努力の数値化_青笹寛史   はじめに    「的外れな努力」はなぜ生ま   れてしまうのか 頑張っているのに、結果が出ない。 頑張っているのに、認められない。 このような悩みを持つ人は多くいます。  かつての私もそうでした。  今でこそ、動画編集を軸とした事業で年間3億 円の利益をあげている私ですが、動画編集の仕事 を始めたころは、アルバイトとして、単価 1000円の簡単な仕事を任されていました。  私はその仕事を完成させるまでに、1ヵ月か かっていました。  単価1000円の仕事に1ヵ月かかるわけです から、月収1000円です。  「簡単な仕事」のはずなのに、なぜそんなにも時 間がかかってしまっていたのか。それは、私が動 画編集に凝りすぎていたからです。  「単価1000円でここまでの動画をつくってく れるのか!」と思わせたい。「すごい動画編集者 が現れた」と思わせたいIそのような気持ちか ら私は、アニメーションに凝り、3Dのグラ フィックに凝り……と、とにかく手の込んだ動画 に仕上げ、依頼主に提出していたのでした。  しかし依頼主は、私か編集した動画を見て、喜 んではくれませんでした。  依頼主が望んでいたのは、あくまでも「単価 1000円なりの動画」でした。最低限の編集で 読みやすいテロップが適度に入れられていればそ れでよかったのです。わざわざ難易度の高い技術 を駆使して、手の込んだアニメーションを入れる 必要などなかったのでした。  私か編集した動画は、私か時間と労力をかけて つくり込んだ部分がきれいにカットされ、シンプ ルなものに手直しされて、世に出ていきました。  喜んでもらえると思って頑張っだのに……と、 悔しくなりました。  駆け出し時代の、苦い思い出です。     「求める結果」に対し、ずれなく努力    を重ねる  頑張るのはいいことだ。私たちは子どものころ から、そう教わってきました。  確かに、頑張る子は親や先生から褒められ、テ ストでいい点数を取り、成績も上かつていきまし た。その意味で子どものころは、「努力が結果に つながりやすい時代」だったといえます。  しかし高校を卒業し、大学に入ったり、社会に 出たりするようになるころから、「努力が結果に つながらない」と思えることが増えてきます。頑 張っているはずなのに、陰で「あいつは努力の方 向性を間違えている」なんて言われ出すのも、こ のころからです。  そう、努力には「正しい方向性」があるのです  子どものころは、「努力の方向性」なんて考え る必要はありませんでした。「教科書」という一 本道の上を、ただ進むだけでよかったからです。 求められていたのは、「どれだけ速く進むか」と 「どれだけたくさん進むか」の2点。道を間違え るおそれはありませんから、頑張りがそのまま結 果につながりやすかっだのは必然といえるでしよ  ところが、大人になると、一気に世界が開けま す。  教科書のような一本道ではなくなり、どの道を どのように歩んでもいい、自由な世界になります それはつまり、「どの方向に進むのがいちばんい いのか」を必死に考えなければならない世界に突 入したということでもあります。  子どものころから、「どれだけ速く進むか」「ど れだけたくさん進むか」ばかりを考え、それが努 力のすべてだと思い込んできた人は、ここで戸 惑ってしまうのです。  大人にとっての努力は、「どれだけ速く進むか」 「どれだけたくさん進むか」以上に、「どの方向に 進むか」が重要になります。  求める結果から45度ずれた方向に歩き出してし まったら、動画編集駆け出しのころの私のように 「努力すればするほど、求める結果からかけ離れ ていく」という残念なことになります。途中です れに気づいたとしても、軌道修正には大きな労力 を要します。  また、求める結果から90度ずれた方向に猛然と 努力を積み重ねてしまったら、気づいたときには もう、軌道修正すら難しい状況に陥ってしまうで しょう。  一方、求める結果に対してI度のずれもなく、 まっすぐに歩き出せたとしたら、努力の量は最少 ですみ、求める結果を出すまでにかかる時間も最 短ですみます。  本書は、歩き出す前にまず、正しい「努力の方 向」を導き出し、最少の努力で、最短の時間で、 求める結果を得るための1冊となっています。    今まで結果が出なかった人ほど効果は    大きい  本書は、全4章で構成されています。  第1章では、「そもそも努力とは何なのか」と いうことに立ち返りながら、必要な努力とそうで ない努力の違いを紐解いていきます。  第2章のテーマは、本書のタイトルでもある 「努力の数値化」。求める結果に向かつてまっすぐ に努力するための考え方をご紹介します。  第3章では、第2章で定めた正しい「努力の方 向」へ最速で突き進むための行動サイクルを解説 します。  最後の第4章では、モチベーションを失わずに 努力し続けるために必要な考え方をお伝えします  本書を読み終えるころには、あなたは常に「最 適な努力の方向性」を見つけ出すことができるよ うになります。「頑張っているのに、結果が出な い」「頑張っているのに、認められない」といっ た悩みはもう、なくなるのです。  そして、今まで結果が出ず、評価されない中で も頑張ってきた人ほど、効果は大きくなります。 日頃の頑張りを正しい方向に、余すところなく発 揮できるようになるからです。  本書があなたの人生を変える一助になれば、こ れに勝る喜びはありません。 天才の兄と比べてわかった私 の凡人気質 中学時代に感じた「自分のスペックは 兄とは違う」  「国立大学医学部卒。大学在学中に起業し、初年 度から利益3000万円を叩き出した若手起業 家」  −このようなプロフィールで紹介されること の多い私か「努力」を語ったところで、「またま た〜。どうせ、ちょっと頑張っただけで結果が出 る天才だったんでしよ冫・」「もともと凡人とは、 頭のつくりが違うんでしよ冫・」と、冷めた目で見 られてしまうかもしれません。  しかしそれは、過大評価です。  私は紛れもなく、凡人です。  天才と凡人の差。それはそのまま、私か人生の 中で直面してきた壁そのものでもあります。  私か初めて目の当たりにした天才は、兄です。  私は4人兄弟の三男として育ちました。兄2人 に、弟I人。男ばかりの、賑やかな家庭です。  兄2人は、とても優秀でした。  2人とも、I学年が200人いる近所の公立中 学校に通っていましたが、成績は常に学年のI位 2位。悪いときでも、10位以下に落ちることはあ りませんでした。そして2人とも、国内でも有数 の進学校へと入学していきました。  こんなことを言ったら家族に怒られてしまうか もしれませんが、私は、兄2人が家で必死に勉強 している姿を見たことがありません。いつも、私 と一緒にゲームをしているばかりでした。それな のに、なんとなくテストでは高得点を取り、難関 校の受験もなんとなくクリアしていったのです。  もっとも、兄2人が中学校を卒業した当時の私 はまだ小学生。兄たちのすごさに気づいてはおら ず、「自分も同じように、なんとなく過ごしてい るだけでテストで高得点を取り、みんながうらや むような難関校に入学できるのだろう」と思い込 んでいました。  しかし私の思い込みは、中学入学後初の定期テ ストで、無残にも打ち砕かれることになります。  学年200人中、私の順位は80位台。兄2人が 決して残さなかった、公立中学校のど真ん中の、 ど平凡な順位を叩き出してしまったのです。  「自分も、兄たちのように頭がいいんだろう」と 考えていた私自身がショックを受けたのはもちろ ん、両親も、そして「あの青笹家から、ついに三 男登場か!」と期待していた先生方もショックを 受けていたのを感じました。  「自分は、優秀な兄たちとは違うんだ」と思い知 り、私の自己肯定感はどんどん下がっていきまし た。    家庭内で「天才のすごさ」を思い知ら    され続ける  兄たちが優秀だったのは、勉強面だけではあり ません。  2人とも、足がとても速く、常にリレーの選手 でした。追いかけつこをしても勝てたためしがあ りません。最初のうちは「兄のほうが年上なのだ から、追いつけないのは当然」と思つていました が、やがて学校で、同級生同士の徒競走が行われ るようになり、自分は同級生の中でも「中の中」 くらいの足の速さなのだと自覚します。  勉強面だけならばまだ、「兄たちは、家では勉 強していなかつただけで、学校の授業中はものす ごく集中していたのかもしれない」と考えること もできます。  しかし、足の速さで差がつくのは、どうにも納 得がいきませんでした。  父も同じ。母も同じ。食べてきたものもほぼ同 じ。体格もほぼ同じ。外で遊ぶのが好きなのも同 じ。そしてもちろん、兄2人は、足が速くなるた めの特別な訓練を受けていたわけではありません  それなのに、兄2人は学年でも有数の足の速さ であり、私は「中の中」……。理不尽極まりない ではありませんか。  私は、心の折り合いをつけるため、「自分は 劣っているわけではない。自分は凡人であり、兄 2人が天才なだけなのだ」と割り切ることにしま した。  ところがほどなく、さらにショックな出来事が 巻き起こります。  家で、中学校の理科の問題集を解いていたとき のことです。  当時の私は理科が苦手で、学校の授業で出てき た「磁界」という概念がよく理解できていません でした。当然、問題集を解く手も止まりがちにな ります。  その姿を脇で見ていた、まだ小学生の弟が、 「こんなの簡単じやん」と、すらすら問題を解き 始めたのです。  「お前も天才なのか……’・」  私は、兄に対して感じたときよりも大きな絶望 感を味わいました。  兄弟みんなが天才なのに、自分だけが凡人であ る理不尽を睨いました。  しかし今では、この境遇に感謝しています。  この境遇で悩み続けたからこそ、凡人が天才に 勝つ手段である「努力の数値化」という考え方を 編み出すことができたからです。  ただし、私か「努力の数値化」という考え方に たどり着くのは、まだもう少し、先のことになり ます。    凡人の私が医学部を目指した「本当の    動機」  思春期真っ只中で、兄弟の中でただひとりの凡 人だと悟った私は、やがて「親にとっては、自分 よりも、ほかの兄弟3人のほうがかわいいのでは ないか」というひねくれた疑念を抱くようになり ます。  私の父は自衛隊の医師で、母も自衛隊の病院の 看護師でした。そんな両親が、優秀な兄2人を見 て「お医者さんになってくれないかな」と考える のは想像に難くないでしょう。実際、医師への道 に興味を示さなかった兄2人に対し、両親はそれ となく、「医学部を受けてみたら冫・」「興味はない かもしれないけれど、一応、受けるだけでも」と 勧めていました。  しかし私には、高校3年生になっても、医学部 への進学を勧めるそぶりは見せませんでした。  両親の真意はわかりません。もちろん、兄2人 がそれぞれに自分の進みたい道を歩んでいる姿を 見て、「ああ、押しつけはよくないな」と思い直 し、私にも自由に進路を決めてほしいと考えた結 果なのかもしれません。  ただ、「ほかの兄弟3人のほうがかわいいので はないか」なんてひねくれた感情を抱いている最 中の自分にとっては、やはり引っ掛かるポイント ではありました。  自分も両親からの愛情がほしい。自分にも興味 を持ってもらいたい。そんな気持ちが膨らんでい たのかもしれません。  私は高校3年生の秋、両親に、「医学部にいき たい」と宣言しました。  一般的にいえば、高校3年生の秋から急に医学 部を目指すのは遅すぎます。というか、ほとんど 手遅れです。  でも私の中に、焦りはありませんでした。  そもそもそれまで、一切の受験勉強をしてこな かったからです。  「このままじゃどうせ浪人するんだろうな。勉強 を一生懸命頑張るのは、浪人生になってからでい いや。……でも、『浪人生』つて響きはかっこ悪 いな……でも『医学部を目指しているがゆえの浪 人生』つて話はよく聞くし、なんならかっこいい ……よし自分も、『医学部を目指しているがゆえ の浪人生』になろう」  こんな打算があったのも事実です。  凡人中の凡人であり、高校3年生の秋まで受験 勉強ひとつしてこなかった私か、医学部を目指し 始めた理由は、ひとつには絞りきれません。  しかし、とにもかくにも、私は医学部を目指し て受験勉強に励むことになりました。  その中で私は、「努力の数値化」という最強メ ソッドの一端を発見することになります。  「努力しているふり」は数字 に表れる 「机に向かう時間と勉強時間」はイ コールではない  高校を卒業し、晴れて「医学部を目指す浪人 生」になりました。  さあ、そろそろ本気を出すかIとばかりに、 私はI囗16時間の勉強に励み出します。  予備校で、図書館で、家でひたすら勉強し、 「I囗16時間の勉強をしている自分」に浸りなが ら、「これだけ勉強していれば、医学部にもすん なり受かるだろうな」なんて呑気に考えていまし た。  浪人生活が始まって、数日経ったときのことで す。  ふと、「自分は本当に、『1日16時間勉強してい る』といえるのだろうか」という疑問が湧き起 こってきました。  確かに、勉強の合間の休憩時間や朝食や夕食、 入浴の時間は勉強時間の中に入れていませんから 「16時間」という数字は勉強時間の実態に近い数 字だといえます。  ただ、よくよく考えたら、昼食の時間を「16時 間」の中に入れてしまっていました。それに、 ちょっと喉が渇いたときにはコンビニに飲み物を 買いにいっています。もちろんトイレにもいきま す。たまにはぼ1つと、勉強以外のことを考えて しまったりもします。  これらの「休憩と呼ぶほどでもない」休憩時間 も、勉強時間のうちに入れてはいけないのではな いかと思うようになったのです。  私は、I囗の勉強時間を厳密に計ってみようと ストップウォッチを使ってみました。  たとえば、「10時から一1111時までは、国語を勉強 する」と決めたとします。時計を基準にすれば 「1時間勉強している」わけですが、その時間の 中でトイレにいったり、ついほかのことを考えて いたり、「あ〜疲れた」と伸びをしたりしている 時間は、勉強時間とはいえません。その上うな時 間を排除した、厳密な勉強時間を調べるために、 私はストップウォッチで細かく「勉強を始めたら スタート、少しでもほかのことを考えたり、ほか のことをしたりしたときはストップ」を1日中繰 り返してみたのです。  結果は衝撃的なものでした。 「16時間勉強している」と思い込んでいた私の、 1日の厳密な勉強時間は、わずか8時間にすぎな かったのです。     「努力の濃度」を高めれば、出てくる    結果も変わる  「2〜3時間のロスはあったとしても、まあ13時 間くらいは勉強しているだろうな」と考えていた 私は、大きなショックを受けました。  そして同時に、危機感を覚えました。  私は凡人です。その上、高校生活の3年間で一 切の勉強をしてこなかった、ひどくできの悪い凡 人です。  その凡人が一念発起して、「1日16時間も勉強 しているのだから、1年あれば、ほかの医学部受 験生にも追いつけるだろう」と考えていたのがこ こ数日でした。  しかし、私の厳密な勉強時間は、8時間。「I 囗16時間も勉強しているのだから」という自信の 前提が、根本から崩れてしまったのです。  厳密な勉強時間を「16時間」に近づけなければ 私は医学部に合格できない。  そう思い、毎日、ストップウォッチを使いなが ら勉強し、余計なことをしている時間を少しずつ 削ぎ落としていきました。「16時間」の勉強濃度 を高めていったのです。  変化はすぐに表れました。  成績はぐんぐんと伸び、浪人生活を始めてから 3ヵ月目の6月にはもう、首都圏の国立大医学部 を射程圏に入れられるところまで上り詰めること ができたのです。  ただ、ここから、私の中に根付いている「凡人 気質」「怠け者気質」が再び顔を出します。  「たった3ヵ月でここまで上かつてこられたのだ から、もうそんなに勉強を根詰めなくても大丈夫 だろう」と安心しきり、N・lntendoSw ・ltchのゲーム「スプラトウーン2」にハマる 生活を送り始めてしまったのです。  当然、成績は急下降。視野に入れていたはずの 首都圏国立大は遥か彼方に遠ざかり、父親の実家 が近いという不思議な縁のある島根大学の医学部 になんとか滑り込むことになります。  私のだらしなさゆえ、少々締まらないオチに なってしまいましたが、「自分では16時間勉強し ていると思っていても、実際には8時間しか勉強 していなかったと知った」「実際の勉強時間を16 時間に近づけることで、成績がぐんぐん伸びた」 という2つの経験は、私の人生に大きな気づきを もたらしました。  「I囗16時間勉強している」と思い込んでいた時 期の私は、はっきりいえば「努力しているふりを しているだけ」でした。もちろん自分では、「努 力しているふりをしている」なんて自覚はありま せんが、実際には8時間しか勉強していないのに 「16時間勉強している」と言っているわけですか ら、「努力しているふり」以外の何物でもないで しょう。  しかしストップウォッチを活用し、「16時間」 の中の勉強濃度、いわば「努力の濃度」を高めた ことで、成績はみるみる上かつていきました。  「努力しているふり」を、実際の「努力」へと変 えて、医学部入学という「求めた結果」を得た成 功体験は、第2章でお伝えする「努力の数値化」 という考え方を築く上で、とても大切な源泉と なってくれました。 医学部で気づいた「エリート に足りない視点」  「真面目な人」ほど進級テストで苦労 する理由  医学部に入学できたことで、兄2人に抱いてい た劣等感や愛情コンプレックスは徐々にほぐれて いきました。「どうにかこうにか、エリートの 下っ端にしがみつけたぞ」という、ある種の達成 感も芽生えました。  しかし入学してからしばらく経つと、私は周り の同級生たちに対して、妙な違和感を覚えるよう になっていきました。  みんな、とにかく真面目なのです。  もちろん、真面目であるのは素晴らしいことで す。  ただそれにしても、授業では先生の発言の一語 一句をノートにとり、板書もすべてきれいに書き 写しています。「授業の内容を一生懸命ノートに とろうがとるまいが、結局はテストでいい点を取 れば進級できるし、取れなければ留年するだけな んでしよ」と悟っていた私は、周りの真面目さに ドン引きし、周りの同級生たちは、私のだらけっ ぷりにドン引きしていました。  「授業を真面目に聞いていなければ、テストでい い点も取れないだろ」と感じた人もいるかもしれ ません。実は、これにはカラクリがあります。  医学部のテストは、ほとんどの科目で「過去 問」がストックされています。その過去問は、誰 もが自由に閲覧し、コピーできるようになってい ます。  そして、ここからが重要です。  実際のテストでは、過去数年間に出た問題とほ ぼ同じか、場合によってはまったく同じ問題が出 題されることがほとんどなのです。  テストが過去問から出題されるのなら、過去問 を徹底的に勉強し、わからないところは個別に先 生に聞けばいい。私はそう考えていましたが、同 級生たちは違いました。  「まずは授業の内容をすべてノートにとり、教科 書の内容もすべて頭に入れた上で、最後の実戦練 習として過去問に挑む」という、ある意味オーソ ドックスなアプローチでテストに臨んでいたので す。  しかしテストの結果は、私のほうが高得点であ ることがほとんどでした。  「なぜあいつは、授業中に楽をしているはずなの に、真面目にやっている人だちよりも高得点を取 るのか」と、同級生たちは次第に、私に一目置い てくれるようになりました。    努力の方向性が違えばその勉強に意味    はない  授業中も、テスト勉強も、私より同級生のほう が明らかに努力しています。  そして確実に、私より同級生のほうが、高校時 代までの成績もよかったはずです。  それなのに、大学のテストでは、私のほうが点 数が高い。  その原因はひとえに、同級生が日々積み重ねて いる「努力の方向性」が間違っているからにほか なりません。  テストはほとんど過去問から出題されるとわか り切っているのですから、素直に過去問を「教科 書」として勉強すればいいのです。  しかし、私の「素直な」勉強法は、同級生たち にとっては斬新たったようです。「その発想はな かった」と、みんな囗をそろえて言います。  繰り返しますが、テストは過去問から出ること は誰もが知っていて、その過去問は誰もが自由に 閲覧し、コピーできる状態になっているのに、で す。  今まで自分が決してかなわなかったであろう人 だちより、自分のほうが結果を出し始めたことで 私は自分のある能力に自信を深めていきました。  その能力とは、「努力の方向性を定める能力」 です。  「はじめに」で記したように、大学受験までは、 「努力の方向性を定める能力」はさほど必要では ありませんでした。  公教育も充実していますし、塾も予備校も参考 書も豊富にあります。「この方向が正しい」とい う道しるべが明確ですから、その方向へ力任せに クンダンと突き進んでいれば、それで結果が出た のです。  ただ、そのやり方では、いずれ壁にぶつかると きがきます。人生には道しるべなどないからです  大学に入り、急に道しるべがなくなった中、同 級生たちは「今まではこの道が正しかったから」 と、高校までと同じ勉強の仕方をして結果が出ず 私は「どの道が正しいのか」を考えて、道筋を自 分で定めてから行動に移したから、結果が出た。 テストの点数の差は、たったそれだけの差なのだ と私は思います。 今後重要になる「努力の方向 性を定める能力」とは かつての努力と今の時代に求められる 努力は違う  かつては、大人になってからも、「努力の方向 性」を定める能力がさほど重要ではない時代があ りました。  とにかく「つぶれない会社」に就職さえしてし まえば、一生安泰。真面目に毎日会社に通勤する だけで、年々給料が上がり、出世していく。老後 も年金が手厚い。「みんなができること」を「み んなより多くやること」が努力であり、やればや るほど評価が上がったIそのような時代が確か にあったのも事実です。  しかし、時代は変わりました。  終身雇用や年金神話は遥か昔に終わりを告げ、 今や国が率先して、副業や投資を勧める時代です  AI(人工知能)の発達もすさまじいものがあ ります。これまで人間がやってきた仕事も、どん どんAIに任されるようになるでしょう。そのほ うがコストもかからず、正確だからです。加えて AIは、疲れ知らずです。  誰もができるような仕事を大量にこなして評価 される時代は、もう終わってしまいました。その ようなことはもう、努力とは呼ばれなくなってし まったのです。  これからの時代を生きる人に求められるのは、 「正しい努力は何なのか」を探し出し、その方向 に進み出す力です。  国や会社に依存しきれない社会だからこそ、正 しい努力を積み重ねて「個」の力を磨き、自分な らではの強みを発揮していく必要があるのです。  組織に所属せずに働く「フリ圭フンス」も増え ました。自分ならではの得意分野を武器に収入を 得て食べていける時代になっだのは、「かつてよ り自由な時代になった」ということでもあります  厳しい世の中にはなりましたが、個性は発揮し やすくなりました。  だからこそ、自分なりに「どの道が正しいの か」を見つけ出し、正しい努力を積み重ねる重要 性が増したともいえます。    世の中の不平等のほとんどは努力で挽    回できる  個の力が重視される時代になったとともに、 「個人の努力が正当に評価される時代になった」 と私は考えています。  「親ガチヤ」「上司ガチヤ」「配属ガチヤ」といっ た言葉が広く使われるようになり、世の中の不平 等を嘆いたり、諦めたりする投稿をSNSで見か けることも増えました。しかし私は、その上うな 投稿を目にするたびに、「もったいないなあ」と いう感想を抱きます。  たとえば「顔が悪い」「運動神経がない」「お金 がない」「チャンスが回ってこない」といったよ うな、世の中でよく言われている一般的な不平等 は、すべて努力で解決できると考えているからで す。  あえて極論を言いますが、「顔が悪い」状況を 本気で変えたいのであれば、お金を稼いで整形し てしまえばいいのです。努力でなんとかなります  顔は変えずとも、髪型や服装といったおしゃれ を勉強したら、顔の悪さも多少はごまかせるかも しれません。わかっていてその努力をしないのは 不平等でも何でもなく、ただサボつているだけで す。  貧乏な家庭に生まれたことで、教育や習い事の 選択肢が限定されてしまうのもひとつの事実です  ただ、世の中には、裕福な家庭に生まれ、恵ま れた環境で育ったがために、かえって自身のモチ ベーションが上がらず、いい大学にいけない人も います。   一方で、金銭面や教育環境に恵まれないことを バネにして勉強に励み、いい大学にいく人もいま す。ある程度の基礎スペックは、努力で挽回可能 なのです。  「親ガチヤ」「上司ガチヤ」「配属ガチヤ」をはじ めとした不平等の要因は、統計的に見れば確かに あるかもしれませんが、個人として見たときには そのほとんどが「努力次第でひつくり返せる条 件」だと、私は考えています。  「ずるい」という言葉は負け た言い訳にすぎない 求められているものは何か?「正攻 法」を疑え  もしかしたら、私か大学時代、授業を真面目に 受けずに過去問を中心に勉強し、授業を真面目に 受けていた人だちよりも高い点数を取っていたこ とを、「ずるい」と感じる人もいるかもしれませ ん。  実際、大学の同級生の一部からは、「青笹はず るい方法でテスト対策をしている」と陰口を叩か れていたようです。  自分が「正攻法だ」と信じているやり方と違う やり方で高得点を取っている人に対し、「ずるい」 と言いたくなる気持ちはわかります。  ただ、思い出していただきたいのは、「テスト は過去問から出ることは誰もが知っていて、その 過去問は誰もが自由に閲覧し、コピーできる状態 になっていた」という事実です。  なにも、私だけが事前にテストの問題を入手し ていたり、先生にわいろを渡したり、カンニング したりして点数を稼いだわけではありません。  公式に定められているルールとは別に、「この 課題には、こう取り組むべき」という自分の美学 を持ち込み、そこから外れている人を「ずるい」 と思い込んでしまうと、正しい方向に努力を積み 重ねるのは難しくなります。     「与えられた条件」を深掘りして考え    る癖をつける  次の図をご覧ください。 \☆  I周200mのトラックにコースが敷かれ、ス タート地点とゴール地点が定められています。  このスタート地点に100m走の猛者だちと私 か並べられ、「いち早くゴール地点に到達してく ださい」とだけルールが発表され、いきなり 「よ1い、ドンー」と号砲が鳴ったとします。  100m走の猛者たちがコースに沿って猛烈な スタートダッシュを決める中、私はコースを走ら ず、一目散にトラックの真ん中を突っ切り、ゴー ルを目指すでしょう。「コースを走りなさい」な んてルールはどこにもないからです。  それでも、圧倒的な走力の差があるため、I位 になることはできないかもしれませんが、「コー スが敷かれているから」「みんながこっちを走る から」とバカ正直にコースを走るよりは確実に、 好勝負に持ち込めるはずです。  凡人が天才に勝つには、努力の仕方に工夫が必 要なのです。  なにも、天才と同じ競技をする必要はありませ ん。「ずるい」なんて野次に耳を傾ける必要もあ りません。  「この課題は、そもそも何を求められているの か」「なるほど、スタート地点からいち早くゴー ル地点に到達することを求められているんだな」 と、与えられた条件を深掘りしてからスタートす ると、圧倒的な走力の差をカバーすることができ ます。  「努力の方向性を定める」とは、こういうことな のです。  第2章からはいよいよ、求める結果に向かつて まっすぐ努力するために必要な考え方である「努 力の数値化」を解説していきます。  ただ、「数値化」とはいえ、数字ばかりの話に なってしまっても、読んでいて退屈でしょう。な るべく私の実例を交えながら、イメージしやすい ように記していきます。 努力は「1本の矢印」と「2 つの点」で表せる 努力を数値化するとき「量と質」に分 けて考える  第1章の中で私は、浪人時代の受験勉強と医学 部時代の進級テストで、努力について2つの成功 体験を得たことをお話ししました。  成功体験I  浪人時代の受験勉強中、I囗の勉強時間の中で 「本当に努力している時間」を増やしたことで、 成績がぐんぐんと伸びた。  成功体験2  医学部時代の進級テストで、周りの同級生と違 い「過去問を中心に勉強する」という勉強法を敢 行したことで、本来優秀な同級生よりも高い点数 を取ることができた。  この2つの成功体験は、次のように言い換える ことができるでしょう。  成功体験I  努力の「量」を増やして結果を出した。  成功体験2  努力の「質」を高めて結果を出した。  そう。努力は「量」と「質」に分けることがで きるのです。  そして「量」と「質」のそれぞれを最大化する ことで、爆発的なパフォーマンスを発揮でき、驚 くほど大きな結果を得ることができるようになり ます。  第2章では、つかみどころのない「努力」とい うものを、「量」と「質」に分けて視覚化し、イ メージしやすくします。  その上で第3章では、「実際に何をどう努力す ればいいのか」を具体的にお話ししていきます。  第2章は理論編、第3章は実践編とお考えくだ さい。     「努力の理想型」は矢印で例えるとわ    かりやすい  私は、「努力」と「結果」は、1本の矢印と2 つの点で表せると考えています。  次の図をご覧ください。「現状」と「得たい結 果」が、1本の矢印で結ばれています。 \ (*上昃る) (*2戻る) (*3戻る)  この矢印が「努力」です。  図のように、「現状」と「得たい結果」の間に I度のズレもなく、まっすぐに矢印が引かれてい る状態が、「結果に向かって最短距離で努力を重 ねている状態」です。矢印の長さは「努力の量」、 矢印の角度は「努力の質」を表します。  「現状」から「得たい結果」に向かって、O度の 角度で一直線に進む前の図の形が、努力の理想型 であるといえます。  ただ、すべての努力がこのように、得たい結果 に向かってまっすぐ積み重ねられるかというと、 なかなかそうもいきません。  現実には、次の上の図のように、「得たい結果」 から45度ずれた方向に突き進んでしまったり、下 の図のように、60度ずれた方向に突き進んでし まったりといったことが、よく起きます。  匸】 一        一  最初から「得たい結果」に向かってO度で進む 「努力の理想型」と比べ、いったんずれた方向に 突き進んでしまった場合、軌道修正して再び「得 たい結果」に向かうには大きな距離ロスが生じま す。そしてその距離ロスは、ずれた角度が大きけ れば大きいほど、大きくなってしまいます。  つまり、努力の「量」と「質」では、「質」の ほうが「量」よりも重要であるということです。    マイナス方向に努力したらすべてが無    駄になる  「努力の方向を間違えて突き進んでしまつたら、 その分をカバーするためにまた頑張ればいい。距 離ロスもいつか自分の糧となる」と考えるパワフ ルな方もいるでしょう。  しかし頭に入れておいていただきたいのは、次 の図のように、積み重ねた努力が「得たい結果」 れU冂づ緋;〜。;2   一一  こうなると「努力すればするほど、得たい結果 から遠ざかる」「何もしないほうがマシたった」 「原点に戻るまでにリカバリーが必要」という、 とても悲惨な状況となります。  「そんなこと、あるわけないだろう」と思うかも しれませんが、あるのです。  私の恥ずかしい実体験からお話ししましよう。    私が興した力−シェアリングサービス    の失敗例  大学の医学部時代のことです。  「過去問を攻略する」という独特のテスト勉強法 と実際に叩き出している点数で、同級生から一目 置かれるようになった私ですが、一部からはまだ 「青笹はずるい」なんて言われて評価されていな いことに、なんとも言えない居心地の悪さを覚え ていました。  学内のみんなから評価されるにはどうしたらい いか。自分なりに考えて導き出した答えは、「学 内で流行るサービスをつくる」ことです。  「青笹のおかげで、大学生活がこんなに便利に なった」と感じてもらえるようなサービスをつく れば、みんなから評価されるだろう。私はこう考 えたのです。  目をつけたのは、今ではありふれたサービスで あるものの、当時アメリカで流行り始めていた シェアリングエコノミーです。  大学があった島根県は車社会であり、大学の仲 間で飲みにいくにも、電車や徒歩ではなく、飲み 会の参加者のうち誰かが車出しをして代行サービ スを頼むのが主流でした。そのため、「車出し係 の都合がつかないために、飲み会が開けない」な んてことも頻繁に起きていました。島根県にはま だ、カーシェアリングの文化がなかったのです。  この状況下で、「今日、車を貸してくれる人」 をマッチングするサービスをつくれば、「車出し 係の都合がつかないために、飲み会が開けない」 ことはなくなりますし、新たな交流も生まれるは ずです。  私はそう考え、大学付近の「カーシェアリング サービス」をつくることを決意したのでした。  「LINEのチャットポットでつくればいける な」という漠然としたイメージはありましたが、 私はエンジニアではありませんから、実際の開発 はできません。そしてもちろん、お金もありませ ん。  そこで私は、投資家巡りをし、事業を説明して 投資を募りました。  名古屋に住む投資家から、「200万円を投資 しよう」というお話を引き出すことができました  LINEのチャットポットは百数十万円で開発 できる算段は立っていましたから、原資としては 十分です。  私は有頂天になり、必要な仕事をどんどん外注 しながら、「実はこんなサービスを考えててさ1」 「名古屋の投資家が乗ってくれたんだよ1」と、 大学の友だちに自慢しまくっていました。友だち もみんな、「すごいね1」と私を褒め称えてくれ ました。そのたびに、私の自尊心は満たされてい きました。  しかし、案の定です。  名古屋の投資家からの入金は、実行されません でした。「やっぱりあの話はなしで」の二言で終 わりです。  「やっぱりあの話はなしで」と言われたところで こちらはすでに、160万円ほどの発注をしてし まっています。しかし契約書も何も交わしていな かったので、私は泣き寝入りするしかありません でした。私はあまりにも、世間知らずでした。  私は急に、160万円の借金を背負うことに なってしまいました。  ならば、このカーシェアリングサービスを成功 させ、お金を稼げばいい。  私は思い直し、リリースまでこぎ着けましたが どんなに告知をしても利用者は「O人」……。私 か興した初めての事業は、「滑る」という言葉で は収まらないほどの、とてつもない滑り方をした のでした。  大山鳴動して、残つだのは160万円の借金の み。友だちからの冷ややかな視線も、以前にも増 して突き剌さるようになりました。  まさに「努力すればするほど、得たい結果から 遠ざかる」「何もしないほうがマシ」の典型的事 例です。  私か本当に努力するべきは、「LINEチャッ トポットの外注を急ぐこと」ではなく、「投資家 から確実に入金してもらえるような手続きを踏む こと」や、「カーシェアリングサービスが当たる のかどうか、マーケティング的な視点から考え拔 くこと」でした。「何を頑張るべきか」を履き違 えると、とてつもないマイナスを被ることになる のです。    正しい努力をするために意識すべき2    つのこと  目標から大きくずれた余計な努力を重ねてし まったり、マイナス方向にずれた無駄な努力を重 ねてしまったり……といった悲劇を生まないため には、動き出す前にまず、こちらの図冫1)にあ げた「努力の理想型」をイメージする必要があり ます。  意識すべきは、次の2点です。  1日標を設定する  2日標までの矢印を引く  たったこれだけです。「そんなシンプルなこと で結果が変わるのか」と思うかもしれませんが、 変わります。試しにやってみてください。具体的 韭言言言行甘言匸 に      气‘ 余元。。、t  「努力の質」を高めるために 大切な考え方  「初めの一歩」を間違える人は意外と 多い  的外れな努力をしているとき、本人はなかなか 自分のしている努力が的外れだとは気づかないも のです。  しかし不思議なことに、他人がしている的外れ な努力は、結構わかりやすいものです。  あなたの周りに、的外れな努力をしている人は いないでしょうか。  的外れな努力をしてしまう人にありかちなのが 「初めの一歩目から、すでに的外れな方向に進ん でしまう」ということです。  進み始める前に、前項であげた、  1日標を設定する  2日標までの矢印を引く  というプロセスを踏んでいなかったり、そもそ も目標を履き違えていたりするわけですから、仕 方ありません。  「目標を履き違える」場合はとても複雑なので次 項に譲るとして、ここでは、そもそも「目標を設 定する」「目標までの矢印を引く」というプロセ スを踏んでいない場合を考えていきます。  「初めの一歩目から、すでに的外れな方向に進ん でしまう」とはどういうことか。あえて極端な例 をあげます。  たとえば東京本社に勤めている人が、「今から 大阪に出張して、商談をまとめてきてください」 という指令を上司から受けたとします。  単純明快な指令ですが、その指令を受けた人間 の行動は、驚くほどに十人十色です。  ・とりあえずコーヒーを飲んでI息つく人  ・「大阪に行けって言われちやってさ〜」と隣   の席の人に話しかける人 ・一目散に会社を飛び出し、徒歩で西へ向かう  人 ・東京駅まで来たはいいが、間違って東北新幹  線に乗る人 ・東海道新幹線に乗ったはいいが、商談に必要  な資料をすべて自分のデスクに忘れていく人 ・「今から大阪に出張して、商談をまとめてき  てください」という指令を聞かなかったこと  にして、自分のデスクでそれまでの仕事を続   ける人  重ね重ね、これは極端な例ですが、現実の仕事 では本当に、これくらいの「初めの一歩からずれ ている」事態は頻繁に巻き起こります。  だからこそ、  1日標を設定する  2日標までの矢印を引く  というシンプルなプロセスが、とても大事に なってくるのです。  「大阪に行き、しかるべき相手と会って商談をし 話をとりまとめる」というのがこの場合の目標で す。  まず大阪にたどり着かなければ、目標は達成で きません。そして相手と会えなかったり、商談が 進められなかったり、話をまとめられなかったり しても、やはり目標は達成できません。  目標を設定すると、クリアしなければならない 小さな課題が見えてきます。それらを粛々とクリ アしていくことが、「努力を積み重ねる」という ことなのです。  この思考を身につけると、「初めの一歩目から 方向性を間違える」といったことがなくなります    ゴールがわからなければ素直に人に聞    けばいい  今まで「目標を設定する」というプロセスを踏 んだことがない人ほど、いざ目標を設定しようと したときに「何を目標にしたらいいかわからな い」という事態に陥りがちになります。  その上うなときは、ゴールを知っている人に、 「ゴールはどこですか」と聞いてしまうのもひと つの手です。  私自身、医学部時代にはよく、先生に「どこが テストに出ますか冫・」と質問していました。  コツは、テスト直前ではなく、新学期が始まっ た直後に聞くことです。先生は、単なる「テスト 対策」としての質問ではなく、探究心からくる質 問なのだと受け取ってくれます。  直接「どこがテストに出ますか冫・」と聞くのが はばかられるようでしたら、聞き方を変えてもい いでしょう。  「何を勉強したらいいですか」  「どのように勉強したらいいですか」  「どうすればいちばん効率的に学び取れますか」  すべて、似たような意味の質問です。そして驚 くことに、ほとんどの先生は、その答えを教えて くれます。  同級生は「そんなことを聞いてはいけない」と 思っていたのか、私のほかに誰ひとり、先生にこ のような質問をぶつけたりはしていませんでした 結果、私だけが、「テストにどのような問題が出 るのか」の情報を蓄えることができたのです。  これは決して、ずるではありません。  採点者である先生自身が、「君、そんなことを 聞いてはダメだよ」と突っぱねることなくテスト の出題範囲を教えてくれて、失格にすることなく テストを受けさせてくれて、現にいい点数を与え てくれている以上、これは正当な方法なのです。  ならば、聞かなきや損です。  「ゴールはどこか」とさまよい続けながら、無駄 な努力を重ねて、テストで低い点数を取るほど馬 鹿らしいことはありません。だって、「ゴールは どこですか冫・」と聞いたら、採点者自身が教えて くれるのですから。  「先生」を「上司」に置き換えると、会社でも同 じことがいえるでしょう。  「会社に評価されない」と悩む人はたくさんいま す。  評価されないのは、評価されるような行動をし ていないからです。  評価されるような行動とは何か。わからないの であれば、評価者である上司に直接聞いてしまえ ばいいと私は考えます。  おそらく上司は、すんなりと教えてくれるはず です。  部下に「方向性かすれている努力」を重ねられ るより、「評価に結びつく行動」をとってもらっ たほうが、上司にとってもお得だからです。指導 する手間は省けますし、部署としても結果を出し やすくなり、上司自身の評価も上がりやすくなり ます。  ゴールが見えないときに「ゴールはどこです か?」と聞くのは、ずるでも何でもありません。  正しい方向に努力を積み重ねやすくなる上に、 周りのみんなも幸せになる、極めてまっとうな方 法なのです。  「設定すべき目標」を履き違 えないために  「満点」を取るのではなく「合格点」 を取る  前項で私は、たとえ自力で目標を設定できたと しても、その目標を履き違えている場合もありう ると述べました。  設定した目標そのものが「ずれている」場合も あるのです。  初めて自覚したのはやはり、医学部時代のテス ト勉強でした。 「薬理学」という科目がありました。医学部のみ んなは「薬理」と呼んでいました。  医学部の中では代々、薬理は「難しい科目」と して語り継がれています。  何か難しいかというと、一発で試験に通ること が難しいのです。毎年、受講生の半分ほどが、先 生が設定する合格点に達せず、再試験へと回され てしまいます。そしてその再試験でも合格点に達 することができなかったら、留年です。  そのため周りの受講生たちは、薬理のテスト勉 強だけはほかの科目のテスト勉強よりも早めに、 そして必死に取り組んでいました。  しかし私は、ほかの科目のテスト勉強と同じく 「新学期が始まってからすぐに、先生に勉強法を 聞いておく」「過去問をひたすら解く」といった 対策で臨んでいました。  薬理が難しいのは、出題範囲が広すぎるからで す。ほかの科目と同じようにテスト勉強をしてい たのでは、必然的に、手が回らない部分が多くな ります。だからみんな、必死にテスト勉強をする のですが、どんなに頑張っても出題範囲の広さは いかんともしがたく、結果的には受講生の半分が 再試験へと回されてしまっていたのでした。  医学部の6年間で、再試験にかからない人は学 年に数人ほど。  私は、ほかの科目のテスト勉強と同じく、最低 限の時間で最低限の努力しかしていないにもかか わらず、その「数人」の中に人つていました。  周りの受講生を見ていると、「膨大な出題範囲 のすべてを完璧に勉強し、満点を目指さなければ 結果的に合格点には到達できない」と考えている 人が多いことに気づきました。  おそらくこれまで代々、ほぼすべての受講生が 同じ考え方で勉強してきたのでしょう。しかしそ の結果が「一発合格率50%」です。だからこそ薬 理は、難しい科目として医学部で語り継がれてい ます。  「満点を目指す」からこそ、「合格点」が取れな い。面白い構造です。  「満点を目指す」という目標そのものが、間違っ ているのです。  目標はあくまでも「合格点を取る」ことです。  薬理の合格点は、60点。私はそのテストを、い つも63〜64点ほどで通過していました。  出題範囲が広いために、過去5年ほどの過去問 では網羅できていない範囲もありましたが、それ は全体の2割ほど。たとえその2割を初めから捨 てたとしても、残り8割である、だいたい5年に I回は出題されるような「学生に絶対に押さえて おいてほしいポイント」をフルに勉強すれば、80 点を目指すことはできます。  過去問に全力投球することで私は、みんなより 狭い範囲に時間とパワーを集中することができ、 確実に合格点を取り続けることができたのでした    医師国家試験も同じ考え方で合格でき    た  コ医学部の一科目のテストの勉強法を語られた ところで、こっちは応用できないよ」と思われる かもしれません。  しかし私は、医師国家試験も、薬理のテストと 同じ考え方で合格しました。応用可能な考え方で す。  医師国家試験で出題される問題とその割合は、 次の3つに分けられます。 囚「普通に勉強していればまあ、誰もが解ける  よね」という一般常識問題(全休の1〜2割) 圓過去10年分の過去問の範囲から出る問題(全  休の6〜7割) 回過去10年分の過去問に出ていない上に「これ  はわからないよ……」という超難問(全休の  1〜2割)  私はこのうち、初めから回を全捨てしていまし た。  やはり最初から、自分だけ「80点満点」の勝負 をしていたのです。 囚で満点を取り、圓で8割くらいの正解率で点を 取る。回もまあ、5択問題だから2割くらいの正 解率は確保できるだろうIこのような考え方で 私は戦略的に、合格点をかき集めたのでした。  一般的に、囚を勉強するのに1ヵ月、面を勉強 するのに2ヵ月、回を勉強するのには半年かかり ます。そのため医師国家試験を受験するには、9 ヵ月ほど必死に受験勉強を積み重ねるのが通例で す。  しかし私は、初めから回を全捨てしていますか ら、たった3ヵ月で、ほかの受験生と同じ濃度で 囚面の受験勉強を終えられます。試験勉強に9ヵ 月使えるとしたら、私はほかの受験生の3倍の濃 度で囚面を勉強できることになります。  やみくもに回の勉強に手を出すよりよっぽど確 実に、合格点を取ることができるというわけです    生きていれば「わからないこと」は普    通にある  「そのような考え方で、医師の国家試験を受ける な」とお叱りを受けるかもしれません。  ただ、医師国家試験は、受験者の9割が合格す る試験です。医師という国家資格保有者として、 「みんながわかることがわからない」のは大問題 ですが、「みんながわからないことを自分もわ かつていない」のは大した問題ではありません。 現場でわからないことが出てきたら、その都度、 学術書を読めばいいからです。  「本番の試験で、わからない問題が出てきたらど うしよう」と不安になる気持ちはわかります。  しかし人間、生きていれば、わからないことと いうのは普通に出てくるものです。なにもテスト に限った話ではありません。  「わからない問題が出てきたらどうしよう」とい う不安に負け、「念のため」の勉強に半年かける のなら、初めから「どうせみんな解けないんだか ら」と割り切り、確実に合格点を取るほうに舵を 切ったほうがいい。  「満点」を取るのではなく、「合格点」を取る。 これが「正しい目標設定を行う」ということだと 私は考えています。 努力の量を計る「どれだけ働 いているか」 「今の自分はどれだけ努力している か」を知る  努力の「質」さえある程度高めることができれ ば、「量」を増やすのはさほど難しいことではあ りません。  第1章でお話ししたように、努力の濃度を高め ていくだけで、必然的に努力の量は増えていくか らです。  まずは、現状の「努力の濃度」を計ってみます  第1章では、勉強という分野における努力の濃 度を計るためにストップウォッチを活用しました が、これは仕事においても活用可能です。  自分が今、どんな仕事にどれくらいの時間をか けているのかを、ストップウォッチで計つてみま しよう。  たとえば会社から、「年間1億円の売上をあげ る」という目標を課せられていたとします。その 「年間1億円の売上をあげる」という目標に向 かつて必要な努力を積み重ねている時間と、そう でない時間をあぶり出すのです。  仮に毎日、会社に12時間いたとしても、本当に 努力している時間というのは案外少ないものです  同僚と談笑する時間もありますし、食事後の仕 事でついウトウトしてしまう時間もあります。  仕事のように見えて、目標には結びつかない無 駄な時間もあります。「この会議、意味あるのか なあ……」と感じながら出席してぼ1つとしてい る会議の時間もそうですし、上司に言われて仕方 なく、とくにつくる必要のなさそうな資料をつ くっている時間もそうです。  コピー機が詰まってしまって余計な時間を食う こともありますし、メールの返信の文面に悩んで 想定以上の時間をとられてしまうこともあります  会社という空間は思いのほか、無駄な時間が生 まれやすい空間なのです。  そこで、ストップウォッチを活用します。自分 の勤務時間の「棚卸し」を行うのです。  私の周りの人たちにも、実際にストップウォッ チで時間を計ってみてもらったことがあります。 ほとんどの人が、勤務時間のうちの60%ほどしか 目標に向かって必要な努力をしていませんでした 午前9時に出社し、お昼休憩の1時間を挟んで午 後8時まで、正味10時間分の仕事を頑張ったつも りでも、現実には6時間分の努力しかしていない 計算になります。    努力しているのは「自分だけ」ではな    い  ここで忘れてはいけないのは、「努力している のは自分だけではない」という事実です。  あなたの周りには、そして世の中には、10時間 の勤務時間で、限りなく10時間に近い努力をして いる人もたくさんいます。  「その1日」だけを見たら、10時間と6時間の差 は4時間であり、そんなに大きな差には感じられ ないかもしれません。  しかし仕事は毎日の積み重ねですし、それが 年々積み重なって、自分の実績となっていきます  1日4時間の差は、1年間に換算すれば5ヵ月 弱の差になります。  ある課題があったとして、その課題をクリアす るのに1年かかる人と、7ヵ月そこそこで終えら れる人とでは、やはり実績にも評価にも、差が生 まれます。  そしてその差は埋まるどころか、あなたが努力 の仕方を変えない限りは、開く一方なのです。    差がつく原因は「センス」ではなく    「努力」  ところが、ある課題をクリアするのに1年かか る人は、その課題を7ヵ月そこそこで終えている 人を見て、「自分より努力しているから、早く終 わっているのだ」とはなかなか思わないものです  「自分は頑張っている」と、努力しているつもり になっているからです。  だから、「努力」ではないところに、その差を 求めようとします。  「あいつはセンスがあるから、仕事が速いんだ」  「あいつは地頭がいいから、飲み込みが速いん だ」  もしもこんな考えが頭に浮かんでいるのだとし たら、危険信号です。自分の努力の仕方を変える ことを、自ら放棄しているようなものだからです  「センスがいい」「地頭がいい」と思えるくらい に仕事が速い人たちは、そもそも自分より多くの 時間、努力しているのです。  職場にいる時間は同じでも、努力している時間 は違う。この事実をまず、認識する必要がありま す。    無駄な時間を削れば働く時間の濃度が    高まる  自身の力を高め、得たい実績や評価を得るため には、努力の仕方を変えるしかありません。  引き続きストップウォッチを活用しながら、 「無駄な時間」を徐々に削っていきます。  コーヒーをいれたり、トイレにいったりすると きも常に急ぎめ。周りが話しかけられないような 雰囲気を出して、仕事に集中するのです。  最初のうちは、すごく窮屈に感じるかもしれま せん。しかしそれは、今まで自分がいかにタラタ ラと仕事をしてきたかの表れでもあります。  そして現に、結果を出している人は、その窮屈 さで生きています。  心配いりません。だんだんと、その窮屈さには 慣れていきます。そしてそれは、努力の濃度が高 まり、本当に努力している時間が増えてきた証で もあるのです。  第3章では実践編として、努力をどう積み重ね ていくべきかを具体的に解説していきます。  第2章でお話しした、「努力の質」と「努力の 量」を意識しながら読むことで、より理解が深 まっていくはずです。 努力は「学ぶ↓行動する↓継 続する」で積み重ねる シンプルだけど「やると差がつく」行 動サイクル  第2章では、  1日標を設定する  2日標までの矢印を引く  という2つのプロセスを踏み、「本当に努力し ている時間」を増やすことで、得たい結果までの 最短距離を、最速で進むことができるというお話 をしました。  第3章では具体的に、どのように努力を積み重 ねていけば、こちらの図で2)でご紹介した「努 力の理想型」に近づけるのかをお伝えしていきま す。  私か提唱するのは、「学ぶ」↓「行動する」 ↓「継続する」のサイクルを高速で回し続けるこ とです。  「学ぶ」「行動する」「継続する」の、それぞれの 役割は次のとおりです。  学ぶ   ‥努力の「質」を高める  行動する‥努力の「量」を増やす  継続する‥努力の矢印を進み続ける  つまり、第2章でご紹介した「努力の理想型」 を現実のものにするための行動サイクルが「学 ぶ」↓「行動する」↓「継続する」というわけで シンプルですが、とても重要なサイクルです。 “一二  ノ  ここからは、私自身の実体験を織り交ぜながら 「学ぶ」↓「行動する」↓「継続する」のサイク ルをどう回していけばいいのかを見ていきます。  ただ、このうち「継続する」は、「正しい行動 をいかに積み重ね続けるか」という、メンタルに も大きく関わる部分であり、伝えたいノウハウが 「学ぶ」「行動する」とは少し異なります。  そこで「継続する」については独立して第4章 で詳しくお伝えすることとし、第3章では「学 ぶ」「行動する」に絞って詳しく深掘りしていき ます。 − 「誰」から「何」を     学ぶべきかを考えろ 賢さは「頭の質の差」ではなく「努力 の差」  「学ぶ」↓「行動する」↓「継続する」。学ぶこ とからすべての努力はスタートします。  前項でお話ししたように、「学ぶ」とは「努力 の質を高める」ための行動です。第2章の内容を 踏まえると、「学ぶ」↓「行動する」↓「継続す る」のサイクルのうち、「学ぶ」は最も重要な行 動であるといえます。   私は、「賢い・賢くない」の差は、「学ぶか・学 ばないか」の差だと考えています。  これは決して、「勉強ができる・できない」の 話ではありません。「努力の質を高めようとする か・しないか」の話です。  ある人が5時間勉強するだけで90点取れるのに 自分は10時間かかる。これは「頭の質」が違うの ではなく、「努力の質」が違うのです。 「行動する」を「勉強」に置き換えるならば、 「学ぶ」は「正しい勉強法を知ろうとすること」 にあたります。  第2章でご紹介した私の例でいえば、先生に 「どこがテストに出ますか冫・」と質問したり、過 去問を見ながら出題傾向をつかんだりして、「ど う勉強すればいいのか」の情報を集めるのが「学 ぶ」です。  単に「行動する」「継続する」だけでは、「パワ フルだけど、いつも的外れな努力をしている人」 で終わってしまいます。「学ぶ」からスタートす ることで、常に正しい方向に努力を積み重ねるこ とが可能になります。     「結果の出し方を知っている人」に教    われ  学ぶ上で重要になってくるのが、「誰から学ぶ か」です。  私は、「自分が得たい結果をすでに出している 人」「自分が得たい結果の出し方を知っている (すでに誰かに教え、その人に結果を出させた経験があ る)人」から学ぶのが望ましいと考えています。  もしも会社勤めの人だったら、同じ社内ですで に実績を出している人や、同業他社ですでに実績 を出している人、今は独立しているけれどかつて は会社員として実績を出していた人に教えを請う のがいいでしょう。プレゼン術や営業術などのス キルアップセミナーに通うのもありです。  私の場合は、実業で私よりも大きな利益を出し ている人や、会社にとってプラスとなる専門分野 のプロ(広告のプロや、税務のプロ)に教えを請い、 目指す方向性を間違えないようにしています。  独学はお勧めしません。仮に設定した目標が間 違っていたときに、指摘してくれる人がいないか らです。  まだ結果を出していない段階で、自力で目標設 定をするのは、少々危険です。「結果を出した経 験がある人」か「結果を出させた経験のある人」、 どちらかから学ぶようにしましよう。    投資を惜しまなければ「O度の矢印」    が手に入る  学ぶには基本、お金がかかります。  浪人生か「志望大学合格に最適化した勉強の仕 方」を学ぼうと思ったら、予備校に通うことにな ります。仕事で実績を出している人からプライ ベ1卜で話を聞くにも、飲食代がかかりますし、 場合によってはごちそうしなければならない場合 もあります。そしてスキルアップセミナーにもも ちろん、お金がかかります。  私は、その上うなお金を惜しまないようにして います。  第2章でご紹介した「努力の理想型」のような 「現状」と「得たい結果」の間に角度1度のずれ もないまっすぐな矢印は、お金で買える。これが 私の持論です。  私か「自社が提供するサービスの広告を出稿し て売上を伸ばし、今よりも大きな利益を出した い」と考えたら、広告のノウハウを学ぶスクール に人つたり、広告に強いコンサルタントを起用し たりするでしょう。  広告に強いコンサルタントを起用するとなると 年間で1000万円ほどかかることもあります。 「高い」と感じるかもしれませんが、突き詰めて 考えればそうでもありません。  広告予算を年間2000万円と仮定します。  そして私か、我流で広告を学び、2000万円 ある予算のすべてを広告出稿にあてだとしましよ  この場合、私か「目標まで角度O度の矢印」を 引き当てる確率は、限りなく低いと考えられます 30度ずれる、45度ずれるといった事態も起きうる でしよう。そうなったら、2000万円使いなが ら、得たい結果を得ることができないことになり ます。  仮に途中で軌道修正ができたとしても、かかる お金は確実に、2000万円より大きくなってし まいます。  しかし、2000万円ある予算のうち、 1000万円をコンサルタントに支払った見返り に、「目標まで角度O度の矢印」を手に入れられ るとしたらどうでしよう。たとえ広告出稿に使え るお金が最大1000万円にまで減ってしまうと しても、広告を出稿すればするだけ、まっすぐに 目標に近づくことができるようになります。  すると広告にかかる総費用は、我流で学んだ場 合よりも少なくなるのです。 「角度O度の矢印」を手に入れることに大きな投 リロドり气119    ○’`   耳斗   。O  ただ、「本当に一発で、角度O度の矢印を授け てくれるコンサルタントに出会えるのか」という 疑問は当然生まれてくるでしょう。次項ではその 疑問を解決します。 − 脱・完璧主義。     「100%の正解」     を求めない 相手は「正答率が高いだけ」と割り    切って考える  お金や時間をかけて「学び」に投資したとして 教えてくれる相手の質が悪かったら、結局、お金 や時間の無駄遣いに終わってしまうのではないか Iこのような不安を覚えるのは自然なことです  実際、予備校やセミナー、スクール、コンサル ティングといったサービスには、ピンからキリま であります。社内外の同業者から教わろうにも、 やはり同じようにピンキリでしょう。  私は基本的に、「自分より上の結果を出してい たり、自分より上の結果を出させていたりする事 実があるのであれば、そのほかがどんなに粗悪で も、学ぶ価値はある」と割り切っています。  その前提には、「初めから、相手の教えに 『100%の正解』を求めていない」という私自 身の考え方があります。  私は、自分より上の結果を出していたり、自分 より上の結果を出させていたりする人に対して、 「自分より、結果を出すことに関する正答率が高 い」くらいにしか考えていません。「100%の 正解を知っていて、それを教えてくれる」なんて 最初から期待していないのです。  「結果」とは、日々の意思決定の積み重ねです。  自分より上の結果を出していたり、自分より上 の結果を出させていたりする人は、その「日々の 意思決定」の正答率が、自分よりも高い。その考 え方を自分にインストールできたら、自分の正答 率も上がる。言ってしまえば、その程度のものな のです。  相手に「100%」を求めるから、学ぶ腰が重 くなったり、不安を覚えたりするのです。「相手 は自分より正答率がちよつと高い。我流でやるよ りも話を聞いてみたほうがマシだろう」程度に考 えておけば、学びのフットワークは軽くなります     「成功のサンプル」は多ければ多いほ    どいい  たとえば「サイコロで、絶対にIを出さなけれ ばいけない」というゲームをやるとします。  「学ぶ」というプロセスを踏まずに「行動する」 のは、何の策もなくサイコロを振り続けるような ものです。Iが出る確率は、いつまで経っても6 分のIのままです。  ならば、誰かから学べば、1分のI、つまり 100%の確率でIが出るようになるか。多くの 人はそう考えるのですが、残念ながらそれは幻想 にすぎません。現実にはせいぜい3分の1、よく て2分の1になる程度です。  でも、それでいいのです。学び続け、「3分の IでIが出るノウハウ」「2分のIでIが出るノ ウハウ」を自分の中に蓄積していけば、いずれ限 りなく「1分のI」に近い確率でIが出せるよう になります。  私はそう信じて、「学ぶ」というプロセスにお 金と時間をかけ続けているのです。  ひとりの大に学び、行動してみてうまくいかず 「ダメだつたじやないか!」と腹を立てるのは、 うまくいかない人の考え方です。  サンプルは多ければ多いほどいい。いろいろな 大に学んで「いいとこ取り」をすることで、正答 率は上かつていきます。    すべてを学ぶのではなくあくまで「い    いとこ取り」  サンプルを多く集めるときに、気をつけたいこ とがあります。  「その人から、何を学ぶのか」を明確にすること です。  ある人に教えを請うからといって、なにも弟子 入りするわけではありません。ちよつと「いいと こ取り」をさせてもらうだけです。それ以外の部 分についてはあまり深入りせず、ドライに、「自 分より優れている部分」にだけ目を向けて学ぶよ うにしましよう。  中には、「なんかあの人、性格が悪いから」と か「評判が悪いから」といった、学ぶべきところ とは直接関係のない部分が引っかかり、優れた結 果を出している人から学ぶのをためらってしまう 人もいます。とてももったいないことです。  自分に教えてくれる人に、人格まで求めてはい けません。  「この人はいろいろと問題を抱えているけれど、 ただ、出している結果は素晴らしい。そこを学ぶ んだ」というように、学ぶ範囲を限定すると、ア ドバイスを受けやすくなります。 − 「O度」の定義はそ     如(の信念によって 成功サンプルを集めるときに気をつけ    るべきこと 「成功のサンプル」は多ければ多いほどいい。  確かにそうなのですが、学ぶ過程ではよく、 「こっちのすごい大と、あっちのすごい人の両方 をいいとこ取りしようと学んでいたけど、両者の 考え方の根本が違っていて混乱する」といったこ とが起きます。  どういうことか。  たとえば、「すごい結果を出している社長」と 一口にいっても、いろいろな社長がいます。  「売上高が大事だ」と考える、売上高重視派社長 もいます。「営業利益が大事だ」と考える、営業 利益重視派社長もいます。「たくさんの人を雇い、 雇用を生み出すことが大事だ」と考える、雇用重 視派社長もいます。   私は、営業利益が大事だと考える「営業利益重 視派社長」にあたります。しかし、「営業利益重 視派社長」の先人たちに教わるだけではサンプル が少ないものですから、大きな結果を出している 「売上高重視派社長」「雇用重視派社長」にもアド バイスを求めることがあります。  その中で、売上高重視派社長の「売上高が大事 だ」という主張と、雇用重視派社長の「雇用を生 み出すことが大事だ」という主張にパワーがあり すぎるために、自身の「営業利益が大事だ」とい う主張も相まって「何か正しいのか……つ・」とよ くわからなくなってくることもあるのです。  実際、「売上高重視派社長」の熱弁に感銘を受 けてしまい、一生懸命に売上を増やしたものの、 そのためにかかる費用も莫大に増えてしまって利 益額は変わらず、「自分は何のために頑張ってい るのか」とガッカリしたこともあります。    ぶれないために「何を目指すのか」を    明確にしろ  私は、「会社とは営利組織なのだから、利益を 追求し、お金をたくさん稼いでナンボだろう」と 考えています。ゆえの「営業利益重視派社長」で す。「営業利益を増やす」方向に、角度O度で進 んでいきたいと考えています。  しかし中には、「売上高が大きいほうが、社会 に大きなインパクトを与えることができる。経営 のうまさで考えれば営業利益重視派社長が評価さ れるのはわかるが、社会への大きな影響力を持ち 続けるためには、売上高が大事なのだ」と考える 「売上高重視派社長」もいます。その人にとって は「売上高を増やす」方向が、角度O度です。  さらに「営業利益を会社に残そうとは思わない その利益で新たな従業員を雇い入れ、雇用を生み 出すのだ」と考える「雇用重視派社長」もいます その人にとっては「雇用を生み出す」方向が、角 度O度です。  結果を出している人には、多かれ少なかれ、何 らかの信念があります。  その信念により、目指す「O度」の方向は変 わってきます。  ぶれないためには、自分が何を目指したいのか を明確にしてから学ぶ必要があります。    学ぶのはあくまで「ノウ「ウ」だけで    いい  「ぶれるくらいならばそもそも、初めから『営業 利益重視派社長』にだけ教わりにいけばいいでは ないか」という声もあるかもしれませんが、それ は少し違うと私は考えます。  私にとっては、「売上高重視派社長」からも、 「雇用重視派社長」からも、やはり学ぶべきとこ ろはあるからです。  利益を「売上‐費用」と考えたとき、「売上を 伸ばすことが、利益を伸ばすことにもつながる」 のはひとつの事実であるといえます。「売上高重 視派社長」から「売上を伸ばすノウハウ」を聞く のは大きな価値があります。その上で、費用を抑 える方法を工夫すれば、自分なりの「利益を増や すノウハウ」ができ上がります。  他方、多くの雇用を生み出しているのは、その 前段階で大きな利益を生み出していることの証明 でもあります。「雇用重視派社長」からもやはり、 「雇用を生み出すノウハウ」を聞く価値がありま す。そこから「従業員を雇う」部分を省けば、自 分なりの「利益を増やすノウハウ」ができ上がり ます。  まさに「いいとこ取り」です。  教わりにいった相手のノウハウはインストール することができますが、信念まではインストール することができません。  歩んできた人生がまったく違うからです。  学ぶのは「ノウ「ウ」だけ。いろいろな人の話 いづ牡糺員ノ且報几。  @D@  ・ノ  皿゛\   。ノ  。 − 見栄っ張りでいいこ     となんて何もない 嘘をつくと入ってくる情報もねじ曲が る  学ぶときに注意したいのは、教えを請う相手に 「現状をありのままに話す」ことです。  これは私か教える側に立ったときによくある経 験なのですが、「うまくいく方法を教えてくださ い」と聞いてきてくれているにもかかわらず、自 身の現状を話す際に、謎の「見栄」を張ってしま う人がいます。 「年間利益を1億円にする方法を教えてくださ い」  「わかりました。それでは、あなたの現状の年間 利益を教えてください」  こういうやりとりがあったとして、本当の年間 利益は100万円でしかないのに「5000万円 です」と答えてしまうようなイメージです。  これをやられてしまうと、教える側は、適切な アドバイスをすることができません。「年間利益 5000万円の人が、年間利益1億円にできるよ うなアドバイス」をしたとしても、その人は現実 には年間利益100万円しかないわけですから、 アドバイスがまったく役に立だなくなってしまう のです。  一方、正直に「今の年間利益は100万円しか ないんです」と伝えれば、「年間利益100万円 から年間利益1億円にするまでの矢印」を教えて もらうことができます。  教えを請う際に見栄を張ると、人ってくる情報 が正しくなくなってしまうのです。  嘘をついてはいけません。ありのままの自分を 正直に伝えるのが、学びにおける大切なポイント です。 』 学びながら行動、こ     のスピード感が大事 一一一(でばかりいたら勣けなくなってし  「学ぶ」の次は「行動する」です。  しかし、次の行動サイクルを日々実践している 私としては、「学びながら行動する」くらいが実 態に近いと感じています。  さきほど(『【学ぶ】「誰」から「何」を学ぶべきかを 考えろ』参照)私は、「『学ぶ』↓『行動する』 ↓『継続する』のサイクルのうち、『学ぶ』は最 も重要な行動」だと述べました。  ただ、大事だからといって、いつまでも学んで ばかりでは、「努力の方向性かすれていたらどう しよう」「本当にこの方向でいいのかな」と不安 ばかりが先に立ち、なかなか行動に移せなくなり ます。  誰かから何かを学んだり、アドバイスをもらっ たりした場合は、すぐ実行に移すべきです。  このお話は後に全編を記しますが、私の会社は かつて、私の目標とする利益額をなかなか超える ことができず、頭打ち気味になってしまったこと があります。  会社運営するのには十分すぎる、ある一定の利 益額をキープできてはいたのですが、そこから増 やすことができない時期が続いたのです。  そこで私は、自分より大きな利益を出している ある方のもとに学びにいき、「自分の場合は、フ ランチャイズを活用して事業規模を拡大したら、 利益が増えた」というアドバイスをもらいます。  私は「そうか、自分の運営している事業もフラ ンチャイズ化すればいいんだ」と学びました。  私は彼に「ありがとうございました」とお礼を 言い、翌日にもランチをご一緒する予定を組んで 別れました。  そしてその日のうちに、フランチャイズの募集 をかけました。  翌日のランチで「フランチャイズが集まりまし た、次はどうしたらいいですか冫・」と相談したら 彼はとてもびっくりしていました。  このスピード感が大切です。  学んで行動、それを継続。学んで行動、それを 継続。サイクルをぐるぐると高速で回すことで、 努力が生み出すパフォーマンスは大きくなってい きます。    サイクルの高速化を目指せば自分のレ    ペルも上がる  動画編集の世界でも、「案件を取りすぎちやっ たらどうしよう」と悩んでいる人をよく見かける のですが、とてももったいないことだと感じます  現実に案件を取りすぎてしまって「やばい、取 りすぎた」となってから、そのさばき方を学んで も、十分に間に合うのです。悩んで動かないだけ 時間とお金の無駄です。  学ぶ段階で先のことまで考えすぎると、行動で きなくなります。「今日、明日、何をするか」に 絞って学び、毎日毎日行動を続けていくことで、 確実に成長することができるのです。  私自身、フランチャイズ化を機に利益の額は大 きく伸びましたが、「フランチャイズ化の後には どんな策を打つたらいいのか」なんて、いまだに わかつていません。でもそれは、フランチャイズ による全国展開がある程度まで進んだところで考 えればいいと思っています。  毎日、「学ぶ」↓「行動する」↓「継続する」 のサイクルをたどっていると、自分のランクがど んどん上がっていくのを実感できるようになりま す。  「自分よりI段階、2段階上」の人から学び、追 いつくように行動し続けることで、かつては雲の 上にいたような人からもアドバイスをもらえるよ うになるのです。  「学ぶ」段階にとどまり続けず、サイクルの高速 化を目指しましよう。 I アウトプットも脱・   膕鯒― 進みながら軌道修正するためにも「速    さ」が大事  ほとんどの場合、仕事では正確性よリスピード が求められます。  「情報化社会」という言葉が根付いてから30年以 上が経ったようですが、情報のスピードは今なお 年々速くなっています。その進化はとどまるとこ ろを知りません。  そのような世の中にあって、仕事でも、スピー ドの重要度がどんどん増しているのは必然である といえます。  「速く、完璧に」が理想ですが、天才でもない限 りその両立は無理です。ならば、「速さ」を優先 させましょう。  自分の中で「100%の完成度」を求めたとこ ろで、どこかに必ず抜けがあるものですし、相手 が求めているものより、いくらかはずれているも のです。  それならば、617割の完成度で提出し、 フィードバックをもらいながら修正して完成度を 高めたほうが、結果的には最短の時間、最少の努 力で、相手の求める成果を出すことができます。  これまで一貫して、「現状」と「得たい結果」 が角度O度の矢印で結ばれているこちらの図で 引を「努力の理想型」とお伝えしてきました。  しかし現実にはなかなか、こうもまっすぐに 「得たい結果」にはたどり着けません。学んで、 2、3歩進んでから再び学んで「ああ、ちょっと ずれているな」と修正し、さらに2、3歩進んで からまた学んで修正して……の連続となることが ほとんどです。また中には、現状認識からずれて しまっている場合もあります。  どちらのずれも、現実に2、3歩進んでみなけ れば、つまり行動してみなければ、自覚すること はできません。  I歩進み出す前から「この方向は目標までO度 かもしれないし、45度かもしれないな。う1ん」 と悩んだところで、答えはわからないのです。答 えを知るには、2、3歩進み出すしかありません  ある程度の「見切り発車」で進み始める必要が あるのです。    では「617割の完成度」とはどれく    らいか  とはいえ、3〜4割の完成度で提出するのはさ すがに粗すぎます。目指すのはあくまでも、6〜 7割です。  ところで、「6〜7割の完成度」とは、どれく らいのものなのでしょうか。  感覚的な話になってしまいますが、私は「とく に面白くはないけれど、まあ間違いでもない」程 度が、完成度617割のところだと考えています  一定以上の長さの動画や文章で発信するとする ならば、「論理的に破綻してはいないし、誤字脱 字もないが、さほど面白いとも思わない」ライン が、完成度6〜7割です。  逆にいえば、「いかに面白いものに仕上げられ るか」が残りの3〜4割なわけで、「ここに力を 入れずにどうするんだ」と考える人もいるでしよ  しかし、今進めている仕事がそもそも、的外れ な方向に進んでしまっているとしたらどうでしよ う。「面白いものにしよう」と力を込めて 100%まで仕上げて提出したとして、相手に 「そもそもずれているから、最初からやり直し」 と言われたら、目も当てられません。  まずはいち早く、6〜7割の完成度で提出し、 「この方向を求めているんですね」というのがわ かってから、残り314割を練って面白いものに 仕上げるのが、理想的な仕事の進め方です。  フィードバックをもらいながら仕上げていけば 的外れな方向に努力して時間と労力を大幅にロス する可能性は少なくなります。 』 「運がよかった」と     言う人の心の中はこ 運なんてない。すべては「努力の結    果」である  私は、運というものをあまり信じていません。  世の中のありとあらゆる事象には必ず、誰かの 努力と密接に結びつく因果関係があると考えてい るからです。  論理的に説明しづらいものや、因果関係はある けどその因果関係を紐解けないときに、人は 「運」という言葉を使います。「運」とは、説明が 面倒くさかったり、考えてもわからなかったりす るときに使われる言葉であり、基本的には「誰か の努力」との因果関係で説明がつくのです。  かくいう私も、「運」という言葉を使って説明 することがあります。  「なぜ医学部生にもかかわらず、動画編集という 成長市場に目をつけ、大きな結果を出すことがで きているんですか冫・」という質問に、私はよく 「運がよかった」と答えています。  あえて言語化するならば、「プログラミングも ウェブデザインもライターも、パソコンひとつで できる仕事はひと通り学び、試してみた。その中 でいちばん結果が出だのが動画編集たった」とい うことであり、まさに「学ぶ」↓「行動する」 ↓「継続する」のサイクルを回し続けた、努力の 結果です。動画編集の仕事はあふれるほどに多く また単価もいいものが多いのですから、「いちば ん結果が出た」のも必然です。運ではありません  しかし、「なぜ医学部生にもかかわらず、動画 編集という成長市場に目をつけ、大きな結果を出 すことができているんですか冫・」という質問にこ の経緯をすべて答えるのは、時間がかかります。  さらに「医師の道に進むことは考えなかつたん ですか冫・」なんて突つ込まれて聞かれたら、それ こそ本書のI項目を朗読するくらいの時間はかか ります。相手に「おいおい、こいつ自分語りを始 めちゃつだよ」と思われたくもないですから、私 は一連の経緯を「運」という言葉で片づけている のです(ただ、本書ではもちろん「運」で片づけるわけ にはいきません。「私がなぜ、医学部を卒業しながら、医 師ではなく動画編集の道に進んだのか」については、第 4章の最後の項目で詳しくぉ話しします)。  結果を出している人が、その秘訣を「運」と語 るとき、その裏には必ず、「学ぶ」↓「行動する」 ↓「継続する」のサイクルが隠れています。  「運がよかっただけ」と言われて、「ああ、なん だ、運がよかっただけなのか」と鵜呑みにしては いけません。  「運がよかった」の裏にどんな努力が隠れている のかを探りながら、自身も「学ぶ」↓「行動す る」↓「継続する」のサイクルを回し続けること が、結果的には、運を確実につかむことにつな かつていきます。 一 進んでいれば「努力     の方向性」はずれて     くる 「継続する」の後は常に「学ぶ」に立    ち返る  「学ぶ」↓「行動する」↓「継続する」はあくま でもサイクルです。一度学んだ行動を継続するだ けでなく、新たな情報を得るべく、再び「学ぶ」 に立ち返らなければなりません。  なぜならば、まっすぐ進んでいるつもりでも、 いつの間にか「努力の方向性」かすれてくる可能 性があるからです。  行動する中で、世の中の状況はめまぐるしく変 わります。そして日々成長していけば、自身の考 え方も変わってきます。そう考えると、「最初に 決めた方向をいつまでも目指し続ける」のは、む しろ危険だともいえます。    「言うことがコロコロ変わる」は学ん    でいる証拠  たとえば「本を上梓する」という行動ひとつ とっても、時代とともにその評価は変わってきて います。  かつて本はとても影響力を持っていて、高いお 金を自費で払ってでも、本を出版したいと考える 個人はたくさんいました。  しかしSNSの普及とともに個人の発信のかた ちは多様化し、「本を出版する」というかたちで なくても、自分の考えを世に広め、影響力を持つ ことが可能になりました。  その時代の変化の中で、出版界は「より面白い 本をつくろう」と研鑚を重ねています。  ここ十数年ほどで、「ベストな発信のかたち」 はめまぐるしく変わっているのです。  その変化に合わせ、「本を出す!」「やっぱりS NSだ!」「やっぱり本だ!」と切り替える人は、 周りから「言っていることがコロコロ変わる人」 と見られるのかもしれません。  しかし私は、それでいいと考えます。  ひとつの視点に凝り固まり、意地になってその I点を追いかけ続ける人より、さまざまな変化に 合わせて進む方向を変えられる人のほうが、目的 地にはよっぽど早くたどり着けます。「朝令暮改」 でいいのです。  私自身、何か新しいサービスがリリースされた ときには、すぐにひと通り試します。  「このサービスは可能性があるぞ!」と盛り上 かつて突っ込んでいき、その囗の夜には「やっぱ り可能性なかったわ!」と言って撤退する。そん なことの繰り返しです。  一度言ったことや考え方を変えたり、撤回した りするのは、なにも恥ずかしいことではありませ ん。多くの情報に触れ、多くの人の話を聞きなが ら、自分にとつてしつくりくる進路を探せばいい のです。 一 「学び続けられる関     球四」になれるかど 学びを1回で終わらせないためにはス    ピート勝負  さきほど私は、「ある方に『事業のフランチャ イズ化』という選択肢を教えてもらったその日の うちにフランチャイズの募集をかけ、翌日のラン チで次のステップを相談したら、その方に驚かれ た」という話をしました。  もらったアドバイスを即実行に移すのは、もち ろん自分の努力が生み出すパフォーマンスを最大 化させるためではあるのですが、実はもうひとつ 大きな効能があります。  「その人から学び続けられる関係性」を築けるこ とです。  学ぶのがうまい人ほど、人からの学びをI回で 終わらせません。  学びにいき、相談し、アドバイスをもらい、行 動し、報告がてら次の学びを得ようとします。そ してその学びを行動に移した後、また報告がてら 次の学びを得ようとする。いつの間にか、その人 との間で「学ぶ」↓「行動する」↓「継続する」 のサイクルが生まれます。  そしてその学びの対象をいくつも持っているの ですから、必然的に出せる成果は大きくなります し、成長のスピードも速くなります。  自分のアドバイスをすぐ実行してくれる人は、 アドバイスをした側にとってはかわいいものです 逆に、アドバイスをしたのにいつまでも実行しな い人を見ると、「自分のアドバイスは役に立たな いのかな」と思い、それ以上アドバイスをする気 はなくなります。  「学び続けられる関係性」をいろいろな人と築い ていくと、アドバイスやフィードバックがどんど ん溜まっていきます。それが結果として、正しい 「努力の方向性」を定めるための助けとなるので す。 一 背水の陣を敷いても     メリットはない 心ったら「巻き戻し可能な選択」をす  私は大学医学部在学中に起業し、初年度から年 間1億円の営業利益を出しました。  そしてそのまま医学部で勉強し続け、医師の国 家資格を取得して卒業しました。  この経歴を話すと、「なぜ、実業でやっていけ るメドが立っていながら、医師の国家資格を取っ だの?」とか、逆に「なぜ、医学部を卒業したの に医師にならなかったの冫・」といった疑問を持た れることが多くあります。  私か医師の道を断ち、実業一本に絞らない理由 それはひとえに、私か臆病だからです。  「背水の陣」を敷いてうまくいくイメージが、ど うしても湧きません。  先日私は、大学生でありながらすでに営業代行 で十分な収入を得ている後輩から、「もう大学を 辞めて、フリーランス一本でやっていこうと思う んですけど、どう思います冫・」と相談を受けまし た。  そのときも私は、「背水の陣」を敷かない選択 を勧めました。  大学を辞めず、これまでどおりに「学生兼フ リーランス」として働いて、卒業するよう勧めた のです。  大学を辞めた後で仕事がうまくいかなくなり、 「ああ、やっぱり大学を続けていればよかった なあ」と後悔したところで、もう戻れません。  しかし、大学を続けながら「辞めたい なあ……」と思い続ける分には、実害はゼロです  迷ったときは、常に「巻き戻し可能」なほうを 選択すれば、実生活のダメージを最小限にとどめ ることができるわけです。  進むべき目標を定めるにあたって、選択肢が多 いのは、とてもありかたいことです。自らその選 択肢をつぶす必要はありません。     「選択肢の削除と覚悟」は切り離して    考える  自ら選択肢をつぶすことを「意気込み」や「覚 悟」と同義ととらえる人もいますが、私はそうは 考えません。  意気込みや覚悟が表れるのは、あくまでも努力 の「質」と「量」においてです。  自ら選択肢をつぶす行為は単に、「自ら選択肢 をつぶした」以外の意味を持ちません。  さきほどの大学生も、「大学を辞めて起業しま した。背水の陣です」と宣言すれば「おお、いい 覚悟だ」と褒めてくれる人はいるでしょうが、い ざというときに本当に頼りになるのは自分自身だ けです。窮地に陥ったとき、かつて褒めてくれた 人に「あのとき、『いい覚悟だ』と言ってくれた じやないですか!」と言ったところで、助けてく れるとは限らないのです。  「選択肢の削除」と「意気込み」「覚悟」とは切 り離して考えるべきです。  次の図は、巻き戻しできる選択を「した場合」 と「しなかった場合」の、進んだ道が立ちゆかな くなったときのそれぞれのイメージです。    D  @ 』匸二  一千一 一  匹  郎 一  。  巻き戻しできる選択をした場合は、選んだ道が たとえ行き止まりだったとしてもやり直しが利き ますが、巻き戻しできる選択をしなかった場合は 前にも進めないし元にも戻れないという、にっち もさっちもいかない状態になります。いわゆる 「詰み」です。  この時点で、努力の継続は叶わなくなってしま います。  もちろん、退路を斷っだ段階で、将来的に「詰 み」に陥らないように生きるのでしょうが、それ でも「後戻りできない」というのは大変なプレッ シャーです。「努力を積み重ねる方向を定める」 という重要な意思決定に、少なからず影響を及ぼ します。「退路がないから、こっちに進むしかな い」という場面も必ず訪れます。  一度、重要な場面で自ら選択肢をつぶしてしま うと、その後も「選びたい選択肢を選べない」場 面がたくさん訪れるのです。大きな損失です。  そのために私は、たとえ周りから「臆病者だ」 「ずるい」「潔くない」と言われても、自分から選 択肢をつぶすようなことはしないほうがいいと考 えているのです。    予防線があるからこそ正しい努力がで    きる  また、私か「医師としての道も残しつつ、実業 にも力を入れる」という選択をした背景には、第 1章でお話しした、「子ども4人のうち、誰かひ とりでも医師の道に進むことを、両親がおそらく 望んでいたであろう」という、私の個人的な事情 もあります。これも無視することはできません。  本章の最後で詳しくお話ししますが、私か動画 編集で大きなお金を稼げるようになつだのは、大 学5年生のころです。  当時、私は両親に、「今やっているビジネスは、 部活の代わりだから。医師の道へ進むのをやめた わけではないから」と話していました。  大学では軽音部に入っていましたが、正式に所 属できるのは4年生まで。でも医学部は6年制で すから、5年生、6年生は自動的に、隠居生活を 強いられることになります。  つまり5年生になると、部活をやっていた時間 が、まるまる暇になってしまうのです。  せっかくの学生生活。いろいろなことにチャレ ンジできる時期なのに、ただただ隠居生活を送る のはもったいない。私は、ビジネスに打ち込むこ とにしました。  「この子は本当に、医師になるのか」と両親は不 安げでしたが、私は毎月、両親に収支報告をしな がら「絶対、医師にはなるから」となだめ続けて いました。  もちろん、本心です。  しかし会社化し、サービスの展開を大きくして いく過程で、お客さまからの「喜びの声」が私の もとにも多く届くようになりました。  自分がつくったサービスが、人を幸せにしてい る。この嬉しさや充実感は相当なものです。そし て、頑張ったら頑張った分だけ利益が出て、展開 できるサービスがどんどん大きくなります。  私は次第に、「ビジネスの世界で勝負したい」 と考えるようになりました。  ただ一方で、「ビジネスがこんなにもうまく いっているのは、『もしもダメだったら医師にな ればいい』という予防線があるからではないか」 とも感じていました。  いくら成長市場とはいえ、一介の学生が立ち上 げた会社が初年度から年間1億円の利益を出すこ とができるなんて、奇跡です。自分なりに努力を 重ねてはきましたが、もしも「医師への道を斷っ て、ビジネス一本で勝負だ」と考えていたら決し て選べないような、遊び心たっぷりの選択肢もた くさん選んできました。  「予防線」のおかげで心にいくらかの余裕が生ま れ、大胆な選択肢も選べたのだと私は考えていま す。  正しい方向に努力を重ねる上で、「退路」はと ても大切なのです。  医学部に入るために3浪、4浪している人もた くさんいる中で、私は幸いにも、I浪で入学する ことができました。そして同じく、医学部在学中 に留年する人も決して少なくない中で、私はスト レートの6年で卒業し、医師の国家資格も取得す ることができました。  そのおかげで、医学部卒業後に、いったんは医 師の道から離れている私も、平均的な医学部生よ りはまだ、年齢的アドバンテージがある状態では あります。  この後、私か本気で医師になりたくなったり、 世の中の変化で私のビジネスが立ちゆかなくなっ たりしたときには、まだ医師の道に戻ることがで きます。  これは私か、努力の「質」を高め、努力の 「量」を増やした結果です。  もしもあなたが、複数の選択肢を選べる状況に あるのだとしたら、それも同じく、正しい努力を した結果なのだろうと私は思います。  わざわざ自ら、正しい努力をした結果得たごほ うびを手放すことはありません。  日々、世の中は変わります。自身の考え方もど んどん成熟していきます。いずれ、最適な選択肢 を選べる状況になるそのときまで決断を先延ばし にするのも、決して悪いことではありません。 一 欲望を叶えてこそ人     生は幸福になる サボりたいと思うのは悪いことではな い  努力を続ける中で、さまざまな邪念が頭の中に 思い浮かんでくることがあります。  「今日はサボりたいなあ」  「もっと寝ていたいなあ」  「すべてを忘れて、ディズニーランドに遊びにい きたいなあ」  このような邪念は往々にして「努力を続ける上 での敵」と考えられがちなのですが、私はむしろ 「努力の原動力になりうる」と考えています。  「サボリたいときにサボれるように」  「寝たいときに好きなだけ寝られるように」  「現実を忘れたいときに、いつでもディズニーラ ンドに行けるように」  このような生活を実現させようと思ったら、ど うしても、今の生活や働き方を変える必要が出て きます。お金と時間に一定以上の余裕が常にある 状態を手に入れなければなりません。  つまり、努力をして、人生を変える必要がある ということです。  努力次第で、欲望のほとんどは叶えられます。    私が医学部を目指した「もうひとつの    理由」  第1章で、私か医学部を目指した理由には「両 親からの愛情がほしかったこと」「ただの浪人生 じやかっこ悪いから、『医学部を目指す浪人生』 になろうと思い立ったこと」があり、理由はひと つには絞りきれないことをお伝えしました。  実は、私か医学部を目指したのには、ここにあ げていない、もうひとつの明確な理由があります 「将来、お金持ちになりたかったから」です。  とにかく年収1000万円を下回りたくないと いう思いを、高校生のときにはもう持っていまし た。  とくに「これだけ稼いだら何がしたい」という 希望があったわけではありませんが、漠然と「お 金に不自由しない生活」を送りたいと思っていた のです。  子どもが2〜3人いて、習い事をしたいと言っ たら応えてあげられて、私立の学校に行きたいと 言ったら通わせてあげられて、夏はエアコンをつ けっぱなしでも電気代を気にせずにいられて…… かわいいものかもしれませんが、それでも、自分 が思い描く理想の家庭像を叶えるには、年収 1000万円が必要だと考えていたのです。  高校生当時の私にとっては、お金持ちの基準は 「年収1000万円」であり、医師になれば年収 1000万円は稼げるだろうと思っていました。  しかし医学部に入って医師の現実を知ったり、 また動画編集を始めて学外の社会人だちと接した りする中で、高校生当時の私は、2つの誤解をし ていたことに気づきます。  ・私か思い描く理想の家庭像は「年収2000   万円の家庭像」であり、年収1000万円で   は到底足りないこと  ・医師になっても、年収1000万円を超えて   くるのは医学部卒業後5年以上経った後であ   り、しかも医師では年収2000万円を超え   るのはなかなか難しいこと  この2つです。  もしかしたら、年収1000万円でも、節約を 頑張れば、先にあげた「理想の家庭像」を実現す ることは可能かもしれません。でも私は、節約を したくありませんでした。節約を強いられる時点 でそもそも、「理想の家庭像」ではなくなるので す。  「医師になっても、年収1000万円を超えるの は30歳を超えてからかあ……ちょっと、選択をし くじったかなあ……」なんて考えながら、動画編 集の仕事を努力し続けているうちに、事業が当た り始めました。  私か医学部を卒業し、医師の国家資格を取得し ながら、今なおビジネスの世界で勝負し続けてい るのは、以上のような収入面の理由も大いにあり ます。  高校時代に思い描いていた理想の生活ができて いて、理想の家庭像どおりの家庭を築くのも夢で はなくなっているのです。  「得たい結果」に向けてせっかくまっすぐ努力し ている最中でそれを捨てるのは、私の信念に反し ます。    欲望を叶えようとすれば発想が自由に    なる  ところで、この項の初めに、私は3つの「欲 望」の例をあげました。  「今日はサボりたいなあ」  「もつと寝ていたいなあ」  「すべてを忘れて、ディズニーランドに遊びにい きたいなあ」  実はこれらは、私か大学時代、実際に覚えた感 情です。  しかし当時の私には、サボりたいときにサボる 余裕も、寝たいときに寝る余裕も、ディズニーラ ンドに行きたいときに行く余裕もありませんでし た。  欲望を叶えるには、もつと頑張るしかない。お 金を稼いで、自由を得るしかない。そう思いまし た。  学生時代に浮かんだ「理想の家庭を築きたい」 「もっとサボりたい」といった素朴な欲望は、知 らず知らずのうちに、私にとっての「努力の原動 力」となっていたのです。  幸い、私か身を置いた動画編集業界は成長市場 であり、頑張れば頑張るほどお金を得られる、わ かりやすい業界ではありました。  もしも私か会社勤めで、「今の会社でどんなに 頑張っても、得られるお金と時間はそんなに変わ らない」という状況に置かれたら……私は、自分 の欲望を叶える収入・時間を得られる会社に転職 するか、自分の欲望を叶える収入・時間を得られ る会社を自分で興すかするでしょう。  欲望は、「届かない夢」ではありません。叶え られるように生きればいいのです。  今より稼ぎたいのなら、もつと稼げる会社に動 けばいいし、今より休みたいのなら、有給を取り たいときに取れる会社に動けばいい。そもそも会 社に所属しないという選択肢もあるI欲望を叶 えようとすると、発想が自由になります。人生の 選択肢が増えます。  大人になるにつれ、欲望を感じ忘れることが多 くなります。「あれがしたい、これがしたい」よ り、「あれをすべき、これをすべき」が先行する ようになってきます。  その中でなおも欲望が浮かんでくるのなら、そ れは喜ばしいことです。大事にしない手はありま せん。 I プライドを捨て、教     わるべき人から教わ     る 人はみな教えたがり。教わることをた    めらうな  第3章でお話ししたように、もらったアドバイ スをすぐに行動に移して「やりました!」と報告 すると、相手に喜ばれて、「次はこうしたほうが いい」とさらなるアドバイスがもらえます。  教えてくれた人に恩義を感じ、アドバイスを実 践して報告したり、お礼を言ったりするだけで、 いつの間にか、相手のほうからいろいろと教えて くれるようになるのです。  このような先人たちが複数できると、感覚とし てはもう、フィーバータイムに突人したようなも のです。学びの機会が自動的にどんどん訪れ、 「学ぶ」↓「行動する」↓「継続する」のサイク ルが同時に複数、回転するようになります。先人 たちみんなが、自分の成長のために協力してくれ ているような感覚です。  私は、「人はみな、教えたがり」だと考えてい ます。  私自身、医学部時代に同級生から「なんで青笹 くんはいつも勉強していないように見えるのに、 テストでそんなにいい点数を取れるの冫・」と聞か れたときも、ビジネスの世界で後輩から「うまく いくコツ」を聞かれたときも、すべてオープンに 話しています。  人の役に立つのは嬉しいことですし、人にお礼 を言われるのも嬉しいことだからです。  だから私は、教わる立場になったときにも、 「この人からは学ぶべきものがある」と感じたと きには、臆せずに誰からでも教えをもらうように しています。    たとえ無視されてもあなたのリスクは    ゼロ  しかし世の中には、「あの人に『教えてくださ い』と申し込んで、教えてくれなかったらどうし よう」「無視されたらどうしよう」と尻込みし、 学ぶ機会を自ら捨ててしまう人がたくさんいます  とてももったいないことです。  断られたり、無視されたりすることなんて、大 したリスクではないからです。  次の図は、現状でまだつながりのない「SNS で見つけたすごい人」に教えを請おうとする場合 のフローチャートです。  「学びの機会をください」とDMを送ります。ま ず「無視される/無視されない」の分岐が訪れま す。  無視されたところで、今までの人生とまったく 変わりません。リスクはゼロです。  無視されなかった場合を考えます。  続いて、「学びの機会をくれる/くれない」の 分岐が訪れます。  学びの機会をくれなかったところで、今までの 人生とまったく変わりません。リスクはゼロです  どこまでいってもリスクゼロで、現状で何のつ ながりもない「SNSで見つけたすごい人」から 教えをもらえるチャンスがあるわけです。チャレ ンジしない手はありません。  これは現実世界ですでにつながりがある人に対 しても同じです。よく「引かれたらどうしよう」 と尻込みする人がいますが、ちょっと教えを請う 程度で引かれるような関係ならば、この先いつか どこかで、自分の意図とは関係なく引かれるリス クがあります。差し引き、リスクゼロです。  ここまでにあげた一連の行動の中で最もリスク が高いのは、「自ら学びの機会を捨てたために、 努力の質が下がること」です。  月並みな言い方になりますが、リスクを恐れて 行動しないことが、いちばんのリスクなのです。  そしてもう一度言いますが、「人はみな、教え たがり」。意外とみんな、気軽に学びの機会をつ くってくれるものです。    後輩に聞きたいときは「損得」で考え    る  相手のほうが年上だったり、業界歴や社歴が長 かつたりすると、学びをもらいにいくのにさほど 抵抗は生まれないでしょう。  差が出るのは、「後輩に聞けるかどうか」です。  年上や先輩相手には甘え上手でも、後輩相手に は甘えられないという人はたくさんいます。  さきほどの話とは違い、抵抗が生まれる気持ち は、少しはわかります。  それでも私は、相手が年上だろうが年下だろう がズヶズヶと聞きにいけてしまう性格なのですが もしもプライドが邪魔して聞きづらい状況に陥っ ているのだとしたら、私だったら「損得」で考え るだろうと想像します。  「恥ずかしさを乗り越えて、後輩に聞いちやった ほうが得か。それとも自分のプライドを優先し、 聞かないほうが得か」を考えるのです。  言うまでもなく、「恥ずかしさを乗り越えて、 後輩に聞いちやつたほうが得」な場合がほぼ 100%です。「それはわかつているけど、聞く のに抵抗がある」がために、悩んでいるのですか ら。  ならばもう、「得を取るため」と割り切り、後 輩に聞いてしまいましよう。つまらないプライド を捨てると、人生はグッと楽になります。  私の場合、たとえば後輩の経営者が広告をうま く活用したことで大きな結果を出していたら、 「最近、広告で儲かってるらしいじや1ん。どう やったのか教えてよ1」と、あえてギヤグつぽく 教えを請います。最初から「バカな先輩」「気持 ち悪い先輩」を演じるのも、ひとつの手です。後 輩から「バカな先輩」「気持ち悪い先輩」と思わ れるくらいでうまくいく方法が手に入るのならば 安いものです。  極端な話、私は、「利益を年間5000億円出 す方法を知っている。おれの前で土下座をしたら 伝授してやる」と言う後輩が出てきたとしても、 喜んで土下座をします。  なにも、その後輩と一生、友だち付き合いを続 けていくわけではありません。そういう態度を示 す人とは、「プライベートでは付き合わない」と きっぱり線を引きながら、でも「得られるものは 土下座してでも得る」という距離感を築きます。  そして、相手の要求が得られるものに見合わな くなったときに、バッサリと関係を切ります。  ドライに「損得」で考えると、学びの機会が増 え、学びを継続させやすくなるばかりか、人間関 係での悩みも抱えにくくなるのです。 I モチベーションが低     下したときは要注意  「ダレだときにどうするか」を事前に 考えておく  人間、どんなに好きなゲームでも、どんなに好 きな料理でも、どんなに好きな仕事でも、続けて いると必ず飽きがきます。  私自身もそうです。  目標まで角度O度の矢印を見つけた瞬間は「よ し、この道を突き進むぞ」と盛り上がるのですが その道を進む途中でなんとなくダレてきて、「つ まらないなあ」と感じることがあるのです。  ゲームの攻略法を知り、その直後は「よし、こ れでクリアできる」と意気込むのですが、その攻 略法どおりにゲームを進めているとなんだか作業 のように感じられてくるのと同じような感覚です  こんなことを言ってば叱られるかもしれません が、私は一時期、YouTubeの撮影にダレて いたことがあります。  最初のころは、わくわくしていたのですが、い つしか、淡々とこなすだけになってきている自分 に気づきました。  ちょうど、「こうすれば、これだけの数字がつ いてくる」というように、努力の量と結果につい て、肌感覚がつかめてきた時期のことです。「あ とは攻略を進めるだけ」の段になり、私はダレて しまったのでした。  そこで私は、「ダレる部分」を人に任せること にしました。  動画に出演すること自体は、いつでも楽しめて います。私かダレるのは、単純作業の部分。動画 の質を大きく左右するものではありませんが、単 純作業とはいえ、その作業を進めないことには、 動画は完成しません。  「自分はわくわくすることに力を集中し、単純作 業は人に任せる」と書くと、なんだか仕事のおい しいところだけを持っていっているように感じる かもしれません。  しかし重要なのは、「自分がわくわくしない仕 事でも、そこにわくわくを感じる人もいる」とい うことです。  結果的に動画は「わくわくしている状態」の人 だけが携わるものとなり、自分ひとりでつくるよ り、かえって質は上かつていきました。  「自分はどのようなときにダレやすいのか」を見 つめ、あらかじめその対策を考えておくことで、 ダレだときに「すべてが嫌になる」という状態を 防ぐことができます。    ダレていると感じたら落ちぶれ始めの    黄色信号  ただ、自戒を込めて言いますが、ダレるのは 「油断している証拠」ではあります。「ダレても大 丈夫だ」と潜在意識の中で思っているから、ダレ るのです。  新入社員と、入社5年目の社員。ダレるのは間 違いなく、後者です。  新入社員のモチベーションで働き続けたら、誰 もがものすごい成長を遂げるはずなのですが、会 社の中にそのような人がほとんど見当たらないの は、途中でダレて、そのまま努力をやめてしまう 人がものすごく多いからなのです。  もしも自分が、仕事にダレていると感じたなら それは「落ちぶれ始め」の黄色信号です。対策し なければ、信号は赤となり、本当に落ちぶれてし まいます。  私だったら「動画編集の仕事を始めたて」「起 業したて」のころの、会社員の方だったら「入社 したて」のころの臆病さを再び思い出すことが、 「学ぶ」↓「行動する」↓「継続する」のサイク ルを再び回し、人生の「落ちぶれ」を防ぐ秘訣だ と、私は感じています。 一 逆境は「自分が成長     できる」チャンス 決済凍結のピンチでも「よし、売上が 増えるな」  やる気はなかなか、「出そう」と思っても出る ものではありません。  しかし生きていると、誰であっても自動的に、 とんでもないやる気が出る場面がやってきます。  それが、逆境です。  「ピンチはチャンス」とは、よくいったものです 逆境は、火事場の馬鹿力を呼び起こし、自分を大 きく成長させるチャンスなのです。  かつて、私か運営するサービスの決済が凍結さ れたことがあります。  そのサービスは、年間で2億円の売上をもたら してくれています。この決済が凍結されたとなる と、一般的には、どう考えても逆境です。  しかし私は、決済が凍結されたという一報を聞 いて、「よし、また売上が増えるな」と思いまし た。  決済が凍結されたとなると、私か真剣に、本気 を出して働くことになるからです。  毎日、余裕綽々で働いてきましたが、会社と しては十分な結果が出ていました。その中で久々 に訪れた、本気で働かなければいけない事態。腕 が鳴りました。  そして現実に、翌日の売上は、いつものI・4 倍を記録しました。そのサービスによる売上はゼ ロだったにもかかわらず、です。  私は本来、緊急事態に陥らないと何もしない性 格なのかもしれません。だからこそ逆境は、自分 を成長させるチャンスです。いつでも大歓迎です   一 自己評価も「数値       化」する   「メタ認知」で自分を客観的に見る 努力を重ね、結果が出始めたとき、人は誰しも 少なからず調子に乗るものです。  「自分ってすごい」「もしかしたら自分は天才な のではないか」と浮かれる気持ちはわかりますが そこで「自分は天才だ」と勘違いしてしまうと、 結果は驚くほどに落ち始めます。  私かかつて、浪人生として一念発起して勉強を 始めてから3ヵ月で成績が急上昇したにもかかわ らず、そこで調子に乗ってゲームにハマつだがた めに成績が急下降したのは、第1章でお話しした とおりです。  しかし私は、その経験から学び、「決して調子 に乗らない心の保ち方」を会得しました。  それが、「メタ認知」で自己評価を数値化する ことです。  メタ認知とは、「自分」という存在を、まるで ゲームの中の登場人物を見るかのように俯瞰した 視点で見る「もうひとりの自分」をつくることで す。  たとえば、私かロールプレイングゲームをプレ イして、主人公である勇者に「あお」と名前をつ けたとしましよう。  勇者「あお」は体力、攻撃力、防御力といった ありとあらゆる情報が数値化され、私(現実の青 笹寛史)はそれを認識することができます。  この、現実の私か勇者「あお」を見るような視 点が、メタ認知です。  もちろん現実の私の体力、攻撃力、防御力を正 確に数値化するのは不可能です。でも、たとえ ざっくりとでも、自分のスペックを数値化してみ ることで、うまくいったときも、うまくいかない ときも、常に平常心を保つことができます。    そのときの感情に流されずに努力を継    続できる  私は、自分自身の成功率を40%くらいだと認識 しています。  逆にいえば、「60%くらいうまくいかないこと があって、ちょうどいい」くらいに考えているの です。  うまくいったときは、周りからチャホヤされま す。うまくいかないことが続いたときは、周りか ら「あいつ大丈夫か冫・」と陰口を叩かれます。  「周りからの評判」を基準に自分の評価を考えて いると、その無責任なアップダウンに振り回され ることになります。  あなたの人生に何の責任も持ってくれない周り の人に、自分の評価を託すのは、とても危険なこ となのです。  自分の評価は、「メタ認知」を活用して、自分 で定めましよう。  私も、「自分の成功率は40%くらい」と認識し ていますから、うまくいったことが続いていると きに周りからチヤホヤされても、「今はたまたま、 成功率が上振れしているだけ。いずれ成功率40% に収束する」と自分を律し、浮き足立たずにすみ ます。  一方で、うまくいかないことが続いたときに周 りから陰口を叩かれても、「自分の成功率は40% ほどなのだから、だいたいこんなもん」と、自分 を崩さずにすみます。  浮かれて努力をやめることも、やさぐれて努力 を投げ出すこともなくなりますから、どちらにし ても、努力を継続しやすくなります。    自分にも他人にも、過度な期待はしな    い  また、この考え方は、他者を見るときにも役立 ちます。  かつては、たとえばフリーランスの動画編集者 に仕事をお願いし、上がってきた動画のクオリ ティが低かったときには「あれだけのお金を払っ だのに、この程度かり」とイライラすることもあ りましたが、今では他者に対して、あまりイライ ラしなくなりました。  他者の成功率もなんとなく数値化し、「だいた いこんなもんだよね」という心の準備ができるよ うになったからです。  ざっくりとでも、自己評価と他者評価が数値化 できるようになると、自分にも他人にも、過度の 期待をしなくなります。  メタ認知を活用すれば、心を惑わされることは 極端に少なくなります。努力の矢印を淡々と、 粛々となぞりながら前進することができるように なるのです。 一 「人のせい」にした     瞬間に成長は止まる 努力が続かないのはあくまで「自分の せい」  前項で、「メタ認知を活用して自己評価を数値 化すれば、他人からの評価に一喜一憂しなくな る」という話をしました。  実は、「他者評価に一喜一憂しがちな人」には、 ある共通点があります。  自分が努力を継続できない原因を、自分以外の 他者のせいにする傾向があるのです。  「親がお金持ちじやなかったから」 「上司がちゃんと指導してくれないから」 「会社がブラックだから」 「政治家がよくないから」 「時代がよくないから」  いずれも、私か実際に耳にした「努力を継続で きない原因」の例です。「親がお金持ちじゃな かつたから」くらいならばまだ話はわかりますが 「時代がよくないから」についてはもう、話が大 きくなりすぎてつかめません。  いったん「自分以外のせい」にし始めると、話 はどんどん広がり、最終的には自分でも、なんで 努力が続かないのかよくわからない状況に陥るの です。  周りに期待しすぎるから、応えてくれなかった ときにガッカリする。私はそう考えます。  周りに期待しすぎるのはやめましよう。「すべ ては自分で考え、判断する」という覚悟を持つと いつの間にか努力は、自然に継続するようになり ます。 一 嫉妬するからこそ、     努力も成長もある たとえ孫正義のような「格上」でも嫉 妬する  私は結構、嫉妬深いほうです。  他人の成功に対しては、誰彼となく嫉妬します 同業者で自分より大きな利益を出している人はも ちろん、他業種で活躍している人に対しても、自 分より大きな利益を出している人には多かれ少な かれ嫉妬します。  これを言うとよく笑われるのですが、私は孫正 義さんにも嫉妬しています。「なんで自分よりも 成功しているんだ。自分はうまくできない部分が なぜ孫さんはうまくできるんだ」と、本気で思い ます。  言えば言うほどバカらしいと思われるかもしれ ませんが、それでも私は、自分が抱える「嫉妬」 という感情を、さほどネガティブにはとらえてい ません。  嫉妬もやはり、努力を継続する上でとても大事 な感情だと考えているからです。  「自分はこんなもんじやない」「あいつができて いることは、自分にもできるはずだ」と考えるか ら、人は努力します。そしてその先には必ず、成 長があります。  私か起業したきっかけのひとつに、「迫佑樹さ んが自分と同い年だと知った」ことがあります。  次項にも記しますが、迫さんは、私か動画編集 の仕事で稼げるようになるきっかけをつくってく れた恩人です。  しかし迫さんが自分と同い年だと知ると、私の 中に嫉妬の感情がムクムクと湧き起こってきまし た。  「なんで迫さんが何億円も稼いでいるのに、同い 年のおれはただの田舎の大学生で、月収5万円な んだ!」  私は、迫さんと同じ土俵に上がることを決めま した。  「自分は自分、他人は他人」という考え方もある でしょう。  しかし、現に同じ世界に生きているのです。そ れなのに、うまくいっている人とうまくいってい ない人がいるのはおかしいでしょう。  「すべての人間は、同じ世界に生きている。『違 う世界の住人』なんてあり得ない」と考えるとこ ろから、「学ぶ」↓「行動する」↓「継続する」 という努力のサイクルは回り始めます。    嫉妬を声に出せばチャンスは回つてく    る  私は、嫉妬を抱いたときには、その感情を隠さ ずに表明するようにしています。  意外にも、それがプラスに働くことが多くあり ます。  私か出演しているYouTube「令和の虎」 に一緒に出演している桑田龍征さんと林尚弘さん が、YouTuberのヒカルさんとコラボして その動画が大きくバズつたことがありました。  桑田さんも林さんも、私より10歳以上年上の経 営者です。そのため、私と同年代の経営者たちは みんな「桑田さんと林さん、すごいな」という感 想を抱いたようでした。  しかし私は、ひどく嫉妬しました。  「いいな1.うらやましいな1.なんでコラボ相 手がおれじやないんだ。おれもやりたいのに」  この感情を、余すところなく、桑田さん、林さ ん、ヒカルさんに向けて直接表明しました。  すると驚くことに、次のコラボ相手が私に決定 したのです。  私は素直に「やった1」と思いました。  もしかしたら、「自分もいつかコラボできるよ うに頑張ろう」と思うのが、10歳以上年下の経営 者としての本来の姿なのかもしれません。  でもそれは同時に、「今現在の勝負を避けてい る」ということでもあります。  いつまでも土俵があるとは限りません。今、土 俵が用意されているのなら、同じ土俵に今、上が るべきです。  他人の成功に嫉妬できなくなつたら人生終わり だと、私は考えています。嫉妬を押し殺すことな く、素直に感じ取り、声高らかに表明しましよう 絶対にチャンスが舞い込んできます。  「単価1000円の動画編 集」から  「年間3億円の利益」まで  「動画編集」という仕事に出合うまで  いよいよ本書も最終項目となりました。  ここでは本書のまとめとして、単価1000円 の動画編集に1ヵ月かかっていた私か、動画編集 を軸とした事業で年間3億円の利益を出すまでに 至った軌跡を、「学ぶ」↓「行動する」↓「継続 する」のサイクルになぞらえて振り返っていきま す。  まずは、動画編集に出合うまでのお話です。  大学入学後、私はしばらく、大半の大学生と同 じく、アルバイト情報誌で探した「よくあるバイ ト」をしていました。  焼肉店、パチンコ店員、スーパーの品出しと いった、本当に「よくあるバイト」です。島根で すから、時給は800円ほどと、首都圏よりは安 いものでした(パチンコ店員のアルバイトは時給 1400円ほどと、ほかよりも高かったのですが)。  しかし大学生活を送る中で、「進級するための テスト勉強は、実は『過去問』に力を入れて勉強 しながら、個別に先生に勉強の仕方を聞くだけで よく、授業はそんなに重要ではない」ことに気づ きます。  でも、授業に出席しなければ、出席点はもらえ ず、テストがどんなにできても進級することはで きません。私は仕方なく、「意味のない授業」に 出席し続けました。  すると、授業中がとてつもなく暇になってきま す。  学校以外の時間は目一杯遊びたいのに、アルバ イトに時間をとられ、つまらない授業中はすごく 暇……なんとも理不尽だなと感じました。  そこで私は、授業中にできるアルバイトを探す ことにしました。  幸い授業は、パソコン持ち込み可のものが多く ありました。パソコンでできるアルバイトならば 先生にバレずに行うことができます。  当時は「プログラミングで稼げる」という話が ネットにあふれていて、私もネットの情報をもと にプログラミングを勉強してみました。  しかしいかんせん、難しい。独学で、仕事にす るほどのプログラミング知識と技術を身につける のは、私には無理でした。  文章を書くのは好きだったので、クラウドソー シングサービスでライターの仕事を探してみたり もしましたが、いずれも単価が安く、魅力を感じ ませんでした。  そんな中、何かのネット記事で引っ掛かっだの が「動画編集」という仕事でした。  動画編集自体は、学祭で使う動画をつくる際に 携わったことがありましたが、それを仕事にして 稼ぐという発想はありませんでした。  ところが、クラウドソーシングサイトで「動画 編集」と検索してみると、仕事の量も単価も、ラ イターとは比べものにならないほどに大きい。  私は仕事として、動画編集を始めることにしま した。    利益「月1000円↓月100万円」    時代  動画編集についても、最初は独学でした。だか ら、努力の質は低かったのが本当のところです。  有料noteで300円ほどの情報を買いあさ り、勉強して、クラウドソーシングサービスでや みくもに、取れそうな仕事を取りました。  それが「はじめに」でお話しした、単価 1000円の仕事です。  そしてやはり「はじめに」でお話ししたように 私は単価1000円の仕事に時間がかかりすぎた 上、需要とはかけ離れた動画を納品していました  このままでは、動画編集で稼ぐどころの話では ない。危機感を覚えた私は、迫佑樹さんが発信し ている動画編集のオンライン講座を購入すること にしました。  島根という土地柄ですから、リアルで対面して の動画編集学校など、望むべくもありません。私 はオンラインに助けられました。  動画編集のオンライン講座を受けたことで、私 は、「お客さまの求める動画編集とは何なのか」 を学びました。ようやく、努力の質が少しだけ上 がったのです。  当時は動画編集市場が盛り上がりを見せ始めて いた時期であり、仕事量に人材が追いついていな い状況が続いていました。有り体に言えば「最低 限、必要なレベルにも達していない動画編集者」 が多くいたということです。  言うまでもなく、人よりも時間がかかりながら 需要とはかけ離れた動画をつくつていた私も、そ のひとりでした。  だからこそ、オンライン講座を受けて「お客さ まの求める動画編集とは何なのか」を学んだイン パクトは大きく、実践することで仕事は飛躍的に 増えていきました。  私は瞬く間に、100万円を稼げるほどに仕事 を取れるようになりました。    利益「月100万円↓月200万円」    時代  ただ、「月に100万円を稼げるほどの仕事量」 とは、並大抵のものではありません。ほどなく私 は、自分ひとりでは仕事を抱えきれなくなります  でも、どんどん仕事がきている状況を崩したく はありません。一度斷ったら、もう二度と仕事を 頼んではもらえないのではないかという恐怖もあ ります。  そこで、周りの動画編集者はどうしているのか を聞いてみることにしました。  するとある方が、「組織をつくって回している」 と教えてくれました。  私も、組織をつくることにしました。  「組織」といっても、医学部の友だち連合のよう なものです。  「仕事取っちやったんだけど、手が回らないから やってくれない?」と率直に頼み、アルバイト代 を支払いつつ動画編集を教えながら、仕事を回し ていきました。  何といっても、みんな医学部。飲み込みは早い し、アウトプットも優秀です。次第により多くの 仕事を引き受けられるようになり、月間の利益は 200万円になりました。  ひとりで必死に回していたころと比べると、利 益は倍増しましたが、私の負担はむしろ、軽く なっていきました。    利益「月200万円↓月500万円」    時代  しかし、医学部の友だち連合にも限界がありま す。  テスト前になったら、みんなは動画編集のアル バイトより、テスト勉強を優先します。すると、 仕事の負荷が私ひとりにドンと乗ってくる状況に なります。  引き受ける仕事を増やした後だけに、その負荷 は、ひとりで仕事をしていたころとは桁違いです  そこで私は、Twitter(現・X)で新た な動画編集者を探すことにしました。  人手は確保できましたが、集まった人たちは見 事に、「動画編集者として最低限、必要なレベル にも達していない」人ばかりでした。  そもそも納期を守らない。渡した指示を盛り込 まない。メールやLINEのレスポンスが悪 い……。はっきり言って動画編集以前の問題です さすがに、かつての私もここまではひどくなかっ たぞと言いたくなります。  それで動画編集のクオリティが高ければまだ許 せもするのですが、上がってきた動画を見ると、 ほとんど素人レベルです。さすがに我慢にも限界 があります。  「フリーランスの動画編集者にお金を渡し、仕事 をお願いしているはずなのに、なぜこちらが、動 画編集以前の『社会人として』のところから、い ろいろと教えなければならないのか。そっちかお 金を払うのが筋だろう」  このような鬱屈した思いを抱えながら、ほかの 人はこの問題にどう対応しているのかを探ってい くと、迫佑樹さんが「プログラマーとして仕事を 受けながら、プログラミングスクールをつくつて 儲かつている」と知ります。  「これだ!」と思いました。  私はオンラインの「動画編集スクール」をつく り、動画編集の基本と社会人としての基本を教え ながら、自分が受注した動画編集の仕事を受講生 に回すようにしました。  私のノウハウを吸収してくれる受講生が増える ことで、みんなレベルアップし、かつての「医学 部の友だち連合」のような質が保てるようになり ました。  そして受講生も、動画編集の仕事も、みるみる 増えていきます。  私は月間の利益を500万円にまで伸ばすこと ができました。    利益「月500万円↓月1500万    円」時代  さらに儲かっている大は、何をやっているんだ ろう。  素朴な疑問から、いろいろな人の話を聞いてみ ると、儲かっている大は「商品を豊富に持ってい る」ということを学びます。  ひとりのお客さまからたくさんお金をもらえる よう、その受け皿を持っているというのです。  私も実行してみることにしました。  オンラインの「動画編集スクール」によって、 自分と同じようなスキルを持つ動画編集者を多く 養成することができました。そのおかげで私は、 動画編集の実務は彼らに任せ、より大局で仕事を 見るディレクターに専念できるようになりました  しかし仕事は、ひっきりなしにやってきます。 やがて、自分が担っているディレクター業も、自 分ひとりだけでは足りなくなっていきました。  そこで私は、動画編集者だけではなく、ディレ クターを養成するコースもつくることにしました  商品を増やしたのです。  やがてディレクターは増え、私はマーケターに 回るようになりましたが、今度はマーケターが人 材不足に陥ります。今度は、マーケターを養成す るコースをつくりました。  このようにして、私か抱える動画編集集団はど んどん大きくなっていきました。  すると利益は1000万円に伸びました。  さて、この先はどうすればいいのか。探ってい くと、「商品の単価が高い人のほうが儲かってい る」ことを学びます。  私は値上げを実行しました。月間の利益はさら に500万円増え、1500万円となりました。    利益「月1500万円↓月2500万    円」時代  さて、ここでまた、私の「凡人気質」「怠け者 気質」が顔を出します。  思えば浪人時代、努力の濃度を上げて、勉強開 始からわずか3ヵ月で首都圏の国立大医学部を射 程圏に入れられるところまで上り詰めたのに、N intendoSwitchのゲーム「スプラ トウーン2」にハマつて成績を急下降させてし まったのが私でした。  1500万円まで達した私は、「もう誰からも 学ぶ必要はない。自力で上れるところまで上り詰 める」と、天狗になります。  案の定、利益は停滞しました。  生活するのに十分なお金はありますし、仕事も どんどん人つてきていましたから、最初のうちは さほどの危機感はありませんでした。  しかし、利益が停滞する状況が数力月続くと、 さすがに引つかかりが生まれてきます。  そこで私は、自分より大きな利益を出している ある方のもとに学びにいくことにしました。  この顛末は、第3章の中でも記したとおりです  「事業のフランチャイズ化」という視点を学んだ 私はすぐに実行に移し、月間の利益は一気に 2500万円まで伸びました。  年間の利益は、3億円ほどです。  上には上がいます。  私のように、途中で天狗になって、学びを止め てはいけません。  常に「学ぶ」に立ち返ることにより、自分のス テージも上がっていきます。「学ぶ」↓「行動す る」↓「継続する」のサイクルを回し続けること で、自分の力を青天井で高めることができ、今は 雲の上にいる人にも、いつか近づけるようになる のです。 「資本主義」というゲームをパックする。これが 私の夢です。  この夢には終わりがありません。「営業利益2 億円を達成する」というゲームをクリアしたら、 すぐに「営業利益3億円を達成する」というゲー ムがスタートします。それをクリアしたら今度は 「営業利益4億円を達成する」というゲームが始 まります。  「終わりがない」ということは、「限界がない」 ということでもあります。  私よりも先を歩んでいる人は多くいます。彼ら に学びながら、少しずつ自分を高めていくことで どんどん新しいゲームに挑戦できるようになりま す。  もしかしたら、前項でお話しした「孫正義さん に嫉妬している」なんていう話も、笑い話で終わ らず、いつか本当に、直接お会いしてお話しでき る機会が訪れるかもしれません。  「学び」を自ら止めない限り、人生に限界はあり ません。  努力は人生に、無限の可能性をもたらしてくれ るのです。 おわりに 人生は「結果オーライ」にな るようにできている 人生に「失敗」なんてない 「人生に失敗はない」が私の持論です。  第3章で私は、「学ぶ」とは、意思決定の正答 率を高めていくことだという話をしました(『【学 ぶ】脱・完璧主義。「100%の正解」を求めない』参 照)。  全開正解など、初めからあり得ないのが人生で す。   たとえば、「サイコロを何回振ってもいいから、 とにかく2を出しなさい」というゲームがあった とします。  とりあえず振ってみたら、Iが出ました。次に 振ってみたら、5が出ました。3回目に振ってみ たら、2が出ました。  「やったあ。ゲームはクリアだ」と喜んだとき、 I回目のIや2回目の5を、失敗とは思わないで しょう。  人生とはこのようなものだと、私は考えていま す。  何回チャレンジしてもいいゲームに、失敗はな いのです。     「理不尽」に感謝する  自分が4人兄弟でただひとりの凡人だと悟った とき、私はひどくやさぐれました。  こんなに理不尽なことはあるかと、自分の運命 を睨いました。  ただ、今では、「それはそれでよかった。結果 オーライだ」と思えます。  もしも凡人でなかったら、「努力の濃度を意識 しながら、努力の量を増やす」という考え方で受 験勉強することはなかったでしょう。それどころ か、そもそも医学部を目指すこともなく、大学の 進級テストをきっかけに「努力の質を高める」と いう考え方に至ることもなかったでしょう。  受験勉強と、大学の進級テストの経験がなけれ ば、「努力の数値化」という発想が生まれること はありませんでした。もちろん、本書を上梓する 機会にも恵まれなかったでしょう。  そう考えると、すべてが「結果オーライ」であ り、すべての挫折が、今の人生への布石のように 思えてきます。  そう。人生はきっと「結果オーライ」になるよ うにできているのです。  ただし、すべての苦境や不遇を「いい結果」に 着地させるためには、正しい努力が必要なことを 忘れてはいけません。  もしも私か、浪人時代に努力を積み重ねず、医 学部に入学していなかつたらと考えると、恐ろし いものがあります。  高校3年生までの自分そのままに、自堕落な生 活を続けていたとしたら……いやいや、考えたく もありません。  凡人の私でも、ここまでくることができたので す。  浪人生として一念発起してから、まだ10年も 経っていません。  正しい努力を積み重ねれば、みなさんもきっと 素晴らしい人生を手に入れることができます。  本書を読んでくださったみなさんの人生が「ほ どはどの結果」ではなく、「いい結果」に着地す ることを願って、筆を置くことにします。  最後までお読みくださり、ありがとうございま した。  2024年1月                  青笹寛史