが、「交通事故死 者数」そのものは課題とは言えません。なぜなら、至 るべき目標が示されていないためです。もし交通事故 死者数を年間O大にするべきだと考えれば、2600 大との問にギャップがあるため、これは課題だと言え るでしょう。しかし自動車や自転車の利便性を享受す る以上、これからさらに減らすことが難しく、 2600人であれば社会として受け入れられる範囲内 であると考えれば、今は課題がない、ということにな ります。  もちろん、それだけの数の尊い命が失われているこ とや、その周りの人の悲しみを考えれば、さらに死者 を減らすべきだと考えるのが普通でしょう。そこで 2600人を1000人にするべきだという理想を掲 げたとき、「1600人分の交通事故死を減らす」と いう課題が生まれます。理想や目標があって初めて、 課題を定義できるのです。  しかし私たちは、理想というものをきちんと意識し ないまま、課題は何かを考えようとしてしまいがちで す。仮に理想を考えたとしても、そう深くは考えずに 「ミスがないほうがよい」「リスクはゼロのほうがよ い」といった、「安易で分かりやすい理想」を設定し てしまうのです。  「課題は何だろう?」と考えることは本来、「理想と 現状のギャップは何だろう?」と考えることであり、 特に「理想は何だろう?」という難しい問いに答えな ければならない、とても大変なことです。そして「君 の課題に関する仮説(クレーム)は何だ?」と誰かに 問うことは、「君の理想は何だ?」と問うことでもあ ります。  日々の業務の中でも、「そもそもなぜこのチームは 存在するのか」「この製品は一体何をしたかったのか」 「私たちはどうありたいのか」といった理想を押さえ たうえで、自分たちの本当の課題とは何か、を考える ようにしてみてください。そうしないと、日々発生す る「課題のように見えるけれど、実は課題とは言えな いもの」、たとえば些細なミスやエラーという、分か りやすく見えやすい課題に私たちの注意は奪われてし まいがちです。  では、「理想」と「現状」を思い描いてギャップを 認識するためにはどうすればよいでしょうか。それは、 「理想の仮説マップ」と「現状の仮説マップ」の両方 を作ってみることです。その2つの間にはいくつも ギャップがあるはずで、そのギャップーつ1つが課題 だと言えます。そうしたいくつもある課題の中でも重 要なものが、優先的に解くべき課題であり、イシュー と呼ばれるものです。それを特定しましよう。そのあ と、イシューとなっているギャップを埋めるために 「解決策」の仮説マップを考えます。これが仮説マッ プを使った課題解決の基本的な流れです。 時間軸を意識する  課題が理想と現状のギャップであれば、課題には必 ず時間軸が含まれています。そして、理想に「いつ」 辿り着きたいかによって、課題は変わってきます。  交通事故死者数の例で言えば、「2年後に1000 人にする」のか「10年後に1000人にする」のかに よって、取り組む課題は変わってきます。もし2年以 内であれば、大ナタを振るうような解決策が必要で しょう。しかし10年後であれば、車の剛性の向上や都 市計画の変更で対応できるかもしれません。同様に、 事業を考えるときも、それが「今」成立しうる事業構 成にしたいのか、「2年後」の時点で事業として成立 させたいのか、それとも「10年後」に成立させたいの かによって、考えるべきことは大きく変わってきます。  新規事業は、多くの場合、「今」はその事業は成立 しない、という答えになるでしょう。成立しうるとし ても、成功確率はごく低いものになるはずです。しか し10年後であれば、様々な前提条件が変わり、成立す るかもしれません。  「市場規模が1兆円以上ある」という仮説が成立しな ければ、数百億円のビジネスを作ることは難しいで しょう。では、現時点で1兆円の市場規模がなかった ら諦めるべきでしょうか。そうではありません。たと えばUberの創業初期、「ライトシェア」の市場規模 はほぼゼロでした。隣接領域のリムジン市場ですら、 創業者たちの初期資料によると、年間約5000億円 だと見込まれていました(判)。しかし2023年には、 ライトシェアの全世界の市場規模は約10兆円だと目さ れています(士。つまり、創業当時は影響度と確信度 の弱かった市場に関する下位仮説も、時間の経過に よって強くなっていったのです。  現時点でビジネスが成立していなくとも、もし10年 後の大きなビジネスを狙うのであれば、その時点で仮 説群が強固に成立すればよいのです。現時点の仮説 マップだけを見て、弱い仮説だと思う必要はないかも しれません。10年後に成立する可能性があるのであれ ば、その可能性に賭けてくれる人からお金を調達すれ ばよく、10年後に向けて準備をしておけばよいのです。  このように時間軸を考えて、将来の変化を織り込み、 いつ成立させたいかを考えながら、「現時点では影響 度と確信度は弱いが、将来的には影響度と確信度が強 くなる仮説マップ」を作るようにしてください。そう した時間軸を意識した仮説マップを作ることができれ ば、それは多くの天が考えもしていない、「未来」を 見据えた仮説マップとなるでしょう。 仮説マップから仮説のループへ  仮説マップを描き終えたら、すでに説明した仮説の 生成と検証のループを行うことで、仮説マップの全体 を強くしていきます。  特に仮説マップの中でもまだ弱い部分や、解像度が 低くて曖昧な部分、クレームとは言えないけれど重要 な仮説があれば、そこを中心に仮説を検証しましよう。 特に仮説マップ全体に大きな影響を与える仮説があれ ばそれを選びます。  多くの場合、仮説の影響度や確信度を大きくするた めに必要なのは、新しいエビデンスです。たとえば、 「生産過程のメタンの排出量を削減した牛乳を生産し 販売するビジネス」の場合、本当に牛乳が売れるかど うかが分からないとしたら、実際に販売してみて、 「メタンの排出量の少ない牛乳を買ってくれる人が10 人いた」という新しいエビデンスが手に入れば、その 仮説の確信度は高まります。  「技術的にできるか分からない」のであれば、そもそ も事業が成り立だないので、その技術の検証から始め るとよいでしょう。「技術的には可能だが、その技術 を持っている人が協力してくれるかどうかが分からな い」のであれば、その人に相談しに行くところから始 めてください。  このように、仮説マップ全体を見渡し、本当に重要 な仮説を選び、それに対して検証を行い、間違ってい たら修正を繰り返していきます。つまり、仮説のルー プです。そのとき、思考だけではなく行動も伴った仮 説のループを同して、より強く検証を行うことも忘れ ないようにしてください。 仮説を仮説マップ全体に統合する  重要な仮説を検証した結果、その仮説が全く的外れ だったとしましよう。すると仮説に大規模な修正が行 われます。その結果、新しく良い仮説ができたとしま しよう。それ自体は喜ばしいことです。しかし、その 新しい仮説を仮説マップの中に位置づけようとしたら、 他の仮説と相性が悪かった、ということも起こりえま す。  たとえば、音声メッセージアプリのプロトタイプを 作り、実験をしていく中で、当初想定していたような 若者の消費者ではなく、壮年層にビジネス用途として とても利用されていることが分かったとしましよう。 そこで製品をよりビジネス用途に変えていく判断をし たとします。つまり、製品仮説を変えるということで す。それを仮説マップの中にうまく埋め込もうとする と、顧客仮説が変わり、想定される市場規模も変わり ます。仮説マップの中の市場仮説にも影響が出てくる ということです。さらに戦略仮説も変わらざるを得ま せんし、チャネルもマーケティング方法も変わってく るでしょう。つまり、1つの仮説を修正すると、その 仮説が関係している仮説も変わらざるを得ず、仮説 マップ全体を見直す必要が出てくるのです。  他の仮説も簡単に修正できればよいでしょう。しか し、これまで若者消費者向けのアプリしか作ったこと がなく、ビジネスパーソン向けのチャネルやマーケ ティングのノウハウを持っていないとしたらどうで しようか。良い製品を作れたとしても、チャネルや マーケティングでは弱い仮説しか作れません。そうな ると、その製品を売れるかどうかが分かりません。自 分たちの既存のノウハウを優先するなら、新しく見つ かったビジネスパーソン向けのアプリという製品仮説 は採用しないほうがよい、という判断になるかもしれ ません。  仮説マップはシステムであるということをお話しし ましたが、システムの要素である1つの仮説が変わる ことによって、仮説マップというシステム全体にその 変化は波及していきます。単体の仮説としては優れた 仮説のように見えても、他の仮説との相性が悪ければ、 全体から見ると優れた仮説とは言えません。  仮説のループを同した後に取り組むのは、個別の仮 説を全体へと統合し、全体が整合する仮説マップにな るよう調整していくプロセスです。この統合には絶妙 なバランス感覚を必要とします。実際、「こっちを立 てればあっちが立たず」という状況は往々にして起こ ります。また、仮説マップ全体を俯瞰して、矛盾がな いかどうか、別の仮説が弱くならないかとチェックし ながら、ときには仮説マップ全体を大きく修正してい く必要もあります。仮説マップのシステム全体を把握 していなければ、修正された仮説をうまく評価できま せんし、職人技とも言えるバランス感覚が必要とされ ます。大局観のある視野と時間的な変化を考慮した決 断が求められる作業です。  個別の仮説のループを回してリスクを減らし、仮説 マップへの統合を行い、仮説マップ自体の修正や、と きには仮説の調整を行いながら、全体のバランスを見 て仮説マップを強くしていく。それが仮説マップの ループです。  このループの中では、仮説マップの生成と、個別の 仮説の統合と調整という仮説マップの修正が何度も行 われます。このループを繰り返して仮説マップ全体の 影響度と確信度が十分に高まれば、業績のための行動 へと移っていきます。  これが「マップ」と「ループ」の全体像です。 7 ループの停滞を回避する  最初のほうはループが回っていたのに、次第にルー プが回りづらくなり、進みが徐々に遅くなることがあ ります。  「筋の良い仮説が作れない」「勝ち筋が見えない」と いった仮説生成に詰まるときもあれば、「これ以上検 証しようにも検証する手段がない」と仮説検証に詰 まってしまうときもあります。「仮説はうまく作れた けど、仮説マップに統合しづらい。マップ全体を捨て るか、それとも良さそうな個別の仮説を捨てるか、判 断できない」という状況もあるでしょう。一度ループ が遅くなると、そこから迷いや悩みが生まれて、さら に進みが遅くなる傾向にもあります。  遅くなってしまうときは必ず来ます。それは仕方が ないことです。そんなときに立ちすくまずに先に進む ために、いくつかのコツを知っておきましょう。ここ からはそのコツを段階に分けて解説していきます。 仮説マップのループを回すコツ  ループには「仮説マップのループ」と「仮説のルー プ」があります。ここではまず、「仮説マップのルー プ」を回すコツを紹介します。 最初から完璧を求めない  仮説マップが作れずに、そもそものループに入れな い、という人に時折出会います。完璧主義な方や全体 像の把握を好む方がそうなってしまいがちのようです。 そうした方々にお伝えしたいことは、最初から完璧な 仮説マップを目指さないようにしたほうがよい、とい うことです。仮説マップの全体像はえてして、ループ を進めていく中で、マクロとミクロの行き来の中から 見えてきます。最初から完璧な仮説マップが見えてい ることはないため、ある程度のものが作れたら、個別 の仮説のループへと向かっていくことをお勧めします。  全体像を把握してから動きたい、という人もいるよ うですが、仮説マップを完全に描こうとすると、それ だけでかなりの時間がかかってしまいます。全く仮説 マップがないまま個別の仮説のループに入ると迷子に なりますが、仮説マップを作ることに時間をかけすぎ ると、その場から全く動けず、迷子にすらなれません。 まずは歩き始められる程度の仮説マップが描けたら、 あとは行動しながら全体感を掴んでいきましよう。  仮説マップの中に複数の仮説があり、それら全部に 自信がない、という相談を受けることもあります。そ んなときは、仮説を仮置きするのも1つの手法です。  何かのマーケティング施策を考えるときに、「誰を 対象にするか」「どの程度の予算で行うか」「どの製品 を推すか」「どのチャネルを使うか」「どのようなメッ セージングをするか」といった変数が5つあり、それ ぞれの変数に5つの可能性があるだけで、合計で5の 5乗の選択肢、つまり3125の選択肢があります。 これらすべてをくまなく探索して検討し、最終的に1 つに絞り込む、ということをしようとしたら、どれだ け時間があっても足りません。そこで5つの変数のう ち、4つを決めて(つまり4つの変数は仮説として定め て)、残る1つの変数の中の5つの可能性を探索した ほうが圧倒的に速くなります。  今回の例では5の5乗の選択肢でしたが、一般的な ビジネスシーンではこれ以上の変数や選択肢があるで しょう。お金も時間も限られています。だからこそ、 今はまだ自信がなくても、いくつかの仮説は仮置きし てしまって、歩き始めましょう。歩いていく中で、手 掛かりが見つかるはずです。 変化の連鎖を引き起こす  解決策の仮説マップを描いてみると、複数の仮説が 複雑に絡み合っていて、変化を引き起こせそうにない、 と絶望しそうになることもあります。  たとえば、特徴的な食器を欲しかっている顧客向け に、新しいコンセプトの食器店を開こうとしたとしま しよう。このとき、食器メーカーが特別な食器を作っ てくれなければ、消費者がその食器を買ってくれるか どうかが分からない、けれどメーカーにとってみれば、 まだ売れるかどうか分からないものを生産することは リスクなので、まずは売れることを示してほしい、と 言われたとします。このような場合、お互いに見合っ て、「何も起こらない」という状態で均衡してしまい ます。  もしあなたが分析家であれば、「ここには鶏と卵の 関係がある」といった分析をするだけでよいかもしれ ません。しかし、起業家やビジネスパーソンの多くは、 こうした状況を打破するのが仕事です。的確に分析で きたことに満足して止まっているようでは、仕事をし たとは言えません。  そこで解決策の仮説マップ全体を改めて俯瞰して、 どの下位仮説からであれば少しでも動かしうるのかを 考えます。自分たちが変えうるところを探して、そこ から仮説マップ全体の構造を変えていくのです。  ときには、リスクを自ら引き受けて、その状況を動 かすこともできます。たとえば、貯金から100万円 払い一定量の食器を作ってもらうことで、実際に売れ るかどうかを検証できるようになるでしょう。そうし て食器が売れたのであれば、それを実績にして、他か らお金を借りてさらに増産したり、食器メーカーと協 働してさらに違う食器を作ったりすることもできるか もしれません。最初の100万円が無駄になるリスク もありますが、何かを動かし始めるときには、誰かが そうしたリスクを取らなければならないことが多く、 そしてそうしたリスクを取れる人がその後成功の果実 を得ることができるのです。  鍵となる特定の仮説の状況を変えることで、次に変 えうる別の仮説を見つけることもできます。そうして どんどんと仮説マップに変化を起こしていき、仮説 マップ全体を変え、最終的に理想の姿へと近づけてい くための方法を探すようにしてください。 仮説マップを更新し続ける  ビジネス環境の変化を見ながら、仮説マップ全体を 常に見直すようにしましよう。ビジネスの状況が変わ ると、いくつかの仮説が影響を受けます。その状況に 対応しようと1つの仮説を変えると、関連する他の仮 説も変わらざるを得ず、さらにその仮説に関連する仮 説も影響を受け……と、仮説マップ全体に変化の影響 が波及していくからです。  スタートアップの初期のアイデアは、価値仮説、市 場仮説、戦略仮説の3つから成立すると説明しました。 たとえば、スタートアップが順調に成功してきて、挑 む市場を少し変えて、より大きな市場を狙うことに なったとします。そのタイミングで、顧客層はアー リーアダプターからマジョリティへと変わります。そ うすると、顧客層が何を価値と考えるかも少し変わる ため、価値仮説も変えなければなりません。課題が変 わると、既存の解決策の仮説も変えなければ対応でき ません。ちょっとした変更のように見えても、それを 解決するための仮説はかなり大きく変わらざるを得な いときもあります。少し市場を変えただけだと思っだ のに、仮説全体の整合性が取れない、といったことも 起こるでしょう。なので、全体として整合性のある仮 説群になっているかどうかは、常にチェックしておく 必要があるのです。  それに、一時はよかったとしても、状況が変われば 仮説の有効性も変わっていきます。  たとえば、カメラ業界に訪れた変化は1つの例です。 昔は確かにカメラにニーズはあり、顧客ニーズの仮説 は検証できていたと言ってよいでしょう。しかしス マートフォンにカメラが搭載されていくと、カメラ愛 好家以外の消費者のニーズは変わり、「より高性能の カメラを作れば売れる」という仮説は弱くなっていき ました。それに気づけなかった、あるいは気づいてい ても動けなかったカメラメーカーの多くはその後苦境 に陥ってしまいました。組織として自分たちの根本的 な仮説の見直しができていれば、異なる結果を得られ たかもしれません。  さらに、自分たちが仮説を実行することで社会に影 響を与えようとするのがビジネスです。私たち自身が 働くことで、取り巻く状況も否応なく変わるため、か つて有効たった仮説の多くは、その有効さを徐々に 失っていくことになります。  たとえば事業を進める中で、最初のマーケティング の仮説がうまくいったとしましよう。そのマーケティ ングで獲得できる顧客をほとんど取りつくしてしまっ たら、異なる顧客層に対して新たなマーケティングを 構築していく必要があります。そのときには、新しい 仮説が必要になってきます。  ビジネスは科学の仮説検証とは異なります。社会は どんどんと変わっていきますし、ときには自らの仮説 の成功によって社会に直接影響を与えます。つまり、 私たちは実行してからも学び続ける必要があるという ことです。それを忘れないようにしてください。 仮説のループを回すコツ  仮説のループは「仮説生成(仮説修正)」と「仮説検 証」の2つで構成されており、それぞれでループの流 れが「詰まる」ときがあります。そうした状況で、詰 まりを解消するためのコツを紹介します。 エビデンスの獲得に立ち戻る  新しい物事に取り組み始めたときや、仮説のループ をまだ回していないときは、仮説を複数生み出すこと は簡単です。しかしループを回して検証を進めていく と、思いつく仮説がすべて良くないと分かり、次第に 仮説の在庫がなくなって、新しい仮説がなかなか生ま れないことはしばしば起こります。いわば「手詰ま り」を感じるような状況です。その状態で、仮説が思 いつかすに延々と時間だけが過ぎてしまったという経 験がある人も多いのではないでしょうか。  そんなときはインプットへと戻ることをお勧めしま す。仮説がうまく出ないときのほとんどの原因は。エ ビデンスが不足しているからです。  仮説をアウトプットできないことに悶々と悩むので はなく、アウトプットは一時的に止めて、少し幅広く 情報を獲得しに行ってください。そうしたエビデンス は仮説の素材にもなりますし、多面的なインプットは 刺激となって、新しい発想も生まれてくるはずです。  良い仮説に至るためには、驚くほど大量のエビデン スが必要になることがほとんどです。皆さんが「ああ、 自分は十分情報を集めることができた」と最初に思っ た段階から、おそらくその10倍以上のエビデンスが最 終的には必要になることを覚悟しましよう。  ただし、「完璧なインプットができてからアウト プットする」のではなく、「アウトプットが出せなく なってきたら、インプットに戻る」という気持ちでい ることが重要です。インプットは始まりではなく、あ くまで戻ってくる場所だということです。それに、ア ウトプットしたり、行動したりすることは、より良い エビデンスを得るためには不可欠です。もし仮にイン プットが不完全でアウトプットに間違いがあっても、 後で直せばよいだけだと割り切るぐらいのつもりでい ましよう。  学ぶことや知識を溜めることは、やれば間違いなく 積みあかっていくので、事業も進んでいるように勘違 いしてしまいがちです。しかし、インプットだけでは 事業は進みません。大量の情報収集だけで安心してし まわないよう、気を付けましよう。 思いとこだわりを持つ  仮説の修正ではなく、全く異なる仮説を生成したく なることもあるかもしれません。ただ、そのときにも、 何かしらの思いやこだわりを持つことが重要です。  こだわりは、ミッションやビジョン(ぎ已、特定 の顧客や市場(ぎ艮)、解決方法である技術(コミ)、 どれでも構いません。  たとえばロボット技術を使いたいのであれば、口 ボットという軸を持って、その周辺領域を探索しま しよう。最初は飲食店におけるロボットのニーズを検 証して、ないことが分かったとしましょう。そのとき は、あくまで「その領域での」ニーズがなかったとい うことです。ロボットのすべてが間違っているわけで はありません。ロボットが使いたいのなら、工場や宇 宙といった市場を試すことだってできるでしょう。  スタートアップでは、事業の方向転換をピボットと 言います。バスケットボールで、1つの軸足を中心に、 もう一方の足を大きく動かすことからきている言葉で す。多くのスタートアップは細かな改善を繰り返しな がら進みますが、ときにはピボットのように大きく方 向転換する必要があるときもあります。しかしそのと きに、軸となるようなこだわりを持っておかないと、 ピボットではなくジャンプになってしまいます。  もちろん、ときにはこだわりを捨てることが必要に なるかもしれません。ただ、こだわりを捨てる前に、 こだわりとなっている軸を中心に探索をして、改めて 仮説検証をしてみましよう。そのほうが迷う期間を少 なくできます。  ただし、こだわるべきポイントとそうでないポイン トがあることには注意してください。たとえば、ス タートアップの形で起業をしたい場合、大きな市場、 もしくは今後急速に大きくなる市場でなければ、急成 長は果たせません。にもかかわらず、小さな市場での 顧客課題にこだわってしまうと、成功するスタート アップにはなれません。その場合はスタートアップと いう選択肢を捨てたほうがよいでしょう。自分のやり たいことにはどのような種類の仮説が同時に成り立つ 必要があるのか、何にこだわりたいのかは、検証期間 中は常々自問自答しておくべきだと言えます。そうし たこだわりがなければ、検証結果に過敏に反応してし まって右往左往してしまうだけです。自分の思いやこ だわりを大切にしながら、検証を重ねてより良い仮説 に辿り着いてください。 短期間で検証する手段を考える  ループをいかに速く回すかを考えるとき、検証手段 の時間軸を意識しましよう。手段は、以下のように時 間軸別に整理できます。   ・1分のループ………検算、具体例への適用   ・1時間のループ……他人との議論や壁打ち、    ヒアリング   ・1日のループ………机上での調査    ・I週間………………小さな実験    ・Iか月以上…………大きな実験(プロトタイプ    を作るなど)  仮説を思いついたら、すぐに誰かに聞きに行って反 応を見て検証し、仮説を修正すれば、わずか1時間程 度で仮説のループを回せます。  もちろん、I週間かければより大きな学びが得られ るかもしれません。しかしI週間かかるのであれば、 1年にり一回しか仮説検証のループを回せません。しか し1日でループを回せれば、1年で365回の検証が 可能です。1時間で回せれば、その24倍の8760回 です。仮にI回当たりの学びは小さくとも、52回の ループで得られる学びと、8760同から得られる学 びの総量は、おそらく後者のほうが多くなるでしょう。  このように、I回のループ当たりの学びではなく、 ループの回数とI同当たりの学びを掛け算した学びの 総量を比較して、どちらがより大きく、そして早く決 断できるのかを考えて適切な検証の手段を取るのが、 仮説のループを速く同すコツです。  お金をかけてでも、速くループを同すことにコスト メリットがある場合もあります。もしループを回すの が遅く、I週間多くかかってしまったら、単純に考え ればI週間分の人件費が使われたことになります。し かもそれが、仮説に関わる人数分だけコストとなりま す。人件費はコストとして見えづらいですが、どんな に小さなプロジェクトでも、I週間伸びると数十万円 の支出になるでしようし、大きければ数百万円のコス トが発生しているのが通常です。逆に考えれば、顧客 インタビューをすることに多少お金を払っても、I週 間ループを早めるほうが、実はコスト的にもよい、と いうことはしばしばあります。  特に仮説行動の初期段階では、机上の調査をすべて 自分I人でやろうとするのではなく、まずは人に聞い て概要を掴んだり、信頼できる参照先を紹介しても らったほうが早く検証できるというヶIスは多々あり ます。人に聞くことを躊躇せず、積極的に行うように しましよう。 考える作業と考えずにできる作業を分ける  検証は考えるだけにとどまらず、行動を伴うことが 多いものです。たとえば「仮説が正しいかを検証する ために、アポイントメントを取る」などはメールを書 くという行動が伴いますし、他人へのお願いは気が重 く、億劫だったりもします。  そういうときは、とにかくやるべきことを整理して、 頭を使わずに実行できるタスクヘと落とし込みましよ  大に会うのであれば、10人の名前をリストアップし て、あとは機械的に連絡をするところまでなるべく早 く持っていくのです。タスクに落とし込めさえすれば、 「あとはやるだけ」になり、頭を使わない作業になり ます。そうすれば、あとは粛々と実行するだけです。  考える作業と考えない作業、いわば頭を使う作業と 体を使う作業を同時にやろうとしてしまうと、手が止 まってしまう人は多いようです。そうならないために も、考える時間と行動する時間を、なるべく分離しま しよう。  タスクに落とし込んだときには、締め切りやスケ ジュールにも気を付けるようにしてください。いつま でに実行すればよいかを明確にしておかなければ、夕 スクはつい後回しになってしまうからです。またスケ ジュールを意識することで、1日に何個のタスクをや ればよいかも逆算できるようになります。たとえば、 I週間で10人と会う必要があれば、1日に2人ずつぐ らいと会わなければ問に合わないことが分かります。  スケジュールを組むと、重要度の高いタスクと低い タスクも分別できるようになります。そうした判断を するうえでも、タスク化し、スケジュールを組み、優 先順位付けなどの整理をして、「あとは行動するだけ」 という状況を素早く作りましよう。 他人を巻き込む  検証に詰まるときの最も多いパターンは、今の自分 に検証する手段がない、というものです。たとえば何 かを作りたいと思っているのに、自分にはそれを検証 する技術や実験設備がない、あるいは、この研究者に 聞けば分かるのに、そこに伝手がない、といった場合 です。  そんなときは、実験のスコープを最小化したうえで、 その技術を持っている実験の協力者を探してみましよ う。お金が必要であれば、なんとかお金を集めてきま しよう。ここで必要なのは「なんとかする」ために、 誰かに協力を求めることです。  こうした依頼をするときのコツは、数を撃つことで す。数撃てば当たるのもそうですし、そもそも撃だな いと当たりません。協力してくれる可能性が低いとし ても、何人にも当たっていればその中のI人は協力し てくれるかもしれません。たとえば、それぞれの人が 協力してくれる可能性が10%だとしたとき、10人当た れば、誰も協力してくれない可能性は90%の10乗で約 35%です。逆に言えば10人当たれば約65%の確率で誰 かは協力してくれることになります。そのためにも、 とにかくアタックリストを作ってみて、片っ端から連 絡することをお勧めします。  ただ、そうした協力者候補の数が少なく、数が撃て ないときがあります。たとえばある研究領域の研究者 の協力が必要だが、その研究をしている人は日本に10 人しかいないといったときです。そんなとき、周りを 巻き込む可能性を上げるためにはどうすればよいで しょうか。  1つの手段が、世界に目を向けることです。日本の 研究者が10人しかいないとしても、世界を見渡せば 100人いるかもしれません。もちろんハードルは上 がりますが、海外にいたとしても協力してくれないわ けではありません。範囲を広げて協力者を探すと、意 外なところから意外な人につながったりするものです。  もう1つの有効な手段として、仮説マップの中の別 の仮説で進捗や成果を出すことが挙げられます。たと えば、技術的な実現性が最も大事であることは理解し ているものの、技術が手元にないならいったんそれは さておき、まずは営業をしてみて、「実現できれば買 う」という人をあらかじめ確保してから、技術者に相 談に行ってみるのです。そうすれば、協力候補者が 「このアイデアには可能性があるかもしれない」と考 え、検証に協力してくれるようになるかもしれません。  このように、「この仮説が証明できれば、こっちの 仮説に協力してくれる人が見つかるかもしれない」と いったドミノ倒しを起こしたり、1つの進捗を出すこ とで、それをもとに誰かを巻き込み、大きな進捗を実 現してより多くの人を巻き込んでいく、といった「わ らしべ長者」を短期間でどんどんと起こしていくこと で、必要なリソースを外部から連続的に獲得して、大 きな成果を生むことができます。 良い環境に身を置く  ビジネスにおける仮説検証は社会との共同作業だと 考えたほうがよいでしょう。新製品の開発は、「この アイデアはどうでしようか?」と社会に提案して、社 会から「いや、それだと少し受け入れられない」「こ うしたらいけるかもしれない」といった反応を受け取 る対話です。  自然科学の実験は物理現象や生物現象を通じて実験 を行います。そうした実験は、この世界がどのように 作られているのかを理解していく営為であり、いわば 自然との対話であり、神との対話だとも言えます。一 方、ビジネスは社会との対話です。しかし社会は自然 や神のように不変というわけではありません。その意 味で、ビジネスの仮説検証とはいわば顧客や社会との 対話を通して、時には社会を変え、時には自分を変え ていく共同作業です。これは対話であり、説得ではあ りません。自分の仮説が正しいのだ、と周りを説得し ていくのではなく、あくまでお互いが変わっていくた めのプロセスです。  逆に言えば、感度の高い顧客に出会えず適切な環境 に身を置けなければ、良い共同作業はできず、良い仮 説検証もできません。スタートアップにとっては、誰 が最初の顧客になってくれるか、そしてどのような フィードバックを得られるかによってその後の方向性 が大きく変わります。シリコンバレーがソフトウェア 企業の聖地になっている理由の1つとして、その地域 には先進的なニーズを持つ優れた顧客がたくさんいる、 という環境の側面は見逃せません。さらに、そこにい る顧客が新製品に寛容で、未熟な製品であったとして も良いフィードバックを返してくれるという環境があ れば、良い製品がどんどんと育ってくるのも当然です。  もし仮説検証や仮説生成のループが回らないのであ れば、あなたのいる場所が悪いのかもしれません。そ の場所を少し変えてみると、人の紹介などを簡単に受 けられるようになり、思いのほか早くループが回り始 めることもあるはずです。たとえば起業であれば、起 業支援プログラムに入ってみるのも1つの手です。  自分の能力だけではなく、身の回りの環境にも目を 配ってみてください。 ホットとクールを使い分ける  ケンブリッジ大学で教鞭をとった新古典派経済学を 代表する経済学者、アルフレッドーマーシヤルは、あ るべき経済学者の姿として「クールヘッド、ウォーム ハート」と述べたそうです。冷静な頭脳と温かい心を もって、社会の課題を解決することが経済学者に求め られる姿勢である、という意味だと言われています。  この言葉を借りれば、本書で説明してきた仮説生成 と検証は「ホットな心で仮説を生成し。クールな頭で 検証する」ことだと言えるでしょう。意識的にこれら の思考を切り替えながら取り組むことで、より良い仮 説を作っていくことができます。  仮説生成の際に熱い思いがなければ、大胆な仮説は 作れません。熱い思いがなければ理想も描けず、課題 もありきたりのものになってしまうでしょう。しかし 熱い思いだけで突き進めばよいというわけではありま せん。検証は数字などを用いてクールに行い、間違い なら間違いと認める必要があります。決断に際しては 冷酷な選択を取らなければならないこともあるでしょ う。決断したら、それを進めていくために熱い思いが 再び必要になってきます。  仮説行動とは、このように冷静と情熱の間を行き来 しながら進めていくようなものです。しかしえてして、 人は冷静さだけを高く評価してしまい、情熱を忘れて しまう人も多いのです。  冷静と情熱の間にはバランスが必要です。情熱があ りすぎて冷静さがなければいつか大きな失敗をするで しょうし、逆に冷静すぎてしまうと、新しい仮説が生 まれなかったり、大胆な仮説は生まれません。仮説の ループを回すということは、冷静と情熱とをタイミン グによって使い分け、うまくバランスを取りながら進 めていくことです。  仮説行動が苦手という人の多くは、これらの頭の切 り替えが単に苦手なだけのように思います。それぞれ を「うまく使い分けられているか」をチェックしなが ら進めることで、苦手意識を多少は克服できるでしょ う。特に仮説生成のときには、熱い心を忘れないよう にしてください。  これをI人ですべて行うことができる人もいれば、 情熱的に仮説をどんどんと生み出す人と、仮説を冷静 に検証する人に手分けしてチームで進めていく人もい ます。個人では難しければ、チームで役割分担をする ようにしてみるのも1つの手でしょう。チームとして、 ループを同しやすい体制を構築することも考えてみて ください。 モチベーションを維持する  締め切りのある仕事であれば、無理やりにでもルー プを止めざるを得ないですが、起業準備のように締め 切りがない取り組みの場合は、延々とループを回せて しまいます。仮説を棄却してばかりで、ただひたすら ループを回し続け、なかなか答えが出ないという時期 が訪れることもあります。むしろ筆者の知る限り、ほ とんどの起業家たちはそうした混迷の時期を過ごして います。  曖昧で不安定な状態はストレスを生み、精神的にも 疲弊します。スタートアップであれば、仮説のループ を続けているときには売上は上がらず、日々出ていく お金に胃がギリギリとするでしょう。探索の中で希望 の光となる仮説が見えたと思ったら、その後の検証で すぐに仮説のダメな点が浮き上がって、最初からやり 直す、ということもしばしばです。  進捗はモチベーションの源だと言われますが、こう した探索期間は目に見える進捗が少ないため、どうし てもモチベーションが下がりがちです。一方、進捗を 出そうと焦って影響度の小さな仮説に飛びついてしま うと、本来目指していた方向からずれてしまい、結果 的に回り道になってしまうということもよくあります。 技術畑出身の起業家であれば、ビジネスで結果が出て いないときに、進捗の見えやすい技術開発ばかりに時 間をかけてしまうこともあるでしょう。試験前に部屋 の片づけを始め、本来やるべきことから目を逸らすよ うなものです。  こうした探索の時期を乗り越えられるかどうかが、 ループを効果的に回す最大の難所の1つだと言っても よいでしょう。宙ぶらりんの状態を回避せずに立ち向 かい、もどかしさや曖昧さに耐えられるという、ある 種の知的体力と精神力を発揮する必要があります。ネ ガティブーケイパビリティとも呼ばれる能力に相当す るかもしれません。  さらに難しいのが、ビジネスにおいてはチームで動 くことがほとんどだということです。I人であれば、 自分のモチベーションや体力だけで乗り切れる部分は あります。しかしチームだと、全員のモチベーション を維持する必要が出てきます。進捗がないと、お互い のことを責めたりもしてしまいます。もし重要なメン バーが抜けてしまうと、ループを回すためのスキルを 持つ人がいなくなり、ループを回す速度が落ちて、さ らにチームから人が抜ける、という悪循環に陥ってし まうこともあります。リーダーは単に仮説のループを 素早く回すだけではなく、チームのモチベーションを 上げ続けるという別の役目も担う必要があります。で はどうすればよいでしょうか。  まずは仮説マップの全体像を示しましょう。自分た ちがどこにいるかが分からないときに、人は不安を感 じます。リーダーは、自分たちがどこを目指していて、 そのために次は何を学ぼうとしているのかを明確に伝 えましょう。目指すべきミッションやビジョンなどを 語るだけではなく、そこに至るための道筋の全体像と、 自分たちはその道筋の中のどこにいて、どういった学 びを得ようとしているのかをきちんと描いて伝えるこ とが大事です。  失敗しても、学びが得られていればそれが進捗であ ることも明確に伝えてください。そのためにも、何を 学んできたのかを整理しておくことが大事です。学び がなければ「やって失敗した」という徒労感しか残り ません。  そのうえで、チームを鼓舞するようにしましよう。 事業に進捗が出ていなくとも、メンバーの働きに感謝 はできますし、人はそうした小さな感謝でモチベー ションを維持できるものです。  また、そもそも探索に向く人とそうでない人がいる ことにも気を付けましよう。不確実性の高い探索の時 期には、その不安定さに耐えられる人や楽しめる人を 集めておくことを忘れないようにしてください。  ここまでモチベーションを上げる方法を解説してき ましたが、何か新しいことを始めた最初の2〜3年は 魔法にかかったようにモチベーションが高い状態が続 きます。なるべくその時期に探索を終わらせることが 一番です。もしそれ以降も探索が続くようであれば、 一度解散をして仕切り直すか、もしくはメンバーを再 構成することも検討してみてください。 最初の仮説を十分に良くする  仮説検証を何度も行う前提であれば、最初の仮説は 質が悪くてもよいと思われるかもしれません。理論的 には確かにそうなのですが、現実的にはそうではあり ません。  なぜなら、十分に良い仮説でなければ、顧客からの フィードバックが得られなかったり、仮説を育てるた めの協力を得られなかったりするからです。つまり、 十分に良いクレームを作れなければ。仮説のループを 回し始めることができないのです。  最初の仮説があまりにも見当外れのものであれば、 多くの人からの協力を取り付けることができません。 たとえば「I十Iは3だ」というクレームを提出して きた人に「検証を手伝ってほしい」と言われたとして も、多くの人はそれ以上付き合おうとは思わないで しょう。  同様に、明らかに筋の悪いアイデアを検証しようと しているときには、顧客候補を紹介してもらうのにも 苦労します。紹介を依頼された人が「あまり良くない アイデアを持つ人に、知り合いを紹介したら自分の評 判が落ちてしまうかもしれない……」といった考えに なってしまうからです。  しかし少し筋が良いアイデアがあると、状況は変わ ります。「これなら確かに顧客は興味を持ってくれる かも」というアイデアなら、紹介してもらえる先が増 えますし、協力してくれる人も増えます。そして顧客 検証がどんどん進み、学びもどんどんと得られ、その 結果さらに筋が良いアイデアに辿り着き、もっと協力 してくれる人が増える……と、ループが回り始めます。 小さな成功は加速するためのアクセルとなるのです。 そして学びという観点でも、最初に十分に良い仮説が なければ、学びは始まりません。だからこそ、最初か ら十分に良い仮説を作る必要があります。  何度もアイデアを否定されて鳴かず飛ばずたった チームが、良いアイデアを持った瞬間に周りからの支 援を得られ、一気に物事が進みだしたケースをしばし ば見かけます。一度、十分に良い仮説に辿り着けば仮 説検証のループが回り始めるものです。  仮説マップ全体ではなく、特定の仮説が強い場合も 十分に良い仮説となりえます。たとえば、優れた技術 を持っている場合などです。研究などをもとにした技 術がある場合、他のビジネスモデルなどがまだ不完全 でも、多くの大が興味を持ってくれて、そこからどん どんと協力してくれる人の輪が広かっていきます。  プロトタイプを作ってみるのも1つの手です。そう することで、単なる空想ではないことが伝わり、手 伝ってくれる大も出てきます。  筋の良い仮説を作るためには、このようないくつか の小技を活かしながらも、エビデンスを大量に集めて、 仮説を生成し続けるしかありません。しかし、1つで も良い仮説が作れれば、そこから歯車は回り始めます。 それまで諦めずに仮説生成に挑戦し続けてください。 8 仮説を評価する  仮説マップを作り、仮説のループを経て、仮説マッ プ全体を強くしたあとは、どこかのタイミングで決断 して実行しなければなりません。つまり、リープしな ければならないタイミングが来ます。第3部はこの 「リープ」に関する解説です。  リープは、    ・評価    ・決断    ・仮説を現実にする  の3つのステップで構成されます。まずは評価につ いてお話ししましよう。  その仮説に賭けるべきかどうかを決断する前には、 仮説の良し悪しや出来不出来を評価する必要がありま す。つまり、決断の前には何かしらの評価があります。  仮説の評価は、仮説行動の一連のプロセスの中で。 最も”過小評価”されているプロセスです。評価自体 が一瞬の行為であるせいなのか、あまり注意が払われ ておらず、多くの人は直感的に評価を行ってしまいま す。そして直感で行うため、その評価の方法自体を省 察することも少ないようです。  もちろん、直感に頼るのも1つの方法です。しかし、 直感が有効なのは一部の判断に限られます。前述した ように、直感はしばしば間違えるのです。  そうした重要な評価を、直感的にではなく分析的に 行おうというのが本章の試みです。そのために、仮説 の「評価」はどのような構造になっているのかを改め て考え、評価をうまく行うための方法を解説していき たいと思います。 実は難しい仮説の評価 評価は仮説行動全体を左右する  評価は仮説行動の中でも様々なタイミングで行われ ます。たとえば、   ・仮説生成をした直後に、筋が良いかどうかを判    断する「生成後の仮説の評価」   ・仮説マップの中でどの仮説を検証するかを決め    る「個別の仮説の重要度の評価」   ・仮説マップに採択するかどうかを決める「検証    後の仮説の評価」   ・実行に移る前に仮説マップを採択するかどうか    を決める「仮説マップ全体の評価」  などです。  評価の巧拙で。個別の仮説/仮説マップのループの 効率も大きく変わります。生成直後に仮説をうまく評 価して、良い仮説だけを検証のプロセスに進めること ができれば、検証もすんなりと進み、すぐに次の仮説 に取り組めるでしょう。また、生成した仮説が悪いも のであったとしても、評価さえ適切に行えれば、生成 直後に筋の悪い仮説を取り除くことができ、無駄な検 証作業に入ることもありません。  しかし、もし評価が下手であれば、悪い仮説ばかり を検証してしまい、進みが遅くなってしまいます。そ れどころか、変な仮説マップや仮説を作っても、それ に気づくことができません。実際、起業志望者のアイ デアを見ていても、仮説の生成よりは評価のほうに問 題があるのではないか、と思うこともしばしばありま す。その業界の人から見れば悪いアイデアなのに、本 人はそのアイデアが良いか悪いかがうまく評価できな いため、延々と悪いアイデアの周辺で努力してしまう こともあるのです。  評価は「門番」のようなものです。城壁に囲まれた 中世の都市で、城壁の中の警備がどんなに優秀で大人 数でも、門番の評価が下手で悪党をどんどんと城壁の 中に入れているようであれば、早晩その都市は崩壊し てしまいます。しかしうまく門番が機能していれば、 多少城内の警備が緩くても平和が維持されます。評価 のスキルはその後のプロセスを大きく左右する重要な ものなのです。 直感以上に分析的評価  ただ、私たちは仮説やアイデアの評価を簡単だと考 えてしまいがちです。時間的には一瞬に終わってしま う作業だからか、注目されず、解説もあまりありませ ん。  しかし、仮説を評価することは難しいものです。  たとえば突然「審査員が足りないので、フィギュア スケートの演技を評価してほしい」とお願いされたら、 多くの方は戸惑うのではないでしょうか。「審査のた めの講義が事前にあるので安心してほしい。それに技 術点と演技構成点で評価すればよいだけ。ミスをした ら減点するのを意識すれば大丈夫」と評価の方法を教 えてもらったとしても、素人には演技ミスがあったか どうかが分かりませんし、演技構成点をどう評価すれ ばよいかも分かりません。そんな状況でもし審査員の 役目を強制的に任されたなら、感覚で評価するしかな く、その評価結果は的外れになってしまいます。  テレビ番組「芸能人格付けチェック」も評価の難し さをエンターテインメント化したものだと言えるで しょう。一流であるはずの芸能人たちが、一流の食事 を見分けられなかったり、一流の楽器の音色を聞き分 けることに苦労したりする様子を見て、視聴者は楽し みます。ここで、芸能人がしばしば評価を間違うこと は、その難しさを物語っていると言えます。  ビジネスでも同様のことは起こっています。たとえ ば人の採用や評価です。完璧な人の評価というものは おそらく存在せず、企業ごとに必要な人材も違うため、 どの企業も評価には苦労しています。  同様に、仮説をうまく評価できる大はそう多くはあ りません。  たとえば、同じスタートアップのアイデアを評価し てもらうときにも、ビジネスに慣れていない学生によ る評価と、ベンチャーキヤピタリストのようなプロの 投資家によるアイデアの評価の問には、大きな乖離が あります。いわば素人に「とても良い」と評価された アイデアが、ペンチャーキヤピタリストに「とても悪 い」と評価されることが、それなりに多くあるのです。 ペンチャーキヤピタリストは多くのビジネスの成功例、 失敗例を見てきている一方で、学生の皆さんはビジネ スの事例をさほど知らず、評価が甘くなってしまうの でしょう。もちろん、歴戦のベンチャーキヤピタリス トの評価が必ず合っているわけではありませんが、そ の評価のヒット率は、初心者よりも経験者のほうが優 れている傾向にあるように思います。  フィギュアスケートの審査をうまくこなすためには、 様々な演技のことを知らなければならないように、仮 説の評価をするためにも、知識と修練が必要です。そ して誰もが最初はそのどちらも足りていないので、評 価はなお難しいのです。  もちろん、希望もあります。たとえば、デザイナー によるバッグの真贋を評価する実験を見てみると、専 門知識がある人の直感は当たりやすかったものの、専 門知識がない人の直感はあまり当たりませんでした。 しかし分析的なアプローチを取れば。過去の経験の差 によらず。ほとんど同じ結果に辿り着くことができて いました(士。採用面接でも同様の傾向が出ており、 採用の判断をするときには直感よりも分析をしたほう が良い結果が得られるようです(圉。つまり、評価を 分析的に行うことによって、良い結果を得られる可能 性が高まるということです。  そこで本章では、「仮説」の評価の基本と、評価を ある程度分析的に行うための知識とスキルを紹介でき ればと思います。 評価軸を考える  仮説を評価するためには、   ・評価軸の設定を行う   ・それぞれの評価軸で仮説を評価する   ・評価軸を統合する  という3つの大きなステップがあります。 評価軸によって何が「良い」仮説かも変わる  仮説を評価するときに最も重要なのは評価軸をどう 設定するかです。評価軸は「ものさし」です。「もの さし」によって、仮説の評価方法は変わり、そして 「良い」仮説とは何か、も変わってきます。まずは 「今回の目的や状況に適した評価軸は何か」を意識す ることが、優れた評価をするための第一歩です。  たとえば冷蔵庫などの大きめの製品を買うときを思 い出してみてください。私たちは自分の用途にあった 機能やスペック、サイズ、価格などを比較し、さらに 店ごとの価格やそのお店が信用できるかどうかまで考 えて購入する製品と店を決めます。これらの比較項目 1つ1つが評価軸であり、私たちは様々な評価軸を参 照しながら、自分のニーズと照らし合わせて、最終的 に1つの冷蔵庫を購入しています。  しかも、この評価軸は人と状況によって変わります。 普通の人は「コスト」という評価軸を持ちますが、お 金持ちの人はコストを意識しないかもしれません。代 わりに、他の家具や家電との調和を考えて、「色」や 「大きさ」を大事にする場合もあるでしょう。急に必 要になったときには、色や大きさは評価軸として無視 してしまうかもしれません。  一方、冷蔵庫などを選ぶときに比べると機能やス ペックなどの分かりやすい評価軸がないせいもあるで しょうが、ビジネスの仮説を評価するときには、評価 軸が曖昧なまま、仮説の選択が行われることもしばし ばです。特に自分の仮説の場合は、評価が甘くなって しまいがちです。  そのため、評価のときはまず、今のこの状況ではど のような評価軸で仮説を判断するべきかを意識的に考 えてみましよう。ただし、毎回評価軸を考えていては 非効率なので、ここからはビジネスで汎用的に使える 評価軸を紹介していきます。  「影響度」と「確信度」  どのような仮説が「良い」のかを考えるときの一般 的な評価軸として、本書では「影響度」と「確信度」 という2つの軸を提示します(図表8・1)。    ・影響度………仮説がどの程度、学びや業績に    影響をもたらすか    ・確信度………仮説がどの程度確からしいか  まず、仮説の影響度という軸は、その仮説が正しい 場合、どの程度ビジネスや他の仮説に影響するかを測 るものです。  仮説の影響度には大小様々なものがあります。ビジ ネスに大きな影響を与える仮説もあれば、さほど与え ない仮説もあるでしょう。新製品の最重要機能につい ての仮説はその後のビジネスに大きな影響を与えます が、その製品のパッケージの中に入っている緩衝材の 色などは、影響度の小さな仮説です。両方とも仮説で すが、影響度の大きな仮説のほうが大切だと言えるで しょう。  次に確信度です。確信度はO〜100%の間の値を 取ります。仮説は仮の答えとはいえ、すべてが同じ確 からしさとは限りません。確固たるエビデンスがあり、 適切な推論がされていれば確信度は上がりますが、逆 であればその仮説の確信度は下がります。  なお、よく勘違いされるのですが、「間違っている 可能性が高い」仮説は、確信度が低いのではなく、確 信度が高い状態です。「合っているか間違っているか が分からないもの」は確信度が低く、「合っているに 違いない」「間違っているに違いない」ものは両方と も確信度が高い状態であることには注意してください。 正解であろうと不正解であろうと、いずれかの可能性 が高いと信じられるものは確信度が高く、どちらか分 からない場合は確信度が低い、ということです。  影響度は「社会や事業への影響の大きさ」、確信度 は「仮説の確実さ」とまとめられるでしょう。  通常、仮説の影響度と確信度の両方を高くすること は困難です。仮説の確信度を上げようとすると、限定 的な影響度の低い仮説になりがちだからです。  「Aさんはキャリア選択に関する情報を欲している」 のは、その人がそう言っているのであれば確かに確信 度は高いでしょう。しかし、I人が情報を欲している だけでしかないので、それほど大きな影響度を持ちま せん。一方、「ビジネスパーソンはキャリア選択に関 する情報を欲している」という仮説を立てた場合、よ り広い人たちに対しての仮説なので影響度は大きくな ります。しかし、その仮説の確信度は「Aさんはキャ リア選択に関する情報を欲している」という仮説より も低いものでしょう。なぜなら、情報を欲していない 人も大勢いるからです。もし確信度を上げたいのであ れば、「ビジネスパーソン」全体を対象にするのでは なく、「特定の状況や背景を持つビジネスパーソン」 に絞って仮説を作るとよいでしょう。ただしその分、 対象となる人は減るため、影響度は下がります。  このように、確信度と影響度はトレードオフの関係 にある場合も多くなります。ただし、完全にトレード オフというわけではありません。両方ともが高い仮説 はどこかにあります(図表8・2)。そこを探しましょ  また、確信度と影響度は時間によって変わっていく ことに注意してください。たとえば「これを作れば○ 億円売れる」という新製品の仮説は、競合が似たもの を出してきた後では、その仮説の影響度は低くなるで しょう。競合製品との競争になってしまうと自社の新 製品の売れ行きは変わるでしょうし、競合の製品がど の程度売れているか、という情報が得られるため、確 信度も変わってくるはずです。  このように、仮説は影響度と確信度という2つの軸 を持ち、それらは時間の経過によって変わりうるとい うことを知っておくと、仮説の良し悪しを判別しやす くなります。    no厂c〜一z 影響度を測るときに役立つアウ    トカムという概念     ビジネスにおける仮説の影響度は、多く    の場合、売上や利益にどこまで影響するの    かといったアウトカムの大きさで測られま    す。アウトカムという単語にあまり慣れて    いない方もいるので、少し説明しましょう。  アウトカムは「成果」と訳される言葉で す。一方、似た言葉としてアウトプットが あります。アウトプットは「出力」や「結 果」と訳されます。これら2つは混同され がちですが、少し意味合いが異なります。  アウトプットは製品などで、アウトカム はアウトプットによって得られる顧客や社 会の視点での成果を指します。戦略コンサ ルタントの場合は、アウトプットは納品す るスライドで、アウトカムはそのスライド を使って、顧客がどれだけ利益増やコスト 削減を達成できたか、という成果に該当し ます。  もしコンサルタントがアウトプットを最 大化しようとすると、大量の綺麗なスライ ドを作ることになるでしょう。しかし、そ のスライドで顧客の利益やコストが全く変 わらなければ、そのアウトプットはほとん ど無駄であり、アウトカムはゼロとなりま す。  一方、アウトプットがナプキンの裏に書 いた絵と匸菖の示唆だけであったとしても、 その内容が良いものであれば、顧客の利益 増やコスト削減といったアウトカムは大き くなります。アウトプットは少ないように 見えるのに、アウトカムが大きくなること は十分にありうるのです。  NPOや官公庁でしばしば用いられる口 ジックモデルというフレームワークでは、 インプット↓アクティビティ↓アウトプッ ト↓アウトカム↓インパクトの順で、自分 たちの施策の構造を整理します(図表8・ 3)。この整理でも、アウトプットとアウ トカムは明確に分かれています。     影響度を測るときには、単なるアウト    フットではなく、その先にあるアウトカム    を考えて設定するようにしましょう。 いくつかの汎用的な評価軸  影響度と確信度はほぼすべての仮説で必要になる基 本の評価軸ですが、仮説によってはこれら以外にも考 えるべきものがあります。  たとえば最たるものは実行可能性です。解決策を考 えるとき、それが技術的に実現できなければ意味があ りません。競合に勝てるかどうか、も1つの評価軸に なるでしょう。仮に良いものを作れたとしても、それ が競合の製品やサービスに勝るものでなければ、顧客 が選んではくれません。このように、考えるべき評価 軸は常に複数あるのが普通です。  他にも、どういった機能や製品を作るかを考えるプ ロダクトマネージヤー向けの評価軸として、RIcE というフレームが提案されています(士。   ・ Reach(リーチ) ……どれぐらい多くのユー    ザーに届くか    ニヨpact (影響度)……どの程度影響するか    ・ Confidence(確信度)……どれぐらい自信があ    るか    ・ Effort(労力)……実現のためにどれぐらい労    力や工数が必要か  確信度と影響度に加えて、ここではリーチと労力と いう2つの軸が追加されています。製品や機能がどれ だけ多くのユーザーに届き、どれぐらいの工数がかか るか、という観点で評価するのは、製品に関わる人な らではの視点と言えます。製品開発の評価軸にはほか にも、「当たり前品質二元的品質・魅力的品質・無 関心品質・逆品質」で品質要素を分けて評価する「狩 野モデル(判)」もあります。  臨床研究でも、良い研究テーマかどうか、つまり良 い仮説かどうかをチェックする基準として、FINE という基準があります(士。Feasible(実行可能性)、 {ヨ名μ§{(重要性)、Novel(新規性)、口hical(倫理性) の頭文字を取ったものです。  マーケティングの施策であれば、施策のコストパ フォーマンスや時間制約なども考慮して、思いついた 複数の仮説の優劣を決めていく必要がありますし、組 織の仮説であれば、組織変更によって影響する人間関 係なども考慮に入れる必要があるかもしれません。  評価軸が異なるのは、職種や業務によって注目する べきポイントが異なるからです。自分の職種や業務に 合った評価軸を選んだり。作ったりしていく必要があ ります。  最後に、ビジネスで使える汎用的な評価軸として、 仮説のVIBES(バイブス)という本書オリジナル の基準を紹介します。VIBESは以下の頭文字を 取っています。   ・ Verifiable & Viable……検証可能であり、かつ    実行可能である   ・ interesting……興味深いものである   ・?E……大胆である   ・ Ethical……倫理的である   ・ bharp……ヽンヤープに書けている  最初は検証可能(くerifiable)であり、実行可能 (くIIIS)であることです。  検証可能であるとは、白黒がつけられるものかどう かです。たとえば「このサービスを十分に認知しても らう」というのは、どんな結果が出たとしても、達成 できたかどうかが白黒つけづらい問いです。しかし 「このサービスを10%の日本人に認知してもらう」で あれば、無作為のアンケートなどを行い、結果を白黒 はっきりつけることができます。  次に重要なのは実行可能(彡渟)であることです。 「このサービスを日本国民の100%に認知してもら う」という夢物語のような仮説を作ったとしても、そ れは有用ではありません。またコストが尋常なくかか るような仮説も、実行可能とは言えないでしょう。  次に興味深い(一コteresting)かどうかです。これま で聞いたことのない、意外性が高いものや直感に反す るような仮説であるかどうかを判断します。ビジネス 的に興味深く、他人からも評価されるような仮説や、 ユニークな洞察がある仮説とも言えます。ただし、必 ずこの条件を満たさなければならないわけではありま せん。真っ当で変哲もないことをやりきることが正解 である場合もあるからです。しかし、仮説が求められ る状況では、新規性や面白さは重要視される場合も多 いので、1つの軸として考慮しておくべきでしょう。  そして大胆(∽o一a)であることです。特に影響度が 大きいかどうかがポイントです。私たちは「正しくあ りたい」と思う傾向があるため、確信度のほうを意識 しすぎて、影響度が小さな仮説を選んでしまいがちで す。そこで十分に大胆かどうかをチェックしておくた めに、この項目を入れています。  倫理的(m9一g一)であることも忘れてはなりません。 倫理にもとるような行為をしてはなりませんし、どん なに儲かるような仮説であっても、人を騙したり、社 会に悪を為すようなものであれば、一時的に成功した としても、必ず手痛いしっぺ返しを受けることになり ます。そうした仮説ではないことをチェックしてみま しよう。  最後にシャープ(Sharp)であることです。優れた 仮説は明確かつシンプルに、つまりシャープに書くこ とができます。長々とした説明の必要ない、磨きこま れた鋭い表現かどうかが優れた仮説かどうかの分水嶺 です。  これらの頭文字を取って、V−BES(バイブス) です。バイブスとは、2010年代に若者が使ってい た言葉で、ノリやテンション、雰囲気や熱量のことを 意味する言葉ですが、自分の仮説にもVIBESがあ るかどうかをチェックしながら進めていくとよいで しょう。  なお、このVIBESはあくまで汎用的に使える評 価軸の一例です。皆さんのおかれた状況や組織、ビジ ネスに応じて改変いただいて構いません。たとえば科 学の仮説では新規性が重要視されるのでFINEのフ レームワークには新規性(弓汢)が入っていますが、 ビジネスにおいてはさほど新規性は重視されないので、 VIBESからは外しています。ただし研究開発の部 門では、論文出版のことなどを考えると新規性を入れ るべきかもしれません。  このように、領域ごとに適切な評価軸や条件は異な り、工夫のしどころでもあります。ぜひ自分なりの評 価軸を作って、チェックリストとして機能させてみて ください。そうすれば、良い仮説かどうかを素早く判 断しやすくなるはずです。 満たすべき「程度」を考える  ここまで評価軸をどのように設定するのかを考えて きました。いくつかの評価軸が設定できれば、あとは それぞれの評価軸での評価が「どの程度なのか」を考 えましよう。  新興企業などの場合は、特に「程度」を意識する必 要があります。なぜなら、これまでのI・2倍の性能 の良さでは、信用や実績のない新興企業の製品をなか なか使ってもらえないからです。たとえば、ビジネス において「作業時間」は皆が気にする評価軸です。そ こで新興企業が「普段のグラフ作成作業がI・2倍の スピードになります」というサービスを作ったとしま す。しかし、I・2倍程度であれば、「お金を払うか どうか迷うし、契約をするのも面倒だから、このまま でいいや」となってしまうのではないでしょうか。し かしもし「10倍のスピードになります」であれば、そ のサービスにお金を払う人は増えるでしょう。このよ うに、新興企業であれば特定の評価軸において、5倍 や10倍といった圧倒的な程度を目指さなければならな いかもしれません。  評価軸を選んだ後には、仮説が持つそれぞれの評価 軸において仮説がどれだけの程度を要求されているの か、言い換えれば、どの程度で「十分に良い」と言え るか、を考える必要があるのです。  重視する評価軸を数倍にしたうえで、他の評価軸で も競合製品と同じぐらいの程度を達成するのは現実的 に難しいため、多くの場合は、特定の評価軸だけ数倍 にして、他は競合製品に劣る、といったメリハリをつ けることになるでしょう。  ただし、特定の評価軸を伸ばすために、ほかの評価 軸で最低限必要な程度を下回ってしまうと、顧客から 選ばれなくなってしまいます。たとえばITサービス の場合、メリハリをつけてデザイン性の程度を数倍に 伸ばすために、必要な機能まで削ってしまうと、その サービスは選ばれなくなってしまうでしょう。そうな らないよう、すべての評価軸において「十分に良い」 程度かどうかを意識しておくことも忘れないようにし てください。  この「十分に良い」の程度が極端な場合もあります。 たとえばスタートアップのアイデア(=最上位仮説) の場合は、仮説の影響度がかなり大きく。たとえば1 兆円の時価総額を目標に設定できれば。自分から見た ときの確信度は10%ぐらいで「十分に良い」という評 価をしてもよいでしょう。あくまでも1つの目安であ り、例ですが、そうした賭けをするのがスタートアッ プであり、それに投資するのがベンチャーキャピタル です。確信度は低くても影響度が大きければ、「十分 に良い」と判断できる場合があるのです。  一方、大企業の新規事業なら、影響度はそれなりの 大きさが必要かつ、確信度も高めに30%から40%ぐら い、といったバランスが求められるかもしれません。 コンサルタントが顧客に提案する資料であれば、もう 少し高い確信度が必要になってくることも多いでしょ う。どれくらいの影響度と確信度が必要かは、状況に よって異なるということです。  つまり、大企業の持つ評価軸でスタートアップのア イデアを見ると低い評価になるでしょうし、スタート アップやベンチャーキャピタルの持つ評価軸で大企業 の新規事業のアイデアを見ると、それも低くなります。 それは当然ですし、むしろ目標が異なるのであればそ うあるべきなのです。  このように、それぞれの評価軸において、「十分に 良い」と言える程度は状況によって異なりますし、求 められるバランスも変わります。そのことを念頭に置 いて、評価を行いましよう。 仮説のリスクに対処する  ここからは仮説の「リスク」に注目し、リスクをど う考えればよいのかについて基本的な知識を紹介しま す。 リスクとは何か  影響度と確信度という2つの評価軸を紹介しました が、これらに密接に関連する評価軸であり、多くの仮 説に共通する3つ目の評価軸として、「リスク」があ ります。  仮説は間違っている可能性があり、必ずリスクがあ ります。たとえば車に乗って出かける、という日常的 な行動も、「車だと安全に早く目的地に着ける」とい う仮説をもとにした行動であり、一方で、日本で年間 約38万件起こっている交通事故にあうリスクをはらん だ決断です。自分がどんなに注意していたとしても、 他人の運転する車などの不注意で、事故に巻き込まれ てしまうこともあるため、リスクがゼロというわけで はないのです。  ビジネスの決断でも、すべての決断には多かれ少な かれリスクは必ずあります。特にビジネスは時間との 戦いであり、十分な情報が手元にない状態であっても、 決断をしなければならないときもあるでしょう。その ときにはリスクは大抵増すことになります。  ここまでリスクという言葉を使ってきましたが、そ もそもリスクとは何でしょうか。私たちは、よく分か らないけれど害をなしそうなこと全般や、不確実性を 総称して「リスク」という表現をしばしば用います。 しかし、その意味は文脈や発信者によって異なり、 様々な定義があります。そこでまずはリスクというも のの定義を見てみましょう。  リスクは、ISO 31073: 2022で「目的に対する不確 かさの影響(effect of uncertainty on objectives) Jと定義さ れています(削)。ここには2つの要素が含まれていま す。「不確かさ(不確実性)」と「影響」です。この定 義では、不確かさそのものがリスクなのではなく、不 確かさから生まれる「影響」がリスクとされています。  カジノでのポーカーを例に挙げてみましよう。カジ ノに参加する1つの目的は勝って儲けることです。そ して、どんなカードが配られるかは「不確かさ」です。 それ自体に良し悪しはありません。しかし、自分が実 際にお金を賭けていて、プラスやマイナスの損益が発 生し、儲けという目的に対して影響が出るのであれば、 そのゲームにはリスクが発生します。一方で、お金を 賭けずに試しに参加したゲームでは、どのようなカー ドが配られるか、という不確かさがあろうとも、自分 にとっては影響がないためリスクではありません。同 じ不確実性を見ていたとしても、そこにリスクがある かどうかは個人や状況によって異なります。  そして、リスクと言うとダウンサイドや下振れがつ い思い浮かんでしまいがちですが、アップサイドや上 振れも含めてリスクとされています。たとえばポー カーでは損をすることも得をすることも「リスク」で す。不確かさの影響は、正負の両面を持つものでもあ るのです。  この「不確かさ」と「影響」という2つの言葉は、 すでに紹介した仮説の評価軸の「確信度」と「影響 度」に似通っています。実際、本書での仮説の「確信 度」は「不確かさ(目gal々)」、「影響度」は「影響 石印{{}」にそれぞれ対応させるつもりで書いています。 つまり、「影響度」が大きくて「確信度」が低い仮説 は、リスクの高い仮説だということです。  影響度と確信度を考えれば、ほぼ自動的にリスクを 考えることになります。しかしリスクという言葉には ネガティブなニュアンスがあり、また「リスク」とい う言葉を使うことで、仮説の持つダウンサイドの可能 性が見えやすくなります。そこで本書では影響度とい う言葉で仮説のアップサイドを捉えつつ、リスクとい う言葉で仮説のダウンサイドを捉えたいと思います。 なぜリスクを考える必要があるのか  すべての仮説には大なり小なりネガティブなリスク がありますが、多くの人は大雑把にしかリスクの把握 をしていません。酷いときには「リスクがあるか、な いか」という白黒で判断し、「リスクがあるならやめ ろ」「リスクはゼロにしろ」という人もいるでしょう。  しかもそうしたリスクの把握を、自分の感覚や経験 だけに基づいて行っている場合もあります。たとえば、 数字上では自動車よりも飛行機の事故のほうが少ない のに、飛行機を極端に怖がる人もいます。そうした感 覚が大事な時もありますが、感覚だけに頼ってしまう と、リスクが実態以上に大きく見えてしまって、慎重 になりすぎてしまいます。  加えて厄介なことに、組織や集団の中で自分の優秀 さを見せようとするために、リスクを殊更に指摘する 人もいます。それこそ、起こる確率が極端に低い事象 をリスクとして挙げて、「だからやらないほうがよい」 と助言してくる人もいるでしょう。そうしたリスクを 指摘すると、賢く見られたり、満足感を得られたりす る傾向にあるからです。  リスクを指摘したり、把握することは大事です。し かしリスクがあるからといって、やらないほうがよい ということではありません。リスクを把握して評価す るのは。リスクを引き起こす課題を理解して。それに 対して適切な緩和策を施し。そのうえでリスクを取っ て挑戦をするためです。そして一般的にはリスクが高 いと思われているけれど、実はリスクが低いものを見 つけて、それに賭けることで、ビジネスは利益を生み 出します。本当の賢さとは。リスクを避けることでは なく。目的を達成するために適切なリスクを取ること であり。そのための準備を行うことです。  リスクの定義は「目的に対する不確かさの影響」だ と紹介しました。この定義にあるように、リスクを考 えるためにはまず「目的」を考える必要があります。 ビジネスにおいてはしばしば、この「目的」がいつの まにか忘れ去られてしまうことがあります。  たとえば、事業会社の多くは、利益を最大化すると いう目的を持っています。「ビジネス環境には様々な 不確実性があり、リスクがあるから、私たちはリスク を取らず新しい挑戦を一切せずに、既存のビジネスだ けを行う」と言っている会社がいたら、利益の最大化 という目的をないがしろにしていると判断されるで しょう。会社ではなく個人であっても、もし仕事でリ スクを取っていないということは、周囲から期待され ている「リスクを取って利益を最大化する」という責 務を放棄していることに他なりません。  何も挑戦しなければ、小さな失敗をせずに済むかも しれませんが、最終的にジリ貧になり、大きな失敗へ とつなかってしまうかもしれません。周りが速く変わ り続けている中で、何もせずにじっとしていることは、 逆に大きなリスクにもなります。目的を「失敗しない こと」とするのか。「成功すること」とするのかに よって。考えるべきリスクも違ってきます。  それに私たちはリスクに対して無力ではありません。 すべてのリスクに完璧に対応することはできませんが、 リスクは「何とか対処する」ことも可能なものです。  たとえば、仮説のリスクを緩和するためには、仮説 の確信度を上げていけばよいでしょう。そのためには エビデンスを集めたり、検証をして学びを得ることで す。私たちがこれまで見てきた仮説検証のプロセスは、 まさにリスクを理解したり緩和するための方法です。  さらにビジネスでは「十分なリスクを取れていなけ れば。すでにその決断は遅い」ということもあります。 確実に成功することには、すでに多くの人が取り組ん でいて、差を生んで利益を得ることができません。  こんな話を聞いたことがあります。2010年代後 半、新しい製品を開発している会社に複数社から問い 合わせがありました。そのとき、日本の企業は採用事 例ばかりを求めてきたそうです。それに対し、中国の 企業などはむしろ事例などはないほうがよい、と言っ てきたそうです。採用事例があるような技術では、競 合に勝つことができないからという理由でした。  他社に先行することで、失敗する確率は上がるかも しれません。先行して取り組むことで、高値の設備投 資をしてしまったりすることもあるでしょう。しかし 成功したときのリターンが大きければ、取り組む価値 はあるはずです。  もし周りにリスクを過度に指摘する人たちがいるの なら、どのようにすればそのリスクを緩和できるのか、 目的や最終的に得られるかもしれないリターンに照ら し合わせたうえで、どの程度のリスクであれば受け入 れられるのか、といった議論に参加してもらうように してみましょう。そうすれば、より生産的な議論がで きるはずです。  このように、目的を意識しながらリスクの把握と評 価を行ったうえで、うまくリスクマネジメントを行い、 「成功」や「リターンの最大化」という目的の達成に 向けて適切なリスクを取るようにしましよう。  なお、マネジメントという名詞に対応する「マネー ジ」という動詞は、「困難な状況をなんとかする」「努 力してなんとかする」といった意味を持ちます。日本 語でリスク管理というと、リスクを綺麗に避けて、何 も起こらない状態のような印象を持ちますが、リスク マネジメントとは本来、暴れ馬のようなリスクを並々 ならぬ努力でなんとかしようとしている、ということ です。リスクは避けるものではなく。あって当たり前 であり。そのうえでどうマネージするべきかを考える 対象だと考えてください。 アフォーダブルロスを考える  すでに説明した仮説検証のプロセスなどを通して、 リスクを下げることはできます。ただし、リスクゼロ を目指すことはやめましよう。それにはコストがかか りすぎることが多いからです。  リスクがゼロの状況を「安全」と捉えがちですが、 戊○ヘ∃nガイド51: 2014による定義では、安全とは 「許容できないリスクがないこと」とされています (こ。つまり、リスクを考えるときには、oかIかで はなく、リスクの大小や程度を把握し、何か許容でき て何か許容できないのかを整理する必要があるという ことです。リスクゼロを目指すのではなく。適正な範 囲内にリスクを緩和することを目指すのです。  ただそうはいっても、リスクが顕在化してしまった ときには、損失が生まれます。なので、その損失が許 容可能であるかどうかをまず把握する必要があります。 そうした損失は、許容可能な損失(アフォーダブルロ ス)と呼ばれます。  たとえば、広告の検証をしたいと考えたとしましょ う。そして、アフォーダブルロスは10万円だとします。 であれば、その10万円を使って広告を出稿して、ニー ズがあるかどうかを検証してみればよいのです。その 仮説が失敗だったとしても、10万円という損失は多少 悔しくはあるでしょうが、学びは得られます。お金だ けではありません。時間でも同様です。もしI週間程 度の時間を使うことが許容可能であれば、I週間を 使って仮説行動をしてみればよいのです。  アフォーダブルロスが100万円なのか1000万 円なのかによって、取れる手は異なってきます。ただ 多くの人は許容可能な損失を小さく見積もってしまい がち、つまり安全ラインを高く設定しがちなので、本 当に守るべきラインを見極めるようにしてみてくださ い。  新しい取り組みに対してのアフォーダブルロスを深 く考えていない人は多いものです。たとえば新しい事 業を提案したときに、「何か大きな事故が起こったら どうするんだ」と、リスクを警告気味に語る人はいま す。そうした人に「それが起こる頻度はどの程度で、 最大の見込み損失はどれくらいですか。それは得られ るリターンに対して、社会として許容できる損失の範 囲外と言えるでしょうか」と聞くと、大抵の場合答え られません。なんとなく危険だ、という印象でリスク を指摘しがちだからです。  もちろん、最悪の事態は考えなければなりません。 誰かが怪我をするといった事故もありうるでしよう。 しかし人が怪我をするものは一切ダメ、というわけで もありません。もしそうならば、私たちの社会では、 自動車が走ることもなく、公園の遊具の設置も見送ら れていたでしょう。実際にはそうではなく、多くは程 度問題です。1つでも瑕疵があるからダメだ、という ことでは、新しい物事は何も受け入れられなくなって しまいます。リスクに関する議論の多くは本来、Oか Iではなく、もっとグラデーションの中で語られるべ きものです。  そして多くの物事は、損失が起こる確率や、起こり うる損失の最大値で考えるべきであり、その結果どの 程度の損失であれば、個人として、組織として、社会 として許容可能なのかをきちんと考えることで、私だ ちは新しい挑戦ができるようになります。ただし、不 可逆的な変化をもたらすような新しい取り組みには、 十分に注意しましよう。  失敗をコントロールするというのは、「失敗しない」 ようにコントロールするのではなく、失敗が起きる前 提で。失敗が起こったとしてもアフォーダブルロスの 範囲に収まるように。損失をコントロールする、とい うことです。遊具であれば、怪我を一切しないことを 目指すのではなく、怪我をしたとしても大怪我になら ないようにするにはどうすればよいかを考える、その ために遊具からは尖っているものをなくす、などです。  なお、もしリスクが顕在化したときの損失が、自分 自身が破産してしまう規模だったり、再チャレンジで きなくなるほど社会的評判を落とすようなもの、身体 的な回復が難しいものであれば、そのリスクは基本的 に取るべきではないでしょう。まず何よりも生存し続 けることは、成功のための前提条件だからです。とき どき「自分自身の命運を賭けてオールインをして成功 した」という大もいますし、そうした賭けが必要な場 合もあるかもしれません。しかし、そうした例が注目 されがちなのは、稀だからです。すべてを賭けた人の 多くは失敗し、表舞台に上がってこられていません。 個人として、オールインが必要な仮説に賭けることは 避けるようにしてください。 リスクのダウンサイドとアップサイド  仮説の中に許容できないリスクが含まれる場合、諦 めなければならないかというとそんなことはありませ ん。そのリスクを緩和して、許容可能な範囲に収める ように変化させることもできるからです。  まず仮説のループを回し、新しい情報を得て仮説の 確信度を上げることで、リスクを減らすというのが1 つの方法です。そのほかにも、たとえば起業するにあ たり、個人でお金のリスクを背負えないのであれば、 投資家を募るという形で個人としてのリスクを減らす こともできるでしょう。  ダウンサイドの幅を小さくすることもできます。た とえば、初めて取引する宅配業者に自社の高価な機材 を運んでもらうとき、損害保険に入っておくことで、 多少コストは高くなるものの、その宅配業者が機材を 破損させたとしても損失を緩和させることができる、 といったことです。  このように、ダウンサイドリスクは知識やスキルを 用いれば緩和することができます。きちんとリスクを 評価して、現状を把握すれば、リスクを緩和する手段 は何かしらあるものです。  ただ、自分にとって初めての試みの場合、ダウンサ イドリスクをはっきりとは認識できないこともよくあ ります。そのため、リスクを過小評価してしまったり、 過大に見積もり過ぎてしまう傾向にあるように思いま す。リスクを適切に把握するためには、自分のリスク の認識が正しいかどうかを周りに聞いてみるとよいで しょう。そうすることで、初めてのリスクであっても ある程度の緩和ができるようになるはずです。  こうしてダウンサイドリスクを緩和する一方、アッ プサイドのリスクを最大化することにも注意を払いま しよう。リスクや不確実性と言うと、どうしてもネガ ティブな印象がありますが、リスクはポジティブな側 に振れることもあります。それを捉えられないと、ほ どほどの成果しか挙げられません。  リスクを回避してしまいがちな人が意識するべきリ スクは、利益を得られるかもしれない機会を逃すリス クです。私たちは損をすることに敏感すぎて、得をす ることに対して鈍感になってしまうことがあります。 「負けない」ことに敏感になりすぎると、「勝つ」こと に対して鈍感になってしまう、とも言えます。「負け ない」ための戦略と「勝つ」ための戦略は違いますし、 「大きく勝つ」ための戦略もまた違います。ネガティ ブなリスクを緩和することは「負けないこと」につな がりますが、「勝つ」ためにはポジティブな側のリス クに目を向ける必要があります。  「負けない」ことを重視しすぎて、失敗を避け、その 結果挑戦すること自体もなくなれば、大きな機会を逃 してしまうことになるかもしれません。失敗したとき の損失を恐れるだけではなく、リターンを得られない ことも恐れるようにしてください。得をすることだけ に意識が向き過ぎると投機的な賭けをしてしまいがち ですが、リスクをきちんと緩和したうえで、アップサ イドを取りに行くことを忘れないようにしましよう。 ポートフォリオで考える  特定の仮説では大きなリスクを取って、それ以外は リスクを取らないことで、全体としてリスクをバラン スさせることもできます。つまり、ポートフォリオで 考えて。リスクを分散させるのです。  たとえば、スタートアップの仮説マップには、製品 や組織、資本政策など様々な仮説が含まれています。 多くのスタートアップは、新製品や新サービスのアイ デアに大きなリスクを抱えていることが多いでしょう。 新製品は本当に正しいかどうか(売れるかどうか)分 からない仮説だからです。製品という点で大きなリス クを背負っているのであれば、その他の仮説(組織運 営や資金調達方法など)はオーソドックスなものにする と、全体としてリスクを多少下げることができます。  別の仮説、たとえば組織運営でリスクを取ることも できます。個々人の才能を発揮してもらうために、極 端にフラット型の組織設計をした場合には、組織仮説 で大きなリスクを負うことになります。フラット型組 織を機能させるには、相当な努力が必要ですし、ビジ ネスによっても向き不向きがあるからです。それにこ れまでの組織運営のベストプラクティスなどが応用で きず、手探りのやり方になるため、失敗する可能性も 高くなります。組織仮説で大きなリスクを取るのであ れば、逆に製品アイデアには奇抜なアイデアを入れ過 ぎないことによって、全体のリスクを中和できるかも しれません。もし組織仮説が当たれば、競合と似たよ うな製品のアイデアであっても、優れた組織パフォー マンスを発揮できて、競合に勝つことができます。  企業経営では、このように複数の仮説を並行して走 らせながら検証を進め、決断をしていきます。特定の 仮説で極端なリスクを取っているのであれば、その他 のリスクはある程度抑えておくなど、全体としてリス クを取りすぎないようなポートフォリオを組みましよ 評価軸を統合する 評価軸の統合には「らしさ」が出る  仮説を評価する際の基本的な評価軸は影響度と確信 度ですが、その他にも仮説の目的に応じて様々な評価 軸があります。1つの仮説がすべての評価軸で優れて いれば、選ぶのは簡単です。しかし「性能は良いが、 価格は高い」、つまり一方の軸では評価が高いが、他 方では低いなど、評価軸ごとに優劣がある複数の仮説 を統合的に評価し、1つの仮説を選ぶという決断をし なければなりません。  このとき厄介なのは、それぞれの評価軸が容易に比 較可能だとは限らない、ということです。  たとえば、2020年から数年間続いたコロナ禍で は、しばしば医療と経済のどちらを優先するのか、と いった議論が行われました。経済を同そうとすると感 染者が増え、医療への負担を余儀なくされます。しか し医療への負担を回避するために経済活動を止めると、 困窮に陥ってしまう人が多く出てきてしまいます。  医療や経済の観点以外にも、人間の尊厳や人権、法 律、価値観、さらには文化や若者の機会を守ることな ど、様々な評価軸があり、それらを加味したうえで決 断を下さなければなりません。さらに言えば、すべて の評価軸を考慮できているかどうかも分からないなか で、決断をしなければならないのです。しかも、絶対 的に正しい答えというものはありません。  これはビジネスの決断でも同様です。  損得のみを考慮して。金銭的利益という1つの評価 軸での優劣だけを考え決断するのは。ある意味で誰に でもできることです。十分な情報が手元にあり、計算 さえできれば、ベストな仮説を選ぶことは可能でしよ  しかし人間が決断するのは、不十分な情報の中で、 計算だけでは答えが出ないものに対して、答えを出す ためでもあります。様々な価値観やリスクは比較が難 しいこともあり、最後は誰かが評価軸を統合して、決 断せざるを得ない場合も多いでしょう。そしてその統 合のプロセスを通して「その人」や「その組織」にし かできない答えが選ばれます。  あまり意識をしていないかもしれませんが、私たち は決断の前に、複数の評価軸の統合の作業を暗黙的に 行っています。逆に言えば、そうしたプロセスを明示 的かつ意識的に行おうと努力して、「私たちは今、ど のような評価軸の統合をしているのか」を考えること で、より精緻な統合が行えるようになるでしょう。 時間軸を統合する  決断の前に統合するべき評価軸として、時間軸があ ります。  短期的には利益が出ない新事業のアイデアで、3年 後を見据えたときにも赤字になるという仮説であって も、長期的に考えたときにコストが回収できるのであ れば今からやるべき、という決断もありうるでしよう。 たとえば、通信回線のような事業は初期投資のコスト は膨大なものになりますが、一度敷設してしまえば長 期的に利益を生むので、事業を進めるといった場合で す。ただし、やるべきかどうかもコスト次第であり、 そのコストも将来の資材高騰などの可能性があるため、 不確実性をはらみます。  リスクを構成する不確かさは、多くの場合、時間変 化に起因しています。「将来が読めない」からこそ、 不確実性が高まり、仮説の確信度も下がるのです。  リスクを評価するときには、その影響の時間軸を長 くしたり短くしたり、仮説単体で考えるのではなく仮 説マップの中での位置づけを考えたり、時間的・空間 的にミクロとマクロの観点を行き来しながら考えるよ うにしたほうがよいでしょう。特に、短期やミクロで のダウンサイドリスクを人は過大に評価してしまうの で注意が必要です。本来、長期のアップサイドリスク を見るべきなのに、人は短期のダウンサイドリスクに 過敏に反応してしまいます。  国全体の政策やサービスを見てもそうです。新しい 取り組みに挑戦しなければ、短期的には失敗すること はありません。しかしマクロで見たとき、新しい挑戦 をしなければ、国力は低下していくことになるかもし れません。そうならないよう、ミクロではリスクが高 くとも、マクロで見たときの適切な仮説を選ばなけれ ばなりません。  そのときには、「もし仮説が合っていたら次にどの ようなことをするべきなのか」「競合はどのような手 に出てくるのか」などといったように、将来から見た ときの仮説の価値を考えてみてください。そうすると、 今までは見えていなかった仮説の価値に気づけるかも しれません。将棋やシミュレーショングームのような ものです。一手先では確かに良さそうな仮説であって も、その先は行き詰まりであり、実は良い仮説ではな かった、ということが分かるかもしれません。  そうした意味で、過去と未来を。現在という一点に おいて統合するのが時間軸の統合である、とも言える でしょう。 ジレンマをチャンスと捉える  こうした統合をするときには、「あっちを取れば こっちが立たず」といった状況が発生します。たとえ ば冷蔵庫の高性能と低価格は、多くの場合、両立しま せん。仮説を作るときも同様です。たとえば製品に新 しい機能を追加するときにも、良い面を伸ばそうとす ると悪い面が出てきてしまったり、逆に悪い面を補お うとすると良い面が削がれてしまったりすることはし ばしば起こります。  時間軸でも同じようなジレンマが発生します。気候 変動の影響を最も受けるのは、まだ生まれていない人 たちです。その人たちを優先すると、現役世代の不自 由さは増してしまうでしょう。しかし、現役世代の便 益を過度に優先することによって、温暖化が加速して しまえば、そのツケはこれから生まれる人たちや将来 の自分たちに回ってきてしまうでしょう。  評価軸や時間を統合して評価するというのは、こう したジレンマを乗り越えることです。  強調したいのは、「ジレンマ自体は悪いことではな い」ということです。ジレンマのない決断は、単にや ればよいだけの話だからです。明らかに良い選択肢が あれば、すべての大が同じ決断ができます。むしろ、 そのジレンマをどのように解決したり、解消したりす るかが、私たちの考えるべきことです。  それにジレンマが発生する状況にこそ、その人の独 自性や組織の方向性が反映されます。たとえば、あな たの会社が相対するジレンマには、競合企業も同じよ うに悩まされるはずです。そのときに、そのジレンマ を解消する手段が見つかれば、それは優位性につなが ります。ジレンマが解消できなくても、自分だちと競 合企業が異なる道を選ぶことで、互いに真似しづらい 事業へとなっていくでしょう。そうした差別化のきっ かけがジレンマという状況にはあります。ジレンマが 見つかれば、それをチャンスだと思って、活用できな いかを考えてみましょう。  ジレンマの解決は難しいことです。相当の知的体力 や対話が必要であり、ジレンマの先でどのような選択 肢を選ぼうとも、方々から非難の言葉が飛んでくるこ とになります。政治などはその典型例です。ただ、そ の難しさを乗り越え、非難や結果責任をも引き受けて 進むことが、本当の意味での課題解決に取り組むとい うことでもあります。 仮説を評価するためのコツ  ここまで仮説の評価方法とリスクについて考えてき ました。以下では評価のコツを整理したいと思います。 影響度にバイアスをかける  私たちは仮説を考えるとき。つい確信度を重視して しまいがちです。たとえば、仮説に慣れ親しんだ人で あっても、「君の仮説は小さくまとまってるね」と経 営層や上司に言われたことがあるのではないでしょう か。その言葉の意味は、まとまってはいる、つまり実 行可能なぐらいに確信度は高いものの、ビジネスに対 する影響度が小さい仮説だ、ということです。もしく は上司にとって想定内の仮説であり、任せたからには それ以上のものを出してほしかった、という期待の表 れなのかもしれません。  最大1億円の利益を10%の確率で獲得できそうなビ ジネスアイデアと、最大1兆円の利益をO・I%の確 率で獲得できそうなビジネスアイデアがあったとき、 多くの人は前者を選びます。しかし単純な期待値を計 算してみると、前者は1000万円、後者は10億円で あり、後者のほうが期待値としては高いことになりま す。とはいえ、頭ではそう分かっていても、前者を選 んでしまう人はとても多いものです。それは「成功す るよりも、失敗したくない」といった傾向があるから かもしれません。失敗を非難される組織文化では、成 功の度合いが小さかったとしても、確信度の高い仮説 を選んでしまうでしょう。  しかしそれでは、本当にビジネスに影響を与えるよ うな、意味のある仮説を選ぶことができません。大き な影響度の仮説を大胆に選んだほうが、アップサイド は大きくなります。  問題は、影響度の高い仮説は、しばしば成功確率が 極端に低く見えるということです。さらに言えば、 「本当に大成功するような影響度を持つ仮説は、『普通 の成功』をする確率が物凄く低く見える(剛)」とも言 えるでしょう。  ただ、影響度の高い仮説は、誰もがその失敗確率を 高く見積もるため、誰も手を出さない割安な仮説に なっていることがよくあります。たとえば、2010 年より前に金融系のスタートアップを始めようとした ら、周りから「確かに成功すれば大きくなるかもしれ ないが、できっこない」と諌められたことでしょう。 そもそも、金融領域の古臭さや規制の面倒臭さから、 誰もが嫌かって参入するという発想すらなかったかも しれません。しかしそうした誰も手を出さない領域だ からこそ競合も少なく、そこに先んじて手を付けた Stripeなどの金融系スタートアップの一部は大きく成 長しています。このように影響度が大きい仮説に賭け ることは、分の良い賭けになっている場合もあるので す。  仮説が正しいこと自体も大事ですが、社会やビジネ スにどれだけ大きな影響を与えられるかは、それ以上 に大事です。影響度と確信度がそれぞれ最大化されて いる仮説を選択することをお勧めしましたが、なるべ く確信度よりも影響度を高く評価するよう。意識的に バイアスをかけておくのかよいでしょう。そうすれば、 他人とは異なる仮説を選択でき、より良い成果を得ら れるかもしれません。 仮説を大量に評価して自分なりのパターンを作 る  どんなに優れた審美眼を持つ人も、優れた美術品を 一度見ただけで、そのような力を身につけることはで きないでしょう。  これはアイデアや仮説にも当てはまります。どのよ うな仮説であれば筋が良いのかを判断できるようにな るために、良い仮説と悪い仮説に大量に触れてみてく ださい。  これは良い仮説を生成するときにも重要ですが、評 価能力を高めるときにも効いてきます。たとえばス タートアップのアイデアを考えるのであれば、他人の アイデアをたくさん見たり、世の中の新製品をとにか く触ってみるのです。筆者はスタートアップの支援プ ログラムを運営しているため、応募されたアイデアの 評価をスタッフと一緒に行っていますが、アイデアを 100個ぐらい本気で評価して、自分の評価と周りの 評価の違いを知り、徐々に評価軸を修正していくこと で、仮説の良し悪しを判断できるようになってきます。 そのとき、さっとアイデアを見るだけや。表面的な情 報をまとめるだけでは不十分です。コメントやフィー ドバックをするつもりで深く見ていく必要があります。  多くの事例を見るまで評価してはならない、という わけではありません。むしろ評価はどんどんするべき です。本気で練習をしなければ、うまくはならないか らです。とはいえ、闇雲に評価を積み重ねればよいわ けではありません。評価や予想は、実際の結果と見比 べることで、自分の評価方法の正誤が分かり、改善が できるようになります。つまり、評価結果もある種の 仮説であり、仮説検証を通して、自分自身の評価能力 を伸ばしていく必要がある、ということです。  また、先人たちが培ってきた評価軸などを学び、ど ういった観点でアイデアを見ればよいのかを知ること もよいでしょう。そうすれば、漫然とアイデアを見る ことを避け、良いパターン認識ができるようになりま す。  大量に評価することで、評価軸の扱い方にも慣れて きます。すでに挙げたフィギュアスケートの例のよう に、たくさんの演技を見て、その美しさを言語化した り点数を付けたりすることで、徐々に演技の良さが分 かり、評価軸という「ものさし」の使い方が分かって くるのです。ぜひそうした観点からも、たくさんの仮 説を評価してみてください。 悪い仮説のパターンを知る  悪い仮説のパターンを知っておくことで、評価にか かる時間を短縮することもできます(図表8・4)。パ ターンに当てはまるからといって、必ず評価を下げる べきというわけではありませんが、もし仮説がこれら の例に当てはまっていたら、注意して評価するように してみましよう。  まず、仮説が一般的・抽象的・シンプルすぎるI分 かりやすすぎる場合は注意が必要です。たとえば「人 は情報を欲しかっている」というような一般的な仮説 には気を付けましよう。その理由は、@一般的な仮説 であればあるほど間違っていることも多いこと、A解 決が難しいこと、B論理の飛躍が起こりがちなこと、 C意味のある仮説になりづらいことなどが挙げられま す。さらに、こうした一般的な仮説には、一見正しい という反応が多く得られてしまって、深掘りを怠って しまうというデメリットもあります。  「日本人は空気を読む」という仮説は一見正しいよう に感じる人も多いでしょう。しかし日本人の中でも空 気を読まない人もいます。であれば、この仮説は間違 いです。でも多くの日本人が空気を読んでいるのであ れば、まるでこの仮説が正しいかのような反応が多く 返ってくるでしょう。そうすると、この仮説は間違っ ているのに、正しいと思い込んでしまうかもしれませ ん。「人間は」「日本人は」「男は」といった主語で始 まる文章は「主語が大きい」と言われますが、こうし た主語が大きな仮説は反例を容易に探すことができ、 間違っている可能性が高いので注意しましょう。  こうした分かりやすい仮説のほうが耳目を引きます し、他人に伝わりやすいため、単純化した仮説にして しまいたい欲に駆られますが、複雑な事象に対する課 題や解決策の仮説は複雑にならざるを得ないことがほ とんどです。最終的に誰かに伝えるときにはシンプル な仮説にするべきときも多いですが、そうしたときに も、どの部分が弱い仮説なのか、根拠がなくただ信じ なければならない部分は何なのかを知り、そうした前 提を踏まえたうえでシンプルにしていきましよう。  また一般的な課題仮説は解決が難しくなりがちです。 たとえば「天は安くて美味しいものを食べたい」とい う仮説は、多くの人から肯定的な反応が得られるで しよう。しかしこの課題に対しては、「安くて美味し いものを提供する」という解決策しか導けません。も しここで、「安くて美味しいものを提供する」のでは なく、「牛丼を提供するべきだ」といった具体的な解 決策をすぐに導いてしまった場合、そこには大きな論 理の飛躍が生まれてしまいます。これもまた問題とな ります。  一般的かつ抽象的な仮説は、意味のある仮説になる ことも稀です。「日本人は空気を読む民族だ」「人は安 くて美味しいものが食べたい」というのは、多くの人 が知っている仮説であり、「で?」「だから何?」と なって、興味深さが備わっているものにはならないで しょう。本書の言葉で言えば、VIBESの条件を満 たしていないのです。だからこそ、一般的で抽象的な 課題には注意が必要です。  そんな安易な発想をする人はほとんどいない、と思 われるかもしれません。しかしこれまで多くの起業志 望者のアイデアを聞いてきた経験から言えば、かなり 多くの人がこうした一般的な仮説をアイデアとして提 案してきます。たとえば「人は誰かと話したいと思っ ている」という一般的で抽象的な課題仮説から「コ ミュニティサービスを作る」というような解決策をI 足飛びに導いてしまうのです。  また、感情が含まれる仮説には注意するようにして ください。  たとえば「患者は良い病院を選べなくて不安であ る」といった仮説は、どの程度の不安があればこの仮 説が検証され、反証されるのかは分かりません。風邪 などであれば、確かに良い病院かどうか分からないと いう不安を感じるものの、そこまで気にせず近くの病 院を予約してしまうこともあるでしょう。でも癌など の大きな病気の場合であれば大きな不安を感じて、評 判を調べるかもしれませんし、場合によってはお金を 払ってでも良い医師を探そうとするかもしれません。 このように不安の大きさが異なったときに行動が変 わってくることは容易に想像できますが、「患者は良 い病院を選べなくて不安である」という仮説では、ど のような不安の程度であっても正しい仮説のように判 断されてしまいます。その結果、ちょっとした不安を 解消するサービスを作ってしまったら、誰も使わない サービスになってしまうかもしれません。  同様に「ユーザーは既存のレビューサイトが使いづ らいと思っている」などの仮説も、「使いづらい」と いう感情が含まれる例です。使いづらさのためにその サービスの利用自体を諦めてしまうぐらいなのか、そ れともちょっとしたひっかかりを感じる程度の使いづ らさなのか、「使いづらい」という言葉に含まれる不 満にも様々な程度があります。こうした感情を含む仮 説は一見正しく見えるものの、程度が分かりづらいこ とが多く、結果的に有効ではない仮説になることが多 いのです。  感情を含む仮説になってしまったときは、もっと深 掘りできないか考えてみてください。「使いづらい」 のであれば、何か使いづらくて、特にどこにユーザー が不満を持っているのかをもっと詳細に言えるように 努力してみましょう。先ほどの病院の例で言えば、 「特定の病気を持つ患者は良い病院を選ぶために1万 円以上を払う」という観察可能で検証可能な仮説にし てみることもよいでしょう。そうすることで、どの程 度の不安なのかをより具体的にすることができます。 感情に目を付けること自体が悪いのではありません。 そこからさらに一歩踏み込めるように、仮説をもっと 精緻化してみてください。  また、仮説が極論である場合にも気を付けましょう。 たとえば「筋トレはすべてに効く」といった全肯定や、 「○○には全く意味がない」といった全否定などです。 思考実験や冗談として極論を考えたり、誰かに伝える ために過剰に単純化したメッセージを発することが有 効なときもありますが、それを繰り返すとまともな議 論が成立しづらくなります。また、極論の多くは実行 可能ではないことも多く、現実的な仮説を見つける議 論をしづらくなることも多いものです。極論は時には 活用可能なものですが、使いどころは注意するように してください。  最後に。頻繁に見かけると言われてしまう仮説にも 気を付けてください。たとえばマーケティングに不慣 れな人は、マーケティング改善のための施策として広 告を使った認知度向上という、よくある手段を仮説と して選んでしまいます。  こうした「よくある」仮説を選んでしまう背景には、 不慣れであるがゆえに仮説生成の数が少ないだけでは なく、「この仮説でよい」と判断してしまう評価の方 法にも問題があります。評価が、ダメなアイデアを弾 く門番としての役目を果たさず、{}Oとフ「O-Goの判断 ができないのです。新入社員から出てくる仮説で筋の 良いものが少ないとしたら、それは単に仮説を生成す る能力や経験の不足から来るものだけではなく、仮説 の評価能力にもあるかもしれません。  なお、パターン認識をお勧めしてきましたが、これ もやり過ぎると、レアなケースを見逃してしまうこと もあるので注意しましよう。  たとえば、大成功するスタートアップの仮説は、多 くの場合、パターンに当てはめれば「失敗する」と言 われていた仮説でした。なぜなら、急成長を可能にす るスタートアップのアイデアは、これまでの常識に照 らすと失敗するようなアイデアが多いからです。たと えば、YouTube以前にも動画サービスは何度も取り 組まれて、何度も失敗してきました。そのパターンが 見えてきた後に、YouTubeという新規ビジネスを見 ると、「YouTubeのような動画サービスは失敗する。 なぜならこれまでも失敗してきたから」と評価される ことになったでしょう。しかし、ときにそうしたパ ターンから抜け出して、例外的に大成功することもあ ります。そして良いスタートアップのアイデアを選ぶ というのは、そういうパターンに当てはまらないもの を選ぶことでもあります。  つまり、パターン認識だけを強くすればよいわけで はないのです。本当にこれまでのパターンを使っても よいのかどうかを自問自答しながら状況に応じて切り 替えていくことや、パターンを複数持っておくことが 大事です。 見えづらい/見えやすすぎる評価軸に気を付け る  製品を開発するとき、多くの機能を付けてしまうの はよくあることです。たとえば家電製品では、機能を 追加していくことが普通です。しかし、ボタンが増え て複雑化して、逆に使いづらくなってしまう、という ことがしばしば起こります。  その行き着く先は、百徳ナイフです。機能数という 分かりやすい評価軸では確かに優れているものの、使 いやすさという点では実用的ではないナイフが生まれ てしまうことになります。  「機能の数」は見えやすいものの、「使いやすさ」な どは見えづらいため、どちらかを選ばざるを得ないと き、つい分かりやすい評価軸を重視してしまうのです。  私たちは見えやすい評価軸を過大評価して。見えづ らい評価軸を過小評価してしまいがちです。たとえば、 すでに投資してしまっているお金(サンタコスト)な ど見えやすいものは過大評価される傾向にあり、機会 損失など、現実化していないコストは見えづらいため、 過小評価されてしまいます。  お金はまだ見えやすいほうの資産です。さらに見え づらい資産の1つとして、時間があります。お金を節 約しようとするがあまり、無駄に時間をかけてしまう、 ということはしばしばあります。10円安い卵を買うた めに、30分以上の追加の時間をかけて隣町まで出かけ ていくのは、多くの場合、時間という見えづらい資産 を過小評価しているとも言えます。ビジネスでも同様 に、5時間かけてインタビュー相手を探すよりも、有 償サービスを使って2万円ですぐにインタビュー相手 が見つけられるのであれば検討してもよいでしょう。 しかし、お金という見えやすすぎる評価軸を重視して しまって、時間という見えづらい評価軸を考慮せず判 断してしまいがちなのです。  特にリスクが大きいと感じる決断ほど、情報を集め ることに時間をかけてしまいがちです。経営者は、従 業員の数の分だけ銀行口座に残っているお金が減って いくので、時間という資源に注意を払う傾向にありま すが、従業員の立場だと、どんなに成果が出ていなく とも給料がもらえるからか、時間の視点は特に忘れて しまいがちのようです。その結果、より正しい仮説を 作るための検証に時間を使ってしまい、決断や行動に なかなかつながらない、というヶIスもしばしば目に します。  一時的にはそれでよいかもしれませんが、最終的な 成果とは。正しい仮説を持つことではなく。仮説に基 づいて行動した結果。成果が出たかどうかです。ある 意味、仮説が多少間違っていたとしても成果が上がっ ていればよいとも言えます。仮説を決めて実行し、先 に進んでみなければ分からないことはたくさんありま す。うだうだ悩んでいると、時間だけが進んでいきま す。そうはならないように気を付けましよう。 状況に応じて評価軸の重みづけを変える  使われるべき評価軸は、置かれた状況によって変わ ることもしばしばあります。  たとえば同じ会社でも、新規事業と既存事業を同じ 「売上の規模」で評価してしまうと、新規事業は勝て ません。その結果、新規事業が全く育だない会社と なってしまいます。人事評価もそうです。経理部門の 評価軸と、営業部門の評価軸はある程度異なっている ほうがよいでしょう。  同様に、既知の事業領域においては効率性や生産性 を重視するほうがよいでしょうが、同じ軸で未知の領 域での事業を評価すると、失敗を恐れ思い切った探索 ができなくなってしまいます。目的や目標に応じて評 価軸は変えていくべきなのです。  日常生活の中でも、重要視する評価軸は動的に変 わっていきます。都会の中であれば、料金が比較的安 く、便利な電車の評価が高いでしょう。しかし急いで いるときは、目的地の目の前についたほうが早いため、 多少料金が高くてもタクシーを選ぶ、という人も多い のではないでしょうか。  このように同じ人でも状況によって評価軸は変わり、 最終的に選ぶ選択肢も変わっていくのです。複数の種 類の評価軸があったとしても、どれを重視するかにつ いては、その時々で考える必要があることは忘れない ようにしてください。 独自の評価軸を考える  ここまで、標準的な評価軸のフレームワークとして、 VIBESやRICEなどを紹介してきましたが、独 自の評価軸を作り上げていくのも、評価に活きてきま す。いわば新機軸を考える、とも言えるでしょう。  たとえば、(joogleのサイト信頼性エンジニアリン グのチームは「エラーバジェット(失敗予算)」という 指標を新たに用意しました。新機能のリリースやメン テナンスによって(joogleのサービスが稼働していな い時間を、特定の時間内に収める、という指標です。  もし「失敗してはいけない」という評価軸なら、ど のような仮説であれ、失敗する可能性のある仮説は試 しづらくなるでしょう。その結果、失敗する可能性の ある新しい機能を試せず、製品の機能開発は保守的に なってしまいます。  しかし、エラーバジェットという評価軸があること で、その失敗予算の範囲内であれば新しいことに挑戦 できるようになります。そうなると自然と選ぶ仮説も 変わってきます。こうした新しい評価軸を用意するこ とで、選択できる仮説はずいぷんと変わる、というこ とです。その他にも、ITの世界では、遅延コスト (もしこの機能のリリースが1か月遅れたときに、どれくら いのコストをもたらすのかこなど、様々な評価軸が提 案されています。  ただ、自分たちの組織や事業にあった優れた評価軸 を用意することは大変なことです。というのも、多く の人は、その評価軸を他人や社会に委ねてしまいがち だからです。  たとえば、学業で優秀な成績を収めてきた人は、 「誰かの敷いたレールを、誰よりも速く走り抜ける」 ことを得意としている、と言ってもよいでしょう。そ うした環境に慣れてきてしまった人は、競争で勝つこ とが正しいと考え、競争の激しい領域に進んで飛び込 んでしまいます。今、有望と目されている研究領域や ビジネス領域を選び、その中でナンバーワンを目指す ような戦略です。もちろん能力に自信があれば、そう した戦略もありえます。しかし、この戦略でナンバー ワンになれるのは各領域でたったI人です。多くの人 にとっては、競争の激しい領域でナンバーワンを目指 すのではなく、別の領域でナンバーワンを目指すか、 競争の激しい領域であっても独自の立ち位置を築き、 価値を出すようにしたほうが圧倒的に楽になるのに、 です。  だからこそ、他人が用意した評価軸ではなく、「そ もそもどの評価軸であれば価値が出せるのか」を自分 自身で考えてみてください。  完全に独自とは言わずとも、多くの人が今は無視し ているような評価軸を選んで仮説を評価していくこと で、オンリーワンの立ち位置を取ることができます。 そしてその立ち位置が、社会全体の中で重要になれば、 ナンバーワンにだってなれるかもしれません。そうな れるよう、独自の評価軸を探すのを諦めないようにし てください。 欠点の有無ではなく、総合的に評価する  大きな仮説は、たくさんの仮説がシステムのように 複雑に絡み合いながら成立しています。そして仮説の 確信度が100%に至ることはないでしょう。何かし らの弱点や欠点があるはずです。仮説マップの中で少 しのリスクや欠点が見つかったからと言って、仮説を すべて捨てる必要はないはずなのですが、多くの人は 欠点ばかりを見てしまい、仮説を棄却してしまいがち です。  たとえば既存の制度に代わる新しい制度を政府が提 案したとき、「欠点がある」という理由で批判される ことがあります。ここでの新しい制度は仮説です。し かし、こうした新しい制度を評価するときには、欠点 の有無ではなく、それぞれの欠点の質、既存の制度や 他の仮説と比べたときにどちらが良いのか、で考える べきでしょう。それなのに、こうした比較なしに、欠 点を1つ挙げただけで、新しい制度やシステム全体を 否定する人は後を絶ちません。その結果、問題のある 現行の制度が残ってしまったり、「何もしない」とい う決断を図らずもしてしまうのです。  これは仮説でも同様です。仮説マップの中で欠点が 1つや2つあるだけで、人は新しい仮説全体を否定し てしまいがちです。ただ、欠点が1つあるからと言っ て、全体が否定されるわけではありません。比較対象 となる仮説マップや現状との差を考えて、その欠点の 大きさで比較するべきでしょう。良い面と悪い面は常 に混在するものであり、その両者を勘案して、統合的 に判断していく必要があります。  欠点に目をつぶるのではなく、かといって欠点をI 切なくすのでもなく、そのバランスを見ながら統合的 に評価し、判断していく必要があるのが、評価の難し い点でもあります。しかし、それをうまくできるよう になると大きな武器にもなるでしょう。 他人の評価を活用する  近くに相談ができる相手がいるかどうかで、仮説を 適切に評価できるかも変わってきます。  たとえば、クラスメイトに起業経験者がいると、そ の後に起業する割合が減ったそうです(士。これは決 して悪い影響ではなく、アイデアの良し悪しが分かる ようになり、悪いアイデアでの起業を避けるように なったからだと言われています。実際に、起業経験者 をクラスメイトに持つ人が起業した場合、その会社が 成長する可能性は高まりました。アイデアの批評や評 価をしてくれる大がいるかどうかで、その後のパ フォーマンスも変わってくるのでしょう。  仮説を作ったら。仮説の評価に慣れている大に積極 的にぶつけて。反応を見るようにしてみてください。 そうして誰かと一緒に仮説を修正してみましょう。自 分だけで仮説の選択を完結できればベストですが、必 ずしもそうする必要はありません。誰かの力を借りて 仮説を選ぶのも、「協力してくれる大を味方につけて いる」「適切なアドバイスをくれる大を選んだ」とい う意味で、その人の力の現れです。  たとえば起業家であれば、ペンチャーキヤピタリス トにアイデアをぶつけてみることで、そのアイデアの 良し悪しが分かるかもしれません。もちろん、ベン チャーキヤピタリストの評価がすべて正しいわけでは ありません。だから答えだけを聞くのではなく、「な ぜ」そう評価したのかを聞いてみましよう。その背景 となる考え方が分かれば、自分でもその考え方を学ん で判断できるようになるでしようし、他の考え方と組 み合わせて、多角的に評価ができるようになります。  また、「良い批評家」「良い編集者」に頼る、という のもポイントです。文筆業としての批評家や編集者で はなく、そうした能力を持つ人たちに頼るということ です。たとえばベンチャーキャピタルなどの投資家の 中にも、単なる感想しか言わない人や、ダメなところ を非難だけする人、一般的なフレームでしか評価でき ない人もいます。優れた批評家とは、本来、アイデア の中に潜む可能性を見つけ、それを伸ばすことができ る人でもあります。  他人を活用してより良いものを作るのはビジネスに 限りません。漫画の編集者は、持ち込まれる作品を何 度も見て、漫画家の卵を徐々に育てていきます。研究 者の卵も、指導教員に何度も研究成果や論文を持ち込 んで、内容や構成、言葉遣いの添削や、そもそもの研 究設計のフィードバックなどをもらうことで、論文の 書き方や実験の方法を身につけていきます。どのよう な編集者や指導教員を持つかによって、またお互いの 相性によって、その人の伸びは大きく変わってくるで しょう。  仮説やアイデアも同様です。こうした批評眼を持っ ていて、しかも優れた編集をしてくれるような大、特 に自分と相性の良い大を見つけて、そうした人の眼か ら仮説を何度も見てもらえる関係性を作ることが、仮 説をうまく評価するためのコツです。複眼的な思考を 自分でできるようになるのがベストですが、他人の眼 を使って複眼を実現したほうが大抵の場合は簡単です。  特に初心者の場合、進捗状況を見誤ることも多く、 起業プロセスの全体像も分かっていないため、自分が 起業全体のプロセスのどの段階にいるのかを判断する ことができません。そんなときこそ他人の眼をうまく 使うようにしましよう。  積極的に他人の力を借りるのは、誰でもできること ではありません。それは優れたスキルです。ぜひその スキルを磨いてください。    no厂c〜一z 批評する     評価の中で、人に聞きに行くことをお勧    めしました。読者の中には、逆の立場とし    て、「この仮説についてどう思いますか?」    と聞かれる人もそれなりの数いるのではな    いかと思います。     特に他人の仮説について意見を求められ たときには、批評や編集。批判的思考の考 え方を活用し、仮説の良い面を伸ばすこと を心掛けてください。  まず批評です。批評は文芸批評が有名で すが、映画批評、デザイン批評などもあり ます。  批評は英語では∩『11tique(クリティーク) と書きます。クリティガルシンキング (Critical Thiコking)のCriticalと批評の Critiqueは同じ語源を持つ言葉です。  こうした批評はいわゆる感想文における 「楽しかった」「面白かった」という主観的 な「感想」とは異なる機能を持ちます。  批評というと、弱点を挙げ連ねて、その 改善点を指摘することだと思われるかもし れません。確かにそのような役目もありま す。しかし決してそれだけではありません。 優れた批評は、むしろその逆の機能を持っ ています。  ニューヨーク市立大学などで教鞭を取っ た、哲学者であるノエルーキャロルは、批 評を「理由にもとづいた価値づけ」と考え、 それを補助する作業として、記述・文脈づ け一分類・解明・解釈一分析などがあると 整理しています(10)。またイギリス文学者 の北村紗衣は、批評の役割を「作品の中か ら一見したところではよくわからないかも しれない隠れた意味を引き出すこと(解 釈)と、その作品の位置づけや質がどうい うものなのかを判断すること(価値付け)」 とまとめています(し。つまり、批評とは 作品の隠れている良いところを見つけて。 その良さを明らかにしたり。価値づけたり することで。作品の価値を向上させる営み でもあるのです。文学批評を通して、その 文学作品の新しい面に気づくことができる ようになるのはそのためです。  クリティガルシンキングも同様に、仮説 や議論の弱点を見つけるための「粗探し」 や「ダメ出し」、相手を非難(qERヨ)す るための技法と捉えている人も多くいるよ うです。そして「否定するほうが、スマー トに見られる」と考える人が多いためか、 物事を批評するときに否定的な発言をする 人のほうが多く、その結果、批評や批判と いう言葉には悪いイメージを持ってしまっ ている大も多いように見えます。  しかし批判的思考は批評(q一’ぞの)であ り、批評は本来、新たな可能性や意味を探 り当てるためのものです(12)。仮説の批評 もまた、その仮説の良い面を見つけて、そ の可能性を引き出し、増幅させることだと 言えるでしょう。優れた批評かどうかは、 間違いや弱点を指摘しつつも、「良いとこ ろを見つけ出し、その可能性を引き出す」 ことができているかどうかです(13)。別の 言い方をすれば、「面白がる力」「良い機会 を見つける力」「大切なものを取り上げて、 大切ではないものを捨てる力」とも言えま す。  物事には何かしらのトレードオフがある ため、欠点は必ずあります。そのため、少 し斜に構えさえすれば、他人の考えの粗探 しをするのは比較的簡単です。しかし良い 面を見つける能力はそうそう身につくもの ではありません。  たとえばスタートアップのアイデアを考 えるとき、そのアイデアが持つ欠点と同時 に、可能性は低くとも、どれだけ大きなビ ジネスになりうるか、という点も考えてみ るとよいでしょう。悪い面やミクロな間違 いは対策すれば乗り越えられるものの、ど こまで大きな事業になりうるかや、事業の 方向性の正しさは、アイデアの最初の時点 でおおよそ決まります。まだ形が見えてい ないアイデアの段階で、事業の可能性をき ちんと判断しなければならないのです。実 際、世界的に有名なスタートアップ支援機 関であるY Combinatorの共同創業者の ポールーグレアムは、初期のスタートアッ プを評価するときに行うべき質問は、「創 業者が正しいことをしたら、どのくらい大 きな会社に成長するだろうか?」だと指摘 しています(14)。つまり、そのアイデアの 可能性や良い面を発見するための批評を行 うのです。  しかし、そうした思考ができる人はごく わずかであり、多くの人は問題の指摘だけ に留まってしまいます。だからこそ、そう した批評ができる人は希少であり、重宝さ れます。  では、どのようにすれば優れた批評を行 えるでしょうか。  まずは対象を深く理解するところから始 めなければなりません。小説への批評なら 精読することでしょうし、他人の仮説であ れば、それを理解するところから始まるで しょう。そのあと、他の仮説やアイデアと 比べる必要もありますし、どういった評価 軸で批評するか、なども考える必要がある でしょう。仮説の提案者が気づいていな かった、新しくも重要な評価軸に、批評者 のほうが先に気づけるときもあるかもしれ ません。思わぬ視点や評価軸からの批評は、 提案者の目を見開かせることもあります。  どのようなフレームでその作品や仮説を 見れば、新しい意味を引き出せるかといっ た観点もあるでしょう。特に一般的な美術 や小説であれば「どこからどこまでが作品 か」という明確なフレームがありますが、 環境批評(15)やアイデアの批評は、そも そもどのようなフレームで見るかも批評を 大きく左右します。本当に優れたアイデア は、既存の評価軸とは異なる評価軸で優れ ている、ということがしばしばあるため、 単に既存の枠に当てはめて評価するだけで は見逃してしまうことがあります。既存の ビジネスのフレームで見てみると可能性を 感じないアイデアであっても、全く別のフ レームを持ってくれば異なる価値が見えて くるかもしれません。すでにあるビジネス のフレームを適用することで、アイデアを 素早く評価していくのも1つの方法ですが、 ストリートファイトのような何でもありの 批評を意識的に行うことも身につけておく と幅が広がるでしょう。  特に他人の仮説を批評するうえでは、 「思いやりの原理」からスタートしましょ う。これは「相手の議論を組み立て直すと きには、できるだけ好意的に、筋の通った 形で組み立てる」という、現代哲学におい ても、クリティガルシンキングにおいても 基盤となる考え方です。相手のアイデアや 考えを可能な限り前向きに受け取ったうえ で、相手と協力しながらより良いアイデア に至ろうとする態度を持つようにしてくだ さい。そうしなければ、重箱の隅をつつい たり、相手の揚げ足を取ったりして、非難 になってしまいます。あるいは「はい、論 破」などと言って、対話を閉ざすことにも なりかねません。確かに論破をすればその 批判者自身は賢く見えるかもしれませんが、 その議論には何の生産性もなく、お互いの 時間を無駄にしてしまうため、結果的に批 判者にとっても賢くはない行為となってし まいます。批評を通して互いを高め合い、 対話を続けるためには、相手を論破するよ りもずっと高度なスキルが必要なのです。  このように、批評はとても難しいもので す。批評は独立した1つの創作物であると も言われますが、それだけ難しく、価値が あることだからです。批評がうまくなれば、 自分の仮説の評価もうまくなるでしょうし、 それ以上に周りから重宝される人材になれ 9 決断する  仮説を評価したら、どの仮説を選ぶか決断し、実行 しなければなりません。この決断が本書で言うところ の「リープ」です。  もし確信度が95%になるまで決断と実行を先延ばし していたら、どれだけ正しい仮説に辿り着いたとして も、事業としては時すでに遅し、となっていることも 容易に起こりえます。  どれだけリスクを緩和しようと、ゼロにはできませ ん。最終的にはそのリスクを飲み込んで決断する、い わば「リスクを取る」かどうかを決める必要がありま す。起業の中でも急成長を目指すスタートアップの場 合、確信度が10%や20%でも、成功したら大きく成長 しそうであれば踏み切る必要があるのです。  分析や評価は得意でも。決断ができないという人は 大勢います。決断と分析の能力は異なるようです。し かし、そもそも論理的な推論や合理性のみで決定でき るものは、意思決定とは呼べないでしょう。そこには 意思がないからです。仮説の評価までは分析や論理を 意識したほうがよいでしょうが、決断のときには頭の 使い方を意識的に変えていく必要があります。  一番怖いのは。決断をする前です。決断する前は 様々な懸念や失敗する理由が思い浮かんでしまいます。 しかし一度「やる」と決めてしまったら、あとは成功 させるための筋道を考えていくだけになり、考えるこ とが減ります。この決断のフェーズをうまく乗り越え ましょう。  この章では、こうした決断を行うために、どういっ た考え方や行動法が必要なのかについて解説していき ます。 仮説に賭ける  仮説に関する決断は、「この仮説は正しいと 100%確信しているから実行する」というよりも、 まだ100%の確信度ではないけれど「この仮説に賭 ける」「この仮説が正しいと信じて。思い切って跳ん でみる」という表現のほうが適切でしょう(士。  「意思決定する」ではなく、「賭ける」という言葉を 使っているのは、そのニュアンスからです。  論理的な分析の結果出てきた答えを採用することは、 たしかに意思決定ではありますが、その答えから大き な利益はおそらく生まれません。なぜなら、誰もがそ の答えに行き着いているはずだからです。競合に先ん じて利益を上げようとするときに行うべき意思決定の 多くは、論理的な分析だけでは到達できない、非合理 性を含むもの、つまり賭けであることがほとんどであ り、そうあるべきなのです。  そのように考えると、意思決定という言葉よりも 「賭ける」という言葉のほうがしっくりくるのではな いかと思います。そして「賭ける」という言葉には、 仮説のダウンサイドリスクを十分に鑑みたうえで、そ のリスクテイクができると考えた、というニュアンス があります。  ある程度の確信度があるのなら。その仮説に賭けて 行動してみましよう。決断して行動してみることで、 本当の学びを得ることができます。動き出せば、仲間 も増えるかもしれません。  決断の前、つまり仮説に賭ける前には、自分が賭け ようとしている仮説や仮説マップは一体どういうもの なのか、今回の賭けは一体どういう種類の賭けなのか、 そして賭けるためには何か必要かを考えてみてくださ い。そうすれば、決断をすることが少しは楽になるは ずです。 決断するためのコツ  評価と同じく、決断は一瞬の行為です。しかし、一 瞬で行われるからといって、簡単というわけではあり ませんし、直感で決めてうまくいくわけでもありませ ん。決断のコツをいくつか紹介しましよう。 決断には種類がある  決断で詰まっている状態として「複数の仮説の確信 度がどれも同じくらいで、どれが良いか分からない」 というときがあります。こんなときは、「どうすれば 選択肢を捨てられるのか」を考えましよう。選ぶので はなく、捨てるという態度になることで、選択肢の見 方は少しだけ変わってきます。  また1つのアイデアにコミットするのが苦手で選べ ない、という人もいます。1つのアイデアにコミット して、もしそれが失敗したら、時間的・金銭的に損を してしまうのではないか、と捉えてしまうようです。 そのような人には、「ここまでだったら損をしてもよ い」というアフォーダブルロスを決めて、実行のプロ セスに入ることをお勧めします。そうすれば、選択後 の後悔を少なくすることができるはずです。  仮説自体は作れるものの、どの仮説も確信度が低く て選べないという場合は、自分が求める確信度が高す ぎることを疑ったほうがよいでしょう。自分に自信が ない人や、失敗を恐れる人、自分の成功確率に対して 期待感が高すぎる人は、仮説に要求する確信度も高く なりがちです。そんなときはどの程度のリスクであれ ば自分は取れるのか、といった別の視点で仮説を見て、 自分の要求する確信度に対するバイアスを意識するよ うにしてみてください。  また、決断できないときは、決断の種類を考えてみ ることも1つの方法です。  ○コe-way doo「とTwo-way doo「という考え方が あります。一方通行で戻ってこられないドアと、戻れ るドアのことです。yヨ我目では、決断をするときは この2つを分けて考えるようです。  もしTwo-way door'つまり戻ってこられる決断な のであれば、早さを優先しましょう。やってみて、ダ メだったら戻ってくればよいからです。もし○ne-way doorであれば、十分に強い仮説になっているかを評 価して決断したほうがよいでしょう。取り返しのつか ない決断であれば、慎重に行うべきだからです。  なお、きっぱりとこの2つに別れるわけではなく、 ○ne-wayなのかiwo-wayなのかはグラデーションの 場合もあります。たとえば大きな部署変更や人事異動 を伴う組織変更は○ne-way doorに近いTwo-way door です。変更して戻すこともできますが、痛みを伴いま す。  このように決断には種類があることを認識し、その 種類によって決断に対する態度を変えたほうが、より 良い結果が得られるようになるでしょう。 決断しないという決断  評価した結果、「まだ決めない」というのも1つの 決断です。つまり、「今は賭けない」という賭けです。  人は性急に答えを出したがる傾向にあります。迷っ ている状態よりも、決めてしまってはっきりさせたほ うが安心できる、という面もあるからです。また「決 断をすること自体が美徳である」「決められる人が格 好良い」という考えもあり、決断をすると、自尊心が 高まるほか、周りからの賞賛を得られることもありま す。  決断は大事ですが。それ自体に価値を置きすぎない ようにしてください。大事なのは決断の中身です。決 断せずに曖昧な状況に耐えるのも1つの重要な決断で すし、それに耐えるには覚悟と能力が必要です。  一方で、「まだ決めない」というのは、多くの場合 「変えない」「今のままでいる」という決断であること も忘れないようにしてください。もし現在うまくいっ ていないことに対して「変える決断をしない」という ことは、うまくいっていないことを続ける、というこ とでもあり、今後より良い仮説ができる、という賭け でもあります。そうして決断を先延ばしにした結果、 取れる選択肢が少なくなり、破綻するところまで行っ てしまうこともあります。「賭けない」ことによって。 アップサイドリスクを逃してしまうかもしれません。 待つというのは立派な1つの賭けですが、本来やるべ きことからの逃避に使わないようにしましよう。  なお、決断を遅らせても問題がない状況を作ること も1つの方法です。新製品開発の手法として、セット ベース開発というものがあります。なるべく複数の新 製品開発のプロジェクトを走らせておき、筋が良いも のをあとで選ぶ、という方法です。コストはかかりま すが、まだほとんど何も見えていない初期の段階で仮 説を1つに絞って進む、という重大な決断を避けなが らも、アップサイドの可能性を残しておくことができ ます。  システムアーキテクチヤの設計でも、なるべく重要 な判断は後ろに持っていけるようにすることがありま す。アーキテクチヤは一度決めると変えづらいため、 重要な選択はある程度開発が進んだ段階で選べるよう、 柔軟な構造を持たせておくのです。  このように、「待てるようにする」「待っても問題が ない」状況を作るのは、重要な技術の1つと言えるで しょう。 決断の前に撤退条件を決めておく  間違った仮説で決断し、実行してしまうと、損失が 発生してしまうこともあります。そのようなときのた めに、撤退条件を事前に設けておきましょう。  検証でも勝利条件と撤退条件を決めることをお勧め しましたが、決断の際にも、「成果が基準に達しな かったら考え直す(仮説マップの構築に戻る)」と決め ておくことで、損失をある程度の範囲内に収めること ができます。言い換えれば、仮説マップと決断が正解 だったか間違いだったかの基準を事前に決めておくの です。  これは目覚ましのアラームのようなもので、仮説と の恋に落ちている自分の目を強制的に覚ますことがで きる方法です。  特に組織は仮説の棄却や撤退を苦手とします。仮説 や事業を捨てるとなると、関わる人たちのことを考え てしまい、なかなか撤退に踏み切れなくなるのです。 そうして多くの人や組織は「間違い」を認められなく なり、取り繕ってしまいます。だからこそ、組織で仮 説に関わる場合には特に、撤退条件を事前に決めてお きましよう。  撤退は非常にストレスのかかる行為です。だからこ そ、厳しい判断や、情が入り込んでしまいやすい決断 について、事前に客観的な基準を決めておくことの効 果は計り知れません。ぜひ決断の前に一度撤退条件を 考えてみてください。 諦めるという決断  どんなに努力して実行しても、仮説を正解にできな いときもあります。そのときには仮説を諦める、とい う決断をすることになるかもしれません。  皆さんが知れば驚くほど、起業家は多くの仮説を諦 めて、その後ようやく成功の兆しのある仮説に辿り着 いています。そうした意味でも、筆者が見てきた優れ た起業家に共通する特徴の1つには、ばっさりと「仮 説を諦める」ことがあります。仮説に粘り強くこだわ り続けたりすることは美徳とされがちであり、解像度 を上げていくときには必要な姿勢でもありますが、見 込みがないと思ったらすぐに仮説を変えて新しく試す のも重要な態度です。  仮説を諦めるときにも、いくつかのコツがあります。  仮説を磨き上げる過程では、それなりの時間やお金 を使うことになります。仮説マップを一度確定させて 実行までしている段階では、さらに多くの時間やお金 を使ってしまっているでしょう。そうした状況では、 多くの人がサンタコストの呪いにかかってしまい、な かなか仮説を諦めることができません。そして諦めが 遅くなると、その分さらにサンタコストは増えてしま い、さらに諦めづらくなります。株式投資などでも損 切りが難しいと言われますが、仮説もまたしかりです。  その対策として、「今持っている資源や知識がある 前提で。もしゼロから考えた場合。この仮説を選ぶだ ろうか?」「始めたときにタイムスリップしたら。自 分は今と同じことをやるだろうか?」と定期的に自問 自答してみましよう。そうすれば、サンタコストのバ イアスを多少取っ払って自分の仮説について考えるこ とができます。もしそれがノーであれば、諦めるべき 時かもしれません。  あなたが起業の初期のフェーズにいる人であれば、 毎月でもこの問いを自問自答するべきでしょう。あな たが勤め人であれば、年にI度ぐらいはこうした問い で自分自身のキャリアを考えてみてもよいかもしれま せん。  時には仮説を諦めるという決断が必要であることも、 常に頭の隅には置いておきましょう。 決断に「痛み」や「恐れ」を感じているか  損得勘定だけで物事を判断するのはある意味で楽な ことです。同様に、検証できた確実なものを実行する のも誰でもできることです。「検証したのか」を聞く ことはよいですが、「確実と言えるのか」という問い は決断する立場の人としては不適格でしょう。確実と は言えない状況であっても、リスクを評価して、その リスクを取るのが決断です。意思決定という言葉を使 うと、第三者的で客観的な判断が可能というニュアン スが出てしまうため、本書ではあえて「決断」という 主観的な意味を強く持つ言葉を使っていますが、リス クを取るためには。優れた思考だけではなく。「強い 意思」が必要です。そして意思のない決定は、決断や 賭けではありません。  不確実な物事に対して悲観的であったり、恐怖を感 じたり、臆病であることを避けられませんが、そうし た自分の気持ちを適切にコントロールして、あえて貪 欲になってリスクを取ることも必要です。  特に経験が長くなればなるほど、そうした意識を持 つ必要性が高まります。経験や実績が積み重なる分、 失敗に対する恐怖心は高まるでしようし、失敗の事例 をたくさん見てきたため、リスクを指摘したり、最小 化するのはうまくなります。その結果、経験者であれ ばあるほど、多くの選択肢で「失敗しない」ことに重 きを置いた決断をしてしまいがちです。  だからこそ、意思を持ってリスクを取るようにしな ければ、リスクの低い選択をしてしまいがちになりま す。「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は 意思によるものである」とはフランスの哲学者である アランの言葉ですが、リスクを考えるうえでも、この 言葉は参考になるでしょう。  決断のときに問われるのは、自分たちが一体どうし たいのか。何のためにこの会社や事業はあるのか。自 分たちはどうありたいのか。といった意思です。こう した意思がなければ、決断はできません。  決断の際には、痛みや恐怖を感じているかどうかが チェックポイントになるでしょう。痛みや恐怖を感じ ていなければ、それは良い決断とは言えません。痛み がないのであれば、トレードオフやジレンマのない決 断だということだからです。恐怖がないのであれば、 そもそも検証のコストをかけてまでリスクを下げる仮 説ではなかったのかもしれません。むしろ、情報を集 めすぎていて、時間の機会損失が発生してしまってい ないかを疑うべきでしょう。恐怖があるぐらいのタイ ミングで決断することが、他社の一歩先に行くために は必要です。  決断のときに勇気と意思を発揮できていなければ。 それは良い決断ではない、ということです。それを意 識しながら、決断のタイミングを考えてください。    no厂c〜一z チームでの決断の難しさを引き    受ける     チームでの決断は、個人の決断よりも複    雑になることが多いです。なぜなら、決断    が得意な人もいれば、不得意な人もいるか らです。人によって「十分な」確信度の (Iドルは異なるため、仮説マップが強く なったとしても、それを十分だと思うチー ムメンバーもいれば、まだ十分ではないと 思う人もいるでしょう。確信度の感じ方も 人によって異なります。  ただ、チーム内で全員の確信度が十分に 高まるまで待っていては、事業は進みませ ん。むしろ、全員が賛成するような取り組 みは、すでに時機を逃している、とすら言 えます。  このように、チームメンバー間でも異な るリスクの感じ方の違いを統合して、最終 的にチームとして決断をする責任を負って いるのが、リーダーです。  相反する複数の意見の中で、リーダーは 決断をしなければなりません。メンバーの 反対を押し切って、決断をしなければなら ないときもあるでしょう。むしろ、すべて のチームメンバーから好かれる決断をし続 けていたら、それはリーダーとしての役目 を果たしていない、とすら言えます。  もしあなたがりIダーなのだとしたら、 全員の合意を取るのではなく、すべての人 に好かれる決断はないのだと考え、ときに は冷徹に決断をするようにしてください。  −  I アニー・デューク『確率思考−不確かな未来から    利益を生みだす』(長尾莉紗訳、日経BP、    2018年)などを参考にしました。 10 仮説を実行する  仮説マップの中の仮説群を検証し、全体として十分 な影響度と確信度が持てたのであれば、次はそれを実 行します。学習のためのループから、業績のための ループに移行するのです。本書の言葉で言えば「業績 のための行動」です。  本書では実行そのもののコツについては解説をしま せんが、実行をしながらどのように仮説と関わってい くかについて、少しだけ触れたいと思います。 仮説を「正解」にする  特定の仮説に賭けた後は、それを正解にするための 活動が必要になってきます。正しい答えを選べばそれ で終わりというわけではありません。この仮説に賭け ると決めたら。その仮説が「正解だった」と将来言え るように。実行をやり切るようにしましよう。  多くの場合、仮説を実現するための努力がなければ、 どんなに筋の良い仮説でも正解にはなりません。仮に 一時点で自分たちの仮説が他社よりも正しかったとし ても、他社が自分たち以上に実現の努力をすれば、他 社の仮説が「正解」となる可能性もある、ということ です。もしかすると、あなたの考えた仮説は一時的に 先んじているかもしれませんが、そのまま何もせずに いると、周りの環境が変わり、当初は優れていた仮説 もその輝きを失ってしまうことすらあります。  仮説を選ぶ決断をしたら、それを徹底して実行しな ければほとんど意味がありませんし、仮説を正しいも のにしていくためには、泥臭い努力が必要です。  参謀のポジションに憧れを持つような人は、泥臭い 努力を過小評価したり、避けてしまいがちです。もち ろん、仮説を持たないまま行動することは避けるべき ですが、この「自分の仮説を正解にする」という意思 と努力こそが、仮説の最終的な良し悪しを決めます。 そのような覚悟を持って、仮説を実行しましよう。 実行で勝つ  仮説の精度はほどほどでも、徹底した実行で勝つ、 ということもできますし、競合にもその手段があるこ とを忘れないようにしてください。成果の大きさは決 して仮説の精度だけで決まるものではありません。実 行の量と質も成果を出すためには必要です。  たとえば営業の成果を考えてみましよう。営業の新 規開拓の数は、対象となる顧客や開拓方法論などの営 業仮説の精度と行動量(訪問件数)の掛け算で決まっ てくるとしましよう。そのとき、仮説の精度が80%で 行動量が100の組織と、仮説の精度が65%で行動量 が130の組織を比べると、計算上、前者の成果は80、 後者は84・5となります。仮説の精度が多少悪くても 行動量が多い組織のほうが多くの顧客を掴めることに なります。仮説の精度を15%上げるための時間よりも、 実行のための時間を多く確保したほうが成果は上がる かもしれないのです。  実際、圧倒的な行動量こそが。仮説を正解にするた めの鍵となります。営業の強い会社が成功しやすいの は、まさにこの圧倒的な行動量のおかげでしよう。少 ない行動量で何かを成し遂げられた人はそう多くはあ りません。そして多くの場合、行動量の多さが成否を 分けます。  ただし、量だけを増やせばよいというわけではあり ません。仮説に沿った行動ができているか、つまり行 動の質もまた重要です。たとえば、先ほどの営業の場 合、あらかじめ決めた対象と異なる顧客への訪問量を 増やしても、あまり意味はありません。量とともに、 行動の質にも気を配り、量と質の両方を徹底的に高め るようにしましよう。  実行をするときには、仮説をタスクに分解し、優先 順位を付け、スケジュールを組んで、実行の進捗をマ ネジメントしていきましよう。本書では解説しません が、実行の方法やスキルも重要です。精度の良い仮説 を作ることだけに拘泥しないようにしてください。勝 つのは良い仮説を作り、そして徹底的に行動した人た ちです。 外部要因すらも変える  仮説を正解にするというのは、単に仮説を実行する だけではありません。環境や前提条件といった外部要 囚を変えることすらも視野に入れる必要があります。 つまり、「自分たちの仮説はどうすれば正解になるか」 を考えるのです。  たとえば規制などのルールは所与のものとして考え られがちですが、規制当局ときちんとコミュニケー ションをして合理性を訴えれば、変えることもできま す。決して変えられない前提条件ではありません。  だからこそ、「環境が揃わないから、この仮説は正 解にならない」と諦めるのではなく、むしろ仮説が正 解になるように環境に影響を与えて、仮説を正解にす る努力もしましよう。  そうして「仮説を正解にする」ことを進めていくと きには、仮説マップを意識してみてください。「仮説 マップの中のどの仮説を正解にすれば。私たちは仮説 マップ全体を正解に近づけられるのか」が分かれば、 あとはその個別の仮説を正解にするだけです。別の言 い方をすれば、自分たちの仮説マップの勝利条件を特 定し、今はまだその条件が満たせていなくても、その 条件を満たせるように世界を変える、ということです。 自分たちの実行力で仮説を正解にしたり、外部の環境 すらも変えて正解にすれば、勝利条件を満たせるよう になるはずです。  オセロの盤を想像してみてください。普通のオセロ と違い、自と黒の石がすでに複数個置かれている状況 からスタートするとしましょう。そうした前提条件が 与えられたとき、最終的に盤面全体がどうなっていれ ば勝ちなのかを考えることが、仮説マップを作ること だと言えます。その後、プレイヤーは交互に石を打っ ていき、仮説マップを正解に近づけていきます。では、 もし順当に打っていく中で、その仮説マップに辿り着 けないことに気づいたらどうするでしょうか。おそら く多くの人は、目指すべき最終的な盤面を変えて、当 初の想定とは異なる勝利を掴もうとするでしょう。そ れは目標を別の仮説マップに切り替えることで、順当 でまっとうな考え方です。  ただ、オセロではできなくて、ビジネスであればで きるもう1つの手段があります。それは(倫理やルー ルの範囲内で)様々な手を使って、すでに置かれた自 の石ですら黒へとひっくり返し、そこを起点にして自 分たちの作りたかった盤面を作り上げることです。本 当に鍵となる少数の石をひっくり返すことで、前提や 条件を変えて、一気に戦局を変えるのです。そうして 盤面全体を正解に近づけることが「仮説マップを正解 に近づける」ことであり、その実現のために全力を尽 くすことが「仮説を正解にする」ことです。  ビジネスにおいては、I人の超有力者に仲間に大っ てもらう、規制が変わる、一桁二桁大きなお金が手に 入る、など、1つの変化で大きく戦局が変わることが あります。もしその仮説を実現できれば戦局が変わり、 仮説マップ全体の確信度も上がるのであれば、なんと かしてその仮説を正解にしましよう。そうした考えを 持つことが、「正解の仮説を考えたり、正解と言える 仮説を探す」という態度からさらに一歩進んだ、「仮 説を正解にする」ための考え方です。 チームの力を引き出す  I大であっても、仮説の実行に全力で取り組むのは 難しいことですが、チームの場合はもっと難しくなり ます。たとえば「このように決断した」と伝えても、 なかなか伝わらないこともありますし、反対意見が出 てくることも多いでしょう。「私は反対です」と表 立って言う大もいれば、裏で「私は反対なんだけど ね」と言う大が出てくることもあります。仮説に反対 していた人の中には、実行を適当にして、仮説が間 違っていたことを結果として証明し、自分の意見が正 しかった、と言ってしまうような人もいるかもしれま せん。  しかし決断したからには、組織として進める必要が あります。どれだけ仮説が正しくとも、I人で実行で きることは少ないからです。人を巻き込み、組織とし ての方向性を一致させて取り組んでいく努力を忘れな いでください。そのためには、なぜそのような仮説に 至ったのか、そしてどのような点がまだリスクとして 残りつつも決断したのかなどを、チームメンバーに適 切に伝えていかなければなりません。  このようにチームでの仮説行動では、誰もがその仮 説に賭け、チームとして全力で行動できるような状態 にすることも重要な要素であると認識しておいたほう がよいでしょう。そのためには、単に仮説の正しさを 訴えるだけでは不十分な場合がほとんどです。  まず仮説を作るプロセス自体に。そのメンバーがど れだけ主体的に関わったかで納得感は変わります。自 分だけで仮説を作るのではなく、仮説行動のプロセス をチームで行うように心掛けるのです。チームで議論 をして、様々な面から検討をしながら、作業仮説をク レームにしていくと、少し時間がかかるかもしれませ ん。でもそうした活動が、最後の実行フェーズでの速 度を上げ、成果へとつながることもあるはずです。  最初は反対していた人も、一度やってみるとその仮 説の正しさに気づき、徐々に腑に落ちていくこともあ るでしょう。なので、無理やりにでも一度やってみて もらうことも有効かもしれません。仮説の背景にある、 ミッションやビジョンを語ることでついてきてくれる 人もいます。このように、腹落ちや納得感を醸成する ためには、様々な手段があります。  組織として全力で取り組み、仮説を正解にするため に他人を巻き込めるというのもスキルの1つです。自 らの思考能力や実行能力だけを伸ばそうとするのでは なく、組織としての実行能力も高めるようにしてみて ください。 11 影響度の大きな仮説を目指す  仮説には影響度と確信度があると整理し、ここまで は主に確信度を上げる方法について解説してきました。  しかし、影響度(インパクト)をいかにして上げる かも。同じぐらいか。それ以上に重要です。  仮説のループを通して確信度を上げることはできま すが、影響度を上げることは難しいものです。最初か ら仮説の影響度をかなり強く意識しておかないと、影 響度はループを同すたびにどんどんと下がっていきま す。仮説行動は失敗が前提だという話をしましたが、 何度も失敗を重ねていくと、私たちは「次は失敗した くない」という気持ちが強くなってしまうせいか、確 実な仮説の生成という易きに流れてしまうからです。 そしてさらに悪いことに、影響度の小さく確実な仮説 で成功すると、その高揚感によって、影響度の小さな 仮説を採用してしまいます。その結果、仮説は小さな 方向へと最適化が進んでいくのです。  別の言葉で言えば、仮説の検証と修正を繰り返して いくと、私たちの仮説は「小さくまとまってしまう」 傾向にあるということです。仮説検証を推奨するりI ンスタートアップに関する研究でも、仮説検証のルー プを回していると、検証の容易な領域での探究が行わ れてしまい、革新的な発展を促さない、という指摘が あります(士。これは起業家志望者の支援をしている 中でも、たびたび見かける現象です。  しかし最初からかなり大きな仮説に取り組んでいれ ば、多少仮説のループを回す中で小さくなったとして も、十分に大きな仮説として成立するかもしれません。 だからこそ、影響度の大きな仮説やスケールの大きな 仮説を最初から作っておくことは、本当に、本当に大 事なのです。  ただ「そう言われても、スケールの大きい仮説なん て作れない」と思う人も多いでしょう。そこでここか らは、影響度の大きい大胆な仮説を作る意義と、その 作り方について考えていきたいと思います。 なぜ影響度を強調するのか 優秀さは正解率だけではない  本書では、影響度と確信度の2つの評価軸を重視し てきました。これを学校のテストに例えてみると、影 響度が「何点満点」のテストなのか、確信度がそのテ ストで何%を取つたか、と表現できるでしょう。学校 では何点満点のテストを受けるかを選ぶことはできま せんが、社会での課題解決では、100点満点と 1000点満点のテストのどちらに取り組むかを選ぶ ことができます。そして1000点満点のテストを選 べば、仮に正答率が20%と低かったとしても、100 点満点のテストを選んだ場合より、絶対値としては大 きな点数を取れるかもしれないのです。  こう整理してみると、優秀さとは、100点満点の テストで90点を出せることだけではありません。 1000点満点、1万点満点のテストに取り組むこと、 そうしたテストに挑もうとする意思を持つことが、本 当の意味で優秀である条件だと言えます。そうすれば、 達成した割合が9%程度でも、絶対値として90点や 900点を取ることができます。「与えられた課題の 何割を正解したか」といった、正答の割合で測れる優 秀さはほんの一部でしかないのです。  これまでの仮説思考では、誰かから与えられた 100点満点のテストに対して、どのように90点の仮 説を作るのかを暗黙の目的にしていることが多かった ように思います。いわば、与えられた問題の中で「う まくやる」方法です。一方で、1000点や1万点満 点といった、一桁二桁上の点数のテストに挑むのは 「凄いことをする」ことです。本当に優れた仮説は、 その両方が満たされています。  リチャードーハミング博上が研究の方法(圉でも 述べたように、「大きな仕事を成し遂げたいなら、意 識して重要な問題に取り組む」ことが重要です。本書 でも、課題解決のためには課題と解決策の2つの仮説 をセットで出す必要があるという話をしましたが、ま ずは大きな課題を設定しなければ、大きな課題解決が なされることはありません。たとえば、スタートアッ プや新規事業の場合、もしグローバル規模のビジネス を作りたければ、グローバルな課題に取り組む必要が あるでしょう。解くべき課題を間違うと、その課題を 正しく解いても大した意味を持ちません。  ただ単に「うまくやる」ことだけを狙うと、結果的 に影響度の低い課題に取り組んでしまいますし、人は どうしても「うまくやる」ことのほうに注意が向いて しまい、「凄いことをする」という挑戦をしようとは しません。しかし、繰り返しますが、問題への正解率 や仮説の確信度だけが優秀さを測る指標ではありませ ん。影響度と確信度の掛け算が、優秀さを測る指標で す。そして影響度と確信度のうち、確信度は後から上 げられることを考えると、「どれだけの影響度を与え ようとしているのか」や「どれだけ凄いことをしよう としているのか」がより大事であり、つまり「大志」 を持つことこそが実は最も大きな差別化要素となりう るのです。たしかに大きな仮説に取り組むのは怖いこ ともまた事実ですが、その恐れを乗り越えることが、 本当の「優秀さ」に辿り着くための一歩なのです。  そうは言っても、多くの人はその恐れを乗り越えら れません。その結果、1万点や1億点のテストは手付 かずになりがちです。その結果、大きな影響度を持つ 野心的な仮説は。割安株のようなものとなります。誰 も選ばず、手付かずになっているため、影響度の割に 競争がないからです。そのため、確信度が低くても、 大きな影響度を持つ仮説、つまり挑戦する価値のある 仮説を選ぶようにしたほうが、結果的に勝率も上がる かもしれません。  大きな影響度の仮説を持つことができさえすれば、 あとは確信度を上げるために何をすればよいのか、そ してその仮説をどのように正解にするのかを考えるだ けです。だからこそ、もし自分が多少なりとも優秀で あると自覚している人や、課題解決が得意だと自負し ている人は、まず大きな課題に取り組み、影響度の高 い仮説を作ろうとする姿勢を持つようにしましよう。  「成功するための仮説」と「失敗しないための 仮説」を混同しない  確信度を上げるというのは、いわば正解率を上げて、 「失敗しないようにするため」の方法論だと言えます。  しかし、失敗しないことと成功することは異なりま す。失敗しないようにすることを優先すると、挑戦を しないという選択を取りがちです。しかし、成功する ためには挑戦をする必要があります。  それに一度だけの挑戦でうまくいくことはほとんど ありません。何度も挑戦して、失敗し、修正を繰り返 して、初めて成功に至るのです。そのため、もし成功 したいのであれば、何度もの失敗を避けては通れない でしょう。  同様に、「成功し続けること」と「大きく成功する」 ことも違います。他人よりも少しだけ成功し続けるこ とや成功率を上げることを目標にすると、大きな挑戦 はできません。頑張れば手の届くような挑戦ぐらいに とどまってしまうでしょう。しかし、その先に大きな 成功が待っているとは限りません。  大きな成功をするためには、大きな挑戦が必要です。 それは「失敗しないこと」や「小さく成功し続けるこ と」とは異なる種類の挑戦です。  ただし、大きく成功するためには、相対的にリスク の大きな仮説に取り組むことになり、多くの失敗をす ることになるでしょう。「成功する頻度」は相対的に 少ない道を歩むことになります。大きく成功すること を狙うのだとしたら、成功の数への期待は低く保って おくほうがよいかもしれません。むしろ、成功の数へ の期待を思いきり下げることで、たくさんの挑戦がで きるようになり、それが最終的には大きな成功を呼び 込んでくれるはずです。  大きく成功するための仮説作りは、失敗しないため の仮説作りや成功の数を最大化するための仮説作りと は違うということを、ぜひ覚えておいてください。 最初に「良い山」を見定める  起業は山登りに例えられるときがあります。事業が 山で、山頂が辿り着きたい場所です。起業家は登山家 であり、本書でお伝えしてきた仮説行動の多くは、山 登りの方法論です。たとえば一歩一歩検証しながら歩 んでいこう、といった仮説検証の方法は、その最たる ものでしょう。  ただ、「どの山に登るか」を間違えば、大きな山を 登ることはできません。目の前の小さな一歩一歩を確 実に検証していっても、もし登っているのが小さな山 であれば、その行き着く先は低い山頂です。  これは事業でも同じことが言えます。目の前の事業 の課題や顧客の課題を解決することには間違いなく意 義がありますし、解決し続けていくことである程度の 事業にはなるかもしれません。しかし、「どの山に 登っているのか」を意識しないまま課題解決だけをし ようとしてしまうと、小さな事業にしかならない可能 性があります。もし大きな事業を作りたいのなら、最 初から大きな山を選び、そのうえで、その山頂に登る ための課題解決をし続けなければなりません。  特に課題解決のほうが得意だけれど、課題設定は苦 手だという人にとって、この考え方はなおさら大事で す。課題解決が好きな人や得意な人は、目の前にある 課題を解いてしまいがちで、その課題解決の先にある ことを考えないことも多いからです。  逆に言えば、課題解決が得意な人たちは。最初に良 い山を選びさえすれば。あとは目の前の課題を解き続 けるだけで。高い山頂へと至ることができます。つま り、「高い山を選んでいる」という前提条件さえ満た せれば、あとは自分の得意な領域である課題解決をた だひたすら続けていけばよいということです。  そのような状況にするためにはどうすればよいで しょうか。それは、インパクトのある仮説を最初に作 り、怖気づかずにその仮説を選ぶことです。それが難 しそうであったとしても、やるべきだと思ったことを やり、仮説のループを回して、何とかして正解に辿り 着くことです。そして場合によっては、仮説を自ら正 解にすることです。これまで解説してきた仮説行動の 方法となんら変わりません。  ある意味でシンプルな話ですが、言うは易く行うは 難し、です。そこでここからはインパクトのある仮説 を作るために必要な考え方と選び方、そしてその仮説 を正解にする方法を、これまでの「仮説行動」を振り 返りながら紹介していきます。 影響度の大きい仮説を導くためのコツ  本書では仮説を作るプロセスを、興味・関心・問題 意識↓疑問↓問い↓仮説(作業仮説↓クレーム)とまと めてきました(図表H・1)。良い仮説を作るには、良 い疑問や良い問いがその前になければなりません。同 様に、スケールの大きな仮説を作るには。スケールの 大きな疑問や大胆な問いが必要です。  「既存の競合製品に勝つにはどうすればいいか?」と いう疑問からは、「人類を火星に送る」といった大き な影響度を持つ、大胆な新規事業の仮説を作ることは できないでしょう。「人類を火星に送る」という大胆 な仮説を作るには、「どうやれば人類を救うことがで きるか?」といった、大胆な疑問が必要です。  同様に、「競合のI・2倍の性能を出すにはどうす ればよいのか?」という疑問ではなく、「顧客に10倍 や100倍の成果を届けるにはどうすればいいの か?」といった、桁の異なる疑問を持つことで、大胆 な仮説を考えるきっかけが得られることもあります。 「同期より上のキャリアを歩むためにはどうすればよ いか?」「年収をI・5倍にするには?」という疑問 を持つよりも、「世界を危機から救うにはどうすれば よいか?」という疑問を持つほうが、より大きな事業 アイデアを考えやすくなるでしょう。疑問や問いの持 ち方によって、そこから導かれる仮説は大きく変わっ てくるのです。そうした疑問や問いを持つためのヒン トを、ここから解説していきます。  「何ができそうか」ではなく「できるとしたら」 を考える  「もし何でもできるとしたら。自分は何がしたい?」 を考えることは、良い疑問や問いを出す効果的な方法 です。  多くの人は「自分は今、何かできるか?」「何かで きそうか?」「自分の強みは何か?」という疑問や問 いから仮説を作ってしまいがちです。あるいは、大き な仮説を思いついても、「○○がないから、自分には できない」と考えて諦めてしまいます。今すぐ自分が できる範囲の小さな仮説だけを作って進んでしまうの です。  しかし「○○がないからできない」というのは、裏 を返せば「○○があれば、できるかもしれない」とい うことです。その足りない○○を、どうにかして調達 したり、自らの能力を育てたり、誰かの力を借りさえ できれば「できるかもしれない」のです。一度、自分 の持っている能力や資源という制約や枠を外して、や るべきことやしたいことを考えてみてください。  ただ、枠を全く外して考えるのは難しいものです。 もしこうした思考にまだ慣れていないなら、「枠を外 す」のではなく「枠を広げる」手法をお勧めします。 たとえば「手元に10倍のお金があれば何かできるか」 を考えてみましよう。10倍程度のお金であれば、外部 から調達してくることも現実的ですし、一桁多くなる だけでやれることの可能性はそれなりに広がります。  手元に1000万円しかないのであれば、「1億円 のお金があればできる仮説」を考えてみましよう。あ なたが起業家で、1億円の資金調達をしようとしてい るのなら、桁を一桁上げて「10億円あれば何かできる か?」を考えてみてください。お金の想像が難しいな ら、「自分のチームに5人ではなく、50人の大がいれ ば何かできるか?」を考えてみるのもよいでしょう。 そうして枠を広げて疑問や問いを持ち、それに対して 素晴らしい仮説が思いつけば、あとは周りを説得して その資源を調達してくればよいだけです。  「今の自分の強みは何か」「今の自分に何かできるか」 というのは、短期的な成果を出そうとするときには確 かに重要ですが、もし長期的に取り組めるのであれば、 「強みを作る」「今から練習してできるようになる」と いう選択肢もあります。「自分の会社はそこに強みが ない」といって、新規事業を諦めてしまう会社もあり ますが、もし急成長している市場があり、そこに興味 があるのなら、強みがあろうとなかろうと一度そこに 飛び込んでみるのも1つの手です。飛び込んだあとに 模索している中で、自分たちの持っている技術が実は 使える、といった強みが後になって見えてくることも ありますし、できることから始めて強みを磨きこんで いけばよいのです。  起業においても「強みがない」「原体験がない」「自 分にはやる理由がない」からと、必要以上に強みや過 去の理由を求めてしまう人もいます。でも長期に取り 組めるなら強みや理由は今から作っていくこともでき ます。これから10年かけて事業をやっていけば、それ は10年後のあなたにとって、やる理由になっているで しょう。  過去からの積み上げは重要ですが、過去に何かがな ければやってはいけない、というわけではありません。 過去に囚われてしまうと、未来の自分の可能性を過剰 に制約してしまいます。それはあなたにとっても、社 会にとっても良いことではないように思います。私た ちは今ここからでも、何かを始めて積み上げていくこ とができます。  だからこそ、「自分に何かできるか?」「今の自分に 何かできそうか?」ではなく、「できるとしたら?」 という疑問を持って、思考の枠を少し広げてみましよ  「あるべき姿」と「ありたい姿」を考える  課題解決をしようとすると、どうしても目の前の小 さな課題に注意が向いてしまい、細かな課題を解決し てしまいがちです。  たとえば製品の改善案の議論をしていると、目の前 に見えている分かりやすい瑕疵が気になることがよく あります。使いづらいところや、うまくいっていない KPIなどです。「今見えている、良くないところを 改善する」のも1つの分かりやすい課題解決ですが、 今見えている課題が本当に解決するべき課題なのかど うか、そして影響度の高い課題仮説なのかどうかは別 の問題です。  目先の課題に囚われないようにするためにも、今取 り組もうとしている課題解決の先にあるより大きな課 題や。理想的な「あるべき姿」を常に意識するように しましよう。理想と現状のギャップが課題であること を説明しましたが、良い課題を見つけるためには、良 い理想を持つ必要があります。「君のクレームはなん だ?」と問うように、「自分の理想はなんだ?」と常 に問い続けましよう。  もしすぐに理想が思い浮かばないのであれば、 ウィツシュリスト(欲しいものリスト)を作るのも、あ るべき姿を考える1つの方法です。仮に実現できなく とも、思考の幅は広がります。  たとえば、イベントで誰かに講演を依頼するとき、 予算の制約などから現実的な人を候補に選んでしまい がちですが、あえて理想的な状況を描いてみましよう。 たとえば候補者に内閣総理大臣を挙げてもよいかもし れません。現実から少し離れて、ありたい形を考える ことで、そもそも何がしたかったのかを思い出すこと ができます。  それでももし理想が見えてこないのであれば、「な ぜそうではないのか?(’ヽ’−hy not so?)jを問うのも1 つの手です。怒りや不満を探す、とも言えるかもしれ ません。そのような不満を持つ理由は、今現状が理想 的ではないからです。その不満を1つの手掛かりに、 自分が持っている理想とは何かを考え、徐々に形作っ ていくことも可能です。  「誰かがやるべきだ」と思ったことを自分がやること もお勧めです。大抵の場合、「自分はやらないけれど、 誰かがやるべき」ことは、やれば価値が生まれるに違 いないが、「自分には能力がないからやらない」「大変 そうだからやらない」といった理由で諦めている仮説 です。「誰かがやるべき」なのに誰もやっていないの であれば、やれば価値が生まれるに違いないというこ とでしょう。そうした見込みのある仮説であれば、 様々な理由を挙げ連ねて諦めるのではなく、自ら取り 組む価値があるかもしれません。たとえば「政治家が 腐敗していてどうしようもない、誰かまともな人に やってほしい」と思うのであれば、自分が政治家にな ることも考える、といったことです。できっこないと 考えるのではなく、「どうやれば政治家になれるのだ ろう」と考え始めるところから、疑問が生まれ、問い になり、仮説が生まれます。そんな疑問から、大きな 仮説を作っていくことを試してみてください。  今、社会に足りないのは、理想を語り、理想の実現 に取り組む人です。もしあなたが理想のかけらを持つ ているのであれば、その理想を語り、実現に向けて取 り組んでみてください。そうすれば、稀有なその人に はきっと多くの機会が与えられます。 想定される未来から逆算する  どうありたいかを考えるのが難しいなら、想定され る未来から逆算して「今何をしておくべきか?」を考 えることも1つの方法です。未来の世界に必要なもの を作り始めようとすることで、見えてくる仮説や問い があります。  電気自動車が2040年にはかなり普及していると 考えたら、「未来のその時点で。そうなっているため には何が必要なのか?」と問うてみましよう。たとえ ばガソリンスタンドの代わりに、オフィスの近くで充 電できる仕組みが必要になるかもしれません。であれ ば、その未来に必要なものを今から作り始めるのです。 より具体的には、2035年にこのイベントが起こる から、その5年前にはこの技術や事業ができていなけ ればならず、そのためには今何をしておかなければな らないのかを逆算することです。こうすれば、新しい 問いや仮説が生まれてきます。  重要なのは、未来の特定時点の仮説を出すことと、 そこを起点にして、時間的には逆向きに推論をするこ とです。ただ、未来の特定時点の仮説自体には、大き な不確実性を伴うのが普通です。もしある程度確実性 の高い仮説を出したいのであれば、規制の施行時期な ど、ある程度確からしい未来の起点を設定したほうが よいでしょう。  また時間の幅の設定も大事です。スタートアップで あれば10年や15年後の未来を考えられます。大企業の 新規事業だと、もう少し短い期間で大きな成果を出す ことを求められる場合のほうが多いため、5年後ぐら いの未来を考えたほうがよいかもしれません。国や地 域であれば、もっと長期の20年や30年といった未来か ら逆算をするべきでしょう。  もしあなたが個人でアイデアを考えているのであれ ば、なるべく長期的な視点で考えるようにしてくださ い。企業と比べたときの個人の優位性は、株式投資に しろ、アイデアにしろ、長期で物事に取り組むことが できる点です。  2、3年といった短期で何かを成し遂げようとする と、できることは限られます。しかし10年かけてもよ いのであれば、できることは圧倒的に増えます。たと えば2年で大きな何かを成し遂げたいのなら、今の能 力でできることを選ばざるを得ませんし、リスクの高 い投機的な賭けを選択することになるかもしれません。 しかし10年かけられるのなら、最初の2年はその業界 のことを学ぶための期間として使い、残り8年で急成 長する事業を作ったり、大きな社会課題に挑むことも できます。  むしろ、10年程度はかけないと、大きな事は成せま せん。100社に1つの、とても成功したスタート アップですら、上場という1つのマイルストーンに至 るのに10年はかかるものです。だからこそ、大きな事 を成し遂げたいのであれば、30代を何に賭けるか。40 代を何に賭けるか。という風に10年単位で考えるとよ いでしょう。そうすることで、目の前で起こる小さな 変化に右往左往しなくてもよくなります。  いずれにせよ、どの時間の幅で考えるべきかを意識 しながら、考えるべき未来を選んで逆算してみましょ 現在からのWhat ifを想像する  本書では弓耳ySや?ミぼ芯など、いくつかの問 いのパターンを取り上げてきました。それに類する、 未来を考えるときに使う問いは「‘ヽvnat it jです。日 本語にすると「もし○○ならどうなるだろう?」とい う問いです。  What ifには2つのパターンあります。「遠い未来を 夢想して逆算するWhat it Jと「現在から開始して予 想を積み上げていくWhat itjです。  これまで説明してきたような、「50年後にはどうい う未来になっているだろう?」と想像してみるのは、 遠い未来を夢想するWhat ifです。この場合、想像し た未来から逆算をして、現在何をするべきかを考えま す。一方、「もしこの事業の一歩目が成功すれば、次 はどんな展開ができるだろう?」と考えるのが後者の 一歩一歩積み重ねていくWhat ifです。この考え方は シナリオプランニングなどでも使われます。  便宜的に、前者を「未来起点の’ヽVhat if j'後者を 「現在起点のwnat itと呼びましよう(あるいは、前 者は「規範的・希望的なミぼこ气後者は(探索的・堅実 なWhat if jと言えるかもしれません)。この両者のミぼ{ 『の問いをうまく交互に使うことで、優れた未来の仮 説を作ることができます。  未来起点のWhat ifの良い面は、少し飛躍した未来 や「こうあってほしい」という希望的な未来、あるい は「こうあるべきだ」という規範的な未来を描きやす いところです。また刺激的な未来を描くことで、思考                 − を誘発することもできるでしょう(3)。一方で悪い面 は、単なる妄想や願望になってしまう可能性もあるこ とです。描いた未来が望ましいものであったとしても、 荒唐無稽で現実性のないものであれば妄想でしかなく、 最初の一歩をどこに踏み出せばよいのかが分かりませ ん。  そこで現在起点のWhat ifの出番となります。「確か にそれが起これは、こういうことが起こるかもしれな いね」といったWhat ifを積み重ねていくことで、説 得力のある道筋を構築できるようになります。たとえ ばAmazonはインターネットであらゆる商品を売る 「エブリシングーストア」を構想しながら、最初に事 務用品、アパレル、音楽といった20種類以上の候補と なる商品を挙げ、最初に取り組むのに最も適していた 本のECから始めたと言われています(判)。本のEC で十分なシェアを取れれば、物流網や倉庫管理などの ノウハウも得られ、顧客も多数訪れるようになるので、 CDや他の物販にもビジネスが広がり、最終的にすべ てを安価に取り扱えるネット上最大の小売店になれる、 というように、最終的なゴールを設定したうえで、今 できる一歩から始まるWhat ifを積み重ねていきまし た。  1つの製品の可能性を考えるときにも、「この課題 を解決することで、実は違う課題も解決できるように なり、さらにそこから違う課題も解決できるようにな り……」といった連鎖を考えるのは、未来の仮説を考 えるうえで重要な視点です。最初は大したことのない ように思える課題でも、その課題を解決することで次 に大きな課題に取り組めるかもしれないのです。  たとえば、メール配信用のサービスは、最初は ちょっとした課題を解くだけかもしれません。しかし そのサービスに顧客のメールアドレスが集まりだすと、 顧客管理ツールとして使えるようになるかもしれませ ん。そうするとさらに、顧客分析や顧客ごとの対応が できるツールなどマーケティング全般に使える機能も 加えられるようになり、より高い価値を生めるように なるかもしれません。もしチョークポイントとも言え る、小さくとも重要な点を見つけることができれば、 それは未来の大きな仮説へとつながり、スタートアッ プのアイデアの候補ともなってくれることでしょう。  自分の製品や会社のWhat ifを考えるにとどまらず、 世界の変化のWhat ifの連鎖を考えてみることで、発 想が広かっていくこともあります。  1つの変化が起こると、ほぼ必ず周りの何かに影響 し、伝播して、さらに多くの変化が起こります。それ をWhat ifで想像するのです。  たとえば車です。車によって個人の移動の問題が大 幅に解決されました。そして車が普及したことの二次 的な影響として、実は車を製造する会社だけではなく、 小売業が儲かっだのでは、という説があります(士。 誰もが車を持つようになって道路が整備されることで、 小売店は郊外の安い土地に店を出店できるようになり、 そこでウォルマートのようなディスカウントストアを 開けるようになったからです。つまり、車の普及とい う変化は、移動の課題を解決するだけではなく、「安 く商品を手に入れたい」という課題を新たに解決する きっかけでもあったのです。それと同時に、車は自動 車事故という悲劇を生んでしまいましたが、その結果 自動車保険という新しいサービスが生まれもしました。 さらに道路が整備されて都市の様子も大きく変えてい くなど、多方面に影響を与えました。  このように、変化には二次的な影響があるのです。 こうした二次的な影響による変化をうまく捉えられた 企業は、大きな機会を手に入れています。  ビリヤードを思い浮かべてみましよう。ビリヤード ボールの1つが動くと、その周りのボールとぶつかっ て、どんどんと連鎖的にボールはあちこちに飛んでい きます。その中でどんな連鎖的反応が起こるのかを考 えてみることで、私たちは「もしこの変化が起こるな ら、こうなって、こうなって、この業界は少し遠い未 来にはこうなっているはず」といったWhat ifを考え ることができるでしょう。  こうした変化の連鎖を考えることは大胆な疑問や問 いを持つためのヒントになります。ただし、現在起点 のWhat ifだけでは、現在の延長線上の物事しか発想 できませんし、大きな変化を想像しづらくなりがちで す。ときには諦めに近いような未来しか描けないこと もあります。「現実的にはこうだから」と言って、変 わらない理由や立ち止まる理由をいくらでも述べるこ とができてしまうのも、現在起点のWhat ifの弱点で す。  未来起点のWhat ifと現在起点のWhat ifは交互に考 えていくべきです。未来と現在から挟み撃ちにしなが ら、物事の可能性を探索するのです。ただし、より大 切にすべきは未来起点の’ヽVhat ifでしょう。なぜなら、 「こうしたい」という意思や、ありたい未来を描けな ければどの方向を目指すべきかが分からないからです。 あくまで、そこに辿り着くための道筋を考えるために、 補完的に現在起点のWhat ifを使いましょう。  リアリティチェックのために、現在起点のWhat if の問いを持つことは大事です。しかし、それはあくま で検証作業です。現在起点で考えてしまうと、大胆な 仮説を生み出しづらい傾向にあります。理想の設定も 難しくなり、できたとしても現在からの漸進的な発想 になってしまいがちです。また現在起点のWhat ifは 確かに「論理的には正しい匸一。肖説、つまり確信度の高 い仮説は作れるかもしれませんが、「人類として本来 正しい」言説や影響度の高い仮説にはなりづらく、現 在の状況を大きく変えるような発想にもなかなかなら ず、悲観的な現状の追認になりがちだという弱点もあ ります。たとえば、男女平等の問題などでも、男性優 位の社会をスタート地点にして「現実的にはこうで しょう」と言い続けていたら、男女平等に辿り着くの はずっと先になってしまうでしょう。  どうありたいかの理念や意思をまず持ちましょう。 つまり、「あなたは未来をどうしたいのか?」「あなた の未来のクレームはなにか?」という問いに答えたう えで、現在起点のWhat ifで発想を広げてください。 変わらないものを考える  未来を考えるときには、変わっていくものに目が いってしまいがちです。実際、これまでも変化に目を 向けて大胆な疑問や問いを持つ方法をお話ししてきま した。しかし未来を知るうえでは、変わらないものに 注目することもお勧めです。  アマゾンの創業者であるジェフーペソスも2020 年の株主総会で、「変わらないもの」に目を向けるの が大事だと指摘しています。アマゾンが低価格と発送 に力を入れている理由は、そうした基本的なニーズは 将来の顧客からも求められるものであり、変わらない ものだからです。人間の表面的なニーズは変わってい くでしようが、安い、早い、うまい、といった根本的 なニーズはほとんど変わりません。未来においても変 わらないものは、未来を考えるうえでも基盤となりま す。  原理や原則も変わりません。たとえば物理法則など は未来においても変わりませんし、人の行動原理やバ イアスなどもそうそう変わるものではありません。科 学的な理論も同様です。社会を構成するのは人間です。 そして人間の性質がそう変わらないとすれば、人間を 深く知っていれば、人間の動きから社会がどう変わっ ていくかも、ある程度想像はつくでしよう。  未来への旅は、まだ地図のない海を航海するような ものです。航海で方向を間違わないためには、北極星 となる目印や、方角を指し示すコンパスが必要です。 そうした北極星の1つとして、原理や原則、そして私 たちの変わらない人間性があるように思います。数百 年経っても変わらないであろう人間性を深く知ること が、私たちの進む方向を定める1つの基準となってく れます。 過去の成功に安住しない  仮説が当たり実績が出ると、立場は上がっていきま す。読者の皆さんの中にもそんな人は多いのではない でしょうか。もし立場が上になったのであれば、「以 前よりも大きな影響度を持つ仮説を作れているか?」 「以前よりも大きなリスクを取れているか?」を自問 自答する必要があります。そうした問いかけば、大胆 な疑問や問いのきっかけになります。  私たちは成功すれば安定する、と考えがちですが、 実際はそうではありません。成功して地位が上に行け ば行くほど、大きな事を成し遂げることが期待されま す。つまり、これまでよりも大きな影響度のある仮説 を考えなければなりません。それに応じて、仮説の持 つリスクも増えていきます。いわば、成功するという のは。より大きな影響度を持つ仮説を考え。より大き なリスクに挑戦するためのチケットをもらうというこ となのです。しかし、それは決して権利だけではなく、 責務を与えられたということでもあります。  起業家が資金調達に成功したということは、より大 きなリスクに挑戦するためのチケットを得たというこ とであり、より大きなリスクに挑戦する責務を負った ということでもあります。大企業に勤めている個人で も、階級が上がれば、使える予算や人の多さも変わり、 その分、大きな仮説と大きなリスクを選択する役割が 求められます。そのため、起業家やビジネスパーソン が自分の成長度合いを測定する方法として、昔よりも 大きなリスクを取れているかを自問自答することが大 事なのです。それに、どんどんと大きな挑戦をするこ と、つまり大きなリスクを取ることが自らの成長を促 し、さらに大きな成果を上げていくことにつながりま す。  もし役職が上がっだのに、昔と同じ程度のリスクし か取れていないのであれば、それは成長が止まってい るか、怖気づいてしまっているか、もしくは任された 役割を果たしていない、ということです。そんなとき は、誰かにその座を受け渡すべきかもしれません。  地位や役職が上に行けばいくほど、高い山に登れる ようになればなるほど、学ぶべきことも増え、自分が 知らないことも増えていきます。無知の領域が増えて いくこと、そんな環境の中で新しい挑戦と決断を求め られることが、成功するということなのです。  リスクとリターンをバランスさせること自体は。実 はそれほど難しいことではありません。リスクを計算 して許容可能なリスクを取ればよいだけだからです。 意思と知恵が必要になるのは、より大きなリターンを 得るために、より大きなリスクを取るときであり、場 合によってはリスクの計算ができないような不確実性 の高い状況に飛び込んででもリターンを追い求め、そ の中で適切な決断をするときです。  成功すれば、「自分はもう十分やった」「休めばい い」という内側の声が聞こえてくるでしょう。それは 仕方がないことです。しかしその声に耳を傾けたら、 自分の成長も、組織の成長も止まります。上の役職に なったり、起業家として大きく成長したと思ったとき には、過去よりも大きな影響度を持つ仮説を考え、よ り大きなリスクを取る活動を少なくとも1つはしてお くように心掛けましよう。そうした心持ちが、私たち を大胆な疑問や問いへと導いてくれるはずです。 大きな問いを投げかけられる環境に身を置く  大きな問いが持てるかどうかは才能だと思われる人 も多いかもしれません。  ただ、起業家を見ていると、大きな問いを持てるか どうかは才能ではなく、むしろ、大きな問いを求めら れる環境に身を置いたかどうかのほうが重要だと感じ ています。たとえば、起業家は起業家同上で話すこと が多く、大きなビジョンを描いている起業家から、大 きな疑問や問いを持つきっかけをもらっていることが 多いようです。起業家は投資家に向けて、自分の事業 のミッションなどを語らなければいけないことが多く、 そのたびに大きな問いを投げかけられたり、自分自身 で問いかけたりします。その繰り返しによって、起業 家の持つ問いはどんどんと大きくなっていきます。つ まり、環境や練習によって大胆な問いを持てるように もなる、ということです。  影響度の大きな問いや仮説を作ることは、多くの人 が苦手としています。それを恥じる必要はありません。 なぜなら、多くの人は影響度の大きな問いや仮説を持 つ訓練を受けておらず、練習もしていないからです。 しかし、その方法を学び、練習すれば必ず徐々に身に つきます。  大きな問いを持つために、大きな問いを持つ練習が できる環境や、大きな問いを一緒に議論できる場所に 身を置きましよう。そのためにも、大きな問いを持つ ている大や、大きな課題に取り組んでいる人の周りに いるようにしてください。そうすれば、大胆な問いを 体験する機会も増えます。そうして問われたり、議論 をすることを通して、私たちは徐々に大きな問いを持 ち、大胆な仮説を持つことができるようになっていき ます。 マクロとミクロのエビデンスを行き来する  影響度の大きな仮説を作るのであれば、視座を高く しながら、スヶIルの大きな事を考える必要がありま す。  スケールの大きな事を考えるには。スケールの大き な情報が必要です。日常的なことや、自分の身の回り のことに関する情報ばかりを集めていると、大きな社 会的インパクトを考える機会はほとんどなくなってし まいますし、興味関心を持つきっかけを得ることすら なくなってしまうでしょう。仮説はエビデンスと推論 から生まれると整理しましたが、まずはスケールの大 きな事に関する良いエビデンスを揃えなければ、どん なに良い推論の能力を持っていても、スケールの大き な仮説は導き出せません。  だからといって、グローバル経済や国際情勢のよう な大きなニュースに触れればよい、というわけではあ りません。あまりに自分から遠すぎる情報を手に入れ ても、それをうまく扱うことができないからです。  ではどこから始めるとよいでしょうか。まず、日本 政府の出している資料を読んでみることをお勧めしま す。そうすれば国レベルでは何か課題となっているの かを知ることができます。一国で問題になっている課 題がもし解決できれば、それは大きな事業になりえま す。  もちろん、世界規模の課題に取り組むのも1つの手 です。むしろ世界規模の課題を解決しなければ、世界 的な事業を作ることはできないでしょう。ただ、世界 規模の問題は手触り感がそこまでないのも事実です。 一方、日本が国として問題視しているものについては、 同じ国に住む国民として、多少なりとも身近な課題も 多いはずです。たとえば少子高齢化や人手不足などは 街を歩いていれば実感があるのではないでしょうか。 国レベルの課題でも十分な大きさですし、そうした課 題を見た後であれば、世界規模の課題もその地続きに 見えてくるので、徐々に親近感がわいてくるでしょう。  一方で、マクロなエビデンスだけを獲得したところ で、どうやって踏み出すかという第一歩目が分からな いこともよくあります。たとえば、少子化などは「社 会の課題」ではある一方で、お金を払ってくれる顧客 自身の課題ではありません。目の前の顧客はもっと具 体的でミクロな課題、たとえば「経済的に不安定で、 結婚に踏み切れず困っている」など、別の課題を持っ ていることがほとんどです。マクロな現象を引き起こ しているミクロな現象を突き止めるためには、ミクロ なエビデンスもきちんと手に入れる必要があります。 マクロとミクロを常に、そして激しく行き来すること を忘れないようにしてください。 大志を受け継ぐ  「少年よ、大志を抱け」と言われます(6)。大志とは、 大きな影響度を持つ仮説のことと言えるでしょう。し かしそれほど簡単に大志を持つことはできません。こ れまでお話ししてきたようなことを実践しても、なか なかインパクトの大きな仮説を持つことができない、 という人もいるかもしれません。  そんなときは、誰かの大志を受け継ぐことも1つの 選択肢です。  元となる大志の持ち主は、世界的に有名な人でも、 歴史上の偉人でも、自分の憧れの人でもよいでしょう。 良いと思ったら、その大志を自分でも引き受けられな いか、積極的に考えてみてください。  そうした借り物の大志でよいのか、と思われるかも しれません。最初は誰かからの受け売りでも、考えて いくうちに自分ならではの独自性が加わり、一味違っ たものへと変わっていくことがほとんどです。それに その大志を選んだのはあなた自身です。その選択には、 あなた自身の意思が必ず含まれています。  私たち人類は誰かの意思を受け継ぎ、発展し続けて きました。あなた自身が「良い」と思った誰かの大志 を引き継ぐのは決して悪いことではありません。それ に逆の立場で考えてみてください。もし自分自身で描 いた大志を達成できないとき、誰かにそれを継いでも らえたら、それは嬉しいことではないでしょうか。  起業家を見ていても、I人で大志に辿り着いたとい うよりは、自分の周りからの影響を受けて大志を持つ ようになった、という方が多いように思います。偉人 伝を読んだり、周りにいる人から影響されて、興味の 種をもらい、そこから次第に自分の中で意思が芽吹い た人もいます。  仮説を考えるにせよ、大志を考えるにせよ、思考は I人で行うものではありません。思考とは他人や社会 との共同作業です。本書で解説してきた仮説のループ の随所で、「誰かとともに考える」ことを何度もお勧 めしてきました。思考を研ぎ澄ますために重要なのは、 誰かと一緒に考えることであり、誰かの思考を活かす ことです。未来の仮説や大胆な仮説を考えるときも、 人と一緒に考えていくことを強くお勧めします。  影響度の大きな仮説は人類の共通の財産です。その 財産を借り受けて、自分なりの大胆な仮説へと変化さ せていきましよう。 影響度の大きい未来の仮説を正解にする  本書では、「仮説を正解にする」ことの重要性につ いても触れました。仮説は出して終わりではなく、そ れを正解にするための努力が必要です。これは、仮説 に基づいて未来を自ら作り出すということでもありま す。「未来を予測する最良の方法は、未来を創ること だ」という言葉がしばしば言及されますが、これは本 書の言葉で言えば、「自分の作った未来の仮説を正解 にすること」だと言えるでしょう。  そのために必要な方法は、これまで解説してきた仮 説行動と基本的には同じです。未来への道筋の全体像 となる仮説マップを作り。弱い仮説に対しては検証と 修正のループを回して。十分に仮説マップが強くなっ たと評価できたら。リスクがある中でも実行へとりI プして。未来の仮説を正解にするのです。その実行の 中で私たちは学び、さらに未来の仮説を良いものへと していくことができます。  しかし、特に大胆な仮説であればあるほど、その実 現は難しくなっていきます。そのため、通常の仮説の 実現に加えて、いくつかの心構えが必要です。  そこで本書の最後に、未来を作り出すための考え方 を解説したいと思います。 根本的な仮説や方向性を確認する  方向性や根本的な仮説が間違っていないと思うので あれば。先に進んでみることをお勧めします。  個人の場合、10年や15年のスパンで見てみれば、最 初に考えた細かなアイデアはそこまで重要ではありま せん。「10年後、15年後にはこっちに向かっているだ ろう」という大きな方向性が信じられれば、途中で細 かな仮説は変えて構わないと考えて、進んでみるので す。  たとえば海藻を使った二酸化炭素の固定やタンパク 質の抽出といった新規事業を考えているが、技術とし て最適なものが見つからず、ビジネスモデルなどが成 立しづらいと悩んでいるとしましよう。そのとき、 「利用できる陸地には限界が来るから、15年後には海 の利用がもっと検討されているはずだ」というその事 業の根本的な仮説を心から信じられるのであれば、思 い切って実行してみるのです。そうして行動していく うちに、新しい情報が入ってきたり、より精緻な仮説 を思いつけるようになるかもしれません。  短期的な仮説の正誤よりも、長期的な仮説の正誤の ほうを気にしましよう。向かっている方向が間違って いるのであれば、どんなに仮説検証を積み重ねて、ど れだけ学びを得ようと、その先で得られるものの価値 はほとんどありません。しかし多くの人は、細かい見 落としがないかどうかには注意を払うのに。方向性が 合っているかどうかをあまりチェックしません。方向 性さえあっていれば、少し回り道をしたとしても、工 夫をすればゴールに辿り着けるのに、です。  特に、自分自身が価値を見出している仮説なのに、 誰も目指していなかったり、誰も始めていないのであ れば、自分自身の能力が足りなかったとしても、それ に取り組む価値はあります。それはおそらく、あなた が挑まなければ何も起こらない領域です。  10年や15年の中で、その領域の浮き沈みはもちろん あるでしょう。株価も同様に、短期間で見れば上下し ます。しかし、本当に価値のあるものに自分の時間を 投資するのだと考えれば、長期的にはその価値が上 がっていくはずです。一方、こうした根本的な仮説が なかったり、大きな方向性に自信が持てていないので あれば、まだ決断するべきではないかもしれません。  ただし、第7章でも触れたように、最初からある程 度良い仮説ではないと、学びのループが始まらないの で、その点だけは注意してください。完璧でなくとも 構いませんが、「十分に良い」仮説には至れるように しておきましよう。  繰り返しますが、「目の前の仮説は正しいか?」「二 手先、三手先の仮説は正しいか?」という疑問も大事 な一方で、それ以上に「自分は正しい方向に向かって いるか?」という疑問のほうが重要です。この疑問を 常に問い続けるようにしましよう。  「小さく始める」と「小さく考える」を混同し ない  大きな方向性や根本的な仮説を定めたうえで、未来 の仮説マップを作り始めましよう。そうして、ありた い未来から逆算して、それを実現するためのステップ に分解していくのです。  たとえば、世界中のガソリン自動車を電気自動車に 変え、環境に良い世界を作りたいと考えていたテスラ の創業者たちは、2006年に『秘密のマスタープラ           − ン』を公表しました(こ。そこでは、  @ スポーツカーを作る  A その売上で手頃な価格のクルマを作る  B さらにその売上でもつと手頃な価格のクルマを    作る  C これらを進めながら、ゼロエミッションの発電    オプションを提供する  というステップで進めていくことが公言されていま す。プランを公表したときには笑い種だつたかもしれ ませんが、テスラは20年かけて確実にその歩みを進め ています。  どんなに大きな野望も、ステップに分解さえできれ ば、最初の一歩を踏み出すことができます。もしス テップに分解できなければ、その領域の解像度を上げ るよう努力しましよう。  気を付けてほしいのは、小さく始めることと。小さ く考えることを混同しないようにすることです。小さ く確実に始めようとするがあまり、最終形としても影 響度の小さな仮説を選んでしまっては、元も子もあり ません。あくまで、遠くに大きな理想があり、そこに 辿り着くために小さく始めるのです。 狭き道を歩み続ける  最初から未来を描ききれる人はいません。方向性が 合っていることを信じられて、10%程度でも勝率が見 えてきたら。そして。自分の人生の数年を賭けてもよ いと思える仮説だったら。道筋がそれほど見えていな くても。その仮説に賭けてみるのです。  大きな挑戦であればあるほど、失敗する理由はいく らでも見つけることができます。どんな新規事業であ れ、立ち上げるときには、成功する理由よりも失敗す る理由のほうが圧倒的に多いでしょう。新しいことと いうのは、大抵「普通に考えれば失敗する」ことでも あるからです。  たとえば、「民間企業として、人類を火星に送るた めのロケットを作る」ということを2000年代の初 めに言ったとしても、ほとんどの人が一笑に付してい たでしょう。頭の良い人であればあるほど、失敗する 理由を多く挙げられたはずです。  「できるかどうか」を考えれば、NOという答えが 返ってきます。だからこそ、「実現できるかどうか」 ではなく。「実現するために何ができるか」を考える のです。それが仮説を正解にするために必要な思考で す。  事業は山登りだという話をしました。高い山を登ろ うとしたとき、「この山は登れる山なのか、そうでは ないのか」「どれぐらい困難なのか」といった実現性 ばかり分析する人もいます。しかし、問うべきなのは 「どうやれば登れるのか」です。その選択が現実的か どうかを分析するのも大事ですが、その成功確率が仮 に10%だとしても、その山に登りたいのであれば、そ の10%をどのように実現するかを考えるのが事業家で す。  「できるとしたら?」を考え。実現させるために必要 な条件と方法を整理し。そのために必要な資源を集め ることが。成功するための方法です。  自分が成功するための条件を誰かが整えてくれたり、 自分の代わりに資源を持ってきてくれることはほとん どありません。自分自身が動かなければ、環境も条件 も変わりません。そして自分自身は無力ではないので すから、自分や資源という変数を最大限変化させて、 実現のために必要な変化を遂げましよう。  それに、困難であることと不可能であることは違い ます。不可能というわけではなくただ困難だというこ とであれば、困難を簡単にできないか、課題を解決で きないかを考えればよいだけです。単に困難たという だけで、諦めないようにしてください。  そして、困難であることと。必要とされていること もまた違います。もしそれが未来の世界に必要とされ ているものなら、誰かが作るべきです。それに誰もま だ成功していないのなら、あなたにその役目が回って きているのかもしれません。  成功すると事前に分かっていることなら、すでに誰 かがやっていたり、自分が取り組まなくても誰かが勝 手にやってくれます。もしそうではなく、失敗確率が それなりに高そうでも、あなたが挑戦してみたい、と 思っていることや、あなたなら成立させられるかもし れない挑戦であれば、あなたがやるべきです。  もちろん、実現までの道は狭き道になるでしょう。 険しい道にもなるかもしれません。外部のコンサルタ ントに尋ねだり、自分でも客観的に分析してみると、 「やめておいたほうがよい」という道になるはずです。 しかし成功までの狭き道を何とかして見つけて通るこ とが、意思であり、未来を作り出すことでもあります。  高い山を登りきるための道を見つけること。それが 新しい挑戦に共通することです。より正確に言えば、 狭き道を見つけ「続ける」ことだと言えるでしょう。 歩き始めるときに、最後までの道筋が見えていること はほとんどありません。途中まではある程度見えてい たと思っても、登り始めてから、登れるか分からない 険しい道が現れることもあれば、行き止まりにぶつ かってしまうこともあります。それが普通です。そん な状態になっても、可能性のある道を何とかして見つ け続けること、そのたびに先に進む方法を考えて、リ スクを取ってりIプし続けることが、大胆な仮説を正 解にするための方法です。 野心的で情熱的な人のそばにいる  理想や野心を一瞬持つことができても、それを持ち 続けられる人はそう多くありません。その意思を持続 させるためには、必要な栄養を与え、枯れないように 育て続けなければなりません。最初は灯のような情熱 の種火を、炎のように燃え上がらせていくためには、 風雨から守り、酸素を与え続ける必要があるでしょう。  高い山にうまく登れたとしても、高くなればなるほ ど酸素は薄くなり、登るのがつらくなっていきます。 同じように、大きな事業の山に登れているとしても、 次第に周りには理解してくれる人が少なくなっていき、 息苦しさを感じることも多くなります。  だからこそ、野心的で情熱的な人たちのそばにいる ようにしてください。起業家の多くが、他の起業家と やり取りをするのは、単にノウハウを知りたいだけで はなく、他の起業家が持つ野心に影響されたいから、 という面は大きいのではないかと思います。ニュース などでは、気丈な起業家のように見えても、気持ちの 浮き沈みは必ずあり、情熱や野心がしぼんでしまうと きもあります。そんなときに、野心を持つ人のそばに いることで刺激を受けて、再び自分の情熱の炎を燃え 上がらせ、沈んだ気持ちを上向かせることができるの です。それが登山における酸素に当たります。  また、私たちは影響度の大きな事を考えようとする ことを、自分自身で止めてしまいがちです。「そんな のできっこない」「大それた夢だ」と自然と考え、自 分自身がストッパーとなってしまうのです。これまで の教育で「身の丈を知る」ことを教え込まれ、それを 内面化しすぎてしまっているのかもしれませんし、か つて大きな事を考えて挑戦し、失敗してしまった経験 があるからかもしれません。  だからこそ、自分一人で歩みだせないのであれば、 誰かが背中を後押ししてくれる環境に身を置きましよ う。アイデアを思いついたときに、「起業してみれば いいんじやない?」「コンテストに出してみれば?」 と言ってくれる人がいるかどうかで、本当に起業した り応募したりするかどうかは大きく変わります。そう して挑戦すれば、成功する可能性が生まれます。  そして誰かとともにいることは、自分の大志を誰か に受け継いでもらう環境作りにもつながります。誰か から大志を受け継ぐのと同様に、私たちは誰かに自分 の大志を託すこともできるのです。  同じ大志を持ち、同じ夢を持つ人ができれば、そし て自分一人では辿り着けない目的地であっても、大志 を託すことができれば、自分の代わりにその人たちが 到達してくれるかもしれません。自分の一生が終わっ たとしても、受け継ぎさえできればきっと誰かがその 地点まで辿り着いてくれるはずです。あなた自身がそ の未来を作り出せなくても、あなたの仮説と努力で少 しでも現実が変わり、前に進めば、その仮説を受け継 いだ誰かがもっと前に進めてくれるはずです。  人類はそうしてこれまで進歩を続けてきました。私 たちも祖先だちからより良い社会を作るという仮説の バトンを受け取っています。そのバトンを受け取り、 次の世代につないでいくことが、より良い社会を作り、 理想的な未来を作ることにつながります。  私たちは自分自身が作った未来の仮説を、自分たち の手で正解にすることができます。私たちは未来を作 り出せる、ということです。そして私たち以外に、未 来を作り出せる人はいません。  もちろん、その挑戦の途中ではたくさんの失敗が待 ち受けます。何度も倒れてしまうこともあるでしょう。 でも、そのたびに立ち上がればいいのです。ループを 回し続け、前を向いて行動し続ければ、きっと今より 影響度と確信度の高い未来の仮説を見出すことができ ます。  そのためには、考えるだけではなく、行動が必要で す。  未来の仮説を作り、今から行動を始めましょう。     −     I Teppo Felin「 Alfonso Gambardella「 Scott Stem「 Todd おわりに  泳ぎ方の本を読んでも泳ぎはうまくならないように、 本をどれだけ読み込んだとしても、仮説行動はうまく はなりません。行動をして、経験をして、そこから学 んで初めて、私たちは、仮説の扱いに慣れていきます。  しかし、闇雲に練習を積んでしまうと、駄目な フォームが身についてしまう可能性もあります。そこ で仮説行動を実践するときに、意識するべきいくつか の要点がまとまっていれば便利ではないかと思い、 「マップーループーリープ」を基本とした、一連の仮 説の体系をまとめました。  疑問や問いを持つこと、そこから仮説生成や仮説検 証を行って、物事をより深く理解することは、社会や 世界と対話することです。世界を理解しようと能動的 に思考して、仮説を出し、行動して、世界からの反応 を得て、もし間違っていればさらに思考する。日々変 わりゆく世界を理解し続けようと努力したうえで、学 びを得ながら自らが変わり、そして自らも世界を変え ようとする行為が、本書で説明してきた仮説行動です。  本書を読んだ後にはぜひ、課題の設定に必要な「理 想」を考え、現状とのギャップに気づき、理想に至る ための道筋という仮説マップを立ててみてください。 弱い仮説に対しては検証のループを回し、早い段階で りIプして、行動してみてください。その中で学べる エビデンスや得られる仲間は、きっとかけがえのない ものになるはずです。  特に「理想」という仮説を持つことを恐れないでく ださい。誰かから綺麗ごとだと揶揄されようと、現実 的ではないと指をさされようと、誰かがその理想を語 り、行動しなければ、その理想は実現されません。だ としたら、あなた以外の誰がやるというのでしょう。 あなた以外の誰がその理想を語り、現実にするので しょうか。  誰かがやるべきだと思って、誰もやっていないこと があれば、それはあなたがやるべきことであり、あな たが始めるべきことです。  行動する中で、私たちはこれから何度も誤った仮説 を持ち、何度も失敗するでしょう。うまくいかず、落 ち込むこともあると思います。しかし、転んでもその たびに学び、何度も立ち上かって、新しい仮説を作っ て歩み続けていけば、確実に理想に近づくことができ ます。たとえ最初の仮説が間違っていても、直せばよ いだけです。その道の途中にどんなに困難な課題があ ろうとも、何度も課題解決をしていけばよいだけなの です。そのために、仮説を使ってください。  そうしてI人I人が理想を持ち、未来を作るために 動けば、その理想の未来はきっともっと早くやってく るはずです。  理想を持ち、仮説をもとに思考して、行動し、未来 の仮説を正解にしようとする皆さんに、本書が何かの 助けになれば幸いです。