長生き地獄_森永卓郎  はじめにI長生きすることは幸せか  「長生きするって、本当に幸せなの」と妻が聞 いた。楽しそうな未来が見当たらないと言うの だ。  少し前までは、長寿はめでたいことだったし、 幸せな老後を過ごす高齢者は少なくなかった。 現役時代には、忙しくてなかなか行けなかった 海外旅行に出かけたり、国内の温泉巡りをした り、なかには豪華客船で世界を巡る高齢者もた くさんいた。旅行だけでなく、ダンスや盆栽な どの趣味に没頭したり、おいしいものを食べ歩 いたり、まさに人生の楽園を楽しむ高齢者がた くさんいたのだ。  ただ、そうした充実した老後は、健康とお金 があってのことだ。健康は、人それぞれの部分 があるのだが、すべての人に共通して問題にな るのは、お金のほうだ。高齢者の生活を支えて きた公的年金が、今後ずるずると減り続けてい くからだ。詳しくは本文で触れるが、30年後は 平均的サラリーマン世帯だった夫婦2人の年金 が、月額13万円まで減っていく。普通に考えた ら、13万円で暮らすことは不可能に近いだろう。  ここで思い出すのが、金融庁が2019年6 月3囗にまとめた「高齢社会における資産形 成・管理」という報告書だ。そのなかで、老後 を年金だけで暮らすためには、2000万円が 必要としたことが大きな論争となった。  立憲民主党の辻元清美国会対策委員長(当 時)は、「国民に対し、老後は年金だけでは暮 らせないから、投資も含め2000万円かかる ぞ、と。政治の責任を放棄したと言わざるを得 ない」と糾弾し、まず国民に謝罪すべきだと批 判したが、金融庁の報告書の推計は、きわめて シンプルなものだった。現在、無職の高齢2人 暮らし世帯は、月の収入が21万円に対して支出 が26万円と、月5万円の赤字となっている。こ の赤字を65歳から95歳までの30年間積み上げる と2000万円近い赤字になるので、それに相 当する資産を持っておく必要があるというだけ のものだ。  ただ、将来を展望すると、事態がもっと深刻 になることがすぐに分かる。収入が年金だけの 世帯は、月額収入が現在の21万円から13万円に 下がる。もし現在と同じ支出を続けると、毎月 の赤字は13万円ということになる。これを30年 間積み上げると、赤字は4680万円というこ とになる。老後を迎えるのに5000万円近く という、ほとんど実現不可能な貯蓄が必要に なってしまうのだ。  年金減に対処するための方法は、貯蓄を持っ ておくことだけではない。一つの方法は、収入 を増やすことだ。働き続けたり、投資で収益を 稼いだりすればよい。もちろん、高齢期に月額 13万円の勤労収入を得るのは非常に大変だ。し かも、働けば税金も社会保険料も増えてしまう。 投資で毎月13万円を稼ぐのはもつと大変だ。  一方、支出を半減させるのは、一見困難にみ えるが、私はやり方次第で不可能ではないと考 えている。節約には、税金も社会保険料もかか らないから、節約分は丸々収支改善に結びつく からだ。  いずれにしても、公的年金13万円時代は確実 にやってくる。そのとき何も対策を取らずにず るずると家計の赤字を出し続けていたら、確実 に生活は破綻する。住宅ローンの借り入れ限度 額は年収の5年分と言われる。しかし、それは 住宅という資産の裏付けがあり、しかも非常に 低い住宅ローン金利を前提にした話だ。生活費 の赤字で作った借金は、年収と同額まで行った ら絶対に返せない。年金13万円時代の場合は 156万円が借金の限界だ。たった150万円 の借金で老後生活が二進も三進も行かなくなっ てしまうのだ。  そうした「長生き地獄」を避けるために、私 たちは、具体的にどう行動すればよいのか。こ れから本文で詳しく論じていくことにする。  2021年12月                森永卓郎 第1章 年金はどうなるのか ■生き残るリスク  老後の生活設計をするための一番基本となる 数字は、何歳まで生きるのかという余命の数字 だ。ただし、自分の余命を知ることはとても難 しい。人間はいつまで生きるのか、誰にも分か らないからだ。平均寿命で考えればよいという 考え方もある。2020年の日本人の平均寿命 は男性が81・64歳、女性は87・74歳だから、男 性は82歳、女性は88歳まで生きると考えておけ ばよいという意見だ。  しかし、それはとてもリスクが高い考え方だ。 まず平均寿命というのは、O歳時点の平均余命 だから、老後を考える際の平均余命ではない。 例えば、現在、65歳の時点で男性のH%、女性 の5%がすでに亡くなっている。65歳まで生き 残った「強い」人は、そこからさらに長生きす るのだ。2020年で65歳男性の平均余命は 19・93年、65歳女性の平均余命は24・82年だ。 つまり65歳まで生き残った人は、平均寿命より も男性で3・29歳、女性で2・08歳長生きする のだ。  さらに問題がある。平均寿命や平均余命は、 あくまでも平均であって、それよりも長生きす る人が当然たくさんいるのだ。平均余命までの つもりで老後資金を使い果たしてしまったら、 その後の生活が立ちいかなくなってしまう。  そこで考えないといけないのが、生き残る確 率がどれだけあるのかということだ。図表1‐ 1は、65歳まで生き残った人が、年齢ごとに 何%生き残っているのかを整理したものだ。  85歳まで生き残る確率は、男性で53%、女性 で75%だから、少なくとも20年間は老後生活が 続くと考えてよい。問題は、その先だ。95歳ま で生き残る確率は、男性12%、女性29%だから、 この年齢まで生き残ることも、やはり想定しな いといけない。そのくらいの確率のことは、日 常茶飯事で起きるからだ。  実は統計的検定では、1%有意、5%有意と いう基準がよく用いられる。確率1%以下のこ とは起きない、あるいは確率5%以下のことは 起きないという前提を置いて、判断をするのだ。  この基準でみると、生き残る確率が5%以下 になる年齢は、男性が98歳、女性が102歳だ。 一方、生き残る確率が1%以下になる年齢は、 男性の場合102歳だが、女性は105歳でも 1%以下にならない。統計的検定では、5%有 意よりも1%有意のほうが、ずっと多く使われ ている。だから、老後の人生設計は105歳ま で生き残る前提で考えなければならない。老後 は40年間ということになるのだ。  40年間の生活資金を65歳の時点ですべて貯蓄 しておくことは、現実問題として不可能だ。例 えば、年間300万円の生活費が必要だとして、 40年分だと1億2000万円という、とてつも ない金額が必要になるからだ。  だから、生き残るリスクに対応するために一 番重要になるのが、公的年金ということになる。 年金は、どれだけ長生きしても、受け取り続け ることができるからだ。しかし、その公的年金 の将来の受給額について、ほとんどの国民が不 安を持っている。それは、当然の話だ。いまの 日本の公的年金制度は、「賦課方式」で運営さ れている。賦課方式というのは、現役世代が納 めた年金保険料をその時点の高齢者で山分けす るシステムだ。少子化の進展で、保険料を納め る現役世代が減少していく一方で、年金を受け 取る高齢者の数は増えていくのだから、年金受 給額が減少していくのは当然のことなのだ。そ れでは、年金は今後、どれだけ減っていくのだ ろうか。 ■年金は大丈夫だと主張する政府  公的年金に関しては、5年に一度、「財政検 証」が行われている。その時点の人口動向や経 済動向を踏まえて、将来どれくらいの年金保険 料が入ってきて、どれだけの給付ができるのか を再計算するのだ。直近の財政検証は、 2019年に行われた。そこで示された標準 ケース(人口中位、経済成長と労働市場への参 加が進むケース)で見込まれた将来の年金給付 額が図表1‐2だ。  この推計によると、年金受給額は減らない。 しかも、ここに書かれている金額は、物価上昇 率を調整した実質値だ。41年後の年金給付はい まの1・5倍になるという、まさにバラ色の未 来が描かれているのだ。  もちろん、こんなことは絶対に起こらない。 実は、この財政検証の推計には、現実を無視し たいくつもの強い仮定がおかれているのだ。  第一は、これはモデル年金だということだ。 モデル年金というのは、厚生年金の保険料を40 年間、完璧に納め続けた人のケースだ。現実に はそうした大はあまりいないから、平均の年金 受給額は、ここから1割ほど下がる。  第二は、実質賃金の上昇率を1・6%と見込 んでいることだ。ここのところ囗本の実質賃金 はずっと下がり続けている(図表1‐3)。例え ば、2020年の実質賃金は前年比マイナス ー・2%たった。2010年から2020年の 10年間では年率でマイナスO・7%だ。 2000年から2020年の20年間でも年率で マイナスO・7%となっている。1990年か ら2020年の30年間では、年率マイナスO・ 4%だ。つまり、どんなにひいき目に見ても、 今後の実質賃金は横ばいがよいところなのだ。 財政検証で41年後の年金給付が1・5倍になっ ているのは、この実質賃金の設定の影響が大き い。毎年1・6%ずつ、41年間賃金が上がり続 けたら、賃金が1・9倍になる。賃金が1・9 倍になれば年金保険料も1・9倍になるから、 その分、年金給付も増やせるという仕掛けなの だ。  第三は、高齢者がどんどん働くようになると いう仮定だ。高齢者が働いてくれれば、彼らは 年金の受け取り手ではなく、保険料の払い手に なる。つまり年金財政にとって、高齢者が働く ことは、一石二鳥の効果になるのだ。  財政検証が標準ケースとしている「労働市場 への参加が進むケース」というのは、高齢者の 労働力率(人口に占める労働力人口の割合)が 急速に上がることを前提としている(図表1‐ 4)。例えば、男性の労働力率は2040年時 点で、65〜69歳で72%、70〜74歳で49%という 想定になっている。一方、女性の労働力率は。 2040年時点で、65〜69歳で54%、70〜74歳 でB%という想定になっている。つまり、男性 は7割以上が70歳まで働き、半数が75歳まで働 き続ける。女性は過半数が70歳まで働き、3分 の1が75歳まで働き続けるという想定だ。そう でもしないと、いまの財政検証が示した年金は、 給付が不可能になるのだ。ただ、いま日本人男 性の健康寿命は一‥一一歳だ。それを超えて75歳まで 半数の人が働き続けるという社会を実現するの は、どう考えても不可能だろう。介護施設から 通勤する人が増えるという、ブラックジョーク のような状況を厚生労働省は想定しているのだ。  第四は年金積立金の運用利回りだ。公的年金 には、まだ高齢化がさほど進行していなかった 時代の遺産として積立金がある。2021年3 月現在で、その残高は192兆円となっている。 この資金は年金積立金管理運用独立行政法人 (GPIF)が運用しているが、運用先は外国 株式、国内株式、外国債券、国内債券が、それ ぞれほぼ4分の1ずつになっている。財政検証 では、この資金の運用利回りを名目で5%、物 価を差し引いた実質で3%と想定している。  しかし、そんな高利回りを達成するのは、不 可能に近い。国内債券の利回りは、ほぼゼロだ し、米国債の利回りも2%台だ。実際、GPI Fが発足した2001年度以降の累積の年率の 収益率は3・7%と、財政検証が想定する5% に届いていない。しかも、これは最近の株高に 支えられた利回りで、私は長期的には、運用利 回りが、もつと低くなるのは確実だと考えてい る。  例えば、日経平均株価の2010年から 2020年にかけての10年間の年平均利回りは、 8・1%(株価は年初のデータ)と比較的高く なっている。最近の株高のおかげた。ところが 2000年から2020年にかけての20年間の 年平均利回りは、1・O%と大幅に下がり、 1990年から2020年にかけての30年間の 年平均利回りは、マイナスー・7%と、利回り がマイナスになっているのだ。  私は、いまの株価は、海外も含めてバブルだ と考えている。バブルがいつ崩壊するかを正確 に予測することはできないが、バブルは必ず崩 壊する。だから、年金積立金の運用益に期待し てはいけないのだ。 ■財政検証からでも未来は見える  このように財政検証の標準ヶIスは、現実に はあり得ない想定を置いたバラ色の未来なのだ が、実は財政検証からでも、本当の公的年金の 未来を垣間見ることはできる。  財政検証は、将来の厚生年金給付について、 ケースーからケースYまで、6つのケースのシ ミュレーションをしている。その結果をみると、 現在61・5%の所得代替率(現役世代の手取り 収入の何%の年金が給付されるのかという数 字)は、最も楽観的なケースーで51・9%、最 も悲観的なケースYだと36〜38%に下かつてい くというものになっているのだ。  経済も成長せず、高齢者の労働力率も上がら ないという最も悲観的なケースがケースYなの だが、私はこのケースが一番現実に近いものだ と考えている。そこでケースYを前提に考える と、現在の厚生年金のモデル年金は22万円だか ら、単純計算で、現状の61・5%という所得代 替率が36%に下がると仮定すると、いまから31 年後、2052年の、夫婦2人のモデル年金は 月額12万9000円ということになる。  ちなみに財政検証が示している2052年の 年金月額は、ケースYでも18万8000円(夫 の厚生年金7・6万円十夫婦の基礎年金H万 1000円)となっている。私の単純計算と5 万9000円も違う最大の原因は、2052年 の時点でもなお、年金積立金の取り崩しを年金 給付に投入しているからだ。だから所得代替率 が46・1%にとどまることになっているのだ。  しかし財政検証は、ケースYの場合、この年 を最後に年金積立金は枯渇するとしている。最 初に示したケースYの36〜38%という所得代替 率は、積立金を食いつぶして、完全賦課方式に 移行したときの数字なのだ。また、積立金の利 用以外に、私の推計との違いをもたらしている のは、ヶIスYでも、実質賃金が毎年O・4% ずつ上昇するという仮定に立っていることの影 響だ。わずかO・4%でも、31年間積み重ねる と実質賃金は13%も上昇するのだ。  私の単純計算による夫婦で12万9000円と いう予測は、実質賃金の上昇をまったく見込ん でいない。だが、少なくともこの十数年の実績 をみる限り、私の仮定のほうが正しいことは明 らかだろう。日本の賃金が上がらないというこ れまでの現象が続く限り、やはり31年後の夫婦 2人のモデル年金は13万程度まで下がることに なるのだ。 ■独自試算による年金月額推計  将来の公的年金給付がどうなるのかは、老後 の生活設計をするうえで、とても重要なので、 ここではもう一つ、独自の推計をしておこう。 先にも述べたように、囗本の公的年金は賦課方 式で運営されている。現役世代が支払った保険 料をその時点の高齢層で山分けにする方式だ。 そのため、保険料率が変わらないとすれば、受 給額は人口構造で自動的に決まる。  例えば、高齢者1人を現役世代4人で支えて いるときと比べて、高齢者1人を現役世代2人 で支える時代になれば、年金給付が半減する。 それだけの話だ。もちろん保険料を引き上げて いけば、年金給付を増やすことは可能だが、厚 生年金の保険料は年収の18・3%という現行負 担率で頭打ちにするということが決まっている。 現実問題としても、これ以上年金保険料の負担 率を引き上げたら、現役世代の生活が成り立た なくなってしまうだろう。  年金制度をよくご存じの方は、基礎年金(国 民年金)の2分の1は、税負担になっているの だから、人口構造の影響だけでは決まらないと 思われるかもしれない。しかし、これまでの経 緯をみると、国庫負担の増加は、消費税率の引 き上げで賄われている。消費税率が上がれば、 その分物価が上昇し、年金給付が削減されるか ら、大雑把に言えば、国庫負担分に関しても、 人口構造の高齢化で負担が高まった分は、消費 税増税による物価上昇という形で実質年金給付 が減少するので、高齢者にも降りかかってくる のだ。  増税で実質年金が減少するというのは、直感 的に分かりにくいかもしれないので、ここで、 もう少し詳しく年金給付額決定の仕組みを述べ ておこう。2021年4月から国民年金、厚生 年金ともに、給付額がO・1%削減された。額 としては大きなものではないが、その背後には 重大な制度変更が隠れている。  もともと公的年金の給付額は、毎年、前年の 物価に合わせて金額を調整する「物価スライ ド」が導入されている。インフレで物価が上 がっても高齢者の生活を守るための措置だ。し かし、前年の2020年の物価上昇率はO・ O%たった。それにもかかわらず、なぜ年金が O・1%削減されたのだろうか。実は、新しい 物価スライドが、2021年から本格的にス タートしたからだ。  新しい仕組みでは、毎年の年金額の改定率は、 @物価変動率+A実質賃金変動率+B可処分所 得割合の変化率という計算式で決まることに なった。物価変動率はいままで通り前年の物価 変動率を用いるが、実質賃金の変動率は、2年 度前から4年度前までの3年間平均を取る。ま た、可処分所得割合の変化率は3年度前の数字 が使われる。  ちなみに2021年の年金改定では、@が O・O%だったが、AがマイナスO・1%、B がO・O%となったため、合計のマイナスO・ 1%が年金の改定率ということになったのだ。  なぜこんな複雑な仕組みになったのかという と、私は「高齢者にも増税をしよう」と政府が 考えたからだと考えている。例えば、消費税率 を5%引き上げたとする。すると、消費者物価 も5%上がる。ところが、物価スライドだけだ と、高齢者の年金も5%増えてしまうので、高 齢者は実質的に消費税増税による負担増がなく なってしまう。そこで、採り入れられたのが実 質賃金の変動率だ。消費税を5%増税して、名 目賃金が変わらなければ、実質賃金は5%下が る。それに合わせて年金を引き下げれば、高齢 者にも消費税増税の負担が降りかかるのだ。  可処分所得割合変化率のほうは、所得税増税 や年金保険料の引き上げに関しても、現役世代 同様の負担増を高齢者にも求めるものだ。結局、 増税や社会保険料の引き上げは、高齢者が受け 取る実質年金の引き下げという効果を持つこと になったのだ。  実質賃金の変動率を2年度前から4年度前ま での3年間平均としたり、可処分所得割合変化 率は3年度前の数字としたりするところにも、 官僚の悪知恵が働いている。この方式だと、高 齢者はすぐに増税の影響を受けないから、増税 への反対が起きにくい。しかし、増税のことが 記憶から遠ざかった2年から3年後に年金削減 という「増税」を行う仕組みになっているのだ。 ■やはり月額13万円  話を元に戻そう。人口構造変化の要因だけに 絞って、将来の年金給付を推計したのが、図表 I−5だ。  この推計で、やっていることは、きわめてシ ンプルだ。まず15〜64歳人口を現役世代、65歳 以上人口を年金受給世代として、1人の受給世 代を何人の現役世代で支えなければならないの かを計算する。ちなみに、2020年は2・05 人の現役世代で1人の受給世代を支えている。 それが2050年には1・32人の現役世代で1 人の受給世代を支えることになる。支え手の数 が42%減少するのだ。したがって、2050年 の年金受給額は、現在よりも42%減少するとい う推計をしているのだ。  ちなみにスタート時点となる2020年の年 金受給額は、モデル年金ではなく、厚生労働省 「令和元年度厚生年金保険・国民年金事業の概 況」に記載されている受給者平均年金月額の数 字を採っている。具体的には、厚生年金が14万 6162円、国民年金が5万6049円だ。合 計すると20万2211円となり、モデル年金よ りも1割ほど少なくなっている。  なお、図表1‐2では夫の厚生年金に基礎年 金部分が含まれていないが、図表1‐5では基 礎年金部分も含んでいる。  さて、結果をみると、夫婦2人の年金額は、 いまから29年後の2050年で13万261円と なっている。先にみた財政検証のヶIスYに基 づく単純計算で算出された2052年の夫婦2 人の年金月額の12万9000円とほぼ同じ水準 だ。  つまり、いまからおよそ30年後には、夫婦2 人の年金月額が13万円になるのだ。この数字は とても重要だ。月13万円という年金月額を基準 に老後の生活設計をしなければならないからだ。 ■年金水準の維持は可能か  このように、現行の仕組みを前提とする限り、 これから公的年金の給付水準はどんどん下かつ ていく。しかし、日本政府は一貫して厚生年金 の所得代替率50%以上を守るという約束をして きた。つまり厚生年金の保険料を40年間納め続 ければ、現役世代の手取り収入の50%以上の年 金給付を保証すると言い続けてきたのだ。夫婦 の年金13万円というのは、その約束を大きく裏 切ることになる。だから、政府が今後年金制度 の抜本改革を断行して、現状程度の年金が給付 されるのではないかと期待する人もいるだろう。 だが、それがとてつもなく困難であることを 2021年9月の自民党総裁選が明らかにした。  自民党総裁選挙に立候補した河野太郎行革担 当大臣(当時)は、選挙戦のなかで年金制度の 抜本改革を提唱した。河野改革案は、基礎年金 を全額消費税財源の最低保証年金に変えるとと もに、積立方式の所得比例年金を導入すること が柱だった。河野氏の提案は、年金制度改革と しては、理想を追求するものだ。税財源の最低 保証年金を導入すれば、年金の未納期間があっ たとしても、一律の年金が受け取れるので、高 齢期の貧困を抑制することができる。また、低 所得者に大きな負担となっている月額1万 6610円の国民年金保険料がなくなれば、低 所得者の生活はすぐにでも改善する。さらに、 所得比例年金を積立方式に転換すれば、現状程 度の年金が将来にわたってずっと確保できる。 現在の厚生年金月額は14万6162円、国民年 金は5万6049円だから、専業主婦世帯夫婦 の年金月額は20万2211円となる。けっして 大きな金額ではないが、質素に暮らせば、ギリ ギリ暮らせる年金給付だ。  ただ、河野氏の抜本改革案の最大の問題は、 大きなコストがかかるということだ。自民党総 裁選の討論会では、河野候補に「この年金制度 改革を行うためには、どれだけの消費税率引き 上げが必要なのか」という質問が集中し、河野 候補は明確な回答ができなかった。それが、河 野候補が総裁選に敗れた一つの原因になったの だ。ただ、必要な消費税率の計算は容易だ。ま ず、最低保証年金の導入に関しては、基礎年金 と国民年金の受給権者が3629万人だから、 平均月額給付の5万6049円を一律支給する ために年間24兆4000億円の財源が必要にな る。これを消費税で賄うと、消費税は1%で2 兆7000億円の税収があるから、消費税率を 9%引き上げる必要がある。  もう一つの問題は、積立方式への転換だ。も ともと囗本の公的年金制度は、積立方式を目指 していたが、高齢者への年金給付を優先するた め、積立金を使い込んでしまった。現時点で積 立不足は750兆円に及ぶとされている。この 積立不足を例えば30年かけて解消しようとする と、年間の負担は25兆円だ。それを消費税増税 で賄おうとすれば、消費税をやはり9%引き上 げる必要がある。最低保証年金と合わせると、 18%の引き上げ、つまり消費税率を28%にしな いと、河野年金改革案は実現できないのだ。  年金改革のために消費税の税率を28%にする ということへの国民的合意は得られないだろう。 しかも消費税は、逆進性があり、低所得者ほど 負担が大きい。低所得者のなかには、当然高齢 者も含まれている。消費税財源の最低保証年金 創設で、低所得者を救おうとして、消費税の大 幅増税が、かえって低所得者の生活を追い詰め ることになってしまうのだ。  結局、年金制度の抜本改革は不可能で、今後 ずるずると年金が減っていき、30年後には夫婦 2人で月額13万円しか年金がもらえなくなると いうのが、現時点で最もあり得るシナリオに なっているのだ。 ■月13万円で暮らせるか  先に紹介した金融庁の報告書では、年金だけ で生活している高齢夫婦世帯の月額支出は26万 円だった。年金月額が13万円になるということ は、年金だけで暮らそうと思うと、支出を半減 させることが必要になる。そんなことが現実問 題として可能なのか。  2019年「全国家計構造調査」によると、 2人以上世帯のなかで月額消費が10万円未満の 世帯が4・1%、10万円以上15万円未満の世帯 が13・1%存在している。大雑把に言うと6世 帯に1世帯が13万円以下に消費を抑えているの だから、年金だけで暮らすことは不可能とは言 えない。しかし、平均の消費額は27万9066 円となっているから、月額13万円だと、人並み の暮らしができないどころか、相対的貧困に陥 ることは明らかだ。  また13万円というのは、あくまでも夫婦の年 金だ。例えば、サラリーマンの夫が妻に先立た れた場合の年金月額は9万3000円になる。 この収入だと所得税や住民税はかからないが、 健康保険料と介護保険料はかかってくる。これ が月額7417円かかるから、手取りは8万 5583円となる。これで生活が成り立つのか を考えてみてほしい。ちなみに、2021年H 月10日付の朝日新聞によると、介護保険料を滞 納して預貯金や不動産などを差し押さえられた 65歳以上の高齢者が、2019年度に過去最高 の2万1578人たったことが分かったという。 いまの年金水準でも、これだけの人が介護保険 料を支払えないのだから、年金給付が4割下 がったら、保険料を支払えない高齢者が激増す ることは、明らかだろう。  つまり、このまま行くと、平均的な日本人が 高齢期を迎えると、「長生き地獄」にまっしぐ らとなってしまうのだ。  それではどうしたらよいのか。実は、対策は ある。その内容を次章で詳しくみていくことに しよう。 第2章 年金月額13万円時代     への対処法 ■老後に備える貯蓄を持つ  年金が13万円に減っても、老後生活を地獄に しない対策は、いくつも存在する。本章では、 それを一つずつ検証していくことにしよう。  老後に備えるために、最も分かりやすく、金 融庁の報告書でも推奨された方法は、65歳の時 点で老後生活を守るための十分な貯蓄を持って おくことだ。ここでは、2人以上世帯の平均消 費支出額28万円を基準に考えよう。現役世代の 平均的な消費額を老後も続けることができれば、 それは豊かな老後と考えてよいからだ。  月額消費が28万円、年金月額が13万円だとす ると、月の赤字は15万円だ。そして、105歳 まで生き残ることを前提にすると、老後の期間 は40年になる。それだけの期間の資金を準備し ておけば、99%は大丈夫ということになる。  そこで計算をすると、不足資金の総額は 7200万円になる。65歳の時点で7200万 円の金融資産を持っていれば、とりあえず老後 は安心となる。問題は、それが本当に実現可能 かということだ。  野村総合研究所が2020年D一月に発表した 推計によると、1億円以上の純金融資産を持つ 富裕層と超富裕層は132・7万世帯で、全体 の2%しかいない。5000万円以上の準富裕 層を加えても9%にしかならない。つまり、9 割以上の国民にとって、7200万円もの老後 資金を準備することは、現実的な話ではないの だ(図表2‐1)。  単純計算で考えてみよう。現役生活が40年だ として、7200万円の貯蓄を作ろうと思った ら、毎月15万円の貯蓄を40年間続けなければな らないのだ。途中の引き出しは一切不可だ。そ んなことが続けられるはずがない。かつては、 老後資金の大きな柱となっていた退職金は、ど んどん減っている。厚生労働省の「賃金事情等 総合調査」によると、2018年度の定年退職 時の平均退職金は、1214万円にとどまって いる。民間企業と比べて圧倒的に高い退職金を もらえる国家公務員でも、2018年度の定年 退職者の平均支給額は2068万円だ。しかも、 公務員を含めて、退職金の額は今後も減ってい く見通しだから、やはりどう考えても7200 万円もの老後資金を作ることは、不可能と言わ ざるを得ないのだ。 ■F−REは実現できるのか  ただ、7000万円という貯蓄を実現できれ ば、年金の多寡にかかわらず、死ぬまで遊んで 暮らせるという理論がいま注目されている。最 近、メディアでもよく取り上げられるように なったF−RE(ファイア)という理論だ。F IREとは、フィナンシャルーインディベンデ ンスーリタイアーアーリーの頭文字を取ったも ので、経済的な安定を早期に確立して、早期リ タイアを実現しようという取り組みのことだ。 もっと簡単に言うと、一生懸命お金を貯めて。 それを投資に回し、投資収益だけで暮らそうと いう提案なのだ。この方法だと、元本はずっと 減らないので、何歳まで生きても生活の心配が ない。それは理想的な人生だということで、最 近は若い人のなかに、FIREに挑戦しようと する人が増えている。  F−REで一番のキーワードとなるのが、 「4%ルール」というものだ。元々は、アメリ カの過去70年間の株式収益率が7%で、物価上 昇率が3%であることから、差し引き4%の実 質収益率が得られるだろうというものだったの だが、この4%というのは、絶妙な数字だ。例 えば、数年前に日本でもベストセラーになった トマーピケティの『21世紀の資本』で紹介され た過去200年にわたる世界の資本収益率は 5%たった。5%の収益率があれば、税金を20 %引かれても、4%は手元に残る勘定になる。 そこでとりあえず、4%ルールを受け入れるこ とにしよう。投資収益だけで生活するためには、 投資の元本がどれだけ必要になるのか。生活費 を年間300万円(月額25万円)と仮定すると、 300万円÷4%=7500万円となるから、 7500万円貯蓄が達成できた途端、後は一生 遊んで暮らせるということになる。  7500万円の貯蓄など絶対に不可能と思わ れるだろうし、いまさっき私もそう書いた。と ころが、実はそれを達成する若い人がどんどん 出てきている。夫婦とも正社員の共稼ぎで、子 どもを作らず、生活費を切り詰めて年間300 万円の貯蓄をすれば、25年間で達成できる貯蓄 額だからだ。そこまで所得が高くなくても、例 えば貯蓄率70%を目標に徹底した節約をすれば、 普通の世帯でも不可能ではない。私か知ってい る一番の節約家は、年収300万円で年間 200万円の貯蓄をしていた。また、最近の株 高が追い風となって、予定以上に早く目標貯蓄 を達成する大が続出しているのだ。そうした人 の中には、早々に会社に辞表を出して、若いう ちから悠々自適の生活を始めている大もいる。  ただ、私はこのF−REというのは、とても 危険な人生設計だと考えている。銀行預金や国 債などでの元本保証の金融商品で4%の利回り が得られればよいのだが、元本保証の金融商品 の利回りは、限りなくゼロに近いのが現実だ。 手取り4%の利回りを得ようと思ったら、株式 のようなリスクのある商品に投資せざるを得な い。株式は、継続的に価格が下がっていくこと もあり得るから、毎年安定的な投資収益は、得 られないのだ。  図表2‐2は1981年から2020年まで の40年間の日経平均株価の推移を示したものだ。 このグラフから明らかなように、投資をする夕 イミングによっては、大きな収益を得ることも 可能だが、大きな損失を被るタイミングもある。 少なくとも、毎年安定的な収益を獲得すること などあり得ないことは、このグラフをみれば明 らかだろう。  ここで、最も「運が悪い」場合のシミュレー ションをしてみよう。1989年末に7500 万円の貯蓄に成功して会社を辞めた人がいたと する。直後にバブル崩壊がやってきて、株価は 下かつていく。配当利回りが1%あったとして も、毎年300万円の生活費の引き出しと株式 の値下がり損のダブルパンチが襲って、資産は 2002年にゼロになる。つまり、7500万 円の貯蓄を持つ富裕層から、たった13年で無職 かつ無一文に転落してしまうのだ。それでも若 い時であれば、もう一度裸一貫から出直すこと は可能だが、すでに年金生活に入っだ高齢者は、 そんなことはできない。だから、老後生活に 入ったら、投資で大きなリスクをとってはいけ ないのだ。  それでは、投資収益だけで暮らすことは本当 に不可能なのだろうか。実は方法はある。ピケ ティの『21世紀の資本』によると資本の収益率 は、景気動向にかかわらず5%程度で安定して いるのだ。株価は大きく上下に変動するのに、 なぜ資本の利益率は5%で安定しているのか。  その理由は、富裕層が株価変動にかかわらず、 確実に儲かる投資手段を持っているからだ。世 の中には、お金持ちの耳だけに入ってくるおい しい情報というのが存在するのだ。ただ、彼ら の仲間に入るには、最低でも10億円の投資可能 資産が必要と言われているから、庶民には絶対 に手の届かない世界なのだ。  だから私は、「投資収益」という不安定な資 金を普段の生活に充ててはいけないと考えてい る。投資をしてはいけないということではない。 投資は、全損をしても生活に響かないお金で行 い、そして投資で利益が出た場合は、海外旅行 に行ったり、おいしいレストランに行ったり、 生活に彩りを添えることに使うべきなのだ。 ■定年まではIDeCo  投資の収益は不安定と書いたが、日本には、 定年までは、安定して高利回りが得られる商品 が一つだけある。それが・−DeCo(イデコ) だ。  イデコは、正式には「個人型確定拠出年金」 と呼ばれる老後資金を形成するのを支援するた めの個人年金制度だ。この制度は、自分で申し 込み、自分で掛け金を拠出し、自分で運用対象 を選ぶことができる。運用先は、預金でも、投 資信託でも構わない。積み立てたお金は、60歳 以降に一時金あるいは年金の形で受け取ること ができる。イデコの有利な点は、掛け金が税制 上、所得控除の対象となり、運用益が非課税で、 そして給付を受け取る際にも、税の優遇措置が あることだ。イデコの掛け金は、所得控除され る一方で、受け取るときには所得に加算される。 その際、年金方式で受け取れば公的年金等控除 が適用され、一時金で受け取れば退職金税制が 適用される。  自営業者などで公的年金等控除の最低保証額 (65歳以上の場合110万円)まで余裕がある 場合は、年金方式で受け取ってもよいが、一般 的には一時金で受け取ったほうが有利になる。 退職金には、@分離課税、A2分の1軽課、B 退職所得控除という3つの税制優遇があるから だ。ちなみに退職所得の計算は、以下に示すと おりになる。  退職所得にかかわる税金=(収入金額‐退職 所得控除額) ×2分の1×税率  退職所得控除額  ・加入期間20年以下一40万円×加入期間年   数(1年未満切り上げ。以下同様)  ・加人期間20年超一(加入期間年数‐20年)   ×70万円+800万円  例えば、イデコに30年加人していた場合、 1500万円までの受け取りは退職所得控除で 控除されるので、税金は1円もかからない。た だ、会社から退職金を受け取っている場合は、 退職金とイデコの受け取りが合算されて退職所 得控除額が計算されるので、大きな金額の退職 金を受け取っている人は、税金を払わなくては ならない。もちろん分離課税と2分の1軽課と いう退職金の優遇税制は受けられるので、税額 は現役世代が所得税で支払う額と比べたら、は るかに小さくなる。  ただ、どうしても税額を抑えたい人には裏技 が存在する。それは退職金の「5年ルール」と 呼ばれるものだ。前に退職金を受け取った時か ら5年以上経過していれば、退職所得控除がそ れぞれ全ての期間で認められるというルールだ。 なぜそんなルールがあるのか、これは私の想像 だが、高級官僚のために用意されているものだ と思う。高級官僚は、定年前に役所を辞める。 そして天下りをする。天下り先では、5〜6年 勤めて、再び大きな額の退職金を手にする。そ の「2回目の退職金」にかかる税金を少しでも 小さくするために5年ルールは、作られている のだ。このルールを逆手に取って、会社からの 退職金をもらう時点より5年以上前にイデコの 一時金を受け取ってしまえば、退職所得控除が フルに使えるうえに、退職金のほうも退職所得 控除が勤続年数分フルに使えるのだ。  ただし、会社からの退職金受け取り後にイデ コの一時金を受け取る場合は、ルールが異なり、 過去14年以内に受け取った退職金で使用した退 職所得控除が使えなくなってしまうのだ。だか ら、例えばイデコを60歳で受け取って、退職金 の受け取りは65歳からといった対応が必要にな るのだが、大企業の場合は、退職金の給付を先 送りしてくださいと頼んでも聞いてくれないこ とが多いだろう。その場合は、よく計算をして、 イデコの受け取りを一時金と年金に分けると いった対策が必要になるだろう。  いずれにせよ、イデコは「減税」という形で、 いきなり確定利回りを先取りできる制度だから、 資産運用としてはとても有利なことは間違いな い。  掛け金が所得控除されるということは、投資 した時点で、限界税率の分だけリターンが取れ ることを意味する。限界税率というのは、現在 の所得から、1円所得を増やしたときに、何% の税金が取られるのかという数字だ。所得税や 住民税の計算は煩雑なので、子ども2人の標準 世帯(妻が専業主婦)の場合、年収ごとにどれ だけの限界税率があるのかを示しておこう。  年収616万円以下一15%  616万円八年収八801万円一20%  801万円八年収八1214万円一30%  1214万円八年収八1431万円一B%  1431万円八年収一43%  例えば年収900万円の人が年間100万円 の掛け金を支払ったとすると、その時点で、30 万円が減税として戻ってくることになるのだ。 こんなおいしい話はないだろう。  もちろん、掛け金には限度がある。限度を設 けなかったら、金持ちが掛け金を大きく膨らま せて、税を逃れてしまうからだ。  限度額は、以下のとおりとなっている。 自営業者一月額6・8万円 公務員等一月額1・2万円 確定給付型企業年金、確定拠出型企業年金のい ずれもない会社員一月額2・3万円 確定拠出型企業年金のみがある会社員一月額 2万円 確定給付型企業年金がある会社員一月額1・ 2万円  イデコの掛け金は最低月額5000円からで、 上記の上限の範囲内で1000円単位で自由に 決めることができる。途中で金額の見直しはで きるが、途中解約や資金の引き出しはできない。 加入できる年齢は20歳から60歳までだが、 2022年5月以降は、65歳まで加入できるよ うになる。  仮にイデコで20歳から65歳まで45年間、企業 年金のない企業に勤務する人の限度額である 2・3万円を毎月貯め続けたとすると、65歳の 時点で1242万円が貯まることになる。これ に減税で戻ってくる分か、限界税率を20%と仮 定すると、248万円となるから、合計で 1490万円を手にすることができる計算だ。 実際には、ここに運用益が加わるから、イデコ だけで2000万円以上の老後資金を確保する ことは十分可能だ。  ただ、私は、老後生活が近づいている人、具 体的には50代以上の人は、株式等のリスク資産 での運用はしないほうがよいと思う。バブル崩 壊が近づいていると思うからだ。もしバブルが 崩壊すると、せっかく貯めてきた老後資金が。 いきなり半分とか3分の1とかになりかねない。 若い人であれば、バブル崩壊から10年、20年経 てば、株価が戻っていくことも考えられるが、 老後生活が近い人は、取り戻すための時間的余 裕がないからだ。 ■バブル崩壊の危機  88ヵ月。2021年9月末時点でのアメリカ の株価バブルの継続期間だ。新型コロナウイル スの感染拡大のなかでも、株高が続いているこ とを不審に思われている方も多いだろう。理由 は、バブルが起きているからだ。バブルには、 二つの特徴がある。  一つは、投資対象が軒並み高くなることだ。 例えば、金の価格も最高値の水準だし、銀座5 丁目の路線価は坪1億4122万円と卯年代の バブル最盛期を2割近く上回っている。原油も 木材も小麦も食用油も高値だし、ビットコイン までが5万ドルと、過去最高値を更新している。  もう一つは、バブルが世界共通で発生するこ とだ。世界の株価は軒並み高くなっており、 ニューヨークーダウも、史上最高値の3万ドル 台となっている。不動産価格も世界各国で都心 部を中心にとんでもない高値になっている。  バブルが発生するメカニズムは単純だ。投資 商品が値上がりすると、値上がり益を獲得する 人が出る。それをみた周りの人が投資に参加す る。その人たちも値上がりで儲かるから、それ をみて、さらに周りの人たちが参加する。する と、さらに価格が上昇していくのだ。こうして 際限なく価格が上昇していく。17世紀のオラン                         一 ダでチューリップーバブルが起きたときは、 チューリップの球根一つにいまの物価で500 万円ほどの価格がついたという。  しかし、金融商品の価格は、実体経済とあま りに大きくは乖離できない。限度を超えるとバ ブルは崩壊するのだ。  シラーPERという株価の割高指標がある。 この指標が25倍を一定期間超え続けるとバブル が崩壊するというのが、米国株価の法則だ。                         一 2000年のITバブルは79ヵ月ではじけた。 2008年のりIマンーショツク前のバブルは 52ヵ月ではじけた。そして、先に述べたように 2021年9月末でバブルは88ヵ月継続となっ た。ITバブルのときの継続期間を大きく超え ているのだ。  図表2‐3から明らかなように、バブルの継 続期間が過去最長となっているだけではない。 シラーPERの水準も38倍という過去最高水準                          一 に達している。山高ければ谷深しで、この株価 水準だとバブルの入り囗である25倍に戻るだけ で株価はB%下落することになる。                        一  ジョンーケネスーガルブレイスという経済学 者は、生涯をバブル研究に捧げた。その研究の 結論は、「バブルがいつ弾けるのかを予測する ことは誰にもできない。しかしバブルは必ず崩 壊する」というものだ。  いまの経済は、膨らみすぎた風船のようなも のだ。いつ破裂してもおかしくない。外れるリ スクを承知で言うと、私はバブル崩壊が、極め て近いと考えている。アメリカの量的金融緩和                        一 からの脱却が近いことや中国の不動産業界第2 位の恒大グループの経営危機など、バブル崩壊 の引き金となりうる事態は、いくつも発生して いるからだ。これからの投資は、大きなリスク を孕んでいることを考えておくべきだろう。  やはり、投資収益で老後を支えるという思想 は、少なくとも中高年以降は捨てるべきだと思 ヽつ。                        一 ■年金繰り下げは有利にならない  公的年金の繰り下げ受給の上限年齢を70歳 から75歳に引き上げることを含む年金制度改 革関連法が国会で成立したことにより、 2022年4月から公的年金の受給開始を75歳 に繰り下げることが可能になった。本来の65歳 受給開始を70歳から受給に繰り延べれば、年金                        一 月額はJ一%増加し、75歳受給開始に繰り延べれ ば、84%も増えることになる。つまり、年金の 受給開始時期を10年間遅らせれば、年金月額が 13万円まで下がった時代でも、受給額が84%増 えるので、夫婦の年金月額を23万9200円に まで増やすことができるのだ。  しかし、このやり方には、思わぬ落とし穴が あることが、年金制度改革関連法案の国会審議 で明らかになった。日本共産党の宮本徹議員が、                        一 75歳受給を選んだ場合、手取りで考えると大き な損失が発生することを明らかにして、政府を 追及したのだ。  政府の説明は、平均余命で亡くなれば、何歳 から受給を開始しても損得はないというもの だった。ところが、75歳受給開始を選ぶと、年 金が84%増えるために、負担する税金や社会保 険料が大きく増えてしまうのだ。  例えば、65歳から月額15万円の年金を受給し                        一 だ場合の税・社会保険料負担は月額5800円 だが、75歳から84%増の27・6万円の年金を受 け取ると、負担が月額3・6万円と6倍以上に 増えてしまうという。税も社会保険料も、所得 が増えると累進的に負担が増えるからだ。平均 余命の87歳まで生きるとすると、生涯で受け取 る年金の手取り収入は、総額で370万円も 減ってしまうのだ。  同様のことを今回の設定で、再検証してみよ                        一 う。話が複雑になるので、ここでは年金受給者 に妻はおらず、単身世帯だと仮定している。ま ずは年金の給付水準が現状通りだとする。現状 は夫の厚生年金が月額14万6162円だから、 年収では175万4000円となる。住民税と 国民健康保険の保険料は、東京都世田谷区のも のを使って計算すると、税・社会保険料負担は 年間で17万1000円だ。一方、年金受給開始 を75歳からにすると、年金収入は322万                        一 7000円と、147万3000円増える。し かし、税金と社会保険の負担が52万7000円 と3倍以上に増えるから、手取りは111万 7000円増にとどまってしまうのだ。  それでも受給開始年齢の繰り下げで、手取り 収入が大きく増えるのだから、よいのではない かと思われるかもしれない。しかし、10年間の 繰り下げを選ぶということは、65歳から75歳ま で一切年金を受け取らないということだ。65歳                        一 男性の平均余命は19・93年だから、65歳受給開 始なら20年間、75歳受給開始だと10年間が平均 的な年金受給期間となる。そこで、生涯の年金 手取り収入を計算すると、65歳受給開始の場合 は3166万円であるのに対して、75歳受給開 始の場合は2700万円と、466万円も生涯 の年金手取り額が減ってしまうのだ。  このことの原因として、分かりやすいのは、 図表2‐4に示した税社保比率の欄の数字だ。                       一 これは、年収に占める税金と社会保険料負担の 比率だが、65歳受給開始を選べば9・7%にと どまるのに対して、75歳受給開始を選ぶと16・ 3%と、負担率が7割も高くなってしまうのだ。                        一  一方、30年後に夫婦の年金月額が13万円とな る時代は、夫の年金月額は9万3000円とな る。年収で111万6000円だから、所得税 や住民税は一切かからない。税・社会保険料負 担比率も8・O%にとどまる。そして、75歳か ら受給開始を選んでも、税・社会保険料負担比 率はH・7%と、それほど高いレベルにはなら ない。それでも、生涯の年金手取り額は、65歳 受給開始が2054万円に対して75歳受給開始                       一 は1814万円となるから、年金受給開始を10 年繰り下げると240万円減少してしまう。  また図表2‐4では、健康保険料を一律に国 民健康保険の保険料で計算しているが、実際に は、75歳からは、後期高齢者医療制度が適用さ れる。後期高齢者医療制度のほうが、所得によ る累進性が大きい。後期高齢者医療制度では、 将来年金の111万6000円の場合のように、 課税所得がゼロとなる場合は、後期高齢者医療                       一 の保険料の所得割はかからず、年額4万 4100円の均等割も最大の7割軽減が適用さ れる(東京都世田谷区の場合)。そのため、年 間の医療保険負担はたった1万3200円で済 むのだ。  ところが75歳からの年金受給開始を選ぶと、 年金月額が84%増え、所得税と住民税がかかっ てくる。医療保険の所得割もかかるようになり、 減免もなくなるから、医療保険の負担は7倍近                       一 くになってしまうのだ。  しかも問題は、税金や社会保険料だけではな い。一番大きな問題は、住民税が非課税でなく なると、さまざまな負担が降りかかってくると いうことだ。例えば、住民税が非課税だと、介 護保険料が軽減されたり、高額療養費の自己負 担上限が低くなったり、自治体からのさまざま な補助の対象になる。住民税非課税世帯ではな くなった途端にこれらのメリットは消失してし                       一 まうのだ。  現行の平均的な厚生年金の受給額は175万 円だから、単身者の場合、公的年金等控除の 110万円と住民税の基礎控除の43万円、社会 保険料控除15万8000円の合計168万 8000円を超えるので、年金だけで住民税非 課税ではなくなってしまう。一方、扶養配偶者 がいる場合は、扶養控除のB万円が加わるので、 住民税は非課税になる。ただ厳密に言うと、住 民税が非課税となる年金収入の年額は、居住す 一 る自治体によって微妙に異なるが、東京23区内 の場合、単身者は155万円以下、扶養配偶者 がいる場合は211万円以下となっている。そ のため、夫が元サラリーマンの場合でも、国民 年金の配偶者がいる場合は、住民税非課税の地 位を手にできるのだ。  さらに、年金収入が住民税非課税の水準を超 えそうな人にも手はある。年金を繰り上げ受給 すればよいのだ。受け取り開始を65歳より前に 一 早める「繰り上げ受給」の場合、2022年4 月からは、減額率が1ヵ月当たりO・4%に圧 縮される(それまでは、O・5%)。だから 175万円の厚生年金を受け取る予定の単身者 が、住民税非課税になろうと思ったら、年金を 30ヵ月、つまり2年6ヵ月早めに受給すればよ いのだ。62歳で引退すれば、体力のあるうちに 「老後」が手に入るから、人生を謳歌する時間 を延ばすことができる。私は重要な選択肢だと 一 思う。  ただ、もちろん問題はある。まず、年金受給 額が12・O%減の状態が生涯続くということだ。 しかも、今後の年金水準の減少を考えると、そ こからさらに4割程度減の年金額が想定される。 最終的に夫婦でH万3000円の年金で暮らせ る態勢を整えないといけない。不可能ではない と思うが、ライフスタイルの大きな転換が必要 だ。                       一  また、1961年4月1囗までに生まれた人 には特別支給の厚生年金が支給されるから、65 歳になるまでは、年金受給開始を繰り上げても、 必ずしも住民税非課税とはならない。さらに公 的年金等控除の最低保障額も、65歳未満の場合 は、60万円しかないから、年金の繰り上げ請求 をしたとしても、65歳までは税金や社会保険料 を払わないといけないのだ。ただ、長い人生を 考えれば、65歳までの数年間の負担は我慢でき 一 るのではないだろうか。 ■働き続けるという選択肢  いま政府が採用している高齢社会を乗り切る 基本戦略は、「高齢就業シナリオ」だ。表向き は、働き続けることが健康や生きがいの確保に つながるので、就業を続けましようと政府は 言っている。そのことは、まったくのウソでは 一 ないのだが、政府の本音は公的年金制度の崩壊 を防ごうということだろう。高齢者に働いても らえば、その人は年金の受給者から、年金保険 料の納付者に変わるから、年金財政がダブルで 改善するのだ。  そこで政府はいま高齢者を働かそうと躍起に なっている。実際、2021年4月から改正高 年齢煮雇用安定法が施行されて、事業主には70 歳までの就業機会を確保する努力義務が課せら 一 れた。法律が70歳まで働くべきだというのなら、 いっそのこと死ぬまで働き続ければ、年金収入 に勤労収入を加えることで豊かな老後生活が可 能になる。しかし、ずっと働き続けることには、 思わぬ落とし穴がある。そして、死ぬまで働き 続けるということ自体が本当に可能なのかとい うことも考えておかないといけない。  総務省の「労働力調査」で2020年の年齢 別の就業率(人口のうち何%が働いているかと 一 いう数字)をみると、60〜64歳は71・o%と7 割以上の人が働いているが、65〜69歳は49・ 6%と半分を切り、70〜74歳は32・5%と3分 の1になり、75歳以上だと10・4%と1割に なってしまう。年齢を重ねると、体のあちこち に不具合が出てくるから、現実問題として、 ずっと働き続けるということ自体が、とても困 難なことなのだ。  また、仮に働き続けられたとしても、どれだ 一 け収入が得られるのかという問題もある。「労 働力調査」によると、15〜64歳の生産年齢人口 は、非正社員の比率がB・2%と3分の1にと どまるが、65歳以上の場合は76・5%と非正社 員が4分の3を超えている。65歳を過ぎても正 社員で雇い続けてくれる会社が非常に少ないこ とを考えれば、当然の結果だろう。  それでは、非正社員で働くことで、どれくら いの収入が得られるのだろうか。厚生労働省の 一 「賃金構造基本統計調査」によると、65歳以上 の非正社員短時間労働者の平均時給は1433 円と決して低くない。月間労働日数は15・9日 で、週に4日働いていることになる。そして1 日の労働時間が5・1時間、年間の賞与が4万 7900円となっているから、賞与も含めた月 収は12万344円というのが、平均的な姿にな る。これだけの収入が年金に加われば、年金月 額を13万円としても、月収は25万円になるから、一 十分生活を続けることが可能になるだろう。  その場合でも、問題は仕事の内容だ。「労働 力調査」で、65歳以上の人がどんな職業につい ているのかをみると、管理的職業、専門的・技 術的職業、そして事務従事者のいわゆるホワイ トカラーに従事している人は、全体の25・6% に過ぎない。定年前の55歳から59歳では、44% がホワイトカラーだから、高齢期には、ホワイ トカラー以外の仕事に転ずる大が多くなるのだ。一 65歳以上の職業で(ホワイトカラー以外で) 一 番多いのが、サービス職業従事者で14・9%を 占めている。サービス職業というのは、家事 サービス、介護・身の回り用務・調理・接客・ 娯楽やビルの管理人など個人に対するサービス をする人のことだ。次に多いのは、運搬・清 掃・包装等従事者で12・7%だ。三番目に多い のが農林漁業従事者で12・O%、そして生産工 程従事者が10・5%と、ここまでが10%を超え 一 ている職業となっている。  現役時代から続けている人はあまり問題ない のだが、ホワイトカラーでずっとやってきた人 が、調理や接客、清掃などの仕事にうまく馴染 めるだろうか。そして、生きがいを感じること ができるだろうか。  少し極端に類型化すると、現役時代に正社員 ホワイトカラーだった人は、定年後も正社員の ホワイトカラーのまま仕事を続けられる大と非 一 正社員のブルーカラーやグレーカラーに変わら ざるを得なくなる人の二つに大きく分かれるも のとみられる。  前者の場合は、働き続けることに何の問題も ないだろう。しかし、後者の場合は、仕事の目 的が生活費を稼ぐためだけになってしまうこと が多いのではないかと私は考えている。  私は、体が動く限り働き続けるという生き方 自体には賛成なのだが、一つだけ条件があると 一 考えている。それは、「楽しい仕事」をすると いうことだ。長年働いてきたのだから、定年後 くらいやりたいことをやるべきではないだろう か。ただ、問題は、楽しい仕事ほど報酬が少な いという現実だ。楽しい仕事をしながら、豊か な老後を過ごすというシナリオは、現実にはと てもむずかしいことなのだ。                     一 ■収入増の落とし穴  公的年金だけでは賄いきれない生活費を補う ために働くというのは、よくあるパターンだ。 ただ、勤労収入を増やしていくと、年金の受給 開始年齢を繰り下げたときと同様に、税金や社 会保険料が急増していく。  図表2‐5は、30年後に年金が夫婦で13万円 になった時代に、年金の減少を勤労収入で穴埋 一 めしようとしたときの税・社会保険料負担をシ ミュレーションしたものだ。ちなみに、ここで も煩雑さを避けるために夫の厚生年金月額は9 万3000円で、妻はいないものとして計算し ている。  収入が年金のみの場合は、健康保険が年間5 一 万2000円と介護保険が3万7000円の合 計8万9000円かかるだけで、年金収入の9 割以上が手取りになる。しかし、年間300万 円分働くと、税十社会保険料で67万4000円 の負担となり、さらに500万円、1000万 円と勤労収入を増やしていくと、税十社会保険 料が加速度的に増えていく。ちなみに年収 1000万円分働いて稼ぐと、税十社会保険料 が295万4000円という巨額に達する。  一 まったく働いていない場合の税・社会保険料負 担比率は8・O%だが、年間1000万円の給 与収入を得ると、税・社会保険料負担比率は 26・6%と、3倍以上に増えてしまうのだ。  税金が急増するのは、囗本の所得税制が累進 課税制度になっているからだが、健康保険や介 護保険も収入が増えると負担率が上かつていく。 例えば、後期高齢者医療の保険料は、都道府県 によって異なるが、均等割の他に所得の9%程 一 度の所得割が課せられる。介護保険料も市町村 によって負担が異なるが、私か住んでいる埼玉 県所沢市では、年間の負担額が、所得に応じ て最低1万9200円から最高13万8200円 まで、7倍以上の差が存在している。  図表2‐6は、年金が4割減になる将来では なく、現行の厚生年金給付を前提に、年金をも らいながら給与収入を増やしていったときの負 担のシミュレーションだ。この表のなかで、注 一 目してほしいのは、年間50万円分働いたときと。 100万円分働いたときの負担の差だ。50万円 分働いても、税金や社会保険料は一切増えない のに対して、100万円だと地方税や社会保険 料の負担増が伴う。なぜこんなことが起きてい るのか。  パートタイム労働者の間では、「103万円 一 の壁」という言葉が広く知られていて、年間 103万円までの給与収入に所得税は課税され ない。その理由は、給与所得控除の存在だ。自 営業者は必要経費を売上から控除できるが、勤 労者が全員経費申告をしたら、税務当局の作業 がパンクしてしまう。そこで、勤労者には概算 の経費として、収入に応じた給与所得控除が認 められているのだ。給与所得控除には55万円と いう最低保証がある。その55万円に基礎控除の 一 48万円を加えた控除金額が103万円という額 だ。収入が103万円未満なら控除額が収入を 上回るので、所得がゼロになる。つまり、税金 がかからないのだ。  それでは、高齢者の場合はどうだろう。高齢 者の就業率は年々高まっていて、2020年は 前述のとおり、65〜69歳の49・6%が働いてい る。70歳まで年金受給権者の半数が働く社会で は、年金を受給しながら働くときの税金や社会 一 保険料はとても重要だ。  公的年金の収入は税制上、給与所得ではなく 雑所得に分類されている。そのため公的年金に は、給与所得控除ではなく、公的年金等控除が 適用される。  実は、給与所得控除や公的年金等控除といっ た所得控除の制度が、2020年に大きく変更 された。誰にでも適用される基礎控除が38万円 から48万円へと10万円増額されたのに対して、 一 給与所得控除の最低保証が65万円から55万円へ と10万円減額され、公的年金等控除の最低保証 額も65歳以上の場合、120万円から110万 円へと10万円減額された。給与所得だけの人や、 年金所得だけの人は、基礎控除の増額を給与所 得控除や公的年金控除の減額で相殺されて、控 除額の合計は変わらないのだが、問題は年金を もらいながら働いている人だ。単純に新制度を 適用すると、控除の増額が10万円で、減額が20 一 万円となるので、働く高齢者が増税されること になってしまう。  そこで新たに作られたのが、所得金額調整控 除だ。この控除は、給与所得控除後の給与等の 金額および公的年金等に係る雑所得の金額があ り、給与所得控除後の給与等の金額と公的年金 等に係る雑所得の金額の合計が10万円を超える 場合に適用される。控除額の計算は、以下のと おりだ。                    一  所得金額調整控除額={給与所得控除後の給 与等の金額(10万円を超える場合は10万円)十 公的年金等に係る雑所得の金額(10万円を超え る場合は10万円)}‐10万円  少し複雑なので、具体例で考えてみよう。 2019年の厚生年金の平均は175万円だか ら、公的年金等控除と基礎控除を引いても所得 一 が発生する(175万円‐110万円‐48万円= 17万円)。このため、調整控除が適用されて、 年間65万円(給与所得控除55万円十調整控除 10万円)までの給与所得には所得税や住民税が かからない。  一方、国民年金の場合は、平均受給額が67万 円だから、公的年金等控除の範囲内となり、公 的年金の所得はゼロとなる。このため調整控除 は適用されない。ただ、基礎控除を使つていな 一 いので、年間103万円(給与所得控除55万円 十基礎控除48万円)までの給与所得の所得税が 非課税となる。  ただし、後述するが、非課税で重要になるの は所得税ではなく、住民税のほうだ。住民税の 場合は基礎控除が43万円と、所得税の基礎控除 よりも5万円少ない。そのため、国民年金受給 者は、単純計算だと、年間98万円(給与所得控 除55万円十基礎控除43万円)までの給与収入  一 の住民税が非課税となるのだが、実は住民税の 課税最低限は、自治体ごとに微妙に異なってい る。例えば、東京23区の場合は、給与収入の課 税最低限は年収100万円までだ。国民年金受 給者の場合、月額8万3333円というのが、 無税で収入を増やせるギリギリのラインなのだ。 一方、平均的な厚生年金受給者の場合は、無税 で給与収入を増やせるのは、年間65万円まで。 つまり、月額5万4166円までということに 一 なる。  逆に言うと、厚生年金受給者が、老後もずっ と月額5万4000円の給与をもらい続けると いうのは、税制面を考えると賢い働き方だとい うことになる。収入がすべて給与所得控除と調 整控除で控除されるので、所得が発生しない。 所得ゼロだから税金を支払う必要もないし、年 金保険料の支払いも必要がないからだ。夫婦そ れぞれが5万4000円の給料をもらえば、年 一 金月額が13万円の時代になっても、月収は23万 8000円と、かなりよい生活をすることがで きる。  また、月収が5万4000円でよければ、好 きな仕事を選ぶこともできるだろう。そんなに 都合よく月給5万4000円の仕事は見つから ないと思われるかもしれないが、パートタイム やアルバイトとして、月5万4000円分だけ 働けばよいだけの話だ。            一  さらに自分の会社を設立して、売上はすべて 会社に入れてもらい、その会社から毎月5万 4000円の給料をもらうという手もある。も ちろん会社を運営するためには、何らかの売上 を得ることが必要だが、そこは自分の得意なこ と、あるいは好きなことを収入にすればよい。 例えば、手先の器用な人は便利屋をやってもよ いし、ウェブデザインを請け負ったり、イベン 卜のカメラマンをしたりと、いくらでも方法は 一 ある。私か運営する「客のこない」博物館でさ え、少額だが、売上はあるのだ。 ■他にもある負担増  実は、年収を増やすことによる負担増は、税 金と社会保険料だけではない。例えば、医療費 の窓口負担だ。中所得の後期高齢者の医療費窓 囗負担を1割から2割に引き上げる医療制度改 一 革関連法が2021年6月4囗の参院本会議で 可決、成立した。これで2022年度後半から 後期高齢者の窓口負担は3パターンに分かれる ことになる。  まず低所得者は、これまでどおりI割負担が 継続される。次に中所得者(単身世帯は年収 200万円以上、複数世帯で年収320万円以 上)は2割負担となり、そして現役並み所得者 (単身世帯で年収383万円以上、複数世帯で 一 520万円以上)は、3割負担のままだ。つま り、単身世帯の場合、年収200万円以上 383万円未満の所得層、複数世帯の場合、 320万円以上520万円未満の所得層の窓口 負担が、1割から2割に上がるのだ。窓口負担 がいきなり2倍になるのだから、これは相当な 負担増と言えるだろう。  ここで問題になるのが、単身で年収200万 円以上という中所得層のラインだ。実はこれは 一 かなり微妙なラインだ。2020年に厚生労働 省年金局が公表した「令和元年度厚生年金保 険・国民年金事業の概況」によると、厚生年金 の平均年金月額は、14万6162円だ。年収だ と175万3944円になる。つまり、年間27 万円収入を増やすと、医療費の自己負担が2割 になってしまうのだ。  ただし、中所得者の医療費負担が一律2倍に なるというわけではない。高額療養費制度があ 一 るからだ。医療費負担があまりに高額になると 生活が破綻してしまうので、1ヵ月に負担する 医療費には上限があり、その上限を超える分は 高額療養費として戻ってくるのだ。  入院した場合の医療費負担の上限は、@世帯 員全員が住民税非課税かつ全員の課税所得がゼ ロ(年金収入80万円以下)の場合は1万 5000円、A世帯員全員が住民税非課税(年 金収入150万円以下)の場合は2万4600 一 円、B課税所得145万円未満は5万7600 円、C課税所得145万円以上380万円未満 は8万100円、D課税所得380万円以上 690万円未満は16万7400円、E課税所得 690万円以上は25万2600円となっている (課税所得145万円以上の場合には医療費に 応じた上乗せあり)。あまりいないとは思うが、 後期高齢者になって課税所得690万円以上の 高年収を得ていると、最大1ヵ月25万円もの医 一 療費負担が降りかかってくる可能性があるのだ。  高齢期に高い収入があるというのは、一見よ さそうに見えるのだが、税や社会保険料や高額 療養費のことなどを考えると、大きな問題にな る。高齢期に一番有利なのは、年収を住民税の 非課税限度額以下に抑えることだ。住民税が非 課税だと、これまでにみてきたように、介護保 険料が軽減されたり、高額療養費の自己負担上 限が低くなったり、さらには、自治体からのさ 一 まざまな援助の対象になったりするからだ。 ■住民税非課税という最強の武器  ここまでみてきたように、住民税が非課税に なると、社会保険料が安くなったり、高額療養 費制度の負担限度額が小さくなったり、医療費 の窓口負担が小さくなったりと、数々のメリツ 卜がある。これらはいつでも適用されるものだ 一 が、住民税非課税世帯には、スポット的にメ リットが与えられることも多いのだ。  例えば、2019年10月の消費税率引き上げ に伴って、プレミアム付商品券が販売された。 この時のプレミアム付商品券は、最大2万 5000円分の商品券を2万円で購入できた。 つまり、商品を2割引きで買えたことになる。 このプレミアム付商品券を買うことができたの は、子育て世帯と住民税非課税者だけだった。 一 住民税が課税されている人に扶養されている人 は対象外だったが、住民税非課税の人に扶養さ れている配偶者も対象となった。つまり世帯と しては、5万円分の商品券を4万円で買えたの だ。  また、2014年の消費税率引き上げのとき にも、1万円の臨時福祉給付金が支給されたが、 この時の対象も住民税非課税者たった。  さらに、最近も住民税非課税者の優遇は、行 一 われている。新型コロナウイルスの感染拡大に 伴って、政府は、2020年3月25日から「緊 急小口資金等の特例貸付」を実施した。感染拡 大の影響で収入が減少した人を対象に最大20万 円の資金を貸し付けることにしたのだ。一括交 付で、利子・保証人が不要という好条件で 2021年H月まで受け付けが行われた。この 緊急小口資金の特例貸付について、2021年 6月にテレビ朝日系『朝まで生テレビー』に出 演した際、国際政治学者の三浦瑠麗氏が、「評 論家のなかには、緊急小口資金を返さなくてよ い場合があるという事実を知らずに論評してい る人がいる」と発言した。正直言うと、私は返 済不要となる場合があることを知らなかった。 借金は返さないといけないと思い込んでいたか らだ。もちろん、返済免除には条件がある。住 民税非課税だ。住民税が非課税だと返済が免除 されるのだ。                  一  また、2021年7月からは「新型コロナウ イルス感染症生活困窮者自立支援金」(以下、 自立支援金)も始まった。その給付要件はとて つもなく厳しいものだ。まず、支給対象は、緊 急小口資金等の特例貸付の枠を使い切った人で、 C収入要件、D資産要件、C求職等要件の3つ の要件を同時に満たした人だけだ。収入要件は、 月額収入が@市町村民税均等割非課税額の12分 の1とF生活保護の住宅扶助基準額(東京都特 一 別区の場合、単身世帯13・8万円、2人世帯 19・4万円、3人世帯24・1万円)の合算額を 超えないこと、資産要件は、預貯金が@の6倍 以下であること(ただし100万円以下)、求 職等要件は以下のF、Fいずれかの要件を満た すことだ。F(ローワークに求職の申込をし、 誠実かつ熱心に求職活動を行うこと、F就労に よる自立が困難であり、本給付終了後の生活の 維持が困難と見込まれる場合には、生活保護の 一 申請を行うこと。  給付額は単身世帯が6万円、2人世帯が8万 円、3人以上世帯が10万円で、3ヵ月間給付さ れる。  年金生活者でも就労していて、その収入が新 型コロナウイルスの影響で減少していれば、給 付を受けられるのだ。住民税が非課税だと、特 例貸付の返済が不要になり、給付金まで受けら れる可能性が出てくる。どう考えても、住民税 一 非課税が有利であることは間違いないだろう。 ■お金より大切な健康  ここまでは、お金の問題を中心にみてきたが、 老後生活を送るうえで、お金より重要なことは、 健康を維持することだ。健康でなくなれば、医 療費が大きな負担となって襲い掛かってくるだ けではない。長期の入院を余儀なくされたら、 一 その間人生を楽しむことができなくなるし、介 護施設に入所したら、行動がかなり制約されて しまうからだ。  もちろん、癌のように予防がなかなか難しい 病気があるのは事実だし、加齢とともに体力は 確実に衰え、免疫力も落ちていく。  ただ、そうしたなかでも健康を維持していく ための基本がある。それは、適度な運動と腹八 分目のヘルシーな食事だ。私は仕事柄、多くの 一 医師と話をする機会があるのだが、医師たちが 共通して主張する健康の秘訣が、この2つなの だ。  「老化は足から」とよく言われる。テレビ番 組で、「歩く速度と余命は反比例する」と医師 が言っていた。その法則は、私の周囲の事例を みても正しいと思う。足の筋肉が衰えて、ずっ と座ったまま1日中テレビをみていたら、あっ という間に体が衰えてしまうのは明らかだろう。一 筋肉は使わないでいると、すぐに衰える。長期 入院をした人とか、狭い宇宙船で長い時間を過 ごした宇宙飛行士が、まず歩行訓練をリ(ビリ の第一歩に据えているのが、何よりの証拠だ。 だから、年齢を重ねるほど、意識して体を動か し、自らの足で歩く生活をしなければならない のだ。  運動とともに重要なのが食事だ。中高年以上 の人は、すでに耳にタコができるほど、聞かさ 一 れているだろう。塩分を抑えて、野菜中心のヘ ルシーな食事を続けることが、健康維持のため にはとても大切なのだ。  ただ、いくら健康に気を付けていても、必ず 病魔は襲ってくる。そして、最終的には、多く の高齢者が、要介護の状態になるのだ。  元気たった私の父は、2006年H月に突然、 脳出血で倒れた。幸い一命は取りとめたのだが、 左半身不随になってしまった。それから半年間、一 国立のリハビリテーションセンターで、リ(ビ リを行った。父は、隣に誰かついていれば、 200メートルほど歩けるまでに回復したが、 小泉構造改革の一環で、慢性病患者の入院は半 年までというルールが設定されたため、父はリ (ビリが完了する前に病院を追い出されること になった。  問題は、誰が父を引き取るのかということ だった。私は長男で、弟との2人兄弟なのだが、一 事実上選択肢はなかった。自宅内で介護をする ためには、介護用ベッドを入れるためのスペー スが必要になる。その他にも手すりを付けたり、 親の私物を保管するスペースも必要だ。弟の家 は東京だったので、そんな余裕スペースがな かったのだ。  我が家での介護は、1年3ヵ月にわたっだの だが、要介護4の父を自宅で介護するのは、限 界を超える負担だった。父の健康状能が亜化し 一 だこともあって、その後、介護施設に父を入れ ることになった。最初に頭に浮かんだのは、特 別養護老人ホームだった。特別養護老人ホーム (介護老人福祉施設)とは、常時介護を必要と し、在宅での生活が困難な高齢者に対して、生 活全般の介護を提供する公的な施設だ。一般的 には「特養」とも呼ばれている。特養の入所基 準は原則として要介護3以上だから、父はその 基準を満たしていた。特養なら自己負担が毎月 一 10万円程度からと、父の年金の範囲内で収まる 金額たった。しかし、特養はすぐに入れるとは 限らない。我が家の場合、1から2年待ちと言 われた。しかも、それで確実に入れるとは隕ら ないと言われたのだ。  実際、2019年12月に厚生労働省が公表し た資料によると、全国の待機者は要介護3〜5 の人だけで29・2万人にも達している。  政治的にみると、保育所の待機児童に関して 一 は、ゼロにしようという政策が重視され、実際 に待機児童解消に向かっているのだが、なぜか 特養の待機者をゼロにしようという運動は、な かなか進まない。結局、我が家は、料金の高い 民間の介護老人保健施設に父を入れることにし た。後述するが、民間の介護施設に入ることも 視野に入れて、老後の住まいを選ばないといけ ないのだ。 ■資産があると介護施設の負担が上がる  一  こうして考えてくると、現役世代のうちにで きるだけ貯蓄を増やして、年金を繰り上げ受給 して、住民税非課税の地位を確保したうえで、 月5万4000円だけ働きながら、不足分は貯 蓄を取り崩すというのが有利ということになり そうだが、実は政府はそうした戦略をつぶしに かかってきている。預貯金の額に制限をかけは じめたのだ。自立支援金にも預貯金が100万 円以下という条件がつけられたが、それだけで はないのだ。  2021年8月から介護施設利用料のうち、 食費・部屋代の補助を受けられる条件が厳しく なった。例えば、単身世帯で年金などの収入が 80万円以下の人は、これまで預貯金が1000 万円以下なら補助を受けられたのが、8月以降 は、預貯金が650万円以下でないと、受けら れなくなった。その結果、食費と部屋代がすべ て自己負担になり、毎月3・2万円から6・8 万円の負担増となったのだ。ちなみに年金収入 が80万円超120万円以下の場合は550万円、 年金収入120万円以上で住民税非課税の人は 500万円というのが預貯金の限度となり、そ れ以上の預貯金を持つと、補助の対象から外さ れる。  それなら預貯金を株式に換えてしまえばよい と思われるかもしれないが、有価証券や投資信 託も、預貯金に含まれることになっているので、 そうした預貯金隠しはできない。  ちなみに、住民税が課税されている人(年金 収入がおよそ150万円以上の人)は、この制 度改正以前から食費・部屋代の補助は、適用さ れていない。施設によって大きく異なるのだが、 介護保険適用の老人保健施設の月額利用料は、 食費と部屋代の補助がない場合で、最も安い特 別養護老人ホームの2人部屋で8万円前後、個 室で15万円前後だ。私の父は民間の介護施設に 大っていたが、そこは個室で月額30万円程度 だった。そうした料金から低所得者に対しては。 これまで2万円から7万円程度の補助かあった。 だから、最も安い施設の場合、国民年金だけで も施設利用料が支払えたのだが、預貯金が多い と、それも不可能になってしまったのだ。  介護施設での食費と部屋代は、介護保険制度 ができた時点では、すべて介護保険から支払わ れていた。しかし、2005年に食費と部屋代 が原則自己負担になり、低所得者を救うために 補助制度ができた。そして2015年からは、 一定の預貯金がある人が、補助の対象外となっ た。2021年から補助の対象となる預貯金額 の上限が引き下げられたのだ。  制度変更の理由は、もちろん介護保険の財政 が苦しいことだが、正直言って、この制度変更 はひどいなと思う。1億円以上の預貯金を持っ ている人を外すというのであればまだ分かるが、 650万円というのは、高齢者が普通に持って いる預貯金の額だ。しかも、老後の生活を考え てゴツゴツ貯めてきた資金だ。それを、たくさ んお金を持っているのだから、介護施設利用料 として、たくさん払いなさいというのは、筋が 通らないと思う。  ただ、政府が預貯金のある人を切り捨てにき たということは、間違いないので、それに対抗 する究極の手段は、貯蓄を持つのではなく、公 的年金の範囲内で基礎的な生活費を賄うという ことになるのではないか。つまり夫婦で月額13 万円の収入になっても、生きていくことができ るように、ライフスタイルそのものを構造改革 するのだ。普段は質素な生活をしていて、たま に贅沢をしたいときは、預貯金を取り崩す。投 資で大きく儲かったときには、夫婦で旅行に出 かける。働きに出て給料をもらったときには外 食に出かける。ただ、何もないときは、13万円 だけで生活が回るようにするのだ。  そうした生活に関しては、次章で詳しく検討 していくが、私は夫婦で13万円の暮らしには絶 対的な条件があると思う。それは、自分の家を 持っているということだ。  先日、歌手のさくらまやさんとテレビ番組で 共演したのだが、さくらさんは、22歳のときに 茨城県に家を建てたそうだ。未婚であるのに、 なぜそんな若さで家を買ったのか聞くと、彼女 は「家さえあればなんとかなる」と答えた。芸 能界の荒波を乗り越えてきたさくらさんの言葉 は正しいと思う。家さえあれば、本当になんと かなる。少なくともホームレスになることはな いし、食べていくだけだったら、そんなにお金 はかからないからだ。 ■相続対策も必要  家を持っておいたほうがよいと書いたばかり だが、私は大都市に家を持つことは大きな問題 があると考えている。地価が高い大都市では、 莫大な相続税の支払いが避けられないだけでな く、残された宗族の資金ショートを招く可能性 が高いからだ。  2015年の税制改正で、相続税の基礎控除 が4割も引き下げられた。現在の基礎控除は、 3000万円の定額と相続人1人あたり600 万円の加算だけだ。例えば、子供2人が相続す るヶIスだと、基礎控除は3000万円+ 600万円×2で、4200万円となる。相続 財産がこの金額を超えると相続税がかかるのだ。  相続税の計算の際、家の評価は、建物が固定 資産税の評価額、土地は路線価で求めると決め られている。建物の評価は、建築からの経過年 数に応じて減額されていくが、問題は土地だ。 当然の話だが、大都市の地価は高い。例えば東 京都世田谷区だと、実勢価格の8割と言われる 路線価でも、坪当たり250万円前後はする。 この地価だと、17坪の土地だけで、基礎控除を 超えてしまう。田舎の場合は、路線価が10分の 1以下だから、預貯金を大量に持つていない限 り、相続税の心配はほとんどない。  相続税の最大の問題は、死亡を知った日の翌 日から10ヵ月以内にキャッシュで納税しなけれ ばならないということだ。期限に間に合わない と、最初の2ヵ月は年利2・5%、それ以降は 年利8・8%の延滞税を支払わないといけなく なるのだ。  ところが家の売却には時間がかかる。遺品の 整理だけでも相当な時間を取られるし、誰が相 続するのかという宗族間の話し合い、売却の手 続きなどで膨大な時間が必要になるからだ。た だ、そうなると10ヵ月間しかない相続税の納付 期限に間に合わなくなる。だから、残された宗 族に迷惑をかけたくなかったら、相続税を支払 うための金融資産をしっかり残す必要が出てく る。そうなったら、老後資金がますます減って しまうのだ。  そうしたことを含めて、老後生活は家をどこ に構えるのかによって、ライフスタイルが大き く変わってしまう。そこで次章では、家の立地 ごとに、どのような「年金13万円時代を生き抜 く術」があるのかを見ていこう。 第3章 年金13万円時代に備     える3つのライフス     タイル ■定年後の住まいは3パターンに分かれる  年金13万円の時代に、どうしたら豊かで安定 した老後生活を送れるのか。私は最大のカギは、 できる限り公的年金の範囲内で暮らせるように 家計の構造改革をして、お金のために働く必要 がないようにすることだと考えている。そんな ことが本当にできるのかと思われるかもしれな いが、私は可能だと思う。  定年後の住まいは、@大都市に住み続ける、 F田舎に移住する、B都会と田舎の中間のトカ イナカに住むという3パターンに分かれると私 は考えている。そこで、この3パターンごとに 年金13万円時代の老後生活を考えていこう。 1.大都市に住み続ける  この3パターンのなかでは、老後も大都市に 居住し続けることを考えている人が一番多いだ ろう。日本は、東京・大阪・名古屋の3大都市 圈の人口が51%と半数を超えていて、札幌や福 岡など3大都市圈以外の大都市を加えたら、そ れよりずっと多くの人が大都市居住者になって いるからだ。住み慣れたところで暮らし続けた いと考えるのは、当然のことだ。  大都市の最大の魅力は、利便性だ。列車は数 分ごとに運行されているから、わざわざ時刻表 をみなくても、ふらりと駅に行けば、すぐに列 車がやってくる。バスも頻繁に運行されている し、タクシーもたくさん走っているから、手を 挙げればすぐにタクシーが止まってくれる。コ ンビニもスーパーもたくさんあるから、買い物 にでかけるのも時間がかからない。飲食店も、 庶民的な店から高級店まで揃っている。囗本中 の食材と優秀な調理人が大都市に集まってくる から、わざわざ地方に出かけなくても、あらゆ る地方や世界の国々の料理を堪能することがで きる。そして、高齢者にとって一番心強いのが、 医療機関が充実しているということだ。小さな 診療所を構える専門医から、大規模な総合病院 まで、まさに選び放題で、充実した交通網を使 えば、通院するのにも苦労がない。  だから、定年になっだのを機に、大都市のマ ンションに移り住む人は多い。若者だけでなく、 高齢者も大都市に集まることで、大都市の規模 拡大は続いてきたのだ。  実際、新型コロナウイルス感染が深刻な東京 都から住民が逃げ出し始めていると報じられた 2020年も、1年間のデータでみると、東京 都は3万1125人の転入超過になったのだ。  ただ、私は東京一極集中が、いずれ終結する と考えている。理由の一つは、東京都の転入超 過数が激減していることだ。2019年の転入 超過は8万2982人だったから、2020年 は62%も転入超過が減っているのだ。  二つ目は、2020年も、周辺3県に対して は、2万2844人の転出超過となったことだ。 つまり、東京から埼玉、千葉、神奈川へは人口 が流出しているのだが、それを埋めて余るほど、 地方から東京に大が集まっているという構造に なっているのだ。雇用機会に乏しい地方出身者 は、東京で就職せざるを得ないのだ。  しかし、そうした状況も少しずつ変わってい くだろう。リモートワークの普及で、本社を東 京以外に移す会社が増えているからだ。リモー トで仕事ができるのなら、わざわざ家賃の高い 東京にオフィスを置く必要はないからだ。実際。 三鬼商事によると、コロナ前には1%台たった 東京都心のオフィスの平均空室率は、19ヵ月連 続で上昇して、2021年9月には6・4%に 達している。変化は確実に起きているのだ。こ うした変化は、「通勤時間が短くて済む」とい う大都市居住の魅力の柱が傾きかけていること を示している。 ■東京は世界で最も危ない都市  大都市は、我々が暮らすうえで、大きなリス クをはらんでいる。しかし、東京が世界で一番 危ないと言ったら、驚かれる方が多いと思う。 ただ、それは事実だ。再保険業務を行うイギリ スのロイズとケンブリッジ大学の共同研究で、 「世界の脅威リスク」のランキングが発表され ている。まず、2018年6月に発表されたリ スクの高い都市ランキングをみてみよう。 1位東京 2位ニューヨーク 3位マニラ 4位台北 5位イスタンブール 6位大阪 7位ロサンゼルス 8位上海 9位ロンドン 10位バグダッド  第1位が東京で、大阪も第6位に入っている のだ。なぜ、こんなことになっているのか。リ スクの大きさは、自然災害や人的災害の22の脅 威が、GDPへどれだけ影響を与えるのかを評 価し、その合計で全体の脅威リスクを決めてい る。詳しい内訳の数値は手元にないのだが。 2017年にロイズが発表した資料では、東京 を事例にして、影響の大きい順に要因となる脅 威が示されている。それをみると、@台風、A バブル崩壊、B石油ショック、C地震、D洪水、 Eパンデミック、F噴火、Dサイバーテロ、H 津波、I干ばつの順となっている。  バブル崩壊や石油ショック、サイバーテロが リスクのランキングを決める脅威として採用さ れていることに違和感があるかもしれない。こ れは、東京と過疎地を比べたら分かりやすいか もしれない。バブル崩壊や石油ショックやサイ バーテロが発生したら東京の経済は大混乱にな るが、過疎地の経済は、ビクともしないからだ。  ただ、ロイズのリスク評価は、細かい内容が 分からないので、以下ではいくつかの脅威を具 体的にみていくことにしよう。 ■感染症と大都市  新型コロナウイルスの流行は、東京の魅力を そぎ落とすことになった。2021年に東京都 は、都独自の自粛要請を含めると、緊急事態宣 言が解除された9月末まで、自粛要請のかから なかった囗が1囗もなかった。東京の魅力であ るおしゃれなレストランも、イベントも、商業 施設も、利用に規制がかかってしまったのだ。  今後も、ウイルスは変異を繰り返して、人類 を襲い続けてくる。そのとき最大の被害を受け るのは、間違いなく大都市だ。世界をみても、 感染の爆発的拡大を起こしたのは、大都市だし、 ロックダウンされたのも大都市だ。それは当然 のことだ。人口密度が高いと感染リスクが高ま るからだ。そして囗本の場合は、東京への一極 集中が特に顕著になっている。国勢調査 (2015年)の昼問人目でみると、1平米当 たりの人口は、全国平均が348人であるのに 対して、東京都は7549人、東京都千代田区 は7万3162人だ。つまり人口密度が、東京 都全体だと全国平均の22倍、東京都千代田区だ と210倍に達しているのだ。これだけ濃密に 人を集積させたら、感染が広がるのは、誰の目 にも明らかだろう。  実際のデータでみよう。図表3‐1は、 2021年9月12日現在の人口1000人当た りの新型コロナウイルス感染者数(累計)と死 亡者数(累計)をみたものだ。人口1000人 当たりの感染者数でみると、一番大きいのは沖 縄県のB・Oだが、これは大都市からの観光客 が大挙して押し寄せて感染が広がったためだ。 それを除くと、人口1000人当たりの感染者 数のランキングは、東京都、大阪府、神奈川県、 千葉県、埼玉県、福岡県、兵庫県、愛知県、京 都府の順となっており、明らかに大都市で感染 が拡大したことを示している。ちなみに、東京 都の人口1000人当たりの感染者数は、最も 小さい秋田県と比べると14倍となっている。  やはり人口密度と感染者数の間には明確な相 関があるのだ。  21世紀は、感染症の時代と言われる。仮に新 型コロナウイルスの感染が終息しても、新しい タイプのウイルスが、次々に襲ってくるだろう。 しかし新型コロナウイルスのデータをみていく と、大都市に住むということは、繰り返し感染 症のリスクを負わないといけないということな のだ。 ■地震と大都市  囗本の場合、大都市は、ほとんどが太平洋側 の湾岸地域に分布している。そして、それらの 地域は、すべて地震の高リスクにさらされてい る地域でもある。30年以内に首都直下地震が起 きる確率は70%、東海地震が88%、東南海地震 が70%、南海地震が60%とされている。つまり、 少し長いスパンで考えるなら、ほぼ確実に太平 洋側を大地震が襲うのだ。しかし、そのことを 真剣に受け止めている人は、あまり多くないだ ろう。人間というのは都合のよい生き物で。 「自分だけは何とかなる」と楽観的に考えてし まうからだ。しかし、30年以内に70%の確率で 首都直下地震が発生するというのは、毎年2。 3%の確率で発生するということだ。東京で元 日に雨が降る確率が3%だから、それに近い確 率だ。  実は、私は首都直下地震が近い将来に発生す る確率は、政府の見通しより、ずっと高いと考 えている。その理由は、京都大学レジリエンス 実践ユニット特任教授、京都大学名誉教授の鎌 田浩毅教授が、現代の日本は、平安時代に起き た「大地変動」と同じ状況に突入していると主 張しているからだ。鎌田教授の根拠は、地震や 噴火の発生場所の順序とタイミングが、平安時 代と現代日本で酷似しているというものだ。  地震については、平安時代の863年にいま の新潟県に当たる地域で「越中・越後地震」が 発生し、その6年後の869年に宮城県沖を震 源とする「貞観地震」が発生した。その9年後 の878年に発生したのが、関東地方南部を震 源とする「相模・武蔵地震」たった。  現代では、2004年に新潟県中越地震が発 生し、その7年後の2011年に平安時代と同 じ宮城県沖を震源とする東日本大震災が発生し た。偶然の一致だと思われるだろうか。私は、 そうは思わない。地震は、地中で絶えず動いて いるプレートの境界に歪みが蓄積して、それが もう耐えられない臨界点に達したときに、歪み を一気に解消する形で発生する。東日本大震災 で、東北地方の歪みは解消された。しかし、関 東では歪みの解消ができていないから、圧力は 高まっている。現に、この数年、関東地方で小 さな地震が頻発しているのだ。  平安時代と同様に宮城県沖を震源とする地震 の9年後に首都直下地震が発生すると仮定する と、首都直下地震は2020年に発生すること になっていた。もちろんそれは正確なタイミン グではない。東日本大震災の発生も、平安時代 のタイムラグからみたら1年遅れている。だか ら、首都直下地震の発生は数年遅れるのかもし れない。いずれにせよ、きわめて近い将来に首 都直下地震が発生する可能性が高いと言えるだ ろう。そのとき一体何か起きるのか。  2019年12月1囗から8囗まで、NHKが 『体感首都直下地震ウイーク』を放送とデジタ ルサービス、イベント展開を交えた新しい形で 特集した。12月2囗午後4時4分にマグニ チュードフ・3の地震が東京で発生したら一体 何か起きるのかを、地震発生からの時間経過と ともに予測していくというものだ。私も、特集 の一部に出演させてもらっだのだが、専門家の 分析を踏まえて検討していくと、空恐ろしい事 態が待ち受けていることが分かった。  首都直下地震については、国の有識者会議が 2013年12月19囗に被害想定を発表している。 最悪の場合、死者が約2万3000人、経済被 害が約95兆円に上るとの想定だ。震度の分布を みると、都心南部直下地震の場合、震度6強以 上の地震が襲うのは、湾岸地域の他に、千代田   ちゆうぉう  みなと  しぶや  しながわ 区、中央区、港区、渋谷区、品川区といったビ ジネス拠点に集中している。都心南部に震源地 を想定している影響もあるが、これらの地域は、 縄文時代には海たったところだ。関東圈の陸地 は、縄文時代には多摩丘陵や武蔵野台地から だったのだ。東京湾の近くは、最近まで海の底 だったから、地盤が弱く、揺れが大きくなるの だ。  その結果、有識者会議の被害想定(冬・夕 方・風速8メートルノ秒の最悪ケース)では、 全壊・焼失棟数が、東京都区部が29万9000、 神奈川が13万6000、埼玉が9万7000に 対して、北関東は、茨城1300、栃木80、群 馬卯とけた違いに小さくなっている。死者数も、 東京都区部が1万1000人、神奈川が 5400人、埼玉が3800人に対して、茨城、 栃木、群馬はわずかという結果になっている。 地盤の問題だけでなく、家屋が密集していて火 災が広がる地域は、どうしても被害が大きくな るのだ。 ■水害と大都市  大都市のもう一つの問題は水害だ。大都市と いうと、あまり水害のイメージがないかもしれ ない。しかし、それは莫大な公共投資によって、 洪水を防ぐ仕掛けを作ってきたので、いままで 深刻な事態に陥っていないだけだ。例えば、東 京都は2014年に策定した「東京都豪雨対策 基本方針(改定)」のなかで、都区部は時間雨 量75ミリ、多摩部は65ミリに設定し、この降雨 があっても床上浸水にならないような対策を講 じるとしている。しかし、東京は地中に雨を吸 収しやすい農地や山林が減少し、水を吸収しに くいアスファルトや建物が増えている。だから 洪水を防ぐためには強い対策を講じないといけ ない。  埼玉県春日部市の国道16号の下には、防災地 下神殿と呼ばれる巨大な放水路が作られ、埼玉 県さいたま市桜区から戸田市にまたがる巨大      さいこ  あらかわはんらん な人造湖の彩湖も、荒川氾濫時の被害に備える 調節池だ。正式名称は、荒川第一調節池という。 そのほかにも都心から郊外の広い範囲に調整池 が作られ、雨水を浸透させる舗装などが増えて いる。  しかし、地球温暖化の影響で線状降水帯が停 滞するようになって、すでに時間雨量100ミ リを超える豪雨があちこちで発生している。荒 川が決壊するような大雨が降ると、東京23区の 3分の1が浸水するのだ。  こうした事情は、東京以外の大都市も似たり よったりだ。例えば、大阪市が位置する淀川下 流部の大半は海抜Oメートル以下の低平地であ り、これまでも洪水を繰り返してきた。そして、 それを防ぐために堤防建設など、莫大な公共投 資を続けてきたのだ。名古屋も同じだ。干拓地 に都市を作ったため、1959年の伊勢湾台風 のときには、広い範囲で浸水が起き、なかには 1ヵ月以上水が引かなかった地域もあった。  マンションの3階以上なら大丈夫ということ もない。深刻な浸水が起きれば、エレベーター は使えなくなり、復旧のための修繕には大きな コストと長い時間が必要になるのだ。 ■生活費からみた大都市  老後生活を送るうえで、大都市の一番大きな 問題は、生活コストがとてつもなく高いことだ。 総務省の「消費者物価地域差指数」(2019 年)によると、全国平均を100としたときの 東京都区部の消費者物価は、105・4となっ ている。公式統計だと、東京の物価は、全国平 均よりも5・4%高いだけということになって いるのだ。  しかし、生活実感からすると、物価の差は、 そんなものではない。私は、コロナ前まで、平 日は東京の事務所で寝泊まりして、週末だけ埼 玉県の自宅に帰るという二拠点生活をしていた。 そこで感じた物価の差は、3割近くに及んでい た。  消費者物価地域差指数の基になる物価調査で は、調査員が、担当する調査地区内の調査店舗 を訪問し、代表者等の報告者から調査品目の価 格情報等を聞き取り、その結果を端末に入力し ている。だから、棚に並んでいる普通の商品の 価格が入力されるのだ。しかし、郊外のスー パーで、普通に棚に並んでいる商品を買うこと は、そんなに多くない。その囗の特売品を買う のだ。  例えば、私の家の近所のスーパーでは、水曜 日と日曜日に鶏卵が10個入り100円で販売さ れる。事務所近くのスーパーでは、そんな特売 はないから、10個入り198円の鶏卵を買わざ るを得ないのだ。もちろん、東京でも下町や郊 外では、特売で激安商品を売る店舗はある。そ こで買い物ができるならば、さほど大きな物価 の差はないかもしれない。  しかし、統計でみても、確実に違う物価があ る。それが、家賃や住宅ローンだ。消費者物価 地域差指数でも、東京都の住居費は132・3 と、全国平均より32・3%も高くなっている。 東京都区部の指数は公表されていないが、さら に高いのは確実だ。  不動産・住宅情報サイト大手のライフルホー ムズが家賃相場を公表しているが、最寄り駅別 のファミリー向け賃貸マンションの家賃相場を みると、荻窪駅19・02万円、千歳鳥山16・27万 円、京急蒲田16・45万円、成城学園前23・15万 円、自由が丘24・75万円などとなっている (2021年8月現在)。土地勘のない方のため に付け加えておくと、これらの駅は都心ではな く、都心から20分から40分くらい離れた住宅地 だ。そこで、これだけの家賃がかかるのだから、 少なくとも老後生活を東京のファミリー型マン ションを借りて過ごすことは、年金13万円時代 には、物理的に不可能ということが分かるだろ  それでは、すでに都区内にマンションを持っ ていて、すでにローンの支払いが終わっている 場合はどうだろうか。その場合は、年金だけで ギリギリ生活を回せるかもしれないというレベ ルだ。  都区内のファミリー型のマンションは、築年 数が経っても、月額1万円程度の固定資産税が かかる。地価が高いからだ。また、マンション の管理費は、月額1万円程度が相場となってい る。一方、修繕積立金は国土交通省のガイドラ インによると、15階建て未満で、延べ床面積が 5000平米未満のマンションの場合、専有面 積1平米あたりの適正修繕積立金は、月額 218円となっている。80平米のマンションの 場合、1万7440円というのが、修繕費を賄 うために必要な毎月の修繕積立金となるのだ。 固定資産税と管理費と修繕積立金を合わせると、 月額3万7400円というのが、毎月の負担と なるのだ。  固定資産税も含めれば、住居費が、東京の場 合、自己所有のマンションでも4万円近くかか るということになる。そうなると、住居費を除 いた生活費は、10万円を切ってしまう。もちろ ん修繕積立金が国土交通省のガイドラインを大 きく下回っているマンションは多い。しかしそ の場合は、大きなリスクがある。大規模修繕工 事だ。十分な修繕積立金が積み立てられていれ ばよいのだが、積立金が不足すると12年に一度 必要になる大規模修繕の際に、莫大な支払いが 求められることになるのだ。  その金額が100万円を超えることは珍しく ない。年金生活者にとっては、衝撃的な負担額 だ。  東京に住み続けたいと思ったら、定年後にや らなければならないことは、徹底的な断捨離を して、床面積の小さなマンションに住み替える ことだろう。修繕費は床面積比例だし、管理費 も床面積に大きく依存するから、小さなマン ションに移れば、住居費は大きく減る。もちろ ん固定資産税も面積に比例して下がることにな る。床面積を半減させれば、月4万円の住居費 を月2万円まで下げることも可能になるのだ。  それでも、13万円の年金だけで大都市生活を 続けることは難しいと思う。東京の物価は高い し、年金だけの生活だと、東京を楽しめないか らだ。おしゃれなレストランとか素敵なエン ターテインメントという東京の魅力を楽しむた めにはお金が要る。東京は、お金を使える人だ けが楽しい。それは、東京だけの話ではない。 20年ほど前に上海を訪れた時は、建ち並ぶ高層 ビル群の隣にまだ旧市街が残っていた。そこで 痛感したのは、物価の違いだ。新市街は「国際 価格」で、物価はすでに先進国並みだったが。 旧市街はけた違いに物価の安い「共産主義価 格」たった。現地の人に聞いた話で印象に残っ ているのは、「上海はお金がある人だけが楽し める街になってしまった」ということだ。お金 がまったくない状態を想像してみてほしい。田 舎であれば、野山を散策したり、釣りをしたり、 虫を撮影したり、楽しむことは無数にある。と ころが、大都市でお金が1円もなかったら、楽 しめることは、非常に少ないのではないか。だ から、定年後に大都市を楽しもうと思ったら、 年金とは別に、働き続けることが不可欠になる だろう。  小さい部屋に住み、部屋を広く使うため、家 財道具は断捨離して、徹底的に節約する。そし て、家計に余裕ができたときは、それをイベン トやおしゃれな食事に使う。  実は、ここで書いている家計のイメージは、 いま一人暮らしをしている多くの学生が採って いるライフスタイルだ。だから、実現可能性は 十分ある。ただ、狭い部屋に閉じこもって、毎 日スマホばかりいじっている生活が本当に幸せ なのか。もちろん、個人ごとに価値観は異なる が、私には、とても幸せな老後だとは思えない のだ。 ■健康・介護と大都市  都市生活の場合、意識的に運動をしないと健 康を維持することが難しくなる。しかし、大都 市は、生活の利便性が高い分、普段の生活が運 動に結びつくことが少ない。だから、運動の機 会を確保することが不可欠だ。  都市生活をする人にとって、運動不足の解消 に最も適しているのは、トレーニングジムに通 うことだ。ただ、トレーニングジムには2つ問 題がある。一つは、コストがかかることだ。一 般的には、ジムに通うためには、平日限定でも 月額1万円近い料金が必要になる。年金13万円 時代には、なかなか負担が難しい金額だ。  さらに大きな問題は、長続きしない可能性が あることだ。トレーニングジムは、トレーニン グにはまってしまう人と、会費だけ払って、な かなか通わなくなってしまう人に、完全に分か れる。もともと運動が得意ではない大部分の人 は、後者になる可能性が高いのだ。そうした人 がトレーニングを続けるためには、個人的な卜 レーナーをつける必要がある。私はライザップ のトレーニングを6年間継続したが、それが可 能だったのは、トレーナーがいたからだ。だが、 パーソナルートレーナーをつけるのには、少な くとも毎月数万円のコストがかかってしまう。 年金13万円時代には、負担が困難な金額だ。  ただトレーニングの動機づけは、ネットを活 用することでコスト削減が可能だ。例えば、自 宅にエアロバイクを置いて脚力を鍛えるのは、 非常に効果的なトレーニングだが、エアロバイ クの最大の問題は長続きしないということだ。  そんな時に役立つのがZWIFT(スイフ ト)だ。スイフトは、米国発のバーチャルサイ クリングを提供するアプリだ。自分の自転車の 後輪にスマートトレーナーと呼ばれる機材を組 み合わせると、CGで描かれた仮想世界の中を サイクリングすることができる。仮想世界の勾 配に応じて自動で負荷が変わるので、よリリア ルな走行感を楽しむことができるのだ。それだ けではない。世界中の参加者と一緒にサイクリ ングやレースも行うことができるから、楽しみ ながら、脚力を鍛えることができる。しかも、 天候に関係なく走ることができ、交通事故の心 配もない。利用料金も毎月1650円とりIズ ナブルだ。もちろん大自然のなかでのサイクリ ングとは違うのだが、大都市で暮らす楽しみは。 スマホやタブレットのなかというのが基本にな るのだ。  一方、健康ではなくなった場合はどうだろう。 大都市に共通しているのは、医療機関が充実し ているということだ。だから治療を受ける際に は、大都市が最も有利であることは間違いない。 問題は、介護が必要になったときだ。  実は、父を在宅介護していたとき、あまりの 介護負担の大きさに、ヶア付きの介護施設を利 用することも考えて、料金を調べたことがある。 父が実家に近い都心の施設がよいというので東 京の施設を調べたのだが、驚いたのは、コスト の高さたった。東京の施設の場合、入居金だけ で1000万円以上、都心だと1億円というと ころもあった。父が入居を希望したのは、その 1億円の施設だった。その施設を妻と2人で見 学に行った。確かに、素晴らしい施設だった。 壁はウォールナット調で、シャンデリアもつい ているし、絨毯の毛足が長くてフワフワたった。 ちょうど高級ホテルのような内装になっている。 正直言うと、当時の私は、とても稼いでいたの で、保有する株式などの金融資産をすべて処分 すれば、1億円を支払うことは、不可能ではな かった。  ただ、とてつもない大金なので、私は施設の 担当者に聞いた。「もし、父をこちらに入れて、 入居の翌日に父が亡くなったら、入居金の1億 円はどうなるんですか」。  担当者はこう答えた。「もちろんお返ししま すよ。ただし入居の翌日に死亡した場合は、手 数料を30%いただきます」「それって、1泊 3000万円ということですか」「まあ、計算 上はそういうことになりますね」。  その時点で、その施設に入居させる気は、ほ とんどなくなっだのだが、実は決定打となっだ のは、入居金とは別にかかる40万円の月額負担 たった。これは、基本料金なので、そのほかの オプションなどを含めると、父にかかる費用は 月額50万円程度になるだろう。父の年金を充て るとしても、月額35万円の不足、年間420万 円の持ち出しになる。数年だったら耐えられる かもしれないが、問題は父がいつまで生きるか 分からないことだ。  仮に父が105歳まで生き続けるとすると、 当時父は82歳だったから、23年分の負担は、 9660万円になる。入居金と合わせれば2億 円だ。さすがにその負担は不可能だと判断せざ るを得なかった。  いま都心に家を構える人のなかには、自宅を 処分して豪華な介護施設に入居する大がたくさ んいる。地価高騰で、家を処分すれば、1億円 近い収入を得ることができることも多いからだ。 ただ、問題は毎月の負担のほうだ。もし、長生 きして、金融資産を食いつぶしたら、その瞬間 に施設から放り出されることになる。  放り出されたらどうなるのか。戻るべき家は すでにないのだから、年金の範囲内で面倒をみ てくれる介護施設に移るしかないが、それは都 心では不可能だ。田舎の老人保健施設の場合。 10万円程度の料金で受け入れてくれる施設がた くさんある。もちろん入居金は不要だ。だから 介護施設に入る段階になったら地方に移るとい う選択は、もちろんあるのだが、そうなると、 宗族が頻繁に見舞いにきてくれることはなくな る。友人とも、なかなか会えなくなる。ひとり ぼっちになってしまうのだ。  「介護施設から放り出される」という事態は、 想像しにくいかもしれない。しかし、2021 年1月19日付の毎日新聞に、こんな記事が掲載 された。    入居者は支払えなくなれば路頭に迷って   しまうのかI。そんな疑問を抱いて複数 の高齢者向け施設に電話で取材を申し込ん だが、繊細な内容だからか一様に囗が重い。 そんな中、関東地方を中心に有料老人ホー ムを運営する男性が、匿名を条件につらい 経験を明かしてくれた。  昨秋、利用料の支払いに窮した卯代後半 の入居者に対し、同じ系列で利用料を抑え られる施設への転居を勧めた。その入居者 は「ここを死に場所と決めてマイホームも  売っだのに」と涙ながらに残れないか訴え  たが、最終的には子どもが住む家に移ると  決まった。子どもと言っても既に定年退職  した年齢だ。   その過程では、親の受け入れについて  「そんなに金銭の余裕はない」と一時難色  を示されたという。 たまたま、子どもが引き取ってくれたから、 それで幸せになったのかというと、私はそうは 思わない。親にとっては、設備や介護体制の 整ったところから、設備や介護体制の劣る子ど もの家に移るのだから、生活環境は悪化する。 また、子どもの世帯にとっても、親を引き取る ことは金銭的負担の増加だけでなく、介護の精 神的、肉体的負担を抱え込むことになるからだ。  現役世代のときもそうだが、高齢期を迎えて も、やはり大都市は、お金がある人が楽しんで 暮らせる街なのだ。 2.田舎に移住する  田舎暮らしを希望する人が、急激に増えてい る。NPO法人のふるさと回帰支援センターの 東京情報センターの利用者数は、2014年度 の1万2876件から2019年度には4万 9760件と、5年間で4倍に増えている。 2020年度は4万729件と、2割ほど減っ たが、これは新型コロナウイルスの影響でセミ ナーがあまり開催できなかったためで、電話等 の問い合わせに隕れば、2014年度の 2381件が、2020年度は2万646件と、 6年間で9倍に増えている。また、ふるさと回 帰支援センターのセミナー参加者の2020年 の移住希望地ランキングベストテン(セミナー 参加者)は、1位から和歌山、広島、佐賀、静 岡、長野、北海道、山梨、愛媛、新潟、福島の 順となっている。大都市近郊ではなく、田舎ら しい田舎が人気を集めているのだ。その傾向は、 近年変わっていない(図表3‐3)。  田舎に移住したいという気持ちは、よく分か る。田舎に行けば、自然が豊かで、水や空気が おいしくて、時間がゆったりと流れているので、 人間らしい暮らしができるからだ。  そうしたことは、都会人の思い込みに過ぎな いと思われるかもしれないが、そうでもないの だ。  図表3‐4は、株式会社ブランド総合研究所 が、都道府県民に直接「幸福度」を聞いた都道 府県別ランキングだ。幸福度が高いベストテン は、沖縄、宮崎、熊本、山梨、愛媛、岡山、長 崎、北海道、京都、大分と、移住希望地ベスト テンとやや異なっているが、京都を例外として、 大都市周辺県がベストテンに入っていないとい う点では共通している。  所得水準が高い大都市が下位に沈み、所得水 準の低い田舎が幸福度で上位を占めていること は、お金が幸福度を決めるのではないことを、 明確に物語っている。  実は私自身も、40歳代までは、「50歳を迎え たら、早期引退をして、沖縄に移住する」と宣 言していた。沖縄が大好きだからだ。  コロナ前までの37年間、私は毎年沖縄に行っ ていた。一番多かったときは、1年間で7回も 行ったことがある。  最初に私を虜にしたのは、沖縄の美しい海 たった。初めて訪れたころには、まだ本島の海 岸で、原形をとどめている珊瑚が簡単に拾えた し、水中眼鏡をつけて海を覗くと、色とりどり の熱帯魚がたくさん泳いでいた。その海に魅せ られて数年間通い続けたのだが、それだけでは 長続きしなかったと思う。私を本当に虜にした のは、ウチナーンチュのライフスタイルと沖縄 の文化たった。  ウチナーンチュは、私のようなヤマトンチュ にも、とても親切だ。何か相談すると本当に親 身になって考えてくれるし、お腹がはちきれる くらいご馳走してくれる。そして、一番素敵な のは、ウチナーンチュたちがどんなときでも暗 くならないことだ。  失業率が日本匸咼く、賃金は日本一低く、高 校生の就職内定率も日本一低い。都会だったら 暗くなって当然の経済環境なのに、「なんくる ないさあ」と受け流してしまう精神的したたか さは、間違いなく日本一だ。私か書いた『年収 300万円時代を生き抜く経済学』(光文社) という本のなかで、失業率と自殺率のデータか ら「ラテン度指数」を計算している。失業して も自殺しない率がラテン度指数だ。そのなかで 沖縄県は堂々の1位たった。経済的困難に遭遇 しても、ウチナーンチュは日本一自殺率の低い、 たくましい人だちなのだ。それだけが原因では ないが、沖縄は長寿の名をほしいままにしてき た。  2004年に、沖縄本島の北部に位置する大 宜味村を訪れた。沖縄一の長寿を誇るこの村に は、手つかすの大自然とゆったりしたライフス タイルが完全に残っていた。深い緑と澄んだ空 気と清らかな水。大自然のなかで気負わず、あ せらず、ゆったりと暮らすライフスタイルが長 寿をもたらす秘訣なのだろう。私も訪れてただ ボーつとしていただけなのだが、1年で、一番 豊かな時間を過ごすことができた。  その大宜味村で素敵な出会いがあった。「道 の駅」で、奥島ウシさんに出会ったのだ。ウシ おばあ1は、1902年生まれの当時102歳。 101歳のとき、道の駅に再就職したという。 間違いなく、全国で最高齢の新規就職者だろう。  ウシおばあ1は健康そのもので、畑仕事も続 けていた。それでも時間をみつけては、道の駅 を訪れ、仕事を手伝うのだ。私か訪れたときは、 ポンカンを袋に詰めていた。ウシおばあ1は観 光客に大人気で、おばあ1の詰めたポンカンは 飛ぶように売れていく。そして観光客は「あや かりたい、あやかりたい」と、おばあ1の着物 に触れて行く。ウシおばあ1は、理想の老後を 見せっけてくれたのだ。  だが、沖縄は大きく変わっていった。この35 年、那覇市を中心として、本島の開発が急速に 進んだ。いまや、おもろまちの新市街などは、 横浜のみなとみらいや東京の台場と見紛うばか りだ。ただ、その一方で海は随分汚れてしまっ た。那覇市内にある「波の上ビーチ」は、もち ろん十分泳ぐことはできるのだが、かつての美 しい海ではなくなっている。  食生活も随分変わった。沖縄の食事と言えば、 ソーキそばやゴーヤー・チャンプルー、具だく さんの味噌汁、ほのかな甘味のあるタイモなど、 比較的質素なものが中心だった。ところが若い 人中心に食べ物の嗜好も急速に都会化した。ア イスクリームやステーキなどアメリカ文化の食 べ物が浸透してきたので、もしかしたら本土よ りも健康によくない食事かもしれない。  さらに生活時間も変化した。遅刻をあまり気 にしない「沖縄時間」というゆるやかな規範が 原則だったのだが、本土とのビジネスの連携が 増え、ビジネスサイクルが短くなることで、古 い習慣が少しずつ崩れてきたのだ。  その結果、健康面でも実に恐ろしいことが起 こっている。男性の平均寿命をみると、 1985年には全国1位だったのが、1990 年は5位、2000年には26位、2015年に は36位にまで下かつてしまったのだ。女性も 1985年は全国1位だったのが、2015年 には7位にまで下かつている。  青い空と海、白い砂浜、健康的でおいしい食 べ物、そして何より優しい仲間と優れた文化に 囲まれていれば、それだけで十分幸せだと思う のだが、那覇に移住しようとすると、本土の都 会とそれほど変わらなくなってしまった。もち ろん、大宜味村のようなところに移住すれば、 昔ながらの沖縄が残っているのだが、那覇空港 まで行くのにも相当時間がかかるので、そこか ら東京に出稼ぎを繰り返すのは、不可能に近い。  結局、私の沖縄移住計画は、絵に描いた餅に 終わってしまったのだ。 ■ミニマリズムと田舎暮らし  しかし、最近になって再び、田舎暮らしも良 いなと思うようになった。というより、必要性 が高まったと思うようになったのだ。ミニマリ ズムという行動規範が世界中で広がり始めたか らだ。  ミニマリズムというのは、消費への執着を捨 て、シンプルな暮らしに徹するライフスタイル のことだ。なぜミニマリズムが注目されている のかというと、1980年代以降に世界に広 かったグローバル資本主義が大きな矛盾を露呈 するようになったからだ。  グローバル資本主義がもたらした矛盾の一つ は、地球が壊れかかっているということだ。世 界中で異常気象が続き、その結果として山火事 や干ばつ、豪雨、鉄砲水などが頻発している。 それは日本も例外ではない。数十年に一度の大 雨のときに出される「大雨特別警報」が毎年発 令され、土砂崩れに巻き込まれたり、増水した 川に家屋が流されたりする被害が後を絶だない。  原因は分かっている。地球温暖化だ。温室効 果ガスの排出量が増えると、地球が温暖化して、 微妙なバランスの上に成り立っている地球上の 循環がおかしくなってしまう。そのことを理解 しているからこそ、世界中の国が、「カーボン ニュートラル」(温室効果ガス排出実質ゼロ) を打ち出しているのだ。  問題は、なぜ温室効果ガスの排出量が増えた のかということだ。私は間違いなく原因は資本 主義だと考えている。図表3‐5から明らかな ように産業革命前まで、ほとんど増えることの なかった温室効果ガスの排出量が、産業革命後 の資本主義の広がりで増加をしはじめ、20世紀 後半のグローバル資本主義の広まりとともに。 一気に加速している状況が分かるだろう。温室 効果ガスの排出量は、資本主義の拡大と完全に 歩調を揃えているのだ。  その状況は、日本でもまったく同じだ。資本 主義が広がる前、日本人の暮らしは自然と共存 していた。大地や海や川の恵みを食み、暖房は 間伐した木材を燃やした。完全なカーボン ニュートラルだ。  日本では地方自治体によるゴミ収集が本格的 に始まっだのは昭和30年代からだ。それまでは、 家庭ごみもほとんど出ていなかったのだ。ごみ が出ない理由は、そもそもごみが出ない暮らし 方をしていたからだ。豆腐はボウルを持って、 醤油は瓶を持って買いにいった。飲み物は瓶詰 で、飲み終わった瓶は洗浄してリユースしてい た。いまのようにマイバッグ持参が推奨される 前から、買い物には買い物かごを持参していた。 洋服はツギを当てながら、ボロボロになるまで 着たおしたのだ。  一方、グローバル資本主義の象徴である夕 ワーマンションでの暮らしを考えてみよう。夕 ワーマンションは、規制緩和政策で生まれた新 しい住居だ。床暖房を含むタワーマンションの 完璧なエアコンディショニングは、すべて大量 の電気を消費することで賄われている。家から 出入りするだけで、エレベーターが大きな電力 を消費する。洗濯物はベランダに干せずに電気 乾燥機を用いる。さらにタワーマンションに住 む「勝ち組」は、仕事がグローバルに展開する から、飛行機で世界中を飛び回る。なかにはプ ライベートジェットという人もいる。そのたび に莫大なジェット燃料が消費される。近隣の移 動も、電車やバスではなく、大型の乗用車だ。 環境問題への姿勢をアピールするために(イブ リッド車に乗っている人も多いが、その大型車 が排出する温室効果ガスは、軽自動車よりも多 いのだ。つまり、タワーマンションの勝ち組と いう暮らし方をする人が増えれば、温室効果ガ スの排出量が増えて当然なのだ。  別の例を挙げよう。環境省の「サステナブル ファッション」というサイトによると、いま日 本では1人当たり年間約18枚の衣服が購入され、 約12枚の服が手放されている。そして、誰にも 着用されていない服が25枚も捨てられている。 購入される服よりも、新品のまま廃棄される服 が多いのは、流行のせいだ。ファッション業界 は、毎年新しい流行を自ら生み出し、消費を拡 大させようとする。しかし、消費者の嗜好の変 化は激しいため、大量の服が売れ残る。本来な ら、価格を大幅に下げれば、買い手はつくはず だが、ブランドの価値を守るため、売れ残った 服は新品のまま廃棄されてしまうのだ。  また、消費者が手放した服の68%がごみとし て廃棄されている。その結果、日本では1日 1300トンもの衣類が焼却・埋め立てされて いるのだ。そして、衣服の原料調達から製造段 階までに排出される環境負荷の総量は、二酸化 炭素が約9万キロトン、水の消費量が約83億立 米、端材等の排出量が約4万5000トンと推 計されている。大変な環境破壊なのだ。  こうした地球環境の破壊に加えて、グローバ ル資本主義がもたらしたもう一つの大きな矛盾 は、人を破壊しているということだ。グローバ ル資本主義の下で、我々は安い商品を手にする ことができるようになった。例えば大型スー パーでは、ジーンズが1000円で売られてい る。なぜそんなに安いのかと言えば、世界中の 需要をまとめて、発展途上国に大量発注して買 い叩くからだ。もちろん低価格で発注したツケ は、発展途上国でモノづくりに携わる労働者の 低賃金や過酷な労働となって回ってくる。  そうしたグローバル資本主義の下で、いま世 界では、とてつもなく大きな所得や資産の格差 が生まれている。地球には76億人が住んでいる。 そのうち所得の低いほうから数えて半分の38億 人が保有する金融資産は153兆円だが、世界 の所得トップ26人が持つ金融資産も、同額の 153兆円なのだ。  服を大切に着ることは、格差の拡大を防ぐこ とにもつながる。例えば、アパレルの国内供給 量は1990年の18億着から2019年には35 億着とほぼ倍増している。なぜ、そんなことが 可能になったかというと、服の価格が下がつた からだ。衣服1枚当たりの単価は、1990年 の6848円から2019年の3202円へと、 半額以下に下かつているのだ。もちろん価格下 落の理由は、日本で売られている衣料品の98% が海外からの輸入品になっていることだ。  インド建国の父であるマ(トマーガンディは、 地元で紡がれた糸で作った布を地元で縫製した 服を着続けた。格差を小さくするためにどうし たらよいのかを考え抜いたカンディは、「近隣 の原理」を打ち出し、地元の人が作ったものを 地元の人が消費するライフスタイルを貫いた。 そうしたライフスタイルは、小さな地域の単位 で経済が回ることになるので、貧困を生み出す ことがない。もちろんコストは高くなるが、そ れは地元で働く人が潤うことを意味するし、モ ノを捨てることが減ることも意味する。  資本主義が登場する前、原始共産制と呼ばれ る経済には、格差は存在しなかった。共同生産、 共同分配で、狩猟で得た獣や木に実った果実は、 皆で平等に分配していたからだ。  また、グローバル資本主義がもたらした格差 は、こうしたお金の格差だけではない。私は、 最大の格差は、仕事の楽しさの格差だと考えて いる。  例えば、囗本の美少女フィギュアの作家は、 デザイン、造形、組み立て、塗装、仕上げに至 るまで、すべて1人でやることが多い。自分の 作品を作るのだから、すべて自分の判断でやる のだ。一方、途上国でフィギュアの大量生産を 手掛ける労働者は、ラインを流れてくるフィ ギュアの例えば右目だけをひたすら塗り続ける。 完全分業制なのだ。なぜ、そんなことをするの か。それは生産性が高まるからだ。  私は生産性と仕事の楽しさは、反比例すると 考えている。資本主義というのは、生産性を高 めて利益を拡大する運動だから、資本主義が進 めば進むほど仕事は楽しくなくなっていく。仕 事の楽しさは、経営者だけに集中していくのだ。  こうしたことを考えると、地球と人をグロー バル資本主義から守るための方向性は明らかだ ろう。それは飽くなき消費拡大に歯止めをかけ ること。つまりミニマリズムだ。その実現のた めに、私は今後の経済社会には、以下の四原則 が必要だと考えている。 1.大規模から小規模へ 2。グローバルからローカルへ 3.集中から分散へ 4.中央集権から地方分権へ  所得環境がずるずると悪化するなかで、暮ら しを守るために必死で働き続けることに意味が あるのだろうか。流行を追いかけ、次から次へ とモノを買い、その資金を得るために、さらに 我慢して働くという人生が本当に幸せなのだろ うか。そうした疑問がミニマリズム台頭の背景 にはあるのだ。  ここまで書いてくると、お分かりだと思うの だが、ミニマリズムを実現するための一番の方 法は、大都市で暮らすのではなく、田舎暮らし をすることだ。田舎にもグローバル資本主義の 影響は確実に忍び寄っているのだが、それでも 大都市で暮らすのとは比べ物にならないくらい 資本主義に侵されなかった時代のライフスタイ ルが残っている。  もともと日本人の暮らしは、里山とともに あった。山で拾った枯れ木や落ち葉、間伐した 木材で暖房をし、煮炊きをした。果実やキノコ や猟で獲った動物は、貴重な食料だった。水は 山から引いてきた。そして、自宅の周りの野良 は、畑や田んぼとして活用する。いまでも田舎 にいけば、そんな暮らしが色濃く残っている。 格差に怯えて過重労働をすることもないし、環 境を破壊することもない。それが田舎暮らしな のだ。  田舎暮らしの最大の利点は、消費への執着を 意識することなく捨てられることだ。大都市中 心部のようにおしゃれなファッションタウンも なく、エンターテインメントもなく周囲の人た ちも、最先端の衣服をまとっている人がほとん どいないからだ。 ■いくらあれば田舎暮らしができるのか  それでは、田舎暮らしには、どのくらいのコ ストがかかるのだろうか。まず、極端なケース からみていこう。  いまネットで、話題を集めている「まさや」 さんという若者がいる。彼は、「テントだけで 暮らしてわかった31のこと」と題したツイード で、「月2万あれば暮らせる」と発表している。 25歳のまさやさんは、大学卒業後、営業職とし て働いていたが、高い生活費を賄うために働き 続ける暮らしに疑問を感じ、千葉県の山林に80 坪の土地を購入して、小屋暮らしを始めようと 決断した。土地の購入費用は80万円で、いまは 小屋を作る前段階としてテント暮らしをしてい る。  まさやさんは、私か出演しているニッポン放 送の『垣花正あなたと『ツピーー・』というラジ オ番組に電話出演してくれたのだが、とても明 るい人で、自由な生活を心から楽しんでいるこ とが伝わってきた。まさやさんによると、テン トでも住民登録はできるし、生活に困難はない という。電気もガスも水道も通っていない土地 だが、生活用水はカーポートの屋根に降った雨 水を集め、飲料水はスーパーの無料の水を利用 している。電気は、100ワットの太陽光パネ ル2枚とポータブルバッテリーを使用していて、 その電力でパソコンなどの電源を賄っている。 本当は軽トラックが欲しいそうだが、いまのと ころ移動手段は、原付バイクで我慢をしている。 暖房と調理は、小型の薪ストーブとカセットコ ンロを併用しているとのことだ。  実はまさやさんの生活費は、もっと下げられ る余地がある。まさやさんは、いまのところ自 給自足ではなく、食材はスーパーに買い出しに いっているのだが、空いている土地を畑にして 農作物を育てれば、食費を大きく節約すること ができるからだ。80坪という土地があれば、50 坪くらいは畑が取れる。それだけの面積であれ ば、暮らしに必要な食材のかなりの部分が収穫 できるのだ。畑をやるようになれば、まさやさ んの生活費は、おそらく1万円程度まで下がる だろう。  だから、単に生き続けるだけであれば、年金 給付が下がっても、田舎暮らしで十分乗り切れ ることになる。ただ、知人で田舎に移住した人 の話を聞くと、現代的な暮らしをしようと思う と、田舎でも夫婦2人で月額10万円ほどの現金 収入がどうしても必要だと言う。田舎暮らしで は、家賃が劇的に下がるのだが、コストがかさ むことも多いからだ。 ■田舎暮らしの問題点  田舎暮らしは、すべての面でバラ色かと言え ば、そうではない。  第一は、雇用の場が限られるということだ。 大都市のような多様な雇用機会がないので、自 ら独立開業してビジネスを始めるか、農業で稼 ぐことが基本になる。  第二は、物価が高いことだ。特に中山間地域 に行くと、大型スーパーなどの安売り施設がな く、定価販売の小規模小売店しか商業施設がな かったりするので、どうしても物価が高くなっ てしまうのだ。  例えば、過疎地を回る「とくし丸」という移 動スーパーがある。小型のパネルトラックに商 品を満載して、買い物難民の多い中山間地域な どを回っているのだ。料金体系は事業者によっ て異なるが、一般的なのは、スーパーで仕入れ た商品の価格に、1品あたり10円を上乗せする というものだ。10円はどんな商品でも固定され ていて、10円のお菓子にも付加されるから、10 円のお菓子が20円になってしまう。運搬のコス トがかかるのだから、やむを得ないことだが、 モノの値段は確実に上がるのだ。  また、田舎は水道料金が高いことも多い。水 道事業は、固定費の割合が高いので、人口が少 ないところでは、どうしても1世帯当たりの負 担が大きくなってしまうからだ。  第三は、公共交通機関がほとんどないので、 どうしても車が必要になり、その維持費にお金 がかかることだ。もちろん、都会に比べたら、 家賃や住宅価格は、けた違いに安いのだが、家 賃の節約分を物価高や自動車維持費が相殺する 形で、生活費が都会で暮らすのとさほど変わら ないこともあり得るのだ。  第四の、そして最大の問題は、濃すぎる人間 関係だ。地域にもよるが、田舎では近所の人が いきなり家に入ってくる。大分県の田舎に移住 した友人の家に何度か訪問させてもらっだのだ が、私はいつも前触れなく訪問することにして いた。それでも、どこで聞きつけたのか、時間 をおかずに近所のおばさんたちが漬物を持って 集まってくる。夕方を過ぎると、近所のおじさ んたちも集まってきて、そのまま宴会になる。 私は、たまにしか行かないので、それでよいの だが、そうしたことが日常なのだ。彼らに聞い た話では、小学校に登校するほかの家の児童を いつもみていて、もしいつもの時間に児童が通 らなかったら、「何かあったのだろうか」とす ぐに連絡を取り合うそうだ。子育てをする親に とっては安心だが、悪い言い方をすると、いつ も相互監視がなされているということだ。  第五に、田舎では、お金を稼ぐための仕事の ほかに、地域社会を維持するための仕事がたく さん降りかかってくる。消防団から、道路整備、 村祭りの準備、村の共有設備の管理など、生業 としての仕事よりも、賃金収入を伴わない地域 の仕事のほうが多かったりもする。先述の大分 に移住した私の友人は、イノシシやシカの解体 に駆り出されていた。解体して、肉を分かち合 うのだ。私は、イノシシやシカを食べるのは大 好きなのだが、解体作業は、なかなか手を出せ ない。しかし、皆でやる仕事に参加しないと、 本当の意味での仲間にはなれないのだ。  こうしたことを考えると、私は田舎への移住 は、若いうち、少なくとも50代までには実行し たほうがよいと思う。若いうちなら、柔軟性が 高く、地域社会に溶け込むことが容易だからだ。 また、移住は若いほうがよいと思うもう一つの 理由は、溶け込むのに時間が必要だということ だ。本当に地域の一員として認められるのは、 神社のお祭りのときに開催される神楽のメン バーに選ばれてからだという話を聞いたことが ある。ただ、神楽を踊れるようになるまでには、 少なくとも5年や6年はかかってしまうのだ。  よそ者をどれだけ柔軟に受け入れるかという 文化は、地域によって異なっている。町や村単 位ではなく、字ごとに違うそうだ。だから、田 舎への移住を考える人は、事前に移住先がどう いう文化になっているのかをしっかり知ってか ら、踏み切ったほうがよいだろう。最近は、多 くの自治体が「お試し移住制度」を実施してい る。1年から2年住んでみれば、大体のことは 分かるだろう。自宅を引き払うのは、移住先で の暮らしの輪郭がはっきり見えてからでも、決 して遅くはないのだ。 ■後期高齢者の免許更新制度が変わる  田舎暮らしをするうえで必要不可欠になるの が車の運転だ。しかし、高齢者の運転に対する 規制は次第に強化されつつある。例えば、 2022年5月から75歳以上の後期高齢者の運 転免許更新制度が変更される。一定の違反歴の ある後期高齢者は、免許更新の際に運転技能検 査が課せられることになったのだ。  対象となる違反行為は、@信号無視、A通行 区分違反、B通行帯違反等、C速度超過、D横 断等禁止違反、E踏切不停止等・遮断踏切立入 り、F交差点右左折方法違反等、D交差点安全 進行義務違反等、H横断歩行者等妨害等、I安 全運転義務違反、E携帯電話使用等のHの行為 となっている。これまでに重大事故を起こした 人とその人が犯したことのある違反行為の関係 を分析した結果、将来重大事故を起こす可能性 が高いとされた違反行為だ。ただ、実質的には、 駐車違反や免許不携帯などの事故との関連性が 明らかに薄い違反を除けば、大部分の交通違反 が対象となり、過去3年間に一度でも違反をす れば、運転技能検査を受けなければならなくな る。警察庁が事前に218人を対象に行ったテ ストでは、およそ2割の運転技能検査の受検者 が不合格になったという。  後期高齢者に運転技能の検査を課すことは、 近年相次いでいる高齢ドライバーによる交通事 故が大きな社会問題になったことの影響が大き いと思われる。  しかし、高齢者の運転が極端に危険というこ とでは必ずしもない。警察庁の「交通重傷事故 の発生状況」(2020年)によると、原付以 上運転者の年齢層別免許保有者10万人当たり重 傷事故件数は、全年齢平均が29件であるのに対 して、65〜69歳が28件、70〜74歳が31件、75〜 79歳が40件、80〜84歳が44件、85歳以上が61件 と、年齢が高まるほど事故件数が増えていくの は事実だが、劇的に増加するというほどでもな い。ちなみに16〜19歳は103件だから、未成 年のほうが高齢者よりもずっと事故を起こす可 能性が高いのだ。また、20〜24歳は41件で、 75〜79歳とほぼ同じレベルだ。高齢になると運 動能力が低下することは間違いないが、高齢者 はその分慎重に運転する大が多いから、重傷事 故につながりにくいのだ。  もう一つの問題は、地域の問題だ。これは明 確なデータがないので、あくまでも印象論だが、 ニュースをみていると、高齢ドライバーによる 重傷事故が発生している地域は、大部分が都市 部だ。後期高齢者が都市中心部を運転するのは、 確かにリスクを伴うが、あまり人の住んでいな いところを走る分には、それほど大きな問題が ないのではなかろうか。  なぜこんなことを書いているのかというと、 地方の高齢者にとって、車は、生きていくため に必要不可欠の道具になっているからだ。私は 2001年から自宅近くの畑を借りて農業を始 めたのだが、いま一番欲しい道具は、軽トラッ クだ。肥料や収穫物、農業用水の運搬に欠かせ ないからだ。私は耕作面積が小さいから、苦労 しながらも自転車で済ませているが、農業で生 活している後期高齢者が運転免許を奪われると、 そもそも仕事が成り立たなくなってしまうのだ。  法律を作る人は、都会の人だから、そうした ところへの配慮が足りないのだと思う。私は、 仮に後期高齢者が運転技能検査に合格できな かったとしても、例えば大都市以外では運転で きるとか、軽自動車は運転できるという制限緩 和をしても、後期高齢者の運転による重傷事故 の抑制には、+分効果があるのではないかと考 えている。  ただ、今回の制度改正のなかにも、後期高齢 者への配慮がいくつか見られる。一つは、運転 技能検査を受けなければならないのは、3年間 で一度でも危険な違反をした場合だけというこ とだ。つまり、違反をしないように注意をして 運転をすれば、受検を避けられるのだ。  また、運転技能検査は、更新期間中なら何度 でも受けられる。だから新制度の下で後期高齢 者は、できるだけ早い時期に更新の手続きに入 るべきだ。すぐに次の予約が取れるとは隕らな いからだ。また、検査でチェックされる項目は 決まっているので、受検前に運転のトレーニン グをしておくことが重要かもしれない。もしか すると、後期高齢者向けの運転技能検査対策を 指導する教習所のようなビジネスが生まれるの かもしれない。 3。トカイナカに住む  終の棲家は、都会と田舎の二者択一ではない。 もう一つの選択肢として、トカイとイナカの中 間、すなわちトカイナカがある。  トカイナカの定義は、まだ厳密に定まつてい ないが、私は、東京のケースでは、都心から直 線距離で40キロから60キロ程度の地域だと考え ている。ちょうど、圏央道(首都圏中央連絡自 動車道)周辺の地域だ。列車で都心から1時間 前後で到達できる地域でもある。  東京の場合、圏央道周辺までくると、田園風 景が広がり、田舎に近い自然環境が得られる。 ただ、都心に通勤する人も多く、一定の人口密 度があるため、都心ほどではないが、都市機能 もそれなりに充実している。医療機関も、都心 ほどではないが、そこそこ充実している。そし て、人間関係も田舎ほど濃密ではないが、都心 ほど空疎でもない。つまり、あらゆる意味で都 会と田舎の中間なのだ。  すでにトカイナカの人気は高まっている。不 動産・住宅情報サイト大手のライフルホームズ が、2021年2月に発表した調査(首都圏対 象)で、「借りてみたい街(駅)ランキング」 の1位に神奈川県の本厚木が選ばれたのだ。本 厚木の駅から直線距離で最も近い高速道路のイ ンターチェンジは、圈央道の海老名インター チェンジだ。まさにトカイナカが1位を獲得し たのだ。  本厚木以外にも、4位の八王子は圈央道沿い だし、2位の大宮、6位の千葉など、圈央道よ り東京寄りであるものの、東京から少し離れた 郊外が、ベストテン上位に並んでいる。一方、 これまで若者の人気を集め、ランキングの常連    さんげんぢゃゃ きちじょうじ だった三軒茶屋や吉祥寺は、ランク外に転落し ている。いったいなぜこのようなことが起きて いるのか。ここからは、トカイナカのメリット を整理しておこう。 ■トカイナカのメリット  第一のメリットは、豊かな自然だ。例えば、 厚木は里山の風景を残し、バーベキューも楽し める七沢森林公園をはじめとして、自然を楽し めるスポットがたくさんある。都市にも公園は あるが、大自然を活かしたものは、郊外に行か ないと、なかなか存在しないのだ。  第二は、新型コロナウイルスの感染リスクだ ろう。人口密度が低い郊外のほうが感染防止に 有利なことは、間違いないのだ。  第三は、家賃だ。図表3‐6にも示されてい るようにILDKの家賃相場は、本厚木が7万 1000円であるのに対して、15位の荻窪は12 万9000円と8割以上高くなっているのだ。 都心の駅だと、当然ながらもっと高くなる。  第四は、ここがトカイナカと田舎との最大の 違いだが、都心に出やすいことだ。借りてみた い街(駅)ランキングー位を獲得した本厚木が 人気を集めたのは、始発駅だということも影響 していると思われる。本厚木からは、多くの始 発電車が運行されているので、座って通勤がで きる。しかも小田急線は、東京メトロの千代田 線に乗り入れているので、都心まで座って通勤 することも可能だ。特急料金は必要だが、特急 だと本厚木から都心の霞ヶ関まで直通で1時間 ちょうどで到着するのだ。  ただ、これまでのサラリーマンは、トカイナ カに住むと、「通勤地獄」に耐えないといけな かった。乗車時間が60分といっても、毎日の往 復でおしくらまんじゅうに耐えるのは相当辛い のだ。だから、現役世代からは、トカイナカは 敬遠されがちだった。しかし、新型コロナウイ ルスの感染拡大でリモートワークが普及したこ とによって、通勤電車の混雑が3割ほど減った。 そのため、乗車時間がそれほど辛くなくなった のだ。また、リモートワークで、家で仕事をす るときには、そもそも通勤の必要がないのだか ら、通勤の苦痛はない。それならトカイナカだ けではなく、田舎もI緒じやないかと思われる かもしれないが、私の知る限り、完全なリモー トワークという人は少ない。週に一度とか二度 は、通勤しないといけない人が大勢を占めるの だ。  そのとき問題になるのが、移動のコストだ。 図表3‐8は、本厚木と同じ60分前後で東京駅 に到達できる駅の一覧だ。  新幹線を使えば、東京駅から60分以内で、東 海道新幹線は静岡駅、北陸新幹線は高崎駅、東 北新幹線だと宇都宮駅まで行けるのだ。距離に すると105キロから180キロ先まで移動で きる。ただ、問題は移動のコストだ。新幹線を 利用すると特急料金が加算されるため、片道 4490円から5940円の料金がかかる。往 復だと1万円前後だ。実際にこうした地域から 通勤をしている人は数多くいるが、立派な会社 に勤めていて新幹線の通勤交通費を会社が負担 してくれたり、あるいは年収が高くて、高い交 通費負担に耐えられる人に隕られている。それ と比べると、トカイナカは都心との往復をして も2000円以内で収まる。これだと会社員の 場合は、通勤交通費を全額会社が負担してくれ るし、老後に都心に出かけることがあっても、 交通費の負担が小さくて済むのだ。  また都心とは逆方向に向かうときも、おおむ ね有利だ。夏休みなどは観光地に向かう高速道 路が大渋滞を起こすが、トカイナカに住んでい れば、往路の渋滞が始まる前に出かけて、復路 の渋滞が始まる前に戻ってくることができる。 本厚木の場合、圈央道の海老名インターチェン ジが近いだけでなく、東名高速や小田原厚木道 路の厚木インターチェンジもすぐ近くにある。 このため、東京方面に向かうときも、逆に地方 に出かけるときも、とても便利なのだ。  トカイナカの第五のメリットは、生活コスト が安いことだ。家賃も住宅の分譲価格も都心の 半額以下だし、物価も安い。物価は都心が高く て、郊外になると安くなり、田舎に行くと再び 高くなる。トカイナカは、ロードサイドに大型 の商業施設が並んでいて、競争が激しいので、 高い値段を取れないのだ。  また、電気代は地域による差が小さいが、水 道料金は地域差が大きい。サイト『水と暮ら す』(https: //waterserver-mizu. com/interview/ suid呂−「自邸兵」では、都道府県別の水道料金 を比較している。このサイトを見ると、都会や 田舎が高く、トカイナカが安い傾向にあること が分かるだろう。もちろん、注意しておく必要 があるのは、同じ県内でも、市町村によって水 道料金は大きく異なるということだ。田舎で人 口密度が低くても、豊富な湧き水や水源となる 河川が近くにあるようなところでは、水道料金 がとても安い。また、水道局の管理の効率性に よっても料金は異なってくる。  ちなみに、水道使用量が20立米のとき、全国 で最も料金が安い市町村は、兵庫県の赤穂市で 853円、最も高いのは北海道夕張市の 6841円で、実に8倍もの格差が存在してい る。だから厳密には言えないのだが、おおまか に捉えれば、トカイナカは水道料金も安いのだ。  トカイナカの第六のメリットは、住民が庶民 ばかりだということだ。だから、見栄の張り合 いをする必要がない。「公園デビュー」や「お 受験」競争とは無縁の生活ができるのだ。  トカイナカの第七のメリットは、働く気に なったときに、多くの雇用機会があることだ。 例えば、東京のコンビニで売られている弁当の 大部分は、圈央道周辺のトカイナカで作られて いる。大型商業施設やチェーン展開する飲食店 など多くの事業所があるため、働く場所に事欠 かないのだ。 ■トカイナカのデメリット  一方、トカイナカのデメリットは、田舎と比 べると、家賃や住宅価格が高いことだ。特に駅 から徒歩圏内の場所だと、新築一戸建ての物件 で3000万円台から4000万円台というの がおおよその相場になっている。ただ、トカイ ナカの場合、都会と一番違うのは、駅から少し 離れると、物件価格が劇的に安くなることだ。 中古でよければ、1000万円を切る値段で一 戸建て住宅を買うこともできる。ただ、バス便 が少ないので、駅にでるときには、タクシーを 呼ぶか、自転車で出かける必要がある。  ただ、タクシーに関しては、最近大きな変化 があった。確かに、トカイナカでは流しのタク シーがほとんどいないのだが、最近登場した 「GO」というスマホのアプリは、近くにいる 空車のタクシーを探して配車してくれる。トカ イナカだと、駅前にはだいたい空車のタクシー がいるから、10分程度で自宅にタクシーが迎え に来る。迎車料金はタクシー会社によって異 なっているが、埼玉県の場合は300円程度だ。 宮城県のように迎車料金がゼロの地域もある。 外出先から電車で帰ってきた場合は、駅のロー タリーに客待ちタクシーがいるから、それに 乗って帰ればよい。毎日通勤しなければならな い現役世代は、通勤にタクシーを使うわけには いかないが、外出の機会が減る高齢期には、ト カイナカの移動面でのデメリットは、そんなに 大きくなくなっているのだ。  そして、トカイナカの最大のデメリットは、 「つまらない」ということだ。渋谷とか原宿で 売られているような最先端のファッションを扱 う店はないし、テレビのグルメ番組で紹介され るような高級料亭やおしゃれなレストランはな い。いまが旬の一流ミュージシャンのコンサー トも滅多に開催されない。たまに演歌歌手が やってくるくらいだ。ただ、つまらないという のは、あくまでも都会の物差しで測った場合の ことで、自然のなかを散策するとか、昆虫採集 をするとか、家庭菜園をするとか、トカイナカ ならではの人生の楽しみ方は、いくらでもある のだ。さらに街が「つまらない」からこそ、あ くなき消費拡大への執着を捨てることができる のだ。 ■早めの人生設計を  ここまでみてきたように、今後年金月額給付 が13万円に減っていったときにでも、@大都市 に住み続ける、A田舎に移住する、Bトカイナ カに住むという3つの老後生活の選択肢があり、 どれも実現することが可能だ。ただ、どのライ フスタイルを選ぶのかによって、老後生活は大 きく変わることになる。例えば、大都市での生 活を続けようとしたら、よほど大きな老後資金 を抱えている場合を除けば、働き続けるしかな くなる。田舎にいけば、濃密な人間関係のなか に身を投じないといけなくなる。どこに住むか で、老後生活が根本的に変わってしまうので、 きちんとした人生の設計図を描いておくことが 何より大切になるのだ。  そこで、ここでは年金13万円時代を迎えたと き、一体どのような暮らし向きになるのかを、 大都市、トカイナカ、田舎の3つに分けてみて いこう。  図表3‐9は、2019年に行われた「全国 家計構造調査」の都市規模別の消費支出とその 構成をみたものだ。言ってみれば、現役世代を 含めた平均的な消費構造だ。  費目ごとの消費を都市規模別にみると、意外 なことに、多くの項目で都市規模別に大きな差 はみられない。しかし、そのなかで、はっきり と違いがある費目がある。それが住居費と光 熱・水道費、そして交通・通信費だ。  住居費は、明らかに大都市のほうが高い。大 都市で3万円程度という金額は、随分低いよう な気がするかもしれないが、持ち家率は、現在 61%に達しており、持ち家世帯のローン返済分 は住居費に含まれていないから、平均値が低く なるのだ。そうした事情を踏まえても、町村部 の住居費は大都市の半分となっており、都市規 模が小さいほど、住居費の負担は小さくなる。  一方、光熱・水道費は都市規模が小さいほど 大きくなっている。本文で触れたように水道料 金は都市規模が小さいほど高くなる傾向がある うえ、実は電気代も小都市のほうが高くなって いる。おそらく、住宅の面積が広くなるので、 それに従って消費する電力も増えているのだろ  さらに、交通・通信費も都市規模が小さいほ ど高くなっている。これも本文で触れたとおり で、郊外や田舎に行くと生活のために自家用車 の利用が不可欠になるからだ。  こうした消費構成の違いがあっても、消費支 出全体としてみると、都市規模間の消費支出の 差はほとんどない。つまり、田舎に移住したか らといって、生活費が下がるということは、ほ とんどないのだ。  ただ、私は、年金13万円時代を迎えた時の家 計のやり繰りは、都市規模別に相当異なってく ると考えている。それをイメージとして分かり やすいように示しだのが、図表3‐10だ。  この表をどのように作ったのかというと、住 居費、光熱・水道費、保健・医療費はカットで きないものとして、現状程度とした。交通・通 信費は自家用車を大都市では保有せず、トカイ ナカと田舎では中古の軽自動車とした。トカイ ナカと比べて田舎のほうが高いのは、ガソリン の価格が高いことと走行距離が長いことを考慮 したためだ。  その他、被服・履物、教育、その他消費は3 分の1以下に大幅カットしている。定年後に着 飾る必要はあまりなくなるし、習い事もそれほ どしなくてよい。こづかいや交際費などを含む 「その他消費」も、所得が減れば、亘]つ先に カットされる存在だ。そして、13万円から、こ れらの支出を差し引く形で、食料費を算出して いる。食料費は、一番増減がしやすいからだ。 教養娯楽費は、現状維持したいところだが、そ れではどうしても生活費が収入を超えてしまう ので、田舎のみ現在の大都市並みに維持、トカ イナカは3割カット、大都市は現在の5分の1 にカットという設定にしている。  推計結果をみると、大都市で食料費が月3万 7000円というのは、難しいと感じるかもし れない。ただ、私は不可能ではないと思う。何 年か前に私はテレビ朝日系『いきなり!黄金伝 説。』というテレビ番組で、1ヵ月1万円生活 というのを体験したことがある。番組内で、節 約に節約を重ねた結果、私の1ヵ月の食費は 4200円で収まった。だから夫婦で3万 7000円というのは、絶対に不可能というわ けではない。ただし、贅沢はできなくなる。外 食は一切できないし、高級な食材も使えなくな る。  一方、住居費の3万円というのは、すでにマ ンションを持っていて、ローンを完済している 場合は、可能だろう。大都市の一般的なマン ションでは、管理費と修繕積立金の合計が先に みたとおり、3万円程度になるからだ。ただ、 持ち家ではない人にとっては相当厳しいことは 事実だろう。例えば東京都区内で3万円の家賃 のところは、とても古い木造アパートで、風呂 なし、トイレ共同といったことが多いからだ。  一方、トカイナカの食料費は、2万5000 円と大都市より厳しい数字になっている。トカ イナカのほうが3割安く食材を買えるとしても、 さらに節約が必要になるだろう。だから私は、 トカイナカに住む場合は、マイクロ農業による 自産自消を考えるべきだと思う。野菜や果実を 自宅の畑から収穫してくれば、この程度の食料 費の削減は十分達成できるだろう。また、田舎 暮らしの場合の食料費1万円というのも、まっ たく問題ない。田舎であれば、自給自足に近い 生活が十分可能だからだ。  ただ、一つだけはっきりしていることは、年 金13万円時代になると、おしゃれなレストラン に食事に行ったり、頻繁にライブに出かけたり、 エンターテインメント施設で遊んだり、流行の ファッションを追いかけたりといったライフス タイルは、どこに住んでいようとできなくなる ということだ。  その時の大都市暮らしというのは、果たして 意味があるのだろうか。繰り返しになるが、大 都市というのはお金がある人にだけ楽しい街だ。 周りが楽しい暮らしをしているなかで、自分だ けがどこにも出かけられずに、狭い部屋で1囗、 ずっとスマホをいじっている。たまの外出は、 買い物と散歩だけ。そんな暮らしを、私はどう しても素敵だとは思えないのだ。  ただ、すでに述べたとおり、もし田舎暮らし やトカイナカヘの移住を考えるのであれば、私 は定年を待たずに移動したほうがよいと思う。 地域のコミュニティとの関係を作るには、それ なりの時間がかかるからだ。  私は、いまから35年も前に所沢のトカイナヵ に移り住んだのだが、早めに移り住んで本当に よかったと考えている。そしていまでは、死ぬ までいまの家で過ごそうと思っている。  私か、なぜトカイナカに移り住んだのか、そ のトカイナカで何をしているのか、そしてなぜ 私かいま人生で最高の幸せを感じているのかは、 章を改めて、書いていこうと思う。 第4章 白産白消の一人社会     実験 ■コロナ禍でみえてきた定年後のライフス  タイル  第3章までは、なるべく客観的に、老後生活 の展望とそこでの選択肢について書いてきた。 偏っていると思われたかもしれないが、なるべ く公平に書いてきたつもりだ。ただ、本章では、 自分がやってきたことを中心に、私の意見を書 いていこうと思う。  2020年から感染が拡大した新型コロナウ イルスは、私のライフスタイルを激変させた。 大学の授業がリモートになり、雑誌の取材など もリモートになった。そして一番変わっだのは、 講演やイベントの仕事がほとんどなくなったこ とだ。そのため、東京に出かける機会は大幅に 減り、東京を起点に全国を飛び回ることもなく なった。コロナ前は、月曜日の昼に東京に出か けて行って、そのまま東京の事務所のソファー で寝て、家に戻ってくるのは金曜日の夜という 生活を繰り返していた。そして週末も、全国各 地に講演に出かけていた。それが、コロナ禍で 移動ができなくなったことによって、毎日、自 宅で過ごすことになった。「おうち時間」が爆 発的に拡大したのだ。新型コロナウイルスの感 染拡大で、よいことなど何もなかったのだが、 個人的には図らずも定年後のシミュレーション ができたことが大きな収穫だった。もともと卜 カイナカ暮らしはよいなと思っていたのだが、 実際にやってみて、それが確信に変わったのだ。 コロナ禍では、都心部の事務所暮らしとトカイ ナカ暮らしの差は際立っていた。東京の暮らし は窮屈だった。人ごみのなかで、感染のリスク に常に怯えないといけない。コロナでおうち時 間の増えた人たちの多くが、自宅の大掃除と斷 捨離を行ったが、それも1ヵ月もあれば、済ん でしまう。その後、出かけようと思っても、飲 食店やエンターテインメント施設は開いていな いか、営業時間が短縮されていた。行き場を 失ってしまった大都市の人は、時間を持て余し てしまったのだ。  一方、私の場合は、コロナ禍でも、自由で、 とても楽しい時間を過ごすことができた。大学 がオンライン授業になって、対面の時のような 自由度が授業のなかからなくなっだのは残念 だったが、通勤時間がなくなって、新しく生ま れた時間の大部分を私設博物館と近所に借りた 畑で過ごすことができたからだ。私は、博物館 の展示作業と畑の作業中は、マスクをしていな い。誰とも接触していないから、マスクなしで も問題ないのだ。そして、博物館と畑は、やる ことが無限にある。博物館には未展示のコレク ションが無数にあるし、畑は季節に合わせて作 物を次々に替えていかないといけない。スイカ の人工授粉も毎朝必要だし、何より雑草は毎日 生えてくるから、やることが途絶えることはな いのだ。それだけではなく、博物館も畑もとて も楽しい。一度始めると夢中になって、時間を 忘れて没頭できるのだ。定年後は、この暮らし で十分というか、これをやりたいと強く思うよ うになった。定年後のライフスタイルが、くっ きりとみえたのだ。 ■トカイナカ暮らしの始まり  実は、私かトカイナカ生活を始めたきっかけ は、熟慮を重ねた結果ではなく、バブルの到来 という偶然がもたらしたものだった。  1983年に結婚して神奈川県川崎市の日本 専売公社の社宅に住んでいた私か、所沢市に家 を買って移り住んだのは、1985年のこと だった。当時私は、経済企画庁(現内閣府経済 社会総合研究所)という役所に勤務していた。 私の職場は、総合計画局という国の長期ビジョ ン作成と省庁間の政策調整を行うところだった。 私の直接の仕事は、労働班という労働関係を扱 う部署だったが、課長補佐にあたる副計画官が 異動になって、副計画官ポストが空席になって しまった。そのため、平社員の私に重要な仕事 が回ってくることになった。だから仕事が面白 かった。私は毎日深夜まで役所に残って仕事を したし、いろいろな部署に顔を出していた。  ある日、総合計画局の計量班が保有していた 中期多部門モデルという経済モデル(将来を予 測するための経済の模型)をいじらせてもらっ ていたとき、近い将来、株価や地価が暴騰する という予測結果がでてきた。最初は、条件の設 定を間違えたのかと思って、いろいろチェック をしたのだが、どこも間違っていない。建設省 から出向してきた同僚と議論を重ねて、「やは りこうなるに違いない」という結論に至った。  まだ、バブルという言葉が世間にほとんど知 られていない時期に私は、「バブルが来るぞ」 と庁内を警告して回った。ところが、私の叫び に耳を傾けてくれる人が庁内には誰もいなかっ た。私は庁内で「オオカミ少年」のような目で 見られるようになってしまった。そのことに反 発した私は、自らの予測への自信を証明しよう と、所沢に築浅の中古住宅を2600万円で購 入した。  最初は、住んでいる川崎市の社宅近くの家を 探したのだが、当時でも川崎市溝口の土地は、 坪100万円以上していた。150万円くらい のところもあったと思う。当時私の年収は 300万円程度で、土地だけで4000万円も する家が買えるはずがなかった。そこで川崎を あきらめて、妻の実家に近い所沢市に目を付け たのだ。所沢は土地が坪60万円くらいだったの で、総額2600万円で中古住宅が買えたのだ。 ただ、当時の住宅ローンの金利は7%で、自己 資金も多くなかった。父親に連帯保証人になっ てもらって借りられるだけ借りたが、おかげで ローン支払い後の手取り月収は、6万円台に なってしまった。長男が生まれた直後だったの で、給料日にはドラッグストアで安い粉ミルク の缶を優先して購入し、残りのお金で生活する 我が家の家計は、火の車たった。給料日前にな ると、おかずが減っていき、夕食のおかずが、 ヒジキだけという日もあった。  この家には8年間住んで、1993年に最初 に住んだ家のすぐ近くに土地を買って、新しく 家を建てた。それがいまの家なのだが、竣工か らもう28年が経っている。  所沢というと、都会に近い場所を思い浮かべ るかもしれない。確かに、所沢駅の周りは夕 ワーマンションが建ち並んで、大都会に近づい ているが、我が家は所沢駅のさらに先で、駅か らも離れている。トカイナカの定義は、都心か ら直線距離で40キロから60キロ程度の地域と 言ったが、厳密に言うと少し違う。駅から離れ て、人口密度が下がり、畑や田んぼが存在して いるところが本当のトカイナカだ。いまの家を 建てたときは、我が家はトカイナカのなかでも、 田舎の要素のほうが強かった。リビングの横は 竹林で、何も見えなかった。家の北側も林で、 その先が畑だったので、人家はまったく見えな かった。だから、当初の設計では風呂場の窓は、 透明ガラスだった。その後、北側の開発計画を 知って、あわてて、すりガラスに取り換えたほ どだ。自然も豊かで、カブトムシやクワガタは もちろん、キツツキが庭の木をつつき、ウグイ スが鳴いていた。モグラもコウモリもタヌキも いて、秋には虫の大合唱だ。小学校からの帰り 道、息子が50センチほどの小さなヘビをぶら下 げて帰ってきたこともある。妻に、「ヘビを家 に入れちやだめと言ってるでしよ」と息子は叱 られていた。  我が家から東京都心の勤務地には1時間半ほ どかかる。ただ私か幸運だったのは、役所で働 いているときも、その後シンクタンクに勤めて いたときも、始業時間が午前10時くらいと遅 かったことだ。我が家の利用駅は始発駅なので、 それくらいのタイミングだと、朝の通勤時も、 並ばなくても座っていける。列車のなかは、睡 眠不足を補うために寝ていてもいいし、本を読 んでもいいし、小型のワープロで原稿を書いて いることも多かった。帰りは、ほぼ終電だから、 車内はそんなに混んでいなかったし、終電を過 ぎてタクシーで帰ることも多かったから、私は 通勤地獄というのをほとんど経験していない。  ただ、平日は、家に帰って寝るだけだったの で、私はトカイナカに住んでいるといっても、 実質的に家にいるのは週末だけだった。それで も、トカイナカがいいなと感じたのは、自然が 豊かで、子どもを育てる環境としては、私か子 ども時代を過ごした昭和30年代の東京と同じよ うな感じだったからだ。 ■二拠点生活の始まり  そんな週末トカイナカ生活が、大きく変わっ たのは、2000年からテレビ朝日系『ニュー スステーション』のコメンテータを務めるよう になり、2003年に私か書いた『年収300 万円時代を生き抜く経済学』が大ヒットして、 メディア関係の仕事が爆発的に増えたことが きっかけだった。  2003年からの10年間は、年末年始も含め て1囗も休まなかった。特に2005年3月か ら2年半、ニッポン放送の『森永卓郎朝は ニッポン一番ノリー』という帯番組のパーソナ リティをやっていたときは、平日毎朝午前5時 から8時半までの生放送たった。当時は、テレ ビやラジオのレギュラーが13本あって、新聞や 雑誌の連載が37本もあった。そのなかには、新 聞への毎日の連載もあった。さらに月間10回く らいの講演もこなしていた。  当然、睡眠時間はどんどん減っていき、2時 間くらいしか寝られなくなった。だから朝のラ ジオ放送がCMの時間になると、即座に寝落ち していた。アシスタントをしてくれていた那須 恵理子アナウンサーは、私の寝不足を分かって いて、CM明け直前に私の頭をポンと叩いて起 こしてくれるというまさに綱渡りの状況だった のだ。  いまから振り返ると、よく生きていたなと思 うような激務たった。そうした暮らしのなかで、 所沢の自宅に戻る時間はほとんどなくなってい た。家族からは、「うちは母子家庭」と言われ るくらいだった。  当時は、まだテレビ局やラジオ局に余力が あって、早朝からの番組に出演する場合には前 日の夜からホテルを用意してくれた。ノートパ ソコンは、ホテルが預かってくれたので、私は 平日の一部を東京のホテルで過ごすようになっ た。実質的な二拠点生活か始まったのだ。 ■シンクタンクを追い出された  そうした暮らしに転機が訪れたのは、 2006年1月に東京三菱銀行とUFJ銀行が 合併したときだった。当時私は、UFJ銀行の 子会社であるUFJ総合研究所に勤めていた。 ただ、2003年以降は、テレビやラジオなど メディア関係の仕事が殺到して、本業のシンク タンク研究員の仕事がなかなかできない状態に 陥っていた。そのときでもUFJ総合研究所は 柔軟に対応してくれた。2005年からは客員 主席研究員として、会社に籍を置きながら、会 社の仕事と離れて、完全に自由な活動をしてよ いことになったのだ。会社からの給与は一切受 け取らず、逆に私は自分の席の家賃相当額を会 社に支払っていた。  東京三菱銀行とUFJ銀行の合併は、表向き は対等合併ということになっているが、その実 態は、経営が追い詰められたUFJ銀行が東京 三菱銀行に吸収合併されるものだった。だから 合併直後に東京三菱銀行から「進駐軍」がやっ てきて、社内の空気が一変した。管理が突然厳 しくなったのだ。例えば、外部からの取材を受 けるときには事前に稟議を回せと言われた。当 時の私は、多い囗には1囗10件くらいの取材を 受けていたから、いちいち稟議など回していた ら、仕事にならない。  結果さえ出していれば文句を言わなかった 「体育会系」のUFJと、何でもきちんと手続 きを踏まないといけない「官僚系」の三菱とで は、会社の風土がまったく違っていたのだ。す ぐに私と新しい経営陣の関係がギクシャクしは じめた。そして突然、会社から辞めてほしいと 言われてしまったのだ。給料を払っているわけ ではないのだから、そんなに急に辞めろと言わ なくてもよいのにと当時は思っだのだが、私は 三菱からの新経営陣に相当嫌われていたようだ。 会社の指揮命令系統に従わず、好き勝手に行動 する社員がいること自体が気に入らなかったの だろう。これは後から聞いた話だが、新しい経 営陣は、「二度と森永のような人間を出しては ならない」と言っていたそうだ。  会社を辞めることになっても、収入面では まったく問題がなかった。2004年から獨協 大学で教員の仕事を始めていたし、テレビやラ ジオや講演や執筆などの仕事はいくらでもあっ たからだ。ただ会社を出ていけと言われたとき、 正直言って、私は少しあせっだ。その時点では テレビ局やラジオ局の経営に余裕がなくなって いて、私にはホテルという都心の居場所がなく なっていたからだ。  東京に事務所がないと困ってしまう。そこで、 あわてて東京・八丁堀のワンルームマンション を買って事務所にした。仕事は相変わらず、と てつもなく忙しかったので、事務所のソファー で眠る日が、あっという間に増え、平日はずっ と事務所に泊まり込む生活になってしまった。 月曜日に東京に出かけ、ずっと事務所のソ ファーでの寝泊まりを繰り返した後、金曜日に 所沢の自宅に帰ってくる生活が始まったのだ。  事務所を拠点に新たな職場となった大学やテ レビ局、ラジオ局、そして全国の講演に出かけ て、戻ったら深夜まで原稿を書き続ける生活 だった。食事も、ほぼ100%外食たった。し かし、そうした生活は私の健康を確実に蝕んで いった。 ■糖尿病が判明した  二拠点生活を始めて3年目の2009年の暮 れ、私か52歳のときだった。足が痒くて、掻い ていたら、突然パンパンに腫れ上かつてしまっ た。とにかく痛くて歩けない。深夜に妻に病院 に連れて行ってもらって、医師の診断を受けた ら、雑菌が入って化膿したのだと言われた。と りあえず抗生物質の点滴を受けた。当時はまだ 24時間操業の状態を続けていて、早朝から深夜 まで、テレビやラジオなどの仕事でスケジュー ルがびっしり埋まっていた。仕方がないので、 足を包帯でぐるぐる巻きにしたまま、片足でケ ンケンしながらスタジオを回った。一番覚えて いるのは、文化放送の正月の生放送に出演した とき、司会の吉田照美さんから、「森永さん、 正月早々なにふざけて入ってくるんですか」と 言われてしまったことだ。確かに他人からみれ ば、ふざけているようにしか見えなかっただろ  抗生物質の点滴をしてくれた医師からは、 「一度、糖尿病の検査を受けたほうがいい」と 強く勧められた。ところが、24時間操業をして いるので、病院に行く時間がない。ただ、その とき幸運だったのは、家の近くの入間市に武蔵 藤沢セントラルクリニックという糖尿病専門の クリニックが開院したことだった。開院したば かりで、あまり患者の数が多くなかったことも あって、院長の和田誠基先生が、私の無理なス ケジュールを聞いてくれたのだ。おかげで治療 を受けることができるようになった。  最初の検査の結果は悲惨なものだった。Hb AlCはH・4%にもなっていた。HbAlC は基準値が6・5%未満で、7%以上になると 要治療、8%を超えると神経障害や腎障害など の合併症を起こしてもおかしくない。実際、当 時は、いつものどが渇き、手足のしびれもあっ た。衝撃的だったのは、眼底検査の結果たった。 眼底出血を起こしていて、失明の危機に陥って いた。和田先生からは、「ボクには森永さんが 健康で60代を迎える姿をどうしても想像できな い」とまで言われてしまった。  本来なら、入院治療が必要な症状だったのだ が、仕事が忙しくて入院もできない。そこで、 投薬に加えてGLP‐1受容体作動薬を注射し た。一時期はインシュリンの注射もした。治療 を始めてから、症状はある程度収まったが、一 進一退で、私のHbAlCは9%前後と、なか なか改善しなかった。原因は分かっていた。医 師の指示どおりの食生活ができなかったからだ。  糖尿病には自覚症状がないと言われるが、そ れは違うと思う。治療の開始前は、特に強い症 状があった。1日中のどか渇いていて、大量に 水を飲まないといられない。1囗4〜5リット ルは、飲み物を飲んでいた。それも、コーラや ジュースだった。飲む量が増えると、当然トイ レが近くなる。  困っだのは、スタジオの収録だった。番組に よっては、3時間くらいぶっ通しで収録が続く。 ところが、その時間、トイレを我慢することが できないのだ。一番ひどかった時期は、1時間 も我慢できなかった。だから、長い収録時間が 予想されるときは、半日くらい前から水断ちを した。すると、そのことで体調が悪くなるから、 収録がとてもつらかった。治療を始めてからは、 3時間くらいならトイレを我慢できるように なった。  トイレの問題だけでなく、血糖値が上がると 体の状態が微妙に変化することも、分かるよう になった。囗のなかの水分や体のだるさ、むく みなどだ。自分自身で血糖値を測るときに、結 果が表示される前に、大体の数字が予測できる ようになった。だから、何を食べ、何を飲んだ ら、血糖値が上がるのかも分かっていたのだが、 なかなか食生活を改善することができなかった のだ。 ■ライザップで命が救われた  その生活に大転換が訪れたのは、2015年 のことだった。TBSテレビの『オールスター 感謝祭』にライザップのCM出演権をかけた コーナーがあった。CM出演権を得ると、CM 出演料で500万円くれるというので、私は即 座に手を挙げた。私以外の立候補者は、ホリェ モンとフジモンとアントニーの3人たった。バ ンツー丁になって、回転台のうえでグルグル回 る4人の姿をテレビカメラが写して、それをみ た視聴者がリモコンで投票するという仕掛け だった。その投票で私は圧勝した。理由は明ら かたった。私のお腹が、候補者のなかで、断ト ツで出ていたからだ。そこでCM撮影に向けて、 私はライザップのトレーニングを受けることに なったのだ。  ライザップのトレーニングで、私は、4ヵ月 で体重20キロ減、ウェスト23センチ減を達成し た。実際には、最初の1ヵ月半は、様々な医療 検査をしていたので、ジムでのトレーニングを したのは、実質的には2ヵ月半だ。短期間のダ イエットに対しては批判もあるが、私は集中し てやることは必要だと考えている。長期でやろ うとすると、どうしても目標を先送りしてしま うし、我慢がストレスになるからだ。  ライザップのダイエットは二本柱だ。一つは 低糖質の食事に変えることだ。いわゆる炭水化 物断ちの食事で体重を減らすのだ。ダイエット は、カロリー制限と糖質制限の二つのやり方が ある。どちらを支持するのかは医師でも意見が 分かれているのだが、私自身の経験だと、糖質 制限のほうが、圧倒的に効果がある。私の場合、 コメ、麺類、パン類、スイーツ、フルーツ、根 菜など糖質を多く含む食品を食べないように指 導された。一方で、私のトレーナーは、糖質を あまり含まない食品は、いくら食べてもよいと 言ってくれた。肉、魚、野菜、豆腐、納豆など は、いくら食べてもよかったのだ。そうは言っ ても、ついつい糖質の高いものを食べてしまう のではと思われるかもしれないが、ライザップ では毎食、食べたものを写真に撮って、トレー ナーに送らないといけない。そして写真を送る と、大量のアドバイスが返ってくるので、糖質 を多く含むものは食べられなくなるのだ。  もう一つ驚いたことがある。ライザップには 管理栄養士がついていて、食事の指導をしてく れるのだが、その指導内容が、糖尿病治療のだ めの管理栄養士の指導とほとんど一緒だったの だ。つまり、私はライザップをやることによっ て、図らずも食事面で、糖尿病治療と同じ「糖 尿病食」を食べることになったのだ。  糖質カットと並んで、ライザップ式ダイエッ トのもう一つの柱は、トレーニングだ。糖質を 摂らないと、体は筋肉を孑孑ルギーに変えに行 くので、筋トレを同時に行わないと、筋力が衰 えてしまうのだ。筋トレは、楽ではない。ただ、 私についてくれたトレーナーは、厳しいことを 言うのではなく、私を持ち上げる、つまり褒め ることで、トレーニングを続けさせてくれた。 トレーニングは、自分の限界の少し上までやる のがコツだ。例えば、バーベルを持ち上げると きに8回が限界だとすると、9回目、10回目を 上げることが重要なのだ。限界を超えてトレー ニングをすると、筋肉が壊れる。壊れた筋肉を たんぱく質が再生する過程で、筋肉が大きく太 るからだ。  私のトレーナーは、私の限界を筋肉の震えや 息遣いなど、さまざまな状況から瞬時に判断し て、限界寸前のところでこう言う。「素晴らし い。パーフェクト。さあもう1回行きましよ う」。豚もおだてりや木に登るというが、まさ にそんな感じで、限界を超えてしまうのだ。  実は、私のライザップのトレーニングは、医 師やトレーナーの厳格な管理の下で行われた。 ありとあらゆる検査を行い、体の状態を正確に 把握したうえで、例えば眼底出血のリスクを減 らすため、トレーニングメニューは、眼圧がか からないタイプのものが選ばれた。食事改善と そうしたトレーニングが、短期間のダイエット 成功をもたらしたのだ。  ライザップのダイエットをやった結果、一番 驚いたことは、糖尿病が治ってしまったことだ。 糖尿病は一生治らないと言われるのだが、4カ 月の低糖質の食事とトレーニングのおかげで、 私のHbAlCは、いきなり5・8%まで下 がった。その結果を受けて、主治医の指示で、 治療を一切やめた。ライザップは、その後ゆる い形で6年間続け、その間も定期的に血糖値の 測定と医師の診断を受けたが、ずっと治療の必 要がない状態が続いた。いまでも糖尿病の治療 は一切していない。  もちろん、ダイエットに成功したからといっ て、バカ食いをしたり、運動を完全にやめたり してしまえば、リバウンドしてしまう。しかし、 ゆるやかな糖質制限と適度な運動を続けていれ ば、リバウンドはしない。体重を減らすのには、 それなりの努力が必要だが、それをキープする ことは、さほど難しくないのだ。  そして、何より「ゆるやかな糖質制限と適度 な運動」の組み合わせは、私が話を聞いた多く の医師が共通して勧める健康法でもあるのだ。  低糖質の食事にすると、食事の中心が炭水化 物から野菜や肉や魚などに移るので、食費は増 える。ただ、私の場合は、糖尿病の治療にか かっていたコストが1万円ほど減っだので、 トータルの生活費はむしろ下がった。健康は最 大の節約でもあるのだ。  ただ、当時は、ひとつだけ困ったことがあっ た。外食がむずかしかったことだ。いまでは、 例えば吉野家が「ライザップキサラダ」を出し ていて、低糖質の外食もできるようになってい るが、当時はそんなものはなかった。そのため、 私は事務所で糖質制限食の自炊を始めた。もち ろん仕事は相変わらず多忙を極めていたから、 短時間で調理することが必須だった。問題は、 都心のスーパーで買い物をすると、自宅の近所 で買うよりずっと高いことだった。幸い、私の 勤めている獨協大学は、埼玉県の草加市にある ので、物価が安い。そこで大学の昼休みにスー パーに出かけ、肉や野菜や豆腐など、必要な食 材を1週間分まとめて購入することにした。平 均すると、都心で買うより3割以上安い。肉は 半額以下たった。そのおかげで、食費の増加も 最小限で抑えることができたのだ。 ■昭和村で始めた農業  そんな東京中心の二拠点生活か、もう一つの 転機を迎えたのは、2018年に群馬県昭和村 で「マイクロ農業」を始めたことだった。元々、 農作物を作るのが好きで、家の庭でトマトや キュウリ、ナスなどを育てていた。ただ、我が 家の庭は、それほど囗当たりがよくないので、 なかなかうまくいかなかった。そこに、ちょく ちょく訪れていた群馬県の「あぐりIむ昭和」 という道の駅の倉澤新平駅長が声をかけてくれ た。道の駅の隣にある農地で体験農業の参加者 を募っているから、参加しませんかと誘われた のだ。当時は、上日もかなり仕事が詰まってい て、「毎週行けるか分からない」と言うと、駅 長が「来られないときの除草作業は私がやりま すから」と言ってくれたので、参加することに したのだ。  昭和村の畑の面積は(ウスまで含めて、10坪 にも満たない小さな区画だったが、プロの農家 が上づくりと苗や種の準備、そして農作業のあ らゆるアドバイスをしてくれたので、狭い畑で も、家族では消費しきれないほどたくさんの収 穫があった。  作物を育てるときに日照は決定的に重要だ。 特に朝日が当たらない場所では、たいていの作 物はなかなか育だないのだ。その点、昭和村の 畑の日当たりは完璧だった。周りに太陽を遮る 建物がI切なかったからだ。そして、昭和村の 畑にはもう一つの大きな利点があった。昭和村 の土には、赤城山が噴火したときの溶岩が、バ ラバラになって含まれている。だから水はけが よいのだが、雨が降った時にこの溶岩が水を吸 い込んで、それをじわじわと放出してくれるの で、1年を通して、ほとんど水やりの必要がな いのだ。  ミニトマト、キュウリ、ナス、落花生、トウ モロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、スイカ、 ネギ、ダイコン、それから2年目は田んぼでコ メづくりもした。そうした体験が楽しくて、 2020年も、3年目の昭和村農業を続けよう と考えていた。だが、そこに新型コロナウイル ス感染症が襲ってきた。あぐり1む昭和から連 絡があり、県を越える移動ができないので、体 験農業のイベントを中止するとのことだった。 ■自力で畑を始める  農業を続けたかった私は、最初、家の近くの 土地を買おうと考えた。我が家のすぐ近くに売 りに出されている住宅用の土地があった。いま は我が家の周囲も、そこそこ家が建ち始めてい て、住宅用として売りに出される土地は、畑に 向いているような囗当たりではなかった。それ でも購入しようと思った。それくらい農業が続 けたかったのだが、妻が猛反対した。これ以上 不動産を増やしてどうするのかと言うのだ。確 かに、すでに博物館のビルを買っていて、固定 資産税だけでも大きな負担になっている。本当 は「農地」を買えればよいのだが、私の住んで いる所沢市では、30坪程度の小規模農地の売買 は認められていない。結局私は農地の購入を断 念せざるを得なかった。  ただ妻は単に反対しただけではなかった。代 替策を用意してくれたのだ。近所の農家に頼み 込んで、20坪ほどの畑を借りる手はずをつけて くれたのだ。本物の農家がやっている面積と比 べたら、2桁くらい小さな規模だが、耕作放棄 地だったので、土づくりの作業から始めた。鍬 1本で畑を耕し、石灰を入れ、堆肥を入れ、最 後に肥料を入れていく。これが結構な作業量で、 作業は遅々として進まなかった。土づくりを半 分くらい終わらせたところで、畑を貸してくれ た農家が、耕運機を貸してくれた。そのおかげ で、私の1週間分の作業量が、わずか1時間で 終わってしまった。農家がなぜ農業機械を欲し がるのかよく分かったのだ。  そして、私か一生懸命開墾を繰り返している と、畑のオーナーが「もっと広げていいよ」と 言ってくれたので、私の畑は当初の3倍以上に 広かっていった。  その後、整備した畑に、農協やホームセン ターで買った野菜の苗を植え始めたのだが、コ ロナの自粛期間に家庭菜園をしようと考えた人 が多かったようで、良い苗が手に入りにくく なった。そこで、種から育てることにした。腐 葉土を入れたポットに大豆の種を播いて、苗を 自宅の庭で作っだのだが、ポットの数に限りが あったので、3分の2くらいの種は畑に直播き した。自宅に置いたポットの苗は順調に育った のだが、畑のほうは一向に芽を出さない。何故 だろうと不思議だったのだが、原因が分かった。  早朝に畑に行ってみると、直播きした大豆の 種が跡形もなく消えていた。鳥に食べられてし まったのだ。豆類は、発芽した当初はまだ 「豆っぽい」ので、鳥たちの楽園である畑では、 格好の餌食になってしまうのだ。鳥は、相当賢 くて、落花生の種を5粒植えたのだが、そのう ち4粒は掘り返されて、食べられてしまった。 その他、正体不明の動物に畑を掘り返されるや ら、キャベツが片端から虫に食われるやら、農 業は動物や虫との闘いでもあるのだ。  それだけではない。肥料や水が多すぎても、 少なすぎてもだめだし、大雨や強風が来たり、 病気が出たりと、ありとあらゆる困難が次々に 立ちはだかる。それらの困難を克服しながら、 最後に収穫までたどり着いたときの喜びは、山 登りにも似ていると思う。  ただ、順調に進むかに見えたマイクロ農業に、 いきなり不幸が襲った。畑のオーナーだった農 家のおじいさんが病気で亡くなってしまったの だ。都市型の農業をしている農家には莫大な相 続税がかかる。税金を払うために私か開墾した 畑も売らざるを得ない。そこで、農作業は年内 で終えて欲しいと言われてしまったのだ。自分 の土地ではないので、もちろんそれは受け入れ ざるを得ない。2021年は、農作業を中断し なければならないと思つだのだが、そこに救世 主が現れた。畑の仲間が、「近所で借りられそ うな土地があるので、一緒に地主さんと話しに 行こう」と声をかけてくれたのだ。そこで新た に30坪ほどの農地を借りることができた。私の 耕す農地は100坪近くに急拡大した。調子に のった私は、比較的大きな面積が必要なスイカ やサツマイモの栽培にも手を広げ、栽培する作 物は25種類以上に拡大した。  ちなみに、この年のスイカは大成功を収めた。 1株だけ植えたのだが、10個も収穫できた。し かも、なかが真っ赤で甘く、私かいままで食べ たスイカのなかで一番おいしかった。収穫した スイカを地主のところに持っていっだのだが、 「どこかの青果店で買ってきたのではないか」 と言われたくらいだった。ただし、成功は私の 実力ではない。私は、スイカの苗を植えるタイ ミングが1ヵ月ほど遅れてしまった。しかし、 2020年はスイカの生長期である7月に晴れ た日が1日しかなかった。ところが、私の苗は 植え付けが遅れたおかげで、日照りの続いた8 月に実を大きくすることができたのだ。農業は 運にも大きく左右されるのだ。  ただ、スイカの成功の裏で、私は大きな失敗 もした。私は、農薬や除草剤を一切使っていな い。作物に残留するのが怖いからだ。ただ、そ うなると虫が付くし、雑草がとてつもない勢い で生えてくる。普段はこまめに抜いているのだ が、大学やテレビなどの仕事が重なって、しば らく畑に行けない時期があった。そのわずかな 期間に雑草が大きく生長してしまったのだ。 いったん生長した雑草は厄介だ。深く根を張る ので、簡単には引き抜けない。私の畑の一部は、 あっという間に雑草畑になってしまった。  雑草だらけにすると、近所にも迷惑がかかる し、畑を貸してくれた地主にも申し訳が立だな い。見るに見かねた畑の仲間が、ガソリンエン ジンのついた草刈り機で、雑草を一掃してくれ たのだが、大変な作業だった。そこで学んだ。 私のようにフルタイムの仕事を抱えている場合、 農薬や除草剤を使わない農業は30坪が限界だ。 本当は、広いほどいろいろな作物が作れて楽し いのだが、欲をかいてはいけない。2021年 も畑を広げるチャンスはあっだのだが、私は歯 を食いしばって我慢した。この決断は正解だっ た。梅雨の時期は、一雨あるごとに一斉に雑草 が芽吹くのだが、畑の面積を抑えたおかげで、 雑草が根を張る前に駆除することに成功したか らだ。 ■非資本主義のコミュニティ  私か近所の畑を始めてから一番変わったこと は、近所の人とのコミュニケーションが増えた ことだ。畑をいじっていると、通りかかった近 所の人が声をかけてくれる。作物が日々育って いく変化をみるのは、彼らも楽しいようで、話 がはずむ。また、私の畑の周りは、定年後のサ ラリーマンを中心に、私と同じようなマイクロ 農業をしている天がたくさんいる。彼らは育て 方のアドバイスをしてくれたり、種や苗や麦わ らなどの資材をくれたりする。作物自体も。 「たくさん獲れたから」と言って、分けてくれ る。また、よく都会の人から「畑を借りるとき にいくら地代を払っているんですか」と聞かれ るのだが、地代なんてない。土地のオーナーで ある農家にあいさつに行ったり、たくさん獲れ た作物を持って行ったりするだけだ。つまり、 資本主義が存在しないのだ。  定年後の楽しみで畑をやっている先輩たちに、 なぜ畑をずっとやっているのか話を聞くと、農 業の面白さは2つあると言う。一つは、思い通 りにならないことだ。自然が相手だから、いく ら習熟していっても、自分の思い通りになるの は、せいぜい3分の2くらいだと彼らは言う。 私は経験が浅いので、半分以上失敗する。しか し、失敗するからこそ、いろいろ知恵を使って、 柔軟に対策を講じることができるのだ。トウモ ロコシはガラスに食われる。そこで防鳥糸を張 り巡らした。それで被害はかなり小さくなった が、それでも3割くらいはやられた。そこで、 トウモロコシ畑を小さくして、代わりにネット で完全に覆うことにした。これでガラスはなか に入れなくなった。  根切り虫にも随分やられた。これは科学的根 拠があるか分からないのだが、妻がインター ネットをみていて、苗の周りに卵の殼を撒いて おくとよいと言うので、やってみた。被害は まったくなかった。動物や昆虫との知恵比べは、 ちょっとしたゲームのようで楽しい。そして、 手をかければかけるほど、作物が育っていく。  農業のもう一つの楽しみは、全部自分で決め られるということだ。サラリーマンは、思い通 りにできないことばかりだ。給料は我慢料だと 言う人もいる。それと比べると農業は、すべて 自分の思い通りに出来るから楽しいのだ。  先にも述べたように資本主義がもたらした最 大の格差は、「仕事の面白さ」の格差だと思う。 私か社会に出たころは、現場で意思決定ができ た。課長は、席に座って新聞ばかり読んでいた。 役員は、重役出勤で、遅くならないと来ないし、 専務は「僕は何にも専務だから」というダジヤ レを言っていた。高給を食んでろくに仕事をし ないと囗では批判しながら、実は我々平社員は、 仕事を楽しんでいた。ボトムアップの企業運営 で、現場で自由に物事を進めることができたか らだ。仕事は、自分で考えて、自分のやりたい ようにやるのが一番楽しい。しかし、デジタル 化やグローバル化の進展は、経営をトップダウ ン型に切り替えていった。一般社員は、トップ が決めたことを、マニュアルに従って黙ってこ なせばよいということになってしまったのだ。  ところが農業には上司もいなければ、マニュ アルもない。百人百様で、自分の知識と勘でや ることができる。だから楽しいのだ。 ■農業は健康づくりにもなる  ライザップに通うことになって、私は多くの 医師や看護師、管理栄養士と話をする機会が増 えた。そして、健康づくりのために必要なこと として、彼らが共通して主張することがあるこ とに気づいた。それは、健康づくりのためには、 「適度な運動と野菜中心の健康的な食事」が不 可欠だということだ。ライザップのジムで行わ れるトレーニングは、かなり強めのトレーニン グだ。なぜ強めのトレーニングをするのかと言 えば、短い時間で成果を得るためだ。実は、筋 トレで行う半分程度の強度のトレーニングを2 倍の時間続ければ、同じ程度の効果は得られる。 それでは、なぜ緩いトレーニングが流行らない のかと言ったら、忙しい現役世代にそんな時間 の余裕はないからだ。  ところが、農業は、その緩くて、長時間のト レーニングの役割を果たすのだ。苗の植え付け はスクワットだし、根を張った雑草を抜くのは デッドリフトと同じだ。その他、重い肥料や水 を運んだり、土づくりをしたりと、トレーニン グジムでの運動ほどきつくはないが、半分くら いの運動量の作業が延々と続くのだ。私は、ラ イザップで筋肉量の計測も毎月やっていたが、 農業が筋トレになることは、春先の土づくりを しているときの筋肉量が大きく増加して、過去 最大レベルに達したことでも証明されている。 また、本物の農家で実際に体を動かして作業を している人は、ほぼ例外なく、鍛え抜かれた良 い体をしているのだ。  老後に寝たきりになってしまう一つの大きな 原因は、何かにつまずいて転び、骨折してしま うことだ。まず、つまずくということ自体が、 筋力が衰えて、足が十分に上がらなくなってい る証拠で、転んでしまうのも筋力の衰えでバラ ンスを取れなくなっているからだ。私自身も50 代までは、つまずくことなどほとんどなかった が、60代を迎えて、たまにつまずくようになっ てきた。また、もともとバランス感覚がよくな いので、とても重いものを持ったときに、よろ けて転ぶようになってきた。自分のバランス感 覚がどれだけ落ちてきているのかを知りたけれ ば、両目を閉じて、片足立ちをしてみればよい。 ライザップで、最初にやったとき、私は10秒も 立っていられなかったが、その後のトレーニン グで何倍もの時間、立っていられるようになっ た。「老化は足から」とよく言われるが、本当 だと思う。まず足腰をしっかり鍛えておけば、 健康で長生きできる。楽しみながら、お金をか けずに足腰を鍛えられる畑は、老後の最適なト レーニングジムだと言えると思う。  また、畑でのトレーニングにはもう一つ大き なメリットがある。それは、継続できることだ。 ジムでのトレーニングは、強い動機付けがない と続かない。しかし、農作業は、それ自体が楽 しいので、続けることに苦労がないのだ。実際、 畑に出て作業をしていると、ついつい時間を忘 れて没頭してしまう。収穫という目標があるか らだ。しかもやることがなくなることは絶対に ない。雑草は毎日生えてくるし、虫や動物や病 気や日照りや豪雨がいつでも襲ってくるからだ。  さらに、農業をすることは、もう一つ大きな 健康のための効果がある。それは、ほぼ自動的 に野菜中心の食事になるということだ。もとも と私は野菜が好きではない。肉とか魚の方が ずっと好きで、自分一人だとほとんど野菜を摂 らない生活をしていた。ところが、科学的根拠 は何もないのだが、自分で育てた野菜はおいし いのだ。また、収穫したら、とりあえずどんな 味がするのか確かめたくなる。だから、食事が 野菜中心にならざるを得ないのだ。また、同じ 野菜ばかり育てていてもつまらないので、多種 多様な野菜を栽培する。しかも、周りで畑を やっている仲間たちも、何か新しい作物をとい うことで、珍しい野菜を育てる。収穫期には宗 族で消化できる以上の作物が採れるので、おす そ分けが回ってくる。そうすると、ますます多 様な野菜を摂ることになるのだ。  糖尿病の主治医から60代を迎えることができ ないと言われていた私は、いまなんの健康上の 問題も抱えていない。ライザップで命の危機か ら救われ、いまは農業が健康を支えてくれてい るのだ。 ■博物館も開設できた  新型コロナウイルスの自粛期間中、農業のほ かにもう一つ私か熱心に取り組んだことがある。 それが私設博物館の展示作業だ。自粛期間中に 「コレクションを引き取って欲しい」という依 頼が殺到した。大掃除をして、コレクションも 断捨離の対象になってしまったが、思い入れの あるコレクションを捨てられない人が多かった のだ。引き取ったコレクションは、段ボール箱 で100箱以上になった。  私は、2014年から自宅近くで私設博物館 を運営している。  「自分の博物館を作って、多くの人に観てもら いたい」と多くのコレクターが言う。私も、そ のなかの一人だったのだが、私は本当にやって しまったのだ。  私は、いまから50年前、新聞記者をしていた 父のオーストリアのウィーンへの赴任がきっか けで、ミニカーを集めるようになった。私は、 現地の公立小学校に転校したのだが、友達がで きなかった。日本人の多くが、「ウィーンは食 事がおいしくて、人々が優しく、音楽の街で素 晴らしい」と絶賛する。しかし、そんなことを 言うのはドイツ語ができないからだ。彼らはと ても閉鎖的で、黄色人種の日本人をそう簡単に 仲間とは認めない。  例えば、「何というセンスのない服を着てい るのだ」ということを、「素敵な服ですね」と 言うのだが、そこには微妙な侮蔑のニュアンス が含まれているのだ。ドイツ語のニュアンスが 理解できない日本人は、褒められたと勘違いし てしまうのだ。もつとも、子供の場合は、それ ほど高い言語能力がないので、もつとストレー トに差別意識をぶつけてくる。そうした仕打ち を私は我慢して、通学を続けたが、正直言って 学校に行くのが苦痛たった。だから最低限の義 務を果たして、さっさと家に帰ってくる。半分 引きこもりの状態だった。  そんな私のことを不憫に思っだのかもしれな い。父の給料が在外赴任手当で倍増したことも 手伝って、それまで誕生日とクリスマスにしか 買ってもらえなかったミニカーを、父が、毎日 のように買い与えてくれた。当時からコレク ター気質はできあかつていたようで、私は遊び に使うミニカーを1台に限定して、後は展示す るか、箱の中に入れて、買ったままの状態で保 管していた。父はその後、スイスのジュネーブ に転勤になり、私も連れて行かれた。オースト リアよりは少しましたったが、スイスでも黄色 人種差別は変わらず、相変わらずミニカーコレ クションは続いた。おかげで、小学6年生で帰 国した時には、私のミニカーコレクションは、 1000台を超えていた。  その後も、ミニカーコレクションは継続して いたが、1996年にテレビ神奈川で、横浜の ブリキのおもちや博物館の北原照久館長が司会 をする『HAMA大国ナイト』という番組に出 演するようになり、北原照久さんとお付き合い するようになった。そのときから、コレクショ ンするアイテムが、コーラの空き缶、グリコの おまけ、ウォークマン、消費者金融のテイツ シュなどと、爆発的に拡大した。それが、総勢 60アイテム、12万点という現在の巨大なコレク ションに結びついたのだ。  そして、その頃から、コレクションを展示す る博物館を作ろうと強く思うようになった。北 原照久さんの博物館に刺激されたこともあった と思う。当初は、オタクの聖地である秋葉原に 作るつもりだった。メデイア出演や講演などで 収入が増えたこともあって、実現できると考え ていた。銀行から借金をすれば、すぐにでも実 現できたかもしれないが、銀行は収益を生まな いビジネスに金を貸さない。仮に貸してくれる 銀行があったとしても、あれこれ囗を出される のが嫌たった。だから必死に貯金をした。とこ ろが、私の貯金のペースをはるかに上回るス ピードで秋葉原の不動産価格が上昇していった。 当初は1億円程度たった秋葉原のペンシルビル が、あっという間に数億円に値上がりしてし まったのだ。  結果的にはよかったのだが、私は秋葉原をあ きらめ、家の近くの中古ビルを購入して、博物 館にすることにした。床面積200坪のビルを 1億2000万円で購入し、内装や外装のやり 直しに3000万円、展示棚作りに3000万 円で合計1億8000万円をつぎ込んだ。睡眠 時間を削って、生死の境まで働いて稼いだお金 のほとんどをつぎ込んだのだ。  私設博物館は、B宝館と名付けた。B宝館の Bは、B級で、ビンボーで、おバカだけれど、 ビューティフルのBだ。普段の暮らしのなかで 捨てられてしまう庶民のグッズを、ひたすら並 べていくというのがコンセプトだ。  コレクションを展示する作業の時間が取れな かったので、作業の大部分は、コレクター仲間 の女性が、博物館に住み込んで、昼夜を問わず にやってくれた。それでも2年の月日が必要 だった。オープン直前の展示は、私も手伝った が、どうしても間に合わない状況に追い込まれ て、妻も動員した。深夜に展示作業をしながら、 妻がぽつりとこう言った。「あんたが、こんな バカなことをしなかったら、うちには豊かな老 後が待っていたのにね」。妻の言うとおりだが、 私は最高の遊び場を手に入れることができたの だ。  開館前は、博物館の経営が収支トントンまで 行くといいなという淡い期待を持っていたのだ が、開館直後にその期待は崩れ去った。週に一 度、毎週土曜日に開館したのだが、月間の入場 者が100人くらいにしかならず、売上が年間 100万円に対して、コストがスタッフの人件 費や電気代、減価償却費、固定資産税などで 1000万円もかかったからだ。その分は、私 か全国を講演やイベントで飛び回る「出稼ぎ」 で穴埋めした。  ただ、2018年からは、スタッフが辞めた のを機に、毎月第1土曜日だけの開館と、営業 日を減らした。開館日を4分の1に減らしたに もかかわらず、月間の入場者数は、それほど変 わらなかった。それでも赤字は年間300万円 くらい出る。固定資産税だけで200万円近い お金が出ていくからだ。  実は、2019年だけは、収支トントンに近 づいた。私のコレクションのなかで、トミカの コレクションが、百貨店の「トミカ博」として、 東京、大阪、名古屋、広島、札幌と巡回し、そ れなりの貸出料が入ってきたからだ。また、そ の他のコレクションも百貨店の「1980年代 展」に貸し出された。貸し出し業務で採算がと れるようになるかもしれないと期待したし、実 際にその後も貸出の引き合いがいくつもあった のだが、コロナ禍のイベント中止で、すべてが 吹き飛んでしまった。  コレクションの貸出以外の黒字化の手立てを アドバイスしてくれる人も、何人かいた。実際、 私設博物館で黒字経営をしているところは、い くつもある。ただ、そうしたところを見学に行 くと、需要側の論理に則った経営が行われてい る。展示物は、普通の人が喜ぶような楽しいも のが並べられている。来客向けの飲食スペース やアミューズメント、そしてオリジナルのグッ ズが販売されているのだ。私は、そうしたス ベースを作るのなら、もっといろいろなグッズ を展示したいと考えてしまう。ビジネスをした いからではなく、私の感性に訴えたグッズを私 の感性に合う形で見せたいからだ。  自分のやりたいことだけをやっていたら、商 売にはならない。単純に言うと、そういうこと なのだが、私はもう一つ致命的な失敗をしたと 思っている。それは、私のような博物館をやる のであれば、自宅の敷地内でやるべきだったと いうことだ。最大の理由は、固定資産税だ。住 宅の敷地は、固定資産税が6分の1に減免され る。だから、家にコレクションの展示施設を作 れば、固定資産税の負担が大幅に減るのだ。  最近まで知らなかったのだが、そうしたこと を実践している人はたくさんいる。アサダワタ ルさんという方が『住み開き 増補版 −もう 一つのコミュニテイづくり』(ちくま文庫)と いう本のなかで書いているのだが、さまざまな 種類の博物館を自宅のなかに作って、そこに人 を招き入れているのだ。  住み開きは、博物館だけではない。シェア( ウス、シェアオフィス、セミナー(ウス、ライ ブ(ウス、画廊、水族館など、実にさまざまな 住み開きが行われている。住み開きをすると、 必ずそこにコミュニティが生まれる。そこで、 自分が「表現者」となることが、その人の生き がいにつながるのだ。  もちろん、そうしたことを実現するためには、 そうした活動を行う舞台が必要になる。老後の 住まいは、そうした面でも重要なのだ。 ■理想の住まいとは  私はもう1年足らずで高齢者の仲間入りをす るが、終の棲家として、どのような住宅が理想 なのか。私なりの結論を最後に書いておきたい。  まずは、立地だ。私はいまから28年前にいま の家を建てた。トカイナカのうえに、駅から歩 いて15分以上かかるので、決して立地条件はよ くないのだが、一つだけこだわったことがある。 それは、地盤が強くて、高台にあるということ だ。我が家は狭山丘陵にあるので、1万年以上 前から陸地だった場所だ。しかも我が家は、 ずっと竹林たったところなので、地盤が強く、 地震がきても、あまり揺れない。博物館も同じ 地域にあるのだが、展示されているミニカーは、 車輪がついているので、少しの振動ですぐに動 いてしまう。開館から7年間、そこそこの強さ の地震が何度も来ているのだが、地震のあとに 展示を直したことは、ほぼない。もちろん地震 対策はしている。展示棚は基本的に天井まで作 り付け、仕切り板はガラスではなく、木材で 作っている。何故かというと、痛い経験がある からだ。  東日本大震災のとき、私は東京の新富町で 「ノベルティミュージアム」をやっていた。ノ ベルティ製作の会社がスポンサーになってくれ て、B宝館の4分の1くらいの小さな規模で運 営していたのだが、東日本大震災の揺れでガラ スの仕切り板が割れて、一部のコレクションが 傷ついてしまった。また、それが原因で閉館の 憂き目にあってしまったのだ。  これを書くと嘘くさいと思われるかもしれな いが、妻は東日本大震災のときに家の近所で車 を運転していた。地震発生のとき、私は東京・ 赤坂のTBSテレビの美粧室にいて、あまりの 揺れの大きさに机の下に避難した。そして、す ぐに携帯電話で妻に電話した。「大丈夫か」と いう私の問いに妻は、「何か大丈夫なの?」と 聞いた。東日本大震災の発生に気づいてもいな かったのだ。もちろん、我が家はなんの被害も 受けず、完全に無事たった。  そしてもう一つ、高台にこだわっだのは、学 生時代に住んでいた東京都新宿区の近辺で、 神田川が氾濫して、胸まで水に漬かって家に 帰った記憶があったからだ。いまの我が家から 150メートルくらい先に小さな川は流れてい るのだが、そこまではずっと坂を下っていくの で、我が家が浸水する可能性はほとんどない。 さらに、周囲の家との距離がある程度離れてい るので、延焼のリスクもさほど高くない。  私かニュース番組に携わるようになって四半 世紀が経ったが、私は土砂崩れや川の氾濫、大 規模火災などが起きるたびに、その地域の( ザードマップをみるようにしてきた。その経験 で言うと、行政が作る(ザードマップは、完璧 ではないものの、かなり正確に被害の予想をし ている。だから、家を買う場合には、まず( ザードマップを確認すべきだろう。若いうちな ら家を失っても、再スタートを切ることは十分 可能だが、高齢期に家を失うと再建がむずかし いからだ。  もちろん、いくら(ザードマップを確認して、 立地を選んだところで、災害の影響を完全に避 けられるわけではない。先にも述べたように、 30年以内に大地震が起きる確率は、首都直下地 震が70%、東海地震が88%、東南海地震が70%、 南海地震が60%とされている。つまり、少し長 いスパンで考えれば、ほぼ確実に太平洋側を大 地震が襲うのだ。しかも、東京、大阪、名古屋 は河口付近に街が作られている。つい最近まで 海たった地域も多い。だから地盤が弱く、地震 の被害を受けやすいのだ。ただ、太平洋沿岸部 に限らず、日本中どこでも大地震が起きる可能 性はある。さらに、気象予報土に聞くと、日本 中どこに線状降水帯が居座るか分からないし、 どこを台風が襲うかも分からないそうだ。  大地震や台風や豪雨による河川の氾濫が発生 すると、長時間の停電がしばしば起こる。現代 生活は電気がないと成り立だない。そのため、 私はスマホ用に複数のモバイルバッテリーを用 意して常備しているのだが、スマホ以外の照明 やパソコンなどのために、大容量の蓄電池も購 人した。ただ、停電が長引くと、充電が切れて しまうので、蓄電池に充電するための太陽光パ ネルも購人した。蓄電池や太陽光パネルは随分 安くなっていて、10万円くらい出せば、ある程 度使える容量のものが購入できるようになって いるのだ。  問題は、マンションに住んでいる場合だ。仙 台市によると、東日本大震災の際、停電がおお むね復旧したのは5月10日ということだから、 復旧に2ヵ月もかかったことになる。その間、 エレベーターが使えなかった高層階の住人は、 一時避難を余儀なくされた。そのことを考える と、マンションの高層階はリスクが高いと私は 考えている。  また、東日本大震災では、物流が止まったた め、食料不足も深刻化した。我が家は、ある程 度の飲料水や食料を備蓄しているので、1ヵ月 くらいは大丈夫だと思うが、畑をやっているの で、季節にもよるが、もう少し長い期間、食料 危機に耐えられると思う。野菜はあるし、畑を 掘れば芋が収穫できるからだ。  ただ、大地震の経験者に聞くと、一番困るの は生活用水だそうだ。トイレを流すにも、洗濯 をするにも、大量の水が必要だと言うのだ。 「なるほど」と受け止めて、井戸を掘ろうと決 意した。井戸があれば生活用水に困ることはな いからだ。問題は、どれだけ掘れば、地下水が 汲めるかということだ。そこで我が家は、井戸 掘り専門の業者に調べてもらうことにした。  その結果、我が家の立地する台地・段丘は、 後期更新世の中位段丘堆積物という地層である ことが分かった。そして、地面からIメートル ほどの表土の下に8メートルほどのローム層、 その下にも8メートルほどの礫・礫質上が続い ていることも分かった。ところが、この礫質上 のなかには含水が少なく、安定した水源とはな り得ないとのことだった。  そこで近隣の井戸の情報を集めると、我が家 で安定した水源を獲得するためには55・3メー トルの掘削が必要だという結論になった。もち ろん掘れない深さではないのだが、この規模の 井戸を掘ると、ポンプ代も含めて100万円以 上のコストがかかってしまう。もともと手動の 井戸を考えていたこともあって、井戸掘りは断 念せざるを得なかった。井戸掘りの業者から聞 いた話では、低地だとIメートル掘っただけで 井戸ができるところもあるが、高台の場合は、 深く掘らないと水源に到達しないことが多いと いうことだった。熟慮を重ねて選んだ土地だっ たが、すべての要件を満たす土地というのは、 なかなか見つからないということなのだろう。  立地の次は、具体的な設計だ。まず土地は80 坪くらいあるとよいと思う。そこに平屋で24坪、 80平米くらいの家を建てる。平屋にするのは、 年を取ると2階との行き来が負担になるからだ。 建設会社を選べば800万円くらいで建設は可 能だ。夫婦2人で過ごすなら、それぐらいの床 面積があれば、十分だろう。そして、建物を24 坪に絞れば、50坪くらいの「空き地」が生まれ る。カーポートや物置などを取っても、30坪ほ どの土地が余るはずだ。そこを畑にして農業を やるのだ。  問題は、80坪もの土地を購入できるのかとい うことだ。もちろん都区内では不可能だ。都区 内だと坪単価が300万円近くするから、土地 だけで2億円を超えてしまう。田舎だと、坪1 万円くらいだから、80坪の土地は簡単に買える。 問題は、トカイナカだ。トカイナカでも駅から 10分以内のところは、坪単価が100万円近い ところもある。さすがに8000万円の土地を 買える人は少ないだろう。ただ、トカイナカの 特徴は、駅から離れるとガクンと地価が下がる ことだ。坪単価が20万円とか30万円のところは たくさんある。それだと80坪の土地の値段は 2000万円前後だから、買うのが不可能な金 額ではなくなる。自宅内農業が可能になるのだ。  私自身、家の近くの農地を借りて農業をやっ ていて、不便なことが2つある。一つは畑まで の移動だ。いまの畑は自転車で1〜2分しかか からないのだが、それでも肥料を持って行った り、収穫物が多い時には大変だ。  そしてもう一つの不便は、水だ。私か耕作し ている畑には給水設備がない。そのため、ポリ タンクに水を入れて、自転車の前かごに10リッ トル、後かごに20リットルを積んで運んでいる。 晴天が続いた時には、それを3往復するのだが、 これが結構な重労働だ。畑が自宅の庭ならば、 畑への移動時間はゼロだし、水まきも蛇口から 直接できるので、こんな便利なことはないのだ。  さらに、防災上の観点から、家につけておき たいものがある。先にも述べたが、太陽光パネ ルと蓄電池だ。地震や台風で停電すると、テレ ビもみられなくなるし、携帯電話の充電もでき なくなる。普段から太陽光で蓄電しておけば、 停電時にも普段通りの生活ができるのだ。もう 一つのメリットは、そうした方がずっと干不ル ギーコストが安くなるということだ。この10年 で太陽光パネルの価格は劇的に下かつている。 政府の固定価格買取制度で、事業用の太陽光発 電のIキロワット時当たりの買取価格は、10年 前の40円から2021年度はH円にまで下かつ ている。一方、家庭が買う電気代はIキロワッ ト時当たり30円近いから、電力会社から買うよ り、自分で作ったほうがずっと安いのだ。  もちろん、自分で消費する電力を完全に自給 するのは、むずかしい。大きな発電能力と大き な蓄電能力を備えなければならないからだ。し かし、完全を目指す必要は、まったくない。最 近は、「プチーオフグリッド」という取り組み をする人が増えている。自宅の屋根や庭で太陽 光発電をして、足りない量や、足りない時間帯 の分を、電力会社から購入するのだ。そうすれ ば、コストが大幅に下がるだけでなく、停電時 の対策にもなる。  食べ物も、電気も、水道も白産白消に変えて いく。それは、年金大幅減の時代への対応を可 能にするだけでなく、グローバル資本主義から の解放、そして一生続くやり甲斐の創出にもつ なかつていくのだ。  私か、フルタイムで働くのはあと5年だが、 その後の暮らしにはまったく不安がない。新型 コロナウイルスのおかげて、思わぬ形で定年後 のシミュレーションができたからだ。  東京の事務所を処分して、埼玉の一拠点生活 にする。人ごみから逃れ、おいしい空気とおい しい水と大地の恵みを受けながら、毎日忙しく 農作業をして、博物館の展示を充実させ、私の コレクションに賛同してくれる仲間たちと交流 する。そんな生活かいまから楽しみで仕方がな い。 ■高齢期の移動手段124131  ひとつだけ老後生活に関して付け加えておき たいことがある。それが移動手段の確保だ。ト カイナカや田舎に住むと、移動手段がかなり大 きな問題になる。高齢期を迎えても、大都市に 住んでいる場合、移動手段の確保は、大きな問 題にならない。電車やバスが数分おきに運行さ れていて、タクシー七手を挙げればすぐに停 まってくれるからだ。ただ、田舎やトカイナカ では、そうは行かない。電車は1時間にせいぜ い数本で、バスの運行はもっと間隔が空く。買 い物や医療機関への移動といった日常生活のた めに自ら操る移動手段の確保が不可欠になるの だ。  私か買い物や耕作している畑に出かけるとき に一番多用しているのは、二輪の自転車だ。耕 作している畑は歩いても数分のところにあるの だが、いろいろ運ぶものがあったり、時間を節 約するために、自転車を活用しているのだ。た だ、私は年齢を重ねることで、一番初めに乗れ なくなるのは、自転車だろうなと予想している。 私はまだ64歳だが、畑に水を撒くときには、30 キロほどの水を荷台に載せている。ポリタンク を持ち上げて自転車の荷台に載せるのは、結構 な重労働だし、走行中にちょっとでもバランス を崩すと、転倒のリスクがある。お恥ずかしい 話だが、すでに2回ほど自転車を転倒させてし まった。倒れかける自転車からすぐに飛び降り て、けがはしなかっだのだが、体の柔軟性が失 われたり、筋力が衰えたら、自転車は難しいと 思う。正直言って、あと5〜6年したら、自転 車で重い荷物を運ぶのは難しくなるかもしれな い。  自転車の次に多用しているのが、四輪の乗用 車だ。エンジンの力を借りて走るので、自転車 よりも高年齢まで乗り続けることができると思 う。実際、私の周囲の高齢者をみていても、80 歳くらいまでは問題なく運転している。もちろ ん、大都市の都市高速のように、俊敏な判断と 運転が求められるような道路での運転は難しく なると思うが、郊外や地方の車が少ないところ では、大きな問題はないだろう。ただ、乗用車 はスピードが速く、一つ間違えば凶器にもなっ てしまうので、判断能力と運転能力が確保でき ていることが重要だ。  実際に運転免許の更新の際に70歳以上の場合 は高齢者講習が必要になるし、75歳以上は高齢 者講習の前に認知機能検査を受ける必要がある。 この検査で、記憶力や判断力が「少し低くなっ ている」や「低くなっている」と判定された人 は、通常よりも長い高齢者講習を受ける必要が あり、「低くなっている」と判定された人は臨 時適性検査または診断書提出命令が出される。 ここで認知症と判断された場合は、運転免許の 停止または取り消しの対象になってしまう。  警察庁によると、2016年に運転免許証の 更新の際に認知機能検査を受けた75歳以上の高 齢者約166万人のうち5万1000人は「認 知機能が低下し、認知症の恐れがある」第1分 類と判定されたそうだ。比率で言うと3%程度 ということになるが、75歳以上になると運転が 難しくなる人が出てくることは事実だ。  そこで私か最近活用するようになっだのが、 運搬用一輪車だ。建築現場で土や砂利などを運 ぶために使われているのを見かけたことがある だろう。一般的には「ネコ」と呼ばれているの だが、語源は諸説あって、よく分からない。私 は畑に肥料を運んだり、刈り取った雑草を廃棄 場所に持っていったり、家庭用ごみを集積場に 持っていくのに使っている。  ネコの最大のメリットは、価格が安いことだ。 プロ用の本格的なものは数万円するのだが、家 庭用であれば、ホームセンターで、3000円 程度で購入することができる。それで実用上は まったく問題がない。バランスのとり方に ちょっとしたコツが必要だが、それを覚えてお けば、一生使える道具になるだろう。  そして、私か最近、とても重宝しているのが、 三輪の自転車だ。私か使用しているのは、後輪 が二輪のタイプなのだが、通常の自転車のよう に転倒する心配がほとんどない。また、何より 嬉しいのは、荷台の高さが低いので、重いもの をそれほど持ち上げずに積み込むことができる ことだ。最近、畑に水の人つだポリタンクを運 ぶときは、ほとんど三輪自転車を利用している。 三輪自転車の最大のデメリットは、二輪自転車 と比べるとスピードがでないことだ。二輪自転 車と比べて3割はスピードが落ちると思う。  ただ、スピードが遅いということは、それだ け安全ということだし、高齢期の移動手段とし ては、むしろ望ましいのかもしれない。しかし、 三輪自転車は二輪自転車と運転の仕方が少し異 なる。カーブを曲がるときには(ンドルを切る というより、体を傾けて曲がらないといけない のだ。そのため、運転にはコツを覚える必要が ある。  高齢者が三輪の自転車を買って、そのまま使 わずに放置することが多いのは、この運転技術 が身についていないからだ。自転車メーカーも。 三輪自転車は高齢者用ではないと説明している。 ただ、安定性が高い三輪自転車は、高齢者に最 適の移動手段だと、私は思う。だから、高齢期 に入る前に、三輪自転車の運転に慣れておいた ほうがよいだろう。免許証も不要なので、一生 付き合える移動手段になるはずだ。そして、一 度運転に慣れてしまえば、脚力が衰えてきたと きに、電動タイプの三輪自転車に乗り換えると か、三輪のバイクに乗り換えるということも可 能になる。一生使える移動手段が確保できるの だから、トカイナカや田舎に住もうと思う人は。 二輪自転車が乗れなくなる前に三輪自転車の運 転をトレーニングしておくことが必要なのでは ないだろうか。  おわりに  年間200回。ヨットによる137日間の太 平洋単独往復に成功した辛坊治郎氏が、帰国後 に話した過去最多の年間講演回数だ。今回の冒 険は、スポンサーを一切つけずに行つたから、 その費用を稼ぎだすために辛坊氏は、必死に働 いたのだろう。冒険の成功で、辛坊氏には講演 依頼が殺到するはずなのだが、辛坊氏はもう金 を稼ぐための講演はしないと宣言した。  ヨットのなかで、ずっと一人で考え抜いた結 果、自分の人生の残り時間を考えると、お金を 稼ぐための講演をする時間がもったいないと考 えるようになったのだそうだ。  辛坊氏は65歳で、私と同世代だ。辛坊氏とは テレビやラジオの番組を通じて交流があった。 政治思想は私と180度違うのだが、「違うこ とを言う人間を入れたほうが、番組は面白くな る」と言って、何度も番組に呼んでくれた。ま た過去最多の年間講演回数が200回というの も、私と同じだ。実際、地方に講演に行くと。 「前回は辛坊さんが講演してくれたんですよ」 と言われたことが何度もあった。同じようなこ とをしてきた同世代として、もう講演はしない という彼の言葉は、私の胸に突き刺さった。65 歳男性の平均余命は20年しかない。ここまで必 死に働いてきたのだから、残り少ない人生は、 自由に楽しいことだけをしていきたい。多くの 同世代が本音では、そう思っているのではない だろうか。  ところが、政府は、2040年時点で男性の 4分の3近くが70歳まで働き、半数近くが75歳 まで働くという将来ビジョンを描いている。そ こまで働いてもらわないと、公的年金制度が維 持できないからだ。もちろん、楽しい仕事をI 生続けられれば、それが一番幸せなのだが、世 の中に楽しくて、稼げる仕事というのは、ほと んど存在しない。しかもグローバル資本主義が、 仕事の楽しさをどんどん奪っているのだ。  例えば、商店街の隣に大規模商業施設ができ て、仕事を失った商店街の店主が大規模商業施 設の従業員として働くことになったとしよう。 商店主たった時代は、どのように商品を陳列す るのか、何を発注するのか、値付けをどうする のかなど、すべてが店主の自由だった。ところ が、大規模商業施設の従業員として働くように なった途端に、元店主の仕事の自由は、ほとん どなくなってしまう。もちろん、個人商店より も大規模商業施設のほうが生産性は高い。だか ら、現実に、どんどん商店街が衰退して、大規 模商業施設が増えてきたのだ。しかし、それは 同時に仕事の楽しさが失われてきたことを意味 するのだ。  私は、仕事の楽しさは、生産性に反比例する と考えている。だから、単純に生産性を上げて 経済成長をしていこうという話は、素直に受け 入れることができない。  私か始めた自宅近くの農地での農業は、農産 物を売っていないので、生産性はゼロだ。博物 館のほうは赤字を出しているから、生産性はマ イナスだ。それでは、なぜやっているのかと言 えば、自由で楽しいからだ。マイクロ農業は、 どんな作物を植え、どのような土づくりをし、 どのように芽掻きをするかなど、すべて自分の 裁量で決められる。博物館も、何をどのように 展示するのかは、まったくの自由だ。だから楽 しいのだ。  それは仕事でもまったく同じだ。仕事柄、数 多くの経営書を読むのだが、いままで読んだな かで、斷トツの傑作は、コリンズとポラスが書 いた『ビジョナリー・カンパニー』(日経BP) だ。繁栄を続ける世界企業には、どんな共通点 があるのかを膨大な調査に基づいて解明した本 で、アメリカの経営学の常識を根底から覆した。 それまでは、外部から連れてきた先見性のある カリスマ経営者がトップダウンで経営をするの がよいとされていたのだが、『ビジョナリー・ カンパニー』では、「経営者は時を告げてはな らない。時を告げる時計を作るべきだ」とした。 経営者は理念や仕掛けを作ることに専念して、 実際の仕事は思い切って現場に任せることが、 企業が永続する必要条件だと喝破したのだ。  この分析に感服したのは私だけではなかった ようだ。その証拠に『ビジョナリー・カンパ ニー』は、その後5冊も続編が出版されている。 しかし最近出版された『ビジョナリー・カンパ ニーZERO』は続編ではなく、『ビジョナ リー・カンパニー』が出版される前に、コリン ズが師匠のビルーラジアーと共に書いた第1作 だ。『ビジョナリー・カンパニー』が大企業を 分析しているのに対して、『ビジョナリー・カ ンパニーZERO』は、スタートアップ企業を 対象にしている。  スタートアップ企業にとって最も重要なこと は、いかに優秀なスタッフを集め、いかに彼ら を動機づけるかだ。そのためには、経営者がど んなビジネスをするかより、経営者白身がどれ だけ魅力的かが大切だと、著者は強調する。ス タップと同じ目線で、緊密なコミュニケーショ ンを取り、スタッフから慕われる存在になる。 そして細かい指示は出さず、仕事を任せるのだ。 仕事の生きがいは、突き詰めると仕事の自由度 だ。一挙手一投足まで指示されていたら仕事は 面白くなくなるというのだ。  正直言うと、私はこの数年、お金を稼ぐため の仕事よりも、楽しい仕事のほうが大切だとい うことを強く意識するようになった。だが、実 はそんなことは古代から分かっていたことらし い。ヤニスーバルフアキスの『クソつたれ資本 主義が倒れたあとの、もう一つの世界』(講談 社)によると、古代ギリシヤ人は、快楽や幸福 感を二つに分けてとらえていたという。一時的 に満たされる目の前の快楽を「ヘドニア」と呼 び、長期的な人生の充足感や幸福感を「ユーダ イモニア」と呼んでいたのだ。  40年間、わき目もふらずにがむしやらに働い てきたのだから、せめて定年後は、ユーダイモ ニアを求め続けてもよいのではないだろうか。 もちろん、私には辛坊治郎氏のような決断力が ないので、あと5年くらい、ずるずるといまの 仕事を続けてしまうと思う。ただ、その代わり に農業と博物館というユーダイモニアの素をす でに始めている。新型コロナウイルスの影響で お金を稼ぐための仕事は激減したが、農業と博 物館のおかげで、毎日とても忙しく、人生を楽 しんでいる。  畑から自宅に戻った私に妻が言った。「あん たがやっていることは、子どもとまったく同じ だよね。博物館でおもちゃをさんざんいじって、 戻ってきたと思ったら、今度は畑で泥んこ遊び じゃない」。妻の言うとおりだと思う。だが、 いままでさんざん働いてきたのだから、老後は、 少年時代に戻って、思い切り自由に生きても罰 はあたらないだろう。  多くの人には関係のない話だろうが、最後に どうしても書いておきたいことがある。それは タバコのことだ。健康増進法の施行以来、大都 会の喫煙環境はどんどん厳しくなっている。駅 の近くの喫煙所は、次々に閉鎖され、街中で夕 バコを吸えるところが、少なくなっている。都 心部では、道路で喫煙をすると罰金が科せられ るところも多い。飲食店も禁煙のところが大勢 となり、職場でもタバコを吸えないところが増 えてきた。さらに新型コロナウイルスの感染拡 大で、ただでさえ減っている喫煙所の閉鎖が相 次いだ。  帝国データバンクが2020年3月に発表し た「企業における喫煙に関する意識調査」によ ると、26・2%と4分の1以上の企業が全面禁 煙となっている。最近では、証券最大手の野村 グループが2021年10月から全面禁煙を導入 すると発表した。  私の事務所は、東京都中央区のマンションの なかにあるのだが、エレベーターのなかに「管 理室に苦情が来ているので、ベランダで喫煙を しないでください」との掲示が貼りだされてい た。街なかでも、会社でも、ベランダでもタバ コが吸えない窮屈な社会に、大都会はなってい るのだ。  私は喫煙者だ。タバコは家でも吸っているし、 一番おいしいのは、畑で一作業終えた後に吸う タバコだ。もちろん、灰皿はきちんと準備して いるが、周りに人がいないので、吸うこと自体 は、誰に気兼ねすることもない。東京で肩身の 狭い思いをしながら吸うタバコとは自由の味が 違うのだ。  中野健太氏が書いた『108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎』(K ADOKAWA)という名著がある。日本から 移民としてキューバに移り住んだ島津三一郎氏 の108年にわたる生涯を描いたドキュメンタ リーだ。キューバの政変で島津氏は、波瀾万丈 の人生を送るのだが、晩年は、たった一人で、 老人福祉施設で生活をする。彼を支援してくれ る優しい仲間たちに囲まれて、島津氏はうまそ うにタバコを吸う。  「今日も元気だ。タバコがうまい」。私も、い まそんな暮らしを満喫しているのだ。 付録  新版 アリとキリギリス  「アリさん、何を必死に働いているんだい?」  「食べるものを巣の中に蓄えているんだよ」  「食べ物なんて、いくらでもあるじやないか。 この草むらは、全部ボクの食べ物だよ。君たち の食べ物だって、いくらでもこの草むらにはあ るじやないか」  「君は、もうすぐ冬が来るってことを知らない のかい。冬がきたら草が枯れて、食べ物はI切 なくなってしまうんだよ。君みたいにバイオリ ンを弾きながら歌ばかりを唄っていたら、冬に 命をつなぐことなんて、できないだろう」  「だからと言って、朝から晩まで働き詰めとい うのは、どうかと思うな。一体何か楽しみで生 きているんだい?」  「楽しみなんて考えていないよ。とにかく働き 続けることがボクらの使命なんだ」  「そんなこと言っていないで、ボクのバイオリ ンに合わせて、一緒に隕わないかい」  「そんなヒマはないよ。1人でもサボつたら、 備蓄が足りなくなってしまうんだ」  そんなある囗、アリさんとキリギリスが暮ら す草むらを、線状降水帯の停滞による豪雨が襲 いました。浸水でアリさんの巣は破壊され、備 蓄した食料も腐り始めました。わずかに残され た巣の中の小さな空間で、アリさんたちは身を 寄せ合い、奇跡的に残された食料を分かち合っ て、じっと息をひそめていました。  一方のキリギリスは、風だまりの落ち葉の下 で、何とか豪雨をやり過ごして、命拾いをしま した。  豪雨の被害は凄まじく、雨上がりの草むらは、 一面の荒野に変わり果てていました。  アリさんたちは、全員の力を合わせて、巣の 復旧に努めました。巣自体は確実に復旧してい きましたが、すでに秋が深くなっていて、冬を 越すための十分な食料の備蓄は、もう不可能で した。   一方で、キリギリスは、すぐにバイオリンを 弾いて、歌を唄い始めました。彼の食料である 草が、雨上がりと同時に一斉に芽吹き始めたか らです。  1ヵ月後、アリさんが恐れていた冬が訪れま した。しかし、アリさんたちに残された食料備 蓄はとても少なく、食料を食いつぶしたアリさ んたちは、次々に命を落としていきました。  「ボクたちの一生ってI体なんだったのだろ う」。それがアリさんたちの残した言葉でした。  一方、冬の訪れとともに草が枯れていくと、 食料備蓄のないキリギリスも、最期のときを迎 えることになりました。キリギリスは、こう言 いながら息を引き取りました。  「ずっとバイオリンを弾いて、唄って、自由に 生きられた。とても素敵な一生だったな。もう 思い残すことなんて、何ひとつない。ああ、楽 しかったな」 本書で記述した情報、データは2021年一1111月中 旬時点のものです。特に年表示のない月日は。 2021年のものです。本書の内容の一部は、月 刊誌『毎日が発見』(https://mainichigahakken.net/ magazineこの連載「人生を楽しむ経済学」を加筆 修正のうえ、掲載しました。 図版制作 國分陽