商社マンたちの協奏曲_片山直明 発電所EPCの男たち             。  プロローグ  男は四十路の坂を超えようとしていた。  会社人生のちょうど中間点。  折り返して、来た道を戻るのか、はたまた、別の 方角へと歩を進めてみるのか。  全く新しいことに挑戦するには、ちよつと遅いの かIと、不安がよぎる。  でも、人生を諦めてしまうには、まだ早過ぎた。  そんなある囗、男は、[EPc]なるものに出く わす。  しかも、海外の大型発電所建設のEPcなのだと いう。  EPcつて何?  Eはengineering(設計)、Pはprocureヨ回t(調 達)、cはconstructi呂(建設)の略。  つまり、発電プラントの設計から、機器の調達、 土木から建設工事までのすべてを請け負うというこ とだ。  商社が、そんなことに手を出せるのか。  −これから激しくなる世界のインフラ争奪戦に 勝ち残るためには、怯んでなんかいられないよ。  このひと言は、男の心に引っかかった。  I.戸惑い  『滞在中に是非お会いしたいので、会社まで連絡 ください。石崎洋二  マンハッタンはレキシントン街五十一丁目に建つ ロウズサミットホテル。  「スリー・オウーフアイブ(305)プリーズ」  キーを受け取ろうと声をかけたフロントマンは、 メッセージがありますよIと、部屋の鍵と一緒に 自いメモ紙を寄越した。  −えっ、石崎さん? 何で僕がNYにいるのを 知っているんだろう。しかもホテルまで。  石崎洋一は、米国住吉商事の電機部長で片岡より 年次は随分上だ。  東京本社時代は同じ電機輸出部には所属してはい たものの、北中南米を担当していたので、アジア畑 の片岡とは一緒に仕事をする機会はなかった。  米国住吉商事が、ロウズサミツトの右手向かいの ビルに入居しているのは承知だ。  このホテルには、米国スミヨシが通年借り切りに している部屋があり、総務部に申し出れば出張者た ちが割安料金で利用できる。  近くの高級ホテル、ウォルドーフーアストリアと ならば一泊三百五十米ドルは下らないはずだが、こ この『スミヨシルーム』ならばわずか八十ドル。  一週間の予定で、USオープンテニスを観戦しよ うと駐在先のサウジアラビアーリヤドから休暇で来 ている片岡章二には分相応だ。  地下鉄の五十一丁目駅もすぐそこで至便であるし。  翌朝、ホテルを出る前に、メモにあった石崎のオ フィスの番号に電話を入れてみる。  すぐに「イエス、イシザキスピーキング」と本人 が受話器を取った。  「ご無沙汰しております。リヤドの片岡です。伝 言、ありがとうございました」  伝言メモは日本語だった。石崎自身がわざわざホ テルまで来て書き残していったものだ。  「やI片岡君、どうもどうも」  石崎が銀縁眼鏡の目を細めているのがわかる。  夕方六時にホテルのロビーに行くからI、とい う石崎の意向に従うことにした。  今日は少し早めに戻ってこなきや、と片岡は身支 度を整え部屋を出た。  九月に入ったばかりのニューヨーク。  まだまだ、朝から残暑が厳しい。  五十一丁目駅から地下鉄六号線でグランドセント ラルに出て七号線に乗り換える。  電車はイーストリバーをトンネルでくぐリクイー ンズ側に出ると今度は地上の高架を走る。ようやく 慣れてきたフラツシングーメドウヘの四十分ばかり の道のり。この地上区間の風景が、何かの映画の シーンと重なり、好きだ。ちょっと振り返ればマン ハッタンーミツドタウンの高層ビル群が美しい佇ま いをみせている。  ウイレツツポイントーシェアスタジアム駅で下車。  二日前、初めてやってきた時には妙に興奮したも のだった。  左に出れば、威風堂々、シェアスタジアムが構え ている。  ここは、MLBニューヨークメツツの本拠地なの だが、それと共に、一九六五年八月十五日にビート ルズが当時史上最大の屋外コンサートを催行した場 所でもあるのだ。  野球場でのコンサート自体が史上初だったはず。 その記録映像には目を見張った。  中高大で野球に勤しみ、しかも大のビートルズ ファンでもある片岡にとって、ここは二重の意味で 『聖地』なのである。  しかし、USオープンテニスの会場へは右に進ま ねばならない。  昨年の初優勝に続き、スウェーデンの天才サーブ アンドボレーヤー、ステファンーエドバーグが連覇 を目指す今一九九二年大会。  そうはさせしI、巻き返しを図るのがアメリカ の若きオールラウンドプレーヤー、ピートーサンプ ラス。  二人の対決構図が、早くも大会をいやが上にも盛 り上げている。  人の流れについて、両側に星条旗のなびくボード ウォークを行く。  同じ兄ちゃんが、今日も、待っていた。  「昨日よりいい席があるよ、安くしとくから」と 卑屈な笑みを投げかけてくる。  片岡は、迷わずセンターコートのチケットをこの ダフ屋から買った。これを持っていれば、どのコー トの試合も観戦できる。  −自分は旅行者なんだから。長蛇の列に並んで 時間をロスしたくないんだ。旅先の一期一会。どん なチャンスも逃したくないのさ。  非正規に入場券を手にする後ろめたさに、ひとり 心の中で、そんな言い訳を繰り返す。  グランドスラム大会第一週目なので、彼らの『相 場』も驚くようなものではない。  ホテルに戻ってシャワーを浴びた。  いつもなら、ここで冷蔵庫から買い置きのバドワ イザーを取り出すところだが。  −六時というんだから、晩飯でも一緒に、とい うことになるだろう。  今はヤメにした。  髪を乾かし、買ったばかりのUSオープンの記念 ポロシャツに袖を通すと、片岡は早めにロビーに降 りた。  六時を少し過ぎて、大柄な石崎が身を縮めるよう にエントランスの回転ドアを押してやってきた。  「よう、片岡君、お待たせ」  石崎は、ロビー内をきょろきょろと見回し、ここ でいいかIと、小さな丸テーブルの両脇に置かれ た椅子のひとつに腰を下ろす。すぐに、片岡にも、 そこヘーと、目で促した。  「あのさI、今ね、森安さんがインドネシアのP ERUM(国営電力公社の呼称)と、コンバインド サイクル発電所を『特命』で随契ネゴしてるんだ。 しかも二案件分だぜ。ガスタービンや主要な発電設 備はUEのを使ってさ」  石崎はいきなりそう切り出した。  「一件目はジャカルタ湾岸火力っていってね、サ イト(建設現場)は市内から十キロ程の海沿いだそ うだ。これがまとまると、同じ基本設計で二件目の 商談を始められるんだ。こっちは中部ジャワのセマ ランだけどさ」  −なんで、こんな話をリヤドに駐在している俺 なんかにするんだろうか。  そんな片岡の戸惑いにも、石崎はお構いなしに続 ける。  「この特命案件、スミヨシがプライム(ここでは 『主契約者』の意味)なんだよ。UEもBSBもみ んなウチの下請けになるわけさ。天下のUEとアメ リカ随一のエンジニアリング会社のBSBを自由に 使ってインドネシアに新しい発電所を作るんだ。面 自いだろ」  「……」  片岡の反応が鈍いとみてとり、石崎は、  「ジャカルタ湾岸火力は、近々、総額四百億円前 後で契約が決まって、直ちに建設が始まる。決して 『絵に描いた餅』じやないからね」と念を押し、さ らに。  「まずガスタービン発電部分を建設して、その電 力をすぐに送電し始める。そうしておいて、ガス タービンの排熱を回収利用するボイラー(HRS G)と蒸気タービン・発電機をアドオン(add on =設備を付加する)して、コンバインドサイクル (複合火力発電所)に仕上げるのさ」と、ダメを押 した。  石崎の話は、次のように続いたI  経済成長が続くインドネシアは、今、深刻な電力 不足に陥っている。  これに対処するため大型発電所の建設が急務なの である。  通常ならば、巨額な建設資金を要するがゆえに国 際競争入札で買い付けるべき発電所設備なのだが、 その入札手続きには膨大な時間を要する。これを省 くためには、過去から実績をもつ相手先と『特命』 で随意契約を目指すしかなかった。  また、早急に買い付けるべきはコンバインドサイ クル発電所なのだという。  これは、ガスタービン発電と蒸気タービンでの発 電、双方を有機的に組み合わせた発電形態で、比較 的短納期での建設が可能。しかも、大容量の電力を 効率良く発電できるというメリットがある。  短納期、高効率、大容量と三拍子揃った、電力不 足解消のための救世主=コンバインドサイクル発電 所を随契で緊急買い付けする。  大義名分はこうしてきれいに整った。  その第一弾となるジャカルタ湾岸複合火力発電所 買い付けに関するスミヨシとの特命商談取り進めは、 すぐにスハルト大統領にも裁下されたという。  これに気をよくした、PERUMの上部機関であ る鉱山干不ルギー省。  この際、あと三発電所分の緊急買い付け計画も一 気に推進すべく、スハルトの追加決裁までも取り付 けてしまったというのだ。  世は、複合火力発電所の買い付けラッシュの様相 を呈したのだ。  [三発電所の緊急買い付け要綱]  『建設候補地は、電力不足が深刻なジャワ島内 に限定し、西部、中部、東部に分散すること。  二。最短の製品納期を確保するため、大型ガス タービンを製品ラインに持つ重電メーカー三社に分 散発注すること。  すなわち、米国のUE、スイスのブラウン・ベ リー、囗本の金剛重工。  三。それぞれが囗本の総合商社とタイアップし、 当該商社は、担当発電所の建設コストをカバーする ファイナンスを準備すること。  こうして、メーカーと商社の組み合わせが決まり、 同時に、担当するサイトも割り当てられた。  ○金剛重工十金剛商事(西部ジャワ)  OUE十住吉商事(中部ジャワ)  ○ブラウンーベリー十丸飯(東部ジャワ)  因みに、米国政府は、米国からの財貨及びサービ ス部分には米国輸銀の資金を融資することを表明し た。バイーアメリカン政策にのっとつた米国メー カーUE支援である。  「これはさ、業界の事情をよく把握している、実 にインドネシア政府らしい采配なんだよ」  解る? と石崎。  この割り振りによって、各メーカー、各商社間の 足の引っ張り合いは、ようやく、排除され、それぞ れのグループが、発電所の早期完工・早期発電開始 に全精力を傾注できるようになったのだという。  実際、ジャカルタ湾岸複合火力で、スミヨシ・U Eだけが『特命』を受けた時には、他社からの妨害 工作が酷かったらしい。  どの社とは言わんけどさI  石崎はこう力説すると、ふと腕時計に目をやり、 あっ、と小さく声を上げた。  「じゃ、僕は電車の時間があるから」  回転ドアから、大慌てで、夕暮れの雑踏に紛れて いった。  石崎洋二  全くのマイペースだ。  一方的に言うことだけを言うと、クルリと背を向 け帰ってしまった。  すっかり毒気に充てられた片岡章二だけがその場 に取り残された。  晩飯でも一緒にI、どころの話ではなかった。  気を取り直して三階の自室に上がり、さっきは見 送ったバドワイザーのプルタブを引いた。  部屋を空けていたわずかの時間に、夜のベット メーキングが済まされていた。  改めてカーテンを開き五十一丁目の通りを見下ろ す。  −俺に何を言いたかったんだろう。  突然のつむじ風のような石崎の来訪を振り返って みるI  確かに、昔、インドネシア市場を担当していたこ とはある。  何といっても、一九七八年に、芝浦電機と組んで PERUMから受注した東部ジャワ火力発電所が印 象深い。  当時の契約金額は百二十億円を切っていた。額面 だけみると、この十五年ほどの間に発電所建設商談 の規模は四倍にもなっているのか。  そしてUniversal Electric(UE)のガスタービ ンや蒸気タービン、発電機を使うのだと言っていた。  スミヨシの電力部門の看板市場であるインドネシ アでは、今や、『世界のUE』とタイアップするま でに力をつけているのか。  BSBの名前も挙かっていた。  確か、[ブラックーサンドービーチ]というエン ジニアリング会社だ。  『黒砂の海岸』なんて粋な社名ながら、全米一の 技術力を誇る会社なんだよI  先輩社員がそう評したのを記憶している。  なんでも、スリーマイル島の原発事故の際には、 合衆国政府から、いの一番に、事態収拾のための協 力要請を受け、出動したのがBSBだという。  あの惨事は一九七九年のことだ。  入社四年目を迎える春だった。  片岡が、末席ながらも、東部ジャワ火力の受注に 関わり、発電所とは何かI、みたいなものがわか り始めた頃の大惨事で印象深い。  放射能が漏れ出し、周辺住民に避難指示が発せら れた。  テレビ映像に、逃げ惑いパニックに陥った妊婦の 引き攣った表情が流れた。  ああ、原発は怖いIと、感じた瞬間だった。  BSBの名前は、そうして片岡の記憶に刷り込ま れていた。  そんなUEやBSBを引っ張っているのが森安さ ん、ということか。  森安大二郎。  片岡が電機輸出部に配属された頃、アメリカや オーストラリア市場を担当する電機輸出米豪課長 だった。  あまりに優秀で、年齢や資格は度外視して飛び級 で課長になったとのことで、人事的には『課長心 得』というのさIと、これまた先輩社員がため息 交じり語っていた。  同じ部内で、過去仕事以外のところで森安との接 点は何度かあったが、それだけだった。  森安は、最近までジャカルタに駐在していた。こ んな大型発電所の緊急買い付け商談に単独で指名さ れ、随意契約で注文を決めようというのだから、さ すがだ。  さらに、続く三発電所の緊急商談にも、抜け目な く、一枚噛んでいるのだから、電力公社ぽかりでな く政府上層部にも相当食い込んでいるということな のだろう。  そうか、片岡は気付いた。  石崎は、森安と『米豪課』つながりの子飼いの部 下か。UEやBSBとの日常の付き合い、さらに米 国輸出入銀行からの資金調達も睨んで、NYに駐在 しているわけか。  最初はバングラデシュのダッカ。いまは、サウジ アラビアのリヤド。片岡自身の駐在歴だ。いかにも、 侘しい。  かたや、常に表舞台に立ち華々しく活躍を続ける 森安大二郎。その意を体して、巧みに仕える石崎洋 一が駐在するはニューヨーク。登場してくるのもU E、BSBと超一流どころばかり。  ドサ回りの片岡に、こんな話を聞かせてどうする。  ふた缶目も飲み終えてしまうと、もうひとりで夕 食に出かけるのが億劫になった。  片岡はホテル裏手の食料品店でテイクアウトの総 菜と追加のビールを買い込み、すぐに部屋に戻る。  テレビではメジャーリーグの野球中継をしている が、やはり、片岡は石崎洋一の話を反芻してしまう。  免税店で買ったシーバスーリーガルに切り替え、 少し酔いが同ってくると、頭の中で自問の声が響い てきた。  もう、電機輸出部には戻らないんだろ?  なんで石崎の話なんかいつまでも気にしているん だ?  一九九一年一月。  単身リヤドに赴任した直後だった。  多国籍軍のバグダッドへの猛空爆で始まった湾岸 戦争。  周辺諸国の駐在員たちは、日本への退避を余儀な くされた。  歴史の荒波に翻弄され、この先一体どうなってし まうのかIと、不安に駆られた囗もあった。しか し、戦争は予想外に早く終結したのだった。  各社の駐在員たちが任地に戻って来るのを待って いたかのように、サウジ東部電力はラッカ地区・超 高圧地中送電線の買い付け入札を正式に公示した。  戦後一番、口開けとすべき大口商談なのだが。  しかし、トップメーカー住吉電工のサウジ市場で の商権は金剛商事が握っている。  手も足も出せないのかI。歯噛みする片岡だっ た。  そんな時だ。  「サウジでも、一緒にやるのはアイツしかいねえ だろ」  そう、天の声が住吉電工の社内に響き渡ったとい  盟友・星野新一こそがその声の主だった。  星野と片岡。バングラデシュのぬかるむ軟弱地盤 に苦しめられながらも、初めての駐在地で受注した 架空送電線の建設に取り組み、完遂に持ち込んだバ デイ(相棒)だ。  あれから七年が過ぎようとしている。  今や、星野は住吉電工の工事部門を統括する常務 の地位についていた。  サウジアラビアでは、大型案件の受注実績が皆無 であった住吉商事の電力部門。  しかし、そんなことはI顧だにせず、星野新一と 彼の率いる工事部隊は、片岡章二がサウジに駐在し ているなら、組むのはスミヨシだIと、金剛商事 に引導を渡したのだった。  八十億円の大口受注だ。  片岡は心に誓った、このラッカ地区・超高圧地中 送電線建設工事を、まずは、キッチリ仕上げると。  これこそ盟友への恩返しだ。  そして、これを電力部門への『最後のご奉公』に するのだ。この先いつまで電機輸出部に居続けたと ころで、うだつは上がらない。  片岡は、そう心に決めた。  サウジアラビアはイスラム暦で動いている。  ノンムスリムの外国人居住者であっても、まずは、 ラマダンーイードーホリデイ(断食月明け休暇)と ハジーホリデイ(巡礼休暇)の時期を頭に入れて、 仕事や休暇旅行の計画を立てて行動する。  もともと、公私ともに、計画通りに物事を進める のが片岡の流儀だ。  この駐在国固有の休暇を有効に使って、片岡は、 頻繁にヨーロツパヘ出かけ、さらにアメリカヘも足 を延ばしたI  一九九一年六月には、早速ハジ休暇を利用して、 フロリダのハリーホップマンーテニスアカデミーに 挑戦している。  多くのジュニア選手を養成し、有名プロ選手も輩 出しているいわばテニスの『虎の穴』だ。  一般プレーヤーにも、門戸は開かれている。灼熱 地獄で丸一週間、プロまがいのストイックな練習プ ログラムが待っていた。  話題のプロ、まだ十六歳のジェニフアー・カプリ アテイが来ていた。  ウィンブルドン大会を目前に、施設内の芝コート で、ひたすらドロップショットの練習に励んでいる 姿を目の当たりにした。  以後、思い入れを込めて注目していると、そのカ プリアテイ、バルセロナ五輪では、当時最強といわ れたシュテフイーグラフを破って堂々の金メダルを 獲得してしまった。  秋には、イギリスで開催された第二回ラグビー ワールドカップに出かけた。  世界一美しいといわれるカーディフのアームズ パークーラグビー場のタッチライン脇で観戦した ニュージーランド対スコットランドの三位決定戦。  互いの巨漢選手同士が生身でぶつかり合うド迫力。 骨の軋む音を間近で聞いた。結果は十三対六で ニュージーランド。  今年一九九二年はといえばI。  三月のラマダンーイードーホリディに、シシリー 島一周を果たしている。  映画『ゴッドフアザー』シリーズが大好きで、こ とに最新作『パートV』にすっかり魅了されていた 片岡の念願が叶った。  続いて六月のハジ休みには、昨年味をしめたホッ プマンアカデミーに再び出向いている。  リヤドに、強力なテニスのライバルが出現し、さ らに腕を磨きたい欲求にもかられたのだ。  新たに日本大使館に着任された大田弘特命全権大 使閣下こそ、その人。  年齢は片岡より、ひと回りは上のはずだが、東大 の体育会庭球部でならしたIという噂通りの腕前 だ。  ある時、片岡のプレーが、この大田閣下のお目に 留った。  それからというもの、毎週のように閣下とのシン グルスマッチで手合わせを求められるという栄誉に 浴したのだった。  「片岡さんはさ、何本も何本も同じ所に打ってき て、しつこいんだよな」  試合を終え、大使公邸で、シヤワーのあとこっそ り頂くビールのうまいこと(大使館は治外法権で、 アルコール類を禁じられることはない)。  夕暮れのテラスで大田閣下が、グラスを片手にい つも口癖ようにそう漏らすのだ。  片岡は、お言葉をそっくりそのままお返しした かった。  実は、大使閣下も、片岡も、おなじく『粘りのテ ニス』を信条とする似た者同士。大使からも同じ コースに何本でも返ってくるのだ。  違いは、そのラリー、どちらが一本多く返球した か、だけなのだから。  そして今一九九二年晩夏、こうしてUSオープン の観戦にニューヨークまで来ているのである。  そこに思いがけない石崎洋一の出現だ。  『電力担当駐在員として悔いのないよう、リヤド の任期を全うします。その後は、電力部門から離れ 全く違う部門の仕事に取り組んでみたい』  片岡は直近の自己申告書にそう書いて会社に提出 していた。  任地側の上司たちは、片岡の決意が固いこと知り、 すでに『身請け先』を探し始めてくれている。  そんな片岡を捕まえて、石崎は一体何を伝えた かったのか。  まるで解せないままに、ニューヨークでの残り日 程を過ごした片岡はリヤドに戻って行った。  『四月にお父さんが脳梗塞で倒れ、職場から慶應 病院に担ぎ込まれた。この対応が早かったので一命 は取り留めた。  あなたは、何も動揺することなく、職務に励むよ う』  そんな驚きの手紙が母・毬子から届いたのは、片 岡がリヤドの囗常に戻って間もなくのことだった。  転院を経てようやく自宅にも戻れたIという。  『障害が残り、ものを飲み下すことが、うまくで きないようだが、自分と佳子が世話をしているので、 くれぐれもご心配なく』と、手紙にはくり返されて いた。  全く古い、わが親たち世代の規範だ。  今生の別れとなるやもしれぬI  そういう覚悟をもって、息子を二度目の駐在地リ ヤドにも送り出しているのだ。  武運長久を祈り、じっと帰りを待つ。  これまで、父母そして姉からも定期的に手紙は届 いていた。むろん、片岡とてまめに返信を続けては いる。  しかし、未だ、お互いに国際電話を使うことはな かった。  このあたり、多少、時代から取り残されている片 岡家だったのかもしれない。  片岡は悔いた。  倒れたのは、五ヶ月も前だ。  何も知らされていなかったとはいえ、その間、自 分はニューヨークまで出かけて行って、のうのうと テニス観戦などしていたのだ。  何故、一度日本に帰ってみようと考えなかったの か。  両親には、もう何かあってもおかしくない年齢で はないか。  どうだ、この現実は……  迷わず、次の休暇となる十月初旬には一時帰国し 父を見舞った。  「足手まといになってすまぬ」  不自由な口元で呻くように声を絞り出すと、あと は涙にむせんだ、父、文匸  「あちらで大きなプロジェクトを進めていると聞 いていたので余計な心配をかけたくなかったのよ」 と、また同じように、母が引きとっだ。  片岡が一時帰国していることなど、どこで聞きつ けたのか。  一度会社に顔を見せてくれないか、一緒にメシで も食おうIと、森安大二郎から直々に電話があっ た。  が、片岡はきっぱりと斷っだ。  因果のほどはともかく、この父の一件で、片岡の 電力部門との決別の思いは一気に高まっていた。  一九九三年を迎える正月休みにも続けて囗本に 帰っている。  標準任期といわれる赴任三年目の年だ。  片岡もいよいよ四十歳を迎える。  父は、懸命のリハビリ、そして母と姉の献身的な 介助の甲斐あって、何とか日常生活をこなせるとこ ろまではきていた。  母は「もう、そう何度も日本に帰って来ないでい いから。最後の年なのだから、しっかり勤め上げな さい」と気丈に片岡を送り出した。  文一の様子を続けて見られたことで、多少の安堵 感も得た片岡、六月のハジ休みには再びヨーロツパ ヘと向かった。  まずはパリに飛び、全仏オープンテニスを初観戦 するのだ。  毬子の言に従ってIとは、単に遁辞に過ぎない。  『赤い悪魔』が棲むIという赤いアンツーカ コートの口圭フンギヤロス。  だ円形のスタンドを持つ、比較的小さなナンバー Iコートでシュテフイーグラフの初戦が組まれてい た。  至近距離で見るグラフ。  そのプレーのテンポの速いこと。  まだ格下の選手が相手とはいえ、ポイント間もほ とんど時間をかけない。  ほんとうに、あっという間の完勝。  それにしても、すごい人気だった。  プレーもさることながら、コートでの立ち姿の美 しいことといったら。  腰の位置が高く、  小股の切れ上がったいい女−  そんな言い同しが、ふと頭に浮かんだ。  パリからミラノを同ってローマに出た。  リヤドの同じコンパウンドに住まい、親交の深 かった三家族とここで合流したのだ。  修学旅行みたいですねI  片岡ばかりでなく、皆、それぞれ帰任の日が近い ことを意識しての『ローマの休日』だった。  八月には、これが最後の一時帰国−と、東京に 戻っていた。  是非会社に顔を出してくれよI  帰国中の自宅に、またしても、森安大二郎本人か ら電話が入っだ。  これ以上は斷れぬし、もう断るつもりもなかった。  翌日、片岡は本社に森安を訪ねた。  「どうしても、キミにやってもらいたいプロジェ クトがあるんだよ」  片岡を本部長室に招き入れると、森安大二郎は満 面の笑顔でそう切り出した。  「インドネシアで、UEとコンバインドサイクル 発電所を建設する案件があるんだ。ジャカルタとセ マラン、二件ね」と続ける。  そうだったのかIと、片岡は初めて合点がいっ た。  昨年の夏だ。  USオープンテニスを観戦に行ったニューヨーク で、思いがけず、石崎洋一から接触を受けた。  ホテルにやってきた石崎が一方的に喋った内容と 符合する。  あの時は、石崎の来訪の意図も解せなかったが、 やはり、森安の差し同しだったのか。  「なぜ、私なのでしょうか」  片岡は森安の目をみる。  森安も間髪を入れずに応えるのだ。  「キミの若い頃の、ガーつと頭から突っ込んでゆ く仕事っぷりが忘れられないんだよ」  この森安のひと言に、片岡の頭の中でヒューズが 飛んだ。  思いの丈を森安大二郎にぶつけるんだI  僕には、電力部門で成果をあげてきた、という自 負があります。  しかし、人事評定を見てください。  ずっと低空飛行です。  ダッカ、リヤドとドサ回りを繰り返した挙句、今 や、コイツは人並み以下−と、処遇されているの が現実なんです。  そうであるなら、僕も、もうこれ以上電機輸出部 に尽くす理由はありません。  人並み以下と評されているのに、それでもまだ、 電力の仕事を続けたいIと思う方が、むしろおか しいですよ。  スミヨシの中には、もっと、自分の能力を発揮で きる部門があるかもしれない。  もっと社会に貢献できる分野もあるはずです。  僕は、そういう考えで『自己申告書』を書いて、 人事に提出しています。  森安は、うん、うんと、ふたつ頷いた。  「キミが、人並み以下だなんて僕は思ってていな いよ。とんでもないことだ」  だけど、「普通なら腐ってしまう所なのに、キミ はまだ、自分の能力を発揮できるエリアがあるはず だIと、信じている」  僕はキミのそういう部分を買っているんだよI と、引かない。  「……」  森安は少し間を置き「キミの人事評定はモチロン 見させてもらったさ」と続けた。  そして「ダッカで相当×点をつけられてるな。誰 だ、その時の所長は、フクシマか?」と、眉をひそ めた。  「はい。いろいろあって……性が合いませんでし たから」  「その×点を、今もリヤドの津田所長は引きずら ざるを得ないんだな。それが会社の人事制度っても んだ。それぞれの上司が積み上げてきた評点を急に 良くしたり、悪くしたりは出来ない。津田さんも、 自分の人事権で、せいぜい×点を一つ消すくらいが 関の山だろう」  片岡は、こういったことに全く疎かった。  「だけどな、片岡君」  森安大二郎は、ソファーから身を乗り出した。  「キミがインドネシアのコンバインドサイクルを 引き受けてくれるなら、僕の権限で今までの×点は 全部消し去ってやろう。ま、ちょっと時間はかかる けどな」と、片岡の表情を探り  「キミのために新しい課を作って、その課長の席 を用意するから」  と、畳みかけた。  「……」  待っているよ、キミはやがては会社の中枢に駆け 上がる人材じやないかIと、森安は改めて相好を くずした。  それでも、無言で応接テーブルの向こうで対峙す る片岡に、森安大二郎は更なる止めを剌す。  「僕の申し出を受けてくれるなら、すぐに帰任辞 令を出すから」  北野玲子さんも待ってるんだろIと、妻の旧姓 を口にした。スミョシに勤務していた頃の片岡の妻 を知っているのだ。  話は済んだ、とばかりにソファーから立ち上がっ た森安。  「今晩、メシでも食おうや」と、またも誘い掛け るが「別の予定がありますから」と固辞した片岡。  「俺の誘いを、何度も何度も斷るのはオマエだけ だ」と、森安は片目でウインクを送ってきた。  この時、イエスともノーとも応えなかったのだが、 十月一日には辞令が出た。  『東京本社、電機輸出部勤務を命ず』  その日は大安たった。  2.気付き  湾岸戦争を挟んで足掛け四年住まったリヤドだっ た。  コンパウンドの住人たちは盛大な送別会を催して くれた。  テニスの憎きライバル・大田弘閣下は、最後の マッチを終え、残念だなIと、ネットを挟んで握 手の手を離そうとしなかった。  オメエも、いよいよ『発電』をやんのか、まあ頑 張れIと、星野新一は快く片岡の離任を許してく れた。  こうして一九九三年十二月初め、片岡はリヤドを 発った。  二週間の帰国休暇を過ごしたあと、片岡は、森安 大二郎率いる機電本部に着任した。  十二月も半ばを過ぎ、街にはクリスマスの電飾が 縊れ、その華やかさとは裏腹に、慌ただしく社員た ちが行き交うスミヨシの本社ビルは『師走モード』 全開だ。  まずは、沢井という若手社員から大雑把な案件説 明を受けたI  中部ジャワ複合火力発電所(Central Java Combined Cycle Power Plant略称cJcc)が 片岡が取り組むプロジェクトの正式名称だ。  このプロジェクトのうち、「プロッター」即ち第 一号発電所のガスタービン発電部分(四百メガワッ ト・MW)はスミヨシが先行受注し、いち早く建設 を完了。既に発電を開始しているという。  早期完工・早期発電開始という国家目標に資する べく、施主のインドネシア電力公社(PERUM) は、第二号発電所「ブッロク2」については、ガス タービン発電部分(四百MW)と蒸気タービン発電 部分(二百MW)を、一気通貫で施工する計画を打 ち出した。  一気通貫施工は、スミヨシにとっても初めての経 験となる。当然、納期遅延リスクを常に念頭に置き、 まずは慎重に契約条件をツメることが肝要だ。  年末を控えた今も、性能・工期・価格での合意を 目指し、東京からの出張者もジャカルタに張り付い て、鋭意、契約交渉を続けているのですI  こんなふうに締めると、沢井は、これが関連の図 書ですからIと、山のような書類を会議机の上に 並べた。  PERUMの仕様書や図面集、日々の契約交渉の 議事録、UEやBSBなどスミヨシのパートナーた ちの技術提案書等々。  読み込まなければ始まらないI  片岡は、そう覚悟を決めると、御用納めまでの毎 日、会議室に閉じこもって書類の山と格闘した。  年末年始の休みには、手提げの紙袋二つ分の議事 録を自宅に持ち帰り読み耽った。  ここ二、三年の正月休みとは様変わりだが、まず は案件の全貌を俯瞰したかった。  「貴職、二週間ばかリジャカルタに行って、契約 ネゴの様子を見て来いよ」  一九九四年が明けての御用始め。  森安大二郎は片岡に命じた。  貴職−。森安の『手駒』となった証だ。  森安は、自分が掌握している部下を、一律にそう 呼ぶのである。  片岡にとっては、丸十年ぶりのインドネシアヘの 出張になるのだ。  度肝を抜かれた。  ジャカルタ市内有数の歓楽街・ブロックMにほど 近いPERUM本社ビル。  大会議室では、後輩社員の新山義之、さらに年次 が下の仙道正樹が、PERUMの役人や客先側のコ ンサルタント[ランディーネルソン]のエンジニア を相手に、堂々と、商務条件の詳細打ち合わせを進 めている。  一方、別の分科会では技術仕様や工事工程のツメ が同時進行していて、こちらはUEやBSBが主導 しているようだ。  スミヨシージャカルタの電力部門は主席駐在員の 佐野明彦、次席に井戸忠行の布陣だ。  そして、かつては東京で片岡の上司でもあった有 島金吾が、事務所長として、二度目の駐在をしてい た。  ここに集っているのは、出張員も駐在員も、いず れもスミヨシ電力部門のエース格ばかりだ。  片岡の明らかな『気後れ』を見て取った佐野が言  「心配するなって。テキパキやってるようだけど、 ここにいる連中は、皆、先行していたジャカルタ湾 岸複合火力の契約交渉なんかを経験してるから…… このCJCCブロック2は、いわば『二番煎じ』な んだよ」  前例に倣ってやっているだけだよ。契約しちやっ てから、後で「シマッタ」と思った条件なんかもあ るからね。それを見直して、少しでも改善できない かってネゴしているのさI、と平然としたものだ。  例え二番煎じ、すなわち柳の下の二匹目のドジョ ウだとしても、一件四百億円規模の発電所建設の契 約ネゴを、後輩の新山や仙道たちが、UEやBSB のアメリカ人たちを従えて、はつらつと取り仕切っ ている様は、片岡にとって『衝撃』以外の何物でも ない。  さらに、ファイナンスは囗本の輸銀(輸出入銀 行)と米国輸銀のコーフアイ(コーフアイナンスの 略=協調融資のこと)さIと、関係者は皆、当た り前に言った。  古くから、インドネシアはスミヨシ電力部門の看 板市場だ。片岡も入社から七年間担当していた。先 輩諸氏が築き上げてきた伝統の重さは承知している。  しかし、片岡がダッカだ、リヤドだとドサ回りを 繰り返していたここ十年余の間に、インドネシアの 電力ビジネスは一層高度かつ洗練されたものに進化 していた。  −それぞれの任地で、過去最大級の案件受注を 記録してきたぜ。エグい客先との交渉を経て、契約 をまとめあげてきたんだ。  そんな自負が片岡にもあったのだが……一瞬でど こかへ消し飛んだ。  ここは『メジャーリーグ』だ。  一流のプレーヤーが集まり競い合っている。  俺も少々実績を上げてきたIと、鼻高々だった が、あれは、所詮『マイナーリーグ』でのことだっ たのだ。恥ずかしい。  片岡は、自分がいかに『井の中の蛙』であったか、 嫌というほど思い知らされた。  森安大二郎、その人についても認識を改めねばな らなかった。  いつでもどこでも大風呂敷を広げる森安。あれを 全部畳んで同る配下のひとたちは、さぞかし大変な ことだろうI  その程度にしか思っていなかった。  とんでもない話だ。  国際競争入札が当たり前で、電力業界では、あり 得ないはずの発電所建設の随意契約商談。それを仕 掛けて、がっちりと掴み取る。  しかも一件では満足せず、さらに一件、今またも う一件と、あくまでも貪欲に次を狙っている。  敬意を通り越して脅威を感じる。  一から勉強し直さなければ、とても『エース』た ちについて行けないI  片岡は、素直にそう思ったのだった。  ジャカルタで、ほんの初日を過ごしたばかりで。  連日、スミヨシのメンバーだちと共にPERUM との契約ネゴに出席した。  各分科会のアジェンダ(議題)ごとに、予め佐野 明彦が各員に担当を割り振り、各々がそれをカバー する。  片岡は、まだ、スミヨシにとっての利害を判断で きるレベルにはない。  まずは、担当分科会に出席している各人が、何を 根拠に、何を主張しているのか、を知ろうとした。  商談の規模が大きいので、プレッシャーがかかる。  片岡が何より恐れたのは、知ったかぶりで不用意 な発言をしてしまって、相手に言質を取られること だった。  どの分科会でも、敵味方双方の言い分をひたすら 聴くことに専念した。  そして、一日の会議を終え、事務所に戻ると、内 容をまとめて報告書を作ってば、本社側にファック スするのを日課にした。  出席者の発言内容をよく聴いているとはいえ、報 告書にするには、周辺事情やこれまでの経緯を自分 なりに調べ直す必要もある。  この『日報書き』は、片岡にとって格好のトレー ニングになっていた。  一週間も継続すると、受け取る本社側から、分か りやすいよI、と反応があり、励みになった。  後輩社員だちから「あれを密かに『片岡新聞』と 呼んで、皆で楽しみにしていました」と教えられる のはずっとあとの事であった。  事務所でも、投宿先のホテルでも、片岡はとにか く書類という書類を読み漁った。  特に、先行したジャカルタ湾岸複合火力(Jakarta Gulf Coヨbined Cycle Power Plant ・JGccと 略す)契約ネゴ時の膨大な議事録は『バイブル』と いえた。  PERuMとスミヨシ双方の主張ポイントが挙げ られ、そのうち何か受け入れられ、何か却下された のか、その交渉の経緯も記録されている。  また、UEやBSBがスミヨシに出してくる文書 も要注意、であった。  なんとなればI  彼らが主導している技術の分科会で、PERUM 側から新しい要求が出ることがある。  そういう時にはUEやBSBは適時スミヨシに通 知してくるのだ。  それは、「これを呑まされると、結果として、価 格がいくら上昇する」とコストーインパクトを見積 もったものであったり、あるいは、「納期や工程に どれだけの影響が出る」とスケジュールーインプリ ケーションを知らせるものであったりする。  こういうカネや時間に関わる重要事項が、さらり と書かれている文書を見逃すわけにはゆかないのだ。  書類を読めば読むほど、そうすることで核心に近 づけば近づくほど、この案件の奥の深さを感じ、片 岡は、ぞっとさせられた。  また一方で、入社して二十年近く経っていながら、 今初めて出会うターミノロジー(特殊な用語法、専 門語)も多いのが新鮮でもあった。  片岡はそのひとつひとつに、なるほどIと感心 させられたり、えI、と面喰ったりしていた。  あっという間に三週間が過ぎていた。  相変わらず、PERUMとの会議では、何も発言 できずにいる片岡。  事務所に戻ってからのスミヨシのメンバーでの総 括ミ上アイングですら、何も解っていないのは自分 だけだIと、トラウマでまともに意見も言えない。  ここを乗り越えてゆくために、と、じっと皆の発 言内容を反芻し、事務所でも、ホテルに帰ってから も、関連書類のページを繰る毎日が続く。  出張は三ヶ月になんなんとしていた。  オマエやってみたらI、そう佐野明彦に促され、 この日のアジェンダ(議題)である『支払い条件』 のネゴをしようと、片岡はひとりPERUM本社に 来ていた。  指定された会議室で待つが、三十分、そして一時 間が経過しようというのに、一向に先方は現れる気 配がない。  今日の会議はキャンセルされたのかIと、不安 を感じ始めたころ、談笑の声が廊下に響いた。  [ランディーネルソン]のプロマネ、アーメッド がPERUMの若手たちを従えて、涼しい顔で入室 してきた。  と、すぐに今までの笑顔を引っ込め、キョロリと 片岡をねめつけた。  −コイツは何も言わず、いつも黙って座ってい るだけの奴……  正面に控える片岡を見据える双眸がそう語ってい る。  遅参を詫びることもなかった。  「スミヨシの新たな提案内容は、一切認められな い。全ての支払いは、契約済みのジャカルタ湾岸火 力と同条件で行う」  席に着くなり、アーメッドはインド訛りの英語で 嘲笑うかのようにこう言い放った。  一瞬で頭の中の瞬間湯沸かし器が点火した。  眠っていた反骨心が一気に腹から込み上げて来て、 それが言葉となって、ポツと、片岡の口からこぼれ 出た。  「本件では、新たに米国輸銀からのファイナンス も加わっております。ですから、その融資条件も加 味して……」  「そんなことは百も承知だ」  お構いなしにアーメッドは片岡を遮った。  「JGCCで合意している支払い条件を変更する 理由は何もない。スミヨシの新提案など検討に値し ないIと、言っているんだ」  言い終わらぬうちに席を立とうとする。  −ちっとも、説明になっていない。  アーメッドの物言いに、思わず片岡も立ち上がっ た。  「あなたの独断で、重要な契約条件が決定される のはフェアではない」  自分の久々の大声に励まされ、さらに続けた。  「しかも、こちらには全く説明の機会すら与えな い。あなたのやり方は一方的過ぎる」  最後は、相手の面前に人差し指を突きつけていた。  眼を剥いたアーメッドは、そのまま退室してし まっだ。  「やったんだってな」  事務所に戻った片岡の顔を見ると佐野明彦は、そ この会議室に入れよIと、促した。  既にクレームの電話が入っていたようだ。  「片岡君な、どんなことがあっても、相手に指を 突きつけて、ワーワー怒鳴ったりしちや駄目だぜ」  特に外国人は、そういう相手のボディ圭フングー ジに敏感だからさIと、煙草に火をつけた。  片岡は「すみません」と、うなだれるしかなかっ た。  佐野が、PERUMの関係者やアーメッド本人に、 「アイツ、若気の至りで……」と、とりなしてくれ たようだ。  確かに、三日後には改めて『支払い条件』のミー ティングがセットされた。  今度は時間前に会議室に現れたアーメッド。  片岡は素早く歩み寄った。  丁重に過日の非礼を詫び、握手の手を差し出すと、 軽く触れるように握り返してきて「今日は、PER UM側からも責任者が出席しますので、少々お待ち を」と、冷静に言った。  片岡も着席した。  「スミョシの『若手』が、支払い条件を打ち合わ せさせろIと、張り切っているって聞いてるけど。 あなた?」  書類の束を胸に抱えて会議室に現れたのは、なん と、ミセスーブリーであった。  「あまリヤングではありませんが……」と、片岡 は頷く。  「先囗はごめんなさいね。忙しくて、全然スミョ シ案を読めてなかったのよ。今日は大丈夫。もう頭 に入っているから」  真正面の席に腰を下ろすと、改めて、片岡の顔を まじまじと見つめ「あれ? あなた、どこかでお会 いしてるわね、違う?」と続けた。  「はい。カモジヤンのフアイナンスーネゴでお会 いしています。もう、十年以上前になりますが、ミ セスーブリー」  一九八〇年のことだ。  ジャワ島東部、バンドンからさらに南下した地熱 地帯カモジャン地区にインドネシア初の地熱発電所 を建設することが決まった。  当時のスミヨシは地熱案件の経験も、むろん実績 もなかったが、将来への布石とするべく、同発電所 の建屋鉄骨や付帯設備の納入契約を日本輸銀の延べ 払い融資付きで請け負ったのだった。  片岡は先輩駐在員・佐藤栄一と共に、その融資条 件を巡って、当時のインドネシア大蔵省の名物女性 官僚、ミセスーブリーとの交渉にあだったのだった。  「ああ、カモジャンね。あの建設中にガルングン 火山が二度くらい噴火したわよね。灰が大量に噴き 上げられてジャカルタまで飛んできたのよ……百五 十キロくらいあるのに」  電力不足の解消を謳い文句に、既に、PERUM は大型発電所の緊急買い付けを開始している。  その資金的裏付けを明確にする為、ミセスーブ リーも急遽大蔵省からPERUMの財務部門に出向 が決まり、早速対応に当たっているのだった。  さあ、始めましようかI  ミセスーブリーは、イエス、ノーがはっきりして いた。  冒頭、本人が口にした通り、『支払い条件案』に は、しっかり目を通し検討を済ませたようで、片岡 からの項目ごとの説明をまずはゆったりと聞いた。  その上で、スミヨシ側か要望するポイントに疑問 があれば、適切に質す。  会議は極めてスムーズに進んだ。  「これで、米国輸銀の方も大丈夫かしら」  「はい、本日当事者間で合意した内容を、すぐに 彼らのVerification(妥当性の確認手続き)に回し ます。これは形式的なものですので、さほど時間も かからないと思われます」  そう片岡が答えると、「あなたとのお話はいつも スムーズね」  あとはよろしくIと、ミセスーブリーは悠然と 席を立ったのだった。  ひとり、アーメッドだけが苦虫を噛み潰したよう な顔だ。  冒頭のミセスーブリーと片岡のやり取りで、もは や自分の出番はないIと、悟ったようだ。  もともと、メカニカル(機械系)エンジニアだ。 ファイナンスや支払い条件などは門外漢のはず。  では、先日の「検討の余地なし」発言は何を根拠 に出たものだったのか?  この会議が分水嶺だった。  それからの片岡は、正に、立て板に水。  これまで、PERUM側スミヨシ側双方が折り合 わず、結論を先送りにしたままの事案がいくつも あった。  「チェンジーオブーエアーつて言うだろ。人が変 わると、気分も変わって、うまく転がるかもしれん ぜ」  片岡君やってみろよIと、今度は井戸忠行が持 ち掛けた。  片岡はいくつかの未決事案に取り組むことになる。  従来のやり取りに捕らわれず、新たな角度から問 題点を見直すことが出来るのは、なるほど、今まで は全くの『黒子』に過ぎなかった片岡だ。  苦しみながらも妥協点を見出して、一件一件、合 意に持ち込んでゆく。  不思議なもので、難題をひとつ解決すると、次の 事案の解決策も薄っすらと浮かんで見えるような気 がしてくる。  前回はコチラが譲ったんだから、今度は、アナタ の方が歩み寄ってI、そんな雰囲気も醸成されて くる。  そうすると、これもまた解決だ。  絶対にダメ’・ と睨み合って、いつまでも膠着状 態を続けるより、みんな、ひとつひとつの懸案事項 に結論が出て、片付いてゆく方が楽しいのだ。時間 も無駄にならぬし。  解決しない問題はないI  これは、片岡の信念となった。  皆の発言に静かに耳を傾けては、膨大な量の書類 を次から次へと読み込んだ。  そうして、少しづつ知識の裏付けを貯めてゆくと、 今まで聴いてきた話に、改めて、意味や価植が付加 されて行くようだった。  何とか、ここに集うメジャーリーグープレイヤー のレベルに近づこうIと、もがき続けたこの三ヶ 月。  −夕ヶソウだった。  田舎者で、ただの荒くれだった夕ヶソウ。  見かねた沢庵和尚に、姫路城の天守閣に幽閉され てしまう。  夕ヶソウはそこで、和漢の書物に触れた。それか らというもの、読書に明け暮れ、万巻の書を読み尽 くし、精神修養を重ねてゆく。  そして三年の月日が流れた。  天守を降りた若者は、叡智の光に縊れ、眼光鋭く、 悟りきった顔つきに変貌していた。  剣聖、宮本武蔵として生まれ変わったのだ。  片岡はこの三ヶ月を、武蔵の姫路城天守閣籠りに 例える。  ジャカルタでの初日。  この仕事の難しさを直感した。  と同時に、じやあ、イチから勉強し直さなければ ならんIと思えた自分がいた。  それからの三ヶ月間。  それを実行できた自分自身に、片岡は、小さな自 信を取り戻せた気がした。  一九九四年第一クールの契約ネゴは終了した。片 岡も、ジャカルタ滞在九十日で、一旦日本に帰国し た。  囗本のゴールデンウイークなど全く顧みず、PE RUMは四月末に契約ネゴの第ニクールを招集した。  昨年秋から開始された一連のミーティングを経て、 主だった商務条件、技術要求、性能条件、は固まり つつあった。  目指す契約の要諦は見えている。  それでは、適正なプラントの価格はいかほどか、 最短工期はどれほどか。  価格と工期。  これが今後の交渉の焦点となってゆく。  随意契約の価格交渉は、過去の同種・同規模の発 電プラントの契約金額を『正』とみなすところから 始まる。  まず、その発電所の契約時期から今日までの物価 上昇率を加味する。  次に、仕様や性能条件が高級化している部分につ いては、そのインパクト(影響度)を理論的に算定 し価格に反映させてゆく。  このようなステップを踏んで、プラント全体の適 正価格を売り手と買い手の双方が追及してゆくので ある。  中部ジャワ複合火力発電所(CJCC)の出力は 六百MWで、一系列三百MWの発電システムを二つ 並べた二系列で構成される。  しかし、一系列分の適正価格がはじき出されたか らといって、それを単純に二倍したものが、全体プ ラント価格になるかIと、いえば否。  『工業係数』という概念が導入されるのである。  同一発電システムを二系列分、製造、建設する場 合、そこに『スケールメリット』があるはずだ、と。  即ち、一系列分の価格X二ではなく、理論的には、 掛ける『一・八八』とか『一・八九』とかになると いうのだ。  一個百円の石鹸、二個セットの価格は百八十八円 ですIと、いうようなものか。  ことほど左様に、第ニクールのネゴは、理論闘争、 もっと言えば、仮定や仮説に基づく『机上の空論』 合戦といえた。  Hypothetical(推測に基づく)なんていう英単語 が飛び交う。受験英語にしか馴染みのない片岡には 驚きだ。  英単語ばかりではなく、片岡にはピンとこないよ うな概念も持ち込まれる。  ネットープレゼントーヴァリュー?  えっ? 正味現在価値冫。冫。  「将来獲得するおカネの現時点における価値です よ」  「?  冫・    ?」  六年次も下の仙道正樹に耳打ちされても、ますま す混乱するばかりの片岡だった。  六月末、第三クールに入ると、片岡の視野も広 がってきた。  主要機器を製造するUEやスミヨシの『インハウ スーエンジニア』を務めるBSBのメンバーたちの 動向にも目が向くようになる。  住吉商事は、PERUMに対してプライムーコン トラクター(主契約者の意味)の立場をとるが、所 詮は総合商社。独自に技術力を備えているわけでは ない。  cJcc規模の大型発電所のEPc(Engineering 設計・竚o・耳・ヨ回{調達・ Construed呂建設}を手掛 けるには、専門家集団を雇い入れ、技術面全般およ び工程管理面で、適時適切な助言を得ることが必須 である。  BsBは、先行するジャカルタ湾岸火力(JGc c)に続いて、この中部ジャワ複合火力(cJc c)でも同様にスミヨシのインハウスーエンジニア の役割を担い、かつ水処理施設、配管など『補機』 類の供給を担当している。  BSBのインドネシアでのオペレーションを取り 仕切るのは、身長ニメートルの巨漢、ジョージーオ ニール。  JGCCの受注を機に、本格的にジャカルタに乗 り込み、駐在を始めている。  その右腕。ジョンーガスリーはCJCCの専任と なる。アメリカ人ながら、インドネシア駐在歴が長 く、まるでアジア人のような物腰でPERUM本社 内を動き回り、情報収集に余念がない。曲者だ。  一九九四年八月。  中部ジャワ複合火力発電所(CJCC)の新規建 設を巡るPERUM・住吉商事間の長い交渉がよう やく決着した。  総額三百七十五億円、工期三十一ヶ月で合意に達 したのだ。  年始早々、二週間ばかりIと、森安に促され参 加した契約交渉だったが。  結局、片岡のジャカルタ滞在日数は、延べ百六十 日を超えていた。  苦しかった第一クールは、まさに九十日間に及ぶ 『苦行』であった。  しかし、その甲斐あって、今の片岡は、案件全体 を見渡すことのできる、スミヨシーチームのキー・ プレイヤーのひとりに成長していた。  「貴職がプロジェクトーマネージャーだからな。 完工まで頼むぞ」  東京に戻った片岡に、森安大二郎は、そう、命じ た。  いつまでも、新山義之や仙道正樹たち若手のエー スが、片岡を支えてくれるわけではないのだ。  森安の次なる狙いは、EPCから一歩進んで、発 電事業への参画であるのだ。  中部ジャワの、古くは木工で栄えたジェパラ地区 に、大型の石炭火力発電所を建設し、その電力をP ERUMに売電するIPP(I乱召e乱ent Power Pr乱ucer独立発電事業者)を画策していた。  新山や仙道は、すでに森安によって、このジェパ ラーPP要員として召し上げられている。  片岡は独自にCJCCのプロジェクトチームの編 成を考えなければならなかった。  『キミのための新しい課』は、森安が作ってくれ る、というわけではなさそうだ。  今のところ、この四月に入社してきた新藤浩二だ けが、片岡に預けられた唯一無二の『手勢』である。  佐野明彦も、このCJCCの受注を機に、ジャカ ルタ駐在の任を解かれ、本社の電力プロジェクト第 一部長に就任した。佐野の就任を機に部名もI新し ている。  これまでは、森安が本部長と兼務しながら、この 席を佐野のために温めていたのだった。  「片岡君さ、もう一度契約ネゴに行ってくれよ」  新任部長の佐野が言った。  ジャワ島の電力不足の急場を凌ぐためにI  これを錦の御旗に、PERUMはスミョシに特命 商談を持ち掛け、まずは、ジャカルタ湾岸複合火力 発電所(総出力六百MW・総契約金額四百億円)の 発注を決めた。  さらに、露骨にUEを後押しする米国政府の圧力 を受け、中部ジャワ複合火力(CJCC)のうち第 一発電所のガスタービン発電部分(四百MW・百五 十億円)を先行発注していた。  現在、CJCC第一発電所は四百MWのガスター ビン発電を続けている。  これに蒸気タービン発電二百MWをアドオンして コンバインドサイクル化すれば総出力を六百MWま でアップすることが出来るのだ。  一旦は中断していたこの『アドオン』の特命商談 を再開したいIと、PERUMは急遽スミヨシに 招集をかけてきたのだという。  これにより、PERUMは発注したばかりの第二 号発電所(ブロック2)の建設と、第一発電所(プ ロッター)のアドオン丁事を同時並行で進める意向 なのだ。  双方が完成すれば中部ジャワに合計千二百MWの 発電拠点が新たに誕生することになる。  「俺も帰任したばかりだし、今までやってた新山 君や仙道君たちも、すでにジェパラーPPにかかり 切りだから……キミしかいないんだ。ジャカルタの 井戸君と一緒に、これもまとめて来てくれよ、頼 む」  キミしかいない、  余人をもって代えがたし  これは部下を便利重宝に使おうとする『上のヒト たち』の決まり文句だ。  それは分かっているのだが。  大恩を受けた佐野明彦がいうのだ。  片岡は二つ返事で引き受けた。  このプロッターアドオンの特命契約交渉では、ブ ロック2契約の蒸気発電部分(スチームーサイクル という)を『適正な先例』とみなした。  これを基準値として価格や工事期間をネゴしてゆ くのだから、もはや、井戸にとっても片岡にとって も、お手の物だ。  契約諸条件の交渉もスムーズにまとまり、続いて、 先例に基づき、理論的な最適価格を、はじき出して 提示した。  −もうちょっとまかりまへんか。  そうせびるPERUMの顔を立て、スミヨシ側か 多少価格に色を付ける『儀式』を経て、双方最終合 意に至ったのであった。 こうして、 OCJCCプロッターアドオン契約 二九九四年十月締結)  契約金額 二百二十五億円  契約工期 三十ヶ月 これに先立つ、 OCJCCブロック2契約 二九九四年八月締結)  契約金額 三百七十五億円   契約工期 三十一ヶ月(一気通貫建設)  二件合計六百億円の契約が成立した。  今後、インドネシア政府及び日米両政府の承認手 続きを経たのち、正式に契約の履行がスタートする ことになる。  これからは、仮説や理論ではない。  リアルなEPCワールドに突入してゆくのだ。  片岡は心構えを新たにしていた。  片岡がプロッターのアドオン契約をまとめて帰国 すると、すぐに本部長室に呼ばれ、森安はこう口火 を切った。  「貴職、直ちにSJBに出向してくれ」  スミヨシ重電貿易、通称SJB。  スミヨシが全額出資する重電プラントに特化した 専門商社である。  森安は、スミヨシの電力部門とSJBが相互補完 しあえば、必ずや今後の電力EPCビジネスの拡大 に繋がるIとの考えの持ち主ではあった。  −えっ、『キミのための新しい課』は? 『課長 の席』は?  いきなり出向とは、話が違うじやないかIそう 訝る片岡に森安は続けた。  「佐野君がな、SJBの村西と増保に面倒見ても らった方が良いって言うんだよ」  村西庄助、増保達夫。  いずれもSJB創立当時からの功労者だ。  村西で片岡より一回りくらい、増保は五〜六歳、 年長というところか。  森安大二郎が何かと取り立ているふたりである。  村西は、JGCCのアドオン丁事責任者として現 在ジャカルタの現場に赴任している。  一方の増保は、そのJGCCとCJCC・プロッ ターの双方のガスタービン発電部分(ガスーサイク ルと呼ぶ)の現地工事を立て続けに監督してきた。  そこでの無理が祟って体調を崩した増保なのだが、 森安は『名誉の負傷』と遇したという。  合計六百億円。  二契約同時進行。  うち、ブロック2はスミヨシにとって未経験のコ ンバインドサイクルー気通貫工事をこなさねばなら ない。  建設現場(サイト)は、中部ジャワ、セマラン地 区の海岸沿いに隣接していて、とても狭いのだと聞 いている。  簡単なEPCではないことは確かだ。  それを、ポンと片岡ひとりに任すのも、なんだか なIと、いうところか……  「佐野君が……」なんて言っているが、森安の本 音でもあるに違いなかった。  現場経験のある増保が東京側で、村西はインドネ シア側から、それぞれ『お目付け役』として片岡に 教育的指導を施すのである。確かに、森安や佐野た ち首脳陣の懸念も大幅に軽減されるに違いない。  −本社、課長のポスト。  こだわりも、未練もある。片岡も、四十を超えて いるのだ。  しかし、その反面、ようやくまとめ上げた契約条 件を思う存分駆使してみたい。CJCCのインプリ メンチーション(契約履行活動、インプリと略す) に打ち込んでみたいのだ。  この手で、発電所をつくり上げてみたかったのだ。  森安が、秘書に声をかけると、間もなく、三人の 男子が次々に本部長室に入ってくる。  まずは、新藤浩二。この春の新入社員だ。  続いて、沢井淳。東京への着任直後に片岡に案件 概要をしてくれた彼だ。  あの時は面識がなかった。聞けば、片岡のリヤド 駐在中に、経理部からジャカルタでのトレーニーを 経て電力部門に転属になったのだという。  最後は、機械プラント部の入社三年目、竹下英輔 だったのだが。  「?」  本人、何故自分がこの場に呼ばれたのかIと、 まだ狐につままれたようにキョロキョロしている。  貴職で構わんのだIと、一喝した森安が、その まま続けた。  「貴職らでチームを作って、中部ジャワ複合火力 発電プロジェクトのインプリをやってもらう。プロ マネは片岡。場所はSJB。出向辞令は『後付』で 準備するから、すぐに異動準備してくれ。先方の人 事部長も承知している」  もう、増保が貴職らの席も確保し、女性アシスタ ントも揃えている。以上−と、森安大二郎はソ ファーから立ち上がった。  ドアまで進むと振り返りざまだ。  「あとは、よろしくね」  皆にウインクを送ると、さっと退室してしまった のだった。  森安の決めゼリフに決めポーズ。  毒気に充てられた片岡ら四人。 お互いの顔を見合って、しばし本部長室に佇んだ。  3.始まり  この時代、総合商社はとかくマスコミに叩かれが ちだった。  むろん、もう『買占め・売り惜しみ』で、世論を 敵に同すようなことはない。  しかし、『悪徳』というレッテルはそう容易くは 剥がれるものではない。  商いがますます大型化してゆく商社。  今や、国税庁に狙われていた。  パイは大きいのだ。ここを税収基盤にせんIと ターゲットに定め、脱税容疑をかざして厳しく迫っ てくるのである。  すわっ、巨額脱税かIと、マスコミ各社が大見 出しにしてそれを煽る。  そういう構図だ。  六百億円の契約をまとめ上げた片岡たち。  次に、細心の注意を払わなければならないのは、 この契約に関わる『代理店』への役務手数料の支払 いであった。  これこそ国税当局の最大の関心事。  まかり間違えば、世間を騒がす格好のスキャンダ ル材料になりかねない。  社内外、どこからも後ろ指を指されることのない 万全な処理が求められる。  これを完璧にこなした上で、片岡たちは、心置き なく『インプリ』に取り組みたいのだ。  スミヨシの受注活動に側面で協力するのが代理店 だ。彼らが日々行うロビー活動や情報収集によって、 スミヨシは受注に向けての舵取りを万全なものにす る。  こういう代理店の『役務』の積み重ねが見事受注 に繋がれば、成功報酬として、相応の役務対価を 『手数料』として支払うのである。  万一、役務内容に比し、その手数料額が法外に高 額であったりすると、国税当局は黙っていない。即、 ターゲットとしてロックオンされてしまう。  「そんな高額な手数料は『会社経費』としては認 められませんよ。交際費として課税します」という のが最初の一歩だ。  いや、これはあまりに高額だ、となると  「この金額の一部は『使途不明金』と見做します」 と、くる。  さらに酷く高額なものはどうなる?  「これは違法性が極めて高い、『秘匿金』と認定し ます」と。  次々にハードルを上げて追い立ててくるのだ。こ うなると「重加算税」の追加徴収は免れない。  さらに、おまけが付いてくる。  意図的に巨額脱税を図ろうとした極悪人−、で あるかのように、マスコミがセンセーショナルに報 道するのだ。  そうなれば、企業としては大失態だ。  だから、各社の主計、財務、経理部門は総力を挙 げて国税当局に対し抵抗を試みる。  もともと、手数料額が高いか・安いか、提供され た役務や情報が対価にふさわしいものか、否か。こ れらは極めて主観的なものだ。  しかし、食い下がったところで、落ち着く先は、 国税側と企業側の「見解の相違」のひと言だ。  これは国税側の勝ち、ということなのだ。  重加算税は、国税の『見解』通り、国庫に持って ゆかれてしまう。  言うまでもなく、スミョシにあっても、代理店手 数料支払いに関わる社内稟議は極めて厳格である。  営業部からの申請に対し、経理部、財務部、主計 部さらに審査部が合議の上、決裁し、さらにトップ に上申する。  まさに、水も漏らさぬ社内体制が敷かれている。  稟議の起案は営業部にとって大仕事だ。  受注までの経緯を振り返り、その説明書を作成す るのだが、匸冐一句吟味され、誤解を生むような表 現や言葉使いは徹底的に排除された文面が練られる。  そして、代理店の役務を示す確証類を集めて、そ れもまた一枚一枚睨んで取捨選択されたものが、説 明書に添付されるのである。  ゆめゆめ『仮想敵』である国税に隙を見せてはな らないのだ。  こうして出来た『営業部原案』は、まずは担当経 理部に持ち込まれる。  そして、営業・経理双方で読み合わせ、記載され た代理店の役務提供を裏付ける確証が質・量ともに、 適正に存在するか、皆の目で照合してゆく。  担当経理部のOKが出るまでこの作業と修正は繰 り返される。時間も相当必要だ。  こうして経理部の『お墨付き』を得て初めて、正 式な社内稟議書として関係部署への回付されてゆく ことになる。  CJCC第二号発電所(ブロック2)の契約がま とまった八月末、片岡は、いち早く、この『営業部 原案』のドラフト(草稿)を作成する実務方に沢井 淳を指名した。経理出身の沢井であれば、きっと相 応の下準備してくれるさIと期待を込めてのこと だ。  佐野に片手拝みされ、急遽、プロッターアドオン の契約交渉に駆り出されたのが、ちょうどこの時で、 片岡は、すぐにジャカルタに戻らねばならなかった。 留守中に、沢井が稟議書の素案を作ってくれれば大 助かりだ。  一ヶ月ほどで帰国すると、ドラフト出来ています からIと、沢井が歩み寄り「一度、目を通してく ださい」と、まだ何枚かの付箋の残る書類束を片岡 の机に置いた。  ほう、出来たかI  しかしそのあとも、プロジェクトの立ち上げで多 忙を極め、この草稿を通覧出来ずにいた。  すると、沢井は日々苛立ちを募らせ、ついには 「あなたは、この稟議の重要性を理解していない」 と、眉間にしわを寄せ、噛み付いてくるのだった。  冗談じやない、じっくり読んでみたいだけさI、  しかしこれは言わずにおいた。  ようやく沢井の草稿に取り掛かってみると、とて もとても……経理出身者の作成したものとは思えぬ 残念な出来であった。  それからの数日間、片岡は、ひとりSJBの会議 室に籠って沢井のドラフトに大幅な手直しを加えた のだ。  −ああ、経験不足なんだな。  片岡自身は、今までに小口の契約ながらも同種の 実務を何件か経験して来た。金額が大きかろうが小 さかろうが、この代理店手数料に関する社内稟議の 手続きは一緒だ。  きっと沢井に隕っだことではない。  チームのメンバーは皆、若い。  これから、ひとつひとつ指導し、実務経験を積ま せることが肝要だ。  そんな思いを強くした一幕であった。  ともあれ、多くの関係部署を通り、いくつもの決 裁印を集め、社内稟議は裁可を得たのだった。  みんなで渡れば怖くないIと、どこかから聞こ えてくるようだった。  インプリ突入までには、もうひとつ越えねばなら ない山がある。しかも険しい。  これまでの施主PERUMとの契約交渉を通じて 次々に出された仕様・性能・工期などの変更要求は、 そのすべてが下請け各社に、繋ぎきれているわけで はない。  敢えて解決を先送りしてきたコストーインパクト (価格への影響)やスケジュールーインプリケー ション(工程への影響)もある。  いよいよ、各社との間でペンディング(未決事 項)を一掃し、下請契約を完全なものに仕上げる必 要があった。  負担すべき追加コストは負担するI  主契約者として、そう腹を決めて、保留にしてき た事項に明確な収拾策を示さねばならぬ時だ。  こういうステップを経て、PERUMとの『本契 約』と各社との『下請契約』、即ち上下の契約領域 をバランスさせておかなければ、結局スミヨシにリ スクが残ってしまう。  契約履行中に、いずれの下請け社にも繋かってい ない所掌範囲(ギャップ・の心という)が判明する と、そこで一旦仕事が中断してしまう。  仮に、ギャップになっていたのが『ある資材』だ とする。今から、その資材を手配するのだから、当 然時間がかかり、工程の遅延を引き起こすのだ。  一九九四年の十二月初め。  片岡は下請け全社の責任者たちをジャカルタに招 集した。  中旬を過ぎると、欧米人らの、クリスマス休暇の 移動ラッシュがピークを迎え、飛行機の便の予約も ままならない。かといって、年明けまで先延ばしに したくはなかった。  ジャカルタの経済の中心、シディルマン通りを見 下ろすスミヨシマスータワーは住吉商事が所有する オフィスビルだ。  十九階の大会議室に集合したのは次の通り。  UE  ケイトーダナンスキー  BSB ジョージーオニール      ジョンーガスリー  AHI(オーストリアンーヘビイーインダスト リー。HRSG担当)      マイケルーワインバーガー  太平洋コンサルタント(土木・建設担当)     丹下正蔵     泉川剣吾  芝浦プラント丁事(据え付け工事担当)     正力富男     山田元  スミヨシーニューヨークからは石崎洋一が駆け付 けた。引き続き、対UE、BSBのHO、(ヘッド クォーター・本社部門)に、睨みを利かせてもらわ ねばならない。  片岡とは、あの一九九二年の夏以来だ。  「カタオカかうまくはまった。おれの読み通り だったろIつて、森安さんが喜んでたぜ」と、石 崎は再会の握手の右手を大袈裟に揺すった。  佐野明彦帰任のあと、ジャカルタ側の主席を務め る井戸忠行は、この会のホスト役を自認しており、 片岡には、SJBの増保達夫と、沢井淳が随行して いる。  遠路の足労に謝意を表し、簡単な開会の辞を述べ ると、片岡は早速本題に入る。  「上」「下」の契約のあいだに齟齬・逸脱・アン マッチがないかI、それこそが片岡の最大関心事 だ。  ギャップがあればすぐ埋める。  そう心に決めていた。  PERUMとの最終価格交渉に入る直前の七月に、 下請け各社からは、それぞれの所掌と業務分担を踏 まえた見積金額の提示は受けている。  しかし、こうして各社が一堂に会し、お互いが業 務分担の細部を議論しだすと、全く、と言っていい ほど噛み合わない。  それはそうだ。相互に利害が異なる。それぞれが、 自分にとって都合の良い解釈をするのだから。  PERUMからの追加要求の一つ(敷地フェンス 延長要求であったが)を片岡が取り上げ、太平洋コ ンサルタント(通称ダイコン)に、わずかな区間の 延長なのだからIと、現行の見積価格内で吸収す るよう求めた時だった。  泉川剣吾が、まさしく、据わった『武芸者』の目 で「スミヨシさんにご提示した見積金額にはそのよ うなスコープは(業務範囲)は一切含まれておりま せん」と、静かに、しかし切り捨てるように言った。  ダイコンのプロマネ・丹下正蔵は、呆れ顔の片岡 には目も合わせようとせず、泉川の隣席でパイプを ふかすばかりだ。  この泉川の日本語の言い回しを、まるで、そのま ま理解したかのように、BsBのオニールが続いた のだった。  予備ポンプの追加要求を片岡に振られると、紋切 り型の口調で言い放った。  「My current quotation does 呂t include such a scope=わが社の現行見積にはそんなス コープは含んでおりません」  それは流行語になった。  会議初日は、各社の責任者だちから、泉川を模し た返答がしかも、同じ抑揚でくり返され続けた。  二日目、そして三日目。下請け各社の『反逆』は 続いた。  スミヨシの足元を見ているのである。  もう、PERUMとの「上」の契約は決まってい る。契約工期の起算も始まっているのだ。  今更後戻りできない発注主スミヨシとの交渉だ、 安易に妥協などする必要はない。出来るだけ下請け 金額を吊り上げてやろう……  そんな魂胆が見え見えだけに、片岡も「NO」を 連発して応戦する。  当初の意に反して、こちらも、絶対、譲歩はしな い構えに切り替えざるを得なかった。  沢井は、映画『007 ドクター・ノオ』になぞ らえ、片岡さん、ミスター・ノオですねIと、茶 化すが、ちっとも笑えない。  一方、増保達夫は、「片岡さんさ、コチラが追加 でカネを出すって言うまで、あいつらウンとは言わ ないから」と、現実的だ。  片岡とてそれは承知している。  しかし、バイバイといい顔していたら、下請けへ の発注金額は膨らむ一方だ。採算を預かるプロマネ としては我慢ならない。  まだ、何も始まっていないのだ。  心情的に、今から契約金額に織り込んであるコン チ(予備費)に手を付ける気にはなれない。  第四囗目も、下請け各社の、木で鼻を括ったよう な対応ぶりは変わらなかった。  午前中のセッションを終えた片岡は、激しくなる ばかりの胃の痛みに、どうにも耐えられなくなって いた。  昨日の午後から、キリキリと痛み始めていた。胃 痛など初めてのことで市販薬すら持参しておらず、 そのままにしていたのだった。  とにかく、今日はもう帰って休めよIと、異変 に気付いた井戸忠行に諭され、片岡はそのままスミ ヨシマスータワーをあとにした。  それでも、食欲はある。  ホテル近くの[トンちゃん]で、ラーメンと チャーハンを注文しゆっくりと食べた。  幸い、胃の中にモノが入っだことで痛みが増すこ とはなかった。  部屋に戻り、バスタブにぬるい湯を張って、ゆっ くりと浸かってみた。  体が温まってくると、痛みは和らぐように思えた。  何度か繰り返し、痛みが少しは癒えたかIと思 うと、今度は睡魔が襲ってきた。  翌朝。  目覚めてみると、胃の痛みは消えていた。  この一年間走りっぱなしたった。疲れが出ただけ だったんだI  半日休んで身体が軽く感じた片岡。すがすがしい 気分で、増保・沢井の待つロビーに降りていった。  生まれて初めて見舞われた胃痛であわや戦線離 脱?  一時は暗澹たる気持ちにもなったが、それも杞憂 に終わると、今度は逆に、肝が据わった。  下請けに追加コストを請求されようが、物事をひ とつひとつまとめ、プロジェクトをどんどん前に進 めてゆく方が得策だ−  PERUMとの契約交渉、第一クールの最後の最 後で、『黒子役』から脱せた時のあの前向きさを取 り戻すことが出来た。  必要なカネは使うぜI  改めて、こう覚悟を決めると、第五日目のセッ ションはトントンと進み、六日目は午前中にラップ アップミ上アイング(最終総括会議)を行って全日 程を終了したのだった。  一連の会議の結果、BSBに対しては、二億円相 当発注金額を積み増しせざるを得なかった。  しかし、一方で、土建・据え付け工事を受け持つ ダイコンや芝浦プラントエ事(通称シバコー)らは、 仕様変更や追加工事要求に関しては、意外にも、下 請け契約に「工事完了後、別途精算」という文言を 明記してくれれば良しIと、極めて日本的な決着 をみた。  それにしても、UEの女性プロマネ、ケイトーダ ナンスキー、AHIのマイケルーワインバーガーの 両氏は終始おっとりしたものだった。  それぞれ、ガスタービン、蒸気タービン、発電機 (UE所掌)、排熱回収ボイラー(AHI所掌)とい う発電所の本体機器を製造・供給するのだ。  従って、彼らが発電所の性能の鍵を握っているの である。  性能に関し、ほかの下請け社のように、少しでも ゴネたりされると厄介だなIと、秘かに懸念して いたのだが、一切そんなそぶりは見せなかった。  全てPERUMとの契約条件通りで結構−と、 全く揺るがず、片岡を大いに安堵させたのだった。  いい加減に議論なんかヤメにして、さっさと仕事 にかからせてくれよIと、考えているのならば、 むしろ、彼らの方が合理的なのかもしれない。  ふと、金持ち喧嘩せずIのフレーズが頭をよ ぎった。  こうして二大懸案事項が片付いた。  ○代理店手数料支払いに関する手続き  ○下請け各社との契約条件の確定  これで、後顧の憂いなく、インプリに突入できる。  中部ジャワ複合火力発電所(CJCC)のサイト は海岸沿いの浅瀬、元々は、エビの養殖をしていた 場所をPERUMが埋め立てて、造成したのだとい  難工事なんですよ、スミヨシさんI  ダイコンの泉川剣吾が、深刻そうに腕組してそう 切り出し、  「軟弱地盤でね。発電所の基礎土台を支える杭 (パイル)を打ち込んでも、パイルが止まる支持層 が相当深いんですよ。地中十ハメートルを超える箇 所もあるんですから」  と、明かしたことがあった。まだPERUMとの 契約交渉中のある分科会の席上でだ。  軟弱地盤。  片岡は、星野新一らと苦闘したダッカ郊外の送電 線建設現場を、ふと、思い起こしたものだ。  そのパイル長を検討し決定するには、{}ata Exchange(重要データの交換)という作業が先行す る。  まずは、コーディネーター(調整役)のBSBが UEおよびAHIから主要機器の「荷重データ」を 取り寄せてダイコンに回付するのだ。  その荷重に応じて、ダイコンは機器の『基礎土 台』(ファウンデーション)そのものと、それを支 える『杭』を含めた設計案を作成する。  今度は、BSBがこの設計案をUE、AHIに同 して検討させる。  機器を供給する側の彼らが承認すれば、この案は 合格だ。  同様の作業を繰り返し、やがては発電所全エリア の土木工事の基礎設計が完成する。  設計が固まれば、いよいよ現場工事だ。  泉川がいうところの、最長で十ハメートルの杭を 含む杭打ち工事。その『施工図』が出来あがったの は、年末ぎりぎりの事たった。  パイル打設開始こそ現場工事着工の象徴。  年が明け、いつから杭打ちが開始されるのか。東 京側では関係者一同、『着工』の知らせを待ってい た。  そんな矢先。一九九五年一月十七日未明。  未曾有の大規模地震が近畿地方を襲う。  阪神淡路大震災である。  連日連夜のテレビ報道。  被災者を気遣いながらも、神戸港の機能が全面ス トップーと、聞かされるとついつい契約書の『不 可抗力条項』に考えを巡らせてしまう。  契約に生きる片岡たちの性なのだ。  そんな折も折、厄介な問題が飛び込んでくる。  CJCCプロッターの現場所長を務めてきた馬飼 野総司が、早期定年退職すると言い出したのだ。し かも再就職先の都合で、すぐにも帰国したいIと、 話は急だ。後任人事もままならない。  貴職、何はともあれ、すぐに現場に入ってくれ。 馬飼野さんの後任者は人選ができ次第派遣するから Iと、森安大二郎のひと声だ。  またしても「キミしかいない」だ。  片岡は急遽CJCCの工事事務所を任されること になり、セマランに飛んだ。  馬飼野総司は、京都大学の機械工学科を出て、ス ミヨシの電力部門では長く中近東を担当していた。  人事面では不遇を託っていたようで、それが今回 の急な早期定年退職の決断につながったようだ。  片岡君さ、現場の人間はね、ヘルメットを被り、 ブーツを履いてIと、引き継ぎの初日、身振り手 振りを交えて馬飼野は語り始めた。  「汗を拭きふき現場を回り、下請け各社の工事進 捗具合に目を光らせ、遅れを察知すれば叱咤し、挽 同努力をさせるんだよ」  当たり前のことだろうI、と続けるうちにだん だん力がこもってくる。  「でもな、アドミの田代君はそんな当たり前のこ とが出来ないんだ。いつも、事務所に座って、ウジ ウジ、やらない為の言い訳ばりしていて、下請けや PERUMの人間とはまともに話もできない。『負 け犬』根性の瑰なんだよ」  まったく、使い物にならなかったIと、最後は 吐き捨てた。  田代竜太郎。  SJBから工事事務所の総務・経理担当として派 遣されている。  事務所の乱∃inistration(管理)を担う、という ことで『アドミ』と呼ばれる。  東京外国語大学のインドネシア語学科卒で、自ら 手を上げての駐在だと聞いていた。  まだ五十を過ぎたばかりのはずだが、極端に痩せ 細り、薄くなった白髪をザンバラに伸ばし、骸骨を 連想させる。  そこに黒縁の眼鏡をかけたギョロ眼が目立ち、実 年齢をはるかに超えた老人の風貌だ。  スミヨシを去ってゆこうとする馬飼野の手厳しい 田代評だったのだが。  それとは裏腹に、片岡が直接インタビューすると、 このまま継続して工事事務所に勤務したいIと、 その田代は言うのだった。  丘の上の小さなホテルに一旦は投宿した片岡だっ た。  しかし、馬飼野の後任者が来るまでとなると相当 の長逗留となる。  部屋代も嵩むIと、思案した。  田代は、市内の一軒家を借り上げて社宅にしてい た。  「もともと、出張者も宿泊できるようにと、部屋 数もありますから」  片岡に移ってきたらよい、と勧めてくる。  メイドのおばちゃんが朝夕と、昼食の弁当も作っ てくれますよI  この『ひと押し』で心が決まった。  田代が使っている社有車の茶色のミニバスで、 揃って帰宅した最初の晩。  シャワーを浴び、免税店で買っておいたシーバス リーガルをぶら下げて食堂に降りると、田代は席で 日付遅れの新聞を開いていた。  一緒にやりましようIと、新しいボトルをテー ブルに置くと、「今日は結構です……」と、田代は ひとり箸を取り上げた。  えっ、と拍子抜けしたものの、片岡は気を取り直 して、ウイスキーをお湯割りでやり始めた。  テーブル越しに、片岡が、いろいろ話題を持ち掛 けても、田代の反応は鈍く、伏し目がちにボソボソ つぶやくだけ。  いっこうに会話にならない。  社宅に移って来たらいいですよIと、あれほど 熱心に誘ってきたのが嘘のようだ。  正直、片岡はイラつときだ。  片岡がサイトに入ってちょうど十日目。  馬飼野総司は、じやあIと、右手をあげ、晴れ 晴れとした表情で帰国の途に就いた。  いよいよ、工事事務所の日本人は片岡と田代の二 人だけ。少々気づまりでもある。  馬飼野を工事事務所の玄関に見送り、ローカルー スタツフ(現地職員)だちと大部屋に戻ると、田代 が「片岡さん、所長室を使ってください」と言い始 めた。  イヤ、ぼくはこの出張者用の席で構いませんから Iと、固辞すると、「そうはゆきませんよ」と、 以外にも、田代は語気を強くした。  「PERUMや下請けの手前、そうはいかないん です。インドネシアでは、あの人は個室に入ってい る偉い人、という価値基準がありますから……」  田代の言うところはもっともだ。  だがそれ以上に、その思いがけない語気の強さに すっかり気圧された片岡。いそいそと机の上を整理 し、つい先ほどまで馬飼野が使っていた所長室に席 を移した。  弁当が届きましたよIと、今度は、田代が二人 分をトレーに乗せて所長室を覗いた。  「ここで一緒にいいですか」と、もう応接テーブ ルの、向こうとこちらに、弁当を並べている。  田代が所長室を窺がうことなど、馬飼野が居た時 には、見たことのない光景だった。  馬飼野も昼は同じ弁当だったが、田代はいつも大 部屋の自分の席を動かなかった。  何日かあと、東京の佐野から電話が入った。  「馬飼野さんの後任は、ニューヨークの久納君で 人事部と最終調整しているから」  久納悟だI、仰天の片岡。  片岡より一年次上、何年か前に産業機械部から異 動して来ていた。  元々の久納との出会いは、片岡が入社一年目の終 わりに実施された『一・二年次合同研修』まで遡る。  グループ討論のため、片岡たち一年目と、久納ら の二年目を混ぜて、いくつかに班分された。ここで ふたりは同じグループになったのだった。  酒は全く飲めないくせ、おしゃべりで、妙にひょ うきんな性格の久納悟は、とても東京工業大学出の 理系エリートには見えなかった。  研修が終わってしまうと、お互いに忙しい日々の 中で、交流も途絶えがちに。  しかし、ある日。  片岡は『大仰天』させられた。  久納が、片岡らと同期の美人社員とまさかの結婚 をしてみせたのだ。  今も、本社九階フロアには、産業機械部と電機輸 出部が共用で使う小さなコピー室がある。  そこで、コピー待ちの久納が『『セガワちゃん』 こと電機のマドンナ・長谷川洋子に声をかけた。  こうして始まるラブストーリー[コピー室の恋]  久納悟はその主人公だったのだ。  しかし、時空を無情に現在に引き戻し、佐野と繋 かっている国際電話に戻るとI  今回の『仰天ニュース』は不可解極まりない。  なぜ、ひとも羨むニューヨーク駐在から、一転、 インドネシア第三の都市セマランに都落ちするのか。 しかも、久納悟は駐在を始めてまだ二年しか経って いないはずだ……  片岡の疑問を察したのか「石崎君が、ダメを出し て、久納はもう囗本に返すIの一点張りだったん だよ。任期未了で囗本には戻せないしね」と、佐野 が受話器越しに小さく呟いた。  石崎洋二  ジャカルタで会ったのは昨年の暮れだ。あの時に は、それらしい素振りは何も見せなかった。  ただ、以前、森安から聞かされたことが蘇るのだ。  「彼はな、厳格なクリスチャンなんだ。コネチ カットの自宅で家族揃って、神に夕餉の祈りを捧げ るそうだよ。そのために、毎日必ず同じ時刻のグラ ンドセントラル駅発の郊外電車で帰宅するんだ」  もう少し融通を利かせてくれてもいいんだけどな −と、続けていたことも。  一見ちゃらんぽらんそうな言動の久納悟。実直な 石崎とは、相性が悪すぎたのか。  −子供も二人いるはずで、また転勤ともなれば (セガワちゃんも大変だろうな。  片岡はそんな思いに駆られていた。  建設の槌音が響くI  現場には大型の杭打機が林立し、それぞれが、ド シンドカンと、大きな音を立て地盤に杭を打ち込ん でゆく。  心を揺さぶられる光景だ。  新年早々かI、とも期待されていたフアース トーパイル(一本目の杭打ち)。  こうして二月の末までずれ込んでしまったが、片 岡にとっては、『着工』相成り、で、めでたい。  お神酒を下げて、太平洋コンサルタントの工事事 務所に出向いた。  まあ、いろいろありますからねIと、丹下正蔵 は言葉を濁した。  「でもね、段取りを人念にやらせていますから、 打ち始めたら早いですよ」  そう続けて、忙しくパイプをふかした。  脇に控える泉川剣吾が、似合わない笑顔を作って、 何度も頷く。  この両名、昨年十二月のジャカルタ会議の後、そ のままセマランの現場に着任し、着工準備を進めて きたのは、片岡も承知だ。  本心は、もう少し早くパイル打ちを開始したかっ た……といったところか。  太平洋コンサルタントは、その社名が示すように、 あくまでエンジニアリング機能と設計力が売りであ る。  某大物建築家を意識している丹下のパイプ姿は 「俺は上建屋じゃない」と主張しているのだ。  一方、実際に現場で汗を流す『施工』には、神田 組(新潟の中堅の建設業者)が当たっている。こち らには泉川が管理の目を光らせているのだ。  着工したとは言え、まだ現場での主な作業はパイ ル打ちだけで、スミヨシの現場事務所も上日は休み にしている。  土曜日の朝、片岡の楽しみはテニスだ。  あの丘の上のホテルのテニスコートにひとり出か けていって、専属のコーチを相手に試合をするのだ。  軽くウオームアップして、一セットマッチをする とおよそ一時間。蒸し暑いセマランの気候では十分 だ。  そのインドネシア人コーチも、手慣れたもので、 適当に片岡を遊ばせてはくれるが、絶対に勝たせて くれない。徹底した省干不テニス。決してコート中 を走り同るようなプレイはせず、かといって、明ら かな手抜きをしているようにも見せない。  それでも片岡は、いつかは一勝してやろうIと 思って必死なのだから、先方の客あしらいが上手な のである。  コートから戻ると社宅でシャワーを浴びてひと休 み。  今度は市内に出かけて、品揃えの悪いショッピン グセンターを冷かしたり、ファストフードの昼食を とったり。  字幕を当てにしなければ、映画も良い。  (リウッドの新作が日本よりも早く配給されてく ることもある。  そんな週末を何回か繰り返したある月曜日の朝 だった。  目覚めると、右腕が肩甲骨にかけて痛む。  その頃よく話題になっていた「テニスーエル ボー?」と、たいして気にもかけずに、そのまま茶 色のミ丹(スに乗り込み、田代と一緒に事務所に向 かった。  しかし、痛みは次第に酷くなってきた。  今や、呼吸まで苦しい感じに、少し怖くなって所 長室から田代に声をかけた。  呼吸が……と漏らすと、「そりゃ、大変だ。すぐ に医者に行きましよう」と田代は血相を変えた。  案内してくれたのは、古い民家造りの町医者だっ た。  老医師は、幸い英語を話せたが、「どんな痛み?」 と聞かれても返答する語彙を持ち合わせていない。 症状を的確に伝える英単語なんて知らない。これは 海外勤務においては大きな(ンデだ。  鈍い痛み、とか、肩甲骨が痛くて息が苦しいんで す、と日本語で呻くと、田代がインドネシア語で医 師に伝えてくれている。  「テニスーエルボーですか?」と気になっている 質問をしてみると、老医師は、右ひじの周辺をあち こち押さえてみたり、関節を曲げ伸ばしして、片岡 の反応を診る。  「テニスーエルボーではないでしょう」  そう言われても、片岡に納得感はなかったが、痛 み止めを処方してもらい、まずはその場で一服飲み 下すと、なんだか心が落ち着いた。  田代は、今日は社宅で休んだ方がいいですよI と、言ってくれるが、ひとり社宅で寝ているのもな んだか心細かった。  結局、田代と一緒に事務所に戻った。  所長室で、片岡は、少し反省していた。  スミヨシを去った馬飼野の言葉がまだ片岡の耳に 残っていた。  −負け犬根性の瑰。  確かに、田代には、全く覇気の感じられない言動 が、事務所でも社宅でも、多々ある。  イライラつとして、片岡も、つい口うるさく言い 募ってしまう。  しかし、今日の一件はどうだ。  田代の、人としてのやさしさを見だろう。  インドネシア語での老医師との受け答えに頼もし さを感じたろう。  これこそ、田代竜太郎の持ち味だ。  このプロジェクトに活かされるべきものだ。  翌、火曜日。  右腕や肩甲骨まわりの痛みは嘘のように引いてい た。  その後、五日分の薬を飲み切り、痛みがぶり返す こともなかった。  多少不安ではあっだのだが、何事もなく迎えた土 曜日の朝。  「今日はやめといた方が良いですって……」  そういう田代の声には耳も貸さず、片岡は、いそ いそと丘の上のテニスコートに向かうのだった。  4.三銃士  三月の半ば、日曜日の朝に、ニューヨークから久 納悟がセマランに赴任してきた。  米軍放出の大きなダッフルバッグひとつを担いで の着任であった。  後追いでやってくる妻子のために、まずは適当な 家を探し、二人の息子を通わせる学校の見当を付け ねばならん、という。  当面、社宅に入れてくれIは、本人の希望で あった。  二階の部屋に荷物を下ろすと、久納は早速片岡を 捕まえる。  「さんざん×点を付けられてさ、ニューヨークか ら追い出されちやったのよ」  久々に聞く久納のオネエ言葉だ。  「石崎さんですか?」  それには答えようともせず、佐野さんが電話して きてさIと、話を持ってゆく。  「CJCCは『貴職』がやってるって言うからさ、 それならやり易いかなって、セマランヘの横滑り、 OKしたのよ」  森安の口真似も板についている。  でもさIと、ため息交じりに続ける。  「じゃ『所長』ということで頼むなって言い出す から、ナンバー・ワンはやりません、工事事務所の ナンバー・ツーで結構ですって、断ったのよ」  ニューヨークでさんざんヤられて嫌気がさしてる から、責任あるポジションなんてまっぴら御免よ Iと、付け加えた。  「そんなこと言わないでくださいよ。現場は久納 さんがトップで、次が田代さん。東京はオレで。う まく同るじやないですか」  「イヤよ。ニューヨークでも、責任がどうのこう のってネチネチ言われ続けて、もう、うるせ1つて 怒鳴りたかったのよね」  ここで、少し間をとると  「佐野さんも、所長には、誰か馬飼野さんくらい の年恰好のひとを探すIつて言ってたしね」  それでいいだろ? と、久納は締めたのだった。  −佐野さんらしいな。  片岡はとっさに思った。  もともと、CJCCを俺に任せっきりにするのは 心もとないと感じた。  だから、サクつとSJBに出向させて、EPCに 一日の長のある村西と増保を『お目付け役』に据え たのだ。  今度は、ニューヨークを追われて、拗ねっ放しの 久納悟ではマズイか、と感じ取った。  それでは、現場所長には、やはり年長者を持って こようか、と。  佐野明彦は、次々に方針を変更している訳だ。佐 野に隕っだことではない。これが、組織の上に立つ 人間の対処術なのだ。  −君主は豹変す。  『お前のために新しい課を作ってやる』  『課長はオマエだ』  全ては、この『君主』の言葉通り始まるものと信 じていた片岡。  が、出発点からして少しずれた。  果たして、そこから描き出される軌道は正しく終 着点に向かって進むのか。  久納が着任したその晩、社宅でささやかな歓迎会 を催した。  普段は日曜休みのメイドのおばちゃんも、今日は 特別−「テイダ アパアパ(問題ない)」と、台 所で料理の腕を振るってくれるのだ。  全くの下戸の久納はコーラで、田代と片岡はビー ルで乾杯した。  おばちゃんの料理、結構いけるのねえと、久納は 上機嫌だ。  田代も、すでにシーバスーリーガルに切り替えて、 いつになく饒舌だ。  ひとしきりオネエ言葉でニューヨークを語って大 盛り上がりした後、久納が「そろそろ本社の責任者、 貴職が何かスピーチしてよ」と片岡を促した。  じゃ、と立ち上がり、「我々は、それぞれの所属 先で、今まで×点ばかりを食らってきた三人です」 と、大声で切り出した。  「本社のお偉いさんたちは、CJCCはアイツら で本当に大丈夫か、と、間違いなく思っています」 自分たちで決めた人事にも拘らすねIと、と ちょっと皮肉り、さらに続ける。  「でも、我ら、×点だらけの落ちこぼれだとして も、この中部ジャワ複合火力だけは、最後まで、 キッチリとやり遂げましょう」  ここで、片岡は「そして、発電所出来ちやったの よ、と言ってやりましよう’・」と、右手をぐいと差 し出した。  −ちょっとクサいか。  すると、久納も田代も勇んで立ち上がり、次々右 手を差し出す。  三つの握手が固まった。  「なんか、昔の、安っぽい青春ドラマみたいよね」 と、久納が笑った。  もはや、その目は少しもひねくれ者のそれではな かった。  BSBはパートナー制を敷いていた。  プロフェッショナルな職業人の集う会社の典型的 な形態だ。  パートナーに任命された人々が共同経営者となり、 会社を運営してゆくもので、当時、アメリカの法律 事務所やエンジニアリング会社などに多く見られた。  BSBのジャカルタ事務所もスミヨシマスータ ワー十七階のテナントで、パートナーの一人である ジョージーオニールが所長を務めている。  既に、プロマネとして、ジャカルタ湾岸複合火力 の第一期工事(ガスーサイクル)を終え、現在は第 二期工事(スチームーサイクルのアドオン)を手掛 けている。  オニールは野心家で、インドネシアのみならず、 周辺アジア諸国での発電EPCビジネスをも視野に 入れていた。  その右腕がジョンーガスリーだ。  CJCC第一発電所に続き、第二発電所も連続受 注したことにより、先ごろパートテーベの昇格を果 たした。  インドネシア歴が長く、当初はPERUM側で発 電部門全般の総合コンサルタントを務めていたのだ が、今般、CJCCの専任プロマネに就任したの だった。  BSBは、ジャカルタ湾岸火力に続きCJCCで も、スミヨシを技術的にバックアップする『イン『 ウスーエンジニア』としての役割を果たし、その一 方で、プラントの補機一式を納入する責務を負う。  『補機』とはI  まず、ガスタービン、蒸気タービン、発電機など 発電所の主要機器を『主機』と呼ぶ。  そして、その主機を支える周辺システムや施設、 プラントの全体に血管のように張り巡らされる配 管・ケーブルなど。  それらを総称したものが『補機』(Balance of Plant ・BoP)と称される。  ガスタービンの排熱を利用するボイラー(HRs G・ Heat Recovery Steam Generator ・排熱回収 ボイラー)も主機のひとつである。  今般実施された「ジャワ島西部・中部・東部、三 発電所緊急買い付け」では、このHRsGについて もPERuMがメーカーを指定している。  ガスタービンメーカーをuE、金剛重工、プラウ ンーベリーの三社に指定したのと同様だ。  スミヨシ・uEグループには、オーストリアーグ ラーツに本拠を置くAHI(Austrian Heavy I乱良Ra)が指定されている。  これは、ジャカルタ湾岸火力からcJcc第一・ 二発電所にも続く不動の割り当てだ。  uEの主機群とAHIの排熱回収ボイラー間の技 術的なコーデネーションは、実は、複合火力発電の エンジニアリング上の『キモ』なのだが、もはやB SBにお任せでよい。  片岡のBSBに対する潜在的な懸念は、BOPの 納入責任をタイムリーに果たせるかIにあった。  先行するジャカルタ湾岸火力でも、BSBの補機 類の出荷が大幅に遅れている。  事態を改善すべく、プロマネを任されている後輩 社員の脇本勤がBSB本社(カンザスシティ在)に、 一ヶ月以上も張り付いている。  物流部門に対し、船積み手続きをオンーザージョ ブで指導しているのだが、一向に、はかが行かない、 とその脇本も嘆いていた。  去る十二月のジャカルタ会議を経て、BSBとの CJCC下請け契約は締結済みである。  しかし、実のところ、詳細な機器ごとの『引渡し 囗』は未だ確定には至っていない。  契約書には、大まかな出荷予定時期は記載されて いるものの『詳細は別途合意の事』と注記されてい るだけだ。  各ベンダー(製品メーカーや販売代理店)から最 終確認を取ってからでないと……そうオニールが引 渡しについての詳細協議を渋り、契約調印の方を先 行させた経緯があった。  結局、各機器の『引渡し日』は、契約締結後六十 日以内にリストにして提出する、と取り決めるにと どまった。  日限は過ぎた、が、未だ梨の礫だ。  身長ニメートル。髪は短くクルーカットに刈込み、 厚い胸板。  見かけだけでも、十分に威圧感があるのだが、そ れ以上に、その言葉使いは高圧的で、施主である住 吉商事相手でも、明らかに見下したような態度を取 り続ける男。  ジョージーオニールに対する片岡の印象だ。  片岡は、オニールと、まともに言葉を交わしたこ とがない。  CJCCの契約ネゴに加わった昨年初めから、顔 は合わせているのだが、はっきり言えば、オニール の方が片岡を相手にしていないのだった。  オレのカウンターパート(相手)はスミヨシなら 佐野明彦−そんな取り澄ました顔が、片岡を寄せ 付けなかった。  しかし、約束の『引渡し囗リスト』も提出されぬ ままの現状は、どうにも捨て置けない。  オニールヘの苦手意識から、尻込みしている自分 自身もイヤだった。  ジョージーオニールに会わずしてどうする。  そう思ったら、早い。  朝一番の便でセマランからジャカルタに出て、 まっすぐスミヨシマスータワーにやって来た片岡。  まずは十九階に立ち寄り、井戸忠行に挨拶すると、 俺も一緒に行こうかIと、訊ねられた。  「いえ、今日はひとりで……」  十七階に下りればシディルマン通り側かBSBの 事務所だ。  妙齢の秘書は、どうぞIと、所長室のドアを開 ける。奥に開けた一面の窓からは、スナヤン運動公 園が一望だ。  片岡との握手もそこそこに(巨大な手だ)、オ ニールは、自らの執務机に戻り、ドデンと椅子に腰 かけると、目で、机の前に置かれた事務椅子の一つ を勧めた。  機器ごとの引渡し囗が未だコミット(約定)され ていないですよIと、指摘する片岡。  それぞれのターゲットーデイト(引渡し目標囗) は契約書に書いてある通りで構わないのだがIと、 何食わぬ顔のオニール。  いや、ターゲットではなく、コントラクトーデイ 卜(契約上の約定囗)を要求しているのですよ。  そもそも貴殿ではないか。  引渡し約定囗は、各ベンダーから最終確認を取り つけた上で、六十囗以内にリストにして提出する Iと、申し出だのは。  こう片岡が迫ると、ジョージーオニールはおもむ ろに両の足を執務机の上にドサリと上げ、片岡の目 の前で、ゆったりと組んでみせた。  優にサイズ三十センチはあろうかと思われる、磨 き込まれた[ジョンソンーマーフイ社]の革靴。そ のつま先が揺れる。  −なめんなよ。  片岡は、古い流行語を心の中で呟いた。  商社の立場でプロジェクトの工程管理を行うには、 まず、主要機器がいつ、どういう順序で現場に搬入 されねばならないか、ここを押さえる事が第一歩だ。  機器の引渡し囗が定まって初めて、そこからの逆 算が出来るのだ。  上木工事はいつ開始し、どういうシーケンス(流 れで)で進行させるべきか。  各機器の基礎土台や機器の納まる建屋の建設スケ ジュールも自ずと見えてくる。  そこから先は、主導権を据付業者に委ねたのでよ い。  タービンなどの大型機器を基礎土台の上に安全に 据えるところから、プラント全体の据付工事が始ま るのである。  UEやAHIの製造する大型機器は製作期間も長 く、それぞれの工場の生産計画が少しの無駄もなく 組まれている。  新しい注文が入ると、全体計画の中で検討され、 最適な製作時期が割り当てられる。  必然的に、製作完了、検査、工場出荷の時期も決 まってくる。  この製作割り当てから出荷までの一連の流れをス ロットと呼ぶ。  一旦割り当てられたスロットは、仮に発注主側か ら要求されたとしても、もはや前後に融通を利かす こともままならない。  工場での製作活動はひたすら計画通りに進められ る。安直な融通は利かせない。  CJCCに供給される主機に関しては、UEおよ びAHI、それぞれのスロットがすでに決まってい る。  これに、BSBの補機類の引渡し囗が合わさって、 初めて、資機材のサイト搬入時期を基準にした全体 工程が見渡せるのである。  こんなことは、『釈迦に説法』のはずだ。片岡が 説明するまでもない。  然るにオニールは、のらりくらりとはぐらかす。  「今、BOPの引渡し囗を含めた全体工程を検討 したいなら、ターゲットーデイトに二〜三ヶ月プラ スして検討しておけば済むではないか」  実際の引渡しが、それ以上遅れることはないから Iと、埒が明かない。  詰まる所、今の段階で補機一式の引渡し囗をスミ ヨシにコミットしたくないI  それだけの話だ。  万一、機器の引渡しが遅れた場合の損失補償責任 のことを考え、今、言質を取られたくないのである。  しかし裏を返せば、それほど、今のジョージーオ ニールには、契約上の引渡し義務が重くのしかかっ ているということだ。  自らがプロマネも務めるジャカルタ湾岸火力の方 では、正に、BSBのBOPの引渡し遅れが深刻で、 スミヨシからの責任追及は免れ得ないのである。品 目も多岐にわたり、担当するメーカーやベンダーも 比較的中小企業が多く、全体をコントロールするの はBSBと言えども容易ではないのだ。  結局、オニールは、ここでも、再度逃げを打った。  曰く、現在カンザスシティの本社調達部門では、 パーフォーマンスの悪いベンダーを切り替えるなど して、引渡し囗の最終的なツメを行っている。もう しばらく時間をくれIと。  BSBの事務所を辞そうとする片岡。  その背に大きな右手を添え事務所の受付まで寄り 添ってきたジョージーオニール。  ふと歩みを止め「ミスター・カタオカ、明日は時 間があるか」と訊ねた。  いや、今日午後の便でセマランに戻る予定だが、 何か? と返すと  「明日、PERUMの重役とアポイントメントが あるのだが、ご一緒できないかな」と、言葉づかい も、打って変わって丁重だ。  片岡は、二つ返事で応諾した。  セマランの久納と田代には連絡を入れ、そのまま ジャカルタに留まった。  翌日の午後。  訪れたのはPERUM本社、発電所建設担当重役、 (ツサンーバスキの執務室である。  CJCCは、重油と天然ガスの二種類の燃料で運 転できる設計({}ual Fuelという)となっている。 むろん、主燃料はあくまでコストの安い天然ガス、 というのがタテマエだ。  しかし、その天然ガス供給はIといえば……  今後、近郊のガス受入基地からパイプラインを敷 設して発電所まで陸上輸送するという、未だ『計 画』に過ぎない。  現在、第一発電所のガスタービンは、当然の如く、 重油で運転されている。  このパイプライン建設計画について、より詳細な 見通しをバスキ氏から聴取しよう、とオニールは片 岡に同行を持ち掛けたのだ。  BSBの持つ情報では、このパイプライン、CJ CC第二発電所の完成予定である一九九七年の春ま での完成など、とても覚束ないという。  天然ガスが計画通りには来ない、と言う事態から 派生しうるコンシークェンス(必然的な結果)をオ ニールはあれこれ思案しているのだ。  ○いつまでも燃料費が高くつく重油を焚いている と、そのうち世論から叩かれる。  ○中部ジャワほとりあえず第一発電所のガスター ビン発電だけで留めておいて、パイプライン計画の 様子を見よう、という声が上がってくる。  ○やがては、天然ガスのメドが立つまでCJCC の第二発電所建設は凍結すればよい、とトーンダウ ンし始める。  ○燃料問題のない、西部ジャワの金剛重工/商事、 東部ジャワのブラウンーベリーノ丸飯に、それぞれ 完成を急がせればよい。とりあえず、CJCC第二 発電所はキャンセルしてしまおう……  「これがワーストケース(最も悲観的な)シナリ オさ」  ジョージーオニールは真顔で言った。  約束の時間には余裕をもって重役室を訪れてみた が、満面の笑みで迎えてくれたのは年配の女性秘書 だけだった。  「オニールさんですよね。バスキは急に総裁に呼 び出され、席を外しております。少々お待ち頂きた いIとのことです。どうぞそちらで」と悪びれず、 目の前の小さな応接セットを指す。  −待つことも仕事のうち。  スミヨシばかりではないだろう。先輩から後輩へ と言い伝えられてきた営業マンの心得である。  机で、つめの手入れに余念のない秘書。  その前のソファーに腰を下ろして、待つことしば し。  重役が戻ってくる気配はなかった。  アメリカにも同じような言い習わしがあるのか、 じっとソファーに大きな体を縮めたままのジョー ジーオニールだったが。  「僕はウェストポイントを卒業してね」とポツリ と漏らした。  そして、すぐにベトナムに行つたんだIと続け た。  映画好きの片岡。ベトナム戦争モノは好みのジヤ ンルのひとつだ。  ニューヨーク州ウエストポイントにある、合衆国 最古の陸軍士官学校を卒業して、ベトナム戦争に出 征したIと、いうことだ。  オニールは片岡より十歳ほど年長か。  「ベトナムでは自分の隊を率いて戦った。敵兵を 千人くらいは殺したと思う」  「……」  「ウェストポイントでは、アジア人の習性や行動 様式も教わった。どうやってアジア大を懐柔するか も学んださ」  −これ、俺に対する威嚇?  「でも、戦争から帰還したら、なんだか心にばっ かり穴が開いたようだった。それで、MITに入学 してエンジニアリングの勉強をしたんだ」  陸士の次は、マサチューセッツ丁科大学 (Massachusetts Institute of Technology ・MIT) か……  「それでも、心は満たされなかった。今度は、西 海岸に移ってスタンフォードで経営学を専攻した」  そうしてようやくBSBで職に就いたのさIと、 ひとり口角を緩めた。  戦争から帰還し、所謂、ベトナムーシンドローム に苦しんだジョージーオニール。  心の隙間を埋めようと、まずはエンジニアリング を勉強し、さらに経営学に取り組んだという。  その学んだ先がいちいちすごい。  そもそも、陸軍士官学校はアイビーリーグに匹敵 する名門校だと聞いたことがある。  それに加えて、理系では世界有数のMIT、さら に文系でも『西海岸の『Iバード』と称されるスタ ンフォードと、一流尽くめの経歴ということだ。  −オレは、こんな奴と発電所を作る話をしな きやならないのか、しかも英語で。  改めて不安が募る。  英語は当然ネイティブ。エンジニアリングのバッ クグラウンドに加え、経営管理にも長けている、と いうことだ。  そんな奴と、発電所建設を巡って議論するのか? 俺が?  技術問題、工程問題、商務、法務を巡って、ある 時は、戦わなければならない?  ジョージーオニールが、今、なぜ自分自身の内な る部分を披歴するのか。  「お前とはデキが違うんだ」  そう念を押しているだけなのか。  そんな僻み根性が頭をもたげる。  −でも、こいつには負けるわけにはゆかない。  一時間以上も待だされ、ようやく面談には漕ぎ着 けたのだが。  発電所建設担当重役、(ツサンーバスキは、「パ イプラインはPERUMの所掌ではないので……」 を繰り返すばかりで、何ら得るものはなかった。  片岡は夕刻の便でセマランに戻った。  久納は、街を見下ろす丘の中腹に、妻と二人の息 子だちと住まう物件を見つけ、また近郊のインター ナショナルスクールへの編入にも目処をつけていた。  これで、ぐっと落ち着いた様子で、片岡もひと安 心だ。  一方、田代の方はといえば。  馬飼野が去ったあと、今度は一体どんな人物が来 たのかIと、久納の人となりを探る風もあった。  しかし、こちらも、なんとなくうまくやって行け そう……の感触は得たようで、これも大きな安心材 料であった。  ジョンーガスリーが初めてCJCCのサイトに やってきた。  「カータ オーカ サーン」と、口角を不自然に 上げた卑屈な笑みを浮かべ、片岡に握手を求めてく る。  ジョージーオニールとは明らかに違ったタイプの 人間だ。  インドネシアでの仕事も長く、アジア人に取り入 る術を、自己流で身に着けている。  これまでBSBのローカルスタツフたちがサイト オフィスや現場宿舎の設営を進めてきたが、その準 備も整い、いよいよ、カンザスシティの本社からプ ロジェクトの要員が派遣されて来るのだという。  まずは、『シビル(上木)エンジニア』と工程管 理を行う『スケジューラー』が乗り込んでくるから、 と言うガスリーに、  「アンタはいつから現場に入るのよ」  久納がすかさず突っ込む。  ガスリーが「自分はジャカルタをベースにして、 週に二〜三日現場に通って来るよ」と応えると、間 髪を入れず、「BSBの責任者が『通い』じゃダメ よ」  久納が釘を剌すのだった。  二年少々とは言え、さすがにニューヨークに駐在 していた久納は、アメリカ人のあしらい方に慣れて いる。  当のガスリーは「ヘッヘッヘッ」と、またしても 口角を不自然に上げて笑い、久納の言葉には取り合 わず  「今晩、みんなで夕食に行きましよう。[ガンガン スライ]知っていますか?」と、話題を切り替えた。  ガンガンスライは、丘の峠道にある韓国焼肉のレ ストランだ。まさに、鄙には稀な、洒落た店構えの 地域の人気店だ。  PERUMとの契約交渉や、下請け契約のジャカ ルタ会議でさんざんも顔を合わせてきたジョンーガ スリーだが、こうして共に夕食の席に着くは初めて のことだった。  その夜、大いに飲み、かつ食った。  「カータ オーカ サーン、一度カンザスシティ に来てくださIい」「本社のトップと会ってくだ さIい」  ガスリーは何度も特徴のあるアジア人向け(?) の英語で繰り返した。  いよいよCJCCの現場でもPERUMとの定例 会議が再開された。  第一発電所(プロッター)のガスタービン発電の 開始をもって、一旦中断した定例会議だった。  今般、ブロック2およびプロッターアドオンも契 約関係が整い、パイル打設も開始されたことで、い よいよ現場も本格的に動き出したということだ。  PERUMの現場責任者は、プロッターから変わ らず、ドドが務めている。  インドネシア人はファミリーネームを持だない人 も多いというが、彼も初対面の握手で「アイム ド ド」と名乗っだので、もう、姓か名か通称か問うつ もりはない。  コンサルタント[ランディーネルソン]はあの アーメッドが現場所長である。  馬飼野の急な離任で『現場所長代行』として現場 に乗り込んで以来、片岡はドドやアーメッドの事務 所に日参している。  まずは大半が雑談=ご機嫌取りだった。  しかし杭打ちが始まり、それなりに進捗報告の機 会も増えていた。  そしてこうして、毎週水曜日の朝、定例会議が復 活したのである。  ここでは、現場での工事進捗や工程問題にとどま らず、工場での機器の製作状況も含めて、契約者側 か週間報告を行い、PERUM側の要求要望を吸い 上げる。  そして、日々の現場活動に反映させてゆくのだ。  議事進行役は、契約者側のジョンーガスリーがド ドの指名を受けた。  既に、現場に常駐しているダイコンの丹下正蔵、 泉川剣吾らも顔を揃えている。  ガスリーが、初日の閉会を告げると、あ、ちょっ とIと、ドドが立ち上がった。  「明日の『セレモニー』にはスミヨシ側からも必 ず出席するように」  念を押すようにそう言った。  「?」  片岡は、何のセレモニーかピンと来ない。  脇の田代に小声で訊ねると「ええ、のちほど事務 所で……」と口を濁した。  プロッター建設中に、ちょっとした疑獄騒動か あったんですよIと、所長室の応接で田代が切り 出した。  UEガスタービンの大型給気口(インレット・ フィルター・エリア)に取り付けられるフィルター のユニットは一つ一つ、ビール瓶大のプラスチック 製ヶIスに収められた状態で輸送されてくる。  この筒状ケースはフィルターを取り出してしまえ ば、あとは不要で廃棄すれば良いものだ。しかし、 何を考えたのか、ドドは、部下に命じ、これを全て 集め倉庫に保管させた。  素人目には、このプラスチック製の筒状ケースは 『商品価値』があるように見える。  −ドドはPERUMが購入代金を支払った「部 品」の一部を、ひっそりと倉庫に貯め込み、時機を 見て横流しして、私腹を肥やそうとしている。  どこからか、そんなブラックーレターが出回った のだという。  この筋違いな疑惑を晴らそうと、ドドは、衆目監 視の下でこのフィルターケースの山を焼却処分する Iと、上司にあたる中部ジャワ総局長に釈明した という。  そして、第一発電所敷地脇に、これ見よがしに大 きな穴を掘らせ、そこで焼却セレモニーをするのだ、 と息巻いた。  ドド本人は、筋違いな『投げ文』をして自分を貶 めようとした人間たちに当て付けて、これを『セレ モニー』と称しているのだそうだ。  しかし、中部ジャワ総局での審理に時間がかかっ た。  すでにプロッター関係者も大半が現場を離れ、こ の騒動への周囲の関心も薄れ、焼却処分の件も沙汰 止みかIと、思われていた。  しかし、ドドは屈辱を忘れていなかった。  ともあれ、明日の『セレモニー』にまで漕ぎ着け たわけだ。  この一連の騒ぎはCJCCサイトでは一切正式文 書には残されておらず、ドドを剌したブラツクーレ ター以外は、すべてが口頭で収められているという のだ。  ドドが、会議の最後にひと言だけ『セレモニー』 に言及したわけがここにある。  翌日、片岡はドドの意地を見た。  招待状も出ていない『セレモニー』にも関わらず、 PERUMの職員のみならず、役所、地元警察、消 防からも多くの人々が立ち会った。おまけにメディ アまで取材に訪れる一大イベントとなったのだ。  ドドは終始笑顔であった。  衆目の中、大量のプラスチックケースは大型重機 であの大きな穴に放り入れられ、最後に火が放たれ た。  『セレモニー』は盛大に幕を閉じたのだった。  「ドドには、とかくこの種の疑惑が多いんですよ。 あのヶIスだって何のために保管したのか、今一つ 釈然としないでしよ。部族の関係かな……」  こんな田代の最後のひと言が気にかかった。  インドネシアは、約三百ともいわれる異なる民族 によって構成された多民族国家で、民族ごとに習慣 や言語、気性や顔立ちまでが異なるという。  「ドドの出身部族は知りませんけど、ただ、比較 的穏やかな人間が多いとされるオランージャワ (ジャワ人)から見ると、なにか特異な存在なのか もしれませんね」  インドネシア通の田代はそう語った。  しかし片岡は、まだ付き合い始めたばかりながら、 そんなドドと馬が合うような気がしてならなかった。  馬飼野の後任は、海外プロジェクト部の市村六郎 −  東京の増保達夫から連絡が人つだ。  今日、森安さんから人事異動の内示を受けたんだ よIと、市村本人がSJBのプロジェクトチーム にひよつこり顔を出し、そう挨拶したのだという。  今後、正式な辞令交付を受けて赴任準備に入り、 主管者研修や引き継ぎを受け、ビザを取得して赴任 出来るのはだいたい二ヶ月後、とのことだ。  えつ、また[海プロ]か……やりきれないなI が、片岡の偽らざるところだ。  十年前、初駐在のダッカで、海プロ出身の主管者 と全くそりが合わず、苦しめられた記憶が蘇る。  相手は主管者として赴任し、当人の能力云々はと もあれ、人事権を持っているのだ。  任期のあいだ中、片岡に最低の評点を付け続けて いたらしい。  しかし、評価を受ける側は、為すすべもない。  −とうの昔に仕官の道から見放された不良浪人 たちが集められ、社内で一番澱んでいる部署こそが [海プロ]だ。  これが片岡の偽らざるところだ。  しかし、ここに溜まっているのは適当な年嵩の人 間たちであるがゆえにたちが悪い。  時として、『逆玉の輿』に乗ってしまうことがあ るのだ。  片岡が遭遇したダッカの例は典型だ。  小さな海外店事務所であればあるほど、そこの 『主管者』となれば、もう諌める人はいない。  とち狂って、やりたい放題の輩がいるから始末が 悪い。  スミヨシの人材の層の薄さの象徴でもある。  まだ、会ってもいない市村六郎を、そうと決めつ けるのはいかがなものかIと、第三者は言うだろ う。が、不安は募るのだ。  送り出す側の森安大二郎にとっては、たかが工事 事務所の所長だ、たいした権限や責任を与えるわけ ではないIと、安直に[海プロ]からひとり素浪 人を受け出してきただけ。  −あとは、よろしくね、だ。  気を取り直して、片岡は市村にファックスを送る ことにした。  まずCJCCへの歓迎の辞。  それに続き、いかに取り組み甲斐のあるプロジェ クトであるかを「プロッターアドオン、ブロック2 の二契約合計六百億円の大型EPC案件。かつ二契 約同時進行。スミヨシ初のコンバインドサイクルの 一気通貫工事」とまとめ、訴えた。  そして最後に、赴任に際しては次の書類群に目を 通し、東京チームからこれまでの経緯説明を受けて ほしい旨、期待感をもって書き記したのだ。  OPERUMとの契約書一式  ○下請け契約書一式  ○下請け各社との業務分担表({}ivision Of Work ・DOWと略す)  久納は、市村六郎にいささかの関心も示さなかっ た。  とにかく現場のナンバー・ワンとなる人物が赴任 してくるなら、誰であろうと、構わない。自分は副 所長で結構。  やるべきことはやるのよIと、赴任してきた時 と変わらぬスタンスだ。  一方の田代は。  馬飼野から浴びせられ続けた罵詈雑言のトラウマ は依然残っていて、久納を探っていたように、やは り市村の人となりが気になるようだ。  片岡は、インドネシアの滞在ビサの制約を考慮し、 六十囗ごとに出国することにしていた。  今度の帰国中に、是非市村と面談しておこうI  次の六十囗目は目前だった。  5.強み  東京に戻ると、すぐに佐野に呼ばれた。  「沢井君を組合に出さなければならなくなった」  会議室に入ると佐野は、少し済まなそうに、が、 きっぱりと、片岡にそう告げた。  住吉商事の労働組合は所謂『御用組合』で会社側 に実権がある。あくまで、労使協調路線が貫けるよ う、実質的には、人事部側か組合長など幹部の指名 を行っている。  それゆえ、スミヨシの組合長ともなれば、トップ からの覚えもめでたく、その後の出世・昇進が約束 されているのである。  沢井淳は、もともと経理出身。トレーニーとして 二年間ジャカルタで過ごした。  最後の営業実習でPERUMを担当し、そのまま 東京の電力部門に転属となった。  CJCC東京チームの担当者の中では最年長の人 社七年目。片岡も、PERUMとの契約交渉や下請 けとのネゴには、若年の竹下英輔や新藤浩二は差し 置いて、沢井を随行させることが多かった。  この沢井、お客には極めて低姿勢で、愛想も良く、 素晴らしいフットワークを見せる。しかし、その反 動なのか、社内では逆に不愛想で横柄な口を利くと ころもある。  思えば、先日のことだ。  代理店手数料に関する社内稟議の作成を巡って、 アナタは事の重要性がわかっていないIと、片岡 に食って掛かってきたのは。  自分の草稿の出来の方は棚に上げて。  「後釜は、SJBの小森君でいいだろ」  ああ、彼、間もなくテヘランから帰ってくるから Iと、佐野は言葉を継いだ。  −沢井の奴、CJCCより自らの出世の道を選 んだな。  「裏切られた」の思いはあったが、もう未練はな かった。  小森清人は、初出張が片岡駐在時代のダッカたっ た。その後もなにかと交流がある。むしろ、こちら の『縁』に賭けてみよう、と片岡は切り替えていた。  CJCCの現場所長として、正式にセマラン駐在 の辞令を受けた市村六郎。  本来、赴任するまでは東京チームからできる限り の引き継ぎを受けることが望まれ、SJBにも赴任 するまでの期間市村の席は準備してある。  ところが、最初に、森安さんから内示を受けた Iと、挨拶に立ち寄って以来、ろくにSJBの事 務所に寄り付かないのだという。  やれ、赴任前研修だ、健康診断だ、ビザの申請だ、 とまるでお祭り騒ぎで、まったく腰が据わらない。  「プロジェクトの概要説明の機会も設けたんだけ どねI。市村さんは落ち着いて聞こうとせず、挙 句の果てに、別の約束があるからと、中座してし まったよ」  増保達夫は呆れ顔たった。  市村に用意された机をみると、PERUMとの契 約書、それぞれの下請け契約書、DOWの冊子が整 然と積み上げられたまま。全く、手を付けた形跡は なかった。  増保が片岡のがっかり顔を見て取り、彼に期待し たってダメだよI、さらに「邪魔しなければいい。 そう思ってれば腹も立だないからさ」と続けた。  佐野に聞いてみたI  市村は、神奈川県の湘南高校から慶應の工学部に 進み、プラットフォームや石油リグなどの海洋構造 物を製造するメーカーで技師を務めていた。  インド最大の油田開発(当時)であるボンベイ( イープロジェクトに従事しているところを、是非に Iと請われ、スミヨシに転職してきたのだそうだ、 と。  ここまでの経歴に、特段の問題がある訳ではない のだ。  ただ、スミヨシで、道を逸らしてしまい[海プ ロ]に吹き溜まった、ということだ。  そうであれば、今日に至る社内での生い立ちは、 久納・田代・片岡のそれと大差なさそうだ。  「このプロジェクトだけは最後までやり遂げよう」  そう誓って、走り始めた我ら三人の輪に、是非、 市村六郎も加わって欲しいI  これは、片岡の切なる願いであった。  片岡は、セマランに戻るのを一日延ばし、市村に 面談の時間を貰った。  SJBの会議室に現れた市村はどんよりとした目 をしていた。  初対面の挨拶もそこそこに「森安さんから頼まれ てさ。このプロジェクトに力を貸して欲しいって。 所長待遇でセマランに行ってくれっていうんで、そ れじゃお手伝いしましよう、つて言ったんだよ」と、 悪びれない。  −お手伝いします、か。  片岡の一番嫌いな言い回しだ。  市村に隕ったことではない。スミヨシではよく耳 にする。メーカーからのあてがい扶持の口銭商売に 甘んじてきた人間たちのセリフだ。  私は、当事者意識とか主体性とは全く無縁の人間 ですIと、自ら宣言しているに等しいのだが、も う、卑屈さなんて微塵も感じていないのだ。  −これじやいかんぞ。  片岡は、市村六郎を相手に力説したのだったI  今、スミヨシの森安部隊が、インドネシアで進め ているジャカルタ湾岸火力や中部ジャワ複合火力は、 旧態依然とした口銭商売の対極にあるんです。  即ち、スミヨシがリーダーになって、まずは、下 請け社を率いてPERUMに対し受注活動をし、首 尾よく受注に漕ぎ着けた訳です。  今や、スミヨシは、PERUMに対してはプライ ムーコントラクター(主契約者)で、下請け各社に 対しては発注主です。  技術や性能に関わる責任こそメーカーに分担して もらいますが、商務リスクやカントリーリスクはス ミヨシがマネージしてゆくのです。  プロジェクトの所要資金を賄うファイナンスもア レンジしています。  でも、何より重要なことは、発電所完成までリー ダーシップを発揮し続けることです。  そして、ジャワ島の恒常的な電力供給不足の解消 のために力を尽くすのです。  我々の活動はインドネシア国民の福祉に貢献する ことになると、信じています。  最後は、少々大袈裟にぶち上げた。  しかし、市村の反応は鈍い。  「それさ、工期は何年くらいかかるの?」  −契約書にあるだろう、工程表が。見ろよ。  キレそうな片岡に、さらに市村の追いうちのひと 言だ。  「ボクさ、年齢的にこれが最後の海外駐在になる と思うんだ。だから妻を帯同しようと思ってる。妻 も、行く、つて言ってるし」  話は全く噛み合わない。  「邪魔しなければ良い」  そう言った増保達夫のひと言が妙に真実味を帯び て甦ってきた。  あとひと月ほどで、市村はセマランの現場へと赴 任する。  入れ替わりで片岡は東京に戻り、ようやくプロマ ネとして本来の任務に就くことが出来るのだ。  市村の人選には大いに不安を残すが、森安・佐野 が敷いた既定路線だ。  片岡には如何ともしがたかった。  後日、セマランに市村六郎を迎え、片岡は、日本 を素通りして、そのままアメリカに向かうことに なった。  ジョンーガスリーの勧めに応じ、BSBの本社訪 問を決めたところに、ケイトーダナンスキーからも、 是非UEの本拠地スケネクタディヘーと、要請さ れたのだった。  久々の成田空港なのに、後ろ髪を引かれる思いで 乗り継ぎゲートに進み、ニューヨークヘ。  そこで片岡は、秋谷正太と合流した。片岡よりず い分年次は下だ。  秋谷は、久納の後任として石崎洋一の下に赴任し たばかり。  今度は石崎、従順な若手を所望したものとみえる。  ニューヨークからオルバニーまでは、一時間ほど のフライトだ。  ニューヨーク州の州都というが、小さな空港を出 て町に向かうのは片側一車線。両脇には白樺の林が 続き、北国の風情だ。  その夜、投宿したホテルの重厚なレストランで、 初対面となるダナンスキーが夕食の席を設けてくれ たのだったが。  慣れない時差のせいで、片岡は不覚にもテーブル で舟を漕ぐ有様であった。  スケネクタディ。  電力業界では、『スケネク』で通る。  トーマスーエジソンに遡る、UE発展の礎である。 古くから「電気の町」と謳われ、UEの重電機器の 主力工場群が立地している企業城下町だ。  翌朝。ホテルからは車で数分で、スケネクのUE 本館管理棟ビルだ。  ガラス張りの玄関で、改めて、ケイトーダナンス キーが迎えてくれる。  奥の会議室へと向かう廊下で「昨夜は、あのまま、 良くお休みになれました? それとも時差で……」 と、彼女ニヤリと笑ってみせた。  片岡の不始末に気付いていたのだ。  周囲に大小の会議室が並ぶホールの一角には、黒 の制服に白いエプロン、髪にはホワイトブリムをあ しらったウエイトレスが数名控えている。そして、 傍らのテーブルには各種の飲み物から茶菓までが整 えられ、来客に供する準備が万端に整っていた。  −企業文化の違い。  日米の相違なのか、はたまたUEとスミヨシの社 風の違いなのか。片岡には羨ましく思える。  UEがコンバインドサイクル発電所を手掛ける際、 次の四つのセクションが集結することになる。  ○ガスタービン(ガスサイクル)担当  ○蒸気タービン(スチームサイクル)担当  ○発電機担当  ○ガスとスチームを複合したサイクルギャラン ティを掌るエンジニアリング担当  これらを束ねるのがプロマネであるケイトーダナ ンスキーなのである。  大会議室には、すでに四セクションの責任者たち が集合していた。  オーストリアのAHIが担当するHRSGの性能 データはBSBを通じて、すでにUEに供され検討 は終わっている。  各セクションの検討結果を、次の流れに沿ってプ レゼンテーションせよI  ダナンスキーが皆をここに集めた主旨である。  ガスタービンの排熱↓排熱回収ボイラー(HRS G)で蒸気発生↓蒸気タービン駆動↓発電機から電 気の発生。  ケイトーダナンスキーは、責任者だちからのプレ ゼンに少しでも曖昧な点があれば、すぐに止め、別 の角度からの説明を求める。  再度チェックが必要な事項には、必ず回答日限を 設けた。責任者が安全サイドの日限を申し出ようも のなら、ダメダメーと、最短日をコミットさせた。  まさしく女子学級委員だった。  続いて行われた物流関連のプレゼンは、先の技術 陣・四セクションのものに比べ相当見劣りした。  UEのロジステイック部門の担当者は、片岡の質 問に応えきれず、外注の乙仲業者に任せっきりの感 は否めない。  やはり、BSBだけではなかった。  ロジスティツクは米国企業の弱点のようで、引き 続き注意を要する。  ランチだ。  朝方、飲み物や菓子が並べられていたテーブルは、 ブツフエ形式の温冷各種の料理に替わっていた。  それと共に、今度は、白い上っ張りに黒ズボン、 腕にナプキンをかけた給仕たちがうやうやしく控え ているのだ。  午後、片岡たちは蒸気タービンエ場へと案内され た。  見学者のヘルメット着用は、日本でも当たり前だ が、ここではプラスチック製のゴーグルも必須。さ らに特定エリアで着けよIと、耳栓も与えられた。  明らかに『セーフティ』の基準が日本より一段高 い。  翌朝、片岡たちは、東海岸のオルバニーから、中 西部のカンザスシティに向かった。  カンザスシティ国際空港は、大空港なのだが、市 内への公共交通機関は充実していないのが驚きだ。  国際空港からは秋谷の運転するレンタカーが移動 の足だ。  一時間余りのドライブで、BSBの本社へ。  玄関前にはデニスーリードが待ち構えていた。  リードはPERUMとの契約交渉終盤に体調を崩 し、以降、本社側での業務に就いている。  久々の顔合わせだ。  新しい名刺には「パートナー」の肩書が光る。  「Conguratulations 呂 your promotionj(ご昇進 おめでとう)  本社ビルの周辺は、囗本の桜に似た薄桃色の花が 満開だった。  季節的には、東京よりちと遅いか。  ワシントンDcとは違って、ソメイヨシノではな さそうだ。  リードも、チェリー? プラム? アーモンド? と思いつくままを口にする。  「植物は、ボクの専門じやないから」  最後は、理系のお決まりの逃げ口上で笑い飛ばし た。  応接室には、いかにもエグゼクティブ然とした スーツ姿のシニアーパートナーが入れ代わり立ち代 わり現れる。  皆、にこやかに片岡と秋谷に握手を求め、自らの 経歴を語り、主管業務を説明するのだった。  しかし、何と言っても、片岡が唖然としたのは、 3Dモデリングおよび3DCG(コンピューター・ グラフィックス)のデモンストレーションだ。  CJCCの発電所建屋内の配管の設計は全て『三 次元』で行っています。一緒に建屋内を歩いてみま しようI  チェックのシャツにジーンズ姿、長髪にあご鬚の 若手技師は、そう言うと、デスクトップを手早く操 作した。  ディスプレーには、彼と片岡に見立てた人物が現 れた。無数の大小の配管が縦横に走る建屋のフロア を二人は歩いてゆく……  次は、ベトナムのとあるサイト。  等高線が描かれた地図が映るディスプレーに、彼 は建設予定の発電所の設計データをインプットした。  コンピューターが何やらプロセスしている。  と、どうだ。  完成した発電所の全景が起伏に富んだ地形の上に トーンと浮かび上がった。  一九九五年四月のことなのだ。  日本はまだまだアナログ全盛の時代。  企業レベルでも、一般社員へのパソコン導入は進 んでいなかった。  実は、CJCCを受注した際、BSB、UEの両 社から、スミヨシとの契約上のコミュニケーション ツールを電子メールでIと、強い要望を受けたの だった。  が、しかし、当のスミヨシは「Eメールつて 何?」というお粗末。  結局、「コレポン(ビジネス文書のやり取り)は、 すべてファックスで行う」と、取り決めるしかな かった。  だがしかし。  いかにエンジニアリング部門が『驚愕の3Dモデ リングに3DCG』を駆使するエキスパート集団と いえども、続いて調達部門との打ち合わせに入ると、 俄然、片岡・秋谷のスミヨシ組が主導権を握るのだ。  ベンダーに発注した機器の納期管理、出荷、輸出 手続き、船積みといったロジスティツク関連には、 スミヨシーマンに一日の長がある。  餅は餅屋だ。  アメリカで、改めて、UEやBSBの強みを目の 当たりにした。  技術力とエンジニアリング能力。ここは、きっち り彼らに押さえて貰いたい。  一方、機器がサイトに搬入されさえすれば、あと は、スミヨシがタイコンノ神田組、芝浦プラントエ 事(シバコー)らを率いて建設工程を管理してゆけ る。  ここは我が方の強みだ。  では、彼我それぞれの『強み』を合体しているの だから盤石かIといえば、まだ不十分なのだ。  リーダーであるスミヨシが、もう一段階、慎重に 注意を払うべきは、この彼我の強みの狭間に潜むウ イークポイントを見落とさぬことだ。  例えば、UE。  技術の粋を集めて製作される一連の主機。設計も 品質も問題なく、確保したスロットに乗って、期日 通りに完成する。  そして、それでオシマイーと、考えている節が ある。  この非の打ち所がない製品も。  工場から出荷し、セマランの港まで輸送し、サイ トで据え付け業者のシバコーの手に引き渡されて初 めて、UEの強みがプロジェクトの中で生かされる のだ。  工場出荷から現場での引渡しまでが弱い。  スミヨシはここを補完せねばならない。  BSBにしても弱点は同様だ。  例えば、彼らが価格競争力のあるイタリアや東欧 のベンダーに発注を済ませた補機類。  その製作の進み具合や出荷体制にその後全くの ノーケアなのだ。  アメリカ人の気質なのか。  買い契約をしたらそれで終わり。  あとは、注文を受けた側か全ての契約義務を果た すのがアタリマエ、と考えている。  先方が契約通りに物事を進めているかI  モニターしようという発想法はない。  発注先は、技術力や価格競争力はあっても納期管 理に問題があるかも……とは考えないのだ。  契約義務を守れない相手は、契約不履行で訴えれ ば良い、という思考法だ。  しかし、訴訟している間も発電所建設はどんどん 遅れてしまうI  これが、主契約者たるスミヨシの思考法だ。  BSBの下請けベンダー(スミヨシからみれば孫 請け)のうち、例え一社でもスケジュールを狂わせ ると、全体工程に影響が及ぶ。  だから、スミヨシはBSBをうるさく督励するの だ。  例え、『お節介』と言われようとも。  そしてBSBにも、同じように、ベンダーの動き をモニターし、尻を叩いて欲しいのだ。  成田への機中、そんなことをつらつらと考えるう ちに、片岡は深い眠りへと落ちていった。  一九九三年の年末にリヤドから帰任し、もう、年 初にはジャカルタでCJCCの契約交渉に参加して いた。  この契約交渉第一クールは連続三ヶ月にも及んだ。  その後も、東京・ジャカルタの往復を繰り返し、 ようやく交渉は妥結、ブロック2及びプロッターア ドオンの受注に漕ぎ着けた。  息つく暇もなく、プロジェクトチームの立ち上げ と、下請け契約ネゴが待っていた。  東京とジャカルタ。それぞれで密度の濃い日々を 過ごし、あっという間の一九九四年だった。  だが、まだそれだけでは終わらない。  また年が明けると、今度は、早期定年退職で会社 を去った馬飼野の穴埋めに、急遽、セマランの現場 事務所に赴くことに。  まず久納悟、さらに市村六郎を迎え、ようやく現 場体制が整ったと思えば、その足でアメリカヘの出 張だ。  本当に息つく暇もない一年半だった。  しかし、神は非情だ。  こんなにも職務に精勤し、であるがゆえに日本を 不在にしがちな片岡に、さらなる試練を与えていた のだ。  日本の二月。  一番寒い時期に、父・文一の脳梗塞が再発してい たのだった。  居り悪く『現場事務所長代行』として、馬飼野総 司を日本へと送り返した直後のこと。現場を離れら れよう筈もなかった。  またしても、良からぬことは、片岡の日本不在中 に起こったのだった。  スヶネクからカンザスシティを回って帰国した片 岡にゴールデンウィークは目前だった。  この年はカレンダーの巡り合わせで、五月三日か ら七日まで、上日を入れると五連休となる。ここで、 妻子を連れて実家に顔を出さそうI今更ながら、 その思いは強かった。  忙しさにかまけて文一を見舞うことすら出来てい ない不肖の息子からの架電に  「自宅に戻って静養中とはいうけれど、決して快 方に向かっているI、ということではないのよ。 覚悟しておきなさい」  あの気丈な母・毬子がそう小さく言ったのだ。  家族で実家に文一を見舞い、カレンダー通りに五 連休して明けた五月八日、月曜日。  気分一新、出社した片岡のデスクには、現場事務 所や下請け各社から届いた大量のファックスと書類 の山が築かれていた。  −うへえ、こんなことなら、一日くらい出社し て書類仕事を片付けておけば良かった。  後悔先に立たず。  こうして、書類と格闘する日々が再開した。  片岡は東京チームの若手たちには、休日出勤を厳 に禁じていた。  CJCCは工期通り進んだとしても、完工まで三 年近くを要する。  休日に勤務すること、若しくは、深夜残業を繰り 返すことを前提に仕事のスケジュールを組んでいる と、いくら若いとはいえ、三年間持だない。  そういう片岡の心掛けとは裏腹に、若手たちの身 体には、すでに、次々と黄色信号が灯っていた。  まずは新藤浩二が、続けて、竹下英輔が同じく虫 垂炎で入院している。  真偽のほどは定かでないが、盲腸はうつるIと、 耳にしたことがあった。  本当にうつっだようなタイミングだったので大い に驚かされた。  きっと、ストレスが原因なのだ。  新藤も竹下も、管理職の小森(彼もこの後腎臓病 で倒れることになるが)でさえも、皆、等しく重圧 を感じているのである。  OCJCC二契約計六百億円の主契約者たること に。  O「世界のUE」「米国ナンバーワンのBSB」 を率いていることに。  ○完工まで三年。この重荷を背負い続けなければ ならない、そのことに。  発電所EPCを推進してゆくには、日々、技術事 項や工程管理に関する知識も身に着けてゆかねばな らない。  主契約者たるもの「僕、技術は分かりません」で は済まされない。  英語にしても然り。  ネイティブスピーカーだちと、丁々発止、やり合 わなければならない。少しでも気後れすれば、すぐ に言い負かされる。  それは即ち、相手に利便を持って行かれる、とい うことだ。  まさに、生き馬の目を抜く世界に身を置いている のだ。  これは何も新藤や竹下、小森に隕ったことではな い。  片岡章二にとっても、発電所EPCは初めての取 り組みなのである。  下請けとのジャカルタ会議の席で激しい胃痛に襲 われた。セマランでは息が出来ぬほどの右腕から肩 甲骨の痛みに見舞われた。  とりあえず、どちらも一過性のものだったようだ が、きっとプレッシャーからくるストレスが与え給 うたものに違いない。  五連休に対する罰則だったかI  そんな、仕事に追いまくられる二週間を過ごした。  が、五月十九日の金曜日の午後、ふっと、仕事の 波が途切れた。  よし、今日は定時で事務所を出て、吉祥寺の実家 に寄ってみようIと、片岡は思い立った。  連休中の一日、妻・玲子と子供らを連れ文一を見 舞ってみたが、やはり、容体は芳しくなかった。  母と長姉・佳子がかいがいしく世話をするのだが 文一の反応は、片岡にとって、寂しいものだった。  竹橋から吉祥寺まで、地下鉄東西線の三鷹直通で、 せいぜい三十分の道のりなのだが、車中、妙に気が 急いた。  吉祥寺駅北口を出て、実家までの十分足らずがも どかしい。  事務所を出る前に電話は入れておいたのだが、玄 関で出迎えた毬子は「どうしたのよ? 仕事が忙し いでしように」と素っ気ない。  それでも、風呂に入って、ビールを飲みながらの 夕食となると、母は漏らした。  「もう大きな病院には置いてもらえないのよ」  そして、近所の掛かりつけの医師からは、最期の 看取り介護の段階−と、宣告されているのだと。  「でも、あなたが来たこと、お父さんは分かって いたでしよ」  確かに。  玄関からすぐに向かった父の床。  「お父さん、章二が来ているわよ」  そう母が声を掛けると、父は小さく頷き、そろそ ろと右手を差し出した。そして、片岡の手を掴むと、 声にならぬ声を上げ、ひとり涙を流したのだった。  毬子は「あら、あなた、章二にだけはそんなこと するの……」と、目を伏せた。  佳子も「そうよ、お父さん。私たちには、いつも 知らん顔よね……」と続けたのだった。  翌、土曜日の朝。  まだ客間にのべた寝床にいた片岡は母の呼ぶ声で 飛び起きた。  「章二、お父さん、もうだめよ」  慌てて、文一の枕元へ。  父は目を閉じたまま動かない。  呼吸はしているのか。  「お父さん」  「ヒユツ」  父は最後に大きく息を吐ききっだ。  一九九五年五月二十日、  父・文T水眠。享年七十六歳。  一九九五年六月。  いよいよCJCC第二発電所(ブロック2)の機 器の出荷が始まった。  先行するのは、ガスタービンの基礎土台に予め埋 め込んでおくアンカーボルト(止金具)だ。この金 具にガスタービンの本体を固定するのだ。  UEからの貨物が現場に到着するや、田代はシバ コーを引き連れ行動を開始する。  まずは、梱包を開き、現物とパッキングリスト (梱包明細)を突き合わせ、一品一品照合してゆく。 各部品は、リストに記載された部品番号に基づきシ バコーの技師に識別してもらう。  照合が済んだものから「物品受領書」(Material Receiving Report/MRR)の様式に記入し、そ こにPERUMの受領サインを取得する。  これは、その後の代金請求手続き上、重要な確証 書類となるのである。  MRRの手続きが完了したものは、シバコーが現 場倉庫で実際の据え付け時期が来るまで保管する。  田代竜太郎の仕事ぶりは緻密だった。  アシスタントの現地職員・シアントとは名コンビ と言えた。二人は、汗だくになって、検品と記帳を 繰り返した。  万『物品に過不足でもあろうものなら、田代は、 送り主たるUEに対し、問い合わせ・ファックスの 雨を降らす。  片岡にとっては心強い。  「モノを押さえること」  商社にとって、現場工事の一丁目一番地だ。  現場で、受領したモノを検品し、員数をチェック し、正確に記帳してMRRという証書にする。これ をシバコーに回して保管責任を促し、据え付け工事 の時を待つ。  こうして、スミヨシのコントロールが効き始め、 徐々に現場で『強み』が発揮されてゆくのだ。  そのシバコーこと芝浦プラントエ事は、現場所 長・正力富男、副所長・山田元を筆頭に工事隊は既 に現場に乗り込み、二〇〇トン級のクレーン車も出 動を待っていた。  「段取り八分ですから」と正力。  「パップ」と、聞こえてしまう東北訛りである。  BSBも計画通り、土木のジムーシュナイダーと 工程管理(スケジュ圭フー)のマークーマクドナル ドがまずは現場入りした。  ふたりは、目下のところ、タイコンノ神田組の進 捗をモニターしており、現場での泉川剣吾との小競 り合いも既に始まっていた。  市村六郎は、長くホテル住まいを続け、借家探し にご執心だったが、ようやく市内の一軒家を決め、 賃借契約も結んだ。  久納の物件に比べ、家賃が相当高額なのが気に なったが、「これ、主管者の『公館』扱いだから仕 方ないだろ」と、部長の佐野明彦は決裁を下した。  海外の事務所長クラスは、社外に向けてのステイ タス維持の面からも、相応のレベルの家屋が会社か ら提供される。そして、『公館』として機能させる ために、必要なコック、メイドの給与、また電気光 熱費も全て会社が負担することになっている。  こうして各社各様に、現場工事の本格始動の準備 と体制が整った。  一九九五年七月、四台のガスタービンがいよいよ 現場に搬入される。  重量物輸送のスペシャリストである大日本通運と スミヨシの機電運輸部がタッグを組んだ「重量物輸 送チーム」は、計画通り、シンガポールでカスター ビン本体(一基約二〇〇トン)をUE手配の本船か らのバージ(スミヨシ手配の艀船)に受け取り、そ のまま海路をセマラン港まで曳航して来たのであっ た。  保税状態で現場まで搬入し、税官吏の立会いの下、 通関、輸入手続きも滞りなく終了した。  スミヨシは、こうしてUEから引き継いだガス タービンをシバコーに引き渡したのだ。  次は、『タスキを受けた』シバコーが、UEから 派遣されてくる据え付け指導員(Technical Advisor/TA)のアドバイスを得ながら、ガス タービンーオン・ベース(基礎土台の上に設置する こと)という、最初のマイルストーンを達成する番 だ。  マイルストーンとは、工程の進捗管理のために、 途中で設けた節目となる重要イベントのこと。その 第一番目をクリアしたIと、なれば幸先が良い。 今後、弾みもつく、というものだ。  このガスタービンのシンガポールからのバージ輸 送。  実は、CJCCの第一発電所(プロッター)でも 実施している。  増保達夫も経験ずみなので、二番煎じではあるの だが、今回現場で立ち会った片岡としてはホッと胸 をなでおろす思いであった。  なんとなれば、これ、一体どれほどの距離がある のか。  途中時化に襲われたら……海の藻屑?  胸中不安は尽きなかった。  しかし、それからもののひと月も立たぬうちだ。  そんな拭い去ったはずの片岡の不安は、別の重量 物の船積で、現実のものになってしまうのである。  発電機から発生した電気を一五〇KVの高圧に上 げ送電線に送り出す大型の変圧器(トランスフォー マー。トランスと略す)二台は、BSBが重要BO Pとして、囗本の[浪花変圧器](通称ナミヘン) に発注したものだ。  ジョンーガスリーは、PERUMのコンサルタン ト時代に、ナミヘンの大型トランスを買い付けた実 績があり、性能に信頼を置いていたのだ。CJCC でも是非使いたいと。  そして、ナミヘン三重工場のタイトなスロットに 強引に割り込み、二台分の納期をCJCCブロック 2のために確保したのだった。  その二台の製作がようやく完了した。  トランスは鉄と銅線の瑰だ。  本体のメインタンク部分だけでも二五〇トンの重 量がある。  ナミヘンは、国内の重量物輸送許可を所管の役所 から取得の上、JRの貨車で、まずは三重工場から 神戸港まで搬出した。  神戸港で、三〇〇トン級の揚貨設備(ヘビー・デ リック)を自ら装備している重量物貨物船に積み込 み、セマラン港まで輸送して、再びそのヘビー・デ リックで降ろすのである。  こういう重量物貨物船の就航数は世界でも隕られ ている。  三重工場の製作スロットを押さえた段階で、同時 に船会社に予約をかけ、このトランスのセマランヘ の回航を申し込んでいたのである。  こうしてようやく呼び寄せた重量物貨物船だ。ナ ミヘンは二台の大型トランスを一気に積み出す計画 であった。むろん、施主であるスミヨシからも、そ して発注主たるBSBからも事前に同意を取り付け た上でのことだ。  盆休み明けの荷揚げ当日。  幸い神戸港は好天に恵まれた。  残暑が厳しかったですよIと、重量物輸送チー ムの塩人英治は振り返る。  まず、一台目のメインタンクがヘビー・デリック で吊り上げられ、順調に甲板下の船倉に収められま した。  続く二台目ですよ……  同じように、船側から吊り上げ始め、甲板上方で デリックのブーム(クレーンの腕部)を旋回させ、 船倉への開口部に寄せてゆこうとしていました。  その瞬間です。  吊り上げワイヤーが、ギシッと、大きな音を立て 切れたんです。  タンクは開口部脇の甲板の一部を破壊して船倉内 に転げるように落ちました。  ガギーンと、ものすごい金属音。  その時、ちぎれたワイヤーが旋回して来たんです よ。まるでカウボーイの投げ縄みたいに。  二〇〇トン以上の引っ張り荷重たっだのが一瞬で ブチッですからね。ブームを支点にして何度も宙を 回ってました。  逃げましたよ、みんな。  あんなワイヤーロープが当たったら、人間の胴体 だってスパッ、じやないですか。  俺も危なかったツすIと、塩人英治は興奮気味 に締めた。  大日本通運の重量士によれば、ヘビー・デリック の頑強なスティールワイヤーが切れる、などという 事態は、正に「あり得ない」という。  各種の法律や規制の中で、ワイヤーの健全性は常 時担保されねばならない。そのための確認・点検の 要領は厳しく定められ、デリックのオペレーターも ライセンス保有者でなければならないのだとも。  なお、事故後、船倉内での現場検証に立ち会った 塩入は次のように見立てた。  −一台目は開口部直下から船倉内の船首側に寄 せて仮置きしてあったんです。しかし、開口部を一 部突き破って落下してきた二台目が、船倉の床を滑 るかたちでその一台目に激突したようでした。  多分二台とも『全損』だと思います。  全損とは、もう修理不可能、という保険用語であ る。  これは保険事故である。  被つだ損失はスミヨシが付保している海上保険で 補償される。  事故発生報告を受けた住吉海上火災(スミ海と略 す)は、直ちに専門のサーベイヤーを神戸港に派遣 し、当該トランスのメインタンク二台の損害状況を 調査する。  「修理すれば使用可能」=分損  「修理不能」     =全損  この判断いかんで支払われる保険金の額も当然異 なる。  「全損」となれば二台で約五億円規模の大型保険 求償事案である。スミ海も慎重に調査し、結論まで には相当の時間を要するだろう。  ここまでは、保険の基礎講座である。  しかし、この時すでに、片岡に「修理して使用す る」という選択肢はなかった。  この二台の大型トランス。  BSBがナミヘンに発注を掛けてから製品が完成 して船積するまで、丸々十ヶ月を要している。  つまり、調達に時間のかかる、ロングーリードタ イムーアイテムなのである。  この事故によって生じる得る悪影響を念頭に、主 契約者として全体工程を見直す場合、ワーストケー スーシナリオ(最悪の事態)を想定しなければなら ない。  まずは、最長のリードタイム(調達期間)を前提 にしておくことだ。  事故品を修理するだけなら十ヶ月もかかることは あるまい。しかし、片岡はすでに「二台再製作」つ まり、十ヶ月のリードタイムを織り込んで工程を練 り直す腹積もりだ。  ここはもう揺らがない。  次なる行動は、ナミヘンに再製作を指示すること だ。  新たな生産スロットを一刻も早く確保せねばなら ない。  一方で、スミ海が「分損」認定を下すI、とい うのもワーストケースだ。  その場合には「修理費相当」の保険金しか支払わ れず、再製作品代金との差額はスミヨシ負担となる。  −腹を決める。  保険会社の「認定」結果に、プロジェクトの意思 決定を委ねるつもりはないのだ。  すぐに、部長の佐野明彦の裁可を求め片岡は本社 に出向いた。  この事故については、当然、発生直後に『即一 報』してある。  この往訪のキーワードはBra乱 new=「新品」 だ。  PERUMとの契約条件の中に「納入品はすべて Bra乱 newであるべし」という条項がある。  「クレーンでの吊り上げ中に落下しまして、その 挙句、船倉で玉突きになったんですけど、キチンと 修理しておきましたからIつて、PERUMに納 入できますか、佐野さん」  これ、Bra乱 newですって言えます?  同行していた小森清人は「新車を買っだのに、納 入されてきたのは事故車だった」じゃ、やっぱダメ ですよねIと、笑い話に持ち込んだ。  佐野も当然のごとく「すぐナミヘンに手配掛けて よ」と、オーケーを下した。  事故発生の報を受け、夜行便でジャカルタを発っ たジョンーガスリーは、成田到着後、一旦都内のホ テルにチェックインし、午後にはSJBの事務所に やってきた。  BSBはナミヘンヘの発注主だ。  まずは、スミヨシ・BSBで善後策を協議する。 ここは一枚岩となって、ナミヘンからベストな『再 製作』のリードタイムを引き出さねばならない。  しかるに、肝心のガスリーは「海上保険はスミヨ シのスコープ(責任所掌)だから、BSBは何とも 言えない……」と、逃げを打とうとする。  こういうところがアメリカ人らしい。  実際のところ、ガスリーも、スミ海が「分損」と しか認定しないリスク、即ち修理代相当の保険金し か支払われないことを懸念しているのだ。  片岡は問うたI  我々、BSBとスミョシ両プロマネの意思決定は、 支払われてくる保険金の額に縛られてしまうのか、 と。  修理した本体タンクを、実際に、我々の発電所で 使うという選択肢。  まだ、それを捨てずにいるのか、と。  落下と衝突の両方の衝撃で相当のジー(g/重力 加速度)を受けているのだ。目に見えない品質面で 劣化の懸念もある。そんなことは、メカニカルーエ ンジニア(機械系)のガスリーの方がよく承知のは ずだ。  最後に、対PERUMの「Bra乱 new」問題に はどう対処するつもりか、と。  現場に持ち込んでから「修理品なんかダメ」と受 け取りを拒否される。これが最悪だ。  やはり、一刻も早くナミヘンに再製作の指示を下 し、最短のリードタイムで再出荷に持ち込む。これ 以外の選択肢はなかった。  「Money can buy but Tiヨe cannot buyj  片岡はこう締めた。  ガスリーも「オーヶI」と柢く応じた。  カネは何とかなるけど、時間はカネでは買えない ぜI  プロジェクトは、いつも、時間とカネのマネジメ ントなのだ。  しかし、あれが英語として正しいのか、どうか。  ともあれ、もうガスリーとは一枚岩たった。  ところが翌日、片岡たちの前に現れたナミヘンの 事業部長・畑治、輸出営業部長・多田野良夫は思わ ぬことを口にした。  「片岡さんな、このトランスは非常に採算が悪い んですわ。再製作やI言われても、とても同値で はお受けでけまへんねん。資材も相当値上がりして ますよってな」  同席しているガスリーには一切お構いなし。畑治 のペタペタとした大阪弁だ。  勘弁してくださいIと、畑がわざとらしく頭を 下げる。多田野が慌ててそれに続いた。  さらに、三重工場は大型トランスに特化しており、 製造ラインは計画的に管理されている、と、畑治は 言うのだ。  −当然だ。  だから、いかに事故対応とはいえ、もう、スロッ トの割り込みは出来ない。万一、いずれかを後回し にすれば、割を食った発注主だって黙っていない。 納期遅延に対する莫大な損害賠償を受けた上に、今 後「ナミヘンは一切出入り禁止」とそっぽを向かれ てしまいますわIと、追い打ちをかけてくる始末 だ。  −この、策士め。  片岡の強い思い。  それは現実の言葉と化して、滔々と縊れ出した I  ナミヘンとスミヨシは長い付き合いではないか。  自分自身、ほんの駆け出しのころから畑さんと商 売させてもらっている。  お互い無理も言い合ってきた。  なかでも、PERUM向けは特別だ。  ナミヘンのトランスの『記録品』(それまで製作 した中で最大容量のもの)は、セマラン発電所に収 まっている。  CJCCの隣だ  もう十五年も前の話だが、私はあの『記録品』を 担当していた。  奇しくも、ここにいるジョンーガスリーがPER UMのコンサルタントを務めていた時に貰った注文 で、深い因縁を感じている。  工場検査のため、PERUMの技師陣を三重まで お連れしたのもこの私だ。  だいたい、各国の電力会社が、ナミヘンに大型ト ランスの注文を出すようになったのは、あの『記録 品』がキッカケではないのか。  実績の証−と、高く評価されたからではないの か。  そういう意味では、ナミヘンを輸出市場の表舞台 へと押し上げたのは、スミヨシでありBSBではな いのか。  CJCCは、そのスミヨシとBSBが手掛けてい るのだ。  この発電プロジェクト成功のためには、ナミヘン のトランスが必要なことは、よくご存じではないか。  それでも、スミヨシ、BSBには協力できない、 というおつもりか。  (畑も多田野も黙って俯いたままだ)  ナミヘンは一介の『トランス屋』やから、スミヨ シがどんなに大きな発電案件やってるのかなんて興 味ありませんわIと、いうことか。  もしそうだとしたら、今後は、スミヨシのEPC 案件には参加すべきではない。  発電プロジェクトのI員なんだI、という自覚 もプライドもないならば、私は「もうナミヘンのト ランスは使えません」と、森安にも佐野にも進言す るから。  すべて日本語だったのだが、言い終わると、同席 していたジョンーガスリーは「サンキュー」と、大 きく頷いた。  二日後。多田野良夫から電話が入った。  「事故に遭ったメインタンク以外は、すべてその まま再出荷が可能−と、品質管理部長が結論を出 した」という。  あの時、タンク以外のトランスの付属品一式も、 すでに船倉内に収められていた。  そこに事故の衝撃を受けた訳だから、全品検査し たのだと。  特に、ブッシング(トランスの入出力端子で磁器 製の太い筒状)に振動による亀裂なども見られず、 助かったIという。  この磁器製のブッシングは[中日本碍子]の独占 品で、再調達ともなると必ず長いリードタイムを要 求してくるメーカーなのだと。  「タンク二台の再製作だけなら、なんとか五ヶ月 程度に抑えられる見込みですんで、是非とも、頑張 らせて頂きます」と、多田野の声は明るかった。  スミヨシの保険部長である福留靖から「スミ海が ようやく全損認定したよ」と連絡があっだのは、期 末を迎えた翌年三月のことだった。  もう、再製作したタンク二台を含め全品、無事セ マラン港に向けて船積みを済ませていた。  曰く、  「スミ海も期末の様子を見ていたんだな、オー ルースミヨシでさ。要するに、スミヨシの全社から 受け取った保険料総額と、スミヨシの各案件に支 払った保険金総額を睨んだ上で、トップがOKした らしい。年間でみたら、受取・支払がバランスして たってことじやないかな。金額も大きいし、五億円 だろ、良かったな」  それからさIと、続ける。  「事故品ね、神戸港の倉庫に入れたままだろ。全 損が決定したから、あれ廃棄処分しなきやいけない よ」  一台二五〇トン級の重量物だ。誰でも簡単に動か し、どこへでも捨てられるブツではない。  「大丈夫だよ。[浮田サルベージ]からオファーが 来てるから」  浮田サルベージとは、総合海事事業者で、大型の フロ上アイングークレーン船を所有しており、事故 品の引き取りから廃棄処分まで一切引き受けるとい  「見積金額は相当高いけどね。この廃棄コストも 保険でカバーされるし」  それに、誰にでも処分できる、というわけじやな いからね……という福留の含みのあるひと言が決め 手たった。  片岡はすぐに浮田サルベージのオファーを受けた。  ある時、あの事故品は瀬戸内海の島喚のひとつに 廃棄されたIとの噂が流れてきた。  6.また一難  現場では、建設が本格的に進んでいた。  ニューヨークからの移駐でカルチャーショックに 陥っていた久納の帯同家族、(セガワちやんとふた りの息子たちも、今ではすっかリセマランでの生活 に順応していた。  憂いの消えた久納悟は、水を得た魚だ。  『昼行燈』の市村をあてにすることも、期待する こともなく、現場で陣頭指揮を執っていた。  日々、PERUMとの折衝をこなし、BSB、夕 イコンノ神田組、シバコーらの尻を叩き、工程を前 に進めようと奮闘している。  しかし、現場で下請け同士の小競り合いは、つき ものだ。  発電所には、水、油、空気、ガスそれぞれを通す 配管が、正に血管のように、張り巡らされている。 各機器システムを繋ぎ、連動させ本来の機能を維持 し続けている。  BSBは、据え付けの終わった配管のブラッシン グを開始していた。  管内をオイルで循環洗浄し残留物や錆を除去する のである。  どの系統の配管であれ、パイプ内が一定の清浄度 に達しなければ、システムを稼働させることはでき ない。何となれば、配管中に残った異物や浮き錆が 接続先の機器類を痛めたり、作動不良を引き起こす リスクがあるからだ。  しかし、BSBがいくらブラッシングを繰り返し ても、一向に、肝心の清浄度は上かってこないの だった。  ついに、ちょっと筋違いに、シュナイダーがキレ た。  シバコーが、保管責任を果たしてないからだI と。  「BSBが引き渡したパイプをサイトで野ざらし にしてたじやないか。だから、パイプの中が錆だら けになるのさ。そんなもの、いくらブラッシングを 繰り返したってきれいになりっこない」  聞きつけた、ヤマゲンこと、ちょび髭の山田元が 「冗談じやないですよ」と、すっ飛んで来る。  「重要なパイプならキャップを両端に着けて出荷 すべきでしように、アンタらの方が」  確かに。  ヤマゲンの言う通り、パイプ内の防汚、防錆のた めにエンドキャップを両端に着けて出荷する例は多 い。  その後も、ブラッシングは一向にほかどらない。 時間ばかりが過ぎ、双方がますます苛立つ。  「シバコーの溶接が悪いから、パイプの繋ぎ目が 『バリ』だらけだ。これじゃ、いくらフラッシュし てもきれいに取れない」  今度は、スケジューラーのマークーマクドナルド が出て来て、ブラッシングエ程遅延の責任転嫁をは かる。  「冗談じゃないですよ〜。ウチの溶接屋はみんな ライセンス保有者だ。だいたい、アンタらだって、 溶接完了−つて、ちゃんとサインしてるじゃない ですか」  ヤマゲンにも一理ある。  溶接完了時には、PERUMを含め、関係者が集 まって検査し、問題なしIと、証書に承認サイン するのが手続きだ。  何れにせよ、遅れる一方のブラッシング作業をこ のまま放置しておけない。  久納はジョンーガスリーをサイトに呼び、根本的 な改善策を求めた。  その席上でも、ぐずぐずとマクドナルドが言い訳 を続け、それをヤマゲンが押し戻す展開にI  「うるせI」  一喝したのは久納で、正に会議机の灰皿を投げつ けんばかりの剣幕だった、という。  結局「フラッシングースペシャリストを招聘する しかない」とガスリーが引き取った。  要するに、新たに専門の業者をサイトに呼ぶのだ。 もっと大型のブラッシング専用ポンプを持ち込み、 配管内に大量の油を循環させ、一気に洗浄効果を上 げようということだ。  当然、追加費用はガスリーの持ち出しだ。  しかし、その効果は絶大で、あれだけの騒動を巻 き起こしたブラッシングは一気に完了したのである。  中でも、ガスタービンに繋がる配管系統のブラッ シング完了をuEのTA(Technical Advisor/据 え付け指導員)がすぐに承認したというのは「二重 の意味で」吉報だ。  まず、万一にもパイプ内の残留物が高速回転する ガスタービンに混入してブレード(羽翼)でも吹き 飛ばしたら一大事だ。  もうひとつは−  UEのTA、時給が二百米ドル(当時)なのだ。 ブラッシング待ちの時間も時給は支払われる。スミ ヨシにとって、大きなコストオーバーランとなると ころだった。  久納悟の奮起、田代竜太郎の戦力化によって、片 岡の現場出張の頻度も柢くなりつつあった。しかし、 ようやく一安心と思った矢先に。あのトランス落下 事故たった。  あれからひと月。  事態収拾に向けてタンクの再製作も開始された、 一九九五年九月−  片岡の次姉・雅子は虎の門病院に入院していた。  春先に、胆のう癌と診断された。  これが、雅子にとって、三度目の癌なのだ。すぐ に手術を受けた。  しかし、術後の容体が優れず、その後も人退院を 繰り返しているのだった。  通産官僚である雅子は、役人として、妻として、 そして十六歳になる一男の母として多忙な日々を 送っていた。  数年前に乳癌を発疱した。  虎の門病院で施術。  難を逃れたと思われたが、二年と措かず、今度は 腎臓に癌が見つかった。  再び虎の門病院が対応。  これも事なきを得て、職場復帰していたのだった が。  今回は胆のう。  虎の門病院の見立てでは、これらは『多発性』の もので、次々に『転移』しているものではない、と いうのだが……  片岡にはどう違うのか理解出来ない。  文一の葬儀には、無理を押して出席していたのだ ろう。  雅子は終始苦し気な表情をみせていた。  あれは、父の死を悼んでI、だけではなかった はずだ。  案の定、  「雅子は、あの後すぐに[虎の門]に逆戻りよ」 と、母から知らされた。  片岡は、迷わず、事務所からその足で虎の門病院 に向かった。  「出張、出張で、大変ね。この間はアメリカだっ たんでしょう」  ベッドに半身を起こした雅子。  改まった口調で続けた。  「章ちゃんね。忙しくても、よく寝なければだめ よ。身体を横にしないとね、ぽんとうには休まらな いんですってよ」  いつも通り、そんなふうに、静かに弟を諭した四 歳年上の姉。  子供の頃から、しばしば、章二に金言を授けてく れた。  残暑は厳しかった。  今回は危ないI  九月に入ってからというもの、毬子も佳子もしき りにそう口にする。  [マーちゃん、宣]つ白い便が出て驚いたって……」  片岡には、それがどのような恐ろしい症状を暗示 しているのか、見当がつかない。  「この二、三日がヤマだそうよ」  前夜、毬子が寂しい声で電話をしてきた。  明日、私も病院に行ってみるわIと、玲子も力 なくうなだれる。  翌日の夕刻。  片岡が病院を訪ねてみると、雅子は個室に移され ていた。  「ああ、章二。来られたの。さっきまで、玲子さ んもいたのよ」  毬子が言った。  白い開襟シャツに学生ズボンの甥は、ベッド脇に 跪き、雅子の枕元に、寄り添うようにしている。  「モルヒネの投与が始まってるの……」  佳子が囁くように片岡に告げた。  義兄は、少し疲れた様子で「今夜は、長くなりそ うかな」と、誰にともなく呟いた。  片岡は反射的に、「お義兄さん、私、ビールと何 かつまみになるもの買ってきますよ」と言うと「そ うしてくれる?」と、少し微笑んでみせた。  近所のコンビニで買い物を済ませ、急ぎ足で病室 に戻る。  入室前に、備え付けの消毒液ポンプをプッシュし ていると、気づいた毬子が内から声を上げた。  「章二。もう、そんな必要ないから」  そのまま入って来なさいIは、かすれた。  雅子はベッドの背に半身を預けていた。  意識は混濁している。  白衣の医師と看護婦は、もう、傍らに立ち尽くす ばかりだ。  「マーちゃん、何してるのよ’・」  思わず、片岡は口走った。  と同時に。  雅子はホウーと、長く息を吐いた。  医師が腕時計を覗いて「ご臨終です」と頭を下げ た。  雅子、永眠。  片岡は、手にしたままだっだレジ袋を床におろし た。  −何ということか。  あっという間に、父と姉を立て続けに失ってし まった。ろくに、看病することも、見舞うことすら 出来なかった。  いや、しなかったIというべきだ。  まだ十六歳の甥は、雅子にすがり「もっと、話が したかったのに」と、声を上げて泣いた。  遺体は自宅へ連れて帰る。  病院手配の寝台車を待だされる間に、ロビーの公 衆電話から玲子に電話を入れた。  「今夜は義兄の家で仮通夜だ」  子供たちの帰宅時間に合わせ、一足先に病院を離 れた玲子。  帰宅の道のり。  薄暗い地下鉄銀座線の車内。  一瞬、たまらなく悲しくなって、涙が縊れて止ま らなくなっだの。  −ああ、お義姉さんはお亡くなりになったんだ。  そう思ったのよ、あの時だったのね。  大型トランスのメインタンク二台を保険事故で 失ったのも束の間。  今度は、(ンブルグから積み出されたHRSGの 重要部品を失うこととなった。  そもそも、排熱回収ボイラー(HRSG)は工場 での製作が遅れていて、工程への悪影響が懸念され ていた。  出荷出来るものから順次−と、分割出荷を試み るうちに今回の事故に遭遇した。  プロマネのマイケルーワインバーガーからの報告 によればI  本船は、(ンブルグ港を出て順調に航海を続けて いたが、マラッカ海峡に差し掛かり悪天候に遭遇。 座礁した。  本船自体の「共同の安全」を確保するために、船 長判断により、一部の積み荷を海上に投棄した。  この中に、残念ながら、AHIの部品も含まれて いた。  しかし、この『投げ荷』によって、本船沈没とい う最悪の事態は回避された。  これは『共同海損事故』と認定され、投げ荷に よって生じたAHIの損害は、最終的には船会社の 付保している保険で補償、精算されることになる。  投げ荷された部品のインヴォイス金額(船積み価 値)は三万米ドル。  ただ、金額こそ小さいが、クリティカルーパイピ ング(システム上重要な配管材)で、HRSGの性 能にも大きな影響を及ぼす。  これを再調達せねばならず、工程への影響は極め て大。  片岡はすぐに再調達を指示した。  またも、カネよりも時間だ。  さらに、再出荷は船便ではなく航空便とするよう に命じた。  保険事故による再出荷品は、海上運賃より高額な 航空運賃でもカバーできるよう、スミヨシの海上保 険には「特約」が付けてあるのだ。ナミヘンのタン クは寸法が大き過ぎて航空便は無理だが、AHIの パイプ材ならば問題ない。  後日、ワインバーガーからファックスが送られて きたI  再調達には二ヶ月を要す。  この共同海損事故はAHIの合理的なコントロー ルが及ばないところで発生したものであり、AHI は、契約上の「不可抗力条項」が適用されるものと 了解している。  従って、これによる契約履行の遅延は免責である。  通常の遅延挽回努力は惜しまないが、それにかか る費用一切はスミヨシの負担とする。  極めて契約を意識した文書であった。  再調達されたパイプ材がサイトに到着するまでの 三ヶ月強のロスをどう取り戻すか。  現場では、久納がシバコーと打ち合わせをしてい るのだが、「難しい」「追加コストが必要」と、『予 防線』を張るばかりで具体策は出ないのだ、と。  「どいつもこいつも、カネをせしめようとする奴 ばっかりよ」という久納の嘆きはもっともだ。  気が付けば、一九九五年も暮れようとしていた。  年始早々、阪神淡路大震災で世界はカオスな光景 を目の当たりにした。  一体、どんな一年になってしまうのか、不安な幕 開けだった。  近視眼的にCJCCに絞って見ても、不安的中で、 滅多に経験しない事故が重なった。  ○結果として、変圧器メインタンクを二台とも 失った、重量物クレーンーワイヤーの切断(全損事 故)  ○本船の座礁で投げ荷の憂き目にあったHRSG のクリティカルーパイピング(共同海損事故)  一方で、片岡個人としては、この一年で、父と姉 をたて続けに亡くしてしまっている。  しかし、その反面で、中部ジャワ複合火力発電プ ロジェクトのプロマネとして、ある種の手応えを感 じた一年でもあったのだ。  悲しみと引き換えにIと、言って良いのだろう。  現場では、パイル打設に始まり、基礎工事が進ん だ。  主要機器のサイト搬入が続き、いよいよ据え付け 工事も本格化してきたのだ。  何よりも喜ばしいのは、このCJCCだけはキッ チリとやり遂げようIと、誓い合った久納悟と田 代竜太郎が現場で確固たる存在感を示してくれたこ とだ。  その筆頭は、やはり、田代竜太郎だ。  この一年で、すっかり現場に溶け込んだ。  スミヨシの総務・経理はもとより、今や、現場に 搬入されてくる貨物の「総元締め」だ。完璧なMR R(物品受領書)作りは、PERUMからも信頼を 克ち得ている。  馬飼野に見せてやりたいIと、片岡は思う。  田代自身も小さな自信を掴んだに違いない。  過日、「来年には、妻を呼び寄せようと思ってい ます」と、皆に宣言したところだ。  そうなると、片岡も出張ごとに田代のいる社宅に 転がり込むわけにもゆかなくなる。  でもこれは嬉しい誤算、と言えよう。  傷心のセマラン移駐だったはずの久納悟。  さすがに、ニューヨーク駐在経験の賜物か。アメ リカ人のあしらいに長けている。  BSBもタジタジの場面が多く、UEのTAたち も明らかに久納には一目置いている。  あれほど、現場のナンバーワンなんかご免だI と、駄々をこねていたのが嘘のようだ。  今や、現場のリーダーだ。  そんな久納も先を考えていた。  「あのさI、上の坊主、囗本の高校にやろうと 思ってんのよ。家内も、この際、ふたりを連れて囗 本に帰るって。来年の半ばかな」  そうなれば、「晴れて単身生活よ」と、うまそう に煙草をふかすのだった。  ふたりの息子たちたちも、セマランで二年過ごせ ば、『帰国子女枠』での入試には、多少有利になる のか。  片岡はその辺のことはまるで疎かった。  ただ、市村六郎はI  「邪魔さえしなければよい」  増保達夫にそう諭された。  実に的を得ていた。  プロジェクトに関わる実務に期待しようとか、一 部でも職務を任せようようとか、もはや片岡も思わ ない。  それは、久納も田代も同じで、仕事は自分らで回 すIと、とうの昔に心得ていた。  しかし、それでも結局『邪魔』になる。  先日も、東京の事務所に電話をしてきていうこと には。  「片岡君さ、公館のカラオケセットがもう古いか ら、買い替えたよ。あと、性能が良いマイクがあっ たんで、それも三本買っといた」  ボクんとこ来客多いからさIと、本人はいたっ て気楽なものだ。  「ちょっと、待ってください。二十万円以上の備 品を購入する時は、社内で申請して事前に許可を取 るのがルールです。それで、固定資産登録するんで すよ」  それから、前のカラオケセットはどうしました? と訊くと  「大家のインドネシア人が欲しいっていうから、 あげちゃったよ。そしたら、喜んでさI」  片岡は呆れた。  でも言わなければならない。  「古い方も固定資産登録してあるので、廃棄する なら、理由を書いて、登録解除の手続きをしなけれ ばなりません」  「あI、そうなの。そっちで、適当にやっといて よ、じゃ」という調子である。  プロジェクトそのものには興味も関心も示さない 市村だが、そこは年の功で、関係者に取り入ること だけは抜け目ない。  PERUMのドド、コンサルタントのアーメッド あたりを自宅に招いて、夫人の手料理を振る舞って ば、カラオケに興じている。  先日もガスリーが、「この間、イチムラの家に呼 ばれてカラオケをやったよ」と、苦笑していた。  スミヨシでは、こういったケースを「公館接待」 と扱い、来客一人当たり十五米ドルの会社補助を支 給している。その精算伝票は、経理部から片岡の所 にも回ってくるので、誰が接待相手なのかIは、 判る仕組みだ。  市村は見切っているのだ。  取引先の上の方から「アイツはダメだ」「替えろ」 とさえ剌されなければ、この主管者のポジションを 奪われることはない、安泰だ、と。  片岡は、市村と、同じ『海プロ』出身だった元 ダッカ事務所長とを、つい、ダブらせてしまうの だった。  井戸忠行に代わってジャカルタに赴任してきた矢 沢健も、いちいち、市村六郎の行状について片岡に 苦言を呈した。  これも、別の『邪魔』だった。  「片岡よI。市村さん、しょっちゅうジャカルタ に買い出しに来てるぜ。知ってんのか? 毎回、奥 さん連れてグランド「イアットに泊ってるって話だ。 そんなの公費では、認めらんねえだろ」  電話を受けた片岡は、一瞬、ピンと来なかった。  言われてみれば、何回か出張精算の伝票が東京側 に回ってきていた気がする。それには「出張目的、 ジャカルタでの打ち合わせ」とあったので、そのま ま認証していた。  「ジャカルタ事務所で打ち合わせがあったんじや ないんですか」  「俺んとこなんか一度も顔見せたことねえよ。こ の間、たまたまグランド「イアットで客待ちしてた ら、ばったり出くわしたんだ」  そのままシカトして行こうとするからさ、市村さ んIつて、こっちから声かけたんだ、と続け  「そしたら、本人、しやあしやあと、ちょっと買 い出しでIなんてぬかしたから、今、お前に言っ てんの。ほっといたら、マズいぜ」  それはそうだが、  「矢沢さんが、すぐ注意してくれたら良かったん ですよ。出くわしたんでしよ」  ズバリと切り返すと  「バーカ。俺が言ったら『ファイナル』になっ ちやうだろ」  −出た。矢沢の十八番。  綺麗に言えばこういうことだI  役職が上位である自分が、直接本人をつかまえ叱 責したりすると、当人は弁解も出来ず、社内的に追 い詰められてしまう。  ここは下位の人間がうまく収めよ。  反省を促し、今後同じようなこと繰り返さぬよう に、と。  が、矢沢の場合はそんなに高尚ではない。  とにかく、イヤなことはオレに言わせんなIだ。  こういうタイプの人間、組織の中には必ず存在す る。  もともと他人の行動に目が行くのだ。  そして自分が、気に入らないIとなると、人一 倍苛立つのだ。  そのくせ、決して自分では手を下さない。  下位の人間にねちこく迫るのだ。  「やめさせろ」と、何度でも。  後日。  片岡は市村に苦言を呈さざるを得なかった。  「だってさI、ボクのところ来客が多いからさ。 食材の調達だって必要なんだよねI。女房も連れて 行かないと何か必要だかわかんないでしよ」  市村は悪びれなかった。  工程が遅れ傾向にあるとはいえ、現場に派遣され ている欧米人エンジニアたちは十二月中旬ともなれ ば、各自二〜三週間のクリスマス休暇に入る。  「みんながサイトを離れてしまう前に、クリスマ スパーティをやろうじやないか」  そんな声の高まりに、週末の二枚、各社のエンジ ニアたちが集った。  峠道のガンガンスライ、その大きな庭が会場だ。  出張中の片岡も、迷わず帰国を延ばして参加を決 めた。  こういう会は興味深い。  普段は、それぞれ利害関係が異なる各社だが、唯 一、発電所を早く完工させたいIという点では大 同団結するものだ。  酒が入れば、そんな利害を超えて、俺たちはチー ムだIと、皆で乾杯を繰り返す。  『スミヨシ連合』か?  おうよ、スミヨシ連合よIと、合いの手に応え る。  「ボス「、クノウサンダヨ」  皆が久納悟を指さす。  UEもBSBも。シバコーもタイコンノ神田組も。 物流担当の大日本通運も、皆だ。  クリスマスの宴もたけなわ。  市村は、すでに泥酔状態だった。  −あれ、AHIが誰もいない。  今更ながら、AHIのエンジニアが一人も参加し ていなかったことに気が付いた。  確かに、日頃から、押しの強いアメリカ人の中に 混じると、影の薄いオーストリア大ではあるのだが。  クリティカルーパイプの再出荷とタイミングを合 わせて、ワインバーガーもグラーツから出張して来 ているのにIと、片岡は急に気がかりになった。  酒が進み、酔いが回ってくると、誰かがモノマネ を始めた。  ドドの真似。アーメッドの真似。  続いては、ミーティング中の「誰かさん」の真似。  いつかのミーティングの際に発した突飛な発言や 苦し紛れの言い逃れ、そんなのを思い出しては、そ の時のヘンな喋りを真似る。  皆、大笑いだ。  すると、また別の「誰かさん」が登場してきて、 その特徴的な仕草を大袈裟に誇張して形態模写だ。  またまた盛り上がる。  BSBのシュナイダーが自分の髪をわざと逆立て て、タシロサンの検品作業中−と、お道化てみせ た。  これには、田代本人も笑い転げた。  午後十時も回り、参加者たちは、三々五々、更な る狂宴を求めて夜の街に散り始めた。  と、その時。  羽飾りのついた緑の帽子、チロル風な民族衣装に 身を包んだ一団が、「メリークリスマス」と連呼し ながら、ガンガンスライの庭に現れたのだ。  片岡は、その集団の先頭にワインバーガーを認め た。  会場に残っていた人々が「遅いぞ」と罵声を浴び せる中、AHIの一行はお構いなしに庭中を歌いな がら練り歩く。  「みんな早過ぎるんだよ、帰るのが」  ヨーロッパじゃ、これからだよIと、ワイン バーガーがウインクした。  その後は、彼らの持ち込んだ新酒のオーストリア 産ワインで乾杯の嵐である。  翌一九九六年早々、死亡事故が相次いだ。  まずは、運転手と作業員八名の全員が死亡したミ 三(スの転落事故だ。  このミ三(スは、シバコーの現地下請けのもので、 建設現場と飯場の間を往復し、作業員たちの送迎に 使われていた。  しかし、正力富男の報告ではI  事故が起きたのは就業時間外。一行が夜遊びに出 た帰り道。丘を走る道路を逸れて斜面を転落した、 とあった。  現場では据え付け工事が急ピッチで進んでいる。 いくつかの工事個所では昼夜二交代勤務も始まって いる。  ストレスを抱えている作業員たちだ。  「夜遊び禁止」とまでは、厳命出来ないのであろ うか。  二件目はサイトで発生した。  何に利用しようとしたのだろうか。  現場に残っていたドラム缶をガス切断しようとし た際、突然爆発。  シバコーの作業員一名が即死した。  缶の中に、なにか可燃性のものが充満していたら しい。  まずは「安全第一」を、そして「再発防止策の構 築と徹底」を訴えるしかない。  この頃は「安全管理」といっても、まだまだ、そ のレベルが柢かった時代だ。  現場には当然の如く「安全第一」が大きく掲げら れている。  着工に際しては、日本式の安全祈願も行われ、一 同「ご安全に」と唱和した。  それでも、インドネシアの作業員たちは裸足か、 せいぜいゴム草履でサイトに出ているのだ。ヘル メットを被らない者も多い。  下手すると、咥え煙草で作業に従事する作業員す ら散見された。  何より、それを管理・監督する専任者がいなかっ た。  理念だけで、実際の現場は野放しだったのである。  今日では洗練されたEHS(回耳目ヨ回{環境保 全・ Health健康・ Satety安全}の概念が確立してい る。そして、それが浸透し、徹底され、これに違反 するような企業や個人は排斥されてしまう時代だ。  このような業界環境が整うまでには相当の年月を 要したのである。  片岡は、東京チームの小森、竹下、新藤をサイト 実習に派遣し始めていた。  順番に、二ヵ月単位で口上アーションを組んでの ことである。  「死ぬなよ」  これが、彼ら送り出す際にかける言葉だった。  サイトにはまだ掘削作業中の工区もある。そこに 落ちて大怪我をしまいか。  クレーンでの機材吊り上げ作業も頻繁だ。その下 に立ち入らないのは当然だが、クレーン車そのもの が転倒することもままある。  高所作業中の作業員が誤って資材や工具を落下さ せることだってあり得る。ヘルメットを着用してい るとはいえ、直撃すれば……常に頭上注意。  また、現場には膨大な数の作業員が投入されてい る。  たまさか、その日、虫の居所の悪い作業員だって 紛れ込んでいるかもしれぬ。  そんな輩に、上から故意にモノを落されたらどう なる。  だから、常日頃から、作業員たちの反感を買うよ うな言動は慎まなければいかん。  若いスタッフを預かっているプロジェクトーマネ ジャーなのだ。  こういったアドバイスは、決して大袈裟でも、臆 病風に吹かれてのものではない。  十五年ほど前だ。  片岡が初めて赴いたカモジャン地熱発電所の建設 現場で、業界の諸先輩から叩き込まれた大切な「教 え」なのである。  SJBの村西庄助か現場で指揮を執るジャカルタ 湾岸複合火力発電所(JGCC)の建設工程は既に 大詰めを迎えていた。  契約フォーメーション(下請け社の構成)は、C JCCとほぼ同様だ。  主機。蒸気タービン(JGCCはスチームサイク ル完成を残すのみ)はUEから。  HRSGもAHI製である。  BSBもイン(ウスーエンジニアとBOP供給の 所掌は変わらぬが、ジョージーオニールが今やプロ ジェクトーダイレクターを名乗り、プロマネは若手 にスイッチしていた。  据付工事もシバコーで変わらず。  土建だけはCJCCとは異なり、風間組が起用さ れているのだった。  その村西から東京に連絡が入っだ。  オニールが、関係者一同の慰労と懇親を兼ねて プールパーティなるものを催したいと言っている Iと、いうのだ。  「場所はジャカルタだけど、スミヨシのCJCC 関係者も招待するって。片岡さん、どうする?」  片岡は、一旦、村西からの電話を切り、しばし思 案した。  そうか。  ジョージーオニールの薫陶よろしく、BSBの連 中は米国流にカツカツやるからな。  JGCCは終盤を迎えても、まだ、各社との折り 合いがしっくりといかない。それを承知していて、 オニールは何か策をIと、いうことか。  セマランの現場も、結局はJGCCの『後追い』 になっていて、同じ状況が再現されるのである。我 らも先例から学ぶべきだろう。  CJCCは、まだまだ建設に追われている段階だ。  この中で、BSBはやはり好戦的というべきか。 土建工事を巡ってタイコンノ神田組と、或いは、据 え付け工事を巡ってシバコーと、すぐに遣り合うの だ。  片岡がサイトで遭遇した小競り合いのなかで典型 的なものを挙げてみるI  ある時、この機器の基礎土台は出来が悪いIと、 ジムーシュナイダーが指摘した。  「それは、そちら様の機器の寸法が途中で変更に なったからでございます。こちらも大慌てで施工図 を変更したので、行き届かなかったかもしれませ ん」  慇懃に、しかも達者な英語で、泉川剣吾がこう切 り返し、さらに続けた。  「今から手直しすると、追加コストがかりますが、 貴社のご負担でよろしいですか」  能面のような表情で、そんなふうにグツと守りを 固めたのだ。  少し怯むシュナイダー。  「なんでBSBが負担しなきやならんのだ」  押し戻してはみるが、その場で結論なんか出やし ない。  問答ばかりが続く。  一方、シバコーは、「攻撃は最大の防御」と心得 ているフシがある。  主配管材が届いているのに、何故、据え付けない Iと、スケジューラーのマークーマクドナルドが ヤマゲンに指摘した。  「アンタねえ、パイプは到着してるけど、(ン ガー(配管用の取付金具)はまだ届いてないんだ ろ」  パイプだけ早く据え付けろって急かされても、ど うせ後から(ンガーを付けるんだから『二度手間』 になる。時間もコストも余計にかかるから、イヤだ ねIと、ヤマゲンは渋る。  じやあ、どうする?  ただ、(ンガーが搬入されるのを待っているのも 時間のロスには違いない。  こんなふうに、遣り合っているだけで、お互い何 のゲインもない。  サイトに集まった各社は、元々、所掌、役割、優 先順位が違う。  この相反する利害をお互いにコーデネーション (連係調整)しながら、全体として前に進んでゆく。 これが目指すところだ。  しかるに、何故か、当事者間ではうまく調整がつ けられない。  結局、じゃスミヨシに行事役をIと、久納の出 番になるのだ。  かといって、各社が素直に久納の指した軍配に従 うのかといえば、さにあらず。  勝手なものだ。  久納の行事軍配がBSBに上がろうものなら、改 めてヤマゲンが、汗ふきふき、すっ飛んで来て食い 下がろうとする。  「冗談じゃないですよ〜。そんなことしたら、無 駄なカネかかるんですよ、久納さん」  そこで、今度は久納がキレてみせると、  「あとで、スミヨシさんにコスト請求しますから ね〜」  そう捨て台詞を吐いて、ヤマゲンはズタズタと現 場に戻ってゆく。  そして軍配通りに、キッチリ仕事は進めているの だ。  あI言えば、こI言う。  ちょっとした『頭の体操』?  いや本当に、各社とも軽いスポーツ感覚で、サイ ト上でのぶつかり合いを楽しんでいるのかもしれな い。  それならそれで良いではないか。  片岡の心は決まった。  今度は、みんなでジャカルタに集合してみよう。 あのクリスマスパーティだって悪くなかったじやな いか。  すぐに、村西に電話を返した。  指定された土曜日の午後四時。  ジャカルタ市内の瀟洒なホテルの別館。  そのプールを借り切ってパーティは始まった。  片岡は、村西に連れられ初対面となるJGCC従 事者に挨拶をして回った。彼らは仕事を半ドンで切 り上げての参加である。  「メアリーがいないなI」  片岡さんにも紹介しようと思っているのにIと、 村西は四方に視線を送る。  BSBのメアリー・スミス。  ジョージーオニールを引継ぎ、JGCCのプロ ジェクトーマネジャーに就任している。  前々から「メアリーはいいよ」と、村西から聞か されていた。  ケミカル(化学)エンジニアだという。  JGCCは、建設段階を終え、いよいよプラント の調整試験段階(コミツショニング)まで進んでい る。  スチームや排水成分の化学的分析などに専門性は 活かされるが、むしろそんなこと以上に、「その行 動力と決断力には目を見張るものがある」と、辛口 で知られる村西がベタ褒めする人物だ。  日本でも、一九八六年に男女雇用機会均等法が施 行され、今年で足掛け十年。  スミヨシでも女性総合職の採用は始まっていたが、 未だ総数も少なく、管理職の誕生には年次的に早 かった。  しかるに、さすがは米国企業。  遠く離れたアジアの地で、大型発電所建設のプロ マネに、女性エンジニアが登用されているのだ。  白のパナマ帽のジョージーオニール、リラックス した出で立ちで、悠然と構えている。  「カータ オーカサン」と、ガスリーはいつもの卑 屈な笑みを寄越してくる。  と、どこからともなく黒いワンピースの水着姿が プールサイドに現れた。  「ウオーイ」いう大歓声が上がる。  メアリー・スミスだ。  メアリーは、その抜群のプロポーションをひけら かすかのように、ゆっくりとプールの角を回り、長 い一辺の真ん中まで来ると、おもむろにプールに飛 び込んだ。  それが合図だったかのように、さっき挨拶を交わ したばかりのJGCCの若手エンジニアたちが片岡 の背を思いっきり突いた。  プールに転落した片岡。  はずみで、プールの水を飲んでしまい、ゲホゲホ とむせていると、メアリーが背後に泳ぎ寄り、その まま片岡の背中に抱きついた。  「カータオーカサン」  ガスリーと同じイントネーション。  甘い声で水着の胸を押し付けてくる。  プールサイドは大喝采だ。  プールパーティは大いに盛り上がり、夜が更ける まで、皆の歓声や笑い声が会場に響いた。  夜のプールサイドの魔力?  「冗談じやないですよ〜。なんでジャカルタくん だりまで出て行って、BSBのパーティなんかに出 なきやならんのですか」  そうセマランでは駄々をこねていたIというヤ マゲンも。  「私はそんなガラじやありませんから」  参加を渋っていたIという泉川剣吾も。  ここでは『天敵』たるシュナイダーやマクドナル ドと笑顔で語らっているのだ。  こうして、少しづつでも関係者が交流し、その距 離が縮まってゆけば、やがては、ひとつにまとまれ るのではないだろうか。  皆、同じ目標に向かって進んでいるのだ。  そして、実のところ、もうお互いが持つ個性やパ ワーを認め合っているのだから。  週が明けた月曜日。  ジャカルタに残っていた片岡は、PERUM財務 部門との打ち合わせを済ませ、スミヨシタワー十九 階の事務所に戻った。  新任の松木和夫、今日が初日。  一緒に昼メシでも食おうやIと、うるさ型、矢 沢健から誘われていたのだった。  松木は片岡より十年次ほど下で、本社でもずっと インドネシアを担当していた。  もう、着任の挨拶なんかいらないからIと、三 人は揃って一階の和食レストラン[つくし亭]へと 降りた。  案内された席でメニューをのぞいていると、ガス リーとメアリーが揃って入店して来るのが見えた。  BSBもスミヨシタワー十七階のテナントだ。  目ざとく片岡を見咎めたメアリー。  すぐにテーブルに歩み寄ってくる。  今日は白いレースのブラウスに濃紺のスカートと いう清楚なスタイルだ。  「土曜日は、はしやぎ過ぎてごめんなさいね」  いかにも、しおらしい仕草で、はにかんでみせる。  「ZO{ Q{ h}(いえ、ぜんぜん)  そう返した片岡の脳裏に浮かんだキーワード。 使い分けI メアリー恐るべし。  7.ホスピタリティ  市村六郎は、間もなく着任一年を迎える。  ここで『お役御免』というわけにはいきませんか Iと、片岡は佐野明彦に持ち掛けていた。  「むしろ、邪魔になっているのです」と。  佐野は、森安大二郎に相談を怠らない。  何といっても、市村は、森安自身が[海プロ]か ら引っ張って来たのである。  会社の人事の事だ。そう簡単に行くものではな かった。  「片岡君。もう一年間、辛抱してくれないか。 たった一年で囗本に戻したら、市村さんの『今後』 に支障が出るからさ」  必ず、二年で返すから。もう一年だけ頼むIと、 最後は懇願されてしまった。  二義的なことではあるのだが、市村のことで、矢 沢健に五月蝿く言われ続けるのも、正直、鬱陶しい のだった。  それもプロマネの仕事−と、割り切るしかない。  久納の家族たちは、囗本の学校が夏休みに入る時 期を睨んで帰国していった。  「ニューヨークでは、いつも治安のことを気にし ていたけど、こっちはいい意味で田舎よ。とても気 が楽だったわ」  (セガワちゃん、少しやつれたじゃんI  片岡はセマランの空港まで見送った。  ひとりで住まうにはもう広過ぎる、街を見下ろす 一軒家。  「今後は、貴職たちもこっちに泊ったらどうよ」  ちょうど入れ替わるように、田代夫人がセマラン に入って来るのだ。  田代は「あの社宅は畳んで、今度は夫婦だけで所 帯を持たせてくださいよ」と意思表明していた。  ではI  田代は、もっと小ぶりな一軒家を探す。  そちらには、もう賄いのおばちゃんはいらないの で、久納の方で引き取る。  そして丘の中腹の一軒家は、スミヨシの「工事宿 舎」へと生まれ変わることになる。  「ウチの飯場、ワタシ以外に最大三人は泊れるの よ」  これで、丸く収まった。  工事宿舎に宿泊する出張者第一号は竹下英輔と なった。二ヶ月間の現場実習である。  まだ到着してから囗も浅いある夕刻。  東京への電話連絡の最後に、竹下がこう付け加え た。  「夜、久納さんが弾き語りをしてるんですわ。で も、ギターがこっちで買った中古やから、ひどいん です」  その先は、少し口ごもっだが、ままよIと、続 けた。  「誰かに東京からギター持って来させてよ〜つて、 言うてるんです」  片岡は、すぐに「じゃ俺が」と、反応していた。 翌週には出張の予定がある。  新婚間もない頃、吉祥寺の[丸井]で黒いギター を衝動買いした。  ギブソンの(ミングバードという高級モデルの日 本製のレプリカだった。  それでも、当時のカネで五万円もした。  十ヶ月払いの月賦だからIと、自分に言い訳し て買い込んだギターだった。  ただ、何度か触っただけで終わった。  以来、付属していた立派な(Iドケースに収まっ て、押入れの奥で静かに眠っている。  元々、片岡はギターが下手たった。  学生時代から姉・雅子のクラツシックギターを見 よう見まねで鳴らしてはいたが、「基礎から、根気 よく」が出来なかった。  であっだのに、リヤド駐在中のことだ。  大使館の広い庭で日本人会の忘年会が催されるこ とになった。  すぐに「バンドやろうよ」と仲間うちから声が上 がった。  ギター下手なんだよねIと、体よく外れようと したら、「んじや、ベースで」と、言い出しっぺの 三田物産マンは見逃してくれそうもない。  −まあ、ベースなら弦が四本だから、何とかな るか。  本当に、六本か四本かの違いのせい?  結局、何とかなった。  今はベースならそこそこ弾ける。  もう、あのギターはセマランに置きっぱなしにし て構わない。  夕食後の工事宿舎の応接。  (Iドケースを開け、恭しく黒の【ハミングバー ド擬き]を取り上げると、竹下は、それぞれの音を 確かめるように、慎重にチューニングを施した。 「よっしや」  小さく呟くと、おもむろに  シャツ、シャツ、ジャーン、ジャジャッジャ ジャーン  と、二度繰り返した。  「スモークーオンーザーウォーター」の前奏だ。  「これ、結構ええギターですよ」  高校時代には軽音楽部で(Iドロックを演ってい たという竹下英輔は顔をほころばせた。  「小職に貸してみ」  今度は久納がサザンオールスターズを歌い始めた。  −おツ、うまい  が、サビを熱唱したところで、ピタッと止め、す ぐ次の曲に移る。  こちらの方もイイ所で止めてしまうのだ。  「ダメですよ、一曲通しでやってくださいよ」と、 片岡が促すと「いいのよ。オイシイとこだけで。こ れで女の子も喜ぶんだからさI」と久納。  「そうか、この『つまみ食いギター』で「セガワ ちゃんも騙されたのか」  片岡が茶化すと「「セガワちゃんつて、誰です か」と、竹下。  「久納さんの奥さんの旧姓よ〜。五十一年入社で 小職と同期なのよ〜」  片岡は久納の『口調』を模した。  興が乗った久納。  再び古い方のギターに持ち替え「ギター二台で セッションするのよ」と誘うと、竹下も【[ミング バード]で応じるのだった。  さすが、元、軽音。  「貴職、やるねI」と久納が唸った。  ご満悦だ。  今度は片岡に  「貴職、ビートルズどうよ」  「いいですねI。何やります?」  「IF I FE」」」  「しぶいですねI」  ワン、ツー。  久納のカウントで、片岡は静かにメインパートに 入った−  it 1 tell in love with you  Would you promise to be true  And help me understand……  そして、than just holding handsまで来る と−  If I give my heart'  To you I ヨ灰t be sure irom the very start  久納がコーラスパートで人つてきた。  いい(モリだ。  「いいねI、次、何よ」  「A」」 MY 」OVING」  ワン、ツー、Qose your eye and I kiss you tomorrow I miss youI  アップテンポなこの曲、間奏のあと、歌は裏表に パートが別れる。片岡が、レコードからよく聞こえ る方の主旋律で突っ込むと、久納は「裏」を取った。  完璧。  「久納さん、すごいですね」  「ウン、小職、裏街道を歩む人生だから……『一畏』 が得意なのよ」  平然とそう言うと、【[ミングバード]をポロン ポロンと鳴らして、再び竹下に「貴職は、なんで 入ってこないのよ」と、振る。  「イヤ〜、ビートルズはちょっと……」  「嫌いなんか。貴職はハードロック系なのねI」  それからは毎晩だ。  夕食もそこそこに、久納、片岡、竹下による、ギ ターとコーラスのセッションは続いた。  「やっぱ、バンドやっかねI」  どこかで聞いたような誘い文句だ。  「ベースは大丈夫。私、やります」  「ヘー、貴職ベース弾けるの」と久納は煙草に火 を点け、さらに「ドラムはどうする? 買っちやう か」と、続けた。  竹下がひとり【[ミングバード]をつま弾くのを よそに、久納と片岡は『バンドばなし』で大いに盛 り上がった。  AHIは、将来的な追加コスト請求を強く意思表 示する文書をファックスで送り付けてきた。  先の共同海損事故によって、HRSGクリティカ ルーパイプを失ったが、AHIは速やかに当該配管 材を再手配し、航空便での再出荷を完了した。  これによって「供給者」としての義務を履行した。  しかし、一方で、据え付け工程に約三ヶ月の遅れ が発生したのも事実である。  その挽回のため、第二発電所の二系列を、即ちH RSG四基を『同時並行』して据え付ける必要性が 生じ、AHIは据え付け指導員(TA)クルーを追 加し、合計ニチームを派遣して対応せざるを得な かった。  通常の工程では、第一系列の二基を完成させたT Aクルーが、そのまま横滑りして、第二系列の二基 も完成させる、という経済的運営がなされるもので ある。  既に、第一報で通知した通り、AHIは、「本件、 共同海損事故」によって発生した工程遅延に関して は免責である。  従ってAHIは追加投人したTAチームのコスト 全額をスミヨシに対し請求する権利を此処に留保す るものである。  詳細な請求明細は、集計次第、別途提出するもの とする。     マイケルーワインバーガー(署名)  確かに。  契約上の工程表では、第二発電所を構成する第一 系列と第二系列の間には三ヶ月間の間隔が置かれて いる。  こうすることで、AHIのTAばかりでなく、土 木工事や据え付け工事でも、人員や重機を第一系列 から第二系列へとスムーズに使い回すことが可能と なる。  最終的なプラント全体のコミツショニングでも多 数の試験員が必要となるので、第一系列↓第二系列 へのスライドが大きなコストセーブに繋がるのであ る。  何もHRSGの工程挽回に隕ったことではなかっ た。  サイトでは、日常的に「工程遅れは、まず自分で 取り返す努力をせよ」と大号令をかけている。  よって、ワインバーガーが追加のTAチームを派 遣し、シバコーの「二系列四基同時据え付け」をサ ポートした、というのはスミヨシにとって、むしろ、 望ましいアクションであり、追加投人したTAチー ムの追加コスト請求は、むべなるかなIとは思う。  この追加コスト請求は概ね一億円規模になろう、 と現場から聞こえていた。  現在AHIのサイト事務所ではTAたちの就業時 間数、残業時間数を記録したタイムシートを集計中。  一部、昼夜二交代の勤務もあるという。  UEのTAほどは高額ではないにしろ、相応の時 給単価で計算すれば、億単位の請求額に積み上がっ ても不思議ではなかった。  しかし、どこか、しっくりと来ないところがある のだ。  元々、HRSGの出荷は遅れ傾向にあり、スケ ジューラーのマクドナルドは再三にわたりAHIに 注意喚起を行っていた。  また、シバコーもAHIに対し、繰り返し、工事 資材の早期引渡しを要求していた。  片岡には、オセロゲームのイメージが浮かんでく る。  AHIの「遅れ」の黒石がずらりと並んでいたと ころに、ポンと、共同海損事故という「救い」の白 石が打たれた。  この一発で、盤上の黒石は全部ひっくり返って 「勝利」の白石に換わった?  なんか、納得がゆかないI  片岡は、直ちに反駁のレターをしたため、ワイン バーガーに返信した。  すぐに反駁への反論が返ってくる。  片岡はこれまでの経緯を踏まえてまた反駁する。 そしてまた反論が……  「片岡君、一度オーストリア、行って来いよ」  延々と続く文書合戦を見かねて、佐野明彦は本社 の部長席に片岡を呼んだ。  グラーツのAH1本社にワインバーガーを訪ね、 フェースートウーフェースで話し合い、何らかの形 で決着をつけよI、との示唆である。  片岡が来訪しているのに気付いて、自席を立ち上 がった森安。  「貴職な、ヨーロッパまで行くなら、ミラノと口 ンドンにも寄って来いよ」と、つけ加えた。  ミラノには中山誠、ロンドンには高島雄二いず れも森安子飼いの駐在員が電力担当として配置され ている。  「良い夏休み、じやないか、片岡君」  佐野が冷かした。  一九九六年七月である。  オーストリア第二の都市グラーツ。  古くは、神聖ローマ帝国の首都であった。  小高い丘の上から大きな時計塔が見下ろす、歴史 に彩られた町並みは美しい。  投宿したグラーツ中央駅近くのホテルからタク シーで十五分程。  AHIの本社社屋に続いて主力工場群が軒を連ね る。  レターに書かれてくる文面とは裏腹に、マイヶ ルーワインバーガーはにこやかに片岡を迎えた。  伝統を感じさせる調度の会議室にふたり。  ワインバーガーは、AHIの来歴を、街の生い立 ちも絡めて滔々と話すのだ。  そろそろ、本日のアジェンダ(会議の議題)に移 ろうIと、片岡が水を向けた。  それでも「いや、まずは、工場にご案内しよう」 と、ワインバーガーは腰を上げたのだった。  ゆったりとしたレイアウト。  −その中で、優雅に、生産活動が進められてい る。  片岡の第一印象だ。  今まで見てきた囗本の重電メーカーの主力工場は、 あくまで機能重視、効率優先の感が強かった。  テキパキと働く従業員たちは、よく管理されてい るIというイメージだった。  しかし、ここでは、流れている『時間』が全く違 うのだ。  この辺が、AHIの、いやオーストリアの文化な のかもしれない。  しかし、裏を返せば、顧客から厳しい納期要求を 受けたからといって、この工場の時間の流れを、一 朝一夕に、『早送り』にすることは難しいのでは、 なかろうか。  HRSGの製作が遅れていた事情の一端を伺うこ とが出来た気がする。  はや足で工場見学を終えると昼食時だ。  本社脇のこぢんまりとした別館。  木立に囲まれた役員食堂に案内された。  ここでも、ウエートレスは、濃紺のワンピースに 白いエプロン、レースのついたカチューシャという いで立ちで、美しい身のこなしである。  典型的なオーストリア料理をIと、ワインバー ガーが勧めたターフェルーシュピツツなる牛肉料理 が美味だ。  「昼食を済ませたら、一旦ホテルに戻っていてく れないか」  「えツ?」  「改めて三時半に迎えに行くから」  『ワイン街道』にお連れしようIと思うんだ。  ことも無げに言うのだった。  ワインバーガー自らが運転する白いアウディで、 一路、ワイン街道を目指す。  「一時間ちょっと、かな」  グラーツの美しい街並みを抜けると、丘陵地帯が 広かっていた。  午後の太陽が降り注ぐ斜面にはどこまでもブドウ 畑が続く。  白のアウディは一軒のブドウ圉の門をくぐって停 まった。  車を降り、ふたりはなだらかな斜面を少し上かっ て農家風の建物へ。  「このワイナリーはワインの飲み比べができるん だ。家庭料理と一緒にね」  ワインバーガーについて店内に入ると、民族衣装 の女性がにこやかに迎えてくれる。  あつ、クリスマスの夜、AHIの一団が着ていた やつの、女性版だIと、気付いた。  [ディアンドル]と呼ばれるそうだ。  天然木を生かしたカウンターで、スタッフに「白 の方が好きなんです」と伝える。  イェスサー、と小さめのワイングラスを三つ並べ、 それぞれに別のボトルから白ワインを注いだ。  −利き酒だ。  このうちから、自分の口に合うものを改めてオー ダーすれば間違いないですよIと、スタッフは言 い添えた。  供された各種のチーズ、自家製の(ムやソーセー ジ、肉の煮込み料理。どれも素朴な味わいだ。  「そいつが好みかい」「イエス」  ワインバーガーは、匸言三言、カウンターのス タッフと言葉を交わし「それ、ヴァイスブルグン ダーという地元のワインだよ」と、片岡に笑顔を向 けた。  運転があるからIと、当の本人は、ずっと炭酸 入りのミネラルウォーターで付き合っているのだ。  ホスピタリティ。  そんな言葉が浮かんで来た。  スミヨシは関西発祥で、いわゆる『大阪商人』だ からなのか。はたまた、片岡が所属してきた電力部 門がそんな体質なのか。  どうも、お客様を大切におもてなしするI、と いうマインドに欠けている。  「どっか、テキトーなところで、メシでも食わせ てエ」  そんな言いっぷりを当たり前に耳にしつつ、片岡 自身も今日まで来てしまった。  高級料亭に連れてゆくとか、豪華なクラブで接待 するとか。そんなことではない。  もっと根本的なマインドの問題だ。  ホスピタリティの欠如。  ワインバーガーを見よ。  極東からはるばるやって来た客人に、美しい風景 と地元のプレミアムなワイン、その両方を堪能して もらおうIと、往復三時間近くの運転も厭わない。  片岡は大いに反省させられた。  夕闇の中、グラーツヘと戻る車中。  「自分自身は、あの追加コスト請求には、固執し てないんだ」  ワインバーガーはつぶやくように言った。  さらに、こう続けるのだったI  元々、中部ジャワ複合火力(CJCC)は要求工 期が記録的に短かかった。  従い、HRSGにも相応の短納期が課せられてい た。  そんな中で、先行案件・JGCCで、HRSGに 設計上の瑕疵が見つかった。  修正が必要で、JGCCはなんとか現場対応して 凌いだ。  当然のことながら、この『修正』は、中部ジャワ 複合火力(CJCC)の設計・製作にも反映されな ければならない。  しかし、この再設計の必要性が工場内に徹底され ていなかった。  ここで時間を空費し、結果的に、HRSGの製作 開始が遅れてしまったのだった。  そんな社内事情がある中、あの共同海損事故が起 きたのだ。  これ幸いIと、上司は飛びついた。  これまでの内部的な遅れも、一切合切あの事故に 転嫁して揉み消せIと。  そして、それが今に繋かっている。  「追加投人したTAのコストは全額スミヨシに請 求しておけ」  こう一方的に指示を受けたのだIと。  自分自身が納得してないんだよI  (ンドルを握るワインバーバーが、目を瞬かせた。  「でもね、ジョンーガスリーは気付いていたよ。 あんなパイプ、ちっともクリティカルじゃないって ね。見抜かれているんだよ」  翌朝。  本社社屋の昨日と同じ会議室に、ワインバーガー は法務部の若手を伴って現れた。  彼に立ち会わせて、片岡との間で打ち合わせ議事 録を作成しようというのだ。  骨子は次の通りI  『 共同海損事故によって生じた工程遅延につ     き、スミヨシはAHIを免責とすることを     確認する。  二。 右の第一項により、AHIは当該追加TA     コストの請求は行わないことを確認する。  これだけである。  本来であれば、この第一項には、スミヨシとして は細かな付帯条件を付けて、『免責の範囲』を限定 しておくべきなのだが。  片岡は差し控えた。  ワインバーガーも厳しいはずなのだ。  この第二項は、社内的には必ず非難を浴びるであ ろう。特に、その『上司』とやらは許すまい。  タイプで打ち上がった議事録にサインを入れ、ふ たりは握手を交わした。  ワインバーガーは晴れ晴れとした表情で片岡に告 げた。  「今晩、オペラに招待するよ、五時半にホテルに 迎えに行く」  また「えツ」だ。  「女房も連れてゆくからね」  午後は市内観光でもしてくれよ。誰か若手を案内 に着けようかIと、満面の笑みだ。  −それは、いくら何でも甘え過ぎ。  ひとりで歩いてみるよ、と、案内人の方は辞退し た。  中央駅の前でドラム(路面電車)に乗って、ワイ ンバーガー夫妻と共にグラーツ歌劇場に向かった。  「建築物の宝箱」とも称される夕暮れの街並みの 美しさ。  それを十分に楽しむ間もなく、劇場前の停車場に 到着だ。  見上げれば、十九世紀末にオープンしたという歴 史に支えられた風格だ。  片岡、オペラ鑑賞は初めて。  今夜に備えて、市内散策の途中、シルクのシャツ と蝶タイを買い込み、持参のポローラルフローレン のダークスーツに合わせてきた。  演目は『カヴァレリアールスティカーナ』。片岡 はこのラッキーを喜んだ。  映画「ゴッドファーザー・パートm」で、劇中劇 として使われていた。  唯一、縁を感じられる歌劇と言っていい。  セリフは解らずとも、好きだった映画からの予備 知識が助けになる。なにより、美しい旋律の連続を 堪能出来た。  終演は午後十時を回っていた。  夕食のプランを用意していなかった夫をエマ夫人 が詰っている。  市内のいわゆるレストランは、もう閉店している のだ。  が、それも良し。  夏の夜だ。旧市街を歩けば、カフェやビアレスト ランなどは営業している。  三人は、そのうちのファミレス風の一軒に飛び込 んだ。  この時間でも、店内は込み合っていて、奥まった 席に案内されたエマ夫人は少々不満顔。  ともあれ、まずはビールで乾杯。  これもグラーツ名物だというソーセージや牛肉の 燻製をつまんで、徐々に話は盛り上がる。  (プスプルグ家だ、マリアーテレジアだI、そ んな話題が上かってくるのにも、やはり、歴史と文 化の違いを痛感させられる。  最後は、アプリコツトパイまで食べて、一同大満 足。  三人で夜の街をホテルまで歩いた。  「次は是非ご夫妻で日本へお越しください。大歓 迎致しますから」  別れの握手を交わし、そう謝辞を述べながらも、 片岡は思ってしまう。  −この言葉すら、今の自分には白々しい。  ワインバーガー夫妻の人としての優しさ。  今の自分に欠けているものを、痛切に知らされた グラーツでの二日間である。  ロビー脇の古い造りのエレベーターに乗り込んだ 片岡に、ドアが閉まりきるまで、夫妻は小さく手を 振り続けていた。  ミラノーマルペンサ空港。  湾岸戦争の勃発で、リヤド駐在を始めたばかりの 片岡にも会社は国外退避を命じた。  一九九一年一月の事だった。  出国ラッシュの中、ようやく手に入れたスイス航 空のチケットで、まず飛来して来だのがこのミラノ の地だ。  あれから、五年余りが経過した。  あの時の緊迫感が嘘のようだ。  しかし、皆がノーチェックで素通りして行く手荷 物検査場で、片岡だけが税官吏に呼び止められた。  そして、スーツケースを開けろIと。  −ニホンセキグン(日本赤軍)?  未だに日本人には、そんな嫌疑がかけられるのか。 確かに、年齢的には近いけど。  コイツには中東への渡航歴がある、何度も何度も Iと、係官はパスポートのページを繰ってば不審 顔を見せる。  そりゃそうだ。サウジに駐在していたのだから。  さんざんトランク中を引つ掻き回し、見られたく ないものまで、いちいち、目の前につまみ上げた。  それでようやく気が済んだのか、トランクを閉め ようともせず、ぞんざいに「GO」と顎をしやくっ た。無罪放免。  ワインバーガーが、AHIのコーポレートーレー ト(特定企業割引料金)で予約していたのは、ミラ ノの高級ショッピングエリア、モンテナポレオーネ の一角に聳える白亜のホテルだった。  チェックインして、荷物を置いた片岡は、住所を 頼りに、スミヨシのミラノ事務所に向かった。  中山誠は上智大学のスペイン語学科出。  中南米市場を担当し、例によって、森安大二郎と は『電機輸出米豪課』つながりだ。  特に、ここで業務上の打ち合わせがある訳ではな いのだが。  東京を出てから丸々四日。  その間にやり取りされているCJCC関係の書類 を、東京から中山の所にファックスで送らせている のだ。  それを引き取って、旅先にあっても、読み込んで おかなければ、このあとが大変だ。  去年、ゴールデンウィークの五連休に書類をため 込んでしまい、痛い目に遭っだのが記憶に新しい。 もうあれはゴメンだ。  「やI、片岡君いらっしやい。全然変わらない ねI」  丸顔に銀縁眼鏡の中山がひと抱えの書類を携えて 会議室に人つてきた。  この愛想の良さ、調子のいい言動こそ中山誠の本 領だ。  「中山さんこそ、お変わりなく」  片岡も五年次先輩に一礼を返した。  「これ、全部貴職あて」と書類を会議机にどさり と置いた。  貴職−。ここでも合言葉は健在だ。  「書類が多いんだねI。もう俺なんか、そんなに たくさん読めねえよ。プロマネは大変だ」  片岡が書類を検めようと手を伸ばすと  「じゃ、話は晩飯食いながらにしよ」  中山も心得たもの。すぐに退出してくれたので、 片岡は書類に取り掛かれる。  UEからもBSBからも、サイトの久納達からも、 びっくりさせられるようなコレポンは届いていな かった。  東京の小森や新藤たちが、片岡に寄せた相談事項 や、指示を求めている事案には、すぐに返信の ファックスを書いた。  さらに、二日間のAH1本社訪問の報告書をまと め、ワインバーガーと取り交わした議事録コピーを 添付する。  会議室を出て、中山の秘書役の女性職員に東京へ の発信を頼んだ。グラッチエ。  「終わった?」  自席で暇そうに囗本の新聞を広げていた中山だ。  「もうメシ行けるか」「お願いします。いいところ ありますか」「イタ飯でいいんだろ?」「もちろん」  案内してくれたのは、懇意にしているという気の 置けないリストランチ。  中山のもっぱらの興味は本社の電力部門の人事動 向だ。  しかし、それは、片岡が最も疎いところなのだっ た。  誰々が昭和何年入社で、誰より何年次上だか ら……みたいな事を、いくら聞かれても、ピンとこ ないのだ。  「サラリーマンとして、そんなんじや、だめだよ、 片岡君」  中山は呆れ顔だった。  逆に、片岡は素朴に質問してみた。  「ミラノの電力担当って、どんな業務があるんで すか」  最も聞きたいことだ。  森安さんからは、イタリアの重電メーカーや、 発・変電所建設を手掛けられる土建業者を発掘せよ Iと、言われているよ。  そう、中山は真顔で答えた。  「でも、それじゃ、売り上げも利益も上からない でしょう」  「いや、そういう『開発活動』を続けるために、 本社からミラノ事務所に、応分の社内手数料を支 払って貰ってるさ」  だから、ミラノ事務所の電力部門採算は良好だよ Iと、臆面もない。  さすがは森安だ。  石崎洋一の居る米国スミヨシばかりではないのだ。 ヨーロッパの拠点にも、カネを行き渡らせることを 忘れちやいない。  スミヨシのトップを目指す森安大二郎。  ニューヨークも、ミラノも、そしてロンドンも大 事な『票田』なのだろう。  欧米の拠点店舗には、本社の副社長・専務クラス の大物が配置されている。そのあたりの覚えを良く することも決して疎かにはしないのだ。中山誠も、 そんな森安に忠誠の限りを尽くし、自身も上を狙っ ているのか。  「貴職さ、モンテナポレオーネに泊ってるんだろ。 明日は買い物でもしてから、午後、事務所に顔出し たんでいいよ。俺たちも午前中は所内で予算会議が あるしさ」  片岡にとっても、願ったり叶ったりIだ。  今日と同じく午後の適当な時間に東京からの ファックスを受け取れれば、それで十分。  遠慮なく、中山の心遣いを受けることにする。  翌日。久々に朝寝してから、ゆっくりと朝食を 摂った。  そして、ショップの開店時間を見計らって、『聖 地』に繰り出した。  まずは、お目当ての靴屋[ストールーマテラン シ]で二足を買い求めた。  次に、いくつかの老舗のメンスショップを覗いて、 シャツとネクタイを数点購入する。  スーツやジャケットは、お直しする時間がないの で、これは諦めることに。  改めて思う。  この街を行く人は、男女ともファッションモデル のように立ち姿がさまになる。そして、身に着けて いるのは、常に最先端だ。  中山が羨ましい。  自分も、こういう地に駐在させてもらっていたら、 会社への忠誠心も、今とは違ったものになったこと だろう。  人生観だって随分変わったかもしれない。  午後三時過ぎ、再びミラノ事務所に。  「これ、カタオカサン宛てよ」  昨日の女性スタッフが会議机にファックス数枚を 置いて行った。  ぐっと、枚数も減り、慌てて返信するようなもの なかった。  午前午後と、やるべきことをやってしまっても、 まだもうひとつ、今晩、足を運んでみたい場所があ るのだ。  湾岸戦争でミラノに退避していた折、毎晩のよう に通った小さなトラットリアだ。  市の中心、ドウオーモ(ミラノ大聖堂)から路面 電車で五つばかり下った停留所。  その近辺の質素なホテルに投宿していたのだった。  夕刻、ホテル脇の路地に『TRATTORIA』 と縦書きのアルファベットが赤く浮かんだ。  何か懐かしさを感じさせる赤いネオンサインに惹 かれて、店のドアを開けた。  そこは、夫婦ふたりで切り盛りしている小さな店 で、他に客はいなかった。  初めての片岡には、少し気まずくもあったのだが、 通されたテーブルについた。  好物のボンゴレロッソはたまらなく美味しかった。 亭主が勧めた魚介のグリルも悪くない。ミラノ滞在 中、夕食はここIと、決めた。  三晩目たった。  亭主が「今日はトリュフが入荷した」と、トリュ フのパスタを勧められた。  高いんだろうなIと、覚悟していた勘定はいつ もと同じだった。  片岡がグラッチェ、グラッチェと連呼すると、白 いTシャツに赤いエプロン姿のシェフ兼亭主も 「オーケー、オーケー」と恥ずかしそうに何度も頷 いた。  もう一度、あのトラットリアを訪ねてみたいの だった。  中山に申し出た。  「あI、そうなの。湾岸戦争の時の思い出ね。 行ってみなよ、俺はいいからさ」  あっさりしたものだ。  そうして片岡は事務所を辞す。  「ロンドンからはまっすぐ東京か?」  「はい、そうです」  「森安さんに、くれぐれもよろしくな」  中山誠は、やはり、こう締めたのだった。  ただ、赤い『TRATTORIA』のレトロなネ オンサインは、その路地裏に、もう浮かんでいな かった。  前回ロンドンに来だのは一九九一年十月の終わり だった。  ラグビーの第二回ワールドカップ観戦のため、や はり任地のリヤドからやって来た。  何と『煙休暇』なる休みを利用して、だ。  湾岸戦争の敗けを悟ったサダムーフセインがク ェートの油田地帯に放った『怨念の炎』  そこから立ち昇る煙は、砂漠の風に乗って、周辺 諸国に流れ続けた。  この煙害に無策ではいられず、スミヨシでは、周 辺諸国の駐在員に、暫定的に十日間の休暇を与え、 リフレッシュと健康診断の機会を与えたのだった。  これを当時、ちょっと茶化して、駐在員たちは 『煙休暇』と、呼んだ次第だ。  高島雄一は、前任地のドイツ、デュッセルドルフ から横滑りで、一年ほど前にこのロンドンに移駐し ていた。  上智大学のドイツ語学科出身。  満を持してデュッセルに赴任したはずだったが、 二年足らずで放り出されたということになる……  花柄プリントで有名な[リバティ]  その本店の正面の小さなホテルのロビー。  カタさん、お久しぶりですIと、片岡の顔を見 るなり駆けよってきた高島雄一だった。  「近くに居酒屋ありますんで、日本酒でも飲りま しようよ」  いいでしょIと、誘った高島に片岡も応じた。  確かに、前を走るりIジェントーストリートを 渡って少し奥に入っだ場所に[SAKURA]は店 を構えていた。  片岡は久々の日本酒を手に、今夜は聞き役だI と、心得た。  デュッセルドルフの「機電部門」は、従来から、 スミヨシの大阪機械部が駐在員枠を押さえてきた 『縄張り』だ。  大阪スミヨシの、重機械部のエース、化工機械部 のエースを自認する駐在員たちの巣窟なのだという。  それでも、片岡の知る高島雄一は、相当に軽い、 お調子者のはずだ。  そんな兄貴分だちなんかは、モノともせずにスイ スイ乗り切ったのかと思いきゃI  「箸の上げ下げまでネチネチ言われ、その挙句、 キミなI、東京の電機で一体どんな教育受けて来た んやIと、怒鳴り散らされる毎日でしたよ」  そう言うと、高島はグイと酒を煽るのだった。  この連日の口撃には、さすがの高島も耐えきれず、 やむなく、森安大二郎に救いを求めたのだと。  森安は、高島のロンドンヘの移駐を即断したとい  言うまでもなく、森安は『持参金』付きで高島を デュツセルに送り出していた。  つまり、東京から十分な社内手数料を支払って駐 在先の援助は怠らなかったのだ。  −それが、どうだ。  その大阪機械部を取り仕切っている「大親分」は、 大阪機電本部長の芦川英彦だ。  そして彼こそが、本社のトップ争いで森安大二郎 と鏑を削る最大のライバルなのである。  その芦川の部下たちが、寄ってたかって、高島雄 一をいびり倒したのだ。許せなかったのだろう。  そして、森安は見切った。  デュッセルドルフ支店長よりロンドン支店長の方 がはるかに上席だ。  それなら『上納金』はロンドン支店長に納めるさ、 と。  「カタさんにしか、話せませんから」  その夜、高島は飲んだ。  もう、呂律も回らないのに  「もう、一軒行きましよ〜」  そう言って案内されたピアノバーには日本人ホス テスがいた。  翌朝。  「昨夜は、ありがとうございました」と、いつも の高島に戻っていた。  手渡されたファックスの束を、事務所の会議室で 読み終え、必要な返信を書き終えてしまうと、片岡 は、勇んでロンドンの街へと繰り出して行くのだっ た。  8.バギバギ  入社二十年目の秋を迎えていた。  建設工程は約四ヶ月遅れたままで、なかなか、挽 回するのが難しい。  スミヨシ側の心情からすると、トランスータンク 落下事故による再製作、共同海損事故によるクリ ティカル(?)パイプの再手配、これに要した期間 を考慮すれば「已むを得ない」四ヶ月なのである。  しかし、我らは契約の世界で生きている。  心情的にI、ではなく、契約上「已むを得な い」なと、相手方を納得させねばならないのだ。  いかなるプロジェクトに於いても、発生してし まった事故の助けになるのは「保険」しかない。  この二件は、いずれも保険事故として扱われ、要 した「費用」は保険金で賄われる。  ここは良い。  しかし、ロスした「時間」も、保険が補償してく れる訳ではない。  ここが、プライムーコントラクター(主契約者) の辛いところだ。  このまま、工程を取り戻せずに進んでゆくと、や がて、完工遅延損害賠償の話が客先側から持ち出さ れる。  中部ジャワ複合火力発電プロジェクト(CJC C)の契約には、  @完工遅延、  Aプラントの性能未達、  これらの「契約違反」が発生した場合に生じ得る PERuMへの損害賠償額が約定されている。  これを、にquidated Damages(LD)と呼ぶ。  実際に@やAの契約違反が発生してしまった際は、 PERuMは、損害賠償としてその約定された額を スミヨシに課す。  賠償額の上限は、@Aそれぞれ契約金額の十パー セントとなっている。  遅延日数や性能未達の度合いに応じ、その「上 限」までは徴収されるのだ。  CJCCの契約総額が六百億円。  よって、主契約者のスミヨシは@十Aで「最大二 十パーセント」つまり百二十億円の損害賠償責任を 負っている、ということだ。  万一そんなことになれば、スミヨシの『採算』な んか簡単に吹っ飛ぶ。  ゆめゆめ、そんな事態に陥らぬよう、下請け各社 を、飴と鞭で、引っ張って行くI  それが主契約者の日々の務めだ。  片岡は、この工程遅延の現状に関して、一度、P ERUMと予備折衝を行い、先方の出方も見ておく べき時期だと思料する。  何しろ相手は『お役人』  こちら側の言い分を並べ立てただけで、  「そうか、已むを得ないな」  情状酌量−なんてことは、あり得ない。  外堀から埋めて行くアプローチ(片岡の苦手とす るところだ)が求められる。  残念ながら、トランスーメインタンクの落下事故 は、PERUMから見れば、単なる「保険事故」で、 それによる遅延を容認する事由足り得ない。  では、共同海損事故の方はI  言うまでもなく、事故の第一報は、契約条件通り、 発生後速やかに済ませてある。  それに加えて、改めて『不可抗力条項』に絡めて 文書で訴えを行えば、遅延の正当化に繋げることが 出来るのでないか。  片岡は、早速レターの文案作りにかかる。  あの時、ワインバーガーから受信したレターも今 や強い見方だI  ((「大嵐」により、マラッカ海峡で本船が「座礁」 の憂き目にあった。沈没を避けるため「船長判断」 により、我らの「大切な配管材」が海上に投棄され てしまった。  当該配管材を「再手配」し、航空便で輸送するの に約三ヶ月を「ロス」した。  これは『契約者の通常のコントロールの及ばない ところ』で発生した事態である。  よって、この共同海損事故から派生する工程への 「負の影響」に関しては、スミヨシは「免責」とさ れるものと信ずる))  こんな、キーワード満載の書き出しで、まず、不 可抗力条項適用を訴えるのはどうだ。  それに続けて、「お恐れながら、PERUM側に も契約違反の嫌疑これありI」と、先方の不履行 を指摘するのも悪くない。  即ち、設計図面の承認遅れや、輸出代金をカバー する信用状(L/C)の開設遅れなど、客先側か契 約上の日限を遵守しなかったのは明らかな落ち度だ。  さらに、先方の事情による現場での工事差し止め 日数なども積み上げてみたらよいだろう。  こういう二段構えのアプローチをすれば、現状の 三〜四ヶ月程度の工程遅延へのエクスキューズ(言 い逃れ)にはなりそうだった。  意を強くした片岡は、早速、そんな趣旨でレター ドラフトまとめ上げ、ジャカルタに飛んだ。  契約の商務や法務に関する事項は、現場所長のド ドではなく、PERUM本社の管轄である。  よって、日頃、営業窓口を務めている矢沢、松木 両駐在員にも登場願う。  スミヨシタワー十九階の事務所。  レタードラフトを一読した松木が「ええんじやな いですかね」と、あっさり言うと「バーカ」がすぐ に飛んできた。  「片岡よう。お前さ、いつもいつも直球勝負の手 紙ぼっか書いてるけど、こういう、『リキダメ(L Dのこと)』絡みの重要な奴はな、ただ、レターを 出せば終わりってもんじやないぜ」  矢沢、まずは冷や水を浴びせておいて、続けるの だ。  「根回し。重要な件こそ、事前の根回しだよ。レ ター、ポンと出しても、ノー、と返事が返って来た ら終わりだろ。ファイナル’・」  とっさに「お客への根回しはジャカルタ駐在員に お願いします」と、喉まで出かかった片岡だが、そ のまま飲み込んだ。 勢いに乗って『矢沢節』はまだ続いた。  「手紙はな、書くのが『仕事』じゃないんだよ。 まずは、こっちの言い分を聞いてもらうこと。最終 的に、納得してもらわなきや、仕事は終わったこと にならないの!・」  いつもながらの口調にはうんざりだが、確かにI 理ある。  片岡とて、このレターを出状するだけで済まそう とは思っていない。  が、だからと言って、客先に、こういうレターを 出そうと思うんですが、いかがでしょうかIと、 事前に根回しする事など考えもしなかった。  やはり、今までは、常に『ストレート勝負』だっ た。ここは認めざるを得ない。  その彼ら、両ジャカルタ駐在員が、すぐに、PE RUMの関係部署と調整を図り、明後日の朝にミー ティングをセットした。  ビンセントーラジヤ(イングリッシュネームも付 いている?)なる責任者が関係者一同を集めてくれ るのだ、という。  翌日。  BSBの事務所でジョンーガスリーとも、この 『潜在的LD問題』のすり合わせを行った。  事前にファックスしておいたレタードラフトに目 を通していて、ガスリーはすぐに「BSBもアグ リー(同意)」と表明した。  「こういう交渉は、単純な、たし算と引き算だ」 と、ガスリーは謎めいた表現をした。  さらに、契約は権利と義務のキャッチボールだよ、 と抽象的に続ける。  「……」  「そうか、じゃもっと解りやすく」と、ガスリー は、このレタードラフトに同意する根拠をこう説明 したI  現状では、工程は四ヶ月前後スリップして(後ろ にズレて) いる。  これは、共同海損事故で失ったAHIのパイプ材 の再手配と再出荷に要した期間の四ヶ月に相当する。  だから、パイプを失ったことがこの四ヶ月のス リップに繋がったIと、主張(F汾こするのも 悪くはないが……  残念ながら「査定」するのはPERUMの方だ。  取引のあるパイプ問屋をけしかけて、「同種のパ イプは二ヶ月もあればサイトに届けられます」と言 わせたらどうなる?  再調達にかかる期間は二ヶ月が妥当−という査 定結果になってしまう。  4マイナス2=2で、この残った二ヶ月分は契約 者側の『不出来』だとして、LDを食らうリスクが ある。  自分の身を自分で守ろうとするだけでは弱いから、 必ず、相手の弱いところも並べ立てて、叩いておく。  攻撃と守り、その両方が大切だ。  PERUMが、この「四ヶ月間のスリップ」に対 し、完工遅延損害賠償の権利を行使しようとするな ら、自らも契約上の義務を果たしていなければなら ない。  契約関係は、売り手・買い手、対等なのだ。  買い手側は、義務は果たせているのか、否だ。  スミヨシは、その点を突いて、ブレイクスルー (事態の打開を図る)することが肝要だ。  このレタードラフトには、すでに、PERUM側 の落ち度や不履行をピックアップしてある。ここに は、大いにアグリーだ。  その項目毎の『ロス期間』を単純に足し算してみ るとI  (L/C開設遅れ 二ヶ月)十  (設計図面承認遅れ 平均二週間)十  (工事図面承認遅れ 平均一週間)十  (第一発電所のガスタービン定期検査関係での工 事差し止め 一週間)十  (機器テストへの試験官の到着遅れ二日)+  こんな具合に、PERUM側の『不出来』だけで、 すぐに三ヶ月分くらいは積み上がる。  これに、パイプの再手配期間、仮に二ヶ月と査定 されても、を加えれば、現状の四ヶ月スリップは十 分に正当化(言茫々)できるだろう。  だけどI  第一発電所の『ガスタービン定検』で工事を差し 止められたのは、AHIがパイプを再手配している 時期と重なっていた。  「元々遅れている期間なのだから、そこで工事を 差し止めたところで、実質的に、影響無しIと、 査定されてしまうのでは?」  片岡はそんな疑問をぶつけてみた。  あれとこれは相殺−みたいなことは、言い出し た側に証明責任がある。  二つの事象の相関関係{・O9}阯呂)を証明し切 るのはとても難しい。  だから、仮に米国の訴訟でも、原告側も被告側も、 お互いに足し算か引き算で考える。単純な方が強い のを知っているから。  さすが、訴訟の国アメリカの出身。  しかも、PERUM側のコンサルタント経験もあ るガスリーだ。  先方の思考法も知悉しており、心強いかぎりで あった。  「エクスキューズ、ミー」  打ち合わせを終え、ふたりが、スナヤン運動公園 を見下ろす会議室で談笑しているところに、ジョー ジーオニールがヒョイと顔を覗かせた。  「ミスター・カタオカ。近々、日本に行こうと 思っているんだが……ワキモトとも話がある し……」  そう言いかけてから、そうだな、やはり日程を固 めてからにしようIと、ひとり頷いたオニール。  「OK」と、そのまま踵を返して行ってしまった。  脇本勤はJGCCのプロマネで、いよいよ完工も 間近のはずだが……  いつもながら、何を考えているのか気取らせない 人物である。  下の者には滅法口が悪いが、さすがにお客のあし らいはこなれている矢沢健だ。  会議室に集まり始めたPERUMの若手たちを、 前回のPERUMノスミヨシのテニス大会の話題で 盛り上げているのだった。  実は、学生時代、テニスの九州ナンバーワンだっ たと聞こえる矢沢。このPERUMとの懇親テニス を恒例化させていた。  PERUMのテニス人口は意外に多い。  しかし、三面のテニスコートが取れる室内施設を 借り切って、大勢が集ったところで、ゴルフに比べ れば持ち出す費用は、「知れたもんさ」とは矢沢自 慢の弁だ。  片岡も一度、矢沢とダブルスを組んでPERUM ペアと対戦したことがあった。  なるほど、矢沢のスピンサーブは本格的だった。  一方の若手の松木和夫は、やはり、王道、ゴルフ の話題で攻める。  週末ゴルフで、とんでもないミスーショツトやら かしましたワーと、身振り手振りよろしく再現し て、皆の笑いを取るのだ。  最後は「アドウー」と、インドネシア特有の奇声 を張り上げ、締めた。  片岡は、こういうのが苦手だった。  二年前、契約交渉に参加し始めた頃は、議論され ている内容の濃さ、お客と下請け各社がお互い張り 巡らせている『利害の壁』の高さに、すっかり竦ん でしまった。  緊張感から、知らぬうちに目は吊り上がり、ひと り黙り込んだまま会議机にしがみついている状態 だった。  「アイツは、二コリともしない」  PERUM関係者から、当時の主席駐在員・佐野 明彦には、何度かそんな苦言が呈されたのだIと、 後々聞かされた。  インドネシアでは、穏やかな語り口で、多少の ユーモアを交えて発言をするのが好まれ、そうする ことで、当然、折衝もうまく進む。  片岡もこの二年間でそういう作法を身に着けつつ はあるのだが……  ビンセントーラジヤが笑顔で入室してきた。  真顔に戻った矢沢に促され、片岡は準備したレ タードラフトのコピーを出席者に配布する。昨日の ガスリーとの打ち合わせを踏まえて、一部ブラシュ アップしてある。  皆が一読する間に、契約工程と現時点での実工程 の対比を会議室のホワイトボードに大書した。  マーカーを置いて皆の方に向き直り、プレゼン テーションを始めたI  現状、残念ながら、工事工程は三一四ヶ月スリッ プしている。  それは主に、昨年秋に発生した共同海損事故で 失ったHRSGの重要配管材を再度手配し直し空輸 したこと、その時間的ロスを反映したものだ。  既に、別レターで申告済みの通り、この共同海損 事故は、契約上の不可抗力条項が適用されるべき事 態であり、スミヨシは免責である。  −クエッション(質問)。  PERUMの若手が右手を挙げて  「咨目(嵐)はForce Majeure (不可抗力条項) の要件ですか?」  すぐに別の若手が  「Act of G乱(天災)には該当しないので Force Majeureには当たらないと思う」  そんな否定的な意見を述べる。  ざわざわと、ちょっとした議論の輪が広がる。  −ここは、皆がまじめに考えてくれれば良い。  しばし、皆の意見を聞き留めていると、ビンセン トーラジヤが若手たちを制し  「ミスター・カタオカ、先に進めてください」と 促した。  では、  { Q∃ S回{O Sy(申し訳ないですが)) −と前置きして、今度は、PERUM側の事由で 建設工程にマイナスの影響を与えた事象を、レター ドラフトに列記した順にリマインド(先方に思い起 こさせて)していった。  予想外に、PERUMに拒否反応は無く、皆、う んうんと頷きながら片岡の説明を聞いているのだ。  「それで、スミヨシは、今後どのような策を講じ て工程の遅れをリカバリー(取り返す)しようと考 えているのかね」  今度は、ビンセントーラジヤが片岡のプレゼンを 止めた。  「リカバリー努力を示すのも契約者の義務だが」 と、片岡の顔を見上げる。  契約者側に権利の主張ばかりさせている訳にはゆ かない。  ラジャはスミヨシの義務履行について付言したの だ。  ガスリーの言う通りだった。  まさしく、権利と義務のキャッチボール。  「それでは」と姿勢を正して、片岡が説明を始め ようとすると、  「ミスター・カタオカ。それはまた次回聞かせて くれよ。まず、今までのくだりを、我々内部でレ ビュー(見直し)してみたいからさ」  そう笑顔で言うと、ビンセントーラジヤはミー ティングの閉会を宣言した。  その囗の午後だ。  矢沢に連れられた片岡は、再度PERUM本社を 訪れ、ビンセントーラジヤの執務室に向かった。  「お前、明日の朝、またセマランに行っちやうか らさ」  矢沢が無理を言ってラジヤの時間を貰ったのだっ た。ホンネを聞いておけIと。  またも満面の笑顔だ。  「カタオカサン。PERUMはスミヨシだけを苦 境に立たせるようなことは考えてないよ。工事が遅 れるにはそれなりの理由があるはずだろ。スミヨシ が責を負うべき遅れ。PERUMが引き起こした遅 れだって、残念ながら、あるに違いない」  ラジヤは、一呼吸おいて、こう続けたのだった I  スミヨシだけに責任を押し付けようとしたら、ど うなると思う?  むしろ、お互いが不幸になる、と私は思うな。  だって、金銭的にも、精神的にもダメージを受け たスミヨシは、もう二度と、PERUMのためにガ ンバろうIなんて思わないよ。それは、PERU Mにとって将来的な大損失だ。大事な盟友を失うん だから。  PERUMとスミヨシ、双方が傷つかすに済む解 決策が必ずあるはずだ。  そこを目指そうじやないか。  だけど、工程遅れ、挽回できるところは、出来る 限りの努力をしてくれよな。  インドネシアには『バギバギ』という精神がある。  皆で分け合うIといった意味合いだ。  契約を巡る交渉であっても、利害を分け合うとい う心根。  仮に、独り勝ちだIと、ほくそ笑んだとしても、 所詮、その場限りの事だ。  将来、同じ相手に手痛いしっぺ返しを食らわされ たら、結局チャラだ。  いや、感情的な『しこり』だけが残ったなんて言 うのは最悪だ。  そんなビンセントーラジヤの哲学を見た。  この工程問題は、今後、継続審議となるがこの相 手とならば、望むところじやないか。  翌日。いつも通り、早朝一番の便で片岡はセマラ ンに向かった。  「片岡さん、ディスチャージカナル(Discharge 口naT発電所放水路)がね、大変なことになつて るんですよ」  会議室に入るなり、そう切り出した丹下正蔵。お 馴染みのパイプを忙しなくふかした。  片岡のセマラン来訪を聞きつけ、泉川と共にスミ ヨシの工事事務所に押しかけて来たのだ。  泉川が、いつもの落ち着いた口調で補足する。  「BSBが温排水の再循環・拡散についてモデル スタディをしたところ、放水路から出た温排水が海 中を循環して、再び取水口付近まで戻って来てしま うんですよ。だから、取水温度が上かってしまっ て……」  貴職、解る? 理系の久納が横から入る。  「普通、温排水は海中に広かってオシマイなんだ けどさ、今の放水路だと、それが循環してまた取水 口付近まで戻って来ちやうのよ。だから、温度が高 いままの海水を発電所に取り込むってこと」さらに 「取水温度が上がるとね、簡単に言うと、蒸気ター ビンの性能が落ちるのよ」と、続けた。  しかし、今更、蒸気タービンや関連する『復水 器』の設計を変更して、作り直すというわけにはゆ かない。  「だから今頃になって、放水路を長くしろって、 シュナイダーが勝手なこと言い出してるんです」  そう泉川が言うと、丹下は、やれやれと言わんば かりに首を振った。  「相当沖合まで伸ばさなきやならんのですよ、当 初の設計よりね。今、再設計させてますけど、追加 の工費だけでもかなり掛かると思いますよ。突貫工 事ですしね」  スミヨシさんにも、是非承知しおいて貰わないと I  丹下は、そう独り言を装って、またパイプをふか す。  「いくら位かかるの?」  隣の泉川に振ると「そうですねえ、十億ってとこ かな」と、返ってくる。  その法外に思える金額も、武芸者のような座った 目で言われると、真実味があって、ぞっとさせられ る。  言うだけ言うと、丹下と泉川はすぐに腰を上げた。  実は、この温排水の再循環・拡散モデルスタディ のレポートは、すでに、BSBから各社に回付され ているのだ。  (久納が、そんな技術文書を読まないのは、いつ ものことで)  そこには、取水温度の上昇によって発電効率が柢 下し、性能未達リスクがある、との記載もあった。  そして、レポートは、スミヨシのイン(ウスエン ジニアとして「放水路の延長」をリコメント(推 奨)する、と結んであった。  そうか、温排水が戻って来ないよう、もっと沖合 に放水するんだなI、と片岡は漫画的に理解出来 たし、そこで、腹ば決まっていたのだった。  しかし、ダイコンに、追加コストは「十億円」と 言われてしまうと、一瞬、心が揺らいだ。  このモデルスタディは、成程、BSBの所掌だが、 そのスタディの『結果責任』まで問えるかと言えば、 難しい。  一方のダイコン。  PERUMへの随契金額提示の時点では、あくま で土建工事全体でいくらIと、むしろ『どんぶり 勘定』的に数字を弾いていたはずだ。  慎重に『放水路』の個別見積もりをしていたとは 思えない。  大体において、放水路に関する『コンセプトデザ イン』(BSBが決める基本的な設計方針)を、ダ イコンがBSBに要求したことは、今まで一度もな かった。  実際のところ、ダイコンは、温排水の循環・拡散 など、ろくに考慮もせず放水路の設計をしたのでは ないのか……  そして、そのまま神田組に施工にかからせていた ところ、突然、ストップが掛かった。今のままでは、 放水路の長さが足りないぞ、と。  そんな疑念すら湧いてくる中、いけしやあしやあ と、強弁した丹下と泉川。  ヤマゲン張りに「冗談じやないですよI」と、 食って掛かろうかとも思ったが、そこは控えておい たのだった。  今、大切なのは、タイコンノ神田組に万全な放水 路を造らせることなのだから。  −カネの話はあと。  久納も田代も同意見たった。  この先、放水路の延長工事に、タイコンノ神田組 が一体どのような資機材及び人員を投入するのか、 「現場でモニター(注視)してやろうじやないか」 「十億円なんて冗談じやないぜ」と意気盛んだ。  その頃の「工事宿舎」の夜は、バンド結成に向け てさらなる前進を遂げていた。  竹下英輔と入れ替わりでサイト実習に入った新藤 浩二は、久納の巧みな誘いに乘って、是非やりたい ですIと、バンド入りを表明したと聞いている。  今日は長い一日だ。  朝イチの便でジャカルタを発ち、一時間のフライ トでセマランヘ。  空港から現場事務所に直行すると、いきなリタイ コンの来訪だった。  何かと思えば、Discharge Canalの追加コストの 話たった。ひと声で「十億円」と言われても、どこ か釈然としない。  すぐに裏取りをIと、BSBの事務所に走り、 土木技師のシュナイダーと事実関係を確認した。  「現場も見ときましよう」という田代の持ち掛け に、発電所サイトのはずれに位置する放水路の工事 現場にも足を向けた。  既に夕刻のせいか、作業員も重機も目にすること はなかった。ただ、『突堤』を思わせる左右二本の 構造物が海に向かって長く伸びていた。  ようやく久納、新藤だちと宿舎にたどり着いた片 岡。  ミニバスから、スーツケースと東京から持参した ベースギターを降ろそうと玄関先に立って驚いた。  玄関を抜けた先の居間スペースが一変していた。  応接セットは脇に追いやられ、二台のエレキギ ターと小型アンプが並び、中央には二本のスタンド マイクまで揃っていた。  ちょっとしたスタジオだ。  「新藤クンと市内の楽器屋で選んだのよ」  エレキとアンプは中古よI、とゴキゲンの久納。  聞けば、機材を揃えるだけでは飽き足らず、その 楽器屋が主催している音楽教室のドラムクラスに体 験入学までしたのだという。  「でも、エイトビートまで習って、辞めたのよ」  就業時間後にふたりで教室に通って、ドラムを習 得したとしても、俺らのバンドの編成上プラスには ならないからIと、すでに『リーダー』の風格だ。  「そんでね、楽器屋のオヤジに探してもらって、 中古のドラムマシンも買っちやったのよ。まあ、リ ズムマシンみたいなものでね、曲のリズムをプログ ラムできるのよ。毎晩、新藤クンがビートルズナン バーを一曲づつそれに打ち込んでくれてんの」  その新藤が嬉しそうに、自分の部屋からそのドラ ムマシンなるものを持ってきた。両手で抱えられる 位のコンパクトなものだ。  「だから、ドラムはこのマシン任せでOK。リー ドギターが新藤クン。リズムギターは小職。貴職が ベース。これでビートルズバンドの誕生よ」  ベンチソファに腰を下ろして、久納はまだ続けた I  ポンドはね、キーボードも入れたかったのよ。音 に厚みが出るから。  ウチのローカルスタッフにシアントつているで しよ。アイツが上手いって聞いたから、その楽器屋 に連れて行って引かせてみたのね。  そしたら、とんでもない。  本格的過ぎたのよ。まるで、プロ’・  でも、本人、バンドは遠慮しておきますって。  いよいよプロジェクトの物流も終わりだし、近く 事務所を辞めるつもりらしいのよね。  シアント。  そうだ、あの色黒のあばた面。田代竜太郎の相棒 だ。  サイトに搬入された資材を開梱しては、検品、員 数確認して、MRR(物品受領書)を作成していた 彼だ。  いつも大汗をかいていた印象がある。  おおよそ、キーボードを奏でる繊細な指先の持ち 主とは想像できなかった。  しかも、プロはだしで、久納がビビつだIと、 いうのだから、人は見かけによらない。  確かにCJCCの物流は完了したと言って良い。  重量物運搬を担当していた大日本通運の重量士も 先日サイトを離れたところだ  シアントも、自らの役目は終わったIとばかり に、工事事務所から身を引こうとしているのか。  正直、ローカルスタッフが自発的に退職してくれ るのはありかたいことでもある。  工事事務所なのだ。  スタッフをずっと雇用し続けることは出来ない。 はやり、そのプロジェクト限り、という宿命にある。  雇い主として、所謂『首切り』をするのはつらい し忍びない。  だから、スタッフたちが自らの担当業務の今後を 睨んで、この辺が潮時−と、自発的に辞めてくれ るのは助かる。  そのために、と言ってば何だか、雇用契約には、 日本的に、退職金の支払いも盛り込んであるのだ。  その晩から、片岡も東京から持参した[スタイン バーガー]のベース(ヘッドレス仕様で持ち運びに 便利)で練習に加わった。  それからは毎晩だ。  賄いののおばちゃんの作った夕食もそこそこに練 習に取り組む。  一週間もすると、少しはバンドらしくなってきて、 また、一層熱が入る。  この夜の音楽活動。  片岡は、『夜遊び』に出るよりずっと健全、むし ろ、推奨したいくらいだ、と考えている。  なんといっても、この年初のことだ。  ミニバスの転落事故で、多数のシバコーの下請け 作業員たちがごくなっている。  遊びに出た帰りの夜道で起こった事故だった。  やはり、あれは『頭出し』だったのだ。  ジョージーオニールが来日した。  スミヨシはBSBへの支払いを意図的に遅らせて おり、契約違反だI、とのクレームを携えて。  片岡は竹下と共にオニールを会議室に迎えた。  「スミヨシはBSBへの多額の支払いを、長期間 止めており、これは極めて不当な行為である」とい うのが彼の主旨である。  オニール曰くI  スミヨシ/BSB間の支払い条件は次の通りだ。  (海外から船積みする資機材/海外品)  十パーセント   前渡金 七十パーセント  船積み時 十パーセント   サイト搬入時 十パーセント   完工時 (現地調達品/現調品) 十ハーセン    前渡金 八十パーセント  サイト搬入時 十パーセント   完工時 このうち海外品のサイト搬入時の十パーセント、 及び、現地調達品のサイト搬入時の八十パーセント もの代金支払いが大幅に遅れている。  問題だIと、渋面を作ってみせる。  片岡は笑った。  受けて立とう。まずは海外品からだI  ○合衆国から船積みされたとして、本船がセマラ ンに到着するまでの航海日数が一ヶ月。  ○セマラン港での輸入通関とサイトヘの輸送に 一ヶ月。  サイト搬入後が大変だ。  ○現場での開梱、検品、員数チェックは、PER UM、BSB、スミヨシの三社立ち会いのもと行な われる。物量にもよるが、二週間程度かかることも ある。  まだ、終わりではない。  ○この検品結果を物品受領書(MRR)という書 式に落とし込み、これにPERUMの受領確認サイ ンを取り付けるのがひと苦労なのだ。  原則、所長のドドのサインが必要となる。  MRR作成とサイン取得、これだけで二週間程度 かかる。  そして、このドドのサインしたMRRこそが、P ERUMが物品を受領した事の『確証』になるのだ。  この確証をもって、ようやくL/C(輸出信用 状)で代金の回収(買取、という)が可能になる。  そして、スミヨシが買取った代金から、BSBに 支払い送金するのである。  というわけで、  OL/C買取と送金手続きで約二週間。  片岡はここで声を大にしたI  これが「海外品」の実務の流れです。  相応の時間も必要なのです。  船積み完了からL/C買取を済ませ、BSBへ送 金するまでには、大体三〜三・五ヶ月必要だという のはご理解頂けたか?  それでもなお、スミヨシの支払いは不当に遅い、 と、お思いか?  オニールは先程とは別の渋面になって、無言のま まだ。  では続いて、『現調品』の方の説明をI  調達先(ベンダー)の工場からサイトまではイン ドネシア国内の輸送なので、さほど時間はかからな い。  しかし、現調品は、サイト搬入後のMRR作成ま での作業がままならないのだ。  まず、検品をしようにも、ベンダーの検収員が夕 イミング良くサイトに来ない。  また、ようやく検収員が来て検品を始めても、次 のような問題が起きるのですと、今度は、竹下英輔 にサイト実習で経験した実例を挙げさせたI  「実際に到着したモノと、出荷明細表の記載内容 とが食い違ってることが多いんですわ。  到着した現品と、記載されている商品名や製品番 号とが一文字でも違ったり、員数に過不足があった りしたら、PERUMの係官は検品作業をすぐに停 止するんです。そうすると、いつまでたってもMR Rの形にならんのですわ。  MRRなしには、八十パーセント支払いが受けら れません。  やはり、輸出慣れした海外ベンダーに比べて、地 元のベンダーは、このあたりのドキュメンテーショ ン(書類仕事)への意識が柢いんですわ」  竹下がホンネをぶつけた。  自分が提起した「現調品八十パーセント代金の大 幅な支払い遅れ」の根源は、どうやら、BSBのベ ンダーらの不手際・不出来にありそうだ。  そんな話の流れに、ジョージーオニールも、もは や困り顔だ。  スミヨシは契約違反だ、不当だIと、息巻いて 乗り込んで来だのに、まさにに「返り討ち」の体だ。  苦し紛れに、何か言い逃れしようと、  「口O……」  呟いてみるが、その後が続かない。  f So what ? 」(それで、何だ)  力強く、片岡が畳みかけた。  ジョージーオニール。自分自身が疎いところの 『実務の流れ』を前面に押し出され、かつ、BSB のベンダー側に落ち度ありIと、逆指摘を受けた のでは、まさに二の句が継げない。  「Iliaヨ 呂{……}  (わ、わ、わ、私は別に……)  自分が都合の悪い場面で現れるオニールの吃音だ。  片岡は、これで良しIと、矛を収めた。  初対面の時から高飛車。  殊に、自分に理かある、となると『速射砲』の ジョージーオニールだ。  「彼と対等に話せるようにならねば」  それが片岡の最初の目標だった。  それを目指して精進してきたのだ。  そして、  「いつかは、ギヤフンと言わせてやる」  そう目標は変わっていったのだ。  今日、それが出来た気がする。  プロジェクト全体を俯瞰しているのは俺なんだ。 実務の流れを正確に把握しコントロールしているの は俺なんだよ。  そう実感した。  今や、自分の掌の上でプロジェクトのパートナー たちが踊っている。  自由に、心行くまで踊るが良い。  但し、意に沿わぬことをしでかす輩が出てきたら、 グツと握るぞ。  握り潰すことだって……  Discharge Canal(発電所放水路)がいよいよ完 成した  追加コスト十億円−は、ダイコンに足元を見ら れたのか。  そうは思いながらも気になって、毎回出張する度 にその進捗を見守ってきた。  工事といっても、特段、大きな重機を持ち込むわ けでも、海側からフローティングークレーンで作業 する訳でもなかった。  海岸線から順次沖へ向かって石を積み上げつつ進 んでゆく。昔ながらの石積み突堤を左右に一本づつ、 平行に、造り進める。  この二本の間を温排水が流れてゆく単純な構造だ。  とても難工事には見えない。突貫工事だったよう にも。  久納も田代もずっと監視を続けていた。  「ぜんぜんたいしたことないのよ」  『ネコ車』を使って、人間がちょぼちょぼやって いるだけよIとは久納の弁。  田代からの印象的な報告は、もっとよく情景が浮 かんで来るものだったI  手押しの一輪台車ですよ、使ってるのは。それに 適当な大きさの石を載せて突堤の先端まで運んで 行ってば、カラカラと足元の海へ落とすだけ、その 繰り返しですよ。それで、二本の土手みたいなのが 沖に向かって伸びて行くんです、と。  「十億円」は泉川のブラフたった?  猪口才な。  とまれ、放水路はどこまでも沖へと続いていた。  一九九六年暮れ。  片岡は森安に呼ばれた。  ひとり若いのを貴職のチームで引き受けて欲しい んだIと、森安は本部長室に片岡を誘った。  「ちょっと馬鹿だけどな、慶應の応援指導部だか ら根性はある」  「誰ですか」  「金井だよ、金井智春」  入社二年目が過ぎようとしている、あの金井か。  今は、インドネシア向けの単品商売をやらせてい て、まあ、勉強中、と言いたいところだけどな。実 際のところ、お姉さん事務職たちに囲まれて、あれ これ雑用係に使われてるって訳だ。  そう森安流に評しておいて、さらに「英語の社内 検定も点数が悪いんだけどな」とダメを押した。  「OKです」片岡は即答した。  「森安さん、良くご存知じやないですか。私だっ て、出来が悪いIつて散々言われてますから。C JCCは、久納さんだって、SJBの田代さんだっ て同じですよ。駄目の烙印を押された人間が集まっ てやってるんです。でも、これだけはやり遂げよう I、つてね。だから、金井智春も大歓迎です」  そうだよなI、森安は大きく頷いた。  「久納も田代も見違えるように良くやってるよ。 差し詰め『片岡再生工場』つてとこかな、金井も、 頼むな」と笑った。  −ここで、市村六郎のことも話しておこうか。  近頃は、完全に浮いてしまっているのだ。  が、辞めておいた。  佐野に言われた『二年』の年季は間もなく明ける。 もう、繰り返し巻き返し、言い募りたくなかった。  金井智春は翌一九九七年の御用始めにSJBのプ ロジェクトチームに加わった。  まずは、チーム内で回付されている膨大な書類の 量に目を丸めた。  そして、竹下、新藤たちが事案を処理するスピー ドの速さに圧倒されている。  片岡は思い出していた。  始めてPERUMとの契約交渉に臨んだ三年前の 一月。  あの時、目の当たりにした新山義之や仙道正樹の スピード。  しかも、そのふたり、片岡よりかなり年次が下な のだ。  「これが、メジャーリーグの速さだ」  そう思い知らされ、片岡の修業の日々は始まった のだ。  このプロジェクトが終焉を迎えるまで、もう、さ ほど多くの時間が残されているわけではない。  しかし、金井にも出来る限りの教育を施してやり たい。現場研修の機会を与え、経験を積ませてやり たい。  一朝一夕で、一人前のプロジェクト要員が鍛え上 げられるものではない。  それは片岡が一番知っている。  だが、金井智春をここで預かった以上、間違いの ない一歩を踏み出させること、それだけは自分の務 めだと、片岡は自覚していた。  9.紙  一九九七年の春を迎えた。  現場では第二発電所(ブロック2)の建設が終わ り、いよいよプラント全体が設計通りに機能するか、 いくつもの試験を重ね、細かな調整を掛けてゆく、 所謂『コミッショニング』という段階に進んでいた。  片岡は金井智春を現場実習に送り出した。  新年早々にチームに加わり、概ね仕事の流れが掴 めたところだ。少々早いかIとは思ったが、今な ら、隣で進んでいる第一発電所(プロッター)のス チームサイクルのアドオンエ事がピークを迎えてい る。  ブロック2のコミッショニングとプロッターの建 設。サイト上の静と動。  金井が「見て学ぶ」には絶好のチャンス、と考え てのことだった。  今更ではあるが。  第一発電所(プロッター)のスチームサイクルー アドオン契約のインプリメンチーションは、立ち上 がり早々に異例な展開をみせていた。  その甲斐もあって、その後は、一貫して安定した 進展をみせ今日に至っているI  当時、ジャワ島では電力不足が深刻さを増し、プ ロッターのガスタービンの常時運転は必須となって いた。  PERUMには国命が下ったのであった。  何としても、四百MWの電力をシャワーグリッド (送電網)に送り続けよIと。  いわば、電力供給の『戒厳令』だ。  もはや、スミヨシのアドオンエ事隊が、プロッタ ー構内にアクセスする(立ち入る)ことすら、罷り ならぬIと。  万一、ガスタービンでもトリップ(運転停止)さ せようものなら、獄門打ち首−  かかる状況下、PERUMはスミヨシに対し、い ち早く、六ヶ月間の契約中断(suspension)を宣言 したのだった。  むろん、契約工期は自動的に六ヵ月間延長され、 待機期間中の経費はスミヨシ・PERUMが折半す るという紳士的な決着を見たのである。  このプロッターのサスペンションは、正直なとこ ろ、スミヨシ及び下請け各社にとって天恵であった。  ふたつの契約を、ほぼ同時に立ち上げて行くとい うのは、本来、相当困難な挑戦だったはずである。  その六ヶ月の中断期間が明けて以降、プロッター のアドオンエ事が順調に進んでいるのには、もう一 つの理由があった。  BsBがイン(ウスーエンジニアとして積極的に 『レッスンーラーンド・ 』esson 」earned』の概念を 取り入れ、各社を牽引したことである。  先例から学ぶI  つまり、隣で進んでいたブロック2のコンバイン ドサイクル『一気通貫』建設が先例ということだ。  六ヶ月前に、うまくいった箇所は、そのまま継続。  逆に、改善や変更が必要な点は、六ヶ月の猶予を もって、修正して臨んだのである。  市村六郎に『その二年目』がやってくる。  結局のところ、現場所長としては全く機能しな かった。むろん、そこは織り込み済み。  もはや、とかく言うつもりもなかった。  それなのにI、である。  その市村が、コミツショニング期間中の第二発電 所建屋の「鍵管理」を買って出たIというのだ。  東京で、これを聞くに及んで、片岡は顔色を失っ た。  発電所建屋内の電気室、バッテリー室などは既に ライブなのである。  つまり、高圧電気が生きている。  電気は感じる事は出来る(感電だ)が、人が目で 見ることは出来ない。  危険で怖いからこそ、ロックアウトの手続きや夕 グアウトといった手法を用いて安全管理を徹底して いるのである。  皆、学んで、安全知識を身に着けてきた。  ここは市村にも共有していて欲しかった。  室内の機器がライブだからこそ、勝手に人が出入 りできないように、『ロックアウト』されているの だ。  入室して作業するから「鍵をくれ」と言われれば、 ホイホイと、渡すのか?  作業内容自体も、その必要性や緊急性も理解して いないスミヨシの市村が、自分の判断で、鍵を渡し て作業を許可するのか?  あり得ない。  本来、それはコミッショニング全体をコーディ ネート(調整)しているBSBがすべき管理業務で はないか。  今日。この二十四時間。どこで、どんなライブ作 業があるのかI  全体を把握している人間が管理するのが当然だ。 万一、不行き届きがあれば、作業員が黒焦げになっ て感電死するのだ。  もしや、BSBが言っているのか?  そんな心配はご無用−と。  俺たちが、もっとクリティカルな『タグアウト』 を管理しているから大丈夫−とでも。  許可もなく、高電圧機器のスイッチを入り切りし たり、生きた配管のバルブを開閉したりすれば、作 業員の安全のみならずプラント全体の保全もままな らない。  それを未然に防ぐために、特別なタグ(識別札) を付けて施錠し、安全を担保する手法がタグアウト である。  市村に託したのは、所詮、部屋に出入りするため の鍵だよ。電気機器や開閉器の鍵じゃない。  だから構わんじゃないかI  そうBSBまでもが考えている、ということか?  早速、次の出張時、片岡はジョンーガスリーにこ の話題を持ち出した。  ことと次第によっては、強硬にクレームしなけれ ばならない。  が、やはり、ガスリーはこの件を知らされていな かった。  ガスリー自身、「知らなかった」では済まされな い問題だIとの反応を示した。  すぐに、各員に聴取したところ、マークーマクド ナルドが右手を挙げたという。  曰く、皆が作業で出入りする部屋の共用すべき鍵 だからI  やはり。そんなふうに簡単に考え、市村に押し付 けたものだと判明したのだった。  「マークはまだ若く、経験も少ないとはいえ、誠 に申し訳ない。安全管理について再教育しておく」  ガスリーは恐縮しきりであった。  所長室の執務机の脇の壁には、ご丁寧に、保管 ケースが設置してあった。盤面には、いくつもの鍵 が掛けられている。  アパートの管理人張りだ。  改めて、市村には事態の重要性を説き、またも、 苦言を呈さざるを得なかった。  「でもねI、みんなが嫌かってたからさ。鍵の管 理くらいなら、ボクでもお役に立てるかなI、と 思ったんだ」  このケースごと返してこようIと、市村はひと りをBSBの事務所へと向かった。  「市村さんには、予定通り、二年で帰任してもら うように、人事の手続きを完了したから。四月一日 発令だよ。久納君もそれでいいんだろう」  佐野明彦は淡々と続けるI  後任は出さない。  今後は久納悟に現場所長を務めてもらう。  まずはブロック2を完工に持ち込み、平行してプ ロッターのアドオンエ事を終了させる。そしてコ ミッショニングを経て、こちらも完エヘ。  残すところあと一年弱というところか。  田代には、そのあと一年間の『保証期間』中も現 場に残ってもらう。  これはSJBの人事部長も了承済みだよ、と。  こんなふうに、この先の人事計画を披露してみせ た。  プロジェクトマネージャーとして、どうCJCC を「手仕舞い」してゆくかI  ゲームの終え方を、意識する時期がいよいよやっ てきた。  課題となるのは、言うまでもなく、完工遅延をど う正当化してみせるかである。  ビンセントーラジャの率いるPERUMのチーム とは打ち合わせを繰り返してきた。  焦点は絞られているI  どこまでが不可抗力か。  どこまでがスミヨシの責任か。  どこまでがPERUMの責任か。  最近、片岡との『内々』の打ち合わせで、ラジヤ はこう漏らすようになった。  「主燃料となるべき天然ガス供給にメドがたって いない事。これを、敢えて、前面に押し出すのが得 策かな」  インドネシア政府の行政機関としてのPERUM には天然ガスの供給責任はない。  これを独占的に握っているのは、同じ鉱山干不ル ギー省傘下の[ペトローインドン]なのである。  天然ガスを、受入基地から大口需要地まで、どの ような手段とルートで輸送し、安定供給を図るかは、 常に、供給者側に課せられる命題のはずだ。  しかるに、CJCCへの天然ガス供給に関しては、 まずは、ベトローインドンの計画自体が杜撰であっ た。  さらには、陸上輸送のためのガスパイプライン計 画が漏洩してしまうIそんな時代背景も災いした。 これによって地元の地権者たちが騒ぎ出し、もう事 態は収拾が付かない。  こうして、CJCCへの天然ガス供給計画は頓挫 している。  ビンセントーラジャは自虐的に言ったものだI  元凶は、鉱山干不ルギー省さ。  ペトローインドンのお粗末な天然ガス供給計画を 真に受けたのも、そして『天然ガス焚き』を前提に、 大至急、複合火力発電所を中部ジャワに建設する Iと、決定を下したのも。  鉱・干不省は我々PERUMの監督官庁だよ。そ して、なんとベトローインドンの監督官庁でもある んだ。  だからこそ、鉱・干不省のトップ、PERUMの トップ、ペトローインドンのトップ、いずれにとっ ても、CJCCへの天然ガス供給問題は、あまり議 論したくない事案のはずだ。  そこを逆手にとって、CJCCの完工遅延の理由 の一つに上げておけば、何故だ、どうしてだIと、 突っ込まれることはない。  トップたちはさらりと終わりたい。  「そうか天然ガス待ちIか、では、已む得ない」 とね。  片岡は、かつて、ジョージーオニールと共に面談 した(ツサンーバスキの顔を思い出していた。  その時は、重役らしからぬ歯切れの悪さIと、 訝ったものだったが。  そして改めて思うのだ。  ジョージーオニールは、こういう囗が来ることを 予見していたのか、と。  「天然ガス待ちで、スミヨシは、ガスー(ンドリ ングシステムやガスコンプレツサーなど関連機器の 性能試験が出来ず、長期間『手待ち』状態が続きま した」  こんな説明がつくのであれば、PERUMの上層 部は、誰も、結果として生じた完工遅延を問題視す ることはないI  これがビンセントーラジヤの見立てだ。  PERUMもスミヨシも、誰も傷つくことがない I  そんな、ラジヤが標榜するところの、最強の口 シックがまとまりつつあった。  スミヨシに、一方的にLDを課すようなことをし ても、結果的に、PERUMには何のメリットにも ならないさI、と言い切ったラジヤの立ち位置は 揺らがなかった。  実際、天然ガス関連の機器一式は据え付けたまま だ。試験も調整もしようがない。  「この先何年かして、本当に、ガスが来たら、そ の時またスミヨシに試験員を派遣してもらうよ」  もっとも、その時には、もう俺はここにいないだ ろうがなIと、ドドは笑った。  既に匙を投げていた。  正式に帰任辞令を受け、市村六郎は帰国した。  特別な引き継ぎもなく、また挨拶に回るべき相手 もいない。寂しい帰国であった。  帰任する先も、森安大二郎の下、無任所の『本部 長付き』ということで、特定の担当業務を与えられ ている訳ではない。  そして、帰国休暇を終え、市村が出社してくる囗。  片岡は、敢えてSJBの事務所で市村を待ってみ た。  自分は無視されたとしても、市村は、少なくとも、 JGCCを完工させ既に帰任している村西庄助には 帰国の挨拶に来るだろうIと、読んでのことだ。  「何度かメシ食ってたんじやないの。村西さん、 あれで結構親しくしてたから」  市村と年次の近い村西。  ジャカルタで、ちょっとした交流もあったやのサ イド情報も矢沢からは寄せられていたのだ。  その矢沢にせよ、村西、増保にせよ、片岡より年 長の諸先輩たち。  結局のところ、この二年間、市村本人をつかまえ て、咎めたり、窘めたりすることは、一度もなかっ た。  皆、よろしくやっていたのだ。  『憎まれ役』をひとり片岡に押し付けて。  昼を過ぎても、やはり、市村は現れなかった。  意を決し、片岡は小森清人を引き連れ、本社ビル の九階に出向くことにした。  市村は、本部長付席に所在なく座っていた。  「市村さん、ご苦労様でした」  片岡は明るく声をかけ、深く頭を下げた。  一瞬、ビクリとした市村。  「ああ……」とだけつぶやいて、のそりと立ち上 がった。  「先日は、お世話になりました」  市村帰任の直前まで現場に出張していた小森が如 才なく笑顔でフォローする。  が、気まずい空気が流れただけでそれ以上の会話 にはならなかった。  片岡と小森はその場を辞した。  竹橋の本社ビルからSJBの事務所まで歩く、五 分ほど距離。  「機嫌悪そうでしたね」と言う小森に  「これで終わりよ。縁切り。こちらから出向いて 行って、ご苦労様と労ったんだから、もうこれでい いっしよ」  片岡は早く『憎まれ役』を降りたかった。  市村は、  「片岡ってのは鬼だね」  「一体何様だと思ってるのかな」  そんなふうに周囲に触れ回っているIとだけ、 聞こえてきた。  これは後日談であるI  本社に戻ったものの仕事もなく、三ヶ月ほどで、 市村六郎は早期定年退職を決めたのだった。  その送別会は森安が企画した。  本部内の何名かの年長者に交じって片岡にも声が かかった。  が、出席を固辞した片岡。  「ダメだ。絶対出ろ。貴職が市村さんのお相手を するんだ」  そう、森安大二郎に迫られた。  神楽坂の料亭で催された席。  片岡は、市村の隣で酌をしては、改めて、サイト での二年間を慰労した。  市村は静かに酌を受け、ふたりはポツリポツリと 言葉を交わした。  いよいよお開き。  森安がタクシー券を一枚出し「これで、市村さん に帰ってもらえ。貴職がお見送りするんだからな」 と、耳元で、片岡に因果を含めた。  市村を誘って玄関先まで出ると  「僕の家、鎌倉で遠いからさ、いいよ。もったい ないよ」  電車で帰れるからIと、タクシー券を受け取ろ うとしない。  「森安さんの好意ですから、受けてください。電 車で帰らせたI、なんて知れたら私か叱られます から」  片岡は表通りに出た。  タクシー券に指定された『四社』のうちの一台を 止めた。  「悪いね。いろいろありかと。森安さんにもよろ しく伝えて」  開いたドア。  「市村さん」と、片岡はその背に歩み寄った。  「私は、まだまだ若輩で、プロジェクトのことだ けしか考えられませんでした。年長の市村さんにも、 ずけずけ言い過ぎたところがあります。それは自覚 しています。どうか、勘弁してください」  そう言って、片岡は座席に収まった市村に深々と 頭を下げた。  「ボクもね、前の会社のインドのプロジェクトと 同じ調子でやっちやったから……社内のルールもス ミヨシとは違うのにね」  市村は右手を差し出し「最後まで頑張ってね」と、 片岡に握手を求めた。  「お元気で」  イイですかIと、運転手は車を出した。  −市村さんの、最後のキャリアを奪ってしまっ たのは、俺か。  やるせない思いで、片岡は走り去るタクシーを見 送っていた。  スーツでは汗ばむ、晩夏の夜だった。  現場では、ブロック2が順調にコミッショニング の課程をこなしてきた。  そして、いよいよ大詰め。  Dcsの百二十日間連続運転試験に突入したの だった。  Dcs(Distributed Control System ・分散制御 システム)はプラント全体をコンピュータで監視・ 制御する。  計装用コンピュータの登場により、発電所の制御 もアナログからデジタルヘと変遷してゆく時代で あった。  しかし、当時はまだDCSの信頼性そのものを疑 問視する声は根強く、それを払拭するためにも、実 機に、百二十日間もの連続運転試験が課せられてい たのである。  これには、『失格』の基準が定められている。例 え運転百十九日目にエラーが起きたとしても、それ が失格に該当すれば、ご破算だ。再調整の上、振り 出しに戻って、第一日目からやり直す羽目になる。  当然ながら遅延LDリスクも潜んでいるわけだ。  このDCSの所掌はUEにあった。  そして、現場に派遣されて来だのはUEと提携関 係にある計装メーカー[ヴアンガード]の、かなり 年配のTA(据え付け指導員)であった。  いや、陽気なグランパ(おじいさん)というのが 正しかった。  提出されていたCV(履歴書)をみると、第二次 世界大戦の時代に青春期を過ごし、従軍もしている のだった。  このおじいさんTAは、百二十日間の連続運転試 験中、PERUMのDCSオペレーター(運転員) へのトレーニングも受け持った。  そして、すぐに皆から「プロフェッサー」と呼ば れ、慕われることになる。  片岡も、その『白熱講座』を覗いてみて驚いた。  あの時代に、  一体、どこでどうやって、かようなコンピュータ 関連の知識を身に着けることが出来たのかIと、 不思議でならなかった。  アメリカ恐るべし。  ところが、連続運転試験中、あろうことかエラー が検出され、運転が停正した。  一同、凍りついた。  が、プロフェッサーはひとり冷静だった。  因果を説き起こし、ついには、これは『マイナー 子フー』に過ぎないIと。  これには、PERUM側のオペレーター全員が納 得したのだった。  よって、失格には該当しない。  ルールブックの『延長運転・一日』で踏み止まっ た。  こうして、結果的に、百二十一日間でこの難関試 験を突破したのであった。  片岡はここでもプロフェッサーのインフルエンス (威力)を感じたのであった。  出来得る限り、プラントーコミツショニングの課 程を見守ろうと、片岡は、頻繁に現場へと出張に出 た。  また、金井に続いて、小森、竹下、新藤ら若手た ちも次々に現場に派遣している。  契約交渉中、主要な機器やシステム毎に、それぞ れ特徴的な試験や調整手続が規定されていることを 知ったのだ。  若手たちには、これを単なる知識や契約上の文言 だけに止めて欲しくはなかった。  であるなら、実際、立ち会わせ、経験する機会を 与えるべきだ。  そんな思いが強かった。  思えば、二年と少々前の話だ。  ニューヨークから都落ちし、失意の中、もう責任 ある立場は御免だIと、現場所長を固辞した久納 悟。それが、今や、名実ともに、現場のナンバーワ ンの座に収まっている。  田代竜太郎にしても然り。  プラントは完工の後、一年間の保証期間に入る。 田代は、完工後も現場に残ることを希望した。その 間、PERUMの様々な要望に応える窓口役を務め るのである。  相棒・シアントが現場を去り、続いて、経理事務 員のサリナも退職を申し出て来た。  これも工事事務所の宿命で、徐々に縮小してゆく のはやむを得ない。  しかし、夫人もすっかリセマランの生活に親しみ、 田代は今後を見据えている。  放水路を完成させたタイコンノ神田組。  これにて大物工事は打ち止めだ。今や発電所構内 の道路整備や美観維持のための造園工事をのんびり と進める毎日だ。  丹下正蔵は差し詰め楽隠居の体で、暇に飽かせて、 久納のところにやって来ては、ゆったりとパイプを ふかして駄弁るのだ。  最近の口癖は「スミヨシさんのご本社に伺って、 請求書をお出ししなきや」なのよIと、久納が笑  出張中の片岡にサイト上で出くわしても、丹下も 泉川も、そんなことはおくびにも出さないのだが。  シバコーも、プロッターアドオンエ事を一部残す のみとなった。  もうヤマゲンが「冗談じやないですよ〜」と汗ま みれでスミヨシの事務所に飛び込んで来ることもな くなった。  今は、サイトで片岡を見かけるたびに「あれカネ 掛かってますんでね。改めて正力とご相談に上がり ますから〜」を繰り返す。  ブロック2だ。HRSGの二系列同時四基一括建 設のことを言っているのだ。  あの時はI  「二系列同時? 冗談じやないですよ〜」に始ま り、二百五十トン級の大型クレーンをもう一台追加 で持ち込んで計二台で作業するのが絶対条件だ、と、 その真剣味に思わずこちらが気圧されたほどだった。  しかし、その一方で、「だけど今から手配掛けら れるかな〜」と、大型重機の手配の困難さをちらり と漏らして、こちらの不安感を煽るのだった。  無事手配がついてからは、「一日いくらかかると 思ってるんですか?」「高くつきますよ〜」と、ク レーンのレンタルコストの高価さを繰り返し強調し た。  最後は「現場が狭いんで二台やり繰りするの大変 なんですから〜」と言いつつも、「ウチしか出来な いっすから」と、この突貫工事を終わらせたのはさ すがだった。  この大型クレーンの追加コスト問題。  むろん、避けて通るつもりはない。  共同海損事故で失ってしまった『時間』を取り戻 すための方法論は、二系列同時建設しかなかった。  シバコーは二百五十トンクレーンを二台同時に狭 いサイトに持ち込んで、AHIはTAをニチーム編 成で同時派遣することで、この難局を乗り切ったの である。  PERUMに対しても、契約者側か一丸となって の工程挽回努力−と、強くアピールすることも出 来たのだ。  両社が相応の追加コストを投入したことは十分承 知している。  このうち、AHIのプロマネ、ワインバーガーは、 早々に、この追加TAコストはスミヨシには請求し ないIと、自ら議事録を作成し、宣言した。  あの、ワイン街道を戻る車中で明かされたAHI の社内事情。  それでも、長い物には巻かれろ、では到底収めき れなかったワインバーガーの侠気。  それに応えて、今度は片岡がシバコーの追加費用 に真っ直ぐに対応する番だった。  一九九七年六月。  中部ジャワ複合火力第二発電所(CJCCブロッ ク2)はコミッショニングの全課程を終了した。  続く、プラントの性能試験においても、契約上の 要求出力及び燃費効率ともにクリアしている。  そして最後の試練、三十日間の全プラント連続運 転試験に突入したのだった。  この期間中に、複数の運転モードを試し、この発 電所が十分に電力の需給調整力を備えた出来栄えで あることを示すのである。  東京に戻って、この連続運転の無事を祈る片岡の もとに、ジャカルタの松木和夫から一本の電話が入 る。  「片岡さんね、ルピア(インドネシアの通貨単位) が変な動きをしてるんですわ。大幅に下落するって いう噂もあるんです。銀行口座に残っているルピア、 この際レパトリ(レパトリエーションの略。日本へ の逆送金)しときましようかね」  確かにそうだな、もう大口の工事代金を現地通貨 でダイコンやシバコーに支払うニーズもなくなって いる。  「松っちやん。全額レパトリしよ」  そして、松木が送金手続きを済ませ、東京側でそ の着金を確認し、経理部が入金処理(当日の円貨相 当)をするという、まさにルーティンワークとして このレパトリは完了したのだった。  皆の関心は、連続運転試験の「残り日数」に注が れていた。  「よし、三十日、達成だ」  その同じ囗に、インドネシアルピアの大暴落が起 きた。  「松っちゃん、間一髪だったな」  片岡は、この幸運に、胸をなでおろした。  スミヨシでは、帳簿上、現地通貨を円価額で評価 し管理している。従って、もしルピアで現地口座に 残したままだったら、危うく多額の評価損を蒙ると ころであった。  この夜。  CJCC東京チームのメンバーたちはささやかな 酒宴を催した。  まずは、しみじみと完工を喜びたい。  初めてジャカルタでの契約交渉に参加してから三 年半。  この囗、第二発電所は連続運転試験をクリアした。  これによってPERUMは商業運転の開始を宣言 したのである。  受注の時は、嬉しさよりも、これから始まる不安 の方が強かった。  それは重圧となって、ずっと片岡の両肩にのしか かったままだっだ。そして、今日ようやく、その肩 の荷を半分だけ降ろせた気がした。  そして同時に、我と我らの強運に感謝したかった。  不幸な事故や不本意な出来事にも幾度となく遭遇 した。  それでも腐ることなく、日々、皆がそれぞれの パートをしっかりと務め上げた。そういう積み重ね が、ここぞという時に、強運を引き寄せる力となっ たに違いない。  −このルピアの大暴落をみよ。  すんでのところで、『大為替差損』を免れた我ら。  これは神様からのご祝儀だったに違いない。  だが、この囗のルピア大暴落は、のちに言う「ア ジア通貨危機」の端緒に過ぎなかった。  急激な通貨下落はあっという間にアジア各国へと 広がり、派生的に起こった金融危機はそれぞれの国 家の経済に大打撃を与えることになるのだ。  そして、この先、片岡が手掛ける案件たちにも、 徐々に、暗い影を落としてゆくことになる……  そんなことは、まだ知らぬまま、今宵の美酒に酔 いしれるがよい。  商業運転を開始して二ヶ月。秋を迎えていた。  PERuMはスミヨシに対しを中部ジャワ複合火 力第二発電所のTaking Over Certificate(引渡証 明書・Tocと略す)を発給した。  これは、ブロック2の工事が完了し、プラントの 引渡しがなされたことを示す証書である。  EPcを志す者、この一枚の紙(Toc)を取る ために、足掛け四年、心血を注ぐのである。  しかし実のところ、片岡は、このTocに先立ち、 もう一通、別の紙も手にしていた。  完工遅延を巡る一連の協議内容をまとめ上げた議 事録である。  ブロック2が商業運転に入るや、直ちに、片岡と ジョンーガスリーはPERUM本社でビンセントー ラジヤだちと合流し、その草稿を練り上げた。  もう内容について多くは語るまい。  ラジヤの『バギバギ』精神が、見事に盛り込まれ た議事録であった。  あの矢沢健か、ドラフトを一読し「よくできてる よ。これでいいんじやねえの」と褒めたI、とだ け言っておこう。  余勢をかって、片岡は、ダイコン/神田組との追 加コスト交渉に臨んだ。  「{}ischarge Canal=十億円」はさすがにブラフ だったようだが、その放水路延長工事も含め総額五 億円超の追加工事項目が俎上に上る。  「請求書」では僭越−と考えたのか、その内訳 は見積書の形式で、事前に片岡の手元に届けられて いた。  いかにも着慣れぬ背広姿の丹下正蔵と泉川剣吾が 滑稽さを醸すが、ダイコンからは穂高常務、神田組 は新潟本社からの大越専務、二名の大物重役を伴っ ての来訪だ。  こちらも、本来ならば、相応に本部長の森安大二 郎或いは部長の佐野明彦を同席させるべきなのだろ うが、辞めておいた。  片岡の脇を固めるのは小森と竹下、そして太刀持 ちが金井だ。  泉川が、恭しく、追加工事項目の一つ一つを説明 してゆく。こういう役回りは泉川にピッタリーと、 片岡は改めて納得する。  しかし、その説明は、身内である穂高常務及び大 越専務に向けられており、違和感がある。  泉川剣吾が一通りの説明を終えた。  片岡は、特段質問する事項もない。  だれが、次のひと言を発するのかI  束の間の沈黙。  「ダイコン・神田組の皆さんにも頑張ってもらっ たので、ここは、九千万円出しましよう」  そう、片岡が沈黙を破った。  もともと、一項目づつ議論するつもりなどなかっ た。  「でも、これはディスチャージカナルの延長工事 代金ということではありませんよ。あくまでも、土 建全般に対し、大変良くやって頂きましたIと、 『金一封』をお出しする、ということですから」  「それっぽっちじゃ……」  話になりませんよIの部分は飲み込んだ丹下正 蔵は、プイとそっぽを向いた。  泉川はいつもの武芸者の面差しを変えない。  片岡は、穂高常務の目が泳いだのを見逃さなかっ た。  「穂高常務。いかがですか。これで決着して、お 互いに帳簿を締めましようよ」  片岡が、もう経理の上でもプロジェクトを終了さ せようIと、水を向けると、  うIん、と思案を巡らせて  「丹下君。せっかくのスミヨシさんのご提示なの だから、これでお受けしようじやないか、エツ」  仏頂面の丹下を諭すように言う。  泉川は少し微笑んだように見えた。  「片岡さん、お受け致しますよ」  穂高常務は、もう丹下には構わず、こう応えたの だった。  すぐに金井が正副一枚づつの念書を応接テーブル の上に並べる。  『これ以上のクレームは、一切、ございません』  予め、片岡が手書きで準備していたものだ。  その場で、穂高、大越、片岡の順でサインを交わ し、懸案事項は落着したのだった。  下りエレベーターを待つ本社ビルの九階ホール。  「片岡さん、今度、是非、新潟の方へもお出かけ ください」  そう晴れやかな笑顔を作った神田組・大越専務。 少々場違いにも思えて、印象的だ。  後日、追加コストの件、これで決着しましたから Iと、例の手書き念書を森安大二郎に見せると 「オマエ、こんなものにサインさせたのか、穂高さ んに」と、呆れられてしまった。  「片岡君。もうCJCCのプロマネ役はSJBの 村西さんと増保さんに任せてさ、キミには重電第一 課長をやってもらいたいんだ」  一九九七年十月。  佐野明彦は、片岡を本社の部長席に呼ぶとこう切 り出した。  重電第一課長は脇本勤が務めていた。  JGCCを完工させた後、まだ就任一年少々なの だが、石崎洋一の後任としてニューヨークヘの異動 することが急遽決まったのだという。  重電第一課は、伝統的に、PERUM向け電力ビ ジネスを一手に扱っている。  SJBにプロジェクトチームを編成し、本社から スピンアウトしたCJCCは、むしろ特例であった のだ。  言うまでもなく、現状、インドネシアのビジネス 環境は厳しい。  ルピア続落の中、IMF(国際通貨基金)の介入 を受け、計画されていた多くの国家プロジェクトが 見直しを迫られているのだ。  そんな中で、PERUM向け新規ビジネスを開拓 し、推し進めるというのも、一筋縄では行くまい。  「だから、キミの突進力が必要なんだよ」  これが、佐野の殺し文句であった。  中部ジャワ複合火力発電プロジェクト(CJC C)もいよいよ大詰めだ。  第一発電所(プロッター)にアドオンしたスチー ムサイクル部分のコミッショニングは最終過程で、 間もなく、性能試験を実施する。  プロッターの方も美しく手仕舞いする。  残す性能試験と連続運転試験をクリアすれば、つ いに二枚目のTOCも、この手にすることが出来る。  そのために、東京からは新藤浩二を現場に張り付 け、久納、田代共々、終わり良ければ総て良しI に、遺漏なきを期しているのだ。  確かに、もう何ら心配はなかった。  あの夏、キミのために用意するIと、森安大二 郎が口にした『課長の席』とは、これの事だったの か。  片岡章二は、四十四歳になっている。  エピローグ  「EPcつて何?」  Eは回覧neering(設計)、Pはprocureヨ回t(調 達)、cはconstructi呂(建設)の略で、プラントの 建設のすべてを請け負う工事形態のことをいうのさ。 僕は電力担当だから火力発電所のEPcだけどね。  「商社なのに、そんなことやるの?」  従来から、商社でも各国の電力会社の新規発電所 建設のプライムコントラクター(主契約者)になる ことはあったさ。  だけど、その場合の多くは、実際に発電プラント の設計や機器を作る重電メーカーや、現地で建設工 事を受け持つ大手ゼネコンヘの、営業協力や情報提 供、建設コストを賄うための資金調達や融資などが 商社の受け持ち範囲だったんだ。  しかし近年、電力自由化の流れの中で、海外でも、 国営だった電力公社や電力庁も民営化されてね。発 電コストを下げて競争力を高めるためには、発電設 備をどんどん大型化するようになるんだ。そうする と、総事業費も当然巨大になるから、発注する側も 発電所建設に伴う工期遅れや性能未達のリスクを契 約者側に転嫁しようと考える。  今や、発電所の建設ばかりでなく、発電事業その ものの運営についても、まとめて最適企業に一括発 注する傾向が強まってきたのさ。そうなってくると、 商社の出番なんだよ。  「でも、そんな大きなリスクを商社がとれんの?」  世界のインフラ争奪戦に勝ち残るためには、怯ん ではいられないよ。  確かに、そんな大型発電所の完工が遅れれば、発 注者の事業計画を狂わせることになって、その事業 損失の補償が求められる。  重電メーカーやゼネコンもそれぞれどこかで痛い 目にあわされ、もう二の舞を踏むことは許されない しね。  だから、商社自身が、メーカーやゼネコンを率い て、まずは出来るだけ自分を守れるよう契約条件を 整えるんだ。  現場でも陣頭指揮を執って施工管理に乗り出す。 トラブル発生峙には、発注者である電力会社に、E PC契約者として対峙して早期解決を図って、どん どん工事を前に進める。  そうした方が確実にリスクを低減できるのさ。  「精神的なところはわかる気がするけど、どうし てもおカネが必要だと思うけど」  もちろん、大きな責任とリスクをマネージするた めには相応のcontingency(予備費、業界ではコン チと呼びならわす)を契約金額の中に見込んでおか ねばならないけどね。  いかにコンチを最小・最適額に抑えられるかI が、価格競争力を大きく左右し受注のカギとなって いる、と言っても過言ではないのよ。  従来のように、重電メーカーあるいはゼネコンに リスクや責任を押し付けようとしても、厳しい経営 環境下、彼らのオーバーヘッドは巨額になっていて、 それがまともに価格に上乗せされたら受注などとて もとても。やはり覚束ないでしよ。  商社自らが責任とリスクを正しく認識し、積極的 に施工管理に乗り出した方が、工期遅延リスクはマ ネージしやすい。  ここを商社が受け持ち、重電メーカーには「品 質」責任を、ゼネコンには「安全管理」責任を持っ てもらう。当然、餅は餅屋、の部分はある。  何から何まで他人任せ、はダメー  そうわかっちやったんだ。  と、男は言った。  男は、四十歳たった。  サラリーマンとして、ちょうど折り返し地点。何 か、全く新しいことに挑戦するにはちょっと遅いの か、でも人生を諦めるにはまだ早過ぎる。  そんな時に、男は、発電所EPCに出会ってし まった。  コリヤ、スゲーとIから取り組む。  勉強もした。膨大な書類も読み込んだ。  すっかり魅せられ、のめり込み、次々に発電所E PCの注文を取ってば、若手とプロジェクトチーム を作り、建設に取り組んだ日々。  時には、契約履行がうまくゆかなくなった案件を 中途で引き受け、何とか完工に漕ぎ着けたことも一 つの通過点だった。  そうして気づけば二十五年。  インドネシア、ヴェトナム、タイで合計五つの発 電所を建設した。  その合間を縫って、応札した火力発電所EPCの 入札案件は、ひとつとして取りこぼすことはなかっ た。四件連続で受注に結びつけているのだ。  EPCこそ自分のライフワーク。  それでは月並み過ぎる。  俺って、名人? この男、中島敦の超短編『名人伝』が好きなのだ。  エピローグ ー。  「年末年始の休み、早めに囗本に帰るからさ、一 度ライブやりたいのよ」  片岡は、足掛け四年苦楽を共にしてきた盟友たち に離任の挨拶をしようと、ヶジメの出張に出かけて きた。  まず、ジャカルタではI  ビンセントーラジャをはじめとするPERUM本 社の面々へ。  次は、BSB。  ジョンーガスリーからこのひと言、胸にしみた。  [Thank you for your leadership]  (素晴らしいリーダーシップだったよ)  セマランに移動してI  現場では、ドドやアーメッドと談笑。  何か一番印象に残っているか?  片岡は、あの『エアフィルターケースの焼却イベ ント』を挙げた。  あれで、ドドの人となりが一遍で分かったIと。  アーメッドは、契約ネゴ中、片岡が激高したこと さIと、身振り付きで再現した。  「オマエ、なんで支払い条件の打ち合わせしない んだ」つて、指差して怒りだしたんだよ、と。  皆が、そんな日々を、もう笑い話にしてしまえる 幸せを分かち合った。  次は、シバコーの工事事務所。  まだ、パンチリスト(一部未完成となっている作 業のリスト)を片付けるために、正力富男も山田元 も現場に残っている。  あのクレーンの追加コスト問題をうやむやにした まま、プロジェクトを去る訳にはゆかなかった。シ バコーからは、その後、何の音沙汰もなかったのだ。  「ああ、あれね。片岡さんに貸し、ということで イイですよ」と正力。  「所長がそういうんですから〜」とヤマゲンは二 タリと笑った。  そして、工事宿舎最後の夜。  久納悟は、年末に一時帰国するから東京でライブ をやろうI、と言い出したのだ。  現場に張り付いている新藤浩二も交え、期せずし て揃ったメンバー三人。  ライブという目標も新たに、マイクに向かった。  ドラムマシンにはすでに十五曲のビートルズナン バーが打ち込まれている。  むろん、片岡も新藤も、東京に居ても、自分の パート練習は欠かさない。  しかし、こうして、メンバーが揃った時にしか コーラスや(モリ部分は練習できないのだった。  元々は、夜遊びするより健全だろI  そんな気分で始めたバンド活動だった。  よくぞここまで来たものだ。  そんな感慨を胸に、三人はこのひとときを愛おし む。  片岡の自宅は多摩川に近い。  川沿いの、廃れたドライブインの敷地脇に音楽ス タジオの看板を見つけた。  今までは、何の関心も払っていなかった場所だが、 最近オープンしたらしい。  コンクリート打ちっぱなしの建物。  その地下がスタジオになっているようだ。  きれいな木目のフローリングの床。  都心から離れた立地にも拘らず、アンプやドラム セットなども新しい。  しかも、それと判る高級機種が揃えられているの が驚きだ。  スタジオは大小五つあった。  そのうち、一番大きなスタジオならば二十人位は 入れそうだI  「ヒト集めて、スタジオライブやっても全然構わ ないツすよ」  受付の兄ちゃんは愛想よくそう応えた。  −ここなら、久納の自宅も近い。新藤の社宅 だって多摩川を東京側に渡ってしまえば、そう遠く ないはずだ。  再び、兄ちゃんに訊いてみる。  十二月二十九日(月)の夕刻−  その大スタジオは空いていた。  えイつと、予約を入れてしまった。  まずはライブが出来る場所を確保したい、その一 心だ。  なるほど、たまたまメンバー三人の家からは近い が、集まってくれるスミヨシの同僚たちの『足の 便』は考えになかった。  「貴職たちさ、ライブの前々日と前日にはリ「I サルやるかんね、必ず」  『リーダー』からは、そう言い渡されていた。  リ(Iサル日の予約も、同じ大スタジオなら取れ ますよIと、笑顔の兄ちゃん。  この際、料金が割高なんて言うまい。  俺らは、金欠の学生バンドじゃないのさ、と、へ ンな強気で、これも即予約だ。  十二月二十三日、天皇誕生日。  プロッターアドオンのTOCを手にした久納悟は、 早々に、セマランから凱旋帰国していた。  カレンダーの都合で二十六日(金)が御用納め だったこの年。  一年の仕事を終え、世は新年へのカウントダウン が始まっていた。  そんな翌二十七日(土)が、リ(Iサル初日だ I  「朝イチで、新宿の楽器屋に行ったらさ、まだ、 開店前だったのね」  久納は、久しぶりの東京が楽しくて仕方ない、そ んな笑顔で続けた。  「前の通りを掃除してる店員の兄ちゃんに、[J 160E]ある? つて声掛けたら、びっくりして、 ありますI、どうぞこちらへ。すぐさま小職を店に 招き入れんのよ」  ギブソン[J160E]とは。  ビートルズのジョンーレノンやジョージー(リス ンも使用したエレクトリックーアコーステイツクギ ターの名器だ。  兄ちゃん、奥から大事そうに出してきて、弾いて みます?  当たり前よIと、アンプにつないでポロンと やったら、もうジョンの音なのよ〜。  今朝買ったばかりというギブソン[J160E] を抱えて、久納悟は多摩川のスタジオに現れたのだ。  三人十ドラムマシンだけでは広すぎるスタジオに 入って、各々ギターケースを開けば、片岡も新藤も 負けてはいなかった。  片岡は、ポールーマッカートニーがビートルズ後 期に使っていた[リッケンバーガー]を、新藤はギ ブソンの[レスポール]を取り出しチューニング (調弦)を始める。  「やっぱ、貴職らもカタチから入るのね」  弦をペンペンペンと巻き上げながら笑った久納が、 思い出したように「そうだ」と、片岡に目線を送っ てきた。  「貴職の『お友達』のワインバーガーね、AHI 辞めたんだってよ」  「……」  現場に来ていたAHIの試験員から聞いたそうだ。  何事もなく性能試験をクリアした第一発電所。続 く三十日間連続運転試験が終わるのを待って、ワイ ンバーガーは静かにAHIを退職していったのだ、  −やはり、あのあと、上司とうまくいかなく なったのか……  第一発電所のコミツショニング期間中も、ワイン バーガーがサイトに姿を現すことはなかったっけ。  夕日のワイナリー、オペラ劇場、ファミレスの夜 のエマ夫人が、一瞬、走馬燈のように蘇る。  感傷は封印して、新藤がドラムマシンのスイッチ を入れるのを、片岡は待っていた。  二日目も、同じように大スタジオで四時間のリ ハーサルをこなした。  「明日の本番さ、小職、折り畳み椅子を二十客用 意するから」  今まで使っていたマイクやスタンドを片付けなが ら、久納が言った。届け出さえすれば、自宅マン ションの集会所から借りられる、車に載せられるの もそのくらいだろう、と。  明日は、スミヨシの同僚や後輩たちがこのスタジ オに集まってくれる。  実は、この二十名余の集客、竹下英輔の貢献が大 だ。アクセス問題を克服するために、 御用納めの丸一日をかけて、『送迎プラン』を策定 していたのだ。  曰くI  聴衆の目玉は、何と言っても、女子社員たちです やん。  まずは、分散している彼女たちの自宅を、区域ご とに、二二二人づつ、グループ分けしたんですわ。  そのグループごとに、ピックアップする担当の男 子を決めました。  そして、当日、それぞれが自慢の愛車でお嬢様方 をエスコートして会場までお連れするIと、こう いう手筈ですわ。  さらに「プロジェクトで培った(?)コーダネー ション能力をいかんなく発揮させてもらいました わ」と、大きく胸を張ったのだ。  そして今初めて、このエスコートプランの存在を 知らされた久納は。  思わず、「えツ、エースケの奴、そんなこと言っ てんの? あした、来る途中でふけちやうんじやね えか?」と、漏らしたのだ。  あとは皆で大笑いだ。  段取りは整った。  あとは、明日、思い切り弾けるだけだ−  Tell me why you cried and  why you lied to me  Tell me why you cried and  why you lied to me  十二月二十九日月曜日。午後三時。  「テルミーホワイ」で、待望のライブは始まった。  竹下のエスコート策は見事にはまり、皆がにこや かに会場入りを果たした。  スタジオの兄ちゃんには、「今日、ちょっと大勢 出入りするんで……」と事前にチップを渡しておい た。  すると、久納が持ち込んだ二十客の椅子もきれい にスタジオ内に並べてくれるし、今も、「いらっ しゃいませ」と女子たちに笑顔を振りまいている。  久納夫人、例の(セガワちゃんも、もう高校生の すまし顔をみせる長男を伴ってやって来た。  片岡の妻・玲子とは、営業部は違えども、スミヨ シ本社時代は同じフロアで勤務した同士、顔見知り だ。  お互い、息子と娘を連れての再会を喜んでいる。  Is there anything I can do  (いause I really can't stand it  im so m love with you  オープニング曲「テルミーホワイ」終盤のサビが スタジオ中に響く。  −いつもより良い(モリだ。  ジャ、ジャ、ジャーン。  二十名あまりの大拍手。  二曲目。「ベイビーイッツユー」  片岡が雅子の影響でビートルズを聴き始めたのは 中一の時だ。その当時から好きなバラード。久納と 新藤がつける「シヤララララ」のコ圭フスを従えて 歌う喜びに、片岡はもう涙が出そうだ。  ベースの弦を指先ではじく。その振動で弦が揺れ ている。ああベースを奏でているんだIと、実感 する。  メロディーに合わせて、心地よく弦がうねってい るのがわかる。練習やリ(Iサルでは一度も感じた ことがなかった。  「ラブミードウ」  器用な新藤浩二が、ギターを(Iモニカに持ち替 えての演奏だ。  「イフ アイ フェル」(恋におちたら)  そもそも、この歌がキッカケだった。  セマランで久納と(モつたのが、このバンド活動 の始まりだった。  「裏街道を行く」久納。  今日も、裏パートの(モリは完璧だ。  演奏が上手いとか、下手とかI  そんなものではなかった。  やっている本人たちが、どれだけ楽しんでいるの かI  それは間違いなく聴衆にも伝わる。  歌や演奏ばかりではなかったI  久納のとぼけたMC(合間のトーク)にも、皆が 引き込まれた。オネエ言葉はライブのステージでも、 全開だ。  片岡のビートルズに関するウンチクMCにもI  客席からは、まるで業務上の指示を受けているか のような、真剣な眼差しが送られてくる。  新藤浩二は歌がうまい。  工事宿舎の初練習の時に、久納も片岡もそれに気 付いた。  ここは、その新藤をフィーチャーした  「冫{{ {孑り 躱o{{o Qo}  前奏は、癖のある和音をツルルルルとワンスト ロークだけ。  jeQコりくq { gpココp ra yo{{ yay  新藤がソロで人つだ。  All I've got to doと、久納と片岡がそれ ぞれのキーで追いかける。  冫コQ EQ s∃Q 躱o まt ∃Q−  新藤のサビを、久納と片岡が「ウー」「ウー」 「ウー」とコーラスで盛り上げた。  歌い終わって皆で客席に深く一礼する。  すかさず「新藤クン、大先輩二人にコ圭フスを付 けてもらって、貴職は幸せ者だな」と、久納が冷か す。新藤、会心の笑みをみせる。  いよいよラストの一曲。  「ロックンロールミュージック」  軽快なリズム。  椅子を押しのけて、全員スタンディング。  手拍子に乗って一気に歌い切った。  ジャジヤジヤン。終わった。  全十五曲。  マシンに打ち込んだ楽曲は全部披露した。  アンコール、アンコールと求められても、もう鼻 血も出ない。  こうして一九九七年は暮れて行こうとしていた。  CJCCは第一、第二発電所ともに完工を遂げ、 無事PERUMからTOCも取り付けた。  そして片岡は、すでにSJBへの出向を解かれ、 本社九階の重電第一課長席に着いている。  このライブが、CJCC足掛け四年の総決算と なった気がしていた。  打ち上げは、階上のレストランを予約してある。  同僚男女はみんな残って、スタジオのあと片付け も一緒に終えた。  「貴職らは、飲んじやダメよ」  スタジオから階段を上がって地上に出たところで、 久納がわざとらしく、まだ運転のあるエスコート役 の男子たちに釘を剌した。  「うIス」  元気な声が冬の冴えた夜空に響き渡った。  エピローグ 2.  年が改まり一九九八年。  片岡は、久々の連続休暇を取得した。  この先、重電第一課長の職務にのめり込んでしま う、その前に、母・毬子、長姉・佳子に、中部ジャ ワ複合火力第一・第二発電所をどうしても見せた かったのだ。  −自分の経験や技量では手にあまる大仕事とな るに違いない。  中部ジャワ複合火力発電プロジェクト。  初めて契約交渉の場に放り込まれた時、そう直感 した。  あれから丸四年。  発電所の受注から建設へ、我を忘れて突き進むう ちに、片岡は、父・文一、次姉・雅子を次々と失っ ていた。  プロジェクトマネジャーとは名ばかり。  ただただ、己の力量不足を周囲の支えを借りて補 い、初めての発電所建設に撓み続ける日々。プロ ジェクトを前進させようともがく毎日。心に余裕な どあろうはずもなかった。  ジャカルタやセマランヘと出張を繰り返し、慌た だしく日々を過ごすばかり。  病床の父や姉を顧みることはなかった。  全てを毬子と佳子に任せきり。  結局、看病はおろか、ろくに見舞いすら出来ずに、 立て続けにふたりを亡くしてしまった。  末っ子の長男だ。  永く自分を慈しんでくれた父と姉に、まだ甘えて いたのか。  息子が、弟が、この発電所に全身全霊で打ち込ん でいるのだ。  きっと喜んでくれるに違いないI  心の中でそう思っていた。  イヤ、そう思おうとしていた。  不遜にも、病床にある父と姉を等閑に付すに足る 『免罪符』と考えていたのか。  そして今、  第一、第二発電所とも見事に完成した。  片岡が、苦心惨憺、完工させた発電所とは、一体 どんなものなのか。  毬子と佳子に見てもらいたかった。 そして、よくぞやったIと、称えて欲しかった。  現場に立ち並ぶ四十五メートルのスタツク(煙 突)を見上げて、「お父さんも、マーちゃんもきっ と喜んでいるわよ」と、片岡家の誉を謳って欲し かった。  ふたりが快哉を叫んでくれることI  それでようやく、片岡は詫びることが出来るのだ。  「だから、勘弁してください」と。  旅程はこうだ。  まず、バリ島ヌサドゥアで三泊。  セマランに移動して二泊。  メインは、発電所見学。帰途、車でボロブドゥー ル遺跡を訪れ、ジョグジャカルタから再びバリ島に 戻る。  バリ島サヌールでゆっくりと三泊。  初日、チェックインしたヌサドウアの【グランド [イアット]  母は、玄関から真つ直ぐに伸び、正面に広がる海 を見下ろすホールを、眺めが素晴らしいIと、好 んだ。  このホール自体が、かなりの高さの崖を利して作 られているので、四方から風も吹き抜ける。  思えば、片岡にとっても、リヤド駐在時代以来、 四年半ぶりの休暇ということになるのだった。  セマランに移動して、市の中心、シンパンリマ広 場に面したチプトラホテルヘ。  ロビーに、田代竜太郎夫妻が出迎えてくれた。  気の置けない仕事仲間とはいえ、お互いに連れを 伴っての再会となると、なぜか改まった気分になる ものだ。  夕刻、久納が新車のパジェロで現れた。  「今夜は、『宿舎』で、小職がバーベキューをご馳 走する、そんな趣向よ」  毬子らへの挨拶もそこそこに、久納はそう言って 三人を、お馴染みの運転手・サリマンが控え待つパ ジェロヘと誘った。  工事宿舎の居間スペースはすっかり片付けられて いた。  もう、スタジオ化していた当時の名残はない。  わずかに、黒い【[ミングバード]がベンチソ ファに立てかけてあるだけだ。  ベランダでは、火を熾したり、材料を並べたり久 納が甲斐甲斐しく立ち働く。  それを、傍らで、あのおばちゃんが見守る、とい う構図だ。  毬子も佳子も恐縮するのだが、久納は全く意に介 さず、最初の牛肉を網にかけると、こう口火を切っ た。  「片岡クンとは、入社一・二年目合同研修で一緒 になって、その時から知ってはいたんです。でも、 お互いずっと違う営業部に居たんで、一緒に仕事し たのは、このプロジェクトが最初なんですよ……」  久納は、肉や野菜を焼く手を休めず、毬子たちに 語り続ける。  いつものオネエ言葉は、どうやら封印のようだ。  そして驚いたことに、今まで、片岡たちにも聞か せたことのない昔語りを始めたのだI  自分は愛知県の片田舎の出身だ。  小さな村の中で、秀才だ、神童だIと、持て囃 されて育った。  兄も、同じく優秀だったのだが、所詮は、村の田 舎教師たちのことだ。  「地元の高専に進学して、そのままトヨトミ自動 車に就職するのが一番」  そう指導するのが関の山だった。  兄は今もトヨトミにいますよ、と。  しかしある囗、その兄が「オマエは、もっと上の 道を目指せ」「何としても東京の大学に行け」と、 諭したのだという。  それで、自分は県下随一と言われる公立進学校に 進んだ。  高校の成績も群を抜き、皆が東大受験を勧めたが、 自分では、少々敷居が高いIと、結局、東工大に 進学したのだ、と。  やっぱり、久納んとこの次男坊は神童だった、東 京工業大学に現役合格したでょIと、村では大騒 ぎになったのだという。  「だけど、騒がれたのはここまでだったのよ〜」  愛知の片田舎の神童クラスでは、東工大では全く 「ただの人」だった。  並みいる「天才」の中で、初めて感じた劣等感。  そうなると、あとは奈落の底へまっしぐら。  一年生の前期試験で躓いて、悪循環に陥り、その まま一年目で留年決定だった。  ここで、一大決心をしたのだ、と。  絶対あと四年でここから逃れよう。  それからというもの、周囲の優秀な友人たちの力 を頼りに、試験やレポート提出を乗り切って、何と か卒業に漕ぎ着けたのだと。  大学院進学なんてとんでもない。  就職だって、メーカーに技術職で入ったら、東工 大入学の二の舞になるI  そう考えて商社を選んだのだと。  スミヨシにも、東工大出が何人かいるけど、皆、 自分と『同類項』だと思う、と、久納は、初の自虐 ネタを締めた。  チプトラホテルに帰ると、毬子は言った。  「久納さんてのは、立派な方だね。何といっても 人を逸らさない」  よい先輩と一緒に仕事が出来てあなたも幸せだ Iと、頷くことしきりだった。  翌朝。  約束の時間にロビーに降りると、毬子は和服姿で 待っていた。  周囲からは好奇の視線を浴びている。  母の勝負服。  第一正装であることは、片岡も承知だ。  久納差し回しのパジェロで、発電所に所長のドド を訪ねる。  建設の指揮を執ったあとは、そのまま、発電所長 に収まっているのだ。  「母の毬子、姉の佳子です」  ふたりを紹介すると  「だq 訃齔町」(よく似ているね)  と、ドドはソファーを勧めた。  すぐに、アーメッドも所長室にやって来た。  発電所の建設中に、父・文一、姉・雅子を続けて 亡くしたことはドドも承知している。静かに、故人 を悼み、遺族をいたわる言葉を続けた。  そして、毬子にこう語りかけたのだ。  「お母様。あなたの息子さんが居られなかったら、 この素晴らしい発電所は完成していませんでしたよ。 私は、PERUMを代表して、改めて、息子さんの 執ったりIダーシップに敬意を表したい」  通訳をしながら、片岡は、ドドの思いやりに、心 の中で頭を下げた。  ふと、ああいうのは、英語で何と言うんだかな Iと、ドドは、隣のアーメッドに問いかける。  「カタオカか、みんなをうまくまとめて、前へ前 へと引っ張ってただろ」  「……」  「最初は、全然言うことを聞かなかったUEやB SBなんかも、やがては、カタオカのリードに乗っ てさ、完工に向かって一つのチームになっていった のだろ」  「(Iモナイズ(harmonize)」  「ノー、ノー、もっとぴったりな……」  「オーケストレーティング。イエス、オーケスト レーティング(orchestrating) ―」  要するに、いろいろ個性の違う各社、各人が集ま る中で、そんな皆を良く調和させて完工という大目 標に向かわせた。  最後は、ひとつのオーヶストラのようだった、と 最高の賛辞を呈してくれたのだ。  それぞれ六百メガワット級の第一、第二発電所の 建屋がミラーイメージ(左右逆の鏡像)で並ぶサイ  世界的には、もっと規模の大きな発電所はいくら でも存在する。  が、CJCCは狭い敷地内に効率的な設計によっ て発電所施設群が実にコンパクトに押し込められて いるのが特徴だ。  ひとつの発電所に四基の四十五メートルスタツク、 合計八基が横一列に並ぶ様は壮観だ。  一般人が、敷地内に入り、同じ平面で発電所施設 に対峙する。  これは特例中の特例。  毬子と佳子はその大迫力に圧倒されっ放しだ。  「子供の頃は、プラモデル作りをしても、なかな かうまく完成させられなかったのにねえ」  母親らしい感慨だ。  確かにそうだった。  出来たIと、スイッチを入れてみても、回らな いプロペラ。動き出さない戦車。  片岡は、そんな幼い囗の無念さを思い起こしなが らも「ボクが、自分の手を動かして発電所を造る訳 じゃないんだよ。商社の立場でやることは、もっと 他にあるんだからさ」と、言い繕ってみた。  コンバインドサイクル発電所の建設では、ガス タービン、蒸気タービン、発電機、HRSGなどの いわゆる主機の据え付け作業が花形だ。  それぞれが超重量物であり、大型クレーンや重機 が活躍する。  しかし、もっと目を凝らしてみると、それぞれの 主要機器は空気、ガス、油、水などの配管で接続さ れていることがわかる。  また、電力ケーブルや計装用のコントロールケー ブルも縦横に張り巡らされ、各機器を繋ぎ動力や信 号を送っている。  こういうパイプやケーブルは、まるで体内に張り 巡らされている血管のようだ。  サイズの大きなものから極小のものまで、実にバ ラエティーに富んでいる。  片岡は、現場で、配管作業やケーブルの接続作業 にしばしば目を奪われた。  特に計装機器の配線や結線作業。  片岡にとっては、気の遠くなるような細かな作業 の連続だ。  見るたびに、自分がこの係員でなくてポンド良 かったI、と思ったものだ。  そんな配管やケーブルが縦横に走る様を、毬子だ ちにも見せようと発電所建屋の下層階へと案内した のだが……  ふたりは「ふIん」と漏らしただけだった。  翌朝。  久納がホテルまで見送りに来てくれた。  今日は、まず、サリマンの運転するパジェロを 駆ってボロブドゥールを目指す。  その後はジョグジャカルタの空港まで行き、三人 は再びバリ島へ、サリマンはセマランヘと返す。  久納には、道中の注意を喚起された。  世情はきびしくなりつつあった。  今も、ルピアの下落は止まらず、地方都市ではイ ンフレに苦しむ低所得層による暴動も散見される。  ミ三(スをお役御免にしたのも、出張者の減少も さることながら、むしろ安全面を考慮して大型のパ ジェロに切り替えておこう、ということなのだ。  「お母さん、お姉さん、お気をつけて」  手を振る久納を横目に、サリマンは車を出した。 毬子と佳子は久納との別れを惜しむ。  道中、ジョグジャカルタ市内で昼食をとり、さら に山道に入って進む。  後に、佳子は回顧した。  このパジェロでの行軍が、とても印象に残ったの だと。  「だって、久納さんが車を手配してくれなければ、 あんな風にインドネシアの田舎道を走ったりできな いわ。遺跡の広がる盆地に向かって山道を降りて行 く時のあの風景。ああいうのを目にすることなんて、 もう二度とないでしよ」  時期的なものだったのか、ボロブドゥールには、 観光客が少なく、世界最大という仏教寺院を「自然 体」で感じることが出来た。  ユネスコの世界遺産に登録されているとはいえ、 実におおらかなものだ。  寺院遺跡への立ち入りは自由で、階段ピラミッド 状の壇を登れるようにもなっている。  巡らされた回廊にぐるりと施されたレリーフに手 を触れても差し支えない。  黒光りするレリーフの欠片を持ち帰ることすら出 来そうだ。  それでも、ひとたび円形壇の上まで登り、盆地を 取り囲む山々、さらに遠くムラピ火山を望めば、や はり宗教心が掻き立てられるのだった。  夕刻、ジョグジャカルタの空港を発ち、スラバヤ 経由、バリ島のデンパサール空港に戻った。  最後の三日間。  宿泊はサヌールビーチのりIジェントホテルだ。  木立に囲まれた柢層の建物。白砂のプライベート ビーチも有する。  日中は、水着に着替えプールで泳いだり、毬子は 機嫌よくバリの休日を過ごした。  一体、何年ぶりのプール遊びなのか。  片岡は、姉の佳子と並んで、はしゃぐ母の姿を嬉 しく眺めていた。                        了  著者略歴 片山直明(かたやま なおあき) 1953年7月28日生まれ。 東京都出身。 早稲田大学商学部卒業。専攻はマーケティング。 1976年4月、新卒で大手総合商社に入社。 2018年7月に退職するまで、内外で、一貫して 電力部門を担当した。 神奈川県川崎市在住。 すでに出版されている「安息日は二度と来ないI ダッカー984・航空機事故とある商社マンの葬送 歌(レクイエム)」と本作は連作となっている。 表 題/商社マンたちの協奏曲−発電所EPC     の男たち 発売日/2021年10月 著 者/片山直明 発行者/向田翔一 発行所/株式会社22世紀アート     〒103−0007     中央区日本橋浜町3−23−I     ACN日本橋リバーサイド 5階 電 話/03(5941)9774 本書は著作権上の保護を受けています。本書の一 部または全部について、株式会社22世紀アート から文書による許諾を得ずに、いかなる方法にお いても無断で複写およびデータの転用することを 禁じます。本書へのお問い合わせについては、お 客様相談センター 03(5941)9774 までご連絡ください。 www.22art.net info@22art.net 本書は著作権上の保護を受けています。本書の一 部または全部について、株式会社22世紀アート から文書による許諾を得ずに、いかなる方法にお いても無断で複写およびデータの転用することを 禁じます。本書へのお問い合わせについては、お 客様相談センター 03(5941)9774 までご連絡ください。 www.22art.net info@22art.net 本書は著作権上の保護を受けています。本書の一 部または全部について、株式会社22世紀アート から文書による許諾を得ずに、いかなる方法にお いても無断で複写およびデータの転用することを 禁じます。本書へのお問い合わせについては、お 客様相談センター 03(5941)9774 までご連絡ください。 www.22art.net info@22art.net 本書は著作権上の保護を受けています。本書の一 部または全部について、株式会社22世紀アート から文書による許諾を得ずに、いかなる方法にお いても無断で複写およびデータの転用することを 禁じます。本書へのお問い合わせについては、お 客様相談センター 03(5941)9774 までご連絡ください。 www.22art.net info@22art.net 本書は著作権上の保護を受けています。本書の一 部または全部について、株式会社22世紀アート から文書による許諾を得ずに、いかなる方法にお いても無断で複写およびデータの転用することを 禁じます。本書へのお問い合わせについては、お 客様相談センター 03(5941)9774 までご連絡ください。 www.22art.net info@22art.net 本書は著作権上の保護を受けています。本書の一 部または全部について、株式会社22世紀アート 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