「科学的に正しい」の罠(SB新書) まえがき 「科学的に正しい」をめぐる意外な真相の一つは、実は科学者は「正しい」という言葉を好まない、ということかもしれない。だから本当は、もしあなたが「この考えは科学的に正しい」とか、「こう判断するのが科学的に正しい」というフレーズを聞いたなら、「罠かもしれない」と黄色信号を点灯させたほうがよい。 普通は仮説を「正しい」と言わずに、「支持できる」「信頼できる」あるいは「予測と整合する」とか「棄却できない」、あるいはもっと緩く「~の可能性がある」と言う。そもそも仮説を誤りだとは言えるが、数学など特別なケースを除いて、それを「正しい」とは言えないからである。科学の結論は常に暫定的だ。明日になればもっと良いデータで更新されるかもしれない。 科学者は現時点で証拠に照らしていちばん筋が通り、予測通りで、再現もできている説明を、主として一般向けに語る時、便宜上「正しい」と表現するだけなのである。 もう一つ、科学で「正しい」の表現が好まれない事情がある。科学は事実について語らねばならないが、「正しい」という言葉は、「事実に合致する」以外の意味も含むことがあるからだ。例えば「この感染症対策は正しい」という文の「正しい」は、観測・実験で実証された対策がもつ感染予防の有効性だけを意味するとは限らない。どんなタイミングで誰に対して実施したのかといった、手続きや判断の妥当さを意味する場合もある。さらに、対策をとることで命が救われるという倫理的・道徳的な適切さを指す場合もある。この多重の意味ゆえに、事実に基づく客観的な「正しさ」が、善悪や道徳のような価値観で判断された「正しさ」と混同されるのを、科学の世界は嫌うのである。 それにもかかわらず本書で「正しい」という言葉を使うのは、何か正しいかに関心のある人々や、科学的な知識を正しいと信じて日常的な判断材料にしている一般読者を対象に、危険な罠がどこに潜むかを平易に語れるというメリットが、こうしたデメリットを上回るからである。 本書では「科学的に正しい」を、二つの意味で使う。一つは、事実についての説明の意味。それが現時点の証拠に照らして最も信頼できる、あるいは支持できる、という意味である。もう一つは、科学に基づく意思決定の意味。それが現時点の証拠に照らして正当化できる、科学的に妥当な、あるいは合理的な判断、という意味である。 注意が必要なのは、こうした事実や判断が人や社会に影響を及ぼす場合だ。その「正しさ」には、倫理・道徳や信仰、こうであって欲しいという願いがオーバーラップしてくる。あるいはお気に入りの規範で人々を支配したいという権力欲や、邪魔なモラルの破壊を目論む暗い情念が忍び込むこともある。 こうした願いや欲望や価値観は、時に偽りの「正しさ」を科学に引き寄せる。 もし現代の科学に偽の「正しさ」が台頭し、蔓延しつつあるのなら、歴史はその先に恐ろしい結末が待っていることを示している。私たちが差し掛かっているのは危険な時代の入り口かもしれない。不幸な世界の到来を回避するために、私たちに必要なのは、「正しさ」がどう導かれるのかを理解し、価値観によってそれがどう損なわれ、偽装され、そして悪用されるかを知っておくことであろう。 本書は、科学的で一見正しいが、実は信用できない説明、誤った説明、有害な説明、さらには科学でない説明まで、現在や歴史的な事例から、権力、メディア、偏見やイデオロギー、ナショナリズム、客観性の過信と偽装、そして科学者自身が、いかに科学を棄損し社会に不利益をもたらしたかを示す。そのうえでどのような手を打てば科学の信頼性を守れるのか、「正しさ」なき虚無の到来を防ぐためにとれる手段を考えてみたい。 「科学的に正しい」の罠 目次 まえがき 第1章 “科学的な正しさ”の罠 第2章 なぜ事実は歪められるのか 第3章 どのように事実は偽装されるのか 第4章 “客観的”な事実はありうるのか? 第5章 事実は一つではないのか 第6章 偽装された事実にだまされない方法 第7章 立場表明 第8章 科学を見分ける方法 あとがき 危機の「予防」は「陰謀」とされる かつて麻疹は日本で最も恐れられた感染症の一つだった。文久2年(1862年)の麻疹大流行では、死者数が江戸だけで7万5981人に及んだと「江戸洛中麻疹疫病死亡人調書」に記されており、約24万人が死亡したという。厄除けに鬼や神などをあしらい、赤を多用した「はしか絵」という錦絵が大量に出回り、護符として使われたほか、食物の禁忌、養生法などの情報発信にも使われた。明治以降も麻疹は定期的に猛威を振るい、患者は「隔離」するほか手段がなく、1950年代になっても年間約1000~9000人の死者を出していた。 ただ、一度感染すれば免疫ができて二度と発症しなくなるため、「はしかみたいなもの」という言い方が示すように、困難をやり過ごせばもう二度とかからない、という人生の通過儀礼のような意味も持っていた。 一方、米国では1950年代、どうせみなかかるなら早く済ませて免疫をつけてしまえというわけで、親がわざと子どもを感染させることがあった。 子どもを集めて感染させる麻疹パーティーが開かれていた。日本と米国では真逆の対応に見えるが、実は打つ手のない同じ問題の解決法が逆なだけである。なぜなら米国でも麻疹の報告が開始された1912年から1921年にかけては、平均で年間約6000人が死亡し、衛生状態が著しく改善した1950年代でさえ、わかっているだけで年間400~500人が死亡、4万8000人が入院、1000人が脳炎を併発するほどの被害を出していたからである。 要は罹患を避ける手段がなかったため、神に祈るか耐えるか、それとも開き直るかの違いである。日本でも米国でも1960年代に導入された麻疹ワクチンにより感染者は激減し、死者もほぼゼロになったが、そこから先に起きたことは、米国も日本もよく似ていた。1990年代、米国ではワクチン予防接種が定着し、未就学児の接種率は90%を超えていた。2000年には米国疾病予防管理センター(CDC)が麻疹の排除に成功したと宣言した。これは麻疹の根絶の意味ではなかったのだが、麻疹を知らない世代の間で、「ワクチンはもともと不要だった」「ワクチンは身体に危険で製薬会社の利権」というワクチン批判と陰謀論が生まれた。 さらに英国出身の医師アンドリュー・ウェイクフィールドが発表した、三種混合(MMR)ワクチンは自閉症を引き起こす、という捏造論文が反ワクチン運動を加速させた。ウェイクフィールドは医学界からは疑似科学者と見なされ追放された一方、反ワクチン派からは英雄視され、政治的な陰謀により不当な迫害を受けている救世主として、反ワクチン運動のシンボル的存在となった。 こうした反ワクチン運動の拡大により米国では接種率が大きく低下した。その結果、2019年にニューヨーク市と州で麻疹のアウトブレイクが起き、2025年に再流行して12州に拡大した。発症者の96%が未接種または接種歴不明だという。日本でも定期接種が功を奏し、2015年には日本が麻疹の排除に成功したとWHO(世界保健機関)が認定するほど流行を抑え込んだ。ただしもともと日本では1990年代にMMRワクチン接種禍があり、被害も大きく、厚生省の秘密主義と製造元の逸脱行為も加わってワクチンへの不信感が強かった。ところがむしろ被害のレベルが未確定な他のワクチンを中心に、接種は有害だとして反ワクチン運動が巻き起こった。メディアが流す感情に訴える報道が人々の不安と怒りを煽り、身近な副作用の経験談も忌避感を強めた。製薬会社の利益を行政が守る利権構造があるという批判も高まった。 日本の場合、行政の不手際とメディアを含めた科学コミュニケーションの失敗という感が強いが、一部に陰謀論や非科学的な反ワクチン論も唱えられている。こうした反ワクチン運動の気運が麻疹ワクチンの接種率低下にどう影響したかは不明だが、2019年には反ワクチンの新興宗教団体の信者を中心に、中部~近畿地方で麻疹クラスターが発生し、10年ぶりの大流行となった。その後、新型コロナ禍でいったん減少した感染者数が再び増加に転じ、2025年には急増するなど流行の兆しを見せている。 麻疹の場合、状況により差はあるが、ワクチン未接種者の感染致死率(死亡数/推定感染者数)は先進国で0.1~0.3%とされ、季節性インフルエンザは0.03~0.07%、COVID-19は0.5~0.8%前後だがワクチン接種後は0.1%とされる。羅患すると終生免疫がつく代わりに、ほかの感染症への免疫力の多くが消失するため、身体が危険な状態になる。また脳炎や肺炎などの合併症や、重い後遺症を患うリスクがある。麻疹は感染力がインフルエンザの5倍以上と強く、免疫を持たない人がウイルスに曝露されると、その90%以上が発症する。こうした未免疫者のうち、麻疹ワクチン(MR/MMR)を1回接種すると約93%、2回接種すると約97%が発症を防止できる。重い副作用は10万~100万接種に1件程度である。WHOは2000~2023年に6000万人もの麻疹による死亡を、ワクチン接種で回避したと試算している。 このように麻疹ワクチン接種のメリットはそのリスクを圧倒的に上回っており、危険な感染症の大流行という最悪の事態を予防する「科学的に正しい」対策と言える。それにもかかわらず、なぜ反ワクチン、という結論に至ってしまうのだろうか。 これを考える前に、もう一つ別の例を挙げよう。現代の私たちの日常生活に欠かせないスマートフォン、家電、PC、車など、あらゆる電子機器に使われている半導体は、量子力学の理論を基礎としている。電子の基本的な性質を解明し、光の量子性を実験的に検証して、量子力学を「単なる仮説」から「数値で検証された理論」に引き上げるのに決定的な役割を果たしたのが、米国人として二人目のノーベル物理学賞受賞者ロバート・A・ミリカンだった。つまり私たちの豊かなデジタルライフの基礎の部分は、ミリカンの功績に支えられている。またミリカンは実質的な学長として就任以来、カリフォルニア工科大学を世界的な研究拠点に引き上げ、米国の科学と技術を躍進させる波及効果をもたらした。 ところが2020年、過去のミリカンの行為と思想に対し、突如として非難の声が沸き上がった。当時、BLM(Black Lives Matter)運動による、人種差別への意識の高まりとともに、左派リベラル勢力を中心に、過去の差別の痕跡を是正しようという活動が拡大していた。その過程でミリカンが過去、人種差別施策に関与した疑惑が浮上。カリフォルニア工科大学では、学内のミリカンを冠した建物からその名前を削除するよう求める請願が出された。間もなくロサンゼルス・タイムスがミリカンの過去を追及し厳しい批判記事を掲載した結果、「名誉剥奪」を求める学内外の組織的要求に火がついた。 これを受けて行われた学内委員会の調査結果によると、ミリカンはナチスにも影響を及ぼした優生学団体の理事として活動し、人種差別思想の後ろ盾となったという。さらには、不適格な人々の強制不妊手術に関する法制化も支持したとされる。委員会は、ミリカンの人種と民族に関する姿勢は「人種差別的かつ排外的で、いかなる基準でも容認できない」と断じている。ユダヤ人や女性に対してなされたという差別的発言も問題視された。 その情報源の一つ、アンソニー・プラットらが2005年に出版した著書には、ミリカンが第二次世界大戦中の日系人差別に関与したとする記述がある。これに基づいてネイチャー誌は2021年、大戦中にミリカンが日系人の強制収容に協力し「日系人学生の氏名と住所を調べ、そのリストを米軍に渡した」と記した。 結局こうした人種差別への関与の事実を重視した大学執行部は、ミリカンの名前をキャンパスの建物・資産・賞から除去し、ミリカンの胸像も撤去することを決定した。ミリカンの名誉は今も剥奪されたままである。だがこの話には意外な続きがある。2024年、数学者トマス・ヘイルズが大戦中のミリカンについての情報を再検討し、思いがけない事実を指摘した。「日系人学生の氏名と住所を調べ、そのリストを渡した」のは実は大戦中ではなく、終戦後だったというのである。それは戦中の強制収容への協力ではなく、終戦後日本の科学技術力を査察し、復興支援を進めようとしていた米国の科学調査団への協力活動だったらしい。 さらに実際のミリカンは、日系人の強制収容を人種差別だとして反対し、日系人の権利擁護に尽力した中心的な人物の一人だったという。真珠湾攻撃直後の1942年、反日感情が急速に高まり日系住民が集中していたカリフォルニア州では、ロサンゼルス・タイムスや数百の市民団体や州司法長官までもが声をそろえて日系大排斥を訴えていた。「やつらを一箇所に追い込み、砂漠の奥に送り、飢えようが死のうが構わん」とまで書き立てた新聞もあった。多数の新聞が日系人を潜在的な破壊工作員と見なす世論を強く煽る中、大統領ルーズベルトは、米国西海岸を軍管区と定め、区内の日系人を一括して排除・収容できる体制を整えた。 日系住民を罰するのは米国の基本理念に反するとして、日系大擁護団体が設立された。ミリカンは核開発には関与しなかったものの、物理学者として兵器製造の陣頭指揮をとる一方、日系大擁護団体の副会長に就き、その活動を強力に支援したという。日系人の元職員や学生からミリカン宛てに謝意を伝える手紙も残っている。1943年には州議会が公聴会を開き、日系大擁護団体の活動や声明を「親日プロパガンダ」として糾弾した。ミリカンは公聴会には出席しなかったものの、日系大擁護派の証言を公式に支持し、日系大側の強い後ろ盾となった。 1944年には軍功を挙げた日系二世ベンークロキ軍曹の講演を支援し、次いで人権の重要性を訴えたカリフォルニア大学総長ロバート・G・スプロールの講演では、運営と司会を務めたが、この講演会が契機となり、日系大への迫害は収まったとされる。「これら二つの演説が州全体の空気を変えた」という団体スタッフの回想も残されている。 このようにミリカンの活動は、戦後も含め、日系人に対する差別がさらにエスカレートするのを防ぎ、いっそう深刻な迫害という最悪の事態の予防に貢献したという。さて、以上の情報をもとに考えたとき、ミリカンは名誉を剥奪されるべき差別主義者だったのだろうか、それとも人種差別に反対して日系人を救うような人権派だったのだろうか。このどちらがより「正しい」説明かを判断するのは歴史の問題とはいえ、これも出来事の記録に基づいて事実を記述し、それに基づき判断を下す点で、科学的な判断である。 人権意識は日系という属性に左右されないことで成立するが、皮肉にも日系という属性を強く意識する人々の方が後半の説明により大きな意義を感じて、人権派という結論に傾くはずだ。この話が持つ意味は、客観的、中立的に導かれるべき判断であるにもかかわらず、その結論は、人がどのような心情を抱くかに制約を受ける、という点である。そしてこの話の教訓は、最悪の事態を起こすと糾弾されるが、最悪の事態を予防しても評価されない、ということである。 心情で決まる正しさ 一見無縁な麻疹ワクチンと、ミリカンに対する名誉剥奪の話の間には共通点がある。第一に、事実から決まるべき説明の正しさが心情的なもので決まるように、科学の説明が道徳的な正しさで断罪されたり、道徳が「科学的な正しさ」の仮面を被ったりすることだ。反ワクチン運動では、「ワクチン利権を許してはならない」という道徳が、副作用のリスクを予防のメリットが大きく上回る、という科学的な説明を上書きしてしまった。私たちの心情的なものが、「科学的な正しさ」に波及するのである。正義感に絡む怒りや驚きも、心地よさと同じく情報を正しいと思わせ、拡散する推進力になる。またより身近に感じられる話や印象的な逸話は正しさに対するバイアスになりやすい。 第二に、「危機を未然に防ぐと英雄になれない」。起こる可能性の高かった最悪の事態を予防しても、その功績は不可視化され、評価されないように、科学的に正しいが、成功すると何も起きない予防政策は評価されない。それより予防に失敗して起きた問題を解決する政策の方が、状況が目に見えるので評価されるし、映像化して「プロジェクトX」のような心地よい感動も期待できる。心地よくて目立つ方が良い政策という価値基準が、科学的評価を上書きしてしまうのである。さらに、予防は遠い将来の損失を低く見積もりがち、という価値バイアスがある。 こうした予防の不可視化で生まれる「脅威の誇張」疑惑は、疑似科学や陰謀論にとって格好の養分であり、ポピュリズムとも相性が良い。ではどうすれば「正しさ」を見極められるのだろう。正しさを毀損するものの発生を、どう予防すればよいのだろう?ここでは正しさの哲学的な深淵にはあえて踏み込まない。もちろんそれが極めて重要なタスクであることは理解している。だが私が注目するのはむしろリスク管理の方だ。 トランプ政権による科学の支配 第二次世界大戦以降、米国は世界の科学研究を牽引してきた。日本を含め数多くの国が、その科学を手本とし、模倣と輸入を試みてきた。しかし国民の役に立たない科学分野に資金は不要だとして、第二次トランプ政権が大幅な予算削減を実施した結果、米国の科学はたちまち危機に陥った。その強大さを誇った科学力からは想像もつかぬ脆弱さであった。米国の伝統だったはずの大学の自律性・学問の自由の尊重は、大きく揺らいだ。 もっとも連邦政府が大学など研究機関への資金提供などを通じて、科学研究に影響力を及ぼし、その活動を政治的に支配するという構造自体は、以前から米国に存在した。このトップダウン構造の成立は、第二次世界大戦から冷戦期にかけてである。マンハッタン計画など軍事研究や、宇宙開発、月面探査といった先端科学研究を、政府と大学科学機関が連携して進める過程で出来上がった。このいわば「ムーンショット型」の科学政策は、政府が重視する科学研究を強力にバックアップし、発展させるのに効果的だった一方、大学や研究機関は政治的な支配を受けたり学問の自由を奪われたりするリスクを孕んでいた。 実際に1950年代のマッカーシズム時代には、米国で吹き荒れた反共産主義の風潮により、大学で学問と言論の自由が脅かされた。当時、「共産主義を擁護している」と見なされた大学や研究機関は政府から圧力を受けたうえに研究資金も制限された。1960~70年代には、公民権運動の盛り上がりののち人種差別の解消に努めない大学は連邦政府からの資金停止や制裁を受ける可能性が高まるなど、逆方向の圧力が強まった。 レーガン政権(1980年代)では、小さな政府路線のもと、非軍事系の予算が抑制された一方で軍事・安全保障関連の研究が優先されるなど、「選択と集中」の圧力が大学に及んだ。トランプ政権の政策は極端なものとはいえ、この路線の延長線上にある。一方、日本の科学政策は元来、政府が資金提供するが現場には口を出さない、という中央集権と現場主導というトップダウン・ボトムアップの二重構造だった。これが現在のような強い中央集権的な構造に変化したのは、経済・財政危機を背景にした橋本行革および小泉政権以降の「選択と集中」による科学政策、また民主党(当時)政権下での「事業仕分け」が契機である。これらの政策はどれも米国と英国の制度との類似点が多く、その影響を強く受けた政策だった。特に日本の場合、レーガン政権のほか英国のサッチャー政権から始まり欧米諸国で拡大した小さな政府市場競争、民営化政策の中核的コンセプト「ニュー・パブリック・マネジメント」(NPM)の潮流や、その影響のもとにOECD(経済協力開発機構)や世界銀行など国際機関が推奨するようになった「成果主義」「競争的資金配分の導入」という改革論が重視された。それゆえ最近20年間に及ぶ日本の科学政策と大学改革は、米国・英国発の政策モデルを参照し実装したものと言える。 しかし改革の結果、肝心の成果の評価とその作業は形骸化して研究の本質とは全く異質なものとなった。基盤的な予算の削減と評価内容による資金的インセンティブのため大学の活動は政策誘導され、政治的に強い支配を受ける構造になっている。なおサッチャー政権の大学改革は、無理な予算削減や評価偏重が学問の多様性・自由を損ない、大学を疲弊させたとされ、研究者からは一般に失敗と評されている。そして米国が図らずも陥った科学と大学、研究機関の危機は日本が手本としてきた仕組みに深刻なバグが備わっていたことを示している。 概して日本は明治以降、西欧の文化のうち科学・技術のように優れた要素を学び、成功を収める一方、差別や帝国主義、優生学のように、好ましくない要素や、欧米型の短期成果主義、労働者派遣・非正規雇用拡大のように、社会的背景や文化的土壌にそぐわぬ要素も無批判に取り入れてきた歴史を繰り返してきたように思う。むしろ私たちは彼らの成功からだけではなく、失敗からも多くを学ぶ必要があるのではないだろうか。 「科学的に正しい」を巧妙に装う時代 さて、本書が扱うテーマは科学に関するものである。科学には様々な定義があり、アリストテレス以来、錚々たる論者による長い論争の歴史があるが、ここでは主に自然科学を対象に、なるべく包括的で一般性の高い定義を用いる。すなわち科学とは、観察・実験・史料批判・計算・モデル化などを通じて、自然現象や社会現象を理解し、説明するための体系的な知識の集積である。 ル化などオープンな手続きによって得た証拠をもとに、再現・再解析・相互照合可能な形で仮説や理論を構築し、それが未観測の現象や過去の痕跡を統合的に説明・予測することとともに、検証結果に応じて自己修正される知的探究である。 一般に、自然界の現象やプロセスの真理解を目的とする科学が基礎科学、一方、社会的な問題や技術的な課題の解決を目的とするのが応用科学である。ただし両者は密に関係している。車の両輪のようなもので、片側だけではどちらも進まない。 例えば疑似科学とは連続していて、両者の境界は曖昧である。定義次第で入れ替わる場合もある。例えば反証可能な疑似科学や、厳密な反証が困難な科学もある。だが一続きのものであることと区別できないことは別の話である。自明な科学と自明な疑似科学は存在し、両者は明確に区別できる。両者を区別できないという言い方は、赤と青が一連のスペクトルとして連続しているので、区別できないと言うに等しい。赤と青の信号が区別できなくなれば、大事故につながり、安全管理上の危機である。少なくとも宗教やイデオロギーで事実やその説明の正しさを決めているのに、科学を偽装するものは明白な疑似科学である。 本書で取り上げる科学をめぐる問題は、トランプ政権が引き起こした反科学的な政策による米国の科学の危機とも関係するが、より普遍的で、根深く厄介な問題である。その問題とは、日本でも多かれ少なかれ直面している、信頼性の低い科学の増加、そして疑似科学、懐疑論や陰謀論の問題である。 この手の言説の歴史は古い。2000年頃にも欧米ではケムトレイル陰謀論(飛行機雲‥有毒物質散布)やアポロ月面着陸捏造説、ホメオパシーなど、また日本でも水からの伝言などが話題になった。しかしこれらは反権力または自然派による呪術的・神話的なものが多く、拡散の規模は一部を除き限定的だった。 ところが2010年代から、一見「科学的に正しい」と感じられる巧妙な事例が増えている。特にSNSや動画サイトを利用して、科学的な専門用語や画像、データを駆使して科学としての客観性を巧みに装う。またCOVID-19陰謀論、ワクチンDNA改変説など、政党や国家機関に浸透し、政治家が積極的に取り込み政策化する権力型の傾向を示す。特定の価値観やイデオロギーと連携している点も特徴である。これらが「科学的に最も支持される結論や予測、対策」と対立し、政治化して混乱を引き起こすケースも多い。例えば冒頭の反ワクチン運動もその一つである。捏造論文を発表後、反ワクチン運動の救世主として活動するウェイクフィールドは、映画を製作・上映するなどしてワクチン利権論や陰謀論を米国社会に浸透させる一方、トランプ政権の米国保健福祉省長官ロバート・F・ケネディと緊密な関係を築き、ワクチン政策に影響力を及ぼしている。 その状況は20世紀前半の米国・欧州やロシアなどで、疑似科学や誤った科学が権威と結びつき、社会に厄災を引き起こした過程を彷彿させる。私はこの懸念される問題の中核にあるものを「科学的な正しさ」に対する脅威と呼んでいる。それは何か。どんな結果を招くのか。そして一見正しく見えるが信頼できない言説と信頼できる言説の違いは何なのか。「科学的な正しさ」はどう担保されるのか。 本書ではモデルケースとして進化学と遺伝学、生態学をめぐる話題を中心に取り上げる。特に進化学と遺伝学は19世紀末以降、疑似科学の脅威にさらされたり、自らが誤った科学となって社会を脅威にさらしてきた。その背景にあるものは、思想・宗教、政治、権力、メディアなどの要素と科学のつながりに加え、倫理・道徳などの価値判断と、客観性を信念とする科学的事実との、抜き差しならない関係が凝縮された世界である。それゆえ科学が何によってどう歪み、社会を不幸に陥れるのか、多くを学ぶことができる。 現代社会が直面する「科学的な正しさ」に対する脅威はSNSや動画メディアなど新技術が燃料となって炎を拡大させたものだが、根本は100年以上前から世界を脅かしてきたものと地続きである。そこで歴史的な経緯も踏まえつつ、脅威がどう生じ、どうすればこれを防げるのか、その対応策について考えてみたい。 相手について知識のない者はその相手との戦いに決して勝てないように、脅威に対抗するにはまず、その脅威を深く知り、理解することが必要である。 愛国オカルト科学の襲来 日々インターネット上を流れる数多の情報には、時に科学と偽る妄想のような主張が紛れ込む。もちろん信じる人はいない。だがもしそれが国などの権威ある機関が発したものだったとしたらどうだろう。つい「正しい」と感じてしまう人がいるかもしれない。 ではこんな奇抜な主張はどうだろう。「牛の乳には金の微粒子が含まれ栄養価が高い」「牛糞は放射線を遮断する遮蔽剤になる」「牛の屠殺で発生するアインシュタイン苦痛波(EPW)が地震を引き起こす」。これらは疑う主張ばかりだが、実はこれは2021年にインドの政府機関が全国民を対象に行う予定だった「牛科学」オンライン試験の学習資料に記された解説である。政府は各大学に対し、この全国テストへの学生参加を奨励する通達を出していた。 ナレンドラ・モディ率いるインド人民党(BJP)政権下では、ヒンドゥー至上主義的ナショナリズムによりこうした疑似科学が推進されている。すでに進化や元素周期表は「欧米的」であるとして中学までの教育カリキュラムから削除された。一方、占星術やヴェーダ数学などを正規の大学教育に組み込む動きが活発で、「占星術コース」が大学院に導入されている。また学術会議など公的な場で科学大臣ら科学界の指導者たちが、古代インド人は宇宙船、インターネット、核兵器、高度な生殖技術や物理法則の知識をもっていたという荒唐無稽な説を展開するようになった。BJP政権は宇宙開発など技術革新には力を入れているが、基礎科学を嫌い、疑似科学に投資するという矛盾した政策を進めている。 こうした疑似科学に異議を唱える科学者に対しては、SNS上で組織的な攻撃が加えられている。現政権の熱狂的支持者には「戦古」と称するネット右翼層がおり、BJPは2014年の政権奪取以降、このSNS上の親衛隊を組織し利用してきた。彼らは政府やヒンドゥー至上主義に批判的な発言を見つけると即座に「反国家的」「ヒンドゥー教の敵」などとレッテルを貼り、大量のリフライ攻撃をして炎上させたり、秘密警察のように通報、密告を行ったりする。さらにSNSの攻撃がエスカレートして、著名な疑似科学の批判者が暗殺される事件も起きている。 さらに政権はインド工科大学(IIT)など科学者養成機関のトップにオカルト信者を就けるなど、基礎科学を学術機関から徐々に締め出しつつある。SNSによる密告、攻撃、脅迫と併せ、科学者らのソフトな粛清が進んでいると言える。 一方、BJPを後ろ盾とする疑似科学界のカリスマが、ヨガ師ババー・ラームデーヴである。宗教指導者、TVスター、実業家を兼務し、熱狂的ファン層からカルト的な人気を博している。牛尿とヨガで万病が治ると説き、医療・健康分野ではインド国民に最も信頼されている人物の一人である。医療とナショナリズム、反汚職を掲げ、病と貧困と腐敗から人々を解放するというメシア的な語りで信者を集めている。 右派ポピュリズム政党のBJPは、首相モディの人気と圧倒的な資金力、給付金政策、それに欧米科学は征服者のものといった反感からくる愛国的感情で支えられている。その政策では数値指標(KPI)による統治手法が全面的に採用され、設置トイレ数・水道蛇口数といったノルマや達成ランキングが中央から州、郡単位で課されている。達成率が低いと会議での責任者への叱責や資金配分の冷遇があり、数字で忠誠を競わせる仕組みである。科学・教育政策や大学評価も同様で、設定目標に対する四半期ごとの進捗報告の義務や、研究成果の数値指標(特に特許出願数と論文数)を使った競争的ランキングを導入している。こうした短期目標への偏重や基礎科学の軽視で科学コミュニティが弱体化しているうえに、政府の政治的介入により、疑似科学が勢いを増している。 新型コロナ禍で政権は、医療体制の不備で生じた混乱を神話医療の優位性にすり替えた。危機感を強めたインド国内の科学者たちは、署名運動や訴訟など、様々な手段で政府の圧力と疑似科学の拡大に対抗している。学術界や医療界の抗議運動とそれを支持する市民、さらに司法が今のところ「科学的な正しさ」を守る防波堤になっている。 もしここでイデオロギーの熱狂と政治支配の波に呑まれれば何か起きるか。その先には科学の崩壊と取り返しのつかない社会の不幸しか待っていないことを、歴史は教えてくれる。過去から蘇りつつあるその脅威はインドに隕らない。日本も例外ではない。 インドのとある独立系のニュースメディアの記事には、遠い過去の世界に今のインドの科学界とそっくりな状況があったと記されている。100年前に始まり、その社会と科学を不幸のどん底に陥れた、とある歴史的事件のことである。さて、それはどのようなものだったのだろうか。次にそちらの経緯を追ってみよう。 大喝采の革命的農業技術 「私が指導した春化(低温処理)の研究からいくつか実例を示しましょう」「冬小麦が春に種子を播いたにもかかわらず出穂し、しかも出穂しただけでなく、多くの場合良好な収穫をもたらしました。これで春化の問題は最終的に解決されました」。これは当年37歳の若き研究者が、会場を埋める多数の聴衆に向けて行った講演の一部である。その説明によれば、本来、秋に種子を播き、冬の低温を一定期間経験しないと穂が出ず、結実しない冬小麦を、人工的に低温多湿にさらす(春化)だけで、春に種子を播いても出穂・結実できるようになり、その結果収量が増えるというのである。 「冬小麦の春化の研究を発展させた結果として、今度は春小麦を春化する問題が浮上しました。春小麦は春化後、さらに10~15日早生になり、最も早い小麦よりも早く成熟します……小麦の成熟が3日、4日、5日と早まることが何を意味するかおわかりでしょう。それはより高い収量と、その穀物としてのより良い品質を保証するということです」。なんとこの低温処理を春に種を播く春小麦に対して行うと、成熟が著しく早まり、収量も劇的に増加するというのだ。 さらにその研究者は、この春化の技術はほかの作物にも応用できると説いている。その結果、現在はその地域で栽培できない作物も栽培が可能になり、収穫時期の幅も広げることができる。しかも早熟化で高収量・高品質が期待できるという。まさに革命的な技術である。特別な設備も知識も必要ない。化学肥料も農薬も使わず、かつ低コストで様々な農産物の栽培と増産ができるようになるだろう。ただしあくまでこれが本当なら、の話である。 この説明は科学的にどこまで正しいのだろうか。研究者はその後、いかに現場での実践が大切か、いかに遺伝学者たちが理屈ばかりで役立たずの存在かを力説した後、講演をこう締めくくった。「人々が遺伝学や育種研究に従事してこなかったのは、これが非常に複雑な仕事であるとされ、それをするためには大学を卒業しなければならない、と考えられてきたからです。しかし今日では、もはや事情は違います……農業者を育種と遺伝学の仕事に従事させることが不可欠です。農業者による主体的な取り組みがこの事業には必要です。それがなければ、私たちの手元に残るのは専門家-育種学者という、孤立した職人だけになってしまうでしょう」。 講演が終わると真っ先に立ち上がって拍手し、「ブラボー、同志ルイセンコ、ブラボー」と叫んだのはソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリンだった。会場は一斉に大きな拍手で沸いた。その講演は1935年、クレムリンで開催された第2回全ソ連コルホーズ(集団農場)先進農民大会において、トロフィム・ルイセンコが行ったものである。 寒冷地で出穂の時期を早めたい小規模利用の場合にはメリットもあるが、温度管理などの面で手間がかかるため大規模な栽培には向いていない。実際には発芽量が低下し、収穫量も落ちたという記録が残っている。 春小麦については、一部の例外的な品種を除けば、春化処理で生育が早まったり収穫量が上がったりするという効果はない。むしろ低温処理のために生育期間が短縮され、穂の数も粒数も減少して収量が下がる場合が多い。現在においても、収穫量の増加を期待した春化処理は行われていない。というわけで、本当は講演でルイセンコが誇らしげに語ったような効果は、この技術で期待できるものではない。もちろんその主張を裏付けるデータは存在しなかった。収穫量のデータや作出した品種として示されたものは、誇張や改ざん、捏造によるものであった。それに気づいた者が問題を指摘する声を上げると、「敵対的質問」「破壊活動」と見なされ、逆に攻撃された。 ルイセンコの敵はメンデル遺伝を唱える遺伝学者や、遺伝学を育種や栽培に応用する農学者であった。エリートの遺伝学者がやっていることは、細胞や染色体を顕微鏡で観察し、メンデルの遺伝法則を理論的に説明してみせるだけであった。ルイセンコは遺伝学者にある種の恨みを抱いていたようである。ルイセンコが進化を説明するのに利用したのはラマルキズムと呼ばれる考えだった。親世代が環境に対して生理的に応答した結果生じた性質が、そのまま獲得されて次世代に遺伝するという考えである。ルイセンコは獲得形質の遺伝の原理に従い、春化による低温処理で変化した性質は次世代にそのまま遺伝すると主張した。その子孫は出穂・結実に低温処理が不要になるというのである。もちろんその証拠はない。 このドグマは19世紀末から20世紀初頭、交配や接ぎ木で新品種を作出していた園芸家イワン・V・ミチューリンの経験則を土台に、植物学者クレメント・A・テイミリヤーゼフの進化解釈を恣意的に拡大解釈してつくり出したものであった。ティミリヤーゼフはダーウィン進化論をロシアに普及するのに大きな役割を果たした人物で、自然選択説の支持者だった。だがダーウィンと同じくラマルキズムを完全には否定しなかったため、ルイセンコがその部分だけ都合よく切り取って、環境が個体をつくり変える、という意味に置き換え、自身の主張の権威付けと愛国的な宣伝に利用したのである。 ルイセンコはこのドグマを中心に据えた自らの「生物学」をミチューリン生物学と呼んだ。それは社会主義革命による変革を説くソビエト共産主義のイデオロギーに、生物の変化の説明を合致させたものだった。「環境が変われば生物もすぐに変わる」という自然界の説明の正しさは、「労働環境と教育改革で旧来の農民が社会主義的人間に生まれ変わる」という政治的スローガンの正しさで裏付けられる。本当はそこに大きな論理の飛躍があるのだが、何にせよスターリンにとっては、それでイデオロギーを自然界の科学的な説明としても正当化できるし、ルイセンコにとっては、自然界の説明をイデオロギーで正当化できるのである。つまり正しさをイデオロギーで決めるので、それは疑似科学である。 ルイセンコは春化の実践などで得た経験則に基づき、「同一品種を高密度で植えれば、互いの成長が促進され、収量が飛躍的に上がる」という革命的農法を唱え、普及させた。この農法の正しさは、「階級と闘争のない協力社会」というソ連共産党が最終目標に掲げる社会像と、それに沿う「生物は協力が基本」「同種間に闘争はない」という思想で裏付けられた。しかしこの農法は「同種間の資源競争の存在」という生物学的事実を無視したものであり、実際にはソ連の農業に壊滅的な被害をもたらした。 ルイセンコは「難しい装置も資本も知識も要らない農法を自分は農民と一緒に実践的に改良している」と繰り返しアピールした。スターリンはこの「労働者の科学がエリート遺伝学を打ち負かす」という物語を政治的階級闘争の宣伝のために最大限利用した。1935年の大会でスターリンがルイセンコを讃えたことは、ルイセンコに対する批判を封じ、遺伝学者を敵認定するうえで絶大な効果があった。遺伝学者は傲慢な現場無視の理論屋かつ外国崇拝者であり、メンデル遺伝学は資本家-ブルジョワ階級の陰謀論という位置づけになった。一方のルイセンコは、現場で奮闘する若き天才科学者として、名声を不動のものとした。 実際のところ、ルイセンコは大学が授与する正式の博士号を持っておらず、この時までデータを示した研究成果は著書が1冊、ほかにレビュー論文が1本、短報が4本しかなかった。しかし最高権力者の後ろ盾を得たルイセンコは、圧倒的な権力を手に入れた。遺伝子など誰が見たのか? 誰が触ったり改ざんしたりしたのか? と問うルイセンコとその支持者は、1936年には共産党中央とスターリンに宛てて、遺伝学者たちは体制の破壊分子であり人民の敵であると訴えた。論敵に対し、事実に照らした批判をするのではなく、ありもしないイデオロギー偏向をまずでっちあげてそれを理由に相手を攻撃するのが、ルイセンコの常套手段だった。こうした政治的中傷や大衆扇動で有力な遺伝学者を次々と陥れた。 攻撃対象は遺伝学のみならず、遺伝子の概念を扱う生物学すべてに及んだ。その翌年から始まったスターリンによる大粛清で、遺伝学者に加えて多数の農学者、生理学者、統計学者、細胞・発生学者、微生物学者が逮捕、投獄、処刑された。2年間のうちに少なくとも80名の科学者が逮捕されたという(うち32名が銃殺刑に処された)。1940年にはソビエト科学アカデミー遺伝学研究所が実質的に閉鎖となり、改組された。研究所所長は、栽培植物の起源や植物の病害抵抗性についての世界的権威ニコライ・イヴァノビッチ・ヴィロフだったが、スパイ容疑によりヴィロフも逮捕され、死刑判決を受けたのち刑務所で獄死した。 これにより反ルイセンコ派の遺伝学者はほぼ排除され、農学・生物学分野を掌握したルイセンコだったが、第二次世界大戦が終わると統制が一時的に緩和し、残りの勇敢な遺伝学者がルイセンコ批判を開始した。そこでルイセンコは1948年、全ソ連農業科学アカデミーで臨時総会を招集し、遺伝学者に対し直接対決により最終決着をつけるべく講演を行った。その原稿はスターリンが事前に修正し「遺伝学者は容赦なく科学から追放されねばならぬ」などと書き入れたほか、「階級闘争をより強調せよ」と指示していた。 会議は、ルイセンコ派の主張を一方的に支持し、反対派に自己批判を強いる形で進行したが、ルイセンコは講演の最後、壇上から「党中央委員会が私の報告を検討し、承認した」と述べた。この言葉はスターリンの指示によるものであり、これにより会議が共産党の最高機関が支配する政治的決定の場であることが明白となった。このルイセンコの言葉の後、会場は「嵐のような拍手、歓声、総立ち」となった。それは会場にいた人々が、この政治的決定を全面的に受け入れたことを示していた。多くの科学者にとって、それは科学的自由の喪失を意味するものであった。 ソ連における唯一にして公式の生物学は、ルイセンコが唱える疑似科学-ミチューリン生物学であると決定したのである。その疑似科学は、西欧の科学と一線を画す民族的科学として、農業危機を愛国心と技術革新で克服するための切り札と位置づけられた。 高校や大学では遺伝学の講義が禁止された。大学・研究機関での遺伝学の研究は中止され、文献や資料も破棄された。遺伝子、染色体、変異などの用語は検閲対象となり、それらの使用は批判的に用いる場合以外は禁止された。海外の雑誌は閲覧許可が必要となり、訳出時には禁止語句を脚注で唯物論的に批判しなければならなかった。教員が講義中、黒板にうっかり遺伝子、染色体などと書いたため、学生が通報し上層部から警告を受けるという事例もあった。 代わりに導入されたのは、疑似科学のミチューリン生物学だった。教科書にはルイセンコの『農業生物学』が指定された。 され、ミチューリン生物学による教育が行われた。各主要都市で教員向けにミチューリン生物学の講座が開催され、教員はその試験に合格しなければ免職となった。こうして「科学的な正しさ」が、イデオロギーと政治権力で決定される体制が確立した。ルイセンコ派と敵対したり、従わなかったりしたために追放、処刑された研究者は数百名から数千名に及ぶという。 政治権力が疑似科学と結びついて引き起こされたこの厄災の詳細については、ジョレス・A・メドヴェージェフの著書『ルイセンコ学説の興亡』など、多くの論説がある。だがそもそもこの恐ろしい事件はどのように始まったのだろう。その発端については意外に知られていない。科学的な正しさに対する脅威はどう生まれ、発達・強化されていくのか。脅威を事前に察知するために、つまりリスク管理の面から重要なのは、始まりの経緯である。 キーウの農業大学を卒業したのち、アゼルバイジャンの農業試験場で働く平凡な実験助手だったルイセンコが、なぜこんな実力とかけ離れた評価を得て、権力を得るに至ったのか。その契機は1927年、彼が28歳の時であった。取材のためコーカサス地方を巡回していた共産党機関紙プラウダの特派員ヴィタリー・フョードロヴィチは、アゼルバイジャン・ギャンジャの試験場を訪れた。共産党とプラウダの方針に忠実なフョードロヴィチの使命は、労働者・農民の階層から英雄の原石を探し出すことだった。 試験場で出会った当初のルイセンコの印象は、フョードロヴィチの要求を満たすものではなかったらしい。「口数も少なく風采もぱっとしない、陰気な目つきだけが記憶に残る」と評している。ところが二日間にわたり農場を案内しつつ熱心にルイセンコが語る研究の話を聞くうちに、フョードロヴィチは彼こそがまさに探し求めていたものであると気づく。 フョードロヴィチは早速、「冬の畑」というタイトルで記事を書き上げ、プラウダ紙上に掲載した。それは「真冬でも草が育ち」「肥料なしで土地を肥沃にする」画期的な発明を成し遂げたルイセンコが、「実験農場で冬にエンドウを育て、南コーカサスの荒野を緑の絨毯に変える」というセンセーショナルな内容だった。そこに描かれたルイセンコはまさに救世主であった。その発明のおかげで、「家畜は餓死せずに済み、農民も明日の食糧に震えずに冬を越せるようになる」と記している。 ただ、記事ではあたかもソビエト連邦南部の乾燥地帯全体の問題を根本的に解決する大発明であるかのように描かれていたが、実際にはそれは予備的な一回きりの実験結果にすぎなかった。要は、冬の間に緑肥用の牧草やマメ科の植物を生やし、家畜の飼料にすると同時に翌春そのまま鋤き込めば肥料代わりになる、というだけの話である。実はこの農法はギャンジャの試験場長のアイデアだったのだが、試験場長はルイセンコがその翌年出版した著書に序文を寄せるなどルイセンコを強く推しており、この事実は伝わらなかった。 「この裸足の科学者が微笑んだのはただ一度だけで……まるで子どものように無邪気に微笑んだ」「裸足の教授ルイセンコには今や弟子がいる」と記事の中で彼は「裸足の教授」と表現された。貧農出身であることを思わせる比喩も使われていた。貧しい農民出身の象徴として、また靴を買う金さえ実験にすべて注ぎ込む献身の記号として、「裸足」が強調された。 記事では、「裸足の教授」ルイセンコを「心から農民を助けたいと願っている」人物だと持ち上げ、「草が生える土地があり、人々が貧しいなら、科学の道具箱の中に何か手段があるのではないか、南コーカサスの冬の野に作物を持ち込めないだろうか、と考えたのだ」と、その使命感の気高さを讃えている。これがルイセンコに与えられた設定だった。学問的権威とは無縁な裸足の若者が、大学教授に勝る偉業を成し遂げたという物語を演出したのである。この「現場で成果を出す無名の実践家」が「机上の空論に陥ったエリート学者」を出し抜くという構図は、編集部の方針に合わせたフョードロヴィチの創作であり、当時の共産党の路線とも合致したものだった。 このプラウダの記事は共産党中央委員会の目に留まり、党の宣伝部からの指示で、地方党機関紙や農業専門紙に記事内容が転載された。ルイセンコは瞬く間にソ連の農業を救う救世主として、全土に名を知られる著名人となった。 当時のソ連はスターリン主導で農業の社会主義的再編(農業集団化)が始まり、農村社会が混乱していた時期だった。慢性的な食糧不足に加えて1929年には、穀物や家畜の強制徴発やコルホーズ(集団農場)への強制的な編入が強行され、農業者の抵抗や反乱が起きた。それゆえ共産党にとってルイセンコは、農業者を懐柔し社会主義政策に動員するための絶好のプロパガンダ装置であった。 貧農出身で、飢餓や貧困と闘う「同志」であるというイメージは、農業者に対する強力なアピールになった。ちなみにルイセンコは確かに農村出身だが、一家は耕作地と家畜を保有する中規模農家で、貧農出身というのはフョードロヴィチの脚色である。 1928年、ルイセンコは光と温度が植物の成長、開花結実という発達段階にどう影響するかを実験データから示した研究成果を著書として出版した。著名な植物学者の先行研究に基づくとはいえ、技術的な新しさはあり、方法論と統計に難があったものの、ある程度の実用性は備えていた。少なくとも後のミチューリン生物学のようなイデオロギー要素は皆無で、それとは逆の経験的、かつ事実の記述を中心とした内容だった。また、若い科学者が発表した異例の成果として、科学者たちからも一定の評価を得ることができた。ただし、植物生理の専門家は逆に批判的で、他者の意見を聞かない、彼の頑迷な態度に不信を抱いていた。 名刺代わりの一冊に加え、共産党の支持を得たルイセンコは、各地の農業会議や学会に招かれるようになった。さらにウクライナ・オデーサにある研究所の小麦部門の部長に着任するなど、若くして異例の出世を果たした。彼の研究には多額の公的資金が優先的に投入されるようになった。そしてルイセンコの周りには、研究歴の浅い実用主義者や党の力を借りるキャリア優先のエリート研究者、それに、大学で学んだことはすべて無意味だった、と陰謀論に目覚めた若手研究者が集まった。 1929年にはウクライナ農業省により、ルイセンコを主人公とした映画「裸足の農学者」が製作された。映画の脚本では、ルイセンコ役の俳優が素足で畑を駆け回り、履き古して穴の空いた靴下を自ら繕う演出になっていたという。こうした演出は観客、特に農業者に親近感を抱かせる効果を狙ったものだった。共産党の導きにより労働者から生まれた科学のヒーローというイメージを、大衆に植えつけようとしたのである。 ルイセンコはいつも科学の説明を、難解な専門用語を使わず、大衆や農業者の言葉で語りかけた。この親しみやすく素朴な、しかし実は政権の代弁者が、大衆動員と階級闘争の宣伝という政治目的に沿った実践について語り、人々がなすべきことを説いた。そしてソ連式農業の成功のシンボルとして、また古いブルジョワ科学に代わる、新しいプロレタリア科学の旗手としての役割を忠実に果たした。 なお遺伝学、育種学分野のリーダーでのちに逮捕・獄死したヴァヴィロフも、当初はルイセンコに好意的で、1927年の記事を見て調査員をギャンジャに派遣している。「精力的で熱意はあるが知識水準が低く、適切な指導と環境なしには何も達成できないだろう」という調査員の報告を聞き、研究所に招いて教育と研究の指導をするようスタッフに提案したが、その場合直属の上司になる立場の植物生理学の専門家に反対され撤回している。 少なくとも当初の彼の研究は、拙いながらも科学の形を保っていた。他分野の生物学者は評判を信じたが、専門家は誰も彼の研究を相手にしていなかった。実際、1929年1月レニングラード(現サンクトペテルブルグ)で行われた学術会議で発表した春化についての研究は、解釈の誤りと何の目新しさもない点を専門家から痛烈に批判された。それは彼に対する大衆の評判や知名度の高さとはあまりに大きな落差だった。 ルイセンコがイデオロギーで武装し、遺伝学を始め生物学者、農学者を公然と攻撃するようになるのは、これ以降の時代である。 その会議の帰路、ウクライナ・ポルタヴァ州にある故郷の村に立ち寄ったルイセンコは父親を説得して、冬小麦を低温処理(春化)して春に播く実験を自宅の農場で行わせた。当時ウクライナは天候不順で秋に種子を播く冬小麦が甚大な被害を受けていたが、同じ年の7月、不作の問題を議論していた政府機関の農業人民委員部に、問題はもう解決したとばかりに、ルイセンコが冬小麦の穂を手にして現れたのである。 プラウダはこの成果を大々的に報道し、農業人民委員部はすぐに冬小麦の春化事業を広域に展開するよう指令を出した。植物生理学の専門家たちはその報告を疑問視し春化の大規模導入は時期尚早だと考えた。だが一部の生物学者と実務派の官僚は、ルイセンコの説く実用本位の方法で飢餓が防げると信じて称賛した。そしてルイセンコの指示に従い、各地の集団農場で冬小麦の春化農法が大規模に進められるようになった。 では春化によって、各地の小麦の収穫量は増えたのか。これは愚問である。なぜなら増収以外にありえないからである。当時スターリンの指示で、党上層部から地区に至るまで集団農場化達成のためのノルマが課されていた。研究機関や地方の農業局にとって最も重要なのは作物の収穫量ではなく、収穫量の数値指標(KPI)の達成だった。ノルマを達成すれば、責任者は予算を得て昇進するが、失敗すれば減俸、左遷されるからだ。そのため数値指標が本来の収穫量という意味を失い、目標や成果を表す単なる数字と化していた。ノルマ達成のために未収穫分も含めて収穫実績にしたり、数字を操作したりして増収を偽装した。 春化処理は播種後すぐに発芽し開花も早まるので、見込み収量を膨らますのに便利だった。しかもルイセンコは収穫量を水増ししたうえ自己申告にしたり、春化の場合は播種量を倍にするよう指示したりしたので、数字のうえで収穫量が増えるのは当然だった。しかし政権にとって重要なのは、計画達成に寄与するかどうかだけなので、ルイセンコはそれを実践し成果を挙げたとして高く評価されたのである。 なお党の地方支部や農場には別に穀物調達量の目標数値が課されていた。ノルマ未達の場合、責任者は逮捕・追放されるため、こちらも前貸しや伝票操作で帳簿を膨らませて、計画達成を装うことが常態化していた。その結果、農村の食糧事情を見誤り、ウクライナを中心に大規模な飢餓を発生させる一因となった。 1931年、ルイセンコは労働赤旗勲章を授与された。国家に対する彼の傑出した功績が公に認められたのである。当時これは異例のことで、この勲章を授与された生物学者はいなかったという。 こうして共産党とメディアが一体となったプロデュースにより躍進を遂げたルイセンコは、1930年代にはソ連科学アカデミーや農学アカデミーの要職を占めるようになった。政治的な権力を確保したルイセンコは、自分を批判する者や反対する者を許さなかった。彼らにことごとくブルジョワ学者のレッテルを貼り、共産党の力を借りて外国のスパイ、反逆者など無実の罪を着せ、逮捕、投獄させるようになっていった。 当然のことながら1930年代後半、ルイセンコの支持者の中に遺伝学者はいなかった。1936年に行われた講演で彼はこう述べている。「遺伝するものは何か特殊な自己増殖する物質にあるのではない。遺伝するものは細胞であり、細胞が成長して生物体になる。」遺伝子は存在しない、突然変異などばかげた思い違いだとルイセンコは唱えていた。変異がほぼ存在しない自家受精作物を、同一品種内で交配させると「若返る」などと信じていた。もちろんそれを支持するデータも観察事実も存在しない。 そもそも当時、ルイセンコらが挙げた成果は、ほぼ春化処理だけだった。しかもその成果さえひどく誇張されたものであった。 ではルイセンコが権力の座に就く前、20世紀初頭から1930年代初めまでのロシア/ソ連の生物学の状況は、どのようなものだったのだろう。まず条件反射の研究でノーベル賞を受賞したイワン・パブロフがいた生理学、やはりノーベル賞受賞者のイリヤ・メチニコフのいた免疫学、そして遺伝学、育種学など、世界のトップクラスに位置していた。特に遺伝学は、染色体地図の作成や、突然変異率の推定、遺伝子プールの概念(集団遺伝学)の提唱など先端的な成果を挙げており、米国、英国と並んで世界をリードしていた。 これは帝政ロシア後期に始まった、積極的な基礎科学への投資と、革命後のソビエト政権による国威発揚を目的とした、科学への集中的な支援の成果であった。また国際的な研究ネットワークにも積極的に関与し、西欧や米国との共同研究も進められていた。例えばヴァヴィロフは米国農務省や英国の研究機関の支援を受けて植物資源の探査を行っていたほか、米国の試験場と共同で耐寒性小麦の育種試験を行っていた。またレニングラード大学では、米国コロンビア大学と遺伝学の共同研究を進め、研究員や研究試料の交換を行っていた。生理学や微生物学でも米国や英国の研究者がソ連科学アカデミーの研究所に長期滞在し、共同研究を進めていた。 例えばX線による人為突然変異の研究で1946年にノーベル賞を受賞した米国の遺伝学者ハーマン・マラーは社会主義に惹かれて1930年代にはレニングラードに移住して研究を行っていた。マラーは研究所で手厚い資金と設備を与えられ、「科学が社会的に尊重される国家」をつくり出したとして、講演でソビエト建国の父ウラジーミル・レーニンを讃えるほどだった。 この時代、ソ連の穀物の大半は遺伝学に基づく系統の選抜と交配で作出された品種が占めていた。選抜による耐病性品種の育成や人工授精による家畜の品種改良が行われ、X線を使った突然変異の誘発や倍数体も育種に利用されていた。1920年代の米国の遺伝学を侵食していた優生学への関心も、ソ連では一般に低かった。飢餓対策や食糧生産のため農業が重視されていたソ連では、遺伝学の利用目的は主に植物の品種改良や育種であり、また遺伝学を主導していたヴァヴィロフの連携先が、コロンビア大学の遺伝学者トマス・H・モーガンだったからであろう。モーガンは当時の米国の優生学に批判的だった。 ヴァヴィロフはまさにソ連の生物学の砦だった。彼はスターリン指導部の圧力に対し、科学の指導者の役割は、適切に人材を選び彼らの活動を調整して協力させる以外、彼らに完全な行動の自由を与えることだと訴えた。彼はスタッフの住居や給与、予算、ポストを獲得するためにはいかなる努力も惜しまなかったが、彼らに興味のないテーマを押し付けることには断固として反対していた。無意味な組織再編や効率性、中央集権的な数値目標にも反対していた。 1932年に米国で開催された第6回国際遺伝学会大会では、ヴァヴィロフが示した提案により1937年の第7回国際遺伝学会大会はモスクワで開催されることが決まっていた。本来ならそれは、ソ連の遺伝学に黄金時代の到来を告げるものとなるはずだった。 だがそれは開催3ヵ月前の時点で1年後に延期となり、結局開催されなかった。大会組織委員のほぼ全員が逮捕されてしまったからである。ルイセンコが実権を握って以降、ヴァヴィロフを始め、トップレベルの研究者がことごとく処刑、追放されたうえ教育カリキュラムも疑似科学に置き換えられた結果、世界の最高水準を誇った生物学は、瞬く間に崩壊してしまった。 質の高い若手研究者は全く育たず、研究はそれ以前のものと断絶してしまった。1940年代後半以降、遺伝学は西側諸国のブルジョワ科学として禁止されたため、西側研究者との国際交流もほとんど途絶えた。 この結末には、スターリンへの権力の集中と、それに過剰適応した共産党・官僚機構も関わっている。しかし理由はそれだけではない。なぜなら意外にも党執行部は科学・技術に大きな期待を抱き、惜しみない支援をしていたからである。1928年に始まった第一次五ヵ年計画に伴い、中央集権的だが強力な科学政策が開始された。自然科学・技術分 野では資金が増額され、新設された多くの研究機関に多数の研究者が採用された。ただしそれは「理論と実践の統一」と称する実用・応用科学重視の政策だった。基礎科学は労働者にとって無用な活動とされた。科学は労働者階級に奉仕し、実用的でなければならず、共産党の思想と指導に従属すべきとされた。 またスターリンと党幹部は、マルクス・レーニン主義に基づき設定したノルマ達成を目標とする計画経済の論理から、短期に即効的な成果を挙げる研究を選択し、資金を集中させた。実用性、つまり収量増を即座に示すことが科学の意義となり、評価指標の数値が正しさの基準となった。そのため再現性や実験を通した検証など、科学者コミュニティ内部の批判が機能しなくなった。 春化処理の正しさの根拠となるはずの理論的研究も、役立たずの基礎科学として排除された。KPI達成に役立つなら、科学的根拠の乏しい方法でも支持されたのである。ヴァヴィロフでさえ、科学政策への影響と政治的対立への危惧からルイセンコへの批判を抑制し、時に彼の春化処理を育種に有用だとして支持した。そしてこれがルイセンコを育種に向かわせ、邪魔な遺伝学者の排除へとつながる遠因になったとされる。 1930年代初め、党の農業政策の失敗で起きた飢餓もルイセンコに有利に働いた。党がその責任を科学者たちに転嫁して批判すると、格差や生活苦などから高学歴エリートに反感を募らせていた労働者や若手党員が、党の扇動に乗って専門家叩きを始めたのである。これに乗じてポストを得ようとした一部の科学者が階級闘争を理由に、主流の科学者をブルジョワ的、反マルクス・レーニン主義的であるとして非難し、排除する事態が起きた。 この構図にルイセンコがうまく合致したのである。その結果、イデオロギーに支配された疑似科学の台頭、政治的な生物学者の弾圧・粛清、国際協働の切断、そして疑似科学による学問・教育の乗っ取りへと、国家レベルの知の破壊が一気に進んだのだと思われる。 ルイセンコの疑似科学が支配していた時期、西欧では分子遺伝学が勃興し、生物学は大きく変貌した。その重要な期間に多くを失ったソ連の生物学と農業は、深刻なダメージを負った。育種研究が壊滅したため作物収量の低下が続き、1940年代後半の100万人以上の死者を出した大飢饉では、非科学的な農法や品種不足が被害を拡大させた。その後も慢性的食糧不足が続いて財政危機を深刻化させ、体制崩壊を加速する一因となった。 イデオロギーと政治による科学の支配は、ソ連科学界全体の健全な発展を阻害し、国際的信用の低下にもつながった。実際、冷戦期の西側諸国はルイセンコを宣伝材料として、「共産主義体制下ではイデオロギーが科学を歪める」と批判した。また米国国務省やCIA(中央情報局)は「米国の科学は政治に左右されない真の科学である」と主張し発展途上国への働きかけに利用したという。今の米国を見るとなんとも皮肉な主張だが。 1953年にスターリンが死去すると統制は一時的に緩み、批判が溢れ出したものの、その後の政権を握ったニキータ・フルシチョフもルイセンコを庇護したため、1950年代後半にはまた批判が許されなくなった。しかしフルシチョフが1964年に失脚すると、新政権はルイセンコを支持せず、一気に力を失った。それまでルイセンコ流の農法を実施した地域で収量が落ち込み、各地の農業被害が水面下で問題視されていたが、ようやくルイセンコの業績と論説が公開の場で検証された。そしてミチューリン生物学は誤りである、という結論に至り、ルイセンコは失脚した。新興の分子生物学とともに遺伝学は教育、研究の場に復帰し、生物学のルイセンコ支配はようやく終わりを告げた。 近年ロシアでは、ルイセンコを再評価する主張が国営メディアや著作にたびたび登場するが、愛国的な歴史改変にすぎず、一種の情報戦なので信じてはならない。初期の実証的な研究は別として、政治権力を握った後のルイセンコ自身が語ったものには科学の要素が欠けている。 歴史家ローレン・グレアムは、ルイセンコ支配にラマルク説はほぼ無関係で、そのエピソードは「科学史ではなく疑似科学史の一章であった」と述べている。それは誤った生物学ではない。生物学を偽装した疑似科学である。また科学史家ニルス・ロール=ハンセンは、ルイセンコの疑似科学が台頭した理由を、短期成果主義と数値目標達成を重視する応用科学偏重の政策により科学の自己修復機能が奪われたためと指摘している。 階級闘争を含む科学法則で社会は説明できる。この弁証法的唯物論のイデオロギーの下で、スターリン体制はすべてを数値化し、数値指標で評価・統制する制度をつくり出した。数値だけが証拠という計量主義、言い換えると「測れるものだけが真理」主義のイデオロギーである。同時にそれは他者の忠誠度を測り粛清の根拠を与える道具でもあった。 数値指標が示すもの=客観的事実、という信念が強いほど、指標をつくった理由やそれが示すものに潜む価値判断が見えなくなる。例えば監視を容易にし、統制を強める意図が不可視化される。その結果、指標は説明責任や客観性を装いながら、実際には監視と忠誠を強める権力装置となる。これが報酬や処罰に直結すれば、「測れるものだけが真理」から「測ったことにしてしまえば真理」という倒錯が発生する。 ロール=ハンセンによれば、スターリン体制下の数値指標による短期の評価が目標化した環境では、評価が意味を失い、研究の信頼性を検証する機能も働かず、成果の獲得より成果の約束が巧みで、「実務家」のルイセンコが有利になったという。 ルイセンコとその支持者は、そもそもまっとうな科学的分析ができなかった。1939年、メンデルの遺伝法則が成り立たないことを示すようルイセンコに命じられた彼の弟子は、エンドウの交配個体から得られた結果をもとに、分離比は毎回パラパラで3対1にはならない、と主張する論文を発表した。これを見た統計学者・数学者のアンドレイ・N・コルモゴロフは、論文に示されたデータが実は全体として3対1の分離比になっていて、法則の予測から有意に外れているとは言えないことを検定で示しメンデルの遺伝法則が新たに確認された、と発表した。 ルイセンコは知人の共産党幹部に依頼して反論を送り付けた。その内容は、コルモゴロフは数学者であって生物学者ではない、コルモゴロフは我々の思想的な敵の追随者、コルモゴロフをそそのかした遺伝学者は、まだ悔い改めていないから危険、という政治的な脅しだった。もっともその後メンデル遺伝学自体が禁止されたので、この問題はどうでもよくなった。なおコルモゴロフは危険を察知したのか、以後は物理学や軍事に研究の場を移したため粛清を免れた。 ルイセンコのキャッチフレーズは農民主体の大衆科学、今でいう市民科学だが、実際のそれは市民科学というより、閉鎖的で不透明なトップダウンの、単なる動員システムだった。農業者の反論はもちろん議論さえ許されず、作業の中身に生物学はなかった。 そもそもルイセンコは1930年代半ばまで生物学の理論に弱く、ラマルク説も含めて進化のことはほとんど何も知らなかったという。彼に進化のことを教え、環境が生物を変えるという彼の経験談を、党の幹部にもわかりやすい弁証法的なイデオロギーに仕立てあげたのは、彼がオデーサの研究所で出会って以来の参謀でソ連新体制のエリートイサーク・I・プレゼントである。 プレゼントは生物学系の大学院出身ではあったものの、大学で専攻したのは法学と社会学だったので、もっぱら生物哲学・科学方法論・マルクス主義哲学の専門家を自称していた。のちにルイセンコが駆使した論敵への政治的中傷や大衆扇動の技は、プレゼントが持ち込んだものである。ミチューリン生物学という呼称もプレゼントが考案したものであり、その教義もプレゼントがルイセンコの経験談を弁証法的唯物論でパッケージ化したものにすぎない。 ルイセンコとプレゼントの策略は、共産党の方針に従い弁証法的唯物論というイデオロギーの正しさで、遺伝や進化という事実の正しさが決まるようにしたことである。つまりイデオロギー的に正しいかどうかという価値判断で、何か生物学的な事実か、何か科学的な説明として正しいかを決定づけるようにしたことである。 考法をルイセンコ思考と呼ぼう。ルイセンコ思考は無敵である。なぜなら事実とその説明の正しさを決めるものが、現実の出来事の証拠ではなくなるからである。科学的な正しさは、政治権力で決められたものになる。党中央が正しいと決めたイデオロギーに従えば、「正しい生物学」とはイデオロギー的に正しい、ルイセンコの疑似科学のことになる。そして事実に基づく科学としての生物学は陰謀論と見なされ、ソ連の生物学は崩壊してしまったのである。 いまだにルイセンコ説を、あたかもラマルク説や定向進化説のような、否定された過去の進化仮説の一つのようにみる場合があるが、全くの誤りである。それは科学でも生物学でも進化仮説でもないし、それと比較対象にしてよいものではない。疑似科学であったにもかかわらず、ルイセンコ説は他国にも伝播した。東欧諸国の多くで受容されたほか、中国ではルイセンコ由来の農法(大躍進政策)による農作物の不作と飢餓により1500万~5500万人の餓死者を出したという。西欧でも共産党が強い影響力を持っていたフランスやイタリアでは支持者が多く、イデオロギーと科学的な正しさの間で葛藤を引き起こした。英国では熱心な共産主義者で遺伝学者のJ・B・S・ホールデンが、ルイセンコを支持できないとして共産党を離党している。 日本では1947年頃から左翼系の科学者団体を中心にルイセンコ説として紹介され、支持された。その受容には、反米感情と遺伝学への無知が関わっていた。彼らはそれを最先端科学の象徴と誤認したうえ、1948年の臨時総会が意味するものを理解できていなかった。しかし1950年代になると、ヴァヴィロフと親交のあった遺伝学者・木原均らを中心に批判が展開された。そして1950年代後半には、こうした批判や分子遺伝学の発展の影響を受け、一部の研究者や団体を除きルイセンコ説の支持者は消滅した。日本での経緯については、中村禎里の著書『日本のルイセンコ論争』を始め多くの解説がある。 1930年代、黄金時代を迎えつつあったソ連の生物学に疑似科学の台頭を許し、最終的に政治権力による破壊をもたらした要因は何だったのか。その科学を悪夢に導いた「科学的な正しさへの脅威」は、まずルイセンコ思考である。だが、ルイセンコがプレゼントの協力で教義のイデオロギー化に成功し、恐怖政治を敷くスターリンの支持を得てそれを武器にするようになるのは、1930年代半ば以降である。知識も成果も欠けていたルイセンコをその時点までに台頭させてしまったのは、ロール=ハンセンが説くように、実用本位の短期成果主義とKPI的数値目標を使った中央集権的な政治統制である。この「測れるものだけが真理」の計量主義も、科学を歪める脅威となった。 そしてもう一つの脅威は、すべての経緯の出発点にあるルイセンコとは、もともと共産党という政治権力とメディアがルイセンコという周縁的な科学者とともに創作した偶像であった。共産党やメディアの上層部や大衆・農業者の期待に合致した「実践的」科学者像としてつくり上げられたものだった。わかりやすく、役立つ。大発見(発明)は、人々の期待を引き寄せるフックでしかなかった。その効果を一部の科学者が利用するため後押しするという、科学者側の思惑も絡んでいた。 裸足という視覚的アイコン、貧しい無名の、若き天才がエリート学者を出し抜くというカタルシス、世界や人々を救うという使命感。こうしたあたかもメシア(救世主)のような記号や属性が、大衆を心地よくさせ、それがルイセンコの言説の正しさを担保したと考えられる。その発見が事実かどうかは人々にとってどうでもよかったのである。だからもともとルイセンコの言説の正しさは、事実の証拠に照らした正しさではなく、メシア効果-その人物像が持つ記号や属性の心地よさという価値観で決まっていたと言える。この大衆と政治権力とメディアが共同で作り出したメシア効果の装置が、その後のあらゆる惨劇の発端であろう。本来ならその発達を阻止するはずだった科学コミュニティの、自己修正が機能していなかったために、疑似科学の支配に至ったと考えられる。 実はこれは決してルイセンコだけの話ではない。ルイセンコ的なものはいつでも、どこでも装いを新たに復活しうる。共産党の部分は、右派左派問わずどんな政党、どんな権力にも当てはまる。企業や行政に置き換えてもよい。視覚的アイコンは裸足のほかに、白衣のコスプレ、割烹着など色々考えられるだろう。貧しさの代わりに逆境でもよい。それに若さなど期待感と、天才と、親しみやすさと、科学の力で世界を救いたいという使命をメディアが与えて広めれば、科学を破滅に導くメシアの誕生である。 その帰結は、お気に入りの真実を自分の力で社会的につくり出せると信じる権力者とメディアの協力のもとに、事実とはつくり出された物語であると見なす疑似科学者の出現である。この欺瞞をつくり出す装置が、もう一つの「科学的な正しさへの脅威」なのである。ありもしないイデオロギー偏向をまずでっちあげて、それを理由に相手を攻撃するという、ルイセンコの常套手段は、SNSや動画配信全盛の現代では非常に効果的である。疑似科学を説く人々にとって、社会変革への情熱を燃料にこうしたイデオロギー的中傷や大衆扇動で科学者を次々と陥れるのは、むしろ現代社会の方が容易かもしれない。 ドーキンス大炎上 2020年2月16日、SNSに投稿されたあるコメントが、ネット上に大騒動を巻き起こした。投稿者は英国の進化学者リチャード・ドーキンス。その文面はこんなものだった。 「優生学をイデオロギー的、政治的、道徳的な理由で非難するのは、科学的な事実を無視した愚かな行為だ。」 この発言は瞬く間に拡散され、多くの人々から批判を浴びることとなった。ドーキンスは自身の意見を貫こうとしたが、彼の発言は多くの人々にとって受け入れがたいものであった。 この騒動は、科学と倫理、そして社会的な価値観の間に存在する緊張関係を浮き彫りにした。科学的な真実が常に倫理的に正しいとは限らないということを、多くの人々が再認識するきっかけとなった。 ドーキンスの発言は、科学者としての立場からの意見であったが、その内容は多くの人々にとって不快であり、彼の支持者たちも困惑させる結果となった。 このような事例は、科学が社会に与える影響や、科学者が公の場で発言する際の責任について考えさせられるものである。科学的な知識があっても、それをどのように表現するかが重要であり、特に敏感なテーマについては慎重さが求められる。 ドーキンスの発言は、科学と社会の関係についての議論を再燃させるものであり、今後もこのテーマは重要な課題として取り上げられることになるだろう。 することと、それが実際にはうまくいかないと結論づけることは、全く別の問題だ。もちろんうまくいくに決まっている。牛や馬、豚、犬、薔薇でうまくいっているのだから、なぜ人間にだけうまくいかないと思うのだろうか。事実はイデオロギーなど意に介さない。 ドーキンスは優生学を支持する差別主義者と受け取られ、多くのネットユーザーから驚きと怒りと嫌悪の声が殺到した。「#Eugenics(優生学)」がトレンド入りし、返信欄はたちまち数千件のコメントで溢れ、大炎上する事態となった。 優生学とは、優良な性質をもつ人間を選抜したり、有害な性質をもつ人間を排除したりして、人間集団の性質を進化的に改良することを目的とする研究と普及実践の活動である。19世紀後半、英国で確立した優生学は20世紀前半の英国、米国で猛威を振るい、ナチスドイツの優生学へと至って、罪なき人々の大量殺戮をもたらした。 欧米を中心に、科学的に正しいという名目で、有害な遺伝的資質をもつと見なされた無数の人々の断種が行われ、人種や社会階層の違いに基づく差別や迫害の正当化に利用された。現代では、こうした非道の歴史ゆえに優生学は否定されている。にもかかわらず、進化学者としてそれを熟知しているはずのドーキンスが、なぜこんな発言をしたのだろう。 押し寄せる批判の嵐に抗して、ドーキンスはこう反論している。「優生政策は悪である。私が抗っているのは、Xは悪いという評価と、Xは不可能であるという結論の間の非論理的な飛躍である。それは牛で機能するのと同じ意味で機能するはずだ。道徳的な理由でこれに立ち向かおうではないか。明白な科学的事実を否定すれば、我々は議論に敗北するか、せいぜい議論を脱線させる結果にしかならない。」 「私は優生政策という考え方を非難するが、非難するということは、その政策が機能しないという意味ではない。私はそう言っただけだ。より多くのミルクを生産するように牛が品種改良されるように、人間もより速く走り、より高く跳ぶように品種改良されうる。しかし、実際にそれを行うなんてことは、神が許さない。」 神なんて妄想だ、とドーキンスは言っていたはずだが、その指摘はさておき、「優生政策は悪」と断言しているので、ドーキンスがそれを支持しているわけではない。他の哺乳類で技術的に可能なのだから、ヒトでも「品種改良」は技術的に可能だ、という科学的な事実と、それを実行することが許容されないという倫理的評価は分けて考えなければならない、という主張なのである。 確かに「これは悪い」という価値観、あるいは「これをすべきでない」という規範や道徳から、「これは不可能である」という事実の記述は導けない。あるいは逆に、事実の記述から善悪などの価値観や、規範や道徳は導けない。 言い換えると、「科学的事実と価値や価値判断を混同してはならない」という原則である。この原則を破り論理を飛躍させたのが、前章のルイセンコ思考である。つまり価値観で科学的な事実の正誤を判断することが、科学的な正しさへの脅威を生む要因の一つと言える。実はこの原則を守ろうというドーキンスの主張は、優生学の問題を考えるうえでも核心をついている。そこで少し優生学の歴史を振り返ってみよう。 優生学は疑似科学であるという見方はかなり一般的なものであるが、実は歴史的に見るとそれは適切でない。確かに一部に疑似科学的な要素は含むが、少なくともルイセンコのミチューリン生物学のように自明な疑似科学とは区別しなければならない。ルイセンコは進化学を偽装しただけだが、優生学は進化学の話であると認めなければならない。 例えば研究者が実験や観察で得たデータから、仮説の信頼性を検証するのに欠かせぬ統計学は、その基礎を含めてかなりの部分が優生学から生まれたものである。もし優生学は「正しくない」から、優生学や優生学者が作り出した概念やツールはすべて使用禁止、キャンセルしなければならないとなった場合、皮肉にも私たちは、科学的な「正しさ」を主張するためのツールのかなりの部分を失うことになる。 優生学が隆盛を極めていた時代には、それは人類が直面する危機を解決する最先端科学の位置づけだった。問題はそれが不適切な科学だっただけでなく、科学の誤用だったという点である。そしてそれはまた別の「科学的な正しさへの脅威」でもあった。 優れたもの同士の掛け合わせや人為的な選抜によって優れた人類に進化させる、あるいは劣った者を排除して、人類の平均レベルを引き上げる。19世紀後半の英国で、この目的を達成する科学を創始し、それを優生学(eugenics)と名付けたのは、チャールズ・ダーウィンの従弟、フランシス・ゴルトンである。その着想はダーウィンの進化論とその中核である自然選択説、生存率や出生率の高い変異の子孫が世代とともに集団の中で比率を高めていくことで集団個体の性質が変化するプロセスに基づいていた。 ダーウィンは「種の起源」で自然選択説を支持する証拠の一環として、家畜の人為選択による品種改良の事例を紹介したが、ゴルトンはそれをヒトに応用すれば、ヒトを進化的に改良することができると考えたのである。この着想自体を非科学的だとは言えない。それどころかドーキンスに言わせれば、これが可能なのは「科学的事実」なのである。 現代の進化学や遺伝学は、医学・疫学、動植物の品種改良(育種学)や生態系の保全など応用科学分野の基礎になっている。これと同様に当時の優生学は、進化学に基礎を置く応用科学の位置づけだった。ゴルトンの研究のかなりの部分は、進化の基礎にある形質の遺伝様式や変異のパターンを理解し、自然選択説を実証することに費やされたが、その目的はあくまでヒトの進化的改良の実現だった。 ヒトを優れた集団にするためにゴルトンが説いた優生政策は、1.能力に優れた家柄同士の結婚を推奨し、彼らが多数の子を残せるよう報奨金や手当を支給する。2.家柄の資質は家系図などから判断し、公務員試験などの成績もその資質の評価に加える。3.心神喪失者、犯罪者、精神障害者を隔離し、子孫を残せないようにする、というものであった。 「自然が盲目的に、ゆっくり、そして情け容赦なく行うことを、人間は分別をもって、素早く、しかも思いやりをもって行える。それが人の力の及ぶところである以上、その方向に努力することは人間の義務となる。」徹底した世俗化を目指したゴルトンにとって、優れた性質を進化させる自然選択の人為的な再現が倫理的な義務であった。キリスト教の規範に代わって、人間が従うべき規範が進化、生物学的な事実だったのである。ただし、ゴルトンが優れていると見なす性質とは、精神、道徳、健康に優れていること、男性なら男らしく、人徳があり、高潔で礼儀正しい性格のことだった。つまりそれは、自らが属する英国の中産階級・新興のエリート層を優良と見なし、彼らが差別する労働者階級を劣等とみる価値観や偏見そのものであった。 ゴルトンの優生学を受け継いだのが、その弟子カール・ピアソンである。数学者、物理学者、哲学者であり、当代随一のフェミニストの論客であり、法律家でもあったピアソンは、現代統計学の基礎となる概念や手法(相関係数や検定、ヒストグラム、主成分分析など)を考案するとともに、人種あるいは民族間で能力に違いがあるという考えの実証と優生学の研究に情熱を傾けた。 ピアソンは医療や福祉の充実が、逆に人々を遺伝的に劣化させたと考えていた。かつて人類は厳しい自然選択によって肉体的、精神的に劣った者が社会から除去されていたが、現在は倫理観や同情心を獲得してしまったために、こうした自然の過酷なプロセスを許容できなくなった。その結果、自然選択が弱まり、本来なら社会から除去されるべき「不適格者」が増え、英国人の性質が全体的に劣化しつつあるというのである。 この国家的な危機を回避するために採用すべき政策を、ピアソンは著書にこう記している。「私は国家の破滅へと導かれぬよう、あらゆる同情と慈愛を整理し、人種的利益を高める方策をとるよう要求する。これまで無意識のうちに自然のプロセスとして行われてきた国家と民族の浄化を自発的に実行しなければならないときが来ている」「我々人類を救うためには、徹底した優生政策しかありえない」「我々は自然の仕事(自然選択)を自らの手で行う。精神的肉体的に劣った者に繁殖力を持たせてはならない」。 自然選択は社会や国家単位でも作用すると考えたピアソンにとって、強い国が国家間の闘争に勝利し、帝国を形成するのは生物学の法則であり、その科学的な正しさは道徳的な正しさと同義であった。ピアソンは優生学で労働者階級を除去し、強化された社会主義政府による帝国主義を説いた。またユダヤ人を「身体的・精神的に劣る」「寄生的な人種」などと表現し、移民制限を主張した。その思想はナチスドイツのヒトラーの思想と類似点が多く、かつ親和的であった。実際ピアソンはナチスの優生政策を称賛していた。 ゴルトンと同じくピアソンも、世俗化を徹底した結果、宗教を科学に置き換え、神の代わりに生物学的な事実から倫理や規範を導いていた。皮肉にも科学至上主義を貫いた結果、科学が宗教の役目を果たしうるという錯覚に陥ったといえる。結局それは科学的事実と価値判断の混同であり、やはり実際にはその倫理も規範も、彼らエリート層がもともと労働者階級や他民族に抱いていた偏見と差別意識にすぎなかった。 ゴルトンとピアソンらの活動は社会改革運動となり、政治権力の支持も得て英国は優生学の中心地になった。例えば20世紀初め、メンデル遺伝学と自然選択説を融合し、現代進化学の基盤を築いたロナルド・A・フィッシャーは、ゴルトンの後継者を自任する優生学者でもあった。彼の著書『自然選択の遺伝学的理論』の前半は現代進化学と集団遺伝学の基盤を形づくった名著であるとともに、後半は優生学普及のプロパガンダであった。 集団遺伝学の立役者の一人、ホールデンもやはりエリート層の階級差別に根差した先鋭的な優生学者だった。ただし第一次世界大戦に士官として出征し、熾烈な戦闘の中で勇敢な労働者階級と関わるうちに、差別意識が消えたという。この大戦を契機として1920年代以降、英国の優生学は失速する。その地位にとって代わったのが米国である。 ゴルトン、ピアソンから米国に伝わった優生学は、20世紀に入ると米国で飛躍的な成長を遂げた。米国の優生学は人種差別と排除の思想を強固に備えていた。米国の優生学の中枢を担ったのはチャールズ・ダヴェンポートである。1900年頃の初期のダヴェンポートは実験と統計学を駆使して進化を実証しようとする先進的かつ真正な生物学者で、その政治力と資金獲得能力は生物学の強力な推進力となり、のちに米国の遺伝学を世界のトップレベルに引き上げる基礎を築いた。 ところが間もなくダヴェンポートは暗黒面に落ちたかのように、メンデル遺伝学を悪用して、ヒトの性格や行動、習慣、アルコール依存症から精神疾患、貧困、無気力、気質に至るまで、すべて単一の遺伝子で説明するようになった。不都合な性質はすべて有害な遺伝子のせいだと説き、強制的に不妊手術を実施して有害な子孫が残らぬようにすべきだと主張した。 特に標的になったのが犯罪である。ダヴェンポートは「犯罪者の家系」が「劣等な血統」であるとして、家系図でその証明を試み、強制不妊の実施を提唱した。また北欧系の白人以外を、進化的・遺伝的に劣った性質の持ち主であるとして、人種差別を正当化した。そして米国から不適格な人種の遺伝子を排除するため、人種の隔離と移民の阻止が必要だと説いた。 ダヴェンポートの説く優生学は、根拠と信頼性に乏しく疑似科学化が進んでいたにもかかわらず、その主張は科学的に正しい説明として、立法の資料や法廷証言に直接使われ、何万人もの強制不妊と人種差別立法を正当化することになった。科学的という言葉は魔法のように財界人や政治家を引き寄せ、信じさせた。ダヴェンポートが設立した優生学記録局は、ハリマン、ロックフェラー、イーストマンといったウォール街・金融界の大口投資家から莫大な資金援助を受け、唯一の優生学専門機関として独占的に政策提言を行った。彼らは豊富な資金力とハーヴァード大学の人脈と当時のテクノクラシー信仰を利用して、上院議員や下院議員と緊密な連携を築き、連邦議会・州議会に対し強い影響力を確保した。 26代大統領セオドア・ルーズヴェルトも、彼の優生学を強力に支持した人種差別主義の政治家であった。ダヴェンポートに宛てた手紙にルーズヴェルトはこう記している。「社会が堕落した者に同類の繁殖を許す余地はない……そして不適格な市民の存続を許す余地はない」。こうして科学、財閥マネー、政策ロビーを束ねたダヴェンポートは、米国社会に優生政策をトップダウンで実装した。 言うまでもなく、米国の日系移民も優生政策によって差別、迫害された。1920年代以降、白人でないことを理由に日系人の市民権取得が否定され、帰化できなくなった日系大農家は土地を奪われた。1924年にはダヴェンポートらの主張に沿い、不適格な遺伝子の排除を目的として策定されたジョンソン・リード法により、日本からの新規移民が禁止された。特にカリフォルニア州では、日系大を含むアジア系で断種率が高く、優生学による強制不妊化の被害を受けた。 一方、トマス・H・モーガンら一部の遺伝学者や人類学者のフランツ・ボアズは、優生学には証拠がないと強く批判した。モーガンは、形質と遺伝子の関係は優生学者が考えるような単純なものではなく、ヒトの遺伝的改良など不可能だと訴えた。社会を改革するなら、遺伝学ではなく社会的な方法で問題を解決すべきだ、というのがモーガンの主張だった(ただし優生学を完全には否定しなかったらしい)。ボアズは人間の行動や文化も含め、性質の違いのすべてを遺伝子に帰す遺伝子決定論を批判し、諸文化に優劣をつけない文化相対主義を唱えた。そして北欧系白人を至上とする人種差別を糾弾した。 しかしこうした批判は、政財官学を押さえてしまった優生学を止めるには力不足だった。米国の優生学は、善意と社会的承認で覆い隠された白人エリート層の差別と偏見が、科学の言説で正当化され、財閥から惜しみない支援を受け、メディア、法律家、著名人らの支持のもと、科学者と政治指導者のリーダーシップにより推進されたものであった。1930年代になってようやく優生学の問題が広く認識されるようになるまで、米国の優生政策は人種差別や貧富といった社会問題を正当化する役目を果たした。 この米国の優生学とその制度を、あらゆる点で忠実に模倣して移植したのがナチスの優生学であった。米国の優生学者や民間財団は、1930年代前半までドイツの優生学育成のために人的、技術的援助を続け、ナチスの優生政策を「世界的な最先端科学」であると偽装する後ろ盾となっていた。ヒトラーは著書や側近との会話の中で、たびたび米国の移民制限や不妊手術法に言及し、自らの政策立案の参考にしていると公言していた。 歴史学者エドウィン・ブラツクは、北方人種の純血を守るというナチスの人種差別政策を導いたのは、米国の白人至上主義の優生思想であるとして、「ヒトラーの人種的憎悪は彼自身の妄想に端を発するが、ヒトラーが受け入れた優生学の枠組みは米国製であった」と述べている。また歴史学者のアントン・ヴァイス=ヴェントらは、「米国の優生学がホロコーストへの道を開いた」と表現している。 優生学とそれが導いたホロコーストは、米国や英国、欧州の社会に存在する社会の歪み、格差、人種問題、偏見や差別、世界観などがもたらした側面が大きい。しかも排除されるべき「劣等」の範囲が変わり、権力者とエリート以外は誰も安全圏にいられなかった。自分は対象外と信じる優生学の推進者が、往々にして被害者となり排除された。ここで私たちが注目すべきポイントは、差別のイデオロギーが進化や遺伝という科学的事実と混同され、非人道的な政策の正当化に利用された、という点である。 哲学者のマシュー・バーカーは、優生学において「科学は、ヒトを改良するという価値判断を含む目標を明確に含んでおり、誰の命がより価値があるかという主観的な判断と客観的な生物学とを混同している」と述べている。科学的事実と価値判断の混同のために、進化や遺伝学の事実から、民族の純血やエリート層を守るべきという飛躍した規範や価値判断が導かれてしまったのだ。歴史家のダニエル・J・ケヴレスは、優生学者もその支持者も「最新の科学を把握し、科学の発見から社会的な方針を決めなければならないと考えていた」と記している。 このように優生学では科学的事実と善悪のような価値、さらには道徳のような価値判断が混同された。その結果、偏見や差別が客観的で科学的に「正しい」ものだと人々に誤認され、社会改革のため被害者の排除が正義とされたのである。 ルイセンコ思考がイデオロギーに基づく正しさの法則と呼ばれる。もちろんその逆、判断や規範から事実は導けない。判断で科学的事実が何かを決めるのに対し、優生学は進化や遺伝についての科学的事実から、道徳や倫理的な規範という価値判断を導いた。また部分的とはいえ、その価値判断は科学的事実をも歪めていた。 「科学的な正しさへの脅威」を生む最大の要因は、科学的事実と価値や価値判断の混同である。ドーキンスの指摘はまさにこの論理的飛躍を指摘したものだった。ドーキンスの主張は、厳密には二つの飛躍を扱っている。一つ目の論点は、「事実の記述(~である)から価値判断や規範(~べき)は導けない」という原則である。デイヴィッド・ヒュームが指摘した問題であるため、ヒュームの法則と呼ばれる。 ただし、もし「優生学が技術的に可能なことは悪である」という価値観がすでに存在しているなら話は別である。それが可能なこと=悪、が成り立つなら、悪=すべきでない、という原理を橋渡しとして、可能なこと=すべきでない、という価値判断が導かれるからである。 そこで二つ目は、ここで挙げた「優生学が技術的に可能なことは悪」という論理、つまり事実から価値を導き出す論理そのものがもつ飛躍である。これは自然主義的誤謬と呼ばれている。自然主義的誤謬は20世紀初頭に、G・E・ムーアが形式化した概念である。善を快楽や幸福など経験的・自然的性質で定義しようとする試みは失敗するという主張である。ムーアの「オープン・クエスチョン・アーギュメント」によれば、もし「善=快楽」と同一視できるなら「しかし快楽は本当に善いのか」という問いは無意味になるはずだが、実際には依然として意味ある疑問として残る。従って善は快楽・進化・社会的利益などいかなる自然的記述とも論理的には同一ではなく、科学的・経験的事実だけから価値を定義することはできない。 一方、ルイセンコ思考、イデオロギーから事実を導く誤謬のように、価値から事実を導く誤謬は、逆自然主義的誤謬とか道徳主義的誤謬などと呼ばれることがある。「優生学は悪」から「優生学は技術的に不可能」を導くのがこれにあたる。方向は逆だが、価値と事実の間のギャップを飛び越えてしまう誤謬という点では自然主義的誤謬と共通である。 ヒュームの法則とムーアの自然主義的誤謬は、厳密には異なる論点を扱っているが、広い意味で前者も含め、事実のみから価値や規範を導こうとする試み全般を自然主義的誤謬と呼ぶ場合が多い。ドーキンスの投稿には不用意で説明不足という無視できない問題があったとはいえ、その趣旨が、自然主義的誤謬を犯してはならない、価値判断と科学的事実を混同してはならない、という「科学的な正しさ」を守るための主張であるとするなら、その意図は理解できるだろう。事実のみから道徳を導くことはできず、逆に道徳から事実を導くこともできない。道徳的に不都合だからという理由で科学的事実を否定することはできない。 こうした趣旨を、投稿に条件反射的に応じた批判者の多くが十分把握できていなかった点は否めない。そもそもこの価値と事実の関係についての主張は、ドーキンスが昔から著書などで訴えてきたことであって、とりたてて目新しい主張ではない。 だが実は、これで問題が解決するかというと、そうではない。ドーキンスの発言は様々なメディアで取り上げられたが、その大半は批判的であった。ちょうどドーキンスのSNS炎上事件の直前、当時の英国首相ボリス・ジョンソンの側近がメールや非公開のブログ投稿で行った「優生学とは良いものを選び出すこと」「人種による知能の違いは遺伝が原因」などの発言が英国社会を紛糾させていた。ドーキンスの発言は、こうした要人の偏った思想が問題になる中で表明されたものであった。しかし、逆にその背景ゆえに彼の発言は、優生学に対する懸念だけでなく、社会に蔓延するエリート主義や差別を示す一例として、まとめて批判の対象になった感がある。 例えば、米国のタイム誌は科学ジャーナリストのコメントを引用し、優生学が道徳的にも科学的にも完全に信用を失った思想であるとしたうえで、そんな有害な思想が公的な議論の場に再浮上するのは、社会のエリートが現状の権力構造や社会階層を維持するためなのだと指摘している。不平等を根本的な人間の違いとして説明すれば、現状の不平等を正当化し、それを変えるための努力を回避できるからである。 こうした批判的な論調が支配的な中で、少数ながらドーキンスの発言の趣旨に同意し、支持を表明した科学者もいる。米国の進化学者、ジェリー・コインもその一人だ。「これはまずい! 彼の意図はわかる。だが、優生学を擁護していると誤解する人が山ほど出てくるに違いない」とSNSでのドーキンスの発言を知ったコインは、すぐにそう思ったという。そして予想した通りのことが起きた。コインは自身のブログで、ドーキンスは軽率だったし、あの発言をすべきではなかった、と記す一方、彼はSNSでの発言が下手だっただけで、ナチスでも何でもないと擁護した。コインはイヌの品種改良を例に、サイズ、体型、毛色、さらには行動にみられる膨大な多様性が、遺伝する形質の変異を選抜してつくり出されたと記す。そしてヒトで明らかにされてきた膨大な形質のデータは、そのほとんどが遺伝する変異を持つ形質であることを示しており、それらの形質に選抜をかければ数世代でかなりの変化が起きるだろうと述べた。その一方でコインは、「私の知る限り、かつての優生学に戻りたいなどと思う生物学者はいない」と念を押す。そして「だからこそ、私はリチャードが何を言おうとしていたか理解できる」と擁護した。 ここで読者は、彼らの論争が不思議な位置づけになっていることに気づかれたと思う。優生学の災いを引き起こしたロジックの問題を批判的に取り上げたドーキンスが、逆に優生学の支持者として反優生学の立場から批判を受けているのである。そして人々の批判は、むしろドーキンスが科学的事実と主張するものの方に向かっているのだ。すると彼を批判する人々はみな、価値判断と科学的事実を混同しているという話になる。優生学を批判する人々が、優生学者と同じ誤謬に陥っているのである。 だがもう一つ別の可能性がある。それはそもそも科学的事実だとしている説明が、実は必ずしもそうではないという可能性だ。つまりドーキンスやコインが科学的事実だと考えている、「ほかの哺乳類で技術的に可能なのだから、ヒトでも品種改良は技術的に可能だ」という説明自体が、実は価値中立な科学的事実だけの説明ではなくなっているのではないかという意味である。この場合、科学的事実と価値や規範が混同されているわけではない。「悪」という価値観や「許せない」という規範的な要素が、科学的事実に切り離せない形で絡みついているのではないかというわけだ。 もし科学的事実に何らかの価値観、例えば逆に「善」の絡みつきが存在し、かつそれに気づかなかったとしたらどうなるだろう。優生学者であるとともに物理学者でもあったピアソンは、著書『The Grammar of Science』にこう記している。「科学に携わる者は何よりも、自らの判断から自己を排除し、自分自身と同じくあらゆる人にとって真実となる論拠を提示するよう努めねばならない」。 ピアソンは個人の感じ方や好みのような価値観を、誰でも立証できる客観的事実から区別して排除しなければならないと戒めているのである。最も危険なのは、自分はいつも客観的に物事を見て事実だけを分析できていると信じることかもしれないのだ。 他者に対しイデオロギーの影響を強く指摘する人が、実は、自らを歪めているイデオロギーに無自覚である可能性を考えなければならない。 学力格差は遺伝か、環境か? 次のような例を考えてみよう。学力格差を遺伝学でどこまで説明できるか、という問題意識からゲノム解析の研究を始めたとする。この研究動機には価値判断が入り込む。しかし社会科学の領域で、科学的な分析に価値判断の混入を戒めていたマックス・ウェーバーも、研究テーマの選択の段階では価値判断を伴うことを認めていた。問題はその次だ。 2022年に発表された論文では、約300万人のゲノム情報から作成した遺伝子スコアで、教育年数(学校教育を何年間受けたか)の総ばらつきのうち12~16%を説明できたと報告された。この結果の解釈は科学的事実についての記述だが、12~16%という数字に基づいて「遺伝要因が大きい」と説明したとしよう。これは客観的に正しい説明だろうか。 では次に残りの84~88%という数字に注目してみよう。これをもとに「環境要因が主要」と説明するのはどうだろうか。実は後で述べるようにこれらの説明はどちらも正しくない。仮に正しいとしても、どちらの説明を採用するかは、環境と遺伝のどちらを重視するか、という価値判断の産物である。 すると当然こんな疑問がわく。そもそも私たちは科学的な説明から価値や規範を完全に分離し排除できるのだろうか。果たして科学的に「正しい」と私たちが思っていることは、本当に客観的に正しいのだろうか。本当はどこかで何らかの偏見や、倫理的・道徳的な正しさや、こうであってほしいと願う正しさを、それと錯覚してはいないだろうか。 「血は争えない」という格言は、20世紀初頭に登場した比較的新しい格言で、その用法などから推測すると、家柄が性分を表すという日本古来の考えに欧米由来の優生学の語彙が結びついた格言のように思われる。似た格言に「血の筋は七代」があり、これも20世紀初め、「七代祟る」のような古来の言葉に優生学用語が融合してできたようである。 これらと似た言葉は世界各地に古くからあるが、「血は争えない」と同義とされる英語の「Blood will tell」は、14世紀頃にはその原型がすでに存在し、19世紀に英国で格言として定着したらしい。20世紀前半には優生学者がこの格言を「科学的な正しさ」を印象づけるキャッチフレーズとして頻繁に用い、優生学の普及に活用した。つまり西欧の古代から中世にかけての、血縁社会の身分固定を正当化する道徳観が、19世紀以降、特に英国の階級社会の道徳観に引き継がれ、それが欧米で優生学の隆盛とともに科学的な正当性を与えられ、定着したものだと言える。 それゆえ悪や善は遺伝する、という信念は古代の「血の神話」に遡り、優生学を経て、今も形を変えて残存している。この社会に深く根を張る価値観を、果たして遺伝に関する科学的事実から分離して取り去れるのだろうか。 A(KyOとという酵素をコードするMAOA遺伝子の機能を喪失したまれで特殊な変異を持つ男性に、衝動的な攻撃行動が多発する「Brunner症候群」が報告された。これを機に、攻撃性とこの遺伝子との関係が注目されるようになった。 2002年、MAOA遺伝子の変異のうち、酵素活性の低い変異(MAOA-)を持つ人の場合、幼少期に虐待されるなどストレスのかかる環境で育つと、反社会的行動をとるリスクが高まる可能性があることが報告された。 モノアミン(セロトニンやノルアドレナリンなど)は情動や衝動の制御に重要な神経伝達物質であり、MAOAはそれらを分解する。転写活性の低いMAOA-の変異を持つと、発達期にモノアミン濃度が相対的に高くなる可能性があり、その影響で扁桃体を中心とする辺縁系の体積がやや小さくなる傾向が報告されている。さらに怒りや恐怖など強い感情が生じたときには扁桃体が過剰に反応し、行動を抑える役目をもつ前頭前野の働きが弱まることから、怒りや衝動を制御しにくくなる要因にもなると考えられている。ただしこの遺伝子はX染色体上にあり、女性ではX染色体が2本あるため、酵素活性の高い変異とヘテロ接合になるなどの理由でMAOA-の影響が薄まり、男性ほど反社会的行動をとるリスクは高くならないという。 2015年には、フィンランド人受刑者の大規模データに基づく研究で、極めて凶悪な暴力犯罪(殺人・強盗致死など10件以上)の累犯者集団では、一般集団と比べMAOA-変異の保持率が有意に高いことが明らかになった。MAOA変異は五つのタイプを含むが、そのうち低活性の3タイプ(2R、3R、5R)がMAOA-と呼ばれる。特によく調査されている2Rと3Rでは、アルコール依存症やギャンブル、暴力などとの関係も報告されている。 さて、この遺伝子の事例で、客観的な事実だけを語ることができているだろうか。メディアはこのMAOA-変異を「暴力や犯罪をもたらす遺伝子」としてたびたび報道したため、一躍社会的な関心を呼ぶこととなったが、こうした報道がなされる時点ですでに、事実が価値判断と絡み合っていること、そしてそのために事実がバイアスを受ける可能性があることを示唆している。 実際に裁判の場では、犯罪者の量刑軽減などの目的で弁護側がMAOA-変異を利用した事例がある。特に米国とイタリアでは、銃撃事件や刺殺事件を起こした人物に対し虐待歴とMAOA-のセットを情状として採用し、量刑が軽減されたケースがある。今のところ警察が犯罪捜査の過程でこの保有者かどうかをチェックした事例はないが、その可能性に触れた議論もある。犯罪と遺伝を単純な形で結びつける説明は、まさに優生学の再来であり、根深い偏見が科学的事実で正当化される危険性を示すものである。 2006年には、この懸念が現実のものとなった。ブリスペンで開催された人類遺伝学の会議で、ニュージーランドの研究チームが、マオリ男性が白人よりもMAOA-を持つ可能性が有意に高いことを発見したと報告した。メディアはすぐに、マオリで知られていた暴力、犯罪、投獄の多さを結びつけMAOA-を「戦士遺伝子」と呼んで報道した。しかもその取材に研究チームのリーダーはこう答えたのである。「MAOA遺伝子が示す事実は、マオリが抱える問題の一部を説明するのに大いに役立つ……明らかに、これは彼らがより攻撃的で暴力的になり、ギャンブルのような危険を伴う行動に走る可能性が高いことを意味している。」 さらにその研究者は雑誌に記事を寄稿し、その頻度がマオリで高いことを適応進化で説明した。「MAOA遺伝子が、ポリネシア人の移住中に起こった航海や部族間の戦争中に、何らかの選択的な利益をもたらした可能性がある。」言うまでもなく、マオリに対する白人の植民地時代以来の偏見が、科学的な事実に結合し、その説明を偏らせている。 なおこの研究では他の民族グループではさらに高いMAOA-の出現率が見られていたにもかかわらず、「戦士遺伝子」のレッテルを貼られたのはマオリだけだった。しかもマオリを代表させるにはサンプル数も少なく、信頼性に欠けるものだった。何より、マオリが植民地時代の抑圧の余波に苦しみ続けていること、そして暴力的な事件は不平等に対する抵抗であるという問題を遺伝子に責任転嫁するやり方は、エリート層が遺伝子を理由に不平等を正当化し、改善の努力を回避しようとする点で、かつての優生学と同一である。 当然のことながらこの研究は、人権団体や先住民指導者、遺伝学者から厳しい批判を受けた。その後ニュージーランドでは、こうした問題の再発防止のためデータ管理や研究倫理ガイドライン、報道指針などが整備され、現在ではMAOA遺伝子と民族や犯罪とを単純に結びつける議論は科学的にも、社会的にも受け入れられていない。 MAOA-遺伝子と衝動的反応の実際の関係について、今のところMAOA-はそれをもつだけでは衝動的反応を高めることはないというのが標準的な理解である。これ以外の遺伝子や生物、環境要因が総合的に作用して行動のタイプが決まるのであり、当然この遺伝子の有無だけで反社会的行動の有無の予測はできない。大量飲酒や一定レベルを超えた強いストレスはリスクを高める要因とされているし、特定の生理的条件では攻撃性に寄与するという報告もあるが、広範なデータを用いた分析では、これまでに攻撃性や暴力に関係すると報告されてきた遺伝子のうち、攻撃性との間に有意な関連性が認められたものは見いだされなかったという報告もある。 確かに幼少期に虐待があるとそのリスクが高まる可能性は繰り返し指摘されてきたが、幼少期に肯定的に育てられた場合には、逆に他の高活性変異の持ち主よりもリスクが下がるという報告もある。従ってMAOA-はリスク要因というより、環境に対する感受性を高める要因であると解釈することも可能である。 MAOA-の有無やそれが示す観測データには、価値観は関与しない。しかしそのデータに基づく遺伝的、神経生理学的機序の説明、つまりデータから推定された事実についての説明には、推定の段階で、また攻撃性や犯罪性との関係という着眼点に対し、価値観が介入しうる。そしてその事実をリスクと捉えるかどうか、またリスクならそれを考慮するかどうかは価値判断の問題である。 従って、「MAOA-を持つ人の場合、幼少期に虐待されるなどストレスのかかる環境で育つと、反社会的行動をとるリスクが高まる」という一見事実についての客観的な説明には、しっかり価値観とそれに基づく価値判断が絡みついているのである。 現実的には、普通に社会生活を営むうえではMAOA-を持つかどうかはほぼ無視できるリスクである。またこれよりはるかに大きく重要で、しかも政治的、社会的な政策で低減できるリスクは無数に存在する。幼少期に虐待がなぜ起きるのか、なぜ大量飲酒や社会的ストレスがかかる状態になるのか、こうした問題を引き起こす貧富の差や差別、階級社会化がもたらす社会的なリスクに比べれば無視できるほど小さな影響しか与えないにもかかわらず、なぜ一部の研究者やメディアは、遺伝的な違いによる犯罪リスクにあえて注目し、大きく取り上げるのか。医学的な治療に役立つという目的を除けば、それは「血は争えない」という根深い価値観に駆動されたものと考えるのが妥当であろう。 もしこうした科学的事実に絡みつく価値観や価値判断が不可視化されたらどうなるだろう。マオリに対する「戦士遺伝子」のレッテル貼りのように、無意識の価値観や偏見が、「科学的に正しい」説明で正当化されてしまうかもしれない。そしてこれは優生学に至るまで、後ほんの一歩である。 左利きは9年も短命である。「正しい」を意味する英単語は「右」である。しかし「左」にはそうした意味はない。左利きの人は世界平均で人口の約10%、多くの国でおよそ5~15%の少数派である。古くから左利きの人は多くの国や文化で差別の対象となってきた。「左」を意味する語は、ラテン語では「不吉な」、フランス語では「不器用な」を意味するように、世界の多くの言語で否定的な比喩として使われてきた。また中東やインドなどでは左手は不浄とされ、食事などに使うのを忌避する習慣があり、日本や中国でも礼儀や縁起などの面から左利きは忌避されてきた。こうした事情から20世紀前半まで、欧米やアジアでは幼児に対し左利きを右利きに矯正する習慣が存在してきた。 ただし左利きといっても、手先は左だが投げるときは右というように、利き手の偏りにばらつきがあり、現在では5段階の評価法がよく使われる。 1970年代から80年代にかけて、左利きは何らかの疾患に関係するものという考えが広がった。左利きは脳の軽微な損傷に由来するという主張や、胎児期のホルモンの影響や出生時のストレスが原因であるという考えも支持された。これらの説は現在では否定されているが、当時はこうした左利きに対する偏見を科学的に正当化するような研究結果が、客観的な事実として続出した。 また当時、科学的な大は脳の左半球を、芸術的な大は右半球を使っており、学習方法の異なる「左脳型」と「右脳型」がある、と多くの大が信じていた。そこで、左利きの大は右脳優位または両方の半球を使うという傾向が報告されると、左利きは必然的に「右脳型」であり、よく言えば創造性に優れるが、悪く言えば非科学的で、論理性に劣るという物語が生まれた。 しかし現在では、こうした話はほとんど根拠がなく、誤りであることが判明している。確かに脳機能には非対称性が存在するし、左利きの人の30%は右脳優位または両半球での処理が見られるが、脳の使い方は利き手と明確に関連付けられるほど単純ではなく、左右の脳機能は相互に補完し合っている。もちろん左利きの大が特定の思考様式や能力を有するないし欠くという根拠も得られていないにもかかわらず、この神話はいまだにネット上などで流布している。 1980年代末から1990年代初めにかけて、左利きへの偏見をさらに強化する科学的事実が報告された。それは左利きの人の方が右利きの大より短命、というものである。左利き生存不利説の枠組みが出現したのは1988年、心理学者スタンレー・コレンとダイアン・ハルパーンがメジャーリーグ野球選手のデータをもとに、左利き選手の方が右利きの選手より短命であるとする短い論文をネイチャー誌に発表したのが契機だった。その差はわずか0.7年しかなかったにもかかわらず、あまり一般的でない統計解析の手法で、両者の寿命に有意な違いがあると結論したものだった。この論文の発表直後、複数の研究者がデータの統計処理や解釈の問題を指摘するレターをネイチャー誌に送ったが無視されたという。 このネイチャー論文に力を得たコレンらは1991年、米国カリフォルニア州の死亡記録約1000件を分析し、左利きの方が右利きより9年も短命であるという結果(左利き66歳、右利き75歳)を得て、医学系で最も権威があるとされる雑誌に論文を発表した。コレンらは、左利き自体が生物学的な生存率の低下を示す指標だと考えていた。左利きの多くが胎児期や出生時の脳損傷、ホルモン異常で左利きになった病理的な左利きであり、そのため免疫異常や神経発達上の問題を抱えていて寿命にも影響する可能性があると主張した。実際には偏見に基づく誤った仮説を自説の裏付けに使っていたのである。 著者の一人コレンは、この論文を発展させた左利き不利説を著書として発表したが、そのタイトルにも『左利き症候群』(The Left-Hander Syndrome)と、左利きを「疾患」とみる偏見が含まれていた。彼らはほかに左利きが短命な理由として、社会が右利きに最適化されているため、左利きが常にストレスや危険にさらされていることも挙げている。機械や日用品が右利き用に設計された社会では左利きの方が危険にさらされやすく、左利きは右利きより交通事故や工場などでの事故による死亡割合が著しく高い、と説明している。例えば自動車の運転では、緊急回避動作で左利きは対向車線側にハンドルを切ってしまう傾向があるため、衝突事故のリスクが高まるのだという。ただしそれは右側通行の米国なら成り立つが、左側通行の日本や英国では成り立たない仮説である。 解析に使用されたデータは一見信頼性があり、検出された差が明確だったうえ、論文が掲載されたのも超一流雑誌だったため、「左利きは短命」は科学的に正しいと認められた事実であるとして、有力メディアで大々的に取り上げられ、社会的に大きな注目を集めた。生命保険会社が左利きに対して保険料を引き上げる可能性や、自動車保険で左利きドライバーのリスクが考慮される可能性なども真剣に議論された。 なおコレン自身は「右利きだが左利きには特別な愛着がある」と述べるなど、ほぼマッチポンプの印象は受けるものの、左利きを擁護する姿勢をとっていた。だが、研究者の中には早速この結果に懐疑の目を向ける者がいた。有力な批判の一つは、得られた結果が利き手そのものによる寿命の差ではなく、別の要因を反映しているのではないか、というものであった。もっとも中には、左利きは知能や収入が低いので、医療サービスを受けられないことが寿命に影響しているかもしれない、などと、むき出しの偏見で説明しようとした研究者もいた。とはいえこの結果を追試によって確かめる必要性は多くの研究者に共有された。 そして1993年、心理学者ローレン・ハリスが新たなデータを追加したうえ、解析法を変えて分析した結果、寿命に統計的な有意差は得られず、「左利きが生存に不利であるという仮説は支持できない」と結論づけた。その後、プロのクリケット選手、約6000名のデータで検証が行われたが、やはり左利きが右利きより短命という結果は得られなかった。またデンマークの利き手の違う双生児約100組の追跡調査でも、利き手による寿命の差は認められなかった。 ではなぜコレンらの研究では左利きで9年も寿命が短いという結果が得られたのだろうか。理由は、昔は左利きを右利きに矯正していたため、より古い時代に生まれた人ほど左利きの比率が低かったからである。生まれた年を考慮せずに、単純に寿命の比較を行ったため、長生きした人つまり古い世代の人ほど、もともと左利きの人が少なかっただけなのに、それを左利きの方が短命、と誤って解釈していたのである。 ゲノム解析が示す左利きの理由 2023年に発表された研究では、コレンらが使ったデータに、生まれた年ごとの左利きの割合のデータを加えて計算が行われた。すると左利きと右利きとの間に寿命の差がないと仮定した場合、見かけ上の寿命の差が約9年となり、コレンらの結果が再現された。というわけで、左利き短命説も左利き生存不利説も現在では完全に否定されている。 日本でもコレンの著書は翻訳され、ベストセラーとなった。邦題はより扇情的な表現が使われ、左利きの人の不安を煽るものになっている。日本のメディアでもセンセーショナルな報道がなされ、「左利きは危険」というフレーズが社会に広がった。しかし幸い日本の専門家の間では、証拠が不十分な段階で危険視したり利き手を矯正したりすべきでない、という姿勢が一般的であり、左利き短命説の支持者は限られていた。またのちに大路直哉が著書でそれを科学的には誤りである、と明言している。 なお近年のゲノム解析などによると、左利きは数十から数百に及ぶ多数の遺伝子が関わる形質である。また遺伝子だけでなく胎児期の発生過程で生じるゆらぎや、偶然の左右差などが組み合わさって生じる形質だと考えられている。左利きが生存に不利であるとか、疾患であるとか出生時の脳や神経などの異常であるとか、何らかの知的能力において違いがあるとかといったことを示す証拠はない。 左利き短命説は、左利きの人に対する根拠のない偏見がいかに誤った事実についての主張を導きうるかを示している。その主張は一見正しいが、実は偏見や差別意識のバイアス下で、データを誤って解釈したものにすぎなかった。そして掲載雑誌の権威を利用した主張が、既存の偏見や差別意識を正当化し、強化する役目を果たしたのである。 ヒトの適応戦略 適応とは、進化の主な作用の一つ、自然選択により、生存・繁殖に有利な性質が進化する過程と結果のことである。様々な生物の姿かたちや、繁殖・協力などの行動も適応を示す。ヒトも同様で、例えばヒトの肌の色の違いにも自然選択が検出され、紫外線などへの適応が推定されている。人間らしさ、知性や社会性を含め、行動の遺伝的基盤にも、非ヒトからヒトに至る過程で適応により形づくられた部分があると考えるのが合理的である。だが個体や集団による行動の差を、ヒトになって以降の進化で説明するときは、十分な注意が必要だ。 や協調性、攻撃性、学習、性的指向などのヒトの行動形質が、どんな複雑な遺伝的支配を受けているか、その環境との相互作用の仕組みがどうなっているか、私たちは依然として、そこに遺伝的要因が含まれていること以外、十分な理解には至っていない。 本章冒頭で紹介した例も、教育年数と遺伝子スコアに見かけ上関係があるというだけで、各遺伝子の働きは不明である。もちろん学習能力との因果関係が示されたわけではない。例えば遺伝子スコアが学習能力ではなく、子の数や出産年齢と関係している場合にも、子の数が少なければ子一人あたりの教育投資が増えるので、遺伝子スコアと教育年数の間に相関が生じる。さらにこの関係には、教育環境の地域差が効果に含まれており、それも考慮して家族内(兄弟姉妹)で比較すると、遺伝的に説明できる部分は約半分になり、さらに家庭環境などの影響も除くと3分の1に減ってしまう。従って実はこの研究では、遺伝子の効果はあるものの、個人の教育レベルを決めるのは主に環境や社会的要因であり、それを遺伝子スコアで予測することはできない、と結論している。 伝統的にヒトの行動形質の遺伝的背景は双生児研究で推定されてきたが、この方法では形質に対する遺伝的要因の大きさや作用の仕方、相関は示せるものの、どの遺伝子が関わるかは分からない。 一方、ゲノム解析の定番、ゲノムワイド関連分析(GWAS)では、行動・心理形質と関係するごく少数の遺伝子が検出される場合があるが、これも統計学的に強い相関を示す遺伝子が、あくまで性質を決める遺伝子の「候補」として推定されるだけである。例えば、ギャンブル好きだとか、危険運転しがち、というようにリスクをとろうとする性向には、少なくとも124の独立した一塩基多型(SNP)が関係すると推定されている。しかし遺伝子当たりの効果量はわずかで、社会環境によりその影響は大きく変わる。また実際には検出限界以下の小さな効果を示す遺伝子が多数存在する。示されるのは相関であってそれだけでは性質と遺伝子の因果関係や性質の遺伝的な制御の仕組みもわからない。 明確な遺伝的疾患によるものを除けば、現段階ではヒトの行動を司る遺伝子基盤の知識はごく限られる。その多くを適応だけで説明できるとみなせる証拠もない。性質に遺伝的要素があるというだけでは、その性質が適応で形成されたことにはならない。 このように遺伝的な仕組みの大半が不明であるにもかかわらず、どんな性質もまず適応で説明してみるという考え方を、適応以外の代替え仮説なしにヒトの行動や心理に当てはめるとどうなるか。適応による説明は、性質の振る舞いの由来を都合よく直感に合う物語にできてしまうので、偏見・差別の正当化や新しい偏見・差別の発生源になりやすい。そうした一見、科学的に正しく見える説明の例を挙げよう。 女性は排卵期になると、一時的に遺伝的に優れた資質を示す男性の形質、例えば左右対称性や男らしい特徴をより強く好む、という説明がある。生存率や出生率の高い父親の子はその遺伝的性質を引き継ぎ、やはり生存率や出生率が高い。すると排卵期にそうした男性を好む女性の遺伝的性質は、次世代を残すうえで有利になり、世代とともに集団中に広がる、と考えられるからだ。 1990年代末にネイチャー誌などで提唱されて以来、2010年頃まで男らしい顔や声、筋肉質な体格、支配的な行動への好みなど、これを示す結果がいくつも報告されてきた。さらにこれと関連して、女性は排卵期に自身のパートナー以外の(より魅力的な)男性への関心が高まるという結果も報告された。これはあるパートナーからは投資を確保し、別のパートナーからは優れた遺伝子を得るという過去の適応戦略を示す証拠とされた。 ところが2010年代半ばから、これら一連の研究を否定する結果が報告されるようになった。しかも研究手法の問題点が明らかになり、研究結果も再現されないなど、科学としての信頼性を揺るがす状況になった。 そこで2010年代末以降、実験結果を見て仮説を考えたり統計手法を選んだりするような不正を避けるため、研究開始前に仮説や手法をデータ管理システムで公開する措置がとられるようになった。十分な量のデータを使い、厳密なホルモン測定を行うなど、データの質の向上も求められた。また誰でも結果を検証し、再現実験ができるよう透明化が図られた。 その結果、これらのストーリーを支持するデータは得られなくなった。2021年に報告された研究でも、排卵期の性的欲求の高まりは認められたものの、筋肉量や優位性など特定の身体的指標に対する嗜好の高まりや変化は検出できなかった。 こうした信頼性のない研究事例は、一見もっともらしくて、偏見や直感に合う推論と、それに好都合なデータを拾ってしまうという失敗の結果、と考えられる。しかもこれらは行動の起源の推定でしかないのに、メディアやSNSで流通するうちに、それが遺伝子の指示する現実のように誤解され、特に女性に対する差別の助長・固定に利用されている。男らしさ=遺伝的価値という外見主義は正しく、男性の嫉妬・束縛も許容すべきなどと、性差別を正当化する役目を果たしたうえに、「女性は理性的な判断より生物学的衝動に影響されやすい」という歴史的な偏見を強化する役目を果たしてしまったのである。 特に米国では、男女差についての証拠に乏しい適応などによる生物学的な説明が、性差別の正当化に流用され、社会問題化している。 科学的に正しく見える主張が、本当に正しいとは限らない。また事実だという主張が価値観から分離できているとは限らない。行動の性差が過去の適応の結果であるという説明は、「有利=善」ないし「変えられない」という誤った価値観が絡む。これが不可視化されれば、容易に事実から価値・価値判断への飛躍を許してしまう。行動の性差は「変えられない」ものであり、かつ「善」なので、「差があるべきだ」という自然主義的誤謬が起きるのである。その性差が偏見や差別に関係する場合、それが事実だという説明だけでは性差別が正当化されるのを防げない。 こうした問題を引き起こしうる形質について、遺伝子と形質の因果関係をブラックボックスにしたまま望み通りのモデルをつくり、しかも厳密な証拠もなしに「価値中立」な科学的事実だとする主張が、いかに危険なものかわかるだろう。私たちは、科学的事実だとしてなされる主張に対し、事実の信頼性に加え、常にそれがどんな価値観の下でなされているかを意識しておく必要がある。 今のところ日本では倫理規定が機能し、ヒトの進化に関して差別的で問題のある研究は抑えられている。だが社会には欧米由来の信頼性のない言説や生物学で差別を正当化する誤情報が、普及書、SNSや動画などを通して拡散している。 男脳・女脳、遺伝子によるカップルの相性、上昇婚志向、社会的序列=遺伝子で決まる能力、民族や集団の習慣の違い=先天的能力差、などといった言説である。遺伝子スコアで学歴や年収が予測できるという一般向けの話も誇張であり、そのまま受け取ってはいけない。安易に欧米の研究成果を受容したり、中立的に紹介するのは極めて危険である。 近年、米国と英国を中心にヒト行動の進化を研究する一部の分野で、公開GWASデータの二次利用などにより、異なる人種や民族間の知能、教育水準、犯罪、性行動、経済力などの差が遺伝的な違いで説明できる、とする研究結果が多数報告されるようになった。しかもこれらの差の多くは、自然選択による適応で説明されている。 例えばある研究は、ヨーロッパの寒冷気候に対する集団レベルの自然選択が「高知能、利他行動、自己犠牲を含む英雄的行動」などの性質を進化させ、それが文化的に大きな進歩をもたらしたと主張している。また19世紀以降産業化や避妊の普及で知能の高い富裕層の出生率が落ち、知能が低下する方向に選択が作用していると警告している。 別の研究では、知的水準と西洋文明の衰退を防ぐための優生学的措置を主張しており、「多産で低知能の非西洋諸国」からの移民の危険性を説いている。進化学者ケヴィン・バードらによると、こうした人種差別を生物学的に肯定する「科学的人種主義」の論文や書籍が、2012年から2024年までの間に350件以上も発表されている。 新しい技術を利用した「価値中立」的で定量的な研究は気を抜くと「科学的に正しく」見えてしまう。だがバードらはこれら多数の研究が、どれも一般的な進化学や遺伝学の厳密さの基準を満たしておらず、信頼できないものだと指摘している。特に問題視しているのは、誤用と相関と因果関係の混同、遺伝子と性質の関係の軽視で、これらが人種的偏見に沿う誤った結論を導いていると指摘している。また彼らの中には「科学者として単に事実の報告をしただけであり、政策とは無縁」と主張する裏で、実はネオナチの活動家など極右の人種差別主義者と協力している者がいることから、彼らの価値中立や政治的中立の主張には偽装が含まれると批判している。 これらの研究の問題点は第一に、行動形質と遺伝子の関係をブラックボックスにしたまま、偏見に合致する適応物語をつくり、それに合う結果を相関と因果関係を混同させつつ導いている点である。第二に彼らは「科学的事実と倫理などの価値観は区別すべき」だとしたうえで、人種差別を正当化する主張を、「価値中立な生物学」あるいは「科学の政治的中立」を盾に、倫理的な批判を回避している点である。 言うまでもなく、遺伝的に人種を区別する考えは、現代の進化生物学・集団遺伝学の合意と矛盾している。にもかかわらずこうした研究が生産される問題に対処するため、バードらはより厳格な倫理基準や統計学的な基準を導入すべきだと提案している。また論文の査読者に、ヒトゲノムの専門家など異分野の研究者も含めるべきだと主張している。 最近、米国心理学会が人種差別に加担した過去の歴史を謝罪し、人種的な公正に努めると誓約した経緯があり、バードらの指摘はこの学会の動きと連携したものであった。ところが驚くべきことにバードらに対し、当該分野のコミュニティから反論が出された。バードらが挙げた論文のうち、厳密な「科学的人種主義」は4分の1程度で(それでも相当な件数だが)誇張がある、また検閲による研究の自由の侵害である、といった反論である。さらに彼らはこの批判を「科学に対する政治的攻撃」だと主張した。ただし科学的欠陥など、根本的な問題の指摘に対する有効な反論とはなっていない。また政治的攻撃という主張も、政治的中立の偽装という批判に対しては説得力を欠く。 なぜこうした疑似科学的な要素を含む研究が、研究者コミュニティの中で問題視されず、それどころか擁護されるのか。その理由はともかくとして、こうした研究は科学的中立の偽装による進化学の悪用であり、現実には自然主義的誤謬であり、優生学の再来である。これらの研究は、事実の誤りや信頼性の欠如の点でも許容できないが、仮に事実であったとしても、「価値中立」を前提とする説明の仕方は不適切であり、危険である。 学術研究は自由が原則だが、自由を守るには他者の人権や尊厳も守らなければならない。事実に絡む差別的な価値観に無頓着な主張は差別を正当化し、ヘイトスピーチを助長する。そうした事実の社会への伝え方には細心の注意がいるし、証拠は十分な厳密さが必要になる。それを怠ると恐ろしい害を社会に引き起こす。 2022年ニューヨーク州バッファローのスーパーマーケットで発生した銃乱射事件では、白人至上主義の犯人がアフリカ系米国人の買い物客を狙って銃を乱射したが、この犯人の犯行声明には人種差別を生物学で肯定した研究者の主張が使われていた。従って研究者は科学的事実だけでなく、自身の価値観を明示し、社会的責任を自覚した説明をすべきである。 実際、ヒトゲノム研究分野では、研究に伴うリスク、潜在的利益、倫理的責任を考慮する必要性が認識され、最近では厳密で具体的な研究指針が相次いで示されている。ほとんどマッチポンプとはいえネイチャー誌も2022年に示したガイドラインで、研究者が順守すべき項目として次のように記している。「研究成果が特定の集団(人々)に及ぼす可能性のある有害な影響を事前に検討すること。その成果が誤用されたり、結果として集団に危害が及ぶリスクを最小限に抑えるよう努めること。論文では、スティグマを生まない敬意ある表現を用い、当該集団の尊厳と権利を尊重すること」。 「科学的に正しい」の罠(SB新書) 「客観的」な事実はありうるのか? 「カンブリア爆発」は爆発ではない。自然科学における事実とそれについての説明は価値中立的であるべき。この原則自体が変わることはない。価値観で事実を決めれば、ルイセンコのような疑似科学に陥ってしまう。問題はどうやって少しでも現実をその理想に近づけるか、ということなのだ。 物理学や化学、生物学の基本法則に価値観が入る余地はない。法則に基づく技術もそれ自体は価値中立である。しかし、使い方も考慮に入れるなら、人間社会との関係も考えねばならず、価値観の介入は避けられない。さらにヒトに関係する医学や遺伝学、様々な利害が関わる環境科学では科学的事実に絡まる価値観の存在を無視できなくなる。系が非常に複雑で、長い時間軸が入るなど、現象に不確実性が増える場合も同様だ。 一つ例を挙げよう。「カンブリア爆発」とは何か、と聞かれたらどう答えるだろう。約5億3900万年前、ほとんどの動物の門が一斉に現れ、複雑な形態と多様性が爆発的に増加した進化のことだ。多くの人が、この説明を科学的に正しいと思うかもしれない。しかし注意してほしいのは、爆発とはどんな意味だろうか、という点である。 一般に爆発とは、物質が急激な物理、化学的な変化によって体積が一瞬のうちに増大し、破壊が起きる現象を意味する。それゆえ進化的な爆発とは、一瞬のうちに何かが飛び散るように、系統や姿かたちが一気に多様化するイベントと理解されるだろう。 ではこの場合、一気に、とはどのくらい短い期間の出来事だろう。信頼できる科学的に正しい説明として、身近にある高校地学や生物学の教科書などを見てほしい。あるいは地学関係の団体や文部科学省が発行している資料でもよいかもしれない。そこにはたいてい歴史年表が、現在から新生代、中生代、古生代、先カンブリア時代と時代を遡りつつ長い帯で記されているはずだ。そして古生代のカンブリア紀の期間(約5億3900万年前~約4億8700万年前)を示す帯の区画にそのイベントは「カンブリア爆発」というシンプルな記述とともに、一つの小さな点か矢印で示されていると思う。すると点で示されるくらい短い期間に起きた突然の多様化なのだ、と表を見た人は理解するだろう。確かに爆発である、と。 ところがそれは錯覚である。従来の狭い意味での「カンブリア爆発」でさえ、それが起きていた期間は、カンブリア紀の基底(約5億3900万年前)からカンブリア紀ステージ4上限(約5億900万年前)までの約3000万年に及んでいる。カンブリア紀全期間(約5200万年)の半分以上を占め、シルル紀の全期間(約2800万年)よりも長いのである。つまりそれは点ではなく帯として理解されねばならない。 こうした点による表記はかなり一般的で、多くの人に突然のイベントだと勘違いさせている。しかし実は、そもそも点と誤認させるような「一気に進んだ多様化のイベント」という20世紀後半に確立した見方自体、支持されなくなってきた。最近は、「カンブリア爆発」の始まりが先カンブリア時代末期のエディアカラ紀後期、5億7000万年前まで遡るとする解釈も有力になっている。またその方が現生生物のDNA配列から推定されていた分子系統樹とより整合的である。さらに「カンブリア爆発」を、オルドビス紀まで段階的に継続した、一連の多様化の現象として位置づける考えも支持を得つつある。 全体としては、先カンブリア時代後期に系統が遺伝的に分岐し、現生の動物門の大半が分かれてから、エディアカラ紀後期以降、骨格化の開始(化石として残りやすい)、門レベルの形の基本構造が分化、形態進化速度のピークと食物網の多層化、種・属の多様化速度のピークと食物網の複雑化、という流れがあり、狭義の「カンブリア爆発」は、おおむね2と3に該当する。 このように「カンブリア爆発」は、長い時間スケールで動物群に起きた漸進的、段階的で、多彩な要因が複合的に関与した多様化の現象と考えるのが適切である。それを一度に起きた突発的なイベントと捉えるのは誤りである。 研究の結果、従来の見解が覆され修正されるのは地質学では一般的であり、こうして科学は進展していくので、それ自体は好ましいことである。しかし「カンブリア爆発」の場合、なぜ一気に多様化が起きたかのように一般の人々のみならず、研究者まで誤認させてきたのだろうか。 もともとカンブリア紀に突然動物が出現した、という見方は20世紀初めの時点では一般的だったが、20世紀半ばには、その見方は化石記録の不完全さによる錯覚であり、実際には数千万年規模の緩やかな多様化だったと考えられるようになっていた。 しかし20世紀後半になるとカンブリア紀の保存の良い化石の研究が進み、この時代に飛躍的な多様性が生じたという見方が広がった。そして1990年代には「カンブリア爆発」が、突如として進んだ「生物進化のビッグバン」であるというコンセンサスが成立した。ただし当時でも突如と言いつつ、古生物学者はそれに500万~1000万年という期間を想定していたことは注意が必要である。 21世紀になり、化石記録データベースの整備と年代測定の高精度化が進むと、状況が変わった。従来の定説への異議が高まるとともに、それまでの問題が明らかになった。保存状態が卓越する一部地域・環境の化石記録だけに研究が集中し、そのローカルな情報がすべての動物群に起きた地球規模のイベントとして拡大解釈され、物語化されていったのである。それ以外の時代や地域の化石記録は無視されるか軽視される傾向があった。また一次資料のフェイク、年代測定の誤差、遺骸の保存状態の悪さによる化石記録の欠落、長期の浸食による地層のギャップのため、動物の出現時期を読み誤った。 なぜ「爆発」神話が生まれたのか。この「爆発」というネーミングである。この「爆発」という言葉が喚起するイメージは生々しく強烈である。ところが地質学者ジェイコブービーセッカーらによると、驚くべきことに誰が「カンブリア爆発」という用語をつくったのか不明なのだという。進化学で最初に爆発的進化という言葉を使ったのは、総合説の立役者の一人、ジョージ・ゲイロード・シンプソンだが、それはほかの時代にみられる急速だが漸進的な多様化-適応放散の意味だった。しかもこの意味に対してさえ、数百万年というスケールの多様化に爆発という言葉は不適切という批判があり、ほとんど使われていなかった。 「カンブリア爆発」という言葉が最初に登場するのは、1961年に米国で出版された生物学の高校教科書で、章の見出しだったという。その3年後、この名称は初期地球の大気組成の変化を意味する語として論文にも登場し、以降は生物進化の意味でも使われるようになったが、当初は意味もまちまちで、突如として進んだという印象を与えることになった。 発的なイベントとしては捉えられていなかった。しかし1980年代になると、大量絶滅が小惑星衝突で起きたという説が認められるなど、カタストロフィックで不連続な歴史観が支配的になり、爆発という言葉が意味する「突発的な一大イベント」の物語の受容が進んだ。そして1989年にスティーヴン・J・グールドが出版した『ワンダフル・ライフ』で、この言葉と物語が一般社会にも広まった。サイエンス誌やサイエンティフィック・アメリカンなど科学雑誌、メディア報道が「進化のビッグバン」という表現を使ってこの物語を喧伝した。 この言葉が研究の旗印となったことで、その「物語」に対し集中的な研究が行われ、初期の生物進化に対する理解も進み、発生学と進化との関連が総合的に議論されるなど「イベント」化が進化学の発展に貢献した側面があったことは間違いない。だがその一方で、誰からともなく使われ始め、広がり定着する過程で、言葉はその起源や本来のニュアンスが忘れ去られていく。「カンブリア爆発」は、20世紀末までに科学論文だけでなく一般向け記事や教育教材、博物館展示などあらゆる場面で突発的イベントの意味で使われるようになり、いわば「ブラックボックス化」した科学概念となった。 「カンブリア爆発」を含む論文はメディアの注目を集める雑誌に定期的に掲載される。理由の一つは、キャッチーな見出しを求める読者を引きつけるからだろう。恐らくそのせいで、「生命は一夜にして現れた」という聖書的イメージに重なる突発的出現の考えがメディアでも人気を集め、多くの読者を獲得してきた。中には「爆発の瞬間」をカンブリア紀基底部にぴたりと指し示す論文著者もいる。こんな極度の単純化が、高インパクトの科学雑誌の論文にさえ見受けられる。しかし「爆発」などなかったのだ。 古生物学者トマーセルヴエらはこう記し、「爆発」の語を避けるよう訴えている。この経緯で注目すべきは、「科学的な正しさ」が化石の客観的データだけで決まるわけではなさそうだ、という点である。用語のインパクトや人々の価値観、研究資源の偏り、メディア報道、教育、政府発行の資料といった社会的制度的要素が互いに呼応しつつ強化され、異なる見方を押しのけてきた可能性がある。 「カンブリア爆発」という言説は、実際の出来事の観察だけでなく、その言葉が持つインパクトや、専門誌、メディア、教育カリキュラムといった知のネットワークによって強化されつつつくり上げられた「事実についての言説」である、ともいえるだろう。さらに断続平衡説、科学のパラダイム・シフト論の流行、ビッグバン宇宙論のように1970~90年代に様々な分野で共有されていた不連続的飛躍的なイベント志向の知の枠組みが生んだ歴史的な産物である、という見方もできる。一方、この枠組みに合わないほかの視点、例えば漸進的なシナリオとそれに合致する用語などは排除され、「突発的なイベント」というイメージが「自明の歴史的事実」として固定化されたというような説明ができるだろう。 ミシェル・フーコーは学問的な知をめぐる言説の「正しさ」は、権力から自由ではないと述べているが、確かに派手で目を引く言説が、有力雑誌への掲載やメディア露出、研究資金配分に有利になる体制は、その言説を正しいものとして可視化し流通させる権力作用であるといえる。科学的事実を説明する用語も、その「正しさ」に影響する。爆発という言葉の意味は、その言葉を使うたびに変化が避けられない。なぜならそれは「爆発ではない状態」と「漸進的」とのコントラストでしか語れない言葉だからだ。ジャック・デリダは、言葉の意味がほかの言葉との差でしか成立せず、またほかの言葉も同様にそれ以外の語との差でしか成立しないことから、言葉の意味は読まれるたびにスライドしていかざるを得ないと指摘した。 ではこの意味のズレが累積し、独り歩きを始めるとどうなるか。ジャン・ボードリヤールは、現実を表す記号・比喩が独り歩きして現実を超えてしまう可能性を論じた。この考えに従うと、「カンブリア爆発」という用語も、もともとは観察事実の比喩だったものが、爆発という強烈な言葉が独り歩きし、繰り返し用いられるうちに、あたかも本当に突然の「大爆発」が史実であったかのような「超現実」を生み出したと説明できるだろう。 さらにこの「超現実」は、論文、教育、展示、映像メディアなどを通じて伝えられるうちに当初の命名の経緯や批判は忘れられ、当然の科学的事実としてその説明の問題点が問われることはなくなっていったのかもしれない。このような社会ネットワークを介した既成事実の構築を、ブルーノ・ラトゥールはブラックボックス化と呼んだ。どうやらこの経緯を踏まえると、現実には「科学的な正しさ」は客観的な事実のみで決まるとは言えないようだ。しかも事実さえ、価値や価値判断から自由だとは言えないかもしれない。ただし、仮にそうだとしても私たちは正しさへの希望を捨てる必要はない。なぜなら積み重ねた膨大で多元的な事実の整合性とオープンで自由な対話を経た合意に基づいて、「カンブリア爆発」は突発的なイベントではなかったと、より価値中立的な主張へと修正できるからである。むしろこうして必要なら多くの人々の手で修正されることが自然科学の信頼性の根本だと言える。 化石の記録というデータそのものは変わらない。そのデータをどんな事実とみるかの枠組みが変わりうることを意識していれば対処は可能だ。私たちは今、6度目の大量絶滅の只中にいる。生物多様性の起源にまつわる、遠い過去の事例を挙げたので、もう一つ今度は、生物多様性の結末に関わる現在の事例を挙げよう。「私たちは今、6度目の大量絶滅の只中にいる」。過去の地球では白亜紀末の隕石衝突で起きた恐竜などの絶滅イベントを含め、全部で5回の大量絶滅と呼ばれる、生物の大規模な消滅が繰り返されてきた。現在の地球では人間活動により多数の動植物の系統で絶滅が進行しており、その規模からみてこれは進行中の新たな大量絶滅なのだという。 この「6度目の大量絶滅」という説明は科学的に正しくかつ早急に対応すべき事実として、広く社会に受け入れられている。これに疑問を抱く人は少ないだろう。ところが古生物学者ダグラス・H・アーウィンは、この説明を「シャングーサイエンス」と批判した。「まがい物の科学」である。シャングーサイエンスは疑似科学とは異なるが、それと一部重なる以下のような性質を持つとされる。まず、データの質や統計手法が不適切で、再現性に乏しい。第二に、特定の利害やイデオロギーに基づく恣意的な説明を含む。そして科学的反論よりもレトリックによる説得を試みる。 例えば優生学もシャングーサイエンスの要素を持っている。生物統計学や家系分析という科学の手法を用いつつ、それを恣意的に運用した点や、遺伝学による説明をプロパガンダに利用した点は、シャングーサイエンス的である。ではなぜアーウィンは「6度目の大量絶滅」という説明をシャングーサイエンスと呼んだのだろう。まずそもそも現在の人為的な絶滅は、過去の大量絶滅のレベルに達していない。それなのに現在の絶滅を安易に過去のイベントと同列視するのはシャングーサイエンスだ、という批判である。 例えば過去の大量絶滅では広域に分布する貝類など海洋性の種が急速に絶滅したが、そのような種の絶滅は今のところほとんど起きていない。大量絶滅の定義は200万年以内に75%以上の種が絶滅することだが、単位時間当たりの人間活動に起因する絶滅速度はそのレベルに達しておらず、化石記録の大量絶滅に比べ規模が一桁どころか二桁以上小さい。過去の大量絶滅は、生態系-食物連鎖の崩壊が本体であり、その基盤をなす種の消滅のような、崩壊の兆候はまだ観測されていない。また人為的な絶滅は100~1000年単位の観測値であり、それを1万~100万年単位の化石記録の平均と比較するのはそもそも無理がある。 アーウィンの批判の核心は、「6度目の大量絶滅」というセンセーショナルな比喩で、思考停止に陥っている、というものである。「カンブリア爆発」という言葉によって生まれた超現実が、出来事の客観的な観察から導かれる事実を上書きしたように、「6度目の大量絶滅」という言葉もまた、科学的な議論を曖昧にし、誤解を招く可能性がある。 が、本当はそうでないにもかかわらず、今の世界を大量絶滅という超現実で置き換えてしまっている、というわけである。 確かにこの言葉がメディアの注目を集め、ベストセラー本のタイトルとなる理由の一つは、「大量絶滅」という終末論的な言葉が引きつけるからであろう。そしてこの超現実が一般向けの著書や教材、展示、メディア、SNSなどを通じて流通していくうちに、既成事実としてブラックボックス化していく点も「カンブリア爆発」のケースと似ている。 アーウィンによれば、もし本当に今の地球が大量絶滅の只中なら、もはやそれを止めるのは不可能だと主張する。大量絶滅なら雪崩のように生態系ネットワークが崩壊していくはずで、それを止めることはできないという。逆に言うなら、今の段階で手を打てば、本当の大量絶滅に至るのを防ぐことができるかもしれない。 この批判に対し、生物学者を中心にいくつかの反論がなされている。化石記録の絶滅率は長期平均、人為絶滅は短期間に観測されたスナップショットなので比べられない、という論点については、測定間隔の違いに伴う測定値の変動を補正することで、過去の大量絶滅との比較が可能であるとし、少なくとも脊椎動物では、化石記録で認められる通常時の絶滅率を10倍から100倍の桁数で上回るという。 2022年には進化学者ロバート・カウイらが、「6度目の大量絶滅—事実か、フィクションか、それとも憶測か」と題する論文を発表し、「我々は大量絶滅がすでに始まっていると考えており、これを否定する人々に対抗するための議論を提示する」と記して、アーウィンらに戦いを挑んだ。 カウイらはレッドリストのデータベースは、絶滅の推定や評価に偏りがあるとして、レッドリストから漏れている無脊椎動物の絶滅率を加味した計算結果を報告した。それによると真の累積絶滅率は、最近500年間で約7.5~13%に達しているという。絶滅種数は15万~26万種に及び、年間300~520種の絶滅が起きている計算になる。これは通常時の絶滅率の100倍から1000倍に達する。 この結果からカウイらは、すでに6度目の大量絶滅が始まっていて、現在はその加速段階にあると結論づけた。一方、生態学者のジョン・J・ウィーンズらは2025年に発表した論文で、人為的な絶滅を過去の大量絶滅と同一視したり、現在の脅威と直結させたりすることには慎重であるべきだと指摘している。 例えば人為絶滅で求められた絶滅速度は、一時的な上振れかもしれず、もしそうなら大量絶滅以外の時期にもスパイク的に観察されうる速度である。また現生生物で推定に用いられた絶滅は主に島嶼種に集中しており、化石記録で観察される絶滅とは異質である。こうした点から彼らは、むしろ現在直面している主要な脅威を特定し、絶滅危惧種を個別に救う実践に集中すべきだと提言している。大量絶滅か否かのラベル論争より、現在の正確な絶滅率の把握と、推定された脅威ごとに具体的な対策をとるべきだという。そして不確実な遠い未来予測をもとにセンセーショナルな用語を乱用すると、生物多様性の保全、さらには科学全体の信頼性を損なう恐れがあると主張する。 「6度目の大量絶滅」の説明が孕む問題は、「カンブリア爆発」の場合と類似している。強烈な印象を残す比喩による社会に向けた訴求度の高さや、科学的議論を劇的な物語へ導く危険性がある点で両者は共通している。現状を過去の大量絶滅のように過大評価してしまうという懸念は、過去の進化速度を瞬間のイベントかのごとく過大評価してしまう問題と対応する。いずれも唐突に訪れる世界の始まりや終末のような宗教的な価値観が事実の説明に組み込まれているのである。 だが意外に思われるかもしれないが、私の考えは「6度目の大量絶滅」という言葉を使う説明に対しては、必ずしも否定的ではない。「カンブリア爆発」と「6度目の大量絶滅」は、いずれも地球史に関わる科学的事実の主張のように見えるが、実は大きな違いがある。「カンブリア爆発」は価値観を分離すべき自然の歴史的事実についての主張であるが、「6度目の大量絶滅」はそうではない。「カンブリア爆発」は純粋な基礎科学の課題であり、説明には正確さ、厳密さ、客観性だけが求められるが、「6度目の大量絶滅」は、私たちが今直面している問題の解決という目標が暗黙の裡にあるため、説明の正確さだけでは足りないのである。 この言葉の背後にあるのは、アーウィンが想定しているような、単なる事実の主張ではない。現在の地球が迎えている危機的な状態が、どのような位置づけにあるかを把握して対処しなければならない、という倫理感である。もともと現在の生態系に起きている問題を社会全体で解決しなければならない、という価値判断が絡み合っているのである。 地球の生命は何度もほとんど全滅に近い危機にさらされてきたという大量絶滅の事実は、ヒトを含め現在の地球の生命も決して安泰ではないという予測につながる。現在直面している急速な絶滅という事実に対し、明確な、歴史的意義づけのできる概念がない場合、その脅威を社会に伝える手段は限られてしまう。それゆえ科学的にみて歴史的事実と現在の絶滅との間に、何かしらの共通点が見つかったのであれば、それを根拠として明示する限り、大量絶滅の表現は許容範囲であろう。 その意味で、アーウィンの「大量絶滅という用語を使った思考停止」という批判は一理あるが、十分とは言えない。むしろ、現在の地球環境が直面している事実を歴史の中に位置づけることにより、一般社会に向けて危機意識を伝え各人が周りで起きている問題の解決に向けて行動するよう期待するメッセージの役割を持っている。従って一般向けに協力者を募る説明としては、一定の正当性を持ちうるのである。 とはいえ、もちろん事実の主張として誇張があったり、実際と異なる表現を用いたりするのは不適切である。だが大量絶滅と呼ばれる現象自体、かなり幅のある異質な現象の寄せ集めにすぎない。総種数の75%以上の絶滅を大量絶滅とする基準も、海洋生物の化石記録からかなり便宜的に決めたものであり、大量絶滅の論文が発表された当初の基準とは異なっている。過去5回の大量絶滅は、急激な環境変動が絶滅に絡む点では共通しているが、その要因も引き金も隕石衝突(白亜紀末)、地殻活動(ペルム紀末・三畳紀末)、海水準変動ないし寒冷化(オルドビス紀末)というように多彩である。また食物網が崩壊し、新しい生態系にリセットされた点で共通するが、絶滅が起きている期間の時間スケールも、回復にかかる期間もまちまちである。 もともと現生生物種と化石種は、種の定義も異なるので種数は比較できないが、種数に対する絶滅種の割合—絶滅率は大きく変わらないだろうと仮定はできる。大量絶滅の基準自体に恣意性があることを踏まえると、この仮定のもとで100~1000倍も絶滅率が跳ね上がるというパターンが観察されたという事実から、過去5回と同レベルの大量絶滅が始まったと結論するのは不適切とは言えない。 価値中立な基礎科学なら、こうした共通性の存在を説明して、その意味づけをするだけにとどめるべきだが、その意味づけを社会へのメッセージとして伝えて人々に行動変容を促す必要があるなら、これを「6度目の大量絶滅」と呼ぶことは許容範囲であろう。 ただしそれには条件が必要だ。過去の大量絶滅との比較は現時点での絶滅速度が基準であると明示し、説明のブラックボックス化を防がなければならない。また主に陸域で観察されている絶滅だと但し書きも必要だ。さらに現在はまだ入り口に差し掛かった段階であると併記して、「大量絶滅」という言葉が持つ刺激を弱め、かつ危機を煽る要素を減らし、中立的な意味に近づけなければならない。あくまで現在の生態系が直面している状況を、過去に照らして人々にわかりやすく伝えることを目的とし、いつまでに大量絶滅を止める、という具体的な行動目標とセットで語るべきである。 こうした条件が満たされれば「6度目の大量絶滅」という言葉は、この脅威を防ぎ、地球上に住むすべての人々にとっての重大な資源の損失を回避する、というメッセージをあらゆる立場の人々に正しく伝えるうえで効果的である。ただしそれが諸刃の剣であり、安易に使うとシャン。 グーサイエンス化しうることにも注意が必要だが。生物多様性の保全についてのウィーンズらの提言は、専門家集団だけに向けたものであるなら正論であるが、保全政策は専門家集団だけが関わるわけではない。保全政策の利害関係者には幅広く非専門家が含まれる。社会に向けて開かれた議論と合意形成が必要な場面では、非専門家に向けて異なるアプローチが必要になる。専門家集団だけが正確な語彙と、科学的な厳密さを独占すると、市民のアジェンダ設定の権利を奪い、エリート主義に陥りやすい。また個別の脅威の解決には、その問題に直接関わる一部の関係者だけでなく、社会全体で問題の背景にある危機意識を共有しておく必要がある。 ウィーンズらの考え方は、生物多様性の保全が社会的な価値観から切り離して進められることを前提にするなら妥当だが、そもそも生物多様性という言葉自体、価値観や価値判断がしっかり絡みついており、この前提は成り立たない。生物多様性は、遺伝子の多様性、種の多様性、生態系の多様性の三つのレベルで構成されている。このうち種のレベルは特に注目度が高く、その多様性を全体的な指標として用いたり、その維持を保全目標としたりすることが多い。 多様性という言葉は1970年代までは進化学や生態学においてほぼ価値中立な用語であった。種多様性は、群集を構成する種の数と偏り具合(均等度)を表す概念で、多様性の高さは単なる事実であり、種多様性の高い群集の機能が高まるかどうか、安定化するかそれとも不安定になるかは、ほとんど価値中立的な経験主義の問いであった。しかし1970年代末に保全生物学が成立して以降、多様性は善である、という価値観がこの言葉に絡みついた。また社会的に高まった反差別の気運の影響で、生物の多様性に本来それとは全く無関係な多様性の意味が重なってしまった。 多様性=善、というロジックはそのままでは自然主義的誤謬なので、種多様性が高いと生態系の機能が高まるとか資源が豊かで環境が安定し、害虫や疫病の発生を抑えるとか、心の安らぎや観光に貢献するとか、オプション価値として残す価値があるなど、道具主義的な理由でギャップに橋を架けている。あるいは保全生物学の創始者の一人、マイケル・ソーレが説いたように、生物の多様性を守ることは道徳的な義務である、つまり倫理的に生物多様性=善と定義づけてしまう場合もある。 現実的には生物多様性という言葉から、それに深く食い込んでいる価値観を取り去るのは困難である。しかもその価値は決して堅牢な橋になるほど自明でも普遍的でもないほかの価値観との兼ね合いで相対的に価値を失う場合もある。実際トランプ政権は社会であれ生物であれ、多様性=悪という逆のレッテルを貼って価値観を反転させている。従ってそれは一歩間違えると多様性が高いという事実から善という価値観と、善なる多様性を守るべきという価値判断を直接導く形になる。その点で(進化的に優れるという想定の)白人や社会的エリートを守るべきという価値判断を進化の事実から導いた優生学と、類似のリスクを抱えている。実際に保全生物学の源流である自然保護の思想自体、20世紀前半の植民地主義と人種差別、そして優生学と密接に結びついていた。 もともと進化・生態学者は、科学的な客観性を重視する価値観をもつ一方で、その多くがそれと一見矛盾する価値観も抱えている。例えば米国生態学会員の約6割が環境保護団体からの研究資金援助を科学の中立性を損なうものと考えている一方、約9割が、日常生活では環境を守る行動を重視する価値観を持つという。こうした二重の価値観を自覚せず、無意識に混同すると、科学的事実の説明が偏る可能性がある。 例えば彼らは、生物群集の状態を数値指標で客観的に記述することを重視すると同時に、その状態を「健全」「劣化」と表現することがある。これは自然度が高い、多様性が高い、外来種が少ないなど特定の状態を「善」と見なす価値観の表れである。さらに調査で得られた事実の説明から、ではどうするかという対策の選択をするときにも、価値観は客観性を歪めるバイアスとなりうる。科学者の助言は本来、考えうるすべての選択肢を示し、それぞれの利点・欠点と、どのような価値判断が関わるかを示すべきである。しかし価値観を自覚しない研究者は、自分の好む選択肢だけに絞って「科学的にこの結論しかない」と説いてしまう。あたかも純粋に客観的な科学的事実であることを装いつつ、実際には特定のイデオロギーに基づく政策や立場を推進してしまう危険性がある。 こうした不可視化された価値観ゆえに、野生動植物の科学的管理は容易に排外主義的プロジェクトとなりうる。反差別の意識が普及したはずの21世紀になってさえ、アフリカや東南アジアでは野生動物保護区の設置の過程で、「科学的に正しい」保全対策だとして、その土地で代々生活を営んできた人々が排除され、生計の道を絶たれる事態が頻発した。またその非人道的な保全対策を支援するのが、欧米の科学者、NPO(非営利組織)や企業、国際機関だという、かつての植民地主義時代の欧米列強による搾取と同じ構図の存在が問題視されてきた。 さらには生物多様性を守るため、地球の半分の土地を保護区にするという政策が、欧米の進化学者により提案され、欧米の研究者や環境NGO(非政府組織)や政治家から支持を集めている。原案ではほぼ無人の保護区の想定だが、それが集中するのは大半が熱帯地域で、影響を受ける数億人もの貧困層を主とした地域住民への言及はない。「科学的に中立で正しい政策」の名のもとに、住民の強制排除や差別、権利侵害を生み出す可能性が無視されている。そのためこの政策は、植民地主義と同じく地域住民の抑圧につながり、大規模な不正義をもたらすとして批判されている。 こうした非人道的保全は、ヒト行動の遺伝子決定論が、価値観を科学的事実の説明から完全に排除できると過信する結果、優生学に陥り人権侵害を引き起こすのと似ている。このようにもともと生物多様性の保全は、一歩間違えるとシャングーサイエンスに陥るリスクを孕んでいる。必要なのは、研究者が自らの価値観や立場(事実の提供者の立場か、それとも特定の価値観に基づいて意見を述べる立場か)を自覚すること、そして他者の価値観に注意を払い、対話と相互理解に努めることである。また一般の人々は、研究者が今「客観的な事実を提供する人物」として話しているのか、それとも「特定の価値観の下で意見する人物」として話しているのかを意識する必要がある。 生物多様性の保全のように、価値観によって問題の解決策や研究の方向性が決まるミッション駆動型科学では、人々の立場による利害対立があるのが普通である。この場合、科学的事実とそれに絡む価値/価値判断を分離するのは困難である。逆に両者が絡んでいることを前提とした対応が必要になる。それにはまずどこにどんな価値観が絡むかを可視化し、価値観によるバイアスを評価しなければならない。さらに判断を下す際には、利害関係者を含め、あらゆる人々に開かれた議論が欠かせない。「科学的に正しい」判断を専門家だけの閉じた議論で決めるのではなく、様々に異なる価値観を持つ利害関係者すべてが意思決定に至るまでの場に参加できなければならない。 これがシャングーサイエンス化や優生学化、さらにはルイセンコ化や疑似科学化を予防するための重要な仕組みの一つである。次章では、なぜこうした「価値観を排除しない科学的な正しさ」の考え方が定着したのか、その経緯を追ってみたい。 「科学的に正しい」の罠(SB新書) 「大きな物語」への不信 20世紀前半猛威を振るった優生学や人種差別への反省は、20世紀後半以降の人文社会系学問の重要な課題だった。彼らの中には、かなり早い段階から「正しさ」そのものに対し懐疑の目を向ける者がいた。事実やそれについての説明の「科学的な正しさ」は、実験で得られたデータを通じた検証や、実際の出来事の観察だけで、あるいはそもそも客観的な事実だけで決まるのだろうか、というのである。 もしそうなら私たちはどう「正しさ」に向き合えばいいのだろう。これを考えるために、少し歴史を振り返ろう。西側諸国では優生学、東側諸国ではルイセンコの厄災がひとまず収束し、冷戦の固定化とともに新しい社会秩序の構築が進み始めた1960年代に時を移そう。 ちょうどこの時代、知の領域で「正しさ」を動かす仕組みを分解し、そこにどんな仕掛けがあるかを暴こうとする思想家が現れた。それは西洋の近代が抱える知のあり方への反省であり、近代が自負した普遍的合理性への疑問であり、人文社会学のなかで醸成されてきた反差別・反権力・相対主義を推進力に含んでいた。特にフーコーやデリダといった思想家たちの考え方は大きな影響力を発揮し、文化や芸術などの世界で思想的な一大潮流として広がった。いわゆるポストモダンと呼ばれる潮流である。 彼らの思想は、19世紀末以来、優生学や社会の進歩主義との戦いを経て、文化の相対主義を中心教義に据えた20世紀後半の文化人類学において、ひときわ重要であった。相対主義的な見方を徹底すれば、異文化を研究する文化人類学者自身、自らが属する文化からの視点から逃れられない存在であること、また研究成果も常に再解釈の余地があることを認めなければならなくなる。あらゆる知識の客観性や単一の「正しさ」を疑い、自らの権力関係や主観に自省的で、異質な視点と語りを並列させる傾向も強まっていかざるを得ない。そのためには物事や概念の前提を疑い分解して、その裏にあるものを見つけ出す方法論-脱構築が必要になる。1980年代以降、文化人類学はその思想を理論ツールとして取り入れた。 「ポストモダンとは、大きな物語への不信である」とシャン=フランソワーリオタールは1979年、ポストモダンをこう定義した。もはやこの世界はこう進歩しこう改善される、という壮大な筋書きは成り立たず、学問・政治・経済・宗教なども、その筋書きに自らを位置づけて「だから正しい」とは言えない状態だ、という指摘である。普遍的な正しさが存在しない以上、領域ごとに暫定的な合意とルールを構築しつつ、ほかの領域を排除、支配しない形で、互いに調整しつつ進むしかない。 例えばフィールドワークで異文化を理解しようと努める過程で、自分たちの常識もまた、数ある文化の一つにすぎないことに気づく。この発見は、他者の姿を通して自分たちを映す鏡となり、異なる立場同士が対話できる土壌をつくり出す。こうした形で文化人類学は社会に貢献できる。 こうした多元主義、相対主義の受容が進む中で、20世紀後半、文化研究の場では、真実や正しさの意味はどの角度から見るかで変わり、多元的な解釈が可能であるという考え方が広がった。ある対象に対し、異なる人々が異なる意味づけをするのは当然のことであり、それらの間に優劣はないのだという立場である。 この立場では、科学も数ある言語ゲームの一つであり、再現性、予測、反証可能性、データによる検証と専門家コミュニティの暫定的な合意、というローカルなルールで評価されるものという位置づけになる。科学的な正しさの価値は「世界を進歩させる真理」ではなく、どの程度役に立つか、というようなローカルで暫定的な根拠によって社会的に正当化される。 科学は文化の産物で、真理はいくつもある。しかし、もしこの考え方で現実の科学や知識を解釈したらどうなるだろう。科学もまた文化の産物だとするなら、「科学的な正しさ」「真理」の相対化は避けられない。 この流れは1960年代には始まっていた。トマス・クーンは、著書『科学革命の構造』で、科学的な正しさ(何か「正しい」と認められるか)は、絶対的で普遍的な基準に基づくのではなく、ある時代や科学者集団が共有する理論的枠組みや価値観(パラダイム)に大きく依存している、と指摘した。イムレ・ラカトシュは、ある説明が観測事実と合わなくても、科学者はそのコアとなる仮説を変えようとしない、と考えた。まず補助仮説だけ修正し、その後予測の的中度が十分劣ると判断した段階で、ようやくコア仮説ごと別のものに置き換える。 説明に乗り換えるという。ラリー・ローダンは、「何をどう研究すべきか」という共通の考え方の枠組みの中で、科学者たちが「理論」「方法論」「目的(価値観)」という三つの要素を関係させつつ研究活動を行うと考えた。ここでは科学の進歩とはどれだけ真理に近づくかではなく、これらの要素がどれだけ首尾一貫して効果的に問題を解決できるかを表すものとなる。 そしてついに1970年代末にはより挑戦的な形で、科学もほかの文化現象と同じく社会的につくり出されるとする、科学の社会構築主義が唱えられるようになった。この立場をはっきり主張したのがラトウールである。彼らは文化人類学の伝統的なフィールドワークの場に科学の実験室を選び、民族誌研究の場合と同じく、研究者がそこでどのように振る舞い、実験を行い、相互にコミュニケーションをとり、研究結果を生み出しているのかを詳細に記録したのである。その観察から、彼らは「科学的事実」は客観的に発見されるものではなく、実験室という人間関係やそれを取り巻く社会的状況の中で構築されていく、ということを指摘した。 事実の核になるのは測定値や写真など出来事の痕跡であり、これが論文、図表として記号化されて事実らしさを獲得していく。研究結果を事実として認知させるには論文の共著者や査読者、引用者、資金提供者、実験装置を動員して味方を増やす必要がある。その過程で投下された労力や資源が信用となり、次の実験に投資されるという信用の循環が出来上がる。研究室のボスのネームバリューと研究室の設備も重要な要素であり、若手はそのネットワークに参加することで理論の枠組みや知識、スキル、信用を継承する。 1991年に出版されたこの挑発的なタイトルを冠した著書でラトウールは、近代が想定した「自然」と「社会」の区別は、そもそも存在しなかった、と説いた。近代社会は客観的事実としての自然と主観的価値に基づく社会を明確に区別し、科学を自然という客観的事実を純粋に探究する営みとして位置づけてきた。しかし実際の科学もまた社会的・政治的プロセスと結びついており、この二元的な区別は、現実には成立していない、という意味である。つまり事実と価値ないし価値判断は分離できない、というわけである。 ちなみにラトウール自身は二分法やラベル化を嫌い、自らをモダニストではないがポストモダニストでもないと主張していた。しかしその顕著な科学相対主義の主張から、ポストモダニストたちからは「我が陣営」と見なされ、ポストモダニストと敵対する陣営からもポストモダニストの首領と認定されていた。 サイェンス・ウォーズ(科学戦争)という物騒な名のついた論争が1990年代、米国を中心に火を噴いた。「科学は実在する対象を扱い、理論は現実の構造を正しく反映し、科学の進展で理論はより正しく世界の実在を説明できるようになる」と考える自然科学者(物理学者や数学者、生物学者)と科学を批判するラトウールやポストモダン思想家とが、科学の客観性をめぐって衝突したのである。 自然科学者側は、研究テーマの選択や応用などに価値判断が絡むことを認めるものの、事実そのものの正しさの判定は、再現実験・観測・仮説検証により価値判断と切り離せるし切り離すべきだと主張した。また、科学も一つの物語にすぎないというような相対主義は、「科学教育や科学への信頼を損ない、災いをもたらす」と警告した。一方ポストモダニスト側は、「科学理論も社会的な構築物。事実は社会的合意であり、価値と不可分」と応戦し、「真理やその判定基準自体が歴史的に構築されたもの」と主張した。 そして1996年に勃発したのがソーカル事件である。物理学者アラン・ソーカルが、意図的に書いた一見難解だが、実はデタラメな内容の論文をポストモダン系の専門誌に投稿したところ、掲載されてしまったのである。論文掲載後、ソーカルはそれが虚構の論文を使った実験であり、内容が無意味でも掲載されることが実証されたと暴露するに及び、論争は感情的な騒動となってしまった。 その翌年、ソーカルと物理学者ジャン・ブリクモンは共著で『「知」の欺瞞』を出版、ポストモダン思想家が論文や著書で使用する数学・物理学の専門用語と概念の無意味さや、科学概念の濫用を指摘し、彼らの「科学理論も物語の一種」「科学の真理も社会的構築物」という主張を徹底的に批判した。『「知」の欺瞞』はサイェンス・ウォーズにおける決定的な一撃となった。そして以降のポストモダン思想の退潮を招く契機となった。 この一連の騒ぎについては、当時日本でも多くの議論や解説がなされたので、ここではこれ以上深入りしないが、この論争を一方的に自然科学者側の勝利と位置づけるのは、フェアではない。1990年代末から2000年代初頭にかけて、自然科学と人文学の断絶を修復し、一つにつなげようという試みが進んだ。 例えば文化人類学でも極端な社会構築主義は退き、新しい分析手法や経験的手法を用いる、バランスのとれた研究が展開されるようになった。構築主義の考えは、穏当で実践的な形に整備され、手法に標準装備されたほか、研究手続きや倫理コードに組み込まれた。 だが実は、この論争でポストモダン側が投じた揺さぶりに対し、より大きな影響を受けて考え方を修正したのは自然科学者側だった可能性がある。その影響は遅効性の薬剤のように、徐々に浸透していったように思われる。かつてのポストモダン側の科学相対主義や社会構築主義の主張は科学を社会的プロセスとして理解し、逆にその信頼を制度的・文化的に下支えするツールとして科学の営みの中に組み込まれつつある。 これは20世紀後半、原発事故や化学汚染などを経て、近代社会が科学技術のもたらす新しい危険に自覚的になったという経緯とも関係している。科学者がこうした科学のリスクに対処する制度や知識のあり方、そして社会的責任を考え直し始めたのである。その結果、科学・技術の成果がどう社会に影響し、社会の中で科学・技術の望ましいあり方をどう設計・評価するかを探究する分野として、科学技術社会論が形を変えて重視されるようになった。そうした科学をめぐる環境の変化とともにラトウールは改めて科学技術社会論の旗手と位置づけられるようになった。 シルビオ・O・フントヴィッツとジェロム・R・ラヴェッツは、不確実性と社会的リスクを軸として、それらが最も低いものを通常科学(一般的な科学)、不確実性が利害関係者に与える影響のいずれかが比較的高いものをコンサルタント科学、事実が不確かで利害関係者の間で価値観が対立、社会的な影響も大きく判断が急がれるようなもの(例えば地球温暖化、パンデミック対策、原子力政策、生物多様性、遺伝子組み換え・ゲノム編集作物など)をミッション駆動型科学とし、ポストノーマル科学と呼んだ。前章で解説した「カンブリア爆発」のような問題を扱うのは通常科学、一方、「6度日の大量絶滅」のような生物多様性の危機を扱うのは、ポストノーマル科学の位置づけになる。 フントヴィッツらによれば、科学が通常科学からコンサルタント科学、ポストノーマル科学の段階へと進むとともに、意思決定に直接関わるコミュニティ(専門家、産業、行政、市民)が拡張され、社会への説明責任も高まると考えた。特にポストノーマル科学の領域では、不確実性だけでなく価値観の対立が科学において重要な課題となることが明確に認識された。このような科学では専門家だけではなく、様々な立場の主体が社会に分散している知識を持ち寄り、問題解決に関与しなければならない。 一般社会との関わりを考えるなら、従来の基礎科学と応用科学(技術)という区別だけでなく、こうした不確実性と社会的影響を軸とした区別も必要であろう。通常科学の感覚で、科学者コミュニティの閉じた価値観を不可視化したまま社会的な問題に取り組むと、異なる価値観との軋轢や排除を通して事態を逆に悪化させる可能性があるからだ。ラトウールが提示した「科学的な事実と価値ないし価値判断は分離できない」という主張は、サイエンス・ウォーズの時点では自然科学者側から強い批判や抵抗を受けた。 しかし21世紀以降、科学哲学や科学論はもとより自然科学者の間で受け入れが進んでいる。科学への不信を招く危険思想という評価から逆に、イデオロギーで歪められた説明や偏見のバイアスを科学の説明に見いだし、緩和・修正して、科学の信頼性やそれを応用した技術の安全性を高めるツールとして利用されるようになったのだ。 「動機づけられた推論」と「暗黙のバイアス」 科学的推論に価値バイアスが生じる仕組みも認知科学の領域で、実証的に研究がなされている。例えばどんな科学研究でも、何をテーマとして選ぶか、どのような方法を使うか、結果をどう事実として評価するかは、科学者の価値観や社会的要請に依存する。また出来事そのもの(現象)は価値判断から独立しているとしても、どの出来事を「事実」として扱い、記述するかは価値判断を伴う。つまり自然界で起きている様々な現象のうち、どの部分に焦点を当てるか、何を重要とみなすかという取捨選択には必ず価値が関わる。 現在では私たちが実際に何を事実と認識し、主張するかは、価値観や動機によって影響されることが実証されている。心理学者ジヴァークンダは、希望する結論を守るために、つまり動機に合わせて証拠を取捨選択したり論理を調整したりする傾向があると指摘し、それを「動機づけられた推論」と呼んだ。 人はまず「この結論が良い」という願望や、「正確に知りたい」という目標をもつ。次にそれらに都合のよい情報だけを探索・重視し、都合の悪い情報は無視・矮小化する傾向がある。さらにどんな論理や統計手法を選ぶかに願望が影響する。 第1章で紹介したミリカンの名誉剥奪の例は、日本という属性に敏感な人々にとって、この「動機づけられた推論」が生じうる例である。この場合、ミリカンに対する一つの属性(日系人擁護/差別)が彼に対する評価を上下させ、そのいずれかによって信じたい仮説を裏付ける情報を探す一方、その反証になる情報を矮小化する心理が働いてしまう。 また人には本人が自覚しないまま形づくられた先入観や偏見が、知覚や判断、行動に無意識の影響を及ぼす場合がある。この「暗黙のバイアス」のため、過去の医学・薬学研究では、女性やマイノリティの身体・経験が軽視された事例がある。かつてゴルトンやピアソンが、徹底して客観性を追い求め、価値観を排除する必要性を説いていたにもかかわらず、偏った価値観に囚われて優生学に突き進んだのは、「動機づけられた推論」または「暗黙のバイアス」のためと考えてよいだろう。現代から見ればそれは自然主義的誤謬だが、彼らにとってはそうではなかったというわけだ。 科学技術社会論を代表する論客シーラージャサノフは、事実から価値を分離するより、価値の管理による対処を主張する。価値観が絡む部分を可視化し、透明な議論で価値観による影響を緩和するのである。 科学者コミュニティが科学研究を進めるうえで課すルール(論理構成、実験・仮説検証の手順、証拠の保全)や成果公表の手続き(査読の仕組み、追試のためのデータ公開、オープンアクセスによる透明化など)は、「動機づけられた推論」などによる価値観のバイアスがあることを前提に、その影響を最小化する管理手段だと解釈できる。 こうした主張は疑似科学や陰謀論への対応にも有効である。例えば「温暖化は陰謀」論は、経済や生活面の利害から「温暖化対策をすべきでない」という価値判断が、「温暖化していない」という事実の主張に絡んでいる場合が多い。そこでオープンな議論によって利害関係を可視化し、政策ツールでその緩和・調整を試みる。 このように事実と価値判断が実践の場面で絡み合うことは、現在では避けられない前提と考える場合が多く、むしろいかに価値判断を管理するかが求められる。 科学的な正しさ(信頼性)が実験や観察を通じた検証だけでなく、科学者コミュニティの人間関係を通じて成立している、というラトウールの指摘した構造は、今ではオープンな科学者間の相互検証と合意形成という形へ再構築が進み、むしろ科学的な正しさを補強する仕組みになりつつある。 医薬品や農薬の場合なら、実験結果から導かれる事実は「人体や環境への負の効果はほとんどない」までであって「全くない」とは言えない。より厳密には、そのリスクはある条件の下である閥値以下である、としか言えない。それが安全かつ有効であるとして使用が許されるのは、リスクの範囲を踏まえたうえで、それを使用するメリットに比べてリスクが十分低い、などの価値判断が専門家コミュニティの合意のもとになされるからである。 実際にCOVID-19ワクチンの場合、その臨床試験のデータは客観的な数値だったが、それを公的に「十分な安全性と有効性をもつ」と認定するまでには、どの程度まで副作用を許容するか、どの程度の効果(重症化の予防など)で承認すべきかを、WHOや各国の専門家コミュニティが判断するという価値判断を伴った。科学者コミュニティの合意形成プロセスが「科学的な正しさ」を裏打ちすると考えるのである。 ジャサノフは、ポストノーマル科学のように不確実性と社会的リスクが大きい科学は、研究の設計段階から市民を含めた利害関係者が広く参加し、社会に分散している知識を持ち寄り、評価や意思決定のプロセスにも関わって専門家や行政と科学の共創を進めるよう提言している。 ヘザー・ダグラスは、科学者が政策提言する際には誤りを犯すリスクと社会的影響を考慮する必要があり、意思決定には倫理的・社会的価値判断が不可欠だと説いている。こうしたリスク評価の問題に市民の価値観を反映させるべきだとする考えがある一方、ワクチン政策や原発の安全性のように高度な専門知が不可欠で、世論にすべてを委ねるわけにはいかないという見方もある。 重要なのは専門性と市民の価値観の両立である。国内外にかかわらず行政レベルで行われる科学的施策の検討会の中には、パブリックコメントは形式だけで、専門家の閉じた議論だけを経て意思決定や政策提言がなされる場合や市民の目が必要という理由で、逆にほぼ非専門家だけの議論で行政が意思決定を行う場合がある。こうした不透明で不適切な議論の進め方を避けるため、ハリー・コリンズはどの場面でどのような知見を誰から取り入れるかの指針をあらかじめ構築する必要がある、と指摘している。 このように科学的な正しさは、事実を説明する際の完全な「客観性」や「価値中立性」によって保証されるという考えから、研究プロセスの透明性、多元的な視点による合意形成、そして社会的に支持される価値判断を適切に組み込むことによって担保されるべきである、という考え方へと移行している。2021年のユネスコによるオープンサイエンス勧告でも、研究者の社会的責任と透明性、再現性(検証可能性)、包摂性(多様な主体の参画)が、科学活動の中核として掲げられている。誰もが科学知識にアクセスし貢献し、その恩恵を受けられることを前提に、研究者が社会的責任を果たすよう求めている。 「研究者は価値中立を保ち、倫理的、政治的判断は社会にゆだねる」という伝統的な姿勢も、不適切かつ時代遅れになっているのである。 再現性の危機 サイエンス・ウォーズの際、ラトウールとポストモダニストは、科学的事実の生成に研究者の価値判断や制度的バイアスが影響する、と主張していたが、20世紀末からこれを裏付けるような状況が起きていた。データの捏造などの研究不正や、スポンサーである企業の意向に沿って歪められた研究結果の存在が表面化したのである。 そして2010年代に入り、決定的な事態が発生した。心理学、医・薬学、進化・生態学などで、著名な実験結果が再現できないという問題が頻発するようになったのだ。再現率は30~60%、医薬系の一部では10%台である。例えば親の状態が良いと、生み分け(性比)や出生後の資源配分を息子に偏らせ、親の状態が悪いと娘に偏らせる、という古典的仮説は、ヒトでは十分な支持が得られなくなった。また、ヒトは体臭を通して自分と異なるMHC遺伝子型をもつ相手に魅力を感じ、配偶者として選びやすい、というヒト行動進化の有名な実験結果も、追試でほとんど再現できていない。 学的には想定内の現象で、不正でも倫理的な問題でもなく、それだけを見るなら危機とは呼べないという意見もある。だが問題の根本は、そもそもこうした不確実な研究結果が人々の命や暮らし、生き方に直結する分野で生産され、利害対立がある中での意思決定に利用されてきたことである。 この問題と並行して、肯定的な結果のみを公表する成果の発表バイアスや、都合のよい結果が出るまで分析を続ける、結果を見てからストーリーを考える、などの疑わしい研究慣行の横行も明らかになった。さらには捏造や偽論文の生産などの不正も急増している。2022年に発表された論文の0.2%が撤回されたが、この比率は10年前の3倍に達している。また2023年には撤回論文数が1万件を超え、新記録が樹立された。 情報科学者ジェヴイン・D・ウェストらは、こう指摘している。「採用、昇進、資金配分の各段階で、研究者、雑誌、大学は数値指標で厳しく評価される。ここにグッドハートの法則『指標が目標になると、それは良い指標でなくなる』が当てはまる。論文数やインパクトファクターが評価指標になれば、研究者は発表件数を稼ぎ、雑誌の格に過度の重みがかかる結果、論文は不正に水増しされ主張は誇張され……疑わしい研究慣行は横行し、しかも報われてしまう。」 数理モデルを用いた文化進化のシミュレーションでは、科学者が数値指標で評価され競争が起きると、その指標が悪用され再現性のない論文が増加するという。短期間に成果を挙げるため、競争的な管理手法を使い、数値指標による評価が行われると、科学者は本来の研究活動の質や誠実さを犠牲にし、数字の達成だけに集中してしまうのだ。 これが、現在科学界で深刻化している信頼性に関する危機を引き起こしている原因である。科学者にとって指標による評価が目標化した環境では、評価が意味を失い、研究の信頼性を検証する科学者コミュニティの自己修復機能が低下してしまう。 文化人類学者クリスーショアとスーザン・ライトは、科学界を含め社会に蔓延するKPIなど数値指標による業績評価を「説明責任・透明性・良いガバナンスを装ったイデオロギー」と位置づけ、むしろ組織を劣化させるメカニズムだと批判している。成果の客観的で中立な測定が可能という信念そのものが、人と組織を統治するための権力装置なのだという。 実際、数値指標による評価システムを科学界に導入している国々の共通点は、中央集権度が高く、政府による統制が強く、科学界の多様性に乏しいという研究結果がある。つまりそれは国家が科学研究に対し強い政治的統制を行う兆候だというのである。 「数値指標は客観的・中立」という信念の基盤は「測れるものだけが真理」主義である。マルクス・レーニン主義でも市場主義でも、ニュー・パブリック・マネジメントのイデオロギー下でも同じく「測れるものだけが真理」主義の支配は起こりうる。イデオロギー支配と数値指標による評価、そして国家による政治的統制がそろえば、ルイセンコが台頭した1930年代前半の旧ソ連の科学界になってしまう。 疑似科学の台頭と科学界の乗っ取りが起きる舞台は整いつつあると言える。それゆえに科学者たちは自らを支配している競争主義と定量評価のイデオロギーを自覚しなければならないだろう。ショアらは、改めてなぜ測るのかを問い直し、社会と連携して多元的、質的な指標も含めた対話的な評価の仕組みをつくり直す必要があると説いている。 研究者にエリート意識が強く、研究が住民から見えにくいほど、資金提供者と行政は可視化の手段を求めるので、数値指標に頼る単純な評価制度が強化されやすい。一般の人々は何が正しいのかを自らの目で見るべく、主体的に科学の活動に関わるべきだし、人々にその場を用意する必要がある。また科学者は閉じたコミュニティから出て、社会と向き合わなければならない。自らの社会的責任を意識した説明に努めなければならない。 実際ウェストらはこう提言している。「政策立案者と資金提供者は研究とアウトリーチをともに支援し、特に農村部や周縁の地域社会を重視すべきだ。そして何より科学者は、研究資金や社会貢献の基盤が、一般社会からの信頼にあることを忘れてはならない。」 温暖化否定派による相対主義の悪用について、科学のこうした弱点を見抜いていたラトゥールの側は、早々に科学の批判から科学のケアに方向転換していた。社会的な価値判断や合意を重視しつつも、科学的合意が確立した問題についてはその事実性を尊重しなければならない、と説くようになっていた。例えば気候変動のような問題の事実性は、単なる科学者の合意だけでなく、自然現象そのものという物質的な現実としても裏付けられていると主張する。その現実性を尊重しなければならないと提言した。 実はこれはラトゥール自身が過去に行った批判が悪用されることへの危機感によるものであった。科学的事実は客観的ではなく社会的に構築されるという主張が、専門家の主張を何でも疑い否定するための道具として悪用される可能性を危惧したのである。実際ラトゥールは、気候変動問題に対して温暖化否定派が、「すべての事実は相対的で政治的だから、科学的合意など信用できない」という論法を展開し始めたのに気づいていた。 もし権威ある科学者の実験でさえ、データの信頼性が乏しいという印象が定着したうえに、科学的な正しさが科学者の人間関係や政治で決まるという批判や、普遍的に正しい事実などなく、科学も一つの物語にすぎないという相対主義が悪用されたらどうなるだろう。自分の主張は科学的に正しいにもかかわらず、専門家グループや行政の政治的な圧力や陰謀によって誤りとされ、社会的に抹殺されていくという陰謀論に正当性を与えてしまうことになるだろう。その拡散に加担するのは、お気に入りの真実を自分の力で社会的につくり出せると誤解した政治権力者やメディアである。そうしてつくり出された、怒りや心地よさを運ぶ物語は、人々にとって中立性の高い事実より魅力的な場合が多い。 この装置は、まさしくルイセンコを生み出した、科学的な正しさへの脅威、そのものである。違いはルイセンコが一人ではないこと。どの人々も自分自身の主張が何らかの意味で傍流であり、しかしメシアであり、ルイセンコになりうる点だ。20世紀の科学相対主義は、科学的な正しさを守るツールを与えてくれた。それは科学の質の向上に寄与するだけでなく、科学の優生学化や暴走、そして疑似科学化を抑止する。しかしツールの機能は使い方次第である。それが社会格差や不安が生み出す苦痛の爆薬として、あるいは政治的イデオロギーが生み出す権力の武器として悪用されれば、科学的な正しさへの脅威となる。 「科学的に正しい」の罠(SB新書) どのように事実は偽装されるのか? ここまで主に一見「科学的に正しい」と思える説明の例をいくつか挙げてきた。そこで次は、どこからどう見ても「科学的に正しい」とは思えない主張の例を挙げよう。「宇宙や生命は約6000年前に6日間で創り出された」「すべての生物は突如としてつくり出され、進化は起きていない」「恐竜と人間は共存していた」。いや、これらはキリスト教の聖書に記された天地創造やノアの箱舟の神話に合わせた説明で、科学ではないはずだが? カール・ポパーは科学と非科学を区別する基準に反証可能性を挙げた。反証可能な仮説は科学だが、反証できない仮説は科学ではないという区別である。だから神が世界をつくったという仮説は反証可能ではないので科学ではない。ところが右記の説明をよく見ると、実はこれらはどれも反証可能である。だからポパー流の基準では、これらの説明を科学ではないと言うことはできない。 だが化石記録や年代測定値や分子系統樹のような証拠はこれらの説明と合致せず、その正しさは証明できないとは言えるだろう。つまり私たちは説明を誤りと判断する。だがここで、これらの説明を「科学的に正しい」と信じる創造科学の支持者はこう尋ねる。「何か証明となるのかを決めるのは誰なのか?」 「科学的に正しい」説明の基準は、世界中のどこでも、誰に対しても一つなのか、という意味だ。例えばスタンリー・フィッシュによれば、真理やその証明の基準に絶対的なものはない。「正しさ」の基準は、特定の信念、価値観、知識、前提を共有している人々からなる共同体の間でしか共有されない。世俗的な科学者も特定の前提やルールを持つ「共同体」である。従って進化や45億年という地球史の「正しさ」は、その共同体の間でしか共有されないのである。一方、創造科学を支持する科学者の「共同体」も「正しさ」の基準を持っている。基準が違うのにどちらがより「正しい」と言えるのか。 これはポストモダン的な相対主義、あるいは社会構築主義的な考え方を都合よく、自説の正当化に利用した例である。実は、この理屈にはトリックがある。フィッシュ自身はだからといってすべての主張が等価になるとは言っていない。世俗的な科学の「共同体」は、いずれも神や妖精のような超自然に頼ったルールは使わない。事実の証拠で説明の正しさを検証し、修正するというルールを共通して採用しているのだ。分野ごとに基準は多様でも、科学である以上、すべての「共同体」に共有される核心的なルールは存在する。 つまり「正しさ」を相対化してそれが複数あることにしても、聖書の記述を正しさの基準にする限り、「科学的に正しい」とは言えない。その検証可能性は見せかけである。従って、宗教的な教義から事実を導く点で、イデオロギーから事実を導くルイセンコ思考の一形式であり、疑似科学だと判断できる。 ところが創造科学と同じく宗教的信念に基づくにもかかわらず、そう簡単には区別できない疑似科学もある。彼らもやはり主張の正当化と信者の獲得のために、科学的事実に価値観が絡んでいることを悪用し、科学の相対主義と社会構築主義を駆使している。 キリスト教と進化学の蜜月関係 聖書の無謬性や超自然的奇跡、キリストの神性・復活といった根本教義を強調するキリスト教原理主義が米国の保守派プロテスタントに台頭したのは20世紀初頭である。その後、原理主義から新福音主義が分派したが、現代では聖書により忠実な原理主義を含め、保守的なプロテスタントを大きく福音派と呼ぶことが多い。米国では成人の約4人に一人が福音派とされ、共和党の屋台骨を支えているが、同じプロテスタント圏でも英国ではせいぜい30人に一人程度で、社会的影響力も乏しく、この点で英米は対照的である。 原理主義が進化学との対立を経て1960年代に生み出したのが創造科学である。これは聖書に忠実な創造説を科学的理論として主張する立場である。ほかに、ある程度長い地球の歴史の存在を認めつつ、生命や人間の創造に神が介入したとする古い地球創造説(OEC)、神の存在を示唆する「設計」の痕跡を科学的に主張しようとするインテリジェントデザイン(ID)論など異なる立場があるが、いずれも神、あるいは超越的存在の創造を前提とする点から、広義の創造論に含められる。 ただし、キリスト教自体と進化学を対立するものと見なすのは、歴史的にみても適切ではない。恐らく原理主義の進化批判や、進化学成立当初の進化学者と教会指導者の対決の逸話ゆえに誤解されがちだが、両者の関係はかなり複雑で、単純な二項対立で捉えることはできない。 英国では19世紀後半に聖職者と世俗化を進める進化学者の間で対立があったものの、20世紀初めにはおおむね対立は収まっていた。1930年にはBBCがキリスト教と科学の融和を演出する討論番組を放送したが、そこでは宗教と科学は社会の中でそれぞれ異なる機能を持ち、役割を補い合う関係にあるものとして位置づけられていた。 19世紀末から20世紀初頭の米国では、プロテスタントの宗派が乱立していて、進化論に反対する宗派がいた一方、進化論を支持しその普及に寄与したプロテスタントも多かった。彼らは進化を布教に利用していた。例えば19世紀後半~20世紀初頭の牧師ジョン・T・ギュリックは、プロテスタントの信者に進化論を受け入れさせるために、進化論を神の創造の一部として位置づける努力をしていた。 テスタントの宣教師でありながら、地理的隔離が種分化を引き起こすというモデルや、集団の遺伝的変異に偶然生じる頻度の偏りで進化が起きるという、のちに遺伝的浮動と呼ばれるプロセスを提唱した。 キリスト教と優生学の関係も複雑である。例えば進化学者であり優生学者でもあったフィッシャーにとって、優生学は自身のキリスト教信仰の延長であったという。優生学は救済の一形態であり、信仰を行動で表現することを求める、自身のキリスト教信仰の発露だったというのである。 米国で優生学を推進した進化学者の一人、ヘンリー・F・オズボーンは、1921年第2回国際優生学会議後3ヵ月も経たないうちに、優生学に対し「米国で最も高位のカトリック聖職者であるニューヨーク大司教ヘイズから心からの支持を得た」と発表している。また1910年以降、優生学イベントを米国メソジスト監督教会が後援していた。 20世紀前半、台頭した当初の原理主義も反進化学や反優生学で固まっていたわけではない。例えばKKK(米白人優越主義秘密結社)系白人福音派など原理主義の一部は、移民による道徳的退廃を防ぐとして優生学を支持していた。 とはいえ反進化に火が付き、最終的に疑似科学を生み出すに至った根源に優生学があった点は否定できない。 1920年代、原理主義の反進化創造論運動を活性化させ、宗教運動を政治闘争へと変化させたのは、反優生学の政治家ウィリアム・J・ブライアンであった。「弱者保護」を重視する進歩的な政治理念をもつブライアンは、優生学の断種法を批判し、進化学が人間を優劣で差別する危険な科学であると批判した。州レベルで進化教育を規制するよう各地で演説し、反進化、反優生学の政治運動を展開した。ブライアンは人種差別や優生学の残虐性を進化思想の帰結であると考え、神の前の平等を説く聖書に記された人間観をその対抗原理に据えた。 ブライアンと原理主義の活動により、1925年にテネシー州で制定されたバトラー法など、人類進化について教えることを禁止する州法が南部諸州を中心に制定された。このバトラー法に違反して人類進化を高校で教えたとして教員ジョン・T・スコープスが起訴された裁判がスコープス裁判である。この裁判は科学と宗教、進化学と創造論の戦いの場となった。初公判では200名の新聞記者が集結し、裁判の様子はラジオで実況中継された。法廷にはブライアンも創造論側の証人として立ち、熱弁を振るった。ところが進化学を擁護するスコープス側の弁護士の巧みな法廷戦術の前に、弁舌の矛盾を突かれてしどろもどろになるなどの失敗を犯した。 その結果、裁判には創造論側が勝訴したものの、ブライアンは評判を落とし、原理主義は無知というイメージが広がった。また裁判直後にブライアンが急逝したため、強力な指導者を失った原理主義は後退していった。社会の表舞台からはいったん姿を消したように見えた原理主義だが、水面下では独自のラジオ網や教会活動を通じて信者を増やしていく。そして第二次世界大戦後、1950年代後半からテレビなど新興メディアや雑誌、大学を利用した伝道により、影響力を急拡大した。1960年代からは宗教専門のメディアネットワークをもち、積極的な政界ロビー活動により保守政治団体との協力関係を築いて、社会的、政治的に大きな力を発揮するようになった。そして科学の世界にも支配の手を伸ばしたのである。 1961年、ヘンリー・M・モリスとジョン・C・ウィットコムによる創造科学運動の「聖典」ともいえる『The Genesis Flood』が出版された。これが創造論を科学的な事実として説明しようという活動の出発点となった。創造科学の興隆とともに、1970年にはモリスが創造研究所を設立し、全米で創造科学関連の組織や団体が続々と活動を開始した。1981年には進化論だけでなく創造論も授業で教えることを義務づける州法がアーカンソー州やルイジアナ州で制定された。 こうして勢力を拡大した創造科学だったが、1982年のアーカンソー州法に対する連邦地裁の違憲判決を機に失速する。創造科学が科学の基準を満たしておらず宗教そのものであり、非科学であるという判断が下された。また1987年のルイジアナ州法に対する連邦最高裁の判決でも、創造科学は科学ではないという結論が出て、公立学校の理科教育で創造科学を教えること自体が政教分離に反し、違憲であるという判例が確定した。 ところが創造論側は次の一手を打ってきた。「進化論で説明できない」は神の証明になるか。一部の細菌では、鞭毛を回転させてスクリューのように推進力を発生させる。これは細胞膜に埋め込まれたナノサイズのモーターが、イオン流を動力に回転し、その力をロットと可動ジョイントを介して鞭毛の長いタンパク質繊維に伝えている。「この複雑な構造は進化では説明できない」という主張がある。ではその根拠を見てみよう。 遺伝子ノックアウト実験で、鞭毛の形成に関与する遺伝子の機能を一つずつ欠失させると、いずれを欠いても鞭毛が形成不能となるか機能が失われるという結果がある。それゆえ「鞭毛は動作に必要不可欠なサブシステムと部品数が決まっている。段階的な突然変異による形成では説明できず、段階的に進化しえない複雑性を示す」とされる。 鞭毛のような複雑で精緻な構造は、すべての部品が最初からそろっていなければ機能しない。だから段階的に構造ができることを前提とする進化では説明できない、という説明である。しかしノックアウト実験は、完成品からいきなり部品を外して壊す試験である。正常に稼働する状態を維持したまま、簡単なコードから段階的に高度化してできたプログラムコードを、一行ずつ無効化したらいずれもプログラムが作動しなくなった、だからプログラムコードを作成するのは不可能と言っているようなものである。従ってこの主張は成り立たない。また別の実験では、ノックアウトしても鞭毛の機能に影響の少ない遺伝子があり、ノックアウトを段階的に進めると、段階的に機能が落ちていくという結果がある。さらにある部品を祖先型の部品で置換しても、鞭毛の機能を果たせる場合がある。 実際には次のようなプロセスを考えれば、鞭毛の段階的な進化を説明できる。細菌はもともとタンパク質射出用の分泌装置(自らの細胞膜を貫く輸送チャネル)をもっていた。それに円環状の部品が加わると、イオン流を動力として回転できる基台ができる。その中心軸が少し外へ伸びると、回転するかき混ぜ棒のように周囲の液体を攪拌できるようになる。さらにその軸の先端に柔らかいジョイントが付く。そのジョイントから鞭毛を形づくるタンパク質のブロックが次々と積み重なって長い糸状のフィラメントが伸びる。するとこれがスクリューとして水を掻き、細胞を前進させる鞭毛になる。 なお病原性の細菌の多くは、宿主に感染したときに、宿主細胞にタンパク質を注入するための注射針のような構造をもつが、これは鞭毛から進化した装置と推定されている。こうした段階的な進化の説明は、中間的な特徴をもつ細菌の存在や、各段階を特徴づける遺伝子の系統関係、遺伝子のノックアウトや置換による実験などのデータから支持されている。 というわけで、「鞭毛の存在は進化では説明できない」という主張は誤りである。この主張は、創造科学から1980年代末に派生したID論の主張である。このように、ID論は創造科学と違って直接「神」や聖書の記述には言及しない。それゆえ創造科学なら誤りを指摘するのに一行あれば事足りるが、ID論の場合は長い説明が必要になる。 だが「偉大なる知性」や「知的設計者」と表現される創造者の存在を前提とする点でそれはまぎれもなく創造論の一つである。知的設計者の存在を直接示せないので、あくまで進化では説明不可能だと強調し、だからそれができるのは知的設計者しかいない、と排他論法で飛躍させる戦術を使う。 彼らは「進化論では説明できない」という点を示せば、それ自体が「知的設計者による創造」の証明になると考えている。それゆえ進化では説明不可能な現象をひたすら列挙する。しかし仮に現時点で自然科学的な説明がないとしても、だから知的設計を仮定すべきだ、という結論は導けない。進化で説明できないという否定論だけでは、科学的方法とは言えない。 そもそもこの論法は、眼や翼のように複雑で精巧な機械は、精密な時計と同じく自然にできるはずがなく、それを設計した神の存在を仮定するはかない、という19世紀の聖職者が用いた論法の焼き直しである。この論法は機能しないことをダーウィンがすでに示しているうえ、近年では分子発生学や数理モデルによる裏付けがある。またドーキンスを始め多くの進化学者がその破綻を説明してきた。ただしID論の父・ID論のゴッドファーザーこと法学者フィリップ・E・ジョンソンをID論に目覚めさせたのはドーキンスの著書『盲目の時計職人』だったという皮肉な話はある。 もう一つ、設計者の性質や行為の時間、方法を一切特定しないのも、ID論の戦術である。しかしこれだと、どんな観察結果でも「設計者の意図」と解釈できるため、反証となる条件が定義できないうえに、具体的な予測を立てることもできない。それゆえID論は疑似科学である。 代表的なID論の主張の例を、もう一つ挙げよう。ID論では、地球や生命が誕生した時代の古さについては明確な立場を示さないか、あるいはそれらが古い歴史をもつという説明を受け入れている。それにもかかわらず、生命の出現を、進化では説明できない、と主張する。理由は、約5億3900万年前のカンブリア爆発で多くの動物門が突然出現したからだという。それは知的設計者による操作がなければ不可能だ、と主張するのである。 カンブリア爆発が決して突然の出来事などではなかったことは、第5章で説明したとおりである。ビーセッカーは実際に観察される現象と異なるにもかかわらず、「爆発」という比喩のせいで、これが創造論者に都合の良い武器として利用されている、と指摘している。この比喩を持てはやす価値観で支配された研究者コミュニティが、自己修正機能を弱めた結果、疑似科学に力を与えてしまったと言える。 意外なことにID論の始まりは高校の教科書であった。1989年発行の創造論の教科書『オブーパンダーアンドーピープル』は、インテリジェントデザインという用語を使った、現在のID論の基本的な主張がみられる最初の出版物である。この教科書は1989年のアラバマ州を皮切りに、1990年代を通じて公立学校での使用が積極的に推進された。 教育現場への投入に次いで、ジョンソンが1991年、進化学批判の著書『ダーウィン・オン・トライアル』でID論を展開する。ジョンソンを始め、彼らは、表向きにはID論に神は関係なく、あくまでそれは純粋な科学活動なのだと主張する。しかし彼らの活動の特徴は、論文や学術界を通して自説の浸透を図るのではなく、政治とメディアと教育を普及活動の中心に据えていることである。その点で、ルイセンコ派がとった戦略とよく似ている。 ID論普及の中核は、1996年に超党派の保守系シンクタンクであるディスカバリー研究所が設立した「科学文化センター」である。ディスカバリー研究所は、ID論の研究助成や広報活動を行い、ID論普及の中核的な役割を果たしてきたが、1998年に流出したディスカバリー研究所の内部文書「ウェッジ戦略」には、ID論が創造論の普及による反科学運動にはかならないことを示す記述が含まれている。 その冒頭にはこう記されている。「人間が神に似た姿に創造されたという教義は、西洋文明が基礎とする、ゆるぎない原則の一つである」。それが至上の価値を置くのはキリスト教信仰である。文書ではこの信仰が科学に圧迫され、退いた結果、社会が危機に瀕していると訴える文章が続く。 「ほんの1世紀ほど前、この重要な考え方は、近代科学から全面的な攻撃を受けた。チャールズ・ダーウィン、カール・マルクス、ジークムント・フロイトらの思想家は、神と人間に関する伝統的な概念を誤りだとし、人間を道徳的・精神的存在としてではなく、純粋に非人格的な力で支配された動物や機械として描写した。そして、その行動や思考そのものが、生物学、化学、環境という非情な力で決定されるとした。この唯物論的な現実認識は、政治、経済、文学、芸術に至るまで、事実上あらゆる領域に浸透していった。この唯物論の勝利がもたらした文化的影響は壊滅的であった」。 そして自らの役割をこう断言する。「コアイスカバリー研究所の『科学文化センター』は、唯物論とその文化的遺産を打倒すること以外の何物も目指していない」。さらにその最終目標は「唯物論的な説明を、自然と人間は神によって創造されたという有神論的な理解に置き換えること」である、と明記している。 文書には三段階からなる戦略が示されている。第一段階は、唯物論的構造の弱点をつく執筆と研究である。つまりID論による進化批判である。第二段階は、メディアや政治家、知識人を利用した広報活動と世論形成である。「メディアと政治的な人脈の組み合わせこそが、ウェッジ戦略を唯一無二のものにし、単なる学術的な活動で終わらせないようにしているのだ」。ID論が単なる学術的活動ではないこと、つまりメディアと政治力で現代科学を破壊する活動だと自ら宣言している。 第三段階は、唯物論である生物学との直接対決によってそれを打倒することである。この戦略により、20年以内にID論が、科学のあらゆる分野の支配的な視点となり、文化や宗教、道徳、政治に浸透するよう努めるのだといっている。 まるでルイセンコ派がとった、弁証法的唯物論による生物学打倒の歴史を、白黒反転させて再現するかのような戦略である。ウェッジ戦略は内部文書であり、公式声明ではないことに注意が必要だとはいえ、それを割り引いてもID論が創造論に基づく疑似科学であるという有力な根拠になる。またID論を主導するジョンソンは信者向けのラジオ番組で「私たちの戦略は、話題を少し変えることで、インテリジェントデザイン、つまり神の実在という問題を、学術界や学校に持ち込むことでした」と本音を語っている。ジョンソンは著作や講演でたびたび「聖書が道徳の最高権威」「創世記の神学的前提に立ち戻れ」と強調しており、表面的にはどうあれID論の根本教義はキリスト教原理主義と考えてよい。 進化学は物語にすぎない。科学的な説得力に乏しいID論は、目標達成のために政治やメディアの力を使うだけでなく、攻撃の矛先を「科学的な正しさ」そのものにも向けた。彼らは1980~90年代に盛り上がりを見せたポストモダン的科学批判を、科学界に生じた亀裂とみて、その弱点を突いた。ID論者は「科学も一種の社会的構築物である」「支配的パラダイムが競合する理論を排除しうる」といった相対主義的、社会構築主義的な議論を戦略的に利用した。 哲学者ロバート・T・ベンノツクは、「ID創造論者が(たとえ戦術的にではあっても)過激なポストモダン的視点を取り入れて、彼らの前近代的な見解を推し進めようとしている」と述べている。例えばジョンソンは雑誌にこう記した。「科学的自然主義は、上級教員や自然科学部門では依然として最高の地位を占めているが、リベラルアーツや社会科学では相対主義的多元主義が勢力を増している……新しく台頭してきたポストモダニストの知識モデルは、科学的な経験主義ではなく、文芸批評を基盤としている……」のモデルでは、知識はそれぞれの文化に相対的なものであり、いかなる単一の現実像も、競合するほかの文化的理解に対して絶対的な権威を持つことはないとされる。 また哲学者ポール・ファイヤーベントの「科学の多元主義」思想に言及しつつ、唯物論という特定の形而上学に支配された現代の科学界(特に進化学)が異論を封殺していると批判した。「ダーウィニズムは単なる仮説にすぎないのに事実扱いされている」「人類が類人猿から派生したという物語を広めるには、イラスト、博物館の展示、テレビでの再現が必要だ。また、リアルで想像力豊かな詳細を提供し、この物語を一般大衆に伝える何千人もの研究者、教師、芸術家という形の聖職者も必要だ」。 このジョンソンの記述は、第5章で説明した、ラトウールによる科学のブラックボックス化の説明を利川している。進化学はほかの物語を抑圧する力を持つ社会的に構築された物語にすぎず、そうした権力による言説の封殺を解くよう、「科学のあり方そのものを再検討すべきだ」というのだ。 ンは、ドーキンスの『盲目の時計職人』を初めて手にとって読んだとき、進化学がもつ問題に気づき、進化学との戦いを決意したという。その理由は、進化学が科学的事実の記述ではなく、「創造物語」として語られていると感じたからである。 しかし、ポストモダン的キリスト教原理主義とは、まるで東京都庁とウェストミンスター寺院を合体させようとするかのような壮絶な矛盾である。絶対的真理と聖典権威を前提とするプレモダンを脱構築し、解体するツールであったポストモダンを、プレモダンの構築に利用しているという、悪い冗談のような話なのである。要するに彼らはポストモダンを単に都合のよい武器として悪用しただけである。 科学技術社会論の研究者でも、当初のポストモダン的な立場から、科学の実在論に回帰し、社会構築主義の知識を逆に科学への信頼を守るツールとして利用した者がいる一方、それを科学への攻撃用の武器として使い、疑似科学に力を貸してしまった者もいる。スティーブン・フラーは、ポストモダン的な、強い社会構築主義の立場から、ID論の視点を擁護し、科学の探究においてこうした異端的主張にも発言の機会が与えられるべきだと主張した。 1990年代から支持者を増やし勢力を拡大したID論は、戦略的に学校教育への浸透を図り、いくつかの州の教育委員会で進化教育に攻撃が相次いだ。カンザス州では1999年、州教育委員会が進化の記述を州の理科カリキュラムから大幅に削除する決定を下した。オハイオ州でも進化への批判的な見解も加えるよう指導要領の改正が検討された。 2004年、ペンシルベニア州ドーバー地区の公立高校で、教育委員会が生物学の授業で進化に関する注意書きを生徒に読み上げさせるよう教師に要求するという事件が起きた。その注意書きとは、「進化はあくまで仮説であり、説明の不十分な空白が存在する。代わりの仮説としてインテリジェント・デザインがあり、詳しくは参考書『オブ・パンダー・アンド・ピープル』を参照せよ」というものであった。これに父母が抗議し、政教分離に反するとして訴訟を起こした。これがID論の科学教育への導入をめぐる初の連邦裁判、ドーバー裁判である。 被告(ID擁護)側の専門家証人として証言台に立ったフラーは法廷で、ID論を科学として扱うことを支持し、「科学は知的多元性を許容すべき」「科学コミュニティが新興の少数派理論(ID)の芽を摘むのは健全でない」と主張した。何が「科学的に正しい」と見なされるかは、客観的基準というより社会的な権力闘争の結果だと考えるフラーは、進化学とID論の対立を「科学界を支配する進化学者対周縁化されたID論支持者」という力関係の構図で捉えた。そしてそこに「アファーマティブ・アクション」(積極的差別是正措置)の視点を取り入れたのである。 しかしこのフラーの擁護は有効打とはならなかった。判決は「ID論は科学ではなく、宗教的主張(創造論)にほかならない」と明確に結論づけた。この違憲判決により、ドーバー地区でのID論導入は禁止された。それは合衆国憲法修正第1条の「政教分離条項」に基づく法の支配、自由への配慮(無宗教・少数宗教の生徒の学習環境を確保)、そして科学への宗教的影響力を排除し、科学の中立性を守ろうという決意において、特筆すべきものであった。 しかもその判決は、福音派を有力な支持基盤とする保守的な共和党ブッシュ政権によって任命されたばかりの共和党員で、敬虔なキリスト教徒を公言する判事が下したという点で、米国のフェアな強さと健全さを体現する出来事だった。逆に自己修正の利かなくなった、現代の米国社会の劣化を印象づけるものとも言える。 フラーがID論を擁護したことに対しても、科学技術社会論の研究者から批判が相次いだ。「フラーは社会構築主義の隠れた問題を体現している。彼の科学に対する無節操な折衷主義は、創造論という科学の敵に塩を送るものであり、科学技術社会論からも見放されるだろう」という厳しい意見も出された。 ドーバー判決以降、ID論を科学教育に導入しようという活動は弱まったとされる。ID論自体の性質や主張もほとんど変わっていない。だがID論支持者は戦略を少し変え、「教員が特定の問題について議論を提起する自由」を保証する法律(アカデミック・フリーダム法)を制定するよう働きかけるなど、やはり科学相対主義的な論理を悪用して進化学批判の余地を残す戦術を展開した。進化を「科学的な議論の余地がある」ことにして「偏りのない議論が必要」と一見正しいが実は偏った主張をする。 ID論支持者のロビー活動の結果、2008年にルイジアナ州で、2012年にはテネシー州で、進化や気候変動など「論争のある」トピックについて教師が補助教材を使って批判的な考えを紹介することを法律で認めた。2023年にもウエストバージニア州議会に、公立学校でID論を教えることを許可する法案が提出され、結局廃案になったものの、翌年、「宇宙や生命の起源について生徒と議論したり、生徒からの質問に答えたりすることを禁止してはならない」という微妙な表現の法案となって可決された。 注目すべき点は、多様性、公平性、包摂性(DEI)政策を縮小・停止させる活動が、ID論関係の法制化の動きと連動して進んでいることである。2022年以降、ID論関連法案とDEI規制法案を立て続けに可決させたウエストバージニア州のみならず、少なくとも18州でDEI規制措置が何らかの形で成立している。ID関連法案の提出はそれよりずっと少ないが、これは2005年のドーバー判決がいまだに防波堤として一定の機能を果たしているからで、提出州・提案議員・支援団体が両者で重複していることを考えると、科学の領域が安泰とは言えない。 本来ID論の科学をめぐる問題は、DEIの問題とは全く別であるにもかかわらず、社会階層や宗教的背景に加え不公平に抑圧された側の権利回復という主張の構図自体が共通しているせいで、保守・リベラルのパッケージに包含されてしまっている。ID論の拠点、ディスカバリー研究所もDEIを思想の強制だと批判し、DEI廃止を主張している。反DEIのロビー活動の中心ではないものの、人的ネットワークは重なっている。 ディスカバリー研究所には「保守系政策シンクタンク」という面があり、その活動は多岐にわたる。減税、規制緩和、教育改革などの政策提言もしているし、AI(人工知能)・サイバーセキュリティなどデジタル政策や交通などのインフラ政策も論じている。社会政策では小さな政府を強調している。教育政策では市場型教育改革を推進し、「ユニバーサル・スクール・チョイス」という一種の教育バウチャー制度の導入を提言している。新自由主義の経済政策と宗教保守の文化政策を合体させた保守・リバタリアン右派のシンクタンクとして影響力を行使している。 通商政策などでは違いはあるものの、新自由主義・宗教保守という位置づけは、共和党の支持層と重なり、政権の政策に大きく影響する。実際、ディスカバリー研究所はトランプ再登板を見据えてヘリテージ財団主導で結成された保守連合「プロジェクト2025」に正式参加し、政権移行準備にあたる保守連合百団体の一員になっていた。 当然、地球温暖化懐疑派や反ワクチン派の一角でもあるID論ほど戦力を集中させているわけではないが、それでも「地球温暖化に公式見解はなく、学校で両論併記を求める」と表明したり、所員が地球温暖化論を「詐欺」と主張したりしている。 このように、ID論はほかの懐疑論、陰謀論と同じく、政党や国家機関に浸透し、政治家が積極的に取り込み政策化する権力型の傾向を示している。広い意味で、イデオロギーに駆動される反科学の潮流の一つである。もし米国の政権が将来さらに強権化するようなことがあれば、科学にイデオロギー的な圧力をかける方向へ進む可能性は高く、すでに資金や人事をめぐってその兆候は現れている。スターリン時代の旧ソ連がルイセンコで引き起こした生物学の破壊とそっくりなことが起きる可能性は無視できない。共産主義のイデオロギーが、それとは真逆の新自由主義とキリスト教原理主義のイデオロギーに入れ替わるが、それで科学的な正しさを決めようとする点は変わらない。人々の救済を訴え、周縁的な科学が疑似科学化していく。 メディアと政治権力を利用して主流の科学を葬ろうとする点、教育へ介入する点も同じである。攻撃の標的は、ブルジョワ学者の代わりに左派のエリート学者になるが、実は攻撃を仕掛ける側にも、周縁に置かれている人々を搾取・利用するエリートが関わる点もよく似ている。スターリン指導部からの統制に抗したヴァヴィロフの「科学の指導者の役割は研究者に自由を与えることだ」という訴えは、トランプ政権の圧力に抗したハーバード大学学長の「いかなる政府も、私立大学が何を教え、誰を入学させ、誰を雇い、どの研究分野を追求すべきかを指示すべきではない」という訴えと呼応する。誰もが破壊的なメシアとして利用されうるという状況は異なるが、プラウダの情報操作を極端にしたような、SNSや動画配信による心地よさや怒りの刺激を伴うフェイク情報の拡散など、科学的な正しさへの脅威をめぐる根本的な構図は100年前からそう変わっていない。だが問題はそれだけではない。脅威は科学の内部にも存在する。 第4章で述べたように、米国では人種差別や性差別を肯定する進化研究が増えているが、一部の保守系論壇は、その優生学的な説明を教育・福祉政策の縮小の正当化に利用しているほか、極右団体がそれを流用し、陰謀論に繋げる例もある。一方でこれが道徳的嫌悪と結びつき、ID論に倫理的な正当性を示す材料として利用されているのだ。閉じた研究者コミュニティが、価値中立を偽装する優生学的な研究の量産を許す結果、疑似科学に力を与えてしまっているのである。それに加えて生き残りと資金確保のために、研究者がコミュニティを支配するイデオロギーに最適化し、内部批判や検証の機能が失われる。現在の私たちの科学が直面する「再現性の危機」は、ずっとマイルドとはいえ、ルイセンコが台頭した時代のソ連の科学界と多くの共通点を持ち合わせている。 信用できない科学を見分ける方法 科学と正義の混同は社会に悲劇を招く。優生学が典型である。その支持者は他者を排除するが、結局一握りの権力者層以外、大半の支持者も排除される被害者である。疑似科学や陰謀論の支配は、その支持者もろとも社会と国家を取り返しのつかない不幸に陥れる。旧ソ連のルイセンコや中国の大躍進政策はその典型である。 カンボジアでは1970年代、クメール・ルージュ政権による専門家の粛清と愛国的なアンコール神話への回帰、さらにルイセンコの影響により「革命精神で自然は改造できる」「同種の植物は競合せず協力する」などと信じる疑似科学の農法で大量の餓死者を出し、虐殺も含めて人口の4分の1が犠牲になるという破局に至った。 南アフリカでは大統領がエイズの原因はHIV(エイズウイルス)ではないという陰謀論ないし否認論に陥り、抗ウイルス薬を拒否した結果、予防できたはずの33万人以上に及ぶエイズによる死者を出したうえ、3万5000人の新生児感染を引き起こした。 これは安全保障の問題でもある。なぜなら敵対する国に対して優生学を流行らせて社会を分断し、ポピュリズムとナショナリズムを煽り、映像メディアやSNSで愛国的な疑似科学の情報を流せば、兵器など一切使わずにその国の科学・技術を破壊し、社会を弱体化させられるからである。 では信用してはならない科学をどう見分けたらよいだろう。まずどんな説明も、最初に疑ってみる、あるいはいったん正否の判断を保留するようにしていれば、かなりの割合で危険を避けられる。では一見「正しい」と思えた時はどうすればいいだろう。一応の目安はある。相手の動機(陰謀、利権など)や価値観(イデオロギーや差別意識)を先に強調し、心地よさ、怒り、共感など強い感情で引きつけ、しかも検証可能な情報を示さない説明は疑った方がよい。 マスコミや映像メディア、SNSは、注目を集めるため感情に強く訴える記事やコメントを出すが、科学に関する限り、こうした感情的な主張は信頼できない。ID論のように専門家集団との対話を拒否し、閉じたサークルの中だけで語られる話や、主流派に抑圧されているという物語も、疑似科学の典型である。100%治るとか絶対安全など、効果の誇張、万能さを主張している場合や、逆に確率的な安全性の高さをごく一部の極端な事例を使って否定している場合も怪しい。個人攻撃を繰り返す人の説明も信用しない方がよい。 論文のデータが公開され、査読状況が示されていれば一定の信用はおけるが、これらの透明性が確保されていない場合は疑わしい。専門家集団が常に正しいとは限らないが、今のところまだほとんどの分野では、専門家の大半が支持しない仮説が信頼できる確率は低い。研究者コミュニティの自己修復機能が維持されている限り、この正しさの判断基準は有効である。 それでも信頼できるかどうかを見分けるのが難しい場合はある。優生学の章で見たように、遺伝学や統計学の発展に寄与する優れた成果を挙げた研究者が、別の場面ではシャングーサイエンスに陥ったりするからだ。だから特定の研究者を過度に信じたり、崇拝してはならない。「再現性の危機」も判断の難しさを示す例である。だが、なぜそうなるのかを知っていれば、危険の察知や対処はできるかもしれない。 「科学的な正しさへの脅威」を生む要因は先入観や偏見である。これらは事実による検証の軽視や、事実と価値/価値判断の混同と飛躍をもたらす。科学的事実についての主張の正しさを、被害者・加害者といった倫理的・道徳的な善悪や、心地よさなどの価値観から判断できるという錯覚や信念は、ルイセンコ思考と同型のものであり、論理の飛躍を正当化し、疑似科学や陰謀論の温床となる。 自分はバイアスがないという思い込みだが、その飛躍をもたらすもう一つの要因がある。自分が行う科学的事実の主張は、事実だけで構成されていると、逆に錯覚することである。つまり事実と価値/価値判断を区別できていると思い込んだり、ある事実についての主張が100%価値フリーだと信じたりすることである。 数値評価による「測れるものだけが真理」主義はその例である。KPIが価値中立に見えるのは、科学的事実=価値フリーの神話を経営と統治に移植したからだ。実際には何を測るかを決める時点で価値判断が入る。次に数値が権威を帯びて、その価値判断が不可視化される。すると何か事実かを価値判断で決める状態になってしまう。 事実と価値/価値判断の無意識の飛躍を避ける手段は、まず事実の主張にどんな価値観がどこに絡んでいるかを可視化することである。その操作によって、事実から価値観を分離した説明にすべきである。しかし多くの場合、それを分離できるとは限らない。 出来事あるいはデータは、原理的に価値フリーである。しかしそこから抽出された事実は、価値観や価値判断を帯びざるを得ない。人はデータや観察された証拠に基づいて仮説を受容するとき、証拠が十分に強い、または確率が十分に高いという判断を下しているからである。リチャード・ドーキンスはこうした仮説の棄却/採択の意思決定は、誤りが重大という価値観のもとで、許容できるリスクは何かという価値判断の問題だと説く。それゆえ科学における客観性とは、「ある探究でどんな価値判断が行われているのか、どんな価値判断が可能だったのかを明確にすること、さらに最も困難な問いとして、本来なされるべきだった価値判断は何かを問うことである」と述べている。 言い換えると、客観性とは、探究から価値観を排除することではなく、探究に絡む価値判断を可視化し、第三者が批判・再評価できる手続きを整えること、という意味になる。これは決して事実より価値や価値判断が重要という意味ではない。逆である。価値が絡むからこそ、事実による厳密な検証が必要なのだ。例えば、不利益を被る人々が出ると予想される施策の是非を科学的に決める場合は、よりいっそう厳密なデータに基づく検証が必要になる。価値判断はこの「いっそう厳密な検証が必要」という部分、つまり誤りが起きるリスクを最小化しなければならない、という点に関わっている。 「進化は進歩である」という誤解。事実は説明された瞬間にも価値が絡む。数値データはそのままなら価値中立だし、それらの関係を記述した数式やコードも価値中立である。しかしそれから導かれる事実を言語化したとたん、言語が持つ歴史的な意味や社会的利害が付着する。それゆえ事実の説明から完全に価値を遮断することは困難である。その説明をしている本人は事実だけを語っているつもりでも、現実はそうでない、という状況はいくらでもありうる。 ドーキンスの「優生学は技術的に可能=事実」という主張の骨格(言いたいこと)は正しいが、それが纏う言葉や歴史に、実は価値観が絡みついている。優生学という言葉は過去の歴史ゆえに「悪」という価値観を含み、それを除去するのは困難だからである。「ほかの哺乳類で技術的に可能なのだから、ヒトでも。品種改良は技術的に可能だ」という説明も、ヒトの品種改良という意識から優生学といえる。 るという暗黙の価値が含まれている。技術革新が進む中で、倫理や社会的責任が軽視される危険性がある。特に、急速な進歩が求められるテクノロジーの分野では、短期的な成果を優先するあまり、長期的な影響やリスクを考慮しない傾向が見られる。 このような状況においては、科学者や技術者が自らの研究や開発がもたらす社会的影響を意識し、責任を持って行動することが求められる。技術の進歩は重要であるが、それが社会に与える影響を無視することはできない。したがって、倫理的な配慮や社会的な責任を持った技術開発が必要である。 また、科学的な研究や技術の進展は、単に知識の蓄積や技術の向上だけでなく、それがどのように社会に役立つか、または害を及ぼすかを考えることが重要である。科学者や技術者は、研究の結果がどのように利用されるかを常に意識し、社会との対話を重視する必要がある。 このように、科学と技術の発展には倫理的な視点が不可欠であり、社会全体がその重要性を理解し、共に考えていくことが求められる。 り、新規開発が既存システムの保護より重要であるという価値観が刻み込まれている。「速い=善」という自明でない価値が絡んでいるため、「速くつくれる」という事実から、「だから速くつくるべき」という価値判断への飛躍が起きている。さらに「壊すこと」が努力目標になるため、障害物である既存の制度=悪、と暗黙のうちに位置づけられる。 この構図は優生学とも共通している。目標を「新技術による社会改造」から「遺伝学の新技術による国民の遺伝的改造」に置き換え、「古い、劣った社会システムの破壊」を「進化的に劣った社会階層の除去」に置き換えて、権力による社会改革と結びつければ、このスローガンはそのままピアソン、ゴルトンの主張になる。 実際、計算機科学者ティムニット・トーゲブルと哲学者エミール・P・ドレスは、テック業界の有力者が囚われているイデオロギーは、かつての優生学と共通の起源をもつと指摘している。このイデオロギーの支持者が追求するのはトランスヒューマニズム(人間の身体能力、認知能力などを生殖・遺伝子工学、AI、機械工学などによって超人化すること)や不老長寿、AGI(汎用人工知能)開発、宇宙植民、ポストヒューマン社会などの科学技術ユートピア思想だという。優生学者たちがそうであったように、彼らは「社会的危機の回避」や「遠い未来の人々の幸福」を掲げて現在の道徳や倫理を軽視し、極端なリソース配分や社会実験を正当化する傾向がある。 さらにこうした技術革新と社会変革を、極限までスピードアップすべきと主張する効果的加速主義の潮流がテック業界に拡大している。新しい科学と技術はそれ自体が善でその開発は正義、と考える点で、彼らは優生学が勃興した19世紀末~20世紀初めの欧米エリート層とよく似ている。この状況下で科学・技術を中立とみてしまうと、不可視化された正義によるその暴走を助長しかねない。 科学的に正しい判断のための手続きとして、気候温暖化対策では欧州を中心に、住民参加型の意思決定や政策立案が始まりつつあるが、ほかはまだ一般的でない。そこで不確実性の高い新技術を使い、社会的に強い抵抗が予想される例として「遺伝子改変した生物の野外放出による、有害生物の防除」を考えてみよう。日本では法律や環境リスク評価のガイドラインで規制されている手法だが、ブラジルや米国ではデング熱などを防ぐため、子孫のメスが致死的になるよう遺伝子改変した蚊を野外に放出し、個体数を制限する事業が進んでいる。 ここでは遺伝子改変した生物を「生態系に破壊的な影響を及ぼす外来種の防除」を目的に放出する場合を考えてみよう。これはあくまで仮想の例だが、意見が対立する課題だけに、住民を含めた討議を、実施段階だけでなく研究段階から行う必要がある。 専門家が提案するのは複数の防除手法案(遺伝子改変を使わない手法も含む)と、リスターメリットのデータ、法規制、農薬審査、環境影響評価、隣接国との協議手続きなどの情報である。これをもとに専門家や行政、農業者、企業と一般住民がオンラインで討議に参加し、意見を述べる。住民を含む参加者の意見への賛否を踏まえて合意された手法を行政が詳細を決めて企業の協力のもとで実施する。 台湾では、政策決定に住民、行政、専門家のオンライン討議と、参加者のコメントへの賛否による合意形成のシステムが導入されているが、こうしたインフラは科学政策でも有効だろう。住民を交えた議論の場合、ポピュリズム化や疑似科学信者の攻撃、特定の思想集団による乗っ取りが懸念されるが、採用されている対策が参考になる。参加者の多様性を確保する公募や招待、AIによる参加者のための理解補助や論点整理、公開ログなど徹底した透明化の仕組み、少数派に配慮した投票システムなど制度設計の工夫が必要である。またネットに不慣れな住民には、電話や紙による投書、対面会議への参加の仕組みもある。 討議だけでなく、外来種根絶までのロードマップやガイドライン策定、事業実施中のモニタリング、実施後の評価なども、住民を含めて行わなければならない。ただし、こうした規模の大きな事業は、考慮すべき問題や利害が多岐にわたるので、その実現は容易でない。もっと小さなローカルなコミュニティからボトムアップ的に議論を進め、段階的に議論と組織をスケールアップしていく方が実現しやすい。そこで次節では、より小さなスケールの事例をモデルケースとして説明しよう。 希少な野生生物の生息エリアで、保全対象の希少種を加害する外来種が、農産物の苗に付着して持ち込まれるリスクが推定されたとしてみよう。保全が道徳的義務という価値観をもつ研究者が、自らの価値観と農業者の価値観を意識せぬまま、「リスクの存在は科学的な事実であり、農産物を検疫すべき」と主張したらどうなるだろう。協力と知識が欠かせぬはずの農業者の怒りと反発は不可避で、保全上の問題の解決は逆に遠のく。 この場合、研究者自身と農業者の価値観を明示して研究に組み込む必要がある。すると苗に付着して持ち込まれる可能性のある外来種の調査範囲は、希少種を加害するものだけでなく農業害虫にまで拡張される。調査の結果、もし農業被害を引き起こす外来種の移入リスクも高いことがわかれば、両者の価値観の対立は緩和される。そして検疫と害虫防除のセットで、適切な実施に向けて農業者との合意が進められるだろう。 もっと厄介な状況として保全対象種が農業被害を及ぼす場合がある。これも農業者、研究者、住民や行政が対話を通して価値観の対立を緩和し、合意を図るべきである。例えば被害を技術的に最小化したうえで、野生動物へ配慮した農業者はブランド化や交付金によって利益が損失を上回るようにする、という解決法もあるだろう。日本の場合、条件によっては農業振興がその副産物として、生物の多様性維持に貢献する場合も多い。 このように、様々な立場の利害関係者の、どんな価値観がどこに絡むかをまず可視化する。価値観を排除するのではなく、価値観の違いを明確にして対立を解消・軽減するこの手続きを経て、生態系の現状の解釈や将来予測、最適な保全技術の選択に、価値観が及ぼすバイアスを最小化しなければならない。 そのためには前節の例と同じく、研究段階からの地域住民や農業者、企業、行政関係者の参画が必要である。保全対策の立案、実施、評価も、こうした利害関係者との討議と合意を経て進めなければならない。最終的な意思決定は行政の役目だとしても、ボトムアップ的な修正と、結論に至る過程の透明性が必要である。 実際に現在の国際自然保護連合のガイドラインでは、「脱・植民地主義的保全」と先住民・地域住民の権利保護、共同参画がうたわれている。昆明・モントリオール生物多様性枠組(2022年)など国際的な条約や、国際機関でも、先住民や地域住民が生態系の保全計画づくりに共同で参画し、意思決定への参加を義務づけるよう求めている。 世界遺産地域として生態系保全事業が行われている小笠原諸島でも、地域住民が計画段階から意思決定プロセスに参加している。また小笠原固有種の保護増殖事業の中には、最初の段階から地域住民、企業、行政と研究者が協力して研究を進め、事業化後も住民が事業実施の主要な役割を果たしている例がある。小笠原の広報誌には研究者が保全の研究活動の現況を定期的に報告し、住民との情報共有とフィードバックが図られている。 ではどうすればこの協力が可能なのか。まず必要なのは「緩さ」である。価値観の違う参加者それぞれが、自分の立場で意義を解釈できるような、細部を決めすぎず雑に共有できる、共通のプラットフォームがそれである。 生物学者という目的も価値観も異なる人たちが、それぞれ自分の利益のために利用するにもかかわらず、誰もが生物多様性データの構築に貢献できる。小笠原の場合には、この緩い共通のプラットフォームが「世界自然遺産」そのものであった。 「この土地がもつ世界的にかけがえのない価値(OUV)」は、登録基準では生態系の進化的価値だが、分類学者や進化学者にとっては固有種の価値であり、漁業者・農業者にとってはマーケティングブランドであり、行政にとっては成果指標であり、観光業者・一般住民にとっては誇りと観光収入である。この「緩さ」が可塑性を生み、異なる価値観を橋渡しして、生態系の現状についての説明と保全の必要性が共有される。 これが進化・生態学の論理だけになったり、官僚的な説明やビジネスで統一されていったりすると、異なる立場の人々は自分流に解釈できず、離脱してしまう(実際には専門知識をもち生態系価値を重視する地域住民や農・漁業者もいるので単純ではない)。互いの価値観が見え、尊重されないと、この緩い価値共有の場は維持できない。それゆえ最も重要なのは、利害関係者がそれぞれどんな価値観を持つかを可視化したうえで相手の考えや立場を理解し、対話と相互理解に努めることである。 これには人々の価値観に関わる情報を収集、分析する質的研究の手法が有効である。特にその基礎となるのが「自己省察」(リフレクシビティ)-自分自身の価値観、思考、立場、経験、ジェンダー、利害などが、相手の理解にどう影響するかを批判的に点検、修正するやり方である。研究プロセスの各段階で自分たちの前提や価値観、思考が研究や解釈にどう影響しているかを内省し、また第三者の目でチェックし、必要に応じて修正していく。価値観が影響する問題に取り組む人文社会系では標準的な研究技法である。 これを実践するためのツールの一つが「立場表明」(ポジショナリティーステートメント)である。研究者なら、出身地、研究歴、専門分野、研究動機、問題意識、資金源や利害関係、倫理的な配慮、データ管理の考えなどを、関係者に文書で明示する。もちろん開示の範囲には倫理的な配慮が必要だが、研究者だけでなく参加する行政、企業、住民、NGOなども、それぞれの立場や価値観を示すことが望まれる。 地域の生態系保全を目的とした研究でも、こうすることで参加者が互いの価値観を可視化し共有できる。住民参加の会合を開いても、研究者が自らの前提となる価値観を隠したままでは信頼は得にくいが、価値観を開示して自他ともに明確化すれば信頼構築に役立つ。得られた研究結果の解釈の共有が容易になり、対話を通じた意思決定も透明になる。 もう一つ欠かせないのが、プロセスの記録である。研究や議論の過程で行う価値判断-どの生態系リスクを重く見るか(機能か希少種かそれとも景観か)、利用と保全の対立点、許容される対策コストの見積もり、各参加者の意見や価値観の変遷などを、第三者が追跡・批判できる形で記録し、開示する。こうして生物学的な事実と価値を区別しながら、最終的な意思決定までの過程を透明化するのである。 往々にして参加者の間で意見が対立して合意できず、行政または研究者の責任で意思決定を下さざるを得ない場合があるが、そこに至る議論の過程を記録し、開示しておけば万一失敗した場合にも原因の解明と同様な失敗の予防に貢献できる。 二コルーケヒエレらは、生物多様性の保全に関わる研究者は、個人と集団の価値観が研究に与える影響を自覚してそれがもたらす問題に責任を持つべきだと主張している。そして個人と集団の価値観を可視化するために「立場表明」や「自己省察」を論文や報告書の中で明記するよう推奨している。 疑似科学や陰謀論の修正にも、こうした「立場表明」と「自己省察」を組み込んだ議論が役立つ。内省的な思考をする傾向が弱いほど、陰謀論への信念が強いという関係が文化の違いを超えて知られているが、「自己省察」のように、自分の思考を客観視して分析する訓練を行うと陰謀論への信念が低下する。また、陰謀論の信者に対し、なぜそれを信じているのかという理由や、その信念に対する自身の迷いについてAIを利用して対話的に振り返らせる実験では、そうした内省だけで陰謀論への信頼度が下がるという。 従来、疑似科学や陰謀論の信者は強すぎる自己愛などの心理的要素や、主張の反証不可能性のために、その信念を変えるのは困難とされてきた。しかし実は彼らも十分に説得力のある証拠に出会えば信念を放棄する可能性が高い。これは実際にAIを使った対話実験でも確かめられている。事実の証拠への接近を阻んでいるのが特定の価値観なら、その可視化と内省によるバイアスの緩和は効果的な手段である。結局これも科学的な正しさを損ねる価値観のバイアスをどう管理するか、という話に一般化できるのである。 自然科学では自己の価値観の表明が客観性を損ねると見なされがちだが、自らの価値観の可視化と分析は自然科学においても有意義である。特に研究で得た成果や知見の社会的な受容や社会実装に価値観が影響する場合には、自らの価値観を隠蔽して客観性を装うことの方が、倫理的にも科学的な信頼性の点からも不適切である。 事実と価値判断の混同を防ぐために最も必要なのは、自らに絡みつく価値観が何かを語り、明確にすることである。 読吉速度を学習中。 「科学的に正しい」の罠(SB新書) 立場表明 というわけで最後に、私自身の価値観、動機、問題意識、立場、研究者として属するコミュニティ、およびそれらと本書の内容との関係を表明しておこう。本書のような自然科学の普及書でも、価値観による記述の偏りを読者が評価点検できた方がよいからだ。本書で掲げた「科学的な正しさ」のテーマは、編集者の吉田凪が私に与えた、神からの授かり物のごときミッションなので、その背景について語れる要素は少ないが、それを研究者の立場からどのような問題意識と価値観をもとに語ろうとしたのか、なぜ本書で挙げたトピックを選んだのかを記すことは可能である。 もちろん私は価値中立な立場ではない。個人的な経験による価値観のバイアスもある。受け継いだ文化、伝統を大切に感じる点で保守的で、それに改良を加えたいという志向や、反差別・反格差の意識はリベラルである。極端な社会民主主義は支持しないが、ハイエクのオリジナル版ならともかく、新自由主義にも与しない。それが拡大させる社会格差は優生学やルイセンコ的な疑似科学の温床になり、代々受け継いできた科学を破壊するからである。 「ブルジョワ科学」という言葉を聞いたのは学生時代のことである。1980年代の教科書にはまだそんなルイセンコの世界から抜け出してきたような言葉が残っていた。そのころ私は地学科に所属し古生物学を専攻していた。戦後、教科書の地質学には左翼系のグループがあり、旧ソ連の影響で地向斜造山論という古い理論に固執し、新しいプレートテクトニクス理論を西側のイデオロギーと敵視して受け入れなかった。しかもルイセンコの影響も受けてラマルクを信奉していた(ただし地向斜造山論は彼らだけが支持していた説ではなく、誤りではあるがルイセンコ説のような疑似科学ではない)。 私の大学院生時代の師・速水格は、米国で進化を学んだ遺伝学者・駒井卓の影響を強く受け、また駒井がその学生時代を支えた木村資生の助言も受けて、古生物学と集団遺伝学の融合分野の構築を進めていた。駒井は日本に流入したルイセンコ説を最初に批判した遺伝学者の一人でもある。また速水は米国の進化学者スティーヴン・J・グールドの古くからの親しい友人であるうえ、プレートテクトニクスと生物進化の関係も研究しており、旧ソ連の科学を信奉するグループとは二重に対立した位置づけにあった。 教員や先輩からは、政治的に学会や人事を支配する彼らとの戦いで心を病んだ話や、イデオロギー攻撃の話、理論より実践、リーダーに絶対服従の集団による研究の話、自己批判を強制される話など、ルイセンコを彷彿させる怖い話を随分聞かされた。人間らしさが否定される怖い組織というのが、そのグループの印象だった。 だが単純な二分法には落とし穴がある。実は私は大学院に進学する前-大学生時代は別分野を専攻し、劣悪な学生だったので当時の教員から指導をほぼ放棄されていた。その時の私を支え、励ましてくれたのが他大学の地質学のとある教員だったのだが、のちにその教員がこのグループの中核メンバーの一人だったことを知った。 大学院卒業後に知己を得たり同僚になったりした地学系の研究者にも、このグループ出身者が何人もいたが、その中に反プレートテクトニクスの人や、偏った思想の持ち主は見当たらず、総じて有能で非常に尊敬できる人たちであった。時代の変化と複雑さに対し、自分の硬直化した先入観が、事実の認識を歪めると感じた。 しかし国内外を問わず科学を脅かす危険な思想は確かに存在する。他者の思想は気にするが自己の中立を疑わなくなる、つまり価値観の管理ができなくなると、こうした思想に支配されやすい。だから内省や振り返りと、違う業界や立場、文化の人たちから学び、価値観を揺さぶり反転させるのが重要だと考えている。そう容易な話ではないが。 イデオロギーとしての生物学 私の仕事と楽しみは進化の研究であり、かつ適応への関心が強いので、優生学やドーキンス炎上事件への言及は、その価値観と相反するように見えるかもしれない。だがこれも一種の内省で、優生学の教訓を語るのは進化学者の務めだとさえ考えている。 この意識を私に植えつけたのは、師の速水と、長年にわたる私の友人・同僚の進化学者・河田雅圭である。ヒトの行動・心理は文化的な要因とともに、それと相互作用する遺伝的な基盤をもち、多くが進化の結果であるという理解もそうだが、河田に由来する。価値観や科学への見方に違いはあるが、ゲノム解析を用いて遺伝的基盤を解明し、可能な限り因果関係を調べ、かつ過去の自然選択を推定するなどしなければ、個人や集団間の行動の違いを適応だと実証するのは困難、という私の考えに、彼の影響は無視できない。 私が適応のプロセスに魅力を感じるのは、時にそれが直感に反する結果を導くからである。一見すると不利な性質が、実は適応の産物である、というようなケースだ。例えば配偶者の獲得や受精の成功に作用する自然選択、性選択で、生存に不利に見える性質が進化することがある。また、血縁者を助ける性質に寄与する遺伝子が、ほかの遺伝子より多く子孫に受け継がれると、その遺伝子は世代を追って頻度を増し、利他的な性質が集団に定着しうる。この考えは、ダーウィンが原型を着想し、ホールデンとフィッシャーが言及したのち、ウィリアム・ハミルトンが定式化した。このように血縁者への影響を通じて、ある遺伝子が集団内で頻度を高める自然選択を血縁選択という。 1975年、米国ではエドワード・O・ウィルソンが、著書『社会生物学』の最終章で、血縁選択や性選択などを含む適応原理により、ヒトの文化、道徳、行動(社会性だけでなく、外国人嫌悪や民族差、性的役割分業も含む)を生物学的に説明できると説いた。ウィルソンには進化学と経験科学に基づき、宗教や伝統的な道徳に代わる人間の指針を示したいという意思があった。 これに対し、人種差別や性差別、社会的不平等を生物学で正当化し、優生学を招くものだとして、主に左派のグループから激しい批判が巻き起こった。批判の中心はウィルソンの同僚-先述のグールドと進化学者リチャード・ルウォンティンであった。 グールドは進化に発生機構や偶発性の役割を重視する古生物学者だが、ルウォンティンは分子レベルの集団遺伝学の先駆者であり、ゲーム理論を進化に初めて本格導入したほか、環境と遺伝子の相互作用などの研究で、革新的な成果を挙げた研究者である。だが同時にルウォンティンは急進的左派を自認し、著作の中には、強烈なマルクス主義信仰による歪みが無視できないものもある。例えば彼にはルイセンコ問題を独自の視点から分析・批判した論文があるが、せっかくの重要な示唆がマルクス主義への熱い想いのせいで台無しになっている。加えて必要以上に攻撃的で反感を買いやすかった。 一方ウィルソンはアリを中心とした昆虫学、島嶼生物学や生物多様性の保全など多彩な業績で知られる。科学の政治的中立を貫いた人格者として信頼を集め、日本の国際生物学賞など数多くの受賞歴のある偉大な進化学者である。この論争はたちまちメディアや様々な立場の人々を巻き込む騒動に発展した。それは「科学の方法論」と「科学が社会において果たすべき役割」という、極めて根源的かつ現代的な問いをめぐる思想的な戦いだった。ルウォンティンらは、科学が社会から影響を受け、社会に影響を与える点で、科学を価値観や政治性から切り離せないと考えていた。 これに対しウィルソンやその支持者は「科学の客観性・価値中立」や「科学的事実と政治・倫理の分離」を唱え、自分たちに対する批判を「左翼思想による科学への政治的攻撃」だと主張した。それに同調した人々やメディアが議論を単純化し、扇情的な個人対立を煽った。加えてウィルソンが活動家に水をかけられたなどの逸話で争点が矮小化したうえ、左派への警戒感も手伝いルウォンティンらの批判は社会からの理解を十分に得られなかった。 結局、「科学的な正しさを歪めた左翼の政治的攻撃」これが彼らの批判に対する従来の一般的な評価だが、私は話を直接グールドや彼の学生から聞いた事情もあり、この評価に同意できなかった。 彼らの懸念の一つは、社会生物学が遺伝的な仕組みをブラックボックスにしたまま、あるいは極度に単純な仮定を置いたまま、行動の適応についての仮説づくりを先行させていたことだったからだ。それは左派右派とは何の関係もない方法論の話である。 ンなどではなく、研究テーマの選択や資金、解釈の背後にある権力性を自覚することだった。彼が取り入れたマルクス主義の要素も、科学と社会、生物と環境などの関係を捉える起点への利用が主である。事実と価値が絡むゆえに、逆に事実による実証を徹底しなければ危険とみる立場だった。 私はルウォンティンとグールドの批判は的を射ており、今なお重要性を増していると考える。彼らは「遺伝的な基盤がわからぬまま、相関と因果関係を混同して乏しい証拠でヒトの行動を適応と断定すると、社会的不平等や差別を自然なものとして正当化する危険性がある」と警告したが、これはまさしく第4章で述べた問題を予期している。また彼らは「無自覚の価値観が絡む科学や、価値中立・政治的中立を偽装した科学が、差別を強化し、非人道的な政策を生み出し、疑似科学を台頭させる」と指摘し、「科学的中立の主張が持つ権力性」の問題を訴えたが、これは現代科学が抱える問題の中枢を捉えている。彼らが目指したのは「科学的な正しさに対する脅威」の拡大を予防することだった。 そして「研究者は科学的事実だけでなく、自身の価値観を明示し、社会的責任を自覚した説明をすべき」ではない。正しさの罠に掛かった人々の方である。彼らの訴えを、私は本書で「科学的な正しさを守るための規範」として掲げた。本書は彼らのこうした主張のエッセンスを、現代の様々な事象に合わせ、アップデートして説くかたちになっている。 その先進性にもかかわらず、彼らの主張が多くの人々やメディアから単なるイデオロギーによる政治的攻撃と扱われ、科学の信頼性を損なうものと評されてきたのは不可解な話であった。彼らが先進的すぎたのかもしれないが、別の事情もありそうである。 実は、最近公開された書簡などの新資料を受けて、ルウォンティンとグールドの主張に対する従来の評価は大幅に見直されつつある。最新の研究では、ウィルソンが科学の価値中立と政治的中立を装いながら、悪名高い極右系人種差別主義者を長期にわたり手厚く支援しつつ、舞台裏でルウォンティンらを政治的に攻撃した事実を示しており、経緯の根本的な見直しが進んでいる。ただし私はウィルソンへの非難には反対する。問題は彼の崇拝者たちである。 社会生物学を継承するヒト行動の進化研究では、一部に現在も「価値中立な生物学」を盾に、証拠に乏しく、人種差別や性差別に繋がる研究が数多く生産されているが、その一因は、論敵への左翼思想のレッテル貼りと、偽りの科学的中立を鵜呑みにした人々が、主張の中身を見ずにルウォンティンらの批判を軽んじたからであろう。 進化人類学者のレベッカーシアーはこう記している。「物議を醸すテーマで劣悪な研究を科学として通用させたい人々は、批判を避けるために、客観的な科学だと主張するだけでよい……皮肉にも、科学と政治は分離すべきだという規範は、結果としてこの分野が科学的人種差別、性差別、階級差別の温床となる状況を助長してしまった可能性がある」。 一方、ウィルソンについては、第1章でミリカンに触れることで、私の考えを示した。その偉大な業績自体が揺らいでいる。この社会生物学をめぐる論争を経て、次にルウォンティンとグールドは、「遺伝的な仕組みをブラックボックスにしたまま行動の適応を論じている研究」の本拠地に、攻撃の矛先を向けた。それは、自然選択による適応を形質進化の「適応主義」であった。一方、ルウォンティンとグールドの主張は、適応以外の要因(発生経路や系統による制約、偶発性、遺伝子調節などの遺伝的な仕組み)も進化の説明に等しく考慮すべきという「進化の多元主義」だった。 彼らの適応主義攻撃に対して真っ先に応戦し、痛烈な批判を浴びせた進化学者が、オックスフォード大学のアーサー・ケインであった。1978年にロンドン王立協会で行われた会議で、ケインは司会者であったにもかかわらずルウォンティンとグールドを辛辣に批判した。「彼らは適応が真実であることを知っていた。適応が真実だと知りながら、適応に根差す社会生物学の、政治的な意味づけをひどく嫌った。その結果、彼らは科学者としての信頼性を放棄したのだ」。 もともとケインは適応主義の砦として、自然選択の実証と多元主義の打倒に半生をささげてきたので、この批判は当然である。ただしここで政治的な意味づけ、とは、左翼的とかマルクス主義的といった意味ではない。その批判は適応という事実と、差別につながるという価値観・倫理を混同した、という意味なのだ。 ルウォンティンに追随したグールドはその数年前まで熱烈な適応主義者で、ケインにしてみれば、我が陣営と信じていたはずである。それがルウォンティンにそそのかされた結果かどうかは別として、彼の唐突な心変わりを、価値観で事実を歪めたものとケインが捉えたのは無理もない。ケインの主張は正しい。だが、ルウォンティンとグールドの異議の発端はヒトを意図したものだった。ヒトの性質も適応で説明するなら、証拠の薄い物語化は危険、相応の厳密さが必要、という話だとすれば、彼らの主張は正当性をもつ。 ケインの批判はあくまで適応についての話で、ヒトのことを踏まえたものではない。だがもし仮にこちらもヒトを対象としたものだったとしたら、どうだろう。この論争から約40年後の、ドーキンスの炎上コメントは実はそれと似た意味づけになっていると、私には思われたのである。ドーキンスの主張は正しい。だがその主張の正しさが伝わらないのは、ヒトを対象としたとたん、事実の主張は容易に価値観と分離できなくなるからである。これが第3章冒頭に記した経緯である。 科学者の思考に影響を及ぼす学派の系譜について、英米の進化学者は、考え方に系譜の影響が色濃く滲む。彼らが自らの経歴を語る時、たいていまず口にするのは師-弟子や同僚の関係である。科学の説明は、客観的な事実だけでなく人間関係やコミュニティの中で構築される。 左翼思想の影響といった通俗的で薄っぺらな話しか知らないと、ケインとルウォンティン、グールドの論争の背後にある、別のもっと根本的な進化観の対立を見落とす。ケインの師、エドマンド・B・フォードはフィッシャーの盟友にして、ともに適応主義の砦だった。ハミルトンを集団遺伝学に導いたのは、フィッシャーの『自然選択の遺伝学的理論』であり、その血縁選択の理論構築に重要な助言を与えたのもフィッシャーの弟子の一人だった。 血縁選択という用語も、ハミルトンの論文の発表前、オックスフォードに集まった4人の進化学者、ケイン、それからハミルトンの原稿を手にしたジョン・メイナード=スミスとほかに二人が議論しているうちに、誰ともなく思い浮かび、それをメイナード=スミスが論文で初めて使用したものだという。この四人のうち、ホールデンの弟子だったメイナード=スミス以外は、すべてフォードの同僚または弟子で、またメイナード=スミスもフォードの強い影響下にあり、彼らオックスフォード派は進化をまず自然選択による適応で説明する考え方を共有していた。彼らの立場の広報役として主張を広めるのに貢献したのがドーキンスであった。 一方ルウォンティンは、自ら明かしているように、政治思想は真逆だったにもかかわらず、進化に対する問題意識をコロンビア大学で師のドブジヤンスキーから受け継いだ。実際、ドブジヤンスキーは自然選択を進化のプロセスの一つとしかみない多元主義者で、進化学は反差別と人道主義の旗手であるべきという信念の持ち主だった。またドブジヤンスキーの多元主義は盟友だったシューアルーライトから受け継いだものである。さらにドブジヤンスキーの師、コロンビア大学のモーガンは優生学に批判的であるとともに、自然選択に懐疑的だった。 モーガンもライトも、形質と遺伝子の複雑な関係を重視し、統合的に理解すべきだと考えていたが、ルウォンティンはこの点でも彼らの考え方を引き継いだと言える。先述の駒井の留学先もモーガンの研究室であり、そしてライトはモーガンの門下生たちと親しく、広い意味でコロンビア派に属していた。ちなみに彼らと直接の関係はないとはいえ、グールドもコロンビア大学出身である。実は20世紀前半から半ばにかけて自然選択中心の適応主義が進化学の主流であった。 義と遺伝的浮動を重視する多元主義をめぐる大論争があった。オックスフォード派の祖シャー、フォードと、コロンビア派の祖・ライトとの間で繰り広げられた熾烈な論戦である。当時、ドブジヤンスキーや駒井もこの論争に参戦し、ライトを支持した。 自らの系譜を自覚すること つまリケインとルウォンティン、グールドの戦いは世代を超えた英国オックスフォード派と米国コロンビア派の戦いという構図になっている。またそれは、古典的優生学支持派と消極派の戦いという、イデオロギー対立の延長線上に位置している。ただし、この話には思いがけぬオチがある。第3章でドーキンスの「優生学は可能」発言を支持し、共闘したジェリー・コインは、ルウォンティンの弟子である。彼は事実と価値観を分離できるという素朴な考え方に留まった。ただし実証性を欠くヒト行動の進化研究の事例を「科学の皮を被った物語」と評すなどやはり弟子である。 さて、私の留学先の師は、ケインのオックスフォード時代の一番弟子、ブライアン・C・クラークであった。ちなみにクラークは、ケインから引き継いだ適応主義の砦として、ライトと駒井の知的遺産を継ぐ木村資生と、分子進化の中立説をめぐり熾烈な論争を繰り広げた。帰国後の私の研究室にクラークが逆に留学生として送り込んできたのが、今なお協力関係を続けている長年の相棒アンガス・デビソンだが、彼はクラークの弟子であり、かつクラークの後継者である。また私の長年にわたる友人で共同研究者のロバート・カウイは、ケインの最後の弟子である。 というわけで進化学者としての私たちは、ゴルトンの後継者を自任していたフィッシャーの系譜の末裔である。それは適応主義と、150年に及ぶ自然選択説の直系かつ優生学の本流の末裔でもある。それゆえこの系譜が私たちの思考に及ぼすバイアスを自覚しておかないと危険だという意識はもっている。進化学者は他者をひどく傷つけてきた歴史を顧みずに、進化学の意義を訴えても、一般社会の理解は得られないだろう。要するに私は自然を知り、農業、防疫、環境保全などに役立つ科学として進化学が重視されるのを望んでいる。だから社会からの支持が必要で、それには過去を含め検証と内省が欠かせないと考えているのである。 なお、オックスフォード派の主要な研究者は、社会生物学を動物行動理論の土台として高く評価し、科学的中立を支持したのは事実だが、その人間社会への適用には証拠不足だとして慎重な態度をとっていた。少なくとも彼らの大半は遺伝的な違いを重視しつつも、人間行動の遺伝子決定論などを決して支持したりしなかった点は強調しておきたい。 公的な場所で科学を語ること 現代の進化学はゲノムレベルの研究が進み、適応を高い精度で推定できるようになった一方、かつてグールドとルウォンティンが主張したように発生や系統に由来する制約や偶発性、遺伝子調節のネットワークなどの遺伝的な仕組みも重視するようになった。彼らの批判は適応進化の研究に組み込まれた。「適応ありきの研究姿勢のため、形質に対し都合の良い適応物語を場当たり的に生産してしまう」「機能と適応を同一視したり、適応の単なる副産物を適応と誤認する」適応以外の代替え仮説を想定しない適応主義が陥る危険を、彼らはこう指摘したが、現在ではこれを回避するための手法や理論が整備されている。だが実はこの指摘の意義はいまだ失われていない。第4章に記したヒトの行動に関する適応仮説が生んだ問題は、まさに彼らが警告したものだった。 ゲノム科学の発展に伴い、ヒトの行動の遺伝と進化の研究は重要性を増している。医学・生物学を道徳や倫理だけの世界に変えようとする疑似科学や、偽りの客観性で差別を商品化する優生学ビジネスとの戦いの前線でもある。だからこそ倫理観の欠如は彼らを利することになってしまう。 もちろん何を考えるのも研究するのも自由である。問題はその先だ。以前、デビソンとグラスを片手に、なぜヒトの左利きは少数派として存在しているのか、という話になった。デビソンの研究テーマの一つは、生物の左右の非対称性を決める遺伝的機構なので、それは自然な会話の成り行きである。デビソンの問いは、左利きはなぜ少数派なのか、ではなく、なぜ少数派ながら左利きがいるのか、ということであった。手を使う協力行動では左利きが不利で、生存率が下がるなら、集団から自然選択で除去されていなくなるはずなのに、なぜ少数ながら維持されているのか、という疑問である。 仮説の一つは、左利きは協力行動では不利だが、戦闘では有利だった、というものである。スポーツ選手の場合と同じ理由で、少数派が有利になる自然選択・師のクラークが提唱した負の頻度依存選択が働いた、という考えである。それで、もしこの仮説が正しければ、左利きに関係する遺伝子群は、暴力性や攻撃性に関係する遺伝子群と強く連鎖しているはずだ(もしそんなものが本当にあるなら)、という話になる。つまり左利きは危険で、攻撃性が高い傾向があるはず、という説明である。この会話が第4章の「戦士遺伝子」と「左利き」の話題の元ネタである。 グラス片手に、同じ価値観の持ち主同士、私的な会話の中でのブレインストーミングなら、このような話もするだろう。こんな議論を日常的に行う研究者コミュニティにいれば、一般社会の価値観を排除し中立的なものとして話を理解するスキルも身につく。だがそれが許されるのは、あくまでそれができるはず、という同じ価値観を共有する閉じた均質なコミュニティの中だけの話である。 普通の進化学者なら厳密に裏付けるデータもなしに、こんな雑な話を公的な場所でしたりしない。仮にそれが事実であっても、なぜそれを公表する必要があるのか、それによって生じる人権上の問題は何か、結果にどのレベルの信頼性があれば発表できるのか、どうしても公開する必要があり、かつそれが許されるなら、それによって影響を受ける人にどう配慮すべきか、生じうる問題に誰がどう責任をとるのか。こうした一般の人々の価値観を考慮せずに科学的に正しい事実だと称して安易に主張していたら、進化学を支持してくれる人たちなど、差別主義者以外誰もいなくなってしまうだろう。 ちなみに私は左利きである。恐らく幼少期に左利きであるがゆえに不器用だとか、無作法だとか、危ないなどと苦情を言われ、差別的な対応を受けた経験をもつ最後の世代であろう。それゆえ左利きに関する研究の経緯についての説明には、こうした私の価値観が背景にあることを明示しておきたい。この言明は説明の客観性への期待度を下げるかもしれないが、読者が私の説明にどんなバイアスがありうるかを知って割り引ける点で、相対的により信頼性の高い説明に近づけるだろうと考える。 説明のブラックボックス化を疑う ところで前々節でケインの門下生として紹介したカウイを、はるばる小笠原まで自然を見せに連れて行き、そこで起きている固有種の絶滅について説明したことがある。その時カウイは、現代の生物種の絶滅率は過小評価されている、としきりに訴えていた。この訴えの結末が第5章「6度目の大量絶滅」の話である。これに対し、それをシャングーサイエンスと呼んだアーウィンは、私が初めて国際学会のシンポジウムを企画したときの相方である。その時の彼は古生物学と生物学の溝にどう橋を架けたらいいかを真剣に説いていた。 知人たちが始めたパドルは心に響く。ただ、古生物学者は研究対象の絶滅がデフォルトであるせいか、生態系の保全に対して冷めた目で眺めているところがある。私は保全を重視する立場なので、この価値観が私の結論にバイアスをかけているかもしれない。逆の見方をするとこのバイアスは、生態系の保全を重視する私たちが、絶滅を防ぐ=正義という論理の飛躍に陥るリスクでもある。もし「大量絶滅という用語を使った思考停止」という批判に、ただ反発を感じるだけになったら、生態系の危機という説明のブラックボックス化が進んでいると考えた方がいい。むしろこのように異なる視点からの批判は、ブラックボックス化を疑い、その抑止や緩和に役立つとみるべきである。 そこで第5章の「カンブリア爆発」のブラックボックス化についてだが、私も二度「爆発」という用語を申請書のタイトルに使って研究費を獲得した。実績がある。この章の批判は実は自分自身にぐさぐさ突き刺さっている。 科学と宗教は対立ではなく、二つの並行した方法である。ルイセンコを進化学史に含めてはならない理由は、創造科学やID論を進化学史に含めてはならない理由と同じである。どちらも権力とメディアに頼る疑似科学だからだ。どちらも説明からイデオロギーの部分を外してみると、後には何も残らない。 創造科学の宿敵といえばグールドだった。1982年のアーカンソー州法に対する裁判でも証言台に立ち、創造科学打倒の一翼を担った。だが私が一番驚いたのは、彼の創造科学に対する容赦ない攻撃と批判の厳しさではなく、逆に自分の研究室に創造科学の信者を公言する学生を受け入れていたことであった。しかもその学生はグールドの指導の下で学位を取得し、のちに創造科学運動のリーダーになった。 グールドが期待していたのは別の結果だったのだろうが、この危険なほどの度量と開放性は、個人の中身を見ずにイデオロギーだけで人を判断してはいけない、個人と個人を支配するイデオロギーは別、というポリシーゆえなのだと思う。キリスト教にも敬意を払ったグ Gouldは、宗教と進化学が互いの教義が扱う領域を重ならないようにできれば和解できる、と考えたが、私はこの実用的な考え方を支持している。 私はキリスト教徒ではないが無神論者でもない。それどころか私は、400年続く神社の嫡男にあたり、もし祖父が早逝せず父の気が変わっていなければ、家を継ぎ宮司を務めていたはずである。政治的、統制的な国家神道を別にして、呪術的要素が多く多神教で仏教や道徳的側面も含む神道と、洗練された一神教の体系を持つキリスト教はかなり異質である。それでも超自然的な存在を前提とする点であえて宗教としてまとめることはできるだろう。イエスを信じる人々がいかに排他的でも、神道にとってイエスは客神である。 だが、科学は違う。科学的な説明に宗教的価値観が絡むことは認めるが、だからといって科学と宗教を融合したり同一視したりする考えは支持できない。宗教と科学は別物で、かつ対立せず、役目も違うし優劣もないと私は思っている。 文化人類学者の多くは、呪術、宗教と科学はそれぞれ社会で異なる役目を果たし、現代社会においてどれも重要なのだと考えているし、文化人類学の巨人クロード・レヴィ=ストロースは、呪術・宗教と科学を対立させるのではなく、知を得る二つの並行した方法として見る方がよい、と説いた。ID論の罪は、逆説的に宗教を科学より下位に置いている点だと私は考えている。そうでないなら、ID論など不要だからである。宗教にも統制的で社会を加害するものがあるが、科学を偽装する点など、ID論と共通の要素を感じざるを得ない。 進化学とともにその応用研究として、私が従事してきたのは生態系保全である。そして条件次第ではそれが、やはり進化学の応用研究である優生学と同じ構図になりうることに悩まされてきた。なぜなら私自身が元来「生物の多様性を守る=倫理的義務」という思想の持ち主だからである。道具主義は嫌いである。それが必要だし重要だとわかっているが、生物多様性の市場化・金融化もネオリベ的なので信条に反する。だが認めなければならない。 「生物多様性の保全は、一歩間違えると暴言にみえるかもしれないが、私の研究室の名称は『生物多様性保全分野』である。つまりこれは自分たちへの警句なのである。私が進化研究と保全の実践の場としてきたものの一つが小笠原諸島の生態系である。独白の進化を遂げた生物が生息し、進化や生態学の研究に適した小笠原やガラパゴス諸島のような島嶼の生態系を私たちは『自然の実験室』と呼ぶ。だが一見、価値中立で科学的なこのメタファーも、実は過去の列強による植民地支配と搾取のイデオロギーを纏っている。科学の用語だから価値フリーなどと素朴に信じてはならない例である。 『自然の実験室』のメタファーは、島における保全活動家以外の人間を、島の固有種と自然にとって「不自然な脅威」とみなすのに効果的だった。そして20世紀後半、ガラパゴスのほかアフリカでも、科学者、保全活動家、観光客を優遇する一方で、地域住民を排除し、彼らの生活を制限するために、この言葉が使われた。植民地時代の支配と排除の論理を、脱植民地化後の自然保護運動に拡張し、促進する強力なイデオロギー的ツールとして機能させてきたのである。 小笠原では研究者も行政もこうした負の歴史を繰り返さぬよう心掛け、住民を交えて保護区などの制度設計に取り組んだ経緯がある。だが生活に制限がかかる面は否定できず、対話不足だった懸念が拭えない。制度や保全対策の見直しは欠かせないが、それには異なる立場の住民や行政、企業それぞれの価値観への配慮が求められる。 それゆえ科学において、どのように価値観を管理すればよいかを考えることは、切実な課題であった。第5章、第8章では、ルウォンティンらの価値観の扱い方を保全にも適用したが、これは私が小笠原で実践した保全研究と事業の経験を踏まえている。だからこれは住民や行政、企業との協力、軋轢を経て形づくられた、私自身の問題意識の反映でもある。遺伝子組み換えを含む外来種防除技術は、小笠原諸島での実施を前提に検討中のものである。実際には様々な利害関係ゆえに有効な保全対策を実施できない現状があるし、当初の緩い協力関係を機能させていた土台が硬直化し、研究者と行政が閉鎖的になりつつあることを懸念している。この危機感も私の記述の背景にある。 科学に伴う価値観の管理という問題意識には、私の所属機関での経験も関係している。私の研究室は生命科学研究科と東北アジア研究センターという二つの大学部局にまたがっている。研究室の学生はすべて前者に所属しており、教育活動の場も基本的に前者である。後者は東北アジア地域の総合理解を目的とした部局だが、私の場合、研究で中国・極東ロシアなどの生物データが必須になり、そのための情報と知識が必要なのでここにきた。だから私の関心の核はあくまで進化とその応用と大陸の無尽蔵な自然である。 ところが最近10年ほど後者の運営の責務を負わされ、一昨年までの3年間は部局の責任者を命じられた。本書の記述にその時期の虚無感が漂う点は否定できない。大学も各部局も文科省が示す中期目標のKPIの評価項目の数値が低かったりすると、運営費の配分を減らされる。しかも学内で全部局の評価スコアも発表され、部局の貢献度と忠誠が数字のランクでわかるので、責任者のストレスが甚だしい。幸い部局スタッフが有能だったおかげで救われたものの、メンタルは著しく病んだ。 総じて苦痛に満ちた期間だったが、ダメージと引き換えに得たものもあった。この部局の特徴は、地球科学や生物学のほかに様々な分野がいることである。人類進化、文化進化、文化人類学、社会学、科学技術社会論、歴史学、外交・安全保障論などがいることだ。ミッションは緩く共有されているが、価値観はパラパラである。 だが責任者は、すべての分野を一通り理解していなければならない。各分野の研究の意義、何にどう役立つのか、社会に向けたそれぞれのアピールポイントを、高校生を含む一般向けや文科省や総長ら大学執行部に説明できないといけないからだ。「科学による価値創造」という政策目標に沿う説明を求められ、この直球の自然主義的誤謬を前に、絡まる暗黙の価値観を空想しつつ、しどろもどろになったこともある。 どの分野も目が眩むほど多様で深く難解である。専門家はやはり凄い。しかし講義やセミナーに参加して様々な話を聞き、著書や論文を読み、研究を体験し、執念深く理解に努めるという業務の副産物として知ったのが、価値観を管理する手法だった。例えば文化人類学なら、人間の社会・文化を分析し、理解しようとする科学なのだから、そうした技術を持つのは当然である。そのソフトな技術を使って常に他者の価値観に向き合い、他者を理解することが自己の価値観の投影にならぬよう修正する。そして異なる立場同士が対話できるように努めることが求められる。 土壌をつくり出す。しかし技術である以上、使い方は様々である。つまり対話と相互理解の手段にもなるし、災害復興や安全保障のツールにもなるし、それを使う自分たちを映す鏡にもなる。 彼らの理解を試みて得られた最大の成果は、自分たちの姿を知ったことかもしれない。というわけで本書の価値観が影響する問題についての説明は、この越境にも由来する。代々伝わる責任者の考えや文化人類学や科学技術社会論の専門家に動機づけられたほか、ルイセンコの話題の背景は、ロシア史専門のスタッフに負うところが大きい。 正しさのためには自らの価値観を語らなければならない。以上が、私の動機、問題意識、価値観、ことの経緯、それらと本書の内容との関係である。恐らく本書で記した説明のいくつかは、読者にとって違う意味づけになったと思う。 では最後に私が想定した本書のミッションについて書いておこう。それは予防である。恐らく成功に貢献したとしても、社会から最も評価されない努力の一つだろうし、仕事や業績を中立・客観的に評価できるという信念が幻想であることの象徴でもあるだろう。 まず前提として自然科学者は、説明の価値中立を重視し、データと事実の証拠から何が正しいかを判断すべきだと考えている。この価値観ゆえに社会に貢献する技術と知識を生み出せるし、社会から一定の支持と信頼を得ている。逆に自然の事実やそれについての説明の正しさを、科学と称して価値観で決めればそれは疑似科学である。 だが社会と文化が関わる事象も、すべて価値中立かつ客観的な自然科学だけで説明できるという信念は、優生学を生み出す要因の一つである。しかもそれは疑似科学が育つ土壌にもなる。価値フリーを偽装した科学的説明や自然科学を装ったイデオロギーは、今も日本や世界で科学的な正しさへの脅威を生み出している。 本書の未来の、高確率で予想される科学のイメージが、第2章と第3章の位置づけである。技術は進歩しても人の価値判断はそう変わらない。今の経済格差の拡大が続けばポピュリスム化は不可避で、強権的な支配とともに過去はいつでも蘇るだろう。悲観的と思うかもしれないが、崩壊は一瞬、気づいたときは手遅れ、が歴史の教訓である。 それゆえ本書の役目は何か脅威で、どうそれが科学を破壊し社会に損害をもたらすのかを伝えることであった。対策の基本は自らの価値観を自覚し、隠さないこと。そのうえで他者の価値観と対立があれば、まずは両立を試みることである。目指すゴールがだいたい同じになるなら、同床異夢で構わない。考えはパラパラでも、共通の解決策を見つけて動けばよい。一致団結せねば、などと考えてはならない。それは疑似科学の温床になる。 だから科学を使う者は、立場に関わりなく自分が支持する事実の主張に絡みついた価値観を意識しなければならない。科学的事実の中立性を守るなら、そしてもし事実に付属した価値があるのなら、事実とは別にあえてそれも語るべきなのだ。価値を語らない科学は、結局どこかで価値を疑われるのである。 あとがき 本音を言えば、本書のタイトルに興味を感じ、手に取ってくださるような読者のなかに、疑似科学や陰謀論はもとより、信頼できない科学の言説を信じるような方は実際にはほとんどいないだろうと思っている。だから、「この話は正しく見えるが、実は信用できません」「このような考えは誤りとされています」「科学を危機から救いましょう」という話を続けても、多くの読者に提供できるのは予定調和の安心感だけになる予感がした。 それはそれでいいのかもしれないが、読者に、何だこれは、という異質感を多少とも残さねば価格分の仕事をしたとは思えない私は、表向きの安心感の裏に罠を仕掛けた。「このような考えは疑似科学の温床です」「誤った劣悪な考えは社会に害を及ぼします」というメッセージを伝えたかった。 科学にだまされてはいけません。「信頼できる科学とはこのようなものです」という表向きの主張のちょうど裏側に「私たちがいま熱烈に支持している科学者や、正しいと固く信じている考え方は、もしかしたらあとで劣悪な科学の温床になるかもしれません」「私たちがいま正気かと笑い者にしている科学者や、疑似科学の源と見なす考え方が実は正しかった、とあとで分かる日が来るかもしれません」というメッセージを貼り付かせたのである。 従って本書は、実は逆向きの意図をもつ二重の構造になっていて、それは最後の章で気づく読者は気づける仕掛けになっている。つまり原因は結果となり、自らを生み出した条件を破壊する。理想的な目標の実現は、その本来の意図を挫折させざるをえない。科学の結論は常に暫定的であり、明日になればもっと良いデータで更新されるかもしれない。だから科学で不幸にならないために一番重要なのは、内省できる心の状態の維持である。とりあえず今はその意見を採用するが、信じたり崇拝したりはしない、とりあえず今はその意見を却下するが、破棄はしない、という心の余裕だ。 そこまで伝わるとは期待していないが、それでも一見穏当な見かけの中に、何か不穏な気配を感じていただければ幸いである。なお本書を執筆するにあたり多くの人々のお世話になった。特に次の方々には、討議や助言、情報提供などを通してご助力をいただいた。ここに厚くお礼申し上げる。荒武賢一朗、Delaney Alyne、石井敦、石井康人、石井弓、岡洋樹、Robert Cowie、河田雅圭、佐野勝宏、瀬川昌久、高倉浩樹、田谷昌仁、田村光平、寺尾萌、寺山恭輔(五十音順、敬称略)。 著者略歴 千葉聡(ちば・さとし) 東北大学東北アジア研究センター教授、東北大学大学院生命科学研究科教授(兼任)。1960年生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。静岡大学助手、東北大学准教授などを経て現職。専門は進化生物学と生態学。著書『歌うカタツムリ 進化とらせんの物語』(岩波科学ライブラリー、2017)で第71回毎日出版文化賞・自然科学部門を受賞。ほかに、『進化のからくり』(現代新書、2025)、『生物多様性と生態学 現代のダーウィンたちの物語』(講談社ブルーバックス、2020)、『ダーウィンの呪い』(講談社現代新書、2023)、『進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え』(講談社)、『遺伝子一種一生態系』(共著、朝倉書店、2012)、『招かれた天敵 一生物多様性が生んだ夢と罠』(みすず書房、2023)などの著作がある。